子どもたちにどのような力をつけたいかが問われる

私立の中学校高等学校で、先週行われた公開授業研究に参加しました。

高等学校2年生の簿記の授業は、手形の仕訳についての学習でした。
子どもたちに問いかけたり、考えたりする場面が非常に少ないことが気になります。スライドをスクリーンに映しながら説明をしますが、顔が上がらない子どもが目につきました。
簿記の検定試験対策なのでしょうか、仕訳の仕方が中心で約束手形が経済活動にどのような意味を持っているのか、なぜ必要なのかについてはあまり触れられません。
学校教育はさておいて、一般の会社では簿記はコンピュータを使うことで素人でもさほど問題なくできます。それよりも、数字の持つ意味を理解できることの方が重要です。数字を見て、どこがおかしいか気づけるといったことが求められると思います。
約束手形の仕組みは知識ですので、教える必要があります。それを基に子どもたちに売掛・買掛と同じ点、違う点を考えさせるといったことをしてほしいと思います。
振出人、受取人、支払期日といった用語を先に説明して、手形の写真を見せますが、子どもたちは受け身で見ているだけです。そうではなく、手形にはどんなことを書かなければいけないか考えさせるとよいでしょう。写真を見ながら子どもたちが必要だと思ったことがどこに書かれているか確認し、支払う人、買った人といった子どもの言葉を振出人と言うと教えればよいのです。
仕訳も授業者が教えるのですが、売掛・買掛がわかっていれば、約束手形の決済には当座預金を使う(必要)ことさせ教えれば、自分たちで考えることができるはずです。気になったのが、仕訳で当座預金が相手方勘定になることの説明や、当座預金の果たす役割についてほとんど触れられなかったことです。約束手形を発行するには当座預金口座が必要ですが、その開設に審査があることが、約束手形の信用につながっていることは教えておくべきだと思います。
資産勘定や借方・貸方の意味がわかっていれば、手形の仕訳をどのように扱うべきか、論理的に答が出ます。子どもたちで考えられることは考えさせ、結論ではなく過程を大事にするよう意識してほしいと思います。
演習をさせますが、多くの子どもはやり方を示された後なのでスラスラできます。できる子どもはすぐに終わって自分で答を確かめています。正解だとわかっているので答の解説も聞いていません。仕訳できることが目的となっています。覚えることが学習になっているのが残念です。解答の確認は子どもたちで十分できると思います。もっと子どもたちを活動させてほしいと思います。
子どもが仕訳をする時間以外は、授業者が一方的にしゃべっています。それにもかかわらず、子どもたちはよく授業に参加していました。しかし、子どもたちがこの状況に対して不満を持つようになれば、一気に授業が崩れる心配があります。子どもたちが考え、互いにかかわるような活動を授業に組み込むことを意識してほしいと思います。

高校3年生の選択の政治経済の授業は生徒7人と先生によるゼミ形式のものでした。
授業者は子どもたちに文献を読ませたいと考えています。この日は、子どもたちが読んできた本について、互いに発表して聞き合う場面でした。
子どもたちの準備したものには、かなり差がありました。本の細かい内容についてびっしりと原稿を準備してそれを読み上げる者、本の内容を簡単に発表する者、単なる感想で終わる者、視点も量も様々です。原稿をしっかりと準備している者は顔を上げずに読んでいることが気になりました。子どもたちは発表者を見てしっかりと聞いているのですが、視線がからみません。友だちの発表についてどんなことを考えているのかを知りたいと思ったのですが、基本、授業者が質問して答える形なので、そういった機会はあまりありませんでした。
発表する内容については、テンプレートを与えてもよいと思います。視点や、量をあらかじめ決めておくのです。聞く側の視点についても与えておくことが必要かもしれません。発表のスキルも意識させたいところです。また、子どもの活動に対しては評価や価値付けが必要です。発表の後で拍手が起こることがありましたが、全員でないことが気になりました。儀礼的であるのなら、全員に拍手するべきです。よいと思うところがあったから拍手したのであれば、きちんと何がよかったのかを聞く必要があるでしょう。
授業者がコメンテータで進行役でしたが、発表とそれについてやり取りの時間が1人につき10分あるかないかでした。兵器の話に関連して、子どもから「電磁パルス」という言葉が出たり、経済の問題に関連して「不良債権」が話題になったりしますが、それについて深める時間がありません。結局、授業者が問いかけながら説明して終わってしまいます。子ども自身で調べたり、意見を交換したりする時間をつくりたいところです。
グローバル化で国内の仕事がなくなるという発表がありましたが、子どもたちはなぜそうなるのか疑問を持ったかどうか気になりました。しかし、授業者は子どもから疑問を出させるのではなく、自分で質問し、自分で説明をしました。子どもたちが主体となることを願っていると思うのですが、「授業者の知識自慢」に見えるような授業になってしまったのが残念です。進行役として発表を焦点化し、それについて子どもたち調べたり、考えたりして、全員で深めていくような進め方をするとよいと思います。
また、ある程度慣れてくれば、交代で子どもたちに進行役、コメンテータ役をそれぞれさせてもよいでしょう。人数も少ないので教師主導のミニ授業ではなく、子ども同士で運営できるところまで目指してほしいと思います。
次回から、論文を読むことに挑戦します。野心的な試みでよいと思いますが、子どもたちに論文を読む必然性がないことが気になりました。例えば、この日の発表で子どもたちが疑問に思ったことやもっと知りたいと思ったことを、論文をもとに考えるといったやり方もあると思います。
意欲的に授業改善に取り組んでいる先生です。子どもたちに経験させたいことを柱にして一連の授業を組み立てていますが、子どもたちの主体性やそれを通じてつけたい力も意識すると、授業がシャープになると思います。今後が楽しみです。

この続きは次回の日記で。

子どもの様子を見ることから始める

前回の日記の続きです。

採用2年目の先生の4年生の道徳の授業です。
自分の力で頑張ろうとしているお年寄りに手を貸そうかどうかを主人公が悩むことを通じて、相手の気持ちを思いやることを考える読み物教材を使ったものでした。

授業者は最初にワークシートを配った後、「いつも言っているけど、道徳は何のためにやるんですか?」とたずねます。ワークシートに名前を書いているので、それどころでない子どももいます。道徳の授業ではいつも聞くことなので、参加できていない子どもがいても気にならなかったのかもしれませんが、全員が参加の状態になるまで待つ必要があるでしょう。「生きるため」という答ですが、抽象的です。授業者は「今日もこんな場面ではこういうこともあるんだろうなということ取り扱っていきます。どういう風に生きていくのがいいのかを考えます」と説明しますが、子どもたちの顔は上がっていません。授業者も子どもたちの様子をちゃんと見ていません。形式的に話しているだけです。「生きるため」という言葉が単なるお題目にならないよう意識してほしいと思います。

親切にしてもらってうれしかった経験を子どもたちに問いかけます。1/3ほどの子どもがすぐに手を挙げると、授業者はすかさず1人を指名しました。自分の経験を振り返る時間をもう少し取りたいところでした。子どもたちは発表者の方に体を向けます。ゲーム機を欲しいと言ったら父親が並んで買ってくれたという発表に、子どもたちが拍手をします。この場面に少し違和感を覚えました。この発表の何に対して拍手をしたのでしょうか。内容は拍手をするようなものではありません。形式的に拍手をしているだけのように見えます。この授業では子どもたちが意見を言う場面がこの後いくつもありましたが、拍手は起こりませんでした。拍手の意味がよくわかりません。
また、次に指名された子どもも、ゲームを遠くまで行って父親が買ってくれたという似た経験でした。子どもたちは親切ということをちょっと違った理解をしているようでした。そこで授業者が、買ってもらった以外の親切を問いかけると、扉を開けてもらったということが出ました。それを受けて、「みんなはいろいろしてもらったことがあるね」とまとめました。この日の授業のねらいは親切を通じて相手の気持ちを思いやることを考えることです。「してもらったこと」とまとめるのではなくその時の双方の気持ちを問いかけたいところでした。
授業者は親切についてのお話と言って、副読本を開かせます。親切という言葉にこだわりすぎているように思います。

子どもたちが副読本を開いていてまだ話を聞く準備ができていない時に、「主人公は僕」といった説明をします。子どもたちの状況を無視して授業を進める傾向があることが気になります。授業者は子どもたちの準備ができるまで少し間をおいてから範読しますが、副読本を手に持っている子ども、机の上に広げている子どもとバラバラです。読み始めると頭がふらふらと動く子どもが目立ちます。しかし、授業者は副読本をずっと見続けて、子どもたちの様子に気づきません。ここは副読本を開かせずに顔をしっかりと上げさせ、子どもたちと視線を合わせながら範読するべきでしょう。

この日の教材は、次のようなお話です。

足の不自由なおばあさんに手を貸そうとした主人公が、申し出を断られます。そのことを母親に話すと、そのおばあさんは歩けるようになるために練習をしていると教えられます。暑い日に、つらそうに歩いているおばあさんに再びであった主人公は、声をかけようかどうか迷いながらもその後ろを歩き続け、結局、坂の上の自宅に着くまで見守ります。玄関で待っている娘さんのところにたどり着いたお年寄りが笑顔になるのを見て、主人公は心と心で握手した気持ちになりました。

授業者は範読を終わると、主人公の気持ちについて考えてみたいと言って内容の確認を行います。授業者は、「だれと出会った?」「おばあささん」「どのような?」「足の不自由な」と黒板に絵を貼りながらやり取りしますが、「しかも重そうな荷物を持っている」と言葉を足します。子どもに答えさせても、用意した絵を貼りながら授業者が言葉を足すのであれば、答探しになってしまいます。範読の途中で立ち止まり、絵を貼りながら授業者がその場で確認すればよいでしょう。

主人公が最初におばあさんに声をかけた時の気持ちを問いかけます。指名して答えるたびに板書をします。最初は発表を見ていた子どもも、3人目になるとほとんど見なくなりました。授業者はそのことを気にしていません。気づいていなかったのかもしれません。聞いていることの価値がないために、子どもたちの集中力が失われていきます。
続いてこの後どうしたと問いかけます。声をかけたことを確認して、親切にされた経験についてのやりとりでまとめた「してもらった」と関連づけて、これは親切かどうかを問いかけました。指名した子どもが「親切」と答えると、そのまま「親切だ」と結論づけました。この流れだと、「親切とは何か」ということに焦点化されていきます。親切かどうかではなく、相手の気持ちも問いかけたいところでした。

申し出を断られた時の気持ちを問いかけます。子どもから出てきた意見を受け止めますが、つなぐことはしません。子どもからは「嫌な気持ち」「せっかく」といった、ネガティブな言葉も出てきます。これが子どもたち自身の気持ちであれば、おばあさんの事情を知って揺さぶられるのですが、子どもたちは断られた理由を知っています。いろいろと意見が出ても、話の内容をすべて知っているので、どうしても自分に引き寄せることが弱くなってしまいます。
おばあさんを見かけたところで範読を止め、「君たちならどうする?」と問いかけ、その気持ちを全体で共有する。主人公が申し出を断られた時、「君たちだったらどう思う?」「おばあさんの気持ちは?」「どうして断ったんだろう?」と問いかけていけば、自分のこととして考えることができたと思います。

おばあさんが家にたどり着いたのを見届けて主人公の心が明るくなった時、どんなことを考えたのかを副読本を広げて考えさせます。まわりで意見を聞き合い発表しますが、ここでも意見をつなぐことはしません。子どもたちは発表を聞いてはいるのですが、反応があまりありません。授業者が子どもたちの反応を拾うことをしないこともその理由の一つでしょう。ただ、発表させるだけでは考えは深まりません。
「玄関で見守っていたおばあさんの娘さんの気持ちは?」「心と心で握手したとはどういうことか?」と問いかけますが、結局、本文に沿って気持ちを考える、表面的な読み取りをする国語の授業になってしまいました。

最期に、「この物語について」「友だちのよかった意見」「これからの自分について」、書けるだけ書くことを指示します。道徳の振り返りをパターン化しているようです。このこと自体は悪いことではありません。むしろ、子どもたちが考えやすくなるよい方法だと思います。問題は、子どもたちがこれに応えられるために必要な活動をしてきたかどうかです。友だちの意見を漫然と聞いているだけでは、どの意見がよかったとは答えられません。考えを共有し、自分の考えと比較するような場面が必要になります。これからの自分について考えるのであれば、自分に引き寄せる場面が必要です。このことを意識した授業設計が大切になります。

まだ若い先生です。まずは、子どもの様子をしっかり見ること。特に子どもの表情発言を意識するとよいでしょう。そして、子どもの発言を受け止めるだけでなく、価値付けしたり、つないだりできるようになれば、授業は大きく進化します。自分で課題を設定しながら、一つずつクリアしてほしいと思います。

何をもとに、どう考えさせるか

前々回の日記の続きです。

6年生の社会は元寇の学習で、蒙古襲来絵詞を前にして日本軍と蒙古軍の違いを発表させる場面でした。
授業者は子どもにたくさん挙手をしてくれてうれしいといった言葉を投げかけます。表情もよく、子どもたちが学習に積極的に参加する雰囲気がありました。
ただ、子どもの発言をハンドサインで賛成と確認はするのですが、多くの場合それで終わってすぐに次の子どもに意見を聞きいていました。子どもの意見や、絵と資料をつなげたりして、考えを深める場面をつくってほしいと思います。

子どもから弓矢の違いが出てきました。日本軍の弓は遠距離戦、蒙古軍の弓は近接戦用ですが、子どもたちではそのことは絵からすぐにわかるわけではありません。教科書や資料の説明を見ているだけです。すぐに賛成のハンドサインが挙がりますが、全員ではありませんでした、まずどこを見たのか、どこに書いてあったのかを確認して全体で共有する必要があります。その上で、絵ではどのような違いがあるのかを読み取らせるといったことが必要でしょう。弓の形状の違いや矢の長さの違いに気づくことができるはずです。そのことと弓矢の特性の関係を意識できるとよいと思います。小さい弓だと連射しやすそう、大きい弓だと力が強そうといったことが子どもの口から出てくれば、そのような視点をほめ、「絵から多くのことが学べる」と資料の価値を子どもたちに伝えるようにするとよいでしょう。

「弓矢に関連したこと」と授業者がつないだ時に、鎧の違いが発表されました。鎧も武具ということで関連したと考えたのだと思いますが、とにかく発表したかったのかもしれません。気になったのが、授業者がこれを受けて、服装について書いた人と挙手で確認をしたことです。弓矢に関連することと言ったのに、次の発表を服装と言ってしまうと、関連していなくても発表してよいと授業者が自身で言っているように聞こえます。ちょっとしたことですが、一言、「鎧も弓矢と同じように武具だね」とか「鎧と弓矢はどんな関連かな?」といったことを確認しておく必要があるように思いました。

