ICT活用の公開授業で考える
先月、私立の中学校高等学校のICT活用の公開授業を見学してきました。今後小中学校で1人1台環境が急速に普及してくると思いますが、その時どんなことが起こるかを考えるよいきっかけとなりました。
教室を回っての第一印象は、ICTを活用するねらいがはっきりしていない授業が多かったことです。悪い言い方をすれば、ICTを無理して使っているということです。例えば、小テストを個人のタブレットに送って解かせる場面がありました。できた子どもは端末で解説を見ていますが、それで理解したかどうかはわかりません。紙の小テストを単に置き換えただけで、そこにICTが関与する意味をあまり感じませんでした。紙を配る時間と解答をする時間を省略したということでしょうが、それだけではあまりにもったいない気がします。これに限らず、紙の代わりにタブレットに情報を配信するといった使い方が多かったように思います。タブレットを子どもたちの思考を広げたり、深めたりするような道具として利用するような活用が見られなかったのが残念です。 この学校ではこれまで従来の大学受験に対応するような、一問一答で教師の質問に答え、説明をノートに写すことが中心の、知識注入型の授業が展開されていたのではないかと想像します。その授業の形にICTを当てはめようとするので、小テストや紙の代わりといった使い方になっているように思います。 おそらく、今後1人1台のPCの環境が整備された時に、従来の授業の中で置き換えられるところを探すという、この学校と同様のことが起こるように思います。発想を変えて、これからの子どもたちに求められる力は何かをしっかりと考え、従来の授業の形にとらわれずにどんな活動をすればよいかを考えることで、ICTのよりよい活用場面が見えてくると思います。また、タブレットをノートと鉛筆の代わりと考えると、板書をノートに写す意味がなくなります。決まった内容は配信すれば済みますし、リアルタイムで板書されたものはデジカメで写せば事足ります。ノートに子どもが書く意味のあるものは、自身の思考過程や、振り返りが中心になってくるでしょう。このデータを蓄積して活かす方法が今後問われてくると思います。 今後1人1台のPC整備が進むと、課題になるのはWi-Fi環境です。この学校では1人1台導入時は、同時利用しようとするとネットにつながらない問題が多発したそうです。今ではインフラが整備され、全員が同時に利用しても支障なく快適に使うことができています。こういった環境面でのノウハウも重要になってきます。先進的に取り組んでいる学校のノウハウを全国で共有できる仕組みを作っていくことが求められます。 今回の公開授業が、ICT活用について多くのことを考えるきっかけになりました。よい刺激をいただけたことを感謝します。 授業者の進歩を感じた体育の授業
中学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は同じ先生の体育の授業を2時間参観しました。
1年生と3年生の女子のハンドボールの授業です。 1年生はこれまでハンドボールの経験がない子どもたちです。準備運動で運動場をランニングします。授業者は一か所に立って子どもの様子を見ながら、笑顔で一人ひとりに声をかけて励まします。どの子どもも手を抜かず一生懸命に走っていました。走り終わるとすぐに子どもたちは集合します。どの子どももしっかりと顔を上げて授業者の説明を聞いています。寒い日でしたが手をさすったりする子どももいません。どの子どもよく集中していました。 パスのやり方を授業者が見本を見せながら説明し、ペアに分かれて練習をします。子どもたちは素早く動いて練習を開始します。一生懸命に取り組むのですが、この学級では部活動で球技を選んでいる子どもはほとんどおらず、予想以上に上手くいきません。ボールを持って振りかぶることもできない子どもがほとんどで、ボールが届かない、まっすぐに飛ばないと苦労しています。授業者は時々個別に指導しますが、特に追加の指示せずに全体が見える位置で様子を見ています。常に全体を見ることを優先していました。これは体育教師としては、特に大切なことだと思います。 子どもたちが苦労していたので、あまり時間をおかずに一旦全員を集合させました。見本として、比較的上手なペアを前に出すと、子どもたちは食い入るように見ています。授業者の説明の時もよく聞いていたのですが、それと比べても段違いの集中でした。やってみると難しく、困り始めたタイミングだったので、身近な仲間のプレーは参考になったようです。この後のプレーは先ほどと比べてボールの投げ方はかなりよくなっていました。子どもたちが主体的になったタイミングで、自分たちとレベルが近いプレーを見せることが効果的なことがよくわかりました。 続いて、ラテラルパス(ボールを片手で、素早く横に出すパス)の練習です。このパスは手首のスナップが必要ですが、子どもたちは握力がないためボールを片手持ち上げることができずません。正しいフォームを教えても手首を使えないので、腕で投げてしまいます。その上、横に出すパスなのに互いに正面を向いて投げるので、ボールはおかしな方向に行ってしまいます。横に並んで短い距離で練習を始めるとよいでしょう。ボールを片手で持てないので利き手と反対側の手も軽く添えるように指導すると、正しいフォームが身につくと思います。 最後の練習は、チームプレーを意識した連携の練習でした。鬼ごっこの要領でディフェンスとオフェンスの感覚を養うものです。正方形の中に鬼が1人いて、5人が子です。子が頂点の4か所にいれば鬼は捕まえることができませんが、1つの頂点には1人しか居られません。頂点に入れない子を逃がすためには誰かが他の頂点へ移動して逃げる場所を作らなければなりません。子が捕まらないためには、次々に頂点を移動していくことが必要です。仲間の動きを見て連携しないとすぐに捕まってしまいます。ルールはそれほど難しくないのですが、個別に状況を判断して動く必要があるので、子どもたちにとっては難しいものです。 ルールを説明して、簡単にやって見せた後、2グループに分かれて開始しました。予想通り、子はどう動いてよいかわからないため、すぐに鬼に捕まってしまいます。何度かやっている内にどう動けばよいか気づくかと思いましたが、進歩が見られません。授業者は、一旦集合させて1チームがやるのを見学させます。子どもたちは一生懸命見ていますが、パスの時と違って状況がどんどん変化していくので、誰を見ればよいのか、どこを見ればよいのかよくわからなかったようです。この後、各グループで再開しても状況は大きく変わりませんでした。 個別の状況に応じてどう判断して動くかを考えるには、場面ごとに動きを止めることが必要です。最初に4人の子が頂点にいて、1人が辺上にいる場面を作ります。「この時、鬼はどうする?」と問いかければ、当然辺上の1人をねらうことに気づきます。ねらわれた人はどちらかに逃げますので、「逃げた先の頂点に2人は居られないよ。どうする?」と考えさせます。頂点にいる子が次の頂点に向かって逃げれば、最初の子は空いた頂点にたどり着いて助かることに気づけば、あとは、同じことを繰り返せばよいとわかります。ここまでを一つひとつ動きを止めながら理解させることが必要です。子がうまく逃げるようになってくれば、今度は鬼がどうすればよいのか考える必然が出てきます。子が正しく動けるようになって、初めて鬼も戦略的に動く必要が出てきます。鬼は子が逃げようと動いたら、その先の頂点にいる子が動くのをねらえばうまく捕まえられます。ここまでできるようになれば、互いにまわりの動きを見てフェイントを入れながら協調的に動くことができるようになってきます。よく考えられた練習ですが、それが機能するまでには、スモールステップで教えることが必要なのです。 終了後の後片付けも素早く行われていました。授業者が何も言わなくても子どもがすぐに動けるのは、次に何をすべきかを考える習慣がついている証拠です。授業者がどんな子どもを育てようとしているのかがよくわかる授業でした。 3年生の授業では、よくも悪くも3年生らしさを感じました。 準備運動のランニングでは、全体はしっかりと走るのですが、一部の子どもがどうしてもついていきません。体力的な問題なのか気持ちの問題なのかはわかりませんが、友だちが一生懸命に引っぱっていきます。授業者も最後は笑顔で励ましながら一緒に引っぱって、なんとか完走させました。人間関係のよさを感じる場面でした。 説明の場面でも、数人の子どもの顔がなかなか挙がりません。しかし、授業者の説明には反応します。授業者は気づいていますがあえて注意はしないで、見守っています。移動や練習の開始もとても速いのですが、やはり数人だけが遅れます。しかし、全体に悪い影響を及ぼすことはなさそうです。まわりの子どもが優しく見守っていますし、授業者も時々そばに行って前向きな言葉をかけています。子どもたちをよく見て、丁寧な対応をしていました。 ディフェンスとオフェンスに分かれ、パスを使ってボールを運ぶ練習をします。前へ運ぶという意識が弱く、ボールをパスするとそれで気を抜いて止まってしまいます。パスアンドランの意識を持たせる必要があります。1年生の連携の練習と同じく、場面ごとに止めながら、「パスした後どうする?」と問いかけながら、動きを考えさせるとよいでしょう。また、グループ内でオフェンスとディフェンスを交代しながら練習していましたが、前へ運ぶことを意識させるのであれば、チームごとにオフェンスとディフェンスに分かれて、チーム対抗の形にしてもよいかもしれません。まだまだ工夫の余地はありそうです。 3年生は1年生と比べてよく声が出ていました。3年間の人間関係が現れているのかもしれません。その反面、嬌声も時々聞こえてきます。楽しそうな雰囲気はとてもよいのですが、活動することが目的化しているようにも見えます。活動の目標を明確にすることで、より真剣さが増すと思います。 授業者はこの1年余りで、ずいぶん成長しました。子どもを温かい目で見守れるようになりました。授業規律がしっかりとしてくると同時に、毎回子どもたちに着けたい力を意識して、どんな活動をすればよいのかをよく考え、ねらいを達成するための工夫をしています。 この姿勢を維持すれば確実に授業力はついてくると思います。これからの伸びが楽しみです。 互いに学べることを目指した研究授業
中学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は学年ごとの授業へのアドバイスと1年生の理科の授業研究への参加でした。
前回の訪問時、3年生は授業への参加の様子や友だちとのかかわり方がずいぶんとよくなっていました。今回は合唱コンクールの直後ということもあり、どのような姿をみせてくれるかとても楽しみでした。子どもたちは柔らかい表情で、集中して授業に参加しています。合唱コンクールがとても充実していたことがうかがわれます。その上で、合唱コンクールの余韻を引きずらず、雰囲気のよさだけが継続している感じです。教える側、教わる側、どちらも明るい表情で向き合っている姿をたくさん見ることができました。授業をする先生方の表情からも充実した授業が行われていることがわかります。学級がひとつになって中学生活の最後に向かってよい形で追い込みに入っていると感じました。 全体的にはよい状況ですが、学習面で苦しい子どもが若干目につきました。授業から逃避せずにがんばっているのですが、ついてくのに苦労しているように見えます。先生方には、子ども同士の関係がよくなっていることを活かし、互いに支え合う雰囲気を作るようお願いしました。 2年生は学級活動の時間を参観しました。この日は高校進学に関連した情報提供を中心とした時間でした。合唱コンクールの後の少し弛んだ気持ちを引き締め、学習に意識を向けようというねらいです。経験の少ない先生が多いこともあり、予定した情報を伝えることに精一杯に見えました。進学に関して、まだ2年生の半ばなので先のことだと考えている子どもたちが、急に現実をつきつけられて戸惑っていたように見えました。現実半分夢半分くらいの話ならよいのですが、一方的に情報を与えられて子どもたちが処理しきれていないようにも思いました。 話を聞いている子どもたちは3つの層に分かれているように見えました。学校生活が順調で進学情報も積極的に受け止めようとしている層、進学を考えることはもう少し先に延ばしたい層、そして既に自分の将来についてあきらめムードの層です。先生は思ったより子どもの喰いつきが悪いので、だんだん肩に力が入っていきます。そのプレッシャーを感じて子どもたちは、ますます話を聞こうとしなくなります。耳をふさいでやり過ごそうとしているのです。一方的に情報を与えるのではなく、自分たちの持っている情報を確認して、もっと情報が必要だ、知りたいという気持ちにさせることが必要です。身近な高校生を思い起こさせ、「高校生活はどんな風に見える?」と、それぞれが持つ高校生像を共有するといったことをしてもよかったでしょう。中学生活より楽しそうに見える人もいれば、大変そうに見える人もいるはずです。先生が経験している例を話してもよいでしょう。