岩下修先生から学ぶ

教師力アップセミナーで立命館小学校の岩下修先生から学ばせていただきました。

岩下先生の模擬授業を通して、音読、合唱、詩の具体的な指導について参加者と一緒に考えることができました。指導方法の独自性よりも、子どものどんな意見でも認め活かそうとする姿勢が岩下先生の授業を支えていると感じました。みんなの意見を聞けて先生もうれしいというメッセージを体全体から発されていました。指導方法以前のこのことが教師にとって大切であるとあらためて実感しました。

また、セミナー終了後、岩下先生から「AさせたいならBと言え」執筆当時のお話をうかがうことができました。自分が学んだこと、気づいたことを書くことで整理し、自分のものにしていったというエピソードに、大いに納得させられました。

明るく、楽しげにお話しする岩下先生からたくさんの元気をいただきました。ありがとうございました。

子どもたちの姿の変化に戸惑う

昨日は中学校で道徳の授業研究への参加と授業アドバイスをおこないました。

午前中は主に若手の先生と一緒に子どもたちの様子を観察しました。定期試験が近いせいか、先生主導で説明をしている授業が目立ちました。その時の子どもたちの様子が、ちょっと気になりました。
友だちの発言を聞かずに板書を写しているが、教師が解説し始めると聞く。それでもまだ写している生徒もいます。また、話を聞いていた生徒も、教師が板書を始めると話を聞かずに写し始めます。話をしながら板書することも問題ですが、それよりも子どもたちが、効率よく結果だけ求めようとする消費者的な行動をとっていることの方が問題です。この学校では、このような傾向はずいぶん減っていたと感じていましたが、今回はかなり目立ったのです。これが試験前の一過性のことなのか、恒常的になってきているのか今後しっかり見ていく必要がありそうです。

一緒に回った先生方からいくつか悩みの相談を受けました。その中に、行事等で一部の生徒が協力しないのだが、なかなかうまく指導できないというものがありました。
話を聞いてみると、ほとんどの子どもは協力的で一生懸命やっています。しかし、教師は100%を望むあまり、できていない子を何とかしようとして、ついつい叱ってしまったり、彼らに訴えかけようとします。どうやらこの先生もそのような対応をしていたようです。ところが、そうすると「悪いのは彼らだ」と他の子どもたちも彼らに悪感情を持ってきます。かえって子ども同士の関係を悪くすることにもなりかねません。子どもたちは教師の難しい顔や怒った顔を見たいとは思いません。できるだけ笑顔で指導できる方法を考えることが大切です。まずは、しっかりできている子どもをほめ、その上でこうなるともっとよくなるという次の目標を与えていきます。その目標達成のためには、一人ひとりがどうすればよいかを考えさせます。子どもには波があります。非協力的な子どもも、時には積極的な姿勢を見せます。その瞬間をとらえ、ほめることで少しずつ変わっていきます。このようなことをアドバイスさせていただきました。

道徳の授業研究は、学級の雰囲気のよさが伝わるものでした。子どもたちは真剣に授業に参加してくれているので、教師側の問題が非常によく見えてきます。この授業では教師が自分の価値観に誘導しようとしすぎてしまい、多くの子どもたちが建前で話をして、自分の問題としてとらえることができませんでした。
検討会では、道徳の授業としてどうあるべきかについて、よい意見が先生方からたくさん出てきました。また、この学校の道徳の指導をされている外部の先生からは、この授業もとに、道徳の授業のポイントを明確にお話しいただけました。多くの学びのあった授業研究でした。
しかし、一点気になることがありました。この学校の最近の授業検討会で子どもの固有名詞が聞かれなくなったことです。一人まったく自分の考えを書いていない子がいました。気づかれている先生もたくさんいたはずです。しかし、検討会では話題になりませんでした。校内をまわっていて、学級の雰囲気は悪くないのですが、今までほとんど目にしなかった授業に参加できない子どもが1人2人と増えてきています。このことと無関係ではないような気がします。
学級の雰囲気がよくても、全員が授業に参加できないことはあります。ここで一人くらいは仕方がないと思うのか、この一人を大切にするのかは大きな分かれ目です。

この学校にかかわって2年半が過ぎきました。これまで来るたびに子どものよい姿をたくさん見せてもらいましたが、転機が来ようとしているのかもしれません。次回訪問時は心して子どもたちの姿を見ようと思います。

指示を通す

先週末は、中学校で授業アドバイスをおこないました。小学校から異動して1年目の理科の先生です。

やさしい話し方から小学校の経験者であることが伝わってきます。鉛筆を置くように言った後、3、2、1とカウントダウンをするなど、指示を徹底させようと意識しているのがよくわかります。しかし、カウントダウンを終了してもまだ鉛筆を置いていない子どもがいるのに話し始めてしまいます。
この日は火を使う実験なので、実験の説明も丁寧にしようと心がけています。しかし、いざ実験を始めるときちんと理解していない班がたくさんいます。先生は各班をまわりながら、質問に答えているので全体のようすが見えていません。なかにはガスバーナーの火をつけっぱなしにしながら、全員がワークシートに書きこみをしている班もありました。

この点について授業後話をしました。授業者は徹底できていないことを自分でもよくわかっているようでした。なかなか徹底できないが、待っていると時間がなくなる。そんな悩みを持っていたようです。徹底させるというと、厳しく指導するイメージがあります。そうではなく、できたことを一つずつほめて認めていけば子どもたちは、喜んで指示に従います。また、丁寧に説明しようとすると教師が話している時間はどんどん長くなります。受け身の時間が増えるので集中力がなくなり、逆効果です。できるだけ説明は短くし、きちんと理解できているか子どもたちに確認する時間を取ることが大切です。
説明の順番にも注意を払う必要があります。授業者は実験の説明の途中で、実験中はにおいがするので、窓際の生徒に実験を始める前に窓を開けるよう指示しました。しかし、そのあと実験の説明を続けたので、忘れてしまう生徒もでてきます。授業者は、それに気づき自分で窓を開けました。この指示は、説明の最後にするべきでした。そうすればきちんと窓を開けてくれます。また、たとえ忘れても授業者が窓を開けることをせず、生徒に気づかせ、窓を開けさせたあとに「ありがとう」の一言を言えばよかったのです。

小学校の経験者が中学校に異動して戸惑う姿をよく見ます。小学校のやり方が通用しないと感じたり、そう思い込んでいる方が多いようです。実はそうではないのです。小学校でも、中学校でも同じやり方がちゃんと通用します。うまくいかないのは実は、小学校でもきちんとできていなかったことに気づいていなかっただけなのです。指示は全員できるまできちんと確認する。できなかったことを注意するのではなく、できたことをほめる。こういう原則は同じなのです。ただ小学校では教師の力関係が相対的に強いので、何とかなっているように見えているだけなのです。
授業における一つひとつの指示や活動を全員ができるように徹底するには、具体的にどのようなことを意識すればいいのかを一緒に考えてみました。授業者も実はよくわかっていたように思います。ただ、子どもたちの違いに戸惑い、忘れてしまっていたようです。少しずつ思い出しながら、子どもたちと接していけば、きっといい方向に動き出すと思います。次に授業を見る機会が楽しみです。

