発言を価値付けすることが大切

前回の日記の続きです。

2年生の理科の授業は、金属の燃焼の実験の考察場面でした。
各グループの実験結果を共有します。1グループ毎に1つの燃焼の結果を発表させ、「違ったら言って」と確認します。他のグループのデータに異議を申し立てることになるのでなかなか言いだしにくいかもしれません。同じかどうかを確認して、「大体同じ」という言葉を拾って「どこが同じ?どこが違う?」と返すと、実験結果のどこに注目しているのかが明確になってくると思います。結果の確認だけであれば、各グループの結果を一斉に板書させて、比較する方がかえって効率的かもしれません。
指名された子どもは自分の言葉で発表するのですが、他の子どもたちはあまり真剣に聞いているように見えません。授業者が子どもの発言をすぐにまとめてしまうので聞く必要がないのです。

燃焼の実験の前後で質量が変わらないグループがあります。「増えるの?変わらないの?どっち?その理由も考えて」とこの点について問いかけることが実験の持つ意味について考えを深めるよい機会となったと思いますが、授業者はうまく対応できずに、うやむやの内に増えることに結論づけられていました。
授業者はこの実験結果から「金属は燃える」と結論づけますが、マグネシウムや鉄だけで一般化しています。子どもたちに何が言えるのか問いかけたいところです。「すぐに燃える金属や時間をかけて燃える金属があるようだね。すべての金属は燃えるのかな?」と疑問で終わらせてもよいと思います。

燃えた後の質量が増えた理由を問いかけます。そもそも燃焼前後の質量を比較するのは何のためでしょうか。何らかの意図・ねらいがあって実験は行われているはずです。授業者は木を燃やしたときと比較するのですが、実験の前に木は燃えると軽くなったことを押さえてから、質量を測る必然性を持たせておきたいところでした。
授業者は子どもから発言が出てこないので、「重くなるのだから何かを取り入れているはず」「人も何か食べると重くなる」といったヒントとなる言葉で一生懸命誘導します。誘導自体はあまりよいことではないのですが、子どもから発言を引き出したいという強い思いを感じました。

「息を吸収する」という言葉が出てきました。「燃やしている時に息を吹きかけると燃え方が熱くなって・・・、それは息を吸い込んだから燃え方が激しくなったから」と説明します。授業者は燃えたできた物に「息が入っている。それでいい?」と全体に返します。他の子どもにつなぐと「予想なんだけど、息を取り込んだというから、何かと反応して違う物質に変わったんじゃない」という言葉が返ってきます。「何かと?」と授業者が発言を板書しながら返すと「気体の何か?」と答えます。とてもよいやりとりなのですが、指名された子ども以外がなかなか参加しません。授業者はどうしても発言者に視線が行ってしまいますが、子どもたちの反応や表情で指名することも必要です。視野を広く持てるとよいでしょう。

この場面に限らず、子どもたちは指名されれば発言をするのですが、今一つ自信がなさそげです。発言中も、発言後も表情はさえません。子どもたちの発言を価値付けすることが求められます。息を吹きかけると燃え方が変わることを発言したのなら、やや大げさでも「おお、『息を吹きかけると、燃え方が変わる』確かにそうだよね」と受容し、「息を吹きかけることで変化があるんだよね。そこに秘密がありそうだと気づいたんだ」というように価値付けするとよいでしょう。たとえ求める正解でなくても、発言のよいところ価値付けすることで子どもたちは安心して発言するようになります。子どもたちの発言を評価することを意識してほしいと思います。
授業はここで時間切れとなってしまいましたが、この発言をうまく焦点化していくことが次の時間の課題でしょう。

実験を通じて燃焼の定義を探っていく展開であれば、「燃やすものが違っても変わらないことは何か?」「現象に共通のこと、ものは何か?」という視点が必要です。燃焼を定義してから、金属は燃えるかどうかを考える展開であれば、「燃焼すると、酸素はどうなるの?」「何が酸素とくっついた?」といった問いかけから考えを深めることができるでしょう。
授業を通じてどのような力、見方・考え方をつけさせたいのかを明確にすると授業の展開がはっきりすると思います。