その違いはどこにあるのかを子どもたちに考えさせ、自分に合った学校選びが必要であることに気づかせたいところです。まずは、高校生活を想像させ、よりよいものにしたいと思ってもらうことが必要です。その上で、情報を少しずつ与えていくのです。この時間だけで完結する必要はありません。朝や帰りの会で少しずつ計画的に伝え、考えさせていくことが大切です。 1年生は、合唱コンクールを経て、以前よりも子ども同士の関係がよくなったように見えます。グループでの相談も額を寄せ合って話し合っている姿がたくさん見られました。全体的に授業規律がよく、集中して授業に参加している姿が見られました。その一方で、一部の授業で気になる姿が見られます。全体での発表に今一つ積極的でない子どもが多く、友だちの発表を聞かずに授業者の方を見ているのです。以前から、積極的に発言する一部の子どもたち中心で授業が進む傾向がありますが、その子どもたちは友だちではなく授業者に聞いてもらおうとします。授業者がしっかりと受け止めてくれるからです。授業者は発言を受けて自分で説明し黒板にまとめます。残りの子どもたちは発表を聞かずに授業者の説明を聞き板書を写すことになります。そういう授業では、子どもたちは楽しくグループの活動を行っていますが、それ程深く考えようとはしていません。ここで頑張ってもその結果が活きることはないからです。このような状況が慢性化していくと子どもたちが消費者的になってしまう危険性があります。子どもの発言を他の子どもにつないで、全員参加を意識することが必要です。 また、問題を個人で解く場面でも気になることがありました。一部の子どもたちにとっては課題がやさしすぎるのでしょう、解けた後時間を持て余しています。授業者は気になる子どもたちの所で個人指導をしているので、その状態に気づいていないように見えます。今はそれほど目立った行動はとっていませんが、放置しておくと次第に自分勝手な行動をとるようになっていきます。できた子どもにはあらかじめ次の課題を与えておくことが必要です。また、みんなで知恵を絞る必要があるような、よりレベルの高い課題を与えることも重要です。全体的に力のある集団なので、よい意味でストレスをかけるとよいでしょう。子どもたちを「鍛える」という意識を持ってほしいと思います。 研究授業は、講師時代を含めて新卒から7年目の先生の理科の授業でした。ICTの活用を意識した、フックの法則の実験の授業でした。 力について、単位や意味の復習から始めました。子どもたちに問いかけ、発言させながら確認します。一方的に授業者が説明するのではなく、できるだけ子どもの言葉を活かそうとしています。この姿勢は授業全体を貫いていました。 エキスパンダーを使って、力が強いとばねがたくさん伸びることを確認し、その上でこの日のめあて「力の大きさとばねの伸びの間にはどのような関係があるだろう」を提示します。ここで、「ばねの伸び」と授業者が提示しましたが、どこを測るかを子どもたちに考えさせて、実験結果から伸びに注目すべきだと気づかせても面白かったと思います。 「実験の手順はこうしたい」とスライドで示します。本当は子どもたちに考えさせたいという気持ちが言葉に現れているように思いました。手順が実験中も黒板の横のディスプレイに残しているのですぐに確認できます。板書しておいてもよいのですが、黒板の領域が狭くなります。黒板とは別にディスプレイがある時の、ICTの有効活用の一つだと思います。 実験の前に結果を予想させましたが、それを共有することはしませんでした。右肩上がり、比例といった言葉が子どもたちのワークシートには書かれていました。この言葉を活かして、どんな実験をすればよいのか、実験結果をどうまとめたいかを子どもたちに考えさせるとよかったと思います。 ペットボトルに水を入れたおもりを使ってばねの伸びを測るのですが、その結果を班に一つ準備したタブレットPCの表に入力します。入力した値に応じてグラフに点が打たれますが、子どもたちはこのツールを欲しいと思っているわけではありません。道具が一方的に与えられた形です。予想で右肩上がり、比例という言葉が出ているのですから、そこからグラフにする必然性につなげたいところでした。 デジタル量りでペットボトルの水の量を調整し、データを取っていきます。子どもたちは、きりのよい値にこだわりながら測定していましたが、タブレットPCでグラフ化できるので、グラフを書く手間を気にせずにたくさんの値をとるという戦略もあります。ツールの紹介と共に、どのように重さを変えるかについて考えさせれば、違った展開もあったかもしれません。 実験が一段落すると、グラフの点をどう結ぶかを考えさせます。タブレットPCのツールを使ってフリーで線を引いたり、直線を引いたりしていますが、タブレットPCを独占している子どもが、自分の考えで引いている班がほとんどでした。その結果を含めて、入力したデータと描かれたグラフを自分のワークシートに写しています。自分専用でないため、記録が個人の手元に残らないためですが、この時間がもったいないと思いました。短縮された時間が結局ムダになってしまいます。その場で結果をプリントアウトできるとよいと思いました。そうすれば、班ではなく自分の考えで線を引くこともできます。こういった課題に気づけたのは収穫だと思います。 今回実験の整理に使ったツールは、同僚に助けってもらって、表計算ソフトで作ったものです。デジタルで作ったものはサーバーに置くことで共通の財産として誰もがすぐに使えるようになります。授業の情報を交換しながら、学校としてノウハウを蓄積していってほしいと思います。 列ごとに定数の違うばねで実験させました。任意のグループの実験結果をまとめて集計する機能を使い、2種類のばねの集計結果をもとに考察をします。中には大きくずれた点もあります。どういうことか問いかけ、子どもから誤差という言葉を引き出しました。しかし、誤差か単にミスをしたのかはわかりません。実験した班は間違いと言っていましたが、具体的に確認をして誤差とミスの違いを明確にしておきたかったところです。 実験結果をプロットしたグラフを見て、比例しそうだという意見もあれば、曲線だと考える意見もありました。これはとてもよいことです。授業者は必要だったらまた実験しようと、一方的に結論を出しませんでした。こういう姿勢はとても好ましいものです。しかし、最後は、比例しそうという意見が大勢を占めたので、「比例しそうだ」とまとめ、フックの法則と結論づけました。せっかく子どもの多様な考えを認めたのですから、感覚ではなく、客観的な決め手となるものを与えたかったところでした。 ICTを積極的に活用したからこそ、それにともなう課題が見え、たくさんの気づきや学びのある授業研究になりました。今後子どもたちのICT活用が急速に進みそうですが、どのように活用すればより深い学びにつながるのか、まだまだ手探りの状態が続きます。今回の研究授業は、よい授業を見せようとするのではなく、互いに学べることを目指して新しい挑戦をしていたと思います。この姿勢を大切にした授業研究を続けることで、これからのICT活用のあり方が見えてくると思います。授業研究の積み重ねがこれまで以上に大切になってくることをあらためて感じました。 参加者によい刺激を与えてくれた模擬授業
私立の中学校高等学校の研修に参加してきました。この日は先生方を子ども役にした模擬授業を行いました。
授業はICT活用を意識した中学校の国語の授業でした。「扇の的」の2時間分を途中省略しながら行いました。 古文に対する感覚を育てたいということで、前半は音読を中心とした活動でした。最初は、音読ゲームでアイスブレークです。ペアで本文を文節単位で交互に読み合います。1回に読めるのは3文節までです。最後の文節を読んだ方が負けです。ゲームにすることで古文を楽しく読んでもらおうという工夫です。子ども役の先生方も大いに盛り上がっていました。ただ注意してほしいのは、こういったゲーム形式にすると子どもたちのテンションが上がり、本来のリズムを大切にして古文を読むことから意識が離れてしまうことです。また、原文は授業者が事前に文節に区切ったものを用意してありました。古文では文節を意識することが大切ですので、子どもたち自身で文節を区切る活動もどこかに入れたいところでした。 この後、授業者は琵琶法師による平家物語冒頭の語りを、準備したデータをPCで再生して聞かせます。CD等でも同じことはできますが、ネット上にデータを置いておくことで扱いも簡単になり、先生全員で共有できることが利点です。語りを聞かせるだけでは受け身の活動になってしまうので、原文とくらべながら聞いて音節を区切ることをさせてもよかったかもしれません。 琵琶法師による語りだけでなく、扇の的の段を講談でも聞かせます。最近はこういった日本の文化に触れる機会が少ないことと、講談のリズミカルな語りから古文のリズムに慣れさせたいという思いです。 音読の後は、現代語訳をもとにした読み取りです。原文の横に穴埋めの現代語訳が書かれたワークシートで学習します。現代語訳は主語と述語にあたる部分が抜いてあり、主語や目的を表わす助詞の「は」「が」「を」は反転させて、原文では省略されていることがわかるようにしてあります。古文では主語や目的を表わす助詞が抜けていることを授業者が教えて、子どもたちは主語述語にあたる言葉を入れていくだけの作業です。ワークシートに沿って作業をするだけなので、子どもたちが考えることはあまりありません。 続いて内容理解に入ります。那須与一が扇の的を射ることを辞退した理由を現代語訳から読み取らせます。「風の様子」「海の様子」「船の様子」「的の様子」「距離」とワークシートには項目も指示してあります。これでは現代文から抜き出すだけの簡単な作業になってしまいます。正解を見つけるだけの活動で、ここでも思考する場面がありません。古文に慣れ親しむのがねらいなのですから、現代文だけを見ていてもそこにはつながりません。子どもたちに原文のどこに書いてあるか線を引かせ、現代語訳を参考にして考えさせたいところでした。ここでは項目を与えずに作業させたほうがよかったと思います。過不足は生じると思いますが、「まだ他にあるのか?」「それは理由として適当か?」と問いかけることで、子どもたちで考えさせることができます。 板書は一切せずにすべてスライドを使っての授業でした。ICTを活用すると効率的に授業を進めることができることを参加者は実感したようで。ここで注意してほしいのは、授業があらかじめ準備したスライドだけで進んでいるということです。そこには、この時間での子どもの考えや発言が存在していません。効率的だからこそ、子どもの考えを引き出し深めることに時間を使ってほしいと思います。子どものとのやり取りでダイナミックに授業を展開するのに黒板はまだまだ有効な道具だと思います。このことを皆さんにお伝えしました。 授業者はまだ若く意欲的で、随所に工夫のあふれる授業を見せてくれました。もちろん改善の余地はまだまだありますが、そのことを前向きにとらえてくれます。授業者の意欲的な姿に、参加した先生方もよい刺激を受けたことと思います。私自身にとっても、学びの多い時間となりました。この学校でこのような研修ができるようになったことをとてもうれしく思いました。 みんなで考えることをねらった授業研究
私立の中学校高等学校で授業アドバイスと授業検討会の助言を行いました。この日は高校2年生のキャリアを意識したコースの先生方と子どもたちの授業の様子を参観しました。
