学年、教科の課題を考える

先日中学校で今年度2度目の訪問をしました。音楽、社会、英語を中心に授業を見させていただきました。

教科を越えて学年ごとの特色がはっきり見えてきました。
3年生は、授業に対して前向きに参加しています。しかし、問いの答を手に入れる、写すことが学習の中心になっている子どもが多いことが気になりました。受験を意識しているのでしょうか、目先の結果を求めているように感じます。学習指導要領が変わって、目指すものも変化しています。子どもたちの学びに対する意識を変えることが重要です。よい学びの経験を積ませることを教師が意識することが大切だと思います。

2年生は4月に訪問した時に、教師と子どもたちの関係がよくなり、授業規律もしっかりしてきたことをほめました。授業への子どもたちの主体的な参加度を上げることなど、次のステップを意識してほしいとお伝えしました。
今回気になったのが、よく反応する子どもと教師とのやり取りで授業が進んでいることでした。自分には関係ないと、そのやり取りには参加しない子どもが目につきます。グループ活動の後の全体での追究場面でも、結論を発表させるだけで、その結論に至る過程や、他の意見とつなぐことをしないので、子どもたちの参加意欲は高まりません。その結果、グループ活動がとりあえず手元にまとめたことの発表で終わってしまい、深まりのないものになってしまっています。どのような活動があっても、最終的に教師がまとめて説明するのでそこだけ参加すれば困りません。特にワークシートを使っていると、穴埋めの答が手に入ればよいので、途中の参加意欲が高まりません。
常に教室全体を見て、どの子どもも参加できるためにどうすればよいかを考える必要があります。聞く側の子どもが活躍することを意識してほしいと思います。

今年度の1年生は、4月の時点で、例年と比べて子どもっぽいという印象でした。ちょっとしたことですぐにテンションが上がり、一度上がるとなかなか落ち着きません。新しく出合った仲間との人間関係がまだつくれず、小学生のままの状態に見えました。中学生としての基本を身に付けさせることが必要でした。中学生は小学生とどこが違うのかを考えさせ、中学生としての基本的な生活習慣や規律を意識させることから始めるようお願いしていました。
今回、前回と比べて子どもは落ち着いてきたように思います。校外学習の影響か、新しい人間関係ができつつあるように感じました。ここを起点に、各学級で子どもと教師、子ども同士のよい人間関係を構築していくことが必要でしょう。担任の取り組みが重要になってきます。学活の時間を見てそのことを強く感じました。校外学習のレポートを作成して発表する活動でしたが、場面ごとに子どもの様子を担任がしっかりと観察し状況に応じて必要な指示をしている学級もあれば、最初に活動の指示をした後、教師用の机で担任が仕事をしている学級もありました。当然子どもたちの様子は大きく異なっています。学活のような時こそ、子どもをしっかりと見て、関係を構築することを第一に考えてほしいと思います。

社会科ではどの授業でも、課題に対して個人作業、グループでの共有という活動の流れが意識されていました。このこと自体はよいのですが、課題自体が「どうなったのか?」といった結果を聞くものになっていたことが気になりました。作業中に子どもたちの手が一定のペースで動いていきます。教科書や資料から答えを探し、それを写してまとめているので、機械的な作業になっているのです。調べたことや、事実をもとに考え、判断するような課題にすることが必要です。「どうなったのか?」にあまり時間をかけず、まとめたことをもとに「それって、よいこと?悪いこと?」と判断を求めて、課題を2段階にするといった工夫もあります。
教科としてみんなで授業の進め方を考えていることがよくわかります。意見を交換しながら、よりよい授業へと進化していくことを期待します。

英語科は、授業者によって授業観の差が大きいことが気になりました。いまだに文法用語を使いながら、否定文や疑問文の作り方を日本語で答えさせるような授業も目にしました。もちろん、子どもたちの英語活動を工夫した授業もありますが、授業のゴールとして目指すものがバラバラに感じました。互いに授業を見あって、どのような子どもの姿を目指すのか、そのためにどのように授業を工夫していくのかを教科として共有していくことが求められると思います。

