授業の変化が気になる(長文)

前回の日記の続きは、来週にさせていただきます。

2学期になって、私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。

高等学校は全体としては落ち着いているのですが、子どもたちの一部が参加できていない授業が以前よりも目立っています。子どもたちとのやり取りが多い授業、子どもの活動量が多い授業、活動の指示が明確な授業ではほぼ全員が参加でき、ICT機器を上手く活用していれば子どもたちの顔が上がっています。そうではなく、子どもたちが、ただ板書を写している授業、一方的に話を聞いている授業、何をすればよいのか、何がゴールなのかわからずに作業している授業などでは、集中が切れている子どもが多く見られます。同じ学級でも、授業者によって子どもの見せる姿が変わっています。先生方の努力や工夫で子どもたちの状況がよくなったため、工夫することをやめて以前の授業スタイルに戻っているように感じました。子どもたちが授業を乱すようなことはないので変化に気づいていないのかもしれませんが、あえて気づかないようにしているようにも思えます。この状態が続くと、子どもたちが全く授業に参加しなくなる可能性もあります。よい状態をつくるには時間がかかりますが、崩れる時は急激です。もう一度、授業のあり方を見直してもらいたいと思います。

中学校では、子どもたちの人間関係が少し変化しているように感じました。子ども同士のかかわりの中で、よい表情が増えているようです。この変化をうまくとらえて、授業の中で子ども同士がかかわる場面を増やすように意識してほしいと思います。

中学校1年生の数学の授業は比例の授業でした。
気になったのが、数学の用語や定義を授業者がきちんと意識して指導していないことでした。
前時の復習で、関数の例としていくつかの式を板書します。式と関数の関係や違いが明確でありません。「関数とはどういう関係?」と問いかけて、一人の子どもを指名します。「xがわかればyが決まる」という発言に、「そうだね」と言って「1対1の関係だね」と言葉を加えて次にいきます。関数の定義を授業者は意識していないようです。中学校の学習範囲でも定義域や値域はきちんと意識されています。押さえるべきことを押さえずに進めていることは問題ですし、x、yと変数の文字を固定しているところも修正しなければいけません。また、何より関数を式で表わせる数の関係と思わせてしまうことが危険です。関数の対応関係も1対1ではありません。本人は意識せずに1対1と言ってしまったのかもしれませんが、気をつけなければいけません。数学の教師は国語の教師と同じかそれ以上に言葉に慎重であるべきだと思います。
「関数にはいくつかの種類がありますが、……」と種類と言う言葉を使いましたが、式の種類(1次式、分数式等)のことを言っているようでした。関数の種類といっても、非常に多くの視点があります。何に目をつけているのかを明確にする必要があります。この時間で扱う比例やこの後出てくる反比例は変化の様子で分類しているものです。授業者はそのことを意識していないようでした。関数の授業で一番大切にしなければいけない変化という視点が欠落した授業になってしまいました。
黒板にスライドで「時速50kmで走る車の時間をx、距離をyとした時の表をまとめよ」と問題を提示します。その下に、xとyと表の枠が示されています。
時速○○kmと単位が表示されているのに時間と距離に単位がありません。また、時間と距離という言葉も不適切です。ある時点を基準にして経過した時間とその地点からの移動距離というのが正しい表現です。こういったところ雑にすると、問題の本質を見落とします。
授業者は「ポイントは式だ」と言って、まず式を書かせます。しかし、式がわからないときに表をつくるというのも大切なアプローチです。数学的な見方・考え方が意識できていません。表は変化を見る時に非常に有効なものです。
式を使って、「xが0の時yは?」と問いかけ、続いてxが1の時yが40、xが2の時……と表に数字を書き込みますが、なぜ0から表が始まるのでしょうか。ここに定義域を考える意味が出てきます。問答無用で0から始めるのは危険です。「表の最初はいくつから始める?」と聞きながら、問題の意味から定義域を吟味するところから始まるべきでしょう。また、なぜ1きざみなのでしょうか。連続量なのですべてを表に表わすことはできないことを意識させる必要があります。ここも定義が整数なのか、実数(まだ言葉は学習していませんが)なのかといったことを考える場面です。そこに全く触れずに、ただ作業をするだけになりました。y=40xの40の部分の色を変え、時速を変えれば赤い数字が変わりますという説明をします。この説明に何の意味があるのでしょうか。数が変わっても性質が変わらないことを押さえるのであれば、まずきちんとこの関係(関数)の特徴を押さえる必要があります。
表を埋めながら、「同じ割合で増えていきます」と説明しますが、同じ割合で増えるとはどういうことを言うのでしょうか。説明もせずに終わります。表をもとにきちんと考える必要があります。表の上下の対応ではなく、横の変化に注目するという関数の見方と方程式の解(式を満たす値)の集合との見方の違いを意識して扱う必要があります。
子どもたちは、スライドの情報が次々と増えていくので写すことに精一杯です。スライドを使うことで授業のテンポは上がりますが、子どもたちの考える時間を奪っていることに注意が必要です。
数学は何を学ぶ授業なのかをしっかりと考えてほしいと思います。

