ちょっぴりの不安とたくさんの期待を持った1日

昨日は研究発表会を2週間ほど後にひかえた中学校で授業研究に参加しました。

いつものように朝からおじゃまして子どもたちのようすを観察していると、先日より集中力が下がっています。先生の話を聞いていない、問題を解き終わって遊んでいる、手をつけようとしない、そんな子どもが目立つようになっています。合わせて、先生方の表情が硬い、笑顔が減っている。こんなことに気づきました。
研究主任にうかがったところ、この数週間、研究発表のための原稿や指導案その他もろもろのことで、ほとんどの先生が深夜、時には翌日まで仕事をされていたそうです。先生の表情も硬くなるわけです。授業中に子どもたちを見る余裕もなくなります。
研究発表会のためにエネルギーを使い果たしてしまい、終了後みんな抜け殻のようになってしまったという笑えない話も聞きます。教師の手元に立派な紀要が残ることではなく、自分たちのやってきたことが子どもの成長となって返ってきたという実感を持てること、子どもたちがよい方向に変わったとまわりから認められることが大切です。
事前準備のピークは過ぎたようです。先生方も笑顔を取り戻し、子どもたちもよい姿を見せてくれるようになると思います。発表会当日は、先生方とのパネルディスカッションを通じて、この学校の先生方の思い、努力とその成果をわかりやすい形で参加者に示すことができるよう頑張ってコーディネーターを務めさせていただきたいと思います。

そんな中で数学と体育の授業研究がおこなわれました。私は数学の少人数の2学級の授業を参観しました。2次関数ってどこに出てくるの、何の役に立つのという子どもの声に対して、リアリティのある教材を用意しようと挑戦してくれました。車の制動距離とブレーキを踏んだ時点の速度の関係が2次関数になることを利用する問題です。うれしかったのは、2人の授業者が異なるアプローチをしていたことです。

1人はできるだけ現実に近い形にしようと、空走距離と制動距離を使い、一方を1次関数、もう一方を2次関数の例として課題としました。
もう1人は、課題をシンプルにしようと制動距離に絞り、そのかわり課題と情報の提示を自作のビデオでおこなってくれました。

ともに初めての試みです、授業の課題もたくさん見つかります。そのことは悪いことではありません。挑戦して課題が見つかることで成長するのです。

私の専門が数学なので、数学科の先生には厳しくなります。どうしてもネガティブなことが目につきやすいのですが、この2学期になってうれしい変化が見つかりました。数学の先生方の板書がよくなってきたのです。今までは解答がただ書いてあるだけの、問題集についている簡単な解答のようなものが多かったのですが、色チョークを活用したポイントや解く過程がわかるようなものになってきたのです。全体的に変わったということは教科がチームとして機能し始めた証だと思います。さらに、「どうしてこの方法で解けるの」といった解法の根拠、「どこから手をつければいいんだろう」という問題を解くための手がかりなどが残るようなものを目指すようにお願いしました。

このほかにもうれしいことがありました。採用試験に受かった2人の講師が今まで以上に授業に前向きになっていることです。1人は小学校、1人は高校と今いる中学校とは異なりますが、ここで少しでも多くのことを学び新天地で活かそうとしています。伸びよう、学ぼうとする教師集団の中にいることがこのような姿をつくってくれているのだと思います。

ちょっとした不安もありましたが、明るいものもたくさん見ることができた1日でした。発表会はこの学校の先生方の努力にふさわしい成果が見られることと思います。

授業者も参加者も学びあえた模擬授業

愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムで発表する国語科の授業の模擬授業に参加しました。

うれしいことに、近隣の学校だけではなく、地区を越えて、たくさんの先生が参加してくださいました。教室はほぼ満席状態。授業者にはとっては、とてもプレッシャーがかかる環境となってしまいました。

ベースとなっているのは授業名人野口芳宏先生の授業です。指導案作成にはトップクラスの先生がかかわっています。スムーズに授業が流れていくように思えますが、そうはいかないのが授業のおもしろいところです。
指導案には書かれない、子どもの発言や反応に対しての受けや切り返しがうまくできないのです。一つひとつの発問や活動の意図をしっかりと理解し、意識できていないため方向がぶれていき、いつの間にかこの授業が何をねらっていたのかがわからなくなってしまいます。授業者は何度も立ち止まってやり直しました。その場面を野口先生の授業記録と比較してみると、野口先生の受けや切り返しの素晴らしさ、その意図にあらためて気づきます。教材研究の大切さだけでなく、それを支える授業技術の大切さもよくわかります。指導案だけでは見えないことが、この模擬授業を通じてたくさん明らかになったように思います。

2時間近くいろいろと検討しましたが、指導案の10分程度しか進めることができませんでした。しかし、指導案作成の段階では授業者がしっかりと理解、意識できていなかった発問や活動の意図が明確になり、それに伴って子ども役の発言や反応に対してうまく受けることができるようになってきました。最後に、もう1度最初からやり直しましたが、見違えるように滑らかに進んでいきました。

若い先生もたくさん参加していたのですが、彼らにとって今回の模擬授業はどうだったのかとても気になるところです。模擬授業が終わったときは8時を過ぎていました。皆さん帰宅を急ぐと思っていたのですが、なかなか立ち去ろうとはしません。興奮冷めやらぬといったようすで、そこかしこでこの授業に関する話をしています。よい授業は終わった後も子どもが考え続けると言いますが、まさにその通りのものでした。「おもしろかった」という声もたくさん聞くことができました。授業者だけでなく参加した先生方にとっても、とても刺激的で学びの多いものになったようです。皆さんがこの学びを活かしてくれることを期待します。

授業者は、今回の模擬授業を受けて、本番ではどのような授業を見せてくれるのでしょうか。とても楽しみです。多くの学びとともに本番への期待が高まった模擬授業でした。

研究発表会の打ち合わせ

昨日は、ICT関連の研究発表会の打ち合わせに中学校へおじゃましました。当日は全学級の授業を公開するということで、事前にいただいた指導案についてコメントさせていただきました。

どの指導案も、ICTの活用については無理のない、これなら使ってみたいと思うものでした。研究主任や教務主任のバックアップがあってのことだと思います。すばらしいのは、ICT活用の前提として「基本的な授業力の向上」が研究構想に掲げられていることです。このことからも、この研究が足が地に着いたものであることがわかります。

私からのコメントは、ICTをどう使うかではなく、活かすための発問や活動のあり方がほとんどでした。指導案がシンプルで見やすいものだったので、授業のイメージがよく伝わり、ピンポイントでアドバイスすることができました。当日は1時間の公開なので、一つひとつの授業をじっくり見られないのが残念です。参加される方は、興味のあるICTの活用、授業に絞ってじっくり見ていただけたらと思います。

