3月5日(月)朝礼 生活委員会や給食委員会委員長はいつもしっかりと話をしてくれます。<校長講話> 冬季オリンピックの話。スピードスケート金メダルの小平選手の語学力が凄い。韓国語、英語、オランダ語を話す。コミュニケーションのために必要とのこと。また韓国の銀メダリストを抱きかかえたのは、前回負けてひっそりと泣いていた自分を慰め、一緒に泣いてくれたのだそうです。凄いアスリートだけでなく、立派な人間としての触れ合いがあったわけです。 私(校長)が初めて覚えている冬季オリンピックは、中学校1年時1968年フランスのグルノーブルオリンピック。記録映画「白い恋人たち」は、フランシス・レイの流れるような美しい音楽とともに世界中でヒット。冬季オリンピックの存在を世界中が知ることになりました。この時の日本のメダルはゼロ。スキー板も高価で、スキーもようやく庶民のスポーツになりつつありました。その4年後に、札幌冬季オリンピックで日本は、スキージャンプで3つのメダルを獲得しました。 |
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