中学校2年生の理科は生物の分類の導入の場面でした。
授業者は「生物は何か?」と問いかけ、子どもたちを何人も指名します。とても難しい問いですが、子どもたちは思いついたことを自由に答えます。授業者は子どもたちのどんな答も受容していました。安心して意見が言える雰囲気が醸成されています。
生物の定義は大変難しいものです。授業者は細胞をもとにして定義することにし、「生物として生きるために必要なものは何か?」と次の問いかけをして書かせます。生物の定義と関連する代謝に子どもたちの視点を向ける発問です。よく考えられていると思いました。
机間指導をしながら「なるほど」と声をかけたり、わざと聞こえるように書いてあることを読み上げたりします。教室の雰囲気づくりを意識しています。
たくさん書いている子どもがいる一方で、一つ答を書いてぼんやりしている子どもがいます。「できるだけたくさん書く」「最低でも○○は書く」といった条件を付けるとよいと思います。
全体での発表の場面で、鉛筆を置くように指示をしてもまだ書き続けている子どもがいました。友だちの発言をちゃんと聞いている子どももいるのですが、授業者が板書をするとそれを見ていたり、写したりしている子どもが目立ちます。友だちの考えを聞く場面では、全員が発表を聞くことを意識して指導してほしいと思います。
授業者は子どもを受容することを意識するようになり、子どももよく発言するようになりました。よい方向に授業が変わっています。次は、「友だちの考えをどう思った?」「似たような考えの人?」というように、子ども同士をつなぐことを意識すると、互いにかかわることで考えが深まっていくと思います。授業がどのように変化していくか、これからが楽しみです。

高校3年生の国語の授業は新人の先生でした。教科書を範読しながら教室内を歩いている場面でした。
子どもたちの聞いている姿勢が乱れていることが気になります。授業への参加意識が低いようです。教科書に線を引くといった指示をしているのかもしれませんが、鉛筆を持っていない子どもが目立ちます。鉛筆を持っている子どもも、手が動く子どもはわずかでした。
範読の途中で、線を引きなさいと指示をします。「筆者がここで問題提起をしている」と説明しますが、授業者が言ってもあまり意味はありません。子どもたちが自分でこの文を重要だと思うことが大切です。せめて、「どうしてここに線を引くと思う?」と問いかけてほしいところです。
おそらく授業者自身が学生時代にこのような授業を受けてきたのでそれを再現しているのでしょうが、授業観の転換を図ってほしいと思います。

同じ教材で別の先生も授業をしていました。
範読の場面では、授業者はあまり歩きません。それよりも全体の様子を見ることを意識しています。時々質問をはさみますが、子どもたちはちゃんと参加していました。この場面に限らず、子どもたちがよく参加しているのは、授業者との人間関係のよいことが理由として考えられますが、指示が明確なので今何をすればよいのかがよくわかっていることも大きいと思います。
子どもを指名して発言させる場面では、子どもの言葉をしっかりと受容しながらよく聞いています。しかし、どうしもそれを受けて自分が説明しすぎる傾向があります。他の子どもにつなぐことを意識するとよいと思います。

