全員参加の授業を目指す
小学校の現職教育で授業アドバイスとミニ講演を行いました。
緊急事態宣言は解除されましたが、全員が一つの教室に入ると密になることから、公開授業は学年や管理職などの一部の先生だけでの参観となりました。授業を見あうことは互いの学びにつながるので、早く全員参加で授業参観ができるようになることを願っています。 授業は4年生の算数、L字形の面積を求める授業でした。 教室は長方形、正方形の面積の求め方の確認から始まりました。「覚えている?」と問いかけても、手があまり挙がりません。授業者が何度も繰り返して問いかけることで、次第に挙手が増えてきました。子どもたちをできるだけ参加させようという姿勢を感じます。一人指名して終わらずに、もう一人指名しましますが、そこで「そうだね」と正解かどうかを授業者が判断して終わりました。せっかく挙手が増えたのですから、もう何人か指名するか、まわりと確認させた後で、自分たちで判断させたいところでした。面積の求め方を「縦×横」「一辺×一辺」と言葉で説明させますが、大切なのは公式と図とがきちんと連動できていることです。長方形であれば、縦長のもの、横長のもの、斜めに置いたものなどで、「縦ってどこ?」、「どことどこの長さをかけるの?」と問い返したり、正方形であれば一辺がどこのことなのかを確認したりすることが大切です。直交する2つの辺の長さが等しいから「一辺×一辺」となることを図で押さえることが必要です。 L字形の図を示し、面積を工夫して求めようと課題を提示して自力解決をさせますが、いきなり自力解決なので、手のつかない子どもが目立ちます。授業者は机間指導をしますが、目の前の子どもに集中して全体を見ないので、質問しようとして挙手している子どもに気づけません。見通しを持てて取り組んでいる子どもへの声かけが中心で、手がついていない子どもは取りあえずそのままにしていました。手のつかない子どもが多いことに気づいたので、いったん作業を止めてヒントとして「線を引く」を与えました。これはこの問題を解くヒントになりますが、子どもたちが線を引くことに気づけるようになることにはつながりません。問題に取り組む前に、「正方形や長方形の面積は求められる」ことを意識させ、L字形はそのまま求められないので、工夫が必要であることを共有することが必要です。「困ったことない?」と問いかけ、「このままでは公式が使えない」「長方形がない」と言った言葉を引き出し、図形をはさみで切ったことや組み合わせたことを想起させると言ったことをするとよかったと思います。 先生に質問することができる子どもが多くいて、先生との関係のよさを感じますが、先生にではなくまわりの友だちに助けを求められるようになることを意識してほしいと思います。個別に教えるのではなく、「聞いてごらん?」とまわりの子どもとつなぐことが大切です。 全体でヒントを出しましたが、手がつかない子どもが目立ちます。L字形を長方形に分割できても、そこから進まない子ども、間違える子どももいます。教科書の流れはL字形の辺の長さを示さずに、見通しをもたせ、どこの長さを調べるかを考えさせて面積を求めるようになっています。しかし、授業者は見通しを持たさずに、辺の長さも一部しか示していません。縦に線を引いて分割するやり方以外では、必要な辺の長さを求めなければ面積を計算することはできません。子どもたちにとっては、「線を引いて長方形や正方形を見つける」「面積を求めるのに必要な辺の長さを求める」とハードルが2か所あるのです。 正方形や長方形に分割して面積を求めた3人と、全体を囲う長方形を見つけてそこから小さい長方形をひいて求めた子どもを指名し、小型のホワイトボードに解答を写させて発表させました。いきなり解答の発表してしまうと、手のつかなかった子どもは自力解決の機会がなくなります。まずは図だけを共有することでどの子どもにも見通しを持たせ、もう一度問題に取り組む時間を与えてほしいと思います。 黒板にホワイトボードを貼って、自分の席から説明をさせますが、子どもたちからはホワイトボードは小さいのでよくわかりません。ノートやワークシートを実物投影機で映せば大きく見せられますし、時間を節約することもできます。比較したいのであれば、一人一台の環境を活かして、写真に撮ったものをスクリーンで複数を並べて表示したり、配信したりするといった方法もあります。こういった場面でICTを活用するとよいと思います。 発表者は授業者の方を向いて一気に説明しますが、自力で解くことができなかった子どもたちは説明についていけません。一人説明が終わるとすぐ次の子どもの説明に移りますが、聞いている子どもたちは発表内容を消化する余裕がありません。こういう場面では、発表者の説明を途中で止めながら、他の子どもに「○○さんのここまでの説明わかった?」「○○さんの考えをもう一度代わりに説明してくれる?」と理解できたかを確認しながら、聞いている子どもと発表者の考えをつなぐことが必要です。発表者は、説明が言葉足らずでも授業者が理解し補足してくれるので、みんなに伝わるように説明することを意識していません。他の子どもも、発表は授業者が発表者の発言を評価する場であって、あとから授業者がわかりやすく説明してくれるので、発表内容を理解する必要を感じていません。できる子どもたちだけが活躍し、わからない子ども、困っている子どもが活躍する場面がない授業になっています。わからなくても、授業に参加して友だちの発言を聞いていれば、活躍できるように変えていく必要があります。 