私立高等学校での公開授業(その2)
私立の中学校高等学校の授業公開週間の第4日目です。この日も高等学校を中心に授業を参観しました。
若手の先生の2年生の英語の授業は、授業規律を含め全体的に緩い授業でした。作業中に一部の子どもがすぐに友だちと話を始めますが、授業内容にかかわることよりも雑談が中心のようです。この子どもたちのテンションが高いのですが、授業者は特に注意をしません。次の作業を指示するまでその状態が続きました。 次の指示は口頭で一方的に説明され、途中で立ち止まって整理したり、板書したりしないので子どもたちの意識に残らず流れてしまいます。これでは徹底されません。先ほどのテンションの高い子どもたちが指示に反応するので、授業者はその子たち向けて説明してしまいます。他の子どもたちも授業に参加する意欲はあるのに、授業者は目を向けてくれません。よく我慢しているなと思いました。このような状態が続くと授業者に対する子どもたちの信頼がなくなってしまいます。今のところ子どもたちのよさに救われていますが、授業規律を意識しないとこの先授業が成り立たなくなってしまう危険性があります。 もう一つの2年生の英語の授業では、授業者が本文を読みながら順に指名して、指示したフレーズを日本語に訳させていました。この時気になったのが、授業者が手元のiPadを見ていて、子どもを見ていないことでした。当然指名された子どもも、顔を上げて授業者を見ようとしません。手元にiPadがあっても昭和の授業です。 日本語と英語が関連づけられたチェックシートを使ってペアで活動をします。一方が日本語言うと他方が英語に直すというものですが、ほとんどの子どもはチェックシートを見て答えています。この活動をペアでする意味は何なのでしょうか。フラッシュカードでの全体練習との違いがあまり見えません。 授業全体が、日本語と英語を対応付けて覚えることが中心でした。自分の言葉で英語を話す活動をしないと使えるようにはなりません。覚えるだけの英語から脱却してほしいと思います。 2年生の古典の授業は唐の時代の有名な人物や出来事を調べる場面でした。子どもたちが期待通りの答にたどり着くか不安なのでしょうか、授業者は作業中にずっとヒントになりそうなことをしゃべり続けます。結果、子どもたちの集中力を乱しています。しつこく言われるので、子どもたちは先生の求める答を探そうとするようになってしまいます。どうしてもヒントを伝えたいのであれば、事前に整理しておいたものを必要なタイミングでiPadに配布すればよいと思います。 調べる活動は何を目的としているのかを明確にしておく必要があります。単に、授業者が古典で重要な人物や背景となる事実を知ってほしいのであれば、教えてしまえばよいと思います。実際に子どもに調べさせた後、授業者がしっかりと説明していました。調べることに意味を持たせるのであれば、どのような人物や事件が古典として重要なのかを意識させることが必要です。その時代の詩や物語を調べて、「どのような事件が扱われ、どのような人物が登場しているのかを調べる」「その中で扱われる頻度が高いものを調べる」ことで、重要度が高いと思われるものがわかる。こういった戦略を持たせたいものです。 2年生の現代文は、随筆をもとに子どもたちに書かせた文章を返却する場面でした。作品に対するコメントの量や花丸のあるなしにはあまり意味がないということをかなりの時間を使って子どもたちに説明しますが、子どもからすれば言い訳としか聞こえません。そのことに授業の大切な時間を使う意味はありません。コメントの量に差がつくことが気になるのなら、コメントに頼らない指導方法を考えればよいのです。 子どもたちの作品に対する講評をするのですが、抽象的です。「よくまとまっている」と評価しますが、具体的にどこがどうだからまとまっているということは説明されません。これでは、子どもたちがよくまとまった文章を書こうと思っても書けるようにはなりません。できるようになるための方法を気づかせる場面が必要です。 続いて、もし自分がこの随筆の主人公ならどのような行動をとるのかを考えさせました。自由に考えて書くように指示しますが、これでは道徳です。国語であれば、本文と関連づけて考えさせる必要があります。「本文の記述から主人公はこのような考えを持っている」「それと対比して自分はどう考えるのかを具体的に述べる」といった条件を付けなければ国語力はつきません。国語でどんな力をつける必要があるのかをしっかりと考える必要があるでしょう。 2年生の現代社会は基本的人権について考える授業でした。身分制の問題をもとに授業者が平等とは何かを子どもたちに一方的に教えます。