高校2年生になると選択教科が増えます。自分がやりたい教科を選んでいるので、子どもたちの意欲の高さが感じられました。情報処理の授業では私たちの存在に気づかないくらい、パソコンでの作業に集中していていました。外国文化の学習場面では、もともと興味のある子どもたちばかりということもありますが、とてもよい表情で子ども同士がかかわり合っていました。いつもはあまり学習に積極的でない子どもも、前向きに取り組んでいるようでした。自分たちで活動していても、授業者がしゃべりだすと自然に前を見て集中します。授業規律もしっかりしていました。漢字の学習を選択した子どもたちも、ペアでよくかかわり合えていました。子どもたちのよい姿をたくさん見ることができました。 別の時間の選択授業の英語のスピーチでは、発表者だけでなく聞いている子どもたちの真剣な表情が印象的でした。スピーチが終わるとすぐに質問の手が挙がっていました。秘書検定を目指す授業では、授業者の問いかけに対して子どもがよく反応していました。残念だったのが、自分の考えをワークシートにきちんと書けるのに、進んで挙手、発表しなかったことです。挙手はしなくても反応はする子どもたちなので、すぐに授業者が説明せずに、子どもの反応を受容、共有し、価値付けするようにしてほしいと思います。安心して発言できる雰囲気をつくることで、子どもたちの積極性をより引き出してくれることを願います。 選択の授業と比べて、通常の必修教科の授業ではエネルギーの低い子どもも目に付きます。指示されたことや作業にはきちんと取り組みますが、選択教科に比べると表情が乏しく受け身の時間が多いように思います。先生方は、おとなしい子どもたちが多いと思っているかもしれませんが、選択教科で見せてくれたように、潜在的な学びに対する意欲は高い子どもたちです。おとなしいからと先生が一方的な説明をするのではなく、興味関心を持たせる工夫をすれば、高い集中力を発揮して学習に取り組み、大きく成長すると思います。 子どもたちが持つよさ、ポテンシャルを引き出すことを学年全体で意識することをお願いしました。 授業研究は4つの学級で行われました。今回は、子どもたちを見てほしいということで、従来教室の後ろに置いてあった椅子も取り払いました。その効果もあってか、先生方がよく動き、あらかじめ割り当てられた授業以外も積極的に参観されていました。 高校3年生の世界史の授業は授業者が一方的に説明をし続ける授業でした。「○○の所で話したように」と、過去の学習内容を振り返るのも常に授業者が中心で、子どもが考えたり、参加したりする場面がありません。言葉づかいも上から目線で、子どもたちと関係ができていないように感じます。そんな授業でも子どもたちが聞こうとする姿勢を見せてくれていたのが救いでした。 検討会で授業者は、「教育実習と初任の時以来の研究授業で、初心にかえることができた」というコメントを残しました。言葉通り初心にかえって自分がどのような授業を目指したいのかを今一度考えてほしいと思いました。 高校2年生の英語は、幼稚園児に英語で紙芝居を見せるという課題の発表場面でした。 子どもたちは、内容やせりふに変更を加えたりして自分たちのオリジナリティを出そうとしていました。発表前はどのグループもいっぱいいっぱいなのか、時間を惜しんで練習しています。だからといって、表情は悪くありません。緊張しながらも明るく取り組んでいました。これだけ発表準備に集中していると、他のグループの発表の時にちゃんと聞く余裕があるのかちょっと心配でしたが、発表が始まると、どのグループもすぐに練習を止めて集中しました。発表者も真剣ですが、聞いている方も真剣です。しかし表情は双方ともにとても楽しそうでした。発表が終わった後、評価シートをものすごい勢いで記入していたのが印象的でした。 授業者は受け身ではなく、自分事として活動を楽しんでもらうことを今回の授業の目標にしていました。その点では成功だったと思います。ゴールを明確にし、自由度を与えたことがよい結果につながったようです。この活動で英語の力がついたのかという疑問も出されたようですが、そのことは授業者も最初から気にしていました。しかし、今回は子どもたちに楽しませたいことを優先したのです。英語力については、子どもたちが主体的に取り組むようになった上での次の課題と考えています。この後授業がどのように進化していくのか楽しみになりました。 高校1年生の国語は、「水の東西」を題材に学習した後、自分たちで東西の文化について小論文を書く活動でした。 書き上げた文章を各自のiPadに配信して読み合います。グループの隊形になっていますが、個別に読むので特にかかわり合いは起きません。早く読み終った子どもは所作無げにしています。かなり時間が経ってから読み終った子どもへ指示していましたが、最初にしておくことが大切です。 子どもたちは自分がよいと思った作品に対してどこがよかったかコメントします。授業者は分析ソフトを使って子どもたちが書いたコメントからキーワードを抽出してスクリーンに映しました。ところが子どもたちの記述が具体的でないため、キーワードとしてソフトが抽出するのは、「よかった」といった抽象的な言葉です。授業者はこういった事態を予想していなかったので、ちょっとあせってしまったようです。時間も迫っていたので、自分で子どもたちの作品やコメントを評価してまとめてしまいました。スクリーンではなく、自分のiPadで友だちのコメントをいろいろとみている子どももたくさんいます。焦らずこういった子どもたちに意見や感想を言わせるとよかったでしょう。 確かに授業としては反省点が多かったかもしれませんが、ICTを活用した新しい授業に挑戦したことは大いに評価したいと思います。この授業を通じて、多くの先生がICTの活用について考え、学べたと思います。この経験を活かして次の授業を工夫していけばよいのです。ICTを活用する授業はこれだというものはまだまだ見つかっていないのが現状だと思います。だからこそ、こういった挑戦を学校全体で共有することが大切だと思います。 中学3年生の数学の授業は、アダプティブラーニングを紹介して、これからのあり方を考えてもらいたいと、指名ではなく授業者の希望で行われたものです。この意欲を買いたいと思います。 2学期に試験的に導入したAIを利用した個別対応の演習ソフトを授業の一部に取り入れていました。授業の課題が終わったあとは、子どもたちは自由にソフトに取り組みます。使い始めてまだ2か月余りですが、子どもたちは見事に使いこなしています。鉛筆で書くよりも早く、画面で問題を解いています。子どもたちにこのソフトがあっているのでしょう、それぞれがよいペースで問題に取り組んでいます。紙ベースで演習していた時よりもはるかに密度の濃いものになっています。このソフトが今後メジャーになるかどうかはわかりませんが、問題演習や知識の定着は、こういったものに置き換わっていくことは間違いないと思います。だからこそ教室でどのような学びをするのかが問われてきます。先生方は、今回具体的な活用場面を全体で共有することで、これからの学校教育の課題を実感できたと思います。授業者はよい機会を提供してくれたと思います。 今回面白かったのが、検討会の進め方です。授業後、あらかじめ準備されていた授業を見る観点毎に記入欄を設けたフォームにコメントを記入し、その内容を共有してからグループごとに話し合いました。効率的に全体の意見を把握することができ、すぐに話し合いが焦点化していったようです。直接話すよりも、フォームに記入する方が忌憚のない意見が出てくることもわかりました。全員参加のより深い話し合いになったと思います。 よい授業ではなく、みんなが考える授業をすることが意識された授業研究でした。こういった経験が積み上がって、学校全体の授業改善が進んで行くことと期待します。 学校が進化していくために必要なことが見えてきた気がします。 話し合う力をつけるためには、授業の進め方が大切
新しい学習指導要領が発表されて、これまであまりグループ活動を実施していなかった学校でも取り入れようとする動きが見られるようになってきました。中学校や高等学校にその傾向が強いようです。小学校と比べて扱う知識量が多いため、これまで教え込むことが中心となっていたようですが、見直そうとしているようです。
グループ活動を取り入れ始めた学校では、とりあえずグループにして話し合うことから始めることが多いようです。しかし、いきなり話し合いをさせても子どもたちは上手く話し合うことができません。そこで、積極的に話す子どもと聞き役に回る子どもを組み合わせるといった、グループのつくり方で対応している例をよく見ます。たしかにこうすることで、活発に話し合いが進んで上手くいったような気になりますが、それでよいのでしょうか。その実態は一部の子どもが場を仕切って結論づけているだけで、子ども同士がお互いの考えを聞き合いながら自分たちの考えを深めるとは程遠い状態です。子どもの役割を固定化してしまうことにもなってしまいます。社会に出て行けば、誰ともでかかわりながら課題を解決していくことが求められます。そのためにも、グループの構成を作為的にするのはあまりよいことではありません。 また、個人で問題を解いて、わからなかったらグループで聞くという活動もよく見ます。これも注意しないと、できた子どもができなかった子どもに答を教えるだけになってしまいます。先生ができる子どもと入れ変わっただけです。大切なのは、できなかった子どもが答を知ることではなく、自分で解けるようになることです。そのためには、できなかった子どもが納得できるまで聞くことが必要です。単に受け身で教えてもらうのでは意味がありません。 友だちの説明でわからなければ先生に聞くようにという指示も耳にすることがあります。子どもたちで解決できるように支援するのが先生の仕事ですが、先生が説明を始めてしまえば、子どもたちは自分たちで考える意味を失くしてしまいます。こうなると、先生に聞けばいいので、子どももたちは自分たちで真剣に考えようとしなくなります。先生が最後にまとめる板書を写しておけば困らないのです。互いがかかわり合って納得する答を導き出す過程をどうつくりだすかが問われます。 子どもたちがかかわり合い、グループでの話し合いが成立するためには、いくつかの条件があると思います。 一つは、互いに安心して聞き合える関係です。わからないと言ったらバカにされるようでは、安心して教えてとは言えません。上から目線で説明されるのを苦痛と感じる子どももいるでしょう。「わからない」「教えて」「助けて」と言え、「わかるまで教える」「一緒に考える」関係が前提となります。 もう一つは、単に答探しではなく、互いの考えを重ねて深めるやり方を知っていることです。互いに自分の考えを主張するのではなく、相手の考えを受け止めて、その上で自分の考えを伝えることが大切です。こういった話し合いの進め方をできることが求められるのです。 もちろん、これらのことをできるようになるためにも、グループでの話し合いを経験することが大切です。ただ、「話し合いなさい」というだけではできるようにはなりません。日ごろの授業で、先生が子どもたちの意見を否定せずに受容し、わかった子どもばかりに発言させるのではなく困った子どもの困り感を共有して、教室全体に安心して発言できる雰囲気を作ることが必要です。 また、全体追究で考えをつないで答にたどり着くような経験を教師主導でさせることで、話し合いで考えを深めるための方法を身につけさせることも重要です。 話し合いでは、子どもたちの話し合いの様子を評価・価値付けして話し合う力を育てていくことが必要です。発表は結論よりも、そこまでの過程を大切にし、その過程を共有し価値付けしていきます。こういった場面で積み重ねることで、子どもたちが成長し、話し合いを深い学びにつなげることができるようになると思います。 話し合いが上手くいくかどうかは、先生の日ごろの授業の進め方が大きく影響すると思います。話し合いが上手くいかない時は、先生の授業の進め方を一度見直してほしいと思います。 子どもの姿は先生の鏡
私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は一般のコースの1年生の授業を先生方と見学して、検討会を行いました。
子どもたちは落ち着いて授業に参加していますが、4月当初にあった、学ぼうという意欲があまり感じられない状況でした。子どもたちの表情が乏しくなっているのが気になります。この日見た授業のほとんどが、一方的に授業者が話し続けるもので、子どもたちの声を聞くことがほとんどありませんでした。子どもたちは授業に参加しようという姿勢を見せるのですが、力尽きてしまう姿が次第に目につきだします。 口頭での説明や板書ではなく、一人一台のiPadに直接データを送れば済むような場面も多くみられました。ICT機器を活用することで、子どもたちがかかわり合って活動する時間を捻出することができると思います。中学校では、ICTを積極的に活用することで子どもたちが活動する時間を上手くつくっています。中学校と高等学校で学び合って、せっかくの環境を有効に使ってほしいと思います。 気になったのが数学の授業です。かなりの子どもたちが授業者の説明についていけなくて、板書を写すだけになっています。中には最初から理解することをあきらめて、iPadで板書を写して他の時間はじっとしている子どももいます。困っている子どもができるようになる場面をつくる必要があります。 しかし、いくつかの授業の様子からすると、子どもたちは学ぶ意欲がなくなってしまったわけではなさそうです。ペアやグループ活動をしている授業では、とてもよい表情でいきいきと活動している子どもたちの姿が見られました。意欲もありかかわり合う力もあるのですが、それを発揮する場面がなかったのです。困っている子どもができる子どもに助けてもらうような場面をつくることで、子どもたちのよさを引きだすことができると思います。 先生方は、子どもたちが指示に従い、落ち着いて授業を受けてくれるので、いつの間にか教師主導の旧来の授業に戻ってしまいました。その結果子どもが受け身になっているのを見て、受け身な子どもたちだと思ってしまっています。 子ども同士がかかわり合い活躍する場面をつくり、彼らの持つよさを引き出すことで、積極的に学習に向かう姿を取り戻すことができると思います。子どもは先生の姿を映す鏡です。子どもたちの姿は先生がつくっていることを忘れないでほしいと思います。 11月中旬に行う研究授業の授業者と懇談しました。 今年度他校から移られた社会科の先生は、教科を通じてどのような力をつけたいのかが今一つはっきりしていませんでした。授業の進め方も一方通行で、子どもとのやり取りもほとんどありません。