子どもたちの活動がばらばらになる part2

ある子は教師を見ている、ある子は板書を写す、ある子は資料を見ていると子どもの活動がばらばらな教室を見ることが最近増えてきました。以前にもこのことに触れましたが(子どもたちの活動がばらばらになる参照)、もう少しその原因について考えたいと思います。

まずよくあるのは、以前にも書いたように、教師が自分の行動にばかり意識がいってしまい、今、子どもにどういう活動をしてほしいか意識していないことです。

次によくあるのは、特定の子どもしか意識していないことです。
たとえば、指名した子どもがどのようなことを言うかに集中してしまい、発言していない子どものことが意識にないような状況です。指名する時に発言をよく聞くようにと指示しても、教師は発言者しか見ていないので他の子どもの状態は見えません。やはり、子どもの活動はばらばらになってしまいます。

これらは、いずれにしても一人ひとりの子どものどのような姿が見たいのかを意識していないので、意識することで改善されます。教師が見たい子どもの姿を意識して指示をだし、目指す姿とのずれを確認することで自然に修正されていきます。

一方で、教師の求める姿に子どもが意味を認めていないことも原因としてよくあります。
教師が説明したり、質問したりしても、無視して板書を写している子どもが何人もいることがあります。鉛筆を置きなさいと指示することで改善されますが、根本的な解決にはなりません。なぜなら、教師の説明を聞いたり、質問の答を考えたりすることよりも板書を写すことの方がその子たちには価値があるからです。教師の説明を聞いてもよくわからない。どうせ後から要点を板書するのでそれを写した方が無駄がない。質問の答えを考えなくても、誰かが答えるからそれを聞けばいい。下手に間違えた答を言って恥をかくより、正解を板書する方がいい。こんなことを思っているのです。
この問題は深刻です。根本的に授業の質を変えていくことが求められます。教師の話を聞いてよかった、自分で考えて発表してよかったと、教師の求める姿に子どもが価値を認めなければなりません。
聞いたことをほめられる。聞くことで理解できる。発表を友だちが聞いてくれる。発表すれば必ずほめられて終わる。・・・
毎日の授業でこのようなことを一つひとつ積みかさねていかなければなりません。

子どもの姿は教師を映し出す鏡です。目指す子どもの姿を意識して見ることで自分の授業の実態が見えてきます。子どもの姿がばらばらであれば、その原因を考えてください。もし子どもが目指す姿に価値を見出していなければ、その価値を子どもに伝えるような授業に変える努力をしてほしいと思います。

パネルディスカッションでコーディネータ

昨日は中学校の研究発表会で、パネルディスカッションのコーディネータを務めさせていただきました。町内に2校あった中学校を統合して4年目、研究指定を受けて2年目です。統合にあたっては教科センター方式や縦割りによるブロック活動など新しい試みをたくさんしています。また、それ故に試行錯誤で苦労している面もたくさんありました。私がかかわるようになって2年目ですが、よい方向への変化が点として表れてきたと感じています。

パネラーは、管理職ではなく研究主任と研究にかかわる3つの部会の部長、今年度から研究のお手伝いをいただいている大学客員教授のS先生の5名にお願いしました。簡単な流れだけを決めて、話の内容についてはぶっつけ本番です。予定調和の全くない中で、どこに着地するかは私の責任です。講演するときよりもかえって観客の反応が気になります。
校内の先生方には、まず、今までの取り組みについて簡単に説明をしていただきました。形式的なものでなく、うまくいかないことや疑問に感じたことなどなんでも本音で話すようにお願いしました。新しい学校であるが故の苦労と思いが多く語られたので、それだけでなく、私の目に見えてきた成果について、観客席にいる先生からコメントをいただきました。その上で多くの学校を変えてこられたS先生に、この学校の現在の状態の評価と何が学校をよくしていくポイントなのかをお話しいただきました。
そこで語られた、「この学校は、目指す方向、目指す子どもの姿がいま共有できたところだ」ということについて、研究主任のコメントをもらい、校内のパネラー全員に明日からどうしていきたいか話していただきました。皆さんの強い思いを校内の先生も外部の方もしっかりと受け止めていることが壇上から見てとれました。
最後に、S先生にこの先学校がよくなっていくためのアドバイスをいただきました。「一つひとつの授業研究を単発のものにするのではなく、そこで出てきた課題を次の授業者が引き継いでいく、つながるものにしていくことが大切である」というお話は、この学校だけでなく、参加された学校関係者の方にとっても心したいことでした。

学校がよくなっていく過程はそれぞれで異なります。すぐに目に見えるようになる部分もあれば、なかなか見え難い部分もあります。研究の報告書や紀要、1時間の授業を見ただけでは見えないこの学校の事実をできるだけ明らかにして、校内、校外、学校関係者、一般、参加されたすべての方にとって得るものがあることを目指しましたが、どうだったでしょうか。
この学校の先生方の思いとS先生の的を射た発言のおかげでなんとか役目を果たせたのではないかと思っています。私自身、このパネルディスカッションから多くの収穫を得ることができました。このような機会を得たことに感謝いたします。

知らないことを聞かれたらどうする

教師は子どもたちよりも知識も経験も多いのは当たり前のことです。だからといって、何でも知っているわけではありませんし、子どもたちの質問に対しても何でも答えられるわけでもありません。しかし、子どもたちの前に立つと、「知らない」「わからない」ということが言いにくいことも事実です。教師としての権威を保たなければという心理が働くのかもしれません。私自身振り返っても、特に自分の専門分野についてはその傾向が強かったように思います。
「知らない」「わからない」という言葉を言わないで済ますには、教師も常に勉強して何でも答えられるようにしておくのが1番です。しかし、それとても限界があります。たとえ相手が小学生であっても、時として大人が答えに詰まるような質問をします。「なぜ空は青いの」「なぜ3原色で、2原色や4原色じゃないの」・・・。先生に聞くことはしませんでしたが、私自身このようなことを疑問に持っていました。教師が、知識として持っていればもちろん答えられますが、知らなければどうすればよいのでしょうか。

1 「それは、小学生ではちょっと難しいな。これから学校の勉強をしっかりして中学生か高校生になったらわかるよ」とその場を取り繕って済ます。

2 「○○先生ならきっと詳しいから、○○先生に聞いてみたら」と他の先生に丸投げする。

3 「ごめん。先生もわからない」と素直に謝る。

4 「先生わからないから、調べてくるね。少し時間をくれるかな」と時間をもらって、きちんと後で教える。

5 「いい質問だね。図書館やインターネットで調べてごらん」と子ども自身で調べるように促す。

どの対応が正解というわけではありません。子どもも実は本当に答を知りたいと思ったのではなく、ただ思いついたことを聞いてみただけ、先生とちょっとかかわりたかっただけのこともあります。意識してほしいのは、子どもがその対応をどのように感じるかです。

