自分の授業を客観的に振り返ることが必要
前回の日記の続きです。
新任の3年の担任の授業は国語の漢字学習で、教科書の絵もとに宝探しに出かけた男の子の話をつくる場面でした。絵と絵のつながりを意識して接続語を考える教材です。 作業を止めて顔を上げさせようとしますが、なかなか手が止まりません。後で時間をあげるからと言って再度指示をしますが、まだ顔が上がらない子どもがたくさんいます。授業者は待ちきれずに先に進めてしまいました。指示は徹底させることが大切です。「まだ、顔を上げていない人がいるね。みんな待っているよ」というような声をかけ、全員が指示に従うようにしてほしいと思います。 授業者は「見て回ってすごいいいのがたくさんあった」と子どもたちの発言意欲を高めようとしますが、挙手はあまり多くありません。低学年と違って、たくさんあったと言われても自分のこととは思わない子どもも多くいます。机間指導中に「いいね」と声かけをしながら○をつけるといったことをするとよいでしょう。 指名された子どもが前に出て発表します。授業者は発表者ばかりに注目して、他の子どもたちが発表者を見ているかどうかを意識していません。発表者が「どうですか?」とみんなに聞きましたが「いいです」という声はほとんど上がりませんでした。授業者は「声が小さい。よくなかったの?」「いいと思ったら大きな声で言ってください」と言ってからもう一度発表者に聞き返させます。今度は大きな声になりましたが、授業者が形式的に「いいです」と言わせているだけです。どういった文であればよいのかを子どもたちが意識して聞いていないので判断はできません。子どもたちの声が小さかったのも、よく聞いていなかったことや判断することを意識していなかったことが原因でしょう。そこを考えずに、「いいです」と言わせると、友だちの発表に対して反射的に「いいです」という子どもをつくってしまいます。気をつけてほしいと思います。 この後の作業について「……教科書を見て、さっきポイントも教えてくれたよね。どういうところにポイントがあった」と、「見てやりましょう」と指示を完結させずに、話が途中で指示からポイントの確認に変わりました。指示を完結させてから、「さっき教えてくれたポイントを……」と確認に入るべきでしょう。説明していることが途中で変わったので、多くの子どもはついていけなかったようです。さっきの発表の時と同じ子どもたちしか手が挙がりません。授業者は「あれ、さっきポイントを2つ挙げましたよね」と言葉を重ねますが、挙手は増えませんでした。大切なポイントであれば、ノートか板書に残っているはずですが、子どもたちの目はぼんやりとして動きません。ノートに書かせたのであれば見るように促し、そうでなければまわりと確認させるといったことをして、活動させなければいけません。結局、そのまま一人を指名しますが、子どもたちはだれもその子どもを見ようとはしませんでした。答をわかりたいと思っているように見えません。「いいです」と言う声は今度も小さかったのですが、授業者は「そうですね」と今度はやり直させずに説明を始めます。注意が恣意的になっています。次に指名した子どもが「絵を見て考える」と答えると、「絵を見るだけじゃなくて……」「絵はどうなっていたんだっけ」とすぐに追加の説明を他の子どもに求めます。これは発言に対する柔らかな否定です。まず、しっかりと受容することが必要です。その上で足りないことがあれば、本人に言わせるようにするべきでしょう。次に指名された子どもが「絵はつながっている」と答え、子どもたちが「いいです」と言うと、発言に対して評価や共有したりすることなく、「○○さんいいですね。身体を向けた。よい姿勢ですね」と姿勢を正させます。ポイントは結局なんだったのか確認しないまま次の指示に移りました。 また、「絵を見るだけじゃなくて」と「絵はどうなっていたんだっけ」はつながりません。「絵はどうなっていたんだっけ」は文を考えるためのポイントとは別の問いです。「絵の何をみるとよい?」と問いかけ「絵と絵のつながり」という答を引き出すべきでしょう。問いや説明のつながりがおかしいため、子どもたちが理解しづらくなっていました。 この後、具体的な指示を出しますが、子どもたちの集中力はすっかり切れています。作業に移るように言ってもすぐに動けませんでした。結局一部の子どもとだけのやりとりだけで授業が進み、多くの子どもたちは終始受け身のままでした。 文を書けた子どもが手を挙げると、授業者がそこに行って点検します。あちこちで手が挙がりだすと、右往左往することになります。子どもたちは手を挙げたままずっと待っているので、体が揺れて集中力は落ちていきます。できた子どもへの指示を出しておき、端から順に○つけをすれば効率的です。 授業者は子どもたちの様子をしっかり見ることができていません。たまたま気づいた時だけ注意をします。また、子どもたちの集中度が落ちてくると、思うように子どもが動かないので「きちんとこちらを向いてください」と口調もきつくなってしまいます。子どもをきちんと認めて受容的に接ししているつもりだと思いますが、無意識で威圧的になる場面を多く目にしました。 精神的にきついことですが、自分の授業をビデオに撮るか録音して客観的に振り返り、授業規律のつくり方や指示の出し方など、基本的なことを学び直してほしいと思います。 特別支援の授業は辞書の使い方の学習です。 辞書で調べた言葉の意味をワークシートに写す場面でした。写すことと写し終えたらシールを貼ることを指示しましたが、口頭だけでした。指示をきちんと覚えておくことができない子どももいますので、特に複数のステップがあるような指示は黒板などに残しておくことが必要だと思います。 授業者は子どもに対して受容的になることができています。指示したことができた時には「ありがとう」といった言葉が自然に出るようになっています。子どもに向かう基本的な姿勢はよいと思います。残念だったのは、「ありがとう」を言う時に笑顔になれなかったことです。余裕がなかったのでしょうか、表情があまり出ませんでした。いつも笑顔を忘れないようにしてほしいと思います。 この続きは次回の日記で。 低学年の子どもたちを全員参加させる
1学期に訪問した小学校での授業アドバイス。
1年生の国語の時間は、説明文の授業でした。鳥のくちばしの形の違いについての文章です。授業者は初めて1年生を担任する先生です。 ノートを広げるように指示してめあてを板書しますが、すぐには書かせません。後ですぐに使うのでしょうが、ちょっと時間がムダになるような気がします。必要になった時にノートを開いてすぐに書かせた方がよいと思います。 「いつもは考えようだけど、今日は?」と子どもたち問いかけ、めあてを見て「つくろう」という声が上がったのを確認してから、全員で読みます。一部の子どもたちは、「問題と答をつくろう」といういつもと違うめあてにテンションが上がります。授業者は反応する子どもは無視して先に進めます。これはよい対応だと思いました。下手にかかわるとテンションがもっと上がってしまうからです。子どもたちはすぐに落ち着きを取り戻しました。 ディスプレイにワークシートを映して、問題文の最初に何が必要かを子どもたちに問いかけます。「どんな形か」と何人かの子どもが声に出します。授業者は「話してごらん」と子ども同士で聞き合うように促します。子どもたちはすぐに、身体を寄せ合ってしゃべります。まだ、自分からはしゃべれない子どもも目につきますが、そういった子どももその後すぐに挙手しました。全員がしっかりと手を挙げていたのはとてもよいと思いました。 指名された子どもが発表すると、子どもたちはしっかりと身体をその子どもの方に向けます。指名された子どもが「どんな形かを書くと思います」と言うと、うんうんとうなずく子どもがいます。授業者は「どう?いい?」