1.30 150周年記念行事を終えて(校長より)地域づくり協議会の平林哲也さん(元 本校校長)に「黒田小の歴史について」、高知犬(元 高知ファインティングドッグス)取締役の梶田 宙さんに「夢をかなえる」という記念講演を行っていただきました。 その後記念動画(本校の保護者に作っていただきました)を視聴して、校歌を歌いました。 あいさつの中で、この150年もの伝統ある本校に赴任できたこと、そしてかわいい子どもたちに出会えたことのうれしさを冒頭で伝えました。 この式典を通して、子どもたちには「この歴史のある黒田小学校に通っていることをしあわせに感じてほしい」ということ、先生方には「この学校は、平林さんをはじめ地域の方が本当にあたたかく支えてくださっていること」「『先生』を続けていると、教え子がこんなふうに立派になって助けてくれるようなうれしいことがあること」を感じてもらいたいと話しました。 本来なら、地域の方も大勢来ていただいて、いっしょに150年をお祝いするべきなのですが、このような縮小した形でしか行えず残念です。 黒田小学校の歴史の重みを感じながら・・「夢」を大事にする子どもたちがのびのびと育っていけるようにがんばります。 1.30 ICCの放送予定です1月31日(火) 17:00 19:00 21:00 23:00 2月1日(水) 7:00 9:00 11:00 13:00 15:00 1.30 150周年記念式典(3年生)校歌もしっかりと歌え、みんなで黒田小学校の150歳をお祝いしました。 1.30 音訓かるた(3年生)とても盛り上がりました。 1.30 黒田小150周年記念行事 2年生昔の黒田小学校のことや、将来の夢についてのお話を聞きました。 黒田小のこと、よくわかりましたね。 みんなはこんなに歴史のある黒田小学校に通えて幸せです。 これからも学校生活、頑張りましょうね。 1.30 黒田小開校150周年記念式典(4年生)
今日の2・3時間目に「黒田小開校150周年記念式典」が行われました。
4年生は、教室で参加しました。 講演を聞き、動画を視聴し、最後はみんなで校歌を歌いました。 これまでの歴史とこれからの夢を大切にしてほしいです。 1.27 今日の給食
今日の給食は、
きしめん 五目きしめん(汁) 牛乳 鶏肉とごぼうの甘辛いため でした。 きしめんも愛知県の郷土料理です。平らな形が特徴的ですね。 鶏肉とごぼうの甘辛いためは、粉をつけて油で揚げた鶏肉と、素揚げしたごぼうを甘辛のたれでからめて作ります。彩りの枝豆がきれいで、食欲をそそります。 1.27 はじめの いっぽ(1年生)
(1〜4枚目の写真)図画工作「のってみたいな いきたいな」
クレパスで描いた絵の背景を絵の具でぬりました。色を混ぜたり、塗り方を工夫したりしました。完成した絵は、廊下に掲示します。 (5・6枚目の写真)体育「ボールけりゲーム」 ボールタッチやパス、ドリブルの練習をしました。寒い中でしたが、みんな元気よく体を動かしていました。 1.27 図工(4年生)車本体は全員同じ物を使用していますが、選んだ材料や工夫の仕方のちがいによって一人一人個性あふれる作品が仕上がってきています。 1.27 150周年記念行事に向けて(校長より)今日は「75歳」の方の思い出です。 「昭和天皇お召し列車の思い出」 黒田小学校前の東海道線は、昭和31年に電化されるまでは蒸気機関車、今でいうSLが走っていました。自分は確か3年生の時であったと思います。 電化される事は以前から話題になっていたので電化当日、今は学区変更で閉じられている東門(当時の正門)前で級友たちと、どんな列車が来るのか待っていると、煙の出ない電気機関車が客車を牽引して来たのを見て、皆で列車に手を振ったのが昨今のように思い出されます。 黒田小学校は東海道線の沿線にあるので、年に1〜2回、国体や植樹祭で昭和天皇のお召し列車が通ります。それをお迎えするため、全校生徒が線路沿いに整列し、お召し列車の通過時、校長先生の合図で万歳三唱をしたものでした。 東京方面から来るお召し列車は、普段見ている真っ黒なSLではなく、ピカピカに磨き上げられた赤銅色で、前部の日の丸が今でも強く印象に残っています。 