差があることの何が問題かを子どもたちにしっかりと意識させる必要があります。例えば、「努力して、勉強して、よい仕事について、しっかりと稼いだ人と勉強せずに遊んでばかりいて、貧しい生活をしている人と差があって当然でしょう?何がいけないの?」と揺さぶって、「平等とは何?」と子どもたちに考えさせたいところです。 憲法第14条(法の下の平等)を解説し、ワークシートの穴を埋めるように指示します。与えられた言葉ではなく、子どもたちが自分の言葉で「法の下の平等」とは何かを説明できるようにすることが大切です。穴埋めした言葉は借り物で、自分の言葉でありません。穴埋めしただけでは使える、活きる知識にはならないのです。 続いて、男女平等を取り扱いましたが、ここでは子どもたちに考える時間を与えます。子どもたちは身近に感じることができるのでしょう。積極的に考えようとし始めました。しかし、考えるための足掛かりになるものは授業者からは与えられていません。ネットで調べることもできますが、ここでは、子どもたちが「これはおかしい」とか「何が問題なんだろう」と疑問に思うような新聞記事などの資料を与えると考えが広がり、深まると思います。 また、子どもたちから意見が出てきても、それを受けて授業者がすぐに説明してしまいます。もっと子ども同士をつないで、子どもの言葉で授業を進めてほしいと思います。 1年生の世界史は日本が韓国を併合していく過程についての学習の場面でした。 日本からの借款について疑問に思ったことを問いかけます。グループで自分の考えを発表させると、子ども同士の関係がよいのか楽しそうに発表する子どもが目立ちます。発表が終わると拍手も聞こえます。その一方で友だちの話を聞くことにはあまり関心を持っていないようでした。聞く姿勢をきちんと指導していないようです。発表者が楽しそうなのは、聞いてもらえるからというよりは拍手で認められることの影響の方が多いように感じました。 友だちと共通の考え、意見をワークシートに書かせます。意見が一致しなかった人には自分が納得した意見を書くように指示します。そうであれば、最初からみんなの意見を聞いて自分が納得した意見を書くようすればよいでしょう。他人と同じであることに価値を見いだすことより、自分で納得できる考えを持つことの方が大切だと思います。 授業者は子どもたち自身の考えをもたせようとしているのですが、結局はワークシートの穴を埋めながら自分が用意した流れで説明します。これでは、子どもたちが自分で考える意味を感じなくなります。授業者が穴埋めの答を板書すると子どもたちは説明を聞くより写すことに専念します。せめて説明を聞いて自分の考えと比較することをさせたいところです。板書の内容はiPadに配布してしまえばよいと思います。紙のワークシートと板書にこだわる意味がよくわかりませんでした。 考えるための課題や知識を必要とする問いを意識してほしいと思います。単に歴史の事実を追っていくのではなく、「なぜそうした?できた?」、「その結果どうなる?」といったことを問いかけてほしいと思います。 1年生の英語は3人グループで活動していました。グループにしてから活動内容を指示しますが、子どもたちの顔が授業者に向きません。指示はできるだけグループにする前にしておく方がよいでしょう。 穴埋めの形式のワークシートを個人作業しますが、問題ごとに全員の穴が埋まらなければ次の問題に進めないルールです。そのため、穴を埋め終わった子どもは次に進みたいので、できていない子どもに教え始めます。できた子どもが一方的に教えるのではなく、わからない子ども、困った子どもが教えてと言ってから初めて教えるようにしたいのですが、このルールでは難しくなります。せめて、答ではなく本文のどこを見るとよいといったヒントに留めるようにしてほしいと思います。 グループを指名して答を発表させますが、だれも発表者を見ようとはしません。発表の後、授業者が大きな声で説明してくれるので聞く必要はないのです。授業者が「いいですね」と正誤を判断するので、子どもたちはどうしても先生の求める答探しになってしまいます。最後スクリーンに答を映しますが、子どもたちはそれを見て○をつけていました。答を見て○をつければよいので、途中の活動の意味がなくなります。親切にしないことも大切なことと意識してほしいと思います。 1年生の現代文の授業はグループ活動をしていました。ここで気になったのは授業者のかかわり方でした。グループで子ども同士がかかわり合っているところに割って入ってしまうのです。結果その場の流れを授業者が持って行ってしまい、子ども同士のせっかくのかかわり合いが壊れてしまいます。 また、子どもを指名して答を板書させる場面がありました。