授業者は子どもの発言を大切にしようとしています。子どもの発言を優しく受容できます。だからこそ、発言の評価、価値付けが大切になります。このことを素直に受け止めてくれました。次回のどのように授業が変化しているか楽しみです。

この続きは次回の日記で。

目指す子どもの姿を明確にして授業をする

先日、中学校で授業アドバイスをしてきました。

3年生の社会はファシズムの学習でした。
授業者はファシズムの恐さをどのように子どもに気づかせるか、発問を相当悩んでいたようです。ヒトラーの演説に歓喜する聴衆の写真から子どもたちが気づいたことを取り上げ、ヒトラーの人気の理由を考えさせます。考えると言っても子どもたちは教科書や資料集からそれに関係のある言葉を抜き出しているだけです。調べることと、考えることを明確にしておかないと「考えろ」と言っても答えを探すようになってしまいます。
ヒットラーの政策と当時のドイツの置かれた状況を整理した後、ユダヤ人虐殺をドイツの人々はなぜ容認したのかを考えさせます。ファシズムの恐ろしさを子どもたち自身で気づかせようとして考えた発問です。
面白い発問ですが、まだ子どもたちの課題になっていませんでした。授業者に問われたから考えるのであって、なぜだろうと疑問に思っていないのです。「ドイツの人たちは残虐な人なの?」「君たちがドイツ人だったらどうした?」と、ちょっと道徳的ですが、揺さぶることも必要だったと思います。
この答は教科書や資料集には書かれていません。しかし、子どもたちは教科書や資料集で答を探しています。挙手で意見を求めても数名しか手が挙がりません。特定の子どもが発言するだけで他の子どもはあまり真剣に聞きません。その理由はすぐにわかります。授業者が一問一答で子どもたちに問い返しながら、反応する子どもの考えを誘導しています。求める答えが出た後は、授業者の一方的な説明が始まります。子どもたちは、参加しなくても授業者の説明とまとめを聞けばよいのです。自分なりの答が出せた子どもは友だちの考えが気になるので話を聞こうとしますが、そうでない子どもには聞く必然性がないのです。
授業者は、この発問の答を自分なりに一生懸命に考えてきたようです。アンネの日記の話なども準備していました。そのためどうしても用意したことを話したくなってしまうのです。教材研究を頑張ったことが授業としてはマイナスになってしまいました。準備したことすべてを使うのではなく、あえて省くという引き算の発想も必要です。
「子どもが考えたくなるような課題の設定や提示の仕方を工夫する」「考えるために必要な知識を整理して、どうやって与えるのかを考える」「子どもから出てくる発言を予想して、それをどうやって深める」。このような授業の進め方についてもエネルギーをかけることが大切です。
授業者は前向きで素直な方です。今後度の成長が楽しみです。

