何を焦点化するのかを意識する
2学期に行った小中一貫校での授業アドバイスです。
9年生(中学校3年生)の道徳の授業です。教材資料は、3人でサッカーをして遊んでいる時に、猫から鳥のひなを助けようとして一人がボールを投げたら窓ガラスが割れ、そのことをその子どもが先生に報告に行く間に、もう一人とボールを蹴っていた主人公が隣の窓を割ってしまうという話です。先生が来た時に、もう一人の子どもが2枚ともひなを助けようとして割れたことにしてしまったため、主人公は本当のことを言いだす機会がなくなり、悩んだ結果、翌日事実を伝えようと決心するというところで終わります。 授業者は最初に「今までの人生で、その場の雰囲気で流されてしまったことはありますか?」と問いかけます。「うなずいている人がいますが」と反応した子ども見つけて「話してくれますか」と声をかけます。子どもの反応を活かそうとするよい姿勢です。声をかけた子どもはちょっと困ったような反応をします。「言いにくいエピソードもあるよね」と笑顔でうまく流しました。子どもたちを柔らかく受容することができています。このやり取りをよい表情で聞いている子どもがたくさんいることが印象に残りました。 何人かの子どもが雰囲気に流されて何かの集まり参加したといったことをつぶやいてくれます。授業者は「やっちまったあということない?」と一人の子どもを指名しました。子どもたちの体が一斉にその子どもの方を向きます。指名された子どもは雰囲気に流されて、ほしくはない帽子を買ってしまったエピソードを話してくれました。その場に笑いが起こります。嘲笑ではなく、温かいものです。授業者も「そういうことね」と笑って受け止めます。 子ども同士の人間関係も以前と比べてよくなっているように思いました。子どもの反応や発言が大事にされていることがよい結果をもたらしているように思います。 ねらいと違うことしか出てこないので「みんなにはそういう経験がないんだね」とまとめた後、授業者は自分の経験を話しました。給食の時間、献立の豆を投げた友だちにつられて、つい面白そうだと自分も投げてしまって、後でしっかり怒られたというものです。こういう話をすることで、この授業の方向性を示唆したことになります。今日の道徳は、「友だちにつられていけないことをしないようにしようという話ではないか」と、子どもの考えを限定することにつながるので、注意が必要です。ここは受容だけして先に進むとよかったと思います。 資料は子どもたちに配らずに授業者が範読します。顔上げて聞く子ども、瞑想するような姿勢で聞く子どもといろいろです。授業者は資料を渡していないので、内容を理解させることを意識して丁寧に読み進めます。しかし、テンポが遅いので中には集中を切らしている子どももいます。大事なところは授業者が強調したり、板書したりすればよいので、内容に大きく関係しないところは速く読んだり、場合によっては省略してしまってもよいと思います。考えることに時間を取れるよう、早く内容を理解させることを心がけるとよいでしょう。 授業者は途中で止めながら、登場人物は誰か、何をしたかといったことを問いかけ、口頭で確認して先に進みます。主人公がガラスを割った場面で、誰が割ったかを確認しましたが、混乱している子どももいました。ここで、登場人物の絵を貼って誰が何をやったかを板書しましたが、登場人物が混乱しやすい話なので、その都度黒板に整理しながら進めるとよかったと思います。 資料を読み終った後に、再度問いかけながら内容を丁寧に確認します。一部の子どもは内容がわかっているせいか、集中を失くしているのが気になりました。授業開始から資料を読み終るまでに12分、「先生に実は自分がやったと言いに行くかどうか」という問いに行き着いたのが17分後でした。早く子どもたちに活動をさせるために、考えさせたい場面とそれにつながる状況整理に絞り、教師主導でテンポよく進める必要があったと思います。 ワークシートを使って自分の立場をはっきりさせます。「行く」「行かない」のデジタルではなく、「行く」と「行かない」の間のどのあたりなのかを線分上に記させます。アナログにすることで、それぞれの要因をたくさん出させようというねらいでしょう。 子どもたちにマグネットで自分の立ち位置を黒板の線分上に置かせます。それぞれの立場を見える化するやり方です。 マグネットをもとに授業者が指名をしていきます。「行く」が強い子どもを最初に指名しました。「罪をなすり付けると罪悪感で苦しむ。言いに行くことで関係が悪くなるようなら本当の友だちじゃない」という意見です。