次回の変化を楽しみにしたい授業

昨日は、中学校で授業アドバイスを行ってきました。

若手4人の授業を参観しました。この学校全体的に言えることではありますが、4人に共通しているのは先生がしゃべりすぎることでした。

講師の先生の2年生の社会科の授業は江戸時代の幕藩体制についての学習でした、授業を見て感じたのは授業者が何を目指して授業をしているのか、社会科の教師として子どもたちにどうなってほしいと思っているのかよくわからないことでした。「誰が江戸幕府を開いた?」「その趨勢を決めた戦いは何?」と復習しますが、数人が挙手するとすぐ指名して、はい正解ですと一問一答で説明をします。すべてが、この調子です。挙手するのは歴史が好きな一部の子どもだけで、常にこの子どもたちが答えます。
黒板に穴埋めの短い文を書き、その○の数に合う言葉を入れさせます。子どもたちは、ひたすらそれを写すだけです。授業者は黒板にばかり向かっていて、子どもたちをほとんど見ません。全体に対して話をしている時にも視線が下に落ちません。虚空を見てしゃべっているのです。子どもたちはよく耐えています。落ち着いている学校だからよいですが、ちょっと元気のよい学校だったら授業にならない可能性があります。
速く写せた人のため、復習の問題を一問一答で行います。多くの子どもは置いてきぼりで、歴史の好きな子どもとだけクイズ合戦をしているようなものです。
最後に、教科書を読ませながらここが大切だと用語に線を引かせて終わりました。
子どもたちはこの授業で何を学んだのでしょうか。何も考えることなく時間だけが過ぎていきました。授業者にはこれは授業ではないと厳しく伝えました。もう一度原点に戻って、何のために教壇に立っているのか自分に問いかけてほしいと思います。
次回訪問時に変化していることを期待します。

若手の2年生の理科の授業は、化合物の学習でした。
最初に20〜30問ほどの原子記号の小テストを行います。一部の子どもたちは問題配布前にしつこく教科書を見ていて注意をされました。また、採点は隣同士で行います。休みの子どもがいれば3人で交換するように指示しますが、ぐずぐずしてなかなかきちんとできません。先ほどの社会科の授業の後だったのですが、子どもたちが少し活動的になっています。決して授業を乱そうというのではありません。楽しそうに授業者とやりとりをしているところを見ると、授業者との人間関係は悪くないと思います。というより、この先生のことを好きなのだ思います。ただ、子どもたちは先生がどこまで許すのかを探っているようです。ちょっと強く指示をすればすぐに落ち着きます。基本的な活動のルールを決めて、それをきちんと守らせるようにすればよいだけです。小テストであれば先生が問題を配り始める前に、机の上は筆記用具だけにする。採点は隣同士交換で、休みの場合は3人で左(右)まわりに回すといったものです。きちんとできている人をほめながら徹底しておけば、子どもたちも余計なことをしません。ムダな時間が省けます。
問題を解く時間が少し長いように感じました。原子記号の問題なので、単なる知識です。考えて何とかなるものではありませんし、一生懸命思い出すことよりも忘れたものはまた覚えるようにすればよいのです。
解答を黒板に書きながら説明しますが、これにも時間がかかります。ICTを使って正解を黒板に映してポイントだけを説明したり、ちょっと面倒ですが解答を配って採点させたりすればよいと思います。
結局この小テストに25分もかけてしまいましたが、10分以内に終わらせたいところでした。
混合物、化合物、単体といった用語の確認を行います。授業者は子どもにたくさん発言させたいと思っているようですが、時間が足りなくなったせいか、一人に発言させるとすぐに自分で説明をしてしまいます。
いろいろな物を混合物、化合物、単体に分類して、化学式を書くワークシートを配り解かせます。中には、砂糖水の砂糖のように化学式を習っていないものも混ぜています。もちろん既存の知識や根拠をもとに解ける問題もたくさんあります。大切なことは答を知ることではなくどうやってそこにたどり着くかの過程や根拠ですが、そこが明確になっていません。
混合物、化合物、単体の定義は先ほど口頭で復習しましたが、これが根拠になるのですから、ノートや板書で確認して、明確にしておくことが必要だったと思います。
結局子どもたちから根拠を聞くことなく、1問1答で授業者が説明することになってしまいました。そうなると、子どもたちは最終的には授業者が教えてくれるので、真剣に取り組まなくても困りません。また、問題を解く過程を意識して価値付けすることがないので、正解かどうかばかりを気にする子どもに育ってしまう危険性があります。
混合物かどうかの根拠を説明させ、物質の化学式については(この時点では自分で作ることのできない知識なので)どうやって見つけた、どこに書いてあったといったことを全体で共有することが必要でした。
授業者は、子どもたちでは説明が難しそうなことは、どうしても自分で説明してしまいますが、そうではなく、子どもたちから説明が出てくるような工夫をしてほしいと思います。例えば、答の確認はグループでさせてもよいと思います。その後全体で、「大丈夫、みんな納得できた?」「自信がないところや、不安なところはない?」と聞くのです。子どもたちは、授業者が答を教えないと、わからないところや不安なところは確認したいと思うはずです。「同じところで困ったグループある?」「自信のあるグループはある?」「自信があるの?みんなが納得する説明してくれる?」とつなぐことで、子どもたち自身で考えて根拠を共有できると思います。
最後に残った問題を宿題にしようとしましたが、子どもたちからいろいろと言われ、問題数を減らす形で譲歩しました。子どもたちはこういう経験をすると、とりあえず自分たちに都合のいいことを言うようになります。こういう場面では、毅然としてダメと言えることが大切です。ここでも、子どもたちは先生がどこまで許すかを探っているのです。
授業をよくしたいという意欲のある方です。アドバイスも素直に聞いていただけました。次回、授業がどのように変化するかとても楽しみです。

この続きは次回の日記で。

新しい風が吹いていることを感じた訪問

先週は、私立の中学校高等学校で授業参観しました。

高等1年生の英語は、GDMを今年度から担当する先生方の授業を見せていただきました。
GDMに初めて挑戦する2人の先生は当初と比べてずいぶん進歩していました。子どもたちも理解しようという気持ちが前面に出て、よく集中していました。気になったのが、”Everybody”と全体で答えさせる場面で、全員の口がしっかりと開いていないのに”Very good!”と次に進んでしまうことです。余裕がないため子どもの様子を見ることができないのでしょうが、答えられなかった子どもは自分が答えなくても”very good”なんだと感じて、参加意欲が下がり、わからないままになってしまう危険性があります。正しく言えている子どもに対して、”Ok, good!”とそれでよいことを伝えてから再度全体で言わせると、”Ok”と言われた子どもは自信を持って大きな声を出すようになります。そうするとわからなかった子どももどういえばよいかわかるので、声が出るようになります。1回で終わらずに、全員の声が出るまでこれを繰り返すとよいでしょう。また、なかなか声が出なければ、ちょっと隣同士で確認し合ったり、一つ前の活動に戻ってもう一度やり直したりする場面をつくることも必要です。すぐには難しいかもしれませんが、意識して少しずつできるようにしてほしいと思います。
他の学校でGDMの経験のある先生は余裕があるのですが、子どもたちのテンションが上がる場面が少し目につきました。そういった場面だけ参加している子どもが目につきます。基本の場面をきちんと全員が参加して理解することを優先するようにしてほしいと思います。
気になったのが、どの学級でも参加せずに他のことをしている子どもが少しいることでした。この子どもたちは、「今使われている単語なんか知っているから」とバカにして参加していない可能性があります。GDMは英語を日本語に置き換えて覚えるのではなく、本来の意味を”situation”で理解する学習方法です。わかっている気になっていい加減にしていると、正しく理解できずについていけなくなってしまいます。自分がよくわかっていないことに気づかせるためにペアでの活動場面を意図的に取り入れることが必要でしょう。
今年度で高校1年生から3年生まで、すべてでGDMを取り入れることになりました。当然これまで経験していなかった方もかかわることになります。子どもたち以上に多くのことを学ばなければなりません。先生方が新しいことに挑戦できることが、この学校の強みになっていくと思います。