1や2は、なんだか肩すかしされたような気持ちになるかもしれません。2の対応でも、「いっしょに聞きに行こうか」と言えば、ずいぶん違ってきます。先生は自分の質問をしっかり受け止めてくれたと感じるでしょう。
3は、先生を試すようなつもりで質問してきたのでなければ、わからないことを素直に認める態度に対して好感を持つでしょう。しかし、中には先生に悪いことをしたと感じてもう質問はしないでおこう考える子もいるかもしれません。
4は、先生が真剣に受け止めてくれたと感じるでしょう。しかし、きちんと答えを返さないと、逆に信頼をなくします。また、子どもがあまり考えずにした質問であれば、詳しく調べてきちんと答えてもかえって困惑します。
5は、いい質問だとほめてもらっているので、認められたと感じますが、その結果逆に宿題をもらってしまったようにも感じます。わざわざそこまでしたくないから先生に聞いたのかもしれません。「先生も答を知りたいから、わかったら教えて」「わかったらみんなに教えてもらおうかな」と調べることに目的を与えるとまた違うかもしれません。「じゃあ、先生と一緒に調べようか」と子どもに寄り添う姿勢を見せると「先生は自分の質問を自分の問題としてくれた」と喜ぶかもしれません。

必ずこのように感じるわけではないと思いますが、こういうことを考えることは大切だと思います。
授業中にわからないことが出てきたり、答えられない質問をされたりしたときも同様です。その場しのぎの対応ではなく、子どもたちが先生を信頼してくれるような対応を心がけてほしいと思います。

先生の成長から元気をいただく

昨日は中学校の学校訪問に参加しました。特設授業は若手教師による1年生の学級活動でした。

教室の第一印象は、子どもたちがとても素直で授業者と人間関係がよいことでした。授業者の表情も柔らかく、子どもたちを認めよう、ほめてあげようという姿勢を強く感じました。
この中学校区には小学校は1校で、子どもたちの人間関係は固定化しやすい傾向にあります。今回の授業は、友だちの長所を伝える活動を通して、自分や友だちのよさを再発見することで、人間関係をよりよいものにしようとするものでした。
今回は子どもたちにできるだけ発言の機会を平等に与え、発言に消極的な子どもにもしっかり発言させることを意図して、グループで友だちの長所の発表を1人につき1分間課しました。このことがプレッシャーになったのか、発言者と長所を言われている2人はかかわり合えているのですが、他の2人は発表して自分の出番は終わったと集中力をなくしたり、自分の発表の準備に手一杯だったりしてかかわり合えていないグループも見受けられました。話すことを課題として意識しすぎると起こりやすいことです。授業のねらいにもよりますが、「○○さんのよいところをみんなで聞き合う」といった活動にした方がよりかかわり合えたのかもしれません。

日本語が少し不自由な子がなかなか参加できていなかったのですが、隣の女生徒がフォローして参加できた場面がありました。授業者がさりげなく頼んでいたようです。
また、互いの長所を発表する場面で表情が暗くなり、このまま泣き出すのではないかと思える女子がいました。ワークシートは長所の観点の一覧に○をつけるようになっているのですが、彼女は自分のよいところにほとんど○がついていませんでした。自分を肯定的に見ることができないので、この活動がつらかったのかもしれません。最初の友だちの長所の発表は、暗い表情ながらもなんとかこなしました。その後、長所を言ってもらった子が、彼女の言ってくれたことに対してうれしく思ったことを伝えました。その瞬間彼女の顔に笑顔が浮かびました。その後の活動では彼女はかかわり合う姿勢を見せ、友だちが自分の長所を言ってくれるときには何度か笑顔も見られました。友だちに認められることがいかに大切なことかとてもよくわかる場面でした。

検討会では、若手の教師からもよい発言を聞くことができました。授業者も含め若手が育ってきていることをとても強く感じました。
指導主事のコメントも、さすがは学び合いを大切にしている地区と感じさせる、子どもたちのかかわり合い・活動と教師の具体的な指示・指導との関係に焦点を合わせた、具体的で納得のいくものでした。
教育長は行政出身の方ですが、授業中も子どもたちのそばに張り付いてじっと子どもの言葉に耳を傾け、子どもの事実をしっかり観察しようとされていました。そのコメントも自分が見た子どもの事実を伝え、そのことについての解釈はお任せするという、先生方に考えることを促す、短いが内容のあるものでした。行政出身の教育長の現場への指導力を疑問視する方もいらっしゃいますが、この方に関しては当てはまらないと強く感じました。

この地区全体で、授業のありようがここ4年ほどで大きく変わりました。教育委員会と学校現場がともに授業改善に前向きに取り組んでいることの表れだと思います。

公式行事の終了後、授業者と話をする時間を持つことができました。昨年度までは、子どもたちのネガティブに目がいくためか、表情も固く、笑顔をつくることがうまくできないと感じていた先生です。しかし、卒業生を送り出し新1年生の担任となり、心機一転して、笑顔で接しほめることを心掛けたようです。そのことが今日の授業からとてもよく伝わったと話したところ、昨年度までも意識はしていたもののなかなかできなかったが、今年はできるようになったと嬉しそうに答えてくれました。小学校からはいろいろと問題があった学年という引き継ぎがあったが、そんなことは感じない。先輩方のアドバイスのおかげもあって、子どもたちとの人間関係はとてもうまくいっているとのことでした。子どもたちは、中学校入学時にこの授業者と同じく心機一転して、小学校時代をうまくリセットできたのでしょう。よい出会いができたのだと思います。

始業前は職員室にいることが多かったが、今は少しでも子どもと一緒にいたいので、すぐに教室に行くと話す姿に、この先生がこれから確実に成長していくことを確信できました。成長する場面に立ち会うことができた私もたくさんの元気をいただきました。ありがとうございました。

教職員組合主催の学習会

先週末に、教職員組合主催の学習会で「言語活動を意識した授業作り」というタイトルで講演をおこないました。忙しい時期にかかわらず、勤務時間終了後にたくさんの方に参加いただきました。

最近は言語活動に関する講演の依頼が多くなっています。しかし、私は言語活動を意識することよりも、まず授業における教師と子ども、子ども同士のコミュニケーションをきちんと成立させることが大切であると思っています。今回の講演も、言語活動ということよりも、まずふだんの授業での基本的な子どもとのかかわり方、子ども同士のかかわり方について時間を割きました。
特に相手の話を聞く姿勢をどうつくるかは、コミュニケーションの成立に欠かせない要素です。教師が子どもの話を聞く、子どもたちが教師の話を聞く。自分が発表することだけに意識を向けるのではなく、友だちの話を聞くことに意識をむける。そのために、どのようなことに注意をして授業を進めればよいかを最近の学校での経験もとに話をさせていただきました。

