子どもの発言が増えて来た時の落とし穴
1学期後半に訪問した学校に共通して感じたことは、子どもの発言が増えてきたために、かえって全員参加ができていない場面が増えているということでした。
共通しているのは、先生がよい表情で発言を聞いてくれるので発言意欲が高まっている子どもが増えてきていることです。また、先生がつぶやきを拾ってくれるので、自信のない子どもでも、つぶやくことで意見を言うことができるようになっています。 ここからが問題になります。多くの先生は自分の願うような意見やつぶやきが出てくるとそれを受けてすぐに説明を始めたり、不完全な説明に対して補足をしたりしてしまいます。問い返すことで考えを深めようとする方も、多くは発言者に対してのみ問いかけます。基本的に発言者と先生の1対1の関係で、挙手して意見の言えない子どもはなかなか参加することはできません。発言者と先生だけで授業が進み全員参加からは遠ざかっているのです。 一方で、積極的に発言をする子どもが増えてくると、一人だけではなくもっと多くの子どもの意見を聞こうと、他の子どもに意見を求めるようになる方もいます。次々に手が挙がり活発に意見が飛び交い、子どもの言葉で授業が進むようになったと先生も手ごたえを感じます。これは一見するととてもよい状態のように見えるのですが、そこにも落とし穴があります。よく見ると活発に意見を言っているのは一部の子どもだけで、他の子どもは次第にその話についていけなくなっていて、聞くこともしなくなっているのです。そういう子どもたちは友だちの話を聞いて理解することはあきらめて、先生のわかりやすい説明や最後のまとめを待っています。子どもたちが活発に見える授業が全員参加からどんどん遠ざかっているのです。 ではどうすればよいのでしょうか。一つは、先生と子どもではなく、子ども同士のかかわり合いを強めることです。まずは子どもたちが発言をきちんと聞けているか、理解できているかを見極めることが大切です。そのためには、発言を聞いている子どもたちの様子を観察することが必要になります。発言を聞きながら子どもたちの様子を見ることが難しいのであれば、発言が終わった後少し間を取って、子どもたちの反応を見るとよいでしょう。子どもの様子を見て、「○○さんの意見なるほどと思った?」「似たような考えの人いる?」「よくわからなかった人はいる?」と問いかけたり、挙手に頼らず「○○さんうなずいていたね。それってどういうこと?」と反応した子どもにつないだりします。 発言に正解を求めないことも大切です。正解を言わなければいけないというプレッシャーがあると、ある程度自信がないと挙手して発表することはできません。学年が上がるにつれてそのハードルは高くなっていきます。根拠なく答えることができるような、正解がないような問いに対して子どもたちがテンションを上げて挙手をするようであれば、正解を答えなくてはいけないという空気が学級にあるということです。正解や結論ではなく、困ったことや途中の過程を問うようにすることが必要です。「答えは?」ではなく、「困ったことはない?」と聞くことで、自信のない子どもも発言しやすくなります。 子どものつぶやきを拾う時は、「○○さんいいことを言ったね。みんなに聞かせて」「みんな○○さんの話を聞こう」とつぶやきを公的な発言にして聞き合うことが必要です。全体に対して自分の意見を言う機会を与えて、自信をつけさせるのです。 また、発言ではなく聞くことを評価・価値付けすることも重要です。「今○○さんの言ったことをもう一度言ってくれる?」といった、聞いていないと答えられない、聞いていれば答えられるような問いかけをし、聞いていたことをほめることで、友だちの意見を聞いていれば活躍できるようにするのです。 正解や結論だけにこだわっていると、よくできる子どもも自分はわかっているからと友だちの発言を聞こうとはしなくなります。そういう子どもたちには、友だちの考えを代わりに説明させるようにするとよいでしょう。「○○さんの考え代わりに説明してくれる。あなたの考えじゃないよ」とすれば、友だちの説明を聞いていなければ答えることはできません。説明した後、「うまく説明できたね」と先生が評価するのではなく、最初に説明した子どもに「△△さんの説明でよかった?」と確認することが重要です。考えが同じかどうかを本人ではなく先生が判断すれば、結局先生の言わせたいことを言えばいいのだなと、先生の求める答探しをするようになってしまいます。「あなたの考えをわかってもらえてよかったね」「○○さんの考えをよくわかったね」と子ども同士が理解しあったことをほめてつなぐようにすることが大切です。 子どもの発言を全員が理解する時間を取ることも必要です。発言に続けてすぐに先生が説明したり、次の子どもを指名したりするのではなく、少し咀嚼する時間を与えるのです。説明が長くてついていけなくなっているようであれば、説明が終わった後、もう一度説明をさせます。この時、適当なところで止めながら、子どもたちがそこまで理解したかスモールステップで確認するとよいでしょう。こうすることで、子どもたちが友だちの発言を理解し全員が授業に参加できるようになります。 子どもの発言が増えてきたからこそ、そこで止まらずに、全員参加を目指して授業改善を進めてほしいと思います。 子どもが落ち着いているからこそ授業改善が大切
今学期最後の授業アドバイスは中学校でした。
子どもたちは落ち着いて授業に取り組むことができる学校です。子ども同士の関係も悪くありません。かかわり合うこともできるのですが、特に3年生の学びに対する意欲がうすいことが気になりました。指示されたことには取り組みますし、授業者からの質問にも答えてくれるのですが、もっと知りたい、わかりたいと自ら課題に向かおうとするエネルギーが低いのです。 自習時間に、休業中の課題の問題集に取り組んでいる子どもたちの姿も気になりました。数学の○付をしている時に、答だけ見てあっていれば○をします。解答集はきちんと途中の解説もあるのですが、そこを確認したり途中の式を修正したりしている子どもはほとんどいません。また数学に限らず、できなかった問題、間違えた問題に対して、解答をそのまま写している子どもが目立ちます。自分で解けるようになるためには、解説を見てもう一度最初から自力で解くことや、教科書やノートの関連するところを調べたりして確認することが必要です。ただ、課題をやったというアリバイをつくっているようにしか見えませんでした。単純に子どものせいとは言い切れませんが、学ぶことに前向きにさせたいものです。 宿題はどうしてもやること、提出することが目的化しやすいのですが、力をつけることを目的としたものとなるような工夫が必要だと思います。 この日は、若手2名の授業アドバイスを行いました。 1年生の理科の授業は、プラスチックについての学習でした。 授業者は子どもにいろいろなことに気づかせたいと考えていました。紙パックを持ってきて、液体が漏れないのはなぜかを問いかけます。しかし、子どもたちは考える手がかりがないので、とりあえず思いついたことを言うだけです。根拠がなく発言するのでテンションは上がりがちになります。授業者は紙パックを切り開いたものを見せてその表面に何か貼りついていることを示します。ここにプラスチックの膜が使われているので液体が漏れないと説明して小さく切ったものを子どもたち触らせます。授業者は子どもたちに興味を持たせてプラスチックがいろいろなところで利用されていることに気づかせたかったのでしょうが、子ども自身が紙パックで水が漏れないことを不思議に思っていないのであまり意味がありません。 この後プラスチックが使われているものを書かせ、「できればなぜそこに使われているか」を考えようと問いかけます。そこからプラスチックの性質につなげようというのですが、考えるための材料や方法がはっきりしません。