次の段階が見えてきた学校(長文)

私立の中学校高等学校で、先生方との個別懇談を行いました。

中学校の社会科担当の先生とは主に教科内での情報の扱いとそれに伴いどのような活動をさせるかについてお話をしました。
3年生の社会科の金融についての学習で、先生は自分で教えることをせずに子どもたちだけで、内容を紹介する動画を作成させたそうです。子どもたちはとても意欲的に取り組んだのですが、情報を収集し整理するための基礎的な力が足りないために苦労することも多くあったようです。一人一台のiPad環境では、子どもたちは手軽に情報に接し、活用することができます。だからこそ、情報を正しく読み取った上で、考え判断する力が必要になります。資料の扱いと同じく、基礎をきちんと指導する必要があるのです。情報は必ず原典を確認して裏を取ることや、情報の向こうには必ず発信者がいてその意図が必ずその中に潜んでいることなどもきちんと教える必要があります。ネット犯罪に巻き込まれないためにも教えておきたいことです。
これからの時代は、テキストだけでなく、情報をリンクして発信することが大切になります。情報をどのように加工すると意図したことがうまく伝わるかを考えさせることも重要です。この中学校では、社会科や理科で情報の発信を意識した授業が盛んに行われていますが、教科間で基本となることを共有したり、共通の基盤として数学の統計・資料の授業と連携を取ったりといったことが求められると思います。
ICT機器を導入した学校でよく見られる授業では、先生が指示したタイミングでネットを調べたり、指定した方法で表現したりすることが多く見られます。しかし、日常的にICT機器を使うようになれば、そういった指示や指定は子どもたちの自由な活動を制限する方向に作用します。調べる必要があると思えば紙の資料を探すのか、iPad(タブレット)を起ち上げてネットで調べるのか、実際に現地に調べに行くにかを考える。テキストベースか、スライドや動画に加工するのか、どのような方法で表現するとよいのかを自分で判断する。利用するソフトも自分が気に入ったもの、目的にあったものを選ぶ。そのような姿がこれからの時代を生きる子どもたち求められるのだと思います。
今の子どもたちはほぼ全員がスマホなどのICT機器を持っていますが、ゲームやSNS、動画を見ることにしか使っていません。学びのための道具としての有効な使い方を経験させることで、学ぶことの楽しさを知り、新たな世界が広がると思います。そういう経験をいかに多く積ませるかがこれからの先生に求められることだと思います。
また、一人一台環境では、子どもたちが個の作業に没頭してしまい、他者とかかわらなくなることがあるようです。このことをどう考えたらよいのかという質問もいただきました。「困らせる」ことが一つのポイントだと思います。自分だけで解決できるような課題だとあえて他者とかかわる必要がなくなります。子どもたちが興味をもつが、すぐには解決できないような課題を与えることができれば、解決したいが一人では難しいので、他者とかかわろうとすると思います。また、課題の中に他者の考えを知ることが含まれているような仕掛けも有効でしょう。グループで考えを整理して、ラベリングを行い、対立する考えを明確にするのです。その上で自分の立場を決めさせ、対立する考えを論破することを求めるのです。個々の結論を大切にしながらも、他者の考えを聞くことで考えが深まると思います。最近よく耳にするようになったワールドカフェ方式も、必然的に他者とかかわり合う方法です。ただ、これらの方法は基本的に子どもたちが話をしっかりと聞き、整理する力が育っていることが前提です。何か一つのやり方をすれば上手くいくのではなく、色々な場面で総合的に子どもたちの力をつけていくことが大切です。

中学校の取り組みで、子どもたちが単元の内容からテーマを決めて、簡単な解説の動画をつくるというものがありました。できた動画を共有の場にアップして互いに見ることができるようにし、「いいね」やコメントをつけて互いに評価できるようにしています。SNSになじんだ今の子どもたちには、自然な活動だと思います。単に「いいね」というだけでは何がよいのか曖昧になりやすいので、最近よく目にするように、「いいね」にいくつかの種類があるとよいと思います。「知らなかった」「よくわかった」「もっと知りたい」といった視点を与えることで、それぞれの作品の価値付けが明確になると思います。
また、単なる解き方の解説となっているものあるようですが、「どのように考えてその考えの道筋を見つけたのか」「その問題から新たにどのような問いが生まれたか」といった、探求の視点も大切にするとよいと思います。

若手の社会科の先生からは、中学校での授業の報告がありました。思考力をつけるために、単元のまとめとして問題をつくる活動を取り入れているようです。しかし、問題をつくるというのは答のある知識を問うているだけのことになります。思考力をつけたいのであれば、わからないことから出発して、それを解決するような活動を意識してほしいと思います。疑問を持てる子どもをどう育てるかがこれからは求められるのです。
子どもの活動を中心にすると、どうしても知識等を教える時間足りなくなるということを気にされていましたが、子どもが学びたいと思うきっかけをつくれば、今の時代の環境であれば、自分でいくらでも学べます。授業時間で完結しなければいけないという発想は捨ててもよいと思います。知識を与えるのでなく、子どもたちと一緒になって疑問を解決する姿勢で授業に臨めばよいのです。疑問を解決する過程で生まれた新たな疑問に取り組むことを楽しいと思える子どもたちを育ててほしいと思います。

英語の先生からは、全員参加の授業を心がけているが、力のない子どもがついていけなくてやる気を維持できないことを相談されました。本人たちは頑張ろうとしているのですが、スモールステップでていねいに問いかけても、自信がないためか口を開かないこともよくあるようです。できなくても、答えようとしている姿を評価したり、文の一部しか口にできなくても、「そこまでOK」と部分肯定したりして、励ます姿勢で接してほしいと思います。最初は答えられなくても、最後まで頑張ればちゃんとできるようになるという経験を少しずつ積み重ねることを意識してほしいと思います。

今年始めて担任を持った先生は、担当教科の授業で自分の学級が他の学級と比べて元気がないことを相談されました。ペアやグループ活動などで子どもの動きが遅いことも気になるようでした。
担任なので、自分の学級には他の学級よりもきちんとしてほしいという気持ちが強く出ているのではないかと思います。どうしてもチェックする目で見るため、子どもたちも緊張するのではないでしょうか。他の学級以上にいつも笑顔でIメッセージを大切にしてほしいと思います。
学級づくりには1年を通じての大きな目標とそれに向かうスモールステップとを意識することが大切です。大きな目標だけを意識すると、いつも足りないところが目についてしまいます。スモールステップを意識すれば、できたことを認めてほめやすくなります。スモールステップは学期、月、週単位で考え、それを意識して朝や帰りに子どもたちに話すことを決めるとよいでしょう。毎日少しずつ子どもたちに笑顔で思いを伝え、できたことを喜ぶ姿勢で接することをお願いしました。

2年生の有志4人が国際シンポジウムに参加して、LBGT部門で2位になった報告をもらいました。そのこと自体もとても素晴らしいことですが、その後の懇親会で子どもたちが感じたことがとても印象的でした。参加した高校生や先生方はとても優秀な方ばかりだったようです。自分たちの発表について忌憚のない意見をぶつけてくれます。しかし、それは決して否定的なものではなく、自分たちのことを認めてくれた上でよりよくなるようなアドバイスばかりだったそうです。とても温かい雰囲気で、ずっとこの場にいたいと思うような経験だったようです。こんな世界があるのかとびっくりし、このような世界に自分も所属したいと強く感じたようです。そのためには、自分もその世界にふさわしいような知識や知恵を身につけることが必要だと考え、戻ってきてから勉強をものすごく頑張り始めたそうです。
また、いろいろと考えさせられるエピソードもありました。別の会での発表で苦しかったことを尋ねられて、先生からの悲しい言葉を挙げたそうです。彼らが自分たちの活動にまわりの意見を求めたり、署名活動をしたりしていた時、少なからぬ先生方から、少数を認めない、自分のまわりのこのような人がいたら拒絶する、このようなことをして何になるのかといった否定的な言葉を言われたようです。しかし、彼らはそれに反発せずにきちんと受け止め、エヴィデンスで伝えるしかないと冷静に考え、活動をやり続けたそうです。先生方を乗り越えていると感じました。
このような子どもがこの学校に育っていることを誇りに感じると同時に、こういった子どもたちの考えやよさを学校全体でどう共有するのかが課題だと思いました。

カリキュラム担当の先生からは、今後の方針について相談を受けました。
個別に見ると、新しい時代にふさわしい学校独自のメソッドが多く生まれてきていますが、それが学校全体のものとなっていないことが課題です。個々の先生に授業スタイルが任せられていて、共通の意識で取り組みがなされていないのです。
共通の授業スタイルを模索する中で、ゼミ形式を導入することを考えているようです。ゼミ形式にするのであれば、最初はできるだけ早く課題設定から振り返りまでのサイクルを回すことが必要だと思います。先生も子どももこれまであまり取り組んだことがない方法なので、早い段階で振り返りをもとに修正を加えていくことが大切だと思います。
また、振り返りと共に評価をどのようにしていくのかも課題です。先生方が個別に子どもたちの活動にコメントをすることも大切ですが、自己評価をより重視してほしいと思います。調整力を働かせ、次の活動をどうすればよいかを子ども自身が考えるようにすることが大切です。振り返りを通して、子どもたちの学びに向かうエネルギーが高まるような工夫が必要になると思います。
ここでもグループの中でかかわれない子どもをどう育て評価するかが課題として出てきました。「グループや他者に自分がどのような貢献ができたか」と「他者からどのようなことを助けてもらえたか」、「相手の言っていることを理解したか」と「相手に自分の考えが伝わったか」といった表裏の視点で評価することで、かかわりを意識することができると思います。そして、ポジティブな評価を意識した互いの振り返りを共有することで、それぞれが自分のよさや成長に気づけるようにしたいところです。毎回の活動を振り返っていくことは大切ですが、情報が増えてくると整理しづらくなってしまいます。一定のスパンで振り返りを俯瞰して見直し、自己の成長を価値付けするような場面が必要になると思います。
新学習指導要領への対応については、教科主任が集まって、教科の考えを共有する場をつくることを考えています。教科を越えた共通の視点で考えることと教科の独自性を大切にして考えることの両方を大切にしながら、学校としての共通の基盤をつくろうという考えです。授業研究については、教科として新しい学習指導要領をどうとらえるかを具体的に示すようなものにしていこうとしています。
個々に行われているよい取り組みが次第につながってきました。いよいよ学校全体に広げる時が来たようです。
これからの数年が正念場だと思います。

秋からの変化の違いを感じる

小学校で全学級の授業アドバイスを行ってきました。今年度2回目の訪問です。

秋に訪問した時と比べて変化のある学級と変化の少ない学級がありました。変化があった学級は3学期になって子どもたちのよい面が授業にたくさん表れているように思います。変化のない学級は、子どもたちの授業への参加度、集中度がバラバラなことが課題だったのですが、そのことが先生にあまり意識されていませんでした。どの学級も子どもたちは落ち着いていて、先生方が特に困っていないことがその原因の一つだと思います。

印象に残った授業に、ベテランの1年生の算数の授業があります。ワークシートをクリアファイルにはさみ、サインペンで書くことで簡易ホワイトボードとして使っていました。ワークシートには大きな○が片面に3個もう片面には4個書かれていました。
「?個ずつを3つ」の足し算をそのクリアファイルを使って学習していました。私が見た場面では、最初にブロックを○の上に4個ずつ置いてから、次はブロックの代わりに丸の中に絵をかかせていました。順番に抽象化のレベルを上げていきます。授業者は子どもたちの間を回りながらタブレットPCを使って、クリアファイルを写真に撮っていきました。
撮った写真を、ブロックを使ったもの、絵をかいたもの、○と○の間に+を書いているものと順番に映していきます。+を書いているものが映されると、子どもたちから反応が出ます。授業者が説明するにではなく、友だちの書いたものを見ることで子どもたちにこれは足し算に表わせることを気づかせ、共有していきました。続いて計算式も書いているものを見せます。「式も書いているね」というだけで、式を書きなさいとは言いません。
この後、裏の○4つで活動をさせました。指示ではなく、子どもたちの意志で次のステップに移行させたいのでしょう。子どもたちはとてもよい表情で意欲的に取り組んでいます。子どもたちとのやり取りを授業者も楽しんでいるのがよく伝わってきました。以前の訪問時には落ち着かない子どもがたくさんいたのですが、この授業が終わって挨拶するまで誰がその子どもか気づきませんでした。意欲をうまく引き出していたから、集中して参加していたのでしょう。
ベテランが率先して新しいことに挑戦する姿を是非まわりの先生にも見てほしいと思いました。

4年生の2学級は、ともによい雰囲気でした。3年目の若手と、中堅の担任がよい形で連携できていることを感じます。3年目の先生は、新人の時と比べて大きく成長していました。1、2年目で学んだことが、先輩のよい影響もあって花開いてきたように思います。この日の授業は子どもたちの自主性を引き出そうと工夫をしていることがよくわかる授業でした。そこを目指しているからこそ、課題がよく見えました。
展開図の導入で、紙を与えてさいころをつくらせます。さいころの目の数を確認して、立方体が6個の正方形でできていることに気づかせました。それだけで、特にやり方を指示せずに方眼紙を与えて自由にさいころづくりに取り組ませます。子どもたちはやる気十分で挑戦します。いきなり方眼紙をハサミで切る子どもと線を書いてから切る子どもに分かれます。子どもの作品をいくつか紹介して、先に線を引いたかどうかを聞きます。その上でわからなければ紹介したものと同じようにやればいいと言って、再度挑戦させました。自分でやりたいというやる気を大切にしているのですが、うまくできなった子どもの中には自分のやり方はあきらめて、友だちの展開図をもとつくる者もでてきます。自分の考えで取り組んだことをダメだったと感じてしまうことが残念です。
上手くいかなかったものを見せて、どこに穴が開いて、どこが重なっているのか印をつけてみるとよいでしょう。それを開いて紙の上に載せて、どうするとよいかを書き込ませると面白かったと思います。修正を書き込んだものが展開図につながります。「失敗したから、次は上手くいったね」「失敗を修正するから上手くいくんだね」といった価値付けをすることで、失敗を否定的にとらえず、意欲的に取り組み続けるようになると思います。