この日は一人一台のタブレットを活用している授業を見ることがありませんでした。ICTは教師の提示道具としてしか使われていません。学活などで使うことで、まず子どもたちに自由に使えるようにすることから始めればよいと思います。しかし、昨年の夏にWiFi環境を整備したのですが、未だに1学年一斉に子どもたちがタブレット起動すると使えない状況だそうです。グループで1台でもうまくつながらないことがあるようで、先生方のICT活用に取り組む意欲が低下しているようです。このような状態が続けば、タブレットは死蔵されてしまいます。他の学校でも似たような状況があるかもしれません。こういった状況が改善されていかないと、教育におけるICT活用の格差がどんどん広がってしまいます。大きな課題として認識する必要があると思います。

いろいろな課題が見えてくる(長文)

私立の中学校高等学校で公開授業の参観を行いました。

この日は授業を絞って参観しました。
高校1年生の古文の授業は面白い課題を試みていました。
題材となる物語の落ちが伝わるような紙芝居をつくり、合わせてそれに関するクイズをつくるというものです。子どもたちは真剣に取り組んでいましたが、この活動の評価をどうするかが課題となります。発表して相互評価するというのが一般的なやり方ですが、評価の視点を明確にすることが必要です。古文の授業でつけたい力と活動の内容・評価をどう連動させるのかが問われるのです。わかりやすい形で評価の観点を提示することで、子どもたち自身で自分の活動を評価でき、学びが深まっていきます。
作品の落ちをわかりやすく伝えることが目標であれば、古文の読解ができなくてもネットで現代語訳を読めばそれで取り組むことができます。表現方法に重点を置いた評価になるでしょう。古文を正しく読む力をつけるのであれば、その場面に対応した本文を明記し、登場人物、主語や述語の関係が明確にわかるような絵にするなどの条件を付ける工夫が必要です。文化としての古文を意識するのであれば、当時と現代との感覚の違いや、文化として現代にまで引き継がれていることなどがわかるような場面を選んで描くといった条件を付けても面白いかもしれません。また、子どもたちが育ってくれば、何を目標として取り組むかを子どもたちにゆだねるといったやり方もあると思います。
新学習指導要領では表現が重視されていますが、表現することが目的ではなく、表現することを通じてどのような力をつけるのか、逆にどのような表現力をつけたいのかを意識した取り組みにすることが大切です。
意欲のある若手ですので、こういった新しい形の授業に挑戦し授業を振り返えることを繰り返すことで、大きく成長してくれることと思います。

高校1年生の英語の授業では英語検定のスピーキング形式の試験対応の場面をみました。授業者はネイティブで、授業は英語で行われます。日本語なら簡単にわかる説明もすべて英語なので集中して聞かないと理解できません。子どもたちの集中度がとても高かったのが印象的でした。
授業者は、時々簡単な質問を全体に投げかけ、指名で発表させますが、指名された子どもは自信がないのか小さな声で授業者に向かってしゃべります。子どもたちは授業者の説明は真剣に聞いていたのに、仲間の発言は積極的に聞こうという姿勢を見せません。発表が聞き取りづらいせいもありますが、聞こうとしない大きな理由に、授業者が発表者の声を聞き取って”Good!” “Excellent!”と発言の正誤を判断、評価してすぐ次に進んで行くことがあげられます。このやり取りは指名された子どもと授業者だけで閉じているので、他の子どもが参加する余地はないのです。そうではなく、”Good!”と評価した後、全員に向かって聞こえるように再度発言させるとよいでしょう。”Good!”と肯定されて自信を持つことができるので、より大きな声を出してくれるはずです。その上で、その発言に対して他の子どもに何らかの発言を求めるようにするのです。
ペアでQ&Aの練習する場面では、子どもたちは自分の言葉を紡ぎ出そうと真剣です。しかし、一通りやりとりが終わるとそれで活動は止まります。しばらくすると、子どもたちのテンションが上がっていきます。頭を使って考える活動が終わってしまったのです。授業者は個々のペアに、”One more question!”と続けて活動するように指示していきますが、活動を始める前に指示しておくべきでした。

保健の授業に関して、体育の先生からどうしてもしゃべりすぎてしまうと相談を受けました。事前にスライドをつくって映しながら説明すると、事前準備したことをどうしても全部しゃべりたくなるのが人情です。また、試験のことを考えると知識を教えないといけないので、考えさせるような課題に取り組む時間が取れないことも悩まれていました。知識を問うという試験の形式がよいか悪いかは置いておいて、説明すれば知識は身につくというのは教師側のアリバイ作りの発想以外の何物でもありません。説明すれば子どもたちに知識が身につくのならだれも苦労はしません。考え方を変える必要があります。子どもたちにどのような知識をつけたいのか、それを活用することでどのような課題を解決できるのか。その逆に課題を解決するためにどのような知識が必要となるのか。こういった視点で授業を再構成する必要があります。知識は活用することで定着します。教師が説明しなくても、知識を必要とする課題に取り組ませれば定着していきます。このことを意識して授業づくりをしてほしいと思います。