依頼されている講演については、ある程度材料も集めていたのですが、この指導案を見て、ぜひ当日の授業とつながる話をさせていただきたいと考えました。この学校のコンセプトでもある、「ふだん使いのICT活用」をタイトルとして、伝え合うツールとしての活かし方に絞って話をすることにしました。指導案のおかげで、イメージがわいてきます。発表会まで1週間を切っていて時間があまりないのですが、おもしろいものにできそうです。
当日の授業への期待にワクワクしながら学校を後にしました。

白黒をつける

授業名人の野口芳宏先生は、「白黒をつける」ということを言われます。「それもいいね」「いろいろな考えがあるね」と曖昧に終わらせるのではなく、「これは間違い。これは正解」とはっきりさせるということです。このことについて考えてみたいと思います。

私は、教師は子どもの発言に対して、「はい、正解」とその場で判断しない方がいいと考えています。それは「正解」をはっきりさせないということではありません。合理的に根拠を持って子ども自身で「白黒をつける」ことが大切だと考えるからです。ですから、子どもたちが間違った結論に達したときは、修正することをしなければなりません。また、正解とすべきことについては、全員が納得しなければいけません。

たとえば国語の授業で、「○○について述べているところに線を引こう」という発問を考えてみましょう。

「・・・です」
「なるほど、同じところに線を引いた人いるかな」
「いるね。引かなかったけど、なるほどこれは○○について述べていると納得した人は線を引いて」
「では、ここに線を引いた人は手を挙げて」

このように展開したとしましょう。ここで、全員が挙手をしたなら問題はありませんが、挙手しない子がいれば対応が必要です。「白黒をはっきりつける」ことが求められます。野口先生であれば、「今の意見に賛成の人は○、反対の人は×をノートに書きなさい」とするところでしょう。反対の子どもに意見を求め、結論を出す必要があります。

「線を引かない人がいるね。どういうことか聞かせてくれる」

と、意見を聞きます。どれくらい時間をかけるかは重要度にもよりますが、かかりすぎるようであれば、教師が根拠を示したうえで正解であることを知らせることも大切です。

「・・・だから、ここは○○について述べている。線を引こう」

「先生は・・・だから、ここは○○について述べていると考えます。どうですか? 反対がないね。ではここに線を引こう」

子どもたちが根拠を持って自分たちで「白黒をつける」ことは大切なことです。しかし、つねに自分たちで「白黒をつける」ことができるわけではありません。うやむやで終わらさずに教師が結論を示すことが時には必要になります。「白黒をつける」べきものは、きちんとつけなければいけません。

問題から授業を考える

全国学力調査の問題が公表されました。問題制作者の意図が非常に明確で、これならば子どものいろいろな学力を知ることができる良問ぞろいと思いました。このような問題からはたくさんのことを学ぶことができます。どのようなことを考えればよいのでしょうか。

一つは、問題でどんな力を確認しようとしているかです。教師であれば解けるのは当たり前です。この問題を解くためにはどのような知識や力が必要かしっかりと見極める必要があります。そして、自分の教え子たちが、どのような解答をするか予想します。どのような誤答が出て、それはどうして出てくるのかを意識しなければなりません。こうした上で結果を見ることで教え子の実態、すなわち自分の授業が見えてきます。試験をすることの意味がここにあります。

もう一つ、授業という視点で見るともっと大切なことが、問題を解くための知識や力はどのようにすれば身につくのかを具体的にすることです。子どもたちがどのような活動をする必要があるのかしっかり見極めるのです。
たとえば、今回の全国学力調査の数学の問題に関数の定義がわかっているかどうかを確かめるものがありました。関数の定義を教師が1度説明しただけではまず解けないでしょう。いわんや、xとyの関係を式で示して、これが関数などといった間違えた説明で教えていれば話になりません。最低限、定義域から値域(数学用語にこだわる必要はないですが)という方向性、定義域の要素が一つ決まれば他方が決まるということを子どもたちの感覚で押さえておく。、その上で、どのようなものが関数であるのか、ないのかを具体的な例で判断して理解するような活動をしていないとなかなか正解は導き出せないと思います。問題を真剣に分析することでどのような授業が求められているのかを考えることができるのです。
これはどの教科でも同じことだと思います。

全国学力調査の問題だけでなく、良問はたくさんあります。問題を分析し、どのような授業が求められているのかを考えることも教材研究の大切な視点です。

落ち着いた学校から学ぶ

昨日は中学校で講演をおこなってきました。

最近は、学校から講演を引き受けるときに、合わせて授業を参観させていただくようにお願いしています。なかなか公開していただけないこともあるのですが、この学校は何と全員の先生の授業を公開していただけました。負担なく授業見合うことができるように、公開授業でも細かい指導案は作成せず、この授業で何をこだわるか、どんな工夫をするかなどを簡単に書いたものだけですませています。簡単なものですが、授業を見る上で大いに参考になりました。とてもよい工夫だと思いました。

3校時参観させていただきましたが、大規模校なので一つひとつの授業は数分しか見られません。しかし、どの学級でも子どもたちが落ち着いて学習に取り組む姿が見られました。とても素直な子どもたちです。この日見た子どもたちの姿をもとに、「子どもが考える・活躍する授業づくり」について講演をさせていただきました。

最初に、この学校の子どもたちについて少し話をさせていただきました。

・子どもたちは良くも悪くも素直
子どもたちは素直に反応を示します。しかし、教師の求める姿以上の姿は見せてくれません。たとえば教師が話を聞いてほしいと強く意識ない場面では、集中して聞こうとはしません。逆に、教師がそう願えば、それに応えてくれます。教師が明るい笑顔で授業をすれば、子どもたちも笑顔で応えます。教師の授業に対する思いを鏡のように映し出す子どもたちでした。教師が高いことを要求すればそれに応えて伸びてく子どもたちです。

・子ども同士の人間関係は良好
実技教科のグループや班活動ではとてもよい表情を見せます。わからないことをまわりの友だちに聞く姿も見られました。このような子どもたちですので、グループやペアを上手に使えば、非常に効果的だと思います。

・消費者的な行動が気になる
これは最近の中学生に共通することかもしれませんが、効率的に結果を得ようとする傾向があるようです。友だちや教師の話を聞いていなくても、板書はきちんと写します。まず、ワークシートの穴を埋めることが優先されます。子どもたちは板書を写してワークシート完成しておけば試験では困らないということでしょう。

このことをもとに、どのようなことを意識して授業をすればいいかお話をしました。
直接は伝えませんでしたが、この学校が次のステップに進むために必要なことは子どもたちの現状を変えたいと先生方が思うことです。授業を妨害する子どもはいない。試験の成績もよい。「何か問題があるのか?」と先生が思っていては前に進みません。
素直な子どもたちです。逆につまらない授業、価値を感じない授業に対しては、集中しない、聞かない、手遊びするといった形で明確にメッセージを発信しています。先生方がそのメッセージをきちんと受信しないと、ちょっとしたほころびがやがて大きな問題を引き起こしかねません。
このことを伝えようとしましたが、うまく伝わったか自信がありません。力不足を感じました。