6年生は、2学級とも6年生らしく落ち着いているのですが、学習に対するエネルギーが感じられません。担任の一人はこの学年を4年生から受け持っているのですが、その時の授業風景を思い出すと、もっとエネルギーがあったように思いました。
担任は2人とも私がよく知っている方ですが、どうも以前と比べると課題を与えたり指示したりすることが多くなっているように感じました。自分たちでこうしようと主体的にさせることが大切なのですが、最高学年だからこうあってほしいと子どもたちに多くを求めてしまったのかもしれません。
卒業まであと1月ほどです。カウントダウンで順番にグループでお楽しみの時間を運営させるといった、子どもたち自身でやりたいことを考えて実行する場面をつくってほしいと思います。子どもたちのエネルギーを上げて卒業式を迎えられることを願います。

現状で満足せずに、より高いところを目指している方と、そうでない方の差が3学期になって顕著になっています。目指すところが学校全体で共有できていないために、現状で満足してしまう方がでてきてしまうことがその要因に思います。次年度は、目指す子どもの姿を具体的にし、そのためにどんな工夫をするかをテーマに授業研究に取り組んでほしいと思います。よい実践を全員で共有する場面が多くなることを願っています。

先生方の成長の要因を考える(長文)

小学校で授業アドバイスを行ってきました。毎回ほぼ全員の授業を見てきましたが、今回は低中高に分かれて授業研究のスタイルで行いました。

2年間かかわってきましたが、学校全体がとても落ち着き、どの学級も授業規律が保たれるようになりました。この2年間でどの先生も大きく進歩したと思います。その要因の一つに教務主任の動きがあると思います。初めて授業を見た時、先生方の授業規律の意識が低く、子どもたちの授業への参加意欲も低いように感じました。当時の教務主任は私と共有した課題を整理し、どこから改善していくかを考え、夏休みに全員と共有する場をつくりました。学校全体で意識することで、かなりの改善が見えてきました。全体の授業研究では若手が意欲的な授業を見せてくれ、学校全体によい刺激を与えてくれました。
新年度は4月から授業規律と子どもとのかかわりを大切にしていたため、どの学級もよいスタートを切れました。学校全体で共通の意識を持てたことが大きいと思います。
もう一つの要因は、学校内にチームとしての動きが出てきたことです。小学校はともすると学級王国になりがちですが、横のつながりや縦のつながりができてきたのです。今回の授業研究では、低中高それぞれがチームとして機能していることを感じさせてくれました。

低学年は1年生の国語の授業でしたが、驚くほど授業規律がしっかりしていました。参加した2年生の学年団が2年も負けてられないと刺激されるほどでした。授業者は子どもをよくほめて育てています。子どもたちの表情から安心して授業に参加していることがよくわかります。これはこの学級だけでなく1年生の他の学級でも同じ雰囲気です。一つの学年として同じように指導ができていることがよくわかります。板書中でも振り返りながら子どもの様子を見ています。そのため、子どもの集中がよく続いています。
カタカナの学習で、ひらがなとカタカナの違いを意識して正しく書けるようにする場面でした。教科書は違いだけを取り上げる構成でしたが、この授業では「くらべる」をキーワードに似ているところと違うところを見つける展開に変えていました。「くらべる」という視点は教科を越えて大切な視点です。「くらべる」としたのはとてもよい発想だと思います。この展開は学年団で相談して決めたようです。学年団がチームとして機能していることがよくわかりました。
子どもたちが落ち着いて授業に集中しているので、進め方や活動内容が子どもたちの姿に直結します。そのため改善点もたくさん見えてきます。一つは、授業規律に関して、子どもたちをほめるのが姿勢に終始していたことです。子どもたちは作業が終わるとよい姿勢を取って待つことになっています。「よい」姿勢にこだわって背筋をきちんと伸ばすので、体は緊張を強いられます。そのためもあって、いざ授業者が説明を始めると子どもたちの緊張がゆるみ、上がっていた顔が下を向く子どももいます。また、常に授業者の指示で動くので、指示されたことしかしないように見えます。これは低学年によくあるのですが、子どもたちが指示に従えるようになると、先生は楽をして常に指示で動かすようになってしまいます。そうではなく、子どもたちに今何すべきか考える癖をつけ、自分で判断してよい行動をとらせることが大切です。「先生は次、何言うと思う?」と次の指示を想像させ、「指示に従ったこと」から「指示しなくても行動できたこと」をほめるようにしていくとよいでしょう。
もう一つが、一つひとつの活動のねらいが明確になっておらず、活動したことしか評価されていないことでした。今回は見つけたことを「伝える」ことがねらいとなっていましたが、これだけではどうなれば「伝わった」のかが明確ではありません。聞いた人が「なるほど」「そうだ」「私も同じ」と納得することが相手に伝わることだと押さえておく必要があります。それがないため、単に話すことが目的となっていました。グループ内での発表も聞き手意識がないため次第にテンションが上がっていきました。
全体での発表では、「同じところを見つけた人」と子どもをつなぐことを意識して手を挙げさせますが、手を挙げなかった子どもに、今の発表を聞いて「なるほどと思った?」「納得した?」と聞くことが大切です。伝えること、聞いて理解することの大切さを価値付けしたいところでした。また、授業の最後に授業者が「カタカナとひらがなの違いがわかればうまく書けるようになる。次の時間は書く練習をしよう」とまとめましたが、この日のねらい「カタカナとひらがなで比べたことを伝える」とまとめがずれています。最初に「カタカナを上手くけるようにするため」と比べる目的をきちんと押さえると子どもはもっと見通しを持って活動できたと思います。
チームでよく考えた授業だったからこそ、改善点が自分たちの課題としてはっきりしたと思います。参加者が多くを学べる授業検討になりました。

中学年は4年生の国語の授業でした。4年生の授業規律ももちろんしっかりしています。子どもたちの授業への参加意欲がとても高いことに感心しました。何よりさすがは4年生と思わされたのが、授業者が指示をしなくても場面を意識した行動をちゃんととれることでした。作業が終わった後、授業者がしゃべり始めるとすぐに全員が授業者の方に顔を向け集中します。低学年の先生方がこの授業を見る機会があれば次の目標が明確になったのにと、少し残念でした。授業を見あう機会がより多く持てるとよいでしょう。
授業は前時までに読んだ詩の中から、自分の好きな詩を選んで気に入ったところを友だちと話し合うというものでした。隣の子が何を選んでいるか「見せてもらおう」、好きな詩の発表を「自慢しよう」と指示したり、自分と同じ詩を選んだ友だちの考えを「知りたくない?」と促したり、友だちの発表にサムアップする「いいねサイン」を出し合ったりと子どもたちの意欲を高めるような言葉や活動をとても意識していました。子どもたちはペアやグループでも、細かい指示なしで活動でき、よい表情でとてもよくかかわれていました。日ごろからかかわりあう活動をしていることがよくわかります。人数の関係で5人になっているグループで、お誕生日席の子どもが友だちの書いたものが見られずに席を立つ場面がありました。その時、発表している子どものそばに座っていた子どもが席を立って、自分の席にその子どもを座らせました。自然にこのようなことができることに感心しました。
気になったのが、同じ詩を選んだ子ども同士で、気にったところ聞き合う場面で、テンションが上がっていったことです。子どもたちは言いたいが先にあるので仕方がないのですが、聞く目的をしっかり与えておくとよかったでしょう。各グループの代表が意見を発表する場面では、どの子どももしっかりと発表ができますし、ちゃんと聞くこともできていました。だからこそ、聞いている子どもの活躍場面が少なかったことが残念でした。
授業者は「よく分析しているね」と評価したり、子どもが表現について感じたことを述べた時に「確かに前向きな感じがするね」とコメントしたり、「文章の並びに注目した」と価値付けしたりしていました。評価や価値付けを意識しているはよいことですが、すべて授業者からのものだったので、子どもからも出させたいところでした。最後に「友だちの意見を聞いて参考になった?」と問いかけましたが、最初にこのことを意識させておけば、子どもから言葉をたくさん引き出せたと思います。
子どもたちは十分に育っているので、活躍させる場面を増やすことを意識してほしいと思います。
この授業は、ベテランの主任からヒントをもらいながら若手2人で指導案検討を行っていたようです。うまくかかわり合いながら授業をつくっています。だからこそ、互いに学びの多い授業でした。

高学年は5年生の道徳の授業でした。授業規律のよい、子どもたちが落ち着いている学級です。集中して授業に参加してくれるので、道徳の授業はどうあるべきかを参加者が深く考える授業となりました。若い授業者でしたが、昔からの道徳の授業を引きずっているように見えました。よくあることですが、自分たちが受けた授業と同じような構成で授業をつくってしまうのです。
最初に、やらなければならないことが2つ重なったことがないかを問いかけ、何人かに発表させます。よくある、目的意識のない導入に見えます。子どもの発表を後で活かすのであればよいのですが、本当に考えさせたいことのためにできるだけ時間を節約すべきでしょう。
授業者が教科書を範読します。子どもたちは教科書を手に持ってよい姿勢で聞いていますが、教科書を立てているので、表情が見にくいことが気になります。授業者も淡々と読み続け、子どもの反応をあまり見ていません。感情を込めたたり言葉を足したりして、子どもの反応を引き出し、その反応によって展開を調整するという発想はないようです。
読み終えると、お約束の登場人物や内容の確認を行います。主人公が、これまでサボっていた今日中に片づけなければいけない図書委員としての仕事をするか、明日のリレーのために苦手なバトンの練習をするのか悩むというわかりやすい内容なので、あえて時間をとらなくても5年生なら読み取れるはずです。子どもたちに自分ならどうするのかを考えさせ、グループで話し合わせます。ワークシートには心情直線がかかれ、自分の気持ちがどのくらいの位置かを書き込みますが、それを活かす場面がありません。
心情直線は、結論が同じでも、そこに至る考えの違いを浮き上がらせ、多様な考えに触れるための道具です。揺れ動く考えを問う場面がないので考えは深まりません。グループで結論を一つにまとめるため、結論が同じであれば、その理由はあまり気にしません。理由が並列に扱われるだけで、考えは深まりません。リレーの練習を強く推す子がいたグループ以外はすべて図書委員の仕事を選んだので、全体での発表は考えが広がりませんでした。
また、この手の二者択一をさせると、子どもたちは「リレーの練習は当日の朝にやれるから図書委員の仕事をする」といった、帳尻を合わせる方向に頭を使います。この時点で時間がないため、ここで考えることが終わってしまいます。陥りやすいパターンです。
最後は、このような時に何を大事にするかを書かせます。子どもたちは、「優先順位を決めて行動する」「責任を考える」といった言葉でまとめますが、「優先順位は何で決めるの?」「責任ってどういうこと?」と掘り下げることなく終わりました。この授業を受けて「子どもが変容したか」、「より深く考えたか」という点で疑問が残る授業でした。
導入はできるだけ早く終わらせるため、主人公の置かれている状況を範読しながら押さえて、「あなたならどうするのか」と問いかけ、すぐに発表させるとよいでしょう。子どもたちを最初にグループで話し合わせても、考えは深まりません。とりあえずの考えを発表するだけであまり深くは考えていないからです。そのため、子どもたちの考えを焦点化することが大切です。子どもたちから出てくる「リレーの練習は明日の朝」は「朝練習なんかしている時間はない」とばっさりと切り捨て、どうしてもどちらかを選ばせることをしなければいけません。心情直線を利用するのなら、両端からずれている部分はどういうことかを聞きながら、考えるべき要素を広げて多様な考えに触れさせるとよいでしょう。その上で、この授業で子どもたちに考えさせたいことにつながる所に焦点化して、再度考えさせるのです。子どもたちを揺さぶり、問題を焦点化してから考えさせることが重要なのです。子どもたちは真剣に悩めば友だちの考えも聞きたくなります。
この授業で何を考えさせたいのかがポイントになります。授業者はあまり明確になっていなかったようですが、例えば、責任感に焦点を当てるのであれば、誰かが「責任」という言葉を使ったときに、「責任」をキーワードにして焦点化していきます。それぞれの判断や考えに対して、「じゃあ、このことに責任はあるの?ないの?」と揺さぶり、子どもたちの多くは、責任を果たすという視点で考えていることを押さえます。「みんな責任を果たすと言っているけど、やることは違っているじゃない。どいうこと」と揺さぶったり、「どっちの責任が重いの」と逃げられなくしたりして考えさせると面白いでしょう。「責任を果たす」という表面的な言葉でまとめるのではなく、そこから考えを深めるのです。
同じ教材でも、何を考えさせたいかによって揺さぶりも焦点化も異なります。授業者が子どもたちに何を考えてほしいかが授業の方向性を決めるのです。
検討会では事前にみんなでよく検討していたため、他人事ではなく自分の問題として真剣に考えていました。事前の検討に参加できなかった先生が、「(検討に)参加できればよかった」とつぶやいていたのが印象的でした。自分たちで多くの課題や改善点に気づけていた、これもとても学びの多い授業検討でした。

今年度はチームを意識した人事を行ったということでしたが、この一年間でチームとしての動きが多くの学年集団で生まれていたようです。集団として成長している姿が多く見られました。
どの学級でも授業の基礎となる規律や子どもとの人間関係はできてきたので、次は学力向上を目指して、教材研究や活動の内容を工夫してほしいと思います。学校全体が大きく飛躍するチャンスが訪れているように感じました。先生方の成長した姿をたくさん見ることのできた一日でした。

授業アンケートの結果を意識して授業を見る

私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は授業アンケートの結果を受けて、企画運営委員の先生方と各教室の様子を参観しました。

昨年、子どもたちに授業に関するアンケートを取りました。個人のタブレット端末から回答をしてもらいましたが、予想以上に自由記述欄に書き込んでくれました。紙と比べて書き込みがしやすいようです。

中学校では、発表やコミュニケーション主体の授業スタイルが満足度の高さ、意欲につながっているようです。発表やコミュニケーションに日常的にICTが活用されているので、ICTに肯定的になっています。
高校ではコースによって傾向の違いが感じられました。
評価に関連しての質問に対して、平常点について多くの意見が寄せられていました。大学受験を意識している生徒が多いコースほど平常点よりも試験の評価の比重を高くしてほしいと考える傾向が見えます。平常点が高いとやる気が出るという生徒も多いのですが、大学受験の推薦等では評定が大きく影響するので、客観的に学力差が見えやすい試験を重視してほしいのでしょう。特に、生徒数の多いコースでは、同じ教科でかかわる教師の数が多いので評価基準の公平性、透明性についての不満が多く見られました。
授業スタイルについて、幅広いキャリアを指向するコースではアクティブ・ラーニングなどのかかわり合いの多い授業スタイルを評価する傾向が強いようです。一方、受験を意識している層では、アクティブ・ラーニングのような主体的に参加する授業への評価が高い反面、一部の生徒は知識を教えることを主体とした授業を望んでいます。知識を覚えることが勉強でそれが大学受験に直結していると考えているようです。