高校3年生の国語で、「女子力」をテーマに子どもたちに論理的、分析的に考えさせる授業がありました。子どもたちに興味を持たせる授業をいつも工夫されている先生が授業者です。
まず、「女子力」とは何かを子どもたちに考えさせます。グループになっている子どもたちとそうでない子どもがいます。子ども自身にグループになるかどうかを選ばせているのかもしれませんが、一人で考えている子どもにも、他者と交わる機会をつくることが必要だと思います。また、グループの様子も一つの机に集まって額を寄せているところもあれば、机を寄せずに距離を取っているところもあります。きちんと机を寄せて子ども同士の距離を適正にしたいところです。
「女子力とは?」に対して、「ファッション」「容姿」「メイク」といった言葉が出てきます。その言葉をもとに、授業者が「女子力」という言葉に込められている、女子に求められる、女子が求めている価値について焦点化します。とても面白い場面なのですが、教師がぐいぐい引っ張っていき、子どもたちに一番考えてほしいところを授業者が説明することになっていたのが残念でした。
子どもたちから簡単に出てくるところは時間かけずにさらっと終わり、ポイントとなる課題を全体で焦点化して、子どもたちが互いに考え聞き合い、深める時間を取るようにするとよいでしょう。授業者が語りたいところでしょうが、そこをぐっと我慢してほしいと思います。
授業のテーマや課題の設定はとてもよく工夫されているので、子ども自身で視点を見つけられるような授業展開を意識すると、素晴らしい授業になると思います。

高校3年生の物理は、実験の内容や進め方を工夫して、子どもの主体性を引き出すことを意識されている先生の授業でした。
電場のする仕事について、式を書きながら穏やかな口調で説明します。聞いている子どももいますが、板書を写すことを優先している子どもも目立ちます。授業者は「電場が一様だとは?」というように、子どもたちに時々問いかけますが、すぐに自分で説明をします。子ども同士で相談したり、考えたりする時間を取ることも必要だと思います。実験以外の場面でも、子ども同士が主体的にかかわり、相談し合う時間をつくることで、自分の言葉で説明できる力をつけるように意識してほしいと思います。

1年生の英語の授業は、発音指導している場面でした。
子どもたちは楽しそうなのですが、今一つ集中していないようにも見えます。発音をする場面で口を開かない子どもが目につきます。しかし、子どもたちの雰囲気がよいために、つい「みんな上手」とほめてしまいました。このことには気をつけてほしいと思います。参加していなかった子どもは、自分はみんなに入らないと思い、ますます参加しなくなります。子どもとのやり取りや雰囲気づくりは以前と比べるとよくなっています。子どもたち一人ひとりをよく見ることを意識するとよいでしょう。

次週には、3日間の研究授業の公開があります。学校全体で授業を見直すよい機会としてほしいと思います。

子どもたちが考えるための、発問や活動を意識する

前回の日記の続きです。

小学校4年生の算数は、平行四辺形の性質の授業でした。
授業者は、まず子ども一人指名して「垂直って何ですか?」とたずねます。子どもたちの手が教科書に移ります。「いいよ、調べて、調べて」と子どもたちのよい行動を強化します。友だちが指名されても、自分のこととして教科書を見ようとするよい姿勢が育っています。授業者は早く見つけた子どもを指名しましたが、多くの子どもはまだ探している途中です。もう少し待って、最初に指名した子どもに答えさせたいところです。
指名された子どもは教科書の定義を読み上げます。「見ずに言える?」と聞きますが、難しそうです。他の子どもも指名しますが、やはり読み上げます。ここで意識してほしいことは、「2つの直線が交わってできる角の大きさが直角のときに、2つの直線は垂直であるという」といった言葉で覚えることよりも、具体的に図でどのような関係であるのかを理解し説明できることの方が大切だということです。図をスクリーンに映して、「垂直な“関係”にあるのはどれとどれ?」「この直線と垂直な直線はある?」と問いかけたりして、垂直が2つの直線の関係を表わす言葉であることを押さえておきたいところです。
続いて平行も確認しますが、やはり言葉の定義だけだったのが残念でした。

子どもたちに、教科書を見ているかもしれないけれど発表者の方を見るように指示します。このように聞くこと大切にしている場面が何度もありました。子どもたちに発表者を見る余裕を持たせるために、全員が見つけるまで待つか、探す作業をいったん止めるような指示が必要かもしれませんでした。

台形、平行四辺形と定義を聞いていきます。先ほどの指示のおかげでほとんどの子どもが発表者を見ます。しかし、発表者は基本的に読んでいるだけなので、どこに書いてあるのか見つけた子どもたちとっては聞くことにあまり意味はありません。この場面のねらいが今一つはっきりしませんでした。言葉の確認であれば、どこに書いてあったかを確認して全員で一斉に読ませたり、次々に指名して何人にも言わせたりするとよいでしょう。定義を理解しているかの確認であれば、台形や平行四辺形の図を見せて、なぜ台形なのか、平行四辺形なのかを、「どの辺とどの辺が平行だから、……」と定義を満たしていることをもとに説明させるというやり方もあると思います。

