全体を見ることを常に意識する
2学期に小学校で行った授業アドバイスです。
3年生の初任者の授業は国語でした。 子どもたちをほめて授業規律をつくることができるようになってきました。以前と比べると子どもたちの集中も増しているようです。 前時までの音読をほめた後に、「どんな場面が心に残りましたか?」と問いかけます。その後続けて、すぐには思い出せないだろうから、教科書を見てもいいと1分間時間を与えますが、指示と課題が交互に繰り返され錯綜しました。徹底させようとして少ししゃべりすぎです。課題の提示や指示は1回で徹底させることを意識するとよいでしょう。不安なら、子どもを指名して、「今から何をする?」と確認すればよいのです。 時間が来て挙手させますが、4人しか手が挙がりません。それでも「○○さん、すぐに手を挙げてくれたね」と間を空けずに指名します。子どものよいところをほめて指名することは悪いことではないのですが、このような誰でも指名すれば答えてほしい場面は、挙手に頼ることは避けた方がよいでしょう。意図的にどんどん指名していけばよいと思います。 指名した子どもは、授業者の方を向いて発表します。授業者も発表者の方を向いたままで他の子どもの様子を見ていません。子どもの多くは発表者に注目していません。授業者は発言をしっかりと受け止めますが、すぐに「○○さんは今……と言ってくれた」と、発言の内容を子どもたちに伝えます。これでは子どもたちは発言を聞く必要がありません。聞く必然性を与えることが大切です。 続いて「よく似たところが心に残っている人?」とつなぎました。「自分の言葉でいいのでもう一度言ってください」と指名します。「同じです」を許さずに自分の言葉で言い直させることは大切です。発言に自分の言葉が付け足されたことを、「付け足されたね」と評価しました。こういったことができるようになったのは大きな進歩だと思います。ただ、常に授業者が評価するだけで、教室全体でその内容が共有されているわけではありません。「どこがつけ足されたかわかる」と他の子どもにつなぐことも必要です。また、本文と子どもをつなげることも重要です。「○○さんの言った場面は教科書のどこかわかる?」と全員で本文を確認させるとよいでしょう。 発言を受け止め、価値付けすることはできるようになってきています。教室全体を見て、子ども同士をつなぐことや発言の内容を共有することが次の課題でしょう。 特別支援学級は、ハンドベルの合奏の場面でした。 子どもたちをほめながら、やる気を出させています。「おれ、できんは」と弱音を吐く子どもに対しても「きらきら星の時より出番多いもんね」と受容しながら、励ますことができていました。 ただ、気になる子どもや反応する子どもばかりに注意が行ってしまい、全体を見ることができなくなっています。出番がない時にもしっかりと友だちの様子を見ている子どもがいましたが、その子どもに気づいてほめることができなかったのが残念です。普通学級を担任している時も、同様の傾向がありました。子どもを受容して関係をつくることができるようなってきたので、全員の様子を常に意識することが次の課題です。 6年生の体育の授業はマット運動で、最後に演技をして見せる場面でした。 4人につきマット1組なので、活動量はある程度確保されていました。見学者が前に座っていますが、役割を与えられていないのですることがなく、顔が伏せ気味なことが気になりました。 グループ毎に先頭の子どもが演技をしますが、待機している子どもたちは後方からなのでよく見ることができません。1組目の子どもの演技に対して一部の子どもから拍手が上がりますが、全体には広がりませんでした。また2組目以降では誰も拍手をしませんでした。形式的な拍手にはあまり意味はありませんが、この場合授業者は子どもたちにどうしてほしいと思っていたのかが気になります。このことを意識しないと漫然と授業が過ぎていきます。一方、前に座っている子どもの一人は、積極的に演技者に励ますような声をかけています。こういった行動を授業者には評価してほしいところですが、気づいていなかったようです。 体育では、演技者以上に待機している子どもの活動が大切です。また、個人の演技も評価しないとうまくはなりません。漫然と待機して演技を眺めるのではなく、声をかけたりアドバイスをしたりといった役割を与えることが必要です。マットの横などの見やすい位置から観察させるとよいでしょう。毎回アドバイスをさせるのであれば、4人を2人ずつのバディに分けるという方法もあります。演技者に対してバディが観察して、終わるとアドバイスする。その間に次の組が演技をし、アドバイスをした子どもが次に演技をする。この繰り返しで進めるのです。 授業の終わりのまとめをするのに、全員が散らばったままでした。既にチャイムが鳴っているので焦っていたのでしょうが、いったん集合させるべきでしょう。特に気になるのが見学者です。離れたところに座っていて、授業者の背中を見ることしかできません。ほとんどの見学者の頭が下がっていました。授業に参加する意識を持たせるためにも、見学者は授業者の前方に移動させるべきでしょう。 後片付けは素早く行います。見学者の何人かは積極的に片づけに参加しますが、何もせずに歩いている子どももいます。できることは参加させたいところです。 4人のグループで大小2枚のマットを片付けますが、大きいマットを3人で持って運ぶので、小さいマットのところに行った子どもは1人でどうしていいか困っています。自分1人でマットを引きずって片づける子どももいましたが、2人の子どもがマットに手をかけたままその場に所作なく立ち止まっていました。そのうちの1人には、大きいマットを片づけたメンバーがすぐに走り寄って一緒に片づけましたが、もう1人の子どもはしばらく1人で寂しそうにしていました。他のグループの子どもがその子どもの横を通り過ぎますが無視しています。授業者は倉庫の方で片づけの指示をしているのでそのことに気づきません。1人の子どもが最後に気づいてくれて、やっと2人で片づけました。今までもこのようなことがあったのではないかと思います。「4人で大きいマットをまず片付けてから、小さいマットを片付ける」、「小さいマットは引きずってもよいので、1人で片づける」、どちらでもよいので、明確に指示する必要があったと思います。 体育の授業は広がって行うので、どうしても全体を把握することが難しくなります。この授業者であれば、子どもたちに起こっていることに気づけば適切な対応を取ることができると思います。常に全体の様子を意識して見ることを忘れないでほしいと思います。 この続きは次回の日記で。 何を焦点化すれば考えが深まるのか
ずいぶん間が空きましたが、前回の日記の続きです。
9年生(中学校3年生)の道徳は、下級生からのバレンタインデーのプレゼントを、好意を持っている女生徒の目を気にして受け取らなかったという読み物をもとにした授業でした。 明るい雰囲気の教室です。コの字の隊形で、範読しながら子どもたちに主人公の行動の裏にある気持ちを問いかけます。子どもたちはよく反応し、笑い声もよく起こります。主人公の気持ちにしっかりと入り込んでいました。また、話の内容にテンションが上がっても、授業者が話の続きを読み始めるとすぐに集中します。よい授業規律がつくられています。 授業者は下級生からプレゼント受け取ってくださいと言われたところで、「あなたなら受け取りますか」と質問しました。授業者は、主人公が好意を寄せている女生徒が見ているかもしれないという記述の手前で話を止めています。あえてここで止めたのはこのことを使ってこの後子どもたちを揺さぶるためでしょう。どう進めるのか楽しみです。 ワークシートで作業をさせた後、自分の考えが「受け取る」「受け取らない」のどちらかを黒板の数直線上に貼らせます。一人を除いて全員が「受け取る」です。受け取らないという子どもの考えを黒板に書きます。「自分には好きな人がいるのに受け取れない」という考えです。続いて他の子どもの考えを聞きます。「相手に悪い」と相手の気持ちを思いやる意見に続いて、「受け取るのはいいけどつき合うのは困る」という考えが出てきます。それに対して「つき合いだしてから好きになれるかもしれない」という意見も出てきます。授業者はどの意見に対しても「なるほど」としっかりと受容するので子どもたちは安心して意見を発表してくれます。 ここで授業者は、好意を寄せている女生徒が見ているかもしれないと揺さぶります。それでも「受け取る」か、まわりと相談させます。子どもたちはすぐに食いついて話し始めました。ここで揺さぶるのであれば、それまでの意見を「相手のことを思って」受け取るということと、「自分の気持ちを優先して」つき合うつもりはないという2つの視点に焦点化しておくと、この後、考えが変わったのはどの視点が影響したのかを考えやすかったかもしれません。 子どもたちは、積極的に話し合っていました。揺さぶりはうまく機能したようです。意見が変わった人に貼り変えるように指示します。貼り変えたのは数人です。授業者は「本当に受け取る?見られているかもしれないんだよ」「もし、本当に見ていたら?」と揺さぶりますが、子どもたちはほとんど動きません。 続いて、「受け取る」「受け取らない」のいずれにしても、まわりの人の意見を見てもよいから、相手にどんな言葉をかけるかを書くように指示します。一通り書いた後、席を立って友だちの掻いたものを見にいかせます。その時、「なるほど」「これはいい」と思ったものがあれば、メモするように指示しました。子どもたちは、友だちの言葉に対していろいろとつぶやきながら移動します。思ったことを気軽に話せるよい関係に見えます。見終わった後、それぞれが書いたものを黒板に貼ります。 「(プレゼントを)受け取る」から、「気持ちだけ受け取る」に変わった子どもにその理由を聞きます。相手のことを考えて誤解しないようにと考えたからです。続いて「何チョコのつもりで渡しているの?」と聞き返す言葉を取り上げます。相手の返答で対応が変わるということのようです。授業者は前に出させて、自分が相手役になりロールプレイを行います。「義理チョコです」と答えて、対応を迫ります。しかし、チョコだけでなく手編みのセーターも一緒だったことを考えると、すぐに「大好きなので受け取ってください」と迫ってもよかったと思います。とはいえ、ここでロールプレイをして子どもに考えるように迫ったのはとてもよかったと思います。 今度は、「チョコが好きだから、うれしい」「ありがとう」という言葉を取り上げます。今度は、「誤解されたらどうしよう」と迫ります。ロールプレイで「ありがとう」に言葉に対して「やった」というアクションします。そこで、相手が純粋に心から喜んでいるけれど、どうすると迫りました。いろいろと揺さぶることで、考えを深めようとしていました。 ここでちょっと攻め方を変えて、友だちの書いたものでよかったと思ったものを聞きます。「ありがとう。でも、もし受け取ったらつき合うみたいなことになるならいらないよ」という言葉が取り上げられました。選んだ理由は、「もし付き合うことになるなら受け取らないというのは相手のことを考えているから」というものです。相手のことを考えていると言いながら、判断を相手に委ねるというちょっとずるい考えにも見えます。「はっきりとつき合う気はない」というのとどう違うのかと迫りたいところです。この他にも、「別に好きだから受け取るわけではない」という言葉も取り上げられます。全体的に、「受け取る」という子どもたちは自分を守るような言葉が多いことが気になりました。真正面から相手の気持ちを受け止めて言葉を返す子どもは少ないのです。 子どもたち個々の言葉を取り上げて、切り返していきますが、子どもたちの考えはなかなか深まらずに終わってしまいました。 授業者は、子どもたちを揺さぶることや、より深く考えさせるためにロールプレイをするなど、ずいぶんと工夫をしていました。しかし、子どもたちの考えに「相手のことを思う」「自分の気持ち(都合)を優先する」という2つの視点があることが整理されていませんでした。そのため、どうしても個の考えに対する切り返しになって、共通の課題として全体で考えられませんでした。2つの視点に焦点化して、「相手のために」と言っても、自分を守ることになっている言葉もあることに気づかせたいところでした。 その言葉を言った後、相手はどんな行動をとるか、どうなるかを問うとよかったかもしれません。相手のことを思った言葉がどのような結果をもたらすのかを想像させるのです。そうすることで、自分の考えが本当に相手のことを思ったことになるのか深く考えることができと思います。 授業者は、よく教材研究をして授業に臨んでいました。よい学級も作れています。子どもたちは、よく反応し考えてくれました。どう揺さぶるかももずいぶん考えていたようです。だからこそ、具体的にどこに切り込むと気づけるのか、何を焦点化すれば深まるのかを考えさせられるのかが課題として明確になった授業でした。 いつも前向きに授業改善に取り組む先生です。今後の成長がますます楽しみになりました。 インパクトのある道徳教材で考えを深めるのは難しい
前回の日記の続きです。
8年生(中学2年生)の道徳の授業は、家族をテーマにしたものでした。 使用した読み物教材は、母親の顔の醜い火傷の後を嫌っていた主人公が、その火傷が自分を火事から守るために負い、主人公の負担にならないように家族がそのことを秘密にしていたのだと知り、母親の愛情を知るというものです。 授業者は、休み時間にちょっと気になる様子の子どもに笑顔で声をかけます。また、その様子を見ていた友だちが笑顔で声をかけていました。よい人間関係があります。子どもたちは全体的にちょっとテンションが高く子どもっぽいように見えましたが、時間がくるとすぐに自主的に席に着き、静かになりました。よい規律ができているようです。 最初に家族についてどんなイメージがあるかを問いかけます。漠然としたものですから、「大切」「かけがいがない」「いないと生活できない」といった表面的な言葉が続きます。授業者はそれを軽く受容して、すぐにこの日の教材のタイトル「美しい母の顔」を板書して資料を読み始めました。机の上には何も置かずに、聞くことに集中させます。 余計なことを言わずにすぐに教材に入ったのはよい進め方だと思います。子どもの発言を下手に切り返すと「今日の道徳はこういうことを言ってほしいんだな」と子どもたちが、授業者の意図を読んで発言してしまいます。 途中で話を止めて「顔がただれているのはどうしてだと思う?」と問いかけます。子どもたちを飽きさせずに集中させる方法の一つですが、その後しばらくは問いかけることなく読み続けました。時々顔を上げながら机の間を歩きますが、歩くことにあまり意味はありません。子どもたちは集中して聞いているので、前に立って一人ひとりの反応を見ることを意識する方がよいでしょう。 母親が忘れ物を学校に届けてくれた時に、主人公が冷たい態度をとったところで話を止めました。一問一答で内容を確認しますが、それよりも授業者が説明しながら、登場人物の気持ちを子どもたち自身の気持ちと重ねることを意識するとよいでしょう。主人公の気持ちに重ねるのであれば、「見られたら恥ずかしいんだよね」「届けてくれて助かったことよりも、その方が嫌なんだね」「みんなはこの人のことどう思う」「気持ちわかる?」といった言葉をかけてもよかったでしょう。 主人公が顔を真っ赤にして怒鳴りつけた気持ちを問いかけ、ワークシートに書かせます。授業はこの後真実を知って主人公が泣いている時の気持ちを問うのですが、ワークシートにはこの発問も、最後のこの後どう生きていくと思いますかという発問も書かれています。子どもたちは先が見えるので、それに沿って思考をしてしまいます。ワークシートを使うのであれば、問いは書かない方がよいでしょう。 ある程度時間をかけてから子どもたちの意見を聞きますが、「恥ずかしい」「二度ときてほしくない」「学校に来てほしくない」といった言葉が続きます。授業者はそれをしっかりと受容しますが、ここは子どもたちの意見をもとに深めるような場面ではありません。ここは時間をかけずに、次々指名して主なものを板書に残しておけば十分だと思います。子どもたちを主人公の気持ちに寄り添わせたいのであれば、「あなたたちは、どう思う?やっぱり怒鳴る?」「主人公のことどう思う?」といった問いかけをしてもよいでしょう。 続いて母親の火傷の理由を父親から聞いて、主人公が母親の膝の上で泣きじゃくるところまでを読んで、内容の確認をします。いくつの時に、どんな状況でといったことをここで押さえることは、さほど重要ではありません。子どもたちは真剣に聞いていたので、すぐに本題に入ってよいと思います。 授業者は泣きじゃくるという言葉に注目して、「泣きじゃくるって、どんなかんじ?」「やってみて」と促しますが、子どもたちはすぐには動きません。「泣きじゃくったことある?」「どんな時に?」と重ねて問いかけても言葉がなかなか出てきません。「そんなにないよね。どういう時に泣きじゃくるの?」と主人公に感情移入させようとした後、主人公の気持ちを想像してワークシートに書かせました。かなりの時間をかけますが、子どもたちからは、「命を守ってくれてありがとう」「ひどいことを言ってきて恥ずかしい」といった言葉が続きます。この話の内容であれば、どうしても同じような言葉に収束してしまうのです。 一通り意見を聞いた後、なぜ母親が事実を隠していたのかを問いかけます。子どもから「ショックを受けるから」という言葉が出てくると、同じように思うかを全体に確認して、結論づけます。ここで醜いと思っていた母の顔を美しいと思うようになった主人公は、どのように変わったのか、何に気づいたのかと問いかけ、主人公はこの後どう生きていくかを書かせます。 自分の考えを書かせた後、グループで聞き合いますが、深まる様子がありません。 発表をさせますが、「これからお母さんに尽くそう」とか「二度とひどいことを言わない」といった、どこか他人事の発言が続きます。「主人公は……」と主人公を主語にしたので、どうしても他人事になってしまうのです。 最後に感想を書かせますが、深まりのないまま終わることになりました。ここまでの活動で子どもたちに考えさせ、それを深めようとしていましたが、資料を読んですぐに感想を書かせてもあまり変わらなかったように思います。 どう展開すれば、子どもたちの心をより耕すことができるのでしょうか。家族の愛情をテーマにするのであれば、主人公ではなく母親の気持ちに寄り添って授業を進めても面白いかもしれません。娘に冷たい言葉を掛けられてもニコニコしている母親の気持ちを、「どうして、ニコニコできるの?」「普通、怒らない?」と揺さぶり想像させます。主人公が母親の火傷の真相を知るところまで読み進めた後に、冷たい仕打ちをされた時の母親の気持ちをもう一度質問し、この母親をどう思うかを問いかけ、子どもたちの考えの変化を対比することから、考えを深めさせるのです。 反抗期に入る時期ですから、ちょっとねらいを変えて、親とのかかわり方といったことを考えさせてもよいかもしれません。母親の気持ちを問いかけた後に、母親ではなく主人公のことをどう思うかを共有させます。「知らなかったから仕方がない」「そもそも母親をひどく言うのはおかしい」といった言葉を引き出し、「あなたならどう?」と最後に問いかけて自分のことを振り返らせるのです。 インパクトの強い教材だったので、同じような意見や反応になってしまい、多様な意見が出づらく、子どもの考えを深めることが難しかったように思いました。子どもたちと授業者の関係がよいだけに、そのことがよく見えたように思います。ビフォア・アフターを対比させたり、気持ちを考える登場人物を変えて異なった立場からみたりすることが一つの方法かもしれません。私もこの授業から多くのことを学ぶことができました。ありがとうございます。 この続きは次回の日記で。 何を焦点化するのかを意識する