この日見た授業では子どもたちの姿とアンケートの結果の関連を感じる場面が多くありました。
中学校では、先生の問いかけに反応する子どもが多く見られ、子どもたちとやり取りをしながら進んでいました。授業に積極的な子どもの姿が目立ちます。その一方であまり反応できずに、授業に参加できない子どもも一定数います。反応する子どもとだけで授業が進む傾向が見えました。コミュニケーションが苦手な子どももいますので、その子どもたちをどう巻き込むかが課題です。口頭で意見を言えない子どもの考えを、1人1台の環境を活かして全体で共有するといったことが必要になると思います。全体として教室の雰囲気はよいので、全員参加をより意識してほしいと思います。

高等学校では、子どもたちの表情の違いが気になりました。
どのコースでも、子ども同士がかかわり合うような場面ではよい表情を見せてくれます。基本的に人間関係は良好なようです。違いが見えるのは、授業者が説明をして子どもたちが受け身になる場面です。幅広いキャリアを指向するコースでは、先生の話に反応して表情が変化します。子どもたちが安心して自分を出すことができているように感じました。特別進学のコースも、表情の変化が多いように見えます。どちらのコースも学級数が少ないので、先生と子ども、子ども同士のかかわりが濃く、人間関係が良好なこともその一因だと思われます。一方、一般のコースでは子どもたちの表情がほとんど変わりません。子どもたちは落ち着いているのですが、淡々としています。4月当初と比べても授業に対する意欲が減少しているように感じました。子どもたちの出力場面が少なく、授業中に評価されることがあまりないことが原因の一つのように思います。
また、よい雰囲気で授業を受けているコースでも、子どもたちが居心地のよい現状に満足して、ぬるま湯につかっているようにも見えます。まだまだやれると思いますので、子どもたちに適度なストレスを与えて鍛えるという視点も必要に思います。

ICTの活用は、中学校ではどの教科も日常的なってきているようです。1人1台のiPadを情報収集、表現・発表や共有といった使い方だけでなく、思考のためのツールとして活用する場面を増やしていくとよいと思われます。
高等学校では、子どもたちの意見の共有といったかかわり合いのツールとしてICTを活用する場面が見られますが、一部の先生に限られています。子ども同士のかかわり合いのある授業はそのやり方にかかわらず一定の評価を得ていますが、ICT活用の視点でも他の使い方に比べて評価が高いように感じます。また、子どもたちの発表のツールとしての活用も見られますが、それ以外は、教師の提示の道具としてスライドを映したり、ネットで資料や動画を検索させたりするといった使い方に留まっています。ネット検索に関しては、教師の指示で検索する場面が多いことが気になりました。これでは教師が用意していた資料がネットに変わっただけです。課題に取り組む中で子どもたち自身が必要と判断したことを検索することが大切です。
とはいえ、ICTの使い方以前に、授業者が今まで通りに準備した内容を板書し、子どもたちは手書きでノートに写すという授業もまだまだ目につきます。板書をスライドにして必要なものは配信することで多くの時間を生み出すことができるのですが、あえてICTの活用を避けているようにも見えます。生み出された時間をどう活かすのかを考えられないので、板書で時間をつぶしているのかもしれません。
こういった状況は子どもたちのアンケートからも見えています。ICTを活用している授業が評価されている一方で、使わないので持っている意味がない、タブレットが手元にあるとつい遊んでしまうというネガティブな意見もあります。このことを裏付けるように、子どもたちがiPadを机の上に立てて、その陰でよそ事をしていたり、中には漫画を読んだりしている姿を目にします。この状況を見て、「使わない時はきちんとしまうように指導することが大切だ」「iPadがあるとよそ事をしてしまうからない方がよい」ということを主張する方もいらっしゃるかもしれません。子どもたちはICT機器を動画配信や漫画、ゲームなどでは使い慣れていますが、学びにつながるような使い方を知らないので、よそ事に使ってしまうのです。これからの子どもたちにとって、ICTは生きるための大きな武器になります。ネガティブをあげつらいそこから遠ざけるのではなく、ICTの有効な活用を授業でたくさん経験させることが必要です。指示されて使うのではなく、道具として自身の判断で活用できるような子どもを育てることを目指してほしいと思います。

授業を見ながら企画運営委員の先生方とこういった課題を共有させていただきました。この学校で起こっていることは、「主体的・対話的で深い学び」「GIGAスクール構想」といったことを実現していく過程で多くの学校で経験することだと思います。手探り状態ですが、先生方と一緒に、課題に向き合いながら知見を深めていきたいと思います。

数学の先生から相談を受けました。
授業のスタイルを講義型から子どもの発表型に変えたところ、子どもたちから「よくわからない、元のスタイルに戻してほしい」という要望が出てきたのでどうしたらよいかというのです。本人も元のスタイルに戻したいようですが、問題は授業のスタイルではないところにあるように思います。子どもの状況を把握して、子どもの「わからない」に寄り添った授業展開をしていないように思えるのです。子どもの発表を活かすために、聞いている子どもたちとどんなやりとりすればよいかが考えられていない、というより子どもの状況を把握できていないようです。講義型の授業がわかるのではなく、写すべき板書があるだけましということなのでしょう。相談のあと、この先生の授業を少し見させていただきました。講義型の授業でした。一方的に説明をしていますが、ほとんどの子どもは板書を写すことを優先して先生の方を見ていません。説明より板書の方に価値があるのです。子どもとコミュニケーションを取れていないことが問題です。授業の感想を聞きに来てくれたので、このことをお伝えしました。すぐに変わることは難しいかもしれませんが、子どもの反応を見ながら授業をつくることを意識していただけることを願っています。

今年度の中学校の入学適性検査の問題を見せていただきました。資料の読み取りを含めた読解力や論理的思考力など、先生方大切にしたい力が何かがとてもよくわかる問いばかりでした。正答率が想定より低い問題について少し話し合いました。大人にとっては一般的な言葉でも、小学校6年生にはよくわからない言葉を使ってしまったことがその原因ではないかと想像します。具体的には、プログラミング思考を問う問題で、一連の手順を説明なしに「プログラム」とラベリングしたことです。例として具体的にその手順を一つずつ追うことをすればまた違ったのでしょうが、一連の手順の結果を問うことを最初の問いにしたために、理解できずに先に進めなかったのではないかと思います。ちょっとしたことですが、問題作成の難しさを考えさせられました。毎年工夫しながらオリジナルで問題をつくっています。失敗も含め、先生方の大きな力となる経験だと思います。来年の問題が今から楽しみです。

特別進学のコースの先生からは、うれしい報告がありました。2つの有志グループの自主研究をまとめた論文がそれぞれ選考を通り、高校生国際シンポジウムで発表の機会を得たそうです。自分たちの問題意識から出発し、調査し行動した結果をまとめたものです。高校生ですので論文の書き方もわかりません。入門ガイドブックと首っ引きで仕上げたそうです。調査の過程では、テーマにかかわる団体へアンケートの内容に関するヒアリングを行ったときに手厳しい指導を受けたりもしたようです。ところが、子どもたちは厳しい言葉にもめげず、よいことを聞けたと前向きにとらえて頑張ったそうです。自ら学ぶことの楽しさを知り、自信もつけたことでしょう。こういった子どもたちの頑張りが他の子どもたちへのよい刺激になってくれることを願っています。
子どもたちの素晴らしい姿に、従来の教科書的な学びではなく、国際感覚を持ち社会貢献などを通じて課題解決力を養う新しいコースをつくりたいという構想も浮かび上がってきたようです。子どもたちの姿から先生もエネルギーを得ているようです。新しい時代の学びについて、子どもたちや先生方の姿から考える機会をいただいていることに感謝です。

コミュニケーションの場面で何を意識させる

保護者や一般の方を対象にした研修を行うことがあります。研修では小グループでの話し合いを行いますが、「話し合いではなく、聞き合いにしてください」とお願いします。また、「相手を説得することではなく、納得することを大切にして下さい」とも付け加えます。こういう言葉を投げかけておくと、多くの方が主体的に話し合いに参加してくださいます。受容的な雰囲気で安心してしゃべることができるのでしょう。
研修の後のアンケートでは「聞くことの大切さがよくわかった」「会社でも相手を説得しようとする人が多いが、納得が大事だとあらためて気づかされた」といった感想をたくさんいただきます。こういった感想が多いということは、これまでこういったことを意識する機会があまりなかったことの現れでしょう。就活でもコミュニケーションスキルの大切さが言われていますが、主張する意識が強い、説得型の人も多いように思います。こういったことは先生方にも言えると思います。
学校でもグループ活動やペア活動など、子ども同士のコミュニケーションの場面が増えていますが、「話すことより聞くこと」「説得ではなく納得」を子どもたちに意識させることが大切だと思います。コミュニケーションで何が大切かをしっかりと意識して授業に臨んでほしいと思います。

新しい発想の研修

10年近く前にアドバイスさせていただいた学校で、現職教育の助言者として呼んでいただきました。学年毎に共通の指導案をもとにした道徳の授業を1週間かけて全員が公開し、その後検討会を行うというものです。

検討会に先立ち、2日間、公開授業と飛び込みでいくつかの授業を見せていただきました。以前と比べて子どもたちはとても落ち着いています。その大きな要因はどの先生方も子どもたちをしっかりと受容していたことにあると思います。発言した子どもに対して、うなずきながらやさしい表情で対しています。しかし、積極的に挙手する子どもは一部で、多くの子どもはあまり反応しないことが気になりました。授業を見せていただきながらその理由をいろいろと考えてみました。

一つは、子どもたちが授業に参加する必然性がないということです。発言する子どもと授業者だけで授業が進み、常に先生がまとめていきます。発言をすぐに板書する先生がほとんどです。中には子どもの発言中に黒板を見て板書をする方もいらっしゃいます。子どもたちは先生のまとめを見ればよいので、あえて積極的に参加する必要がないのです。
子どもの考えを無意識に誘導しようとしていることも、発言をしない原因のように思います。子どもの発言をそのまま復唱せずに「○○ということだね」と言い換えることがよくあります。このように返されると「ああ、先生はこう言ってほしかったんだ」と先生の求める答探しをするようになります。道徳なのに、子どもの意見に対して「いい意見」と評価することもよくあります。そうなると、授業者が「いい意見」と思う答を言わなければならないので、自信がなければ発言できなくなります。
また、共通して気になったのが、先生方が子どもたちを見ないということです。資料の範読中に、一度も資料から目を上げない先生がほとんどです。発言者ばかりを見て、他の子どもの聞いている様子や反応を見ることもしません。そのため、反応をもとに子どもの考えをつなぐ場面はなく、積極的に発言しなければ子どもがポジティブに評価されることはありません。「今反応したね。それってどういうこと?」と、発言しなくても聞くことで参加していることを評価し、発言するきっかけをつくることが大切です。

子ども同士のかかわりについても気になることがあります。グループでの話し合いで子どもたちがうまく話せないのでしょう。席を立って誰とでも話してよいという場面がかなりの頻度ありました。確かに、席を立って仲のよい友だちとであれば、話は弾むかもしれません。しかし、これでは日ごろのプライベートの関係が授業に持ち込まれる危険があります。学級の中で人間関係を上手くつくれない子どもは、ここで孤立してしまいます。実際、話がはずむ集団ができる一方で、誰ともかかわれない子どもの姿が少なからず目につきました。少なくとも授業では、だれとでも話せる関係をつくることが大切になります。グループで話し合いなさいと指示したからといって、人間関係ができて話せるようにはなりません。学校生活の様々な場面で、人間関係をつくることを意識する必要があります。発言に対して、「なるほどと思った人?」「これだけの人がなるほどと思ってくれたね。すごいことだよ」と友だちに認められていることを感じさせることや「○○さん、今の意見を聞きながら反応していたね」と聞く態度を価値付けすることを日ごろから意識して行うことが大切です。子どもたちが互いに認められる場面を増やすことで、安心して話せる関係をつくるのです。

道徳の授業構成としては、資料の読み取りに時間を使いすぎていることが気なりました。とりあえず子どもたちから出てくるのは、一般的に妥当だとされる共通解です。そこを揺さぶりながら焦点化して、もう一度考えさせることで考えが深まります。揺さぶりと焦点化を意識していないせいなのか、読み取りに時間をかけすぎたせいなのかはわかりませんが、浅い意見が出たところで授業は終わっていました。一番大切な活動はどこかを意識し、そのための時間を十分に確保するために、削れるところはどんどん削ることが必要です。範読しながら、先生が主導で読み取りもすます。時には資料の不要なところはバッサリと切る。そんな判断も必要です。

授業参観の後、教務主任や現職教育部の先生と話す機会があり、私が感じたことをお伝えしました。感心したのが、現職教育部の先生の柔軟な姿勢です。予定した検討会の進め方では私が指摘したような課題に先生方が気づいてくれないだろうと、内容を変更したのです。具体的には、先生を対象にしたオリジナルの道徳の指導案をつくり、模擬授業をしたのです。「授業研究で、主人公の先生が成功だと思った提案授業の課題を指摘されて考える」という、オリジナルの資料を教務主任がつくり、ベテランが授業者となって行いました。先生方に子どもを見ることや、子どもの考えを大切にすることとはどういうことかを資料を通じて考えてもらい、授業者が実際にやって見せることで、子どもつなぐといった授業技術に気づかせようというものです。このような発想の研修は初めての経験で、その発想力に感心するとともにとても楽しく参加させていただきました。
若い先生が多く、子どもが主体の授業、全員参加の授業という言葉は知っていても、それがどのようなものかは自分の中で腑に落ちていないようでした。模擬授業がこのことについて考えるきっかけになったことと思います。この後、先生方がどのように変化していくのかとても興味を持ちました。
新しい発想の研修を経験することができた、とても有意義な時間でした。よい企画に参加させていただき本当に感謝です。