そもそもこの授業でプラスチックは最初から最後まで定義されていません。子どもから「ビニールはプラスチック?」というつぶやきが出てきた時に気づくべきだったのですが、授業者はこのつぶやきを拾うことができませんでした。 子どもたちからいくつか製品があがった後、プラスチックの「性質」を7つあげようと課題を提示します。「なぜそこに使われている」を跳び越えていきなり「性質」に発問が変わっています。また、7つと限定したことも問題です。教師が明確に答を持っていて、それを当てることが課題だと言っているようなものです。実際に、授業者は子どもからでてきた「リサイクルできる」「熱で溶ける」といった言葉を教科書にある「加工しやすい」にまとめてしまいます。子どもは推論して答えるのではなく、思いつきで答を探っているだけで、最後は授業者が提示する答を覚えるだけになってしまいます。授業者が、「覚えるのは大変だけど頑張って」と何度も言っているので増々その傾向が強くなります。授業者が願っていることと授業は大きく乖離していました。 性質を考えるのであれば、身の回りのプラスチックをできるだけたくさん子どもたちから出させるとよいでしょう。あまり出てこないと思うのであれば、こちらで用意したものを「これはプラスチック?」と問いかければよいのです。そして、「どうしてプラスチックだと思ったの?」と理由を聞いて揺さぶるのです。理由を板書しながら、グルーピングしていくことで主な性質は出てくるはずです。絶縁性などはなかなか出てきませんので、電気のプラグやコードを用意して、「なんでプラスチックを使っているのだろう?」と問いかけて見るとよいでしょう。この時、「○○ではダメなの?」と比較することでより気づきやすくなります。比較して考えるというのは最も大切な見方・考え方の一つですが、意識して教えることも必要です。 プラスチックの性質や用途は知識として教えるだけになりがちな単元です。何かしら子どもたち気づかせたいと考えただけでも大きな進歩だと思います。まだまだペーパー試験で子どもたちに点を取らようとすることから抜け出せていませんが、少しずつ授業観を育てていってくれることと思います。次回の変化を楽しみにしたいと思います。 1年生の英語は”What’s this?”の学習でした。 日本の都道府県のシルエットをディスプレイに映して、子どもたちに”Is that ○○?”と問いかけさせます。最初は容易に想像つくもので練習して、その後、想像がつきにくい県で困らせ、”What’s this?”が出てくる必然性をつくりました。予定外だったのが、すぐにはわからないと思って用意した岡山県を子どもがすぐに”Is that Okayama?”と問いかけたことです。この時授業者は思わず「マジで?」と口にしました。後から聞いたところ、自分がこの言葉を発したことは覚えていませんでした。他にも何回か言っていたのですが、全く意識していませんでした。使わないように意識するようお願いしました。 最終的には授業者が、こういう時には”What’s this?”と聞くことを説明して、練習に入ります。 “situation”を意識して、必然性のある導入をしようとしたのはとても評価できます。ただ、授業者が日本語で説明するのであれば、あまり意味はありません。何度か”Is that ○○?を言った後、”What’s this?”と”this”と同時に指を指して”What”を導入するとよいでしょう。これに対して”It’ ○○.”と答える一連のやり取りを何度も繰り返して、自然に意味と使い方(文法)に気づかせるのです。 グループごとに用意したホワイトボートを4分割し、そこに一人ずつ動物の絵を描かせます。その絵を使って、”Is that ○○?” ” What’s this?”の練習をするのです。絵を描くのに多くの時間を使い、子どもたちが英語しゃべるのは一人1、2回です。しかも、”Is that ○○?ですぐに正解が出るので、肝心の” What’s this?”はほとんど使われません。英語学習の本来の目的と関係ないことでテンションを上げたり時間使ったりしないように注意することが必要です。英語を話す密度を上げることを意識してほしいと思います。 授業者は文法の説明をどうするかで悩んでいました。文法用語の「疑問詞」を日本語で説明したり、”this”と”what” 入れ替えると図で示したりしていました。文法は大切ですが、機械的に用語やルールを覚えるのではなく、”situation”にもとづいて言葉を使いながら子どもたち自身で気づくような活動をすることが求められます。 新出単語の学習では、いきなりデジタルのフラッシュカードを使って単語を覚えさせようとしていましたが、あまりよいとは思いません。どうしても文字と連動して視覚で言葉を覚えるので、言葉を聞き取る力が育たないのです。「聞く」「話す」が先で、「読み」「書き」は後からです。言葉とそれが表すものをきちんと理解してから、フラッシュカードで読むことを練習するとよいと思います。できれば、実物や絵を見せて発音を聞かせ、フラッシュカードも日本語とではなく、絵と対応させるとよいでしょう。英語を日本語と1対1に対応させて日本語に直して理解するのではなく、言葉の表すものや”situation”で理解することを目指してほしいものです。 また、“for”や“of”のような前置詞も注意が必要です。教科書の本文には”recipe for curry”と”block of curry”が出てきますが、どちらも「カレーの……」と訳して日本語で説明してしまうと“for”と“of”の違いはよくわかりません。「どう違うの?」と疑問に思う子どももでてくるはずです。使い方や意味をきちんと理解させる場面をどうつくるかが課題です。 この日、休み時間に先日道徳についてアドバイスした先生が報告に来てくれました。ずっと道徳の授業が上手くいかずに悩んでいた方です。発表者の意見を他の子どもにどう思うかとつないでみたところ、友だちの意見を意識して聞くようになったそうです。振り返りにも、「友だちの考えを聞けてよかった」という声があり、授業を変えるきっかけをつかんだようです。この日の姿は道徳が上手くいかないと暗い表情で相談していた前回とはまるで別人でした。先生の前向きな姿に私もエネルギーをもらいました。 子どもたちが落ち着いて授業に参加している学校だからこそ、より多くの課題が明確になります。子どもが落ち着いていることに安心せずに授業改善を意識してほしいと思います。 ICTの日常化を感じた検討会
私立の中学校高等学校で行われた公開授業の検討会に参加しました。