若手の数学の授業は解と係数の関係の場面でした。
授業者が説明している時に子どもの顔が上がっていないことが気になります。一人芝居になっていました。
解と係数の関係について、解の公式を使って一方をα、他方をβと置き、α+β、αβを計算させます。これでは数学ではありません。なぜそんな計算をしなければならいのでしょうか。解の公式がない高次元の方程式ではどうなるのでしょうか。一元n次方程式を解くことと、基本対称式を解くことは同値であることが根本にありますが、解の公式から始めることは本末転倒です。代数学の基本定理から導き出されるべき解と係数の関係の本質を外しています。せめて、2次方程式を解くのにx2+(a+b)x+abの因数分解を使って解くことは解と係数の関係を使って解を求めていることに他ならないといったことを子どもたちに気づかせるような展開を考えてほしいと思います。
数学の基本、本質を押さえた授業を目指すことが大切です。

今年度からこの学校に赴任してきたベテランの理科の先生の高校1年生の物理の授業を見せていただきました。子どもたちに学習したことを実際に生かすことを経験してほしいという授業でした。
落下する物差しをつかむことで反応速度を測ろうという実験です。ワークシート配り、精度を高める工夫をするといった実験としての評価の観点を説明しますが、具体的にどういうことかよくわかりません。また、子どもたちがしっかりと聞く態勢になっていないのに説明していることも気になりました。厳しい言い方になりますが、ちょっと一方的な説明になっていました。きちんと子どもたちが理解しているのか確認をしながら、コミュニケーションを取ることが必要です。実験も授業者がやり方をすべて指示します。子どもたちは言われた通りに活動するだけです。最初にペアの相手が離した物指しを何センチのところでつかめるかを実験し、結果を黒板の表に書き込みますが、何のために書き込むのかはよくわかりませんでした。反応の速い人がいるといったこと以外に、この表を使う場面は最後までありません。一つひとつの活動の意味をもう少し明確にしておくことが必要です。
続いて、何秒で反応したか計算してみようと課題を提示しますが、子どもたちはその必要性を感じていません。最終課題は、つかんだところで反応時間を測る測定器をつくることですが、どうやってつくるかは授業者が指示をしています。ここでも何をつくるのかよくわからなかった子どもがたくさんいたため、時間が経ってから再び説明をすることになりました。子どもたちの理解を確認する場面が必要だったということです。
グループで考えさせるのですが、わからなくても聞くことができない子どももいます。授業者は机間指導しながらそういった子どもに個別に対応をしていましたが、せっかくグループを使うのであれば、子ども同士をつなぐことに徹するとよかったと思います。
時々わからない子どものために、授業者が黒板を使って簡単な解説をしますが、子どもたちの顔はあまり上がりません。わかっている子どもは聞く必要がないからです。最終的に授業者が教えるのであれば、グループで考えさせる意味はあまりありません。「どこで困っている?」と問いかけ、「何を使った?」「どんな考え方をした?」と問題を解く過程を共有し、再び自分で解かせたいところでした。
結局、具体物を例にした問題演習と変わらなかったのが残念でした。
課題を子どもたち自身のものとするためには活動内容をすべてこちらで決めない方がよいように思います。素人の思いつきですが、次のような展開を考えました。
ただの棒を用意して、その棒をつかむゲームを子どもたちにさせ、誰の反応速度が速いかを問うのです。「どうして速いってわかる?」とたずねると、つかむまでの時間を元に答える子どもとつかむ位置を元に答える子どもがいるはずです。そこで、ストップウォッチや巻き尺を用意して、客観的に誰が速かったかの記録を取らせます。自分たちはどうやって測定するかを考えさせ、どんなこと注意をするか、工夫するかといったことを考えさせます。これが授業者の考える実験の評価につながっていくと思います。ストップウォッチを使って時間を測ったものと、つかむ距離を測ったものをどうやって比べるかを考えることを課題とします。また、どちらが正確かを考えると、ストップウォッチで測る時には、測定者の反応速度も影響するので誤差が大きくなり、精度を高めるには距離を測る方がよさそうだ気づきます。一方、反応速度とつかむ距離は比例しないことから、指標としては時間の方がよいことにも気づけます。こういったことから、距離を時間に直すために、長さの代わりにつかむ位置で反応速度がわかるように目盛りをつけて測定器をつくる意味が見えてきます。長さを使って時間を間接的に測るという経験は、「直接測れないものも、それと物理的な関係がある他の物を測ることで測定できる」という科学的な見方・考え方を知ることにもつながります。
実験や授業のネタの引き出しの多い方です。だからこそ、先生主導で与えるのでなく子どもたちが主体的になるような授業の組み立てを意識されると、素晴らしい授業が生まれると思います。とても意欲的で研究熱心な先生です。私の話も真摯に聞いてくださいました。これからどのように変化されるか次回授業を見ることがとても楽しみです。

中学2年生の社会科の地理分野の授業をタブレット導入の中心となっている先生と一緒に参観しました。
子どもたちは授業者の話を一生懸命聞こうとしています。授業者の問いかけによく反応してくれますが、反応する子どもだけとのやりとりになってしまいます。その反応を受けてまた授業者がしゃべります。結果として一部の子どもが反応するだけで多くの子どもは受け身の状態が続くので、集中力を失くす子どもが目につきます。しかし、子どもたちの状態は決して悪いわけではありません。集中力を失くしても、場面が変わればまた復活します。やる気はあるのです。ちょっとまわりと相談する場面をつくるだけでも大きく様子は変わるはずです。先生は伝えたいことがたくさんあるので、どうしてもしゃべりすぎることが多いのですが、子どもたちが活躍する場面をどうつくるかを考えることが大切です。自分が説明しなければわからないと考えるのではなく、子どもたちが自分で調べ、学ぶことが一番の方法だと考え、その必然性のある課題や場面をつくることを意識してほしいと思います。
こういったことをお話ししながら授業を見ていたのですが、話を聞いていた先生は他人事ではなく自分のこととして真剣に自分の授業を振り返っておられました。この姿勢が素晴らしいと思います。こういう方たちが原動力になっているのでしょう、中学校の先生方の雰囲気がよい方向に変わりつつあります。1人1台のタブレットの導入と合わせてどのような変化がみられるかとても楽しみです。

いろいろな面でこの学校に新しい風が吹いていることを感じます。次回の訪問がとても楽しみです。

どんな力をつけるのかを明確にして授業を組み立てる

以前の日記の続きです。

国語の授業研究は、2年生の「どうぶつ園のじゅうい」という教材で、時間を表わす言葉に着目して文章を整理する場面でした。

子どもたちは授業者の指示に従って素早く行動します。授業規律がしっかりできていることがわかります。また、授業者とのちょっとしたやり取りの中で子どもたちの笑顔がたくさん見られることから、授業者と子どもたちの人間関係のよさもわかります。学級経営がきちんとできている教室でした。

授業者が、文章を短冊にしてバラバラにしたものと台紙を見せます。短冊ごとに色がついています。子どもたちは「なんじゃこりゃ」と楽しそうに反応します。この日の活動に興味を持ったようです。2人に1つずつ配り、これから行う作業について説明を始めました。目の前にものがあるにも関わらず、ほとんどの子どもが顔を上げてしっかりと話を聞いています。この文章を並び替えるのが課題です。「この文章に注目したよ」というところに線を引くように指示しますが、並び替える基準がはっきりしないので、どこに注目するかと言われてもよくわかりません。

授業者は、並べ替えることはせずに、注目した言葉に線を引くことだけをペアで相談してやるように指示しました。しかし、どのように並べ替えるのかがはっきりしていないので、互いに相談するにも根拠を明確にすることができません。短冊が一つずつしかないので、分担して作業をするペアがいます。また、一方の子どもが場を仕切って道具を独占しているペアもいました。相談するという授業者のねらいとはずれた行動が目につきます。相談しながら協力して作業することが、子どもたちにまだ定着していないようでした。「個人で別々に線を引いた後、同じ所と違うところを確認する」「互いに理由を聞き合い、納得できたところに線を引く」「納得できない、意見が分かれたとろは違う色で線を引いておく」といったスモールステップに分けて作業をする必要があったように思います。