一人一台のiPadがあるのですから、これは時間のムダです。環境を活かすことを意識してほしいと思います。 1年生の数学は確率の排反事象、積事象の授業でした。単純に和になる時、積になる時とパターンを覚える子どもが多いのですが、なぜそうなるのかがよくわからない子どもは、和か積か混乱することもよくあります。授業者はていねいに説明しますが、それだけで子どもが理解できるわけではありません。そこで、「確率が和になる問題、積になる問題をつくる」という課題を出しました。時間の関係でこの続きを見ることはできませんでしたが、子どもたちがつくる問題のありようで理解度が変わっていくので、どんな問題がつくられたが気になりました。教科書の問題を少し変えただけの類題であれば、結局はパターンで覚えることになってしまいます。身近な事象を問題にすることができれば確率の計算の意味を理解することにつながるはずです。クイズ番組、選挙、何でもいいので、身近なテーマを与えて問題をつくらせるとよいでしょう。子どもがつくった問題が排反事象なのか、積事象なのか、そのどちらでもないのかといったことを説明し合うような活動も入れたいところです。 4日間中学校、高等学校で授業を見ましたが、先生方が子どもたちのよさに助けられていると感じました。一方的な授業でも子どもたちがよく耐えてくれるので、工夫をしなくても破綻しないのです。もちろんその一方では、これからの時代に即した教育に挑戦している先生もいらっしゃいます。このままだと先生方の授業が大きく分かれていく心配があります。学級数の多いコースを2つの集団に分けて3年間別々に学級編成をすることになりましたが、先生方を一つのチームとして機能させるための施策です。互いに授業を見合って、意見を交換し刺激を受けて、よりよい授業を目指すような教師集団に変わっていくことが必要です。多くの主任はこのことの必要性を感じていると思います。主任たちミドルリーダーが、先生方のチーム意識が広がるような動きをしてくれることを期待しています。 私立高等学校での公開授業(その1)
私立の中学校高等学校の授業公開週間の第3日目です。この日は高等学校を中心に授業を参観しました。
3年生の体育は選択で行われています。基本的に先生方は自分の得意な種目を教えるので、指示や練習の内容が的確だと感じました。 バドミントンでは、授業者がプレーを見せながら具体的にポイントを解説します。子どもたちが集中している姿から、上手くなりたいという意欲を感じました。続いてペアで打ち合う練習をするのですが、声が聞こえてきません。プレーに集中していて余裕がないのかもしれませんが、声をかけ合ったり、よいプレーをほめあったりといったコミュニケーションは必要だと思います。子どもたちが互いに学び合うためにも、コミュニケーションをとることを意識させることが大切です。 野球は試合を行っていました。ここでも子どもたちの意欲の高さを感じました。攻守交替の場面では素早く動きますし、攻撃チームのバッター以外もしっかりと試合に集中しています。声もよく出て、とてもよい雰囲気で試合は進んでいました。どのようなプレーを目指して試合をするのかを子どもたちが意識しているのかは外からではわかりませんでした。守備や攻撃に入る前にチームでプレーを確認する場面があるとよいと思いました。 女子のダンスはチームごとで練習をしていました。iPadで撮影した自分たちのダンスをチーム全員で見ながら修正していたり、互いのダンスを見合ってアドバイスしたりと練習の仕方はチームによって違います。iPadの画面を見ることで、動きを確認して踊っているチームもありました。この授業では、iPadが子どもたちの道具として自然に使われています。チームごとに自分たちで練習の仕方を工夫していることが印象的でした。 授業者がところどころ個別に指導していましたが、チーム間でアドバイスをし合ったり、練習の過程を共有したりする場面をつくるなど、チームを越えて学び合うことも意識してほしいと思います。 3年生の現代文の授業は本文の内容の読み取りでした。グループで内容をまとめるのですが、個人で作業をしていてグループで相談しようとはしません。発表のためのまとめをする時になって初めて子ども同士がかかわります。しかし、ここでのかかわりは、誰の答を選ぶのかという答の取捨選択で、互いの根拠を確認し意見を聞くことでよりよい答をつくっていくという、考えを深めることにはつながりません。単にまとめるだけの作業です。グループで結論を一つにまとめようとすると、その結論に対して個々が責任を持つ意識は薄くなってしまいます。そのため、結論にこだわって意見を戦わせることはしなくなります。