授業者は子どもに問いかけるようにしているということでしたが、具体的に聞いた例は、国際協力に関連して日本の輸出入額の一番大きいものは何かといった、単なる知識を聞くものでした。子どもが考えるような発問を考えてほしいことと伝えました。国際協力を経済や政治の観点で考えるのであれば、iPhoneを構成する部品がどこで作られているかを調べるといった活動をさせるとよいでしょう。そのことから、どんなことがわかるかを問いかけることで、国際分業やそれに伴う、日韓や米中の経済問題が見えてくると思います。こういった学習活動もあることをお伝えしました。 この先生には、研究授業ではどんな力をつけたいと考えているのがわかるような授業を目指すことをお願いしました。 英語の若手の先生は、子どもたちがこちらの与えた課題に前向きに取り組み、それなりに楽しんでくれているという手ごたえを感じていますが、そこから一歩進んで、主体的に取り組み、学ぶ楽しさを味わってほしいと考えていました。よい視点だと思います。今回の授業では英語の絵本を幼稚園児に読み聞かせするというテーマで活動をさせます。子どもたちに主体的に取り組んでもらうために、絵本の選定、本文の改変などの自由度を大きくとることにしました。これまでは、声の大きさや抑揚といった基本的な話し方の技能を相互に評価していましたが、今回は幼稚園児を意識した工夫も評価項目に入れたいと考えています。子どもたちが実際にどのような動きをするかわかりませんが、意図をもって実践し続けることで授業の質は確実に上がっていくと思います。この姿勢を忘れなければ、若い先生なので大きく成長していくことと思います。 国語の若手の先生は、日々授業が変化しているようです。授業を見るたびにいろいろと工夫が見られます。今学期はグループ活動を積極的に取り入れているのですが、できる子どもが、「こうじゃない?」と自分の答を示すと、多くの子どもがそれにのって、深く話し合わずに結論を出してしまうことを悩んでいました。この問題の原因の一つは、課題がグループで考える必然性がないことにあります。一部の子どもがすぐに答を出せるような課題では話し合う必然性がないのです。また、答をグループで一つにまとめようとすると、強い子どもの意見がそのまま通り、話し合うことをしなくなります。あくまでも自分の答を出すためにグループを活用するとことを基本とし、全体の場では答ではなく、根拠を聞いて共有することが大切です。 この先生は、どんな形(個人、ペア、グループ)で活動させるのかを先に考えていますが、まず、この単元でどのような力をつけたいのかを考え、それを達成するにはどのような課題や活動を選べばいいのかを考えてほしいと思います。ねらいを達成するための活動の選択肢の一つとして、ペア活動やグループ活動があるのです。 今回の研究授業では、どんな力をつけたいのかを明確にした上で、どのような形で活動させるかを考えるようにお願いしました。素直で柔軟な先生なので、また新たな変化、進化を見せてくれることと思います。 学年それぞれの成長を感じる
中学校で授業アドバイスを行ってきました。前回訪問から1か月経ちましたが、全体的に子どもたちの様子がよい方向に変わっていました。
3年生は、子どもたちが授業によい形で参加している姿が多く見られました。 この日は雨のため、体育の授業が教室で行われていました。3学級同時展開でしたが、どの学級の子どもたちもよい表情で先生の話を聞き、グループの活動では額を寄せ合って活動している姿を見ることができました。これらの授業以外でも、中学校生活の締めくくりに向かって前向きな気持ちで学校生活を送っていることが感じられました。 少し気になったのが、数学の授業での場面でした。2クラスを3分割して少人数で行っていますが、解答解説で子どもたちの姿がどの教室でも3つに分かれていました。集中している子どもと、そうでない子どもがいるのはよくあるのですが、集中していない子どもが2つに分かれているのです。塾等で学習して、もうこの問題の解き方は知っているから聞かなくてもよいと考えている者と、内容についていけずに聞く意欲をなくしている者です。一方的な教師の説明では、すべての子どもたちに対応できていないのです。おそらくこのような状況は数学だけではないと思います。教師の説明が増えるのは、高校受験が迫ってくるとどうしても入試に直結する問題の解法を効率的に教えたくなるからです。教師の説明中心で子どもを受け身にするのではなく、できる子どもには適度なストレスを与える、わからない子どもにはわかるようになる場面を作ることが求められます。 ここで注目したいのが、子どもたちはちゃんと育ってきていることです。先ほどの数学の授業では、個人で問題を解く場面は、どの子どもも真剣に解こうと取り組み、困ったときはまわりの子どもに教えてもらうとする姿を見せます。わからない子どもも決してあきらめているわけではないのです。聞かれた子どももきちんと教えようとしています。子どもたちは互いによい形でかかわり合えるようになっているのです。この状況を上手く活かすとよいと思います。 具体的には、効率的に思えないかもしれませんが、教師ではなく子どもに説明させることを大切にするのです。全体の場で説明させる場面を作ってもよいですが、問題を解く時にグループの形にしてわからなければ聞くように指示するとよいでしょう。授業者は困っている子どもが友だち聞けているかどうかに注意して、子ども同士をつなぐことに徹するのです。子どもたちで正解にたどり着けていたら、正解を板書して説明する代わりに、問題を解く時のポイントは何か、どうすれば解き方気づけたかといった、問題を解く過程をたくさん発表させてまとめるようにします。 できる子どもにとっても、こういったことを考えることはよい刺激になりますし、困っている子どもとっては、考える糸口が見えるようになります。数学に限らず、子どもを活躍させ、子ども同士で学べることを意識してほしいと思います。こういったことをきっかけに、授業以外でも子ども同士がかかわり学び合える関係になっていくことも期待できるでしょう。 2年生は、学力的に厳しい子どもがそろそろ苦しくなって、授業から脱落していくのではと心配していました。しかし、苦しい子どもも頑張ろうという気持ちを失くしてはいませんでした。しかし、わからない、できない状況が続くと「だめか」と集中力をなくしていることも事実です。自己有用感が持てない子どもが多いようです。 印象的な場面がありました。英語で教科書の音読を時間内に何回できるかに取り組んでいる時に、子どもたちが集中し、終わったあととてもよい表情をしていたのです。評価の基準がはっきりしていて、頑張れば結果が出せるので達成感が味わえるからです。速く読もうとするので、発音はどちらかと言えばいい加減です。授業者もそのことはわかっています。なんとか彼らに達成感を与えたいという苦肉の策なのです。教師は絶対的な目標達成を第一にして、それに対して足りないことを指摘しがちです。そうではなく、この子どもたちにはゴールに向かってのスモールステップを明確にして、一つひとつできたことを先ほどの英語のようにポジティブに評価することが必要です。そしてこの目標が達成できれば次は何ができるようになればよいかをはっきりと示して、達成感を与えながら次のステップへの意欲を高めてやるのです。授業に限らず、色々な場面で子どもたちをほめる、認めることを大切にしてほしいと思います。 1年生は、授業規律もよく、先生の指示にもよく従います。リーダーシップを取れる子どもも育っているように感じます。先生の問いかけにもよく反応します。一見するととてもよい状態に見えます。しかし、ここに落とし穴があるように感じました。よく見ると、反応する子どもは限られています。授業者は子どもの反応で授業を進めることができているように思っていますが、それは特定の子どもとだけなのです。無意識のうちに反応する子どもの方だけを見て、その反応をもとに解説し、授業を進めています。それ以外の子どもは、この場面は特に参加しなくても困らないという顔をしています。授業者が板書をすると、素早く写します。板書を写していれば、中学校の定期試験は困らないと考えているようです。授業者は子どもと対話的に授業を進めている気持ちなっていますが、実は一部の積極的な子どもとだけのやり取りで、多くの子どもは受け身の状態なのです。この状況が常態化すると、ワークシートの穴を埋めて、教師の板書を写せばよい。それ以外はじっとしていればよいという子どもになってしまいます。授業者は子どもの発言を自分で受け止めるだけではなく、他の子どもにつなぐことを意識することが必要です。不規則発言であれば、再度全員に対して公的に発言し直させ、他の子どもに反応を求めます。「なるほどと思った人?」「同じように考えた人?」と聞いていなければ答えられないことを問いかけ、挙手に頼らず、聞いている子ども、反応した子どもを指名します。聞いていたこと、反応したことを価値付けして、子ども同士がかかわるように仕向けるのです。子どもが落ち着いて授業に参加しているように見えるからこそ、全員参加を求めることを意識してほしいと思います。 道徳の授業研究は、友情をテーマにしたものでした。 合唱大会に向けての取り組みの中、リーダーの子どもは仲間に厳しいことを言わなければならないこともあります。授業者は、学級の子どもたちに互いの気持ちを思いやるようになってほしいと思って、友情をテーマにしたようです。 資料は3人の友だちの間で起こった出来事を扱ったものでした。登場人物はやや公共心に欠ける者、正論で諭すことのできる者、空気を読んで間に入る主人公です。授業者は、この資料の最後に出てくる、今後の3人の関係を象徴する「夏の大三角」をもとに本当の友情について考えさせようとしました。 最初に「友だちとは?」と問いかけ、子どもたちに発表させました。「一緒にいて楽しい」といった表面的な人間関係を示す言葉が続きますが、「高め合う」といった発言から、互いによい影響を与え合う関係を示す言葉がでてくるようになりました。授業者は、どの言葉も柔らかく受け止め、子どもたちに発言しやすいような雰囲気を作ることを意識していました。子どもたちの発言を板書して、「今日は友情について考えよう」とめあてを示します。 場面ごとに3人の行動は友情としてどうだろうと、その行動を友情度として全員に評価させます。子どもの示す数値にはばらつきはあるのですが、授業者は自分の判断でいくつと決めます。「夏の大三角」を意識して3人を三角形に配置して板書し、矢印でそれぞれの友情度を書き込んでいきます。ここで気になったのがかなりの数の子どもが板書を写していることです。考えるためのきっかけとなる板書でなく、読み取りのための板書になっています。自身の課題として考えるのではなく、授業者の求める答探しになりかけています。友情度で示させることの是非はともかく、子どもの示す数字は分かれているのですから、その違いを焦点化して聞くことで、多様な考えに触れさせたいところでした。また、友だちの正論を少し茶化して雰囲気を柔らかくした行動を、「一緒にいて楽しいのが友だちなら、この対応はいいんじゃない?」と最初にでてきた友だちの定義とつなげて揺さぶってみてもよかったでしょう。子ども自身の課題にすることを意識することが大切です。 子どもたちはまわりと話し合うことはするのですが、全体の場ではなかなか挙手してくれません。授業者は、大切なところだから発言してほしいといったことを子どもに伝えます。そうすると子どもは挙手しますが、発言はどうしても授業者の意図を汲んだものになります。授業者は自分が望む方向の発言を無意識のうちに「よい考え」といった評価をしてしまいます。道徳では発言内容を教師が評価しないことが大切です。評価するのは、「相手の立場を考えたんだね」「この後どうなるかを考えたんだね」といった、見方や考え方にするように意識してほしいと思います。 子どもの多様な考えを引き出す機会は何度かあったのですが、授業者が無意識のうちに自分のねらうところに誘導することになってしまいました。結局、授業時間のほとんどが資料の読み取りに終始してしまいました。最後に感想を発表してもらうのですが、発表者の方を誰も見ていないことが残念でした。子どもたちが真剣に考えたのであれば、友だちの発言はとても気になるものです。最後まで自分の課題にならなかったようです。 検討会では、道徳主任のコメントがとても的を射たものでした。 「道徳は資料の読み取りではないので、内容の確認は授業者主体で進めて早く子どもの内面に働きかけなければならない。資料の主人公は一番気持ちが変化した者。その変化をとらえて子どもたちに自分の問題として考えさせる」といった道徳のポイントを示したうえで、具体的な進め方を短い時間で伝えてくれました。授業者は事前に相談する余裕がなかったようですが、こういった力のある先生がいるのですから、いろいろな方と相談することができたらよかったと思います。 互いに相談し、学び合える関係が日常的になってくれることを願います。 学年ごとに、子どもたちの課題を意識してチームとして取り組めていることを感じます。ほぼ毎月訪問していますが、その度に子どもたちの成長を見ることができます。だからこそ次の課題が見つかり、さらなる成長につながっています。今後の子どもたちの成長が楽しみです。 指導案を作る時、何を大切にする