子どもたちが作業を終えた後、線を引いたところを元に順番に並べ替えるように指示をしますが、ここでどのような力をつけたいのかが問われます。時間に着目して正しく並べ替えることが第一になのか、時間に着目することを子どもたち自身に気づかせる、意識させることが第一なのかで、進め方は変わります。時間に着目して並べ替えることが第一あれば、線を引く作業の前に、時間を示す言葉に着目することを確認する場面が必要だったでしょう。そうではなく、子どもたち自身に気づかせたいのであれば、どこに線を引いたかを確認し、時間を表わす言葉使って順序立てることの価値付けをすることが必要です。順序立てて表現すると文章がわかりやすくなることを意識させることは、読解力だけでなく、表現力をつけるためにも大切なことです。

子どもたちのテンションが高くなります。根拠を持って相談しながら進めるのではなく、自分の思ったように並べ替えようとして短冊を奪い合っている姿が目につきます。子どもたちは授業者の指示に従って動いているだけで、何を根拠に考えるかという戦略がないままに活動しているのです。

授業者は子どもたちが並べ替えたものを写真に撮って、電子黒板を使って表示します。同時に複数を表示すると言葉までははっきりと見えませんが、色によって順番の違いはわかります。拡大コピーしたものが用意されていて、短冊の内容が必要な時にはそれを黒板に貼ることで対応します。なかなか面白い使い方でした。
子どもたちの意見が分かれているところが色によってわかるので、そこを焦点化して、どの言葉に注目したかを問いかけます。子どもたちの手はよく挙がります。「時間」とつぶやく子どももいましたが、授業者の耳には届かなかったようです。指名された子どもたちは、「朝」「昼過ぎ」と答えていきます。線を引けなかった子どもにも、それでよいかを確認します。よい対応なのですが、なぜよいのかという根拠が共有されません。結論ばかりが強調されます。子どもたちが線を引けていない文章もあります。線を引けた子どもに聞きますが自信がなさそうです。授業者はとりあえず発表されたところに線を引いておこうかとしましたが、ここは、「なかった」「線を引けなかった」子どもに、「何がなかった?」「どんな言葉を探していたの?」と聞くことで、視点が明確になり焦点化できたと思います。その上で、もう一度線を引く作業をさせたいところでした。やはり線を引いたところを確認するのは、並べ替える作業の前にしておいた方がよかったと思います。
朝、昼といった1日のいつ頃かが絶対的にわかる言葉がない文章で、「1日の終わりに」という言葉に線を引いた子どもが発表します。それまで、大きな声で「いいです」と言っていた子どもたちが反応しません。その中で「あー」という言葉を漏らす子どもがいます。よい場面です。しかし、授業者はそれを拾わずに、とりあえずそこに線を引いて、「ここまでで並べ替えてみよう」と先に進めました。ここは、「あー」といった子どもに、「どういうこと?」と問いかけたいところでした。

意見の分かれたところで、本文の言葉を根拠に説明できる子どもがいますが、子どもたちはあまり反応しません。友だちの意見を理解するのに時間がかかっているのです。しかし、その言葉を受けて授業者が、説明をして「これでいい?」と結論づけてしまいます。友だちの説明を聞いて納得した、わからないということを全体で共有しながら進めることが必要です。もう一度、ペアやグループにして相談させることも有効でしょう。
結局子どもたちがペアで活動していた時間は、あまり思考していなかったのです。そのことがいけないのではなく、いったん活動を止め、焦点化してからもう一度活動させるのです。線を引けなかった子どもに、相対的に時間の流れがわかる言葉に注目することに気づかせ、再度作業をさせることが必要だったと思います。

「1日の終わりに」「家に帰る」という言葉で、最後に来る文章がどちらかで意見が分かれます。授業者はここでもう1度相談させ、それから全体で確認します。
1人の意見に対して、「いいです」と声が上がります。授業者はそれで結論づけずに同じでもいいからと他の子どもにも意見を発表させます。よい対応です。次に発表した子どもの意見は、結論は同じでも理由が異なります。2人の意見を聞いて、子どもたちに動きが出ます。まわりにいる子どもと話を始めたのです。授業者は「いい?」と何人かに声をかけ、納得したことを確認して結論づけましたが、いいかどうかではなく、その子どもの言葉でもう一度説明させたいところでした。

子どもたちは、正しい順番に並べ替えるという作業をして正解を確認しましたが、結局何が大切だったのかははっきりしないままに終わりました。子どもたちにどういう力をつけたいのか、そのために何が大切なのかが明確になっていなかったように思います。
授業者は、子どもとの関係もよく、授業規律もしっかりとしています。だからこそ、課題もはっきりと見えてきます。子どもたちにどんな力をつけるのかをしっかりと意識し、そのためにどのような組み立てをするのかを考えることが大切です。この教材ではどのような見方・考え方を育てたいのかをまず考えることから教材研究を始めてほしいと思います。

一人一台のタブレット活用で意識してほしいこと

先週、私立の中学校高等学校を訪問しました。今年度、中学校の1年生全員に導入するタブレットの活用に関する研修に参加するためです。

研修は希望者のみでしたが、多くの方が参加されていました。積極的に取り組もうという意欲が感じられます。校長からのこれまでの経緯と今後の進め方についての説明に続いて、私から導入について意識してほしいことをお話しさせていただきました。既に先生方の検討委員会からは、方向性が職員会議で報告されています。中学校の教育改革の流れと一体でタブレットの導入が考えられています。これからの子どもたちに育てたい力を明確にし、それを元にどのような取り組みが必要かを示しています。授業を今後どのように変えていくべきかから出発し、その道具としてタブレットをとらえています。まずタブレットありきという流行に乗った目先だけをとらえたものではなく、しっかり足が地についていることに安心しました。

タブレットを使った実践はいろいろと発表されていますが、正直これだというものはないことからお話ししました。特に高等学校や私学では、学校ごとに子どもの実態は大きく変わっています。その学校に応じた活用方法を見つけることが必要です。何が正解かはやってみなければわかりませんが、どのような子どもたちを育てたいか、どのような子どもの姿が見たいかがはっきりとしていれば、実践の成否は自ずと見えてきます。先生方がその結果を互いに共有して改善していけばよいのです。先生方のその姿こそが、見たい子どもたちの姿そのものだと思います。

実践にあたっての視点をいくつか示させていただきました。今までの授業の延長線上に、タブレットやICTを使うことで効率的に進めることができることがたくさんあります。そこで浮かした時間を子どもたちが思考し考えを深める時間にすることができます。また、子どもたちが思考するための道具としての活用もあります。その時注意してほしいことは、タブレットやICTを使って得た結果ではなく、どのように使ったか、何を考えて使ったかといったその過程やきっかけを共有することが大切だということです。そして、授業に限定せず、情報活用の道具として日常的に使うようにすることも大切です。情報モラルや情報の裏を取るという姿勢など多くのことがこれからは求められます。その基礎を日常生活の中で身に付けることを意識してほしいと思います。

先生方は発信力をつけること大切にしたいと考えておられますが、発信力はただ発信すれば身に付くのではありません。受け手を意識すること、受け手の立場で考えることが大切です。いろいろな場面で発信以上に聞くことを重視し、受け手が発信から何を受け取れた、受け取れなかったかをきちんと共有することが必要です。発表した後、その発表がどうだったかを聞き手に評価してもらい、それを元にブラッシュアップする。再び発表してまた評価をしてもらう。こういったサイクルを回すのです。発信して終わりではなく、発信することから次の学びをスタートするという発想を持ってほしいと思います。

このようなことを話させていただきましたが、先生方からは反転授業やデジタル教材の扱いについて質問をいただきました。自分たちがこれからやろうと前向きになっているからこその質問でした。教材のデジタル配信などは、教材の質が高いことと、子どもたちに学ぼうという主体性が無ければ効果は期待できません。特に後者こそが先生方の役割として大切にしてほしいことです。

この日は、募集や入試関連の新たなシステム構築についての打ち合わせにも参加させていただきました。実際にどのような仕事をどのようにこなしているのかについての情報を聞くことができましたが、担当の先生の、自分にしかできないことに専念したいという言葉が大変印象に残っています。すべてを一度にシステム化できるわけではありませんので、優先順位を考え、戦略的にロードマップをつくっていくお手伝いができればと思っています。