今回はグループごとに事前に意見を交換して、授業を見て感じたこと学んだことをプレゼンテーションしてもらう形式を取りました。試験期間ということもあり、忙しい先生方が事前に準備ができるのかを心配したのですが、杞憂でした。授業を見た感想はYammer(企業内情報共有ツール)を使って共有していましたが、直接話し合う時間を取れないグループではYammer上のやり取りだけで発表をまとめていました。子どもたちのよい姿の写真が多くのプレゼンテーションで使われていましたが、事前に授業評価のルーブリックがつくられていたことが影響していると思われます。ルーブリックでは子どもたちの姿が大きな軸の一つでしたが、それを授業者、見学者双方の先生方が意識したことが、子どもたちの笑顔や活発な活動を生み出し、検討会でその姿が多く発表されることにつながったと考えられます。今回の授業公開、検討会の仕掛けが効果的であったようです。 また、いくつかのグループでは、子どもたちの活動の様子をまとめた、学校説明会ですぐにでも使えそうなハイレベルなショートムービーを制作していました。こんなツールを使うと簡単にできますよと、紹介もしてくれました。1人1台タブレットの環境が子どもにも先生にも与えられたことが、ICT活用の日常化を促しているのを感じます。 熱が入った発表が続いたため、予定した時間をかなりオーバーしましたが先生方からは不満の表情はあまり見られませんでした。また、発表する時間を短縮するために、「授業の詳しい紹介はYammerで」という言葉が何度も出てきました。ICTの授業以外での活用が先生方に根付いてきています。 時間のない中でしたが、グループで振り返りをしていただきました。どのグループもよい表情で話し合っています。どのようなことが話されたかを3つのグループに聞きました。 1つ目のグループは、「子どもたちが笑顔で楽しそうに活動している姿がたくさん見られたが、学力は本当についているのだろうか」ということが話題になったようです。とてもよい視点だと思います。常に問いかけ続けなければならない大事なことです。先生方には、「学力」の定義を共通のものとすることをお願いしました。従来の受験対策の知識や技術ではなく、これからの子どもたちに求められる「学力」を、この学校が目指す子どもたちの姿として明確にしてほしいと思います。 2つ目のグループでは、「どこでグループを活用するのか」が話題になりました。これも大切な視点です。闇雲にグループ活動するのではなく、何のために、どのタイミングで活用するのかを授業者が意識することが必要です。実践を積み重ねてきたことで、改めてこのことを実感したのでしょう。 3つ目のグループでは、「教師が変わり続けなければならない」という言葉を自分たちの話し合いの結論として発表してくれました。全くその通りだと思います。時代の変化に耐える子どもたちを育てるためには、まず自分たちが学び、成長し続けていくことが大切だと実感しているのだと思います。今回の検討会のような、互いがよい刺激を受け合う機会が増えているからこそでしょう。 今回の検討会は試験期間中ということもあり、お休みを取っている先生もいらっしゃいました。とてもよい検討会だったので直接参加できなかったのは残念ですが、今回使用されたプレゼンテーションのスライドやムービーなどはYammerに投稿していただくことで共有することになっています。こういうところでもICTがよい働きをしてくれます。学校におけるICTの活用のよい例が溜まっていくのを感じます。 指摘を素直に受け止め動く姿勢
私立の中高等学校の授業公開の3日目に参加してきました。
高等学校でこの日見た授業では、ワークシートが多用されているのが気になりました。単に課題が書いてあるだけのものならまだよいのですが、穴埋め形式のものでは、子どもたちはどうしても穴に入る答をだけを求めてしまいます。最終的に授業者の説明を聞くことよりも答を書き写すことを優先します。試験勉強では穴埋めの答だけを覚えてくるということになりがちです。この学校では一人一台のiPadがあるので、板書や必要な情報はそこに送ればよいので、子どもたちが知識をもとに考える活動を重視してほしいと思います。 子どもたちの意見が分かれるような課題を準備し、仮説や考えをもたせる授業もありました。日ごろから子どもたちに考えさせることを意識している方です。残念だったのが、子どもたちの意見が分かれた後の展開でした。授業者がヒントを出したり、問いかけたりしながら子どもたちを誘導しているのです。もちろん正解に導くことは必要なのですが、一人の意見を受けてすぐに授業者が切り返して方向性を与えてしまうので、意見を共有して自分たちで考えることがありません。同じ意見や反対意見を発表させながら焦点化していき、子どもたち自身で考えを深めるように進めるとよいと思います。「教えること」と「考えさせること」を意識して区別し、考える課題をつくることのできる先生です。知識についてはこちらから提示すると割り切っていますが、その知識を必要とする課題を与えて自ら得ようとさせる方法もあります。現状に満足せず、より高いところを目指していただければと思います。 高校2年生の英語の発表の場面では、子どもたちは友だちの発表を真剣に聞いていました。自分が課題にしっかりと取り組んでいたから友だちの発表も気になるのです。子どもたちは一人ひとりの発表に対して、評価の観点をもとにコメントを書くのですが、具体的な基準が明確になっていないようでした。基準が明確でないとイメージで評価してしまいます。具体的な基準を授業者が設定してもよいですし、子どもたちに評価を発表させて、それは具体的に何を基準としたかを聞いて共有するという方法もあります。子どもたちに評価をさせる時は基準を意識してほしいと思います。 この授業に限らず、課題が自分のものとなっていて真剣に取り組んでいる授業では、友だちの意見や発表をとてもよい表情で聞いています。こういった子どもたちのよい姿がどの授業でも見られるようになってほしいと思います。 高校3年生は進学を意識しているのか意欲的に授業に取り組む姿を多く見ることができました。ただ、授業によって、子どもたちが話を聞かずにすぐに板書することもあれば、真剣に説明を聞いていることもあります。また、一方的に授業者が話をしているだけの授業では、伏せっている姿が目立つというようにその態度は異なります。推薦で進学する子どもが多いので、子どもたちが主体的になる場面を意識した授業を心がけていないと、進学先が決定した後の授業がどうなるか心配になってきます。 中学校の理科の授業では、地震に関していくつかの疑問を子どもたちに調べさせていました。iPadの活用は日常的なので、子どもたちは自然に作業をしています。しかし、調べたことをそのまま発表する子ども、自分の言葉で整理して発表できる子どもと発表のレベルはまちまちです。そのレベルの違いをうまく価値付けしながら、より高いものにしていくことが求められます。中には理科に興味を持ち、知識も豊富な子どもがいます。そういった子どもの発表にまわりの子どもがついていけなくなって、一部の子どもだけで進んでしまう場面もありました。レベルの高い発表に対して、「今の意見どう?○○さんの考え分かった?」とまずみんなに理解させる時間を取る必要があります。どこがわからないかを聞いて本人にわかりやすく説明させたり、時には他の子どもに説明させたりすることが必要です。よくわからないところを焦点化して、グループで確認し合ったり調べさせたりしてもよいでしょう。全員が参加できるための工夫を意識してほしいと思います。 中学校の総合的な学習の時間で、調べることや考えることなど活動すべきことは明確になっていますが、ゴールが明確になっていない授業がありました。何のためにこの活動をしているのかわからないので、最終的に達成感を得られない可能性があります。より深く考えるためにも、「誰にどうなってもらう」「調べて考えたことをもとに、何を変える」といったゴールを意識してほしいと思います。 中学の道徳ではトロッコ問題などのモラルジレンマを扱っていました。ここで注意してほしいのは、子どもたちとってこういった問題はリアリティがないということです。道徳の授業で扱うのであれば、子どもたちが自分のこととして考えやすい日常生活の中で起きる矛盾や葛藤を扱う題材を考えるとよいでしょう。 意見をまとめるように指示しましたが、子どもたちの意見がほぼ同じになった場面がありました。グループで意見をまとめる必要がないので動きは止まってしまいます。あらかじめ揺さぶるためのネタを用意しておくことが必要でした。 1グループだけ意見が分かれ、最後までまとまりません。そこで、意見がまとまらなかったグループにどのような意見が出たのか発表させました。発表に反応して口を開く子どもがいましたが、授業者はその子どもを無視して発表を評価します。「○○さん、何か言いたそうだね。何を考えたか聞かせてくれる?」