授業者はその考えを受容して板書しますが、多くの子どもが手元を見たり、ボーっとしたりして見ていません。発言者に体を向けて聞いていたのと対照的でした。ていねいに板書をするより、「同じように思った人?」と考えをつないだり、近い場所にマグネット貼っている人に「あなたの考えに近い?違うところある?」と異なる意見を引き出したりした方がよかったと思います。 授業者は先ほどの子どもより、やや「行かない」に近い子どもを指名します。指名された子どもは「行く」理由を説明しますが、授業者はそれを受容した上で「行かない」側にすこし近い理由を問いかけました。アナログのよさを理解していまが、残念ながら問い返された子どもは、うまく答えることができず「何となく」と返しました。「何かあると思うけど……」と言いながら「なんとなく」と板書しました。ここでも先ほどと同じように子どもたちは板書に注目しません。どうやら、この場面に限らず、発言者と先生の間の1対1のやり取りが多く、発言は気なるけれど、結局は他人事になっているのが原因のようです。 「行かない」理由は、「先生に怒られる」「黙っていようといった友だちに殴られる」といったものが出てきます。それに反応して「殴るようなものは友だちではない」と意見をつないでくれる子どももいます。授業者は基本的に受容をするだけで意見をはさまなかったのですが、ここでは「正直に言いに行ったら友だちとの関係が悪くなるかもしれないが、それでも意見が変わらないか」と揺さぶりました。しかし、子どもたちの意見は変わりません。その理由を何人かに発表させますが、「時間が解決してくれる」「それで関係が悪くなるようなら本当の友だちじゃない」といった意見です。どうにも他人事です。自分のこととして考えていないのが気になります。「あなたの一番の友だちだったら」「あなたならどんな気持ちなる」と自分に引き寄せさせるような問いかけが必要だと思いました。 また、「怒られたり、殴られたり、嫌な思いをするからなの」と焦点化したり、「そういうことがなければ、行くの?」「罪悪感ですっきりしないのとどっちが嫌かの問題?」と揺さぶったりしてもよかったかもしれません。揺さぶることで、嫌かどうかという気持ちの問題ではなく、人として自分はどうあるべきかという視点が出てきたかもしれないからです。 ここでグループでの話し合いに入ります。授業者は「行かない」派の子どもたちに、今「行く」派の子どもたちが言ってくれた理由よりも強い理由があるはずなのでそれを伝えるようにと焦点化しました。しかし、結局は自分としてはどちらの要素をより重視するのかという気持ち的なところに行ってしまいます。正しいとわかっていてもできないという葛藤を起こさせたところでした。 先ほどまでの様子と違って、子どもたちはとてもよい表情で話し合っています。ここでも、人間関係がよくなっていることを感じました。しかし、妙にテンションが上がります。焦点化が気持ちという議論しづらいところになっているために、考えを言い合うだけで、相手の意見をもとに考えたり、揺さぶられたりしないからです。あるべき姿とそれを妨げる要因との葛藤に焦点化して話し合うとよかったでしょう。 話し合いの結果自分の意見が変化したかを確認しますが、一人だけです。その子どもは友だちの意見を聞いているうちにわけがわからなくなって、どちらともつかなくなったということです。 ほとんどの子どもの意見が変わらない中、授業者は「行く」派の人に、「友だちと関係が悪くなることよりも、大切にしていることがあるのでは?」とどのようなことを話したのかをたずねます。この焦点化をするのであれば、話し合いの前にしておくべきでしょう。 授業者は予定した子どもを指名して「ここで逃げたら、また同じようなことがあった時に逃げてしまう」と発表させます。時間もないので、受容するだけで次の子どもを指名しましたが、「逃げるってどういうこと?」「逃げたらいけないの?」と揺さぶることで、考えを深めることができたと思います。 次の子どもは「正義」という言葉を使いました。自分にも責任があることなのに、言いに行かれるのを悪く思う友だちはおかしいというという理屈です。「正しいことをして友だちと関係が悪くなってもいいの?」といった揺さぶりをすることで、考えが深まるようなキーになる発言ですが、「2人に責任があるという意見だけれど、どう思う」とつなぎました。責任云々に焦点化すると話がずれてしまうように思います。 前半のただ意見を発表させている時間を短くすることで、状況はずいぶん変わったように思います。授業者は最初に、「雰囲気に流される」ということを話題にしました。「雰囲気に流されずに、正しい判断をする」ことを考えさせたかったのかもしれませんが、それを求めることは、現実には難しいことです。できるかどうかは棚に上げて、「○○するようにしたいと思います」といったきれいごとの結論になりそうです。それよりも「やってしまったことに対して、その後どうすることがよいことなのか」を考えさせるべきだったと思います。 道徳では、何を考えさせたいのかを明確にし、その上で子どものどのような意見を焦点化して、深めるかを意識することが大切です。このことを大切にして授業を構想してほしいと思います。 この続きは次回の日記で。 機器の説明会で外部をどう活かすか考える