子どもの発言は細かい重さの違いまで含まれていました。ここで隣同士、絵を見て違いを確認しますが、絵からの情報の方が少なくなっています。絵から違いを見つけ、その違いから日本軍と蒙古軍の軍隊の特性について子どもたち自身が考える方が、資料を読み取る力をつけることにつながると思います。蒙古軍が近接戦を想定した軍隊であることは教科書や資料集に書いてあります。そこを先に見てしまえば子どもたちが「装備の違いはなぜだろう?」と疑問を持たなくなってしまいます。ここでは、教科書や資料集は子どもたちの絵からの気づきを補足するために使うとよいと思います。

授業者が鉄砲(てつはう)について子どもたちにどのようなものかを問いかけますが、これは知識です。知っている子どもしか答えることができません。問いかけるのであれば、少し時間を与えて調べさせるとよいでしょう。中には憶測で「今の大砲のような物」と答える子どももいますが、そのまま受容しました。何人か答えた後で「みんな正解」と言ってしまいます。授業者は本当に大砲のような物と思っていたのでしょうか。もし、そうであれば教材研究不足です。何となく流してしまったのかもしれません。鉄砲(てつはう)はどちらかといえば手りゅう弾のような物と考えられます。子どもの知識に対して、どこで知ったのかその根拠を確認することも必要でしょう。ここは子どもに答えさせるのではなく、写真などを使い授業者が説明すべきだったと思います。

元寇には2回戦があったと言って、防塁の写真を見せます。授業者は何だと思うと問いかけます。子どもたちは写真を見て考えるのではなく教科書や資料集で答を探そうとしています。答探しをさせるのであれば、最初から教えればよいのです。どこにあるといったこの写真に関する情報を与えたり、特徴を言わせたりして、何に使われたのか考えるといった、資料から読み取る経験させる必要があります。

授業者は挙手した一部の子どもの発言を受けて、教科書で確認をしました。子どもたちが資料をもとに考えているようで、実は知識を調べて覚える授業になっていました。
子どもたちに、何をもとに、どう考えさせるのかを意識した授業の進め方を考えるようにしてほしいと思います。子どもたちを笑顔で授業できる先生です。このことと、子どもの意見を共有してつなぐことを意識すれば大きく進歩すると思います。

この続きは次回の日記で。

授業の変化が気になる(長文)

前回の日記の続きは、来週にさせていただきます。

2学期になって、私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。

高等学校は全体としては落ち着いているのですが、子どもたちの一部が参加できていない授業が以前よりも目立っています。子どもたちとのやり取りが多い授業、子どもの活動量が多い授業、活動の指示が明確な授業ではほぼ全員が参加でき、ICT機器を上手く活用していれば子どもたちの顔が上がっています。そうではなく、子どもたちが、ただ板書を写している授業、一方的に話を聞いている授業、何をすればよいのか、何がゴールなのかわからずに作業している授業などでは、集中が切れている子どもが多く見られます。同じ学級でも、授業者によって子どもの見せる姿が変わっています。先生方の努力や工夫で子どもたちの状況がよくなったため、工夫することをやめて以前の授業スタイルに戻っているように感じました。子どもたちが授業を乱すようなことはないので変化に気づいていないのかもしれませんが、あえて気づかないようにしているようにも思えます。この状態が続くと、子どもたちが全く授業に参加しなくなる可能性もあります。よい状態をつくるには時間がかかりますが、崩れる時は急激です。もう一度、授業のあり方を見直してもらいたいと思います。

中学校では、子どもたちの人間関係が少し変化しているように感じました。子ども同士のかかわりの中で、よい表情が増えているようです。この変化をうまくとらえて、授業の中で子ども同士がかかわる場面を増やすように意識してほしいと思います。

中学校1年生の数学の授業は比例の授業でした。
気になったのが、数学の用語や定義を授業者がきちんと意識して指導していないことでした。
前時の復習で、関数の例としていくつかの式を板書します。式と関数の関係や違いが明確でありません。「関数とはどういう関係?」と問いかけて、一人の子どもを指名します。「xがわかればyが決まる」という発言に、「そうだね」と言って「1対1の関係だね」と言葉を加えて次にいきます。関数の定義を授業者は意識していないようです。中学校の学習範囲でも定義域や値域はきちんと意識されています。押さえるべきことを押さえずに進めていることは問題ですし、x、yと変数の文字を固定しているところも修正しなければいけません。また、何より関数を式で表わせる数の関係と思わせてしまうことが危険です。関数の対応関係も1対1ではありません。本人は意識せずに1対1と言ってしまったのかもしれませんが、気をつけなければいけません。数学の教師は国語の教師と同じかそれ以上に言葉に慎重であるべきだと思います。
「関数にはいくつかの種類がありますが、……」と種類と言う言葉を使いましたが、式の種類(1次式、分数式等)のことを言っているようでした。関数の種類といっても、非常に多くの視点があります。何に目をつけているのかを明確にする必要があります。この時間で扱う比例やこの後出てくる反比例は変化の様子で分類しているものです。授業者はそのことを意識していないようでした。関数の授業で一番大切にしなければいけない変化という視点が欠落した授業になってしまいました。
黒板にスライドで「時速50kmで走る車の時間をx、距離をyとした時の表をまとめよ」と問題を提示します。その下に、xとyと表の枠が示されています。
時速○○kmと単位が表示されているのに時間と距離に単位がありません。また、時間と距離という言葉も不適切です。ある時点を基準にして経過した時間とその地点からの移動距離というのが正しい表現です。こういったところ雑にすると、問題の本質を見落とします。
授業者は「ポイントは式だ」と言って、まず式を書かせます。しかし、式がわからないときに表をつくるというのも大切なアプローチです。数学的な見方・考え方が意識できていません。表は変化を見る時に非常に有効なものです。
式を使って、「xが0の時yは?」と問いかけ、続いてxが1の時yが40、xが2の時……と表に数字を書き込みますが、なぜ0から表が始まるのでしょうか。ここに定義域を考える意味が出てきます。問答無用で0から始めるのは危険です。「表の最初はいくつから始める?」と聞きながら、問題の意味から定義域を吟味するところから始まるべきでしょう。また、なぜ1きざみなのでしょうか。連続量なのですべてを表に表わすことはできないことを意識させる必要があります。ここも定義が整数なのか、実数(まだ言葉は学習していませんが)なのかといったことを考える場面です。そこに全く触れずに、ただ作業をするだけになりました。y=40xの40の部分の色を変え、時速を変えれば赤い数字が変わりますという説明をします。この説明に何の意味があるのでしょうか。数が変わっても性質が変わらないことを押さえるのであれば、まずきちんとこの関係(関数)の特徴を押さえる必要があります。
表を埋めながら、「同じ割合で増えていきます」と説明しますが、同じ割合で増えるとはどういうことを言うのでしょうか。説明もせずに終わります。表をもとにきちんと考える必要があります。表の上下の対応ではなく、横の変化に注目するという関数の見方と方程式の解(式を満たす値)の集合との見方の違いを意識して扱う必要があります。
子どもたちは、スライドの情報が次々と増えていくので写すことに精一杯です。スライドを使うことで授業のテンポは上がりますが、子どもたちの考える時間を奪っていることに注意が必要です。
数学は何を学ぶ授業なのかをしっかりと考えてほしいと思います。

中学校2年生の理科は生物の分類の導入の場面でした。
授業者は「生物は何か?」と問いかけ、子どもたちを何人も指名します。とても難しい問いですが、子どもたちは思いついたことを自由に答えます。授業者は子どもたちのどんな答も受容していました。安心して意見が言える雰囲気が醸成されています。
生物の定義は大変難しいものです。授業者は細胞をもとにして定義することにし、「生物として生きるために必要なものは何か?」と次の問いかけをして書かせます。生物の定義と関連する代謝に子どもたちの視点を向ける発問です。よく考えられていると思いました。
机間指導をしながら「なるほど」と声をかけたり、わざと聞こえるように書いてあることを読み上げたりします。教室の雰囲気づくりを意識しています。
たくさん書いている子どもがいる一方で、一つ答を書いてぼんやりしている子どもがいます。「できるだけたくさん書く」「最低でも○○は書く」といった条件を付けるとよいと思います。
全体での発表の場面で、鉛筆を置くように指示をしてもまだ書き続けている子どもがいました。友だちの発言をちゃんと聞いている子どももいるのですが、授業者が板書をするとそれを見ていたり、写したりしている子どもが目立ちます。友だちの考えを聞く場面では、全員が発表を聞くことを意識して指導してほしいと思います。
授業者は子どもを受容することを意識するようになり、子どももよく発言するようになりました。よい方向に授業が変わっています。次は、「友だちの考えをどう思った?」「似たような考えの人?」というように、子ども同士をつなぐことを意識すると、互いにかかわることで考えが深まっていくと思います。授業がどのように変化していくか、これからが楽しみです。

高校3年生の国語の授業は新人の先生でした。教科書を範読しながら教室内を歩いている場面でした。
子どもたちの聞いている姿勢が乱れていることが気になります。授業への参加意識が低いようです。教科書に線を引くといった指示をしているのかもしれませんが、鉛筆を持っていない子どもが目立ちます。鉛筆を持っている子どもも、手が動く子どもはわずかでした。
範読の途中で、線を引きなさいと指示をします。「筆者がここで問題提起をしている」と説明しますが、授業者が言ってもあまり意味はありません。子どもたちが自分でこの文を重要だと思うことが大切です。せめて、「どうしてここに線を引くと思う?」と問いかけてほしいところです。
おそらく授業者自身が学生時代にこのような授業を受けてきたのでそれを再現しているのでしょうが、授業観の転換を図ってほしいと思います。

同じ教材で別の先生も授業をしていました。
範読の場面では、授業者はあまり歩きません。それよりも全体の様子を見ることを意識しています。時々質問をはさみますが、子どもたちはちゃんと参加していました。この場面に限らず、子どもたちがよく参加しているのは、授業者との人間関係のよいことが理由として考えられますが、指示が明確なので今何をすればよいのかがよくわかっていることも大きいと思います。
子どもを指名して発言させる場面では、子どもの言葉をしっかりと受容しながらよく聞いています。しかし、どうしもそれを受けて自分が説明しすぎる傾向があります。他の子どもにつなぐことを意識するとよいと思います。

高校3年生の国語で、「女子力」をテーマに子どもたちに論理的、分析的に考えさせる授業がありました。子どもたちに興味を持たせる授業をいつも工夫されている先生が授業者です。
まず、「女子力」とは何かを子どもたちに考えさせます。グループになっている子どもたちとそうでない子どもがいます。子ども自身にグループになるかどうかを選ばせているのかもしれませんが、一人で考えている子どもにも、他者と交わる機会をつくることが必要だと思います。また、グループの様子も一つの机に集まって額を寄せているところもあれば、机を寄せずに距離を取っているところもあります。きちんと机を寄せて子ども同士の距離を適正にしたいところです。
「女子力とは?」に対して、「ファッション」「容姿」「メイク」といった言葉が出てきます。その言葉をもとに、授業者が「女子力」という言葉に込められている、女子に求められる、女子が求めている価値について焦点化します。とても面白い場面なのですが、教師がぐいぐい引っ張っていき、子どもたちに一番考えてほしいところを授業者が説明することになっていたのが残念でした。
子どもたちから簡単に出てくるところは時間かけずにさらっと終わり、ポイントとなる課題を全体で焦点化して、子どもたちが互いに考え聞き合い、深める時間を取るようにするとよいでしょう。授業者が語りたいところでしょうが、そこをぐっと我慢してほしいと思います。
授業のテーマや課題の設定はとてもよく工夫されているので、子ども自身で視点を見つけられるような授業展開を意識すると、素晴らしい授業になると思います。

高校3年生の物理は、実験の内容や進め方を工夫して、子どもの主体性を引き出すことを意識されている先生の授業でした。
電場のする仕事について、式を書きながら穏やかな口調で説明します。聞いている子どももいますが、板書を写すことを優先している子どもも目立ちます。授業者は「電場が一様だとは?」というように、子どもたちに時々問いかけますが、すぐに自分で説明をします。子ども同士で相談したり、考えたりする時間を取ることも必要だと思います。実験以外の場面でも、子ども同士が主体的にかかわり、相談し合う時間をつくることで、自分の言葉で説明できる力をつけるように意識してほしいと思います。

1年生の英語の授業は、発音指導している場面でした。
子どもたちは楽しそうなのですが、今一つ集中していないようにも見えます。発音をする場面で口を開かない子どもが目につきます。しかし、子どもたちの雰囲気がよいために、つい「みんな上手」とほめてしまいました。このことには気をつけてほしいと思います。参加していなかった子どもは、自分はみんなに入らないと思い、ますます参加しなくなります。子どもとのやり取りや雰囲気づくりは以前と比べるとよくなっています。子どもたち一人ひとりをよく見ることを意識するとよいでしょう。

次週には、3日間の研究授業の公開があります。学校全体で授業を見直すよい機会としてほしいと思います。

子どもたちが考えるための、発問や活動を意識する

前回の日記の続きです。

小学校4年生の算数は、平行四辺形の性質の授業でした。
授業者は、まず子ども一人指名して「垂直って何ですか?」とたずねます。子どもたちの手が教科書に移ります。「いいよ、調べて、調べて」と子どもたちのよい行動を強化します。友だちが指名されても、自分のこととして教科書を見ようとするよい姿勢が育っています。授業者は早く見つけた子どもを指名しましたが、多くの子どもはまだ探している途中です。もう少し待って、最初に指名した子どもに答えさせたいところです。
指名された子どもは教科書の定義を読み上げます。「見ずに言える?」と聞きますが、難しそうです。他の子どもも指名しますが、やはり読み上げます。ここで意識してほしいことは、「2つの直線が交わってできる角の大きさが直角のときに、2つの直線は垂直であるという」といった言葉で覚えることよりも、具体的に図でどのような関係であるのかを理解し説明できることの方が大切だということです。図をスクリーンに映して、「垂直な“関係”にあるのはどれとどれ?」「この直線と垂直な直線はある?」と問いかけたりして、垂直が2つの直線の関係を表わす言葉であることを押さえておきたいところです。
続いて平行も確認しますが、やはり言葉の定義だけだったのが残念でした。

子どもたちに、教科書を見ているかもしれないけれど発表者の方を見るように指示します。このように聞くこと大切にしている場面が何度もありました。子どもたちに発表者を見る余裕を持たせるために、全員が見つけるまで待つか、探す作業をいったん止めるような指示が必要かもしれませんでした。

