最新更新日:2024/05/13
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「CHANGE(チェンジ)をCHANCE(チャンス)にCHALLENGE(チャレンジ)しよう」を合言葉に1年間がんばりましょう。

オンライン朝礼での校長先生のお話 8/4

今から77年前、1945年8月15日は、終戦記念日。日本が戦争することを終えた日です。77年前ですから、私は戦争のことを知りません。今日は今89歳になる私のお父さんから聞いた話も含めながら、平和の大切さ、命の大切さについて、お伝えします。

記録によると1945年の7月12・13日、28・29日にみなさんが住む一宮市に空襲がありました。空襲というのは、アメリカの飛行機が爆弾を次々に落とすことで、それによって町が燃えてしまいました。77年前に西成東小はまだできてなかったのですが、すぐ近くの赤見小や瀬部小は空襲によって燃えたそうです。

私のお父さんは稲沢に住んでいたので空襲にあうことはありませんでした。しかし、一宮で空襲があった日は、夜なのに一宮の方角の空が真っ赤に焼けていて、たくさんの人が一宮から稲沢の方に逃げてきたそうです。やけどをしている人もいてその姿は本当に痛々しく、今でも目に焼き付いているとのことでした。
その頃、私のお父さんは中学生で電車に乗って一宮の中学校に通っていたのだけれど、空襲の次の日は電車が止まってしまい、線路ぞいの道をとぼとぼと歩いて中学校へ向かいました。

先週(7月28日〜31日)、一宮の本町あたりで七夕祭りがありましたね。七夕祭りに行った人、行ってないけどテレビのニュースで見たよという人もいると思うけど、その本町あたりを先生のお父さんは空襲の次の日に歩いて学校に向かいましたが、その時には爆弾で体が焼けてしまい亡くなった人が何人も道に倒れていたそうです。稲沢から一宮まで何kmも歩いて中学校に着いたけれど、学校は燃えてしまっていて校門に先生が一人立っておられ「今日は授業はないから帰りなさい。」と言われ、またとぼとぼと歩いて稲沢まで帰ったそうです。
「道で人が何人も亡くなっている姿をみても当時は何とも思わなかった。今では考えられないことなのだけど、戦争によって自分の心までおかしくなってしまっていた。戦争はおそろしい。」と私のお父さんは今、言っています。

今日、みなさんは出校日でこうして元気に学校に来て、友だちの顔を見ながら学ぶことができていますね。二度と戦争の世の中にならないよう、いつまでも子どもたちが学校で笑顔で学ぶことができる日々が続くようにしていきましょう。

今日は、平和の大切さ、命の大切さについてお話ししました。命を守るという点では、「飛び出しをしない」「川に入らない」といったことも大切です。また、次の出校日にみなさんの元気な顔が見られることを楽しみにしています。


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一宮市立西成東小学校
校長 竹元 巨
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