と全体に対して反応を求めました。よい対応だと思います。反応が増えたのを確認して「いいですね」と説明します。同様にして、問題と答に必要な要素を一つひとつ確認していきますが、すぐに授業者がいいと判断して確認が一人だけのことが気になります。反応しない子どもに「どう」と確認したりして積極的に参加を促し、一問一答にならないように意識してほしいと思います。 タブレットを使ってディスプレイに書き込みます。この時どうしても授業者の視線がタブレットとディスプレイに集中してしまいます。仕方がないことではあるのですが、できるだけ子どもを見るようにしてほしいと思います。 初めての1年生の担任で戸惑うことも多いようですが、よく頑張っていると思いますが、全体的に少し授業者がしゃべりすぎているようです。子どもたちが全体で発表する機会をもう少し増やすとよいでしょう。また、すぐに集中が切れてなかなか参加できない子どももちらほら目につきます。どのようすればこのような子どもたちを参加させることができるか、いろいろと工夫してみてほしいと思います。 もう一つの1年生の国語の授業は、「あいうえおであそぼう」という詩の秘密を(特徴)を考えさせる場面でした。 子どもから「リズムがある」という意見が出てきます。授業者が最初の1行を全員で読ませて、「たしかにリズムがあるね」と確認すると、一人の子どもが「リズムがあるっけ?」と理解できないことを訴えます。そこで授業者がもう一度一音ずつ区切って読みながら、リズムがあると説明すると、多くの子どもが「あー」と反応しました。その反応を見て次に進みましたが、リズムがあるというのは感覚です。よくわからない子どももいるはずです。同調圧力で流されないよう意識して、理解できなかった子どもに納得したかどうかを確認したいところです。 これ以外にもいろんな秘密があると、友だちと探すように指示します。子どもたちから「今?」「いやだ」という声も上がります。「秘密」という言葉が今一つ理解できずに、何をすればよいのかかよくわからないことが原因のように思いました。授業者は「この秘密を知らないと楽しいあいうえおの歌がつくれません」と言って作業に入りました。活動の目的を意識させることはよいことですが、秘密を見つけることと歌をつくることの関連をもう少しはっきりさせることが必要だと思います。 「わかった」「わかった」と大きな声を出す子どもがいます。ペアで相談させているのですから、隣の子どもに聞いてもらうように声をかけるとよいでしょう。一つ見つけてその後じゃれ合っているペアもあります。ただ探すではなく「できるだけたくさん見つけて。いくつ見つけられるかな?」といった指示にするとよいでしょう。また、最初に「いくつあるかな?」と全員に予想を立てさせておくと、その数だけは見つけようとするのでより意欲的になると思います。 授業者は子どもたちをしっかり受容できるのですが、子どもたちのテンションをコントロールすることが少し苦手のようです。注意をしなくてもよいので、「はい、○○するよ」と次にとるべき行動を明確に伝えるとよいでしょう。 子どもたちの発表はペアの2人が起立して行いますが、発表そのものはどちらが一人になります。発表した後、もう一人に「これでよかった?つけたすことない?」と発言させる機会をつくるとよいでしょう。また、子どもたちは友だちの発表をよく聞こうとしています。聞いている子どもたちに、「今○○さんの言ったことわかる?もう一度説明してくれる?」とつないだりして、活躍の場を与えるとよいと思います。 自分で気づいたことを「一人で言える」と発表したがる子どもがいました。ペアの子どもが「わからん」というので教えるのですが、うまく教えられず、発表させてもらうことに気持ちがいってしまいました。1年生なので中々難しいのですが、うまくペアの子どもとつなぎたいところです。 子どもたちの発表を受け止めることはしますが、評価や価値付けがないことが残念です。行頭の文字が「あかさたな」の順番になっているということに気づけば、「行の先頭の文字に注目したんだ」「縦じゃなくて横に見てみたんだね」と返したり、文節の字数に気づけば、「一塊の文字の数を数えてみたら、規則があったんだね」というような言葉で評価したりするとよいでしょう。 授業者は一つひとつ自分の課題を克服してきています。着実に力をつけていますので、次回の訪問が楽しみです。 この続きは次回の日記で。 挑戦するから次の課題が見えてくる
前回の日記の続きです。
高校2年生の英語表現の授業は、フラッシュカードを活用した英作文を試みていました。 子どもたちはあらかじめ与えられた日本語の短文とその英訳を覚えます。タブレットを使ったフラッシュカードを使って練習しますが、単に日本文と英文を1対1で暗記する練習になっています。「飛行機が揺れる」という短文には”airplane turbulence”を使っていましたが、子どもたちが日本語の「揺れる」を”turbulence”だと思ってしまう危険性があります。英語では、船が揺れるは”pitch” “roll” “rock” “toss” ”yaw”などを”situation”で使い分けます。日本語では揺れの種類を意識しないので、1対1に対応しないのです。 授業者は瞬間的に言葉が出るようにしたいと思っていますが、日本語をきっかけにしていては実際にはなかなか使えるようにはなりません。”situation”に対して言葉が出るようにする必要があります。また、フラッシュカードの内容に脈絡がありません。「飛行機が揺れる」「相手の名前をうかがう」といった全く関係のない”situation”の文が混ざっています。歴史の年号を覚えたりするときの方法です。ある”situation”の中で瞬間的に必要な言葉を話せることを目指すのであれば、あまりよい方法ではありません。子どもたちは丸暗記をして定期試験で出題される問題に正解することで満足してしまうのではないでしょうか。 例えば挨拶の例文を使えるようにするのであれば、ペアでロールプレイすればよいと思います。その際、固定したシナリオでなく、わざと小さい声で聞き取りにくくしたりしていろいろな”situation”をつくり、それに合わせて言葉を選ばせることがポイントです。”situation”に応じて” I'm sorry but I didn't catch your name.”と名前を聞き直したり、単に”Pardon me.”と単純に聞き返したりする練習をするのです。瞬間的に言葉が出るようにする訓練とはこういうものだと思います。 全体を男女2列に分けてゲーム形式で競わせます。スライドに映し出された日本語を先頭の者が交互に答え、規定時間内に答えられなかったら負けで、次の人と交代です。活動的に見えますが、先頭の者以外はほとんどの時間何もしていません。また、競わせてテンションを上げることにあまり意味はありません。それよりも、自信のない子ども、負けた子どもの気持ちを考えるとマイナスの方が多いように思います。また、男女で競わせていることも気になります。 工夫をしようとしているのですが、英語の学習に対する考え方が、従来の紙の試験対策から抜け出ていないことが残念です。英語という教科で子どもたちにどんな力をつけるのかをもう一度考えてほしいと思いました。 高校1年生の物理の授業は、勾配をつけたレールを使って鉄球を水平に打ち出し、狙ったところに落とす実験でした。 一部の子どもが中心になって進めているグループ、わからないことを友だちに聞いているのですがうまくコミュニケーションが取れていないグループなど、グループ毎にいろいろな姿を見せていました。 授業者はグループをめぐりながら、アドバイスをしたり、ミニ授業をしたりしていますが、基本は教師主導で教えています。多くの子どもは活動的ですが、互いにかかわり合いながら考えが深まる場面はありません。