ICT活用の公開授業で考える

先月、私立の中学校高等学校のICT活用の公開授業を見学してきました。今後小中学校で1人1台環境が急速に普及してくると思いますが、その時どんなことが起こるかを考えるよいきっかけとなりました。

教室を回っての第一印象は、ICTを活用するねらいがはっきりしていない授業が多かったことです。悪い言い方をすれば、ICTを無理して使っているということです。例えば、小テストを個人のタブレットに送って解かせる場面がありました。できた子どもは端末で解説を見ていますが、それで理解したかどうかはわかりません。紙の小テストを単に置き換えただけで、そこにICTが関与する意味をあまり感じませんでした。紙を配る時間と解答をする時間を省略したということでしょうが、それだけではあまりにもったいない気がします。これに限らず、紙の代わりにタブレットに情報を配信するといった使い方が多かったように思います。タブレットを子どもたちの思考を広げたり、深めたりするような道具として利用するような活用が見られなかったのが残念です。
この学校ではこれまで従来の大学受験に対応するような、一問一答で教師の質問に答え、説明をノートに写すことが中心の、知識注入型の授業が展開されていたのではないかと想像します。その授業の形にICTを当てはめようとするので、小テストや紙の代わりといった使い方になっているように思います。
おそらく、今後1人1台のPCの環境が整備された時に、従来の授業の中で置き換えられるところを探すという、この学校と同様のことが起こるように思います。発想を変えて、これからの子どもたちに求められる力は何かをしっかりと考え、従来の授業の形にとらわれずにどんな活動をすればよいかを考えることで、ICTのよりよい活用場面が見えてくると思います。また、タブレットをノートと鉛筆の代わりと考えると、板書をノートに写す意味がなくなります。決まった内容は配信すれば済みますし、リアルタイムで板書されたものはデジカメで写せば事足ります。ノートに子どもが書く意味のあるものは、自身の思考過程や、振り返りが中心になってくるでしょう。このデータを蓄積して活かす方法が今後問われてくると思います。

今後1人1台のPC整備が進むと、課題になるのはWi-Fi環境です。この学校では1人1台導入時は、同時利用しようとするとネットにつながらない問題が多発したそうです。今ではインフラが整備され、全員が同時に利用しても支障なく快適に使うことができています。こういった環境面でのノウハウも重要になってきます。先進的に取り組んでいる学校のノウハウを全国で共有できる仕組みを作っていくことが求められます。

今回の公開授業が、ICT活用について多くのことを考えるきっかけになりました。よい刺激をいただけたことを感謝します。

授業者の進歩を感じた体育の授業

中学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は同じ先生の体育の授業を2時間参観しました。

1年生と3年生の女子のハンドボールの授業です。
1年生はこれまでハンドボールの経験がない子どもたちです。準備運動で運動場をランニングします。授業者は一か所に立って子どもの様子を見ながら、笑顔で一人ひとりに声をかけて励まします。どの子どもも手を抜かず一生懸命に走っていました。走り終わるとすぐに子どもたちは集合します。どの子どももしっかりと顔を上げて授業者の説明を聞いています。寒い日でしたが手をさすったりする子どももいません。どの子どもよく集中していました。
パスのやり方を授業者が見本を見せながら説明し、ペアに分かれて練習をします。子どもたちは素早く動いて練習を開始します。一生懸命に取り組むのですが、この学級では部活動で球技を選んでいる子どもはほとんどおらず、予想以上に上手くいきません。ボールを持って振りかぶることもできない子どもがほとんどで、ボールが届かない、まっすぐに飛ばないと苦労しています。授業者は時々個別に指導しますが、特に追加の指示せずに全体が見える位置で様子を見ています。常に全体を見ることを優先していました。これは体育教師としては、特に大切なことだと思います。
子どもたちが苦労していたので、あまり時間をおかずに一旦全員を集合させました。見本として、比較的上手なペアを前に出すと、子どもたちは食い入るように見ています。授業者の説明の時もよく聞いていたのですが、それと比べても段違いの集中でした。やってみると難しく、困り始めたタイミングだったので、身近な仲間のプレーは参考になったようです。この後のプレーは先ほどと比べてボールの投げ方はかなりよくなっていました。子どもたちが主体的になったタイミングで、自分たちとレベルが近いプレーを見せることが効果的なことがよくわかりました。
続いて、ラテラルパス(ボールを片手で、素早く横に出すパス)の練習です。このパスは手首のスナップが必要ですが、子どもたちは握力がないためボールを片手持ち上げることができずません。正しいフォームを教えても手首を使えないので、腕で投げてしまいます。その上、横に出すパスなのに互いに正面を向いて投げるので、ボールはおかしな方向に行ってしまいます。横に並んで短い距離で練習を始めるとよいでしょう。ボールを片手で持てないので利き手と反対側の手も軽く添えるように指導すると、正しいフォームが身につくと思います。
最後の練習は、チームプレーを意識した連携の練習でした。鬼ごっこの要領でディフェンスとオフェンスの感覚を養うものです。正方形の中に鬼が1人いて、5人が子です。子が頂点の4か所にいれば鬼は捕まえることができませんが、1つの頂点には1人しか居られません。頂点に入れない子を逃がすためには誰かが他の頂点へ移動して逃げる場所を作らなければなりません。子が捕まらないためには、次々に頂点を移動していくことが必要です。仲間の動きを見て連携しないとすぐに捕まってしまいます。ルールはそれほど難しくないのですが、個別に状況を判断して動く必要があるので、子どもたちにとっては難しいものです。
ルールを説明して、簡単にやって見せた後、2グループに分かれて開始しました。予想通り、子はどう動いてよいかわからないため、すぐに鬼に捕まってしまいます。何度かやっている内にどう動けばよいか気づくかと思いましたが、進歩が見られません。授業者は、一旦集合させて1チームがやるのを見学させます。子どもたちは一生懸命見ていますが、パスの時と違って状況がどんどん変化していくので、誰を見ればよいのか、どこを見ればよいのかよくわからなかったようです。この後、各グループで再開しても状況は大きく変わりませんでした。
個別の状況に応じてどう判断して動くかを考えるには、場面ごとに動きを止めることが必要です。最初に4人の子が頂点にいて、1人が辺上にいる場面を作ります。「この時、鬼はどうする?」と問いかければ、当然辺上の1人をねらうことに気づきます。ねらわれた人はどちらかに逃げますので、「逃げた先の頂点に2人は居られないよ。どうする?」と考えさせます。頂点にいる子が次の頂点に向かって逃げれば、最初の子は空いた頂点にたどり着いて助かることに気づけば、あとは、同じことを繰り返せばよいとわかります。ここまでを一つひとつ動きを止めながら理解させることが必要です。子がうまく逃げるようになってくれば、今度は鬼がどうすればよいのか考える必然が出てきます。子が正しく動けるようになって、初めて鬼も戦略的に動く必要が出てきます。鬼は子が逃げようと動いたら、その先の頂点にいる子が動くのをねらえばうまく捕まえられます。ここまでできるようになれば、互いにまわりの動きを見てフェイントを入れながら協調的に動くことができるようになってきます。よく考えられた練習ですが、それが機能するまでには、スモールステップで教えることが必要なのです。
終了後の後片付けも素早く行われていました。授業者が何も言わなくても子どもがすぐに動けるのは、次に何をすべきかを考える習慣がついている証拠です。授業者がどんな子どもを育てようとしているのかがよくわかる授業でした。

3年生の授業では、よくも悪くも3年生らしさを感じました。
準備運動のランニングでは、全体はしっかりと走るのですが、一部の子どもがどうしてもついていきません。体力的な問題なのか気持ちの問題なのかはわかりませんが、友だちが一生懸命に引っぱっていきます。授業者も最後は笑顔で励ましながら一緒に引っぱって、なんとか完走させました。人間関係のよさを感じる場面でした。
説明の場面でも、数人の子どもの顔がなかなか挙がりません。しかし、授業者の説明には反応します。授業者は気づいていますがあえて注意はしないで、見守っています。移動や練習の開始もとても速いのですが、やはり数人だけが遅れます。しかし、全体に悪い影響を及ぼすことはなさそうです。まわりの子どもが優しく見守っていますし、授業者も時々そばに行って前向きな言葉をかけています。子どもたちをよく見て、丁寧な対応をしていました。
ディフェンスとオフェンスに分かれ、パスを使ってボールを運ぶ練習をします。前へ運ぶという意識が弱く、ボールをパスするとそれで気を抜いて止まってしまいます。パスアンドランの意識を持たせる必要があります。1年生の連携の練習と同じく、場面ごとに止めながら、「パスした後どうする?」と問いかけながら、動きを考えさせるとよいでしょう。また、グループ内でオフェンスとディフェンスを交代しながら練習していましたが、前へ運ぶことを意識させるのであれば、チームごとにオフェンスとディフェンスに分かれて、チーム対抗の形にしてもよいかもしれません。まだまだ工夫の余地はありそうです。
3年生は1年生と比べてよく声が出ていました。3年間の人間関係が現れているのかもしれません。その反面、嬌声も時々聞こえてきます。楽しそうな雰囲気はとてもよいのですが、活動することが目的化しているようにも見えます。活動の目標を明確にすることで、より真剣さが増すと思います。

授業者はこの1年余りで、ずいぶん成長しました。子どもを温かい目で見守れるようになりました。授業規律がしっかりとしてくると同時に、毎回子どもたちに着けたい力を意識して、どんな活動をすればよいのかをよく考え、ねらいを達成するための工夫をしています。
この姿勢を維持すれば確実に授業力はついてくると思います。これからの伸びが楽しみです。

互いに学べることを目指した研究授業

中学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は学年ごとの授業へのアドバイスと1年生の理科の授業研究への参加でした。

前回の訪問時、3年生は授業への参加の様子や友だちとのかかわり方がずいぶんとよくなっていました。今回は合唱コンクールの直後ということもあり、どのような姿をみせてくれるかとても楽しみでした。子どもたちは柔らかい表情で、集中して授業に参加しています。合唱コンクールがとても充実していたことがうかがわれます。その上で、合唱コンクールの余韻を引きずらず、雰囲気のよさだけが継続している感じです。教える側、教わる側、どちらも明るい表情で向き合っている姿をたくさん見ることができました。授業をする先生方の表情からも充実した授業が行われていることがわかります。学級がひとつになって中学生活の最後に向かってよい形で追い込みに入っていると感じました。
全体的にはよい状況ですが、学習面で苦しい子どもが若干目につきました。授業から逃避せずにがんばっているのですが、ついてくのに苦労しているように見えます。先生方には、子ども同士の関係がよくなっていることを活かし、互いに支え合う雰囲気を作るようお願いしました。

2年生は学級活動の時間を参観しました。この日は高校進学に関連した情報提供を中心とした時間でした。合唱コンクールの後の少し弛んだ気持ちを引き締め、学習に意識を向けようというねらいです。経験の少ない先生が多いこともあり、予定した情報を伝えることに精一杯に見えました。進学に関して、まだ2年生の半ばなので先のことだと考えている子どもたちが、急に現実をつきつけられて戸惑っていたように見えました。現実半分夢半分くらいの話ならよいのですが、一方的に情報を与えられて子どもたちが処理しきれていないようにも思いました。
話を聞いている子どもたちは3つの層に分かれているように見えました。学校生活が順調で進学情報も積極的に受け止めようとしている層、進学を考えることはもう少し先に延ばしたい層、そして既に自分の将来についてあきらめムードの層です。先生は思ったより子どもの喰いつきが悪いので、だんだん肩に力が入っていきます。そのプレッシャーを感じて子どもたちは、ますます話を聞こうとしなくなります。耳をふさいでやり過ごそうとしているのです。一方的に情報を与えるのではなく、自分たちの持っている情報を確認して、もっと情報が必要だ、知りたいという気持ちにさせることが必要です。身近な高校生を思い起こさせ、「高校生活はどんな風に見える?」と、それぞれが持つ高校生像を共有するといったことをしてもよかったでしょう。中学生活より楽しそうに見える人もいれば、大変そうに見える人もいるはずです。先生が経験している例を話してもよいでしょう。その違いはどこにあるのかを子どもたちに考えさせ、自分に合った学校選びが必要であることに気づかせたいところです。まずは、高校生活を想像させ、よりよいものにしたいと思ってもらうことが必要です。その上で、情報を少しずつ与えていくのです。この時間だけで完結する必要はありません。朝や帰りの会で少しずつ計画的に伝え、考えさせていくことが大切です。

1年生は、合唱コンクールを経て、以前よりも子ども同士の関係がよくなったように見えます。グループでの相談も額を寄せ合って話し合っている姿がたくさん見られました。全体的に授業規律がよく、集中して授業に参加している姿が見られました。その一方で、一部の授業で気になる姿が見られます。全体での発表に今一つ積極的でない子どもが多く、友だちの発表を聞かずに授業者の方を見ているのです。以前から、積極的に発言する一部の子どもたち中心で授業が進む傾向がありますが、その子どもたちは友だちではなく授業者に聞いてもらおうとします。授業者がしっかりと受け止めてくれるからです。授業者は発言を受けて自分で説明し黒板にまとめます。残りの子どもたちは発表を聞かずに授業者の説明を聞き板書を写すことになります。そういう授業では、子どもたちは楽しくグループの活動を行っていますが、それ程深く考えようとはしていません。ここで頑張ってもその結果が活きることはないからです。このような状況が慢性化していくと子どもたちが消費者的になってしまう危険性があります。子どもの発言を他の子どもにつないで、全員参加を意識することが必要です。
また、問題を個人で解く場面でも気になることがありました。一部の子どもたちにとっては課題がやさしすぎるのでしょう、解けた後時間を持て余しています。授業者は気になる子どもたちの所で個人指導をしているので、その状態に気づいていないように見えます。今はそれほど目立った行動はとっていませんが、放置しておくと次第に自分勝手な行動をとるようになっていきます。できた子どもにはあらかじめ次の課題を与えておくことが必要です。また、みんなで知恵を絞る必要があるような、よりレベルの高い課題を与えることも重要です。全体的に力のある集団なので、よい意味でストレスをかけるとよいでしょう。子どもたちを「鍛える」という意識を持ってほしいと思います。

