私立の中学校高等学校の授業公開2日目
前回の日記の続きです。
2日目の公開授業です。 高校3年生の日本史の授業はとても興味深いものでした。 子どもたちが事前に調べた女子校(大学や高校で過去にそうであったものも含む)の設立年と設立理念を共有するところから授業は始まりました。友だちと情報交換して自分の調べたものに4つ付け加えるように指示します。子どもたちは教室内を移動しながら友だちの調べた物を写していますが、手で写しているので結構な時間がかかりました。 いくつかの学校について授業者が全体に問いかけながら情報を聞きますが、自分たちですでに共有しているので、あまり反応はよくありません。また、タイの女子校からの留学生がいたので、その学校についても授業者がいろいろと質問しましたが、ここまでにかなり時間を使ってしまいました。 情報を共有し終わったあと、それをもとに年表を作成します。縦軸に年を、その左側に各大学の設立年を書き込ませます。すると、あらかじめ書き込んでいたこの学校の設立年の前後に集中します。このことについて授業者がコメントをした後、年表の右側に、その頃に起きた教育に関連しそうな出来事を、教科書を参考にして書き込ませます。ある視点を持って歴史を整理して再構成することはとても大切なことです。子どもたちの興味とうまく関連づけて歴史の見方・考え方を伝えています。 最後に、AIAIモンキーという学習用の情報共有・分析ソフトを使って、事前に子どもたちに書かせていた東京医科大学の女子入試差別に対する意見を共有します。女子教育の歴史的な意味と現代の教育に関する問題をつなげて考えるという授業展開です。子どもたちにどのような力をつけたいかという授業者の思いがとても感じられる授業でした。この後の子どもたちが考える場面が、時間切れで次の時間に持ち越しとなったことがとても残念でした。 歴史の時間に授業者がつけたいと考える力と正面から向き合って考えられた授業でした。その反面、授業の構成としては時間配分に工夫が必要だと思います。この授業で大切なのは、年表をもとに考えることと、そこで考えたことをもとに現代に起こっている問題を考え直すことです。であれば、前半の女子校の情報の共有場面はもっと大胆に時間カットするべきでしょう。授業者は子どもから出た「写真に撮っていい?」という言葉で、あえて手で写させる必要はないことに気づいたようです。別の学級では友だちの書いた物を写真に撮らせることでぐっと時間が短縮されたようです。1人1台のタブレットがある環境では、手で写す価値がある作業か、それともデジタルで共有すればよいものかを判断することが大切でしょう。手で書くことに意味のある場合もたくさんありますが、単なる作業であればデジタルで共有しそれを基に考えることに時間を割くべきです。先生方も経験からそのことに気づき始めているようです。 また、今回のように授業者が内容や構成を考えることにエネルギーを使った授業では、思いが強いためどうしても語りすぎてしまう傾向があります。言いたいことをぐっと我慢して子どもたちの考える場と時間を保障することを優先してほしいと思います。 授業者の今後の進歩がとても楽しみです。 中学2年生の英語の時間は疑問詞を使ったbe動詞の疑問文をつくる練習の場面でした。 ワークシートの問題を個人で解かせます。まだ学習していない問題もあるがヒントを参考にして考えるようにと指示しました。ヒントをもとに考えるというのは正解探しにつながる危険性があります。特に語学では”situation”をもとに言葉の使われ方、使い方を身につけていくのが現代の主流です。ルールに従って機械的に単語を並べ替えることを学習させるのではなく、言葉として使うことで習得させることを意識してほしいと思います。 子どもたちの座席が孤立していて、相談するにも距離が離れています。友だちの方を見て聞きたそうにする子どももいるのですがなかなかかかわることができません。そのせいもあるのでしょう、子どもたちは直接授業者に質問をし、授業者が自分で対応しています。座席を近づけて子ども同士をつなぐことを意識するとよいでしょう。 予定の時間が過ぎてもワークシートが埋まっていない子どもがいるので、「もうちょっと時間をとります」と延長します。子どもたちは参考にするものが無い状態で問題と向き合っているので、時間を与えたからといってできるようにはなりません。できた子どもたちが時間を持て余して、集中力を失くすだけです。時間を与えることよりも困っている子どもに見通しを持たせることを考えることが大切です。 全体の場でワークシートの解答を一問一答で確認し板書していきます。子どもたちは授業者が板書するとすぐに写します。授業者は「なんでareなの?」