みんなで考えることをねらった授業研究
私立の中学校高等学校で授業アドバイスと授業検討会の助言を行いました。この日は高校2年生のキャリアを意識したコースの先生方と子どもたちの授業の様子を参観しました。
高校2年生になると選択教科が増えます。自分がやりたい教科を選んでいるので、子どもたちの意欲の高さが感じられました。情報処理の授業では私たちの存在に気づかないくらい、パソコンでの作業に集中していていました。外国文化の学習場面では、もともと興味のある子どもたちばかりということもありますが、とてもよい表情で子ども同士がかかわり合っていました。いつもはあまり学習に積極的でない子どもも、前向きに取り組んでいるようでした。自分たちで活動していても、授業者がしゃべりだすと自然に前を見て集中します。授業規律もしっかりしていました。漢字の学習を選択した子どもたちも、ペアでよくかかわり合えていました。子どもたちのよい姿をたくさん見ることができました。 別の時間の選択授業の英語のスピーチでは、発表者だけでなく聞いている子どもたちの真剣な表情が印象的でした。スピーチが終わるとすぐに質問の手が挙がっていました。秘書検定を目指す授業では、授業者の問いかけに対して子どもがよく反応していました。残念だったのが、自分の考えをワークシートにきちんと書けるのに、進んで挙手、発表しなかったことです。挙手はしなくても反応はする子どもたちなので、すぐに授業者が説明せずに、子どもの反応を受容、共有し、価値付けするようにしてほしいと思います。安心して発言できる雰囲気をつくることで、子どもたちの積極性をより引き出してくれることを願います。 選択の授業と比べて、通常の必修教科の授業ではエネルギーの低い子どもも目に付きます。指示されたことや作業にはきちんと取り組みますが、選択教科に比べると表情が乏しく受け身の時間が多いように思います。先生方は、おとなしい子どもたちが多いと思っているかもしれませんが、選択教科で見せてくれたように、潜在的な学びに対する意欲は高い子どもたちです。おとなしいからと先生が一方的な説明をするのではなく、興味関心を持たせる工夫をすれば、高い集中力を発揮して学習に取り組み、大きく成長すると思います。 子どもたちが持つよさ、ポテンシャルを引き出すことを学年全体で意識することをお願いしました。 授業研究は4つの学級で行われました。今回は、子どもたちを見てほしいということで、従来教室の後ろに置いてあった椅子も取り払いました。その効果もあってか、先生方がよく動き、あらかじめ割り当てられた授業以外も積極的に参観されていました。 高校3年生の世界史の授業は授業者が一方的に説明をし続ける授業でした。「○○の所で話したように」と、過去の学習内容を振り返るのも常に授業者が中心で、子どもが考えたり、参加したりする場面がありません。言葉づかいも上から目線で、子どもたちと関係ができていないように感じます。そんな授業でも子どもたちが聞こうとする姿勢を見せてくれていたのが救いでした。 検討会で授業者は、「教育実習と初任の時以来の研究授業で、初心にかえることができた」というコメントを残しました。言葉通り初心にかえって自分がどのような授業を目指したいのかを今一度考えてほしいと思いました。 高校2年生の英語は、幼稚園児に英語で紙芝居を見せるという課題の発表場面でした。 子どもたちは、内容やせりふに変更を加えたりして自分たちのオリジナリティを出そうとしていました。発表前はどのグループもいっぱいいっぱいなのか、時間を惜しんで練習しています。だからといって、表情は悪くありません。緊張しながらも明るく取り組んでいました。これだけ発表準備に集中していると、他のグループの発表の時にちゃんと聞く余裕があるのかちょっと心配でしたが、発表が始まると、どのグループもすぐに練習を止めて集中しました。発表者も真剣ですが、聞いている方も真剣です。しかし表情は双方ともにとても楽しそうでした。発表が終わった後、評価シートをものすごい勢いで記入していたのが印象的でした。 授業者は受け身ではなく、自分事として活動を楽しんでもらうことを今回の授業の目標にしていました。その点では成功だったと思います。ゴールを明確にし、自由度を与えたことがよい結果につながったようです。この活動で英語の力がついたのかという疑問も出されたようですが、そのことは授業者も最初から気にしていました。しかし、今回は子どもたちに楽しませたいことを優先したのです。英語力については、子どもたちが主体的に取り組むようになった上での次の課題と考えています。この後授業がどのように進化していくのか楽しみになりました。 高校1年生の国語は、「水の東西」を題材に学習した後、自分たちで東西の文化について小論文を書く活動でした。 