互いの考えを深めるためのかかわり合いを意識させるような仕掛けが必要でしょう。そのためにも、グループで結論一つまとめることは避けた方がよいと思います。 授業者は「何でか」を書くことを指示することで、根拠を意識させようとしていました。しかし、この表現ですと、本文を根拠としない曖昧な理由になりやすいことに注意する必要があります。はっきりと「本文のどこでわかる?」と問いかけた方がよいでしょう。 別の3年生の現代文の授業は、授業は内容以前に授業規律や指示の仕方が気になりました。 子どもが聞く態勢ができていないのにしゃべりはじめ、「教科書を準備して」と言わずもがなのことを指示します。しかも子どもたちはなかなか動きません。紙のワークシートを配りますが、紙である理由がよくわからないものです。しかも、まず名前を書いてと高校3年生にもなっているのに小学校の低学年のような指示をします。中にはうっかり忘れる子どももいるとは思いますが、自分で修正させていかなければ育ちません。子どもを育てる意識を持ってほしいと思います。 授業者が本文を読みながら説明していきます。今何をやっているのか、何を考えればよいのか、授業の目指すところが子どもたちにわかりません。見通しの持てない授業です。読みながら「今からマイナスの理由が出てきます」と前置きします。文章の内容を授業者が教えるのが目的化しています。国語でどんな力をつけたいのかが、根本的にずれています。教材を通じて文章を読む力をつけるのが国語の授業であって、教材の内容を理解するのが目的ではないことに気づいてほしいと思います。 1年生の国語はグループでの発表の場面でした。グループごとに順番に発表させますが、iPad上で共有できているのですから、あえて口頭で順番に発表する意味はあまりありません。少し時間を与えて、自分たちと近い意見、違う意見を探させて、そのことをつなぎながら発表させるとよいとでしょう。 グループ内で一つにまとめることも、全体で一つにまとめることも、注意をする必要があります。どうしても同調圧力が働くのです。子どもたちから出た意見は、全体の場ではなく各自でまとめさせ、それを共有するとよいでしょう。収束させたいのであれば、答を提示するのではなく、いくつかを紹介するにとどめるとよいと思います。 3年生の英語の授業では、子どもたちがしっかりと課題に取り組んでいました。体育祭の翌日とは思えないほどよく集中していました。教室の雰囲気から人間関係のよさもが感じられますが、課題に行き詰まっている子どもが一人で考えようとしているのかがちょっと気になりました。まわりに助けを求めることもできる関係だと思えるのですが、友だちが自分の課題に集中しているので遠慮していたのかもしれません。 ペアで答え合わせをするのですが、答だけを確認し合って、理由を聞いたり説明したりする声が聞こえませんでした。答ではなく、説明やどうやって答を見つけたかを聞き合う習慣をつけたいところです。 別の3年生の英語の授業は、授業規律が素晴らしくしっかりしていました。ペアで説明を聞き合う場面では、子ども同士すぐに体の向きを変え、聞き合う姿勢をとります。説明時間も1分と指示し、きちんと守ります。子どもたちの表情もよく、むだのない素早い動きが印象的でした。一つひとつの活動がルーティン化して、子どもも何をすればよいか自分が何をすべきかをきちんと理解していました。指示を明確にし、できていることをほめて規律をつくってきたことがよくわかります。 子どもたちは授業者の指示に従って安心して活動していますが、次のステップは子どもたち自身で判断する場面を増やしていくことです。細かく区切っている活動をいくつかまとめ、その進め方や時間配分を子どもたちに決めさせるようなことをしていくとよいでしょう。 2年生の英語は、ネイティブの授業者が英語で話すことを聞き取る授業でした。子どもたちはリアルタイムで話される内容を聞き取ろうと集中しています。授業者は話の途中で適宜質問をはさみます。質問に反応する子どもと受け答えをすると次に進んで行きます。しかし、これでは、反応できない子ども、よく理解できない子どもはそのやり取りに参加できません。他の子どもに反応を求めたり、反応した子どもの答を他の子どもにつないだりして少しでも全員が参加できることを意識してほしいと思います。 2年生の数学は演習の場面でした、子どもたちは指示されるとすぐにiPad上で問題を解き始めます。友だちの解いている様子をリアルタイムで見ることができるので、自信がなくても取り組みやすいようです。子ども同士で相談している姿も見られます。授業者は個々の取り組みを手元のiPad上で見ることができるので、困っている子どもが多いことに気づいています。