授業者が子どもを活躍させたい、全員参加させたいと思っていることは伝わっています。多様な考えを認め合わせたいとも思っています。そのためには、自分の求める答を発表させて授業者が説明する形ではなく、困っていることから出発して、解決する過程を共有するという授業構成にすることが必要です。是非挑戦してほしいと思います。 検討会では、参加した先生に授業のよさを発表していただきました。教室の雰囲気のよさや、机間指導をしっかりしていたことなど、学級のよさや授業者が大切にしていることに気づいてくれていました。参観した方にとっては、学びの多い授業だったと思います。 私からは、自力解決の場面での指導の仕方や発表のさせ方などを皆さんにお伝えしました。 今回、「学力差のある子どもたちの指導」と「書く力をつける指導」についての講演を依頼されました。「学力差のある子どもたちの指導」については「個別指導に走らないこと」「個人差を認めて、一人ひとりが今より進歩すること」「子どもたちを信じて、子ども同士で学び合うこと」「子ども自身が自分で学びを選択すること」を、書く力をつける指導」については、「たくさん書かせること」「書くことへの抵抗を減らすこと」「内容についてていねいに添削、指導をしようとして教師の負担を増やさないこと」「内容より形式を大切にすること」をお話ししました。限られた時間だったので、きちんと伝わったかどうか不安ですが、先生方の参考になれば幸いです。 次回訪問時は、全員で授業を参観できるようになっていることを願っています。 GDMの書籍紹介
このブログで私が時々話題にしている英語の学習指導法GDMの書籍「GDMを知った、分かった、使えた!」が11月20日に発刊になります。
私がアドバイザーを務めているいくつかの学校でもGDMを取り入れていますが、子どもたちが頭をフル回転させながら授業に集中する姿を見ることができます。オウム返しに英文を繰り返しても子どもたちは英語を話せたとは思いません。しかし、GDMの授業では子どもたちが自分の頭で考えて英語を紡ぐので、たどたどしくても「英語を話した」と実感し自信をつけていきます。 これまでの教師が文法を教えるスタイルから、子どもたちが英語に触れながら理解していくスタイルへと授業を変えていくヒントがいっぱいです。豊富な具体例とノウハウで明日からすぐに実践できます。 英語教師、英語の指導法に関心のある方に一読を強くお勧めします。 全体の場で子どもたちが発言するようにするには
市内各校1名の参加による研修会で講師を務めてきました。3回構成の最終回です。
この日は、夏休みに模擬授業を行った中学校2年生の国語の授業を参観して、検討するものでした。この日は、延期されていた野外活動などと日程が重なり中学校の先生が参加できなかったのが残念です。 授業は「扇の的」で与一が平家の男に矢を放った時に、「あっ、射たり」と「情けなし」と言った人の気持ちを考えることが主課題でした。古典の世界になじむことを目標としていました。 授業者が担任をしている学級です。たくさんの参観者がいたのですが子どもたちの雰囲気は明るく、緊張を感じさせませんでした。授業者と子どもたちの関係のよさが伝わってきます。 最初に原文を音読しますが、子どもたちはマスク越しでもよく声が出せていました。日ごろから音読を大切にしていることがうかがわれます。 最初に与一が扇の的を射る場面での源氏と平家の位置関係の確認を行いましたが、子どもたちはあまり反応しません。簡単な問いかけなので答えるまでないと思っているのかもしれません。指名すれば答えてくれるはずなので、こういった場面では時間をかけずにテンポよく指名していけばよいでしょう。 続いて、扇を射ようとしている時の与一、義経の心情を問いかけますが、二人しか挙手していない場面でもすぐに指名します。主課題を考える時の手掛かりにもなる問いなので、もう少し考える時間を与えたいところでした。発言を受けて授業者が本文から根拠を探すように指示すると、子どもたちはすぐに動き出します。子どもたちが活動したので、登場人物の心情を考えるというねらいは達成されたように見えます。しかし、ここで気をつけてほしいのは、根拠を「探す」という発問は、発言者の答が正解なのだと子どもたちが考える可能性が高いということです。心情を考えるのではなく、与えられた心情の根拠を探すという、答探しの活動になります。自分の考えを持たせるためには、「本文のどこに注目する?」「気持ちがわかりそうなところに線を引いてごらん」と、まず本文に戻し、根拠から考えさせる必要があります。もし子どもたちが考えを持てているのに挙手できていなのであれば、まわりの友だちと心情と根拠となる文を合わせて確認させるとよいでしょう。 授業者は全体で根拠となる本文の箇所を確認したのに、黒板には結論の心情しか残しませんでした。根拠や過程をもとに考えることの大切さを、板書に残すことで意識させたいところです。 友だちとよく話し合える子どもたちでした。人間関係のよさを感じます。しかし、全体での発表になると特定の子どもしか挙手しないことが気になりました。授業者もこのことを課題と感じています。挙手に頼らず、反応した子どもを指名することもしているのですが、なかなか改善しないようです。 授業者が意図的に指名した子どもが即答できない場面がありました。即答はできないけれど一生懸命に言葉を紡ぎ出そうとしています。しかし、他の子どもたちは発言しようとしている友だちを見ようとはしません。