とつなぐと面白い展開になったかもしれません。 ただ考えさせるだけでなく、より深く考えさせるためにどのような切り返しや発問が必要かを考えることが大切です。この学校の先生方は道徳の授業経験が少ないので、道徳の進め方について学び合うことが必要だと思います。 授業の報告をしてくれた先生がいました。 前回子どもたちが受け身なのは、子どもの発言をすべて先生が評価確認し、整理して板書をしていることが原因であると指摘させていただいた方です。 その夜いろいろと考え、翌日は他の先生とも相談して、思い切って授業の進め方を変えてみたそうです。「高校生のアルバイトは是か非か」を考え、自分の意見をまとめて英語で表現するのが課題です。別の学級の同じ場面での授業です。何に着目したかを問いかけて、一人の子どもを指名しました。今までは、授業者に向かって発表していたのを授業者でなくみんなに向かってしゃべるように指示します。授業者は後ろに移動したり、子どもたちの陰になる位置に立ったりして、発表者の視線から外れように意識したそうです。「お金」という発言をなるほどと受けて、同じようにお金に着目した人がいないか問いかけます。「お金」をキーワードに子どもの意見をつないでいきました。「自由になるお金ができる」「お金の大切さがわかる」「お金を貯めて大学へ行くための資金にできる」と同じ「お金」に着目しても異なった理由が出てきます。子どもたちは真剣に発表者の方を向いて聞こうとします。日ごろ積極的に挙手して発言しない子どもが、意見を言っていいですかと挙手をして考えを述べます。それまで出てきた意見は「お金」がアルバイトを肯定する理由として取り上げられていましたが、この子どもは高校生が大金を持つことの危険性を主張しました。みんなの意見を聞いていてどうしても自分の意見を言いたくなったのでしょう。 子どもたちの発言がひと段落した後、再度グループで相談させたところ、密度の濃いものになったそうです。最初に発言した子どもにもう一度考えを聞いたところ、答そのものは変わっていなかったのですが、その根拠となる考えは比べ物にならないほど深くなっていたそうです。子どもたちの考えを深める教師のかかわり方のきっかけをつかんだようです。今後授業が大きく進化すると思います。 指摘を素直に受け止めすぐに動こうとする姿勢がとても素晴らしいと思います。先生方のこういう姿勢が学校を大きく進化させる原動力になると思います。 今後を楽しみにしたいと思います。 グループと全体の場面で子どもの積極性が変わる
私立の中高等学校の授業公開に参加してきました。
中学校は授業に積極的に参加する子どもたちの姿がよく見られました。その反面、一部の子どもたちがテンションを上げるので、そこについていけない子どもも一定数存在します。先生方も、子どもたちの言葉を拾って授業を進めようとしているので、どうしても反応する子どもたちに引っ張られてしまい、反応しない子どもを置いていってしまいます。子どもたちのテンションを上手くコントロールしながら、全員を参加させることを意識することが必要です。 具体的には、反応する子どもの言葉を受けてすぐに次に進めていくのではなく、「今の考えなるほどと思った?」「似たようなことを考えた人いる?」と全体でその考えを共有する場面をつくります。また、子どもの意見に対してすぐに授業者が解説すると、友だちの意見を聞く必要がなくなります。子どもの言葉を重ねて自分たちで考えて結論を出せるようにしてほしいと思います。意見や考えをつなぐことが大切です。 子どもの言葉をつなごうとしている場面で次のようなことがありました。「3段階で説明した」と発言者をほめた後、今の発言をもう一度言うように他の子どもを指名しました。指名された子どもはうまく言えません。そこで「スタートだけ教えてあげる」と授業者が説明し、それを受けてその子どもはなんとか残りの2つを答えました。すると授業者は、「まあいいでしょう」と言って次の話題に移りました。最初に発言した子ども、次に指名された子どもはどのような気持ちになったでしょうか。また、それを見ていた他の子どもたちはどう思ったでしょうか。この場面ではすべて授業者が一段高いところから子どもたちを評価しています。まずは、最初の発言のよさを他の子どもに評価してもらう必要があったと思います。「いくつか段階を追って説明してくれたけど、どう?」「何段階あった?」と投げかけて、全体でこの発言のよさを共有するとよかったでしょう。もう一度言えなかった子どもにヒントを出すのであれば、「○○さん、始めのところを説明してくれる?」と、発言した子どもを活躍させるべきです。子どもの発言にもかかわらず、まるで自分の考えのように授業者が振舞っています。また、「まあいいでしょう」というのはほめ言葉でありません。せっかく頑張ったのに、ダメだけど何とか許してもらえたという気持ちになってしまいます。最初に発言した子どもも、自分の考えなのに、授業者が「まあいい」と判断することに釈然としないものを感じると思います。「どう○○さん、△△さんの説明でよかった?」と発言した本人に判断させるべきでしょう。 中学校は特にICT機器の活用が盛んですが、スクリーンと子どものiPadの使い分けが上手くいっていない場面がありました。手元のiPadと同じものをスクリーンに映して説明する時はいったんiPadを閉じて顔を上げさせる必要があります。授業者がスクリーンを見ながらしゃべる場面も多く見ます。子どもたちの表情を見ることを意識することが大切です。 社会科の授業で、「日本の貧困」というテーマで発表する課題に子どもたちが取り組んでいました。中1・中2でもわかるような説明をするというのが条件として与えられていました。ネットで調べたことを単に切り貼りすることで対応できないようにするための工夫だと思います。自分で解釈して、自分の言葉に直す必要があります。こういった仕掛けが子どもたちの活動の質を高めることにつながります。 1台のiPadを2人で触って話している子どもがいます。1人1台の環境だからこそ、こういう使い方を大切にしたいものです。グループの課題なのか個人の課題なのかがよくわかりませんでしたが、他とかかわり合わずに一人でiPadに向かっている子どもがいます。また、しきりに隣の子どもに視線を送っているのに、反応してくれなくて困っている子どももいました。子ども同士のかかわり合いをどう活性化するのかが課題でしょう。中学校では1学級当たりの生徒数が少ないので、机が離れすぎているように感じます。子どもたちがかかわりにくい理由の一つだと思います。この時間は最後に、発表の評価指標を説明して終わりましたが、子どもたちが集中して聞いていたのが印象的でした。評価は気になるところなのでしょう。次回の授業に作業が持ち越されましたが、小さい集団に分かれたまま作業を続けるのではなく、中間発表を入れるとよいでしょう。方針や何を調べたかなど、結果ではなく過程を共有することで互いの発表の質の向上が期待できます。 子どもが活動できるようになってきているので、より深いものにするためにどうすればよいのかが今後の課題として浮き上がってきます。 中学校と似たようなことが高校でも起こっていました。あるコースの1、2年生はグループやペアでかかわりながら考えることができるようになっています。子どもたちはとてもよく育っています。ところが、全体の場になると一部の子どもしか反応しません。突然受け身になるのです。特定の教科に限らずコースの全体的な傾向のように見えました。その原因を考えると全体の場での授業の進め方に問題があるように思えました。グループやペア、個の活動場面では、課題を工夫し、自分たちで考える時間や環境を十分に保障しています。余計な口出しをせずに見守ることができています。