そこで、作業を止めてもう一度自分で説明を始めました。わかっている子どもは必要がないので聞きませんし、わからない子どもも最初から同じ説明が繰り返されるので、自分がつまずいているところをピンポイントで意識することができません。自分たちで相談しながら解決しようとしている子どもたちもいるので、授業者がもう一度説明するのはあまり得策ではありません。困っていることやだれのどこが参考になったといったことを共有し、相談や友だちのノートを参考にすることで自分たちだけで問題を解決できるようにすることが重要です。 この授業では、別の先生が欠席者のために授業をライブ配信していました。学校に来られなくてもみんなと同じ授業にリアルタイムで参加できることはとても意味のあることだと思います。こういった新しい取り組みにどんどん挑戦し、広げていってほしいと思います。 1年生の数学は絶対値を使った問題の演習でした。子どもたちは友だちが答を説明しても発言者を見ようとしません。一方、授業者は子どもが発言するとすぐに説明を始めます。他の授業ではちゃんと発言者を見ることができる子どもたちですが、この授業では自分たちの発言が活かされないことを知っているので聞こうとしないのです。 また、授業者が解説をしても子どもたちは答を写すことを優先します。しかし、その板書は答だけで試行の過程やポイントとなる考えは残っていません。写すことにあまり意味はありません。数学において大切なのは考え方や解く過程であることがこの授業では意識されていませんでした。 授業者が「絶対値は何か?」と問いかけると「答が正」と返ってきました。「答」という表現からは、絶対値記号を演算子とみなして計算問題として考えていることがうかがわれます。授業者がそれで「よし」としていたことが気になりました。定義の持つ意味を考える意識がないのです。子どもたちを問題の答探しから解放してほしいと思います。 2年生の簿記の授業では、同じ勘定科目が借方になる場合、貸方になる場合を考えていました。子どもたちに考えさせたり、問いかけたりするのですが、反応があるとそれを受けてすぐに授業者が説明します。ペアで説明し合うなど、子どもたちの言葉で説明させたいところです。 子どもたちは経済活動と縁がないため、取引の実際のところがイメージしにくいかもしれません。仕訳例を与えて、その取引のシチュエーションを自分たちの身近な場面でつくるといったことも面白いかもしれません。同じ仕訳となるものでも、色々な取引が考えられます。多様な答が出てくるような課題に取り組むことで、子どもたちの考えが広がることが期待できます。 3年生の地理の授業は中国とタイの経済活動の似ているところ相違点を考えさせるものでした。子どもたちはiPadを活用して調べたデータをもとに考えますが、違いや共通点を見つけてそこで止まります。授業者が子どもたちの気づいたことをもとに半導体について調べるように指示しますが、指示しなくても自発的に関連した情報を集めたり、その理由を考えたりする姿勢を育てたいところです。 体育大会の翌日にもかかわらず、多くの子どもたちが授業にしっかりと向き合っている姿が印象的でした。一方授業の内容については、子どもたちをどう主体的にさせていくかという点が課題として感じられました。学校全体の課題として共有していく必要を感じました。 私立中学校での公開授業(その2)
私立の中学校高等学校の授業公開週間の第2日目です。この日も高等学校は体育祭でしたので、中学校の授業を参観しました。
1年生の社会科の授業では、1日目の他の授業と同じく、子どもがよく反応する反面、直接反応しない子どもに先生の視線が行かなくなっていることが気になりました。子どもたちからは友だちの発言を聞こうという意欲を感じるので、授業者がそういった子どもたちを授業の中に引き込むことを意識すれば、とてもよい授業に変わっていくと思います。具体的には、聞いている子どもたちに「よく聞いていたね。聞いていてどんなことを考えた?」「○○さんの意見、なるほどと思った?」と、聞いていてよかったと感じさせて、言葉を引き出せるとよいでしょう。 若手の1年生の国語の授業は、授業者の話したいことややりたいことだけで進む授業になっていました。授業者は子どもの顔が上がっていなくてもしゃべり、子どもの反応に関係なく先に進めていきます。そのため、授業者が一方的にしゃべり続けることになり、子どもたちは情報過多で処理しきれていませんでした。 作業の時間になると、順調に進む子どもと手が止まる子どもに分かれていきます。授業者は個別に困っていそうな子どもを指導しますが、全体を見ることができていません。