今後向き合うべき課題を意識してほしい(長文)
前回の日記の続きです。
高校1年生の英語表現の授業は前置詞を意識した動詞句の学習場面でした。 この日の活動に合わせて、最初に6人のグループをつくります。この後どんな活動をするのかはっきりしないためか、子どもたちの動きがやや遅く、おしゃべりをしている子どもが目立ちました。授業者が話し始めるといったん静かにはなりますが、集中度が上がりません。質問をしても、関係のないことを話している子どもが目につくことが気になりました。 続いて一人の子どもにボールを渡して、注目するように指示しますが、グループの隊形のため、後ろ向きの子どもは見にくそうです。振り返らない子どももちらほらいます。グループで活動する場面になるまでは、机を合わせない方がよかったように思います。 授業者が”Put the ball on that table.”とボールを渡した子どもに指示します。子どもが指示通りにボールを置いた後、”He put the ball on the table.”と授業者が視点を変えてその行動を表現します。同様に”take”を使って黒板の地図やマグネットを外させます。これまで学習した前置詞の復習です。集中して見ている子どももいるのですが、手元の語彙集を見て参加しない子どもの姿も目立ちます。どちらかと言えばできる子どものようです。復習でわかっているから参加しなくてもよいという姿勢です。こういった状況が起こる要因の一つには、指名された子ども以外は見ているだけということがあります。授業者ではなく、子どもたちに行動を表現させるとよいでしょう。 また、指名されて動いた子どもの終わった後の様子も気になります。表情の変化が乏しく、達成感が感じられないのです。活動に対する評価が弱いことが原因でしょう。少々大げさでもいいので、しっかりとほめることが大切です。 グループ毎に1人1枚のカードを配ります。配られたカードは一人ひとり違う前置詞が書かれていて、互いに見せないように注意します。カードに書かれた前置詞のイメージを絵で表現することが次の作業です。この作業の指示は先ほどよそ事をしていた子どもたちも集中して聞いていました。グループでの活動に対しては前向きのようです。 他のグループにいる友だちに「カードを見せて」と何度も声をかける子どもがいます。授業者は無視していましたが、こういった他者のじゃまをする行動はきちんと止める必要があるでしょう。 子どもたちの中には与えられた前置詞の意味がわからない者もいますが、友だちに言うわけにはいかないので聞くこともできません。自分で辞書を引くしかないので、グループで作業をやる意味があまりありません。 早く終わった子どもは手持ちぶさたにしていましたが、この時間がもったいないと思います。次にするべきことを意識させたいところです。作業終了後に順番に絵を見せあって、その表す語を手元に書いていきます。前置詞の持つイメージを全員で共有しようという活動でしたが、一人ひとりが異なる語を担当する必要性が感じられず、この活動をグループにする意味がよくわかりませんでした。前置詞の持つイメージを理解させ、基本の動詞と組み合わせることで表現の幅が大きく広がります。そのために前置詞のイメージを持たせることが目的であれば、授業者が動作化したり、絵を見せたりして、どの前置詞のことかを考えさせればよいように思います。自分でイメージ化させることが目的であれば、全部の前置詞を個人でやることが必要でしょう。見せるだけでは受け身で集中してくれないので、このような方法を取ったのかもしれませんが中途半端になっていました。 授業者は柔らかい話し方で、落ち着いた雰囲気の教室をつくっています。研究熱心で工夫が多く見られますが、まだ活動を中心に授業を組み立てているように見えます。子どもたちにどうなってほしいかを明確にした上で、活動を工夫してほしいと思います。 高校3年生の現代文の授業は山椒魚の範読の場面でした。 この授業者には、以前も範読の場面でアドバイスをしたのですが、ほとんど変化が見られませんでした。文中に動物が出てきたら囲むように指示していたようですが、なぜそうするのかの説明はありません。立ち止まって、「動物が一匹出てきました」と問いかけ、一人が答えると「正解」といって次に進みます。指示と一問一答で進む授業スタイルは変わっていません。子どもたちは受け身で聞いているだけなので集中が続きません。そこで、「聞くのも練習です。大人になったら聞かなければならないことがあります」としっかり聞くように話をしますが、学習の本質から外れた言葉です。こういった言葉を聞かせるほど、ますます子どもたちは授業から離れていってしまいます。聞く価値のある場面にする工夫をしなければなりません。 休息を兼ねて顔を上げるようにと言って、嘲笑と失笑の違いを問いかけます。子どもの発言に対して「おしい」と返しますが、これでは授業者の求める正解探しになってしまいます。知識ですから調べるか教えるかしかありません。結局この場面も一問一答で、授業者が説明して終わりました。 