1年生の体育は笑顔の素敵な先生でした。バレーボールをバスケットゴールに向かって投げる的当てゲームの時間でした。
最初にウォームアップも兼ねて、ボールぶつけやしゃくとり虫、ジャンプなどを順番に行うサーキットを行います。子どもたちは遊びの要素があるのでとても楽しそうです。子ども同士の関係もとてもよさそうです。ただ、一つひとつの運動で何を意識するのかが明確でないので、活動しているだけになっています。特に、ボールぶつけはこの後の的当てのための練習でもあるので、ただ投げるだけでなく投げ方なども意識できるとよかったでしょう。
この日の主活動を説明するために集合させますが、子どもたちはのんびりと移動しています。集まってもすぐに整列して指示を聞く態勢になりません。ところが、この後活動を終えた後に再度集合する場面では素早く行動できました。授業者が早く集まるように指示を出したからです。子どもたちは授業者が意識して指示したことはきちんとできるのです。指示がなくても自分自身で判断して行動がとれることを授業者が目標として意識することで、子どもたちは大きく成長すると思います。
子どもたちへの活動の指示は授業者が一方的に話す形なってしまいました。時間と共に集中力が落ちていきます。試しに一度やってみようとしますが、1グループずつ別々に行い、他のグループは別の場所で活動します。ここは1グループでよいので、代表のグループにやらせ、それを見あうことで互いに学び合うことを意識させたいところでした。
グループの活動でも子ども同士のかかわりが弱いように感じました。よいプレーが出ても、ほめる言葉が仲間から出てきません。そもそも友だちのプレーを見ていない子どもがほとんどです。自分が活動していない時に何を大切にするのかを意識させる必要があります。中には積極的に友だちの投げたボールを拾って次に渡す子どももいますが、こういった行動が評価されません。授業者が意識して価値付けしないと子どもは互いに認め合えません。活動中に子どもたちのどんな姿を見たいのかを授業者が明確にすることが大切です。見たい姿を意識すれば授業のどの場面がポイントか、子どもたちの何を評価するのかがはっきりすると思います。
インクルーシブ教育の関係もあり、サブでもう一人先生がいますが、二人の連携があまりないのが残念でした。活動場所がグループごとに分かれていたので、意識して連携を取ることが重要です。特に一方が個別指導している時には、もう一方が全体の様子を見ていること求められます。互いに意識してほしいと思います。
授業者は力のある方なので、子どもたちに求める姿を意識すればすぐに授業は大きく改善すると思います。次回、授業を見させていただくことが楽しみです。

この続きは次回の日記で。

頑張りすぎないで

昨日は小学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は全学級の授業を見て、一人ずつアドバイスをさせていただきました。

全体的に子どもたちは落ち着いています。子どもに対して受容的な先生が多く、関係も良好です。笑顔でほめることのできる先生がたくさんいらっしゃいますが、「○○さんの△△がいい」と固有名詞で具体的にほめることはあまりできていないようです。子どもたち一人ひとりの様子をあまり意識して見ていないようです。全員が指示に従っていなくても次に進んでしまい、結果として「なんだ、指示に従わなくてもいいんだ」と授業規律が緩みかけている学級もあります。また、ほめることが具体的でないと、子どもが何をすればよいのか気づけないので、どうしてもできていない子どもを注意することになりがちです。そうではなく、「○○さん、すぐに顔を上げてくれたね、ありがとう」とほめ、それを見てまねした子どもにも、「△△さんも、早いね」「□□さんも」・・・、と固有名詞で具体的にほめることで授業規律を撤退させるとよいと思います。
声をかけて顔を上げさせても、先生が話し始めると集中力が落ちる学級が多いことも課題でしょう。授業規律が形式なっていて、顔を上げて先生と目を合わすのは何のためか意識させていないからです。「先生の方を見てくれてうれしいな。これから大切なことを話すから、よく聞いてね」「○○さん、しっかりうなずきながら聞いてくれているね」と授業規律の本質を意識することが大切です。また、授業者が指示して動かそうとするので、指示されないことはしなくてもよいと子どもたちが考える学級も目にします。指示に従えるようになれば、指示しなくても動けるようにすることが肝心です。「次に先生は何を言うと思う?」・・・「よく気づいたね。○○さんはもうやっているね」というようにして、徐々に指示を減らすとよいでしょう。

先生方は子どもの発言を大事にしようとしています。このことが教室のよい雰囲気につながっています。しかし、挙手に頼った一問一答が多く、子ども同士をつなぐことをしていないので、わかる子どもや自信のある子どもと先生だけで授業が進みます。発言者としっかり目を合わせ、発言をよく聞き、問い返しながら言葉を引き出そうとはしているのですが、その間他の子どもの様子が目に入っていません。友だちの発言に反応する子どももいるのですが、それに気づかず、すぐに自分で説明や板書を始めてしまいます。子どもが友だちの発言を聞いていても、そのことをほめられたり認められたりすることはありません。これでは発言を真剣に聞く価値がないので、友だちが指名されても他人事になります。発言を聞かずに一休みしたり、板書を写したりするようになります。また、先生方は発言を受容していても、その発言を価値付けすることはできていません。子どもたちにとって、発言することの価値も低いのです。これでは発言意欲は低下していきます。
それでも、子どもたちは先生のことが好きなので、誰でも答えられる問いかけや根拠が求められないような発問に対しては、先を争って挙手し、テンションが異常に上がります。一問一答で進むので、最初に指名されないと発言の機会がないこともテンションが上がる原因です。似たような考えの子どもや友だちの意見に納得した子どもをつないで、最初に指名した子ども以外にも活躍の機会を与えることが大切です。