台形、平行四辺形と定義を聞いていきます。先ほどの指示のおかげでほとんどの子どもが発表者を見ます。しかし、発表者は基本的に読んでいるだけなので、どこに書いてあるのか見つけた子どもたちとっては聞くことにあまり意味はありません。この場面のねらいが今一つはっきりしませんでした。言葉の確認であれば、どこに書いてあったかを確認して全員で一斉に読ませたり、次々に指名して何人にも言わせたりするとよいでしょう。定義を理解しているかの確認であれば、台形や平行四辺形の図を見せて、なぜ台形なのか、平行四辺形なのかを、「どの辺とどの辺が平行だから、……」と定義を満たしていることをもとに説明させるというやり方もあると思います。

この日のめあて、「平行四辺形を調べる」を提示した後、スクリーンに2つの平行四辺形を映します。「この2つは平行四辺形です」と授業者が宣言しますが、できれば子どもたちに答えさせ、どうして平行四辺形なのかを言わせたいところでした。
授業者は「辺の長さ、角度をそれぞれ調べてください」と指示をしますが、図形の何に注目するかという視点が大切です。授業者が一方的に指示するのではなく、子どもたちに考えさせることが必要でしょう。「図形の性質を調べる時にどんなことをやった?」といった過去の経験を思い出させたり、辺や角といった図形の構成要素を整理したりするとよいでしょう。小学校の範囲を越えますが、3年生で学習した対角線が出てくれば、それも調べさせても面白いでしょう。対角線が互いに他を2等分していることに気づくかもしれません。上手く関係が見つからないかもしれませんが、辺と辺との関係や角と角、辺と角との関係を調べたりすることも大切です。授業者が指示することが子どもたちの考える機会を奪ってしまう可能性を意識してほしいと思います。
また、角度を調べるという言葉の使い方も気になりましたす。「角の大きさを調べる」と角と角度の違いを意識してほしいと思います。

調べたらメモをして、その中から自分が気づいたことを言葉にして書くように指示をしました。教科書をしまっているので、子どもから「教科書を見ながら調べてもいいですか?」という質問が出てきました。授業者が「見ないでください。何を見たかったの?」と返すと、「ほとんど」という答です。「教科書が無くても、プリントがあれば大丈夫」「ごめんね○○さん、また後で使います」とワークシートを配りました。「困ったら教科書を見ずに周りの人に相談してごらん」と友だちと関わることを促しておいてもよかったかもしれません。
まず一人でやるように指示して活動が始まりました。

時間が来てもまだ調べている子どもがたくさんいます。授業者はあと1分で自分が調べたことから気づいたことをまとめるように指示しました。辺の長さや角の大きさそのものではなく、その関係を見つけることが大切です。辺の長さや角の大きさは考えるための材料です。これが正しくなければ始まりません。まず、全体で値を確認することが必要です。物差しや分度器の使い方も大切なスキルですが、この時間の目標はそこではありません。早い時間に結果を共有して、そこを足場にして考える時間を取りたいところでした。
また、最初に平行四辺形を各自に自由に書かせて、それについて調べた値を全体で共有するというやり方もあります。中には、おかしな値があるかもしれませんが、そこから常に成り立つのかどうかという大切な視点に気づかせることできると思います。

授業者は、友だちの発言を聞くことを大切にしています。子どもを受容することもしっかりとできていました。指示も明確で子どもたちは指示通り活動ができます。だからこそ、子どもたちが考えるために、どんな発問をもとに、どのような活動するかを考えることが大切です。根拠となるものをきちんと全体で共有した上で考える場面をつくることを意識してほしいと思います。

この続きは次々回の日記で。

子どもたちに見通しを持たせてほしい

前回の日記の続きです。

5年生の算数は、入場券と乗り物券の組み合わせの値段からそれぞれの値段を求める問題でした。入場券と乗り物券5枚で1000円、入場券と乗り物券7枚で1200円です。
子どもたちはコの字型で座っているのですが、なぜコの字型にしているのかがよくわかりませんでした。ほとんどの場面で授業者は黒板の前で話をし、子どもたちは授業者に向かって話をします。友だちの話を聞くよりも板書を写すことを優先している子どもが目立ちます。また、授業者の反応から友だちの発言がずれているとわかると、発言の途中でも挙手をする子どもが目立ちます。一見すると明るい学級なのですが、人間関係に少し不安を感じました。

同じものは何かを子どもに問いかけます。子どもから、授業者が黒板に貼った入場券や乗り物券の大きさや形が同じという意見が出ました。授業者は「なるほどすごいことに気づいたね。さらっと流していこうか」と受け、笑いながら「形、大きさいっしょ」と板書します。受容しているようにも見えますが、子どもによってはバカにされているように感じるかもしれません。授業者は発言した子どものことがよくわかっているので大丈夫なのでしょうが、ちょっと気になる場面ではありました。
続いて違うことは何かを発表させます。子どもたちは、何でもよいから違いを発表しようとします。手が挙がるのはよいことなのですが、発言の算数的な価値付けをしていくことが大切です。
同じもの、違うものを考えることの意味は何でしょう。授業者の指示にそって考えるのではなく、「こういう時はどうするといいかな?」と子どもから比べるという発想を出させ、数学的な見方・考え方を育てたいところです。指示されて作業をしても見方・考え方は育たないことに注意してほしいと思います。

続いて、線分図に表わすよう指示しますが、線分図で表わすとよいと、子どもたちに判断させることが必要です。入場券と乗り物券の組み合わせの値段を表すいくつかの方法を出させ、子どもたちに評価させることが必要です。異なった方法で表わして、それぞれを基に考えさせ、どれが上手くいったかを考えさせるといった方法もあるでしょう。
2つの組み合わせを線分図で書かせますが、授業者は「入場券は一緒」とその部分を書いて、違っているところを書き足すように指示します。子どもが動き始めてすぐに、「同じ値段のものはキチンと同じ幅で書いてください」とヒントを言いますが、作業に入る前に線分図のポイントを子どもたちと確認しておく必要があったと思います。

指名した子どもに線分図をかかせます。書き終わった後、「余分のところは消してあげよう」と図の一部を消します。「えー」という声が子どもたちから上がりますが、「これ以上いらないでしょう」と授業者は無視します。不要なものを消すこと自体は悪いことではないのですが、このようなやり方をすると、授業者の求める答探しになっていきます。こちらからすれば不要と思えるものも、本人には理由があるかもしれません。必ず本人に「これは何?」と確認して、「なくてもいい?」と同意を求める必要があります。

授業者はここで急に声を大きくして、「さて」と黒板に向かって説明を始めます。子どもたちを集中させるために声を大きくしたのでしょうが、子どもたちの多くは作業中で、顔は上がりませんでした。
乗り物券の枚数を確認して、線分図に切れ目を入れ、「線分図と言われたらこういうものを書いてください」とまとめますが、子どもたちは説明を聞かずに結論を写します。これでは、自力で線分図をかけるようにはなりません。
授業者は「線分図をかくのが目的ではありませんね」と言いながら、次に進みますが、線分図をかくにあたって、その目的をはっきりとはさせていませんでした。線分図をかけば入場券、乗り物券の値段がわかるといった見通しを子どもたちは持てていません。
「それではちょっと同じものに目を向けたいと思います」と説明を始めますが、子どもたちは線分図を写すことに手一杯です。書くのをやめるように言いますが、これだけ多くの子どもが線分図をかけていない状況で先に進んでもあまり意味はありません。全員がきちんと線分図をかけるようにすることを優先すべきでしょう。

2つの線分図の違いが2マス(乗り物券2枚)であることを確認して、これがいくらかわかるかを問いかけます。挙手は1人ですがすぐに指名します。子どもたちの手が挙がらないということは、ここまでの説明がよくわかっていないということです。もう一度子どもたち自身で考える時間を持つ必要あります。
200円と言う答に子どもたちが反応しないので、「ここはいくらかわかりますね」と返し、「200円」という声が出たので、「どうですか?」と全体に問いかけました。「賛成です」という声に「皆さん、賛成ですか。ありがとうございます」と返します。賛成と言いなさいと強要しているようにも感じます。「賛成です」と答えている子どもの数はそれほど多くはありません。それも自信を持っているようには見えません。それを「皆さん」と言ってしまうのはかなり乱暴です。少なくとも、他の子どもに、答ではなくきちんと理由を説明させ、全員が納得する場面をつくる必要あったと思います。

授業者は「同じものに目をつけると違いがわかります」と説明しますが、違いを見つけることがなぜ必要なのか、なぜ先に同じものを見つけなければならないのかといったことが明確でありません。どのような見方・考え方につながっているのか意識してほしいと思います。
「差し引いて」と説明をした後に、「差し引く」とはどういう意味かを子どもたちに問いかけます。突然国語の授業になってしまいました。辞書的な意味ではなく、実際に算数の場面をもとに、こういう計算、操作を差し引くと言うとシチュエーションで教えることが本筋でしょう。

違いが200円であることを再び確認して、「今日は何が知りたかったの?」と問いかけますが、子どもたちはほとんど反応しません。ミステリーツアーのごとく、授業者の指示、説明を聞いていただけになっていました。
式を書かせますが、今度は式が中心になっています。式が線分図のどこを表わしているのか、どう対応しているのかを結びつけなければ、線分図のよさはわかりません。一つひとつの活動がバラバラになっていました。

子どもたちに見通しを持たせることと、この教材で身に付けさせたい見方・考え方を意識して授業を組み立ててほしいと思います。

この続きは次回の日記で。

子どもたちが目的やポイントを理解して活動することが大切

前回日記の続きです。

5年生の国語の授業は、本のポスターかポップ、帯をつくる活動でした。
授業開始時の授業者のテンションが高いのが気になります。子どものちょっとした声にもすぐに反応します。授業に関係のないような言葉は無視してもよいでしょう。授業者のテンションが高いので子どもたちのテンションが高いのか、子どもたちのテンションが高いので授業者のテンションが上がっているのかわかりませんが、子どもたちのテンションも高めです。
「タオル(を使う)止めてください」と注意するのに否定的な言葉を使ったことも気になりました。ちょっとした違いですが、「タオルを使うのはやめよう」とよい行動を促すような言い方にするとよいと思います。また、挨拶の後、子どもの聞く姿勢ができていないのにすぐにしゃべり始めました。授業中は、子どもたちはよい姿勢で聞くことができていたので、一旦集中させてから話し始めるとよかったと思います。

子どもたちへの見本として、授業者がつくったポスターを見せます。子どもから「じょうず」という言葉が出ると、「ありがとう。うれしい」と返します。明るいよい雰囲気をつくっています。続いて、帯とポップを見せます。
この日のめあてを示した後、「3つとも共通の言葉が書いてあるけれど、ポスターには他の物にはないものが書いてある」と、違いを問いかけます。挙手指名した子どもがポスターだけ書名が入っていることを発表すると、ほとんどの子どもが賛成のハンドサインを出しました。理由を問いかけると、挙手はパラパラです。すぐに指名すると「他のところに貼ってあっても、何の本のことかわかる」という答です。これに対する賛成のハンドサインは半分ほどでした。授業者は「なるほど、みんな同じ考えなの。もしかしてそうかもしれないね」と受けます。「正解」と言わずに、子どもの発言を受容しているのはよい姿勢です。しかし、みんなと言うには、ハンドサインを出している子どもは少なすぎます。他の子どもの考えを聞いたり、まわりと確認したりする必要があるでしょう。続けて、授業者は「もし学校に貼ってあっても、何の本かわかる」と説明をしていきますが、せっかく、「もしかしてそうかもしれない」と受けたのに授業者が説明しては、「正解」と言ったのと変わりません。子どもたちで説明する場面をつくることを意識するとよいでしょう。

授業者は3種類共通の文章は何かを問いかけますが、子どもは反応できません。何を聞かれているかわからないからです。そのことに気づいて、授業者は「この文章は引用で、今回作りました。引用というのは」と説明します。この説明も混乱に拍車をかけます。どんな文章を書けばよいのかと思った子どもは、「今回」という言葉で、他にもあるのかとよくわからなくなります。引用という知らない言葉が出てきてその説明が始まると、本来の問いである「どのようなことを書けばいいのか」が消えてしまいます。異なった次元の2つのことを同時に扱ってしまうと訳がわからなくなってしまうのです。

授業者は引用の説明をした後、引用かキャッチフレーズのどちらかを使って書きましょうと言って作業に入りました。引用といいますが、どこを引用すればよいのでしょうか。突然キャッチフレーズという言葉が出てきましたが、これも具体的にどのようにしてつくればよいのかわかりません。子どもたちが何を基に作業をすればよいのか不明確なまま進んでしまいました。

前の時間に押さえていたことだとは思いますが、まず、ポスター、帯、ポップは何のためのものか、その共通点と相違点を確認することから始める必要があります。その視点で授業者のつくった3種類の工夫を子どもたちに考えさせることが必要です。授業者がつくったものを見せることも悪いことではないですが、実際の書店のポスターやポップを見せることもリアリティがあってよいと思います。それを基に共通点や違いを見つけるという活動をすると、より視点がシャープになると思います。
子どもたちが自分の言葉で目的や具体的なポイントを理解して活動することが大切です。

この続きは次回の日記で。

作業の流れをコントロールすることが大切

前回の日記の続きです。

2年生の図工の授業は、グループで秘密基地をつくるというものでした。
子どもたちは新聞紙を丸めて棒にするなど、思い思いに作業をしています。しかし、グループとして活動しているというよりも、個人でつくりたいものをつくっているように感じられました。秘密基地という名前はワクワクしますが、秘密基地が秘密基地たりえるためには、そのような要素が必要なのでしょうか。グループ全員がその中に入れるといった条件を意識させたいところです。

授業者は事前に新聞紙をどのように使えるかの例を見せているようですが、子どもたちはそれ以上の工夫はしていないように見えます。新聞紙でつくった部品がどのような構成要素として使えるのかを子どもたちが考える時間や、新聞紙でどのようなものがつくれるのかをいろいろと試してそれを全体で共有するといった時間が必要だったと思います。
また、いくつかのサンプルを用意して、どのようなものをつくればよいのかのイメージを持たせることも必要でしょう。似たものをつくろうとすれば、自然にそれを見てどうなっているのかを知ろうとするはずです。子どもたちにいろいろな動きや思考を促すための仕掛けを意識してほしいと思います。

目先の作業に没頭して、ゴールが頭から消えている子どもが多いように感じました。テンションが上がり気味で、まわりの子どもにちょっかいをかけている子どもも目に付きます。
一連の作業の流れを明確にし、そこで必要なスキルやポイントを子どもたちに意識させることが必要でしょう。例えば、次のようなことです。