高校2年生の歴史の授業では、子どもたちが、時代の流れに沿って史実を構造化して整理するという課題に取り組んでいました。1年時に学習してきたことが積み上がってきているのを感じます。例えば政変であれば、複数の政変を時系列に並べ、フェイズごとにいくつかの視点で比較し、構造化して整理していました。子どもたちの力を信じて、活動と振り返りのスパイラルを回してきた成果が表れつつあります。卒業までに子どもたちがどのような力をつけるのかとても楽しみです。

中学校は子どもたちのよさを強く感じました。困難を抱えている子どもも一定数いるのですが、そのような子どもが集団の中でなんとか居場所を持てているように思います。逆に授業中に目立たなくなっているので、教師が寄り添うことを意識して接しないと、何とかつながっている糸が突然切れてしまう心配もあります。今まで以上に子どもたちをよく見てあげてほしいと思います。
「一方的に授業者がしゃべり続ける授業」「一部の子どもの反応だけで進んで、他の子どもが離れていく授業」でも成立していると錯覚している先生がかなりいるように見えます。この点を意識して改善する必要があると思います。

授業者のリクエストで、中学校1年生の社会科の授業を1時間参観しました。アフリカの自立について考える授業でした。
授業者は、開始の挨拶の前に机を整理させ、目についたゴミを拾わせました。挨拶も一人ひとりと目を合わせてきちんとさせています。授業規律がしっかりしていました。授業者は以前と比べると、空気感が柔らかくなっているように感じました。ただ、指示して子どもたちを動かすという指導だったので、そこを変えていくとよいと思いした。
例えばゴミを拾わせるにしても、「ちょっとそこを見て。どう思う?」と子どもたちにゴミに気づかせ、「ちゃんと気づけるね。どうする?」と子どもたちをほめながら自分からゴミを捨てるようにさせたいところです。ゴミを捨てたら、「ありがとう」と笑顔で声をかけ、その間待っていた子どもたちにも「ちゃんと待っててくれてありがとう」と全員をほめるようにするのです。
これまでの学習の振り返りを授業者が口頭でします。できれば子どもたちの口から言わせたいところです。テンポよく指名していけば、何人も指名してもそれほど時間はかかりません。子どもたちが、ノートや教科書を振り返ってくれれば、その行為をほめることで、主体的に振り返る姿勢を教室全体に広げられます。
個人で前時までの授業で問題と感じたアフリカの課題を書かせましたが、1つ2つ書くとそれで手が止まる子どもがほとんどです。最低3つ以上書き出し、その中で一番問題だと思うものを選ぶといった条件を付けることで、考える場面を組み込むことができます。予定時間が過ぎても書けない子どもがいるので時間がほしい人と声をかけ延長しましたが、延長しても作業が進んだり、内容がよくなったりすることはあまりありません。時間を増やしてもとりあえずの浅い考えしか出ないので、途中でも時間を切った方がよいと思います。自分の作業が完了していないから、かえってペアやグループの作業で仲間の言葉を聞いて完成させようという気持ちにもなります。
ペアで互いの選んだものを聞き合いますが、タブレットのワークシートを読み上げたり、画面を見せ合ったりする子どもが目立ちます。情報を交換するだけで思考が深まるわけではありません。互いの考えをデジタルのカードに書き、オンラインでグルーピングするといった作業にすると視点が整理され考えが深まると思います。
アフリカの自立とSDG’sを絡めた解決策を考えさせた上で、グループで聞き合います。聞き手にメモを取ることを求めますが、発表の内容をメモするだけで、互いの考えが深まっていくわけではありません。質問もあまりでず、面倒くさくなってタブレットを見せて済ませる子どもも目立ちます。1年生なので、グループで学び合う力がまだ育っていないのです。
課題に取り組む前に、「そもそも何で自立しなければいけないの?」「援助してもらった方が楽でいいじゃん?」といた揺さぶりをしておくことも必要でしょう。グループで争点が生まれるような仕組みも必要です。例えば、「まずこれから先に手をつけるべきだと思うものを発表して」と条件を付けるだけで、質問や疑問が生まれやすくなります。
授業者は常に教室全体が見える位置でグループの活動を見ていました。質問で盛り上がっているグループがあったことにも気づけていました。「盛り上がっていたけど、どんな質問が出たの?」と全体の場で発表させて共有することで、どんなことを質問すればよいか気づかせてもよかったでしょう。
授業者は、子どもたちの考えが浅いところで止まっていることを自分の授業の課題ととらえていました。単に時間だけかけても浅い状態から考えが勝手に深まっていくわけではありません。考えを深めるためには、とりあえずの考えから課題を焦点化するといった働きかけが必要となることを伝えました。また、ちょっとした条件を付けるだけでも活動の様子は変わります。こうするとうまくいくという正解があるのではなく、その時々の子どもたちの状況に応じて対応できるように、いくつかの手立てを準備することが必要です。やる気のある先生なので、子どもたちと一緒に成長してほしいと思います。