ところが、全体の場面になると、反応する子どもの意見を聞いてその子どもとキャッチボールはするのですが、その内容を全体でしっかりと共有することをせずにまとめてしまいます。一問一答に近い状態で次々に進むと子どもたちはそれを写すのに手いっぱいになっています。また、同じことを何人かに聞くことをしても授業者が焦点化を意識していないと意見が発散してしまうので、子どもたちは混乱して、結局授業者がまとめてくれるのを待ってしまいます。 数学の授業では、例題の解き方を説明せずに考えさせているので、多様な考えが子どもたちのワークシートには表れていました。「方程式をつくって解いている子ども」「式を変形している子ども」「変形した式をもとに方程式を解いている子ども」「グラフに線を引いて考える子ども」、見ている私がわくわくしてきます。「授業をやらせて」と言いたくなるくらいです。積極的に活動している子どもたちなのに、全体で意見を言わせると、小さな声で授業者に向かってしゃべります。授業者がよく聞こうと発言者に近づくので、子どもの声は大きくなりません。ここは、全体に向かって話すように指示し、場合によっては発言者の視線から外れることも必要になります。子ども同士対面するような机配置で授業をしているので、発言者の後ろの方に立つのもよいでしょう。子どもたちの視線は自然に発言者に集中するはずです。 数式を使って考えた子どもは数式を読み上げますが、それで理解できるのは自分も同様の式で考えた子どもだけです。違う思考をした子どもはついていけません。せっかく異なる考えに出会えているのにそれを活かすことができないのは残念です。板書させたいところですが時間がかかるので、ICT機器を活用するとよいでしょう。 ある子どもの発言の中で「線対称」という言葉がでてきました。2次関数のグラフとx軸との交点を考える問題だったのですが、これは考えが深まるきっかけになる言葉です。ところが、授業者はこの言葉を特に焦点化することなく、先に進んでしまいました。この言葉がなぜ発せられたのか、どこにつながるかがよくわかっていなかったのです。よくわからなくても、どうして「線対称」と言う言葉が出てきたのか興味を持ってほしいと思います。大切なのは、子どもの言葉に引っかかることです。よくわからなければ「線対称ってどういうこと?」と子どもに問い返し、その言葉の裏に隠れていること引き出すのです。子どもたちと一緒に発言者の考えを理解していくことが深い学びにつながります。先生は、自分がよくわからない発言を無視してしまうことがよくありますが、子どもたちと一緒に知ろうとし、考え、追求すればよいのです。先生が常に上から目線で授業するのではなく、子どもと同じ目線の高さで一緒に学べばよいのです。 他のコースでは、一方的な講義や一問一答の授業が増えていました。授業者が許可していないのかもしれませんが、子どもたちは1人1台のiPadがあるにもかかわらず板書を写しています。手で書き写す意味が本当にあるのか今一度問い直してほしいと思います。 子どもたちは静かに椅子に座って作業はしますが、集中度はまちまちです。このままいくと授業から完全に離れていく子どもが増えるのではないかと心配します。もちろん、グループなどを使う場面もあるのですが、その活動のねらいが明確ではありません。単に相談しなさいという指示では、相談した結果何を求めるのかがはっきりしません。一人一回ずつ発言してしまうとその後が続きません。考えが深まるグループ活動のあり方について再考する必要があります。 毎回訪問するたびに授業アドバイスを求める先生が一定数います。授業を見てどうだったかを私に聞くのではなく、自分自身で気づいている課題についてアドバイスを積極的に求めてこられます。日々授業改善を意識している証です。アドバイスする側からも視点が明確になっているのでよりシャープな話ができます。こういった今後の成長が楽しみな先生が増えてきたことをうれしく思います。 授業改善から学校改革へ
私立の中・高等学校で、教科主任との懇談と授業アドバイスを行ってきました。
高等学校で今年度から取り組んでいる外部試験の結果の報告を受けました。1、2年生を対象にしたものですが、まず目につくのが、2年生と1年生でスコアの度数分布が大きく異なっていることでした。1年生は下位層が非常に大きく、その一方で上位まで分布が伸びています。一方2年生は下位層が1年生と比べてかなり少なく、上位層も広がらず、スコアの分布の幅が小さくなっています。1年生は入学後間もない状況での試験なので、入学時の素の状況を表わしているものと考えられます。2年生については、入学時は現1年生と同じような傾向の分布だったとすれば、入学後、学習意欲が高まった結果、下位層の成績が向上したと考えることができそうです。また、試験と同時に実施された授業や学習の実態調査の結果を見ると、子どもたちの授業への取り組みに前向な傾向が見られます。このことも、この考えを裏付けているように思います。もちろん、学年ごとの独自の傾向と見ることもできますので、今後継続的にデータを見ていくことが必要だと思います。 また、授業に対する集中度の高いコースの子どもたちは、その一方で家庭学習の時間が一番少ないという面白い結果がありました。授業を受けてそれで満足しているのかもしれません。ともあれ、このコースに限らず家庭学習時間の少なさが課題と思われます。これからの時代は、問題集の何ページをやるといった問題演習的な宿題を課すのではなく、授業と直接関係が無くてもよいので、子どもたちが学外で主体的に学びに取り組むようなものを用意する必要があると思います。 一人一台のタブレットがあるので、そこに学びのためのポータルサイトを構築することを提案しました。具体的には、「先生方や子どもたちがお勧めの本を紹介する」「授業から一歩進んだ課題を提示する」「ボランティア活動の紹介やお誘い」といった「招待」、「活動の結果の報告や感想」「それに対してコメント」といった「共有」「価値付け」をするようなサイトです。個人のページからは自分のこれまでの取り組みが、学校のページからは全体の取り組みが一覧できるようなものをイメージしています。どのような形で実現できるかわかりませんが、前向きに取り組んでいただけることを願っています。 教科主任の方との個別の懇談では、どの教科からも授業を変えようという前向な姿勢を感じました。 子どもたちの書く力がついてきているのは、いろいろな教科で書くことを意識した取り組みがなされているからだといううれしい報告もありました。学校全体で目標が共有されてきていることを感じます。 教科として目指す部分と先生方の個性をどう折り合いをつけていくのかが課題だと感じられている方もいました。大切なのは、まず教科としての目指す姿を納得いくまで話し合うことだと思います。実現方法についてはどれが正解ということはありません。互いに授業を見合いながらそれぞれが日々授業改善していくしかないと思います。互いのよさを学び合うことを意識できればと思います。 一方で教科としての連携が進んできたという報告もありました。その教科の複数の科目を受講することで、教科として身につけさせたい力が子どもたちに蓄積されていくようになれば、大きな成果だと思います。 また、子どもたちが私たちの思う以上に、これまでの暗記中心の学習観に支配されていることが話題になりました。そこから脱却させるために、いつも目にするワークシートの柱に「原因を考える」といった教科の目指すものを印刷しておくことも有効かもしれません。 出力型の授業を目指しているが、子どもたちがなかなか話せないという悩みも出されました。読んで理解したり、考えたことを書いたりはできるが自分の意見として話すことができないというのです。この問題は、話すことより、自分の話を聞いてもらえるという安心感を与えることを意識するとよいでしょう。