手が止まる子どもをまわりの子どもにつなぐか、いったん作業を止めて困っていることを共有して、みんなの課題として考えることが大切です。 全体で作業の結果を発表させますが、指名されなかった子どもは全く発言者に注意を払いません。しかし、発言を受けて授業者がしゃべり始めるとそちらに目を向けます。授業者が結論をまとめるので、子どもたちはその結果だけを求めるようになっていました。自分たちの考えがその後の授業の展開に影響しないことを知っているので、友だちの発言を聞くことに興味がないのです。 できるだけ多くの子どもの考えをつなぎ、子どもの言葉を活かす授業を目指してほしいと思います。 中堅の1年生の国語の授業は、iPadを活用しながら進めていました。 共有ツールを使って、子どもの書いた物をもとに授業を進めています。授業者が子どもの書き込みをピックアップして、それをもとに授業を進めるのですが、iPadの画面を見たまま視線を上げないことが気になりました。子どもたちもその画面を見ているのでしょうが、授業者も子どもも視線が交わることがありません。それならば、スクリーンに大きく映して子どもの顔を上げればよいと思います。 また、リアルタイムに友だちの書き込みを見ることができる共有ツールを使っています。そうであれば、自然に友だちの書き込みが目に入るので、面白いと思うものや気になった書き込みを発表させ、そこから取り扱うものを子どもたちに選ばせると主体的に取り組んでくれると思います。 題材は別役実の「空中ブランコ乗りのキキ」でした。授業者が本文中のキーワードを指定して考えさせていましたが、子どもなりに疑問や気になる表現があったと思います。そこを取り上げて、子どもたちの疑問から授業を展開してほしいと思いました。 授業者にとって都合のよい子どもの考えを見つけるためにICTを使っているように感じました。もちろんそれを全面的に否定するつもりはありませんが、ICTが先生にとって都合のいい道具から、子どもたちが学ぶための道具になるよう意識して使ってほしいと思います。 また、子どもたちの書いたものを「けっこういい」と授業者が評価している場面がありました。授業者が上から目線で子どもを評価していることが気になりました。常に授業者が判断、評価すると、子どもたちは先生の求める答探しをするようになります。子ども同士が根拠を持って互いに評価できるように育てたいところです。 3年生の数学はグループで問題を解かせていました。個人作業のグループ化はよく使われる方法です。ここで授業者に意識してほしいのが、個のわからないことをグループ全体の課題にすることです。かかわり合っている子どもが少なく、相談しても2人で話していることがほとんどです。その傾向を助長しているのが、授業者のかかわり方です。せっかくグループにしているのに、困っている子がいると自分で個別に説明を始めてしまいます。授業者は説明するのではなく、困っている子どもをグループの他のメンバーにつなぐことが大切です。子どもから質問されたり困っている子どもを見つけたりすると、どうしても教えたくなりますが、そこをこらえて他の子どもにつなぐことを覚えてほしいと思います。 3年生の別の学級の数学は、タブレットで個別に問題演習をしていました。この授業者も、困っている子どもに説明することに時間を取られていました。そのため、教室全体の様子を把握してできていません。子どもたちの集中に差が出ているのに気づけず、適切な指導ができていませんでした。ずっと個別に問題を解かせているのなら、子どもたちが教室にいる意味はありません。子どもの困り感を共有して全体で考えるような場面をつくることが必要であることに気づいてほしいと思います。 2年生の数学は同じ授業者の多角形の和を考える授業を2つの学級で見ました。 授業は子どもの既存の知識を確認する場面から始まります。四角形の内角の和を答えさせ、その理由を問いました。子どもたちは360°という結果はよく覚えていますが、その根拠をあまり意識はできていません。反応した子どもを指名して説明させますが、どちらの学級でも、指名した子どもとのやり取りに終始し、その後は授業者が説明してしまいます。この考えをもとにして、この後多角形の内角の和を考えるのですから、全員にきちんと考えさせる必要があります。他の子どもにも説明させたり、まわりと確認させたりしてしっかりと押さえたいところでした。 多角形の内角の和を子どもたちが帰納的に見つけていきます。子どもたちは180°の何倍かになっていることを見つけても、その根拠を明確にすることができません。ここを焦点化して子どもたちに追究させたいのですが、授業者は自分で説明してしまいます。 