書き上げた文章を各自のiPadに配信して読み合います。グループの隊形になっていますが、個別に読むので特にかかわり合いは起きません。早く読み終った子どもは所作無げにしています。かなり時間が経ってから読み終った子どもへ指示していましたが、最初にしておくことが大切です。 子どもたちは自分がよいと思った作品に対してどこがよかったかコメントします。授業者は分析ソフトを使って子どもたちが書いたコメントからキーワードを抽出してスクリーンに映しました。ところが子どもたちの記述が具体的でないため、キーワードとしてソフトが抽出するのは、「よかった」といった抽象的な言葉です。授業者はこういった事態を予想していなかったので、ちょっとあせってしまったようです。時間も迫っていたので、自分で子どもたちの作品やコメントを評価してまとめてしまいました。スクリーンではなく、自分のiPadで友だちのコメントをいろいろとみている子どももたくさんいます。焦らずこういった子どもたちに意見や感想を言わせるとよかったでしょう。 確かに授業としては反省点が多かったかもしれませんが、ICTを活用した新しい授業に挑戦したことは大いに評価したいと思います。この授業を通じて、多くの先生がICTの活用について考え、学べたと思います。この経験を活かして次の授業を工夫していけばよいのです。ICTを活用する授業はこれだというものはまだまだ見つかっていないのが現状だと思います。だからこそ、こういった挑戦を学校全体で共有することが大切だと思います。 中学3年生の数学の授業は、アダプティブラーニングを紹介して、これからのあり方を考えてもらいたいと、指名ではなく授業者の希望で行われたものです。この意欲を買いたいと思います。 2学期に試験的に導入したAIを利用した個別対応の演習ソフトを授業の一部に取り入れていました。授業の課題が終わったあとは、子どもたちは自由にソフトに取り組みます。使い始めてまだ2か月余りですが、子どもたちは見事に使いこなしています。鉛筆で書くよりも早く、画面で問題を解いています。子どもたちにこのソフトがあっているのでしょう、それぞれがよいペースで問題に取り組んでいます。紙ベースで演習していた時よりもはるかに密度の濃いものになっています。このソフトが今後メジャーになるかどうかはわかりませんが、問題演習や知識の定着は、こういったものに置き換わっていくことは間違いないと思います。だからこそ教室でどのような学びをするのかが問われてきます。先生方は、今回具体的な活用場面を全体で共有することで、これからの学校教育の課題を実感できたと思います。授業者はよい機会を提供してくれたと思います。 今回面白かったのが、検討会の進め方です。授業後、あらかじめ準備されていた授業を見る観点毎に記入欄を設けたフォームにコメントを記入し、その内容を共有してからグループごとに話し合いました。効率的に全体の意見を把握することができ、すぐに話し合いが焦点化していったようです。直接話すよりも、フォームに記入する方が忌憚のない意見が出てくることもわかりました。全員参加のより深い話し合いになったと思います。 よい授業ではなく、みんなが考える授業をすることが意識された授業研究でした。こういった経験が積み上がって、学校全体の授業改善が進んで行くことと期待します。 学校が進化していくために必要なことが見えてきた気がします。 話し合う力をつけるためには、授業の進め方が大切
新しい学習指導要領が発表されて、これまであまりグループ活動を実施していなかった学校でも取り入れようとする動きが見られるようになってきました。中学校や高等学校にその傾向が強いようです。小学校と比べて扱う知識量が多いため、これまで教え込むことが中心となっていたようですが、見直そうとしているようです。
グループ活動を取り入れ始めた学校では、とりあえずグループにして話し合うことから始めることが多いようです。しかし、いきなり話し合いをさせても子どもたちは上手く話し合うことができません。そこで、積極的に話す子どもと聞き役に回る子どもを組み合わせるといった、グループのつくり方で対応している例をよく見ます。たしかにこうすることで、活発に話し合いが進んで上手くいったような気になりますが、それでよいのでしょうか。その実態は一部の子どもが場を仕切って結論づけているだけで、子ども同士がお互いの考えを聞き合いながら自分たちの考えを深めるとは程遠い状態です。子どもの役割を固定化してしまうことにもなってしまいます。社会に出て行けば、誰ともでかかわりながら課題を解決していくことが求められます。そのためにも、グループの構成を作為的にするのはあまりよいことではありません。 また、個人で問題を解いて、わからなかったらグループで聞くという活動もよく見ます。