気になる子どもを注意したり、個別に指導をしたりすることに追われている若手の姿を目にしました。一人を注意して次の子どものところに行くと、先ほどの子どもはすぐにもとの状態に戻っています。常にだれかを注意をしている、モグラたたき状態です。その間、自分のやるべきことが終わった子どもたちは所作なさげにしています。この状態が続くと他の大多数の子どもたちの気持ちが先生から離れてしまいます。まずは、全体の子どもたちと関係をつくってから、気になる子どもに時間を割くようにするとよいでしょう。無視しているようで気持ち的に難しいとは思いますが、一時的に手をかけないという選択肢もあることをわかってほしいと思います。

先生方は、どなたも素直に私の話を聞いてくださいました。前向きな言葉をたくさん聞くことができました。「頑張ります」と言って席を立たれる先生が多かったのはうれしいことですが、ちょっと肩に力が入り過ぎているようにも感じました。頑張りすぎない、無理をしないことも大切なことです。指摘された全部のことをやろうとするのではなく、一つでいいので、とりあえずやれそうなことに挑戦してくれれば十分です。次回の訪問を楽しみにしたいと思います。

教務主任は1日中私と一緒に学校を回ってくれました。個別のアドバイスにもすべて立ち会ってくださいました。情報過多状態で、私以上に疲れたことと思います。すぐに整理しようとせずに、2、3日してから振り返ってみるとよいと思います。その時思い出せたことが、本当に納得できたこと、腑に落ちたことだと思います。それを整理して、今後の方針を決めていただければよいと思います。教務主任にも「頑張りすぎないで」と声をかけたいと思います。

授業改善へのエネルギーを感じる

前回の日記の続きです。

高校2年生の英語はコミュニケーションの授業でした。
表情のよい子どもたちが多いことが印象的でした。特にペアで活動している時はよい笑顔がたくさん見られます。子ども同士の人間関係のよいことがわかりますが、一部の男女のペアで距離を取っているのが気になりました。かかわりを促すような働きかけが必要でしょう。
授業者は私が見ているので緊張していたのかもしれませんが、表情が少しかたいようでした。子どもたちも、授業者が話している時にあまり顔が上がりません。子ども同士での活動の時と比べて表情が今一つです。そのせいか、活動の指示が上手く伝わりません。活動に入った時に、まわりの子どもに何をすればよいのか聞いている姿が目につきました。顔を上げさせてこちらに集中させることと指示の確認が必要でしょう。子どもたちは決して英語に対してやる気がないわけではありません。英語ができるようになりたい、わかりたいと思っていることが子ども同士での活動の姿から伝わってきます。課題は子どもたちとの関係です。このことを意識することで授業の様子は変わっていくと思います。具体的には、笑顔で子どもたちの行動をポジティブに評価し続けることです。