ある教科主任の先生から、振り返りシートの運用について相談されました。
全校で、毎授業後振り返りシートを書かせてチェックしていますが、その負荷に対して効果が見合うものなのか悩んでいるということでした。チェックしてアンダーラインを引くだけでもよいということですが、それでも毎時間だと負荷は大きいのです。「単元ごとに振り返るのではいけないのか?」、「毎日の授業にフィードバックするのが目的ならば、個々にチェックするのではなく、よい振り返りを毎回紹介する方がよいのではないか?」といった疑問をお持ちでした。
負荷なくやれる方法をみんなでつくっていくことが大切です。単元が何時間完了かにもよりますが、振り返りのサイクルは短い方がよいでしょう。単元が終わった時には、これまでの振り返りをもとに、単元での自分の成長を振り返るようにするとよいと思います。意識しなければならないのは、振り返りの第一の目的は、子どもが成長することです。子どもが調整力を働かせ、毎日の学習を進化させていくような仕組みを考える必要があります。子ども自身が仲間の振り返りから学ぶような仕掛けがあるとよいと思います。子どもが他の子どもの振り返りを見たくなるようにするためにどうするか。授業中にいくつかの振り返りを紹介するのもその方法の一つでしょう。
今全校で行っている振り返りでは視点をあえて指定していませんが、あらかじめ、視点をいくつか指定することで、振り返りの質を上げることができるのではないかという指摘もありました。多様な視点で振り返えられることが理想ですが、「楽しかった」「よくわかった」といった浅い振り返りが続くのであれば、「具体的にどのようなことがわかった」といった視点をいくつか与えることは悪いことではないと思います。指定された視点にとらわれずに書くことができるようにしておけば、それは一つの方法だと思います。1年間、3年間ずっと同じ形式である必要はありません。子どもたちの成長に合わせて、最後は枠だけのシートになればよいと思います。
今は過渡期ですので、できるだけ多くの方とオープンに相談して、よりよいものにしていくことを願っています。とてもよい話し合いの時間が持て、私にとっても参考になることがたくさんありました。

ICTの活用に関して、この日も前回同様のことを感じました。
先生方は教師の道具としてのメリットを享受できているのですが、子どもたちは自身の学びの道具としてのメリットを十分に享受できていないのです。教師の目線でみれば、現状はICTを活用できていて、困り感は感じていないのです。子どもたちの目線に立って、今後どのようなことが必要になっていくのかを考えてもらうことが課題です。次回以降このことの解決に向かって何ができるかを考えていきたいと思います。