お召し列車は一瞬の通過ですが、天皇陛下は車窓より毎回手を振ってくださっていたのが見えました。 当時は現在の少子高齢化社会とは逆で、1クラス約50名の定員で、6年生の時は6クラスあり、校歌も「1,500の我々は〜」でした。 昭和34年9月、6年生の時です。伊勢湾台風が東海地方を通過し、木曽川町も甚大な被害を受けました。台風の通過時が真夜中の事で、大きく家が揺れ、朝まで生きた心地がしなかったと当時の仲間とこの話題はつきません。 当時、各先生が「このような大災害は生涯で一度あるかどうかなので、あなたたちが大人になったとき、語り継いでいきなさい。」と言われた事が記憶に残っています。 【写真1:お召し列車 2:昭和61年、愛知県での鉄道開通100年のイベントで名古屋〜木曽川間にSLが走った 3:昭和31年ごろの黒田小学校 写真下に東海道線の線路が見える】 ※伊勢湾台風の話は、わたしも亡くなった母からよく聞きました。台風の怖さを知らない頃でしたが「そんな怖い思いはしたくないな」と思ったことを覚えています。 月曜日は、いよいよ記念行事があります。地域の方や保護者のみなさまに来ていただけないことは残念ですが、ICCの取材が入りますので、少しはご覧いただけるかなと思います。 思い出を寄せていただき、ありがとうございました。今後ももしありましたら、いつでも学校へ知らせてください。紹介させていただきます。 1.27 たまてばこさんの読み聞かせ中間放課には、たまてばこさんの読み聞かせがありました。 寒い中でしたが、みんな大喜びでした。 ありがとうございました。 1.27 ミシンに挑戦!(5年生)「えーっ!」 「90度に曲がります」 「ええーっ!」 とっても反応がかわいらしい・・。 お手本の動画を見ながら、ミシンの音に合わせて体でリズムをとっている子たちもいました。 今はまだ「空縫い」ですが・・もうすぐ糸を通してやります。 がんばってね! 1.27 図画工作(3年生)「顔よりも足の方が短くなっちゃってますよ!」 「ほんとだ!なおそ!」 先生のアドバイスを聞きながら、一生懸命取り組んでいました。 上手にできるといいね! 1.26 ものさしを使って 2年生1.26 見守られて登校(PTA)1.26 音訓かるたを作ろう(3年生)1.26 今日の給食
今日の給食は
ごはん 牛乳 ひきずり めばるのあんかけ みかん でした。 今日は、『旬を味わう日』です。冬においしい白身魚の「めばる」や、「温州みかん」を味わいましょう。愛知県の郷土料理である、鶏肉を使ったすきやき「ひきずり」など、冬を味わえる献立でしたね。 1.26 はじめの いっぽ(1年生)
(1・2枚目の写真)図画工作「のってみたいな いきたいな」
絵の具で、背景に色をつけました。色を混ぜたり、塗り方を工夫したりして、丁寧に塗り進めていました。 (3・4枚目の写真)算数「大きい数」 100をこえる数を数えたり、書いたりしました。 (5・6枚目の写真)国語「たぬきの糸車」 文章を読んで、おかみさんやたぬきの気持ちを考えました。 1.26 150周年記念行事に向けて(校長より)今日は「68歳」の方の思い出です。 「国鉄『踏切番』の思い出」 黒田小学校の南東には、銀座通りとJR(昔は国鉄)東海道本線が交わる踏切があります。 現在の学区制度では、この踏切を渡る黒田小学校の子はいません。 私の小学生の頃は、現在の木曽川東小学校の校区も黒田小学校の校区でした(のちに、黒田小学校から分離したのが木曽川東小学校です)ので、南黒田地区の子どもたちの多くは通学路としてこの踏切を利用していました。 現在の踏切は、通過する列車が近づくと自動で鳴る警報機、自動で開閉する遮断機が設置されているのが当たり前ですが、当時はそうではありませんでした。 ここは、木曽川町の中でも交通量が多い踏切の一つであることは、今も昔も変わりません。 ではどのようにして、頻繁に通る列車と自動車や歩行者の安全を確保していたのでしょうか? この踏切には、常時、「踏切番」と言われる人がいたのです。 そして、踏切の北東脇には、「踏切番小屋」が建っていました。 列車が近づくと、「踏切番小屋」に合図が来ます。 今となっては記憶が曖昧ですが、確かブザーが鳴り、ランプが点るようになっていたと思います。 