講演の後たくさんの若い先生が質問に来てくれました。彼らの授業について具体的な話ができたことはとてもうれしいことです。前向きな若い先生に元気をいただきました。
子どもたちが落ち着いていて、特に問題を教師が感じない学校を、より高いところに持っていくことはとても難しいことです。そこに挑戦しようとしている校長先生はじめ教務主任や中堅の先生方の姿勢は素晴らしいものです。この姿から学んだことをぜひ他の学校でも活かしたいと思います。とてもよい勉強ができた1日でした。ありがとうございました。

楽しく、有意義な研究会

愛される学校づくり研究会に参加しました。今回は、困難校を立て直した校長先生のお話しと、来年のフォーラムの内容検討、学校の見える化についての話し合いと盛りだくさんでした。

私は、困難校の立て直しの方策は、大きく2つの方法があると思っています。1つは行事やイベントを通じて子どもたちや教師の活躍の場をつくること。もう1つは授業の改革です。この校長先生がとったのは前者の方策でした。借り物ではない学校独自の新たな取り組みを通じて子どもたち、教師集団を変えていかれたのですが、何がすごいといってそのスピードです。赴任してすぐに企画がはじまり、夏にはすでに子どもたちが動き始めています。学校の様子を見ながら考えるという発想ではこうはいきません。穏やかな表情で静かに語るその内に、確固たる意志が存在していることが伝わってきます。

教師集団に自分の思いを伝え(校長からのWebを活用した発信)、子どもたちに活躍の場を与え(新たなイベント、子どもたちの発表の場の確保)、外部から「君たちはすごい」と子どもたちが評価される仕掛けをし(保護者を巻き込む、新聞などのマスコミで取り上げてもらう)、子どもたちが評価されることで学校も教師も評価されて教師のエネルギーが上がっていく(取り組みを書籍として発行)、というよいサイクルがつくりだされていました。学校が元気になっていくための必要条件を見事にクリアしています。緻密に考え、大胆に行動する。リーダーに求められる事は何かをあらためて教えていただきました。

新しいことに取り組むにはエネルギーがいりますが、うまくベクトルがそろえば大きな力が生まれます。しかしながら、新たなものを生み続けるには限界があります。軌道に乗った後が実は大変なのです。校長先生の言葉の中に、トップダウンからボトムアップということが出てきました。次のステップをちゃんと理解していて、そのために動かれていることがよくわかります。だからこそ、この学校の真価が問われるのは、この校長先生が去られたときです。それがいつかはわかりませんが、きっとそれに間に合うように教師集団を育てていかれることと思います。

学校改革を成功させた話は必ず似たようなステップをたどっています。そして、時間がかかり、最後まで残るのが授業の改革です。学校において一番基本である授業を変えていくことがいかに難しいかを象徴しています。この校長先生がどのように授業に手を入れていくのだろうかと考えたときに、某市の前教育長とその取り組みを思い出しました。市として取り組む事を考えるとイベントで押していくことはできません。授業を変えることで学校を変えるという正攻法に正面から取り組み、見事な戦略で市全体の不登校の減少という結果を残されました。どのアプローチが正解というわけではありません。しかし、学校である以上、授業は避けては通れないものです。私が、アドバイスをしている学校の多くが、子どもたちが落ち着いてきた、子どもたちが落ち着いている、だから今こそ授業を改善するチャンスだと考えられていることにもそのことが表れています。1時間半ほどの短い時間でしたが、実にたくさんのことを考えさせられるお話でした。

フォーラムの内容検討はスムーズに進み(要は役者がそろっているので、その場の流れで出たとこ勝負?!)、研究テーマの「学校の見える化」についての話し合いに入りました。

参加した以上何か喋らせるというのが司会者である会長の方針です。全員「何を見える化すればいいのか」について発表しました。人の発表を聞きながら自分の考えをまとめるというのは、結構きびしいことです。「同じです」が許されない全員指名が、いかに子どもを鍛える(!?)ことになるのか実感できます。運悪くなのか、意図的なのか、最後の発言者となってしまい、当然のようにまとめろとのご指示。司会者がまとめるのではと反論の言葉をぐっとこらえ、皆さんの話をもとに「見える化する視点」を私なりに整理してみました。

・個で見えないものを見える化する
・個によって異なって見えるものを見える化する
・見たものに行動を促すようなものを見える化する
・ポジティブに評価されるものを見える化する
・(定期的に発生するイベントなどで)変化を見ることでアラートとなるものを見える化する

こうして外化することで整理するきっかけをいただきました。この視点で見ると結構見つかるような気がします。そして、その場では言いませんでしたが、見える化にかかわるコストが大切になります。「見える化のために時間がかかり、改善する時間がなくなった」では、笑い話です。このコストを下げるのに有効なのがICTだと思います。このあたりのことを考えることが「学校の見える化」とは切り離せないと思います。

いつもながら実に学ぶことの多い、有意義な時間を過ごさせていただきました。ああ、楽しかった。

多くの人と共有したい授業

愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムでの算数の提案授業の撮影にでかけました。前回(提案授業から大いに学ぶ参照)の続き、2時間完了の2時間目の授業でした。

先行授業から細かいところをよく修正していました。辺の色と長さを対応付けている教材ですが、子どもたちの意識を色から長さへと向けるための細かい仕掛けがされていました。また、仲間分けのルールも明確であったため、その点で子どもたちが混乱することはありませんでした。仲間外れがいないなど、分け方のルールは守れているのですが、長さを意識したため、先行授業と比べて時間がかかる子どもが多く見受けられました。色で分けるのとは難易度が違うことがよくわかります。抽象度が上がるのです。しかし、分け方の説明は長さを意識したものになっていたので、焦点化しやすくなっていました。
ICTの活用場面も、前回から細かくブラッシュアップしていて、提案としては文句のないものになっていました。
わずかな時間で、指導案、ソフトともに大きく進歩していたことには感激しました。少しでもよい授業をしたいという算数チームの熱意を感じました。

今回の授業で考えさせられたのは、「子どもの言葉にどのようにこだわるか」です。

子どもの発言は色から長さへと抽象度が上がっているので、表現がどうしてもうまくできません。これをどう算数の言葉として無駄なく整理されたものにし、全員に共有化させるかが課題として浮かび上がりました。授業者は発言者に整理させることこだわりすぎたため、共有化に時間がかかりました。他の子につないでいくという選択肢もあったと思います。
また、子どもの言葉にこだわって、その説明をもとに三角形を1つずつ仲間かそうでないか分類して、考えを共有化する方法もあったかもしれません。