多様な価値観に触れて自分の考えを深める道徳

昨日の日記の続きです。

3年生の道徳は子どもたちの考えを聞く場面でした。
この日の教材は、「大事に貯めていたお金とお祭りのためにもらったお小遣いでサッカーボールを買おうとしていた主人公が、友だちと祭りに出かけて予定のお金を使い切ります。これ以上お金を使うとサッカーボールが買えなくなるのですが、もう少しで景品が取れそうだから輪投げをもっとやろうと友だちに誘われ、どうしようかと葛藤する」というものです。

自分なら輪投げをやるかやらないかを子どもたちが答えているところから参観しました。
持っている3,000円を全部使っちゃうという意見が出ます。授業者は何のためのお金かを確認し、それでも使うかを問いかけます。「3,000円なくなるまでやる?」とたずねますが、それに対して「やる!」とはっきりと答えました。ここで気になるのが子どもたちの聞く態度です。今一つ集中していません。友だちが発表している間も手を挙げ続けている子どもも目立ちます。自分が発表したいばかりで友だちの考えを聞こうという姿勢が育っていません。
次に指名した子どもはサッカーボールを買えなくなるからやらないと答えます。すかさず「サッカーボールを買いたいから、やらないんだね」と授業者が理由を復唱します。「サッカーボール買えなくなるけどいいの?」とやると言っている子どもに問いかけます。「サッカーボールはいつかボロボロになる」という答に「6年は持つよ」「3年は持つ」といった声が上がります。その一方で全く反応しない子どもも目立ちます。授業者は発表している子どもばかりを見ていて、他の子どもの様子が見えていないようです。一部の子どもだけで話が進んでいます。
授業者は子どもたちを揺さぶろうとしていますが、子どもたちの考えは揺らぎません。その理由の一つとして、子どもたちがサッカーボールをどうしても欲しいものと思っていないことがあるように思います。「長い間ほしいと思って頑張って貯めていた」というところの押さえが甘かったのかもしれません。子どもたちに、どうしても欲しいけれどなかなか買ってもらえないものがあるかどうか聞いてもよかったでしょう。
祭りは年に一回だけど、サッカーボールはお母さんに買ってもらえばいいという意見が出ます。授業者が買ってもらえなかったから頑張って貯金したことを指摘しますが、授業者が反論するのではなく、「今の意見どう思う?」と子どもたちに指摘させるとよいと思います。授業者の揺さぶりや指摘はどうしても子どもたちをやらない方向に誘導しているように見えます。どれかが正解ではなく、子どもたちが多様な価値観の中で自分の考えを深めていけばよいのです。

結局子どもたちは、自分の考えを主張しどちらがよいかという勝ち負けを競うような議論になっていきました。そうではなく、友だちの考えを聞いてなるほどと思ったこと、意見が変わったこと、意見が変わらなかったこと、それぞれの考えを共有して、もう一度自分はどうするのかを振り返ることが大切です。

道徳では、1時間の授業で大きく変容することを期待するのではなく、多様な考えに触れながら、時間をかけて少しずつ子どもたちの考えが深まり、成長することを意識するとよいと思います。

この続きは次回以降の日記で。

子どもの実態に応じて、上手に授業規律をつくる

昨日の日記の続きです。

4年生の道徳はお話の内容を理解する場面でした。
挨拶が終わった後、子どもたちは私たちの姿を見て少しざわつきます。授業者は優しく声をかけ、子どもが落ち着くのを待ってから始めます。上手に子どもたちをコントロールできていると思いました。
この日の教材は「100点を10回とれば」です。漢字テストで10回続けて100点とったら欲しかったサッカーシューズを買ってもらえる約束を主人公は母親とします。10回目の試験は100点だったのですが、先生の採点ミスがありました。どうしようかと主人公が悩むお話です。

話の題名を板書して、子どもたちにどんな話と思うかを問いかけます。子どもたちは口々にしゃべってテンションを上げます。テンションが上がりやすい子どもが多いように感じました。しかし、数人が挙手したので授業者が指名をすると、すぐに静かになって発表者に注目します。気持ちの切り替えができます。上手に授業規律をつくっていると思いました。
返事が小さかった子どもがいた時には、どんな返事をすればよかったのか全体に問いかけて言わせることで、特定の子どもではなく全体の問題にします。友だちの話を聞いていない子どもには、聞きなさいと注意をするのではなく、「○○さんのように、話をしている人の方を見ていると聞いているとわかるんだけれど、窓を見ていると聞いているかいないかわからないから」と取るべき行動を示します。授業規律のつくり方のポイントがわかっていると感心しました。

話の内容を予想させることで上手に子どもの興味を引きつけました。数人に発表させた後、授業者が話を読みます。資料は配りません。途中で登場人物を聞くことを確認した後、聞く姿勢を取らせました。なかなか集中力が続かない子どもたちなのでしょう。授業者は緩んでいいところと集中すべきところを意識してコントロールしています。
途中で誰が出てきたかをたずねます。授業者が自分で確認しながら読んだ方が時間の節約にはなると思いますが、受け身の時間を減らすことで集中を持続させようとしているようです。
子どもたちと授業者の関係がよいのでしょう。子どもたちは指名されたくてしょうがありません。テンションを上げるのですが、最初の場面と同じように友だちの発表はよく聞いています。授業者が子どものテンションに影響されず落ち着いて授業を進めていることがよい影響を与えていると思います。

子どもたちに発表させながら内容を確認した後、話の続きを読みます。主人公が採点の間違いに気づいたところで、子どもたちから「見なきゃよかったのに」と声が上がります。「書き直しちゃえ」という言葉も聞こえました。授業者はそのまま読み続けましたが、ちょっともったいないと思いました。授業者の予定している流れがあるのでなかなか難しいとは思いますが、こういった言葉を拾っておいて、そこから主人公の葛藤を自分のこととして引きつけさせることができたかもしれないからです。流れを完全に止めなくても、ちょっと板書しておいて、後でこの言葉をきっかけにして考えさせてもよかったかもしれません。

主人公が採点ミスを申し出ようかどうか悩んでいるところで、読むのを止めました。子どもたちは先ほどと違ってテンションは上がりません。真剣に考えています。どうしようと、自分に引き寄せて考えているように見えました。
時間の関係でここまでしか見ることができませんでしたが、実態に合わせて上手に子どもたちをコントロールし、授業規律をつくっていました。

経験年数の少ない授業者の特別支援学級での授業は、子どもたちが親にほめられた時などのシチュエーションでどんな気持ちになるかを考える場面でした。親にほめられた時の気持ちを温度計の目盛りで表わす活動です。
授業者は落ち着いて子どもと接することができるようになっていました。子どもたちに発表させる場面では、理由を言えた子どもに、「理由も言えたね、素晴らしい」と大きな声でほめることもできます。子どものよいところを見つけてほめようという姿勢ができています。
同じ気持ちになった子どもを確認して、「○○さんも同じなんだね」とつなごうとしますが、そこで終わっています。もう一歩進めて、同じであることをよいことだと、人とつながることをポジティブにとらえられるようにするとよいと思いました。「○○さんも同じなんだね」と言う言葉の後に、「いいね」とちょっと一言足すだけでも、人とかかわろうとする意欲が増すと思います。
同じようにほめられた時でも、人によって気持ちの温度が違うことを確認した後、最高にうれしい時はどんな時かを聞きます。発表する子どもの言葉をしっかり受容します。ただ、すべて授業者が受け止めて、他の子どもとつなぐことはしませんでした。コミュニケーションがなかなか難しい子どもたちかもしれませんが、だからこそ、他の子どもがどう思うか、どう感じるかを聞いてつなぐことも必要だと思いました。
特別支援では一人ひとりとしっかりかかわる時間を多く取ることができるので、個をしっかりと見る力がつくと思います。ここでの経験が、授業者に大きな進歩をもたらせると思います。

この続きは明日の日記で。

自分に引き寄せて考える道徳

以前の日記の続きです。

6年生の道徳は大きな木という絵本を使った授業でした。
少年と大きな木のお話です。少年は大きな木が大好きで、大きな木も少年のことが大好きです。しかし、少年は成長と共にだんだん大きな木に会いに行かなくなり、たまに会ってもお金が必要だ、家が必要と願い事ばかりします。大きな木は大好きな少年に、お金にするために実を与え、家の材料にと自分の枝を与えます。最後に少年は外の世界に出ていくための船を望みます。大きな木は自分の幹を船の材料として与え何もなくなってしまいます。そして、少年はその船に乗って出っていってしまい、大きな木は独りぼっちになります。