個別のグループに深く入りすぎないようにして、全体を見ながら子ども同士のかかわりを促すことを中心に指導するとよいでしょう。題材勝負の授業になっていました。 なかなか先に進めないグループ、どんどん進んでいるグループと状況に差がついていました。途中で一旦活動を止めて、どこで困っているのか、どのようにやったのかといったことを共有する場面も必要です。 子どもたちが、互いにかかわりながら考えを深める授業とはどのようなものかを考えてみてほしいと思います。そこに意識が行けば、力のある方なので授業は大きく進化すると思います。 公開授業ではありませんが、中学校の授業をいくつか見せていただきました。 共通して感じるのが、1人1台のiPad導入を機に先生方が授業を変えようとしていることです。そのエネルギーが子どもたちによい変化をもたらしいています。全体的に表情が明るくなり、授業に対する意欲が感じられます。 2年生の英語の授業では、意識して子どもたちの発表場面を増やしています。英単語を日本語でこうだと1対1に対応させるのではなく、”context”にそって色々な言葉で表現させ、ニュアンスを理解させようとしています。とてもよい姿勢だと思いました。 積極的に意見を言える子どもがいる反面、参加できない、ついていけない子どもの姿も目立ちます。わからない子ども、かかわれない子どもをどのようにして参加させるかが課題です。特にこの学級では、よく反応する子どもが授業の主導権を奪う傾向があります。反応する子どもとのやり取りだけで授業を進めるのではなく、他の子どもを巻き込むようにコントロールすることを意識してほしいと思います。 2年生の社会の授業では、子どもたちがiPadを積極的に活用していました。 子どもたちはすぐに検索をする癖がついています。このこと自体は決して悪いことではないのですが、友だちが発表している時にまだ自分のiPadを見ている子どもの姿が見受けられます。授業者が次の作業の指示をしている途中に触っている子どももいます。iPadの活用を前提にした授業規律をつくる必要があります。 今までのあらかじめ教師が準備した資料をもとに考えたり、課題を解決させたりするのではなく、どんな資料があるとよいか、何を調べたらよいかといったことから子どもたちに考えさせるとよいと思います。自分で考え、いろいろ調べることで、問題解決能力が育てられるはずです。 3年生の社会の授業は新しい人権をテーマに子どもたちに考えさせる場面でした。 工事中の高いビルと工場の煙突から煙の出ている写真をみて問題点を住民の立場で考える問題や、がんの告知を本人ではなく家族にして、治療方針をどうするか判断させるということの問題点を考えるといった問いが書かれたワークシートを使います。最近の北朝鮮のミサイル問題を意識したものも含まれています。子どもたちに考えさせることを大切にしたいという授業者の思いが感じられます。 ただ、ワークシートの問いが「問題点を考える」「問題となる箇所がある」となっていることが気になりました。これは試験問題の問いの形式です。出題者が考える正解があることが前提で、それを見つけなさいという答探しになります。グループを積極的に活用しているので、例えばがんの告知の問題であれば「あなたが本人だったらどう思う?」と、「どんなことを思う?」「それは誰の立場?」といったことを互いに聞き合うとよいと思います。 子ども同士の机が離れているグループや他とかかわれない子どもも目にします。授業者は机間指導しながら子どもたちとかかわりますが、グループ全体とではなくグループの一部とのやり取りになることがありますが、かかわれない子どもをますます分断することにつながります。個別にかかわることよりもつなぐことを意識してほしいと思います。 子どもの意見に対して「(先生は)考えていなかったけどそうかもしれない」という言葉を返す場面がありました。子どもの意見を受容しようとしているのですが、聞きようによっては「それは授業者の考える答ではない」と言っているようにも聞こえます。「なるほど、そう考えたんだね」と受容し、積極的に評価したいのであれば「よい考えだね」と足すとよいでしょう。 発表の場面では、子どもたちの発表を授業者が「よいと思う」「(・・・ように考えてくれて)うれしい」と受容的に評価しています。このこと自体はよいのですが、他の子どもにどう思うかを聞く必要もあると思います。授業者が納得するだけでは、結局先生の求める答探しになってしまうからです。子どもたち全員が納得する場面をつくることが大切です。 積極的に授業改善に取り組んでいる方です。新しい授業スタイルに挑戦しているからこそ、次の課題が見つかります。一つひとつの課題をクリアしていくことで授業は大きく進歩すると思います。今後の変化が楽しみです。 子どもたちにどのような力をつけたいかが問われる
私立の中学校高等学校で、先週行われた公開授業研究に参加しました。
高等学校2年生の簿記の授業は、手形の仕訳についての学習でした。 子どもたちに問いかけたり、考えたりする場面が非常に少ないことが気になります。スライドをスクリーンに映しながら説明をしますが、顔が上がらない子どもが目につきました。 簿記の検定試験対策なのでしょうか、仕訳の仕方が中心で約束手形が経済活動にどのような意味を持っているのか、なぜ必要なのかについてはあまり触れられません。 学校教育はさておいて、一般の会社では簿記はコンピュータを使うことで素人でもさほど問題なくできます。それよりも、数字の持つ意味を理解できることの方が重要です。数字を見て、どこがおかしいか気づけるといったことが求められると思います。 約束手形の仕組みは知識ですので、教える必要があります。それを基に子どもたちに売掛・買掛と同じ点、違う点を考えさせるといったことをしてほしいと思います。 振出人、受取人、支払期日といった用語を先に説明して、手形の写真を見せますが、子どもたちは受け身で見ているだけです。そうではなく、手形にはどんなことを書かなければいけないか考えさせるとよいでしょう。写真を見ながら子どもたちが必要だと思ったことがどこに書かれているか確認し、支払う人、買った人といった子どもの言葉を振出人と言うと教えればよいのです。 仕訳も授業者が教えるのですが、売掛・買掛がわかっていれば、約束手形の決済には当座預金を使う(必要)ことさせ教えれば、自分たちで考えることができるはずです。気になったのが、仕訳で当座預金が相手方勘定になることの説明や、当座預金の果たす役割についてほとんど触れられなかったことです。約束手形を発行するには当座預金口座が必要ですが、その開設に審査があることが、約束手形の信用につながっていることは教えておくべきだと思います。 資産勘定や借方・貸方の意味がわかっていれば、手形の仕訳をどのように扱うべきか、論理的に答が出ます。子どもたちで考えられることは考えさせ、結論ではなく過程を大事にするよう意識してほしいと思います。 演習をさせますが、多くの子どもはやり方を示された後なのでスラスラできます。できる子どもはすぐに終わって自分で答を確かめています。正解だとわかっているので答の解説も聞いていません。仕訳できることが目的となっています。覚えることが学習になっているのが残念です。解答の確認は子どもたちで十分できると思います。もっと子どもたちを活動させてほしいと思います。 子どもが仕訳をする時間以外は、授業者が一方的にしゃべっています。それにもかかわらず、子どもたちはよく授業に参加していました。しかし、子どもたちがこの状況に対して不満を持つようになれば、一気に授業が崩れる心配があります。子どもたちが考え、互いにかかわるような活動を授業に組み込むことを意識してほしいと思います。 高校3年生の選択の政治経済の授業は生徒7人と先生によるゼミ形式のものでした。 