最新更新日:2024/11/21
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ともに生きる

ちょっといい話

   初産で感じる母親の気持ち 

 実家に、84歳のばーちゃんがいる。口も手足も達者なので元気なのはいいのだが、ボケが進んで、もうほとんど普通の会話は期待できない。
 最近、ちょっと立て続けに実家の母に娘(五カ月)を預けることがあり、ばーちゃんにも何回か会った。ばーちゃんは、私のことはほとんど覚えてないけど、娘のことは覚えてるみたいに話す。「このあいだより大きくなったなぁ」とか「今日の服は前のより似合ってるなぁ」とか。ボケはじめてから、ちょっと癇癪もちみたいになってたばーちゃんだから、「子どもには愛想いいんだな」とか、「自分のひ孫だって理解してないんだろうな」とか、いろいろ思った。するとおばーちゃんは私に向かって、「子どもがおったら、自分のことが何にもできんで大変やろ」とか、「家事なんかそこそこでいいんや、子どもの面倒さえ見てたらええ」とか、「この世に産み出したのはあんたや、あんたはエライよ」とか、「今たいへんかもしれんけど、もう少ししたら楽しいと思えるようになるから、がんばりよ」とか、何かとても優しいことを、たくさんたくさん言ってくれた。旦那は育児にノータッチで、緊急帝王切開だったからいろいろ自分もたいへんで、そんな中、育児に奮闘してたから、ばーちゃんの言葉がすごく沁みた。
 ボケてわがままになって手がかかるばーちゃんだと思ってたけど、ばーちゃんも子どもを4人育て上げた中で、いろいろ苦労があったんだろう。昔は今より家事もラクじゃなかっただろうし、ばーちゃんは戦時中にも子育てしてたから、よっぽどだったろう。それでも、初産で感じる母親の気持ちは、共通のものがあるんだなあ。すごく感慨深くなった。

今日のお話 4月12日(火)

   津田梅子の名言

 真理は、見ることを拒まなければ、
 私たちの誰の魂の中にも明りを灯すでしょう。
 その明りは、私たちの
 浅薄な才能、
 卑しい意地悪、
 利己心、
 虚栄や嫉妬などを
 照らし出し、
 他人のなかにあるよさを見せてくれます。

ちょっといい話

   クレヨン

 長女(当時4歳)が幼稚園の行事の参加記念品だか、で箱に入ったクレヨンのセットをもらってきた。ところが、事もあろうにその日の夕方、見事に全部折っちゃった。当然うちの嫁は激怒、叱られて長女も大泣き。
 それで、「お前、なんであんな事したんだよ?」と聞いてみたら、「○○ちゃん(次女、当時2歳)と ヒック、クレヨン、半分こするってヒック、約束したんだもん、ヒック」と答えた。思わず長女を抱きしめた。
 翌日、どこから持ってきたのか透明な容器に半分に折られたクレヨンがきちんと全色分しまってあるのを見て、ちょっと目の潤いが多くなってしまいました。

廊下の掲示物等 4月11日(月)

 子どもたちがほっとする空間になるよう、廊下に掲示物等や花瓶の花等を置いています。

 掲示物の一つに城東中学校の卒業生で、「英国の湖水地方に住んでいて、画家として活躍をされている祖父江秀之」さんの紹介記事がありました。

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3時間目の授業 4月11日(月)

 3時間目の授業

 1年生、3年生はテスト、2年生は身体測定を行いました。
 身体測定が早く終わった生徒は、健康手帳への記入や自己紹介カードの作成を行っていました。

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1時間目 4月11日(月)

 1時間目は、学級写真の撮影を行いました。


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今日のお話

   津田梅子の名言

 高い志と熱意をもち、

 少数だけでなく、

 より多くの人々との共感をもてれば、

 どんなに弱い者でも

 事を成し遂げることができるでしょう。

食物アレルギー対応委員会・いじめ不登校対策委員会

 14時30分から「食物アレルギー対応委員会」、15時30分から「いじめ不登校対策委員会」を全職員で行いました。

 「食物アレルギー対応委員会」では、エピペンの使い方を実習しました。
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ちょっといい話

