公開授業でいろいろなことに気づく
私立の中学校高等学校の公開授業を参観しました。1週間の公開期間はどの授業も自由に見ることができます。この日は新しく赴任した先生方を中心に同行していただき、子どもたちの様子を共有しました。
休校中はオンライン授業を中心に一人一台のiPadを学校全体で活用していました。学校再開後、どのように活用されているか楽しみにしていました。 衝撃的だったのが高校1年生の授業でした。iPadどころか、プロジェクターもほとんど利用されず、一方的に先生がしゃべって板書している授業がほとんどでした。子どもたちの机の上にはiPadが置かれることすらされておらず、ノートに板書を写す作業が続きます。子どもたちが考える場面はほとんどなく、授業規律も怪しい状態でした。授業者は早く授業を進めることを意識していたのか、「どうなる?」「どう思う?」と子どもに反応を求めても反応が返ってくるのを待たずにすぐに自分でしゃべり続けます。たとえ子どもから反応があっても、「そうだね」と言って自分で解説を始めます。反応するまで待ったり、他の子どもにつなげて考えを共有したりする姿勢がみられませんでした。 一方高校2、3年生ではiPadは多くの教室で普通に使われていました。ただその使い方にはかなりばらつきがありました。資料の提示や配布のツール、調べるツール、課題の結果を共有するツールと様々な活用が見られます。しかし、iPadを使いながらも教師が板書して手書きで写させる場面も多く見ました。 学校全体で授業の進め方と合わせてiPadの活用を整理する必要を感じました。 一つは板書とノートの関係をiPadの活用を意識して変えていくことです。 事前に予定している板書はスクリーンに映すかiPadで配信すれば十分です。手書きで写すことに時間をとるのではなく、集中して先生の話を聞くことに時間を割くべきです。板書は子どもたちの意見や考えをアクティブに整理するのに活用するとよいと思いますが、それも手書きで写すことにはあまり意味はありません。写真に撮らせれば十分でしょう。 一方手で写すことが意味のある場面は当然手を使わせるべきです。ただそれも、紙のノートにこだわる必要はないと思います。 漢文で返り点の練習のための例を板書している場面がありました。先生は黒板に○を縦に書いて返り点をつけたものをいくつも書いていきます。子どもたちは、上から順番に○を書きながら返り点が出てくるたびに○の横に写していきます。二が出てくればそれを書き、後から一を書いています。これならばそのまま配信すれば十分です。本来ならば、先に〇だけ写し、まずレ点、次に一二点を一から順番に、続いて上下点を上から順番にと、返り点の意味を意識しながら写させなければ手を使う意味がありません。先生は指示をしたのかもしれませんが、板書で黒板に向かっているので子どもたちの様子は見ていません。これでは時間の無駄です。子どもたちには〇だけ書いたものを配信してスクリーンに例を映し、それから写し方を指示して手で作業させれば、自然に返り点の規則が見えてくるはずです。先生は子どもの写す様子を観察していればよいのです。 この教材で子どもたちに何を活動させればよいかを考えることが大切です。ICT機器を活用するにしても、やはり教材研究が大切なのです。 もう一つは、子どもたちの考えを深めるためにどうするかです。 子どもたちがそれぞれの課題の結果をiPad上で見合うことだけでは考えは深まりません。それを元にグループや全体でその課程や根拠を聞き合う場面が必要です。今回の訪問ではその場面をほとんど見ることができませんでした。3密対策のため、子ども同士で話をさせたり、全体で意見を交流したりすることが憚られることもその要因でしょう。実際、以前から子どもたちをグループや全体の場面でかかわらせること重視していた先生からは、今回の3密対策で授業がとてもやりにくくなった、子どもたちはしゃべりたいのにしゃべれないフラストレーションがたまっているといった言葉が聞かれました。 考えを共有したり深めたりする方法は聞き合うだけではありません、ICTはそこにも活かせるはずです。ネット会議システムでグループを作り、子どもたちにイヤホンを使わせればグループで話すことも可能ですが、さすがにそこまでは難しいのなら、ネット上で考えを共有させる方法を工夫すればよいのです。課題の答や結果しか書かせていないのなら、それを共有して、そこに質問を書かせればよいのです。線を引いて「よくわからない」「どうして?」といったことを書かせて、それに答えさせるのです。課題の結果ではなく、その過程や根拠をiPad上に残させるようにすれば、やり取りはより活発になると思います。過程や根拠に「いいね」をつけあうことで自己有用感も高めることもできます。子どもたちに小グループや全体で自由に見合うことをさせ、先生はそのやり取りや書き込まれたものを全体で価値付けすればよいのです。 また、今回の休校をきっかけに、ICT機器をうまく使うことで、子どもたちが自分で学習できることがまだまだあることに気づいた方もいらっしゃいます。 英語を聞き質問の正解を選んで解答を教えられることを繰り返しても、リスニング力はつきません。何度も聞くことで聞く力がつくのですが、一斉授業の枠組みではそれも容易ではありません。CDを焼いて配り家庭で聞いてくるようにと指示しても、手間なためなかなか聞いてはくれません。今やCDプレイヤーがない家庭もけっこうあるということです。そこで、音声ファイルをiPad上で配信して聞いてくるようにと指示したところ、多くの子どもたちが積極的に取り組み事前に何度も聞いて授業に臨んだそうです。これならば手間がないので、やる気になるようです。ちょっとした手間が障害になっていたのです。やる気と手間のバランスが変わるだけで、子どもたちは学習に積極的に取り組むのです。 発表のスライドをネット上で共同作業させている先生もいらっしゃいました。しゃべることが制限されても、オンラインツールでそれに近い共同作業はできるのです。学校でも活用できるインフラが整ってきています。それを活用するだけでも障害は乗り越えることができるのです。 私がまだ気づいてないだけで、この学校でも多くの先生がいろいろな工夫をしていることと思います。そういった工夫を学校全体で共有する仕組みを作ることを担当の先生にはお願いしました。 新しく赴任された先生方には、子どもたちとのよい関係づくりと、認めることでつくる授業規律のつくり方を中心にお話ししました。子どもたちをしっかり見ることと子どもたちの状況に合わせて授業をつくることを意識してもらえればと思います。次の機会があれば、子どもたちに考えさせるためにどうするのかについて、詳しく話をしたいと思っています。 子どもたちの様子や先生方からの質問から、いろいろなことに気づけた有意義な1日でした。 |
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