指導案の相談を受けることがよくあります。指導案を作る時に大切にすること、そして実際に授業をする時に注意する点について、私のアドバイスのやり方をもとに簡単にまとめてみたいと思います。
私が指導案を見ただけでアドバイスできることはかなり限定的になってしまいます。その理由は、その学級の子どもたちのことを担任のようにはわからないからです。発問に対して子どもたちがどのように反応するかで授業の展開は変わってしまいます。授業者と顔を合わせて、予想される反応を聞きながら一緒に考えることではじめて有効なアドバイスができるのです。 といっても、いきなり発問から検討するわけではありません。まず単元や教材を通じて子どもたちにつけたい力が何かを確認し、これをできるだけ具体的にすることから始めます。その力がついたということは、子どもたちがどんな発言や反応をすることでわかるのかという、ゴールとなる子どもの姿をイメージするのです。その上で、その姿を引き出すためにどのような課題や発問が必要かを考えます。まず、考えた課題や発問に対して子どもはどんな反応をするだろう、それに対してどのように切り返していけばよいだろうかと授業者とキャッチボールしていきます。いきなり目標とする反応が出てくればよいわけではありません。全員が目標とする反応を最初からするのであれば、つけたい力は既についているのですから、目標が低すぎるわけです。目標とする反応を数人がすると予想するのであれば、それを全体にどう広げるのかを考える必要があります。ねらいと異なる反応も当然予想されます。こういった言葉が出てきたら、「こう返そう」、いや「ちょっと相談する時間を取ろう」とその対応をシミュレーションし、どうしてもねらった言葉や反応を引き出せそうもなければ、課題や発問を変えることになります。指導案には書かれることがないかもしれませんが、予想される子どもの反応とその対応をできるだけ多岐にわたって想像するのです。説明をいろいろと考えることより、予想される子どもの反応とその対応をシミュレーションすることが、指導案の検討の第一だと思います。 実際に授業を始めると、子どもたちが授業者にとって都合のよい反応だけをしてくれるとは限りません。思わぬ反応に戸惑わないためにも、いろいろと予想しておくことが大切になります。とはいえ、事前に予想をしても、子どもたちは思いもよらない反応をしたり、すぐには理解できないような発言をしたりします。指導案の流れにこだわると、反応を無視したり発言を修正したり、追加で説明を始めたりすることになります。余裕がなければ難しいとは思いますが、子どもが思わぬ反応をした時に、指導案の流れはいったん忘れて、「面白い」「どういうことだろう」「もっと考えを聞きたい」という気持ちになってほしいと思います。そういう姿勢で接することで、子どもたちが安心して自分の考えを言ってくれるようになります。「○○さんの考えわかる?」と子どもたちにつないでいくことで、ずれた意見も子どもたちが修正してくれます。主体的、対話的に学ぶことにつながります。 指導案を作る時はできるだけ子どもたちの反応を予測し、その対応をシミュレーションする。実際に授業をはじめたら、予想外の子どもの反応も、指導案にこだわらず、できるだけ活かすことを考える。このことを大切にしてほしいと思います。 素直な先生は伸びる
中学校の若手二人に授業アドバイスを行いました。
1年生の社会科の授業は、摂関政治の授業でした。 授業者は「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の句を示して、藤原道長が権勢を持ったことを示します。その上で藤原氏がどうやって権力を握ったのかを考えることをこの日の課題として提示します。子どもたちはワークシートの天皇の系図、教科書や資料集をもとに考えます。と言っても、教科書には天皇との外戚関係を使って権力を持つようになってきたことは書かれています。途中で子どもたちの活動を止めて系図の内容を確認しますが、教科書の記述の確認にしかすぎません。子どもたちに考えた結果を発表させますが、当然のことながら教科書の内容の繰り返しになります。その後、摂政や関白の確認をして板書にまとめますが、結局子どもたちにとっては、先生のまとめをワークシートに写せばそれで困らないので、どうしても学習に対する意欲が上がりません。 教科書に記述していることをなぞっても子どもたちは考えることはありません。事実(史実)をもとにより深く考えさせることが大切になります。この授業であれば、外戚関係を使って権力を持ったということは史実としてすぐに押さえて、そこから考えるような課題を与えたいところです。「天皇の親戚になれば、権力を持てると他の貴族は考えなかったの?」「なぜ藤原氏が上手くやれたの?」といったことを問いかけて、子どもたちに疑問を持たせたいところです。ここから、貴族が力を持つようになる過程や、その中で藤原氏が特に力を持った理由を考えることで、平安時代の歴史の流れが理解できると思います。「天皇はそれでいいと思っていたの?」「この後どうなると思う?」「藤原氏はずっと権力を持ち続けれそう?」といったことを問いかければ、この後の歴史の流れを自分たちで考えると思います。 こういった視点で歴史を見ることは、社会科として大切な見方・考え方の一つだと思います。現在の社会で起こっていることから、これからの社会を予測したり、自分たちの社会をどうして行くのかを考えたりする力につながっていきます。この力をつけることは社会科を学ぶ大きな理由だと思います。また、授業の最後に女流文学などの平安文化に簡単に触れましたが、外戚政治との関連を考えさせることも課題として面白いかもしれません。 子どもたちにどのような力をつけたいのかを明確にして、授業をつくってほしいと思います。 3年生の体育の授業はバスケットボールの最後の時間でした。2コートを使って試合を行います。 準備運動も含めて、子どもたちの動きによどみがありません。試合を始める前には、何も言わなくても体育館の扉を閉め、バスケットゴールを利用できる状態にします。試合がすべて終わった後も素早く元の状態に戻します。単元の最初の授業で準備や後片付けについて説明をするようにしているそうですが、きちんと定着しています。子どもたちがよく育っているのを感じました。 授業者は以前と比べて子どもたちをとてもよく見ています。準備運動や説明の場面でもしっかりと子どもたちと視線を合わせるようにしていました。意識して子どもを見ていることがよくわかります。 授業者が進め方と組み合わせの提示をしただけで、子どもたちは指示されなくても、タイマーの音に従って試合を開始、終了、交替、開始と混乱なく進めます。自分たちの試合のない時も遊んでいる子どもはほとんどなく、どの子どもも試合をしっかり見て声援を送っていました。授業者は体育館の2階から全体を見ながら評価をしていましたが、メモすることに気を取られることなくしっかりと全体の様子を把握していました。 体育の授業のバスケットボールの試合では、ボールに人が集まり接触プレーが多いのが普通ですが、この授業ではどのチームも全体に広がってパスでボールを運ぼうとする、見通しのよいプレーをしていました。ただ、防御より攻撃の意識が強く、ゴール下にボールを運ばれるとディフェンスに参加せず、味方のボールになった時にすぐに攻められるように外から様子を見ています。ボールを取るとゴール下でずっと待っている仲間へロングパスを投げて速攻をしかけるという攻撃パターンが主です。特に審判を設けていないので、バイオレーションやファールを取ることがなく、ボールが外に出ない限りプレーは止まりません。3秒ルールを意識していないために、このようなオフサイドのないサッカーのようなバスケットになってしまいました。 このことについて授業者と話を聞いたところ、ゲームでは点数が入らないと意欲が上がらないので、得点できることを意識した指導をしてきたそうです。コートを広く使い、ドリブルとパスのどちらが早くボールを運べるかを判断することを大切にしてきたそうです。きちんと指導の成果が出ているから起こっているプレーだということです。そうであれば、次は、子どもたちの技術をもう一段階上げるためにどうするのかを考えればよいということです。授業者の課題が、「どのように子どもと接し指導していくのか」という授業技術面から、「何を教えるのか」という教科の内容面へと移ってきています。 1チームだけ、マンツーマンを意識したディフェンスを行っているチームがありました。当然ながら他のチームに対して圧倒的でした。試合のインターバルで少し時間をとって、こういったチームのよさを共有することで、授業者が指導した以外のことに気づかせることができます。子どもたちが互いに学び合う場面を意識するとよいでしょう。 昨年初めて授業を見せていただいた時と比べて、ずいぶんと授業が進化したように思います。素直にアドバイスを受け止め、授業を改善しようと日々臨んだのだと思います。授業が変化すれば子どもたちも変化することを肌で感じ、子どもたちの姿から学ぶことを知ったのだと思います。若い先生が成長していく姿を見ることができるのは本当にうれしいことです。この姿勢があれば、後は単元で扱う内容と目指すべき子どもの姿を明確にしていくことで、どんどん力をつけていくと思います。これからが楽しみになってきました。 授業改善が点から線へとつながってきている
私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行いました。今回は、高校1年生のキャリアを意識したコースと高校1、2年生の特別進学のコースが対象でした。
キャリアを意識したコースの子どもたちの姿からは、彼らが先生方に対して信頼を寄せていることが感じられます。先生方がいろいろな場面で日常的に子どもたちを受容していることが大きく影響していると思います。先生の話が一方的に続いても聞こうとする姿勢を見せますし、指示が明確でやるべきことがわかれば、きちんと取り組みます。受け身の場面が続いても、何とか寝ないで起きていようとしている姿が見られます。説明や課題を理解できない状況でもわかろうとする意欲があります。けれども、「わからない」と声に出して訴えたりはしません。表情や行動でシグナルは出していますが先生に気づいてもらえず、結局は説明を一方的に聞かされて板書を写すだけになっていることがよくあります。子どもたちが、「落ち着いて話を聞いている」「きちんと板書を写している」からといって、それで安心してはいけません。子どもたちと先生との関係がよいので、子どもたちが理解できなくても授業が崩れていないだけなのです。わからない子どもたちに一方的に説明をしても、なかなか理解はできません。授業の中に子どもたちが「わかるようになる」、「できるようになる」場面を作ることが必要です。 そのためには子ども同士がかかわる場面を増やすことが大切です。この子どもたちはかかわり合う場面では、聞き合ったり、助け合ったりすることはできます。その時の表情も悪くありません。グループでの活動を活かすためにも、全体の場で子どもたちの出力場面を増やし、子ども同士をつなぐことで、かかわり合って学ぶ経験値を高めてほしいと思います。 また、子どもたちが少し先生に甘えすぎているように感じる場面もあります。中学校まではあまり先生にかかわってもらっていなかった子どもが多いのかもしれません。先生とのかかわり方に子どもっぽさを感じます。検討会で先生方と話していると、子どもたちをとてもかわいがっていることがよくわかります。安心して甘えられる環境なので、この傾向が強いのかもしれません。このこと自体は悪いことではありませんが、子どもたちの成長のためにも、子どもとの距離を調整して、子ども同士のかかわりを増やすようにするとよいと思います。 特別進学コースの子どもたちは、落ち着いて授業に取り組み、まじめに課題に取り組んでいますが、彼らが持っている学びへの意欲が表に出ていないように感じました。課題が子どもたちのものになっていないことが原因のように思います。子どもたちが、「わからない、どうすればよいのか」と困ったり、「目標に向かって取り組もう」という気持ちになったりできていないのです。 家庭科の授業で裁縫をしていましたが、どの子どももiPadにイヤホンをつないで、音楽を聴きながら作業していました。様子を見ていると、音楽や動画に気を取られて手元がおろそかになっている子どもはいません。大した集中力です。そして、子どもたちは、作業がひと段落つくと授業者に見せに行って確認をしてもらっています。作業をして先生のOKをもらえばよいのです。この授業の課題は子ども同士かかわる必要のない、音楽を聴きながらこなせるものでした。 子どもたちの成長のためには、互いにかかわり合って工夫することが求められる、もう一歩レベルの高い課題にする必要があります。