   あたたかな小さい手のリレー

 私は、視覚に障害があります。平成17年に、仕事を休職して視覚障害者リハビリテーション施設で、復職に向けた訓練を1年間受けて復帰しました。白杖を持ってバスでの通勤でした。中途障害の為、当初は不安でいっぱいでした。会社に着くと、ほっとして緊張がほぐれて、何もできない状態、という毎日でした。朝の通勤に使うバスには、和歌山大学附属小学校の児童が乗っています。ある朝、「おはようございます」というかわいい声が聞こえました。「バスが来ました」また声が聞こえました。そして、私の腰のあたりに温かい小さな手があたりました。そして、バスの入り口前まで誘導してくれて、「階段です」と言い、背中を入り口方向に押し出してくれました。座席に座っている子に向かって、「席に座らせてあげて」と言ってくれました。感動です。私は遠慮しながら、「いいの?」と言うと、「座って」と返事が返ってきました。そして三年が過ぎ、その子も中学生になりました。でも妹が、その手引きを引き継いでくれて、私をバスに乗せてくれています。バスを降りる時も同じです。バスを降りると歩道を歩く私の腰を小さな温かい手で押してくれて、点字ブロックの上まで誘導してくれます。私は、大きな声で「ありがとう。車に気を付けてね」と言っていつも頭を下げます。
 そして、彼女も小学校を卒業しました。でも毎朝、背中を押して誘導する彼女を見ていた周りの子供たちにこの作業は引き継がれています。今では、誰かが背中を押す誘導をしてくれています。
 温かい小さな手の小さな親切が、次々と受け継がれています。
 あれから15年以上、私も退職まであと1年と半年、失明をした時は絶望のどん底でしたが、温かい手の小さな親切のリレーで、退職まで何とか頑張れそうです。この子供たちが私を通じて何かを知ってくれたかな、学校の勉強でない何かを学んでくれたかな、と毎日、通勤で温かい小さな手と共に感じております。
 誰かに教わるのではなく、誰かがはじめた親切、それを見ていた周りが、何も言わないのにやってくれる。なんてすばらしい国なんだ、と感じております。

一斉下校 4月8日(金)

 通学班集会終了後、校門付近に集合し、通学班担当が、危険箇所の指導等を行いました。
 その後、一斉下校をしました。
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今日のお話 4月8日(金)

   津田梅子の名言

 何かを始めることはやさしいが、

 それを継続することは難しい。

 成功させることはなお難しい。


□ 津田梅子 プロフィール
 父は幕臣で農学者となった津田仙。明治4年開拓使が募集した女子留学生の1人として、岩倉遣外使節団とともに数え8歳で渡米。初等・中等教育を受け、15年帰国。華族女学校教授になったが、22年再び米国に留学し、ブリンマー=カレッジの生物学選科生となる。25年に帰国後は華族女学校教授に復帰、のち女子高等師範学校教授を兼任。33年に辞職し、女子英学塾(後の津田塾大学)を創立して、英語教育や個性を尊重する教育に努め、女子高等教育の先駆者となった。

通学班集会 4月8日(金)

 3時間目終了後、通学班集会を行いました。

 1年生を拍手で迎え入れ、通学路等の確認を行いました。
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登校の様子 4月8日(金)

 今日の登校の様子です。

 大きな声であいさつができました。交通安全には十分気をつけてほしいと思います。
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学級開き

   4月7日(木) 7

 始業式の後、2・3年生ともに教室に戻り、旧クラスで配付物をもらいました。
新しい学級の発表の後、新しい教室に移動し、新担任のもと学級開きをしました。
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2・3年生 始業式

   4月7日(木) 6

 2・3年生の始業式を14時から行いました。

 生徒は、令和4年度最初の式にふさわしい、素晴らしい態度で参加できました。
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学級開き

   4月7日(木) 5

 入学式の後、担任の先生と一緒に教室に移動して、学級開きを行いました。
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入学式

   4月7日(木)

 入学式の様子です。

 新入生の初々しい姿が、城東中学校らしい温かい式にしてくれました。
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新入生 教室での様子

   4月7日(木) 3

 早く登校した子どもたちから、新しい教室で待機をしていました。
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新入生 登校

   4月7日(木) 2

 新入生の子どもたちが、保護者の皆様と一緒に登校していきました。

 クラスを確認して教室に移動します。
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入学式 朝

   4月7日(木) 1

 入学式前の朝の様子です。
 新2・3生の生徒が4月5日(火)に入学式に向けて準備をしました。
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犬山市立城東中学校
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