2学期に行った小中一貫校での授業アドバイスです。
9年生(中学校3年生)の道徳の授業です。教材資料は、3人でサッカーをして遊んでいる時に、猫から鳥のひなを助けようとして一人がボールを投げたら窓ガラスが割れ、そのことをその子どもが先生に報告に行く間に、もう一人とボールを蹴っていた主人公が隣の窓を割ってしまうという話です。先生が来た時に、もう一人の子どもが2枚ともひなを助けようとして割れたことにしてしまったため、主人公は本当のことを言いだす機会がなくなり、悩んだ結果、翌日事実を伝えようと決心するというところで終わります。 授業者は最初に「今までの人生で、その場の雰囲気で流されてしまったことはありますか?」と問いかけます。「うなずいている人がいますが」と反応した子ども見つけて「話してくれますか」と声をかけます。子どもの反応を活かそうとするよい姿勢です。声をかけた子どもはちょっと困ったような反応をします。「言いにくいエピソードもあるよね」と笑顔でうまく流しました。子どもたちを柔らかく受容することができています。このやり取りをよい表情で聞いている子どもがたくさんいることが印象に残りました。 何人かの子どもが雰囲気に流されて何かの集まり参加したといったことをつぶやいてくれます。授業者は「やっちまったあということない?」と一人の子どもを指名しました。子どもたちの体が一斉にその子どもの方を向きます。指名された子どもは雰囲気に流されて、ほしくはない帽子を買ってしまったエピソードを話してくれました。その場に笑いが起こります。嘲笑ではなく、温かいものです。授業者も「そういうことね」と笑って受け止めます。 子ども同士の人間関係も以前と比べてよくなっているように思いました。子どもの反応や発言が大事にされていることがよい結果をもたらしているように思います。 ねらいと違うことしか出てこないので「みんなにはそういう経験がないんだね」とまとめた後、授業者は自分の経験を話しました。給食の時間、献立の豆を投げた友だちにつられて、つい面白そうだと自分も投げてしまって、後でしっかり怒られたというものです。こういう話をすることで、この授業の方向性を示唆したことになります。今日の道徳は、「友だちにつられていけないことをしないようにしようという話ではないか」と、子どもの考えを限定することにつながるので、注意が必要です。ここは受容だけして先に進むとよかったと思います。 資料は子どもたちに配らずに授業者が範読します。顔上げて聞く子ども、瞑想するような姿勢で聞く子どもといろいろです。授業者は資料を渡していないので、内容を理解させることを意識して丁寧に読み進めます。しかし、テンポが遅いので中には集中を切らしている子どももいます。大事なところは授業者が強調したり、板書したりすればよいので、内容に大きく関係しないところは速く読んだり、場合によっては省略してしまってもよいと思います。考えることに時間を取れるよう、早く内容を理解させることを心がけるとよいでしょう。 授業者は途中で止めながら、登場人物は誰か、何をしたかといったことを問いかけ、口頭で確認して先に進みます。主人公がガラスを割った場面で、誰が割ったかを確認しましたが、混乱している子どももいました。ここで、登場人物の絵を貼って誰が何をやったかを板書しましたが、登場人物が混乱しやすい話なので、その都度黒板に整理しながら進めるとよかったと思います。 資料を読み終った後に、再度問いかけながら内容を丁寧に確認します。一部の子どもは内容がわかっているせいか、集中を失くしているのが気になりました。授業開始から資料を読み終るまでに12分、「先生に実は自分がやったと言いに行くかどうか」という問いに行き着いたのが17分後でした。早く子どもたちに活動をさせるために、考えさせたい場面とそれにつながる状況整理に絞り、教師主導でテンポよく進める必要があったと思います。 ワークシートを使って自分の立場をはっきりさせます。「行く」「行かない」のデジタルではなく、「行く」と「行かない」の間のどのあたりなのかを線分上に記させます。アナログにすることで、それぞれの要因をたくさん出させようというねらいでしょう。 子どもたちにマグネットで自分の立ち位置を黒板の線分上に置かせます。それぞれの立場を見える化するやり方です。 マグネットをもとに授業者が指名をしていきます。「行く」が強い子どもを最初に指名しました。「罪をなすり付けると罪悪感で苦しむ。言いに行くことで関係が悪くなるようなら本当の友だちじゃない」という意見です。授業者はその考えを受容して板書しますが、多くの子どもが手元を見たり、ボーっとしたりして見ていません。発言者に体を向けて聞いていたのと対照的でした。ていねいに板書をするより、「同じように思った人?」と考えをつないだり、近い場所にマグネット貼っている人に「あなたの考えに近い?違うところある?」と異なる意見を引き出したりした方がよかったと思います。 授業者は先ほどの子どもより、やや「行かない」に近い子どもを指名します。指名された子どもは「行く」理由を説明しますが、授業者はそれを受容した上で「行かない」側にすこし近い理由を問いかけました。アナログのよさを理解していまが、残念ながら問い返された子どもは、うまく答えることができず「何となく」と返しました。「何かあると思うけど……」と言いながら「なんとなく」と板書しました。ここでも先ほどと同じように子どもたちは板書に注目しません。どうやら、この場面に限らず、発言者と先生の間の1対1のやり取りが多く、発言は気なるけれど、結局は他人事になっているのが原因のようです。 「行かない」理由は、「先生に怒られる」「黙っていようといった友だちに殴られる」といったものが出てきます。それに反応して「殴るようなものは友だちではない」と意見をつないでくれる子どももいます。授業者は基本的に受容をするだけで意見をはさまなかったのですが、ここでは「正直に言いに行ったら友だちとの関係が悪くなるかもしれないが、それでも意見が変わらないか」と揺さぶりました。しかし、子どもたちの意見は変わりません。その理由を何人かに発表させますが、「時間が解決してくれる」「それで関係が悪くなるようなら本当の友だちじゃない」といった意見です。どうにも他人事です。自分のこととして考えていないのが気になります。「あなたの一番の友だちだったら」「あなたならどんな気持ちなる」と自分に引き寄せさせるような問いかけが必要だと思いました。 また、「怒られたり、殴られたり、嫌な思いをするからなの」と焦点化したり、「そういうことがなければ、行くの?」「罪悪感ですっきりしないのとどっちが嫌かの問題?」と揺さぶったりしてもよかったかもしれません。揺さぶることで、嫌かどうかという気持ちの問題ではなく、人として自分はどうあるべきかという視点が出てきたかもしれないからです。 ここでグループでの話し合いに入ります。授業者は「行かない」派の子どもたちに、今「行く」派の子どもたちが言ってくれた理由よりも強い理由があるはずなのでそれを伝えるようにと焦点化しました。しかし、結局は自分としてはどちらの要素をより重視するのかという気持ち的なところに行ってしまいます。正しいとわかっていてもできないという葛藤を起こさせたところでした。 先ほどまでの様子と違って、子どもたちはとてもよい表情で話し合っています。ここでも、人間関係がよくなっていることを感じました。しかし、妙にテンションが上がります。焦点化が気持ちという議論しづらいところになっているために、考えを言い合うだけで、相手の意見をもとに考えたり、揺さぶられたりしないからです。あるべき姿とそれを妨げる要因との葛藤に焦点化して話し合うとよかったでしょう。 話し合いの結果自分の意見が変化したかを確認しますが、一人だけです。その子どもは友だちの意見を聞いているうちにわけがわからなくなって、どちらともつかなくなったということです。 ほとんどの子どもの意見が変わらない中、授業者は「行く」派の人に、「友だちと関係が悪くなることよりも、大切にしていることがあるのでは?」とどのようなことを話したのかをたずねます。この焦点化をするのであれば、話し合いの前にしておくべきでしょう。 授業者は予定した子どもを指名して「ここで逃げたら、また同じようなことがあった時に逃げてしまう」と発表させます。時間もないので、受容するだけで次の子どもを指名しましたが、「逃げるってどういうこと?」「逃げたらいけないの?」と揺さぶることで、考えを深めることができたと思います。 次の子どもは「正義」という言葉を使いました。自分にも責任があることなのに、言いに行かれるのを悪く思う友だちはおかしいというという理屈です。「正しいことをして友だちと関係が悪くなってもいいの?」といった揺さぶりをすることで、考えが深まるようなキーになる発言ですが、「2人に責任があるという意見だけれど、どう思う」とつなぎました。責任云々に焦点化すると話がずれてしまうように思います。 前半のただ意見を発表させている時間を短くすることで、状況はずいぶん変わったように思います。授業者は最初に、「雰囲気に流される」ということを話題にしました。「雰囲気に流されずに、正しい判断をする」ことを考えさせたかったのかもしれませんが、それを求めることは、現実には難しいことです。できるかどうかは棚に上げて、「○○するようにしたいと思います」といったきれいごとの結論になりそうです。それよりも「やってしまったことに対して、その後どうすることがよいことなのか」を考えさせるべきだったと思います。 道徳では、何を考えさせたいのかを明確にし、その上で子どものどのような意見を焦点化して、深めるかを意識することが大切です。このことを大切にして授業を構想してほしいと思います。 この続きは次回の日記で。 機器の説明会で外部をどう活かすか考える
昨日、私立の中高等学校の個人端末の説明会に参加しました。
この学校では生徒全員に授業や家庭での学習に使うiPadを貸与することになり、3学級を1単位として2日間かけて在校生に配布し、基本的な事項の説明を行いました。 概要説明は先生が行いますが、機器の確認や操作については納入業者やソフトの開発会社の担当者が行いました。 今回の先生の説明で気になったのは、禁止事項ばかりが強調されたことです。ルールを伝えることは大切なのですが、あれもダメ、これもダメと言われると気持ちが萎えてしまいます。こういった説明会では子どもたちにどういう気持ちになってほしいのかを考える必要があります。今回は、説明終了後、「さあこれからiPadを使って積極的に学習するぞ」と前向きになってもらうことを意識してほしいところでした。入室時には子どもたちから期待を感じたのですが、退出時には興味を失くしているように感じました。「○○してはダメ」という言い方よりも「△△するために、○○しないようにしましょう」といった方が前向きな気持ちになります。こういった表現も選択肢に入れることで伝え方の幅が広がると思います。 外部の方による説明は、残念ながらこれでは上手く伝わらないだろうというものでした。子どもたちはiPadなどの操作はできるという前提で、「○○をフリックして」「次に右にスワイプして」と言葉だけで伝えようとします。確かに「フリック」「スワイプ」といった言葉は、今の子どもたちには通じやすい言葉かもしれませんが、中にはこういった言葉はよくわからない子どももいるかもしれません。せっかくプロジェクターとスクリーンが用意してあるのですから、こういったものを活用して操作の様子を見せて、視覚に訴えて伝える工夫も必要です。 また、全体を構造化して説明することも大切です。機器の確認であれば、最初にこれから何をするのか、スライドで先に示すとわかりやすくなります。「本体の確認」「附属物の確認」「書類の確認」「ソフトの確認」といった流れを示してから個々について指示するだけでもずいぶん見通しが違います。 ソフトについても、一つひとつの指示をしながら操作させ、その合間に何の操作かを説明するので、自分たちが何をしているのかよくわかりません。「ソフトの全体像」「主な機能」「基本的な操作方法」「各機能の説明」「機能毎の操作例」というように構造化して説明をし、それから実際に操作を体験させるとよくわかると思います。全体像が見えているので、こまかい操作は類推してできるようになるはずです。たとえ教えることは素人でも、これらのことは一般的なプレゼンテーションにも共通することです。こういった場に立つのであればもう少し勉強しておいてほしいと思いました。 外部の方に子どもたちの前でお話ししていただく機会は意外と多いと思います。先生方はあれこれ注文を付けるのは失礼だと思って、おまかせということが多いようですが、そうではなく、内容や進め方について事前にしっかりと打ち合わせをしてほしいと思います。主導権を先生が握って、外部の方と対話的に進めたり、子どもたちと問答をしたり、時には先生が「よくわからないのですが」と質問したりすることで、より伝わることもあると思います。単に司会進行だけでなく細かい内容も含め、全体を先生がコントロールすることを心がけてほしいと思います。 今回最後の学級では、ネットワークのトラブルでソフトを操作できない端末が多数出てきました。そこで、急遽パスワードの設定などのオフラインでできる設定作業に内容を変更しました。対応された先生は、急なことにもかかわらず的確に指示をして滞りなく進められました。授業力のある先生にとっては、こういう事態も授業と同じように対応できることをあらためて感じました。 説明会を通じて感じたのは子どもたちの態度のよさでした。あまり上手ではない外部の方の説明もしっかりと聞こうとしていましたし、ネットワークのトラブルにも不満をあらわにせず、落ち着いて待つことができていました。子どもたちのこの姿を大いにほめてあげたいと思いました。 1人1台の端末を持たせる場合、校内のネットワークの構築と外部との接続について技術的に難しい問題がたくさんあります。この学校ではこういったインフラに課題がかなりあることがわかっています。当面厳しい状況の中での運用ですが、できるだけスムーズに進めるようにお手伝いさせていただくつもりです。 子どもたちに教科でつける力を考える
前回の日記の続きです。
高校1年生の数学は統計の代表値の学習でした。 復習として三角比の小テストを行っています。0°≦x≦180°の三角比の値を埋めるのが問題です。驚いたのは、だれも単位円を使って値を求めようとしていないことでした。三角比の値は覚えるような物ではありません。定義がわかっていればその場で確認すれば済むものです。それを小テストとして何度もやっているようですが、0°の時は、30°の時はと覚えている子どもがほとんどなのです。問題を解くのに覚えていれば少しは早くできるかもしれませんが、数学的には意味のあることではありません。授業者が数学とはどのようなものと考えているのか、疑問を感じずにはいられませんでした。 小テストの後、代表値の学習に入ります。中学校でも平均などの代表値は学習しているので、教科書を見て自分たちで問題を解かせました。子どもたちはやることが明確なので、積極的に取り組みます。しかし、ただ与えられたデータをもとに計算をするだけ、新しい気づきや考えることはありません。答が出れば互いに笑顔で確認をする場面も見られ、よい雰囲気の学級でしたが、子どもたちは問題の答を出すことが数学の学習だと思っているようでした。解けてしまった子どもはすることが無くて手持ちぶさたです。単なる作業の連続で数学の学習にはなっていません。 標本数が偶数の資料の中央値の問いは、「教科書の何行目を読むと……」と説明します。天下りでこうだと教えるのではなく、どうするとよいだろうと合理的に考えさせることが数学的な見方・考え方につながります。この考えを発展させれば連続的に分布する場合の中央値も自分たちで定義できます。社会に出れば定義を考える場面はたくさんあります。そういった時に数学の学習がとても役に立つはずです。現実の世界と数学の世界を自由に行き来できる子どもを育ててほしいと思います。 代表値の学習では、「平均値」「中央値」「最頻値」と代表値は何種類もあるけれどどうしてなのか。ある事象を考える時に有用なのはどの代表値だろうといったことを考えることが大切です。こういったことを考えずにこの値を求めなさいと言われても、表計算ソフトなどがこれだけ普及した現在、子どもたちにその必然性はありません。計算できることよりもその意味がわかることの方がより重要です。 授業者が、まず教材の意味を理解していなければ子どもたちがそのことに気づくことは困難です。数学とは子どもたちどんな力をつける教科なのかをしっかりと考えてほしいと思います。 来年度から言語技術の学習を取り入れようと動き始めています。このことについて相談を受けました。こういった新しい試みに関する相談が増えています。担当者はどのように進めてよいか不安で、どうしようかと悩む日々だと思います。学校全体でコンセンサスを取ることもなかなか容易ではありません。ご苦労のほどがうかがえます。しかし、この経験が教師としての力を伸ばすことにつながります。校長や私のような者がこうしなさいと指示することは簡単です。そうではなく、自分で考え悩み、時には失敗もし、そこから学ぶことで、足が地についた実践となっていきます。こうした先生方の努力が学校全体の力となっていきます。側面からですが、私もできるだけの支援をさせていただきます。皆さんの成長を楽しみにしています。 先日行われた、来年度の中学校入試の適性検査の問題の報告を受けました。どのような子どもに育てたいか、学校の目指すものが伝わるような問題でした。「資料を見る力やそこから疑問を見つける力」「教科を横断して考える力」「プログラムのようなアルゴリズムや問題解決の視点を見つける力」などを見る問題でした。もちろん、まだまだ改善点もあると思いますが、先生方の思いがしっかりと観て取れました。抽象的な理念も大切ですが具体的な例を挙げることで、学校の目指すものがより多くの方に伝わると思います。問題をホームページで公表するとともに、その意図を説明するようにアドバイスしました。学校がよい方向に変わっていくエネルギーを感じました。 子どもの目線で授業を見直す