という質問に対して「notebooksと複数になっているから」と即答しました。全体で疑問を共有し、子どもたちに考えさせるとことも対応の選択肢に入れる必要があります。常に授業者が正誤を判定するものだと思えば、考えることをしなくなる子どもが増えてくるので、注意が必要です。 また、「できた子、納得できるように説明してあげて」と教え合いをうながしますが、こういう言い方はできる子どもが上という価値観を醸成していきます。「よくわからなかった人はできた人に聞いてごらん。聞かれた人は納得できるまで説明してあげて。聞いた人は納得していないのにわかったと言わないでね」と聞く側を中心にした指示をするとよいと思います。 時間の関係で私は見ることはできませんでしたが、iPad用に自作した穴埋めの練習問題を、個別に全問正解なるまで練習をさせたそうです。ちょっと古い使い方ですがこういう使い方ももちろんありです。自分の意図にあった練習にすることができるのが自作するよさです。逆に言えば、ねらいをきちんと意識しなければ単なるドリルの電子化になってしまいます。また、この種の使い方では意欲のない子どもは、答を入力して不正解であれば適当に入れ直して正確になればよしという行動をとります。子どもたちに意欲を持たせるような工夫が求められます。子どもの学力応じて、もっとできるようになりたい、次のレベルの問題に挑戦したいといった気持ちにさせることが必要です。手間のかからない範囲で、レベル別に問題を用意したり、達成度を見える化したりしてほしいと思います。 2年生の男子の体育はバレーボールのパスとレシーブの練習場面でした。 授業者は笑顔で子どもたち接していて、明るい雰囲気をつくっています。子どもたちも元気よく練習に取り組んでいました。 授業者は具体的にポイントを伝えることを意識しています。練習前にはそこでのポイントをわかりやすく実演して伝えています。時間を短縮させるためでしょうか、コートに広がった状態で説明しています。子どもたちもしっかり見よう、聞こうとしていますが、後ろの方はどうしても集中力が切れやすくなります。もう少し授業者の方に近づかせるとよいでしょう。 アンダーハンドパスの手の組み方をていねいに説明しますが、実際に手を組んでみる子どもは少数です。また、説明が長くなって子どもがじれてしまい、勝手に動き出す場面もありました。ポイントごとにペアやまわりでちょっと確認し合う場面をつくるとよかったと思います。 子どもたちは黙って練習をしていて、互いにアドバイスをすることはしません。授業者がコート上を移動しながら個別に、全体に対して声をかけますが、ボールの音が反響していることもありなかなか子どもの耳には届いていないようです。 例えばレシーブの練習であれば、ボールを投げる人にアドバイスをする役割を明確に持たせるとよいでしょう。注意してほしいのは、授業者がポイントをわかりやすく説明しても、一方通行なので子どもたちは整理できていないことです。子どもの口から「手の組み方」「ボールを受ける部位」といったポイントを言わせる場面をつくったり、掲示したりすることが必要でしょう。 また、せっかく1人1台iPadを持たせているので、チームやグループで練習の様子を撮影し、要所要所でどこができているか、どこを注意しなければいけないかを確認するとよいでしょう。わかりやすくポイントを説明できているので、それを活かすための工夫をすると子どもたちの技術がぐっと向上すると思います。 3日目については次回の日記で。 私立の中学校高等学校の授業公開1日目
私立の中学校高等学校の3日間の研究授業公開に参加しました。
夏休みが明けて1週間が過ぎていましたが、子どもたちはとても落ち着いて授業を受けていました。 1日目は、3つの授業が公開されました。 高校2年生女子の体育はテニスの授業です。あいにくの雨のため狭いピロティでの活動で、思うようにボールを打たせられない状況なのが残念でした。 準備運動のストレッチを、授業者が子どもたちの間を動きながら口頭で指示します。中には間違った動きをしている子どももいます。前に立って見本を見せることや互いに見合って確認するといったことが必要なのかもしれません。 一連の活動を口頭で説明しますが、いくつもの指示が続くので子どもたちの理解は今一つです。急なことで準備が難しかったのかもしれませんが、移動黒板などを用意して箇条書きにしておくとよかったと思います。 ここで気なったのが、指示が活動に関するものだけで、ラケットの振り方やインパクトの位置など技術的なものがなかったことです。子どもたちはペアで打ち返す練習をしますがポイントを意識して練習していないのでなかなか上手くはなっていきません。