新学習指導要領への対応が意識されている

私立の中学校高等学校で公開授業の参観を行いました。

この日は高校1年生と中学校を中心に参観しました。
高校1年生は4月と比べて子ども同士の関係がよくなっていました。この学年をメインで担当している先生方が、新学習指導要領を意識して子ども同士のかかわりを増やそうとしているようからでしょう。授業者が意図しない場面でも自然に相談し合う場面をたくさん見ることができました。しかし、授業者が説明していてもそれを無視して相談する姿も見られます。授業者はそれに気づいていて、子どもが主体的にかかわっているからとあえて無視しているのでしょうか?もし、そうであれば、その子どもたちの相談内容を教室全体に広げて全員の課題とすることが必要です。そうでなければ、自分たちで考えているのなら他者の話を聞かなくてもよいというヒドゥンカリキュラムになってしまいます。合わせて、こういった授業では、黙って座っていてもその多くが授業者の話を集中して聞いていない傾向がありました。厳しい言い方ですが、子どもたちが既に授業者を見限っているようにも見えます。この先生の話は聞く価値がない、そう判断しているのです。以前であれば、露骨に寝そべったり、そっぽを向いたりよそ事をしたりしているところですが、子どもたちがわきまえておとなしくしてくれているので授業は成り立っているように見えてしまうのです。講師の方や経験が少ない方の授業に見られる傾向ですが、それ以前に子どもと視線を合わせない、コミュニケーションを取らないといったことも気になります。目線が教科書に向いたままだったり宙に泳いだままだったりして、子どもと目を合わせないのです。子どもたちの状況に応じて授業をつくっていくという姿勢が感じられません。教師としての基本的な部分なので、このことをどう伝えて改善するかが大きな課題です。
また、子どもたちがグループ活動などでかかわれるようになったのはよいのですが、全体での発表の場面の様子が気になります。常に授業者に向かって発表し、聞いている子どもたちも発表者を見ようとしません。もっと言えば、発表を受けて授業者がすぐに説明したり、板書して整理したりするので仲間の発表を聞く必要がないと思っているように見えます。こういう状況が続くと、グループでの話し合いの結果が授業に反映されないので、グループ活動と全体での追究場面の連続性がなくなってしまいます。グループ活動は取り敢えず考えを発表するだけの場になってしまい、楽しく雑談する息抜きの時間になってしまいます。その傾向は既に現れ始めていて、グループ活動の後半に子どもたちのテンションが上がる場面に何度か遭遇しました。発表に対して、その考えに対してどう思うかを聞いたり、同じ考えの子どもにも発表させたりして子ども同士をつなぎ、考えを整理し深めることが必要です。
この日相談した1年生の学年主任も子どもをつなぐことを課題として感じていました。意見ならつなぎやすいのですが、正解がはっきりある問題の時が難しいと感じられていました。単に正解の確認をするのであれば、「正解!」「他の答は?」と授業者が正誤を判断するのではなく、「あなたは?」「あなたは?」と何人もテンポよく指名して「他の答ない?これでいい?」と子どもたちに判断を委ねるとよいでしょう。グループで相談して答を考えたような場合は、答そのものではなくどのようにして考えたか、どんなことが困ったかといった過程を聞いてつないでいくとよいと思います。
また、新学習指導要領になって、主要な教科で単位数が減ったため、授業が進まないことにも頭を悩ませていました。基本的に授業時間内では教室でなければできない活動に絞り、それ以外は個別に学習するという方向で考えています。個別学習のための学習課題や資料等をクラウド上に準備し、自由に使えるようにしていますが、それを使って主体的に学習できる子どもと、できない子どもに分かれてしまっているのです。子どもたちはタブレットを使いこなすことができます。そこで、家庭での学習をクラウド上で行うようにすることを提案しました。リアルタイムで互いの学習状況を共有するツールもこの学校では導入されています。こういった機能を上手く使って、子どもたちがクラウド上に集まって、課題に取り組んだり、相談したりできる時間と場所を設定するのです。決められた時間にクラウドにつなげば友だちと一緒に学習できるようにすることで、家庭学習を孤独なものから協働的なものに変えるのです。技術的問題も多少はあると思いますが、是非実現してほしいと思います。

高校1年担当の先生方は、新学習指導要領に対応するために様々な工夫をされています。例えば国語では、定期試験の問題を授業で扱っていない文章を題材にしています。私は読解力をつけるためには読んだことのない文章で試験をすることを提案していますが、実際に実行するとなると、とてもたいへんであることもよくわかっています。この変革を決断した先生方に素直に敬意を表します。高校1年を中心に学校内に新しい波が広がって行くことが期待されます。