授業のあらゆる場面で、「正解を求めない」「発言を否定しない」ことを心がける必要があります。学級全体が互いに受容し合える雰囲気になることを目指してほしいと思います。 中学校では、教科の壁を越えたプロジェクト型の学習を取り入れたいと考えているようです。いきなりプロジェクト型に挑戦するのではなく、プロジェクトで必要とされる力をいくつかの基本的なものに細分化して、それぞれの力をつけるためのミニプロジェクトを教科の枠の中で行うことから始めることを提案しました。その上で、自由なプロジェクトに取り組むのです。 現在、先生方の用意したテーマでゼミを行っていますが、より主体性を引き出すために自由なテーマで子どもたちに活動させたいとも考えられています。しかし、自由にした場合、活動がどこに向かうかコントロールができないという不安もあるようです。テーマを自由にしても、ゴールを明確にすることで活動の方向はコントロールできると思います。例えば「eスポーツ」をテーマにするならば、「eスポーツが普及するための施策」「eスポーツをスポーツとし認知させるためにどうするか」というように、活動のゴールを明確にするのです。あらかじめゴールのパターンをいくつか提示しておき、そこから選ばせるとよいでしょう。 中学校では、常に新しいことに挑戦しています。失敗もあるし、壁にもたくさんぶつかると思いますが、その経験が先生方に力をつけ、ひいては子どもたちの力をつけることにつながっていくと思います。先生方の挑戦に立ち会うことで、私も大いに勉強させていただいています。 いくつかの授業を見せていただきましたが、授業後アドバイスを求めてくる方は、私が指摘する以前に自分自身で課題に気づいているようでした。課題に気づいているからこそ、客観的な意見やアドバイスを聞きたいのでしょう。 子ども同士のかかわりで問題解決していく授業を目指している先生は、ただ活動させている状態から、どこをゴールにするのかの落としどころを意識するようになっていました。どのくらいの子どもたちが解ければ活動を終えるのかが難しいと悩んでいます。問題を解けたかどうかを指標とするのではなく、子どもたちがどのような状態かを意識することをアドバイスしました。「答」を共有するのではなく、解けるために必要な足場や手がかりは何かを意識して、途中でもよいので、「何を考えたか」「どのようなことをやってみたか」と「考える道筋」を共有するのです。 手探り状態でこの1年間、かかわり合いを中心にした授業に挑戦する中で、課題となることを自身で一つひとつ解決しています。まだうまくやれているという手ごたえは薄いかもしれませんが、確実に進歩していると思います。これからの伸びが楽しみです。 今まで一方的に説明していた若手の授業に少し変化が見られました。子どもたちに問いかける場面が出てきました。何を問いかけるのかを意識するだけで、授業のポイントは明確になります。授業にリズムが出てきました。ただ、問いかけた後に間を持てず、誰かがつぶやけばすぐに自分で説明してしまいます。全員が考える時間を待てないのです。結局、一問一答形式の、教師による一方的な説明になってしまっていたのが残念です。子どもたちが考え、自身の言葉で説明する授業を目指してほしいと思います。 授業改善が、一部の先生や教科によるものから、学校全体を巻き込むものに変わりつつあるのを感じます。学校改革につながる動きが加速しているようです。これからもたくさんの壁にぶつかるとは思いますが、あせらず一つひとつ乗り越えてくれることを願っています。 テンションの上がりすぎに注意
小学校で、経験者と若手の授業を見てアドバイスを行ってきました。初めて訪問する学校です。
共通してどの学年も元気な子どもたちが多いように感じましたが、テンションが上がりすぎる傾向がありました。その要因として挙手指名中心で授業が進むことがあるように思います。子どもたちは自信のある時はここぞとばかりに大きな声を上げて挙手します。指名されたいのでテンションが上がるのです。一方、自信のない時には挙手はしませんが、それでも発言したい子どもはその場でつぶやきます。正解であれば先生が拾ってくれるし、そうでなければスルーされるだけなので傷つかないのです。 先生は発言者の方を向いて話をしっかり聞こうとするので、発言者も先生の方を向いてしゃべります。発言者は先生に受け止めてもらえるように感じます。しかし、発言を受けてすぐに先生が説明するので他の子どもは友だちの話を聞かずに先生を見ています。先生と子どもたちの視線は交わりません。結局、発言する子どもが中心で授業が進んで行くので、多くの子どもは受け身のまま時間が過ぎているように思います。 ある教室のグループ活動では、グループで一つの結論にまとめていました。元気な女子が仕切って、他の男子はよそ事をしていたりします。指名された子どもがグループの考えを発表しますが、他の子どもたちがあまり熱心に聞いていないことが気になりました。子どもたちが活動に真剣に取り組んでいなかった可能性があります。一生懸命参加して考えたのであれば、他のグループの考えが気になるものだからです。もう一つ考えられるのが、課題がやさしすぎて聞かなくても答えがわかっている子どもが多いことです。グループの課題はやや高めにしておかないと、グループになる意味があまりないのです。 授業者は、発表が終わると子どもたちに「OK?」と確認をしてそれで次に進みます。子どもたちに発表を聞く価値を与えないと、聞こうとする意欲が低下していきます。自分たちの考えとどこが同じでどこが違うといったことを問いかけて、発表者以外の子どもたちを参加させるようにすることが大切です。 ペアで音声計算練習をしている学級がありました。答を聞く側の子どもが何もせずにただ立っているだけのペアが目につきました。この活動は聞いている子どもが正解かどうかをきちんと判断して、間違っていれば訂正してあげることが大切なポイントです。一生懸命答えているのにペアの友だちが聞いてくれないので不満の表情が表れている子どももいました。人間関係をつくることもこの活動のねらいですが、かえって悪くなってしまいます。答を聞く側の子どもに役割をしっかりと自覚させることが必要です。活動後、本人ではなくペアの子どもが結果を答えるようにすることも相手のことを意識させる方法です。活性化するための工夫を意識してほしいと思います。 ICTの活用で、ディスプレイに教科書の内容等を表示しますが、先生が子どもたちと同じように画面を見ている姿が目につきました。実物投影機などは操作の確認のために画面を見ることも時には必要ですが、子どもたちの視線と反応の確認のため前を向くことが基本です。子どもたちの様子を見ることを常に考えるようにしてほしいと思います。 この日あった研究授業は、4年生の社会科のごみ処理についてでした。 あらかじめ用意した、「生ごみ」「ティッシュ」「植木鉢」「ペットボトル」などいろいろなごみを分別する活動から入ります。70年前、40年前、現在のどのルールで分別するかをグループに割り当て、作業をしました。このごみはこの種類だと主張する子どもに引っ張られるグループ、ごみを分担して分別するグループといろいろですが、全体的に上手くかかわり合えていないように感じました。生ごみがどのようなものかもわからない子どもも結構います。相談して活動するための足場がしっかりとしていないことが要因として考えられます。 授業者が「今日は〇曜日」と言うと、子どもたちは隣の教室にごみを捨てに行きます。70年前の子どもは好きな時に捨てに行くのですが、一度捨ててしまえばあとは他のグループが移動するのを見ているだけです。 ごみ捨てが終わった後、ごみの種類について子どもたち確認しますが、知らいない、わからない子どもが結構いました。ここで説明しても、本時の活動にはあまり影響はないように思います。