これも注意しないと、できた子どもができなかった子どもに答を教えるだけになってしまいます。先生ができる子どもと入れ変わっただけです。大切なのは、できなかった子どもが答を知ることではなく、自分で解けるようになることです。そのためには、できなかった子どもが納得できるまで聞くことが必要です。単に受け身で教えてもらうのでは意味がありません。 友だちの説明でわからなければ先生に聞くようにという指示も耳にすることがあります。子どもたちで解決できるように支援するのが先生の仕事ですが、先生が説明を始めてしまえば、子どもたちは自分たちで考える意味を失くしてしまいます。こうなると、先生に聞けばいいので、子どももたちは自分たちで真剣に考えようとしなくなります。先生が最後にまとめる板書を写しておけば困らないのです。互いがかかわり合って納得する答を導き出す過程をどうつくりだすかが問われます。 子どもたちがかかわり合い、グループでの話し合いが成立するためには、いくつかの条件があると思います。 一つは、互いに安心して聞き合える関係です。わからないと言ったらバカにされるようでは、安心して教えてとは言えません。上から目線で説明されるのを苦痛と感じる子どももいるでしょう。「わからない」「教えて」「助けて」と言え、「わかるまで教える」「一緒に考える」関係が前提となります。 もう一つは、単に答探しではなく、互いの考えを重ねて深めるやり方を知っていることです。互いに自分の考えを主張するのではなく、相手の考えを受け止めて、その上で自分の考えを伝えることが大切です。こういった話し合いの進め方をできることが求められるのです。 もちろん、これらのことをできるようになるためにも、グループでの話し合いを経験することが大切です。ただ、「話し合いなさい」というだけではできるようにはなりません。日ごろの授業で、先生が子どもたちの意見を否定せずに受容し、わかった子どもばかりに発言させるのではなく困った子どもの困り感を共有して、教室全体に安心して発言できる雰囲気を作ることが必要です。 また、全体追究で考えをつないで答にたどり着くような経験を教師主導でさせることで、話し合いで考えを深めるための方法を身につけさせることも重要です。 話し合いでは、子どもたちの話し合いの様子を評価・価値付けして話し合う力を育てていくことが必要です。発表は結論よりも、そこまでの過程を大切にし、その過程を共有し価値付けしていきます。こういった場面で積み重ねることで、子どもたちが成長し、話し合いを深い学びにつなげることができるようになると思います。 話し合いが上手くいくかどうかは、先生の日ごろの授業の進め方が大きく影響すると思います。話し合いが上手くいかない時は、先生の授業の進め方を一度見直してほしいと思います。 子どもの姿は先生の鏡
私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は一般のコースの1年生の授業を先生方と見学して、検討会を行いました。
子どもたちは落ち着いて授業に参加していますが、4月当初にあった、学ぼうという意欲があまり感じられない状況でした。子どもたちの表情が乏しくなっているのが気になります。この日見た授業のほとんどが、一方的に授業者が話し続けるもので、子どもたちの声を聞くことがほとんどありませんでした。子どもたちは授業に参加しようという姿勢を見せるのですが、力尽きてしまう姿が次第に目につきだします。 口頭での説明や板書ではなく、一人一台のiPadに直接データを送れば済むような場面も多くみられました。ICT機器を活用することで、子どもたちがかかわり合って活動する時間を捻出することができると思います。中学校では、ICTを積極的に活用することで子どもたちが活動する時間を上手くつくっています。中学校と高等学校で学び合って、せっかくの環境を有効に使ってほしいと思います。 気になったのが数学の授業です。かなりの子どもたちが授業者の説明についていけなくて、板書を写すだけになっています。中には最初から理解することをあきらめて、iPadで板書を写して他の時間はじっとしている子どももいます。困っている子どもができるようになる場面をつくる必要があります。 しかし、いくつかの授業の様子からすると、子どもたちは学ぶ意欲がなくなってしまったわけではなさそうです。ペアやグループ活動をしている授業では、とてもよい表情でいきいきと活動している子どもたちの姿が見られました。意欲もありかかわり合う力もあるのですが、それを発揮する場面がなかったのです。困っている子どもができる子どもに助けてもらうような場面をつくることで、子どもたちのよさを引きだすことができると思います。 