昨日、私立の中高等学校の個人端末の説明会に参加しました。
この学校では生徒全員に授業や家庭での学習に使うiPadを貸与することになり、3学級を1単位として2日間かけて在校生に配布し、基本的な事項の説明を行いました。 概要説明は先生が行いますが、機器の確認や操作については納入業者やソフトの開発会社の担当者が行いました。 今回の先生の説明で気になったのは、禁止事項ばかりが強調されたことです。ルールを伝えることは大切なのですが、あれもダメ、これもダメと言われると気持ちが萎えてしまいます。こういった説明会では子どもたちにどういう気持ちになってほしいのかを考える必要があります。今回は、説明終了後、「さあこれからiPadを使って積極的に学習するぞ」と前向きになってもらうことを意識してほしいところでした。入室時には子どもたちから期待を感じたのですが、退出時には興味を失くしているように感じました。「○○してはダメ」という言い方よりも「△△するために、○○しないようにしましょう」といった方が前向きな気持ちになります。こういった表現も選択肢に入れることで伝え方の幅が広がると思います。 外部の方による説明は、残念ながらこれでは上手く伝わらないだろうというものでした。子どもたちはiPadなどの操作はできるという前提で、「○○をフリックして」「次に右にスワイプして」と言葉だけで伝えようとします。確かに「フリック」「スワイプ」といった言葉は、今の子どもたちには通じやすい言葉かもしれませんが、中にはこういった言葉はよくわからない子どももいるかもしれません。せっかくプロジェクターとスクリーンが用意してあるのですから、こういったものを活用して操作の様子を見せて、視覚に訴えて伝える工夫も必要です。 また、全体を構造化して説明することも大切です。機器の確認であれば、最初にこれから何をするのか、スライドで先に示すとわかりやすくなります。「本体の確認」「附属物の確認」「書類の確認」「ソフトの確認」といった流れを示してから個々について指示するだけでもずいぶん見通しが違います。 ソフトについても、一つひとつの指示をしながら操作させ、その合間に何の操作かを説明するので、自分たちが何をしているのかよくわかりません。「ソフトの全体像」「主な機能」「基本的な操作方法」「各機能の説明」「機能毎の操作例」というように構造化して説明をし、それから実際に操作を体験させるとよくわかると思います。全体像が見えているので、こまかい操作は類推してできるようになるはずです。たとえ教えることは素人でも、これらのことは一般的なプレゼンテーションにも共通することです。こういった場に立つのであればもう少し勉強しておいてほしいと思いました。 外部の方に子どもたちの前でお話ししていただく機会は意外と多いと思います。先生方はあれこれ注文を付けるのは失礼だと思って、おまかせということが多いようですが、そうではなく、内容や進め方について事前にしっかりと打ち合わせをしてほしいと思います。主導権を先生が握って、外部の方と対話的に進めたり、子どもたちと問答をしたり、時には先生が「よくわからないのですが」と質問したりすることで、より伝わることもあると思います。単に司会進行だけでなく細かい内容も含め、全体を先生がコントロールすることを心がけてほしいと思います。 今回最後の学級では、ネットワークのトラブルでソフトを操作できない端末が多数出てきました。そこで、急遽パスワードの設定などのオフラインでできる設定作業に内容を変更しました。対応された先生は、急なことにもかかわらず的確に指示をして滞りなく進められました。授業力のある先生にとっては、こういう事態も授業と同じように対応できることをあらためて感じました。 説明会を通じて感じたのは子どもたちの態度のよさでした。あまり上手ではない外部の方の説明もしっかりと聞こうとしていましたし、ネットワークのトラブルにも不満をあらわにせず、落ち着いて待つことができていました。子どもたちのこの姿を大いにほめてあげたいと思いました。 1人1台の端末を持たせる場合、校内のネットワークの構築と外部との接続について技術的に難しい問題がたくさんあります。この学校ではこういったインフラに課題がかなりあることがわかっています。当面厳しい状況の中での運用ですが、できるだけスムーズに進めるようにお手伝いさせていただくつもりです。 子どもたちに教科でつける力を考える