ここまでを読んで、大きな木は幸せかと問いかけます。子どもたちは自分の考えを赤白帽で表示し、4人のグループで話し合います。帽子の色は赤白相半ばしています。子どもたちの実態に合ったよい教材だということです。子どもたちは、一生懸命自分の考えを友だちに説明しています。話をしていて考えが変わった子どもはその時点で帽子の色を変えます。子ども考えの変化を見える化するよい方法です。活発でよい場面なのですが、子どもたちのテンションが高いことが気になります。相手を説得しようと、話している子どもの声が大きくなっているのです。友だちの話を納得することを中心にしたいところです。「意見が変わらなくてもいいので、考えを聞いてなるほど思ったことを後で発表してもらうね」といった指示をしてもよかったかもしれません。その上で、「なるほどと思って意見が変わった」「なるほどと思ったけれど、意見は変わらなかった」といったことを聞いていくのです。

グループで話し合った後、木が幸せだったという子どもが増えているようです。授業者は、幸せだったという子どもの意見から聞いていきます。発表を聞いている子どもたちはよい表情で発表者の方を向き、自分の意見に近かったり、納得したりするとうなずいて反応しています。よい授業規律の中で子ども同士の関係がよいことがわかります。授業者は数人指名した後、友だちの話に反応していた子どもを指名します。子どもたちをよく見ています。

ここで授業者はもう一度グループで少し話をさせます。子どもたちは友だちの意見をしっかり聞いていて思うところがあるのでしょう。すぐに口を開きます。少し時間を取った後、今度は幸せでないという子どもの考えを聞きます。
先ほどでてきた、自分の体の一部である船を見てきっと思い出してくれるから幸せという意見を受けて、「だけれどももう遠くに行ってしまって会えないし、自分にはもう何もないから助けてあげることもできないから帰ってこないし、さびしい気持ちになるから幸せじゃない」という意見が出てきます。子どもから「うーん」という声が聞こえてきます。授業者は続けて幸せじゃないという他の子どもを指名しましたが、「うーん」という反応を拾って、どういうことかと聞くことで考えをつないでみても面白いと思いました。
次に指名された子どもは、先ほどの意見に、たとえ帰って来ても金をくれみたいなことだったら嫌だと付け足します。先ほど発表した子どもは大きくうなずいています。続いて、「お金は使ってしまっているし、家ももう無くなっているだろう。船ももう使っていないだろうから、何も残っていないはずだ。だから幸せでない」という意見が出てきました。子どもたちから「すげー」という声が上がります。そこで子どもたちに動きが起きます。まわりの子どもに話しかける子どもが出てきました。授業者はそのまま子どもたちに話を続けさせました。よい判断です。

少し間を取った後、指名して発表します。ここまで挙手による指名はほとんどありませんが、どの子どももしっかりと自分の意見を言ってくれます。「自分があげたものが無くなっても、それで少年が幸せになったのだから、木は幸せ」という意見のあと、授業者は木の少年への行為を一つずつ示しながら、その時木は幸せだったかを確認します。「最後に何も無くなっちゃって、そこまでしてそれでも本当に幸せ?」と揺さぶります。子どもたちは、一瞬沈黙して考え込みます。2人の子どもが手を挙げますが、授業者は「どう?」とみんなに考えを続けるように求めます。手を挙げた子どもも授業者の意図を察して手を下ろします。子どもたちと授業者の関係のよさが見てとれます。

「100%幸せと言える?」とさらに言葉を足すと、子どもたちに変化が見られます。よい揺さぶりだと思います。「幸せってどんな時?幸せな顔をして」と子どもたちに表情をつくらせると、すぐに反応してくれます。続いて、「今、木はそういう顔をしている?」と問いかけます。「してない」と声が上がります。授業者は「何で?」「じゃあ、幸せでないの?」と返します。子どもたちは、もう一度考えています。幸せ、幸せでない、挙手した子ども1人ずつに発表させます。それを聞いて子どもたちはまた考えています。
子どもたちの表情や態度は授業者の揺さぶりや友だちの発言で変化しています。ここは、子どもたち自身に結論を出させることよりも、そういった反応をとらえて、「今、どんなことを考えている?」と子どもたちの迷いを共有するとよいと思います。

授業者は全体に問いかけながら考えさせようとしていきますが、特定の子どもとのやりとりになっていきます。友だちの意見に反応する子どももいますので、特定の子どもばかりでなく、反応する子どもの考えを聞きたいところでした。
子どもたちは、最初は大きな木が幸せかどうかを客観的に考えていましたが、次第に自分のこととして考え始めていまので、ストレートに「じゃあ、あなたなら『ああ、幸せ!』と思う?」と聞いて、ドンドン発表させてもよかったかもしれません。

最後に、お話の結末を読みます。子どもたちはしっかりと集中しています。
ずいぶん時間が経って、年老いた少年が戻ってきます。子どもたちがそれを聞いて「戻ってきたんだ」「よく戻ってこれたな」と反応します。自分のこととして聞いているのでしょう。
木は少年にあげられるものは何も残っていないと言いますが、少年は「もう何も必要でない。最後に腰を下ろして休める静かな場所があればいい」と答えます。それならばと、木は切り株となった自分に座って休むように言います。少年は木に腰をかけ、木は幸せでした。
子どもたちは、最後は身じろぎもせず話を聞き、聞き終るとほっとした表情をします。どの子どもも木が幸せになったことを喜んでいました。子どもたちが木に寄り添って考えていたことがわかります。教材のよさもありますが、しっかりと教材研究をして、子どもたちが考える時間を多くとっていることが大きな要因だと思います。

ただ、少年が戻ってきて木が幸せになってよかったという結末で納得するのではなく、幸せとは何かについてもう少し深く考えさせたいところでした。
木の気持ちをもっと自分に引き寄せさせて、同じ状況を幸せと感じる人もいれば、感じない人もいることを明確にするのです。世間的な幸せではなく、自分にとっての幸せを何だろうと考え、それを求めることを意識させることができればもっとよかったように思います。
授業者は、この数年大きく成長しています。謙虚に他者の意見を受け止め、授業改善を続けています。私も多くのことを学ばせてもらっています。これからもきっと大きく成長すると思います。今後がとても楽しみです。

この続きは明日の日記で。

深く考える道徳(長文)

前回の日記の続きは次回以降に更新します。
先週に訪問した小学校の話です。3年生の道徳での授業研究の助言者を務めました。

授業者は今年異動してきたベテランの方です。優しい笑顔で子どもたちをしっかりと受容できる方です。はじめの挨拶がきちんとできていない子どもがいれば、やり直させます。返事ができなければ、返事をするまで名前を呼びます。授業規律を意識されていることがよくわかりました。

この日の授業は、命を大切にすることがテーマです。小学校3年生にとっては難しい内容ですが、難病のため長期入院していた同年代の子どもの詩を元に考えさせます。
詩を全員に配った後、授業者がていねいに朗読します。その時、子どもたちがずっと下を向いているのが気になりました。この後個人で音読させるので、読めない漢字の確認というねらいもあるのでしょうが、ここは顔を上げさせるか目をつぶらせるかして聞くことに集中させてもよかったかもしれません。
「命」という題名の詩の内容は、命を電池に例え、電池は交換ができるが、命は交換できない、だからこそ命の電池が切れるまで大切に生きたいという内容です。この詩を子どもたちにしっかりと理解させたいというねらいでしょう、個人で何度も音読するように指示しますが、活動の目標を伝えていないことが気になりました。よくできる子どもなのでしょうか、大きな声で感情を込めて読もうとしていましたが、上手に音読することが目的ではありません。子どもたちは何度も音読するのですが、次第に声が大きくテンションが上がってきます。その一方で、集中を失くしている子どもも目につきだしました。授業者はこの状況に気づいたのでしょう、活動を止めて集中させます。よい判断でした。