子どもたちに発音を注意して全体で練習させます。この時、「ここができていない」という表現で注意をしました。注意をする時は原則として、「こうするとよい、もっとよくなる」ということを伝えるとよいでしょう。気持ちを前向きにすること、具体的にどうすればよいか次の行動がわかることが重要です。また、途中で「さっきよりいいよ」と声をかけますが、何がよいのかよくわかりません。「さっきより大きな声が出ているね、いいよ」というように、何がよいのかを具体的にすることが必要です。また、「○○さん、口がしっかり開いているね。いいよ」と固有名詞でほめるとほめられたことがよくわかりますし、誰のまねをすればよいのかもわかるので、よい行動が広がります。
読み方の練習では教科書を読ませるのでどうしても顔が下を向き、声が出にくくなります。また、口元もよく見えないので誰がしっかりと声を出しているかわかりません。この日は後半でプロジェクターを使っていましたが、そうであれば最初から教科書をスクリーンに映してそれを見て読ませるとよかったでしょう。ICT機器のこういった使い方も覚えてほしいと思います。

動画を見せて、その内容をもとにワークシートの質問に答える場面がありました。まわりと確認するのですが、動けるのはできている子どもだけです。確認と言われても、書けていない子どもはなかなか自分からは動けません。また、机が離れていることもかかわりにくいことの要因となっています。隣同士しっかり机をくっつけるよう指導してから活動をするとよいでしょう。
答を確認し合うだけでは、わからなかった子どもができるようになるわけではありません。できない子どもができるようになる場面をつくることも大切になります。このことを意識して授業を組み立ててほしいと思います。

授業者は非常に素直にアドバイスを受けて止めてくれました。私が指摘した子どもたちの表情や様子についても、自分で気づき課題と認識していました。子どもたちをよく見ることができています。英語科はチームワークがよく、同僚から教えてもらったり相談したりできると話していましたので、きっと課題を解決しながら成長してくれることと思います。

高校1年生の国語の授業は対比を意識して読み取る場面でした。
前回の私のアドバイスを受けて、文を読み取るための力を意識していました。今回の授業では「対比」がキーワードです。対比を意識しているのですが、基本は一問一答になっていました。授業者が求める答が出てくると、すぐに説明し始めます。このことを教えなければという気持ちが勝ちすぎて、どうしても一方的にしゃべり続けてしまうのです。テンションが上がっていき、子どもたちもその圧に負けてしだいに顔が下がってしまいます。しかし、説明することだけに意識がいってしまい、子どもたちの顔を見る余裕がなくなってこのことに気づきません。授業者の結論を一方的に子どもたち説得し続ける授業になってしまいました。
子どもに考えさせる場面をどうつくるかを意識してほしいと思います。課題を解かせる場面だけでは不十分です。わからなかった子どもがわかる場面や全員で考えを深める場面が必要です。結論ではなく、どのように考えたかという過程や根拠を問う。発言に対してどう思うか他の子どもとつなぐ。こういったことが大切です。
授業者は授業を改善する意識はありますが、授業の構成や発問に意識がいってしまい、子どもたちが考えるために何が必要かを意識できていませんでした。教師ではなく子どもの活動を意識することを強くお願いしました。

この日授業を見せていただかなかった先生とは、校内を一緒にまわりました。教室ごとに子どもたちは集中しているか、考えているかといったことを問いかけながら授業を見ていただきましたが、子どもの様子から自分の授業ではどうだろうかと、自分の教室で起こっていることに思いを巡らせていました。子どもの状況を判断することは、授業改善の第一歩です。このことに気づいていただけたと思います。次回授業を見せてもらうのが楽しみです。