中学校では、学校に慣れてきたのか、1年生がとても楽しそうに友だちとかかわる姿が見られました。休み時間によくしゃべったり、遊んだりしていますが、授業が始まってもしばらくごそごそと落ち着かない場面もありました。たまたま見た英語の授業で、開始の挨拶が終わっても子どもたちの声が収まらず、どうなるかと心配になりました。ところが授業者がこの日使う教材の入った袋を手にした途端に、子どもたちが一気に授業者の手元に集中しました。この切り替えができるのは素晴らしいと思いました。授業者の一挙手一投足に集中しないと授業についていけないことを子どもたちはよくわかっているのです。子どもたちの持つポテンシャルの高さを感じるとともに、それを引き出す教師の力量の大切さを改めて感じました。
中学校では、よく反応してくれる子どもが一定数います。授業者としては、その子どもたちをうまく活躍させることで、授業を進めやすくなるのですが、その子どもたちとだけでやり取りをしてしまう傾向があります。よく反応する子どもは教師に相手をしてもらうとテンションが上がる傾向があります。授業者もそれにつられてテンションが上がり、しゃべる量も増えていきます。その一方でそのテンションについていけなくなって、授業に参加できなくなる子どもが増えていきます。これはとても危険な状態です。子どもの発言を全体で共有し、全員が参加することを意識した授業づくりが大切です。
子どもたちが落ち着いて授業に参加しているのですが、その一方でこの授業内容でよいのかと思う場面も多くありました。
例えば、穴埋め式のワークシートを配って、その穴埋めを授業者が解説しているような授業がありました。先生が一方的に大きな声で話しているのですが、その説明についていけない子どもの姿が見られました。説明がよくわからなくても、穴埋めの答が得られればとりあえず困らないので、その答をワークシートに書き込むことに専念してしまいます。子ども自身で考え判断するような場面がないのであれば、質のよい学習動画を見せる方がよほど効果的です。
中学1年生の数学では、自然数、整数、(実)数が四則演算について閉じているかどうか考える問題を扱っていましたが、これをきちんと考えて整理するのは中学校の範囲ではとても難しいことです。授業者は、反例を使って閉じていないことを説明しますが、閉じていることの説明は難しいので、感覚的に「なりそう」で済ませます。中学校の学習範囲で子どもたちが納得できるような説明は、何を根拠にすればよいのかといったことを考えていません。また、それ以前に説明を考えるための根拠となる、自然数や、整数、数の定義の難しさと、それを中学生レベルでどう説明するかも意識できていませんでした。そもそも、これらの正確な定義を知らなかったのです。厳しい言い方ですが、授業者が定義をきちんと理解していなければそれを子どもたちに納得できる説明ができるはずもありません。中学校では数を数直線と対応させて教えます。その意味を授業者が理解していれば、子どもたちの感覚を少しでも数学的なモデルに落とし込むことが可能になったはずです。その方法でなければならないというのではありませんが、そういった選択肢が増えることで、子どもの状況に応じた授業の進め方の幅が広がるのです。
中学2年生の家庭科の授業では、幼児の心と体を成長させるための遊びを考えさせようとしていました、授業者は子どもたちに考えさせることを大切にしていますが、ただ考えなさいでは考えることはできません。考えるための手掛かりになるものが必要です。家庭科では子どもたちの過去の経験が活用できることがよくあります。自分が小さい時にどんな遊びをしてきたかをたくさん出させ、それがどのような成長につながったかを考え整理するというステップを先に踏むとよかったと思います。

学校全体でICTの活用は進んでいますが、ただ使うのではなく何をねらっているのかを明確に意識する必要があります。例えば、アナライザーソフトの使い方です。このソフトはこちらが準備した質問や問題を提示して、子どもが端末から選択肢を選ぶと、どの回答がどれだけあったかをその場で確認できるというものです。国語の歴史的仮名遣いの読みで使っている授業がありました。前回の授業で子どもたちが思いのほか歴史的仮名遣いを読めなかったので、確認のために歴史的仮名遣いを表示して、その正しい読みを選ばせるというものでした。問題を表示してから回答まで、かなりの時間(10秒以上)待つように設定されていましたが、これは知識の問題で、時間を与えて考えさせてもあまり意味はありません。覚えていればすぐに答えられますし、覚えていなければ感で選ぶしかありません。時間をかける意味はありません。また、選択肢を見て答を見つけることができても読めるかどうかはわかりません。文字による選択肢はちゃんと読めるかどうかの確認には向いていないのです。フラッシュカードでテンポよく声を出させる方が定着を含めて効果的です。ねらいと効果の関係を意識してICTを活用してほしいと思います。

新学習指導要領への対応について、想像以上に真摯に取り組んでいることを感じました。この1年で多くの実践とノウハウが溜まることが期待されます。次回の訪問も楽しみです。
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