授業者は移動しながら気づいたことを個別に指導しますが、全体の場でポイントを押さえておく必要があるでしょう。 続いて、ボールをトスする人、打ち返す人、iPadで撮影する人と役割をローテンションしながらグループで練習します。ここでも、それぞれの役割のポイントはきちんと指示されません。子どもたちが上手くなるための仕掛けがこの活動にはないように見えます。活動の最後に撮影したビデオを見ながらワークシートに書かれているポイントに従ってチェックをします。チェックポイントには「ボールをコントロールできているか?」などの項目がありますが、できたかどうかは評価できてもどうすれば改善できるのかは見えてきません。これでは次につながっていきません。iPadを利用するのであれば、見本となるビデオをあらかじめ送っておいて、それと自分を見比べるといったことをするとよいでしょう。具体的にどこが違うのか、何を意識すればよいのかに気づけると思います。また、授業の最後にチェックをしても、それを活かすのは次の時間になってしまいます。ポイントを意識して見合い、リアルタイムにアドバイスをし合うことで技術が向上していくと思います。 できない子どもができるようになる、上手くなる場面をどこに設定するのか、どう仕掛けるのかを意識して授業を組み立ててほしいと思います。 若手の先生の高校2年生の古典の授業は、平家物語の一節の読み取りの場面でした。 この先生の古典の授業はグループで行うことが原則のようです。古典の授業の隊形になるように指示をすると、素早く移動してグループになりました。 授業者は古文を読むときに注意をすべきことを確認します。常に共通して意識すべきことを明確にするのはとてもよいことです。一問一答で「主語」「相手」「敬語」といった言葉が出てきますが、次々に何人も指名してできるだけ多くの子どもに発言させたいところでした。 指名した子どもに教科書の本文を音読させますが、子どもたちはしっかりと教科書を目で追っています。参加意識が高いことが印象的でした。 グループでわからないところは互いに聞きあいながら本文を読み取っていきます。この学級は理科系で女子は少ないのですが、どのグループでも女子が男子とよくかかわっていました。よい傾向です。 授業者は机間指導しながら子どもたちがどこで困っているのかを観察しています。途中で活動を止めて困っていることを発表させます。困っていることを共有することで疑問を持たずに通り過ぎていた子どもたちにも、課題として意識させることができます。「や」が疑問か反語かで困っているという発表に対して授業者は、どうやって考えればよかったかと投げかけ、そのままグループに戻します。すぐに授業者が説明したり答を与えたりしないのはよいことです。 しばらくして、また作業を止めて別のグループに困っていることを発表させます。今度は助動詞「たり」が「断定」か「完了」かで困っているようです。授業者が見分けるポイントをすぐに「接続」と確認してグループに戻します。ここは古文の助動詞の学習では大切なことですから、全員に問いかけてしっかりと確認する時間を取りたいところでした。活用表を見て「たり」の「接続」を確認する子どもとそうでない子どもがいます。活用表を見ない子どもは頭の中に入っているのでしょうか。そうであればよいのですが、ちょっと気になる場面です。ここは、子どもたちの定着の度合いを確認したいところでした。 少し時間をおいて、先ほどの助動詞はどちらだったかを問いかけます。指名した子どもが答えると、授業者がすぐに正解と判断しました。その後で理由を説明させたところ、指名された子どもはきちんと答えることができました。きちんと理由が言えるのですから、それを聞いてから、子どもたちに判断させるとよかったでしょう。 子どもたちの困っていることをもとに授業を進めているのはよいのですが、一問一答で授業者が正解かどうかは判断している場面が多く見られます。授業者がすぐに判断をすると、どうしも自分で判断せずに教師の判定を待ってしまう子どもが出てきます。正解かどうかの判断は保留しておき、子どもに理由を言わせてそれで納得するかどうかを問いかけるとよいでしょう。 また、困ったことをその都度作業を止めて共有しています。焦点化してよいように見えますが、子どもたちのグループでの活動のリズムを悪くすることにもなります。困ったことをある程度まとめて共有してからグループに戻せば、それぞれのグループの状況に応じて進めることができると思います。 授業者が一方的に説明しないように意識して授業を行っています。他の若手にも大いに参考になったこと思います。いろいろと工夫しているからこそ、次の課題も見えてきます。これからどのように進化していくか楽しみです。 