「狼狽」が出てきたところで読み方を確認し、試験に出ると強調します。試験に出るから覚えるというパラダイムは、学びとは程遠いスタンスです。また、「ああ、寒いほどひとりぼっちだ」のところでは、「キーワードになります」と説明しますが、これがキーワードになることに気づける力を子どもたちにつけることが授業者に求められることです。すべて一問一答の、試験問題の解答見つけの授業構成でした。 もう一つ気になったのが、途中眠っていた子どもを授業の最後になって起こしたことです。起こすことの是非は別として、最期だけ起こすということは、途中は大して意味がないということを子どもたちに伝えているようなものです。気をつけるべきでしょう。 アドバイス以前の授業観の問題なのかと思い、授業後どういう授業をしたいのかを聞いてみたところ、どうもそうではないようです。本人は一問一答をやめようと思っているのですが、どうやってよいか全くわからないというのです。これまで、自身が経験した授業が一問一答ばかりだったのかもしれません。簡単なことでよいので、子どもたち自身が課題を考えるような場面をつくることから始めることをお願いしました。次回の公開授業では、何かしら変化が表れることを期待しています。 高校2年生の数学IIの授業は三角方程式の解法の場面でした。 子どもたちが話を聞く準備ができていないのにすぐに説明を始めます。子どもたちは授業者の説明よりも板書を写すことを優先しています。子どもに問いかけて発言をもとに進めようとはしていますが、特定の子どもとだけで進んで行きます。一問一答で進み、子どもたちに考えさせることをしていませんでした。 問題をいくつかのステップに分けて解くのですが、「代入して」、「展開して」「sinθ=tとおいて」といった指示で進んで行きます。なぜそうするのか、どうしたら解けそうなのかといった見通しがなく、結果として答が出ただけです。sinθ=tとおいてtについての2次方程式をつくりますが、解く前に-1≦t≦1を示します。突然に範囲を示されてもその必然性が子どもたちにわかりません。t=2となった時に、sinθ=2を解こうとして初めて気づくことです。答案づくりではなく、思考の過程を大切にした授業づくりをしてほしいと思います。 授業者は、問題を解いている途中で書く場所がなくなり、最初の復習の板書を消しました。しかし、このことを使って問題を考えるから板書したわけで、消してしまえば、このあと利用することを意識しなくなります。また、写す前に消されるといけないので、子どもたちが板書を写すことを優先させることにつながります。こういったことにも配慮して板書計画を立ててほしいと思います。 板書にはなぜそのような変形や置き換えをするのかの根拠が残っていません。問題集についている簡単な解答と変わらない程度の情報量です。授業者は配った問題を、これを「真似して」解くようにと指示しました。この指示はとても危険です。どうやったら解けるのかを全く思考せずに、黒板の解答をなぞることにつながります。数学的な見方・考え方が育たず、子どもたちがおかしな間違いをしかねません。実際、予想通りのことがこの後起こりました。 sinθ=tとおいて解いた2次方程式の解が2つとも-1≦t≦1を満たしている問題で、2つ目の解-1を除外する子どもが何人もいます。例題が2つのうち一方を除外していたので、何も考えずに真似たのです。また、例題ではcos2θをcos2θ=1- sin2θを使ってsinθの式に置き換えるのですが、与えられた問題の中にはsin2θをcosθの式におきかえなければいけない問題があります。その問題でも例題と同じくcos2θ=1- sin2θを使おうとして、無理やりcosθに代入しようとする子どもが目立ちます。意味も考えずに形を真似ているのです。 数学的な見方・考え方を意識して、問題を解くことを構造化することが必要です。問題解決に使えそうな知識に何があるか、この問題を解決するのに困難は何かといったことを最初に考えなければなりません。今まで学習した、sinθ=〇、cosθ=〇、tanθ=〇の形の方程式であればθを求めることができることなど、三角関数について知っている知識を確認した上で、この日の例題を眺めます。cos2θ とsinθが混ざっているので、このままではsinθ=〇の形にはできません。sinθかcosθだけの式なれば、それを解くことができるかもしれないことを子どもから出させたいところです。ここでsinθとcosθの関係、sin2θ+ cos2θ=1が使えそうだと気づかせると、cos2θをsinθで表わすことができます。代入して整理すればsinθだけの式になり、sinθについての2次方程式になります。2次方程式であれば解けますから、既存の問題に帰着できたわけです。ここまでが三角関数についての知識で構成される第一ステップです。後は2次方程式を解くだけです。sinθ=〇の形になればそれを解けばよいのです。