先生方は、子どもたちが指示に従い、落ち着いて授業を受けてくれるので、いつの間にか教師主導の旧来の授業に戻ってしまいました。その結果子どもが受け身になっているのを見て、受け身な子どもたちだと思ってしまっています。 子ども同士がかかわり合い活躍する場面をつくり、彼らの持つよさを引き出すことで、積極的に学習に向かう姿を取り戻すことができると思います。子どもは先生の姿を映す鏡です。子どもたちの姿は先生がつくっていることを忘れないでほしいと思います。 11月中旬に行う研究授業の授業者と懇談しました。 今年度他校から移られた社会科の先生は、教科を通じてどのような力をつけたいのかが今一つはっきりしていませんでした。授業の進め方も一方通行で、子どもとのやり取りもほとんどありません。授業者は子どもに問いかけるようにしているということでしたが、具体的に聞いた例は、国際協力に関連して日本の輸出入額の一番大きいものは何かといった、単なる知識を聞くものでした。子どもが考えるような発問を考えてほしいことと伝えました。国際協力を経済や政治の観点で考えるのであれば、iPhoneを構成する部品がどこで作られているかを調べるといった活動をさせるとよいでしょう。そのことから、どんなことがわかるかを問いかけることで、国際分業やそれに伴う、日韓や米中の経済問題が見えてくると思います。こういった学習活動もあることをお伝えしました。 この先生には、研究授業ではどんな力をつけたいと考えているのがわかるような授業を目指すことをお願いしました。 英語の若手の先生は、子どもたちがこちらの与えた課題に前向きに取り組み、それなりに楽しんでくれているという手ごたえを感じていますが、そこから一歩進んで、主体的に取り組み、学ぶ楽しさを味わってほしいと考えていました。よい視点だと思います。今回の授業では英語の絵本を幼稚園児に読み聞かせするというテーマで活動をさせます。子どもたちに主体的に取り組んでもらうために、絵本の選定、本文の改変などの自由度を大きくとることにしました。これまでは、声の大きさや抑揚といった基本的な話し方の技能を相互に評価していましたが、今回は幼稚園児を意識した工夫も評価項目に入れたいと考えています。子どもたちが実際にどのような動きをするかわかりませんが、意図をもって実践し続けることで授業の質は確実に上がっていくと思います。この姿勢を忘れなければ、若い先生なので大きく成長していくことと思います。 国語の若手の先生は、日々授業が変化しているようです。授業を見るたびにいろいろと工夫が見られます。今学期はグループ活動を積極的に取り入れているのですが、できる子どもが、「こうじゃない?」と自分の答を示すと、多くの子どもがそれにのって、深く話し合わずに結論を出してしまうことを悩んでいました。この問題の原因の一つは、課題がグループで考える必然性がないことにあります。一部の子どもがすぐに答を出せるような課題では話し合う必然性がないのです。また、答をグループで一つにまとめようとすると、強い子どもの意見がそのまま通り、話し合うことをしなくなります。あくまでも自分の答を出すためにグループを活用するとことを基本とし、全体の場では答ではなく、根拠を聞いて共有することが大切です。 この先生は、どんな形(個人、ペア、グループ)で活動させるのかを先に考えていますが、まず、この単元でどのような力をつけたいのかを考え、それを達成するにはどのような課題や活動を選べばいいのかを考えてほしいと思います。ねらいを達成するための活動の選択肢の一つとして、ペア活動やグループ活動があるのです。 今回の研究授業では、どんな力をつけたいのかを明確にした上で、どのような形で活動させるかを考えるようにお願いしました。素直で柔軟な先生なので、また新たな変化、進化を見せてくれることと思います。 学年それぞれの成長を感じる
中学校で授業アドバイスを行ってきました。前回訪問から1か月経ちましたが、全体的に子どもたちの様子がよい方向に変わっていました。
3年生は、子どもたちが授業によい形で参加している姿が多く見られました。 この日は雨のため、体育の授業が教室で行われていました。3学級同時展開でしたが、どの学級の子どもたちもよい表情で先生の話を聞き、グループの活動では額を寄せ合って活動している姿を見ることができました。これらの授業以外でも、中学校生活の締めくくりに向かって前向きな気持ちで学校生活を送っていることが感じられました。 少し気になったのが、数学の授業での場面でした。2クラスを3分割して少人数で行っていますが、解答解説で子どもたちの姿がどの教室でも3つに分かれていました。集中している子どもと、そうでない子どもがいるのはよくあるのですが、集中していない子どもが2つに分かれているのです。