中学校3年生の英語は、広島に関する本文を読んだ後、”No More War!”といった3語ほどのメッセージを個人で作る場面でした。 授業者はだれが見てもわかるようなメッセージを作ってほしいと説明をしますが、説明の時間が少し長すぎたようです。手元にあるiPadに視線を落としている子どもが目立ちます。文で書くのではなく、標語やキャッチフレーズの形にする意味が今一つわかりません。子どもたちがこの課題をクリアするために必要とされる力や方法がはっきりしないことも気になりました。 作業に入ると子どもたちは思い思いに活動しますが、集中力が続かないように思いました。なんとなく思いつきで書いていることが原因のように思います。言葉を作る前に、本文を読んでどのようなことを感じたかを書き出させたり、どこが印象に残っているか原文のまま書き出したりといった作業をしておくことで、手がかりが得られたのではないかと思います。また、途中でもよいので作業を止めて何人かに発表させ、どうやって考えたのか、工夫しているところなどを共有し評価すると活動の方向性もはっきりすると思います。 また、教室の広さに対して子どもの数が少ないので、座席の間隔が広がりすぎています。友だちと相談したいと思っている子どもが声をかけようとするのですが、距離が離れすぎてうまくかかわることができませんでした。意図的に机をくっつけることやグループの隊形を利用することを考える必要がありそうです。 最後に一部の子どもに発表させますが、子どもたちはあまり集中して発表を聞きません。ねらいがはっきりせず、どう評価していいのかわからないことがその一因でしょう。活動のねらいや評価を意識して活動を組み立ててほしいと思います。 公開授業ではありませんが、非常勤講師の高校3年生の現代文の授業を見せていただきました。 授業者は子どもとコミュニケーションが取れていませんでした。子どもの状況にかかわらず一方的に説明をし続けます。子どもと視線を合わせないことも気になりました。また、説明は結論だけで、その根拠となる本文の記述等には触れられません。 そして、特に気になったのが、子どももたちが発言する場面がまったくなかったことです。○○は△△であるという授業者の話が延々と続くのです。 多くの子どもたちは話を聞かなくても板書内容さえ手元にあればよいと思っているようです。板書を写している子どももいますが、写真に撮れば十分と考えている子どももかなりいます。それでも、子どもたちは頑張って起きていようとしていましたが、時間が経つにつれ一人、二人と倒れていきました。 授業者はこれまで他の職業についていて、今年初めて教壇に立った方です。おそらく自身が学生時代にこのような授業を受けてきたのだと思います。授業の進め方について学ぶ機会が必要だと思いますが、非常勤講師の場合そのような時間をとることが難しいのが問題です。せめて他の先生の授業を見るような時間を確保することが必要だと思いました。 2日目については次回の日記で。 若手の授業へのアドバイス(長文)
私立の中学校高等学校で若手を中心に授業アドバイスを行ってきました。
午前中に夏休み明けの課題テストがあり、2学期最初の通常授業でした。全体的に子どもたちは落ち着いてよく授業に参加していたように思います。 高校2年生の国語の授業は、具体と抽象についての評論の導入の場面でした。 「抽象」と「具体」とはどのようなことかを子どもたちに理解させるためのプリントを配ります。プリントには例として、「服」と「(コート スカート セーター)」が書かれています。その間に「たとえば」「つまり」と2本の向きの異なる矢印が引かれています。この例をもとに、説明をしようとしますが、子どもがまだ話を聞く態勢になっていないのにしゃべり始めました。授業者は先ほどの例をもとに「抽象」と「具体」を繰り返し説明しますが、わかりやすい言葉で説明しようとしてかえって曖昧になってしまいます。時間をかけて何度も何度も説明しますが、説明するたびに微妙に違った言い回しになることとカテゴライズや分類とも言える例を使っているため、かえって混乱を招いているように感じました。「具体」と「抽象」の例をつくらせたところ、図に「野球」と「(バット ボール グローブ)」と書き込んだ子どももいたようです。 一方的な説明と演習という形ではなく、中学校でも言葉は出てきているはずなので、「抽象」と「具体」とはどういうことかを問いかけ、ペアで聞き合ったり、1人1台のiPadを持っているのですから検索をさせたりする活動をする方法もあります。子どもが発表した言葉を板書して整理してから、例に入っていればよかったと思います。 授業者はなかなかしゃべりすぎることが改善できませんが、そのことが自分の課題だとは意識できています。