研究授業は、講師時代を含めて新卒から7年目の先生の理科の授業でした。ICTの活用を意識した、フックの法則の実験の授業でした。
力について、単位や意味の復習から始めました。子どもたちに問いかけ、発言させながら確認します。一方的に授業者が説明するのではなく、できるだけ子どもの言葉を活かそうとしています。この姿勢は授業全体を貫いていました。
エキスパンダーを使って、力が強いとばねがたくさん伸びることを確認し、その上でこの日のめあて「力の大きさとばねの伸びの間にはどのような関係があるだろう」を提示します。ここで、「ばねの伸び」と授業者が提示しましたが、どこを測るかを子どもたちに考えさせて、実験結果から伸びに注目すべきだと気づかせても面白かったと思います。
「実験の手順はこうしたい」とスライドで示します。本当は子どもたちに考えさせたいという気持ちが言葉に現れているように思いました。手順が実験中も黒板の横のディスプレイに残しているのですぐに確認できます。板書しておいてもよいのですが、黒板の領域が狭くなります。黒板とは別にディスプレイがある時の、ICTの有効活用の一つだと思います。
実験の前に結果を予想させましたが、それを共有することはしませんでした。右肩上がり、比例といった言葉が子どもたちのワークシートには書かれていました。この言葉を活かして、どんな実験をすればよいのか、実験結果をどうまとめたいかを子どもたちに考えさせるとよかったと思います。
ペットボトルに水を入れたおもりを使ってばねの伸びを測るのですが、その結果を班に一つ準備したタブレットPCの表に入力します。入力した値に応じてグラフに点が打たれますが、子どもたちはこのツールを欲しいと思っているわけではありません。道具が一方的に与えられた形です。予想で右肩上がり、比例という言葉が出ているのですから、そこからグラフにする必然性につなげたいところでした。
デジタル量りでペットボトルの水の量を調整し、データを取っていきます。子どもたちは、きりのよい値にこだわりながら測定していましたが、タブレットPCでグラフ化できるので、グラフを書く手間を気にせずにたくさんの値をとるという戦略もあります。ツールの紹介と共に、どのように重さを変えるかについて考えさせれば、違った展開もあったかもしれません。
実験が一段落すると、グラフの点をどう結ぶかを考えさせます。タブレットPCのツールを使ってフリーで線を引いたり、直線を引いたりしていますが、タブレットPCを独占している子どもが、自分の考えで引いている班がほとんどでした。その結果を含めて、入力したデータと描かれたグラフを自分のワークシートに写しています。自分専用でないため、記録が個人の手元に残らないためですが、この時間がもったいないと思いました。短縮された時間が結局ムダになってしまいます。その場で結果をプリントアウトできるとよいと思いました。そうすれば、班ではなく自分の考えで線を引くこともできます。こういった課題に気づけたのは収穫だと思います。
今回実験の整理に使ったツールは、同僚に助けってもらって、表計算ソフトで作ったものです。デジタルで作ったものはサーバーに置くことで共通の財産として誰もがすぐに使えるようになります。授業の情報を交換しながら、学校としてノウハウを蓄積していってほしいと思います。
列ごとに定数の違うばねで実験させました。任意のグループの実験結果をまとめて集計する機能を使い、2種類のばねの集計結果をもとに考察をします。中には大きくずれた点もあります。どういうことか問いかけ、子どもから誤差という言葉を引き出しました。しかし、誤差か単にミスをしたのかはわかりません。実験した班は間違いと言っていましたが、具体的に確認をして誤差とミスの違いを明確にしておきたかったところです。
実験結果をプロットしたグラフを見て、比例しそうだという意見もあれば、曲線だと考える意見もありました。これはとてもよいことです。授業者は必要だったらまた実験しようと、一方的に結論を出しませんでした。こういう姿勢はとても好ましいものです。しかし、最後は、比例しそうという意見が大勢を占めたので、「比例しそうだ」とまとめ、フックの法則と結論づけました。せっかく子どもの多様な考えを認めたのですから、感覚ではなく、客観的な決め手となるものを与えたかったところでした。
ICTを積極的に活用したからこそ、それにともなう課題が見え、たくさんの気づきや学びのある授業研究になりました。今後子どもたちのICT活用が急速に進みそうですが、どのように活用すればより深い学びにつながるのか、まだまだ手探りの状態が続きます。今回の研究授業は、よい授業を見せようとするのではなく、互いに学べることを目指して新しい挑戦をしていたと思います。この姿勢を大切にした授業研究を続けることで、これからのICT活用のあり方が見えてくると思います。授業研究の積み重ねがこれまで以上に大切になってくることをあらためて感じました。

参加者によい刺激を与えてくれた模擬授業

私立の中学校高等学校の研修に参加してきました。この日は先生方を子ども役にした模擬授業を行いました。

授業はICT活用を意識した中学校の国語の授業でした。「扇の的」の2時間分を途中省略しながら行いました。
古文に対する感覚を育てたいということで、前半は音読を中心とした活動でした。最初は、音読ゲームでアイスブレークです。ペアで本文を文節単位で交互に読み合います。1回に読めるのは3文節までです。最後の文節を読んだ方が負けです。ゲームにすることで古文を楽しく読んでもらおうという工夫です。子ども役の先生方も大いに盛り上がっていました。ただ注意してほしいのは、こういったゲーム形式にすると子どもたちのテンションが上がり、本来のリズムを大切にして古文を読むことから意識が離れてしまうことです。また、原文は授業者が事前に文節に区切ったものを用意してありました。古文では文節を意識することが大切ですので、子どもたち自身で文節を区切る活動もどこかに入れたいところでした。
この後、授業者は琵琶法師による平家物語冒頭の語りを、準備したデータをPCで再生して聞かせます。CD等でも同じことはできますが、ネット上にデータを置いておくことで扱いも簡単になり、先生全員で共有できることが利点です。語りを聞かせるだけでは受け身の活動になってしまうので、原文とくらべながら聞いて音節を区切ることをさせてもよかったかもしれません。
琵琶法師による語りだけでなく、扇の的の段を講談でも聞かせます。最近はこういった日本の文化に触れる機会が少ないことと、講談のリズミカルな語りから古文のリズムに慣れさせたいという思いです。
音読の後は、現代語訳をもとにした読み取りです。原文の横に穴埋めの現代語訳が書かれたワークシートで学習します。現代語訳は主語と述語にあたる部分が抜いてあり、主語や目的を表わす助詞の「は」「が」「を」は反転させて、原文では省略されていることがわかるようにしてあります。古文では主語や目的を表わす助詞が抜けていることを授業者が教えて、子どもたちは主語述語にあたる言葉を入れていくだけの作業です。ワークシートに沿って作業をするだけなので、子どもたちが考えることはあまりありません。
続いて内容理解に入ります。那須与一が扇の的を射ることを辞退した理由を現代語訳から読み取らせます。「風の様子」「海の様子」「船の様子」「的の様子」「距離」とワークシートには項目も指示してあります。これでは現代文から抜き出すだけの簡単な作業になってしまいます。正解を見つけるだけの活動で、ここでも思考する場面がありません。古文に慣れ親しむのがねらいなのですから、現代文だけを見ていてもそこにはつながりません。子どもたちに原文のどこに書いてあるか線を引かせ、現代語訳を参考にして考えさせたいところでした。ここでは項目を与えずに作業させたほうがよかったと思います。過不足は生じると思いますが、「まだ他にあるのか?」「それは理由として適当か?」と問いかけることで、子どもたちで考えさせることができます。

板書は一切せずにすべてスライドを使っての授業でした。ICTを活用すると効率的に授業を進めることができることを参加者は実感したようで。ここで注意してほしいのは、授業があらかじめ準備したスライドだけで進んでいるということです。そこには、この時間での子どもの考えや発言が存在していません。効率的だからこそ、子どもの考えを引き出し深めることに時間を使ってほしいと思います。子どものとのやり取りでダイナミックに授業を展開するのに黒板はまだまだ有効な道具だと思います。このことを皆さんにお伝えしました。

授業者はまだ若く意欲的で、随所に工夫のあふれる授業を見せてくれました。もちろん改善の余地はまだまだありますが、そのことを前向きにとらえてくれます。授業者の意欲的な姿に、参加した先生方もよい刺激を受けたことと思います。私自身にとっても、学びの多い時間となりました。この学校でこのような研修ができるようになったことをとてもうれしく思いました。

みんなで考えることをねらった授業研究

私立の中学校高等学校で授業アドバイスと授業検討会の助言を行いました。この日は高校2年生のキャリアを意識したコースの先生方と子どもたちの授業の様子を参観しました。

高校2年生になると選択教科が増えます。自分がやりたい教科を選んでいるので、子どもたちの意欲の高さが感じられました。情報処理の授業では私たちの存在に気づかないくらい、パソコンでの作業に集中していていました。外国文化の学習場面では、もともと興味のある子どもたちばかりということもありますが、とてもよい表情で子ども同士がかかわり合っていました。いつもはあまり学習に積極的でない子どもも、前向きに取り組んでいるようでした。自分たちで活動していても、授業者がしゃべりだすと自然に前を見て集中します。授業規律もしっかりしていました。漢字の学習を選択した子どもたちも、ペアでよくかかわり合えていました。子どもたちのよい姿をたくさん見ることができました。
別の時間の選択授業の英語のスピーチでは、発表者だけでなく聞いている子どもたちの真剣な表情が印象的でした。スピーチが終わるとすぐに質問の手が挙がっていました。秘書検定を目指す授業では、授業者の問いかけに対して子どもがよく反応していました。残念だったのが、自分の考えをワークシートにきちんと書けるのに、進んで挙手、発表しなかったことです。挙手はしなくても反応はする子どもたちなので、すぐに授業者が説明せずに、子どもの反応を受容、共有し、価値付けするようにしてほしいと思います。安心して発言できる雰囲気をつくることで、子どもたちの積極性をより引き出してくれることを願います。
選択の授業と比べて、通常の必修教科の授業ではエネルギーの低い子どもも目に付きます。指示されたことや作業にはきちんと取り組みますが、選択教科に比べると表情が乏しく受け身の時間が多いように思います。先生方は、おとなしい子どもたちが多いと思っているかもしれませんが、選択教科で見せてくれたように、潜在的な学びに対する意欲は高い子どもたちです。おとなしいからと先生が一方的な説明をするのではなく、興味関心を持たせる工夫をすれば、高い集中力を発揮して学習に取り組み、大きく成長すると思います。
子どもたちが持つよさ、ポテンシャルを引き出すことを学年全体で意識することをお願いしました。

授業研究は4つの学級で行われました。今回は、子どもたちを見てほしいということで、従来教室の後ろに置いてあった椅子も取り払いました。その効果もあってか、先生方がよく動き、あらかじめ割り当てられた授業以外も積極的に参観されていました。

高校3年生の世界史の授業は授業者が一方的に説明をし続ける授業でした。「○○の所で話したように」と、過去の学習内容を振り返るのも常に授業者が中心で、子どもが考えたり、参加したりする場面がありません。言葉づかいも上から目線で、子どもたちと関係ができていないように感じます。そんな授業でも子どもたちが聞こうとする姿勢を見せてくれていたのが救いでした。
検討会で授業者は、「教育実習と初任の時以来の研究授業で、初心にかえることができた」というコメントを残しました。言葉通り初心にかえって自分がどのような授業を目指したいのかを今一度考えてほしいと思いました。

高校2年生の英語は、幼稚園児に英語で紙芝居を見せるという課題の発表場面でした。
子どもたちは、内容やせりふに変更を加えたりして自分たちのオリジナリティを出そうとしていました。発表前はどのグループもいっぱいいっぱいなのか、時間を惜しんで練習しています。だからといって、表情は悪くありません。緊張しながらも明るく取り組んでいました。これだけ発表準備に集中していると、他のグループの発表の時にちゃんと聞く余裕があるのかちょっと心配でしたが、発表が始まると、どのグループもすぐに練習を止めて集中しました。発表者も真剣ですが、聞いている方も真剣です。しかし表情は双方ともにとても楽しそうでした。発表が終わった後、評価シートをものすごい勢いで記入していたのが印象的でした。
授業者は受け身ではなく、自分事として活動を楽しんでもらうことを今回の授業の目標にしていました。その点では成功だったと思います。ゴールを明確にし、自由度を与えたことがよい結果につながったようです。この活動で英語の力がついたのかという疑問も出されたようですが、そのことは授業者も最初から気にしていました。しかし、今回は子どもたちに楽しませたいことを優先したのです。英語力については、子どもたちが主体的に取り組むようになった上での次の課題と考えています。この後授業がどのように進化していくのか楽しみになりました。

高校1年生の国語は、「水の東西」を題材に学習した後、自分たちで東西の文化について小論文を書く活動でした。
書き上げた文章を各自のiPadに配信して読み合います。グループの隊形になっていますが、個別に読むので特にかかわり合いは起きません。早く読み終った子どもは所作無げにしています。かなり時間が経ってから読み終った子どもへ指示していましたが、最初にしておくことが大切です。
子どもたちは自分がよいと思った作品に対してどこがよかったかコメントします。授業者は分析ソフトを使って子どもたちが書いたコメントからキーワードを抽出してスクリーンに映しました。ところが子どもたちの記述が具体的でないため、キーワードとしてソフトが抽出するのは、「よかった」といった抽象的な言葉です。授業者はこういった事態を予想していなかったので、ちょっとあせってしまったようです。時間も迫っていたので、自分で子どもたちの作品やコメントを評価してまとめてしまいました。スクリーンではなく、自分のiPadで友だちのコメントをいろいろとみている子どももたくさんいます。焦らずこういった子どもたちに意見や感想を言わせるとよかったでしょう。
確かに授業としては反省点が多かったかもしれませんが、ICTを活用した新しい授業に挑戦したことは大いに評価したいと思います。この授業を通じて、多くの先生がICTの活用について考え、学べたと思います。この経験を活かして次の授業を工夫していけばよいのです。ICTを活用する授業はこれだというものはまだまだ見つかっていないのが現状だと思います。だからこそ、こういった挑戦を学校全体で共有することが大切だと思います。