塾等で学習して、もうこの問題の解き方は知っているから聞かなくてもよいと考えている者と、内容についていけずに聞く意欲をなくしている者です。一方的な教師の説明では、すべての子どもたちに対応できていないのです。おそらくこのような状況は数学だけではないと思います。教師の説明が増えるのは、高校受験が迫ってくるとどうしても入試に直結する問題の解法を効率的に教えたくなるからです。教師の説明中心で子どもを受け身にするのではなく、できる子どもには適度なストレスを与える、わからない子どもにはわかるようになる場面を作ることが求められます。 ここで注目したいのが、子どもたちはちゃんと育ってきていることです。先ほどの数学の授業では、個人で問題を解く場面は、どの子どもも真剣に解こうと取り組み、困ったときはまわりの子どもに教えてもらうとする姿を見せます。わからない子どもも決してあきらめているわけではないのです。聞かれた子どももきちんと教えようとしています。子どもたちは互いによい形でかかわり合えるようになっているのです。この状況を上手く活かすとよいと思います。 具体的には、効率的に思えないかもしれませんが、教師ではなく子どもに説明させることを大切にするのです。全体の場で説明させる場面を作ってもよいですが、問題を解く時にグループの形にしてわからなければ聞くように指示するとよいでしょう。授業者は困っている子どもが友だち聞けているかどうかに注意して、子ども同士をつなぐことに徹するのです。子どもたちで正解にたどり着けていたら、正解を板書して説明する代わりに、問題を解く時のポイントは何か、どうすれば解き方気づけたかといった、問題を解く過程をたくさん発表させてまとめるようにします。 できる子どもにとっても、こういったことを考えることはよい刺激になりますし、困っている子どもとっては、考える糸口が見えるようになります。数学に限らず、子どもを活躍させ、子ども同士で学べることを意識してほしいと思います。こういったことをきっかけに、授業以外でも子ども同士がかかわり学び合える関係になっていくことも期待できるでしょう。 2年生は、学力的に厳しい子どもがそろそろ苦しくなって、授業から脱落していくのではと心配していました。しかし、苦しい子どもも頑張ろうという気持ちを失くしてはいませんでした。しかし、わからない、できない状況が続くと「だめか」と集中力をなくしていることも事実です。自己有用感が持てない子どもが多いようです。 印象的な場面がありました。英語で教科書の音読を時間内に何回できるかに取り組んでいる時に、子どもたちが集中し、終わったあととてもよい表情をしていたのです。評価の基準がはっきりしていて、頑張れば結果が出せるので達成感が味わえるからです。速く読もうとするので、発音はどちらかと言えばいい加減です。授業者もそのことはわかっています。なんとか彼らに達成感を与えたいという苦肉の策なのです。教師は絶対的な目標達成を第一にして、それに対して足りないことを指摘しがちです。そうではなく、この子どもたちにはゴールに向かってのスモールステップを明確にして、一つひとつできたことを先ほどの英語のようにポジティブに評価することが必要です。そしてこの目標が達成できれば次は何ができるようになればよいかをはっきりと示して、達成感を与えながら次のステップへの意欲を高めてやるのです。授業に限らず、色々な場面で子どもたちをほめる、認めることを大切にしてほしいと思います。 1年生は、授業規律もよく、先生の指示にもよく従います。リーダーシップを取れる子どもも育っているように感じます。先生の問いかけにもよく反応します。一見するととてもよい状態に見えます。しかし、ここに落とし穴があるように感じました。よく見ると、反応する子どもは限られています。授業者は子どもの反応で授業を進めることができているように思っていますが、それは特定の子どもとだけなのです。無意識のうちに反応する子どもの方だけを見て、その反応をもとに解説し、授業を進めています。それ以外の子どもは、この場面は特に参加しなくても困らないという顔をしています。授業者が板書をすると、素早く写します。板書を写していれば、中学校の定期試験は困らないと考えているようです。授業者は子どもと対話的に授業を進めている気持ちなっていますが、実は一部の積極的な子どもとだけのやり取りで、多くの子どもは受け身の状態なのです。この状況が常態化すると、ワークシートの穴を埋めて、教師の板書を写せばよい。それ以外はじっとしていればよいという子どもになってしまいます。授業者は子どもの発言を自分で受け止めるだけではなく、他の子どもにつなぐことを意識することが必要です。不規則発言であれば、再度全員に対して公的に発言し直させ、他の子どもに反応を求めます。