自分が話したいことを子どもに言わせることを心がけてほしいと思います。 中学校2年生の数学は個人で問題を解く場面でした。 教室に余裕があることもあり、子どもたちは1列ずつ離れて座っています。自信のない子どもがまわりの子どもに確認や相談しようとしますが、距離が遠いので相手が聞きづらそうです。そのため、どうしても声が大きくなります。ざわついた感じになるので、遠くの友だちと雑談することへの抵抗感も減っています。授業時間中に解答を確認する時間がないので、挙手して授業者を呼んで確認してもらおうとします。問題を解き終った子どもは次の指示がはっきりしていないのか、手持ちぶさたにしています。この時間の進め方のねらいがよくわかりませんでした。 子ども同士のかかわり合いを大切にするのなら、4人グループにして机をくっつけるとよいでしょう。子どもから呼ばれても直接教えることはせずに子ども同士をつなげるようにすれば、聞き合う関係を作ることができます。 気になるのが、わからない子どもができるようになる場面がこの授業時間の中にないことでした。自分たちでやらせると言っても、ほっておいてできるようになるわけではありません。わからない子どもは挙手して先生を呼んでくれれば教えられるからいいと思っても、なかなか呼べない子どももいます。答え合わせをしろと言うのではありません。困っていることを全体で確認、共有し、答ではなく、「どこに目を付けた?」「どんなことを考えた?」といったことを発表させて見通しを持たせたることや、グループで相談させるといったことが必要でしょう。 高校1年生の世界史の授業は、大航海時代の授業でした。 グループの隊形にして穴埋めのワークシートを配った後、子どもたちに小さな紙のカップを取りに来させます。においをかぐように指示して、グループを回りながら香辛料をカップに入れていきます。最初はホワイトペッパー(白胡椒)とクローブ(丁子)、続いてナツメグ(肉豆蔲)とシナモン(肉桂)と2回に分けて配りました。これだけのためにかなりの時間がかかってしまいました。カップに入れておいて取りにこさせればよいと思うのですが、授業者は子どもたちがこぼすことが心配だったようです。蓋のついた小さなピルケースなどが100円ショップで簡単に手に入るので、そういったものの利用も考えるとよいでしょう。 中にはずっとスパイスをいじっている子どももいますが、ちょっとにおいをかぐとワークシートの穴埋めを続ける子どもがほとんどです。配り終えた後、授業者に集中するように指示しますが、なかなか徹底しません。全員の顔が上がっていないのに、根負けして話し始めてしまいました。 子どもたちはスパイスについて興味を持っているわけでもなく、それを基に何か考える課題が与えられているわけでもありません。それに対してワークシートの穴埋めは必ずやらなければいけないので、どうしてもそっちが優先になってしまうようです。 「スパイスは何に使ったのか考えよう」と問いかけグループで考えさせます。子どもたちのテンションは高いのですが、あまり意味のある会話をしていません。そもそもこれは単なる知識ですから、教えるか調べるかしかありません。しかも教科書には調味料や薬として使ったと書いてあります。1人1台iPadを持っているのですから、そこから教科書以上の情報を引き出させるような展開にすれば状況は変わったと思います。 1分与えて答を問いかけても手が挙がりません。そこでもう1分与えます。子どもたちが答える意思がないことや調べる気持ちがないことが原因ですから時間を与えてもムダです。 スパイスを見せることは決して悪いことではないのですが、スパイスから何を考えさせるのか、課題がはっきりしていません。スパイスが同じ重さの金と等価で取引されていたと言われますが、そんな高価なものを消費する人がいることの意味や、地域間の価格差と貿易の関係など考えるネタはいくつかあると思います。授業のねらいをしっかりと意識して授業を組み立ててほしいと思います。 もともと授業者は宿題のワークシートをもとにした授業を考えていたそうですが、宿題を忘れる子どもがいると参加できなくなることを心配して宿題を利用しない形に切りかえたそうです。意識してほしいのは、宿題をやってきてよかった、忘れなければよかったと思わせることです。グループでの活動にして、忘れた子どもには他の子どもに見せてもらうように指示すればよいだけです。忘れた子どもには「○○さんに見せてもらえてよかったね」、見せた子どもには「見せてくれてありがとう」と声をかけておけば、「ちょっと恥ずかしい、次はやってこよう」「やってよかった」と思ってくれるにではないでしょうか。 