今回の作品制作に適用できるかはわかりませんが、例えば、「グループでブランドを作り、コンセプトを決める」「個人個人がそのコンセプトに沿って自分の作品の企画する」「各自の企画がブランドとしてふさわしいかをグループで確認の後、作業をする」「完成品をブランドとして認められるかグループで最終確認をする」というような流れも考えることができます。社会で行われている制作過程を取り入れる視点を取り入れることでリアリティのある、考える必然性のある課題になると思います。総合的な探求の時間を意識して、文化祭で販売するところまでをゴールとして、販売促進、広報といった視点も加えて活動しても面白いかもしれません。 このことを一緒に参観した先生にお伝えしたところ、次の時間の進め方をどうしようかとその場で悩まれたようです。検討会の場で報告してくださいました。 LBGTに関する法律に賛成か反対かを考え、自分の意見をまとめる英語の授業の、発表の場面のことです。発表の視点をどうするかを悩んだ結果、どの発表がよいかをコンテストにすることにしたそうです。と言っても、細かい進め方を考える時間はなかったので、コンテストにすることだけを取り敢えず宣言して、子どもたちに「どうしようか?(どうすすめようか?)」と問いかけたそうです。すると、子どもたちはとりあえず賛成、反対の人数を確認することから始めて、発表方法などコンテストを進めるために必要なことを自分たちで決めていったそうです。先生がコントロールするよりも、子どもたちに思い切って任せることで彼らのエネルギーが引き出せたとようです。こちらがレールを引いてその上を無難に走らせるのではなく、子どもたちに任せてみることで学びへの意欲を引き出せることもあるのです。先生は、子どもたちが暴走しないように見守りながら、最低限のコントロールをするだけです。検討会が、こういった経験を互いに伝え合える場になったことは素晴らしいことです。毎回感じることですが、他の先生の授業から、素直に学び、柔軟に授業を変えることができる先生が増えています。そして、そのことを互いに共有する場が校内にできつつあります。この学校の授業改善が点から線へとつながってきていることを感じさせてくれる検討会でした。 子どもたちの姿を共有する
私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行いました。2学期は学年やコース単位で先生方と授業見学をして、授業後に検討会を行う形式で行うことになりました。この日は、高校2年生の一般コースと中学校が対象でした。
高校2年生は、全体として落ち着いて授業に参加していました。安定感があります。気になるのが、どの授業でも子どもたちの発言場面が少ないことです。子どもたちが落ち着いているのでどうしても先生の説明が多くなっているのです。子どもに問いかけても一問一答で終わっていることがほとんどです。また、子どもたちが指示されたことにはまじめに取り組むからでしょうか、「先生が説明する」、「子どもたちが板書を写す」、「課題を個人で取り組む」、また「先生が説明する」という流れの授業がかなり多く見られました。 一方で、グループやペアの活動を取り入れている授業も多くありました。子どもたちは人間関係もよく、互いにかかわることもできていますが、全体での共有場面ではなかなか発言してくれません。発言を受けてすぐに先生が説明することが多いため、子どもたちの全体での発言意欲が低くなっているようです。子どもの考えをつなぐことを意識してほしいと思います。 子どもたちが内容を理解できず、問いかけに反応できない時に、先生の説明が多くなることも気になりました。わからせたいという気持ちはわかりますが、理解するための時間が必要です。先生の説明を理解しようとしている時にどんどん言葉が足されていくと、頭の中がオーバーフローしてしまいます。ちょっと間を取って、子ども同士で相談する時間を取るといったことが必要でしょう。 授業をする先生方が、子どもたちにどうなってほしいのかが今一つ明確でないような気がします。子どもたちにつけたい力は何かを意識し、その力をつけるために必要な活動は何かを考えて授業を組み立ててほしいと思います。今回のような授業を見あう機会が、子どもたちに求める姿を共有するきっかけになることを願っています。 一緒に参加している先生方の質問に答えたり、子どもたちの様子を見て状況を解説したりしましたが、しっかりと受け止めてくれる先生がたくさんいたことをうれしく思いました。アドバイスを受けて早速午後に実践したと検討会で報告してくれた方もいました。学年全体で子どもたちの様子と授業について話し合う機会が持てたことはとても意義のあることだと思います。 中学校は、一人一台のiPadを活用する場面が多くありました。ICT機器の活用が日常化していることを感じます。子ども同士がかかわる場面も多いのですが、日ごろの人間関係が授業に持ち込まれている姿を多く目にしました。まわりと相談するような場面で、隣近所ではなく、遠く離れた座席の友だちと話をしたり、男子、女子だけで集まって相談したりしていることが多いのです。女子のエネルギーが大きいため、男子が女子を避けて集まっているようにも見えます。その一方で、強制的、機械的につくられたグループでは、ちゃんと男女が上手くかかわれています。どのような実験をするのかをグループで考える理科の授業では、額を寄せながら男女がかかわりながら相談していました。社会のグループでの活動も、男女が協力し合ってよい表情で発表する姿が見られました。 これまで、関係を上手くつくれない子どもがいるために、好きにかかわり合うようにさせてきたのでしょうが、その必要はもうないと思います。座席をもとにグループを作り、だれとでもかかわるよう求めることが必要です。 子どもたちにプロジェクト的に学習を進めさせることと、これまでの試験に対応するための問題演習とのバランスに苦労している方もいらっしゃいました。定期試験も含めて試験のあり方についても検討する時期になっているように思います。 ICTの活用では、社会科の発表の場面が印象的でした。若年層への選挙の投票を促す動画を作成して発表するのですが、中学3年生にしてはなかなか見事なものでした。発表に対して各グループから質問をさせることで、よい緊張感を持たせています。聞く側も楽しそうな表情で見ていますが、真剣に聞いていることがわかります。質問が終わると、クラウドのアンケート機能を使って発表を即時評価します。観点毎に評価の数字がすぐに示されます。また、発表に対してコメントする欄には、想像以上にたくさんの言葉が並んでいます。子どもたちはICT機器を実に自然に活用しています。一人一台の環境を活かした授業づくりを見ることができました。 また、面白い活用実態の報告もありました。数学のAIを活用した自習ソフトの活用です。問題演習の宿題にソフトを利用させるのですが、紙の時と比べて子どもたちの取り組みが段違いだというのです。紙の時は宿題にほとんど手をつけなかった子どもちゃんとやってくるというのです。学習時間は何倍にもなったそうです。その結果学力つくのかどうかはこれから検証する必要がありますが、実に興味深いことです。今後の推移が楽しみです。 中学校の検討会はグループで行われましたが、実に楽しそうに話されていることが印象的でした。生徒の人数が少ないこともありますが、先生方がどの子どものこともよく知っており、子どもたちの固有名詞が飛び交う話し合いでした。子どもたちのことや授業について気軽に話し合える空気があることを感じます。 授業を見あって、先生方が自由に話し合うことがこの学校の新しい文化となること願います。 教務主任の影響力をあらためて感じる
昨日小学校で授業アドバイスを行いました。2回の訪問で全員の授業を見せていただき個別にアドバイスしますが、その1回目です。数年ぶりの訪問でしたが、前回の訪問時と今回では学校の雰囲気が大きく異なっていました。
どの学級も子どもたちがよい表情で授業に参加し、先生との関係のよさがうかがえます。共通して先生方が子どもの発言をしっかり受容しようと意識していることがわかります。どの教室からも目指している授業の方向性が伝わる、一体感のある学校ですが、挨拶の仕方、話型、授業のルールなどを共通で決めているわけではありません。子どもを受容する、子どもの発言を活かす、子どもの発言をつなぐといった大切にしようとしていることが共有されているのです。 若手の先生は、経験年数からは想像がつかないほど力をつけている方ばかりですが、そのことに慢心せず、謙虚に授業の課題に向き合い、改善を意識しています。アドバイスの時に自身の授業について聞いてみると、今自分が困っていること、できていないと思うことがすぐに出てきます。しかも、それが的を射ているのです。自分で課題に気づける方は、確実に成長していきます。正直、私のアドバイスは必要ないのではと思うほどです。また、この授業改善に前向きな姿勢は中堅、ベテランからも感じます。数年後には授業名人と呼ばれるのではないかと思うような方も、現状に満足せず次の課題を意識しています。学校全体が授業改善としっかり向き合っていました。一人ひとりフェイズは異なりますが、次の課題、ステップが明確な先生ばかりです。課題を意識して取り組み、それをきちんと達成できているからこそでしょう。私のアドバイスが先生方の更なる成長のきっかけとなれば幸いです。 このよい状況をつくり出しているのは間違いなく教務主任でした。どのようなことをしたのかという問いかけに、「こうやっています」という明確な答えは返ってきません。それこそ、「あの手、この手」と思いついたことを積極的に実行し続けたそうです。若手には、年次に関わらず研修を計画して実施しています。授業について先生方と話す機会をつくるため、週に1時間を目安に多くの先生の教室にT2として入っています。T2として参加した授業で先生のよいところを一言書いて伝えることも忘れません。今回の私の訪問に際して、夏休みに指導案を作成してもらい、一人ずつアドバイスをしています。先生方と授業について話せる関係を一生懸命作っています。学級経営と同様に、先生方の困り感をキャッチできる、困ったことを相談してもらえる、そんな関係をいかにつくるかを意識しておられました。先生方の成長に合わせて、取り組みも変化させています。私も、その新しい取り組みの駒の一つとして使っていただけているようです。 学校の授業改善に果たす教務主任の影響力をあらためて感じるとともに、そのエネルギーに大いに刺激されました。教務主任を長く勤められているので、そろそろ次のステージに移られると思います。教務主任が変わってもこのよい状態を維持、発展できるために何をすべきかも考えられていました。教務主任と先生方の姿から、本当にたくさんのことを学べました。次回の訪問が今から楽しみです。 任せることの大切さを改めて気づかされる
先日、社員研修で進行役を務めました。研修の中では、ヒアリングの進め方を全体で考えることやその結果を共有したり、感想を聞き合ったりする場面が設定されています。こういった場面ではこれまで私が、意図的に参加者の意見を聞きだしたり、つないだりしていました。
事前打ち合わせの時に一緒に研修を担当する先生から、彼らに任せても大丈夫じゃないのか、また上手くいった、いかなかったも含めて、経験を積ませた方がよいのではという意見をいただきました。確かに、やってみる価値はあると考え、今回は最初の課題把握と準備段階以外は、参加者に任せてみました。 結果は、私の想像以上に自分たちで上手く進めてくれました。全部で7人でしたが、全体で話し合う場面では誰言うとなく車座になり、司会も自然にあらわれます。司会者役はすべてを仕切るわけではなく、他の参加者と協調して柔らかい雰囲気で話し合いが進みます。ヒアリングの共有場面で、発言後に一緒のグループのメンバーに発言を促したり、グループの全体発表で、視線でコミュニケーションを取りながら発表を進めたりする姿も見られました。仲間の発言にうなずき、発言をつなぎながら考えを深めていきます。私が進行役をやったとしてもこれだけうまくできるか自信がありません。ほとんどが新人の時から知っている方たちですが、わずか3年ほどで驚くほど成長していました。そして、このわずか1日の研修中にもいろいろな面で成長している姿を見ることができました。 彼らの成長を過小評価し、自分の役割にとらわれ過ぎていました。危うく彼らの成長の機会を奪いかねないところでした。これと似たようなことは学校の先生にも起こりえることではないでしょうか。学級経営や授業で先生が果たす役割は、子どもの成長とともに変わっていきます。自分が指示しなければ、コントロールしなければと思いすぎて、子どもの成長の機会を奪っている可能性もあるのです。勇気のいることですが、時には、子どもを信じて任せることも必要です。上手くいかなければそこからどうするか考えればよいのです。失敗を子どもたちの糧にするという発想も必要です。子どもたちを信じて任せることの大切さに改めて気づかされた1日でした。 道徳の研修で学び合う