先週、私立の中高等学校で授業アドバイスを行ってきました。
子どもたちは全体的に落ち着いていて、笑顔も多く見ることができました。先生と子ども、子ども同士の関係もよいのですが、逆に上手くいっているために、先生方の授業改善の意欲が減少しつつあるように見えます。もちろん、色々と工夫をしている方もいらっしゃいますが、一方的な講義型の授業をしていても子どもたちがそれなりに参加してくれるので、問題だとは感じていない方が目立ってきているのです。そういう授業でも子どもたちは騒いだりはしませんが、かなりの割合で集中を失くしています。 今年度末から全学年でiPadの活用が始まります。これがよいきっかけになって、先生方の授業改善に対する意欲が復活することを願っています。 若手の国語の高校2年生の授業です。漱石の「こころ」で、Kがお嬢さんへの思いを私(先生)に告白する場面でした。 教科書には一部分しか掲載されていないからと、授業者がKの性格について一方的に解説します。本文の表現やKの行動を紹介して考えさせるのではなく、授業者の言葉(読み取り)で延々としゃべり続けます。情報量が多くて子どもたちが理解できていないのですが、それを感じて、すぐに同じようなことを別の言葉で言い換えます。子どもたちに理解させたいと思う気持ちが強いため、かえって余分な情報が増えて混乱させているのです。子どもが自分で考える場面が必要です。 説明し終わると、ワークシートを配ります。問いがB4用紙の裏表にびっしりと書き込まれています。これからは、この問いに答えていくことで授業が進んで行くようです。 問いに対して、一人の子どもが正解を答えると「そうだね」と言って、その何十倍も言葉を足して説明します。また、「おれが言ったことの中に答がある」という言葉を何度も使います。「私(教師)の求める答を探しなさい」と言っているようなものです。指名した子どもが期待した答を言ってくれないと、ヒントをいくつも言って無理やり答を誘導しようとします。子どもは授業者の説明がオーバーフローしていて、何を言われているのかよくわからないまま適当に答を言うので噛みあいません。本文をしっかりと読ませて、考える時間を与えることが必要です。 4択の問題では、その答の根拠になる文をわざわざヒントとして抜き出してありました。根拠となる文を見つける力をつけることが大切なのですが、その部分を一方的に与えているのです。指名した子どもが正解を選ぶと、授業者は正解とは言わないけれど実にうれしそうにその根拠を聞きます。根拠といっても、授業者が抜き出しヒントの一部分と選択肢の言葉が近いというだけです。授業者はそれを受けて、正解であると説明しますが、他の選択肢がどうであるかの吟味はしません。これでは子どもたちは授業者の与えたヒントをもとに正解探しをするようになってしまいます。 授業の大半が一方的な説明で、さすがに子どもたちは途中で集中力がなくなっていきます。授業者は、沈黙が怖いのでどうしてもしゃべってしまうと言っていましたが、子どもを信じて考えを持てるまで待つことが大切です。 授業者は子どもに文章を読み取る力をつけ、思考力をつけたいと語っていましたが、授業の実態と余りに乖離していました。子どもの目線で自分の授業を見つめ直すことが必要です。厳しいかもしれませんが、授業をICレコーダーで記録し、子どもになったつもりで聞いてみるようにアドバイスしました。子どもの立場で自分の授業を見ることで、何が問題か気づけると思います。 この続きは次回の日記で。 子どもの言葉を活かすためには、教師が解説をしない
研究指定を受けている中学校で授業アドバイスを行うことになりました。2学期の始めに1回目の訪問をしました。
授業研究に先立って、学校全体の様子を見させていただきました。小規模の学校で、子どもたちの雰囲気はとてもよいように思います。主体的に取り組ませよう、考えさせようという意識は先生方にあるのですが、見せていただいた授業は従来からの知識や解き方を教えて答を求めさせるという進め方です。主体的といっても子どもが単に活動することが中心で、どうすれば子どもたちが考えるのだろうという視点が弱いように思いました。 授業によっては一方的な指示が多く、確認もないので子どもが素早く動くことができません。教師がいつも指示をするのではなく、次に何をすればよいのかを考えさせる時間を取るとよいと思います。一問一答も目につきます。単に知識を問うのではなく、知識をもとに考える場面がほしいのですが、そういう場面が少ないのです。動画を見せる場面では、その内容について先生が説明していました。子どもは単に観客になっています。動画を見た後に何を質問すると事前に伝えることで、子どもはもっと集中すると思います。相談する場面では、テンションの高さが気になりました。子どもたちは授業を楽しんではいますが、学びを楽しんでいるのではないのです。活動を通じて何を学ばせたいのか、どんな見方・考え方を育てたいのかを持って意識してほしいと思いました。 授業研究は1年生の数学でした。1次方程式の応用の場面です。 最初に、「1次方程式と言えば?」と問いかけます。面白い問いかけですが、何を答えればよいのでしょうか。子どもたちはよい表情でしっかりと挙手をしますが、まだ参加する準備ができていない子どもがいます。すぐに指名しましたが、全員が参加できる状態を待ちたいところでした。指名した子どもは「〇x=b」と答えます。授業者は「こっちがbだったら?」と問いかけ、「ax=b」と修正させます。形式的な式にこだわらず、数人を指名する中で、「ax=b」という発言が出てくれば、それを取り上げて最初の子どもに「どう?」と問いかけてもよいでしょう。 1元1次方程式をどのように理解させるのかは意見が分かれますが、「ax=b」とパターン化していることが気になります。教師が求める正解探しから、授業が抜け出せていないようでした。用語にどこまでこだわるかは別として、「未知数(わからない数)が1つ」「未知数の次数は1次」「方程式だから等式なっている」といった言葉を出せたいところです。1元1次方程式が活用できるということは、これらの条件を満たす式で問題の条件が表わせるということです。こういったことを意識させないと、1次方程式の授業だから1次方程式を使うという発想になってしまいます。 この日のめあて「方程式を立てて、問題を解こう」を板書します。方程式を「立てる」という数学用語を使っていますが、定着しているのでしょうか。ちょっと心配です。この日は、方程式を立てることができるのが目標ですから、押さえておきたいところでした。 授業者はMさん(授業者をカリカチュアしたキャラクター?)を登場させます。お約束なのでしょう。子どもたちはよい反応をします。子どもたちを惹きつけるための工夫としてはよいと思いますが、できれば教材の中身で引き付けたいところです。 Mさんは80kgのマントをつけていて、50kgの仮面もつけています。最初の謎解きは、「Mさん6人分の体重と80kgのマントを合わせた重さは、Mさん1人分の体重と50kgの仮面を合わせた重さの4倍になった。Mさんの体重は何kgか?」というものです。 授業者はしゃべりながら問題を書きますが、子どもたちは問題を写す方を優先します。そもそも問題を写す意味は何でしょうか。「いいスピードで書けています」と評価して板書を音読させますが、まだ書いている途中の子どももいました。何となくで流すのではなく、全員きちんとできているかどうかを確認してほしいと思います。 問題を提示してすぐに自分で解かせますが、式を「立てる」ためにどのようなことが大切かということを、まず押さえておいて見通しを持たせることが必要です。問題文を書くのに「Mさん6人分の体重と80kgのマントを合わせた重さ」と「Mさん1人分の体重と50kgの乾麺を合わせた重さの4倍になった」に線を引き、その間の「は」を〇で囲んでいます。ヒントを授業者が与えるのではなく、ここに自分で注目できる力をつけることが大切です。授業者が誘導しようしていますが、そうではなく、この問題は1元1次方程式で解けそうなのかから考えさせたいところでした。 自分で解いた後、席を立って友だちを見に行くことをさせます。席を立たせると落ち着きを失くしやすいので注意が必要です。また、相談する相手が固定化されて、取り残される子どもが出てくる可能性もあります。そういったことがないように注意が必要です。できれば、今いる席のまわりで誰とでも相談できるようにしたいところです。 机間指導しながら、子どもたちの取り組んでいるノートを撮影します。「言葉の式を書いている人もいます」とノートを写して説明しますが、作業を止めないので、注目しません。一度作業を止めて注目させることが必要でしょう。 式を立てはじめた子どもが増えたところで、「方程式をつくるには何を文字に置くかです」と問いかけます。指名された子どもは「M一人分の体重をxにしました」と答えますが、なぜそうしたかを問い返しません。「同じ所を文字にした人?」と確認しますが、一人を除いて全員が手を挙げました。手を挙げなかった子どもはどうだったのかが気になります。結果ではなく根拠を共有してほしいと思います。また、授業者は黒板にx kgとkgを足しましたが、勝手に修正するのではなく、子どもたちに修正させたいところでした。 絵を描いた子どものノート写しますが、その絵の解説は授業者がします。それでは意味がありません。本人に説明させるか、他の子どもに本人に代わって説明させるといったことが必要です。子どもの考えをもとに進めているように見えますが、結局授業者の都合のよいものだけを拾って、自分で説明している講義型の授業になっているのです。 「は」は「=」と説明しますが、文脈を考えずにパターン化しています。これでは、思考力は育ちません。問題のパターンに応じた解き方を覚えさせているだけです。数学的な見方・考え方、どんな力をつけたいのかをもっと考えて授業を組み立ててほしいと思います。 子どもから「先生、これで合っていますか?」と声が上がります。正解の判定は教師がするものだという考えが子どもたちの根っこにあることがわかります。他の子どもとつなげたり、答が違っている時にどうやって考えればよいかといったことを問いかけたりすることが大事です。意見が違っていることを「いいね」と評価し、「比べながらどこが違うか見てごらん」と解決の方法を教えることが大切です。答が出たら本当に問題の条件を満たしているか確認するといったことも重要です。現実の問題に数学を応用する時は出てきた答が条件のすべて満たしているかを確認することが大切です。ある問題だけ、突然答として適当か確かめようとすることがありますが、そうではなく、いつでも確かめなければいけないのです。 子どもを指名して子どもの言葉で進めようとするのですが、常に授業者が確認、質問し、解説します。結局は教師主導型の授業なのです。 仮面と体重の4倍を4(x+50)ではなく、4x+50としてつまずいた子どもがいますが、「ここがひっかけというか、今回のポイント」とまとめます。この言葉は、問題を解くことは教師の意図を読むこと、教師の求める答探しというヒドゥンカリキュラムです。授業者は無意識で、子どもたちに解き方を教えようとしてコントロールしているのです。子ども同士、教師と子どもの関係はよいので、数学の授業でどんな力をつけるのかということを見直すことで、授業の質は大きく変わるのではないかと思います。 次回以降、具体的な授業改善につなげていきたいと思います。 数学におけるアクティブ・ラーニングのポイント
2学期に、高等学校の数学の先生対象の研修で講師を務めました。アクティブ・ラーニングをどのように進めたらよいかという内容です。
高等学校でもアクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)に対する意識は高まってきているようです。参加者のかなりの方が挑戦しているようでしたが、数学では子どもたちがグループで問題を解く活動と考えておられる方が多いようでした。「できる子どもが教えるので、他の子どもが考えないのでなかなかうまくいかない」といった声も聞こえてきました。 数学でアクティブ・ラーニングを考える時のポイントとして、次のようなことをお話ししました。 ・子どもたちのレベルに合わせた課題(仲間の助けが必要になる、相談したくなるようなもの)であることが必要 そのためには、教師が子どもをしっかりと把握することが大切である。 ・主体的に取り組むためには仕掛けが必要 明確な根拠がなくてもよいので、まずは自分の立場を持たせるとよい。自分の考えが正しいかどうか意識することによって考えたくなる。 ・正解を教師が解説しない 教師の解説を聞けばよいと思ってしまうので、自分たちで取り組む意欲がわかない。受け身ではなく、子ども同士の説明で納得する場面が必要である。 ・余韻が必要 子どもたちは、説明を聞いてわかったつもりになっていることが多い。深い学びは、新たな疑問が出てくることや、もう少しと考えたいと思うところから生まれてくる。「もやもやする」「もう少し考えたい」といった言葉が聞こえてくるような授業を目指すとよい。 具体的に「鈍角三角形をハサミで2回切った図形を組み合わせて長方形をつくる」という問題をグループで取り組んでもらうことで、アクティブ・ラーニングを子どもの立場で体験してもらいました。 最初に何種類できるかを問いかけます。2通り、4通り、・・・とかなり意見が分かれます。中にはできないという声も上がりました。挙手で確認した後、グループで問題に取り組んでもらいました。数学の先生方でしたが、意外とてこずります。こういった問題は高校の授業や大学入試で扱わないからなのでしょう。1つ見つけたグループから声が上がります。それを聞いて、まだ見つかっていないグループの動きが活発になります。こういうところは、子どもたちと同じです。 すべてのグループで見つけるだけの時間を取れませんでしたが、発表してもらいました。実際の授業でも、よくあることだと思います。一つのグループの発表が終わった後、反応をする方がいました。その方を指名すると、先ほどの答をもとに別のやり方を見つけたと説明してくれました。発表者と聞いている者がつながりました。全員が解けることにこだわらなくても、このようにつながっていけば、どの子どもも授業に参加できます。 この他にもまだ何通りかあることだけを伝えて、この場面を終わりました。この問題に再度取り組む方がいれば成功ですが、どうだったでしょうか。この活動で、主体的に取り組み、他者とかかわりながら、考えを深めることを目指すというアクティブ・ラーニングのイメージを持っていただければ嬉しいのですが。 最期に評価についてお話しして終わりましたが、時間配分が上手くできず、予定した内容をすべてお伝えできませんでした。申し訳ないことをしました。 今回久しぶりに、私の専門教科の数学についてお話をすることができました。数学におけるアクティブ・ラーニングについて考えるよい機会となりました。このような場をいただいたことに感謝です。 科学的な見方・考え方を意識して実験に取り組む
前回の日記の続きです。
理科の授業研究が2年生で行われました。唾液によるデンプンの消化の実験です。 小学校の復習で、ご飯を口の中で噛んでいると別のものに変わったことをヨウ素液の変化をもとに調べたことを思い出させましたが、一部の子どもの発言ですぐに授業者が説明していきます。記憶がはっきりしていない子どももいるので、もう少し他の子どもにも発言させて確認させたいところでした。ご飯を食べている時に別のものに変わっている実感が子どもたちにないことを確認し、「まずは実感してもらう」と、用意した小さな餅(団子)を子どもたちに配ります。音楽に合わせてしっかり噛むことを指示し、餅を口に入れさせます。テンションがかなり上がりましたが、口に入れれば、しゃべることもできませんので落ち着きます。1分ほどしっかり噛ませて、どんな変化があったか、変化がなかったのかを問いかけます。子どもからは「おいしい」「甘かった」という言葉が上がります。授業者は「甘くなった」と言葉を変えました。「甘くなったという人?」「おいしかったという人?」と子どもたちをつなごうとしますが、「甘い」「おいしい」ではなく、「変化」したことをしっかりと押さえたいところです。「甘かった?最初から?」と問いかけ、子ども自身に「変化」を意識させたいところでした。 授業者は、他の意見も子どもから引き出そうとします。液体になったという発言もしっかりと板書をします。「変化あった?」と問いかけられた子どもは、「あまり変わらない」と答えます。授業者は「あんまり変わらないね」とこの発言も受容します。どのような発言も受け止めようするのはよい姿勢です。「味は主観的なものなので、中々難しい」と言ってから、「中学校では別のものというのは、こういう風に教えます」と言って、「糖」を天下りで出しました。「今やったように、甘くなった、変化した、しなかった、おいしい、まずいではよくわからないから、理科的には困ります」と説明して、「糖になったことを確かめよう」とこの日の課題を提示しました。 子どもの発言を引き出すための手立てとして餅を食べさせるというのは面白いと思います。発言を受け止めることもできています。しかし、子どもの発言を焦点化して、課題をつくることが上手くできていません。前提となることをきちんと整理し、小学校の知識ともうまくつなげる必要があります。 まず、餅はお米から作られていて、小学校で学習したデンプンであることを知識として押さえておく必要があります。その上で、噛んだ後変化した、しなかったと意見が分かれたことから、舌では変化がよくわからないこと確認します。甘いとい意見もあったので、甘いものに変化したかもしれないことを押さえ、糖になったと結論づけるのではなく、甘いものの例として「糖」を出し、もしかすると糖の仲間になったかもしれないという仮説を立てるのです。 どのように実験するのか、手順は授業者が天下りで説明します。デンプン溶液は2つ用意してあります。ここで、なぜ2つあるのかと問いかけますが、何を知りたいかという実験の目的で手順や実験内容は異なります。手順の説明に入る前に、このことをきちんと整理していないことがとても気になりました。唾液を入れたのと入れないのをつくるためと言うのですが、温度については小学校の時に温めたのでと何も考察せずに40度と指定します。