辺の長さが違うという理由で仲間分けしたのに、分け方を間違えた子どもがいました。授業者は仲間分けが正しくないという視点で修正しようとしましたが、結局間違いということで終わってしまいました。「辺の長さが違う」という子どもの言葉を認めて、「こうやって仲間分けしたんだね。同じ理由で分けた人いる」と結果でなく、理由に焦点を当ててつなぎ、分けた結果を修正していく展開もあったかもしれません。もし時間があれば、全員で「辺の長さが違う」三角形を仲間分けすることで共有化する方法もあります。

子どもの言葉をいかし、つなぎ、深める。子どもの言葉を手掛かりにして活動し、共有化する。口で言うのは簡単ですが、これはとても難しいことです。この授業では、まず子どもの言葉を引き出せたことを評価すべきでしょう。前回より進歩したことで、新たな課題が見つかったのです。こうしたことの繰り返しで授業力はついていきます。
この日は検討会を開く時間はありませんでしたが、フォーラムとは別に多くの人に集まってもらって、ビデオ検討会を開きたいと思います。それだけの価値のある、多くのことが学べる授業でした。
授業者とそれを支えるチームの力が合わさって、とても素晴らしい授業がつくられていきました。このような場面に立ち会うことができたことに感謝します。

授業者の成長が見えた提案授業

愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムでの社会の提案授業の撮影にでかけました。教室に向かう廊下で子どもたちとすれ違うたびに、とても気持ちのよい挨拶を受けました。どの子も笑顔で、挨拶することが楽しくてしょうがないという感じでした。このような小学校に出会うのは久しぶりです。授業での子どもたちの活躍が期待されます。

授業開始前の子どもたちは、本格的な撮影機材を前に興奮気味です。このままの状態が続いたらどうなるのかと心配しましたが、起立の号令とともにざわつきはぴたりと止み、ほどよい緊張感となりました。きちんと学級規律が保たれていることを感じました。これなら大丈夫です。

前回の模擬授業(模擬授業は楽しい参照)の後、指導案をじっくり見なおしたのでしょう。無駄な部分が削られ、導入部分は実にスムーズに進みました。ここまで見ていて、気づいたことがありました。授業者の子どもの発言に対する受けが大きく変わっていたのです。
模擬授業の時点では、いろいろな発言を受容することができずに、否定的な返しをしたり、流れが止まってしまうことがありました。ところが、この日はどの子どもの発言もしっかりと受容的に受け止めていたのです。口で言うのは簡単ですが、指摘されてすぐにできるものではありません。この2週間、ずっと意識して授業をし続けたのだと思います。それにしても、大きな変貌でした。
授業者の受容的な態度に、子どもたちの意欲はどんどん高まります。授業前には眠そうにしていた子ども張り切って、先頭を切って手を挙げます。事前に予想していた以上に子どもたちは積極的に意見を発表し、ICTは必要ないのではと思うほどでした。しかし、ICTを使うことで、子どもたちの気づきが広がり、深まったのも事実です。子どもたちが興味関心を持って積極的に参加してくれたことで、より多くのことが学べたように思います。フォーラム当日に、この点を深める話を展開できればと思っています。

授業後、検討会を持つことができました。司会者の見事な取り回しで、すぐに授業の核心に話題が焦点化しました。子どもたちから想像以上のものがでてきたので、切り返し方によってもっと高いところに到達できるのでは、という視点での検討です。ベテランでも、とっさにそこまで対応するのは難しいことです。反省・課題というよりは、この授業の可能性を話し合ったというべきでしょう。もう1度チャレンジする機会があれば、もっともっと素晴らしいものになることでしょう。
校長や同僚から、授業者の進歩について温かい言葉が伝えられました。このような環境が授業者を大きく成長させてくれたのだと思います。わずか1時間足らずの検討会でしたが、実に中身の濃いものでした。

授業者のやりきったという笑顔と、二人三脚でこの授業を終始一緒に考えサポートしてくださったまとめ役の先生の、よくやったといううれしそうな表情がとても印象的でした。私も、若い先生の成長の瞬間に立ち会えた喜びを感じながら学校を後にしました。

提案授業から大いに学ぶ

愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムでの算数の提案授業の撮影にでかけました。2時間完了の1時間目と、2時間目の先行授業でした。

撮影前の授業での子どもたちのようすを見てちょっと落ち着きがないことを心配していたのですが、実際にはしっかりと集中した姿を見せてくれました。子どもたちが真剣に黒板のスクリーンを見ている姿に、ICTの威力を感じました。決して凝ったものではないのですが、だからこそ気軽に使える、子どもにもわかりやすいものになっていました。これならば、自信を持ってフォーラムで紹介できます。今から会場の反応が楽しみです。

しっかり練られた指導案で、機器の利用の工夫もされている授業なので、多くの気づきがありました。子どもが興味を持って取り組んでいるので、子どもの集中力が下がる場面に、教師の働きかけの大切さが浮かび上がってきます。今回印象に残ったのは次のようなことでした。

一つは、挙手に頼るかどうかです。
子どもが作った三角形を発表させる場面で、授業者は挙手をさせました。今回は最大で19種類の三角形が出てくるはずです。最初のうちは元気よく手が挙がっていたのですが、残った数が減ってくるころには、挙手も減り、指名との間に時間もかかるようになってきました。挙手できない子は集中力をなくしてきました。だれてきたのです。
全員5種類の三角形を作っているのですから、挙手に頼らずどんどん進めればいいのです。日ごろ発言できない子を中心に指名する、列で指名する。いずれにしても、単調になりやすい場面ですので、テンポよく素早く進めることが大切です。

もう一つは、違った考えの子どもをどう取り込むかです。
三角形を分類する場面です。子どもの発表に対して授業者は同じ分け方の子どもに挙手させました。同じ考えをつなぐよい指示です。その後、その理由を説明するように求めました。ここから、挙手できなかった子どもの集中力が落ちてきました。自分は違う考えだから参加できないと感じたのです。授業者は、違う考えの子どもに友だちの考えを理解させ説明させようと考えたそうですが、手が挙がらなかった子どもを見るとボーとしてよく理解できていないようだったので断念したそうです。
では、どうすればよかったのでしょうか。

「違う分け方の人にもわかるように説明してね。違う人もどうやって分けたのかよく聞いてね。あとで、説明してもらうからね」

と違う考えの子どもに課題を与える。こうすることで、彼らも参加することができます。

「どうやって分けたのか説明できるかな。違う分け方の人も、よく見て考えてね。まわりの人と相談してもいいよ」

と考える時間を与える。違う考えに接していきなり理解するには時間がかかります。いわんや説明はもっと大変です。また、まわりと相談するということは、そのわけ方をした子どもともかかわる機会をつくれます。全体で発表するより多くの子どもが活躍できます。

どちらかが正解というわけではありませんが、違う考えの子どもを参加させるような働きかけが必要だということです。

授業者にとっても、参観者にとっても刺激と学びの多い授業でした。
授業検討を受けて、明日、2時間目の授業に再挑戦です。授業者はきっといろいろと考え工夫をしてくれると思います。私もどのような変化を見せてくれるのかとても楽しみです。

