子どもたちが落ち着いていることが、先生の成長を妨げる!?

今週の始めに。今年度授業アドバイスを行う予定の中学校の授業公開に参加しました。まずは学校の現状を知るためです。

市全体で学び合いを進めている地区の学校で、子どもたちはとても落ち着いています。グループでの活動も手慣れたものでした。
2年生は道徳、3年生は特別活動の時間でした。気になったのが視線です。視線が発表者の方に向かっていない子どもが目に付くのです。友だちの発表をきちんと聞こうとしていないように見えます。中には素早く発表者の方に体を向ける学級もあるのですが、向きを変えるだけで集中しているようには見えません。子どもたちが友だちの発言を聞こうとしていない理由の一つに、授業者が発表者とだけやり取りし、発言を他の子どもたちにつないでいないことがあります。聞くことの価値がないのです。
一方、授業者の視線も、子どもたち一人ひとりに向いていません。何となく全体を見ているか、発表者だけを見ているのです。子どもたちが今どういう状況か知りたいという気持ちが感じられません。聞いている子どもの反応をもとにどの子どもとつなごうか、次はどう展開しようかと考えていないのです。また、一人ひとりに注意を払わなくても子どもたちが落ち着いていて、スムーズに授業が進むので、先生方は一向に困らないのです。
特に道徳では、子どもの反応をよく見ないと、ここで揺さぶる、もう少し他の子どもにつなげるといった次の展開を決めることができません。先生方が子どもの考えを深め、本音に迫りたいと思っているのか疑問でした。道徳以外でも子どもの状況や反応にかかわらず、予定している一つの流れにそって進めている授業が多いように感じました。

また、どの授業でも、一つひとつの活動のねらいが明確になっていないように思いました。各場面で、子どもにどうあってほしいのか意識されていないことも、先生方が子どもたちをよく見ないことの原因のように思います。
例えば、1年生の理科の花の観察の場面では、一人ひとりが異なる花のレポートをグループで机をくっつけて書いています。子どもたちはそれぞれで教科書のレポートのテンプレートを見ながら項目を埋めています。友だちとかかわる姿はありません。完成後に交流するのでしょうが、この場面でグループを使うことで子どもたちつけたい力は何でしょうか。テンプレートを見れば困らないので友だちとかかわる必然性はあまりないようです。グループであることを特に意識した活動でないのなら、つけたいのはテンプレートにそってレポートを書く力でしょうか。それともレポートの書き方そのものを覚えることなのでしょうか。確かにそれらも必要でしょうが、まずは何のためにレポートを書くのか、そのためにはどのような要素が必要なのかを考えることが大切だと思います。
途中から見たので、考える場面があったのかもしれませんが、少なくとも黒板には観察の視点やレポートに必要な要素などは残されていませんでした。子どもたちはひたすら教科書を見て書いていますので、こういったこと意識しているようには見えません。この時期ですから、初めての観察、レポートだと思います。理科の観察は何のためにするのか、レポートにどんな目的があるのかをまず考えさせることから始めてほしいと思います。そういったことを考えるのであれば、グループが活かせます。個別にレポートを書くにしても、友だちが何を書いたか、自分と比べてどうなのかといったことが気になるので自然と話し合うことになると思います。友だちのレポートや教科書の例と比較することで、理科的なものの見方・考え方が身に付くと思います。
レポートやまとめを書く場面は理科に限らずいろいろな教科であるはずです。社会科など、他の教科のレポートと比較をするといったことも面白いと思います。他の教科と連携を取ることで、教科を越えた学びにつながると思います。

グループや全体の話し合いの場面では、結論が共有されることが多いように感じました。根拠や過程が大切にされていないように感じます。作業が目的化して、答探しや穴埋めをすることがゴールだと思っているように見えました。子どもたちは、先生が自分たちに何を求めているのかよく知っています。先生を見抜いています。子どもたちが聞く姿勢をとればそれで聞いていると先生が思っていれば、子どもたちは発表者の方を向くだけでしっかり聞こうとはしません。子どもたちの姿は、先生が求める姿と重なるのです。

この日の授業者は若い方が多かったのですが、指示の仕方や授業規律のつくり方といった基礎的な技術が未熟でした。先生が特に意識しなくても、最初から子どもたちが落ち着いているので、こういった技術を身につける必要性がないまま、経験年数だけが増えているようです。この市の他の学校でも同様の傾向を感じています。

今回訪問させていただいたおかげで、校長と課題を共有することができました。語弊があるかもしれませんが、子どもたちが落ち着いていない方が先生方に課題意識があるので授業改善は進みます。先生方に課題意識を持っていただくためにどのようなかかわり方をすればよいか悩みます。
校長と密に相談しながら、授業改善を進めていきたいと思います。

できない子どもができるようになる場面をつくる

間が空きましたが、前回の日記の続きです。

授業研究は、2年生の国語で「しかけカード(開くと立体的になるカード、ポップアップカード)」の説明文の工夫について考えるものでした。子どもたちが、説明文をもとに「しかけカード」をつくる活動をした後の授業でした。