・何をつくるのか、その目的や目標をはっきりさせる(具体物を見せるとよくわかる)。
・条件内(新聞紙)で何ができるのか、できそうかを考える(どんな構成要素をつくれるかを見せる)。
・グループで、何をつくるかを考えさせる(ラフでいいので具体的なスケッチができるとよい)。
・グループで作業の手順と分担を考えさせる(細かい部品をグループ全員で先に全部つくってから組み立てるのか、構成要素ごとに分担するのか等を考える)。
・進捗を適宜確認しながら進めて、進行の調整する(子どもたちに任せっぱなしにすると、完成しないグループが出てくる)。
・完成した物を評価するだけでなく、進め方なども評価し振り返らせる。

一連の作業の流れを授業者がコントロールすることが大切です。

この続きは次回の日記で。

子どもが学び合うために大切なこと

1学期に訪問した小学校の授業アドバイスです。

1年生の道徳は、主人公が水やりをする時間になったのに気づかず、気づいた時に1回くらいやらなくても大丈夫だという友だちの言葉に従ってサボってしまったら、翌朝苗がしおれていてドキドキしたという話でした。授業者はゆっくりとわかりやすく話をします。少し集中していなかった子どもも次第に集中していきます。
話し終わった後、内容の確認をしました。最初に登場人物は誰かを問いかけますが、手が挙がるのは2/3くらいです。先生、女の子(私)と発言が続きます。コの字型にしているのですが、子どもは黒板の前に立っている授業者に向かって話をします。授業者ではなく友だちに向かって話すことを意識させることが大切です。そのためには、授業者が黒板の前でなく、子どもたちにもっと近い位置に立つといったことが必要です。
登場人物が2人挙がったところで、挙手がずいぶん減ってきました。登場人物は先生、私、友だちの3人なのですが、3人目が発表されてもまだ手を挙げている子どもがいました。授業者は「いいよ、ありがとう」と言って先に進みましたが、ここは、手を挙げている子どもを指名して聞いてみたいところです。間違った読み取りをしていたかもしれませんが、授業者も気づいていないよい視点での発言かもしれません。ここで切ってしまうと、授業者の求めるものしか発言できないというヒドゥンカリキュラムになってしまいます。
続いて、友だちと私がどんなことを話したかと内容を聞きますが、記憶がはっきりしないためか、手が挙がる子どもはわずかです。子どもたちは、自分が答えられないので参加意欲が失われ、友だちの話も聞いていません。集中力がどんどん下がっていきました。小学1年生にとって、話の内容を記憶することは想像以上に難しいことです。新しい人物が登場したらその場で確認し、話のポイントと合わせて黒板に書き留めるといったことが必要です。
また、挙手できない子どもをどう参加させるのかも課題です。授業者は、「みんなの意見が大切」「パスしてもいいけど、最期は意見を言って」「友だちと同じでもいいから、しゃべって」と子どもたちに告げますが、その時点で子どもたちの集中力は切れているので、多くの子どもが聞けていません。子どもたちの姿勢を正し、集中させてから話す必要がありました。話すだけでなく、実際に指示したことできた時にはほめて、よい行動を強化することが大切になります。先生が言ったことが具体的にどういうことなのかは、小学1年生ではなかなか理解できないからです。
また、子どもたちの聞く姿勢がまだ育っていないようなので、聞くことを評価する場面をつくることが求められます。「今、○○さんの言ったこと、もう一度言ってくれるかな?」「○○さんの考えをなるほどと思った人、どこでそう思った?」「○○さんの考えとどこが同じ、どこが違う?」といったことを問いかけ、ちゃんと聞いていれば活躍できる、ほめてもらえるということを子どもたちに実感させてほしいと思います。

2年生の算数は、子どもたちが問題を解く場面でした。
授業者は子ども同士で学び合ってほしいと願っているようです。このことはとてもよいことだと思います。
子どもが席を移動して教え合っていますが、一方的に教えている子どもが目立ちます。授業者は「後20分でわかるようになれよ」と子どもたちに大きな声で指示しています。机間指導をしながら、「正解」と声かけをしますが、これでは「わかるようになれよ」と言っているのに「正解」が「わかること」になってしまいます。そうではなく、問題の解き方を見つける力・考える力、説明できる力を大切にする必要があります。「考えて」と授業者は声をかけますが、具体的にどのようにすればよいのかは指示がありません。抽象的、感覚的です。授業者は絶えず何かしらの声をかけていますが、授業者の声が大きくなると、子どもたちの声も大きくなります。互いの声が影響し合ってどんどん大きくなり、教室は騒然としてきました。
「(教える人が)どんどん入れ替われ」と指示しますが、これでは教える側は言いっぱなしで、わからなければ相手の問題で仕方がないと無責任になってしまいます。そうではなく、「わかるまで」付き合う姿勢を持たせることが大切です。授業者は「逃げとるやつがいる。最悪」といいますが、次から次へと一方的に教えられたら、嫌になる子どもがいてもおかしくありません。静かな雰囲気の中で、じっくりと考えるようにする必要があります。正解ではなく、考え方をいかに共有できるかを意識して授業を見直してほしいと思います。

この続きは次回の日記で。

中学生の通学靴の規制と自由について考える

先日参加した、私が学校評議員を務めている中学校の青少年健全育成会議でのことです。
学校から子どもたちの通学靴に関する状況の説明があり、それに対する考えを聞きたいということでした。この市の他の中学校では色等に制限を設けているところがほとんどだそうです。この学校ではかつての生徒たちの要望で、靴の色などの制限がなくなっているのですが、今の子どもたちはその経緯を知らず、最近では派手な色の靴が増えてきているようです。ある生徒が入試の時に派手な靴ではチェックされて不利になるかもしれないと、弟の白い靴を勝手に履いて行き、弟が履く靴がなく困ったという事件が起こりました。これを機に、規制をすべきではないかという声が先生方の一部から上がってきているそうです。学校ではこの問題をきっかけに、子どもたちに自由や規範について考えさせようとしているようです。地域の大人のいろいろな考えを伝えて、多様な視点から考えさせたいという意図のようです。

出席者から、「(今の世の中)自由でいいじゃないか」という意見が出されました。また、「TPOを守れていればよいのではないか」「規制されると、割高な靴を買うことになって家計的には苦しい」という声もありました。私自身、基本自由でよいと思うのですが、どうしても皆さんの言葉に違和感を持たずにいられませんでした。昔は自由がなかったとよく言いますが、そもそも大昔は規則や法律などもなく、勝手に人の物を持っていったり、互いに殺し合ったりしたことも頻繁にあったはずです。それでは、みんなが安心して暮らせないので、規則や法律がつくられ、それを守らせるための仕組みが生まれていったのです。自由とは、規則があるからこそ生まれる概念です。そのことを無視して単純に「自由がよい」と子どもたちに伝えるのはどうかと思ったのです。
「TPOを守れていればよい」というのはその通りですが、このTPOの判断基準はどうなのかが大きな問題です。残念ながら大人でも守れていない方もいます。この問題をきっかけに、子どもたちがTPOについても深く考えてくれることを願います。また、親の金銭的な負担というのもよくわかりますが、論じられるべきは金銭的な負担と規制した時に得られるメリットのどちらが大きいかということです。子どもを育てるために親が支払うべきコストとしてその負担が妥当なものかという視点がほしいと思います。

思春期の子どもたちですから、服装や身なりなどを自分の好きにしたいという欲求を持つのは当然です。そのこと自体を悪いことだという気はありません。しかし、社会生活を送る上では、自分の欲求と社会のルールや約束事と折り合いをつけることが求められます。学校は子どもたちが実社会にでるための訓練の場でもあります。先生方はこの靴の問題を通じて、子どもたちにいろいろなことを考えてほしいと願い、社会の未来の担い手である子どもたちを育てるという視点でのメッセージを私たちに求めていたのだと思います。規制するかしないか、結論はどちらでもよいと思います。先生方の願い通り、子どもたちが真剣にこの問題を考えてくれることを願っています。

1年間を見通した学級づくり、授業づくりの本

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私が小学校の授業のことを考える時にいつも参考にしているのが、今年の4月から「授業と学び研究所」のフェローとなられた、元豊田市の小学校校長の和田裕枝先生の授業です。
その和田先生がこの度「学級づくりカレンダーをもとに創るわくわく算数授業」という本を出されました。

和田先生の授業をはじめて見たのは、今から10年以上も前のことです。2学期だったのですが、「こんな曖昧な発問で子どもが答えられるわけがない。あれ、どうして子どもたちは次々に答えるのだろうか?」と疑問が次々にわきこりました。どうしても子どもの目線で授業を見たいと思い、たまたま一番後ろの子どもが欠席していたので、その座席にずうずうしく座って見続けました。素晴らしいテンポで子どもたちがどんどん発言し、子どもの言葉で授業は進んで行きます。小学生がここまでできるのかと驚きました。「この授業は結果であって、4月に何をしているのかが問題だ」「きっとこういうことをしているはずだ」といった、「子どもたちの素晴らしい姿」と「その姿をこのようにしてつくったのでないかという予想」を、これまでにないほどメモしていました。
この後、直接お話を聞く機会や4月の授業を参観する機会をつくっていただき、小学生がどこまで育つのかという可能性と、どう育てればよいのかという具体的な方法について深く学ぶことができました。和田先生との出会いがなければ、小学校での授業経験のない私が、小学校で授業アドバイスをすることはなかったのではないかと思います。

1学期の終わりになっても一つひとつ細かく指示を出している学級によく出会います。この時期であれば、もう教師の指示はほとんど必要なくなっているはずです。指示してできるようになれば、指示をしなくても、ワークシートを配ればすぐに名前を書き、めあてを板書すればすぐに写せるようになっていなければなりません。
和田先生の素晴らしいところは、1年間を見通して子どもをしっかりと育てていることです。この時期までに子どもをどういう風に育てたいかが明確で、そのためにどうかかわるべきかが具体的になっているのです。「学級づくりカレンダーをもとに創るわくわく算数授業」では、私が和田先生から学んだ1年を見通した学級づくりが、「学級づくりカレンダー」としてわかりやすく具体的に記されています。「あの時この本が手元にあれば、あれほど悩まずに済んだのに」と、ちょっと恨めしい思いです。

また、「子どもの言葉を活かす」ことを目指している先生にたくさん出会いますが、実現はそれほど簡単ではありません。この本には、「子どもが主体的に発言をし、その発言がつながって考えが深まる」という、「子どもの言葉を活かす」授業をつくるための、教材研究のやり方や授業の進め方が、算数の授業を具体例にしてわかりやすく書かれています。和田先生は「主体的・対話的で深い学び」をすでに実現されていたのです。この本を読んで、私がいかに和田先生から影響を受けているのかをあらためて実感しました。

多くの先生に読んでいただきたい本なのですが、残念ながら一般の書店では手に入らないようです。愛知教育大学の生協に問い合わせてほしいとのことでした。私が授業アドバイスさせていただいている学校であれば、事前に連絡いただければ訪問日にお届けします。
一人でも多くの先生の手元にこの本が届くことを願っています。

タブレット導入のための研修

昨日は、私立の中学校高等学校で研修会に参加しました。今年度中学校に1人1台のタブレットPCを導入するにあたっての研修です。

今回、私からは、1人1台の環境をどのように活かすかという視点でお話させていただきました。
せっかくの1人1台環境ですから授業での利用だけでなく、日常的な利用を心がけることが大切です。子どもたちの生活の中で情報活用が自然に行われるような取り組みをぜひ考えてもらいたいと思います。タブレットが子ども同士や子どもと先生との日常的な交流にも使われ、これからの時代即した活用をされることを願います。

1人1台の環境であると、子どもたちの学力に応じて問題が出題されるドリル型の教材の活用が思い浮かびます。個に応じた学習という言葉は、教師にとって魅力的なものです。しかし、子どもたちに主体的に取り組ませるための動機づけや、よくわからなくて困っている子どもに対しての支援の仕組が必要になります。システムをつくった側はそういったことができるようになっていると言いますが、まだまだ課題はたくさんあるように思います。使い方のルールや教師のかかわり方といった運用面を工夫することで、システムの足りないところを補う工夫をしてほしいと思います。

現在システムがすぐに手に入るわけではありませんが、子どもたちがタブレット上で作業をする時に、どこにどのくらいの時間がかかったかといったログを取れるようなことも考えると面白いと思います。子どもたちがどこに時間をかけているのか、どこで思考が止まっているのかといったことを知ることができると、授業改善に大いに役立つからです。システムに頼らくなくてもできることはあると思います。このような視点も持っていただきたいと思います。

1人1台の環境で注意してほしいことは、グループ活動などで子どもが分断されてしまうことです。相談しなくても情報を得ることができるので、自分のタブレットで作業を続けてかかわることをしない可能性があります。調べることを分担して結果だけをもらうというような形では、グループで学習する意味はあまりありません。調べたことを基に、互いの考えを聞き合う場面が必要です。
問題によっては、ネットを使えば答がすぐ手に入ります。数学でも、全く同じ問題の答がネット上にあったりします。そのような環境で子どもたちに力をつけるためには、ただ問題を解かせるのではなく、調べるだけでは答が出ないような課題の設定や工夫、答がわかった後に考えることを仕組むといったことが必要です。こういった点で工夫をしなければ、今までの授業よりも、かえって子どもたちが考えることをしない授業になってしまう可能性もあります。

子どもの活動や成果物をデジタル化して保存しておく、いわゆるポートフォリオをつくることも考えてほしいと思います。学習の履歴を保存することで、自分の成長を意識することができるからです。また、担当教師が替わっても、その子どもの進歩を評価することができます。子どもの成長、進歩を見ることが大切だとはよく言われますが、現実には長期にわたる成長を見ることは簡単ではありません。デジタル化しておくことはこの点で大きなメリットがあると思います。
子どもたちは自分のできなかった過去を忘れたい、見たくないものだから、学習の履歴を保存することは辛いのではないかという意見がありました。子どもに寄り添った意見にも思えますが、少なくとも学校での学習に関して言えば教師の子どもへの接し方しだいだと思います。できなかったことをネガティブにとらえさせていることが問題です。子どもの辛い気持ちに寄り添った時に、教師がどのように働きかけているかが問われるのです。できなかったことは事実かもしれませんが、それをネガティブにとらえない、評価しないことが大切です。次にどうすればよいかを一緒に考え、たとえ少しでも進歩すれば一緒に喜ぶ。教師がそういう接し方をしていれば、できなかった時の記録を見て、「昔はこんなこともできなかったね。それに比べてずいぶん進歩したね」と笑えるようになるはずです。タブレットはあくまで道具です。それを活かせるかどうかは使う側の問題なのです。
また、個人のデータを貯めていった時に、タブレットの容量が足りなくなるのではという質問が出ました。確かにその通りです。しかし、それだけ使われたとすれば、タブレットの導入は成功したということだと思います。個人のパソコンにバックアップする、クラウド上のストレージを個別に持たせるといった方法や、学校でデータサーバを準備して卒業時に必要な子どもにはメディアにコピーして渡すというように対応はいくつかあります。現実に容量が問題となりそうであれば、その時の状況に応じた対応を考えることでよいと思います。まずは、どう使うかを考えることが優先だと思います。