「踏切番」の人は、その合図に従って大きなハンドルを操作し、手動で遮断機を下ろします。 今のような道幅半分の長さの棒ではなく、線路と並行に張った道幅いっぱいの長さの吊り下げ式遮断機を上下するのです。 踏切を渡る人や自動車の動きを見定めながら、遮断機を上下するのです。 時には、線路に取り残されそうな人もいました。 この「踏切番」の人の仕事は、子どもながらに「たいへんだなあ〜」と思って見ていました。 私は、登下校時や学校に遊びに行く際は、必ずこの踏切を通らなくてはなりませんでした。 しかし、この踏切で止められることは嫌いではありませんでした。 この「踏切番」の人が、てきぱきとハンドル操作をしている姿が格好よく感じていたからです。 学校の放課時間にも、運動場からその仕事ぶりをよく眺めていました。 時々、蒸気機関車も煙を吐きながら通る時代でした。 また、何十両もの長い貨物列車が通るたびに、何両連結しているのかみんなで声を上げて数えていました。 今でも、この踏切を渡る機会がよくあります。 そのたびに、当時の「踏切番」の人が格好よく働く姿が懐かしく目に浮かびます。 2枚目の写真の赤い〇のところに、いちばん下の写真のような「踏切番小屋」がありました。 ※この学校へ赴任した時に「電車が好きな子たちは、毎日うれしいだろうな」と思いました。(けっこう電車が好きな小学生は多いので・・) 予想通り、「校長先生、もうすぐ新しくなった『しらさぎ』が通るよ!」とか、「貨物列車って全部荷物が積んであるわけじゃないんだよ」とかうれしそうに教えてくれた子たちがいます。 電車がとおるたびに、遮断機を上げ下げする「踏切番」・・そんなお仕事をする方がみえたのですね。知りませんでした。うっかり踏切番小屋で居眠りでもしたら、たいへんなことになってしまうな・・と、そんな心配をしてしまいました。 1.25 150周年記念行事に向けて(校長より)今日は「62歳」の方の思い出です。 「私の思い出」 私が黒田小学校に在籍していた当時は、北側に低学年教室用の平屋の木造校舎があり、これぞ昭和という風情で読み書きを習っていました。 また、JR(当時は国鉄)の踏切近くに歩道橋が設置され、通学路が大きく変更されました。 安全ですが遠回りの通学路となり、たくさん歩いた思い出があります。 3年生のとき、私のクラス3年5組では、帰りの会のときに、「今日のがんばったさん」というメニューがあり、毎日一人ずつがんばった人が選ばれ、教室にあった木製の馬にまたがり、みんなから拍手してもらえる時間がありました。 1年間あればクラスメートの全員が一度はまたがることができるように担任の先生は配慮していたのですが、なぜか自分は一度も選ばれませんでした。 たぶん先生は自分がとっくに選ばれていることだろうと思い込んでいたのではないでしょうか。 「馬に乗れなかった」ということをみんなに知られるのが恥ずかしくて最終日まで言えず、さみしい思い出となりました。 4年生のとき、私のクラス4年5組では、授業時間に余裕があると、担任の先生はよく「みんなで地図上の地名を探そう!」と言って、みんなの知らない本当に無名の場所を、地図上で場所を探し当てることをしました。 級友と競争し合いながら地名を探し、大いに盛り上がった思い出があります。 そのおかげで社会科の学習が好きになりました。 ※こういう思い出を読ませていただきながら、自分の教え子たちはどんなことを覚えていてくれるのかなと考えます。教え子の中に「先生が『踊りがすごい上手!』ってほめてくれたから、劇団に入りました!」という子がいます。自分のひとことがそんなふうに子どもたちに影響を与えてしまうんだなと驚き・・どの子にも必ずある「キラッとひかるいいところ」を伝えるようにしようと今でも思っています。 |
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一宮市立黒田小学校
〒493-0001 愛知県一宮市木曽川町黒田字古城26番地2 TEL:0586-28-8740 FAX:0586-87-3249 校長 柴田 泰子 ★他サイト及び紙・電子問わずあらゆる媒体への無断転載を禁じます★
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