「この詩を読んでよいところを教えて?」と子どもたちに問いかけますが、「詩のよいところ」という問いかけは、客観的に詩をとらえることにつながります。道徳では子ども自身が登場人物に気持ちを投影することが大切ですので注意が必要です。
すぐに何名かの子どもが黙って席を立ちます。授業者は、道徳の時間は挙手指名で進めるのではなく、起立した子ども全員に発言の機会を与えるようにしているそうです。発言を保障するよい方法のように思いました。また、すぐに指名せずに考えを持てた時点で起立すればよいようで、落ち着いて考える機会を与えています。しかし、音読する時にはこのよいところを教えてということは示されていません。いきなりの問いにすぐに反応できる子どもは少数です。多くの子どもが考えを持つ前に指名が始まってしまいます。そのため特定の子どもばかりが発言することになってしまいます。すぐに起立させるのではなく、ちょっと考える時間を与えたり、まわりと相談する時間を取ったりするとよいでしょう。また、発表された意見に対して、「なるほどと思った人?」と問いかけたり、「今うなずいていたね。どういうこと?」と聞いている様子を見て指名したりして子ども同士をつなぐことで、考えをすぐに持てなかった子どもにも発言する機会を与えることも大切です。

授業者は道徳だけはコの字型の隊形で授業をしているようです。道徳はいつもの授業とは違うのだと思ってほしいからだそうですが、子どもたちはコの字型での発表にはまだ慣れていないようです。教室の前の方にいる授業者の方を見てしゃべります。授業者は時々友だちの方を見るように促しますが、徹底はされていません。聞く方も多くは授業者を見ています。子どもたちが慣れないうちは、発表者のそばでしゃがんで全体を見るとよいと思います。授業者を見ようとする子どもの視線は自然に発表者の方に向かいますし、発表者は授業者が低い位置にいるので自然に友だちの方を向いてしゃべります。子ども同士がかかわりやすいのがコの字型のよいところですから、積極的にそのことを活かすようにしたいところです。

子どもたちの発表が終わって次に指示をするまでに授業開始から20分近くが過ぎました。この間子どもたちは活動をしてはいますが、自分に引き寄せて何か考えているわけではありません。少し時間がもったいないように思います。ここでは、詩の内容を子ども自身で読み取らせることよりも、主人公の気持ちを授業者が「この気持ちわかる?」と子どもに迫りながら伝えた方がよいように思いました。

続いて最初に読んだ詩の1年前に書かれた詩を全員で読みます。手術が怖かったこと、3回目の手術の時には怖かったけれど頑張ってくれるねと親に笑って言えたことが書かれています。授業者はこの詩の「手術はこわいな」と最初の詩の「せいいっぱい生きよう」という一節を離して板書し、主人公の気持ちがここからここへ変化したのはどんなことを考えたからなのかを考えるように指示します。離すことで大きく変わったことを意識させます。
これがこの日の主発問なのですが、「手術」と「生きる」が直接つながらないので、気持ちが変化したと言われてピンときません。「出術は怖いと思っていた時はどういうことが怖かったのか」「せいいっぱい生きようと思った時は怖くなかったのか」といったことを問いかけて押さえておかないと主人公の気持ちには迫れないと思います。
子どもたちは鉛筆を持ってすぐにワークシートに書き始めます。子どもたちが深く考えていたのなら、すぐに鉛筆は動きませんが、スラスラ書く子どもがかなりいます。第三者的に思いついたことを書いているのです。1行ほど書いて手持ち無沙汰にしている子どももいます。授業者はじっくり考えてほしいと時間を多くとったのですが、子どもたちがじっくり考えるための手がかりになるものが少なすぎるのです。

子どもたち発表させますが、半分ほどの子どもしか起立しません。書いてあるのに発表しようとは思わないのです。発表する子どもたちは、先に発表された意見と近いとか、ここは同じだがここは違うといった言葉を使うなどなかなか上手に発表します。よく鍛えられているように思うのですが、よく発表する特定の子どもだけのことかもしれません。全員が発表することも意識してほしいと思います。また、同じ意見だと発表せずに座るというルールもあるようです。展開を早くするためには重要な要素ですが、同じだからとすべて一つにしてしまうことは避けたいところです。同じと言っても発表させるとよい考えが足されていたり、微妙に違っていたりすることもあります。座る時にどうしようかなとためらう子どももいます。そういう子どもを指名してどういうことか聞いて見ることも必要でしょう。

授業者は子どもの意見を受容しながら発表させます。最後に、「先生はうまくみんなの意見をまとめられるかな、助けて」と出てきた意見をまとめます。すぐに板書せずに後から整理することはよいのですが、授業者の言葉でまとめています。自分の意見とは違っているように感じる子どもがいても、違うとはなかなか言い出せないでしょう。時間はかかりますが、「○○さんの意見ってどうだった?」と聞いていた子どもに問いかけることや、「△△さんの意見に近いのはどれ?」と本人に選ばせるといったことをして、できるだけ子どもたちの言葉でまとめるようにするとよいでしょう。
出てきた意見のどれに自分の意見が近いかを決めさせて挙手で確認します。ここで初めて全員が自分の考えを明確にしたことになります。別の言い方をすれば、考えを持てたということです。しかし、まだ考えというには浅いものです。ここから揺さぶり、切り返して深く考えさせたいところでした。
授業者は友だちの意見や考えを聞いてなるほどと思った意見、気に入った意見を発表させますが、もともと深く考えていないので、出てくるものも表面的になります。友だちの意見を聞いて「考えが変わった」「影響を受けた」といったことが出てくるとよいでしょう。友だちの話を聞いて子どもたちが「えっ?!」「あっ!」と声を出したり、うなずいたりといった反応を引き出すことを一つの目標にするとよいと思います。

「命を大切にするってどういうこと?」と発問が最後に出ました。この発問にもいつもの子どもたちがすぐに反応します。子どもたちの答は、信号を守るといった「命を守るための行為」ばかりが出てきます。それが授業者のねらった答かどうかはわかりませんが、どんな答も授業者はしっかりと受容します。「命を大切にする」ということは、その前に「命を大切にしよう」と子どもたちが心から思うことです。命は大切であることを言葉としては誰でも理解しています。死ぬのは怖いとだれでも思います。しかし、それ以上に生きるのがつらいと思うこともあるのです。そういったことを考えた上で、本当に命を大切にしようと思えるようになってほしいと思います。1時間の授業で子どもが大きく変わることは中々ありません。何時間もかけて少しずつ子どもの心を耕し、よい芽が育つことを願いたいです。

電子黒板を使って、校外学習やドッヂボール大会の写真を見せます。子どもたちの素敵な笑顔がたくさん写っています。子どもたちがとてもうれしそうにその写真を見ていました。みんなの笑顔をたくさん見たい、見られるといいという授業者の言葉に続いて、「生きているって」という教科書の詩を読んで授業は終わりました。
子どもたちに笑顔でいてほしいという授業者の思いを強く感じました。もしそうであれば、2つ目の詩で、3回目の手術の時には「こわかったけどがんばるねと笑って言えた」という一節を中心に扱ってもよかったと思いました。「恐いのにどうして笑って言えたの?」と問いかけるのです。そうすることで、親の気持ちや親への主人公の気持ちに気づく子どもが出てくると思います。子どもたちは自分が死ぬかもしれないという気持ちになかなか入り込むことはできないと思います。しかし、身近な人が死ぬかもしれないという気持ちには寄り添いやすいと思います。この授業のねらいからは少しずれるかもしれませんが、「自分の存在が他者にとって大切なものである」「自分の存在は自分だけのものではない」「命を大切にしたい」とつながっていくように思います。

道徳の授業では主人公だけではなく、主人公とかかわる人、第三者の3つの視点を意識すると授業を組み立てるヒントが浮かびます。同じ出来事でもそれぞれの視点で見えてくるものは違ってきます。また、時間軸を意識することも有効です。なぜそうした、そう思ったという「過去」、どうする、どう思うという「現在」、このあとどうなる、どう思うという「未来」の3つの視点です。この人物と時間軸でできるマトリックスのどこに焦点を当てればねらいに近づけるのかを考えるのです。
例えばこの教材であれば、授業者は主人公の時系列での気持ちで考えましたが、「“母親”は手術の時にどう思った」、最初の詩の時には「“母親”はどんなことを思うようになった」というように、主人公とかかわる“母親”の気持ちを時系列で考えるといった進め方も見えてきます。