前回の日記の続きです。
高校1年生の数学は統計の代表値の学習でした。 復習として三角比の小テストを行っています。0°≦x≦180°の三角比の値を埋めるのが問題です。驚いたのは、だれも単位円を使って値を求めようとしていないことでした。三角比の値は覚えるような物ではありません。定義がわかっていればその場で確認すれば済むものです。それを小テストとして何度もやっているようですが、0°の時は、30°の時はと覚えている子どもがほとんどなのです。問題を解くのに覚えていれば少しは早くできるかもしれませんが、数学的には意味のあることではありません。授業者が数学とはどのようなものと考えているのか、疑問を感じずにはいられませんでした。 小テストの後、代表値の学習に入ります。中学校でも平均などの代表値は学習しているので、教科書を見て自分たちで問題を解かせました。子どもたちはやることが明確なので、積極的に取り組みます。しかし、ただ与えられたデータをもとに計算をするだけ、新しい気づきや考えることはありません。答が出れば互いに笑顔で確認をする場面も見られ、よい雰囲気の学級でしたが、子どもたちは問題の答を出すことが数学の学習だと思っているようでした。解けてしまった子どもはすることが無くて手持ちぶさたです。単なる作業の連続で数学の学習にはなっていません。 標本数が偶数の資料の中央値の問いは、「教科書の何行目を読むと……」と説明します。天下りでこうだと教えるのではなく、どうするとよいだろうと合理的に考えさせることが数学的な見方・考え方につながります。この考えを発展させれば連続的に分布する場合の中央値も自分たちで定義できます。社会に出れば定義を考える場面はたくさんあります。そういった時に数学の学習がとても役に立つはずです。現実の世界と数学の世界を自由に行き来できる子どもを育ててほしいと思います。 代表値の学習では、「平均値」「中央値」「最頻値」と代表値は何種類もあるけれどどうしてなのか。ある事象を考える時に有用なのはどの代表値だろうといったことを考えることが大切です。こういったことを考えずにこの値を求めなさいと言われても、表計算ソフトなどがこれだけ普及した現在、子どもたちにその必然性はありません。計算できることよりもその意味がわかることの方がより重要です。 授業者が、まず教材の意味を理解していなければ子どもたちがそのことに気づくことは困難です。数学とは子どもたちどんな力をつける教科なのかをしっかりと考えてほしいと思います。 来年度から言語技術の学習を取り入れようと動き始めています。このことについて相談を受けました。こういった新しい試みに関する相談が増えています。担当者はどのように進めてよいか不安で、どうしようかと悩む日々だと思います。学校全体でコンセンサスを取ることもなかなか容易ではありません。ご苦労のほどがうかがえます。しかし、この経験が教師としての力を伸ばすことにつながります。校長や私のような者がこうしなさいと指示することは簡単です。そうではなく、自分で考え悩み、時には失敗もし、そこから学ぶことで、足が地についた実践となっていきます。こうした先生方の努力が学校全体の力となっていきます。側面からですが、私もできるだけの支援をさせていただきます。皆さんの成長を楽しみにしています。 先日行われた、来年度の中学校入試の適性検査の問題の報告を受けました。どのような子どもに育てたいか、学校の目指すものが伝わるような問題でした。「資料を見る力やそこから疑問を見つける力」「教科を横断して考える力」「プログラムのようなアルゴリズムや問題解決の視点を見つける力」などを見る問題でした。もちろん、まだまだ改善点もあると思いますが、先生方の思いがしっかりと観て取れました。抽象的な理念も大切ですが具体的な例を挙げることで、学校の目指すものがより多くの方に伝わると思います。問題をホームページで公表するとともに、その意図を説明するようにアドバイスしました。学校がよい方向に変わっていくエネルギーを感じました。 |
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