夏休みの市の研修で、講師を務めました。2、3年目の先生が対象の道徳の研修です。小中学校それぞれ2グループずつで指導案の検討を行い、全体で模擬授業をするというものです。授業者は、昨年度2年目で研修を受けた先生の中から事前に指名された4人です。教材を選び、指導案を準備して研修に臨んでくれました。
授業者が選んだ教材は、どれも授業をつくるのが難しいなと思うものばかりです。聞いてみると、「自分がやってみて上手くいかなかったのでリベンジしたい」「2学期に扱おうと思っているがどう展開しようか迷っている」ということでした。みんなの前で授業するのですから、無難な教材にしようとするのが普通だと思います。チャレンジ精神に感心しました。 グループで指導案をもとに検討をしますが、どのグループも難航しています。なかなかすんなりと授業の展開が決まりません。道徳は多様なアプローチが考えられますので、どうしてもアイデアが拡散して、これといった決定打が出てこないようです。また、目の前にしている子どもの状況によって、最適と思われる進め方は異なります。どのような子どもたちを想定するかでも意見が分かれます。道徳の難しさを感じたようです。こういったことに気づけて、道徳の指導案を複数で検討することのよさを感じた方も多かったようです。最終的には授業者が納得した意見を取り入れて模擬授業に臨んでくれたようですが、それだけに思いの強い授業ばかりだったように思います。 「子どもたちにこうなってほしい」「こういうことに気づいてほしい、考えてほしい」という思いがどの授業からも感じられました。逆に思いが強いために、なかなか思うように進まないことに苦しんでいました。先生方は子どもの発言を活かそうとするのですが、どうしても考えが広がるばかりで焦点化できません。気づかせたい、考えさせたいというのはわかりますが、そこに焦点化していくためには、他の子どもとつないで行くことが必要です。似た考えの子どもをつなぐことも大切ですし、そうでない考えの子どもにつなぐことも大切です。友だちの考えに「なるほど」と思っても、「でも、・・・」と考える子どもがいます。そういう子どもにつなぐことで、考えるべきことが焦点化され深まっていきます。子どもたちのどの発言を元に焦点化していくかを判断するためには、具体的な授業のゴールが明確になっていることが必要です。「振り返りでこういう言葉が出てほしい」「これからはこうしようと思ってほしい」など、具体的になっていると、どの発言を取り上げてつなげていくか、どう返すかといったことも判断しやすくなります。 模擬授業のレベルが高かったので、授業検討も非常に高いレベルになったと思います。具体的な場面にそって、実際につなぎ方や子どもの発言の受け方、切り返し方の例を見せながら一緒に考えることができました。子ども役の発言を上手く引き出せていたからこそ、その次のステップの話をすることができました。 何年も続けている研修ですが、ここ数年参加者のレベルが上がってきていると思います。子どもの言葉を聞こう、受け止めようという姿勢がどの先生にも見られます。この市が学び合いを重視した取り組みをしている成果が若い先生に現れているようです。 参加者の感想を送っていただきました。「仲間で教材研究するよさを感じた」「模擬授業をもとに具体的に授業の進め方を考えたことで自分の引出しを増やせた」「2学期からの授業が楽しみだ」といった前向きな言葉がたくさん並んでいました。先生方が研修に手ごたえを感じてくれたことがとてもうれしいです。 全員参加を目指してほしい
先日、市の初任者対象の研修を行ってきました。ここ何年かは初任者に模擬授業を行ってもらい、それを元に私が解説をする形式で行っています。今年は小学校5年生の算数の授業をグループで教材研究してもらい、その中から2チムーの代表に模擬授業をしてもらいました。
共通して感じたのは、どの先生も子どもの発言を大事にしようとしていることです。ペアやグループで相談する場面も作ろうとしています。子どもたちの活動場面をきちんと授業の中に組み込もうとしていました。模擬授業からも、日ごろからよい表情で子どもたちとのコミュニケーションを取れる先生方だと感じました。 しかし、一人に発言させるとすぐに自分で説明をするか、逆に次々答えさせるだけになっています。子ども同士をつなぐことができません。「同じ考えの人?」とは聞きますが、挙手をさせるだけで発表はさせないのです。同じ考えといっても、説明させれば何か足されていくかもしれません。また、挙手しなかった子どもに「じゃあ、あなたの考えを聞かせて?」と問いかけるといったことも必要です。結局、一部の子どもの発言だけを受けて、肝心なところは自分で説明してしまうのです。挙手をしない子どもは、友だちの意見を聞かなくても先生の説明を聞いていれば困りません。授業者は全員参加を願っていますが、結果的には参加する必要のない授業になっていました。 ペアやグループで相談させた後、挙手で結論を発表させようとしますが、先生が子ども役でもすぐに手は挙がりません。「答は?」と聞けば、自信がなければ挙手できません。「どんなことを話したか」と過程を大切にして聞く必要があります。 授業のねらいも気になりました。1000円より高いものと安いものを合わせて2000円で買えるかというのが課題です。実際に計算させてから、別の方法を見せてその考え方を説明させ、そのよさに気づかせようとしています。しかし、子どもたちが筆算で計算して答がわかれば、特に見積もる必要はありません。子どもたちは先生が説明しろというので考えますが、自分で説明したいとは思いません。やり方も示されているので、基準との差を差し引いて見積もるという方法を知ることがねらいとなっています。そうではなく、その考え方を子どもたちに自身で気づかせ、説明できることをねらってほしいと思います。 例えば、1000より高いものを2つ提示して、「2000円で買える?」とテンポよく聞き、「買えない」と何人にも言わせ「理由は?」「説明して?」と問いかけます。続いて今度は1000円より安いものを2つ提示して同様に問いかけます。ここで、本時の課題の数値で、「2000円で買える?」と問いかけるのです。子どもたちに即答を求めて次々指名します。中には計算を始める子どももいるでしょう。そういう子どもがいれば「計算しているね、どういうこと?」と問いかけます。子どもから、「1000円より高いのと安いのだからできない」という言葉を出させてから、「本当?できない?」と返して、そこからスタートします。こうすることで、子どもたちが自分で考え、説明しようとしてくれると思います。子どもたちに疑問や課題意識を持たせることが主体性につながるのです。 授業技術のヒントになるように、できるだけ先生方に問いかけ、つなぎながら解説を進めました。アンケートでは、「一問三答やこどもの話を聞くときの目線や場の雰囲気のつくり方など、早く実践したてみたい」、「2学期が始まるのがとても楽しみです」といった感想をいただけました。先生方のエネルギーに少しでもなったのならとてもうれしいことです。私も参加者から多くのエネルギーをいただきました。 教え子に気づかされる
先週末に30年ほど前の教え子のクラス会に呼んでいただきました。
顔を見てすぐに誰だかわかる方もいれば、話をしていてもなかなか思い出せない方もいます。顔はよく覚えていても名前が出てこないという方もたくさんいます。みんな同じように接していたつもりでも、記憶の残り方はいろいろであることを痛感しました。 教え子たちが立派に社会で活躍している報告を聞くと教師であったことの幸せを感じます。 こういう場に参加して驚くことは、本人が忘れているような言動でも教え子たちがとてもよく覚えていることです。彼らは楽しかった思い出として語ってくれますが、私の何気ない一言で傷ついていたこともあったのではないかと思います。若気の至りで感情的になってとんでもないことを口走っていたのではないかと思うと汗顔の至りです。当時の私に今会ったとすれば、相当厳しく説教することでしょう。 教え子の立派な姿を見て、楽しかった思い出を語ってもらうと、自分が彼らを育てたような錯覚に陥ります。でも、努力したのは彼らで、私たち教師はその成長をほんの少し助けた程度、もしくは反面教師でしかなかったと思います。だからこそ、教師は、驕らず、子どもたちにとって少しでもプラスになる存在でいるための努力をし続けることが求められるのではないでしょうか。いくつになっても、教え子に気づかされ、学ばせていただくばかりです。 先生方が前向きに参加する現職教育
先日、市の2つの小学校の夏季現職教育に参加してきました。
1つ目の学校では、学校の様子を事前に知るために1日授業参観をさせていただきましたが、同行した校長が、私のコメントを実にていねいにメモし、それをわかりやすくまとめて職員に配られていました。とてもありがたいと思うと同時に、学校力アップへの意気込みを感じました。私の経験上、管理職がこのように積極的に授業改善に取り組む姿勢を見せる学校は確実にその成果が表れます。この日の研修はこのことを実感させてくれるものでした。 この学校では、問題解決型を目指した授業の課題をどうつくるかが研究テーマになっています。今回の研修は講演を中心とせず、先生方がそれぞれ持ち寄った課題を低・中・高学年それぞれで検討し、その内容を全体で共有した後、私が助言するという形で進めました。 先生方は持ち寄った課題をもとに、「多様な考え方を出させるために、発問を工夫してみた」「この課題だと子どもがこういう反応をするんじゃない」というように、具体的な授業展開や子どもの反応について積極的に話し合っていました。 発表は困ったこと、疑問点を中心に行われましたが、どの発表も「そうだよなあ」「うーん、どうするといいかな」と思わされるものばかりでした。発表を聞いている先生方も、自分のこととしてしっかりと聞かれていました。本来であれば、でてきた問題を焦点化し、全体またはグループで検討したいところですが、時間の関係で省略し、私からのアドバイスが中心となりました。先生同士の検討の時間を取ることができれば、多様な考えが引き出せ深めることができたのにと、とても残念でした。先生方には、これで終わりではなく、機会を見つけて互いに相談し合うことをお願いしました。 2つ目の学校も事前に授業参観させていただきました。問題解決の授業についての講演の依頼だったのですが、授業の様子を見させていただいて、その前に授業の基礎・基本をもう一度確認したほうがよいと思いました。発言する子どもと授業者はうまくかかわっています。積極的に発言する子どももいるのですが、一部の子どもとだけで授業が進んでいる傾向が強いのです。友だちと先生のやり取りに参加しなくても、最後に先生のまとめを聞いたり、板書を写したりすれば困らないという子どもの気持ちが透けて見えます。この状態で問題解決型の授業をしようとしても、一部の子どもが場を仕切り、多くの子どもはその結論を受け入れるだけになる危険性があります。研修担当の先生と講演のテーマを変えることについて相談したところ、気持ちよく納得していただけ、講演のタイトルを「問題解決の授業を支える基礎・基本」としました。 暑い日の午後にもかかわらず、先生方にはとても熱心に聞いていただけました。自分の授業や学級経営を思い出し、比較しながら聞いていることが、反応からよくわかります。最後の質疑応答でも、「自分はこのように考え、こうしているが、どうでしょうか?」と自身の実践と対比してのものが多くありました。 この市では毎年この時期に全小中学校で校内研修が行われ、私もここ数年、毎年どこかの学校に呼んでいただけています。どの学校でも先生方が研修を教師力向上のよい機会ととらえられていることが感じられます。私にとっても、先生方から学ぶよい機会になっています。来年もこのような機会がいただけることを願っています。 子どもの発言が増えて来た時の落とし穴
1学期後半に訪問した学校に共通して感じたことは、子どもの発言が増えてきたために、かえって全員参加ができていない場面が増えているということでした。