また、言語活動に関しては、日常言語と教科の言語や学習用語とをつなぐことについて少し詳しく話をしました。
たとえば、音楽でどのように歌ったらよいかを歌詞から考えさせる場面です。子どもは歌詞から感じたことを発表しますが、それは「楽しい」「明るい」といった日常言語で語られます。自分たちの言葉でたくさん発表し合うことはとても大切なことです。しかし、「じゃあ、みんなが言ってくれた楽しい感じを歌で表現しよう」とすぐに歌い始めても、「楽しい」ことをどう歌で表現するかについては、まだ共通の理解はできていません。表現はばらばらになってしまいます。子どもたちが感じたことを音楽の言葉で表現しあうことで、初めて具体的な歌い方として意識され共有されます。「みんなが感じたことを、歌で表現するにはどうすればいい」と問いかける必要があります。ここで子どもたちの言葉は「強く」「歯切れよく」といった音楽の用語に変換されていきます。こうして、子どもたちは自分たちの感じたことを歌で明確に表現できるようになります。こういう経験を積むことで「フォルテ」「スタッカート」といった音楽記号から、作曲者の意図した表現を読み取る力もついてきます。
これはどの教科にも当てはまることです。日常言語で自分の考えや思いを伝えようとする。その内容を教科の言葉を使って再度表現する。概念が明確になり、よりよく伝わる。こういう一連の過程を意図して経験させてほしいとお願いしました。

途中で少し入れたペア活動で、参加者はとても素敵な笑顔をたくさん見せてくださいました。この笑顔を教室でも見せることができたのなら、授業は楽しく進んでいくに違いありません。参加した先生方ととても楽しい時間を過ごすことができました。このような機会をいただけたことに感謝します。

ネットを利用した教材研究

古典の学習では、自分で辞書を引きながら苦労して現代文を訳し、授業で解説を聞くことで力がつきます。しかし、最近はネットで拾ってきた訳をそのまま写して、予習の代わりにする高校生が増えているそうです。自分でやった訳の確認に使うのであれば意味がありますが、ただ写すだけでは力はつきません。

これと同じことが教材研究にも言えます。
個々の教材に関する情報がネットにはたくさんあります。教材研究のツールとしてネットを活用している若い教師は多いようです。しかし、ネットで見つけたものを「このネタはおもしろうそうだ」「これは使えそうだ」と安易にそのまま真似をしている方も多いように見受けます。授業で目指す子どもの姿は、子どもたちの成長の度合いによっても変わってきます。他者の授業をそのまま自分の学級で実践したからといって、同じようにいくことはまずありません。たとえネタがおもしろくて子どもが興味関心を持ったとしても、考える場面では子どもたちの反応は異なることが当り前です。自分の学級の実態に応じた「受け」と「切り返し」ができなければ授業はうまくはいきません、

自分の目指す授業をしっかりと意識して、教材を自分なり読み込んだ上であれば、その授業者の意図を読み取ることもできます。その上で、「このアイデアはいかせる」「この発問ならば自分の学級の子どももきっと活動してくれる」と参考にするのならば有効な活用になります。ネットの利用が悪いということではなく、その利用の仕方が問題なのです。

ネットを利用すれば簡単に教材に関する情報が手に入ります。簡単に手に入ったものは、軽く扱われるものです。そこから深く学ぼうとする気持にはなかなかなれません。また、ネットの情報は玉石混交です。その中から有効な情報を見つけ出すにはそれなりの努力と力が求められます。日々真剣に授業に向き合っていなければ、ネットも有効な道具とはならないのです。

今、ICTを活用した名人の授業の追試を進めています。じっくりと名人の授業に向き合うことで、指導案や授業記録を一読したり、授業ビデオを眺めたりしただけではわからなかったねらいや意図に気づくことができます。ICTとは違ったところでもたくさんの学びがありました。古典とも言うべきこれらの授業から学ぶことは、ネットから有効な情報を探すよりはるかに効率のよい方法のようにも思えます。
見掛け上の効率に惑わされず、日々足を地につけた教材研究をおこなってほしいと思います。

若手教師の悩みと管理職の支え

昨日は小学校で若手教師に授業アドバイスをおこないました。

一緒に授業を見ながら、「誰が集中している?」「この後、子どもはどうなる?」「子どもはなぜ手を挙げない?」といった質問と解説をしました。
たとえば、ある授業で、「話を聞きなさい」と授業者が言った後、子どもたちは落ち着いたように見えました。しかし、口を閉じただけで、体が話し手の方に向いていない、顔が上がらない、手遊びしている、そんな子どもが目立ちます。しかし授業者はかまわず話しています。教師と子どもの間で「聞きなさい」は「口を閉じて静かにすること」にすり変わっていたのです。ところが意外にもこの事実を彼らは見逃しています。「子どもたちは聞いている?」と質問することで初めて気づくのです。一緒に授業を見ることで子どもを見る視点に気づき、自分の学級を見る目が変わってくれることに期待します。

それぞれの授業を見た後、3人の先生とお話しました。

1人目は、1年生の担任です。
元気のよい子どもたちなので、落ち着きがなくざわつきやすいようです。子どもたちをきちんとコントロールしようと注意をしたり、叱ったりするのですが、その時の先生の表情が冷たく感じられました。子どもの表情もさえません。ところが、子どもたちが手を挙げているときの雰囲気がとてもよいのです。違和感を覚えたので、振り向いて先生の顔を見ると、とても素敵な笑顔で子どもたちを見ていたのです。
このことと伝えるとともに、もっと笑顔をたくさん子どもに見せたらとお話しました。聞いてみると、他の学級と比べて落ち着きがないので、ベテランに倣って厳しくしつけようとしていたようです。しかし、叱っている自分が嫌でかなり無理をしていたそうです。そのため、あのような表情になっていたのでしょう。人には特性があります。この先生は笑顔を武器に指導すればよいのです。怖い顔をして叱るのではなく、ちゃんとできているたくさんの子どもをほめ、できなかった子ができるようになった瞬間をほめる。叱るのではなく、ほめる機会をつくる。視点をこのように変えれば、叱るべき場面でも笑顔で対応できるはずです。このようなことを話しました。
自分の中のもやもやを吐きだすことができて、少しすっきりしたようでした。

2人目は、5年生の担任です。
授業を見ると子どもたちと人間関係がうまくいっていないようでした。子どもたちから意見がなかなかでず、「同じように考えた人いる」といったつなぐ言葉を発しても反応してくれません。いろいろ工夫しているのですが、行き詰まっているようでした。
子どもを受容しよう、ほめようと思っても、目の前に問題があると注意しなければいけない。子どもが授業に直接関係のない個人的なことを言ったときなど、受け止めてあげたいが進めなければいけないので、「後で聞くからね」と流さざるを得ない。こんな言葉も出てきました。
工夫をしていることはとてもよいことです。しかし、その工夫よりも、まず叱り方や子どもの言葉の受け方をどうするかを意識すべきだと話しました。疑問に具体的に答えながら、目先の「悪いところ見つけ」ではなく、「いいとこ見つけ」を大事にすること、最近学級で減ってきていると言っていた「ありがとう」という言葉を増やすことをお願いしました。
最初は表情に乏しい先生で硬いという印象でしたが、席を立つ頃には柔らかい表情になって印象は随分変わっていました。