野口芳宏先生から学ぶ

教師力アップセミナーで授業名人野口芳宏先生からたくさんのことを学ばせていただきました。

この日のセミナーは3部構成で、第1部は野口先生による道徳の模擬授業「なぜ学校に来るのか」でした。「学校に来るのは自分のためということばかりが強調されて立派な社会の一員となるためということが忘れられている」という野口先生の主張には大賛成。最後に、社会性を身につけることが自分の幸せにつながるということで締めくくられました。その通りなのですが、中学生ぐらいになるとこのことを素直に受け止めてくれない子どももいたりします。この部分については課題をいただいたような気がしました。ここに焦点を当てた授業を考えてみたいと思います。野口先生のこの授業を、学校公開日に全員で実施して、どの保護者にも子どもが学校に通う意味を考えてもらうという校長が出てくることを期待してしまいました。

第2部は先日撮影した、若手の国語の授業について、野口先生に公開でアドバイスをいただくものでした。さすがは野口先生、授業者が苦しんでいた部分に対して、ズバリと明快な答えを出していただきました。この会のためにわざわざ授業をおこなってくれた先生にはその苦労も吹き飛ぶくらいの大きな学びがあったと思います。教師の指導のあり方、課題のあり方について、私もたくさんのヒントをいただきました。

第3部は「体験的実践論」と題した講演です。野口先生の今までの教育に対する主張が整理されより明確になったように感じました。いつ話をうかがってもぶれのない1本筋の通った主張に、野口先生のすごさを感じました。自分の幹は何だろうかとあらためて問いなおす機会となりました。また、自分と主張の違う方に対しても、堂々と主張はされますが、悪く言われることはありません。人間としての器の大きさを感じます。野口先生とお会いすると自分の至らなさを思い知らされます。

夜は野口先生を囲んでの懇親会が催されました。お酒が入るとますますパワーアップして、ここには書けないような話もたくさん聞かせていただきました。後期高齢者になったことを笑いのネタにしながら、私たちではとてもこなしきれないほどの仕事に精力的に取り組まれている姿にはただただ脱帽。こんな歳の取り方をしたいと思える方の一人が野口先生です。野口先生からたくさんの元気をいただいた1日でした。

充実した学校訪問

昨日は中学校で、1日日程の学校訪問に参加しました。気ままな立場なので、指導主事の先生方とは全く別に、自由に授業を参観しました。

午前中は若手の先生を中心に見ました。中には1年前と比べて目を見張るほどに進歩している方もいました。教科の先輩からよい刺激を受けていることがよくわかります。この日も先輩が授業を外から見ていました。こういう雰囲気が教師を育てていくのだと思います。

教師経験がほとんどない先生も、工夫をしながら少しずつですが進歩しています。特に講師の先生は研修の機会も少ない中、空いた時間に他の先生の授業を見に行くなどして必死に自分の授業の質を高めようとしています。学ぼうとする空気があることがこの学校の強みでしょう。

気になったのは、子どもが活発に活動することと、授業のねらいがずれている場面がいくつかあったことでした。子ども同士が英語でクイズを出し合う場面では、問題づくりを頑張ってやってきた子どもは、クイズそのものが目的になっていました。中には英語がまだるっこしくなって、日本語でヒントやコメントを言っている子もいます。はた目には活発な授業ですが、英語の授業としては?でした。最後の評価も、「何問正解できた?」では、子どもも学習のねらいを誤ってしまいます。いろいろ工夫をしていただけに残念でした。
授業のねらいと活動をリンクすることがいかに難しいことかあらためて知らされました。

午後の授業研究は数学に参加しました。
印象的だったのは、「姉が弟に追いつくか」という問題で、何をxとおくか子どもに問いかけた場面でした。「弟が進んだ時間をx分とする」という子どもの言葉をいかそうとそのまま板書しました。ここで、この意味をしっかりと確認せずにグループで線分図を書かせましたが、ほとんど動けません。ヒントとして、追いついたとき弟と姉の位置が一緒だということを押さえましたが、それでもなかなかうまくいきませんでした。
授業者は、自分が想定している「弟が出発してから何分後に姉が弟に追いついたのかをxとする」と、子どもの言葉が同じことを意味していると考えていたのです。しかし、想起されるものは明らかに違います。子どもの言葉は、進むという言葉のイメージから、xは変化するものと関数的にとらえていると思われます。「進んだ時間がx分」と追いついたときが結びつかないのです。そのため、線分図に弟と姉の位置を書けなかったのです。

子どもの言葉を問い返して、「x分後に追いついた」という言葉を引き出し、全体で共有する。

まず「x分後の姉と弟の位置を線分図に書いて」といった発問に変え、弟と姉の位置を線分に図に書かせる。すると弟と姉の位置が違った線分図がでてくるはずです。そこで、「追いつくときは?」と問い返す。

教師は無意識に子どもの言葉を置き換えたり、自分に都合のいいように解釈します。子どもの側に立って、一言一言にこだわりながらしっかり聴くことが大切です。

授業そのものは、線分図が書けた後は活発になり、解の吟味でグループ活動が盛り上がっているところで、残念ながら時間となりました。しかし、子どもたちが集中して授業に参加している姿に、授業者が子どもたちをしっかり育てていることがよくわかるよい授業でした。

検討会では、先生方から子どもの詳しい様子をたくさん聞くことができました。普段から子どもをよく見て授業をしていることが伝わる検討会でした。研究発表が終わって1年がたちましたが、学校としては決して歩みを止めていなかったことがよくわかるものでした。

この日は遠く山口県からも視察の先生がいらっしゃいました。非常に勉強熱心な方で、授業や自身の研究のテーマについていろいろと質問をしていただきました。質問に答えようとすることで、私自身もより深く考え、とてもよい勉強になりました。また、子どもたちの考えを深めるような切り返しを研究したいとのことで、そのテーマのよさにも感心しました。授業での子どもたちのようすや検討会での先生方のようすがともに柔らかい雰囲気であったことをほめていただけました。この学校が目指しているところに気づき、ほめていただけたことをとてもうれしく思いました。ありがとうございました。

秋のさわやかな1日、私もとてもさわやかな気持ちで学校を後にすることができました。

ICTの活用について考える

この1月ほど、ICTの活用について考える機会が増えています。授業での活用を考えるときに、自分がどんなことを意識しているのか少し整理してみたいと思います。

・子どものどんな姿が見たいのか?
見たい子どもの姿をつくりだすのに活用できないのかを考えます。
典型的なものが、子どもの顔を上げたい。スクリーンに映っているものを見ようとすれば、顔は上がります。これだって立派な活用です。
子ども同士が額を寄せて考えるのであれば、グループに1台タブレット用意して利用する。覗き込むことで自然に額が寄ってきます。