授業者は、子どもたちが授業の準備に気を取られて、まだ聞く準備ができていないのに説明を始めました。準備が終わるとちゃんと集中できる子どもたちでしたので、少し待ってから話すとよかったと思います。
ワークシートを配った後、よい姿勢を取るように指示しますが、この時期であれば指示しなくてもよい姿勢が取れるようになっていてほしいと思います。いつも子どもたちに指示をしていると、指示がないことはやらなくてもよいと思うようになります。子どもたちが指示に従えるようになったら、指示をしなくても動くようになることを目指してほしいと思います。
「分かりやすいせつめいのくふうをみつけよう」とめあてを板書して、ワークシートに写させます。素早く書いてよい姿勢を取る子どももいますが、なかなか終わらない子どもも目に付きます。授業者は黙って待っていますが、早く書くことを求めることも必要です。一つひとつの活動に対して、子どもたちにどうなってほしいという目標を意識することが大切です。
「漢字は読める?」と確認してから、全員で読ませます。続いて、「工夫ってどういうことかわかる?」と問いかけますが、子どもたちの反応はありません。「あんまり、ぱっとわからないね」と言ってから、「昨日カードをつくるのに教科書見たね」と教科書を開くように指示をします。該当部分を印刷した紙を貼って、「昨日、ぱっと作れた?見ながら作った?」と話しますが、相変わらず子どもたちは反応できません。「みんながカード作れたのは、なぜ?」と質問しますが、どう答えてよいのか戸惑っています。授業者が何を説明しているのか、何を求めているのかよくわからないのです。「写真で説明していていると文だけよりわかりやすいね」と、授業者が一方的に説明を続けますが、なぜこの説明をされるのかよくわからないので、子どもたちには話の先が見えません。理解させたいことと、理解させるための活動を明確にして授業を組み立てる必要があります。

「工夫」の概念を理解させたいのであれば、その「工夫」がない場合と比べてどちらがわかりやすいのかを考えさせるとよいでしょう。どこが違うのかを言わせ、こういうことを「工夫」というと説明するのです。逆に、わかりやすくするために、どんなものを使っているか、どんなことをしているのかと、「工夫」を使わずに問いかけ、最後にこのようなことを「工夫」というと定義してもよいでしょう。
授業者は、「写真があるといいね、これが作者の工夫です」とまとめます。結局、工夫という言葉を説明せずに、めあてに対する答の例を示す形になりました。これでは言語感覚は育ちません。問いの答を探すことが学習になってしまいます。

授業者はわかりやすい説明の工夫を見つけることを指示しますが、「何個もあるのでたくさん見つけるように」と説明を加えるなど、言葉を何度も重ねるので、子どもたちは何をすればよいのかよくわからなくなっていました。
子どもたちが活動を開始するまで17分も経ってしましたが、その間子どもたちはよい姿勢を取り続けていたのが印象的です。子どもたちと授業者の関係は決して悪くはないのです。それだけに、指示を簡潔なものにしていれば、子どもたちの様子は大きく違っていたと思います。

活動をするように指示した後、すぐに鉛筆を持つ子どもがあまりいません。何をすればよいかよくわからないのです。ここまで、授業者はずっとしゃべっていましたが、ポイントとなることが黒板にも子どもの手元にも残っていません。黒板を使って整理をしたり、子どもの言葉で言い直させたりといったことが必要でした。
途中で手の止まっている子どもの姿が目に付きます。することがなく手持ちぶさたにしています。できた子どもには次の指示をしておくことが必要ですし、何をすればよいのか困っている子どもには、何らかの手立てが必要でした。授業者は5分間と指示をしたので、それまで待っていましたが、子どもの状態によって途中で切り上げるという判断もあったと思います。
続いて、グループで発表させます。まず一人ひとりが順番に自分の見つけたものを発表してから、話し合うようにと指示します。授業者は、「難しかった、書けなかったという人もいたと思います」と指示する前に言っていたのですが、「発表して」と指示することで、書けなかった子どもが何もできなくなることに気づきません。また、話し合うと指示しますが、何を話すのかは具体的に指示されていません。手のつかなかった子どもが悲しそうな顔をしていました。
子どもたちが机をくっつけてから、グループで意見をまとめて発表するように追加で説明します。子どもの勢いをそいでしまうので、グループになる前に指示した方がよいでしょう。
結局答を出せた子どもが発表し、ペンを持った子どもが発表用の透明シートに写すだけです。参加できない子どもが何人もいます。答を見つけられなかったのですから当然です。できなかった子どもができるようになる場面を作ることが必要です。
グループの代表者を前に並ばせて順番に発表します。発表者は教室の斜め前に立ってシートを読み上げるだけです。声が小さいこともあり、聞いている子どもたちは何を言っているのかよくわかりません。聞く側の役割もハッキリしないので、反応もできません。だれも参加できない場面でした。せめて、自分たちと違う考えはあるか、同じものはといった視点を持たせることが必要でしょう。そのような視点を持たせるのであれば、代表者がグループの意見のまとめを持って前に並んでいるというのでは困ります。
できる子ども、できた子どもだけが活動し発表するだけになりました。

工夫を見つけるためには、まず工夫とはどういうことかその概念を理解させることが必要です。そのための活動、場面をつくらなければなりません。また、ただ工夫をみつけて発表するだけでは考えは深まりません。その工夫が、「しかけカード」をつくる過程のどこでどのように役立ったかを意識させ、工夫をグルーピングして、子どもの言葉で整理させたいところでした。このような経験を積み重ねていくことが、子どもたちが説明をする力をつけていくことにつながります。
単元のねらいを意識して、授業を構成していくことが大切です。ねらいとそれを達成するための活動を明確にした授業を意識してほしいと思います。

新年度になりました

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