比較実験を意識しているのですが、どの条件を変えて比較すべきかは仮説によって変わります。デンプンを噛めば糖になることを示すのであれば、先ほどの餅を噛む前と後で試薬を使って確認するだけで十分です。比較をする必然性もきちんと考えさせることが大切だと思います。 丁寧にやるには時間の関係で工夫が必要ですが、まず先ほどの餅をもとに、試薬の説明や糖になっているのかの確認を授業者が演示し、その上でどんな実験をするとよいか考えさせると面白いと思います。例えば、餅ではよくわからないので、どんな実験をしようと問いかけるのです。米粉を溶かしたデンプンを使う必然性が生まれます。また、失敗から学ぶことも大切ですが、失敗させる時間を取ることはむずかしいので、あらかじめ常温で実験をしてうまくいかなかったビデオを見せて、どうしようと考えるという方法もあると思います。上手くいかなかった原因を考え、仮説を立て、どんな実験をするのかを構想するのです。デンプンのせいなのか、時間が短かったのか、撹拌が必要なのか、唾液の量なのか、子どもたちから出てきたものをもとに実験をグループごとに考えさせ、それらの結果を集めて考察するのです。 授業者は実験の条件を同じにするために、唾液は全員のものを入れるように指示します。こういった実験全般に共通する注意を手順の途中にはさみます。このことは大切なのですが、手順の中で説明すると押さえが弱くなります。実験に関する共通の注意、比較実験であれば「条件をそろえる」「比較する時は条件を一つだけ変える」といったことですが、を最初に子どもたちに問いかけてまとめておき、その上で、実験を構想したり、手順をどうすればよいか、なぜこのような手順を踏むかを問いかけたりするとよいでしょう。 糖の検出の試薬としてベネディクト液を使いますが、授業者は実際に反応を見せずに口頭で糖があるとオレンジ色に変わると説明します。ビデオ等を使ってデンプンと糖との反応の違いをきちんと確認しておくとよいと思います。この時、糖として何を用意するかが問題です。子どもたちは糖というと砂糖しかイメージしませんが、ベネディクト液はショ糖(砂糖)とは反応しません。そこで、麦芽糖やブドウ糖などをいくつか用意して、代表者になめさせて甘いことを確認した後、それらで実験した結果をビデオで見せるとよいでしょう。中学校の範囲を逸脱するのでショ糖をどう扱うかは難しいところですが、ショ糖は反応しないことを実験で押さえておいてもよいかもしれません。 手順に沿って、注意事項もその操作といっしょに説明するので説明が長くなり、子どもたちは長時間受け身の状態が続きます。よく集中していたのですが、さすがに集中が切れてくる子どもが出てきます。説明が終わると子どもたちは一斉に体を動かしました。それだけ受け身の状態が続いていたということです。 子どもたちは素早く実験に取りかかりますが、注意事項が多かったため、徹底できていません。試験管を突沸させてしまうグループもありました。また、温度計は使うたびに洗うことを指示していませんでした。唾液が混ざってしまう可能性もあります。授業者は途中で気づいて指示をし直しましたが、授業者自身も注意が多すぎて整理できていませんでした。 子どもたちの集中力を考えると、実験の流れを説明して全体像をつかませてから、注意事項を説明するとよいでしょう。ディスプレイにスライドで実験の流れを映しておいて、注意事項をその横にポップさせておくといった工夫をすれば分かりやすくなると思います。口頭だけではなく、視覚に訴えることも意識するとよいでしょう。注意事項ごとにその場面をビデオで見せるといった方法もよいと思います。 一度実験をした後、比較実験を意識して、デンプンの種類、温度など、自分たちで条件を変えて実験をさせます。しかし、その必然性がありません。条件を変えることで何を知りたいのか、何がわかるのかといったことを意識させることが必要です。子どもたちが思考する場面がほとんどなく、実験という作業に終始してしまいました。 実験終了後、グループを混成にして何を変えてその結果どうなったかという実験結果を共有しますが、子どもたちは互いの結果を写しているだけです。条件を変えた意図、実験結果から何がわかったということを共有して、それをもとに何が言えるかを話し合わせたいところでした。 もとのグループに戻り、個人で考察を書かせた後、個別に発表させます。最初に指名した子どもは「唾液を入れたものはベネディクト液でオレンジ色になったので、糖に変わった」という事実を発表してくれます。子どもたちは授業者が板書をするとすぐにそれを写します。発表をもとに考えを深めるという経験を日ごろからしていないことがわかります。結果、結論だけが重視されていることが気になります。続いて、それ以外に何かないかとたずねると「デンプンは唾液によって糖に変わる」ということが出てきました。授業者は、それを軽く流してしまいます。これらの発言は、もっとていねいに扱う要があると思います。「唾液を入れれば糖に変わるの?絶対?」といったやり取りが必要なはずです。というか、条件を変える実験の前にこのやり取りをするべきなのです。そのことを確かめるために実験をするのですから。 この授業をつくるために予備実験を含めてずいぶん時間をかけたようです。条件を変えて比較実験をするなどの工夫も見られるのですが、科学的な見方・考え方として何を大切にするのかが明確になっていません。実験をする必然性を子どもたち持たせることができていませんでした。「何がわかっていて、何がわかっていないのか」、「どのような実験をして、どのような結果が出れば仮説は正しいといえるのか」といったことと、実際の実験がつながっていないのです。活動中心の授業になってしまったのが残念でした。実験のアイデア自体はよいので、科学における実験とはどういうものかをきちんと意識して、授業を構成できるとよかったと思います。 まず、実験する前に何がわかっているのかをしっかりと押さえ、その上で、子どもたち問いかけたり揺さぶったりしながら、何がわからないのか、どうなりそうなのか予想させるといったことから授業改善を始めるとよいでしょう。 まだ若い先生なので、この経験を活かして次につなげてほしいと思います。 授業規律を全員参加、授業への集中につなげる
2学期初めに訪問した中学校での授業アドバイスです。
1年生の数学の授業は、子どもの姿がバラバラなことが気になりました。やるべきことがはっきりしている時は参加できるのですが、指示がよくわからなかったり、問題が解けた後にすることが無かったりすると、ボーとしている子どもが目立ちます。机間指導をしてはいるのですが、できた子どもに対してほめることや具体的な指示はありません。困っている子どもには個別に指導をするのですが、その子どもにかかりきりになると、全体を見ることができずに他の子どもがだれてしまいます。 指示をした時はできた後のことも先に指示しておくとよいでしょう。そして、すぐに机間指導するのではなく、全体の様子を見て指示が通っていないようなら、再度指示をし直すことも必要です。また、困っている子どもが多いようでは個別に対応することは難しいので、まわりと相談させるとよいでしょう。 指名した子どもに問題の答を板書させますが、他の子どもはそれを見ているわけでもなく、ボーとしています。これではその時間がムダになってしまいます。答ではなく過程や根拠を意識させることで、この時間を有効に活用できるかもしれません。具体的には、板書の説明を本人ではなく、他の子どもにさせるようにするのです。そうすることで、友だちの板書を真剣に見る必要が出てきます。 子どもたち全員が参加することを意識してほしいと思います。 1年生の社会科の授業は、授業規律がしっかりできていて、子どもたちがよく集中していました。ディスプレイに課題や指示を大きく写すので、子どもたちの顔がしっかりと上がります。また、子どもたちに作業を指示した後も、ディスプレイに指示を残しているので、内容がわからなくなった子どもも安心です。いずれもちょっとした利用方法ですが、うまくICTを活用できていると思いました。 子どもたちはノートやワークシートが必要な場面では素早く取り出します。授業者が話に集中させようとして「顔を上げてください」と言えば、すぐに全員が反応します。しかし、この時期であれば指示しなくても顔が上がってほしいと思います。いつまでも指示をして子どもを動かしていると、指示されたことしかやらなくなるので注意が必要です。 資料をもとに考える場面では、「共通点」「相違点」を見つけるという視点をはっきりと与えていました。1年生なので、こういったことを教えることも大切です。子どもたちが資料をぱらぱらめくりせず、きちんと読みながらめくっていました。課題に集中している証拠です。 この学年で気になるのは、同じ学級でも、授業者が変わるとこういった子どものよい姿が見られなくなることです。授業規律は学年全体で意識するようになって、どの授業でも一定のレベルには達しているのですが、それが形式的になって全員参加や授業への集中につながっていない時があるのです。このことを授業者が意識しているかどうかにかかっているようです。子どもたちが授業者に合わせていると言い換えてもよいかもしれません。この点が学年の課題だと感じました。 3年生の社会科は自衛権や戦力について考える場面でした。 授業者は日本の現状で「うん!?」と思うことを子どもに出させます。子どもの疑問から課題をつくりだそうとしているのですが、疑問と言わずに「うん!?」という言葉にすることで、意見を出しやすくしています。面白い問いかけ方だと思いました。 ただ、日本の現状と言っても子どもたちにどれだけの知識があるのかちょっと疑問です。新聞記事、教科書の資料などを与えることも必要でしょう。この学校では環境的に難しいのですが、ネット等の利用を選択肢に入れることができれば、かなり状況は変わると思います。 子どもたちは授業に前向きに取り組もうとしています。すぐに鉛筆を持つことからもわかります。しかし、そこから手が動かない子どもが結構います。相談してよいと言うと、困っている子どももかかわることができるのですが、座席の距離が空いているのでやりにくそうに見えました。グループの隊形にして作業をさせてもよかったかもしれません。 相談しても、互いに考えがないので何も書けていない子どもが結構いました。授業者は書けた子どもを指名して考えを聞いていくのですが、書けていない子どもとつなぐことをしてほしいと思います。「似たようなことを書いた人?」と書けた子ども同士をつなぐだけでなく、「書いていないけど、『うん!?』と思った人?」とつなぐのです。 この授業者の目指す方向性はとてもよいと思います。「子どもが考えるために必要なものを考え、それをどのようにして子どもたちに与えるのか」、「考えを持てなかった子どもをどのようにして参加させるのか」といったことが次の課題だと思います。まだ、若い先生ですので、今後の成長が楽しみです。 この続きは次回の日記で。 ルールを類推させることを意識する
夏休みに、市主催の初任者対象の研修で講師を務めました。初任者と希望する先生方が参加します。初任者の代表の模擬授業をもとに授業解説を行い、その後私が講演をするという流れでした。
初任者の模擬授業は小学校3年生の算数の授業でした。単元は一億までの数です。 授業者は子ども役の言葉をとてもよい笑顔で受容できます。日ごろから子どもを受容することを意識していることがよくわかる授業でした。 最初に数字を使ったクイズを行います。「6944」と書いた紙を見せてこの数が何の数かという問題です。単に数字の羅列にも見えますから、子どもたちに一度読ませるとよかったでしょう。実際の子どもであればもう少し反応してくれたでしょうが、大人なので反応が出てきません。一人が「人間の数」と言ってくれたので、「どういう?」と聞き返します。「世界中の」という答に笑い声が起きますが、授業者は「いいね。いいねえ」と上手に受けます。ちょっとずれた答、笑いを誘ってしまう答に対してこのような受容の仕方ができるのはたいしたものだと思います。きっと学校では安心な学級づくりができていることと思います。 「みんなに関係のある数です」とヒントを言って子ども役に答えさせようとします。しかし、この数が何なのかは、算数的に意味はありません。時間をかける必要はないのです。子どもの反応の多寡にかかわらず、すぐに「○○市の小学生の人数」と答を言ってしまった方がよいでしょう。 答を言った後、「愛知県では?」「全国では?」と問いかけ、大きな数になることを子どもたちに意識させ、この日の授業につなげようとしていました。そうであれば、実際の愛知県や全国の小学生の数を提示し、その数を例にして授業を進めた方がよかったかもしれません。 「一億までの数」という単元名を書いて、「一億や大きい数って……」と説明を始めますが、億はまだ学習していないので、大きいということもよくわかってない子どもがいるはずです。全国の小学生の数や日本の人口などを与えて、「億という言葉が出てきたね。これがどのくらいの大きさかわかるようになるのがこの単元だよ」といった導入でもよかったかもしれません。 大きな数を実感させるために、1を表わす小さな紙をもとに、それを10集めた紙、100の紙、1000の紙と見せながら、大きさを視覚化します。このこと自体はよいのですが、何を押さえるべきかが曖昧です。ここは、「位」という言葉を意識することが大切です。束が「10集まると次の位になる」ことを子どもに言わせることが必要です。 「千の次は?」と問いかけると「1001」という答えが返ってきました。授業者は笑って受け止めました。大人だからの発言かもしれませんが、言葉が曖昧であったことは否めません。「千の束が10集まると?」とか「千の次の位は?」といった聞き方をする必要があったと思います。 子どもたちに1万がどのくらいの大きさになるか想像させ、手で示させます。千単位で色を変えた紙をつなげたものを折りたたんでおいて、「2千」「3千」と言いながら一つずつ開きます。記数法を意識しているのだとは思いますが、大きさを確認して終わります。 続いて丸めた紙を見せて、子ども役を一人手伝いに呼びます。子ども役から「2万」「1億」と声が上がり、「1億。おお、とんだ」と返します。最初に「億」を出したために「億」が出やすい状況になっているのでしょう。「とんだ」と言われても何のことかわからない子どもはたくさんいるはずです。ここは、「なるほど」とさらりと受け止めるべきでしょう。 紙を広げていくと窓側から廊下まで届くほどです。数の大きさを実感させる面白い工夫でした。 「これで何万ですか?」とたずねますが、この発問は要注意です。「一万」「二万」・・・と数えて行くと、自然に「十万」が出てきますが、これは当たり前ではないのです。千までと同じルールであれば、次の新しい位の名前が出てこなければいけないからです。万以降はこれまでと位取りのルールが変わっていますので、ここは「1万がいくつ?」と聞くべきなのです。「1万が10だから次の位になるね」と位取りのルールを意識させるとよいでしょう。また、百が十集まっても十百とは言いません。億と言った子ども役は、万の次の位が億だと考えたのかもしれません。大人にとっては当たり前かもしれませんが、異なったルールになっていることをきちんと押さえなくてはいけないのです。 この後、めあて「一万の位のまでの数の表し方やしくみについて調べていこう」を提示します。これまでの場面では、位という言葉も押さえられておらず、大きさを実感させるだけでめあてにつながっていないことが残念でした。 位ごとにまとめた紙の束の図を黒板に貼り、下の位から順にその数がいくつになるか答えさせます。数字を貼って、漢字でその表わす数を書いていきます。数を数えるのに、位ごとの束にすることが前提になっていますが、細かいことを言えば10進位取り記数法を使っているからこうするわけです。10の束ずつにまとめていることをしっかりと先に確認した方がよいと思います。 千の束が4つで二千という子ども役がいました。授業者は大きく「うんうん」と受容して、理由を聞きます。「千の束が4つだし、二千じゃない?」と返ってきました。授業者は「そう考えてくれたんだね、どうだろう?」と受け止めます。あえて自分で説明しようとせずに他の子どもの意見を待ちました。なかなかできない対応です。初任者としては立派だと思います。ここで一人の子ども役が挙手して「千の束が4つあるから四千じゃない?」と答えます。その発言を受けて、「うん、うん」とうなずいて、勢いよく復唱します。いかにも待ってました感がありました。「納得してくれた?」と聞くと、うなずいてくれたのでそれでよしとしましたが、実際の子どもの場合、納得できていなくてもその場の雰囲気に負けてしまうかもしれません。本人に説明させて確認したいところでした。 間違えた子どもがいた場合、どこでつまずいているのかを確認する必要があります。この場合であれば、紙の束を使いながら、「千が2個だといくつ?」と聞いて「2千」と返ってくるのか、逆に「二千は千の束がいくつ?」と問いかけるとどうなのかを確かめるといったことが必要でしょう。 授業者は、「みんなが言ってくれたのをまとめて読もうと思います」と言ってから、「四千と五百と六十と三。ばっちりでしょう」と問いかけます。子ども役がざわついたのを受けて、「どうやって読んだらいいの」と返しますが、このやり取りはあまり意味がありません。数の読み方はルールです。考えることにあまり意味はないのです。もしやるならば、小さい数の読み方を確認して、そのルールに従えばどう読むことになるのかを考えさせるとよいでしょう。ルールについては、「教える」、「類推させる」、「どういうルールにすればよいか考えさせる」という選択肢を意識して授業を組み立ててほしいと思います。 この日の学習内容がルールであることを授業者はあまり意識できていませんでした。これまで学習したことの延長にあるルールですから、子どもたちの数に関する知識をルールとして整理し直して、そこから類推させることすればよかったと思います。 この後、「漢字で書くと読みやすい、数字だとうまく読めないね」と言ってから、全員に読ませました。 続いて千が10個分でいくつになるかを全体に問いかけ、1万になることを確認します。個別に子ども役に確認すると、理由を求められていると勘違いした発言が出てきたので、授業者は「理由を言える?」と返しました。「千かける十は、ゼロを一個増やすので一万です」という答に「すごいね。みんな授業でやったね。10倍ならゼロを足すの、ばっちりわかっているね」と受けました。これは千が10個分で1万という説明としては問題があります。十進法であるから、ゼロが一つ増えるのであって、それが1万であるのは定義です。こういった発言の扱いは難しいのですが、少なくとも定義は何かを押さえることはとても大切なことです。算数に限らず、因果の方向を意識して対応をしてほしいと思います。 「1万が2つだと2万だ」ともっていきますが、これもルール(定義)です。「千が4つだと4千と言うんだから、1万が2つだと?」と過去のルールから類推させたいところです。また、千、百、十は一千、一百、一十と言いませんが、万からは一万と言います。ルールが変わりますので、ここも押さえる必要があるかもしれません。 スライドを使って、「一万を2こ集めた数を二万といいます。二万と四千五百六十三で二万四千五百六十三といいます」と教科書に書いてあるまとめを映して書かせます。それよりも、「千が2個でいくつ?」「1万が3個だったら?」「4個だったら?」と位を変えながら次々指名して言わせた方が定着するのではないかと思います。 続いて、スライドを使って記数法の説明を始めます。24563を位で区切ったものを映し、アニメーショを使って万の位のところに1万を2つ見せます。ここで、万の位の位置の数は何を表わすのかを問いかけますが、子ども役は何を聞かれているのかわかりにくいようでした。「ここが2なら何が2個」と問いかければよいでしょう。いきなり万の位から始めましたが、千まではこれまでに学習しています。下の位から順に確認すればよかったと思います。 この後、位のところに万、千、百、十、一と書いた位取りカードを使って漢数字で書かれた数を十進位取り記数法に直す練習をします。このカードを使うのなら、位取りをきちんと理解させるために、位の欄を空白にしたものを渡して、子ども自身に書き込ませるとよいでしょう。わざと桁を多くして、左から書いたら間違えるようにしておくことも手かもしれません。どちらから書いたかをきちんと押さえることで、位取り記数法の理解が進むと思います。 授業者は、子どもを否定せずに受容することがしっかりとできています。初任者としては基本がしっかりとできていると思います。この授業では、過去に学習した知識やルールをもとに類推するという発想が欲しかったところです。子どもたちの活動はあっても考える場面が少なく、教え込みの授業になってしまったのが残念でした。類推は算数・数学では大切な見方・考え方です。このことを意識して授業を組み立て直せば、とてもよいものになると思いました。これを機会に大きく飛躍してほしいと思います。 この後、子どもとの関係づくりについて、先ほどの授業者のよいところを例に取り上げたりしながら話をさせていただきました。前向きな先生方ばかりで、とても楽しく研修を進めることができました。こういう機会をいただけたことに感謝します。 今後の学校の変化が楽しみ
