ルールを類推させることを意識する
夏休みに、市主催の初任者対象の研修で講師を務めました。初任者と希望する先生方が参加します。初任者の代表の模擬授業をもとに授業解説を行い、その後私が講演をするという流れでした。
初任者の模擬授業は小学校3年生の算数の授業でした。単元は一億までの数です。 授業者は子ども役の言葉をとてもよい笑顔で受容できます。日ごろから子どもを受容することを意識していることがよくわかる授業でした。 最初に数字を使ったクイズを行います。「6944」と書いた紙を見せてこの数が何の数かという問題です。単に数字の羅列にも見えますから、子どもたちに一度読ませるとよかったでしょう。実際の子どもであればもう少し反応してくれたでしょうが、大人なので反応が出てきません。一人が「人間の数」と言ってくれたので、「どういう?」と聞き返します。「世界中の」という答に笑い声が起きますが、授業者は「いいね。いいねえ」と上手に受けます。ちょっとずれた答、笑いを誘ってしまう答に対してこのような受容の仕方ができるのはたいしたものだと思います。きっと学校では安心な学級づくりができていることと思います。 「みんなに関係のある数です」とヒントを言って子ども役に答えさせようとします。しかし、この数が何なのかは、算数的に意味はありません。時間をかける必要はないのです。子どもの反応の多寡にかかわらず、すぐに「○○市の小学生の人数」と答を言ってしまった方がよいでしょう。 答を言った後、「愛知県では?」「全国では?」と問いかけ、大きな数になることを子どもたちに意識させ、この日の授業につなげようとしていました。そうであれば、実際の愛知県や全国の小学生の数を提示し、その数を例にして授業を進めた方がよかったかもしれません。 「一億までの数」という単元名を書いて、「一億や大きい数って……」と説明を始めますが、億はまだ学習していないので、大きいということもよくわかってない子どもがいるはずです。全国の小学生の数や日本の人口などを与えて、「億という言葉が出てきたね。これがどのくらいの大きさかわかるようになるのがこの単元だよ」といった導入でもよかったかもしれません。 大きな数を実感させるために、1を表わす小さな紙をもとに、それを10集めた紙、100の紙、1000の紙と見せながら、大きさを視覚化します。このこと自体はよいのですが、何を押さえるべきかが曖昧です。ここは、「位」という言葉を意識することが大切です。束が「10集まると次の位になる」ことを子どもに言わせることが必要です。 「千の次は?」と問いかけると「1001」という答えが返ってきました。授業者は笑って受け止めました。大人だからの発言かもしれませんが、言葉が曖昧であったことは否めません。「千の束が10集まると?」とか「千の次の位は?」といった聞き方をする必要があったと思います。 子どもたちに1万がどのくらいの大きさになるか想像させ、手で示させます。千単位で色を変えた紙をつなげたものを折りたたんでおいて、「2千」「3千」と言いながら一つずつ開きます。記数法を意識しているのだとは思いますが、大きさを確認して終わります。 続いて丸めた紙を見せて、子ども役を一人手伝いに呼びます。子ども役から「2万」「1億」と声が上がり、「1億。おお、とんだ」と返します。最初に「億」を出したために「億」が出やすい状況になっているのでしょう。「とんだ」と言われても何のことかわからない子どもはたくさんいるはずです。ここは、「なるほど」とさらりと受け止めるべきでしょう。 紙を広げていくと窓側から廊下まで届くほどです。数の大きさを実感させる面白い工夫でした。 「これで何万ですか?」とたずねますが、この発問は要注意です。「一万」「二万」・・・と数えて行くと、自然に「十万」が出てきますが、これは当たり前ではないのです。千までと同じルールであれば、次の新しい位の名前が出てこなければいけないからです。万以降はこれまでと位取りのルールが変わっていますので、ここは「1万がいくつ?」と聞くべきなのです。「1万が10だから次の位になるね」と位取りのルールを意識させるとよいでしょう。また、百が十集まっても十百とは言いません。億と言った子ども役は、万の次の位が億だと考えたのかもしれません。大人にとっては当たり前かもしれませんが、異なったルールになっていることをきちんと押さえなくてはいけないのです。 この後、めあて「一万の位のまでの数の表し方やしくみについて調べていこう」を提示します。これまでの場面では、位という言葉も押さえられておらず、大きさを実感させるだけでめあてにつながっていないことが残念でした。 位ごとにまとめた紙の束の図を黒板に貼り、下の位から順にその数がいくつになるか答えさせます。数字を貼って、漢字でその表わす数を書いていきます。数を数えるのに、位ごとの束にすることが前提になっていますが、細かいことを言えば10進位取り記数法を使っているからこうするわけです。10の束ずつにまとめていることをしっかりと先に確認した方がよいと思います。 千の束が4つで二千という子ども役がいました。授業者は大きく「うんうん」と受容して、理由を聞きます。「千の束が4つだし、二千じゃない?」と返ってきました。授業者は「そう考えてくれたんだね、どうだろう?」と受け止めます。あえて自分で説明しようとせずに他の子どもの意見を待ちました。なかなかできない対応です。初任者としては立派だと思います。ここで一人の子ども役が挙手して「千の束が4つあるから四千じゃない?」と答えます。その発言を受けて、「うん、うん」とうなずいて、勢いよく復唱します。いかにも待ってました感がありました。「納得してくれた?」と聞くと、うなずいてくれたのでそれでよしとしましたが、実際の子どもの場合、納得できていなくてもその場の雰囲気に負けてしまうかもしれません。本人に説明させて確認したいところでした。 間違えた子どもがいた場合、どこでつまずいているのかを確認する必要があります。この場合であれば、紙の束を使いながら、「千が2個だといくつ?」と聞いて「2千」と返ってくるのか、逆に「二千は千の束がいくつ?」と問いかけるとどうなのかを確かめるといったことが必要でしょう。 