授業者は子どもたちに文献を読ませたいと考えています。この日は、子どもたちが読んできた本について、互いに発表して聞き合う場面でした。 子どもたちの準備したものには、かなり差がありました。本の細かい内容についてびっしりと原稿を準備してそれを読み上げる者、本の内容を簡単に発表する者、単なる感想で終わる者、視点も量も様々です。原稿をしっかりと準備している者は顔を上げずに読んでいることが気になりました。子どもたちは発表者を見てしっかりと聞いているのですが、視線がからみません。友だちの発表についてどんなことを考えているのかを知りたいと思ったのですが、基本、授業者が質問して答える形なので、そういった機会はあまりありませんでした。 発表する内容については、テンプレートを与えてもよいと思います。視点や、量をあらかじめ決めておくのです。聞く側の視点についても与えておくことが必要かもしれません。発表のスキルも意識させたいところです。また、子どもの活動に対しては評価や価値付けが必要です。発表の後で拍手が起こることがありましたが、全員でないことが気になりました。儀礼的であるのなら、全員に拍手するべきです。よいと思うところがあったから拍手したのであれば、きちんと何がよかったのかを聞く必要があるでしょう。 授業者がコメンテータで進行役でしたが、発表とそれについてやり取りの時間が1人につき10分あるかないかでした。兵器の話に関連して、子どもから「電磁パルス」という言葉が出たり、経済の問題に関連して「不良債権」が話題になったりしますが、それについて深める時間がありません。結局、授業者が問いかけながら説明して終わってしまいます。子ども自身で調べたり、意見を交換したりする時間をつくりたいところです。 グローバル化で国内の仕事がなくなるという発表がありましたが、子どもたちはなぜそうなるのか疑問を持ったかどうか気になりました。しかし、授業者は子どもから疑問を出させるのではなく、自分で質問し、自分で説明をしました。子どもたちが主体となることを願っていると思うのですが、「授業者の知識自慢」に見えるような授業になってしまったのが残念です。進行役として発表を焦点化し、それについて子どもたち調べたり、考えたりして、全員で深めていくような進め方をするとよいと思います。 また、ある程度慣れてくれば、交代で子どもたちに進行役、コメンテータ役をそれぞれさせてもよいでしょう。人数も少ないので教師主導のミニ授業ではなく、子ども同士で運営できるところまで目指してほしいと思います。 次回から、論文を読むことに挑戦します。野心的な試みでよいと思いますが、子どもたちに論文を読む必然性がないことが気になりました。例えば、この日の発表で子どもたちが疑問に思ったことやもっと知りたいと思ったことを、論文をもとに考えるといったやり方もあると思います。 意欲的に授業改善に取り組んでいる先生です。子どもたちに経験させたいことを柱にして一連の授業を組み立てていますが、子どもたちの主体性やそれを通じてつけたい力も意識すると、授業がシャープになると思います。今後が楽しみです。 この続きは次回の日記で。 子どもの様子を見ることから始める
前回の日記の続きです。
採用2年目の先生の4年生の道徳の授業です。 自分の力で頑張ろうとしているお年寄りに手を貸そうかどうかを主人公が悩むことを通じて、相手の気持ちを思いやることを考える読み物教材を使ったものでした。 授業者は最初にワークシートを配った後、「いつも言っているけど、道徳は何のためにやるんですか?」とたずねます。ワークシートに名前を書いているので、それどころでない子どももいます。道徳の授業ではいつも聞くことなので、参加できていない子どもがいても気にならなかったのかもしれませんが、全員が参加の状態になるまで待つ必要があるでしょう。「生きるため」という答ですが、抽象的です。授業者は「今日もこんな場面ではこういうこともあるんだろうなということ取り扱っていきます。どういう風に生きていくのがいいのかを考えます」と説明しますが、子どもたちの顔は上がっていません。授業者も子どもたちの様子をちゃんと見ていません。形式的に話しているだけです。「生きるため」という言葉が単なるお題目にならないよう意識してほしいと思います。 親切にしてもらってうれしかった経験を子どもたちに問いかけます。1/3ほどの子どもがすぐに手を挙げると、授業者はすかさず1人を指名しました。自分の経験を振り返る時間をもう少し取りたいところでした。子どもたちは発表者の方に体を向けます。ゲーム機を欲しいと言ったら父親が並んで買ってくれたという発表に、子どもたちが拍手をします。この場面に少し違和感を覚えました。この発表の何に対して拍手をしたのでしょうか。内容は拍手をするようなものではありません。形式的に拍手をしているだけのように見えます。この授業では子どもたちが意見を言う場面がこの後いくつもありましたが、拍手は起こりませんでした。拍手の意味がよくわかりません。 また、次に指名された子どもも、ゲームを遠くまで行って父親が買ってくれたという似た経験でした。子どもたちは親切ということをちょっと違った理解をしているようでした。そこで授業者が、買ってもらった以外の親切を問いかけると、扉を開けてもらったということが出ました。それを受けて、「みんなはいろいろしてもらったことがあるね」とまとめました。この日の授業のねらいは親切を通じて相手の気持ちを思いやることを考えることです。「してもらったこと」とまとめるのではなくその時の双方の気持ちを問いかけたいところでした。 授業者は親切についてのお話と言って、副読本を開かせます。親切という言葉にこだわりすぎているように思います。 子どもたちが副読本を開いていてまだ話を聞く準備ができていない時に、「主人公は僕」といった説明をします。子どもたちの状況を無視して授業を進める傾向があることが気になります。授業者は子どもたちの準備ができるまで少し間をおいてから範読しますが、副読本を手に持っている子ども、机の上に広げている子どもとバラバラです。読み始めると頭がふらふらと動く子どもが目立ちます。しかし、授業者は副読本をずっと見続けて、子どもたちの様子に気づきません。ここは副読本を開かせずに顔をしっかりと上げさせ、子どもたちと視線を合わせながら範読するべきでしょう。 この日の教材は、次のようなお話です。 足の不自由なおばあさんに手を貸そうとした主人公が、申し出を断られます。そのことを母親に話すと、そのおばあさんは歩けるようになるために練習をしていると教えられます。暑い日に、つらそうに歩いているおばあさんに再びであった主人公は、声をかけようかどうか迷いながらもその後ろを歩き続け、結局、坂の上の自宅に着くまで見守ります。玄関で待っている娘さんのところにたどり着いたお年寄りが笑顔になるのを見て、主人公は心と心で握手した気持ちになりました。 授業者は範読を終わると、主人公の気持ちについて考えてみたいと言って内容の確認を行います。授業者は、「だれと出会った?」「おばあささん」「どのような?」「足の不自由な」と黒板に絵を貼りながらやり取りしますが、「しかも重そうな荷物を持っている」と言葉を足します。子どもに答えさせても、用意した絵を貼りながら授業者が言葉を足すのであれば、答探しになってしまいます。範読の途中で立ち止まり、絵を貼りながら授業者がその場で確認すればよいでしょう。 主人公が最初におばあさんに声をかけた時の気持ちを問いかけます。指名して答えるたびに板書をします。最初は発表を見ていた子どもも、3人目になるとほとんど見なくなりました。授業者はそのことを気にしていません。気づいていなかったのかもしれません。聞いていることの価値がないために、子どもたちの集中力が失われていきます。 続いてこの後どうしたと問いかけます。