一つの学級で、多角形の内角の和は180°ずつ増えるという言葉が出ましたが、授業者は自分が準備した三角形に分割する方法で説明しました。ここは、四角形に三角形を足すと五角形になる、逆に五角形の頂点とそこから一つとんだ頂点を結ぶと四角形と三角形ができるといったことから考えを深めてほしいところでした。 教科書に付属している動画も使って子どもたちにわかりやすい授業をつくることはできています。もう一歩進んで、子どもから出てきた言葉から授業をつくることを意識してほしいと思います。 授業者は指摘されたことを素直に受け止めることができます。新人のころからコツコツと地道に授業改善を重ねています。きっと今回のアドバイスも活かして、ステップアップしてくれると思います。 この日は、子どもたちが自分たちで学ぶのではなく、授業者が教えようとする授業が目につきました。子どもたちの主体性を意識した、子どもたち目線の授業がまだまだ広がっていないことが残念です。互いに授業を見合いながら地道に改善を続けてほしいと思います。 私立中学校での公開授業(その1)
私立の中学校高等学校の授業公開週間に参加しました。その第1日目です。高等学校はこの日体育祭でしたので、中学校の授業を参観しました。
1年生の理科の授業は物質の分類を考える場面でした。子どもたちが事前に行なった分類を見合って「気づいたこと」「感じたこと」を指名して発表させますが、何を言えばよいのかわからず、なかなか発言することができません。「気づいたこと」「感じたこと」という問いかけは先生からすれば何を言ってもよいので答えやすいように思いますが、実はそうではありません。子どもたちは、先生が求める答があることを知っているからです。ここでも、何人かの発言に対して授業者は否定しませんがすぐに次の子どもを指名します。ところが、「見た目で分けている」という答に対しては「あっ、そうだよね」と同意を示します。結果子どもたちは、それが先生の求めている答だったんだと思うことになります。たとえ授業者が期待した答や反応でなくても、「なるほどね」としっかりと受け止め、「いいね」といった評価は子どもたちから出させるようにする必要があります。「今の意見をどう思う?」「似た意見の人いない?」と他の子どもにつなぐことが大切です。 金属、化合物、有機物といった教科書に書かれている物質の分類を与えて、その説明(定義)をするスライドづくりをするのがメインの活動でした。グループごとに分類を与えて1枚のスライドにまとめて発表します。子どもたちは個別に教科書やネットで調べれば情報が出てきますので、友だちと相談する必要を感じていないようでした。子どもたちがかかわりだしたのはスライドつくりに入ってからです。グループで1枚にするのでかかわらざるを得ません。1枚としたのは分担作業にしないための方策としては有効だと思います。スライドの見せ方に工夫するグループもあれば、文字情報をのせずに口頭で説明するグループもありますが、どのグループも説明の中身についてはあまり深く考えていません。調べた内容を整理してみせるだけで、その中身をきちんと理解しようとはしません。意味がようわかっていないのに「周期表」という言葉使っているグループもありました。そもそも物質の正確な分類の定義など中学生の知識では無理です。調べれば調べるほど疑問や理解できないことが増えるはずですが、子どもたちからは困り感が感じられません。とりあえず答がみつかったからそれでよいのです。調べ学習で注意すべきはこの答探しに陥ることです。また、金属は磁石にくっつくという自分の経験からの誤った知識を発表するグループもあります。授業者は子どもたちからの異論を期待して、自分からは特に訂正をしませんでしたが、反応はありませんでした。それぞれのグループが自分たちの課題の発表しか考えていないことがわかります。グループ活動での注意点が明確になった授業でした。 授業者もこれらの課題に気づいて、その日の夜に他の学級での授業の課題や流れを考え直したそうです。具体的には、物質の分類に入る前に、いくつかのごみを分別するというグループ活動を導入しました。分別のルールが住んでいる地域によって異なるため意見が分かれ、子ども同士が頭を寄せ合って相談する姿が見られました。この単元での目的は、物質の詳しい定義を知ることではなく、分類の必然性とその視点(性質、構成…)を理解することです。そこに気づかせるきっかけとなる面白い活動でした。授業が思い通りにいかないことはよくあることです。そこで止まるのではなく、新たな工夫をすることで授業は改善されていきます。いろいろと挑戦し、たくさんの失敗をするからこそ、授業はどんどん進化するのです。 