授業者は、「みんなが言ってくれたのをまとめて読もうと思います」と言ってから、「四千と五百と六十と三。ばっちりでしょう」と問いかけます。子ども役がざわついたのを受けて、「どうやって読んだらいいの」と返しますが、このやり取りはあまり意味がありません。数の読み方はルールです。考えることにあまり意味はないのです。もしやるならば、小さい数の読み方を確認して、そのルールに従えばどう読むことになるのかを考えさせるとよいでしょう。ルールについては、「教える」、「類推させる」、「どういうルールにすればよいか考えさせる」という選択肢を意識して授業を組み立ててほしいと思います。 この日の学習内容がルールであることを授業者はあまり意識できていませんでした。これまで学習したことの延長にあるルールですから、子どもたちの数に関する知識をルールとして整理し直して、そこから類推させることすればよかったと思います。 この後、「漢字で書くと読みやすい、数字だとうまく読めないね」と言ってから、全員に読ませました。 続いて千が10個分でいくつになるかを全体に問いかけ、1万になることを確認します。個別に子ども役に確認すると、理由を求められていると勘違いした発言が出てきたので、授業者は「理由を言える?」と返しました。「千かける十は、ゼロを一個増やすので一万です」という答に「すごいね。みんな授業でやったね。10倍ならゼロを足すの、ばっちりわかっているね」と受けました。これは千が10個分で1万という説明としては問題があります。十進法であるから、ゼロが一つ増えるのであって、それが1万であるのは定義です。こういった発言の扱いは難しいのですが、少なくとも定義は何かを押さえることはとても大切なことです。算数に限らず、因果の方向を意識して対応をしてほしいと思います。 「1万が2つだと2万だ」ともっていきますが、これもルール(定義)です。「千が4つだと4千と言うんだから、1万が2つだと?」と過去のルールから類推させたいところです。また、千、百、十は一千、一百、一十と言いませんが、万からは一万と言います。ルールが変わりますので、ここも押さえる必要があるかもしれません。 スライドを使って、「一万を2こ集めた数を二万といいます。二万と四千五百六十三で二万四千五百六十三といいます」と教科書に書いてあるまとめを映して書かせます。それよりも、「千が2個でいくつ?」「1万が3個だったら?」「4個だったら?」と位を変えながら次々指名して言わせた方が定着するのではないかと思います。 続いて、スライドを使って記数法の説明を始めます。24563を位で区切ったものを映し、アニメーショを使って万の位のところに1万を2つ見せます。ここで、万の位の位置の数は何を表わすのかを問いかけますが、子ども役は何を聞かれているのかわかりにくいようでした。「ここが2なら何が2個」と問いかければよいでしょう。いきなり万の位から始めましたが、千まではこれまでに学習しています。下の位から順に確認すればよかったと思います。 この後、位のところに万、千、百、十、一と書いた位取りカードを使って漢数字で書かれた数を十進位取り記数法に直す練習をします。このカードを使うのなら、位取りをきちんと理解させるために、位の欄を空白にしたものを渡して、子ども自身に書き込ませるとよいでしょう。わざと桁を多くして、左から書いたら間違えるようにしておくことも手かもしれません。どちらから書いたかをきちんと押さえることで、位取り記数法の理解が進むと思います。 授業者は、子どもを否定せずに受容することがしっかりとできています。初任者としては基本がしっかりとできていると思います。この授業では、過去に学習した知識やルールをもとに類推するという発想が欲しかったところです。子どもたちの活動はあっても考える場面が少なく、教え込みの授業になってしまったのが残念でした。類推は算数・数学では大切な見方・考え方です。このことを意識して授業を組み立て直せば、とてもよいものになると思いました。これを機会に大きく飛躍してほしいと思います。 この後、子どもとの関係づくりについて、先ほどの授業者のよいところを例に取り上げたりしながら話をさせていただきました。前向きな先生方ばかりで、とても楽しく研修を進めることができました。こういう機会をいただけたことに感謝します。 今後の学校の変化が楽しみ
先週、私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。
先日行われた研修では、授業者と直接お話しする機会がなかったので、この日に振り返りを行いました。 全員に共通していたのが、自分の授業をきちんと振り返ることができていたことです。私が指摘する以前に、自分で課題を意識することができていました。このことは彼らが今後成長していくためにとても重要なことです。どのような子どもの姿を目指すのかを意識して子どもたちの様子を見ていれば、自然と課題は見つかります。日々その課題を解決しようとして授業に臨めば、間違いない力はついていくのです。これからの成長が楽しみです。 国語の講師の方と一緒に、高校1年生の国語の授業を参観しました。授業者は若手の先生です。 子どもたちがコンクールに応募する新俳句(川柳?)をつくる授業で、この日は、秋、冬をテーマにしたものでした。授業の一環として応募しているそうですが、毎年何名かは佳作に入っているようです。参考としてその内の一つを取り上げ、どのような情景かを考えさせました。創作に時間を取りたいので時間をあまりかけることはできませんでしたが、なかなか面白い句で、国語好きな子どもでしょうか、数人がよく反応していました。 子どもたちは以前にも俳句づくりに取り組んだ経験があるようです。特に授業者が指示をしなくても、季語などの資料や辞書などを使ってそれぞれのペースで進めています。 中には数人で雑談をしているように見える子どもたちもいます。講師の方にその姿を見てどう思うかと聞くと、よくない状況だと判断されました。何を話しているかわかりませんので、その瞬間で判断することは難しいことを伝えました。この子どもたちは、時々話をしては一気に集中して句を書いています。句づくりに関することを話していて、しっかりと授業に参加していたのかもしれません。