3人目は、6年生の担任です。
授業にあたって、今日の授業構想のメモも準備してくれていました。子どもの言葉を活かし、子どものから答を引き出そうとしていることがメモからも実際の授業からもよく伝わりました。しかし、子どもの言葉が自分のねらっているところとずれていると、すぐに次の子どもを指名したり、自分のねらっている言葉を引き出すような説明をしたりします。子どもの言葉をたくさん引きだそうと思っているのに、ほとんど先生がしゃべっている状態です。子どもは、だんだん集中力をなくしていきます。子どもの言葉を他の子どもが理解するための間をとらず、早くゴールに到着させようとどんどん情報を与えたため、子どもたちは情報を整理できずわけがわからなくなっていたのです。
また、ずれた答を否定はしないのですが、評価もしません。しかし、自分のねらいに近い言葉に対しては、「いい意見」と評価します。結局子どもたちは、先生の考える答え探しを始めてしまいました。
少々ずれた答えでも、まず認め、教室全体に広げる。そうするとそこから次の考えがうまれ、結果的に先生のねらうところにつながっていくことを伝えました。
この先生は授業を一緒に見た時、私が指摘していたことに対して、自分はある程度できていると思っていたそうです。今回具体的に指摘されたことが、自分の授業を見直すきっかけになったようです。明日から授業を変えようと元気よく席を立って行きました。

管理職、教務主任の先生方とお話をしていて、一人ひとりの先生方の授業の様子、子どもたちの事実をしっかりと把握されていることがよくわかりました。日ごろから校内の様子をよく観察されている証拠です。この日授業を見て私が気づいたことは皆さんよく知っておられました。しかし、その事実の陰に隠れている、一人ひとりの気持ちや悩みについては気づいておられませんでした。
事実の指摘だけでは状況は改善しません。逆に追い詰めてしまうこともあります。その状況を生み出しているもの、特に心理的なものを明確にし、具体的な解決方法を一緒に考えてあげることが必要です。心理的なものは、本人も意識できていないことがよくあります。無遠慮に心に踏み込むことは慎まなければいけませんが、よき聞き手となって、悩み、もやもやを吐き出させ、受け止めてあげることが必要です。このようなことを意識するようお願いしました。

よい授業をしたいという思いと自分の学級の現実とのギャップに若い先生方が悩まれていることが、今回よくわかりました。たまに出会う私のようなものにできることは、とても限られています。日ごろから接する管理職や主任といった立場の方は、よき聞き手となって彼らを支えてほしいと思います。

若手への授業アドバイス

先週末は小学校で若手5人に授業アドバイスをしました。

3人が算数の授業を見せてくれましたが、どれも子どもたちに考えさせようとする意欲を感じさせるものでした。3人に共通した課題は、まだ教科書の読み込みが甘いということです。なぜこの活動があるのか、なぜこのように表現しているのか、なぜこの課題が設定されているのか。教師が教科書をわかっているつもりになっているだけで、きちんと理解していないために子どもたちが混乱している場面がいくつかありました。

6年生の理科の授業は、子どもたちが落ち着いて取り組んでいました。1学期に初めて授業を見たときは指示が徹底されていなかったのですが、「指示したことができるまで待つ」、「できたらほめる」を実践してきたようで、別の学級かと思うほど指示が徹底されるようになっていました。子どもの発言をしっかり受容することもできるようになり、子どもたちとよい関係を築いていました。次の課題は子どもの発言を他の子どもにつなぐことです。子どもの意見を学級全体に広げていくことを意識して挑戦してほしいと思います。

3年生の作文の授業は、課題や資料などをネットでいろいろと探してきているようでしたが、形式的に流れていました。その一番の理由が、授業が借り物だということです。「よい作文は書き出しで決まる」とポイントが貼り出されていましたが、なぜ書き出しで決まるのか、そもそもよい作文とは何かとの問いに授業者は答えることができませんでした。最近の若い先生に多いのですが、ネットなどで探した授業を深く考えずにまねしているだけでした。他の授業を参考にするときは、発問や課題の背景、ねらいを自分の学級と重ね合わせ、しっかりと自分のものにしておく必要があります。そうしておかないと、子どもの発言や活動を受け止めたり、切り返したり、評価したりがきちんとできません。活動だけがあって、中身のない授業になってしまいます。表面を取り繕うのではなく、たとえ拙くても自分で考えて授業を続けていくことで力はついてきます。まずは自分の力で授業を組み立てるようお願いしました。

5人の若手に共通していたのは、今よりよい授業をしたいという思いです。これがあれば、かならず授業力はついてきます。どの先生も、お話させていただいた後、明日からの授業への意欲を見せてくれました。次回の訪問がとても楽しみです。

イベントの目指すべき姿

昨日は、私が関わっている中学校で行われた地域ふれあい学びフェスティバルを見学してきました。地域の方と学校が一体となって、イベントや体験講座、模擬店を運営し、多くの方に楽しんで参加しながら、学んでいただきたいというものです。

私が見学し始めてから8年目ですが、来場者数も増え、地域にしっかりと根付いたと実感しました。小学生の参加が多いのもうれしいことです。廊下に貼られている中学生の美術の作品を見て「すっげえー」という声も聞こえてきます。中学生がすごいと思えることは、自分が中学生になることに期待を持つことです。小学生にとってはよい刺激になっています。また、卒業生も何人も見ることができました。旧友に出会う、恩師に出会う、後輩に出会う。母校とつながりを保つよい機会になっています。

今年度は実行委員の希望者も増えたと聞いています。昨年と比べてよい表情の生徒がたくさん見られます。逆に、積極的にかかわる生徒が増えたためか、受け身的に仕事をこなしている生徒との温度差も顕著になってきたような気がします。同じことが地域の支援者にも感じられます。いろいろと規模が大きくなってきたため支援者の数も増えているようです。頼まれたので、手伝っているという方も増えたのか、やはり表情に差があります。先生方も皆さんしっかり働かれているのですが、同じく表情に差があるように感じました。このイベントの目指すものが何かをもう一度明確にする必要を感じました。

子どもたちはどれだけ人が集まった、どれだけ売り上げがあったという表面的なことに目がいきます。与えられた仕事を決められた時間勤めれば自分の役割は終わりという、義務でやらされている感覚の子どもも目立ちます。積極的な子どもたちも、自分が頑張り、充足感を得ることだけでなく、まわりの友だちを巻き込んでいくことにもっと意識を向けてほしいと思います。
教師もこのイベントを子どもたちの成長にどうつなげるという視点を再度しっかりと意識して事前にかかわる必要があるように感じました。

子どもたちは自分たちの活動が地域の方に喜ばれ、感謝されることを、地域の方は自分たちが子どもたちの成長を手助けすることを、教師はこのイベントを子どもたちの成長につなげることを目指す。そして、各々がそのことを実感できるように見える化していくことが大切です。
特に地域の協力者にとっては、自分たちが手伝ったことが子どもの成長につながったかどうかは見えにくいものです。このことを伝える努力が主催者側に求められます。