先週、私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。
先日行われた研修では、授業者と直接お話しする機会がなかったので、この日に振り返りを行いました。 全員に共通していたのが、自分の授業をきちんと振り返ることができていたことです。私が指摘する以前に、自分で課題を意識することができていました。このことは彼らが今後成長していくためにとても重要なことです。どのような子どもの姿を目指すのかを意識して子どもたちの様子を見ていれば、自然と課題は見つかります。日々その課題を解決しようとして授業に臨めば、間違いない力はついていくのです。これからの成長が楽しみです。 国語の講師の方と一緒に、高校1年生の国語の授業を参観しました。授業者は若手の先生です。 子どもたちがコンクールに応募する新俳句(川柳?)をつくる授業で、この日は、秋、冬をテーマにしたものでした。授業の一環として応募しているそうですが、毎年何名かは佳作に入っているようです。参考としてその内の一つを取り上げ、どのような情景かを考えさせました。創作に時間を取りたいので時間をあまりかけることはできませんでしたが、なかなか面白い句で、国語好きな子どもでしょうか、数人がよく反応していました。 子どもたちは以前にも俳句づくりに取り組んだ経験があるようです。特に授業者が指示をしなくても、季語などの資料や辞書などを使ってそれぞれのペースで進めています。 中には数人で雑談をしているように見える子どもたちもいます。講師の方にその姿を見てどう思うかと聞くと、よくない状況だと判断されました。何を話しているかわかりませんので、その瞬間で判断することは難しいことを伝えました。この子どもたちは、時々話をしては一気に集中して句を書いています。句づくりに関することを話していて、しっかりと授業に参加していたのかもしれません。また、ずっとまわりとおしゃべりしているように見える子どもがいましたが、その言葉の端々に俳句らしきものが聞こえてきます。他の迷惑になっていたかどうかは別にして、その子なりの創作方法で授業に参加していたのかもしれません。難しい顔をして創作に苦しんでいるように見える子どもが、隣の子どもの作品を覗いて笑顔になっている場面もありました。自分の作品ができれば、見せ合って楽しそうにしています。子どもたちの見せる姿は、場面によっても変わります。すぐに注意したりせずに、よく見ることが大切です。 授業者は、笑顔を見せながらそういった子どもたちのそばに行き、どんなことを話しているか聞いたり、声をかけたりしています。子どもたちの声が少し大きくなることもありますが、ある程度までいくと自然に落ち着いていきます。子どもたち自身でコントロールできていました。この授業が理想的なものとは言いませんが、少なくとも、一問一答で授業者が解説し、子どもたちは板書を写すという旧来のタイプとは比べて、子どもたちが主体的対話的に学ぶ姿を見ることができました。こういった授業を見ることで、講師の方の授業観が少し変わってくださればと思います。 この日も、中学校の先生が相談に来てくださいました。社会科のルーブリックについての相談です。よく整理されコンパクトにまとまっていましたが、子どもたちに示すには少し難しい言葉が使われていました。子どもたちにとってわかりやすい言葉にすることをアドバイスしました。例えば「課題を見つける」と「疑問を持つ」「知りたいと思う」という言葉を比べて見れば、前者の方がよりレベルの高いものを示していますが、後者の方が子どもたちにわかりやすく具体的にイメージしやすいと思います。これは教師側にとっても、子どもたちの具体的な姿をイメージしやすいというメリットがあります。ルーブリックをもとに、具体的な学びのイメージを教師と子どもが共有できることを目指してほしいと思います。 言語技術(Language Arts)についての研修を、外部講師を招聘して開いたそうです。子どもたちの思考力をつけるためにも、このような取り組みは大切だと思います。今後取り入れるとすれば、どの教科で行うのか、どのように教科間の連携をとるのか、具体的にどのような活動をするのかといったカリキュラムマネジメントが求められます。来年度からの実施を考えるのであれば、すぐに取り組みを始める必要があります。校長が任命したメンバーで進めるのではなく、オープンなメンバーによるプロジェクト形式がよいと思います。 「中学校の新教科」「セキュリティ」「言語技術」と、新しいテーマが目白押しです。先生方自らが考えつくり上げていくことが大切です。私は直接プロジェクトに参加するのではなく、先生方の思いを実現するための相談役に徹したいと思っています。先生方がどのような夢を描かれるのかとても楽しみです。 子どもの言葉をどう焦点化する
前回の日記の続きです。
中学校のグループの模擬授業は、誠実について考えるものでした。3人でサッカーをして遊んでいる時に、猫から鳥のひなを助けようとして一人がボールを投げたら窓ガラスが割れ、そのことをその子どもが先生に報告に行く間に、もう一人とボールを蹴っていた主人公が隣の窓を割ってしまうという話です。先生が来た時に、もう一人の子どもが2枚ともひなを助けようとして割れたことにしてしまったため、主人公は本当のことを言いだす機会がなくなり、悩んだ結果、翌日事実を伝えようと決心するという展開です。 模擬授業は資料を読んだ後のところから始めます。授業者は、登場人物の名前や誰が何をしたのかがわかりにくいので、絵を使いながら内容を整理しました。子どもに問いかけるのではなく、授業者の方で説明していきます。内容把握にはあまり時間をかけたくありませんので、絵を使ったりしてできるだけ早く確実にすることが大切です。そういう意味では、授業者が説明することは悪くはないのですが、立ち止まってポイントを確認することがあまり意識されていませんでした。説明が単なるあらすじになっています。押さえるべきことをきちんと整理しておく必要があったでしょう。 途中まで内容確認をした後、事件後の授業が主人公の大好きな英語だったにもかかわらず集中できなかった理由を隣同士で考えさせます。子ども役は、この後主人公が事実を先生に伝えに行こうとする結論を知っていますので、単なる読み取りになってしまう可能性が高いことが気になりました。 しばらく話した後に、発表させます。個人の考えを問いかけ。挙手で指名していきます。相談させた時には、自分の考えよりも話した内容や、意見の違いなどを問いかけないと、考えが深まらないことに注意が必要です。子ども役からは、「罪をかぶった友だちに悪い」「言った方がいいのか、悪いのか」「本当のことがわかって怒られるんじゃないか」「嘘をついている自分が許せない」といった自分のことが中心です。授業者はこの意見について共感を求めることはしませんでした。その代りに大好きな英語の授業に集中できないことを強調しました。再度理由を聞くことで、友だちとの関係もあることに気づかせようとしましたが、「正直に言えばいいじゃない、何で言えないの?」「怒られるから言わないの?」といった言葉で揺さぶってもよかったでしょう。 一人の子ども役の手が挙がり、言わないでいいと言ったもう一人の友だちとの関係でどうしようか悩んでいるという考えが出てきました。それを聞いて子ども役の中に動きが起きました。自然と口を開いてまわりと話をします。この意見に納得したかを挙手で確認すると、全員の手が挙がりました。その時、挙手が遅れた子ども役が一人いたので、どういうことかをたずねました。よい対応だと思います。「単純に言うべきかどうかだと思っていたが、そう言われるとそうだなと思った」と返ってきました。授業者は「いろいろな感情があると思うけれど」と簡単にまとめ、この続きを読みました。いろいろな感情とまとめずに、板書するなりして、葛藤の原因を整理しておきたいところでした。授業者は、あえて焦点化せずに、主人公の行動を追うことで考えさせようとしましたが、葛藤の理由がいろいろと出てきているので、主人公ではなく、「あなたならどうする」と問いかければ、自分のこととして考えることができたと思います。 この資料では、「正直であるべきかどうか」と、「正直であるということと友だちとの関係をどうするか」という2つの問題が含まれています。そのどちらに焦点を当てたいのかが今一つはっきりしません。「もう一人の友だちが、黙っているように言わなければ、正直に言う?」という問いかけを入れることで、どちらが子どもの課題になっているのかを明確にすることができると思います。そうすれば、授業者が考えさせたいところに焦点化しやすくなると思います。 主人公は事実を言わないように言った友だちに「先生に言いに行こうと思うんだ」と言いましたが、その友だちにもう一度言わないように言われます。しかし、翌日には「言いに行ってくるよ」ともう一人の友だち告げます。授業者はこの気持ちの変化を取り上げて、その日の夜に何を考えたかを相談させますが、決断したということを読み取って終わってしまう可能性があります。葛藤の理由を整理した上で、「決断したんだ」と確認して、その理由を問いかければすぐに焦点化できたはずです。 相談の後、考えを聞きます。すぐに挙手した子どもを指名すると、主人公が言いに行こうかどうか悩んでいたが、言いに行くと決断したと発表します。予想通りの答です。授業者は、何で決意したのと問い返します。「自分だったら、罪悪感」と返ってきました。ここで自分に引き寄せた答が出てきました。これが全員に考えさせたいことです。次に挙手した子ども役は、自分だったらと前置きして、罪をかぶった友だちにつくか、事実を言わない友だちにつくかの選択だと説明します。事実を言わない側につくと、その後悪い方に行きそうだし、罪をかぶった友だちにも「あいつはこういう時に嘘を言うやつだと」と思われ関係が悪くなるだろうから、罪をかぶった友だちにつくというわけです。そのことをアピールするためにも、つくと決めた友だちにわざわざ「先生に言いに行く」と言ったというのです。次の意見は、言わなくていいという友だちは、自分のことしか考えていないから、もう付き合わなくてもいいやと考えたというものです。罪悪感という自分の気持ちと、友だちとの関係を打算的に考えるものと大きく2つの視点が出てきました。 授業者は意見をしっかり聞くのですが、その意見を全体で共有したりつなげたりしません。ここは、視点をもう少し整理して、その違いを明確にしておきたいところでした。また、子ども役の意見は、主人公の決断に対しての解釈ですので、自分に引き寄せさせるためにも、「あなたらどうする?」とストレート聞いた方がよかったと思います。 授業者は、「あなたなら、どちらにつく?」という子ども役から出た「つく」という言葉で考えを聞きます。ここで問題にすべきは、どちらにつくかではなく、誠実でありたいという気持ちを優先するかどうかだと思います。「罪悪感」の方を取り上げて、誠実であろうとすることに対して障害がある、それでも誠実であろうとするかどうかを問うとよかったでしょう。 ほとんどが罪をかぶった友だちに挙手しましたが、一人が事実を言わない友だちに手を挙げました。理由を聞くと、自分なら勇気が出ないということです。これは、どちらにつくかという視点とは異なります。発言者は引き続きその理由もしっかりと発言してくれましたが、実際の子どもであれば、なかなか理由までは発言できません。「勇気が必要なの?どういうこと?」といった問いかけが必要になると思います。 子ども役の気持ちが出てきているのですが、授業者は、「どうして主人公は、事実を言わないようにと言う友だちの考えを無視したのか」を改めて問いかけます。話が元に戻ってしまったので、授業者が何を求めているのかよくわからなくなったのでしょう。子ども役がなかなか反応できませんでした。最後になって数人の手が挙がります。「謝ってすっきりしたい」「最初は、自分が怒られるかどうかだったけれど、友だちの立場を考えたらもやもやして、もやもやが続くのが嫌だから」といった意見が出ます。ここで、時間が来てしまいましたが、早くこういった意見が出れば、ここを手がかりに考えを深めることができたと思います。 まず、主人公が悩んでいるのは何かをはっきりさせ、その上であなたならどうするかを問いかけ、その理由を聞くとよいでしょう。子ども役から出た、「すっきり」「もやもや」といった言葉をキーワードとして、「すっきりする?」「もやもやはなくなる?」と行動後の気持ちを問いかけ、その理由を全体で聞き合えば、誠実ということの意味をより深く考えることができたと思いました。答が出る必要ありません。友だちの考えを聞いて、誠実であることが、「すっきり」とした気持ちで暮らすことにつながることに気づく子どもが一人でも増えればよいのです。 子どもから出てきた言葉を、どう焦点化していくかを意識しておかないと、ただ意見を聞き合っただけで考えは深まりません。このことを大切にしてほしいことを伝えて終わりました。 子どもたちの考えをどう深めたいのか
前回の日記の続きです。
小学校高学年のグループの模擬授業は家族について考えるものでした。 授業者は最初に家族といえばだれを思い出すかを問いかけます。隣同士で少し話をさせて、どちらが発表するかをじゃんけんで決めさせますが、じゃんけんはあまり意味のあることではありません。無用にテンションを上げることにつながります。 この日の資料は、母親の入院に際して家事に追われて大変な自分を想像していた主人公が、家族の助け合いで想像していたことが起こらなかったことから、家族の在り方に気づき成長するという、子どもの作文をもとにしたものです。 授業者は「(家族の中で)家事をたくさんしてくれる人?」と問いかけ、「おかあさん」「おばあちゃん」という発言が出た後、資料を読み始めました。話の内容を意識しての発問です。個別の家庭の事情もありますのでこういった発問には注意が必要です。何人にも聞かずにすぐに先に進めたのはよかったと思います。 授業者は子ども役に指示して、事前に配った資料を手で持たせて読む姿勢をつくらせます。一方、授業者は自分の手元の資料を見て読んでいるため、子ども役の様子をあまり見ていませんでした。子ども役と授業者の視線がからまないことが気になります。道徳では、資料を持たせずに子どもの顔を上げさせ、授業者が子どもの反応を見ながら読むほうがよいでしょう。 授業者は途中で読むのを止めると、ポイントとなる「不安」という言葉に○をつけさせます。資料や教科書をもとに個で考える場合に、視点を意識させるのに有効な方法です。しかし、道徳で内容把握をさせたい時には、あまりお勧めしません。道徳では、内容把握はできるだけ早く全体で済ませて、自分のこととして考えさせるための活動に時間をかけたいからです。「不安」を板書して、全体に問いかけながら授業者が説明した方がよいと思います。 授業者は、「家事は何?」「思い浮かぶものは?」と問いかけます。子どもたちの手元に資料があるので、結末が気になる子どもは問いかけを無視して先を読んでしまいます。全員を参加させるには、資料を裏返しにさせるといった明快な指示が必要です。私が、道徳では資料を配らずに範読した方がよいと思う理由の一つです。 意図的指名で子ども役に答えさせながら板書をしていきます。続いて、出てきた家事を誰が主にやっているかを問いかけます。ていねいに進めていきますが、子どもたちが考える場面ではないのでもっとテンポよく進めたいところでした。 ここで、先ほど○をつけた「不安」に注目させて何が不安か問いかけます。資料を見て探すように言いますが、これは道徳です。国語や社会であれば本文や資料に即して客観的に考えることが大切になりますが、道徳では自分のこととして考えることが求められます。資料を読み込むことよりも、主観的に考えることの方が重要です。 子ども役からは「自分の時間が無くなる」という答が出てきます。授業者が「何で?」と問い返すと「家事」と返ってきます。この後、「上手にできるか?」といった家事についての不安が出てきます。授業者は「私って、最初不安だったのは家事だよね」と「最初」という言葉を足して話します。無意識かもしれませんが誘導しています。子ども役から家事のことしか出ないのは、資料から読み取らせようとしたからです。資料の途中で止めているので、そこまでからしか読み取りませんから、主人公の変化や気づきはわかりません。ここは、これ以上問いかけずに、資料の続きを読んだ方がよかったかもしれません。また、「いつも家事をやってくれる人が入院したら、君たちはどう?不安になる?」と自分のこととして考えさせると家事の不安以外も出てきたと思います。 授業者は、子ども役を揺さぶるために「家事を完璧にやってくれるロボットがいれば大丈夫?」と返しました。子ども役からは、それだけでは足りないということが出てきます。「何が?」と問い返すと子ども役は困ります。挙手で「支え」という発言が出てきました。授業者は「支えって何?何がいれば安心できるの」と指名して問いかけます。指名された子ども役は何を答えればよいのかわからなかったようです。言葉が出てきません。授業者は「今、安心して生活するために必要なものは?」と質問を変えます。そこで、「家族」とつぶやいてくれた子ども役がいます。授業者は思わずガッツポーズをして赤で家族と板書します。模擬授業で仲のよい先生たちが子ども役だったせいもあるとは思いますが、自分が期待した答が出てきたということがわかってしまいます。道徳が答探しの授業になってしまいました。 資料の後半は、主人公が、家族が助け合うことやそのことの自分にとっての意味に気づくという内容です。この後読んでいくのですが、子どもたちにここまで考えさせたのであればその必要なかったかもしれません。「どうして家族がいると安心なの?」と考えを深めていけばよかったでしょう。 資料の残りを読み終わった後、「家族はどんなことで支えてくれるの」と問いかけます。すぐに挙手をした子ども役を指名しますが、ここは子どもたちに考えさせたいところです。少し考える時間を取るべきでしょう。子ども役からは自分がしてもらうことがばかりが出てきます。自分ができることへと考えを深めていくことが必要だったと思います。 子どもたちに与えた資料は、「最期に伝えておきたい言葉がある。」というところで終わっています。それに続く言葉を考えさせます。子ども役からは「ありがとう」「一緒にいてくれてありがとう」といった感謝の言葉が続きます。ここで実際に作者が何を書いたかの正解は言いませんでした。よい対応だと思います。最後に、家族への気持ちを書かせて終わりました。 この授業では「家族のありがたさを再認識させて、感謝させる」ことで終わっていましたが、そこから「家族の一員として自分はどうあるべきなのかを考える」ことが大切だと思います。「自分も他の家族にとってかけがいのない一員である」「自分が他の家族に助けられていると同じように、自分も他の家族の助けになりたい」といった気持ちを引き出すことができればよかったと思います。 この続きは次回の日記で。 何を考えさせたいのかをはっきりさせる