また、ずっとまわりとおしゃべりしているように見える子どもがいましたが、その言葉の端々に俳句らしきものが聞こえてきます。他の迷惑になっていたかどうかは別にして、その子なりの創作方法で授業に参加していたのかもしれません。難しい顔をして創作に苦しんでいるように見える子どもが、隣の子どもの作品を覗いて笑顔になっている場面もありました。自分の作品ができれば、見せ合って楽しそうにしています。子どもたちの見せる姿は、場面によっても変わります。すぐに注意したりせずに、よく見ることが大切です。 授業者は、笑顔を見せながらそういった子どもたちのそばに行き、どんなことを話しているか聞いたり、声をかけたりしています。子どもたちの声が少し大きくなることもありますが、ある程度までいくと自然に落ち着いていきます。子どもたち自身でコントロールできていました。この授業が理想的なものとは言いませんが、少なくとも、一問一答で授業者が解説し、子どもたちは板書を写すという旧来のタイプとは比べて、子どもたちが主体的対話的に学ぶ姿を見ることができました。こういった授業を見ることで、講師の方の授業観が少し変わってくださればと思います。 この日も、中学校の先生が相談に来てくださいました。社会科のルーブリックについての相談です。よく整理されコンパクトにまとまっていましたが、子どもたちに示すには少し難しい言葉が使われていました。子どもたちにとってわかりやすい言葉にすることをアドバイスしました。例えば「課題を見つける」と「疑問を持つ」「知りたいと思う」という言葉を比べて見れば、前者の方がよりレベルの高いものを示していますが、後者の方が子どもたちにわかりやすく具体的にイメージしやすいと思います。これは教師側にとっても、子どもたちの具体的な姿をイメージしやすいというメリットがあります。ルーブリックをもとに、具体的な学びのイメージを教師と子どもが共有できることを目指してほしいと思います。 言語技術(Language Arts)についての研修を、外部講師を招聘して開いたそうです。子どもたちの思考力をつけるためにも、このような取り組みは大切だと思います。今後取り入れるとすれば、どの教科で行うのか、どのように教科間の連携をとるのか、具体的にどのような活動をするのかといったカリキュラムマネジメントが求められます。来年度からの実施を考えるのであれば、すぐに取り組みを始める必要があります。校長が任命したメンバーで進めるのではなく、オープンなメンバーによるプロジェクト形式がよいと思います。 「中学校の新教科」「セキュリティ」「言語技術」と、新しいテーマが目白押しです。先生方自らが考えつくり上げていくことが大切です。私は直接プロジェクトに参加するのではなく、先生方の思いを実現するための相談役に徹したいと思っています。先生方がどのような夢を描かれるのかとても楽しみです。 子どもの言葉をどう焦点化する
前回の日記の続きです。
中学校のグループの模擬授業は、誠実について考えるものでした。3人でサッカーをして遊んでいる時に、猫から鳥のひなを助けようとして一人がボールを投げたら窓ガラスが割れ、そのことをその子どもが先生に報告に行く間に、もう一人とボールを蹴っていた主人公が隣の窓を割ってしまうという話です。先生が来た時に、もう一人の子どもが2枚ともひなを助けようとして割れたことにしてしまったため、主人公は本当のことを言いだす機会がなくなり、悩んだ結果、翌日事実を伝えようと決心するという展開です。 模擬授業は資料を読んだ後のところから始めます。授業者は、登場人物の名前や誰が何をしたのかがわかりにくいので、絵を使いながら内容を整理しました。子どもに問いかけるのではなく、授業者の方で説明していきます。内容把握にはあまり時間をかけたくありませんので、絵を使ったりしてできるだけ早く確実にすることが大切です。そういう意味では、授業者が説明することは悪くはないのですが、立ち止まってポイントを確認することがあまり意識されていませんでした。説明が単なるあらすじになっています。押さえるべきことをきちんと整理しておく必要があったでしょう。 途中まで内容確認をした後、事件後の授業が主人公の大好きな英語だったにもかかわらず集中できなかった理由を隣同士で考えさせます。子ども役は、この後主人公が事実を先生に伝えに行こうとする結論を知っていますので、単なる読み取りになってしまう可能性が高いことが気になりました。 しばらく話した後に、発表させます。個人の考えを問いかけ。挙手で指名していきます。相談させた時には、自分の考えよりも話した内容や、意見の違いなどを問いかけないと、考えが深まらないことに注意が必要です。子ども役からは、「罪をかぶった友だちに悪い」「言った方がいいのか、悪いのか」「本当のことがわかって怒られるんじゃないか」「嘘をついている自分が許せない」といった自分のことが中心です。授業者はこの意見について共感を求めることはしませんでした。その代りに大好きな英語の授業に集中できないことを強調しました。再度理由を聞くことで、友だちとの関係もあることに気づかせようとしましたが、「正直に言えばいいじゃない、何で言えないの?」「怒られるから言わないの?」といった言葉で揺さぶってもよかったでしょう。 一人の子ども役の手が挙がり、言わないでいいと言ったもう一人の友だちとの関係でどうしようか悩んでいるという考えが出てきました。それを聞いて子ども役の中に動きが起きました。自然と口を開いてまわりと話をします。この意見に納得したかを挙手で確認すると、全員の手が挙がりました。その時、挙手が遅れた子ども役が一人いたので、どういうことかをたずねました。よい対応だと思います。「単純に言うべきかどうかだと思っていたが、そう言われるとそうだなと思った」と返ってきました。授業者は「いろいろな感情があると思うけれど」と簡単にまとめ、この続きを読みました。いろいろな感情とまとめずに、板書するなりして、葛藤の原因を整理しておきたいところでした。授業者は、あえて焦点化せずに、主人公の行動を追うことで考えさせようとしましたが、葛藤の理由がいろいろと出てきているので、主人公ではなく、「あなたならどうする」と問いかければ、自分のこととして考えることができたと思います。 