解こうとすれば、sinθの値に制限があること気づきますから、不要な値を除外すればよいのです。こういった思考の過程を子どもたち自身でたどらせることが必要なのです。 既存の知識を整理し、どうなれば解けそうかの見通しを持たせるといった構造化を意識しなければ、子どもたちにとって全く同じ形の問題以外は別の問題になってしまいます。未知の問題を解決するための方法や考え方を学ぶことが数学を学習する目的の一つであることを意識してほしいと思います。 授業者は私からの指摘を素直に聞き入れてくれましたが、だからといってすぐに授業が変わるわけではありません。数学的な見方・考え方を授業者自身が整理して、問題解決を構造化していくことが必要です。日ごろからそのような視点で数学と接していなければすぐにできるよういなるものではありません。日々意識して授業に臨んでほしいと思います。 この日、中学校の先生から文部科学省の研究開発校に応募したことの報告をいただきました。基礎力としての言語と理数への関心を高めるための、ICTを活用した新教科を開設するというものです。開設に向けてのステップについて相談を受けました。採用されるかどうかにかかわらず、この学校で取り組むべきこととして前向きに捉えられています。上から押し付けられて取り組むのではなく自分たちの学校、生徒にとって必要なものだと考えられていることをとても素晴らしいと思いました。このような先生方の挑戦をお手伝いすることは私にとっても大きな学びにつながります。今後の展開がとても楽しみです。 積極的に参加する子どもと受け身な子どもをつなぐ
前回の日記の続きです。
高校1年生の古文は宇治拾遺物語の現代語訳の場面でした。2年目の先生です。 指名された子どもたちが、黒板に書かれた原文の横に現代語訳を書いていきます。授業者は指示語の内容を補って現代語訳している子どものことをほめました。この場面に限らず子どもたちのよいところをほめようとする姿勢を見せてくれます。昨年は余裕がないためか硬い表情をすることが多く、子どもたちとのコミュニケーションがうまく取れていなかったように感じていましたが、今年は笑顔もたくさん見ることができ、教室の雰囲気もずいぶんとよくなっていました。 子どもたちに問いかけ、その反応をもとに進めています。板書された現代語訳に対して、これが正解と授業者が判断せずに、それでよいか子どもたちに判断させます。子どもたちに考えさせるためのよい方法です。ポイントとなる言葉の意味や文法的な説明がこれでよいかを問いかけて、子どもたちから異論が出なければそれで次に進むのですが、この訳でよいという根拠があまり明確にはなりません。明確な根拠を子どもに確認して言わせる場面が必要でしょう。 ある一文で、今一つ納得できないのか、何かぶつぶつとつぶやいている子どもがいました。授業者はその様子を見て「もやもやしているなら考えて」と自分で説明せずに、考えるように指示します。よい対応なのですが、板書を写すことに集中してこのやり取りに参加しない子どもも目立ちます。子どもたちの言葉を中心に授業を組み立てようとしていますが、積極的に参加する子どもとだけのやり取りになっているのが残念です。もやもやするのが何かを本人に聞いて、学級全体でどうなのか考えるといったことが必要になります。 助動詞「む」の意味を確認する時に、「どんな意味があった」と問いかけますが、ここでも反応する子どもの言葉で先に進めてしまいます。前の時間にやった判別の方法を思い出すように伝え、「調べる癖をつけてください」と、調べることをうながしたのですが、多くの子どもは答が出てくるのを待っていました。実際に調べさせることをしなければ、全員参加にはできません。 「3人称」というつぶやきが子どもから出てきましたが、授業者は「主語が3人称の時は……」と自分で説明をし始めました。「今言ってくれた人、どういうこと?」と全体で確認したり、「今、3人称という声が聞こえたけれど、どういうこと?誰か説明して?」と他の子どもにつないだりして、全員で共有することが必要です。 素直にアドバイスを受け入れて実行しています。自分でもいろいろな工夫をしていて、ずいぶんと進歩が見られます。だからこそ次の課題がより明確になっていると思いました。子どもたちは落ち着いて授業を受けていますが、積極的に参加する子どもと、受け身で参加する子どもに分かれています。受け身な子どもたちをどうやって能動的にするかが課題です。積極的な子どもたちがいるのですから、彼らとつなげることがポイントになります。最初は友だちが何と言っているのかを復唱させることから始めればよいと思います。聞くようになれば、「言っていることわかった?」「なるほどと思った?」「どこがよいと思う?」と判断や価値付けを求めていくことで参加度は上がっていくはずです。 授業者自身も自分の課題に気づけています。きっと次回の公開授業ではよい変化がみられると思います。 この続きは次回の日記で。 |
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