声をかけたことを確認して、親切にされた経験についてのやりとりでまとめた「してもらった」と関連づけて、これは親切かどうかを問いかけました。指名した子どもが「親切」と答えると、そのまま「親切だ」と結論づけました。この流れだと、「親切とは何か」ということに焦点化されていきます。親切かどうかではなく、相手の気持ちも問いかけたいところでした。 申し出を断られた時の気持ちを問いかけます。子どもから出てきた意見を受け止めますが、つなぐことはしません。子どもからは「嫌な気持ち」「せっかく」といった、ネガティブな言葉も出てきます。これが子どもたち自身の気持ちであれば、おばあさんの事情を知って揺さぶられるのですが、子どもたちは断られた理由を知っています。いろいろと意見が出ても、話の内容をすべて知っているので、どうしても自分に引き寄せることが弱くなってしまいます。 おばあさんを見かけたところで範読を止め、「君たちならどうする?」と問いかけ、その気持ちを全体で共有する。主人公が申し出を断られた時、「君たちだったらどう思う?」「おばあさんの気持ちは?」「どうして断ったんだろう?」と問いかけていけば、自分のこととして考えることができたと思います。 おばあさんが家にたどり着いたのを見届けて主人公の心が明るくなった時、どんなことを考えたのかを副読本を広げて考えさせます。まわりで意見を聞き合い発表しますが、ここでも意見をつなぐことはしません。子どもたちは発表を聞いてはいるのですが、反応があまりありません。授業者が子どもたちの反応を拾うことをしないこともその理由の一つでしょう。ただ、発表させるだけでは考えは深まりません。 「玄関で見守っていたおばあさんの娘さんの気持ちは?」「心と心で握手したとはどういうことか?」と問いかけますが、結局、本文に沿って気持ちを考える、表面的な読み取りをする国語の授業になってしまいました。 最期に、「この物語について」「友だちのよかった意見」「これからの自分について」、書けるだけ書くことを指示します。道徳の振り返りをパターン化しているようです。このこと自体は悪いことではありません。むしろ、子どもたちが考えやすくなるよい方法だと思います。問題は、子どもたちがこれに応えられるために必要な活動をしてきたかどうかです。友だちの意見を漫然と聞いているだけでは、どの意見がよかったとは答えられません。考えを共有し、自分の考えと比較するような場面が必要になります。これからの自分について考えるのであれば、自分に引き寄せる場面が必要です。このことを意識した授業設計が大切になります。 まだ若い先生です。まずは、子どもの様子をしっかり見ること。特に子どもの表情発言を意識するとよいでしょう。そして、子どもの発言を受け止めるだけでなく、価値付けしたり、つないだりできるようになれば、授業は大きく進化します。自分で課題を設定しながら、一つずつクリアしてほしいと思います。 何をもとに、どう考えさせるか
前々回の日記の続きです。
6年生の社会は元寇の学習で、蒙古襲来絵詞を前にして日本軍と蒙古軍の違いを発表させる場面でした。 授業者は子どもにたくさん挙手をしてくれてうれしいといった言葉を投げかけます。表情もよく、子どもたちが学習に積極的に参加する雰囲気がありました。 ただ、子どもの発言をハンドサインで賛成と確認はするのですが、多くの場合それで終わってすぐに次の子どもに意見を聞きいていました。子どもの意見や、絵と資料をつなげたりして、考えを深める場面をつくってほしいと思います。 子どもから弓矢の違いが出てきました。日本軍の弓は遠距離戦、蒙古軍の弓は近接戦用ですが、子どもたちではそのことは絵からすぐにわかるわけではありません。教科書や資料の説明を見ているだけです。すぐに賛成のハンドサインが挙がりますが、全員ではありませんでした、まずどこを見たのか、どこに書いてあったのかを確認して全体で共有する必要があります。その上で、絵ではどのような違いがあるのかを読み取らせるといったことが必要でしょう。弓の形状の違いや矢の長さの違いに気づくことができるはずです。そのことと弓矢の特性の関係を意識できるとよいと思います。小さい弓だと連射しやすそう、大きい弓だと力が強そうといったことが子どもの口から出てくれば、そのような視点をほめ、「絵から多くのことが学べる」と資料の価値を子どもたちに伝えるようにするとよいでしょう。 「弓矢に関連したこと」と授業者がつないだ時に、鎧の違いが発表されました。鎧も武具ということで関連したと考えたのだと思いますが、とにかく発表したかったのかもしれません。気になったのが、授業者がこれを受けて、服装について書いた人と挙手で確認をしたことです。弓矢に関連することと言ったのに、次の発表を服装と言ってしまうと、関連していなくても発表してよいと授業者が自身で言っているように聞こえます。ちょっとしたことですが、一言、「鎧も弓矢と同じように武具だね」とか「鎧と弓矢はどんな関連かな?」といったことを確認しておく必要があるように思いました。 子どもの発言は細かい重さの違いまで含まれていました。ここで隣同士、絵を見て違いを確認しますが、絵からの情報の方が少なくなっています。絵から違いを見つけ、その違いから日本軍と蒙古軍の軍隊の特性について子どもたち自身が考える方が、資料を読み取る力をつけることにつながると思います。蒙古軍が近接戦を想定した軍隊であることは教科書や資料集に書いてあります。そこを先に見てしまえば子どもたちが「装備の違いはなぜだろう?」と疑問を持たなくなってしまいます。ここでは、教科書や資料集は子どもたちの絵からの気づきを補足するために使うとよいと思います。 授業者が鉄砲(てつはう)について子どもたちにどのようなものかを問いかけますが、これは知識です。知っている子どもしか答えることができません。問いかけるのであれば、少し時間を与えて調べさせるとよいでしょう。中には憶測で「今の大砲のような物」と答える子どももいますが、そのまま受容しました。何人か答えた後で「みんな正解」と言ってしまいます。授業者は本当に大砲のような物と思っていたのでしょうか。もし、そうであれば教材研究不足です。何となく流してしまったのかもしれません。鉄砲(てつはう)はどちらかといえば手りゅう弾のような物と考えられます。子どもの知識に対して、どこで知ったのかその根拠を確認することも必要でしょう。ここは子どもに答えさせるのではなく、写真などを使い授業者が説明すべきだったと思います。 元寇には2回戦があったと言って、防塁の写真を見せます。授業者は何だと思うと問いかけます。子どもたちは写真を見て考えるのではなく教科書や資料集で答を探そうとしています。答探しをさせるのであれば、最初から教えればよいのです。どこにあるといったこの写真に関する情報を与えたり、特徴を言わせたりして、何に使われたのか考えるといった、資料から読み取る経験させる必要があります。 授業者は挙手した一部の子どもの発言を受けて、教科書で確認をしました。子どもたちが資料をもとに考えているようで、実は知識を調べて覚える授業になっていました。 子どもたちに、何をもとに、どう考えさせるのかを意識した授業の進め方を考えるようにしてほしいと思います。子どもたちを笑顔で授業できる先生です。このことと、子どもの意見を共有してつなぐことを意識すれば大きく進歩すると思います。 この続きは次回の日記で。 授業の変化が気になる(長文)
前回の日記の続きは、来週にさせていただきます。