この資料では、「正直であるべきかどうか」と、「正直であるということと友だちとの関係をどうするか」という2つの問題が含まれています。そのどちらに焦点を当てたいのかが今一つはっきりしません。「もう一人の友だちが、黙っているように言わなければ、正直に言う?」という問いかけを入れることで、どちらが子どもの課題になっているのかを明確にすることができると思います。そうすれば、授業者が考えさせたいところに焦点化しやすくなると思います。 主人公は事実を言わないように言った友だちに「先生に言いに行こうと思うんだ」と言いましたが、その友だちにもう一度言わないように言われます。しかし、翌日には「言いに行ってくるよ」ともう一人の友だち告げます。授業者はこの気持ちの変化を取り上げて、その日の夜に何を考えたかを相談させますが、決断したということを読み取って終わってしまう可能性があります。葛藤の理由を整理した上で、「決断したんだ」と確認して、その理由を問いかければすぐに焦点化できたはずです。 相談の後、考えを聞きます。すぐに挙手した子どもを指名すると、主人公が言いに行こうかどうか悩んでいたが、言いに行くと決断したと発表します。予想通りの答です。授業者は、何で決意したのと問い返します。「自分だったら、罪悪感」と返ってきました。ここで自分に引き寄せた答が出てきました。これが全員に考えさせたいことです。次に挙手した子ども役は、自分だったらと前置きして、罪をかぶった友だちにつくか、事実を言わない友だちにつくかの選択だと説明します。事実を言わない側につくと、その後悪い方に行きそうだし、罪をかぶった友だちにも「あいつはこういう時に嘘を言うやつだと」と思われ関係が悪くなるだろうから、罪をかぶった友だちにつくというわけです。そのことをアピールするためにも、つくと決めた友だちにわざわざ「先生に言いに行く」と言ったというのです。次の意見は、言わなくていいという友だちは、自分のことしか考えていないから、もう付き合わなくてもいいやと考えたというものです。罪悪感という自分の気持ちと、友だちとの関係を打算的に考えるものと大きく2つの視点が出てきました。 授業者は意見をしっかり聞くのですが、その意見を全体で共有したりつなげたりしません。ここは、視点をもう少し整理して、その違いを明確にしておきたいところでした。また、子ども役の意見は、主人公の決断に対しての解釈ですので、自分に引き寄せさせるためにも、「あなたらどうする?」とストレート聞いた方がよかったと思います。 授業者は、「あなたなら、どちらにつく?」という子ども役から出た「つく」という言葉で考えを聞きます。ここで問題にすべきは、どちらにつくかではなく、誠実でありたいという気持ちを優先するかどうかだと思います。「罪悪感」の方を取り上げて、誠実であろうとすることに対して障害がある、それでも誠実であろうとするかどうかを問うとよかったでしょう。 ほとんどが罪をかぶった友だちに挙手しましたが、一人が事実を言わない友だちに手を挙げました。理由を聞くと、自分なら勇気が出ないということです。これは、どちらにつくかという視点とは異なります。発言者は引き続きその理由もしっかりと発言してくれましたが、実際の子どもであれば、なかなか理由までは発言できません。「勇気が必要なの?どういうこと?」といった問いかけが必要になると思います。 子ども役の気持ちが出てきているのですが、授業者は、「どうして主人公は、事実を言わないようにと言う友だちの考えを無視したのか」を改めて問いかけます。話が元に戻ってしまったので、授業者が何を求めているのかよくわからなくなったのでしょう。子ども役がなかなか反応できませんでした。最後になって数人の手が挙がります。「謝ってすっきりしたい」「最初は、自分が怒られるかどうかだったけれど、友だちの立場を考えたらもやもやして、もやもやが続くのが嫌だから」といった意見が出ます。ここで、時間が来てしまいましたが、早くこういった意見が出れば、ここを手がかりに考えを深めることができたと思います。 まず、主人公が悩んでいるのは何かをはっきりさせ、その上であなたならどうするかを問いかけ、その理由を聞くとよいでしょう。子ども役から出た、「すっきり」「もやもや」といった言葉をキーワードとして、「すっきりする?」「もやもやはなくなる?」と行動後の気持ちを問いかけ、その理由を全体で聞き合えば、誠実ということの意味をより深く考えることができたと思いました。答が出る必要ありません。友だちの考えを聞いて、誠実であることが、「すっきり」とした気持ちで暮らすことにつながることに気づく子どもが一人でも増えればよいのです。 子どもから出てきた言葉を、どう焦点化していくかを意識しておかないと、ただ意見を聞き合っただけで考えは深まりません。このことを大切にしてほしいことを伝えて終わりました。 子どもたちの考えをどう深めたいのか
前回の日記の続きです。
小学校高学年のグループの模擬授業は家族について考えるものでした。 授業者は最初に家族といえばだれを思い出すかを問いかけます。隣同士で少し話をさせて、どちらが発表するかをじゃんけんで決めさせますが、じゃんけんはあまり意味のあることではありません。無用にテンションを上げることにつながります。 この日の資料は、母親の入院に際して家事に追われて大変な自分を想像していた主人公が、家族の助け合いで想像していたことが起こらなかったことから、家族の在り方に気づき成長するという、子どもの作文をもとにしたものです。 授業者は「(家族の中で)家事をたくさんしてくれる人?」と問いかけ、「おかあさん」「おばあちゃん」という発言が出た後、資料を読み始めました。話の内容を意識しての発問です。個別の家庭の事情もありますのでこういった発問には注意が必要です。何人にも聞かずにすぐに先に進めたのはよかったと思います。 授業者は子ども役に指示して、事前に配った資料を手で持たせて読む姿勢をつくらせます。一方、授業者は自分の手元の資料を見て読んでいるため、子ども役の様子をあまり見ていませんでした。子ども役と授業者の視線がからまないことが気になります。