中学3年生の数学の授業は、アダプティブラーニングを紹介して、これからのあり方を考えてもらいたいと、指名ではなく授業者の希望で行われたものです。この意欲を買いたいと思います。
2学期に試験的に導入したAIを利用した個別対応の演習ソフトを授業の一部に取り入れていました。授業の課題が終わったあとは、子どもたちは自由にソフトに取り組みます。使い始めてまだ2か月余りですが、子どもたちは見事に使いこなしています。鉛筆で書くよりも早く、画面で問題を解いています。子どもたちにこのソフトがあっているのでしょう、それぞれがよいペースで問題に取り組んでいます。紙ベースで演習していた時よりもはるかに密度の濃いものになっています。このソフトが今後メジャーになるかどうかはわかりませんが、問題演習や知識の定着は、こういったものに置き換わっていくことは間違いないと思います。だからこそ教室でどのような学びをするのかが問われてきます。先生方は、今回具体的な活用場面を全体で共有することで、これからの学校教育の課題を実感できたと思います。授業者はよい機会を提供してくれたと思います。

今回面白かったのが、検討会の進め方です。授業後、あらかじめ準備されていた授業を見る観点毎に記入欄を設けたフォームにコメントを記入し、その内容を共有してからグループごとに話し合いました。効率的に全体の意見を把握することができ、すぐに話し合いが焦点化していったようです。直接話すよりも、フォームに記入する方が忌憚のない意見が出てくることもわかりました。全員参加のより深い話し合いになったと思います。
よい授業ではなく、みんなが考える授業をすることが意識された授業研究でした。こういった経験が積み上がって、学校全体の授業改善が進んで行くことと期待します。
学校が進化していくために必要なことが見えてきた気がします。

話し合う力をつけるためには、授業の進め方が大切

新しい学習指導要領が発表されて、これまであまりグループ活動を実施していなかった学校でも取り入れようとする動きが見られるようになってきました。中学校や高等学校にその傾向が強いようです。小学校と比べて扱う知識量が多いため、これまで教え込むことが中心となっていたようですが、見直そうとしているようです。

グループ活動を取り入れ始めた学校では、とりあえずグループにして話し合うことから始めることが多いようです。しかし、いきなり話し合いをさせても子どもたちは上手く話し合うことができません。そこで、積極的に話す子どもと聞き役に回る子どもを組み合わせるといった、グループのつくり方で対応している例をよく見ます。たしかにこうすることで、活発に話し合いが進んで上手くいったような気になりますが、それでよいのでしょうか。その実態は一部の子どもが場を仕切って結論づけているだけで、子ども同士がお互いの考えを聞き合いながら自分たちの考えを深めるとは程遠い状態です。子どもの役割を固定化してしまうことにもなってしまいます。社会に出て行けば、誰ともでかかわりながら課題を解決していくことが求められます。そのためにも、グループの構成を作為的にするのはあまりよいことではありません。

また、個人で問題を解いて、わからなかったらグループで聞くという活動もよく見ます。これも注意しないと、できた子どもができなかった子どもに答を教えるだけになってしまいます。先生ができる子どもと入れ変わっただけです。大切なのは、できなかった子どもが答を知ることではなく、自分で解けるようになることです。そのためには、できなかった子どもが納得できるまで聞くことが必要です。単に受け身で教えてもらうのでは意味がありません。
友だちの説明でわからなければ先生に聞くようにという指示も耳にすることがあります。子どもたちで解決できるように支援するのが先生の仕事ですが、先生が説明を始めてしまえば、子どもたちは自分たちで考える意味を失くしてしまいます。こうなると、先生に聞けばいいので、子どももたちは自分たちで真剣に考えようとしなくなります。先生が最後にまとめる板書を写しておけば困らないのです。互いがかかわり合って納得する答を導き出す過程をどうつくりだすかが問われます。

子どもたちがかかわり合い、グループでの話し合いが成立するためには、いくつかの条件があると思います。
一つは、互いに安心して聞き合える関係です。わからないと言ったらバカにされるようでは、安心して教えてとは言えません。上から目線で説明されるのを苦痛と感じる子どももいるでしょう。「わからない」「教えて」「助けて」と言え、「わかるまで教える」「一緒に考える」関係が前提となります。

もう一つは、単に答探しではなく、互いの考えを重ねて深めるやり方を知っていることです。互いに自分の考えを主張するのではなく、相手の考えを受け止めて、その上で自分の考えを伝えることが大切です。こういった話し合いの進め方をできることが求められるのです。

もちろん、これらのことをできるようになるためにも、グループでの話し合いを経験することが大切です。ただ、「話し合いなさい」というだけではできるようにはなりません。日ごろの授業で、先生が子どもたちの意見を否定せずに受容し、わかった子どもばかりに発言させるのではなく困った子どもの困り感を共有して、教室全体に安心して発言できる雰囲気を作ることが必要です。
また、全体追究で考えをつないで答にたどり着くような経験を教師主導でさせることで、話し合いで考えを深めるための方法を身につけさせることも重要です。
話し合いでは、子どもたちの話し合いの様子を評価・価値付けして話し合う力を育てていくことが必要です。発表は結論よりも、そこまでの過程を大切にし、その過程を共有し価値付けしていきます。こういった場面で積み重ねることで、子どもたちが成長し、話し合いを深い学びにつなげることができるようになると思います。

話し合いが上手くいくかどうかは、先生の日ごろの授業の進め方が大きく影響すると思います。話し合いが上手くいかない時は、先生の授業の進め方を一度見直してほしいと思います。

子どもの姿は先生の鏡

私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は一般のコースの1年生の授業を先生方と見学して、検討会を行いました。

子どもたちは落ち着いて授業に参加していますが、4月当初にあった、学ぼうという意欲があまり感じられない状況でした。子どもたちの表情が乏しくなっているのが気になります。この日見た授業のほとんどが、一方的に授業者が話し続けるもので、子どもたちの声を聞くことがほとんどありませんでした。子どもたちは授業に参加しようという姿勢を見せるのですが、力尽きてしまう姿が次第に目につきだします。
口頭での説明や板書ではなく、一人一台のiPadに直接データを送れば済むような場面も多くみられました。ICT機器を活用することで、子どもたちがかかわり合って活動する時間を捻出することができると思います。中学校では、ICTを積極的に活用することで子どもたちが活動する時間を上手くつくっています。中学校と高等学校で学び合って、せっかくの環境を有効に使ってほしいと思います。
気になったのが数学の授業です。かなりの子どもたちが授業者の説明についていけなくて、板書を写すだけになっています。中には最初から理解することをあきらめて、iPadで板書を写して他の時間はじっとしている子どももいます。困っている子どもができるようになる場面をつくる必要があります。
しかし、いくつかの授業の様子からすると、子どもたちは学ぶ意欲がなくなってしまったわけではなさそうです。ペアやグループ活動をしている授業では、とてもよい表情でいきいきと活動している子どもたちの姿が見られました。意欲もありかかわり合う力もあるのですが、それを発揮する場面がなかったのです。困っている子どもができる子どもに助けてもらうような場面をつくることで、子どもたちのよさを引きだすことができると思います。
先生方は、子どもたちが指示に従い、落ち着いて授業を受けてくれるので、いつの間にか教師主導の旧来の授業に戻ってしまいました。その結果子どもが受け身になっているのを見て、受け身な子どもたちだと思ってしまっています。
子ども同士がかかわり合い活躍する場面をつくり、彼らの持つよさを引き出すことで、積極的に学習に向かう姿を取り戻すことができると思います。子どもは先生の姿を映す鏡です。子どもたちの姿は先生がつくっていることを忘れないでほしいと思います。

11月中旬に行う研究授業の授業者と懇談しました。
今年度他校から移られた社会科の先生は、教科を通じてどのような力をつけたいのかが今一つはっきりしていませんでした。授業の進め方も一方通行で、子どもとのやり取りもほとんどありません。授業者は子どもに問いかけるようにしているということでしたが、具体的に聞いた例は、国際協力に関連して日本の輸出入額の一番大きいものは何かといった、単なる知識を聞くものでした。子どもが考えるような発問を考えてほしいことと伝えました。国際協力を経済や政治の観点で考えるのであれば、iPhoneを構成する部品がどこで作られているかを調べるといった活動をさせるとよいでしょう。そのことから、どんなことがわかるかを問いかけることで、国際分業やそれに伴う、日韓や米中の経済問題が見えてくると思います。こういった学習活動もあることをお伝えしました。
この先生には、研究授業ではどんな力をつけたいと考えているのがわかるような授業を目指すことをお願いしました。

英語の若手の先生は、子どもたちがこちらの与えた課題に前向きに取り組み、それなりに楽しんでくれているという手ごたえを感じていますが、そこから一歩進んで、主体的に取り組み、学ぶ楽しさを味わってほしいと考えていました。よい視点だと思います。今回の授業では英語の絵本を幼稚園児に読み聞かせするというテーマで活動をさせます。子どもたちに主体的に取り組んでもらうために、絵本の選定、本文の改変などの自由度を大きくとることにしました。これまでは、声の大きさや抑揚といった基本的な話し方の技能を相互に評価していましたが、今回は幼稚園児を意識した工夫も評価項目に入れたいと考えています。子どもたちが実際にどのような動きをするかわかりませんが、意図をもって実践し続けることで授業の質は確実に上がっていくと思います。この姿勢を忘れなければ、若い先生なので大きく成長していくことと思います。

国語の若手の先生は、日々授業が変化しているようです。授業を見るたびにいろいろと工夫が見られます。今学期はグループ活動を積極的に取り入れているのですが、できる子どもが、「こうじゃない?」と自分の答を示すと、多くの子どもがそれにのって、深く話し合わずに結論を出してしまうことを悩んでいました。この問題の原因の一つは、課題がグループで考える必然性がないことにあります。一部の子どもがすぐに答を出せるような課題では話し合う必然性がないのです。また、答をグループで一つにまとめようとすると、強い子どもの意見がそのまま通り、話し合うことをしなくなります。あくまでも自分の答を出すためにグループを活用するとことを基本とし、全体の場では答ではなく、根拠を聞いて共有することが大切です。
この先生は、どんな形(個人、ペア、グループ)で活動させるのかを先に考えていますが、まず、この単元でどのような力をつけたいのかを考え、それを達成するにはどのような課題や活動を選べばいいのかを考えてほしいと思います。ねらいを達成するための活動の選択肢の一つとして、ペア活動やグループ活動があるのです。
今回の研究授業では、どんな力をつけたいのかを明確にした上で、どのような形で活動させるかを考えるようにお願いしました。素直で柔軟な先生なので、また新たな変化、進化を見せてくれることと思います。

学年それぞれの成長を感じる

中学校で授業アドバイスを行ってきました。前回訪問から1か月経ちましたが、全体的に子どもたちの様子がよい方向に変わっていました。

3年生は、子どもたちが授業によい形で参加している姿が多く見られました。
この日は雨のため、体育の授業が教室で行われていました。3学級同時展開でしたが、どの学級の子どもたちもよい表情で先生の話を聞き、グループの活動では額を寄せ合って活動している姿を見ることができました。これらの授業以外でも、中学校生活の締めくくりに向かって前向きな気持ちで学校生活を送っていることが感じられました。
少し気になったのが、数学の授業での場面でした。2クラスを3分割して少人数で行っていますが、解答解説で子どもたちの姿がどの教室でも3つに分かれていました。集中している子どもと、そうでない子どもがいるのはよくあるのですが、集中していない子どもが2つに分かれているのです。塾等で学習して、もうこの問題の解き方は知っているから聞かなくてもよいと考えている者と、内容についていけずに聞く意欲をなくしている者です。一方的な教師の説明では、すべての子どもたちに対応できていないのです。おそらくこのような状況は数学だけではないと思います。教師の説明が増えるのは、高校受験が迫ってくるとどうしても入試に直結する問題の解法を効率的に教えたくなるからです。教師の説明中心で子どもを受け身にするのではなく、できる子どもには適度なストレスを与える、わからない子どもにはわかるようになる場面を作ることが求められます。
ここで注目したいのが、子どもたちはちゃんと育ってきていることです。先ほどの数学の授業では、個人で問題を解く場面は、どの子どもも真剣に解こうと取り組み、困ったときはまわりの子どもに教えてもらうとする姿を見せます。わからない子どもも決してあきらめているわけではないのです。聞かれた子どももきちんと教えようとしています。子どもたちは互いによい形でかかわり合えるようになっているのです。この状況を上手く活かすとよいと思います。
具体的には、効率的に思えないかもしれませんが、教師ではなく子どもに説明させることを大切にするのです。全体の場で説明させる場面を作ってもよいですが、問題を解く時にグループの形にしてわからなければ聞くように指示するとよいでしょう。授業者は困っている子どもが友だち聞けているかどうかに注意して、子ども同士をつなぐことに徹するのです。子どもたちで正解にたどり着けていたら、正解を板書して説明する代わりに、問題を解く時のポイントは何か、どうすれば解き方気づけたかといった、問題を解く過程をたくさん発表させてまとめるようにします。
できる子どもにとっても、こういったことを考えることはよい刺激になりますし、困っている子どもとっては、考える糸口が見えるようになります。数学に限らず、子どもを活躍させ、子ども同士で学べることを意識してほしいと思います。こういったことをきっかけに、授業以外でも子ども同士がかかわり学び合える関係になっていくことも期待できるでしょう。

2年生は、学力的に厳しい子どもがそろそろ苦しくなって、授業から脱落していくのではと心配していました。しかし、苦しい子どもも頑張ろうという気持ちを失くしてはいませんでした。しかし、わからない、できない状況が続くと「だめか」と集中力をなくしていることも事実です。自己有用感が持てない子どもが多いようです。
印象的な場面がありました。英語で教科書の音読を時間内に何回できるかに取り組んでいる時に、子どもたちが集中し、終わったあととてもよい表情をしていたのです。評価の基準がはっきりしていて、頑張れば結果が出せるので達成感が味わえるからです。速く読もうとするので、発音はどちらかと言えばいい加減です。授業者もそのことはわかっています。なんとか彼らに達成感を与えたいという苦肉の策なのです。教師は絶対的な目標達成を第一にして、それに対して足りないことを指摘しがちです。そうではなく、この子どもたちにはゴールに向かってのスモールステップを明確にして、一つひとつできたことを先ほどの英語のようにポジティブに評価することが必要です。そしてこの目標が達成できれば次は何ができるようになればよいかをはっきりと示して、達成感を与えながら次のステップへの意欲を高めてやるのです。授業に限らず、色々な場面で子どもたちをほめる、認めることを大切にしてほしいと思います。