・何をねらっている場面なのか?
ねらいに迫るのに活用できないのかを考えます。
興味関心を持たせる場面であれば、動画やきれいなグラフィックは有効です。
情報をもとに考えさせたい場面であれば、コンピュータで情報を提示するというのもありです。

・問題点は何か?
問題を解決するのに活用できないかを考えます。
黒板に子どもが書くと時間がかかるのなら、ノートやワークシートを実物投影機で映せば解決です。
教科書の本文を板書するのが大変ならば、デジタル教科書は強い味方です。

・つなげるものが何か?
つなげることに活用できないかを考えます。
以前に学習したことを復習するのであれば、ノートを確認させるのもいいですが、記録しておいた板書を映すというのも有効です。
他の学級の発表や、先輩、自分たちの過去の記録を提示することで、より多くのものとつなげることもできます。

・これ以外の指導法はないのか?
今までの枠にとらわれずに、一から考え直すことも大切です。
比較するのに、コンピュータや実物投影機を使って重ねてみることで違いがはっきりすることもあります。
こうやって教えるという思い込みに縛られずに、こんなことができたらいいなと考えたとき、ICTは大きな可能性を秘めています。

他にも色々とあるのですが、すべてICTに限らず、授業を考えるときにチェックすることばかりです。当り前のことですが、ICTの活用を考える視点は、授業をつくる視点と同じなのです。ICTは、資料を拡大コピーして提示するのか印刷して配るのか、説明を板書するのかノートに書かせるのかといった、授業の組み立てを考えるときの選択肢の一つにすぎないのです。こう考えることで、ICTは教師にとって身近で有効な道具になっていくのだと思います。

実りある指導案検討会

昨日は、愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムで発表する国語科の指導案検討会に参加しました。授業者の学校の若い先生もたくさん出席してくれて、とてもよい雰囲気で楽しく進めることができました。

授業名人野口芳宏先生の授業を追試するのですが、ICTを活用するというのがテーマです。どうしても、ICTに引きずられそうになるのですが、授業の芯がぶれては困ります。うれしかったのが、授業者が教材を選ぶにあたって、ICTの活用を意識するのではなく、自分の教室の子どもたちが教材に対してどんな反応をするだろうかという視点を大切にしたことです。したがって、ICTについては、イメージすらはっきりしていません。そこで、まず、子どものどんな姿が見たいのかということについて多くの時間をとることになりました。

求める子どもたちの姿は、詩の朗読の場面なのか、解釈なのか。両方なのか。いろいろな考え、意見が参加者から出されました。最終的には授業者の思いで決まります。授業者は詩の持つ言葉の面白さを子どもたちに気づかせ、詩の解釈をもとに意識して朗読をすることを選びました。2つの場面がありますが、それぞれの場面で子どもたちの活動の姿がだいぶ見えてきたようです。

ここまで、授業が見えてくると、ICTをどう活用するかという懸案が出てきます。ICTなんかなくてもこの流れなら授業はおもしろいものになりそうです。ICTの使いどころがない、という結論が出てもおかしくありません。ここで、フォーラムの教科責任者の提案が見事でした。この授業にある要素を加えることで、詩の解釈と朗読をうまくつなげるのです。このこと自体は、直接ICTとはつながりません。しかし、要素を加えることで、当然時間が苦しくなります。問題点が明らかになれば、それを解決する手段としてICTの出番が出てきます。ここからは、どんどんアイデアが広がり、国語における新しい活用の視点を提案できるという確信を持てるところまで詰めることができました。本番の授業、フォーラム当日がとても待ち遠しくなりました。

教科責任者の先生は、この日のために野口先生の授業、著作を再度見直し、参加者のためにわかりやすく整理した資料を準備し、その上で新しい視点のための下準備も入念におこっていました。授業者の思いがあり、それに対する教科責任者のフォローがあったおかげで充実した会になりました。

最後に、参加した若い先生の感想を聞きましたが、検討会の内容からたくさんのことを学ばれたことがよく伝わりました。素直に学ぶ姿勢は、彼らが今後大きく成長していくことを予感させてくれました。休息なしの3時間の長丁場が苦にならない、とても楽しい時間でした。

発問について考える

昨日は、中学校で社会科の授業研究に参加しました。2人の方が別々に授業しましたが、私ともう一人のアドバイザーの先生でそれぞれ見せていただきました。

私が参観したのは、裁判の3審制をきっかけに、人権がどのように守られているか考える授業でした。この日は教室ではなく丸テーブルを並べたラウンジでおこなわれました。足利事件などの再審請求が認められたことを伝える新聞記事などの資料のパネルや、インターネットがすぐに活用できる環境を準備しての授業です。授業者は「私たちの人権がどのように守られているのか考えよう」という課題を示し、子どもたちに調べるように促しました。一部の生徒はすぐにインターネットに飛びつきますが、その他の生徒はなかなか動きません。せっかくラウンジのまわりに掲示した資料を見ようとはせず、資料集をめくっています。グループでの発表の前に、何とか人権に関することをまとめてはしましたが、子ども同士の話し合いもほとんどおこなわれませんでした。

授業後の検討会では、発問についての意見が多く出ました。

子どもたちの活動が、資料集で「人権」という言葉を探してその部分を抜き出すか、意味はわからないままインターネットで「人権がどのように守られている」と検索して見つかったものを写すだけで終わっていた。課題が子どもたちにわかりにくかったからだ。
人権を守るとはどういうことか、何をどう調べればいいのか、自分たちでもよくわからなかった。
・・・

たしかに、「人権を守る」とはどういうことか考えるのがねらいですが、発問としては、適当ではなかったようです。

「なぜ、日本の裁判はこんなに時間がかかる」
「裁判がもっと早く終わるようにするべきでは」
「なぜ、大事件を起こした犯人のために、大金を使って裁判をおこなう」

このような、子どもたちにとって具体的で取り組みやすいもの、取り組むことで結果として人権について考えることにつながるものにする工夫が求められます。

一方では、教室でなく資料を準備したラウンジで授業をするというチャレンジを評価する声もあがりました。また、あるグループが発表したとき、教師が何も言わないのに何人もの生徒が資料集で確認をしていた。日ごろから資料をちゃんと確認するように指導しているからこそこのような姿が見られるのだという指摘もありました。
多くの先生がこの授業から学ぼうとする姿勢を見せてくれたことをとてもうれしく思いました。

授業後、課題と発問について社会科の先生方と一緒に、もう一人のアドバイザーの先生から遅くまでお話をうかがうことができ、充実した時間を過ごすことができました。よい機会をありがとうございました。