道徳では、資料を持たせずに子どもの顔を上げさせ、授業者が子どもの反応を見ながら読むほうがよいでしょう。 授業者は途中で読むのを止めると、ポイントとなる「不安」という言葉に○をつけさせます。資料や教科書をもとに個で考える場合に、視点を意識させるのに有効な方法です。しかし、道徳で内容把握をさせたい時には、あまりお勧めしません。道徳では、内容把握はできるだけ早く全体で済ませて、自分のこととして考えさせるための活動に時間をかけたいからです。「不安」を板書して、全体に問いかけながら授業者が説明した方がよいと思います。 授業者は、「家事は何?」「思い浮かぶものは?」と問いかけます。子どもたちの手元に資料があるので、結末が気になる子どもは問いかけを無視して先を読んでしまいます。全員を参加させるには、資料を裏返しにさせるといった明快な指示が必要です。私が、道徳では資料を配らずに範読した方がよいと思う理由の一つです。 意図的指名で子ども役に答えさせながら板書をしていきます。続いて、出てきた家事を誰が主にやっているかを問いかけます。ていねいに進めていきますが、子どもたちが考える場面ではないのでもっとテンポよく進めたいところでした。 ここで、先ほど○をつけた「不安」に注目させて何が不安か問いかけます。資料を見て探すように言いますが、これは道徳です。国語や社会であれば本文や資料に即して客観的に考えることが大切になりますが、道徳では自分のこととして考えることが求められます。資料を読み込むことよりも、主観的に考えることの方が重要です。 子ども役からは「自分の時間が無くなる」という答が出てきます。授業者が「何で?」と問い返すと「家事」と返ってきます。この後、「上手にできるか?」といった家事についての不安が出てきます。授業者は「私って、最初不安だったのは家事だよね」と「最初」という言葉を足して話します。無意識かもしれませんが誘導しています。子ども役から家事のことしか出ないのは、資料から読み取らせようとしたからです。資料の途中で止めているので、そこまでからしか読み取りませんから、主人公の変化や気づきはわかりません。ここは、これ以上問いかけずに、資料の続きを読んだ方がよかったかもしれません。また、「いつも家事をやってくれる人が入院したら、君たちはどう?不安になる?」と自分のこととして考えさせると家事の不安以外も出てきたと思います。 授業者は、子ども役を揺さぶるために「家事を完璧にやってくれるロボットがいれば大丈夫?」と返しました。子ども役からは、それだけでは足りないということが出てきます。「何が?」と問い返すと子ども役は困ります。挙手で「支え」という発言が出てきました。授業者は「支えって何?何がいれば安心できるの」と指名して問いかけます。指名された子ども役は何を答えればよいのかわからなかったようです。言葉が出てきません。授業者は「今、安心して生活するために必要なものは?」と質問を変えます。そこで、「家族」とつぶやいてくれた子ども役がいます。授業者は思わずガッツポーズをして赤で家族と板書します。模擬授業で仲のよい先生たちが子ども役だったせいもあるとは思いますが、自分が期待した答が出てきたということがわかってしまいます。道徳が答探しの授業になってしまいました。 資料の後半は、主人公が、家族が助け合うことやそのことの自分にとっての意味に気づくという内容です。この後読んでいくのですが、子どもたちにここまで考えさせたのであればその必要なかったかもしれません。「どうして家族がいると安心なの?」と考えを深めていけばよかったでしょう。 資料の残りを読み終わった後、「家族はどんなことで支えてくれるの」と問いかけます。すぐに挙手をした子ども役を指名しますが、ここは子どもたちに考えさせたいところです。少し考える時間を取るべきでしょう。子ども役からは自分がしてもらうことがばかりが出てきます。自分ができることへと考えを深めていくことが必要だったと思います。 子どもたちに与えた資料は、「最期に伝えておきたい言葉がある。」というところで終わっています。それに続く言葉を考えさせます。子ども役からは「ありがとう」「一緒にいてくれてありがとう」といった感謝の言葉が続きます。ここで実際に作者が何を書いたかの正解は言いませんでした。よい対応だと思います。最後に、家族への気持ちを書かせて終わりました。 この授業では「家族のありがたさを再認識させて、感謝させる」ことで終わっていましたが、そこから「家族の一員として自分はどうあるべきなのかを考える」ことが大切だと思います。「自分も他の家族にとってかけがいのない一員である」「自分が他の家族に助けられていると同じように、自分も他の家族の助けになりたい」といった気持ちを引き出すことができればよかったと思います。 この続きは次回の日記で。 何を考えさせたいのかをはっきりさせる
夏休みに開かれた、市の少経験者研修でのことです。
この研修は、2、3年目の先生を対象に行われるものです。道徳の授業づくりがテーマです。午前中に3つのグループごとに代表が行う模擬授業の指導案を検討し、午後に互いに模擬授業を見合って検討するというものです。 小学校の低・中学年のグループの模擬授業は、雨上がりの公園のベンチに泥のついた靴のままで登って紙飛行機で遊んだ子どもが、後から来てそのベンチに座った小さな女の子の服が泥に汚れたのを見てはっとするという内容の資料をもとにしたものです。 授業者は資料を配って、範読をします。落ち着いて読み上げるのですが、特にその時の子どもの気持ちを強調したりはしません。道徳では、子どもが主人公や登場人物の気持ちと同化することが大切です。範読しながら、「紙飛行機は高いところからの方がよく飛ぶもんねえ」「よく飛んだら楽しいよね」といった言葉を足したり、話しかけたりするとよいでしょう。読み終ると登場人物の絵を黒板に貼って内容の確認を行います。「この男の子誰だったか?」と問いかけます。子ども役は資料を見て確認します。子ども役になりきっていたのかもしれませんが、漫然と聞いていてもなかなか記憶には残りません。資料が手元にあることで安心して聞き流しやすくなるので、資料を渡さず、教師が範読しながら都度内容を確認していくとよいと思います。 