2学期になって、私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。 高等学校は全体としては落ち着いているのですが、子どもたちの一部が参加できていない授業が以前よりも目立っています。子どもたちとのやり取りが多い授業、子どもの活動量が多い授業、活動の指示が明確な授業ではほぼ全員が参加でき、ICT機器を上手く活用していれば子どもたちの顔が上がっています。そうではなく、子どもたちが、ただ板書を写している授業、一方的に話を聞いている授業、何をすればよいのか、何がゴールなのかわからずに作業している授業などでは、集中が切れている子どもが多く見られます。同じ学級でも、授業者によって子どもの見せる姿が変わっています。先生方の努力や工夫で子どもたちの状況がよくなったため、工夫することをやめて以前の授業スタイルに戻っているように感じました。子どもたちが授業を乱すようなことはないので変化に気づいていないのかもしれませんが、あえて気づかないようにしているようにも思えます。この状態が続くと、子どもたちが全く授業に参加しなくなる可能性もあります。よい状態をつくるには時間がかかりますが、崩れる時は急激です。もう一度、授業のあり方を見直してもらいたいと思います。 中学校では、子どもたちの人間関係が少し変化しているように感じました。子ども同士のかかわりの中で、よい表情が増えているようです。この変化をうまくとらえて、授業の中で子ども同士がかかわる場面を増やすように意識してほしいと思います。 中学校1年生の数学の授業は比例の授業でした。 気になったのが、数学の用語や定義を授業者がきちんと意識して指導していないことでした。 前時の復習で、関数の例としていくつかの式を板書します。式と関数の関係や違いが明確でありません。「関数とはどういう関係?」と問いかけて、一人の子どもを指名します。「xがわかればyが決まる」という発言に、「そうだね」と言って「1対1の関係だね」と言葉を加えて次にいきます。関数の定義を授業者は意識していないようです。中学校の学習範囲でも定義域や値域はきちんと意識されています。押さえるべきことを押さえずに進めていることは問題ですし、x、yと変数の文字を固定しているところも修正しなければいけません。また、何より関数を式で表わせる数の関係と思わせてしまうことが危険です。関数の対応関係も1対1ではありません。本人は意識せずに1対1と言ってしまったのかもしれませんが、気をつけなければいけません。数学の教師は国語の教師と同じかそれ以上に言葉に慎重であるべきだと思います。 「関数にはいくつかの種類がありますが、……」と種類と言う言葉を使いましたが、式の種類(1次式、分数式等)のことを言っているようでした。関数の種類といっても、非常に多くの視点があります。何に目をつけているのかを明確にする必要があります。この時間で扱う比例やこの後出てくる反比例は変化の様子で分類しているものです。授業者はそのことを意識していないようでした。関数の授業で一番大切にしなければいけない変化という視点が欠落した授業になってしまいました。 黒板にスライドで「時速50kmで走る車の時間をx、距離をyとした時の表をまとめよ」と問題を提示します。その下に、xとyと表の枠が示されています。 時速○○kmと単位が表示されているのに時間と距離に単位がありません。また、時間と距離という言葉も不適切です。ある時点を基準にして経過した時間とその地点からの移動距離というのが正しい表現です。こういったところ雑にすると、問題の本質を見落とします。 授業者は「ポイントは式だ」と言って、まず式を書かせます。しかし、式がわからないときに表をつくるというのも大切なアプローチです。数学的な見方・考え方が意識できていません。表は変化を見る時に非常に有効なものです。 式を使って、「xが0の時yは?」と問いかけ、続いてxが1の時yが40、xが2の時……と表に数字を書き込みますが、なぜ0から表が始まるのでしょうか。ここに定義域を考える意味が出てきます。問答無用で0から始めるのは危険です。「表の最初はいくつから始める?」と聞きながら、問題の意味から定義域を吟味するところから始まるべきでしょう。また、なぜ1きざみなのでしょうか。連続量なのですべてを表に表わすことはできないことを意識させる必要があります。ここも定義が整数なのか、実数(まだ言葉は学習していませんが)なのかといったことを考える場面です。そこに全く触れずに、ただ作業をするだけになりました。y=40xの40の部分の色を変え、時速を変えれば赤い数字が変わりますという説明をします。この説明に何の意味があるのでしょうか。数が変わっても性質が変わらないことを押さえるのであれば、まずきちんとこの関係(関数)の特徴を押さえる必要があります。 表を埋めながら、「同じ割合で増えていきます」と説明しますが、同じ割合で増えるとはどういうことを言うのでしょうか。説明もせずに終わります。表をもとにきちんと考える必要があります。表の上下の対応ではなく、横の変化に注目するという関数の見方と方程式の解(式を満たす値)の集合との見方の違いを意識して扱う必要があります。 子どもたちは、スライドの情報が次々と増えていくので写すことに精一杯です。スライドを使うことで授業のテンポは上がりますが、子どもたちの考える時間を奪っていることに注意が必要です。 数学は何を学ぶ授業なのかをしっかりと考えてほしいと思います。 中学校2年生の理科は生物の分類の導入の場面でした。 授業者は「生物は何か?」と問いかけ、子どもたちを何人も指名します。とても難しい問いですが、子どもたちは思いついたことを自由に答えます。授業者は子どもたちのどんな答も受容していました。安心して意見が言える雰囲気が醸成されています。 生物の定義は大変難しいものです。授業者は細胞をもとにして定義することにし、「生物として生きるために必要なものは何か?」と次の問いかけをして書かせます。生物の定義と関連する代謝に子どもたちの視点を向ける発問です。よく考えられていると思いました。 机間指導をしながら「なるほど」と声をかけたり、わざと聞こえるように書いてあることを読み上げたりします。教室の雰囲気づくりを意識しています。 たくさん書いている子どもがいる一方で、一つ答を書いてぼんやりしている子どもがいます。「できるだけたくさん書く」「最低でも○○は書く」といった条件を付けるとよいと思います。 全体での発表の場面で、鉛筆を置くように指示をしてもまだ書き続けている子どもがいました。友だちの発言をちゃんと聞いている子どももいるのですが、授業者が板書をするとそれを見ていたり、写したりしている子どもが目立ちます。友だちの考えを聞く場面では、全員が発表を聞くことを意識して指導してほしいと思います。 授業者は子どもを受容することを意識するようになり、子どももよく発言するようになりました。よい方向に授業が変わっています。次は、「友だちの考えをどう思った?」「似たような考えの人?」というように、子ども同士をつなぐことを意識すると、互いにかかわることで考えが深まっていくと思います。授業がどのように変化していくか、これからが楽しみです。 高校3年生の国語の授業は新人の先生でした。教科書を範読しながら教室内を歩いている場面でした。 子どもたちの聞いている姿勢が乱れていることが気になります。授業への参加意識が低いようです。教科書に線を引くといった指示をしているのかもしれませんが、鉛筆を持っていない子どもが目立ちます。鉛筆を持っている子どもも、手が動く子どもはわずかでした。 範読の途中で、線を引きなさいと指示をします。「筆者がここで問題提起をしている」と説明しますが、授業者が言ってもあまり意味はありません。子どもたちが自分でこの文を重要だと思うことが大切です。せめて、「どうしてここに線を引くと思う?」と問いかけてほしいところです。 おそらく授業者自身が学生時代にこのような授業を受けてきたのでそれを再現しているのでしょうが、授業観の転換を図ってほしいと思います。 同じ教材で別の先生も授業をしていました。 範読の場面では、授業者はあまり歩きません。