子どもに考えさせる発問

子どもたちに考えさせるような発問をどのようにつくればよいか相談されることがよくあります。考えを促すような発問について考えてみたいと思います。

「○○について考えよう」というような抽象的な発問で子どもたちがしっかり考えられるのは、子どもたちが育っていて、考えるとはどのような視点でものを見たり、どこに根拠を求めればよいかわかっているときです。この場合には、多様な考えを生み出すよい発問になります。しかし、子どもが育っていなければ何をすればよいかわからず、すぐに活動は止まってしまいます。結局後からヒントを出して教師が誘導したり、教師が解説することになってしまいます。
そうなるくらいならば、子どもたちが活動する方向性をあらかじめ含んだ発問をした方がよいのです。このとき、教師が子どもたちにどのような活動をして、どんなことを考えてほしいのか明確になっていなければ、具体的な発問にはつながりません。

具体的な発問で考えてみましょう。社会科である戦争についての授業での発問です。戦争を学習することで、その起こった原因から当時の社会のようすにまで考えを広げることをねらっています。

A「○○戦争について考えよう」
B「○○戦争当時のようすを考えよう」
C「○○戦争の原因について考えよう」
D「○○戦争の原因から当時のようすを考えよう」

Aの発問は、子どもが育っていれば、戦争の原因、結果、その背景すべてを調べて総合的にこの戦争をとらえて考えてくれる発問です。しかし、育っていなければ、教科書や資料集からその戦争に関する事柄を抜き出して終わってしまいます。考えるところまではいきません。これで教師がよしとすると、子どもは調べることが考えることだと思ってしまいます。
Bの発問は、ねらいである当時のようすとの関連に意識を向けさせる発問ですが、子どもが育っていなければ、調べるだけで戦争と結びつけて考えてはくれません。
Cの発問は、視点を限定しているだけで、Aの発問以上のものにはなりません。
Dの発問は教師のねらいそのものです。これは、子どもの活動を原因と当時の社会のようすに限定してしまいます。Aの発問のような広がりはありませんが、ねらいは一番達成しやすいものです。しかし、当時のようすを調べる、知るだけで戦争と社会の関係を深く考えることは難しいでしょう。また、こうしろという指示に近いものになっているので、子どもが受け身で教師の求める答探しをしているともいえます。

B、Cはねらいの一部分を具体化することをしていますが、中途半端なものになっています。結局、Dのような具体的な発問を重ねて、視点をたくさん子どもの中に育てて、Aのような発問で考えることができるようにすることがひとつの基本となると思います。

ここで、子どもに考えることを促すのに想像させる、答や判断を求めるという視点があります。
この例でいえば、

E「○○戦争が起こらなければ、どうなっていたか」

というような発問です。これは子どもに「どうなっていたか」という答を求めています。答を出すためには調べたことをもとに、自分で考えることが必要になります。社会がどうなっていたかを考えるということは、その当時の社会を知る必要がありますし、戦争が起こらなければと仮定することで、社会と戦争の関係を考えることになります。ねらいとなる活動を引き出すことができるはずです。答えそのものが問題ではなく、答を出そうとすることで、ねらった活動を引き出すのです。
少し難しいかもしれませんが、こういう視点をもつと発問の幅が広がります。

「主人公の成長を考えよう」→「主人公は成長したか」
「三角形をいろいろなグループに分けよう」→「三角形をグループに分けるやり方は何通りあるか」
「資本主義が発達と人々の生活について考えよう」→「資本主義の発達は人々の生活を豊かにしたか」
・・・

ねらいとする活動にもよりますが、このように発問を置き換えることで、ねらった活動を自然に引き出すことができます。

発問は子どもたちの成長によって変わっていくものだと思います。「考えよう」で考えられる子どもをつくるためには、まず具体的な指示に近い発問から出発することが必要だと思います。そのためには、子どもたちの活動を具体的にイメージすることが大切です。また、少し難しいかもしれませんが、その活動が自然に起こるような問い、言い換えればその活動から導き出され得る答を問うことで、考えること促すことができます。子どもたちの成長に応じて、発問を考えてほしいと思います。

教師の役目

昨日は中学校の社会科の授業研究に参加しました。製糸工場の女工の生活を農村と関連づけて考える授業です。日本の資本主義の発達と貧富の格差、社会主義運動を扱うための最初の時間でした。

子どもたちは落ち着いて、授業に真剣に取り組んでいました。友だちとかかわりあえる子どもに育っています。
授業者はできるだけしゃべらないことを意識して授業をおこなったそうです。子どもたちに、「厳しい生活にもかかわらず、なぜ女工なってよかったと思ったのか」という課題をグループで考えさせる場面では、最初に具体的な資料を示しませんでした。普段から根拠をきちんと求めているので、子どもたちが自分で教科書や資料集を探して考えてくれるだろうと信じていたからです。しかし、実際にはほとんどの子どもが資料集を開かずに話し合っていました。根拠となるものがない話し合いなので、深まっていきません。すぐに活動が止まってしまいました。そこで授業者は「ヒント」と言って、当時の写真を2枚黒板に貼りました。説明は一切ありません。子どもが自分たちでこの写真が何なのかを考えてほしかったからだそうです。子どもたちは真剣に考えていましたが、この授業のねらいである、過酷な労働を前提とした資本主義の発達と、結果その労働者よりも貧しい農村の生活についてあまり深まることはありませんでした。

教師がしゃべりすぎないことは大切ですが、授業を大きな視点コントロールするのは教師の役目です。この授業では、子どもたちが資料集を開かなかった時点で、何らかのアクションを起こすべきだったのです。

話し合いが止まったところで、「困っていることはない」と一度問いかけて、資料が必要なことを確認する。
「資料集を見ていいか」と聞いた子どもが出てきたときに、「なるほど、資料集が必要なんだね。いい発想だね。必要なものは使っていいよ」と資料集を見てもいいことを伝える。

自分から指示をしなくても、子どもからうまく引き出すことをすればよかったのです。
また、資料については、正しく読み取った上で活用する必要があります。子どもに考えさせたいのであれば、ます資料を読み取ることを子どもたちにさせて、その結果を全員で共有する必要があったと思います。(資料集をどう活用する参照)

授業者とは2年前からかかわっていますが、本当に成長したと感心しました。子どもたちとの関係をつくり、子どもたちを信じようとしていることはとても立派です。今回の授業のために、近隣の図書館をまわって資料を探したそうです。授業にかけるエネルギーも大したものです。授業後に「子どもたちはよく頑張ってくれた。うまくいかなかったのは自分の問題だ」という言葉が出てきました。自分に足りない部分を素直に認める姿勢は今後の成長を大いに期待できます。
いつも思うことですが、授業の基本がしっかりすればするほど、課題が明確になり、またたくさん見つかります。ここからが、大きく飛躍する時期です。次に彼の授業を見る機会が楽しみです。

模擬授業は楽しい

昨日は、愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムで発表する社会科の授業の模擬授業に参加しました。

有志の先生数人でおこなうものだと思っていたのですが、その小学校のほとんどの先生が参加してくださったのにびっくり、かつ大感激。授業者は若手の先生ですが、この温かい雰囲気が大きな支えになっていることと思います。