研修終了後、何人かの先生から、「結局、自分たちがどんな授業をしたいかの問題だね」という言葉を聞きました。その通りだと思います。1人1台のタブレットを導入することが、先生方の授業改善のきっかけになることを期待しています。

新しいことに挑戦するからわかることがある

1学期に私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行いました。
この学校では、1人1回グループを活用した授業を公開することになっています。この日は3人の授業を見せていただきました。

高校2年生の体育の授業は、3人ずつのグループで、いろいろなスポーツの起源をテーマに調べたことをレポートとして発表する授業でした。校内では使用禁止のため先生に預けてある携帯端末を、この時間は解禁しました。インターネットや電子辞書が情報源です。
子どもたちは何をすればよいのかはわかるのですが、何のためにという目的やどういうものができればよいのかという目標・評価が明確でないので、テーマを決定するための話し合いの根拠を持てません。グループになってからテーマについて「歴史の長いのがいいな」「オリンピックもいいぞ」といくつかの例を授業者がしゃべりますが、こういったことを子どもたちが考えることが重要だと思います。選んだ理由も発表の中に加えるべきです。そのためにも目標・評価を明確にする必要がありました。
作業中に体育館に貼ることや見やすいものにしてほしいことを伝えますが、最初に伝えておくとよかったでしょう。読んだ人にどう思ってもらうかを意識させることが、目標・評価につながります。
子どもたちは、よい雰囲気で作業をしています。発表者が決まれば他の子どもは他人事になることもよくあるのですが、そういったこともありません。子どもたちの関係のよさと、授業者の温かい雰囲気がよい状況をつくっているのだと思います。
子どもたちの発表はしっかりしていたのですが、調べたことをまとめただけです。それを基に子どもたちが考える場面がほしいところでした。
「歴史はあるがマイナーなスポーツを紹介して、そのスポーツをやってみたいと思わせるようなレポートを書く」といった課題にし、聞き手の子どもたちにやってみたいと思ったかどうか、その理由を聞いて再度作り直すといった活動にすると、より深く考えることができたと思います。
子どもたちがある程度主体的、対話的に活動することはできていました。それをどうやってより深い学びにするのかが問われます。

中学校の技術は、数学が主担当の先生の授業でした。人員の関係でしょうか、2学年合同での、のこぎりの使い方を練習する授業でした。子どもたちは授業者の説明を集中してよく聞いています。道具や使い方のポイントを具体的に示し、今習得しようとしている技能を使って最後はどんな作品をつくるのかといった単元のゴールも明確です。また、「できるだけたくさん練習をする」「材料の木を押さえて友だちの補助をする」「グループでワークシートに気づいたことなどをまとめる」といったこの時間の活動のゴールも明確になっています。
指示を受けた後、子どもたちは学年ごとの教室に分かれて作業をします。授業者がいなくても子どもたちが騒がしくなるといったことはありません。のこぎりを持つ子どもはやることは明確ですから、真剣に行います。補助もしっかりやっています。しかし、一度に切ることができるのはグループに一人で、補助も一人で十分です。一部の子どもが、しばらくすると遊びだします。子どもたち決してやる気がないのではなく、自分がすべきことがないのです。グループでやる必然性がなかったことがこの状態での原因だと思います。
木を押さえる以外にものこぎりの角度や、向きなどが正しくできているのかチェックしてアドバイスすることを指示はしてあったのですが、誰がアドバイスするのかといったことは明確になっていませんでした。ローテーションのやり方を指示して明確にすることも必要だったかもしれません。木を切る練習だけなので、切った木は特に何も使いません。基本的に個人での活動です。グループ全員が同じ幅に切って、後でつなげて何かをつくるといった課題であれば、仲間の切ったものにもっと関心が向いたのではないでしょうか。
グループ活動では、グループである必然性が重要であることをあらためて感じました。

高校2年生の政治・経済の授業は、ディベートでした。
授業者は子どもたちの反応を「いいねえ」とポジティブに受け止めることや、つぶやきをひろうこともできます。教室はよい雰囲気で、子どもたちも問いかけにはよく反応してくれます。しかし、授業者が一方的にしゃべる時間がちょっと長いように思いました。
最初にこの時間の活動の何を評価するかを示します。しかし、「チームで点数をつける」「○○するとポイントが高い」「○○だと得だ」と、評価が、こうすればたくさん点数がもらえるという、試験の点数と同じレベルのものになっていました。確かに子どもたちを動かすのには手っ取り早い方法なのですが、これでは子どもたちが消費者的になってしまいます。この授業でどんな力をつけたいのかを明確にして、それができているのかどうかを客観的にするのが評価です。このつけたい力と連動した評価にすることを意識してほしいと思います。
続いて、「国家は必要か」というテーマでディベートすることを伝え、進め方の説明をしますが、子どもたちが一つひとつを咀嚼して理解する時間が足りないように思いました。子どもたちはディベートの経験はあまりないようです。そのため、説明を聞いても具体的にどのようなものか、何をすればよいのかイメージできず、話についていけていないようでした。そのためでしょうか、グループの隊形になる時に子どもたちの動きが遅いことが気になりました。
通常のディベートと違い、あらかじめどちらの立場になるのかをグループで決めます。これは結構難しい進め方です。もしどちらの立場になるのかグループ内で意見が分かれたときに、決定するうまい方法がないからです。ここは、機械的に振り分けた方がよかったように思います。
どちらの立場になるのか決めた後、子どもたちはワークシートを個人で埋めていきます。その作業からなかなか抜け出せずに、かかわれていないグループがありました。授業者はその一人に「いっぱい書けているから話そう」とかかわるように声をかけました。それを聞いていたグループの他の子どもがその子どものワークシートを覗き込みました。子ども同士をつなごうとすることはとてもよいことです。この時、話す側に働きかけるのではなく、「○○くんたくさん書いてあるよ。みんなで聞かせてもらおうよ」と聞く側に働きかけると、よりグループ全体がつながりやすくなると思います。
活動中に、授業者が「ほしいキーワードが出た」「素晴らしい意見」といったことを口にしますが、そうすると授業者が考える正解があると子どもたちが感じ、それを見つける活動になってしまいます。そうではなく、自分たちの意見を持つことが重要です。「○○をキーワードにしたんだね」とちょっと大きな声を出して全体に考えを伝えたり、「なるほど」と受容するだけにしたりすればよかったと思います。
また、ちょっと行き詰まっている子どもには説明をしていましたが、この課題に対して必要と思われる知識や情報は、活動前に全体で共有しておくとよかったと思います。授業者から伝える方法もありますし、子どもたちにどうやって考えるかと問いかける方法もあります。事前に伝えずに、途中でどのようにして進めているのかを発表させてもよいかもしれません。
時間の関係でディベートは1組だけで行われました。賛成側の最初の立論は時間が2分与えられていたのに、15秒で終わってしまいました。「それでいいのか?」と授業者に言われて、あわてて他の子どもが自分のワークシート差し出します。グループとして考えがまとめられていなかったようです。これは反対側でも同様でした。また、直接ディベートに参加していない子どもたちは、何を意識して聞くのかがはっきりしていませんでした。ちょっとグダグダしましたが、子どもたちはいい加減に参加しているわけではありません。何をすればよいのかのゴールがはっきりイメージできていなかったので、うまく対応できなかったのです。
最初に、ディベートのイメージをはっきり伝えておくことが必要でした。実際のディベートの動画を編集して5分ほどにしたものを見せるといったことをするとよかったと思います。授業者と子どもたち、子ども同士の関係もよいので活動のゴールを明確にするだけで子どもたちの動きはずいぶん変わったと思います。

先生方が授業改善に挑戦し始めましたが、最初から上手くいくはずはありません。しかし、新しい試みをすれば、子どもたちの姿に何らかの変化があるはずです。そこから多くのことが学べます。やってみなければ始まらないのです。先生方の授業がこれからどのように変化していくのかとても楽しみです。

国語教師以外にも読んでほしい本

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私が国語の授業を見る時に必ず意識する先生がお二人います。野口芳宏先生と伊藤彰敏先生です。このお二人なら「この言葉をどのように受けるだろうか?」「この場面ではどのような発問をされるだろうか?」といつも心の中で問いかけながら見ています。国語の授業に対する私の基礎をつくっていただいた方たちです。そのお一人の伊藤彰敏先生が、明治図書から「国語嫌いな生徒の学習意欲を高める!中学校国語科授業の腕を磨く指導技術50」というご本を出されました。

伊藤彰敏先生とは学校現場やいろいろな会でご一緒させていただくことが多く、その度に多くのことを学ばせていただき、また、自分の未熟さに気づかされています。何気なく見える指導技術も、そこに至るまでの多くの研究、研鑽と、それを支える子どもたちへの強い思いがあってのことです。
かつて伊藤先生の授業を見た時、指導案では想定されていなかった本文中の言葉を子どもが発言したことがありました。伊藤先生はその子どもの言葉を活かして予定とは違う流れで見事に授業を進められました。授業後どうして瞬間的に授業の流れを切り変えることができたのかをたずねたところ、一言「教材研究です」と言って本文のコピーを貼り合わせて巻紙のようにしたものを見せてくださいました。そこには、重要な言葉に線が引かれ、文や段落の関係が線で結ばれ、色々なポイントがびっしりと書き込まれていました。その子どもが答えた言葉にもしっかりと線が引かれ、全体との関係がわかるようになっていました。これだけの教材研究をしていたから、この言葉からでも授業をつくれると判断し流れを変えることができたのでしょう。

この本には、この教材研究の方法についてもしっかりと書かれています。しかし、これを読んで、私にはそこまではとても無理だとしり込みしてしまう方もいるかもしれません。もちろん、だれもが最初からそこまでできるわけではありません。伊藤先生も若いころは今とは全く違った授業をされていたそうです。焦らず、一歩ずつ授業を改善していけばよいのです。この本を読むことで、そのための視点や姿勢が見えてくると思います。どういう視点で授業をつくればいいのだろうか、子どもに寄り添って授業をつくるとはどういうことだろうかということが行間からにじみ出ているのです。
伊藤先生の授業技術をまねることで授業はよくなると思いますが、たとえ自分のやり方にこだわったとしても、この視点や姿勢を身に付けることで、自ずと授業の質は上がっていくと思います。

また、今流行りのアクティブ・ラーニングという視点から見ると、伊藤先生の授業は古いタイプに見えるかもしれません。しかし、形だけペアやグループの活動をしてもそれは活動しているだけで、子どもたちが深い学びをしているわけではありません。教えるべきこと、考えるための材料、深い学びを生み出すための課題といったことがきちんと準備されていて初めて深い学びが成り立つのです。アクティブ・ラーニングという言葉は新しいかもしれませんが、子どもたちがアクティブで深い学びが成立している授業は、この言葉が言われる以前からたくさんありました。子どもたちがかかわる必然性のある場面では、ペアやグループの活動も取り入れられていました。伊藤先生の授業には、アクティブ・ラーニングの原点というべき考え方がその根底にしっかりとあります。形だけのアクティブ・ラーニングではなく、真のアクティブ・ラーニングを考えるきっかけを私に与えてくれました。

中学校の国語の先生だけでなく、小学校の先生にも、高等学校の国語の先生にも、いやすべての先生方に是非読んでいただきたい書籍です。きっと自分の授業を改善するきっかけを得られると思います。

授業改善の新たな動きを感じる

私立の中学校等学校で授業アドバイスを行いました。

夏休み前で子どもたちの集中が切れる時期でしたが、全体的にはよく頑張っていたと思います。
中学校はタブレットの導入のこともあり、先生方が意欲的に授業を工夫しているように感じました。こういった意識の変化はうれしいことです。
1年生はまだ、幼さが残りますがまじめに授業に参加しています。ただ、授業で自分たちに何を求められているのか、どのような姿勢で授業に臨まなければいけないのかがよくわかっていません。子どもたちの行動を価値付けしながら、授業に向かう姿勢を育てる必要があるでしょう。
2年生は、基本的にはよい状態なのですが、一部の元気な子どもと他の子どもの温度差のような物を感じます。積極的に反応しない子どもたちもノートを写したりはします。受け身の活動だけでなく、もっと他の子どもとかかわる必然性がある活動を組み込むようにしてほしいと思います。
3年生は、最近ちょっとした事件があったためか、子どもたちが落ち着きをなくしているようです。夏休みで一度気持ちがリセットされること願います。
高等学校の子どもたちは、全体的によく頑張ってはいるのですが、特に3年生で授業開始直後の授業者の話に対して集中度が低いように思いました。作業になると集中は戻るのですが、これも長く続くと切れてきます。相対的には、1年生がよく頑張っているように思います。当たり前かもしれませんが、子どもたちの参加度、集中度は、グループ活動、個人の作業、授業者の説明の順に下がっていきます。集中度が低くても授業は十分に成り立っていますが、これでよしとせずに、先生方にはより高いところを目指してほしいと思います。

この日はいくつかの英語の授業を中心に見させていただきました。
3年生の英語では、自分の考えや気持ちを英語で表現することに挑戦しいていました。レベルの高いクラスでは、世界の子どもたちが直面している貧困などの問題について各自でテーマを決め、自分の考えを高校2年生の後輩に英語で伝えることが課題です。色々な情報をネットなどで調べて、日本語で考えをまとめてから英文にするのですが、自分の考えをわかりやすく伝えるためのレトリックも指導されています。子どもたちは集中して取り組んでいますが、中には息が切れている子どももいます。英文をつくる以前に、自分でテーマを決めることからつまずいているようです。終始個人作業を続けるのではなく、要所要所でグループ活動を取り入れるとよいと思います。互いのテーマを聞きあったり、下書きを読みあったりするのです。友だちの物を参考にしてもよいとすることで、苦しい子どもの動きは変わると思います。
もう一つのクラスは、エッセイに挑戦していました。ここでも、レトリックを意識させています。エッセイなので、日本語ではそれなりのものが書けているのですが、日本文を英語に直接訳そうとするために、文構造のおかしな英文になってしまいます。話す・聞くはいちいち日本語に直さずにできるようになったのですが、読み書きはまだ苦しいようです。書くこと以前に、英文を読む量が話す・聞くに比べて圧倒的に少ないことも、こなれた英文を書けない理由の一つのように思います。一昔前の子どもたちであれば、イソップ物語や聖書物語のような読み物は内容が想像つくので、ある程度のスピードで読めます。こういった読み物をテキストに使うことで量をこなすことができたのですが、最近の子どもたちはこういった基本的な読書の素養がありません。読む量の確保はなかなか難しい問題です。この学校における英語教育のこれからの課題です。