授業者は子ども役が答えるたびにあらかじめ用意した紙を貼っていきます。あらかじめ紙を用意してあるというのは、答が決まっている、教師が知っているということです。この場面は明らかに正解があるので違和感はないかもしれませんが、教師の求める正解探しを刷り込んでいくことにつながる可能性があります。他の子どもたちにも確認をしてから、手書きで板書するとよいでしょう。 子どもに対して紙飛行機を飛ばした経験などを聞いて、絵を見せながら楽しそうだねと話の内容を子どもたちに引き寄せようとしますが、先ほど述べたように範読と同時に行った方が話に入り込ませやすいと思います。 主人公の2人がはっとした絵を見せて、「なんではっとしたの?」と問いかけます。子ども役はまわりの子どもとつぶやきますが、授業者はその様子を見ています。隣同士で相談させるのか、つぶやきを拾って広げるのかはっきりさせたいところでした。 しばらくしてから、挙手に頼らず指名します。「汚しちゃったから、困った人がいるんだなあと気づいた」という答に対して、他の子どもに「○○さん、誰が困ったの?」と聞きます。他の子どもにつなぐのはよいのですが、指名する前に全体に対して問いかけて、全員の課題にしておく必要があります。自分が指名されないと他人事だと思ってしまうからです。 「女の子」という答にたいして、何で困ったのと問い返しますが、これは内容の把握です。「泥がついた」「お尻に泥がついたらどんな気持ちになる」とやりとりが続きますが、この授業で何を子どもに考えさせるのかがずれているように思います。主人公たちがした行為がよいか悪いかではなく、「泥がついた靴で乗ったらあとから来た人が困ることはわかるよね。どうして、やっちゃったのかな?」と、このようなことにならないためにどうすればよいかを考えさせる必要があります。そのためには、主人公たちは悪気がなかったにもかかわらず、他の人の迷惑になる行動をしてしまったことを早く押さえなければなりません。この授業では、「後の人のことを考える」「ベンチは座るところだから乗ってはいけない」といったところに論点が行ってしまいましたが、「悪気がないのに他の人に迷惑を掛けてしまうことがないようにするためには、どうすればよいのか?」を問いかけて、子どもたちなりの言葉から、自分の行為の結果を想像することが大切であることを共有するとよかったと思います。 子ども役の言葉を受容して、つなげようとしていましたが、何をつなげる、どこを深めるかがはっきりしていなかったのが残念でした。道徳では「何がいけないことか」いう善悪だけでなく、「そういったことをしてしまわないために何が必要なのか」を考えさせることが大切です。このことを意識していただくようにアドバイスしました、 この続きは次回の日記で。 必然性を実感させることが重要(長文)
1学期末に小学校で行われた現職教育で授業アドバイスを行ってきました。
初任者の授業で、2年生の算数の「かさ」調べでした。 子どもたちは授業始めの挨拶が終るとすぐにだれてしまいます。授業者はそのことに気にせず、2本のペットボトルに赤い水を入れたものを子どもたちに見せます。今子どもたちに集中してほしい場面だと伝えることが必要です。 1年生の時にペットボトルで水の量を測ったことを確認した後、「問題です」と言ってこの水の量のことを何と言うかを問いかけます。これでは何を答えてよいかよくわかりません。1/5ほどの挙手があり、指名された子どもは「2リットル」と答えます。授業者は「1年生で習った、この水の量だよ」と言い返して、次の子どもを指名します。次の子どもは「ミリメートル」と答えます。困った授業者は「ヒント、『か』がつきます」と子どもたちにヒントを言います。これでは単なるクイズです。算数の用語と概念を結びつけるという発想がありません。子どもたちにとって、算数は一問一答で答える教科になってしまいます。「長さ」の概念を復習してから、「じゃあ、水の量は何て言うんだっけ?」というようにして、概念をきちんと押さえていくことが大切です。 「かさ」と答えた子どもは、アクセントが「傘」になっていました。授業者はすぐに「それでは傘になってしまう」といって、アクセントを修正します。ここまで、子どもの発言を一度も受容せずに、修正しようとする発言を返しています。自分の求める正解を要求していることになっています。これでは、子どもたちは、教師の求める答探しをするようになっていきます。どんな答であれ、まずは受容することから始めほしいと思います。 その後、すぐに「かさ」を全員で言わせて次に進みました。子どもたちから「かさ」という用語がすぐに出てこなかったのですから、「かさ」の概念が確実に理解されているのかを確認する場面が必要だったと思います。 授業者が、青い水の入った大きなペットボトルを取り出すと、子どものテンションが上がります。「さあ、問題です」と言ってどちらの水が多いかをたずね、挙手で確認をします。ほぼ全員が青い方に手を挙げます。赤の水の小さいペットボトルを1本足してもう一度比べさせます。次は、大きいペットボトル、その次は小さいペットボトルと交互に足して、その都度どちらが多くなったかを確認します。子どもたちは楽しそうに手を挙げますが、意見は大きく分かれません。授業者は子どもたちの反応を「ほう」と言って、そのまま受け止めます。自分の想定内であれば受容はできています。子どもが楽しくやり取りに参加していますが、ここまでは何か根拠を持って考えているわけではありません。そのため、どうしてもテンションは上がってしまいます。 ここで授業者は、「大きいペットボトルに入っている水と小さいペットボトルに入っている水とどちらがどれだけ多いか比べていきます」と課題を提示しました。子どもたちは、落ち着いて聞いています。中には「よしっ」とガッツポーズをしてやる気を見せる子どももいます。テンションが上がってもすぐに下がるのは、子どもたちの授業規律がよいということです。しかし、この課題は子どもたちにとって必然性のあるものではありません。どちらがどれだけ多いのかを調べるのは何のためでしょうか。ペットボトルの容積を比べることで、総量を計算して求めたり、比較したりできることは、大人にとっては当たり前のことですが、子どもたちにとっては自明なことではありません。