やはり、最初に確認しておくべきだったでしょう。 子どもたちに、70年前と今でごみの捨て方が変わった理由を予想させます。何か根拠をもって予想するわけではありません。ペアで聞き合っても、根拠を意識していないので単にしゃべり合うだけです。根拠のない言動をさせることが子どもたちのテンションを上げることにつながっていたように思います。 授業者は、子どもたちに意見を言わせた後に、「いい意見があった」「ヒントになる意見があった」といったことを口にしますが、先生の求める正解があることを示唆したことになります。無意識のうちに子どもたちを誘導しています。子どもたちは自分の考えではなく、先生が何を求めているのかを答えようとするようになっていきます。 また、ハンドサインで賛成かどうかの意思表示をさせました。授業者は全員に意思表示をさせようと、何度も声をかけます。ハンドサインでは全員に意思表示をさせることは必須です。そうでなければ、「いいです」と一部の子どもが声を上げることと差がありません。授業者がこの点を意識できていることはとてもよいと思いました。しかし、ハンドサインで大多数が賛成だからといって次に進むのは危険です。一人でも賛成のサインを示さない子どもがいれば、その子どもの考えを聞いたり、よくわからないのであればわかるような説明を他の子どもに求めたりすることが大切です。また、ほとんどの子どもが賛成であれば強い「同調圧力」がかかります。自分で判断できない子どもも、無責任にまわりを見て賛成のサインを出します。子どものハンドサインに対して、何らかの説明や根拠を問うことをしなければ、無責任な態度を助長することにつながります。ハンドサインを活かすには、相応の覚悟をもって、子どもたちとかかわることが必要です。 最後に子どもたちの発言を授業者がまとめて終わりました。なぜその意見を取り上げたのかは子どもたちにはわかりません。その意見が先生の求めていたものだと思わせて終わることになりました。 検討会はグループでの話し合いを模造紙でまとめて発表する形式でした。あらかじめ視点は決まっていたのですが、どのグループもよいところに目をつけていました。 「前半の活動は子どもたちが積極的に取り組んでいたが、それが後半の活動に活かされていたか?」「ハンドサインは有効に機能していたか?」…など、単によい悪いではなく、その視点から話題が広がっていたので、とてもよい話し合いになっていたように思います。 私からは、子どもの活動だけに焦点を当てるのではなく、その活動を通じて、「どんな力をつけたいのか」「そのために、何を考えるか」「考えるためには何を知っている必要があるのか」といったことを自身に問いかけながら授業をつくってほしいことを伝えました。また、「子どもたちは根拠なく話しているとテンションが上がる。したがって話し合いでテンションが上がっている時は決して深く話し合っているわけではない」ということに注意することが大切です。テンションが上がることはあまりよいことではないことを意識してほしいと思います。 「聞いていてどんなことを思った」「なるほどと思った」と問いかければ、挙手に頼らなくても多くの子どもに発言させて授業を進めることができます。挙手指名による一部のテンションの高い子ども中心ではなく、全員参加の授業を目指してほしいことをお願いしました。 授業者は自分の授業で上手くいかなかったことを謙虚に認識していました。前向きに授業を改善しようとする意欲があります。今回の研究授業で学んだことをもとに、大きく進歩してくれることと期待します。 この学校は今年度5回訪問の予定です。焦らずに、じっくりと先生方とつき合っていきたいと思います。 新年度のスタートの様子を見る
10連休の前に中学校を訪問してきました。今年度のスタートの様子を見せていただくためでした。
3年生は昨年度からの状況が大きく変わっていませんでした。一見すると落ち着いてよい状況に見えるのですが、子どもたちは非常に消費者的です。自分にとって都合のよいことを優先します。教科や授業者によって態度が変わることもよく目にします。 例えば、授業者が手を止めて顔を上げるように指示をすれば従います。しかし、説明を始めると板書を写すことを優先し、写し終れば顔を上げます。まわりと相談するように指示すると、授業に関係したことを相談しますが、隙間を縫って雑談をしたりします。授業者が注意をしても言い訳ができる状況を上手につくります。この先生はどこまでなら注意をしないかを少しずつ試しながら、授業者に応じて自分たちに都合のよい状況を作っているようです。ある意味、非常に賢い子どもたちです。また、彼らとかかわらずマイペースの子どももいます。この状況を変えようとはせず自分の領域を守る、これもある意味消費者的な態度と言えます。人とかかわりながら互いに学び、高め合うということのよさを子どもたちは感じていないようです。 実際に様子を見るまでは、3年生なので受験を意識して、例え個人主義的であってももっと授業に集中しているかとも思ったのですが、それ程ではありませんでした。いろいろな意味で自分たちのペースで緩く生活をしているように見えました。表面的にはここがいけないと子どもたちに注意しづらい状況でした。 進路意識を持たせて自分たちにとって何が大切なのかを考えさせるような働きかけが必要だと思いますが、目先の進学を意識させると、それこそ試験や内申ばかりに目が行ってより消費者的になってしまう危険性を感じます。10年先、20年先の未来を見つめて、自分たちが何を学びどのような力をつける必要があるのかを考えさせることが大切でしょう。授業でも結果ではなく見方・考え方を大切にし、そのことを意図的に価値づけるようにしたり、子どもたちがかかわり合えたことを評価したりすること意識してほしいと思います。 2年生は昨年度末と雰囲気が大きく変わっていました。1年生の後半になると、学力的に苦しい子どもが授業のやり過ごし方を身につけ、学習から逃げている姿がどの学級でも見られるようになっていました。しかし、2年生になって学級も変わり、そんな子どもたちの姿が見られなくなっていました。新学年になって気持ちがうまくリセットされたのでしょう。よいことですが、これで問題が解消されたわけではありません。これを機会に彼らの学習に対する参加意欲を維持しより高めていかなくてはなりません。参加しようとしている姿を認め、ほめ、友だちとつないで関係を作り、子どもたちが手ごたえを感じるような結果を出させることが大切です。最初の定期試験までに何らかの結果を出せなければ、また元に戻ってしまう可能性があります。試験の順位で追うのではなく、まず何をできるようにする、この内容は確実に点数につなげるといった目標を与え、そのために何をすればよいのかを明確に伝えることが大切です。 全体的な雰囲気は、よくも悪くも2年生でした。リラックスして学校生活を送れているように感じる一方で、目標がはっきりとせずに流されているようにも見えます。学年全体で目標を共有して、それを意識した学級経営を行ってほしいと思いまいた。 1年生はとてもよい雰囲気でした。意欲やエネルギーを感じます。ただ、小学校の時のよい状態がそのまま中学校に引き継がれているだけのようにも思えます。授業の振り返りなどはしっかりと書けていますし、積極的に挙手する子どももたくさんいます。リーダーシップを取れそうな子どもも目に付きます。しかし、これらの姿は中学校で先生方が意識して育てた結果ではありません。よい点を強化したり、伸ばしたりすることが必要です。小学校で身に付けたよい行動をほめ、中学校ではもっと上に行こうと次の目標を与えることを意識してほしいと思います。よいつぼみをつけている花でも、水やりや肥料を怠れば枯れてしまったり、小さな花しか咲かなかったりします。