1年生は、授業規律もよく、先生の指示にもよく従います。リーダーシップを取れる子どもも育っているように感じます。先生の問いかけにもよく反応します。一見するととてもよい状態に見えます。しかし、ここに落とし穴があるように感じました。よく見ると、反応する子どもは限られています。授業者は子どもの反応で授業を進めることができているように思っていますが、それは特定の子どもとだけなのです。無意識のうちに反応する子どもの方だけを見て、その反応をもとに解説し、授業を進めています。それ以外の子どもは、この場面は特に参加しなくても困らないという顔をしています。授業者が板書をすると、素早く写します。板書を写していれば、中学校の定期試験は困らないと考えているようです。授業者は子どもと対話的に授業を進めている気持ちなっていますが、実は一部の積極的な子どもとだけのやり取りで、多くの子どもは受け身の状態なのです。この状況が常態化すると、ワークシートの穴を埋めて、教師の板書を写せばよい。それ以外はじっとしていればよいという子どもになってしまいます。授業者は子どもの発言を自分で受け止めるだけではなく、他の子どもにつなぐことを意識することが必要です。不規則発言であれば、再度全員に対して公的に発言し直させ、他の子どもに反応を求めます。「なるほどと思った人?」「同じように考えた人?」と聞いていなければ答えられないことを問いかけ、挙手に頼らず、聞いている子ども、反応した子どもを指名します。聞いていたこと、反応したことを価値付けして、子ども同士がかかわるように仕向けるのです。子どもが落ち着いて授業に参加しているように見えるからこそ、全員参加を求めることを意識してほしいと思います。

道徳の授業研究は、友情をテーマにしたものでした。
合唱大会に向けての取り組みの中、リーダーの子どもは仲間に厳しいことを言わなければならないこともあります。授業者は、学級の子どもたちに互いの気持ちを思いやるようになってほしいと思って、友情をテーマにしたようです。
資料は3人の友だちの間で起こった出来事を扱ったものでした。登場人物はやや公共心に欠ける者、正論で諭すことのできる者、空気を読んで間に入る主人公です。授業者は、この資料の最後に出てくる、今後の3人の関係を象徴する「夏の大三角」をもとに本当の友情について考えさせようとしました。
最初に「友だちとは?」と問いかけ、子どもたちに発表させました。「一緒にいて楽しい」といった表面的な人間関係を示す言葉が続きますが、「高め合う」といった発言から、互いによい影響を与え合う関係を示す言葉がでてくるようになりました。授業者は、どの言葉も柔らかく受け止め、子どもたちに発言しやすいような雰囲気を作ることを意識していました。子どもたちの発言を板書して、「今日は友情について考えよう」とめあてを示します。
場面ごとに3人の行動は友情としてどうだろうと、その行動を友情度として全員に評価させます。子どもの示す数値にはばらつきはあるのですが、授業者は自分の判断でいくつと決めます。「夏の大三角」を意識して3人を三角形に配置して板書し、矢印でそれぞれの友情度を書き込んでいきます。ここで気になったのがかなりの数の子どもが板書を写していることです。考えるためのきっかけとなる板書でなく、読み取りのための板書になっています。自身の課題として考えるのではなく、授業者の求める答探しになりかけています。友情度で示させることの是非はともかく、子どもの示す数字は分かれているのですから、その違いを焦点化して聞くことで、多様な考えに触れさせたいところでした。また、友だちの正論を少し茶化して雰囲気を柔らかくした行動を、「一緒にいて楽しいのが友だちなら、この対応はいいんじゃない?」と最初にでてきた友だちの定義とつなげて揺さぶってみてもよかったでしょう。子ども自身の課題にすることを意識することが大切です。
子どもたちはまわりと話し合うことはするのですが、全体の場ではなかなか挙手してくれません。授業者は、大切なところだから発言してほしいといったことを子どもに伝えます。そうすると子どもは挙手しますが、発言はどうしても授業者の意図を汲んだものになります。授業者は自分が望む方向の発言を無意識のうちに「よい考え」といった評価をしてしまいます。道徳では発言内容を教師が評価しないことが大切です。評価するのは、「相手の立場を考えたんだね」「この後どうなるかを考えたんだね」といった、見方や考え方にするように意識してほしいと思います。
子どもの多様な考えを引き出す機会は何度かあったのですが、授業者が無意識のうちに自分のねらうところに誘導することになってしまいました。結局、授業時間のほとんどが資料の読み取りに終始してしまいました。最後に感想を発表してもらうのですが、発表者の方を誰も見ていないことが残念でした。子どもたちが真剣に考えたのであれば、友だちの発言はとても気になるものです。最後まで自分の課題にならなかったようです。

検討会では、道徳主任のコメントがとても的を射たものでした。
「道徳は資料の読み取りではないので、内容の確認は授業者主体で進めて早く子どもの内面に働きかけなければならない。資料の主人公は一番気持ちが変化した者。その変化をとらえて子どもたちに自分の問題として考えさせる」といった道徳のポイントを示したうえで、具体的な進め方を短い時間で伝えてくれました。授業者は事前に相談する余裕がなかったようですが、こういった力のある先生がいるのですから、いろいろな方と相談することができたらよかったと思います。
互いに相談し、学び合える関係が日常的になってくれることを願います。

学年ごとに、子どもたちの課題を意識してチームとして取り組めていることを感じます。ほぼ毎月訪問していますが、その度に子どもたちの成長を見ることができます。だからこそ次の課題が見つかり、さらなる成長につながっています。今後の子どもたちの成長が楽しみです。

指導案を作る時、何を大切にする

指導案の相談を受けることがよくあります。指導案を作る時に大切にすること、そして実際に授業をする時に注意する点について、私のアドバイスのやり方をもとに簡単にまとめてみたいと思います。

私が指導案を見ただけでアドバイスできることはかなり限定的になってしまいます。その理由は、その学級の子どもたちのことを担任のようにはわからないからです。発問に対して子どもたちがどのように反応するかで授業の展開は変わってしまいます。授業者と顔を合わせて、予想される反応を聞きながら一緒に考えることではじめて有効なアドバイスができるのです。
といっても、いきなり発問から検討するわけではありません。まず単元や教材を通じて子どもたちにつけたい力が何かを確認し、これをできるだけ具体的にすることから始めます。その力がついたということは、子どもたちがどんな発言や反応をすることでわかるのかという、ゴールとなる子どもの姿をイメージするのです。その上で、その姿を引き出すためにどのような課題や発問が必要かを考えます。まず、考えた課題や発問に対して子どもはどんな反応をするだろう、それに対してどのように切り返していけばよいだろうかと授業者とキャッチボールしていきます。いきなり目標とする反応が出てくればよいわけではありません。全員が目標とする反応を最初からするのであれば、つけたい力は既についているのですから、目標が低すぎるわけです。目標とする反応を数人がすると予想するのであれば、それを全体にどう広げるのかを考える必要があります。ねらいと異なる反応も当然予想されます。こういった言葉が出てきたら、「こう返そう」、いや「ちょっと相談する時間を取ろう」とその対応をシミュレーションし、どうしてもねらった言葉や反応を引き出せそうもなければ、課題や発問を変えることになります。指導案には書かれることがないかもしれませんが、予想される子どもの反応とその対応をできるだけ多岐にわたって想像するのです。説明をいろいろと考えることより、予想される子どもの反応とその対応をシミュレーションすることが、指導案の検討の第一だと思います。

実際に授業を始めると、子どもたちが授業者にとって都合のよい反応だけをしてくれるとは限りません。思わぬ反応に戸惑わないためにも、いろいろと予想しておくことが大切になります。とはいえ、事前に予想をしても、子どもたちは思いもよらない反応をしたり、すぐには理解できないような発言をしたりします。指導案の流れにこだわると、反応を無視したり発言を修正したり、追加で説明を始めたりすることになります。余裕がなければ難しいとは思いますが、子どもが思わぬ反応をした時に、指導案の流れはいったん忘れて、「面白い」「どういうことだろう」「もっと考えを聞きたい」という気持ちになってほしいと思います。そういう姿勢で接することで、子どもたちが安心して自分の考えを言ってくれるようになります。「○○さんの考えわかる?」と子どもたちにつないでいくことで、ずれた意見も子どもたちが修正してくれます。主体的、対話的に学ぶことにつながります。

指導案を作る時はできるだけ子どもたちの反応を予測し、その対応をシミュレーションする。実際に授業をはじめたら、予想外の子どもの反応も、指導案にこだわらず、できるだけ活かすことを考える。このことを大切にしてほしいと思います。

素直な先生は伸びる

中学校の若手二人に授業アドバイスを行いました。

1年生の社会科の授業は、摂関政治の授業でした。
授業者は「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の句を示して、藤原道長が権勢を持ったことを示します。その上で藤原氏がどうやって権力を握ったのかを考えることをこの日の課題として提示します。子どもたちはワークシートの天皇の系図、教科書や資料集をもとに考えます。と言っても、教科書には天皇との外戚関係を使って権力を持つようになってきたことは書かれています。途中で子どもたちの活動を止めて系図の内容を確認しますが、教科書の記述の確認にしかすぎません。子どもたちに考えた結果を発表させますが、当然のことながら教科書の内容の繰り返しになります。その後、摂政や関白の確認をして板書にまとめますが、結局子どもたちにとっては、先生のまとめをワークシートに写せばそれで困らないので、どうしても学習に対する意欲が上がりません。
教科書に記述していることをなぞっても子どもたちは考えることはありません。事実(史実)をもとにより深く考えさせることが大切になります。この授業であれば、外戚関係を使って権力を持ったということは史実としてすぐに押さえて、そこから考えるような課題を与えたいところです。「天皇の親戚になれば、権力を持てると他の貴族は考えなかったの?」「なぜ藤原氏が上手くやれたの?」といったことを問いかけて、子どもたちに疑問を持たせたいところです。ここから、貴族が力を持つようになる過程や、その中で藤原氏が特に力を持った理由を考えることで、平安時代の歴史の流れが理解できると思います。「天皇はそれでいいと思っていたの?」「この後どうなると思う?」「藤原氏はずっと権力を持ち続けれそう?」といったことを問いかければ、この後の歴史の流れを自分たちで考えると思います。
こういった視点で歴史を見ることは、社会科として大切な見方・考え方の一つだと思います。現在の社会で起こっていることから、これからの社会を予測したり、自分たちの社会をどうして行くのかを考えたりする力につながっていきます。この力をつけることは社会科を学ぶ大きな理由だと思います。また、授業の最後に女流文学などの平安文化に簡単に触れましたが、外戚政治との関連を考えさせることも課題として面白いかもしれません。
子どもたちにどのような力をつけたいのかを明確にして、授業をつくってほしいと思います。

3年生の体育の授業はバスケットボールの最後の時間でした。2コートを使って試合を行います。
準備運動も含めて、子どもたちの動きによどみがありません。試合を始める前には、何も言わなくても体育館の扉を閉め、バスケットゴールを利用できる状態にします。試合がすべて終わった後も素早く元の状態に戻します。単元の最初の授業で準備や後片付けについて説明をするようにしているそうですが、きちんと定着しています。子どもたちがよく育っているのを感じました。
授業者は以前と比べて子どもたちをとてもよく見ています。準備運動や説明の場面でもしっかりと子どもたちと視線を合わせるようにしていました。意識して子どもを見ていることがよくわかります。
授業者が進め方と組み合わせの提示をしただけで、子どもたちは指示されなくても、タイマーの音に従って試合を開始、終了、交替、開始と混乱なく進めます。自分たちの試合のない時も遊んでいる子どもはほとんどなく、どの子どもも試合をしっかり見て声援を送っていました。授業者は体育館の2階から全体を見ながら評価をしていましたが、メモすることに気を取られることなくしっかりと全体の様子を把握していました。
体育の授業のバスケットボールの試合では、ボールに人が集まり接触プレーが多いのが普通ですが、この授業ではどのチームも全体に広がってパスでボールを運ぼうとする、見通しのよいプレーをしていました。ただ、防御より攻撃の意識が強く、ゴール下にボールを運ばれるとディフェンスに参加せず、味方のボールになった時にすぐに攻められるように外から様子を見ています。ボールを取るとゴール下でずっと待っている仲間へロングパスを投げて速攻をしかけるという攻撃パターンが主です。特に審判を設けていないので、バイオレーションやファールを取ることがなく、ボールが外に出ない限りプレーは止まりません。3秒ルールを意識していないために、このようなオフサイドのないサッカーのようなバスケットになってしまいました。
このことについて授業者と話を聞いたところ、ゲームでは点数が入らないと意欲が上がらないので、得点できることを意識した指導をしてきたそうです。コートを広く使い、ドリブルとパスのどちらが早くボールを運べるかを判断することを大切にしてきたそうです。きちんと指導の成果が出ているから起こっているプレーだということです。そうであれば、次は、子どもたちの技術をもう一段階上げるためにどうするのかを考えればよいということです。授業者の課題が、「どのように子どもと接し指導していくのか」という授業技術面から、「何を教えるのか」という教科の内容面へと移ってきています。
1チームだけ、マンツーマンを意識したディフェンスを行っているチームがありました。当然ながら他のチームに対して圧倒的でした。試合のインターバルで少し時間をとって、こういったチームのよさを共有することで、授業者が指導した以外のことに気づかせることができます。子どもたちが互いに学び合う場面を意識するとよいでしょう。
昨年初めて授業を見せていただいた時と比べて、ずいぶんと授業が進化したように思います。素直にアドバイスを受け止め、授業を改善しようと日々臨んだのだと思います。授業が変化すれば子どもたちも変化することを肌で感じ、子どもたちの姿から学ぶことを知ったのだと思います。若い先生が成長していく姿を見ることができるのは本当にうれしいことです。この姿勢があれば、後は単元で扱う内容と目指すべき子どもの姿を明確にしていくことで、どんどん力をつけていくと思います。これからが楽しみになってきました。

授業改善が点から線へとつながってきている

私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行いました。今回は、高校1年生のキャリアを意識したコースと高校1、2年生の特別進学のコースが対象でした。