せっかく子どもたちが興味を持ったのですから、「どちらが多いかどうすればわかる?」と問いかけて考えさせることが必要でしょう。子どもたちから、それぞれのペットボトルに入る水の量を調べればよいということが出て、初めて子どもたちの課題となるのです。その点を考えると、青色のペットボトルと赤色のペットボトルのどちらの水が多いか、意見が分かれるような組み合わせをつくっておくことが大切です。意見が分かれることで必然性ができるからです。この点を工夫するとよかったでしょう。また、冒頭に「かさ」という用語を復習しておきながら、この言葉をその後、まとめまで使っていません。これでは「かさ」という用語を、子どもたちが概念を理解して使えるようになっていきません。形式的に言葉を覚えさせているだけなのです。 子どもたちは、指示に従ってノートを広げ、めあてを写し、写し終ると「書けました」と声を出します。授業者は「書き終わったら、鉛筆を筆箱にしまいます」と指示を出します。この時期であれば、こういった指示は不必要になっているはずです。毎回同じように指示を出していれば、子どもたちは指示したことしかやらなくなります。受け身な子どもを育てていることに気づいてほしいと思います。 子どもたちの書くスピードの差が大きいことが気になります。授業者が早く書くことを求めていないことがわかります。書き終ったと判断して授業者は、「鉛筆を置きましょう」と指示しますが、先ほどは「筆箱にしまう」と言っていました。こういうことも子どもが混乱する要因です。ルールがあるならば統一しておくことが大切です。一部の子どもが「置きました」と返しますが、全員ではありませんし、置いていない子どももいます。それでも授業者はそのことには触れずに、顔を上げるように指示します。今度も「上げました」の声が上がりますが、そう言っているのに顔を上げていない子どもがたくさんいます。めあてを全員で読ませますが、ノートを見ていている子ども、まだ書いている子どもが目につきます。いろいろなことが形式的になっていて徹底されず、全員が参加できていないことが気になりました。 めあてを読ませた後、授業者が説明を始めますが子どもたちは一気に集中が落ちます。頭が一斉に動き始めました。これも、指示されたことだけ行動するという姿勢の現れでしょう。 「どちらがどれだけ多いかを調べるためにどういうものを使えばいいか」と問いかけ、隣同士で話させます。これも、かなり誘導的な問いかけです。「どうすればいいのか?」から、「どんな道具を使えばいいのか?」に変わっています。思考させることなしに、授業者が勝手に次のステップに進んでいるのです。子どもたちは思いついた答を言うだけで、考えが深まることはありません。 最初の段階で、長さでの学習を思い出させ、長さを測ったことを確認しておくことが大切です。定規を使って長さを測ると何がよかったのかを整理しておいて、「かさ」の時はどうすればよいのかと、考えさせるのです。過去のやり方をもとに考えるといった課題解決の手段を教えるよい機会だったのです。 机間指導で子どもたちが話しているところに割り込んで、授業者が話を聞きます。当然子どもは授業者に向かってしゃべります。もし聞くのであれば、子ども同士の話をじゃましないように、聞く側の子どもの横でしゃがんで同じ頭の高さにするべきでしょう。机間指導では、まずは子ども同士が聞き合えているのかを確認して、かかわれていないようであれば聞き合うことを促すことが基本になります。 子どもたちが少しざわついてきました。雑談になってきているのでしょう。授業者は「拍手一発」と声をかけます。すると子どもたちは一斉に拍手をして黙ります。しかし、身体をごそごそしたり、頭を触ったりと落ち着かない子どもが目立ちます。このルーティーンは拍手をしていったん黙ればそれでよいのだと子どもたちは認識しているようです。 手を挙げた子どもを列で3人指名します。最初の子どもの答は「計量カップ」でした。次の2人は隣同士です。一人目は「青色のペットボトル」隣の子どもは「青色のペットボトルと『同じ大きさの』ペットボトル」と答えました。授業者は「ああ、同じのね」と復唱しましたが、はっきりと「同じ大きさの」を足したことを強調し、焦点化して価値付けしたいところでした。「同じ大きさ」という言葉が「基準」という算数・数学の見方・考え方につながるからです。また、発表者に対して、なぜそれがよいと思ったのか、どう使うのかは問い返しません。何を話し合ったのか、他の子どもたちに同じかどうかを問いかけることも必要でしょう。根拠や過程を大切にしてほしいと思います。 授業者は用意していた1リットルの計量カップを取り出し、赤い水の入ったペットボトルと並べて示し、「計量カップとこれでOK?」と問いかけます。子どもからは、「よさそう」「青い方が入るかわからない」といった声が上がってきます。授業者は子どもの反応を見て隣ともう一度考えるように指示しました。子どもたちは話をしていますが、内容はバラバラです。何を問われているのかよくわかっていないのです。互いにかかわれるようになってくると、子どもたちはどんな発問に対してもとりあえず活動します。しかし、何が問われているかがはっきりしていなければ、何も考えは深まりません。 この場面は、問いが、最初の「何を使えばよいか?」から計量カップとペットボトルで「どちらがどれだけ多いのかが測れるかどうか?」に変わったのでしょうか。それとも、ペットボトルの水の量を計量カップでどうやって測るかを問いかけているのでしょうか。何も言葉を足さなかったのですから、最初の問いのままなのでしょうか。よくわかりません。何が課題なのかをきちんと焦点化して問いかける必要があります。また、このままでは、先ほど出てきた「同じ大きさのペットボトル」という発言も消えていってしまいます。「同じ大きさ」を使って焦点化するとよかったでしょう。「同じ大きさの青いペットボトルって言ったけど、どういうこと?」「赤いペットボトルじゃダメ?」「他のものでは?」と返しながら、基準となるものがあれば比べられることを押さえたいところでした。