この日のめあて、「平行四辺形を調べる」を提示した後、スクリーンに2つの平行四辺形を映します。「この2つは平行四辺形です」と授業者が宣言しますが、できれば子どもたちに答えさせ、どうして平行四辺形なのかを言わせたいところでした。
授業者は「辺の長さ、角度をそれぞれ調べてください」と指示をしますが、図形の何に注目するかという視点が大切です。授業者が一方的に指示するのではなく、子どもたちに考えさせることが必要でしょう。「図形の性質を調べる時にどんなことをやった?」といった過去の経験を思い出させたり、辺や角といった図形の構成要素を整理したりするとよいでしょう。小学校の範囲を越えますが、3年生で学習した対角線が出てくれば、それも調べさせても面白いでしょう。対角線が互いに他を2等分していることに気づくかもしれません。上手く関係が見つからないかもしれませんが、辺と辺との関係や角と角、辺と角との関係を調べたりすることも大切です。授業者が指示することが子どもたちの考える機会を奪ってしまう可能性を意識してほしいと思います。
また、角度を調べるという言葉の使い方も気になりましたす。「角の大きさを調べる」と角と角度の違いを意識してほしいと思います。

調べたらメモをして、その中から自分が気づいたことを言葉にして書くように指示をしました。教科書をしまっているので、子どもから「教科書を見ながら調べてもいいですか?」という質問が出てきました。授業者が「見ないでください。何を見たかったの?」と返すと、「ほとんど」という答です。「教科書が無くても、プリントがあれば大丈夫」「ごめんね○○さん、また後で使います」とワークシートを配りました。「困ったら教科書を見ずに周りの人に相談してごらん」と友だちと関わることを促しておいてもよかったかもしれません。
まず一人でやるように指示して活動が始まりました。

時間が来てもまだ調べている子どもがたくさんいます。授業者はあと1分で自分が調べたことから気づいたことをまとめるように指示しました。辺の長さや角の大きさそのものではなく、その関係を見つけることが大切です。辺の長さや角の大きさは考えるための材料です。これが正しくなければ始まりません。まず、全体で値を確認することが必要です。物差しや分度器の使い方も大切なスキルですが、この時間の目標はそこではありません。早い時間に結果を共有して、そこを足場にして考える時間を取りたいところでした。
また、最初に平行四辺形を各自に自由に書かせて、それについて調べた値を全体で共有するというやり方もあります。中には、おかしな値があるかもしれませんが、そこから常に成り立つのかどうかという大切な視点に気づかせることできると思います。

授業者は、友だちの発言を聞くことを大切にしています。子どもを受容することもしっかりとできていました。指示も明確で子どもたちは指示通り活動ができます。だからこそ、子どもたちが考えるために、どんな発問をもとに、どのような活動するかを考えることが大切です。根拠となるものをきちんと全体で共有した上で考える場面をつくることを意識してほしいと思います。

この続きは次々回の日記で。

子どもたちに見通しを持たせてほしい

前回の日記の続きです。

5年生の算数は、入場券と乗り物券の組み合わせの値段からそれぞれの値段を求める問題でした。入場券と乗り物券5枚で1000円、入場券と乗り物券7枚で1200円です。
子どもたちはコの字型で座っているのですが、なぜコの字型にしているのかがよくわかりませんでした。ほとんどの場面で授業者は黒板の前で話をし、子どもたちは授業者に向かって話をします。友だちの話を聞くよりも板書を写すことを優先している子どもが目立ちます。また、授業者の反応から友だちの発言がずれているとわかると、発言の途中でも挙手をする子どもが目立ちます。一見すると明るい学級なのですが、人間関係に少し不安を感じました。

同じものは何かを子どもに問いかけます。子どもから、授業者が黒板に貼った入場券や乗り物券の大きさや形が同じという意見が出ました。授業者は「なるほどすごいことに気づいたね。さらっと流していこうか」と受け、笑いながら「形、大きさいっしょ」と板書します。受容しているようにも見えますが、子どもによってはバカにされているように感じるかもしれません。授業者は発言した子どものことがよくわかっているので大丈夫なのでしょうが、ちょっと気になる場面ではありました。
続いて違うことは何かを発表させます。子どもたちは、何でもよいから違いを発表しようとします。手が挙がるのはよいことなのですが、発言の算数的な価値付けをしていくことが大切です。
同じもの、違うものを考えることの意味は何でしょう。授業者の指示にそって考えるのではなく、「こういう時はどうするといいかな?」と子どもから比べるという発想を出させ、数学的な見方・考え方を育てたいところです。指示されて作業をしても見方・考え方は育たないことに注意してほしいと思います。