検討会は、学年ごとのグループで行いましたがとてもよい雰囲気で進みました。学年団のチームワークのよさを感じました。出てくる意見も子どもたちの様子に即したものが中心で、先生方の視点が子ども寄りになっていることをうれしく思いました。
「考えを持てなかった子どもも、友だちの意見を聞いたり、友たちの意見で自分に近いものを選んだりすることで持てるようになっていた」「同じ意見だと座るけれども、その子どもたちの意見も聞いて見たかった。授業者が同じとまとめた意見でも子どもは違うと思っていたのではないか」など、よい気づきがたくさんありました。

この学校では深い学びを目指しています。道徳では子どもたちからは思いついたことや一般的で無難な答、授業者が言ってほしいと思うような答といった浅いものしか出ない傾向がありますが、そのこと自体はしかたのないことです。そこを出発点として考えを深めるという発想を持つとよいでしょう。深めようにも元が無ければ話になりません。できるだけ早く自分の考えを持たせ、そこからどう深めていくかを考えて教材研究をするのです。
例えばこの日の授業であれば、「命は大切?」と聞き、その理由を言わせます。続いて主人公が重い病気で手術をすることを話し、死ぬかもしれない手術の前にどんな気持ちになるかを問いかけて答えさせます。2つ目の詩を読ませて「それなのになぜ笑って言えたの?みんななら言える?」と返すのです。その上で1つ目の詩を読ませて、「命を大切にするってどういうことだと、みんなは思う?」と問いかけるのです。こうすることで子どもたちがこの1時間でどう変容したかも知ることができると思います。

この日の授業研究は、授業者が力のある方で基礎がしっかりとできた授業だったので、参加者も多くのことに気づけたと思います。学びの多いものでした。今年度の授業研究はよいスタートが切れたと思います。

どこでつまずいているのかを意識して活動を考える

昨年秋の小学校の訪問です。

1年生の算数は、和が10を越える2数の足し算の場面でした。
全体的に子どもたちは落ち着いてよく集中しています。授業者と子どもたちの関係のよさが感じられます。
8+5の足し算をするのに、「さくらんぼしたい」という言葉がキーワードとして出てきます。授業者はすぐに「10を越えるときに使うね」と説明をしましたが、「どうしてさくらんぼしたいの?」と子どもに問いかけて、子どもから理由を引き出すことをしたいところです。
子どもたちに「10を越えそうか?」と問いかけると、「越えそう」という声が返ってきますが、全員ではありません。しかし、授業者は「10を越えそうだね。越えそうならどうする?」「10をつくる」と、手順を追っていく説明していきます。こうやって手順を教えていくと、手順を覚えることが算数の学習になってしまいます。ここは、これまでやってきているはずの10の補数を意識させ、そこから手順を子どもたち自身が考えるようにするとよいと思います。
10を超えるかどうかは感覚でなく、「いくつ足すと10になる?」と補数を確認して、足す数はそれより大きいかどうかを問いかけます。「大きければ?」「10を越す」といったやり取りを何度もするのです。1桁の数字を見るとその補数が常に連想されるようにすることが大切だと思います。

授業者は「あといくつで10になるの?」と問いかけますが、子どもの反応は思わしくありません。補数をつくることはまだあまりやっていないようです。1桁の数に対してその補数をつくる練習をして定着させておかないと、考え方がわかっても計算ができません。
そこで、授業者はブロックを使って計算をさせます。ブロックを準備するように指示するのですが、子どもがブロックを取り出している時に、問題から8個と5個が必要だと説明します。これでは徹底しません。まず、説明をし、指示を徹底させてから活動させることが必要です。
これまで、さくらんぼ図を使ってきて学習しているようです。考え方はわかっているのであれば、子どもたちがつまずいているのは補数をつくる部分でしょう。ブロックを使って補数をつくることだけを練習してもよいと思います。

ブロックを使って、足す数を補数の2と残りの3に分けます。分けた2をどうするかを問いかけていきます。挙手に頼らず何人も指名しますが、答えられない子どもも目立ちます。子どもたちは授業者の指示に従って作業しているだけなので、何のために補数の2をつくったのかがわからなくなっているのです。「どうして2と3に分けたの?」といった根拠を問いかける場面がもっと必要でしょう。

子どもたちはわかりたいと思ってしっかりと参加しているのですが、結局授業者の与える手順を覚えることになってしまいます。この時間のポイントは、「足す数の補数を見つける」「足す数を補数と残りの数に分ける」「足される数と補数で10をつくり、残りの数を足す」という手順を覚えることではなく、根拠を持ってこの手順を再現できることです。そのためには、根拠を問いかけ、確認していくことが必要です。
もう1つのポイントは補数をみつけられることです。手順を理解しても、ここでつまずいては何ともなりません。これには練習が必要です。この2つのポイント意識をして、子どもがどこでつまずいているかを見取り、必要な活動を組み立てることが求められます。
子どもたちの授業規律や学習意欲は比較的よい状態ですので、こういったポイントしっかりと意識して教材研究をし、授業を組み立ててほしいと思います。

この続きは次回以降の日記で。

授業深掘りセミナーのご案内

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授業深掘りセミナーの申し込みが始まっています。

今年度より、模擬授業の1つを授業の基礎技術を意識したものにしています。若手の先生や教員を目指す学生に役立つだけでなく、ベテランにとっては日ごろの授業を見直すきっかけになり、若手を指導する立場の先生にとっては指導のポイントが見えてくるようなものになると思います。また、全体での模擬授業の深掘りの他に、参加者がより主体的に学べることを願って、参加者同士がグループになり、講師や授業と学び研究所のフェローとともに授業を振り返る時間も設けます。今まで以上に、多くの先生方の学びに役立つものになることと思います。

そして、より多くの皆様が参加しやすいように、次のような割引料金が設定されました。

※リピーター割引料金:2000円(以前に参加いただいた方)
※紹介割引料金:2000円(リピーターまたは講師・研究所フェローの紹介で初めて参加される方)
※学生割引料金:1000円(小中学校の教員を目指す大学(院)生)

皆さんの参加をお待ちしています。

企業の研修で新人の成長を見る

4月に企業の新人研修で元校長先生3人と一緒に講師を1週間務めさせていただきました。社会人経験のある方(いわゆる第2新卒)も含む、総勢12人でした。

研修の前半は仕事をするための基礎となる知識面の講義が中心です。講師の方は授業技術に長けた方ばかりです。講義と言っても一方的なものではなく、切り返しで考えを深める場面や、互いに意見を聞きあったり考えを発表したりといったかかわり合う場面が随所にあります。
しかし、まだ互いの人間関係ができていないからでしょう。グループ活動の場面で、特定の者がしゃべり続けたり、ペアではしっかり意見を言えていた者が口を開かなくなったりといったことが見受けられました。そこで、研修の様子を見ながらプログラムごとグループのメンバーを意図的に入れ替えました。
最初のころは相性があるように見えても、次第に人間関係ができてくると誰とでも意見を交換できるようになっていきます。慣れもあるのでしょうが、組み合わせをいろいろと変えることでかかわり方を学んでいるようにも見えました。このことは、学校でも同じだと思います。私たちはこの子とこの子は相性が悪いから離そうといったことを考えたりしますが、多様な友だちとかかわることで子どもたちは成長していきます。経験を積むことで、再び同じグループになった時にかかわれるようになっていることもよくあります。相性が悪いと決めつけるのではなく、そういった友だちも含め他者とかかわり合う機会をたくさんつくることが子どもたちの成長にとって重要な要素だと思います。

後半は、課題解決の研修が中心です。今年度は新人にとってかなり難易度の高い課題を与えましたが、なかなか見事にこなしてくれました。
各グループのチームワークがよくなったことも上手くいった要因ですが、3つのグループが互いの中間発表や取り組みの様子から学び合えていたことが大きいと思いました。12人それぞれの持っているよさがよい形で課題解決に生かされていたと思います。
今回の研修がすぐに実践に役立つかどうかはわかりません。しかし、他者から学ぶことのよさ、大切さを知っていることはどのような仕事でも基礎となる大切なことです。そして何より、同期という素晴らしい財産をこの研修期間で得たことが大きな成果だと思います。これからの社会人生活で苦しむこと、悩むことがあるはずです。その時身近で相談できる同期の存在がきっと助けになることと思います。