1年生の英語表現の授業は、発音や、リスニングが中心です。
“star”か”store”かを英文を聞いて聞き分けたりするのですが、聞き分けることができても確認で読ませると発音がおかしい子どもがたくさんいます。正しく発音できているかどうかの確認が課題です。口の開け方などを隣同士で確認するような場面が必要かもしれません。
この日のテーマは電話での会話です。リスニングを通じて表現を学ぶのですが、電話では最初の挨拶は”Hello.”であるとか、名乗る時に、”My name is ○○.”とは言わずに”This is ○○ speaking.”といった基礎知識を、最初に全体で問いかけて確認します。中学校の時に英語が得意だった子どもがすぐに反応しますが、覚えていない子どもはついていけません。一部の子どもの発言で授業が進んで行きます。ちょっとまわりと確認するといったことをして、できるだけ多くの子どもが参加できるようにしたいところです。気になったのが、”Hello.”を日本語の「もしもし」と直接対応させていたことです。英語と日本語を1対1に対応させるのではなく、電話でのあいさつは英語では”Hello.”、日本語では「もしもし」と電話でのあいさつという”situation”で対応させることが必要です。表現したい、されている”situation”をそれぞれの国の言葉で考えるように習慣づけさせたいところです。
一連の会話をCDからの音声で聞き取りますが、ただ聞くだけでは聞き取れない子どもがたくさんいます。何度聞いても”situation”がよくわからなかったり、聞き取れない単語があると思考がストップしたりしているのです。
授業者は一つひとつの単語をすべて聞き取れなくても、大体何を言っているのかわかるはずだと、全体の大きな流れを聞き取ることをするように指導します。ヒントを言いながら何度も聞かせますが、聞き取れない子どもは次第にあきらめムードになって、早く答を教えてほしそうです。聞き取れている子どもも、もうわかっているのでやはり集中力を失くしていきます。
子どもたちに聞き取れた単語やキーワードを言わせたり、どんな”situation”か、まわりと確認したりするような場面が途中で必要でした。また、授業の最初に行った、単語の聞き取りの影響か、子どもたちは一つひとつの単語を正確に聞き取らなければいけないという意識が強かったように思います。そうなると、知らない単語は絶対に聞き取ることはできないので苦しくなってしまいます。こういったことにも注意が必要です。子どもたちが知らなそうな単語があれば、事前に「こんな単語が今日は出てくるよ。どこで出てくるかな?」と練習しておくことも必要でしょう。
電話での会話といっても、CDで聞くだけではなかなか”situation”は理解できません。リスニングの前に、「どんな時に電話する?」「電話で起こりそうなことは?」と固定電話で友だちと連絡を取る”situation”や起こりそうなことをいろいろと考えさせておくというのも一つの方法です。こうすることで子どもたちが会話の”situation”を理解しやすくなると思います。
リスニングでは、何回も聞かせるだけでは聞き取れるようにはなりません。子どもが自分で「聞けた」「わかった」と思える場面をどうつくるかが大切になります。そのための活動や投げかけを工夫してほしいと思います。

この日は、何人もの先生から相談を受けました。
「グループに1台のタブレットを使わせているが、1台だとなかなか自分が使う順番がこないという不満が子どもたちから出ている。子どもたちのタブレットを利用する意欲が高くなっていて、1人1台の必要性の手ごたえを感じている」という話がありました。注意してほしいのは、この状態で、1に1台の環境になると、子ども同士のかかわりが薄くなる可能性があるということです。タブレットを使う時に子どもが他者とかかわらないからです。そうでなく、何を調べているか他の子どもが見たり、これも調べたらと横から声をかけたりしてかかわり合うことが大切です。そのためには、タブレットはグループの真ん中においてみんなから見えるようにして使うといったルールを決め、今の内にタブレットを使ってかかわり合う経験を積ませることが必要です。
また、自分の授業を公開して一緒に考えてもらおうとしておられますが、一部の方しか参観してもらえないのでどうしたらよいのか悩んでおられました。自主的に自分の授業を公開しようとする方が出てきたことをとてもうれしく思いました。この学校が変わっていくためにはとても大切なことです。焦らずに少しずつでよいので、授業を参観することが自分たちの学びにつながることを知ってもらうようにしてほしいと思います。参観した方にちょっとしたメモでよいので授業から学んだことを書いてもらい、それを公開するといった方法もあります。授業を参観しなかった人も交えて、感想を聞き合うような場を設けてもよいでしょう。教科を越えて授業について話し合うような雰囲気ができることを期待します。

知識とそれを基に考えるようなワークシートを中心として授業をされている先生は、子どもたち自身で答を出すことを大切にして、正解を教えないようしているそうです。正解を教えないので、子どもが大きな間違いをしていないか、全員のワークシートをチェックしています。よい試みだと思います。しかし、チェックに時間がかかるのでどうすればよいのかという相談でした。一つは、チェックするところを、子どもたちに考えてほしいことなどの、本当に見たいところに絞ることです。では、他の部分はどうするかというと、できるだけ子ども同士で解決させるのです。子どもたちは、聞き合うことがまだうまくできていないようですが、根拠となる資料や記述を共有するといったやり方をきちんと教えるのです。確認の時間をつくり、グループ内で意見が違ったところを全体で取り上げるという方法もあります。ワークシートに、どこを参考にしたかを書く欄をつくっても面白いかもしれません。何人かの子どものワークシートから参考にしたところを抜き出して印刷し、正解の代わりに次の時間に配るのです。
新しいことに挑戦するから、新しい課題が見つかります。それを解決すれば、また次の課題が見つかるはずです。こうして、授業改善のサイクルを回し続けるのです。よいサイクルがまわり始めていると思います。

また、ある先生はグループの答を黒板に書かせましたが、それを見て意見を変えてもよいという指示をされていました。考えを深めるための一つの方法ですが、それまでに時間を使いすぎて、実質的にはもう一度考え直す時間をとれていませんでした。時間を与えれば考えが深まるわけではありません。子どもたちがある程度の考えを持てて、それ以上深くなりそうもなければ、早めに切り上げて発表させればよいのです。その後、グループ間の意見の対立構造を焦点化したり、考えを揺さぶるような問いかけをしたりして、もう一度グループに戻すことで考えを深めることができます。

学校の中で、授業改善に対する新たな動きが起こり始めています。この動きをより大きなうねりにできれば、学校全体が大きく進化すると思います。

手順を子どもたち自身が考えるためには視点が必要

前回の日記の続きです。

8年生(中学2年生)の家庭科の授業はスナップの縫い付けの実習でした。
授業者は活動のねらいや家庭科としてどのような力を子どもたちにつけたいかが明確になっている方です。指示や提示の仕方などがいつも工夫されています。

チャイムが鳴り終わる時に一人の子どもが遅刻して入ってきました。その子どもは授業者に頭を下げて「すいません」と謝ります。他の子どもは立ったまま挨拶を待っています。「みんな待っててくれてるよ。みんなに謝ろう」と授業者ではなく子どもたちに謝らせて、仲間を待たせているという意識を持たせるとよいでしょう。こうすることで、待たされている子どもも、その子どもに悪感情を持たなくて済みます。この学級の子どもたちは、遅れてき子どもを見て笑い声で迎えますが、バカにしたような笑いでありません。友だちの失敗を笑えるよい人間関係があります。
授業を開始する前に、授業者が「○○さんと△△さんが(実習用具を)全部配ってくれたんです」と伝えると、子どもたちからありがとうの声が上がります。こういったところにもこの学級のよさが感じられます。

各グループの机に配ったスナップの縫い付けの見本を子どもたちに見させて、日常生活の中でどのようなところで利用されているのかを確認します。実物を見ているので、どのようなものかがよくわかります。何人かがつぶやきますが、それをすぐに拾うのではなく、挙手するようにうながします。私的なつぶやきを公的なものにするよい対応です。
子どもの発言を他の子どもに復唱させたり、「見たことがある人?」とつなげたり、子ども同士をかかわらせることが意識されています。筆箱という答が出てきますが、何のことを言っているのか他の子どもたちはわかりません。「筆箱の?」とどの部分かを問い返しますが、うまく言葉が返ってきませんでした。その子どもは実物を持っていなかったのですが、自分の筆箱を見せながら「ここのところに」とどのようなものかを手で示します。「あー」という声が上がりました。その説明でわかった子どもがいたようです。すると、スナップのついている筆箱を持っている子どもが、カバンから取り出してくれました。それを見せてもらって、全員がどのようなものか納得しました。一人の子どもの発言を大切にして、子どもたち全員がつながったとてもよい場面だと思いました。

利用されている例を具体的に確認した後、授業者はスナップが取れたらどうするかを子どもたちに問いかけます。「つけます」というつぶやきに、「だれが?」と返し、「お母さん」という答に「そうか」と受け止め、「自分でつける人は?」と再び全体にたずねました。手を挙げた子どもに対してうれしそうに、「あー、えらい」と声をかけ、「もう中学生だから自分でつけられるようになってください」「とれたら直して使う」と言葉を続けました。押しつけかもしれませんが、こういった思いを伝えることも大切なことだと私は思います。

手元の見本を見て、特徴を調べてみましょうと次の指示をします。日ごろの授業の中で、特徴とはどのようなことを言えばよいのか、何のために特徴を調べるのかをきちんと理解させているのか気になります。
グループで意見を交換させますが、あまり言葉が出てきません。発表を求めますが、手が挙がるのは1グループだけです。「裏から縫い目が見えない」という意見に、「同じ意見が出たグループ」とつなぎますが、手が挙がるのはもう1グループだけです。授業者は「いいじゃないですか」とほめますが、すぐに「他に?」と次にいきました。ここは、見本を確認させ、本当にそうなっていることを全員に納得させたいところでした。

子どもたちから手が挙がらないので、「じゃあヒント」と言って、「縫い始め、縫い終わり」と続けました。ヒントという言葉を使うと答探しになってしまい、「縫い目が見えない」は授業者が求める正解でなかったのかと思ってしまいます。
授業者はちょっと間をおいて、「はい、わかった人?」と問いかけますが、もう少し待って、見本の縫い始めと縫い終わりを見つける時間、考える時間を与えることが必要だったと思います。
指名された子どもはわかっているようなのですが、うまく説明できません。授業者は「助けてくれる人?」と子どもたちをつなごうとしますが、多くの子どもは見本を手にして眺めているだけです。縫い始め縫い終わりがが、まだ見つかっていないのです。
授業者は「どこから縫っているかわかる?」と質問を変えますが、なかなか反応が出ません。「縫い始めと縫い終わりは何と何?」と続けて、「玉結びから始まって玉止めで終わる」という言葉を何とか引き出しました。この後かなり時間を取りましたが、子どもたちはうまく説明できません。結局ヒントを出しても子どもたちが説明できないので、またヒントを出すという悪循環に陥ってしまいました。一部の子どもから発言を引出しながら、結局、授業者が最後に説明をすることになりました。子どもたちは先生の考える正解があるから、それが出てくるまで待とうとしているようにも見えました。
ヒントを言わなくても子どもたちが気づけるような課題や発問の工夫が必要でしょう。「見本と同じように縫うには、どのようにすればよいのか?どこに注意したらよいのか?」といった課題にして、過去の経験と対比させるとよいでしょう。例えば、「ボタンつけではどのようなことを注意した?」と問いかけ、「縫い始め」「縫い終わり」「順番」といった視点を出させるのです。
また、スナップを「どうやってつけよう?試しにやってみて」と、説明せずに少しやらせてみてもよいでしょう。そうすれば自然にどこから縫い始めようかと考え、見本の縫い始めを探すと思います。

スナップを縫い付ける手順の動画を子どもたちに見せます。注意してほしいのは、動画は情が流れて消えていくので、なんとなくわかった気になるだけで、頭に残りません。「見終わった時にポイントを聞くよ?」と視点を与えておいて、個人またはグループでまとめさせるとよいでしょう。子どもたちが動画を見る時に自然にメモを取るようになってほしいと思います。
動画を見終わった後、黒板の前に子どもたちを集め、紙でつくった大きな模型を使って、授業者がていねいに実演してみせます。子どもたちはとても集中して聞いていますが、また受け身で聞くだけです。ここは、一つひとつ問いかけながら、子どもたちの声に従ってやって見せるといった、双方向の活動が必要な場面だと思います。

グループに戻って、各自で作業を開始します。参考になるように、動画をBGMのように流しますが、知りたいところにすぐにアクセスできませんので、こういう使い方にはあまり向いていません。単純な静止画の方がかえって使いやすいこともあります。

これだけていねいに説明をしても、混乱している子どもが散見されます。先生に教えてもらおうと声をかけますが、「どうだったでしょうか?グループのみんなを信じて聞いてみましょう」と他の子どもにつなぎます。学び合うことがよく意識されています。
1グループ3人ですが、男女市松の形になっていることもあって、子ども同士が聞き合っている姿がよく見られました。子ども同士のよい関係がつくられてきています、
スナップの凸と凹を逆につけている子どもがいました。指摘された時に、「どちらでもよくない?」と返します。凸と凹の特性の違いを理解していないので、このような反応をしたのです。手順を教える時に止める側が凸になる理由をキチンと考えさせることが必要でした。
途中で間違えている子どもたちのために、再度前で説明しますが、多くの子どもたちは自分に該当することだと思わず、作業に手一杯で聞く余裕がありませんでした。

手順の説明が終わるまでに時間の多くを使ったために、最期まで作業を終えることができた子どもはいませんでした。しかし、この日の最低ラインの目標である凸の方をつけることができた子どもはかなりいました。全員が最低ラインに到達できているグループを確認しましたが、ありませんでした。そこで、2人ができているところ確認して、素晴らしいですねと評価します。個人作業ではありますが、グループで助け合うこと、みんなができることを大切にしていることを伝えようとしています。
「苦しみながらもだいぶコツがわかったから、次回はすぐにできると思います」と前向きな言葉でまとめました。最低ラインの目標をクリアできなかった子どもへの配慮もしっかりしています。子ども目線で授業をつくることを大切にされていることが、端々から伝わります。
実技教科ですので、手順を教えることが必要ですが、授業者は子ども自身に気づかせる、考えさせることをしたいと願っています。このことをこれからも大切にしてほしいと思います。そのためには、「過去の経験を基にする」「どうなるとよいのかというゴールを意識する」といった、気づくため、考えるための視点が重要です。このことを意識して授業を組み立てるとよいと思います。