夏休みに開かれた、市の少経験者研修でのことです。
この研修は、2、3年目の先生を対象に行われるものです。道徳の授業づくりがテーマです。午前中に3つのグループごとに代表が行う模擬授業の指導案を検討し、午後に互いに模擬授業を見合って検討するというものです。 小学校の低・中学年のグループの模擬授業は、雨上がりの公園のベンチに泥のついた靴のままで登って紙飛行機で遊んだ子どもが、後から来てそのベンチに座った小さな女の子の服が泥に汚れたのを見てはっとするという内容の資料をもとにしたものです。 授業者は資料を配って、範読をします。落ち着いて読み上げるのですが、特にその時の子どもの気持ちを強調したりはしません。道徳では、子どもが主人公や登場人物の気持ちと同化することが大切です。範読しながら、「紙飛行機は高いところからの方がよく飛ぶもんねえ」「よく飛んだら楽しいよね」といった言葉を足したり、話しかけたりするとよいでしょう。読み終ると登場人物の絵を黒板に貼って内容の確認を行います。「この男の子誰だったか?」と問いかけます。子ども役は資料を見て確認します。子ども役になりきっていたのかもしれませんが、漫然と聞いていてもなかなか記憶には残りません。資料が手元にあることで安心して聞き流しやすくなるので、資料を渡さず、教師が範読しながら都度内容を確認していくとよいと思います。 授業者は子ども役が答えるたびにあらかじめ用意した紙を貼っていきます。あらかじめ紙を用意してあるというのは、答が決まっている、教師が知っているということです。この場面は明らかに正解があるので違和感はないかもしれませんが、教師の求める正解探しを刷り込んでいくことにつながる可能性があります。他の子どもたちにも確認をしてから、手書きで板書するとよいでしょう。 子どもに対して紙飛行機を飛ばした経験などを聞いて、絵を見せながら楽しそうだねと話の内容を子どもたちに引き寄せようとしますが、先ほど述べたように範読と同時に行った方が話に入り込ませやすいと思います。 主人公の2人がはっとした絵を見せて、「なんではっとしたの?」と問いかけます。子ども役はまわりの子どもとつぶやきますが、授業者はその様子を見ています。隣同士で相談させるのか、つぶやきを拾って広げるのかはっきりさせたいところでした。 しばらくしてから、挙手に頼らず指名します。「汚しちゃったから、困った人がいるんだなあと気づいた」という答に対して、他の子どもに「○○さん、誰が困ったの?」と聞きます。他の子どもにつなぐのはよいのですが、指名する前に全体に対して問いかけて、全員の課題にしておく必要があります。自分が指名されないと他人事だと思ってしまうからです。 「女の子」という答にたいして、何で困ったのと問い返しますが、これは内容の把握です。「泥がついた」「お尻に泥がついたらどんな気持ちになる」とやりとりが続きますが、この授業で何を子どもに考えさせるのかがずれているように思います。主人公たちがした行為がよいか悪いかではなく、「泥がついた靴で乗ったらあとから来た人が困ることはわかるよね。どうして、やっちゃったのかな?」と、このようなことにならないためにどうすればよいかを考えさせる必要があります。そのためには、主人公たちは悪気がなかったにもかかわらず、他の人の迷惑になる行動をしてしまったことを早く押さえなければなりません。この授業では、「後の人のことを考える」「ベンチは座るところだから乗ってはいけない」といったところに論点が行ってしまいましたが、「悪気がないのに他の人に迷惑を掛けてしまうことがないようにするためには、どうすればよいのか?」を問いかけて、子どもたちなりの言葉から、自分の行為の結果を想像することが大切であることを共有するとよかったと思います。 子ども役の言葉を受容して、つなげようとしていましたが、何をつなげる、どこを深めるかがはっきりしていなかったのが残念でした。道徳では「何がいけないことか」いう善悪だけでなく、「そういったことをしてしまわないために何が必要なのか」を考えさせることが大切です。このことを意識していただくようにアドバイスしました、 この続きは次回の日記で。 必然性を実感させることが重要(長文)
1学期末に小学校で行われた現職教育で授業アドバイスを行ってきました。
初任者の授業で、2年生の算数の「かさ」調べでした。 子どもたちは授業始めの挨拶が終るとすぐにだれてしまいます。授業者はそのことに気にせず、2本のペットボトルに赤い水を入れたものを子どもたちに見せます。今子どもたちに集中してほしい場面だと伝えることが必要です。 1年生の時にペットボトルで水の量を測ったことを確認した後、「問題です」と言ってこの水の量のことを何と言うかを問いかけます。これでは何を答えてよいかよくわかりません。1/5ほどの挙手があり、指名された子どもは「2リットル」と答えます。授業者は「1年生で習った、この水の量だよ」と言い返して、次の子どもを指名します。次の子どもは「ミリメートル」と答えます。困った授業者は「ヒント、『か』がつきます」と子どもたちにヒントを言います。これでは単なるクイズです。算数の用語と概念を結びつけるという発想がありません。子どもたちにとって、算数は一問一答で答える教科になってしまいます。「長さ」の概念を復習してから、「じゃあ、水の量は何て言うんだっけ?」というようにして、概念をきちんと押さえていくことが大切です。 「かさ」と答えた子どもは、アクセントが「傘」になっていました。授業者はすぐに「それでは傘になってしまう」といって、アクセントを修正します。ここまで、子どもの発言を一度も受容せずに、修正しようとする発言を返しています。自分の求める正解を要求していることになっています。これでは、子どもたちは、教師の求める答探しをするようになっていきます。どんな答であれ、まずは受容することから始めほしいと思います。 その後、すぐに「かさ」を全員で言わせて次に進みました。子どもたちから「かさ」という用語がすぐに出てこなかったのですから、「かさ」の概念が確実に理解されているのかを確認する場面が必要だったと思います。 授業者が、青い水の入った大きなペットボトルを取り出すと、子どものテンションが上がります。「さあ、問題です」と言ってどちらの水が多いかをたずね、挙手で確認をします。ほぼ全員が青い方に手を挙げます。赤の水の小さいペットボトルを1本足してもう一度比べさせます。次は、大きいペットボトル、その次は小さいペットボトルと交互に足して、その都度どちらが多くなったかを確認します。子どもたちは楽しそうに手を挙げますが、意見は大きく分かれません。授業者は子どもたちの反応を「ほう」と言って、そのまま受け止めます。自分の想定内であれば受容はできています。子どもが楽しくやり取りに参加していますが、ここまでは何か根拠を持って考えているわけではありません。そのため、どうしてもテンションは上がってしまいます。 ここで授業者は、「大きいペットボトルに入っている水と小さいペットボトルに入っている水とどちらがどれだけ多いか比べていきます」と課題を提示しました。子どもたちは、落ち着いて聞いています。中には「よしっ」とガッツポーズをしてやる気を見せる子どももいます。テンションが上がってもすぐに下がるのは、子どもたちの授業規律がよいということです。しかし、この課題は子どもたちにとって必然性のあるものではありません。どちらがどれだけ多いのかを調べるのは何のためでしょうか。ペットボトルの容積を比べることで、総量を計算して求めたり、比較したりできることは、大人にとっては当たり前のことですが、子どもたちにとっては自明なことではありません。せっかく子どもたちが興味を持ったのですから、「どちらが多いかどうすればわかる?」と問いかけて考えさせることが必要でしょう。子どもたちから、それぞれのペットボトルに入る水の量を調べればよいということが出て、初めて子どもたちの課題となるのです。その点を考えると、青色のペットボトルと赤色のペットボトルのどちらの水が多いか、意見が分かれるような組み合わせをつくっておくことが大切です。意見が分かれることで必然性ができるからです。この点を工夫するとよかったでしょう。また、冒頭に「かさ」という用語を復習しておきながら、この言葉をその後、まとめまで使っていません。これでは「かさ」という用語を、子どもたちが概念を理解して使えるようになっていきません。形式的に言葉を覚えさせているだけなのです。 子どもたちは、指示に従ってノートを広げ、めあてを写し、写し終ると「書けました」と声を出します。授業者は「書き終わったら、鉛筆を筆箱にしまいます」と指示を出します。この時期であれば、こういった指示は不必要になっているはずです。毎回同じように指示を出していれば、子どもたちは指示したことしかやらなくなります。受け身な子どもを育てていることに気づいてほしいと思います。 子どもたちの書くスピードの差が大きいことが気になります。授業者が早く書くことを求めていないことがわかります。書き終ったと判断して授業者は、「鉛筆を置きましょう」と指示しますが、先ほどは「筆箱にしまう」と言っていました。こういうことも子どもが混乱する要因です。ルールがあるならば統一しておくことが大切です。一部の子どもが「置きました」と返しますが、全員ではありませんし、置いていない子どももいます。それでも授業者はそのことには触れずに、顔を上げるように指示します。今度も「上げました」の声が上がりますが、そう言っているのに顔を上げていない子どもがたくさんいます。めあてを全員で読ませますが、ノートを見ていている子ども、まだ書いている子どもが目につきます。いろいろなことが形式的になっていて徹底されず、全員が参加できていないことが気になりました。 めあてを読ませた後、授業者が説明を始めますが子どもたちは一気に集中が落ちます。頭が一斉に動き始めました。これも、指示されたことだけ行動するという姿勢の現れでしょう。 「どちらがどれだけ多いかを調べるためにどういうものを使えばいいか」と問いかけ、隣同士で話させます。これも、かなり誘導的な問いかけです。「どうすればいいのか?」から、「どんな道具を使えばいいのか?」に変わっています。思考させることなしに、授業者が勝手に次のステップに進んでいるのです。子どもたちは思いついた答を言うだけで、考えが深まることはありません。 最初の段階で、長さでの学習を思い出させ、長さを測ったことを確認しておくことが大切です。定規を使って長さを測ると何がよかったのかを整理しておいて、「かさ」の時はどうすればよいのかと、考えさせるのです。過去のやり方をもとに考えるといった課題解決の手段を教えるよい機会だったのです。 机間指導で子どもたちが話しているところに割り込んで、授業者が話を聞きます。当然子どもは授業者に向かってしゃべります。もし聞くのであれば、子ども同士の話をじゃましないように、聞く側の子どもの横でしゃがんで同じ頭の高さにするべきでしょう。机間指導では、まずは子ども同士が聞き合えているのかを確認して、かかわれていないようであれば聞き合うことを促すことが基本になります。 子どもたちが少しざわついてきました。雑談になってきているのでしょう。授業者は「拍手一発」と声をかけます。すると子どもたちは一斉に拍手をして黙ります。しかし、身体をごそごそしたり、頭を触ったりと落ち着かない子どもが目立ちます。このルーティーンは拍手をしていったん黙ればそれでよいのだと子どもたちは認識しているようです。 手を挙げた子どもを列で3人指名します。最初の子どもの答は「計量カップ」でした。次の2人は隣同士です。一人目は「青色のペットボトル」隣の子どもは「青色のペットボトルと『同じ大きさの』ペットボトル」と答えました。授業者は「ああ、同じのね」と復唱しましたが、はっきりと「同じ大きさの」を足したことを強調し、焦点化して価値付けしたいところでした。「同じ大きさ」という言葉が「基準」という算数・数学の見方・考え方につながるからです。また、発表者に対して、なぜそれがよいと思ったのか、どう使うのかは問い返しません。何を話し合ったのか、他の子どもたちに同じかどうかを問いかけることも必要でしょう。根拠や過程を大切にしてほしいと思います。 授業者は用意していた1リットルの計量カップを取り出し、赤い水の入ったペットボトルと並べて示し、「計量カップとこれでOK?」と問いかけます。子どもからは、「よさそう」「青い方が入るかわからない」といった声が上がってきます。授業者は子どもの反応を見て隣ともう一度考えるように指示しました。子どもたちは話をしていますが、内容はバラバラです。何を問われているのかよくわかっていないのです。互いにかかわれるようになってくると、子どもたちはどんな発問に対してもとりあえず活動します。しかし、何が問われているかがはっきりしていなければ、何も考えは深まりません。 この場面は、問いが、最初の「何を使えばよいか?」から計量カップとペットボトルで「どちらがどれだけ多いのかが測れるかどうか?」に変わったのでしょうか。それとも、ペットボトルの水の量を計量カップでどうやって測るかを問いかけているのでしょうか。何も言葉を足さなかったのですから、最初の問いのままなのでしょうか。よくわかりません。何が課題なのかをきちんと焦点化して問いかける必要があります。また、このままでは、先ほど出てきた「同じ大きさのペットボトル」という発言も消えていってしまいます。「同じ大きさ」を使って焦点化するとよかったでしょう。「同じ大きさの青いペットボトルって言ったけど、どういうこと?」「赤いペットボトルじゃダメ?」「他のものでは?」と返しながら、基準となるものがあれば比べられることを押さえたいところでした。実際に、ペットボトルでやって見せて、その差がペットボトルちょうど1本分にならないと正確に差をつかめないことから、計量カップに目盛りがあることのよさに気づかせるといった展開ができると面白いでしょう。 子どもたちの活動を止めて、「どうすればいい?」と聞くと、素早く一人の子どもが手を挙げました。授業者はすかさず指名しますが、子どもたちはよくしゃべっていたのですから、挙手が増えるまでもう少し待ってもよいでしょう。または、「どんなことを話した?」と挙手に頼らず指名してもよかったと思います。指名された子どもは「コップ何杯かでやる」と答えます。授業者が「コップ?」と軽く復唱すると、子どもは「うん」と答え、「同じ大きさのやつ」と付け加えました。授業者は子どもの発言を受容して、「同じだったらいいのかな?」と全体に問いかけます。子どもたちの何人かはうなずきます。子どもたちは、差がどれだけかを測ることを課題として意識できていないので、何を授業者が求めているのかよくわかっていないようです。 授業者は赤い水の入っているペットボトルをもう1本出し、2本のペットボトルを持って「これとこれでいい?同じだよと」と再び問いかけます。子どもたちはそういうことじゃないと声を上げます。一人の子どもが「青い水の入ったペットボトルを赤い水の入っているペットボトルと同じ大きさのペットボトルに何杯か入れる」と答えますが、授業者はすぐに「もう少し詳しく調べて。どれだけ、どれだけだよ」「そのためには何かが必要だよ」と返します。子どもの発言はとてもよいものだったのに、完全に無視してしまいました。目盛りがあること以上に本質的な考えだっただけにもったいことをしました。授業者は一足飛びに自分の考える目盛りのあるものを使うことにもっていこうとしていますが、子どもの思考とはギャップがあります。子どもにとって目盛りの必然性はないのです。子どもの思考過程を意識することが大切です。 次に指名した子どもは「同じ大きさのカップに入れて・・・」と答えます。「同じカップ?でも、どれだけ?」と問い返しますが「できるだけ大きいカップ・・・」という答です。授業者と子どもはずれたままです。困った授業者は「さあヒント出そうか?」と言って「どれだけ。教科書にもありましたね。どれだけを調べるためには何かありましたね」と続けます。計量カップを見せて目盛りを指さし、子どもから「目盛り」という言葉を引き出します。