「なるほどと思った人?」「同じように考えた人?」と聞いていなければ答えられないことを問いかけ、挙手に頼らず、聞いている子ども、反応した子どもを指名します。聞いていたこと、反応したことを価値付けして、子ども同士がかかわるように仕向けるのです。子どもが落ち着いて授業に参加しているように見えるからこそ、全員参加を求めることを意識してほしいと思います。 道徳の授業研究は、友情をテーマにしたものでした。 合唱大会に向けての取り組みの中、リーダーの子どもは仲間に厳しいことを言わなければならないこともあります。授業者は、学級の子どもたちに互いの気持ちを思いやるようになってほしいと思って、友情をテーマにしたようです。 資料は3人の友だちの間で起こった出来事を扱ったものでした。登場人物はやや公共心に欠ける者、正論で諭すことのできる者、空気を読んで間に入る主人公です。授業者は、この資料の最後に出てくる、今後の3人の関係を象徴する「夏の大三角」をもとに本当の友情について考えさせようとしました。 最初に「友だちとは?」と問いかけ、子どもたちに発表させました。「一緒にいて楽しい」といった表面的な人間関係を示す言葉が続きますが、「高め合う」といった発言から、互いによい影響を与え合う関係を示す言葉がでてくるようになりました。授業者は、どの言葉も柔らかく受け止め、子どもたちに発言しやすいような雰囲気を作ることを意識していました。子どもたちの発言を板書して、「今日は友情について考えよう」とめあてを示します。 場面ごとに3人の行動は友情としてどうだろうと、その行動を友情度として全員に評価させます。子どもの示す数値にはばらつきはあるのですが、授業者は自分の判断でいくつと決めます。「夏の大三角」を意識して3人を三角形に配置して板書し、矢印でそれぞれの友情度を書き込んでいきます。ここで気になったのがかなりの数の子どもが板書を写していることです。考えるためのきっかけとなる板書でなく、読み取りのための板書になっています。自身の課題として考えるのではなく、授業者の求める答探しになりかけています。友情度で示させることの是非はともかく、子どもの示す数字は分かれているのですから、その違いを焦点化して聞くことで、多様な考えに触れさせたいところでした。また、友だちの正論を少し茶化して雰囲気を柔らかくした行動を、「一緒にいて楽しいのが友だちなら、この対応はいいんじゃない?」と最初にでてきた友だちの定義とつなげて揺さぶってみてもよかったでしょう。子ども自身の課題にすることを意識することが大切です。 子どもたちはまわりと話し合うことはするのですが、全体の場ではなかなか挙手してくれません。授業者は、大切なところだから発言してほしいといったことを子どもに伝えます。そうすると子どもは挙手しますが、発言はどうしても授業者の意図を汲んだものになります。授業者は自分が望む方向の発言を無意識のうちに「よい考え」といった評価をしてしまいます。道徳では発言内容を教師が評価しないことが大切です。評価するのは、「相手の立場を考えたんだね」「この後どうなるかを考えたんだね」といった、見方や考え方にするように意識してほしいと思います。 子どもの多様な考えを引き出す機会は何度かあったのですが、授業者が無意識のうちに自分のねらうところに誘導することになってしまいました。結局、授業時間のほとんどが資料の読み取りに終始してしまいました。最後に感想を発表してもらうのですが、発表者の方を誰も見ていないことが残念でした。子どもたちが真剣に考えたのであれば、友だちの発言はとても気になるものです。最後まで自分の課題にならなかったようです。 検討会では、道徳主任のコメントがとても的を射たものでした。 「道徳は資料の読み取りではないので、内容の確認は授業者主体で進めて早く子どもの内面に働きかけなければならない。資料の主人公は一番気持ちが変化した者。その変化をとらえて子どもたちに自分の問題として考えさせる」といった道徳のポイントを示したうえで、具体的な進め方を短い時間で伝えてくれました。授業者は事前に相談する余裕がなかったようですが、こういった力のある先生がいるのですから、いろいろな方と相談することができたらよかったと思います。 互いに相談し、学び合える関係が日常的になってくれることを願います。 学年ごとに、子どもたちの課題を意識してチームとして取り組めていることを感じます。ほぼ毎月訪問していますが、その度に子どもたちの成長を見ることができます。だからこそ次の課題が見つかり、さらなる成長につながっています。今後の子どもたちの成長が楽しみです。 |
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