実際に、ペットボトルでやって見せて、その差がペットボトルちょうど1本分にならないと正確に差をつかめないことから、計量カップに目盛りがあることのよさに気づかせるといった展開ができると面白いでしょう。 子どもたちの活動を止めて、「どうすればいい?」と聞くと、素早く一人の子どもが手を挙げました。授業者はすかさず指名しますが、子どもたちはよくしゃべっていたのですから、挙手が増えるまでもう少し待ってもよいでしょう。または、「どんなことを話した?」と挙手に頼らず指名してもよかったと思います。指名された子どもは「コップ何杯かでやる」と答えます。授業者が「コップ?」と軽く復唱すると、子どもは「うん」と答え、「同じ大きさのやつ」と付け加えました。授業者は子どもの発言を受容して、「同じだったらいいのかな?」と全体に問いかけます。子どもたちの何人かはうなずきます。子どもたちは、差がどれだけかを測ることを課題として意識できていないので、何を授業者が求めているのかよくわかっていないようです。 授業者は赤い水の入っているペットボトルをもう1本出し、2本のペットボトルを持って「これとこれでいい?同じだよと」と再び問いかけます。子どもたちはそういうことじゃないと声を上げます。一人の子どもが「青い水の入ったペットボトルを赤い水の入っているペットボトルと同じ大きさのペットボトルに何杯か入れる」と答えますが、授業者はすぐに「もう少し詳しく調べて。どれだけ、どれだけだよ」「そのためには何かが必要だよ」と返します。子どもの発言はとてもよいものだったのに、完全に無視してしまいました。目盛りがあること以上に本質的な考えだっただけにもったいことをしました。授業者は一足飛びに自分の考える目盛りのあるものを使うことにもっていこうとしていますが、子どもの思考とはギャップがあります。子どもにとって目盛りの必然性はないのです。子どもの思考過程を意識することが大切です。 次に指名した子どもは「同じ大きさのカップに入れて・・・」と答えます。「同じカップ?でも、どれだけ?」と問い返しますが「できるだけ大きいカップ・・・」という答です。授業者と子どもはずれたままです。困った授業者は「さあヒント出そうか?」と言って「どれだけ。教科書にもありましたね。どれだけを調べるためには何かありましたね」と続けます。計量カップを見せて目盛りを指さし、子どもから「目盛り」という言葉を引き出します。子どもから「目盛り」と出てくると、待ってましたとばかり「目盛りがある物を使えばいい」と説明を始めました。子どもは目盛りの必要性がないまま、授業者の誘導に従って、計量カップについている線が「目盛り」を答えただけでした。 授業者は準備していた計量カップを2つ出して、「これでどう?」と問いかけます。子どもからはそれでは足りないという言葉が出てきます。授業者はそう言うと思ったと計量カップを5つ並べて見せました。 計量カップにペットボトルの水を入れて見せます。子どもたちは興奮気味です。それぞれの色ごとにペットボトルに水を入れて比べますが、半端は出ません。青色の水が4リットル、赤色の水が3リットルです。計量カップ4杯と3杯で目盛りがある必然性がありませんでした。これでは、小さいペットボトルで比較しても何も困らなかったはずです。 授業者は計量カップと言っていながら、「これを升と言います」と説明します。子どもたちが疑問を持たないのが不思議です。そして「量を測るのに単位が必要です」と言ってから、長さの単位の復習をします。唐突に単位が出てきます。ここまでの活動からは単位の必然性がありません。 子どもを指名すると「何センチとか何ミリ」と答え、その子どもは他の子どもに同意を求めます。賛成ばかりで反対の声は上がりません。一般にはこれでも通じますが、算数の授業ですからきちんと「センチメートル」「ミリメートル」と訂正する必要があります。基本単位のメートルを押さえてほしいと思います。 続いて、かさの単位を知っている子どもを指名して答えさせます。単なる知識を問うことに意味はありません。これは授業者が教えればよいのです。 リットルを使う練習で計量カップを指で指しながら一つ二つと順番に数えるように「1リットル」「2リットル」と言わせます。序数を使って基数を数えるというのは、できれば避けたいところです。ここでは、「計量カップが2つだから2リットル」とした方がよいと思います。 リットルの記号を教えて、簡単に書く練習をしたあと、色々な容器に入った水のかさを測らせます。水がこぼれてもいいように用意したトレーの中で測るように注意をしますが、であれば子どもたちに「何を注意する?」問いかけて言わせたいところです。 子どもたちに計測の結果を確認した後、1リットルの計量カップに入った水を持たせます。子どもたちに重かったかどうかを問いかけますが、かさを重さに代えてしまってはおかしくなります。これが1リットルのかさだと覚えておくように言いますが、容積が質量(重量)に変わってしまいます。容器そのもので量を理解させることが必要です。 量の実感を持たせるためにいろいろな国の容器をスライドで見せます。大きさの違うものを見せますが、スライドは実寸ではないので、4リットルと言われてそうかと思うだけです。量の実感を持たせるためには、計量カップ以外の1リットルの物を用意して、そこに水1リットルを入れて同じかさだと理解させるような活動が必要でしょう。 最期に、「水などのかさは1リットルがいくつ分あるかで表わします」とまとめのスライドを見せて終わります。まとめは、できれば子どもたちにさせたいところですが、このまとめではその意味もあまりなさそうです。 比べるためには、基準となるもの(単位)が必要なことを子どもたちまとめさせて、その単位がかさ(容積)ではリットルであることを押さえるとよいでしょう。 結局、単位や目盛りの必然性を子どもたちが実感することのない授業になっていました。子どもたちに量を実感されるところも弱かったように思います。算数・数学的な見方・考え方は何かを意識して、それを子どもたちにとって必然性のあるものにする授業を目指してほしいと思います。 |
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