最初は、勝手がわからずちょっと様子を見ていた感もありましたが、司会で仕掛け人のT先生の授業者への突っ込みからがぜん盛り上がり、子ども役の先生からもどんどん意見が出てきました。中には「こんな小学生いないよ」と突っ込みたくなる意見も出できましたが、決して授業者を困らせようというのではなく、子どもと同じように授業に入り込んだからに違いありません。そういう意味では、指導案もよく練られたものでした。
子ども役の先生方は、発言に対する授業者の対応に非常に素直に反応してくれました。うまくつながっているときは、どんどん発言してくれますし、「???」と思う対応には、雰囲気が重くなります。授業者は先生方の反応や意見からとても多くのことを学べたと思います。

この模擬授業を通じて指導案の流れや基本的な発問はほとんど変わりませんでした。しかし、授業を実際に進めるにあたって、指導案づくりだけではわからないポイントがたくさん見つかりました。模擬授業は、教師の切り返しが子どもの活動にどう影響するか、教材・課題を子どもがどのようにとらえ、反応するかなど、机上では気づけないたくさんのことに気づくことができます。模擬授業には指導案の検討とはまた違った学びがあるのです。

勤務時間後にもかかわらず、同僚のために残って参加してくださった先生方の終始明るい笑顔がとても印象的でした。きっと、多くの先生に新しい気づきや学びがあったことと思います。すべての先生が、2週間後の本番の授業を楽しみにしてくれることと思います。私も、この模擬授業がどのように生かされてくるのか、とても楽しみです。授業者には少しプレッシャーかもしれませんが、子どもたちがどんな姿を見せてくれるかを楽しみに授業にのぞんでほしいと思います。

課題や発問の言葉を子どもの視点で見直す

昨日は中学校で授業アドバイスをしてきました。前回訪問時に気になった学年の子どもたちは、授業への集中力を取り戻しつつありました。先生方がチームワークよく対応しているのだと思います。

今回たまたま2つの社会科の授業で課題の言葉が問題になりました。一つは、3審制の「意義」、もう一つは中国の「課題」です。ともに、グループでの話し合いの課題ですが、子どもたちはうまく活動できませんでした。
3審制では、「意義」の意味がわからない子がいたのです。教師があらためて「意義」を説明することで活動は無事に活性化しました。
一方の中国の「課題」ですが、子どもたちは「課題」を考えるという活動の経験がありませんでした。最初は資料集や教科書を調べているのですが、「課題ってどこに書いてあるの」という言葉が出てきました。「課題」を考えるのではなく、資料から「課題」と書いてある言葉を探そうとしていたのでした。授業者は、中国の少子高齢化の問題に気づいてほしかったようです。そうであれば、「中国は30年(?)後は繁栄しているだろうか」というようなより具体的なものにして、気づかせる。人口問題を考えるきっかけとなる資料をあらかじめ用意してから、何年後かの中国のようすを想像させる。といったアプローチを考えた方がよかったと思います。子どもが少子高齢化に気づいたら、「君たちは中国の課題を見つけたね」と評価することで、「課題」を考えるということはどういうことか教えていくのです。

教師は、「意義」「課題」などの抽象的な言葉を無意識に使ってしまいます。教師にとってはぴったりくる言葉であっても、子どもには具体的にどうとらえればいいのか、何を考えればいいのかわからないことがよくあるのです。発問や課題の言葉を子どもの視点で見直すことが大切です。このことをあらためて実感することができました。よい勉強をさせてもらいました。

子どもに寄り添う

「子どもに寄り添う」「子どもの考えに寄り添う」ということがよく言われます。この言葉を口にする若い先生もたくさんいます。しかし、具体的にどうすることが「子どもに寄り添う」ことになるのかはっきりしていないことがよくあります。このことについて考えてみましょう。

授業においては、子どもの気持ちや考えを出発点として進めていくことが「子どもに寄り添う」ということの基本です。わからない子どもがいれば、その子どもの「わからない」から出発するわけです。

たとえば、「わかった人」と聞いて半分くらいしか手が挙がらなかったらどうするのでしょうか。当然、教師はわからない子どもにわかってもらおうとします。そのとき、「じゃあもう一度説明するからよく聞いて」というのは、子どもに寄り添っているとは言えません。子どもにしてみれば、何度も教師が説明するということは、わからない自分が悪いということになってしまうからです。「わからない」というのは、子どもにとって負の気持ちです。そのことを理解した上で授業を進める必要があります。

「どこがわからないか教えてくれる」
「困っていることを聞かせてくれる」

まず、子どものわからないこと、困っていることを教師が聞いて理解することから始めます。大切なことは、教師がしっかりとその困った感を受け止めてあげることです。わからないことが決して悪いことではないということを知らせるのです。

「教えてくれてありがとう。なるほど、○○がよくわからないんだ。」
「それってどういうことか、もう少し教えてくれるかな」

受け止めた上で、理解できなければやさしく聞き返します。こうして、困った感を共有した上で、そのことを子どもと一緒に解決するようにするのです。
もちろん、一人ひとりの困っていることは違います。

「同じところで困っている人いる?」
「他に困ったことはない?」

子ども同士をつなぎながら、子どもたちのわからないところ、困っていることを共有します。ここから、スタートするのです。

子どもに考えを発表させるときでも、子どもの考えに寄り添うことは大切です。教師がしっかり子どもの考えを聞き、その考えをもとに授業をつくるようにします。

「○○と考えました」
「なるほど、○○と考えたんだね。みんなわかったかな。つまり、・・・ということですね」

これは、一見すると子どもの考えを認めて、そこから授業が進んでいるように見えますが、結局教師が「つまり」と自分の言葉で説明しています。こういう授業が意外に多いのです。子どもの説明がたどたどしくて不足があっても、教師がそれを勝手に言い換えるのではなく、子どもたち自身で修正させるように働きかけるのです。

「なるほど、○○と考えたんだね。△△という言葉が出てきたけれど、それってどういうことかもう少し聞かせてくれるかな」
「今の説明がわかった人、もう一度言ってくれるかな」
「うまく説明できない? いいよ。だれか助けてくれるかな」

このような言葉でつなぎながら、子どもたちでできるだけ解決するようにします。
教師は、子どもが自分たちの考えを理解し合い、互いに深めていくようにするために、どのように働きかければいいのかを考えることが仕事になります。時には上から目線ではなく、子どもと同じ目線で、「わからない、教えて」と聞いたり、「こんな風に考えたけど、どう思う」と問いかけたりすることも必要でしょう。

授業以外でも「子どもに寄り添う」場面はたくさんあります。悩みの相談でも、子どもの気持ちや考えをまず認め、一緒に考えるという姿勢が求められます。
「子どもに寄り添う」ということは、「教師の目線を子どもと同じ高さまで下げる」と言い換えてもよいかもしれません。このことを意識してほしいと思います。
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