彼らが社会人としてこれからどのように成長していくのかとても楽しみです。少し遠くからですが、彼らの成長を見守っていきたいと思います。

第6回教育と笑いの会申し込み開始

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今年も東京で教育と笑いの会を開催することになりました。

●期 日
平成29年7月22日(土)

●時 間
13時00分〜16時20分 (受付開始 12時30分)

●場 所
新宿永谷ホール
東京都新宿区歌舞伎町2丁目45-5
※JR山手線 新宿駅 徒歩7分/西武新宿線 西武新宿駅北口 徒歩1分/都営地下鉄大江戸線 新宿西口駅東口 徒歩5分

●参加費
3,000円

●定 員
100名 ※定員になり次第締め切らせていただきます。

●主 催
教育と笑いの会/授業と学び研究所

●協 賛
EDUCOM

●申込み
7月7日締切
詳しくはこちらから

今回は保護者の斎藤早苗さんとコンビを組んで漫才に初挑戦することになりました。今からプレッシャーに押しつぶされそうです。
今後、プロデューサーの玉置先生からの猛特訓が予想されます。
特訓に耐えきれたかは、是非当日会場で確かめていただければと思います。

子どもが活躍することを意識してほしい

先週、私立の中学高等学校で授業アドバイスを行ってきました。
この日は、新しく来られた方の授業を中心に学校全体の様子を見せていただきました。

高校1年生の現代社会は株式会社の学習の場面でした。
授業者は表情よく話をしていますが、どうしてもしゃべりすぎるようです。子どもたちはワークシートの答を写すことにエネルギーを使っていますが、資料を調べる場面などでは積極的に活動しますし、自然にかかわり合う姿も見られます。こういった活動を活かし、子どもたちの発言場面をもっと増やすとよいでしょう。授業者にどのような授業をしたいかをたずねたところ、自分が生徒の時に受けた授業のように、先生が一方的に説明して終わるようなものではなく、子どもたち自身が活躍するようなものにしたいということでした。とても、よい授業観だと思います。ただ、実際の授業とその思いがずれているのが残念です。子どもたちが自分で考えて活動するような課題を考えることが必要になります。
例えば株式会社の学習であれば、「売れそうな商品やサービスのアイデアを考えたけれどつくるのにたくさんのお金がいる。あなたならどうする?」といった問いかけから、会社形態や資金調達について考えさせてもよいでしょう。最近よく耳にするようになったネットファンディングなどを題材にして、株式の仕組などを調べさせるというのも面白いと思います。
授業に対する方向性は間違っていないので、子どもたちが活躍するためにいろいろな工夫をしてほしいと思います。この学校では、子どもが活躍する授業を色々な方が実践されています。こういった授業を参観して参考にするようにアドバイスしました。

高校2年生の英語は子どもたちが自分で文章を考え英語で発表をする授業でした。
子どもたちが発表文をつくっている時に、集中していないことが気になりました。課題が自分のものになっていないように見えます。どうやって文をつくればよいのかといったことがよくわかっていないように見えます。また、この課題の目標や評価基準がはっきりと子どもたちに伝わっていないために、つくった文をどうやってブラッシュアップすればよいのかがわからず、書き終わったあと手の動かない子どもが多いようです。
途中で授業者が”Picture Card”を見せて説明をしますが、授業者が一方的にしゃべっているだけで子どもたちの顔が上がりません。この課題に対する意欲が教室から感じられませんでした。
指名された子どもが起立しても子どもたちはほとんど反応しません。前に出て発表をするのですが、発表者は手元の原稿を読み、一方聞いている子どもたちはほとんど顔が上がりませんし、メモを取る姿も見られません。決して子どもたちの関係が悪いわけではないと思います。発表者側、聞く側双方の目標が明確になっていないのです。発表後拍手は起こりますが、発表に対する評価や価値付けの場面は全くありません。2人目の発表の時には拍手もほとんど起きませんでした。
また、発表の時の授業者の視線も気になりました。視線が定まらないのです。発表者を評価しようと見ているわけでもなく、子どもたちの聞いている様子を見るでもなく、ゆらゆらしているのです。
こういったことから、授業者と子どもたちのコミュニケーションがうまく取れていないように感じます。課題は何か、具体的にどうなればよいのかといったことをきちんと子どもたち伝える必要があります。何をやればよいのかわからなければ子どもたちの意欲も高まらないのです。本人としては伝えているつもりでも、一方的にしゃべるだけでは伝わりません。課題の目的、目標を明確にし、子どもたち伝えるには何が必要かをきちんと意識してほしいと思います。

高校2年生の数学は相加平均と相乗平均の関係の授業でした。
2数の相加平均≧相乗平均の証明を授業者がしています。授業者を見ずに板書を写している者、話を聞かずに下を向いたりよそ見をしたりしている者と、子どもたちの姿勢が定まらないのが気になります。子どもたちはただ授業者の示す結果を受け入れるだけで、どのような視点で考えるのか、この不等式がどのような意味を持っているのかといったことを考える場面がありません。この証明を通じてどのような数学的な見方・考え方を子どもたちに身につけさせるのかを明確にして授業に臨む必要があります。
不等式の証明という視点では、今までどのようなやり方で証明をしたのか、どんな数や式の性質を使ったのかを子どもたちに問いかけ、考えさせることが必要です。「差が≧0を証明する」「( )2≧0」といったことをまず子どもたちから出させる必要があります。√の扱いも2乗すると消えること、両辺が正ならば2乗しても大小関係の同値性が保たれることを使うのか、a≧0ならばa=(√a)2を使うのかといった選択肢があります。教科書がどのやり方で証明しているのかは別にして、こういった視点で子どもたちに見通しを持たせ、自分がこれだと思う方法で証明に挑戦して共有するといったことが必要です。
また、2数が正である条件が証明の中できちんと押さえられていないことも問題です。授業者はa=(√a)2、√(ab)=√a√bを使って証明しましたが、2数が正であるからこのことが成り立つことには触れられていません。これでは数学的には不完全ですし、条件の持つ意味がわかりません。また証明を始めるにあたって、2数が負であればどうか、異符号であればどうかといったことも問いかけ、2数が正の場合に意味のある議論であることにも気づかせたいところです。
相加平均≧相乗平均の意味を考えるということでは、周囲の長さの和が一定の長方形において面積が最大になるのは正方形であることを表わしていることに気づかせ、そこから証明を考えさせるといったこともできます。正方形の一辺の長さをaとした時に周囲の長さが一定の長方形の2辺はa+b、a−bと表わせることを使うのです。平均の持つ意味を見つけることもできます。また、「面積ではなく体積で考えるとどんなことが言えそう?」と問いかけることで一般化できそうなことにも気づけると思います。
教材一つからでも多様な数学的な見方・考え方を学ぶことができます。すべてをやれというのではありません。授業者が何を学ばせたいのかを意識して授業を組み立ててほしいのです。
こういったことを授業者には伝えました。今後授業にどのような変化が起きるのか楽しみです。

この日は、高校2年生と高校1年生の様子を中心に参観しました。
2年生は昨年に引き続きよい状態でしたが、新年度を迎えたという緊張感があまり感じられませんでした。先生方も子どもたちの状態がよいので新たに何か求めているというようには見えませんでした。子どもたちのポテンシャルはもっと高いはずです。次のステップを意識して、子どもたちにより成長を求めてほしいと思います。
1年生は年々意欲的な子どもたちが入学しているように感じます。学校への期待、授業への期待も大きいように見えます。オリエンテーション合宿を終えて、人間関係もよい状態になっています。子どもたちはかかわり合うことができるのですが、そういった場面つくることを意識していない先生方も目につきました。今は意欲が高いので、子どもたちは受け身でも授業に集中しますが、期待外れだと感じると意欲が落ちる危険性もあります。このよい状態を維持するためにも、子どもが活動し、活躍する場面を大切にしてほしいと思います。

この日は、中学校に今年度予定されているタブレットPCの導入について相談を受けました。担当の先生は、いきなり高いレベルを求めるのではなく、現実的に活用できることを意識されていました。オタク的な夢物語ではなく、一歩ずつ手の届く範囲から進めていこうという姿勢はとても素晴らしいと思いました。今後、色々な形でサポートをさせていただくことになりますが、どのようなものになっていくのか、私自身もとても楽しみにしています。
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