そんなことを考えなら様子を観察していると、焼きそばの模擬店の子どもたちがとてもきびきびと集中して仕事に取り組んでいることに気づきました。たまたま、やる気のある子が集まっているのか、焼きそばを焼くのが楽しいのかと思っていると、教頭からこんな話を聞くことができました。実は、前日の設営準備のときに、この焼きそば担当の地域の方が子どもたちの取り組む態度について厳しく注意をされたそうです。その結果、当日は見違えるような姿を見せてくれたのです。このイベントの目指すべき姿を教えてくれたような気がしました。

生徒全員参加の学校行事となって3年目です。一定の成果は出せたと思います。だからこそ原点に戻って、地域とかかわることで子どもたちが成長するという本来の目的達成のために、それぞれが何をすべきかをもう一度考える必要があると思います。そのためのヒントも見つけられたような気がします。
来年のレベルアップへの期待が高まった1日でした。

ベテランの思いを受け取った授業

昨日は中学校で道徳の授業研究に参加しました。

午前中に若手の先生と授業参観をしたのですが、とても素敵な場面に遭遇しました。2人の若手の授業でのことです。

一つは、国語の時間です。ほとんどの子が一生懸命参加している中で集中力を切らしている男子がいました。手遊びをして、顔も上がったり下がったりしています。この子がこの後どのような動きをするかじっと観察していました。一緒に参観している先生には、「おそらく教師は気づいているが、すぐにしからずに様子を見ているのでしょう」と話していると、隣に座っている女子がその子に話しかけ、ペンで教科書の文を指し示しました。どうやら、授業に参加するように促し、作業の指示をしたようです。話しかけられた男子は嫌な顔をせず、素直に作業をしました。終わると、また手遊びをしているのですが、教師からの問いかけには手を挙げていました。その後も何度も隣の女子が声をかけていましたが、しだいに男子生徒の手遊びはなくなり、授業の後半は集中して積極的に笑顔で授業に参加していました。女生徒は、終始柔らかい表情で決して男子をしかっているという風ではありませんでした。子どもたちの人間関係がとてもよいことが見て取れます。この授業は子どもたちの笑顔がとても多かったのですが、特にまわりの子どもたちとかかわる場面でたくさん見ることができました。子どもたちのノートには教師の板書ではなく、自分たちの考えがたくさん書かれている。そんな授業でした。

もう一つは、社会の授業の一場面です。どのような課題や指示だったのかはわかりませんが、子どもたちが資料を一生懸命見ていました。その後、先生の問いかけに三分の一ほどの子どもがゆっくりと手を挙げました。その時の子どもの表情が、全員笑顔なのです。挙手するのが楽しくてしょうがない。授業が楽しくてしょうがない。そんな表情です。よくある、先生に指名されたいというアピールではなく。落ち着いた、柔らかい雰囲気です。ずっとこの教室に居たくなるような温かな空気で満たされていました。

とてもよい気持ちで、午後からの道徳の授業研究に参加しました。社会科のベテラン教師が、授業に入っている学級を借りてのとびこみ授業です。
資料の選定、授業の構成、授業技術、どれを取っても素晴らしものです。子どもたちを資料に引き込む読みのうまさ。これはという子どもの発言に対する切り返しの見事さ。正直これはまずいと思いました。なぜなら、こういう授業は「私にはできない」と最初から別世界のものと思ったり、「あんな風にやってみたい」と思うのですが、授業技術の本質を忘れて、教師の個性である芸の部分をまねしようとしたりすることが多いのです。
どのような意見が出るのかとても興味を持って検討会に参加しました。どのグループからもこの教師の授業技術の素晴らしさとともに、「もっと子どもの内面に迫る」「子ども同士のかかわり合いを高める」といった視点での意見がたくさん出てきました。この学校の教師集団の授業を見る力の確かさ、授業をよくしようという気持ちが表れています。司会者が、この資料をもとにやってみようと思うか問いかけたときに、多くの先生がやってみようという表情になりました。とてもよい検討会でした。
「これは道徳の授業としては前半部分」と言う言葉が授業者との雑談の中で出てきました。彼の口からは直接は語られませんでしたが、あえて子どもの本音に迫る部分を見せないことで、先生方に道徳で大切なことに気づいてもらい、自分もやってみようと思わせるために仕掛けらた授業だったようです。高いところから物申すのではなく、同じ目線の高さから同僚に伝えようとする、とても素敵な先生です。そういえば、授業中になんども「ありがとう」という言葉を授業者から聞くことができました。子どもとも同じように接しているのです。

素晴らしいベテランがいて、若手が伸びていることがこの日見たことに表れています。この学校にかかわれていることをとても幸せなことだとあらためて感じた1日でした。

元気をいただいた研究発表会

昨日は、ICT関連の研究発表会で講演をおこないました。

全体会に先立っての全学級の授業公開が私にとっては一番の楽しみです。事前に指導案は見ていたので(研究発表会の打ち合わせ参照)子どもたちの反応が予想とどう違うが気になるところでした。結論から言えば、ほぼ予想通りです。子どもたちはとても素直で教師との人間関係もよいので、発問や課題、活動が彼らにとってどうであるかがダイレクトに表面に現れます。ですからとても予想しやすいのです。この子どもたちを思い浮かべ、発問や課題を考え、どう反応するだろうと予想するだけで力がつくことと思います。

以前見たとき、とても明るくよい雰囲気だった英語の授業が、この日は重い感じだったのが気になりました。先生の表情が硬いことが原因のようです。子どもが先生を映す鏡となっています。先生と子どもの関係がよいことの証でもあります。後で聞いたところによると、機器の調子が悪く、うまく使えなくてあせったことが原因だったようです。なるほどと納得しました。困ったときでも笑顔を作れることの大切さがよくわかります。

公開授業は参観者にとってはインパクトのあるものだったようです。機器の展示がおこなわれていたのですが、授業公開のビフォアー・アフターでは、説明員に対する質問の質が大きく違ったとのことでした。「このような授業をするとしたら・・・」と、具体的なものに変わったようです。授業を見て実際にやってみたいと思われた方が多かったということでしょう。

全体会での研究説明もとても素晴らしいものでした。学校にICTを導入する意義やポイントが具体的でとてもわかりやすく語られました。これからICTを活用しようとする先生、学校にとっては参考になることばかりです。この学校の研究がしっかりと足を地につけたものだったことがわかります。

講演は、公開授業でICT機器の活用の可能性がたくさん示されたので、当初の予定を変えて、ICT機器そのものの活用より、活用した授業をよりよいものにするための視点を重視して話をしました。
ICT機器も、チョークと黒板と同じくらい当り前のものになりつつあります。板書をどうするかということは、授業をどのように進めていくのかと密接な関係にあります。ICT機器の活用はそれと同じ視点が必要なのです。具体的な場面を例にして説明しました。
ICTという視点では物足りなかった方も多いと思いますが、この日の授業のようすを思い出しながら聞いていただけたのではないかと思います。