キャリアを意識したコースの子どもたちの姿からは、彼らが先生方に対して信頼を寄せていることが感じられます。先生方がいろいろな場面で日常的に子どもたちを受容していることが大きく影響していると思います。先生の話が一方的に続いても聞こうとする姿勢を見せますし、指示が明確でやるべきことがわかれば、きちんと取り組みます。受け身の場面が続いても、何とか寝ないで起きていようとしている姿が見られます。説明や課題を理解できない状況でもわかろうとする意欲があります。けれども、「わからない」と声に出して訴えたりはしません。表情や行動でシグナルは出していますが先生に気づいてもらえず、結局は説明を一方的に聞かされて板書を写すだけになっていることがよくあります。子どもたちが、「落ち着いて話を聞いている」「きちんと板書を写している」からといって、それで安心してはいけません。子どもたちと先生との関係がよいので、子どもたちが理解できなくても授業が崩れていないだけなのです。わからない子どもたちに一方的に説明をしても、なかなか理解はできません。授業の中に子どもたちが「わかるようになる」、「できるようになる」場面を作ることが必要です。
そのためには子ども同士がかかわる場面を増やすことが大切です。この子どもたちはかかわり合う場面では、聞き合ったり、助け合ったりすることはできます。その時の表情も悪くありません。グループでの活動を活かすためにも、全体の場で子どもたちの出力場面を増やし、子ども同士をつなぐことで、かかわり合って学ぶ経験値を高めてほしいと思います。
また、子どもたちが少し先生に甘えすぎているように感じる場面もあります。中学校まではあまり先生にかかわってもらっていなかった子どもが多いのかもしれません。先生とのかかわり方に子どもっぽさを感じます。検討会で先生方と話していると、子どもたちをとてもかわいがっていることがよくわかります。安心して甘えられる環境なので、この傾向が強いのかもしれません。このこと自体は悪いことではありませんが、子どもたちの成長のためにも、子どもとの距離を調整して、子ども同士のかかわりを増やすようにするとよいと思います。

特別進学コースの子どもたちは、落ち着いて授業に取り組み、まじめに課題に取り組んでいますが、彼らが持っている学びへの意欲が表に出ていないように感じました。課題が子どもたちのものになっていないことが原因のように思います。子どもたちが、「わからない、どうすればよいのか」と困ったり、「目標に向かって取り組もう」という気持ちになったりできていないのです。
家庭科の授業で裁縫をしていましたが、どの子どももiPadにイヤホンをつないで、音楽を聴きながら作業していました。様子を見ていると、音楽や動画に気を取られて手元がおろそかになっている子どもはいません。大した集中力です。そして、子どもたちは、作業がひと段落つくと授業者に見せに行って確認をしてもらっています。作業をして先生のOKをもらえばよいのです。この授業の課題は子ども同士かかわる必要のない、音楽を聴きながらこなせるものでした。
子どもたちの成長のためには、互いにかかわり合って工夫することが求められる、もう一歩レベルの高い課題にする必要があります。今回の作品制作に適用できるかはわかりませんが、例えば、「グループでブランドを作り、コンセプトを決める」「個人個人がそのコンセプトに沿って自分の作品の企画する」「各自の企画がブランドとしてふさわしいかをグループで確認の後、作業をする」「完成品をブランドとして認められるかグループで最終確認をする」というような流れも考えることができます。社会で行われている制作過程を取り入れる視点を取り入れることでリアリティのある、考える必然性のある課題になると思います。総合的な探求の時間を意識して、文化祭で販売するところまでをゴールとして、販売促進、広報といった視点も加えて活動しても面白いかもしれません。
このことを一緒に参観した先生にお伝えしたところ、次の時間の進め方をどうしようかとその場で悩まれたようです。検討会の場で報告してくださいました。
LBGTに関する法律に賛成か反対かを考え、自分の意見をまとめる英語の授業の、発表の場面のことです。発表の視点をどうするかを悩んだ結果、どの発表がよいかをコンテストにすることにしたそうです。と言っても、細かい進め方を考える時間はなかったので、コンテストにすることだけを取り敢えず宣言して、子どもたちに「どうしようか?(どうすすめようか?)」と問いかけたそうです。すると、子どもたちはとりあえず賛成、反対の人数を確認することから始めて、発表方法などコンテストを進めるために必要なことを自分たちで決めていったそうです。先生がコントロールするよりも、子どもたちに思い切って任せることで彼らのエネルギーが引き出せたとようです。こちらがレールを引いてその上を無難に走らせるのではなく、子どもたちに任せてみることで学びへの意欲を引き出せることもあるのです。先生は、子どもたちが暴走しないように見守りながら、最低限のコントロールをするだけです。検討会が、こういった経験を互いに伝え合える場になったことは素晴らしいことです。毎回感じることですが、他の先生の授業から、素直に学び、柔軟に授業を変えることができる先生が増えています。そして、そのことを互いに共有する場が校内にできつつあります。この学校の授業改善が点から線へとつながってきていることを感じさせてくれる検討会でした。

子どもたちの姿を共有する

私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行いました。2学期は学年やコース単位で先生方と授業見学をして、授業後に検討会を行う形式で行うことになりました。この日は、高校2年生の一般コースと中学校が対象でした。

高校2年生は、全体として落ち着いて授業に参加していました。安定感があります。気になるのが、どの授業でも子どもたちの発言場面が少ないことです。子どもたちが落ち着いているのでどうしても先生の説明が多くなっているのです。子どもに問いかけても一問一答で終わっていることがほとんどです。また、子どもたちが指示されたことにはまじめに取り組むからでしょうか、「先生が説明する」、「子どもたちが板書を写す」、「課題を個人で取り組む」、また「先生が説明する」という流れの授業がかなり多く見られました。
一方で、グループやペアの活動を取り入れている授業も多くありました。子どもたちは人間関係もよく、互いにかかわることもできていますが、全体での共有場面ではなかなか発言してくれません。発言を受けてすぐに先生が説明することが多いため、子どもたちの全体での発言意欲が低くなっているようです。子どもの考えをつなぐことを意識してほしいと思います。
子どもたちが内容を理解できず、問いかけに反応できない時に、先生の説明が多くなることも気になりました。わからせたいという気持ちはわかりますが、理解するための時間が必要です。先生の説明を理解しようとしている時にどんどん言葉が足されていくと、頭の中がオーバーフローしてしまいます。ちょっと間を取って、子ども同士で相談する時間を取るといったことが必要でしょう。
授業をする先生方が、子どもたちにどうなってほしいのかが今一つ明確でないような気がします。子どもたちにつけたい力は何かを意識し、その力をつけるために必要な活動は何かを考えて授業を組み立ててほしいと思います。今回のような授業を見あう機会が、子どもたちに求める姿を共有するきっかけになることを願っています。

一緒に参加している先生方の質問に答えたり、子どもたちの様子を見て状況を解説したりしましたが、しっかりと受け止めてくれる先生がたくさんいたことをうれしく思いました。アドバイスを受けて早速午後に実践したと検討会で報告してくれた方もいました。学年全体で子どもたちの様子と授業について話し合う機会が持てたことはとても意義のあることだと思います。

中学校は、一人一台のiPadを活用する場面が多くありました。ICT機器の活用が日常化していることを感じます。子ども同士がかかわる場面も多いのですが、日ごろの人間関係が授業に持ち込まれている姿を多く目にしました。まわりと相談するような場面で、隣近所ではなく、遠く離れた座席の友だちと話をしたり、男子、女子だけで集まって相談したりしていることが多いのです。女子のエネルギーが大きいため、男子が女子を避けて集まっているようにも見えます。その一方で、強制的、機械的につくられたグループでは、ちゃんと男女が上手くかかわれています。どのような実験をするのかをグループで考える理科の授業では、額を寄せながら男女がかかわりながら相談していました。社会のグループでの活動も、男女が協力し合ってよい表情で発表する姿が見られました。
これまで、関係を上手くつくれない子どもがいるために、好きにかかわり合うようにさせてきたのでしょうが、その必要はもうないと思います。座席をもとにグループを作り、だれとでもかかわるよう求めることが必要です。
子どもたちにプロジェクト的に学習を進めさせることと、これまでの試験に対応するための問題演習とのバランスに苦労している方もいらっしゃいました。定期試験も含めて試験のあり方についても検討する時期になっているように思います。
ICTの活用では、社会科の発表の場面が印象的でした。若年層への選挙の投票を促す動画を作成して発表するのですが、中学3年生にしてはなかなか見事なものでした。発表に対して各グループから質問をさせることで、よい緊張感を持たせています。聞く側も楽しそうな表情で見ていますが、真剣に聞いていることがわかります。質問が終わると、クラウドのアンケート機能を使って発表を即時評価します。観点毎に評価の数字がすぐに示されます。また、発表に対してコメントする欄には、想像以上にたくさんの言葉が並んでいます。子どもたちはICT機器を実に自然に活用しています。一人一台の環境を活かした授業づくりを見ることができました。
また、面白い活用実態の報告もありました。数学のAIを活用した自習ソフトの活用です。問題演習の宿題にソフトを利用させるのですが、紙の時と比べて子どもたちの取り組みが段違いだというのです。紙の時は宿題にほとんど手をつけなかった子どもちゃんとやってくるというのです。学習時間は何倍にもなったそうです。その結果学力つくのかどうかはこれから検証する必要がありますが、実に興味深いことです。今後の推移が楽しみです。

中学校の検討会はグループで行われましたが、実に楽しそうに話されていることが印象的でした。生徒の人数が少ないこともありますが、先生方がどの子どものこともよく知っており、子どもたちの固有名詞が飛び交う話し合いでした。子どもたちのことや授業について気軽に話し合える空気があることを感じます。
授業を見あって、先生方が自由に話し合うことがこの学校の新しい文化となること願います。

教務主任の影響力をあらためて感じる

昨日小学校で授業アドバイスを行いました。2回の訪問で全員の授業を見せていただき個別にアドバイスしますが、その1回目です。数年ぶりの訪問でしたが、前回の訪問時と今回では学校の雰囲気が大きく異なっていました。

どの学級も子どもたちがよい表情で授業に参加し、先生との関係のよさがうかがえます。共通して先生方が子どもの発言をしっかり受容しようと意識していることがわかります。どの教室からも目指している授業の方向性が伝わる、一体感のある学校ですが、挨拶の仕方、話型、授業のルールなどを共通で決めているわけではありません。子どもを受容する、子どもの発言を活かす、子どもの発言をつなぐといった大切にしようとしていることが共有されているのです。

若手の先生は、経験年数からは想像がつかないほど力をつけている方ばかりですが、そのことに慢心せず、謙虚に授業の課題に向き合い、改善を意識しています。アドバイスの時に自身の授業について聞いてみると、今自分が困っていること、できていないと思うことがすぐに出てきます。しかも、それが的を射ているのです。自分で課題に気づける方は、確実に成長していきます。正直、私のアドバイスは必要ないのではと思うほどです。また、この授業改善に前向きな姿勢は中堅、ベテランからも感じます。数年後には授業名人と呼ばれるのではないかと思うような方も、現状に満足せず次の課題を意識しています。学校全体が授業改善としっかり向き合っていました。一人ひとりフェイズは異なりますが、次の課題、ステップが明確な先生ばかりです。課題を意識して取り組み、それをきちんと達成できているからこそでしょう。私のアドバイスが先生方の更なる成長のきっかけとなれば幸いです。

このよい状況をつくり出しているのは間違いなく教務主任でした。どのようなことをしたのかという問いかけに、「こうやっています」という明確な答えは返ってきません。それこそ、「あの手、この手」と思いついたことを積極的に実行し続けたそうです。若手には、年次に関わらず研修を計画して実施しています。授業について先生方と話す機会をつくるため、週に1時間を目安に多くの先生の教室にT2として入っています。T2として参加した授業で先生のよいところを一言書いて伝えることも忘れません。今回の私の訪問に際して、夏休みに指導案を作成してもらい、一人ずつアドバイスをしています。先生方と授業について話せる関係を一生懸命作っています。学級経営と同様に、先生方の困り感をキャッチできる、困ったことを相談してもらえる、そんな関係をいかにつくるかを意識しておられました。先生方の成長に合わせて、取り組みも変化させています。私も、その新しい取り組みの駒の一つとして使っていただけているようです。

学校の授業改善に果たす教務主任の影響力をあらためて感じるとともに、そのエネルギーに大いに刺激されました。教務主任を長く勤められているので、そろそろ次のステージに移られると思います。教務主任が変わってもこのよい状態を維持、発展できるために何をすべきかも考えられていました。教務主任と先生方の姿から、本当にたくさんのことを学べました。次回の訪問が今から楽しみです。

任せることの大切さを改めて気づかされる

先日、社員研修で進行役を務めました。研修の中では、ヒアリングの進め方を全体で考えることやその結果を共有したり、感想を聞き合ったりする場面が設定されています。こういった場面ではこれまで私が、意図的に参加者の意見を聞きだしたり、つないだりしていました。
事前打ち合わせの時に一緒に研修を担当する先生から、彼らに任せても大丈夫じゃないのか、また上手くいった、いかなかったも含めて、経験を積ませた方がよいのではという意見をいただきました。確かに、やってみる価値はあると考え、今回は最初の課題把握と準備段階以外は、参加者に任せてみました。

結果は、私の想像以上に自分たちで上手く進めてくれました。全部で7人でしたが、全体で話し合う場面では誰言うとなく車座になり、司会も自然にあらわれます。司会者役はすべてを仕切るわけではなく、他の参加者と協調して柔らかい雰囲気で話し合いが進みます。ヒアリングの共有場面で、発言後に一緒のグループのメンバーに発言を促したり、グループの全体発表で、視線でコミュニケーションを取りながら発表を進めたりする姿も見られました。仲間の発言にうなずき、発言をつなぎながら考えを深めていきます。私が進行役をやったとしてもこれだけうまくできるか自信がありません。ほとんどが新人の時から知っている方たちですが、わずか3年ほどで驚くほど成長していました。そして、このわずか1日の研修中にもいろいろな面で成長している姿を見ることができました。

彼らの成長を過小評価し、自分の役割にとらわれ過ぎていました。危うく彼らの成長の機会を奪いかねないところでした。これと似たようなことは学校の先生にも起こりえることではないでしょうか。学級経営や授業で先生が果たす役割は、子どもの成長とともに変わっていきます。自分が指示しなければ、コントロールしなければと思いすぎて、子どもの成長の機会を奪っている可能性もあるのです。勇気のいることですが、時には、子どもを信じて任せることも必要です。上手くいかなければそこからどうするか考えればよいのです。失敗を子どもたちの糧にするという発想も必要です。子どもたちを信じて任せることの大切さに改めて気づかされた1日でした。
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