高校1年生の数学は関数の定義の場面でした。 自動販売機が関数になっているのかを問いかけますが、多くの子どもは何を聞かれているのかよく理解できていないようです。xが決まればyがただ一つに決まるという定義だけでは、自動販売機を扱うのには無理があります。しかも1つ決めれば1つ決まるという表現でかみ砕きますが、これは関数の方向性を曖昧にしています。定義域と値域を考える意味がわからなくなってしまいます。 自動販売機は売れ切れだと同じボタンを押しても何もでない。1つのボタンに対して1つに決まらないので関数でないという意見が出ます。授業者はなるほどと受け止め、簡単に復唱します。もう一人の子どもが手を挙げて、売り切れだとそのボタンを押さないから関数になると発表します。面白い展開です。それを受けて先ほどの子どもはやはり関数になると意見を変えます。値域が決まっていて売り切れの時はボタンを押したときに値域にはいっていないから、1つに決まるというのが理由です。関数の定義域、値域につながる展開になってきました。しかし、中学校で学習したとはいえ、突然出てきた用語に他の子どもたちはついていけません。また、中学校では定義域と値域は区別されていませんので、ここはていねいに他の子どもにつなぐ必要があるのですが、授業者は流して自販機に関する物で他にも関数になるものがないかとつないでいきました。 授業者が数学的に関数をきちんと理解できていないことを棚に上げても、全員参加するような進め方になっていないことは課題です。発言する子どもの意見を受け止めることはできますが、その発言を深めるような返しや、他の子どもへのつなぎがありません。「○○さんの言ったこと、なるほどと思った?」「どこがよくわからない?」「今の意見、もう一度○○さんの代わりに言ってくれる人?」といった言葉をかけて、重要な意見は全体で共有する必要があります。 授業者はこの学級は意見が出ないと思っていますが、一部の数学の得意な子ども、意見の言える子どもとだけで授業を進めているので、他の子どもが参加できるようになっていかないのです。意見が出る出ないは、子どもたちで決まるのではなく教師のかかわり方で決まると考えて授業を工夫してほしいと思います。 高校3年生の総合的な学習の時間の発表の様子を外から見て回りました。iPadを使っての論文の発表です。子どもたちのデジタルデバイスの使い方はなかなかのもので、スライドも見やすい工夫がされたものが多いように感じました。しかし、問題はその中身です。論文という言葉にこだわる必要はありませんが、発表に何が求められているのかを明確にする必要があります。 単に調べたこと、感想を発表するのではスライドづくりと発表の練習でしかありません。そういうスキルの授業ならばそれでよいのでしょうが、少なくとも論文の発表と銘打つ以上、客観的な事実をもとに、論理的な結論を導き出す必要があります。根拠となる資料の引用についての記載もありません。これからの時代に必要な力だからこそ、こういったことはきちんと指導する必要があります。そのような指導がなされていないように感じたことが残念でした。先生方も経験がないことかもしれません。ならば子どもたちと一緒になって学べば良いと思います。ぜひ、そういった視点で取り組みを改善していってほしいと思います。 英文を読んで考えを英語で書かせる授業についての相談を受けました。 子どもたちは日本語を英語に翻訳しようとするのですが、何とか自分の頭にある考えを直接英語で表現させるようにしたいというのです。言わんとすることはわかります。考えを日本語にして翻訳するのであれば、それは与えられた日本語の文を英訳するのと何ら変わりはありません。昔からある単なる英作文の授業になってしまいます。 まずはもとになる英語の評論や意見文を読む時点で、細かく訳するのではなく、筆者が言いたいことはどこに書いてあるか線を引かせる。その根拠となっているところは別の色で線を引かせるといった作業を行わせ、子ども同士で確認させたりします。それをもとに、自分の考えは賛成なのか反対なのか、その根拠についてはどう思うのかといったことをその英文を抜き出してまとめていきます。そのワークをもとに作文をさせることを提案しました。考えのもとになる英文があることで、その英文を使って文を作ることができると思うからです。この程度の工夫ですぐに変化が表れるかどうかはわかりませんが、子どもたちがどのような反応を示すか楽しみにしたいと思います。 夏休み明けで、しかも台風で休校の翌日でしたが、子どもたちのよい姿が見られたことをうれしく思いました。 |
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