学校はどの学年も基本的によい状態です。しかし、一部ではありますが、一方的に先生がしゃべり続ける授業では、既に子どもたちが授業から離れてしまっている状態が見受けられました。個人や教科の問題ではなく、担任や学年(学校)全体の問題ととらえる必要があると思います。
ちょっと気になったのが、高校1年生です。とても明るく、いい意味で子どもらしい学年です。子ども同士の関係もよさそうなのですが、授業中どの学級でもまわりを跳び越えて遠くにいる子ども同士がつながる場面が目につくのです。オリエンテーション合宿で子ども同士の人間関係ができ、それがそのまま授業に持ち込まれているようです。授業では生活面とは関係なく、だれとでもかかわれることを意識することが大切です。このことを忘れると、孤立して不適応を起こす子どもが出やすくなるので注意が必要です。
また、中学校では同じような場面で子どもたちの態度が大きく異なることが気になりました。授業者が説明をしている時に私たちが廊下を通り過ぎるとそれに気づいて何人かの子どもがこちらを見ました。その後、子どもたちがすぐに集中を取り戻し何事もなかったように授業に戻る学級と、次々に他の子どもたちがこちらに気を取られてなかなかおさまらない学級とがありました。どちらの授業者も特に子どもたちに声は掛けていません。子どもたちが授業者の話を大切だと思っているのかどうかの差かもしれません。少なくとも集中が戻らない学級では授業者が一声かけるべきでしょう。授業者の問題と言ってしまえばそれまでですが、子どもたちは実に素直にその時の状態を表します。高校受験のあるなしも関係するとは思いますが、中学3年生になると授業者の差が子どもたちの態度の差となって表れにくくなるのが普通です。授業者個人の問題とせずに、子どもたちの成長の問題ととらえて、学年(学校)全体で取り組んでほしいと思います。

この日は、中学校の新教科と来年度から特別の教科になる道徳について相談を受けました。
新教科では、言語技術についての取り組みから始めています。主語と述語を見つける課題に取り組ませたところ、全問正解から3割ほどしか正解できない子どもまでかなりばらつきがあったようです。この差をどう埋めていこうということが話題になりました。これだけの差を個別に教師側で対応するのは難しいと思います。また、全問正解の子どもでも感覚的にわかっているだけできちんと説明できるかどうかは疑問です。できた子どもには間違えた子どもが納得できる説明をする。間違えた子どもはその説明を聞いてできるようになる。このことを意識させて子ども同士をかかわらせる場面をつくることをアドバイスしました。
また、この新教科を何コマかをまとめて行うのか毎週1回行うのか、どちらが効果的かも悩んでおられました。特に言語技術のような内容はどの教科でも意識させたいものですから、週1回でよいので、すべての教科で機会を見つけて取り上げていただくとよいと思います。たとえば数学なら、問題文で何が問われているかを確認するときに主語と述語を意識させるといったことです。新教科で何を扱っているかを伝え、それを意識したことをほんの少し授業に取り入れてもらうのです。校内ネットワーク上でこのように扱ってみたという実践の簡単な書き込みをしてもらい、互いに参考にし合えば広がっていくと思います。
道徳については、今までほとんど実践していなかったためどのように進めていけばよいのか戸惑っているようです。優れた道徳の実践はたくさんありますので、そういったものを参考にしてとりあえずやってみることが大切だと思います。意識してほしいのは、子どもたちを変えよう、このように考えさせようとすると先生の求める答探しをするようになってしまうことです。まずは本音を引き出し、子どもたちの心を耕すことを目標としてほしいことをお伝えしました。
相談者の方々からは大変だけど楽しいという言葉が出てきました。このような言葉をこの学校の先生方から聞くことが増えてきました。先生方の前向きな姿勢がこの学校の推進力となっています。どのように学校が変わっていくのか毎回とても楽しみです。

子どもたちが考える授業にする

私立の中高等学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は今年度採用者と若手を中心に授業を見せていただきました。

1年生の歴史の授業は秦の時代の学習でした。
秦の時代の官僚による地方統治である郡県制と周の封建制とを比較しました。周の封建制を図にしたことを思い出させ、図にするとどうなるかを子どもたちに問いかけますが、すぐに自分で図を書き始めます。前回の図を確認させ、違いがわかるような図を子どもたちに書かせるといった課題を与えないと、子どもたちが考える場面がありません。単なる制度の比較だけでなく、なぜ変更する必要があったのかを問いかけたいところでした。

子どもたちに意見を聞いても、数人の挙手で指名して、すぐに正解と言って解説を始めます。子どもたちは発言者を見ずに、授業者の方を見て説明を待ちます。しかし、板書が始まるとそちらを写す方を優先します。授業者は子どもの顔が上がっていない状態でもしゃべるのをやめません。この場面で子どもたちどうあってほしいかが意識されていないのです。