うれしいことに、発表会後の反省会にご招待いただきました。たくさんの若い先生とこの日の授業について個別に話をすることができました。どの先生も授業に前向きに取り組んでおられ、とてもよい刺激をいただきました。この前向きな姿勢があれば必ず進歩していきます。先生方の授業をまた見るチャンスがあることを期待しています。

いろいろな方と出会え、たくさんの元気をいただいた、とても素敵な研究発表会でした。

学校の雰囲気が緩むとき

先週末に中学校の体育の授業アドバイスをおこないました。以前は生徒指導上の困難を抱えていた学校ですが、先生方の努力で今ではごく普通の落ち着いた学校に変わっています。今年度は初めての訪問でした。

子どもたちは元気に授業を受けているのですが、全体としては今一つ緊張感に欠けます。素早く行動できる生徒もたくさんいるのですが、しまりがないのです。活動の目標が明確にされていない。当然、活動の評価場面もありません。また、一部の生徒にかかわりすぎて、全体が見えていない。したがって、状況に応じた対応ができません。この授業については、このようなことが緊張感を失くしている直接的な原因でしょう。授業の場面場面で、教師が求める子どもの姿をしっかり意識することで状況は改善していくと思われます。

しかし、どうも別の要素があるようにも感じます。以前からいる先生にとっては、何年かかけて子どもたちが落ち着いてきた、ようやく一息つける。新しく赴任してきた方にとっては、大きな問題のない普通の学校なので特に緊張する必要がない。今の状態で子どもは立ち歩くこともなく席についていて授業は成立している。そのようなゆるい空気が漂っているのです。
これは、困難な状態から落ち着いてきた学校でよく見られることです。実は子どもたちを見ると、もっと自分たちを見てくれというサインを出しているのですが、問題行動を取るわけではないので気づかないのです。表面上は落ち着いているだけで本当によい状態にはまだなっていないのです。先生方が授業中の子どもにもっと目を向ければ、学校は一気によくなります。ほっておけば、ちょっとしたきっかけで学校はまた崩れてしまいます。授業の充実が課題となるのです。

もちろん管理職の方はこのことに気づいておられます。この学校では、全体でテーマを持って取り組みますが、まず個別に授業を改善することを優先しています。仲間の変化を見える形にして、改善への意欲を全体に広げるというアプローチです。この方法が成功するためには、よい方向に動き出す先生をいかに増やすかが鍵となります。私は、そのためのお手伝いをさせていただいているというわけです。
この学校での授業アドバイスは、一人ひとりの先生に、自分がいかに可能性を秘めているか感じてもらうことを大切にしています。ちょっとしたことを意識すれば、自分の授業は飛躍的に進化する。そう信じていただき、授業の改善に手をつけていただくことが私の仕事です。半年後、1年後にこんなに授業が変わりましたと報告してもらえることが目標です。

ちょっぴりの不安とたくさんの期待を持った1日

昨日は研究発表会を2週間ほど後にひかえた中学校で授業研究に参加しました。

いつものように朝からおじゃまして子どもたちのようすを観察していると、先日より集中力が下がっています。先生の話を聞いていない、問題を解き終わって遊んでいる、手をつけようとしない、そんな子どもが目立つようになっています。合わせて、先生方の表情が硬い、笑顔が減っている。こんなことに気づきました。
研究主任にうかがったところ、この数週間、研究発表のための原稿や指導案その他もろもろのことで、ほとんどの先生が深夜、時には翌日まで仕事をされていたそうです。先生の表情も硬くなるわけです。授業中に子どもたちを見る余裕もなくなります。
研究発表会のためにエネルギーを使い果たしてしまい、終了後みんな抜け殻のようになってしまったという笑えない話も聞きます。教師の手元に立派な紀要が残ることではなく、自分たちのやってきたことが子どもの成長となって返ってきたという実感を持てること、子どもたちがよい方向に変わったとまわりから認められることが大切です。
事前準備のピークは過ぎたようです。先生方も笑顔を取り戻し、子どもたちもよい姿を見せてくれるようになると思います。発表会当日は、先生方とのパネルディスカッションを通じて、この学校の先生方の思い、努力とその成果をわかりやすい形で参加者に示すことができるよう頑張ってコーディネーターを務めさせていただきたいと思います。

そんな中で数学と体育の授業研究がおこなわれました。私は数学の少人数の2学級の授業を参観しました。2次関数ってどこに出てくるの、何の役に立つのという子どもの声に対して、リアリティのある教材を用意しようと挑戦してくれました。車の制動距離とブレーキを踏んだ時点の速度の関係が2次関数になることを利用する問題です。うれしかったのは、2人の授業者が異なるアプローチをしていたことです。

1人はできるだけ現実に近い形にしようと、空走距離と制動距離を使い、一方を1次関数、もう一方を2次関数の例として課題としました。
もう1人は、課題をシンプルにしようと制動距離に絞り、そのかわり課題と情報の提示を自作のビデオでおこなってくれました。

ともに初めての試みです、授業の課題もたくさん見つかります。そのことは悪いことではありません。挑戦して課題が見つかることで成長するのです。

私の専門が数学なので、数学科の先生には厳しくなります。どうしてもネガティブなことが目につきやすいのですが、この2学期になってうれしい変化が見つかりました。数学の先生方の板書がよくなってきたのです。今までは解答がただ書いてあるだけの、問題集についている簡単な解答のようなものが多かったのですが、色チョークを活用したポイントや解く過程がわかるようなものになってきたのです。全体的に変わったということは教科がチームとして機能し始めた証だと思います。さらに、「どうしてこの方法で解けるの」といった解法の根拠、「どこから手をつければいいんだろう」という問題を解くための手がかりなどが残るようなものを目指すようにお願いしました。

このほかにもうれしいことがありました。採用試験に受かった2人の講師が今まで以上に授業に前向きになっていることです。1人は小学校、1人は高校と今いる中学校とは異なりますが、ここで少しでも多くのことを学び新天地で活かそうとしています。伸びよう、学ぼうとする教師集団の中にいることがこのような姿をつくってくれているのだと思います。

ちょっとした不安もありましたが、明るいものもたくさん見ることができた1日でした。発表会はこの学校の先生方の努力にふさわしい成果が見られることと思います。

授業者も参加者も学びあえた模擬授業

愛される学校づくり研究会が主催するフォーラムで発表する国語科の授業の模擬授業に参加しました。

うれしいことに、近隣の学校だけではなく、地区を越えて、たくさんの先生が参加してくださいました。教室はほぼ満席状態。授業者にはとっては、とてもプレッシャーがかかる環境となってしまいました。