授業者はこの1年間、新たな工夫をいろいろされていました。多くの点で授業が進化したと思います。私のアドバイスがこういった工夫のきっかけになったと、授業者からうれしい言葉をいただきました。子どもの姿を基に、謙虚に授業改善を続ける方です。これからも、どんどん授業が進化していくと思います。

どのような力をつけるための題材なのかを意識する

前回の日記の続きです。

7年生(中学1年生)の数学は正と負の数の応用で、仮平均を使って平均を計算する課題でした。
授業者は子どもが集中するまで待てるようになっています。話をし始めたところ教科書を触っている子どもがいたので、いったん話をやめて教科書を閉じさせました。子どもの様子がよく見えるようになっています。
この日の課題は1か月の博物館の入場者数を基に、何曜日にイベント開けばよいかを考えるものです。ここでワークシートを配ります。子どもたちは配られたワークシートを見ながら、「平日がよさそう」「火曜日がいい」・・・とつぶやきます。授業者はそれを復唱します。子どもたちがうまく興味を持ってくれているようです。しかし、それを全体で共有しません。「どうして平日がいいの?」と聞き返すことで、現実の問題と数学がつながっていくはずですが、すぐに各曜日の入場者数の平均を求めてほしいと指示します。

子どもからは、入場者が少ない日にイベントをやればよいという考え以外にも、もともと来客が多いのは来やすい時だからその日にやった方がよいといった考え方も出るかもしれません。いずれにしても曜日ごとに入場者数がどう違うかを考える必要があることを子どもから出させたいところです。曜日ごとの入場者数を比較するのにどうすればよいのかを問いかけて、平均という言葉を引き出すとよいでしょう。単に数値的な答だけでなく、グラフにして見るといった考えが出てくれば大いにほめ、どんなグラフにするとよいかを問いかけて、平均の必要性を導いてもよいでしょう。子どもたちからすぐに平均が出てくれば、「平均は計算がめんどうくさいから、合計で比較してもよいでしょう?」と揺さぶります。深く考えずに平均だと考えている子どもに、曜日によって1か月に何回あるかは違うから、比較するには平均を取らなければいけないということに気づかせることができます。この日の授業は平均の意味を考えることが課題ではありませんが、こういった機会に数学のもつよさや統計の意味を考えさせることが大切だと思います。

小学校の時にどうやって平均を求めたかを問いかけます。子どもからは「全部足してその数で割る」というつぶやきが出ます。授業者がそれを復唱すると、今度は「どれか1個を基準にしてやる」という声が上がります。授業者はそれを受けて、今日は1個を基準にして平均を求めてもらいますと結論づけますが、まず、最初の「その数で割る」という言葉が何を意味するか確認して、平均の定義をはっきりさせることが必要です。「その数で割るってどういうこと?」と問いかけて正しい表現に直させ、平均とは何かを全体で確認するのです。
ここで、授業者は金曜日を例にして平均を求めさせます。「一番少ないのは430」と自分で基準を決めます。ここでは、何を基準にすればよいのかを子どもたちに問いかけ、その理由を言わせることが大切です。グラフを使って「どこを基準にするの?」と聞くのも面白いでしょう。また、子どもから一番少ないところという考えが出てくれば、「一番大きいところじゃダメなの?」「一番じゃなきゃダメ?」と揺さぶることでこの日のねらいに近づけたることができます。
小学校の時に一番少ないものを基準にしたのは、負の数を使えなかったからということや、基準より大きいものと小さいものに分ければ小学校でもできるといったことを子どもたちに気づかせたいところです。基準との差を正負の数を使って考えることで一元化できることを子どもたちから出させたいのです。これが、この課題のねらいなのです。

子どもたちに計算させ、全体で確認します。平均を求めた後、突然、基準にした数のことを「仮平均」と定義し、仮平均を440にした時の平均を求めるように指示します。すでに平均は求めた後なのですから、なぜこのようなことをするのか子どもたちにはわかりません。単に指示されたことをやるだけになります。しかも、ワークシートには手順が書かれていて、その穴を埋める作業をするだけで、数学的な思考はしていません。手順を教わる、覚える授業になってしまいます。

答の確認では、途中の計算を一つひとつていねいに行います。計算練習をしているようにも思えます。そうならば、もっとたくさんの問題を解かせればよいでしょう。ここでは、何を大切にしたいのかをはっきりさせる必要があります。
授業者は仮平均が違っても、答は同じになると確認します。あたりまえと言えばあたりまえですが、グラフなどを使って視覚的に納得させるとよいでしょう。もちろん、「元の数は(基準)+(差)と書き直せるので、合計は、(基準×標本数)+(差の合計)となることから、標本数で割ることで平均は(基準)+(差の合計÷標本数)つまり(基準)+(差の平均)となる」という説明でもよいでしょう。ただ、この考え方を扱うのなら、ちょっと難しいので、教師が説明するのではなくグループの課題とした方がよいと思います。

続いて残りの曜日の平均をグループに割り振って求めさせます。仮平均をいくつにすれば楽になるか考えてやるように指示しますが、いきなり教師が指示しても意味はありません。仮平均を使ってとりあえず1回やっただけなので、楽になる、楽にしたいという感覚もないでしょう。どんな方法でもいいからもっと計算をさせて、それから考えるべきだと思います。常に、授業者が子どもたちを自分の求める結論に誘導しているようで気になります。また、この作業をグループでやることにどのような意味があるのかよくわかりません。子どもたちが額を寄せ合って考える、悩む場面がないからです。

グループ毎にどんな仮平均が出たかを確認し、理由も聞きます。あるグループで中途半端な値を仮平均として提案した子どもがいたのですが、グループで一つに決めた時の理由がはっきりしません。その子どもなりにちゃんと理由があったはずですが、うまく聞きだせませんでした。ちょっと残念でした。
子どもたちは、他のグループの発表を聞いても、グループごとに問題は異なりますから「そうなったのね」で終わってしまいます。仮平均を使った平均の求め方を理解している子どもは集中力を失くしてしまいます。何を考えさせたかったのかよくわかりませんでした。

正と負の数は基準とどれだけずれているかを比較するのにとても便利です。この時間はこのことをまず一番に押さえるべきことです。仮平均の活用であれば、どこを基準としても平均は計算できる。自分に都合のよいところを基準にすればよい。これだけです。都合のよいというのは、どういうことかは各自でいろいろと考えてみればよいのです。「切りのよい数だと、差を求めるのが簡単だ」「本当の平均に近い数だと、差の合計が少なくなって、割り算が楽だ」といった言葉が出てくればそれで十分です。真ん中あたりの数を仮平均にするとそのまま平均となるような例があるのはそのためです。

授業者は、子どもを受容する力が上がっています。子どもとの人間関係もよいと思います。発言を迷っている子どもを様子から判断して指名することもできます。次の課題は、教科書で扱っている題材が数学的にどのような力をつけるためのものなのかをもっと考えることです。そうすることで、どのような活動に時間を割くべきかが見えてくると思います。また、それによって、子どもの発言をどのようにつなげばよいかもはっきりすると思います。今まで以上に、教材研究に力を割いてほしいと思います。

この続きは次回の日記で。

用語の定義や見方・考え方を意識してほしい

前回の日記の続きです。

7年生(中学校1年生)の社会は気候の学習でした。
最初に、前時に学習した気候帯について、どんな気候帯があったかを問いかけます。半分くらいの子どもがノートを開きます。「まずは名前だけを言ってくれればいい」と挙手に頼らず指名します。指名された子どもはノートを開こうとしていましたが、指名されるとノートを閉じました。答は記憶で答えなければいけないと無意識に思っているのかもしれません。「サバナ気候」という答に対して、「あったねー」と受容した後に、「気候帯なんだよね」と気候帯と板書して、「帯とつくもの何かない?」と返します。
続いて「○○さん覚えている」と指名します。指名された子どもはノートを見ながら答えましたが、授業者は無意識のうちに知識を覚えることを求めていました。
この場面では、子どもたちは「気候(区分)」と「気候帯」の違い、関係がよくわかっていませんでした。ならば、まず子どもたちに問いかけるのは、「気候帯とは何か?」です。用語の定義や、なぜそういう考えが必要なのかを子どもたちが理解することが無ければ、社会科は知識を覚えるだけの教科になってしまいます。
前時の学習場面がわからないので何とも言えませんが、「帯」となっている意味もきちんと押さえたいところです。地球儀を見ながら、同じ緯度であれば日照時間や太陽高度は変わらないことに気づかせることで、気候と太陽に密接な関係があることが理解できます。
また、中学校ではケッペンの気候区分を基に気候帯を学習しています。ケッペンの気候帯の特徴は、平均気温と年間降水量を基に植生を意識してつくられていることです。植物(樹林)が育つかどうかで、非常に寒い地域、非常に乾燥している地域は植物が育たないので、最初に区別します。植物を意識することは、人が生活するために大きな要素となるからです。ここに社会科の本質の一つが表れます。社会科における見方・考え方を学ぶ大切な場面なのです。

この日の目標は「世界の気候についてもう一度考える」です。気候について考えるとはどういうことなのでしょうか。授業者そのことを意識していなければなりませんが、授業からはよく伝わりませんでした。
この日のワークシートを配って、グループをつくります。グループをつくってから教室の隅に置いてある電子黒板でいくつかの地域の雨温図を見せますが、見にくい子どもたちはどうしても手元のワークシートの方を見てしまいます。グループの隊形にして説明をする意味はありませんから、説明をしてからグループにするとよいでしょう。

この図を何と言うかを問いかけ、何が書かれているのかを確認します。ここで注意をしなければいけないのが、この雨温図には通常のものとは違い平均気温と年間降水量が書かれていることです。気候帯を大きく決定するのはこの2つだからです。しかし、授業者は「雨温図の見分け方はやったね」と言うだけで、このことに触れませんでした。ここに示した雨温図と気候帯を結びつけ、その理由も考えるという課題を提示し、「みんなの知識を結集して」と言って作業に入りました。
ここで、気候帯の数と雨温図の数が同じということが気になります。これだと試験問題の正解探しになってしまいます。また知識を結集すると言いますが、使うべきは各気候帯の定義です。これがわかっていないのに、雨温図を見て考えるのはおかしなことです。因果がごちゃごちゃになっています。

子どもたちは、一番熱いから熱帯というように、提示された雨温図の相対で答探しをします。逆に言えば、雨温図が一つしかなければ答を出せない可能性があります。同じ熱帯でも、熱帯雨林やサバナ、熱帯モンスーンなどの雨温図もいくつか混ぜることで、同じ気候帯に属していても雨温図の特徴が違うことに気づかせたいところです。そこから、そこに住む人々の暮らしが異なるはずだと考えさせ、より細かい気候区に分ける必然性につなげたいところでした。

子どもたちに結果を発表させ、その理由を問います。授業者は指名した子どもの発言がみんなに聞こえたかどうかを確認して、聞こえなければもう一度言わせます。みんなに伝えることが目的だと言って身体の向きを変えさせたりもします。全員に伝えることを意識させています。とてもよい姿勢です。ただ、話す側だけでなく、聞く側にも「しっかり聞こう」と意識させたいところです。互いに伝えたい、理解したいという意識を持たせることが大切です。また、1グループに発表させて終わりではなく、何人も指名します。一人の発表に対して、その意見をどう思うかとつなげることもします。意見をつけ加えようと挙手した子どもには、「いいよ」とほめることもできます。全員参加で、子ども同士をかかわらせることを意識できています。

気候の特徴を言わせて、それを理由にしますが、特徴と定義は違います。ここの因果関係は明確にしたいところです。熱帯である理由に、夏に降水量が多くて、冬に降水量が少ないという意見が出ました。授業者はこれをレベルが高いと評価しましたが、降水量の月ごとの特徴は気候帯とは直接関係ありません。子どもたちは、気候帯と細かい気候区分が混乱しています。授業者は実は乾季と雨季があることからこれはサバナ気候だと説明しますが、かえって混乱する可能性があります。これ以外にも、夏に乾燥するからといった気候帯と直接に関係のない理由が出てきます。温帯の雨温図の時に、温帯の中にいくつか気候があると、気候帯と細かい気候区の関係に初めて触れました。もっと早くに押さえておくべきだったと思います。
また、寒帯の理由を「平均気温が一番低いから」という発表がありました。もし雨温図の中に寒帯が入ってなければ、この考え方では間違えます。しかし、授業者は、何人かに納得したかと確認して、反対がないのでそれでよしとしてしました。これでは、試験問題の解き方を教えていることになってしまいます。

次の課題は地図上の都市と雨温図を結びつけるものです。この課題を先ほどよりは「実践的」と評しましたが、意味がよくわかりません。何となく試験問題を意識していたのでしょうか。こういった言葉が気になります。
気候帯は、多くは地図の緯度で決まりますが、内陸かどうかや高度にも影響されます。そういった地形がわからない状態で考えさせても、結局、資料等を見て答を探すことになってしまいます。社会科としてどのような見方・考え方を育てたいのかがよくわかりませんでした。

授業者は、子どもの発言を受容し、全員参加で子ども同士をつなげることも意識できています。しかし、なぜ気温や降水量に着目して気候が分けられるのか、それが人々の生活とどのようにかかわるのかといった社会科の見方・考え方が意識できていません。この後、気候ごとの人々の生活を学習しますが、そこで初めて触れるのでしょうか。この単元を通じてどのような見方・考え方を身につけさせたいかを意識する必要があります。
また、どうしても試験に出るような問題とその答の出し方を意識しているように感じます。何を根拠にすればよいのか、根拠となる定義や特徴とその違いといったことを意識して授業を組み立ててほしいと思います。

中学生のレベルを超えていると思いますが、グループでやるなら、正しいケッペンの気候帯の定義を基に、雨温図がどこの気候帯になるのかを考えさせても面白いと思います。条件文が入った定義ですから、国語の読み取りの力も必要です。また、式に雨温図の数値を当てはめる必要もあるので、数学の力も必要です。教科横断的で子どもたちのいろいろな力が必要なので、グループで活動する必然性も出てきます。ジャストアイデアですが、こんな授業も面白いかもしれません。