それよりも全体の様子を見ることを意識しています。時々質問をはさみますが、子どもたちはちゃんと参加していました。この場面に限らず、子どもたちがよく参加しているのは、授業者との人間関係のよいことが理由として考えられますが、指示が明確なので今何をすればよいのかがよくわかっていることも大きいと思います。 子どもを指名して発言させる場面では、子どもの言葉をしっかりと受容しながらよく聞いています。しかし、どうしもそれを受けて自分が説明しすぎる傾向があります。他の子どもにつなぐことを意識するとよいと思います。 高校3年生の国語で、「女子力」をテーマに子どもたちに論理的、分析的に考えさせる授業がありました。子どもたちに興味を持たせる授業をいつも工夫されている先生が授業者です。 まず、「女子力」とは何かを子どもたちに考えさせます。グループになっている子どもたちとそうでない子どもがいます。子ども自身にグループになるかどうかを選ばせているのかもしれませんが、一人で考えている子どもにも、他者と交わる機会をつくることが必要だと思います。また、グループの様子も一つの机に集まって額を寄せているところもあれば、机を寄せずに距離を取っているところもあります。きちんと机を寄せて子ども同士の距離を適正にしたいところです。 「女子力とは?」に対して、「ファッション」「容姿」「メイク」といった言葉が出てきます。その言葉をもとに、授業者が「女子力」という言葉に込められている、女子に求められる、女子が求めている価値について焦点化します。とても面白い場面なのですが、教師がぐいぐい引っ張っていき、子どもたちに一番考えてほしいところを授業者が説明することになっていたのが残念でした。 子どもたちから簡単に出てくるところは時間かけずにさらっと終わり、ポイントとなる課題を全体で焦点化して、子どもたちが互いに考え聞き合い、深める時間を取るようにするとよいでしょう。授業者が語りたいところでしょうが、そこをぐっと我慢してほしいと思います。 授業のテーマや課題の設定はとてもよく工夫されているので、子ども自身で視点を見つけられるような授業展開を意識すると、素晴らしい授業になると思います。 高校3年生の物理は、実験の内容や進め方を工夫して、子どもの主体性を引き出すことを意識されている先生の授業でした。 電場のする仕事について、式を書きながら穏やかな口調で説明します。聞いている子どももいますが、板書を写すことを優先している子どもも目立ちます。授業者は「電場が一様だとは?」というように、子どもたちに時々問いかけますが、すぐに自分で説明をします。子ども同士で相談したり、考えたりする時間を取ることも必要だと思います。実験以外の場面でも、子ども同士が主体的にかかわり、相談し合う時間をつくることで、自分の言葉で説明できる力をつけるように意識してほしいと思います。 1年生の英語の授業は、発音指導している場面でした。 子どもたちは楽しそうなのですが、今一つ集中していないようにも見えます。発音をする場面で口を開かない子どもが目につきます。しかし、子どもたちの雰囲気がよいために、つい「みんな上手」とほめてしまいました。このことには気をつけてほしいと思います。参加していなかった子どもは、自分はみんなに入らないと思い、ますます参加しなくなります。子どもとのやり取りや雰囲気づくりは以前と比べるとよくなっています。子どもたち一人ひとりをよく見ることを意識するとよいでしょう。 次週には、3日間の研究授業の公開があります。学校全体で授業を見直すよい機会としてほしいと思います。 子どもたちが考えるための、発問や活動を意識する
前回の日記の続きです。
小学校4年生の算数は、平行四辺形の性質の授業でした。 授業者は、まず子ども一人指名して「垂直って何ですか?」とたずねます。子どもたちの手が教科書に移ります。「いいよ、調べて、調べて」と子どもたちのよい行動を強化します。友だちが指名されても、自分のこととして教科書を見ようとするよい姿勢が育っています。授業者は早く見つけた子どもを指名しましたが、多くの子どもはまだ探している途中です。もう少し待って、最初に指名した子どもに答えさせたいところです。 指名された子どもは教科書の定義を読み上げます。「見ずに言える?」と聞きますが、難しそうです。他の子どもも指名しますが、やはり読み上げます。ここで意識してほしいことは、「2つの直線が交わってできる角の大きさが直角のときに、2つの直線は垂直であるという」といった言葉で覚えることよりも、具体的に図でどのような関係であるのかを理解し説明できることの方が大切だということです。図をスクリーンに映して、「垂直な“関係”にあるのはどれとどれ?」「この直線と垂直な直線はある?」と問いかけたりして、垂直が2つの直線の関係を表わす言葉であることを押さえておきたいところです。 続いて平行も確認しますが、やはり言葉の定義だけだったのが残念でした。 子どもたちに、教科書を見ているかもしれないけれど発表者の方を見るように指示します。このように聞くこと大切にしている場面が何度もありました。子どもたちに発表者を見る余裕を持たせるために、全員が見つけるまで待つか、探す作業をいったん止めるような指示が必要かもしれませんでした。 台形、平行四辺形と定義を聞いていきます。先ほどの指示のおかげでほとんどの子どもが発表者を見ます。しかし、発表者は基本的に読んでいるだけなので、どこに書いてあるのか見つけた子どもたちとっては聞くことにあまり意味はありません。この場面のねらいが今一つはっきりしませんでした。言葉の確認であれば、どこに書いてあったかを確認して全員で一斉に読ませたり、次々に指名して何人にも言わせたりするとよいでしょう。定義を理解しているかの確認であれば、台形や平行四辺形の図を見せて、なぜ台形なのか、平行四辺形なのかを、「どの辺とどの辺が平行だから、……」と定義を満たしていることをもとに説明させるというやり方もあると思います。 この日のめあて、「平行四辺形を調べる」を提示した後、スクリーンに2つの平行四辺形を映します。「この2つは平行四辺形です」と授業者が宣言しますが、できれば子どもたちに答えさせ、どうして平行四辺形なのかを言わせたいところでした。 授業者は「辺の長さ、角度をそれぞれ調べてください」と指示をしますが、図形の何に注目するかという視点が大切です。授業者が一方的に指示するのではなく、子どもたちに考えさせることが必要でしょう。「図形の性質を調べる時にどんなことをやった?」といった過去の経験を思い出させたり、辺や角といった図形の構成要素を整理したりするとよいでしょう。小学校の範囲を越えますが、3年生で学習した対角線が出てくれば、それも調べさせても面白いでしょう。対角線が互いに他を2等分していることに気づくかもしれません。上手く関係が見つからないかもしれませんが、辺と辺との関係や角と角、辺と角との関係を調べたりすることも大切です。授業者が指示することが子どもたちの考える機会を奪ってしまう可能性を意識してほしいと思います。 また、角度を調べるという言葉の使い方も気になりましたす。「角の大きさを調べる」と角と角度の違いを意識してほしいと思います。 調べたらメモをして、その中から自分が気づいたことを言葉にして書くように指示をしました。教科書をしまっているので、子どもから「教科書を見ながら調べてもいいですか?」という質問が出てきました。授業者が「見ないでください。何を見たかったの?」と返すと、「ほとんど」という答です。「教科書が無くても、プリントがあれば大丈夫」「ごめんね○○さん、また後で使います」とワークシートを配りました。「困ったら教科書を見ずに周りの人に相談してごらん」と友だちと関わることを促しておいてもよかったかもしれません。 まず一人でやるように指示して活動が始まりました。 