続いて、線分図に表わすよう指示しますが、線分図で表わすとよいと、子どもたちに判断させることが必要です。入場券と乗り物券の組み合わせの値段を表すいくつかの方法を出させ、子どもたちに評価させることが必要です。異なった方法で表わして、それぞれを基に考えさせ、どれが上手くいったかを考えさせるといった方法もあるでしょう。
2つの組み合わせを線分図で書かせますが、授業者は「入場券は一緒」とその部分を書いて、違っているところを書き足すように指示します。子どもが動き始めてすぐに、「同じ値段のものはキチンと同じ幅で書いてください」とヒントを言いますが、作業に入る前に線分図のポイントを子どもたちと確認しておく必要があったと思います。

指名した子どもに線分図をかかせます。書き終わった後、「余分のところは消してあげよう」と図の一部を消します。「えー」という声が子どもたちから上がりますが、「これ以上いらないでしょう」と授業者は無視します。不要なものを消すこと自体は悪いことではないのですが、このようなやり方をすると、授業者の求める答探しになっていきます。こちらからすれば不要と思えるものも、本人には理由があるかもしれません。必ず本人に「これは何?」と確認して、「なくてもいい?」と同意を求める必要があります。

授業者はここで急に声を大きくして、「さて」と黒板に向かって説明を始めます。子どもたちを集中させるために声を大きくしたのでしょうが、子どもたちの多くは作業中で、顔は上がりませんでした。
乗り物券の枚数を確認して、線分図に切れ目を入れ、「線分図と言われたらこういうものを書いてください」とまとめますが、子どもたちは説明を聞かずに結論を写します。これでは、自力で線分図をかけるようにはなりません。
授業者は「線分図をかくのが目的ではありませんね」と言いながら、次に進みますが、線分図をかくにあたって、その目的をはっきりとはさせていませんでした。線分図をかけば入場券、乗り物券の値段がわかるといった見通しを子どもたちは持てていません。
「それではちょっと同じものに目を向けたいと思います」と説明を始めますが、子どもたちは線分図を写すことに手一杯です。書くのをやめるように言いますが、これだけ多くの子どもが線分図をかけていない状況で先に進んでもあまり意味はありません。全員がきちんと線分図をかけるようにすることを優先すべきでしょう。

2つの線分図の違いが2マス(乗り物券2枚)であることを確認して、これがいくらかわかるかを問いかけます。挙手は1人ですがすぐに指名します。子どもたちの手が挙がらないということは、ここまでの説明がよくわかっていないということです。もう一度子どもたち自身で考える時間を持つ必要あります。
200円と言う答に子どもたちが反応しないので、「ここはいくらかわかりますね」と返し、「200円」という声が出たので、「どうですか?」と全体に問いかけました。「賛成です」という声に「皆さん、賛成ですか。ありがとうございます」と返します。賛成と言いなさいと強要しているようにも感じます。「賛成です」と答えている子どもの数はそれほど多くはありません。それも自信を持っているようには見えません。それを「皆さん」と言ってしまうのはかなり乱暴です。少なくとも、他の子どもに、答ではなくきちんと理由を説明させ、全員が納得する場面をつくる必要あったと思います。

授業者は「同じものに目をつけると違いがわかります」と説明しますが、違いを見つけることがなぜ必要なのか、なぜ先に同じものを見つけなければならないのかといったことが明確でありません。どのような見方・考え方につながっているのか意識してほしいと思います。
「差し引いて」と説明をした後に、「差し引く」とはどういう意味かを子どもたちに問いかけます。突然国語の授業になってしまいました。辞書的な意味ではなく、実際に算数の場面をもとに、こういう計算、操作を差し引くと言うとシチュエーションで教えることが本筋でしょう。

違いが200円であることを再び確認して、「今日は何が知りたかったの?」と問いかけますが、子どもたちはほとんど反応しません。ミステリーツアーのごとく、授業者の指示、説明を聞いていただけになっていました。
式を書かせますが、今度は式が中心になっています。式が線分図のどこを表わしているのか、どう対応しているのかを結びつけなければ、線分図のよさはわかりません。一つひとつの活動がバラバラになっていました。

子どもたちに見通しを持たせることと、この教材で身に付けさせたい見方・考え方を意識して授業を組み立ててほしいと思います。

この続きは次回の日記で。
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