この日いくつかの英語の授業を見たのですが、共通していたのは、反応する子どもとだけで授業が進んでいることでした。以前と比べて学力的に高い子ども、意欲のある子どもが増えたせいでしょうか、授業者の問いかけに子どもたちがよく反応します。子どもが反応してくれると授業者もそれを取り上げますが、その子どもたちとだけのやり取りになっていました。他の子どもにつながず授業者だけが受け止めるので、反応しない、できない子どもはそこに参加できません。どのような問いかけをし、どう全体を巻き込むのかを意識することが大切です。 「鶴」を英語で何と言うか問いかける場面がありましたが、知識を問いかけることに意味はあまりありません。考えて答が出るわけではないので、教えるか調べればよいのです。鶴が”crane”だと調べた子どもやあらかじめ知っている子どもがいて答えてくれたのは悪いことではないですが、他の子どもにも、「調べた?」「それでいい?」と問いかけ、知識を他から与えられてよしとしないようにさせたいところです。 ワークシートをiPadに配信して利用したりと、ICTの活用が進んでいます。しかし、子どもたちがiPadの画面を見続けていることが多いことが気になりました。友だちが話していても、自分のiPadを見続けている子どもが目立ちました。ペアでの会話練習もiPadの画面を見て話しています。紙のワークシートでも同じことが起こりますが、あらかじめ決められたパターンの文で会話するにしても、話す時は相手の顔を見て話させることが大切です。そうでなければ、音読の練習と何ら変わりはありません。 iPadを見るのをやめさせようとすると、「画面を閉じて」「iPadを片付けて」と注意をする先生が多いのですが、そうではなく今の場面にふさわしい行動を考えるよう求めるのが大切です。ICT機器をどう使うべきかを子どもたち自身が正しく判断できるようにしたいものです。 2年生の社会は、白地図に日本の旧国名を書き込む作業でした。子どもたちは黙々と作業をしていましたが、授業者がどのような力をつけたいのかがよくわかりませんでした。これから歴史の中で旧国名が出た時に困らないようにしたいというのはわからないわけではありませんが、47都道府県よりはるかに多いものを一度写したからといって名前と位置を覚えられるわけではありません。「近江」「遠江」、「上総」「下総」といった関連のありそうな国名を見つけてその由来を調べさせたりする方が子どもたちの記憶にも残るでしょう。大切なことは、知識は使わなければ身につかないことです。旧国名が出てきた時にストレスなく調べられる状態にし、わからなければすぐに調べる習慣をつけることです。何度も調べる旧国名は自然に身に付くはずです。これからの時代に合った発想をしてもらえればと思います。 3年生の体育は卓球の授業でした。授業者は子どもたちをしっかりと集中させて説明を聞かせます。グループで練習している時でも、指示を出す時は活動をきちんと止め、必要に応じて集合させたりして、集中して聞かせることができていました。体育の先生にとっては基本ですが、それを徹底することはとても大切なことです。毎時間の振り返りシートの書き方の説明もわかりやすく、しっかりと聞かせていました。ただ、残念だったことはその目的を明確にして伝えていなかったことです。評価に使うことは伝えたのですが、それでは本来の目的からずれてしまいます。上手になるためのサイクルを回すという目的と、具体的にどう活用すれば上手くなるかといったことを伝えてほしいと思います。 子どもたちは積極的に活動しますが、卓球台に限りがあるので全員が一度にできるわけではありません。体育の授業では子どもたちの活動量を増やすのが大切ですが、場所や道具の制約でどうしても順番を待つ場面がでてきます。身体を動かすだけが活動ではありません。友だちのプレーを見たりアドバイスをしたりすることも立派な活動です。待っている時や見学している時に友だちのプレーに対して声をかけたり、プレー後にアドバイスをしたりする役割を与えるとよいでしょう。iPadを使って友だちのプレーを撮影するといった役割を与えるのもよいでしょう。漫然と撮影するのではなく「よい」「参考になる」プレーを撮るといった目的意識を持たせるのがポイントです。 中学校では子どもたちが意欲的に学習に取り組む姿をたくさん見ることができました。だからこそ、彼らをどうやって伸ばすかが今後大きな課題となってきます。授業改善のハードルが実は一段と高くなっていることを感じました。 |
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