評価しなければよい習慣も次第に消えてしまいます。小学生のようなエネルギーの高さはテンションが上がりすぎる状況につながっています。ここをきちんとコントロールしなければ、深く考える姿勢は育ちません。 よい子どもたちが入学してきたと気を緩めていると、入学した時はあんなによかったのになんか変だなという状態になってしまいます。そんなことにならないためにも、子どもたちをどう伸ばすかを学年全体できちんと共有してほしいと思います。 全体に対してこの日子どもたちの様子を見て感じたことをお伝えしました。 共通して気になったこととして、子どもたちが先生の方を向いて発言し、聞いている子どもも発言者を見ずに先生の方を向いていることがありました。発言を子どもたちに評価させずにすべて先生が受け止め評価しているからです。友だちの話を聞くことを価値付けし、発言者には友だちに認められるよさを感じさせてほしいと思います。 また、グループで考えを深めるためには、個人の考えを先に持たせることにこだわらないことも大切であることをお話ししました。まずグループで話し合ってから個人の考えをまとめ、それをもとに再びグループで話し合うのです。一人で考えさせると自分の考えを持てず集中力を無くしてしまうことがあります。自分の考えが持てなければグループでの話し合いには参加しづらくなります。一方、自分だけで考えて結論を持つと、その考えにこだわるあまり友だちの意見を聞くことより説得することに力を入れてしまうこともあります。どれが正解ではなく、多様なアプローチを持つようにしてほしいと思います。 全体の話の後、若手が何人か話に来てくれました。この学校に来たばかり、担任を初めて持ったばかりの少経験者が中心です。個別の相談や指摘もあったのですが、一緒に話を聞いてもらいました。うれしかったのが、他人事ではなく自分のこととして聞いてくれていたことです。仲間から学ぼうという姿勢を感じました。日常的にこうやって話をする機会を持ってくれるように強くお願いしました。互いに気軽に相談できるようになれば、強いチームとなり学校全体の力が上がっていくと思います。今後を楽しみにしたいと思います。 この時期はまず聞くことを大切にしてほしい
今週の頭、中学校の授業参観日に訪問しました。4月当初の子どもたちの様子を見せていただくためです。
どの学年も子どもたちは落ち着いていて、人間関係も良好でした。先生方も笑顔が多く、柔らかい雰囲気の教室が多く見られました。1年生と3年生は学級活動だったことも影響しているかもしれません。 全体的に気になったのは子どもたちの視線です。発言者の方を向いていない子どもが多いのです。全体の発表では、顔が上がらない、上がってもだれもいないところを見ていたり、先生や黒板の方を見ていたりして視線がバラバラです。グループでも仲間が発言している時に自分のメモを見ていて顔が上がらない子どもが目立ちます。 この時期はまず授業規律を確立することが大切です。授業規律と言っても先生の指示に従い少しも姿勢が乱れないようにするといったものではありません。授業に向かう基本的な約束事を身につけると言ってもよいかもしれません、その一番は聞くことです。先生の話はもちろん、友だちの発言を相手の目を見て受容しながら聞く姿勢を身につけさせるのです。新年度が始まってすぐに子どもたちに意識させれば、意外と簡単にできるようになるはずです。ところが、今回見せていただいた先生方は発表者の方を向いて発言を受容していますが、他の子どもたちの様子を見ている方は非常に少ないのです。また、発表者が先生に向かって発言し、友だちの方を向いていなくてもそれが当然だと思っているようにも見えます。 1年生では学年共通で授業のルールが決められていましたが、聞く姿勢に関するものが無かったのが残念です。 今ならまだ間に合いますが、このまま連休に突入してしまうとこの状況がヒドゥンカリキュラムとして定着してしまいます。この時期は、授業規律に限らず子どもたちに何を求めるのかを先生が意識し、子どもたちにどう意識させ、どう評価していくかを考えることが大切です。そのためにも先生が子どもたち一人ひとりに視線を落とすこと常に忘れないでほしいと思います。 涙が止まらなかった本私がこの本についていくら述べても、その思いはとても伝わるものではありません。一人でも多くの方に読んでいただけることを願います。 「授業と学び研究所(所長 玉置崇)」「いのちをバトンタッチする会(代表 鈴木中人)」の主催で、「いのちの授業」づくり実践セミナーが開かれます。鈴木中人さんと娘さんの実話をもとにした道徳の模擬授業とパネルディスカッションを通じて道徳授業の実践力を高めるものです。子どもたちに「いのち」について深く考えさせたい、「いのち」の大切さに気づかせたいとお思いの先生方に強く参加をお勧めします。 グループ活動の前に自分の考えを持たせることを考える
グループ活動に入る前に個人で考える時間を与える授業をよく目にします。自分の考えを持たないとグループ活動で意見を言えないので参加できないと考えるからです。かつて私もそのように考えていた時期がありました。
しかし、実際の授業では、課題がよく理解できなかったり、手がかりがなかったりして、途中で考える意欲をなくしてしまう子どもをよく目にします。そういう子どもはグループで「発表」や「話し合い」する場面で自分の考えを発表することができませんので、ますます参加意欲を無くしてしまいます。 では、どう考えればよいのでしょうか。 一つは自分の考えを持てるようにすることです。「どの子どもも自分の考えや意見が持てるような課題や発問にする」、「興味をもって主体的に取り組むような活動にして、参加意欲を高める」というように課題や活動を工夫することが大切になります。また、最初からグループの形にして、手詰まりになった子どもが他の子どもに相談できるようにするのもよい方法です。授業者は困っている子どもに教えるのではなく、「友だちに聞いてごらん」と子ども同士をつなぐようにするのです。子ども同士の関係ができていれば、教師が声をかけなくても自然と相談する姿を目にします。 これとは逆の発想もあります。個人の考えを持つためにグループを使うのです。課題を与えた後、まずグループで相談させます。自分の考えを主張しやすい、比較的学力の高い子どもも、すぐに自分の答を持てるわけではありませんので、「こうかな?」「○○を調べるとわかるんじゃない?」と主張ではなく相談モードになります。友だちの考えや意見を聞き合うことで考えるための足場ができます。そこで、「では、聞き合ったことをもとに自分の考えをまとめて」と個人の活動に切りかえるのです。こうすることで、例え友だちの意見をもとにしたとしても、自分の考えを持ちやすくなります。 この後は、もう一度グループにして結論を聞き合ってもよいでしょうし、全体で個人の考えを聞き合い、「どんな考えが参考になった?」「何をしたら上手くいった?」とメタ認知を働かせるような場面を作ってもよいでしょう。 どのやり方が正解というわけではありません。子どもたちの実態や学習内容に合わせて使い分ければよいのです。グループの話し合いの前には自分の考えを持たせなければいけないと思い込まずに、引出しを増やして柔軟に対応してほしいと思います。 新年度になりました
日記のページが新年度になりました。2018年度(平成30年度)以前に掲載された記事に関しましては、ホームページ左下の◇過去の記事「○○年度」メニューをクリックすると閲覧が可能となっています。
また、ホームページ右上のカレンダーを操作することで、過去の記事をご覧いただくこともできますので、ぜひご利用ください。 これからもご愛読をよろしくお願いします。 |
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