前向きに授業改善を続けている先生です。見方・考え方を意識することで、授業は大きく進化すると思います。今後が楽しみです。

この続きは次回の日記で。

子どもたちが根拠を持って考えるために何が必要かを考える

前回の日記の続きです。

7年生(中学校1年生)の国語の授業は、バラバラにした説明文を正しい順番に並べ替えるものでした。
前時に並べ替えを終わって提出させています。それを配ってもう一度見直すところから授業は始まりました、配る前に説明文を読む時のポイントを確認します。
挙手をさせずに最前列の子どもを指名します。その子どもの発言を受けて、「始め」「中」「終わり」と板書をします。子どもたちは落ち着いてよい雰囲気なのですが、指名された子どもは授業者に向かってしゃべり、発言者の方を向かない子どもや、集中していない子どもも目につきます。「始め、中、終わり」は小学校の言葉なので、中学校の言葉で何と言うのかを問いかけます。数人の挙手ですぐに一人を指名しました。発言者はノートを見ながら答えていましたが、ノートを見れば答がわかるのに他の子どもがノートを見ようとしていないことが気になりました。手が挙がらない子どもたちにノートを確認させたいところです。
授業者と子どもの関係はよいのですが、子ども同士のかかわりがまだ弱く、発問に対する参加意識も低いように思います。時間のこともありますが、復習場面では、同じ答でもよいので、テンポよく何人も指名して参加させたり、まわりと確認をしたりといった活動を入れたいところです。

確認したポイントを基に、前回やった並べ替えをもう一度見直すように指示します。子どもたちは自分のワークシートを眺めていますが、ポイントと並べ替える作業との関連が具体的にどういうことかがよくわかっていません。中には、教科書を読んで正解がわかっている子どももいます。子どもたちは理由の欄を埋めようとしますが、何を書けばよいのか困っているようにも見えました。5分ほど時間を与えましたが、時間を持て余しているようでした。
例題を使って、ポイントを基に考える場面があると子どもたちの様子は変わったのではないでしょうか。例えば、違いが文頭の「したがって」と「なぜなら」だけの原因と結果を表わす2組の文を用意して、「接続語に着目する」というポイントを使って順番を考えるといったものです。2つの文の関係と接続語の果たす役割から、根拠を持って順番を決めることができることを実際に経験させるのです。また、説明文のポイントと合わせて、段落の役割、内容にどんなものがあるかを「具体例」「根拠」「原因」「結果」・・・と子どもたちから出させておくと、自分が並べ替えた文章の構成を見直し、根拠を持って説明できるようになると思います。

続いてグループ活動をするのですが、グループで順番を決定することがゴールになっています。グループで話し合うにしても、子どもたちはその根拠を明確にできていません。答を知っている子どももいますから、これが正解だと言われると反論もできません。授業者は根拠にこだわらせようとしていましたが、子どもたちはどのようにして決定するかの明確なプロセスを持っていませんでした。落ち着いて話し合ってはいましたが、説明文の構造や最初に出したポイントを根拠にして結論を出している場面はほとんど見られませんでした。「○○の順番じゃないかなあ」と言う子どもが、「違う」と一言で否定され、しかたなく自分の答を書き直している場面もありました。
「筆者の考える順番以外でもよい」「筋の通る並べ方は一通り?」と問いかけ、これが正解だと決めるのではなく、これもよいのではと言う視点で比較させても面白かったかもしれません。「友だちの説明を聞いて、最終的な自分の並べ方を決定する」と、個人の結論を出すためにグループ活動を使ってもよかったかもしれません。全体の場で、自分の考えを変えた子どもにその理由を聞くことで根拠についてみんなで考えやすくなります。また、この段落とこの段落は絶対にペアになるというものをまず考えさせ、全体で共有しておくことで、文章全体の構造を考やすくするという方法もありそうです。

文につけた記号を使って、各グループの答を板書させます。全体で確認するにも記号だけなので内容の確認ができません。どうしても子どもの顔は上がりません。各文を大きく書いた短冊を用意して、話題になっている段落だけでも貼って、黒板を見ながら話を聞けるようにしたいところでした。

まず、先頭の段落を決めた理由を聞きます。発言者の声が小さいのですが、授業者は手を耳にあててしっかり聞こうという姿勢を伝えます。他の子どもたちに聞こえたかどうかも確認しました。全員に聞いてほしいと思っていることが子どもたちにも伝わります。
「自分の経験をもとに話題を出している」という説明でしたが、授業者はすぐにそれを板書します。ここは、「話題ってどこのこと?」と具体的に本文につなげる、「話題を出していると最初なの?」と根拠をより詳しく聞く、「なるほどと思った?」と他の子どもに納得したかどうかを確認し、納得した子どもによくわからない子どもへの説明を求める、といったことが必要だったと思います。根拠を大切にするためには、根拠とはどのようなものか、どう説明すると伝わるのかを子どもたちに経験させていくことが必要なります。

理由は同じかと他のグループに聞きますが、なかなか反応がありません。一人の子どもが挙手をして答えますが、視点は同じように話題づくりというものでした。
ここで、違う答のグループに対して、今の説明を聞いてどうかを問いかけました。ここからが子どもたちの考えを深める場面ですが、声が出ません。「やっぱり考えは変わらない?」「強い理由がありますか?」と続けますが、反応がありません。ここは考えを変えたかどうかは別にして、「こちらを選んだ理由を聞かせて?」とストレートに聞くとよかったでしょう。正解である多数派の子どもたちに、この理由を聞いて納得したか、考えは変わらないかを聞いたほうが、説得しようとしてより根拠を明快にできたかも知れません。ちょっと結論を急ぎ過ぎのように思いました。

結局、先生がこういった段落を序論と言うと結論づけました。論理が逆転しているように思います。「序論とは何か?」「なぜ最初にこういう段落が必要なのか?」といったことをきちんと整理しておいてから、この問題に取り組むべきでしょう。
「わかった」と違う答のグループに納得することを求めますが、なかなか反応しません。また正解のグループの子どもたちは、スッキリしたという反応ではありませんでした。最後は先生が説明して納得させようとするのでは、子どもたちは無意識のうちに先生の求める答探しをしてしまいます。

2番目の段落の理由を発表させます。子どもの説明はちょっと言葉足らずでした。授業者は質問しながら、「ああ、わかった」と言って「皆さんどうですか?」と聞きます。うなずいている子ども見つけて「うなずいてくれています」とつなぐのですが、そのまま授業者が説明しました。せっかく子どもがつながりかけているので、できればその子どもを指名してもう一度説明させ、子どもの言葉で全員が理解するようにしたいところです。「他に根拠がなければこれでいいですか?」と一問一答になってしまいました。

次の段落の理由で、「この」という指示語に注目した意見が出ました。同じ所に注目したグループはないかと聞きますが、このグループだけだったようです。他のグループの理由を聞き、発言を「壺と言う言葉でつながっている」とまとめて、だから答はこうだと結論づけました。先ほどのグループの意見は無視された形になってしまいました。このグループの一人が、他のグループの意見を聞いている時に、作業用のシートを指さしながら前にいる友だちに何か話していました。この子どもが何をしていたのか、何を考えているかを聞きたいところでした。
「どちらも壺という言葉でつながっている」という意見は、2つの段落が近いことの根拠にはなりますが、その順番を決定する要素ではありません。「何について書いてある?」「この2つの文の関係は?」「どちらが先?」といった問いかけで、文の関係を意識させることが必要だったと思います。最初に示した説明文のポイントを意識することなく、表面的な理由だけになってしまい、答を導き出せればよいという答探しになってしまいました。

授業者は根拠を問いかけているのですが、時間があまりなかったこともあり、どうやって考えたか、どんな議論があったかという過程を聞くことができませんでした。挙手をする子どもはごく数人です。多くの子どもたちが根拠もって考えられる、参加できるようになるために何が必要なのか、何を共有すべきなのかを明確にする必要があります。
説明文の構造、構成要素を意識させ、段落の内容を基にどれにあてはまるのか、それはどの言葉からわかるのか、キーワードは何かといったことをまず考えさせるとよいと思います。考えるための足場をつくることで、根拠を明確にすることができるはずです。

授業者は子どもの言葉を聞くことや全員を参加させること、根拠を大切にしようとしています。こういったこと意識して授業をしているのはとても素晴らしいと思います。以前と比べて確実に授業改善がされています。だからこそ、より高い壁にぶつかります。授業者はうまくいかなかったと反省されますが、失敗を気にせずに次はこうしようと前向きにとらえてほしいと思います。焦らずにこの姿勢で授業を続けていけば、きっと子どもたちは先生の求める姿を見せてくれると思います。

この続きは次回の日記で。

子どもたちが考える道筋を授業に組み込むことが課題

前回の日記の続きです。

8年生(中学2年生)の理科の授業は、発熱反応の学習でした。
これまでの復習で、化学反応について問いかけます。子どもたちからは酸化、還元といった言葉が出てきます。授業者はそれを拾って説明しますが、一部の子どもの反応だけで授業が進んでしまいます。つぶやいた子どもに全体に向かってしゃべらしたり、その用語の説明を他の子どもに求めたりといったことが必要です。用語ばかりで、酸化とはどのような化学反応なのかといったことがきちんと押さえられていないことも気になりました。
燃焼を熱や光を出す酸化という説明をしますが、子どもたちは熱については感覚的にしかわかっていません。熱と温度の関係をある程度理解していないと、この日の実験の意味はわかりません。

授業者は温かいものと冷たいものを混ぜた時の温度変化を例にして、熱が移動したという説明をします。以前と比べて子どもたちはよく授業者に集中しています。子どもたちが集中するまで話を始めないといった基本的なことができていることが大きいと思います。
温度が上がるということを熱の移動で説明しますが、もう少し温度との関係を押さえておきたいところでした。中学校の範囲では熱については詳しく学習しないので、難しいのですが、物体の熱の量が増えると温度が上がる、減ると下がるといったことだけでも明確にしておくことが必要だと思います。
今回の実験は、直接熱量を測るのではなく、物質の温度を媒介にして、熱量の変化を見ます。このことも意識させたいところでした。理科の実験では、直接測定できないものをそれと関係のある別のもので測定することが一般的です。重さを測ってその値から質量を得ることなどが典型です。無重力状態では重さゼロですが、質量は元のままです。天秤では質量の違いはわかりませんが、同じ力で動かせば、速度の違いで質量の違いがわかります。こういった視点を育てることが重要です。

この日の実験のためのワークシートを配りますが、中身は白紙です。自分で必要なことを書かせるという発想はよいと思います。そこに何を書いたかを後から聞いて、視点を全体で共有するとよいと思います。

使い捨てカイロを見せて、どうしてあったかくなるのかを子どもたちに問いかけます。子どもたちは、よく反応してくれます。その言葉を拾うだけでなく、ちょっとまわりと相談させる、子どもに説明させて納得するか問いかけるといった、子どもをつなぎ、広げる活動も必要に応じて組み込みたいところです。

授業者はこの日の実験の手順を説明しますが、子どもから「何が目的なの?」と言う声が出てきます。とてもよいつぶやきです。授業者がこの言葉を拾うことができなかったのが残念でした。
「使い捨てカイロが温かくなるのはどうして?」「どこから熱が来るの?」と問いかけ、どうやって調べればよいか考えさせることが必要です。温度を調べるというのであれば、どこの温度を測ればよいのかを考えさせます。熱がどこかから来るのであれば、そこの温度は下がるはずだということを事前に押さえておけば、何か所かを測るべきだと思うはずです。
疑問や仮説を持たせずに指示に従って実験をさせるので、「何が目的なの?」という言葉が出てきたのです。

使い捨てカイロと同じ原理で、鉄と炭を混ぜ、食塩水を垂らして、その温度を測ります。なぜ食塩水かについては、海では鉄がよく錆びるといった子どもたちの経験と結びつけてやりたいところでした。
単純で地味な実験ですから子どもたちの集中が続くか心配でした。しかし、熱中しているということはないにせよ、思ったよりも落ち着いた状態で温度計の目盛りを読んでいました。グループでの人間関係も悪くありませんでした。だからこそ、子どもたちに疑問や仮説を持たせておけば、もっと集中して実験に取り組んだと思います。

実験の結果、温度が上がったことを確認して、「温度が上がったということはどういうことでしょうか?」と問いかけます。熱と温度の関係を明確にしていないので、子どもたちは何を答えてよいのかわかりません。「熱?」というつぶやきが出たのでそれを拾って「熱が?」と返して、「熱が移動してくる」という言葉を引き出しましたが、どうしても一部の子どもとのやり取りで進んでしまいます。ここはまわりと相談させるとよい場面です。
「では、どこから?」と言って考えさせます。
子どもたちが考えている間に、ここまでのことを黒板に書き始めます。子どもたちは行き詰まっているので、考えることをやめて板書を写し始めました。ここは板書を我慢すべきだったでしょう。
板書を写し終ると再び考え始めましたが、考える糸口がありません。子どもをミスリードするために、わざと熱の移動にこだわっていたのですが、そこから抜け出せずにいました。
「炭」「塩」「空気」「酸素」といろいろ出てきます。これは実験する前に問いかけても、出てきたはずです。であれば、どうやれば測れるだろうかと考えて、何とかこれらの温度を測らせたいところでした。
授業者は「これはおかしいというものをないか?」と問いかけますが、子どもたちは考えようとしていても手がかりが見つかりません。「空気から熱が移動したのなら空気の温度は?」と続けますが、調べていないので反応できません。グループで相談させれば、声が出たかもしれませんが、全体で進めたので言葉が出てきませんでした。
結局授業者が「化学変化で熱が発生した」と説明をしました。

子どもたちは真剣に授業に参加しています。子どもたちが考えるための糸口を準備してあれば、自分たちなりの結論を出せたはずです。
熱の移動でミスリードしようとしたのが、結果的には失敗でした。「温度が上がるということは熱が加わった」「温度が下がると熱が奪われた」「一方の温度が上がって他方が下がれば熱が移動した」と整理しておいて、「使い捨てカイロの熱はどこから来るのか?」という問いで、何か所かの温度を測らせて考えさせたいところでした。
実験の前後を比較して「温度が上がっている」「熱を奪われたものはない」「変化したものは鉄と酸素で、これらが結びついて酸化鉄になった」という事実を整理して、そこから「熱はどこから来たと考えられそう?」と問いかけたいところでした。

授業者は落ち着いた話し方で、子どもたちの言葉をよく聞き、大切にしようとしています。子どもたちも真剣に授業に取り組んでいます。だからこそ、子どもたちが考える道筋をうまく授業の中に組み込む必要があります。子ども同士をつなぐことと合わせて、次の課題が見えてきました。簡単なことではありませんが、意識して授業を考えることで、きっとできるようになると思います。

この続きは次回の日記で。
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