授業者はこのことに気づいて、「話を聞いている?」と聞くことを促します。授業者に指摘されると子どもたちは素直に指示に従います。授業者は発言をしっかりと聞きながら、子どもの考えを整理しようとしました。一連の対応はとてもよいのですが、指名された子どもが一生懸命考えて言葉を発しようとしている姿勢を評価しませんでした。上手く答えられなくても前向きに発言しようとすることのよさを他の子どもたちに伝えるとよいと思います。「○○さんが言おうとしていることわかる?」「○○さんの言いたいことを説明できる?」と他の子どもとつなぎながら、うまく答えられなくてもまわりが助けてくれる、最後は必ずまわりから認められるという安心感を教室に作ることも意識するとよいでしょう。こうしたことの積み重ねで、子どもたちが全体での場での発言に対して前向きになっていくと思います。 また、特定の子どもしか発言しようとしない理由の一つに、発問に対してすぐに反応を求めることがあります。復習や知識などであればすぐに答を求めてもよいのですが、発言をもとに関連する質問をする時などは、考えたり調べたりする時間が必要になります。すぐに反応する子どもを指名してしまうと、どうしても即答できる子どもだけしか活躍できません。挙手した子どもに「ちょっと待ってね」と声をかけ、少しでよいので考える時間を与えたり、まわりと相談させたりするとよいでしょう。 自分の気持ちが「あっ、射たり」と「情けなし」どちらに近いかを、両端に2つの発言を置いた線分上の点の位置で示させます。今回はこれを一人一台のタブレットを使い、スクリーン上に重ねて共有しました(ポジショニング機能)。自分がそこに点を置いた理由をタブレット上に書くことで共有することも可能になっていましたが、書かれた内容を見合って考え合うことが、時間の関係できなかったのが残念でした。 道徳の時間によく使われる手法ですが、タブレットを使うことで素早く全員で共有することができます。道徳では、友だちの考えを聞きながら自分の立ち位置を変更することで話し合いを深めますが、この展開ではそれだけの時間は取れません。またとる必要もないでしょう。道徳では、登場人物を通して自分の気持ちと向き合うことが大切ですが、国語なので客観的に登場人物の気持ちを考えることの方が重要です。夏の模擬授業では、今の時代と比べるという視点を与えていたので、子ども役の先生たちは自分が登場人物の立場になって考えていました。今回はその視点を外したため、子どもたちは客観的にそれぞれの発言者の気持ちを読み取ろうとしていました。道徳だと他人事になってよくないのですが、国語としてはよい方向に作用しました。 中間の立場はほとんどなく、はっきりと分かれていました。それぞれの理由を発表させますが、その内容は「あっ、射たり」「情けなし」と発言した気持ちをどう読み取ったかになっています。「自分の気持ち」が「どちらに近いのか」という発問とは少しずれていたのでが、国語では、自分の気持ちを話し合うことにはあまり意味がないので、結果オーライでした。 子どもの発言を「めっちゃいい」と授業者が評価する場面がありましたが、具体的に何がよいのかを明確にしません。こういう曖昧な評価は危険です。特に道徳などでは子どもの感情に対して「よい」という評価は厳に慎むべきです。評価するのであれば、「○○さんの立場から考えたんだね」「この後どうなるかを考えたんだね」といった、考えた視点をほめるべきです。 「武士として」どうであったかという視点が子どもから出てきました。「あっ、射たり」は武士らしいというのです。授業者としてねらっていた言葉なので、ここを深めようとしました。「情けなし」の方が武士らしいという反対の意見も出てきて面白くなってきたのですが、どう思うかの気持ちなので議論しづらく、結局、「場面の状況で変わる」とまとめることになりました。「武士らしい」ということを議論するための根拠となる「武士らしさ」が明確になっていないため、考えを深めることができませんでした。武家文化に対する知識が求められます。知識として割り切るのであれば、教科横断の観点からも社会科の歴史の授業と関連づけるという発想もあったかもしれません。また、義経の気持ちを問いかけた時に、義経の武家の棟梁としての立場について意識的に深めておくとよかったのかもしれません。 授業者のねらいは、古典に興味を持つことや、当時の文化に興味を持ってもらうことだったので、その点は達成できた授業だったと思います。相談や、全体での話し合いで考えを深める力を子どもたちにつけるという視点では、何を根拠にする、何をつなげればよいのかといった点で、もう少し進め方を整理しておくとよかったと思います。 検討会では、3つのグループで話し合いましたが、授業者の学級経営や子どもたちの関係のよさ、相談する姿のよさなど、この授業からの学びがしっかりと話題になっていました。私からは、子ども同士では意見が言えるのに全体では発表できない点について、何が原因だと考えられるか、どう改善していけばよいかについて説明させていただきました。特に、「発言に正解を求めない」、「間違えても恥ずかしい思いをしない」、「答がわからなくても発言できる問いかけ」「発言することよりも聞くことを大切にする」といったことを中心に話をしました。先生方の今後の授業に活かしていただければと思います。 |
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