ベースとなっているのは授業名人野口芳宏先生の授業です。指導案作成にはトップクラスの先生がかかわっています。スムーズに授業が流れていくように思えますが、そうはいかないのが授業のおもしろいところです。
指導案には書かれない、子どもの発言や反応に対しての受けや切り返しがうまくできないのです。一つひとつの発問や活動の意図をしっかりと理解し、意識できていないため方向がぶれていき、いつの間にかこの授業が何をねらっていたのかがわからなくなってしまいます。授業者は何度も立ち止まってやり直しました。その場面を野口先生の授業記録と比較してみると、野口先生の受けや切り返しの素晴らしさ、その意図にあらためて気づきます。教材研究の大切さだけでなく、それを支える授業技術の大切さもよくわかります。指導案だけでは見えないことが、この模擬授業を通じてたくさん明らかになったように思います。

2時間近くいろいろと検討しましたが、指導案の10分程度しか進めることができませんでした。しかし、指導案作成の段階では授業者がしっかりと理解、意識できていなかった発問や活動の意図が明確になり、それに伴って子ども役の発言や反応に対してうまく受けることができるようになってきました。最後に、もう1度最初からやり直しましたが、見違えるように滑らかに進んでいきました。

若い先生もたくさん参加していたのですが、彼らにとって今回の模擬授業はどうだったのかとても気になるところです。模擬授業が終わったときは8時を過ぎていました。皆さん帰宅を急ぐと思っていたのですが、なかなか立ち去ろうとはしません。興奮冷めやらぬといったようすで、そこかしこでこの授業に関する話をしています。よい授業は終わった後も子どもが考え続けると言いますが、まさにその通りのものでした。「おもしろかった」という声もたくさん聞くことができました。授業者だけでなく参加した先生方にとっても、とても刺激的で学びの多いものになったようです。皆さんがこの学びを活かしてくれることを期待します。

授業者は、今回の模擬授業を受けて、本番ではどのような授業を見せてくれるのでしょうか。とても楽しみです。多くの学びとともに本番への期待が高まった模擬授業でした。

研究発表会の打ち合わせ

昨日は、ICT関連の研究発表会の打ち合わせに中学校へおじゃましました。当日は全学級の授業を公開するということで、事前にいただいた指導案についてコメントさせていただきました。

どの指導案も、ICTの活用については無理のない、これなら使ってみたいと思うものでした。研究主任や教務主任のバックアップがあってのことだと思います。すばらしいのは、ICT活用の前提として「基本的な授業力の向上」が研究構想に掲げられていることです。このことからも、この研究が足が地に着いたものであることがわかります。

私からのコメントは、ICTをどう使うかではなく、活かすための発問や活動のあり方がほとんどでした。指導案がシンプルで見やすいものだったので、授業のイメージがよく伝わり、ピンポイントでアドバイスすることができました。当日は1時間の公開なので、一つひとつの授業をじっくり見られないのが残念です。参加される方は、興味のあるICTの活用、授業に絞ってじっくり見ていただけたらと思います。

依頼されている講演については、ある程度材料も集めていたのですが、この指導案を見て、ぜひ当日の授業とつながる話をさせていただきたいと考えました。この学校のコンセプトでもある、「ふだん使いのICT活用」をタイトルとして、伝え合うツールとしての活かし方に絞って話をすることにしました。指導案のおかげで、イメージがわいてきます。発表会まで1週間を切っていて時間があまりないのですが、おもしろいものにできそうです。
当日の授業への期待にワクワクしながら学校を後にしました。

白黒をつける

授業名人の野口芳宏先生は、「白黒をつける」ということを言われます。「それもいいね」「いろいろな考えがあるね」と曖昧に終わらせるのではなく、「これは間違い。これは正解」とはっきりさせるということです。このことについて考えてみたいと思います。

私は、教師は子どもの発言に対して、「はい、正解」とその場で判断しない方がいいと考えています。それは「正解」をはっきりさせないということではありません。合理的に根拠を持って子ども自身で「白黒をつける」ことが大切だと考えるからです。ですから、子どもたちが間違った結論に達したときは、修正することをしなければなりません。また、正解とすべきことについては、全員が納得しなければいけません。

たとえば国語の授業で、「○○について述べているところに線を引こう」という発問を考えてみましょう。

「・・・です」
「なるほど、同じところに線を引いた人いるかな」
「いるね。引かなかったけど、なるほどこれは○○について述べていると納得した人は線を引いて」
「では、ここに線を引いた人は手を挙げて」

このように展開したとしましょう。ここで、全員が挙手をしたなら問題はありませんが、挙手しない子がいれば対応が必要です。「白黒をはっきりつける」ことが求められます。野口先生であれば、「今の意見に賛成の人は○、反対の人は×をノートに書きなさい」とするところでしょう。反対の子どもに意見を求め、結論を出す必要があります。

「線を引かない人がいるね。どういうことか聞かせてくれる」

と、意見を聞きます。どれくらい時間をかけるかは重要度にもよりますが、かかりすぎるようであれば、教師が根拠を示したうえで正解であることを知らせることも大切です。

「・・・だから、ここは○○について述べている。線を引こう」

「先生は・・・だから、ここは○○について述べていると考えます。どうですか? 反対がないね。ではここに線を引こう」

子どもたちが根拠を持って自分たちで「白黒をつける」ことは大切なことです。しかし、つねに自分たちで「白黒をつける」ことができるわけではありません。うやむやで終わらさずに教師が結論を示すことが時には必要になります。「白黒をつける」べきものは、きちんとつけなければいけません。

問題から授業を考える

全国学力調査の問題が公表されました。問題制作者の意図が非常に明確で、これならば子どものいろいろな学力を知ることができる良問ぞろいと思いました。このような問題からはたくさんのことを学ぶことができます。どのようなことを考えればよいのでしょうか。

一つは、問題でどんな力を確認しようとしているかです。教師であれば解けるのは当たり前です。この問題を解くためにはどのような知識や力が必要かしっかりと見極める必要があります。そして、自分の教え子たちが、どのような解答をするか予想します。どのような誤答が出て、それはどうして出てくるのかを意識しなければなりません。こうした上で結果を見ることで教え子の実態、すなわち自分の授業が見えてきます。試験をすることの意味がここにあります。

もう一つ、授業という視点で見るともっと大切なことが、問題を解くための知識や力はどのようにすれば身につくのかを具体的にすることです。子どもたちがどのような活動をする必要があるのかしっかり見極めるのです。
たとえば、今回の全国学力調査の数学の問題に関数の定義がわかっているかどうかを確かめるものがありました。関数の定義を教師が1度説明しただけではまず解けないでしょう。いわんや、xとyの関係を式で示して、これが関数などといった間違えた説明で教えていれば話になりません。最低限、定義域から値域(数学用語にこだわる必要はないですが)という方向性、定義域の要素が一つ決まれば他方が決まるということを子どもたちの感覚で押さえておく。、その上で、どのようなものが関数であるのか、ないのかを具体的な例で判断して理解するような活動をしていないとなかなか正解は導き出せないと思います。問題を真剣に分析することでどのような授業が求められているのかを考えることができるのです。
これはどの教科でも同じことだと思います。

全国学力調査の問題だけでなく、良問はたくさんあります。問題を分析し、どのような授業が求められているのかを考えることも教材研究の大切な視点です。
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