共通しているのは、先生がよい表情で発言を聞いてくれるので発言意欲が高まっている子どもが増えてきていることです。また、先生がつぶやきを拾ってくれるので、自信のない子どもでも、つぶやくことで意見を言うことができるようになっています。 ここからが問題になります。多くの先生は自分の願うような意見やつぶやきが出てくるとそれを受けてすぐに説明を始めたり、不完全な説明に対して補足をしたりしてしまいます。問い返すことで考えを深めようとする方も、多くは発言者に対してのみ問いかけます。基本的に発言者と先生の1対1の関係で、挙手して意見の言えない子どもはなかなか参加することはできません。発言者と先生だけで授業が進み全員参加からは遠ざかっているのです。 一方で、積極的に発言をする子どもが増えてくると、一人だけではなくもっと多くの子どもの意見を聞こうと、他の子どもに意見を求めるようになる方もいます。次々に手が挙がり活発に意見が飛び交い、子どもの言葉で授業が進むようになったと先生も手ごたえを感じます。これは一見するととてもよい状態のように見えるのですが、そこにも落とし穴があります。よく見ると活発に意見を言っているのは一部の子どもだけで、他の子どもは次第にその話についていけなくなっていて、聞くこともしなくなっているのです。そういう子どもたちは友だちの話を聞いて理解することはあきらめて、先生のわかりやすい説明や最後のまとめを待っています。子どもたちが活発に見える授業が全員参加からどんどん遠ざかっているのです。 ではどうすればよいのでしょうか。一つは、先生と子どもではなく、子ども同士のかかわり合いを強めることです。まずは子どもたちが発言をきちんと聞けているか、理解できているかを見極めることが大切です。そのためには、発言を聞いている子どもたちの様子を観察することが必要になります。発言を聞きながら子どもたちの様子を見ることが難しいのであれば、発言が終わった後少し間を取って、子どもたちの反応を見るとよいでしょう。子どもの様子を見て、「○○さんの意見なるほどと思った?」「似たような考えの人いる?」「よくわからなかった人はいる?」と問いかけたり、挙手に頼らず「○○さんうなずいていたね。それってどういうこと?」と反応した子どもにつないだりします。 発言に正解を求めないことも大切です。正解を言わなければいけないというプレッシャーがあると、ある程度自信がないと挙手して発表することはできません。学年が上がるにつれてそのハードルは高くなっていきます。根拠なく答えることができるような、正解がないような問いに対して子どもたちがテンションを上げて挙手をするようであれば、正解を答えなくてはいけないという空気が学級にあるということです。正解や結論ではなく、困ったことや途中の過程を問うようにすることが必要です。「答えは?」ではなく、「困ったことはない?」と聞くことで、自信のない子どもも発言しやすくなります。 子どものつぶやきを拾う時は、「○○さんいいことを言ったね。みんなに聞かせて」「みんな○○さんの話を聞こう」とつぶやきを公的な発言にして聞き合うことが必要です。全体に対して自分の意見を言う機会を与えて、自信をつけさせるのです。 また、発言ではなく聞くことを評価・価値付けすることも重要です。「今○○さんの言ったことをもう一度言ってくれる?」といった、聞いていないと答えられない、聞いていれば答えられるような問いかけをし、聞いていたことをほめることで、友だちの意見を聞いていれば活躍できるようにするのです。 正解や結論だけにこだわっていると、よくできる子どもも自分はわかっているからと友だちの発言を聞こうとはしなくなります。そういう子どもたちには、友だちの考えを代わりに説明させるようにするとよいでしょう。「○○さんの考え代わりに説明してくれる。あなたの考えじゃないよ」とすれば、友だちの説明を聞いていなければ答えることはできません。説明した後、「うまく説明できたね」と先生が評価するのではなく、最初に説明した子どもに「△△さんの説明でよかった?」と確認することが重要です。考えが同じかどうかを本人ではなく先生が判断すれば、結局先生の言わせたいことを言えばいいのだなと、先生の求める答探しをするようになってしまいます。「あなたの考えをわかってもらえてよかったね」「○○さんの考えをよくわかったね」と子ども同士が理解しあったことをほめてつなぐようにすることが大切です。 子どもの発言を全員が理解する時間を取ることも必要です。発言に続けてすぐに先生が説明したり、次の子どもを指名したりするのではなく、少し咀嚼する時間を与えるのです。説明が長くてついていけなくなっているようであれば、説明が終わった後、もう一度説明をさせます。この時、適当なところで止めながら、子どもたちがそこまで理解したかスモールステップで確認するとよいでしょう。こうすることで、子どもたちが友だちの発言を理解し全員が授業に参加できるようになります。 子どもの発言が増えてきたからこそ、そこで止まらずに、全員参加を目指して授業改善を進めてほしいと思います。 子どもが落ち着いているからこそ授業改善が大切
今学期最後の授業アドバイスは中学校でした。
子どもたちは落ち着いて授業に取り組むことができる学校です。子ども同士の関係も悪くありません。かかわり合うこともできるのですが、特に3年生の学びに対する意欲がうすいことが気になりました。指示されたことには取り組みますし、授業者からの質問にも答えてくれるのですが、もっと知りたい、わかりたいと自ら課題に向かおうとするエネルギーが低いのです。 自習時間に、休業中の課題の問題集に取り組んでいる子どもたちの姿も気になりました。数学の○付をしている時に、答だけ見てあっていれば○をします。解答集はきちんと途中の解説もあるのですが、そこを確認したり途中の式を修正したりしている子どもはほとんどいません。また数学に限らず、できなかった問題、間違えた問題に対して、解答をそのまま写している子どもが目立ちます。自分で解けるようになるためには、解説を見てもう一度最初から自力で解くことや、教科書やノートの関連するところを調べたりして確認することが必要です。ただ、課題をやったというアリバイをつくっているようにしか見えませんでした。単純に子どものせいとは言い切れませんが、学ぶことに前向きにさせたいものです。 宿題はどうしてもやること、提出することが目的化しやすいのですが、力をつけることを目的としたものとなるような工夫が必要だと思います。 この日は、若手2名の授業アドバイスを行いました。 1年生の理科の授業は、プラスチックについての学習でした。 授業者は子どもにいろいろなことに気づかせたいと考えていました。紙パックを持ってきて、液体が漏れないのはなぜかを問いかけます。しかし、子どもたちは考える手がかりがないので、とりあえず思いついたことを言うだけです。根拠がなく発言するのでテンションは上がりがちになります。授業者は紙パックを切り開いたものを見せてその表面に何か貼りついていることを示します。ここにプラスチックの膜が使われているので液体が漏れないと説明して小さく切ったものを子どもたち触らせます。授業者は子どもたちに興味を持たせてプラスチックがいろいろなところで利用されていることに気づかせたかったのでしょうが、子ども自身が紙パックで水が漏れないことを不思議に思っていないのであまり意味がありません。 この後プラスチックが使われているものを書かせ、「できればなぜそこに使われているか」を考えようと問いかけます。そこからプラスチックの性質につなげようというのですが、考えるための材料や方法がはっきりしません。そもそもこの授業でプラスチックは最初から最後まで定義されていません。子どもから「ビニールはプラスチック?」というつぶやきが出てきた時に気づくべきだったのですが、授業者はこのつぶやきを拾うことができませんでした。 子どもたちからいくつか製品があがった後、プラスチックの「性質」を7つあげようと課題を提示します。「なぜそこに使われている」を跳び越えていきなり「性質」に発問が変わっています。また、7つと限定したことも問題です。教師が明確に答を持っていて、それを当てることが課題だと言っているようなものです。実際に、授業者は子どもからでてきた「リサイクルできる」「熱で溶ける」といった言葉を教科書にある「加工しやすい」にまとめてしまいます。子どもは推論して答えるのではなく、思いつきで答を探っているだけで、最後は授業者が提示する答を覚えるだけになってしまいます。授業者が、「覚えるのは大変だけど頑張って」と何度も言っているので増々その傾向が強くなります。授業者が願っていることと授業は大きく乖離していました。 性質を考えるのであれば、身の回りのプラスチックをできるだけたくさん子どもたちから出させるとよいでしょう。あまり出てこないと思うのであれば、こちらで用意したものを「これはプラスチック?」と問いかければよいのです。そして、「どうしてプラスチックだと思ったの?」と理由を聞いて揺さぶるのです。理由を板書しながら、グルーピングしていくことで主な性質は出てくるはずです。絶縁性などはなかなか出てきませんので、電気のプラグやコードを用意して、「なんでプラスチックを使っているのだろう?」と問いかけて見るとよいでしょう。この時、「○○ではダメなの?」と比較することでより気づきやすくなります。比較して考えるというのは最も大切な見方・考え方の一つですが、意識して教えることも必要です。 プラスチックの性質や用途は知識として教えるだけになりがちな単元です。何かしら子どもたち気づかせたいと考えただけでも大きな進歩だと思います。まだまだペーパー試験で子どもたちに点を取らようとすることから抜け出せていませんが、少しずつ授業観を育てていってくれることと思います。次回の変化を楽しみにしたいと思います。 1年生の英語は”What’s this?”の学習でした。 日本の都道府県のシルエットをディスプレイに映して、子どもたちに”Is that ○○?”と問いかけさせます。最初は容易に想像つくもので練習して、その後、想像がつきにくい県で困らせ、”What’s this?”が出てくる必然性をつくりました。予定外だったのが、すぐにはわからないと思って用意した岡山県を子どもがすぐに”Is that Okayama?”と問いかけたことです。この時授業者は思わず「マジで?」と口にしました。後から聞いたところ、自分がこの言葉を発したことは覚えていませんでした。他にも何回か言っていたのですが、全く意識していませんでした。使わないように意識するようお願いしました。 最終的には授業者が、こういう時には”What’s this?”と聞くことを説明して、練習に入ります。 “situation”を意識して、必然性のある導入をしようとしたのはとても評価できます。ただ、授業者が日本語で説明するのであれば、あまり意味はありません。何度か”Is that ○○?を言った後、”What’s this?”と”this”と同時に指を指して”What”を導入するとよいでしょう。これに対して”It’ ○○.”と答える一連のやり取りを何度も繰り返して、自然に意味と使い方(文法)に気づかせるのです。 グループごとに用意したホワイトボートを4分割し、そこに一人ずつ動物の絵を描かせます。その絵を使って、”Is that ○○?” ” What’s this?”の練習をするのです。絵を描くのに多くの時間を使い、子どもたちが英語しゃべるのは一人1、2回です。しかも、”Is that ○○?ですぐに正解が出るので、肝心の” What’s this?”はほとんど使われません。英語学習の本来の目的と関係ないことでテンションを上げたり時間使ったりしないように注意することが必要です。英語を話す密度を上げることを意識してほしいと思います。 授業者は文法の説明をどうするかで悩んでいました。文法用語の「疑問詞」を日本語で説明したり、”this”と”what” 入れ替えると図で示したりしていました。文法は大切ですが、機械的に用語やルールを覚えるのではなく、”situation”にもとづいて言葉を使いながら子どもたち自身で気づくような活動をすることが求められます。 新出単語の学習では、いきなりデジタルのフラッシュカードを使って単語を覚えさせようとしていましたが、あまりよいとは思いません。どうしても文字と連動して視覚で言葉を覚えるので、言葉を聞き取る力が育たないのです。「聞く」「話す」が先で、「読み」「書き」は後からです。言葉とそれが表すものをきちんと理解してから、フラッシュカードで読むことを練習するとよいと思います。できれば、実物や絵を見せて発音を聞かせ、フラッシュカードも日本語とではなく、絵と対応させるとよいでしょう。英語を日本語と1対1に対応させて日本語に直して理解するのではなく、言葉の表すものや”situation”で理解することを目指してほしいものです。 また、“for”や“of”のような前置詞も注意が必要です。教科書の本文には”recipe for curry”と”block of curry”が出てきますが、どちらも「カレーの……」と訳して日本語で説明してしまうと“for”と“of”の違いはよくわかりません。「どう違うの?」と疑問に思う子どももでてくるはずです。使い方や意味をきちんと理解させる場面をどうつくるかが課題です。 この日、休み時間に先日道徳についてアドバイスした先生が報告に来てくれました。ずっと道徳の授業が上手くいかずに悩んでいた方です。発表者の意見を他の子どもにどう思うかとつないでみたところ、友だちの意見を意識して聞くようになったそうです。振り返りにも、「友だちの考えを聞けてよかった」という声があり、授業を変えるきっかけをつかんだようです。この日の姿は道徳が上手くいかないと暗い表情で相談していた前回とはまるで別人でした。先生の前向きな姿に私もエネルギーをもらいました。 子どもたちが落ち着いて授業に参加している学校だからこそ、より多くの課題が明確になります。子どもが落ち着いていることに安心せずに授業改善を意識してほしいと思います。 |
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