時間が来てもまだ調べている子どもがたくさんいます。授業者はあと1分で自分が調べたことから気づいたことをまとめるように指示しました。辺の長さや角の大きさそのものではなく、その関係を見つけることが大切です。辺の長さや角の大きさは考えるための材料です。これが正しくなければ始まりません。まず、全体で値を確認することが必要です。物差しや分度器の使い方も大切なスキルですが、この時間の目標はそこではありません。早い時間に結果を共有して、そこを足場にして考える時間を取りたいところでした。 また、最初に平行四辺形を各自に自由に書かせて、それについて調べた値を全体で共有するというやり方もあります。中には、おかしな値があるかもしれませんが、そこから常に成り立つのかどうかという大切な視点に気づかせることできると思います。 授業者は、友だちの発言を聞くことを大切にしています。子どもを受容することもしっかりとできていました。指示も明確で子どもたちは指示通り活動ができます。だからこそ、子どもたちが考えるために、どんな発問をもとに、どのような活動するかを考えることが大切です。根拠となるものをきちんと全体で共有した上で考える場面をつくることを意識してほしいと思います。 この続きは次々回の日記で。 子どもたちに見通しを持たせてほしい
前回の日記の続きです。
5年生の算数は、入場券と乗り物券の組み合わせの値段からそれぞれの値段を求める問題でした。入場券と乗り物券5枚で1000円、入場券と乗り物券7枚で1200円です。 子どもたちはコの字型で座っているのですが、なぜコの字型にしているのかがよくわかりませんでした。ほとんどの場面で授業者は黒板の前で話をし、子どもたちは授業者に向かって話をします。友だちの話を聞くよりも板書を写すことを優先している子どもが目立ちます。また、授業者の反応から友だちの発言がずれているとわかると、発言の途中でも挙手をする子どもが目立ちます。一見すると明るい学級なのですが、人間関係に少し不安を感じました。 同じものは何かを子どもに問いかけます。子どもから、授業者が黒板に貼った入場券や乗り物券の大きさや形が同じという意見が出ました。授業者は「なるほどすごいことに気づいたね。さらっと流していこうか」と受け、笑いながら「形、大きさいっしょ」と板書します。受容しているようにも見えますが、子どもによってはバカにされているように感じるかもしれません。授業者は発言した子どものことがよくわかっているので大丈夫なのでしょうが、ちょっと気になる場面ではありました。 続いて違うことは何かを発表させます。子どもたちは、何でもよいから違いを発表しようとします。手が挙がるのはよいことなのですが、発言の算数的な価値付けをしていくことが大切です。 同じもの、違うものを考えることの意味は何でしょう。授業者の指示にそって考えるのではなく、「こういう時はどうするといいかな?」と子どもから比べるという発想を出させ、数学的な見方・考え方を育てたいところです。指示されて作業をしても見方・考え方は育たないことに注意してほしいと思います。 続いて、線分図に表わすよう指示しますが、線分図で表わすとよいと、子どもたちに判断させることが必要です。入場券と乗り物券の組み合わせの値段を表すいくつかの方法を出させ、子どもたちに評価させることが必要です。異なった方法で表わして、それぞれを基に考えさせ、どれが上手くいったかを考えさせるといった方法もあるでしょう。 2つの組み合わせを線分図で書かせますが、授業者は「入場券は一緒」とその部分を書いて、違っているところを書き足すように指示します。子どもが動き始めてすぐに、「同じ値段のものはキチンと同じ幅で書いてください」とヒントを言いますが、作業に入る前に線分図のポイントを子どもたちと確認しておく必要があったと思います。 指名した子どもに線分図をかかせます。書き終わった後、「余分のところは消してあげよう」と図の一部を消します。「えー」という声が子どもたちから上がりますが、「これ以上いらないでしょう」と授業者は無視します。不要なものを消すこと自体は悪いことではないのですが、このようなやり方をすると、授業者の求める答探しになっていきます。こちらからすれば不要と思えるものも、本人には理由があるかもしれません。必ず本人に「これは何?」と確認して、「なくてもいい?」と同意を求める必要があります。 授業者はここで急に声を大きくして、「さて」と黒板に向かって説明を始めます。子どもたちを集中させるために声を大きくしたのでしょうが、子どもたちの多くは作業中で、顔は上がりませんでした。 乗り物券の枚数を確認して、線分図に切れ目を入れ、「線分図と言われたらこういうものを書いてください」とまとめますが、子どもたちは説明を聞かずに結論を写します。これでは、自力で線分図をかけるようにはなりません。 授業者は「線分図をかくのが目的ではありませんね」と言いながら、次に進みますが、線分図をかくにあたって、その目的をはっきりとはさせていませんでした。線分図をかけば入場券、乗り物券の値段がわかるといった見通しを子どもたちは持てていません。 「それではちょっと同じものに目を向けたいと思います」と説明を始めますが、子どもたちは線分図を写すことに手一杯です。書くのをやめるように言いますが、これだけ多くの子どもが線分図をかけていない状況で先に進んでもあまり意味はありません。全員がきちんと線分図をかけるようにすることを優先すべきでしょう。 2つの線分図の違いが2マス(乗り物券2枚)であることを確認して、これがいくらかわかるかを問いかけます。挙手は1人ですがすぐに指名します。子どもたちの手が挙がらないということは、ここまでの説明がよくわかっていないということです。もう一度子どもたち自身で考える時間を持つ必要あります。 200円と言う答に子どもたちが反応しないので、「ここはいくらかわかりますね」と返し、「200円」という声が出たので、「どうですか?」と全体に問いかけました。「賛成です」という声に「皆さん、賛成ですか。ありがとうございます」と返します。賛成と言いなさいと強要しているようにも感じます。「賛成です」と答えている子どもの数はそれほど多くはありません。それも自信を持っているようには見えません。それを「皆さん」と言ってしまうのはかなり乱暴です。少なくとも、他の子どもに、答ではなくきちんと理由を説明させ、全員が納得する場面をつくる必要あったと思います。 授業者は「同じものに目をつけると違いがわかります」と説明しますが、違いを見つけることがなぜ必要なのか、なぜ先に同じものを見つけなければならないのかといったことが明確でありません。どのような見方・考え方につながっているのか意識してほしいと思います。 「差し引いて」と説明をした後に、「差し引く」とはどういう意味かを子どもたちに問いかけます。突然国語の授業になってしまいました。辞書的な意味ではなく、実際に算数の場面をもとに、こういう計算、操作を差し引くと言うとシチュエーションで教えることが本筋でしょう。 違いが200円であることを再び確認して、「今日は何が知りたかったの?」と問いかけますが、子どもたちはほとんど反応しません。ミステリーツアーのごとく、授業者の指示、説明を聞いていただけになっていました。 式を書かせますが、今度は式が中心になっています。式が線分図のどこを表わしているのか、どう対応しているのかを結びつけなければ、線分図のよさはわかりません。一つひとつの活動がバラバラになっていました。 子どもたちに見通しを持たせることと、この教材で身に付けさせたい見方・考え方を意識して授業を組み立ててほしいと思います。 この続きは次回の日記で。 |
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