子どもから「目盛り」と出てくると、待ってましたとばかり「目盛りがある物を使えばいい」と説明を始めました。子どもは目盛りの必要性がないまま、授業者の誘導に従って、計量カップについている線が「目盛り」を答えただけでした。 授業者は準備していた計量カップを2つ出して、「これでどう?」と問いかけます。子どもからはそれでは足りないという言葉が出てきます。授業者はそう言うと思ったと計量カップを5つ並べて見せました。 計量カップにペットボトルの水を入れて見せます。子どもたちは興奮気味です。それぞれの色ごとにペットボトルに水を入れて比べますが、半端は出ません。青色の水が4リットル、赤色の水が3リットルです。計量カップ4杯と3杯で目盛りがある必然性がありませんでした。これでは、小さいペットボトルで比較しても何も困らなかったはずです。 授業者は計量カップと言っていながら、「これを升と言います」と説明します。子どもたちが疑問を持たないのが不思議です。そして「量を測るのに単位が必要です」と言ってから、長さの単位の復習をします。唐突に単位が出てきます。ここまでの活動からは単位の必然性がありません。 子どもを指名すると「何センチとか何ミリ」と答え、その子どもは他の子どもに同意を求めます。賛成ばかりで反対の声は上がりません。一般にはこれでも通じますが、算数の授業ですからきちんと「センチメートル」「ミリメートル」と訂正する必要があります。基本単位のメートルを押さえてほしいと思います。 続いて、かさの単位を知っている子どもを指名して答えさせます。単なる知識を問うことに意味はありません。これは授業者が教えればよいのです。 リットルを使う練習で計量カップを指で指しながら一つ二つと順番に数えるように「1リットル」「2リットル」と言わせます。序数を使って基数を数えるというのは、できれば避けたいところです。ここでは、「計量カップが2つだから2リットル」とした方がよいと思います。 リットルの記号を教えて、簡単に書く練習をしたあと、色々な容器に入った水のかさを測らせます。水がこぼれてもいいように用意したトレーの中で測るように注意をしますが、であれば子どもたちに「何を注意する?」問いかけて言わせたいところです。 子どもたちに計測の結果を確認した後、1リットルの計量カップに入った水を持たせます。子どもたちに重かったかどうかを問いかけますが、かさを重さに代えてしまってはおかしくなります。これが1リットルのかさだと覚えておくように言いますが、容積が質量(重量)に変わってしまいます。容器そのもので量を理解させることが必要です。 量の実感を持たせるためにいろいろな国の容器をスライドで見せます。大きさの違うものを見せますが、スライドは実寸ではないので、4リットルと言われてそうかと思うだけです。量の実感を持たせるためには、計量カップ以外の1リットルの物を用意して、そこに水1リットルを入れて同じかさだと理解させるような活動が必要でしょう。 最期に、「水などのかさは1リットルがいくつ分あるかで表わします」とまとめのスライドを見せて終わります。まとめは、できれば子どもたちにさせたいところですが、このまとめではその意味もあまりなさそうです。 比べるためには、基準となるもの(単位)が必要なことを子どもたちまとめさせて、その単位がかさ(容積)ではリットルであることを押さえるとよいでしょう。 結局、単位や目盛りの必然性を子どもたちが実感することのない授業になっていました。子どもたちに量を実感されるところも弱かったように思います。算数・数学的な見方・考え方は何かを意識して、それを子どもたちにとって必然性のあるものにする授業を目指してほしいと思います。 学校全体で子どもたちと教師の関係がよくなっている
前回の日記の続きです。
高校1年生の現代文は、評論の授業でした。 本文を読んで子どもたち自身が出した疑問を、全体の課題として取り組みます。一つひとつの課題に対して子どもたちから答を出させ、それで納得したかを授業者が問いかけます。子どもたちから反対がなければ次に進みます。授業者が正解を言うことや黒板にまとめることはありません。教室の雰囲気はよく、子ども同士が相談する場面では積極的にかかわり合っています。しかし、全体の場面では発言する子どもは限られています。出された意見に対して、他の子どもが自分の考えを付け加えたり、反対したりすることはありませんでした。 授業者は「言葉の意味から考えてくれた」というように、子どもの考えを価値付けすることを意識していますが、意見に対してすぐに価値付けをします。まず、その考え自体を全体で共有しておくことが大切です。考えをしっかり理解しなければ、価値付けしてもそれがどういうことなのかよくわからないからです。 授業者が板書をしないので、友だちの意見を聞いてメモを取っている子どもが何人もいます。板書を写すのではなくメモを取れるということは高度なことです。こういう子どもを全体の場で活躍させることを意識するとよいでしょう。「○○さん、どんなことをメモした?」「どうしてそこをメモしたの?」「△△を納得したんだ」とメモをもとに、意見をつないでいくと面白いでしょう。 「経済」という言葉の意味が問題になっていました。挙手をしていなくても、授業者が指名すると子どもたちが辞書で調べた結果を発表してくれます。この子どもたちであれば、挙手に頼らず指名しても考えを言ってくれると思います。多くの子どもを指名して、発表したことを評価すればもっと積極的に全体の場で意見を言えるようになると思います。 子どもたちの発表は「お金の流れ、物の流れ」というように辞書の内容そのままです。「物の流れってどういうこと?」と子どもたちを揺さぶりながら、自分たちで納得のいく説明ができるようにしたいところでした。 授業後の検討会では、「友だちの考えに子どもたちから反対はでなかったが、本当に理解しているのか確認が必要なのではないか」という意見が出たようです。授業者が板書をして写させるという授業形態であれば気にならないところでしょうが、確かに心配になるのはわかります。子どもたちにまとめさせる場面をつくるとよいでしょう。ICT環境が整備されていれば、数人を選んでスクリーンやディスプレイにまとめたものを映して見せると、友だちのまとめと自分のものを比べることで、しっかりと確認、理解できると思います。授業後に子どもたちのノートを集めて、その中からよいものを選んで印刷して配るという方法もあります。少し内容に不足があるまとめを選んで、こういうことも書くとよいといったコメントを付け加えてから印刷しても面白いと思います。 高校2年生の理科系の数学の時間は、指数方程式の授業でした。 前回に私がアドバイスした、構造化を意識していました。素直にアドバイスを聞こうという姿勢をうれしく思います。「何を意識する?」「ここでどうするといいい?」といった問いかけや考えを整理しようとするのですが、子どもたちが自分で考える時間がありません。間を取らず、すぐに説明します。問いかけに反応できる一部の子ども以外は、結局板書を写すだけになってしまいます。ポイントとなる考え方などは、授業者の口から語られるだけなので、板書には残っていません。多くの子どもは考えることなく、ノートに写すことで正解を受け入れるだけになっていました。 問題を解く視点を与えた後、すぐに説明をするのではなく、そこで見通しを持たせて自力で解く時間を与えることが必要です。子どもたちが、自分で考えた解答に足りない部分を赤で書き込んだり、考え方のポイントや根拠を書き加えたりといった活動ができるとよいでしょう。 全員参加とはどういうことなのかを意識して授業を組み立てることができると、大きく進歩すると思います。 高校3年生の現代文は、物語文の読み取りの授業でした。井上ひさしの「ナイン」が題材です。 授業者が「決勝戦ではどんなことがあったから思い出になっているのか?」と問いかける場面でした。子どもたちは4人のグループで作業をしています。授業者は机間指導しながら、何かしらヒントになりそうなことをしゃべります。正解を出させたいのかもしれませんが、子どもたちの思考にとっては雑音です。子どもたちが課題に取り組めているかどうかを、しっかりと見ることから始める必要があります。また、子どもの書いた物を見て、その場でコメントをしますが、「他の人の考えも見せてもらったら」と他の子どもとのかかわりを促すような働きかけをすることを意識してほしいと思います。 授業者は「シンプルに答のあることなので、聞いていきましょう」と作業を止めて、挙手に頼らず子どもを指名しました。指名された子どもが答えると「いいですねえ」と言って板書をして、自分で解説を始めます。ここで面白いのが、多くの子どもが 板書を見ずに自分のワークシートを見ていたことでした。友だちの意見と同じだったのかもしれません。そのためか、授業者の説明をあまり集中して聞いていませんでした。 この授業者は正解があるという言葉をよく使います。しかし、根拠を説明せずに正解かどうかは常に授業者が判断しています。これでは、子どもたちは授業者の求める答探しをすることになります。正解と言うならば、本文をもとにした客観的な根拠が必要ですが、それが議論されることはありません。なかなか一問一答の答探しの授業から脱却することがでていません。 「この物語を読む上で、なぜこのことが課題になるのだろう?」と問い返したりして、課題を子どもたちにとって必然性のあるものにすることが重要です。子ども自身が疑問を持ち、自ら課題を見つけるといったことや、課題を子どものものとすることを大切にしてほしいと思います。 子どもたちはグループで作業をしながら、時々相談しています。一見するとグループが機能しているように見えますが、4人がかかわり合っているグループはあまりありません。隣同士だけで相談するといった分断された状態でした。なんとなく教室の中を散歩するのではなく、「2人だけでなく、他の人とも相談してごらん」と子ども同士のかかわりを促すことが求められます。 私は見ることができませんでしたが、県の高校野球の参加校の数をグループで考えさせる場面を組み込んで、子どもたちの意欲高める工夫もしていたようです。しかし、考える意味のないことで子どもたちを活性化してもあまり意味はありません。小手先のことに走るのではなく、子どもたちに考えさせることは何かをしっかりと考えて授業を組み立ててほしいと思います。 授業検討会では、以前と比べて子どもたちがどうであったかがよく話題になっていたように思います。子どもの発言やかかわり合いが大切であるという授業観が先生方に浸透してきたように思います。 社会科では、この日の授業でICT機器を活用するにはどうすればよいのだろうかということが話題になっていました。今後の1人1台環境を意識してのことでしょう。こういった環境の変化を先生方が前向きにとらえてくれていることをうれしく思いました。 私からは、こういった提案性のある授業を見合うことができることが素晴らしいことであることを、まずお話ししました。互いに質の高い授業を見合うことで、授業改善は進んで行きます。そして、こういった提案性のある授業が成立するのは、先生方と子どもたちの関係がよい状態であることがその前提にあることを強調しました。関係ができていなければ、どんなよい教材や発問を準備しても授業は成り立たないからです。この関係のよさは授業者と子どもたちだけのものではありません。多くの参観者がいる状態で子どもたちが緊張せず、のびのびと授業を受けることはできるのは、参観している先生との関係もよいからなのです。学校全体で先生と子どものよい関係がつくられているのです。 そして、次の課題として、授業者と発表する子どもとのやり取りだけで授業が進んでいることを示しました。子どもたちの発言を受けて、授業者がすぐに説明するというパターンが多いのです。発表者もそれを聞いている子どもも、友だちではなく授業者の方を見ていることがその表れの一つです。子どもの意見を他の子どもにつなぐことや、出てきた意見を焦点化して子どもたちに再び考えさせることで深めるといったことを意識してほしいと思います。 3年前と比べると、研修に参加する先生方の姿勢も大きく変わってきたように思います。授業改善への手ごたえを大きく感じさせられる先生方の姿でした。 この日も中学校の改革に関して、先生方が相談に来てくださいました。評価の方法について、具体的などのようにしていくとよいかということでした。知識的なことについては小テストですませて、定期テストでは思考力を測るという方向で考えられていました。私からは、これまでの考えにとらわれず、情報を与えてその情報から課題を見つけたり、課題を解決する方法を答えたりするといった問題を試験に組み込んではどうかとアドバイスしました。これまでの思考の枠をちょっと取り払うと、新しいものが見えてきます。今後、具体的にどのようなものが出てくるかとても楽しみです。 訪問するたびに新たな課題に関する相談をしていただけます。私自身にも大きな刺激になっています。よい学びの機会をいただいています。 工夫のある提案授業を観る
先週、私立の中学校高等学校の研修に参加しました。5人の先生の提案授業のいずれかを参観して個別に検討会を行い、最後に全体で集まって報告会を開くという形式です。
私はすべての授業を参観させていただきましたが、同時に行われたので、じっくりとは見ることはできませんでした。どれも1時間を通して参観したいと思わせるものだっただけに残念でした。 高校1年生の英語は、前置詞の”root sense”から言葉の意味を理解することを意識した授業でした。 最初に映画「トイストーリー」の主題歌” You've Got A Friend In Me”を、歌詞が書かれたワークシートを見ながら聞かせます。この歌は、” You've got a friend in me,”が何度も繰り返されるのですが、ワークシートは”in”のところが空欄になっています。そこに何が入るのかを聞き取らせるのです。子どもたちは集中していますが、歌なのでなかなか聞き取れません。何度か聞かせた後に、前置詞が入ると言って家の形をした穴の開いた段ボールにボールが入った小道具を見せます。再度聞かせた後、問いかけますがなかなか手が挙がりませんでした。小道具を見れば”in”と想像がつくのでしょうが、聞き取れていないので自信を持てなかったのだと思います。やっと一人が手を挙げて”in”と答えてくれました。すぐに授業者は”That’s right.”と言って、この”in” の意味を子どもたちに問いかけました。 しばし考えさせた後、たくさんの意味があると英和辞典を読み上げます。”root sense”をきちんと押さえておけばそこから理解できるという授業のねらいへの布石のようでが、この場面はあくまでも導入です。聞き取りに時間をかける必要はあまりありません。まわりと相談させて候補を絞ってから聞かせれば、もっと早く”in”が聞き取れたと思います。ヒントを出すならばもっと早く出せばよいでしょう。また、”in”が子どもから出てきた時に、「本当?そう歌ってる?」と他の子どもに問いかけてからもう一度聞かせ、自分の耳で確認させたいところでした。だれか一人が正解を言うとすぐに授業者が説明することを繰り返していると、わからない子どもは答を知るだけで自分の力でできるようにはなりません。このことを意識してほしいと思います。 続いて、空間的な意味を持つ前置詞”on/off/in/at/to/up/down/over/through”が表す状況をイラストで示したワークシートを配り、イラストと前置詞を対応させます。時間の関係でここまでしか観られませんでしたが、この後、いくつかの写真とその状況を描写する英文が書かれたワークシートで学習を進めたようです。空欄になっている前置詞を埋めるのが課題です。描写は”fall down”、”fly over”などの動きを伴うものです。静止画ではわかりにくいのですが、子どもたちのグループに与えたタブレットで指定されたURLをクリックするとその動画が再生され、英文を読み上げてくれるようになっていました。既存のWEBサイトを上手く活用しています。 最期の課題は、最初の導入場面と同じように歌の歌詞をもとにしたものだったようです。Eaglesの”Take it easy”の歌詞と訳を与えますが、その内の”Well, I’m running ( ) the road”と”I’ve got seven women ( ) my mind”の2文の前置詞は空欄になっています。1つ目の文は「ああ 俺は道を駆け下りている」という訳がありますが、2つ目は訳もありません。作詞家になったつもりでこの空欄を埋めるのが課題です。2つ目の文は、導入の” You've got a friend in me,”と似た文ですが、実は”Take it easy”の方は”I’ve got seven women on my mind”と”in”ではなく”on”を使っています。この違いを”root sense”をもとに考えさせようというのです。7人の女性の紙人形を心と書いた箱の上、箱の中に置いて見せたりといった工夫もあります。子どもたちにこの違いを意識させて訳をさせました。英語を機械的に日本語に訳すのではなく、その言葉を理解しようとする姿勢を子どもたちに育てるよい授業だと思いました。 毎時間これだけの準備ができるかどうかは難しいところもありますが、授業者の授業観がよく伝わる提案授業でした。 高校1年生の現代社会の授業は、「君たちは大人かどうか?」と問いかけて、青年期の概念や課題を学ぶものでした。 子どもたちに自分は大人だと思うか、子どもか、それとも何とも言えないかを選ばせて、その理由を問いかけます。 授業者は。子どもたちの発表をとてもよい表情で受け止めます。「なるほど」としっかり受容しますが、すぐにその意見を板書して説明を付け加えます。そのため、発言者も聞いている子どもたちも、授業者の方を見ています。板書をすぐに写す子どもも目につきます。子どもたちは意欲的なのですが、発表の場で子ども同士がつながりません。友だちの意見を聞いてどう思うか、納得するかといったことを問いかけて、授業者の板書ではなく、子どもたちから出てきた言葉で考えを共有することを意識するとよいでしょう。 「自分が大人かどうか決めるのか、まわりが決めるのか、ちょっと揺れ動いているところがあります」と言ってからペアをつくらせます。この教室では机が離れているのですが、机をまずぴったりとつけさせました。ペアの距離を適切にするよい指示です。「大人と子どもの境界線って何ですか」と問いかけ、「こうなったら大人」というものは何かを考えさせました。 日ごろから、ペアやグループでの活動をしているのでしょう。子どもたちの動きはスムーズです。同性、異性のペアかどうかにかかわらず、よく話し合っていました。子どもたちの表情がとてもよいことが印象的です。授業者はこの間、笑顔で机間指導をしていますが、どうしても子どもたちの話に口をはさんでしまいます。よい意見や、面白い意見であれば、できるだけ全体の場で取り上げて共有するようにしたいところです。 子どもたちは、時間が来るまでずっと話し合ったり、考えを書き留めたりしていましたが、授業者が話し始めると、ほとんどがすぐに話をやめ手を止めます。授業規律もしっかりしています。全体で子どもたちの意見を聞きますが、ここでも先ほどと同じように板書を写す子どもが目立ちました。 子どもたちは意欲的に取り組むのですが、「次は○○について考えてみましょう」と常に授業者から課題が出されます。簡単なことではありませんが、子ども自身で課題を見つけたり、子どもの意見を焦点化しながらそこから課題を設定したりすることを目指してほしいと思います。 基本となることがしっかりできるようになっているので、次の課題が明確になったように思います。これからどのように授業が変化していくのか楽しみです。 この続きは次回の日記で。 教師の考える価値観に無理に誘導しない(長文)