この日の中心の課題である「万里の長城はなぜつくられたか」を個人で考えさせた後、6人のグループで順番に発表させ、班長がまとめて発表します。
子どもたちは、教科書や資料を見ながらその内容を写すだけで、写し終ると手持ちぶさたにしています。グループでの発表は指定された順番に行うのですが、発表者は書いたものを読み、他の子どもたちは自分の手元を見たままで視線が交わることがありません。班長の発表も「匈奴から守るためにつくった」といったものばかりが順番に出てくるだけでした。
授業者は子どもたちに、万里の長城について考察させ、子ども同士で考えを交流させたかったようですが、この発問、活動ではグループを使っても一問一答形式の答探しと変わりません。子どもたちはこれまでの社会の授業で資料をもとに考えることをあまり経験していないようです。社会的なものの見方・考え方が育っていません。基本から始める必要があります。まず、事実(知識)を教科書や資料から見つける、そしてそれを元に考えると段階に分けて、考えるステップを教える必要があります。
教科書や資料を見ればわかる「匈奴から守るためにつくった」という事実は、子どもたちに見つけさせ、どこに書いてあるかを確認して全体で共有すればよいのです。この基本となる知識をもとに考えさせるのです。例えば、万里の長城がどのくらいの長さかを確認して「こんな壮大な物をつくるのにものすごくお金も労力もいるよね。そんなに匈奴は脅威だったの?どのくらいの勢力だったの?こんなことをする必要がほんとうにあったの?」と言ったことを問いかけて揺さぶり、資料をより詳しく調べたり、考えたりすることを求めるのです。

グループは生活班でしたが、学習のグループと生活班は分けた方がよいでしょう。学校生活のすべての場面で生活班が基準となると逃れない関係になってしまいます。生活の中で誰とでもうまく関係がつくれる必要はありません。しかし、授業ではどんな子どもともかかわれることは身につけさせたい大切な力です。生活班を授業に持ち込むと、そこでの関係が持ち込まれて上手くかかわれなくなってしまう危険性があるのです。

グループでの交流は、友だちの考えを聞くことを中心にします。手元を見るのではなく、友だちの顔を見て聞く・話すことをルールにし、司会者は設けずにフラットな関係で進めるとよいでしょう。原則、結論を一つにまとめることはせずに、それぞれの考えを深めることを目指します。一つにまとめることで、せっかく出た多様な意見が消されることも避けられます。もし、一つにまとめるのであれば、決定のためのプロセスを明確にすることが必要です。そうでなければ決定要素(根拠)がないため、恣意的に決まってしまうからです。学習では挙手などで結論を出すことは避けなければいけません。常に根拠を求めることが必要です。

全体での発表は、グループの意見ではなく自分の考えを求めることが必要です。個人を指名して、「グループではどんな意見がでた?」「あなたは、その中でどれが一番納得した?」といった聞き方をするとよいでしょう。グループを順番に指名するのではなく、「似たような意見が出たグループは?」と似た考えをつないで発表させ、同じところ、異なるところを焦点化して深めていくことも大切です。

授業者は子どもたちに考えさせたいと思っていますが、考えさせるための方策を持っていません。ただ課題を与えてグループにすれば考えると思っているように見えました。また、基本は一問一答型で子どもに答えさせた後は、自分の説明で全員にわからせようとする説得型の授業です。授業者の理路整然とした説明よりも、たどたどしい説明を「今の説明どういうこと?」「どう説明すればよいの?」と子どもたちが自分たちで理解しようとし考える場面をつくることで、教師の無駄のない説明よりも深く理解できます。先生が説得する説得型でない、子どもたちが自分たちで納得する納得型の授業を目指してほしいと思います。

授業後アドバイスをしましたが、授業者は素直に聞く姿勢を見せてくれました。これまでこういった視点で授業を考えたことがなかったようです。次に授業を見せていただく時にどのような変化をしているのか楽しみです。

この続きは次回の日記で。
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