1学期に参加した市の研修会は、市内の各学校から1〜2名参加して授業研究を行うものです。
授業は中学校1年生の道徳でした。集団での責任について考えるものです。 最初に、授業者が校歌を一人で歌ってくれる人がいないかと問いかけます。「完璧に、間違えずに」と言葉を足してプレッシャーをかけます。もちろん誰も手が挙がらないので、全員で歌うことにしました。子どもたちは大きな声で一生懸命に歌います。授業者を盛り上げようとしている姿から、授業者との関係のよいことがよくわかります。明るい雰囲気の元気な学級でした。 歌い終わった後、どうして一人では歌えなかったのかを問いかけました。「一人だと恥ずかしい」という答に、「そりゃそうだよねえ。めちゃ恥ずかしいよね」と明るく何度も同意します。何人も指名して、その都度同じように同意します。子どもたちとの関係のよい理由がわかります。また、子どもたちは発言者の方を向いて聞こうとします。時には笑い声もあがる、子ども同士の関係もよい学級です。 この日の資料は絵本です。最初にその一場面を印刷した紙を見せますが、小さいので細かいところはよくわかりません。そこで、授業者が口頭で補足します。学校の昼休みに起きた出来事です。後ろに14人の子どもがいて、前に男の子が一人いて泣いていると説明します。どの子どもも体を乗り出してしっかり見ようとしていました。続いてディスプレイに絵本を映して見せていきます。それならば、最初からディスプレイで見せればよかったと思います。 「明るいので照明を消しましょうか?」と言ってくれる子どもに、「ナイス。電気消してくれるとうれしい」と返します。ちょっとしたことですが、「うれしい」と一言付け加えていることが学級の雰囲気づくりに役立っています。 一人のちょっと変わっている男の子が、何人もの友だちに叩かれて泣いているというお話です。そこにいた14人、一人ひとりの言葉が読み上げられていきます。「自分は見ていない」「見ていたけれど、怖くて何もできなかった」「叩いたけれど、少しだけだ」「本人が何も言わないのがいけない」……といった、責任回避の言葉が続きます。 授業者は椅子の上に置いたPCを操作しながら読み上げます。目の前にPCの画面があるので時々顔を上げながら子どもたちの方を見ますが、この態勢では見るのは難しいと思いました。PCを使う時によくあることですが、ワイレスのインターフェースを準備する必要があります。ICTの円滑な活用には、このようなちょっとした環境面を整えておくことが重要になります。 登場した14人ついてどう思うかを問いかけます。「どう思う?」という問いかけは、子どもたちの主観を問うものなので、道徳ではよく使われるものです。ここから、子どもたちが自分のこととして資料の登場人物にどう入り込んでいくかが勝負です。 すぐに挙手した子どもを指名すると、「人に責任をなすりつけている」と答えます。授業者は、すぐに「いいこと言うねえ」と返し、「○○さんと同じように考えた人いる?」と全体に声をかけました。他の教科では、子どもの発言を価値付けすることは大切なのですが、道徳では注意する必要があります。特定の価値観を教師が押しつけることになることもあるからです。「なるほど、人に責任をなすりつけていると思ったんだ」と受容してから他の子どもにつなぐとよかったでしょう。 子どもたちに、この14人はひどいと確認した上で、どんなところをひどいと思ったかを問いかけます。指名した子どもは「自分のやったことを認めていない」と答えましたが、授業者は「なるほど」と言って、「自分の罪は認めていない」と板書しました。無意識でしょうが「やったこと」を「罪」と言い変えています。こういったことにも注意が必要です。この後、同じように考えた人を確認し、もう一人を指名して、「泣いている子のせいにしている」という意見を発表してもらいました。子どもの発言を受容して、同じ意見の子どもを確認して考えをつなごうとしています。しかし、発言する子どもの数は多くはありません。挙手に頼らず次々に指名したり、まわりと意見を交換したりして、一人ひとりに自分の意見を話す場面をつくるとよかったと思います。 14人がほとんど共通して言っている言葉は何かと問いかけます。挙手で指名した子どもが「私のせいじゃない」と答えると、「私のせいじゃない」と復唱して、すぐに「よく覚えていたね。その通り」と返しました。内容に関する質問なので正解はありますが、授業者が正解かどうか判断するのはあまり勧めません。この言葉がキーワードとなるのなら、挙手した子どもを何名か指名してから、挙手していない子どもに「みんな、言っていた?」と問いかけ、全員で確認したいところでした。 ここまで授業開始から10分経っていません。導入や資料の読み取りに時間のかかる道徳の授業が多いのですが、よいテンポで進んでいます。 ここで、「みんながこの14人の一人だったら」「想像して」と質問を変えます。何度か「想像して」と繰り返し、「○○さん、想像した?いいねえ」と子どもの様子を固有名詞でほめます。子どもが登場人物にの気持ちになるための時間をていねいにとっています。そして、「次の日、また同じことが起こりました。あなたはどうしますか?」と問いかけました。 授業者は「すごいいい顔していた」とすぐに一人の子どもを指名しました。指名された子どもは「止める」と答えます。復唱して板書した後、声のトーンを落として「他に?」「みんな、止める?」と問いかけます。挙手に頼らず次に指名した子どもは「かかわらない」と答えます。子どもたちの間から失笑が漏れますが、決して雰囲気を悪くするものではありません。どちらかと言えば関係のよさが感じられるものでした。授業者は「と言うと、見て見ぬふりをするということ」と言葉を変えて板書します。続いて一人の子どもが挙手をし、「先生に助けを求める」と発言しました。これまでの2人の時には多くの子どもたちが発言者を見ていたのですが、この発言の時には子どもたちは前を向いたままでした。この違いがちょっと気になりました。授業者が「助けを呼んだあと、どうする?」と問い返すと「そのまま」と返ってきます。「そのまま、見ている?」「なるほど」と受けました。 「昨日叩いていた人もいたけれど、もしかしてまた叩いちゃうかもしれない」と板書し、自分はどうするか、今まででた意見のところに名前が書いてあるマグネットを貼らせます。選択肢として出しておきたいので、子どもから出なかった意見を書き出したのかもしれませんが、せっかく子どもからの意見で選択肢をつくっているのですから、その他としておけばよかったのではないかと思います。 ここまで、数人の意見を聞いただけで、その理由も聞いていません。子どもたちにとりあえず自分の考えを持たせて、その後に考えを深めるための時間を多くとるためなのでしょう。間をおかずに、すぐにマグネットを貼らせました。 さすがに「叩く」はいませんが、多くの子どもは「先生に助けを求めて、自分は見ている」に貼りました。この層をどう揺さぶるのかがこの授業の鍵となりそうです。授業者は「迷っていた○○さん」と声をかけます。子どもの様子をよく見ていることがわかります。「1対多では勝てるわけがない」という理由に、「そうだよね、勝てるわけないよね」と受け止めます。次に声をかけた子どもは「自分では解決できないから、先生とかそういう人に……」と答えます。この意見もしっかりと受容して、もう一人指名します。「自分一人では何ともできないから、先生とか権力のある人に……」という意見です。子どもたちは自分の考えが他人任せで、無責任とも言えるものだとは思っていないようです。 ここで授業者は見て見ぬふりをするという意見の子どもを指名します。「自分がやられるかもしれない」という本音が出てきます。次に指名した子どもに対して「先生には言わないの?」と返しますが、うまく説明できません。「『先生に言うのはなんだかなあ』というのを補足してくれる人いる?」と全体に問いかけます。一人の子どもが「自分も昨日まで叩いていたりしたから怒られる」と説明します。授業者はそのことを「なるほど、自分も叩いていたからおこられるもんねえ」としっかり受容しましたが、先ほど答えられなかった子どもに「どう?」とつなぐ必要があったと思います。もう一人にも理由を聞きますが、やはり自分がいじめられるのが怖いという意見です。 次に、止めるという意見の子どもに聞こうとしますが、指名する前に、「さっき校歌、一人で歌えなかったじゃない、それでも止められる?」と揺さぶりをかけます。このタイミングで揺さぶりをかけることは子どもの意見を出にくくします。揺さぶるのであれば、意見を聞いた後、先ほど出た友だちの意見を使って、「でも、勝てないかもしれないよ」「今度は自分がいじめられるかもしれないよ」とした方がよいと思います。 子どもからは、「友だちがいるからできる」「勇気を絞ればなんとかなる」と言う言葉が返ってきます。「でも、校歌は勇気を振り絞って歌えなかったよ」とまた校歌で揺さぶりますが、状況があまりにも違います。あまりよい揺さぶりとは思えませんでした。 ここで、話の状況を変えて、「一人が止めに行ったら、あなたはどうする?」と問いかけます。また、選択肢をつくるために何人かの子どもを指名します。「止める」「止める前に、同じような仲間をつくってから止める」と意見が続きます。授業者は仲間をつくるということについて「すごいねえ」と一言返しますが、ここも「なるほどねえ」と受容だけして授業者が価値付けしない方がよいと思います。 「いじめられている子どもを助ける」という別の子どもの考えを「なるほど、なるほど」と受け止めながら問い返して、「この意見とちょっと違う?」と他の意見に統合しようとしました。しかし、その子どもからは「ちょっと違う」と返ってきます。そこで、「ちょっと違うの」と復唱して別の意見として板書しました。ここで無理をせずに子どもの意見を別の意見としたのはよかったと思いますが、子どもによっては授業者からの圧力を感じて、不本意ながら「大体同じ」と答えるかもしれません。特に道徳ではこのような圧力をかけないように注意したいところです。 子どもから出た4つの選択肢、「止める」「味方をつくってから助けに行く」「泣いている子どもに声をかける」「そのまま見ている」から1つを選んで、もう1枚のマグネットを貼らせます。「止める」という子どもは少なく、多くの子どもは「味方をつくってから助けに行く」を選びます。しかし、泣いている子どもに声をかける」「そのまま見ている」を選ぶ子どもも少なからずいました。子どもの意見が分かれたので、この後の展開が面白くなります。 「止める」に意見を変えた子どもに理由を聞いた後、「止める」人が増えているのはなぜかを全体に聞きます。増えている理由を聞くということは客観的な意見を求めていることになります。「止める」を選ばなかった子ども参加できる発問です。しかし、ここは他の人の考えを客観的に想像させるよりも、もう少し止めるという意見の子どもの本音を共有したいところでした。指名した子どもからは「味方がたくさんいればいじめられる心配がない」「心強い」といった意見が出てきます。子どもたちは、最初はしっかりと発言者を見ていたのですが、次第に振り向く子どもが減ってきました。予想通りの答が続くので興味が減っていったのかもしれません。授業者は発言者の意見をしっかりと受容しているのですが、子ども同士をつなぐことをもう少し意識するとよいかもしれません。 「泣いている子どもに声をかける」を選択した子どもたちには、「なぜ止めないで、声をかけるの」と揺さぶってから意見を聞きます。無意識のうちに授業者が「止める」ことを求めているように感じました。子どもからは、自分が行っても変わらないので、それよりも泣いている子どもに寄り添うという意見が出てきました。この場面でも多くの子どもたちは友だちの方を見ようとしません。授業者もこの選択肢が自分の想定外のものだったせいか、あまり深くは触れませんでした。 続いて、止めずに「そのまま見ている」子どもたちの意見を聞きます。授業者は「みんなが止めると言っているのにそれでも、見ているの」と揺さぶります。「いじめられたくない」「かかわりたくない」といった言葉が出てきます。どの子どももしっかりと発言者を見て聞いています。子どもたちがどんな意見なのか興味を持っていることがよくわかります。友だちの本音に笑い声が起きますが、嘲笑と言うわけではありません。本音が言え、時には笑い飛ばせるというのは、安心して暮らせる学級である証拠だと思いますが、あまり笑いがエスカレートするようであれば注意が必要です。 授業者は「助けたいけれど」という言葉を拾い強調します。「助けたい」という気持ちを大切にしようとしているのでしょう。 一通りの意見を聞いた後、「一人の友だちが止めようとしたらこんなにたくさんの人が止めに行くと言ったが、だれも止めに行かなければ、助けを求めに行くか、見ている人が多かった。みんなは最初に14人のことをひどいと言っていたが、自分たちはどう?」と揺さぶります。それに続いて、「この学級ではそんなこと見たくない。じゃあ考えてみて」「いじめが起きない学級にするために自分にできることは何か考えてほしい?」と課題を提示します。この発問は結論を誘導しています。止めるべきだと思っていても、いじめられたくないから止められない、最初の一人になれないという苦しい子どもの本音を、まず焦点化して深めることが大切です。それなしで「何ができるか?」と問いかければ、どうしても表面的な答になってしまいます。 ワークシートを配り子どもたちに書かせます。子どもたちの手は止まりがちです。自分の考えを持てたので、どうしようかと考えているのだと思います。状況を変えて考えさせたのがよかったのでしょう。 書き終わった後グループで共有します。いいなあと思った意見は自分のワークシートにメモするように指示します。ここで面白いことが起こりました。これまでずっと集中していなかった子どもがいたのですが、グループの隊形になった時、机をしっかりとくっつけませんでした。すると、その前にいた子どもがその机を自分の方にぐっと引っぱりました。なかなかできることではありません。机を引っぱられた子ども、特に気にした様子もなく話し合いに参加しました。友だちとかかわろうとする子どもが育っていることが素晴らしいと思いました。 気になったのが、鉛筆を持って下を向いて聞いている子どもが多いことでした。ワークシートに友だちの意見を書くことが優先されているのかもしれません。ワークシートは見ないで相手の顔を見て話すことをさせたいところです。 自分の意見、よいと思った友だちの意見を挙手で発表させます。挙手する子どもは半分以下でした。挙手に頼らず、グループでどんな意見が出たか、どの意見が一番納得したかを聞きたいところでした。 子どもからの意見は、「いじめている側につかない」「少しでも予感がしたら止める」「無責任にならない」といったものです。「自分も同じことをしない」といた答もありますが、これは最初の14人の中にもあった無責任な行動です。授業者は一つひとつの考えをていねいに受け止め板書しますが、多くの子どもが発言者を見ずに板書を写していました。この課題に授業者の正解があると考えているようにも見えました。 最後にもう一度、だれも止めに行かなかった時にどうするかを問いかけました。考えが変わった子どもはマグネット貼り変えるように指示したところ、半分くらいの子どもが変更しました。授業者は「すごいこんなに変わっている」と言ってから、振り返りを書かせました。「すごい」という言葉はいろいろな意味にとることができますが、考えを変えた子どもがすごいというような評価にとられると心配です。逆に、授業者が価値観を(無意識に)誘導している中で、変えなかった子どもがたくさんいることに、この学級のよさを感じました。子どもが安心して自分の考えを持ち続けることができているからです。 また、最初に子どもたちの考えが友だちの力を借りていじめを止めるというところに偏っていたことも気になりました。多数の力に頼るということは、一つ間違えればいじめる側でも起こることです。子どもたちはマグネットを貼り変えましたが、本当に一人でも止めることができるようになったとは思えません。このことを焦点化して、為すべきことを為すことの難しさと大切さをもう少し考えさせたいとことでした。 学級経営が上手くいっている、先生と子ども、子ども同士の関係のよい学級です。授業者は基本的な授業技術もしっかりしていましたが、発言した子どもの意見だけを受けて一方的に進めている授業になっていました。友だちの意見に対して、子ども同士がかかわりながら、考えを深める場面がありません。授業者が発言を評価し揺さぶりながら、結局は自分の求める価値観に誘導しようとしているように見えます。立ち止まってじっくりと焦点化すれば深まる場面がいくつもありましたが、結論に向かうことを優先していました。思い切って、いじめをなくすにはどうすればよいかという課題をやめて、その前の場面に時間をかけてもよかったと思います。 また、まわりにいる14人ではなく、いじめられている子どもの視点で考えさせてもよいでしょう。「あなたがこの子どもだったら、そのまま見ている人をどう思いますか?」といった問いかけをしても面白かったと思います。 検討会は、質のよい提案授業だったのでとてもレベルの高いものになりました。私がアドバイスしよう思ったことのほとんどが、各グループの検討で出ていました。この市の各学校で質の高い授業検討が行われていることがわかります。 私自身も本当にたくさんのことを学ぶことができた、レベルの高い研修会となりました。 |
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