どのような力をつけるための題材なのかを意識する

前回の日記の続きです。

7年生(中学1年生)の数学は正と負の数の応用で、仮平均を使って平均を計算する課題でした。
授業者は子どもが集中するまで待てるようになっています。話をし始めたところ教科書を触っている子どもがいたので、いったん話をやめて教科書を閉じさせました。子どもの様子がよく見えるようになっています。
この日の課題は1か月の博物館の入場者数を基に、何曜日にイベント開けばよいかを考えるものです。ここでワークシートを配ります。子どもたちは配られたワークシートを見ながら、「平日がよさそう」「火曜日がいい」・・・とつぶやきます。授業者はそれを復唱します。子どもたちがうまく興味を持ってくれているようです。しかし、それを全体で共有しません。「どうして平日がいいの?」と聞き返すことで、現実の問題と数学がつながっていくはずですが、すぐに各曜日の入場者数の平均を求めてほしいと指示します。

子どもからは、入場者が少ない日にイベントをやればよいという考え以外にも、もともと来客が多いのは来やすい時だからその日にやった方がよいといった考え方も出るかもしれません。いずれにしても曜日ごとに入場者数がどう違うかを考える必要があることを子どもから出させたいところです。曜日ごとの入場者数を比較するのにどうすればよいのかを問いかけて、平均という言葉を引き出すとよいでしょう。単に数値的な答だけでなく、グラフにして見るといった考えが出てくれば大いにほめ、どんなグラフにするとよいかを問いかけて、平均の必要性を導いてもよいでしょう。子どもたちからすぐに平均が出てくれば、「平均は計算がめんどうくさいから、合計で比較してもよいでしょう?」と揺さぶります。深く考えずに平均だと考えている子どもに、曜日によって1か月に何回あるかは違うから、比較するには平均を取らなければいけないということに気づかせることができます。この日の授業は平均の意味を考えることが課題ではありませんが、こういった機会に数学のもつよさや統計の意味を考えさせることが大切だと思います。

小学校の時にどうやって平均を求めたかを問いかけます。子どもからは「全部足してその数で割る」というつぶやきが出ます。授業者がそれを復唱すると、今度は「どれか1個を基準にしてやる」という声が上がります。授業者はそれを受けて、今日は1個を基準にして平均を求めてもらいますと結論づけますが、まず、最初の「その数で割る」という言葉が何を意味するか確認して、平均の定義をはっきりさせることが必要です。「その数で割るってどういうこと?」と問いかけて正しい表現に直させ、平均とは何かを全体で確認するのです。
ここで、授業者は金曜日を例にして平均を求めさせます。「一番少ないのは430」と自分で基準を決めます。ここでは、何を基準にすればよいのかを子どもたちに問いかけ、その理由を言わせることが大切です。グラフを使って「どこを基準にするの?」と聞くのも面白いでしょう。また、子どもから一番少ないところという考えが出てくれば、「一番大きいところじゃダメなの?」「一番じゃなきゃダメ?」と揺さぶることでこの日のねらいに近づけたることができます。
小学校の時に一番少ないものを基準にしたのは、負の数を使えなかったからということや、基準より大きいものと小さいものに分ければ小学校でもできるといったことを子どもたちに気づかせたいところです。基準との差を正負の数を使って考えることで一元化できることを子どもたちから出させたいのです。これが、この課題のねらいなのです。

子どもたちに計算させ、全体で確認します。平均を求めた後、突然、基準にした数のことを「仮平均」と定義し、仮平均を440にした時の平均を求めるように指示します。すでに平均は求めた後なのですから、なぜこのようなことをするのか子どもたちにはわかりません。単に指示されたことをやるだけになります。しかも、ワークシートには手順が書かれていて、その穴を埋める作業をするだけで、数学的な思考はしていません。手順を教わる、覚える授業になってしまいます。

答の確認では、途中の計算を一つひとつていねいに行います。計算練習をしているようにも思えます。そうならば、もっとたくさんの問題を解かせればよいでしょう。ここでは、何を大切にしたいのかをはっきりさせる必要があります。
授業者は仮平均が違っても、答は同じになると確認します。あたりまえと言えばあたりまえですが、グラフなどを使って視覚的に納得させるとよいでしょう。もちろん、「元の数は(基準)+(差)と書き直せるので、合計は、(基準×標本数)+(差の合計)となることから、標本数で割ることで平均は(基準)+(差の合計÷標本数)つまり(基準)+(差の平均)となる」という説明でもよいでしょう。ただ、この考え方を扱うのなら、ちょっと難しいので、教師が説明するのではなくグループの課題とした方がよいと思います。

続いて残りの曜日の平均をグループに割り振って求めさせます。仮平均をいくつにすれば楽になるか考えてやるように指示しますが、いきなり教師が指示しても意味はありません。仮平均を使ってとりあえず1回やっただけなので、楽になる、楽にしたいという感覚もないでしょう。どんな方法でもいいからもっと計算をさせて、それから考えるべきだと思います。常に、授業者が子どもたちを自分の求める結論に誘導しているようで気になります。また、この作業をグループでやることにどのような意味があるのかよくわかりません。子どもたちが額を寄せ合って考える、悩む場面がないからです。

グループ毎にどんな仮平均が出たかを確認し、理由も聞きます。あるグループで中途半端な値を仮平均として提案した子どもがいたのですが、グループで一つに決めた時の理由がはっきりしません。その子どもなりにちゃんと理由があったはずですが、うまく聞きだせませんでした。ちょっと残念でした。
子どもたちは、他のグループの発表を聞いても、グループごとに問題は異なりますから「そうなったのね」で終わってしまいます。仮平均を使った平均の求め方を理解している子どもは集中力を失くしてしまいます。何を考えさせたかったのかよくわかりませんでした。

正と負の数は基準とどれだけずれているかを比較するのにとても便利です。この時間はこのことをまず一番に押さえるべきことです。仮平均の活用であれば、どこを基準としても平均は計算できる。自分に都合のよいところを基準にすればよい。これだけです。都合のよいというのは、どういうことかは各自でいろいろと考えてみればよいのです。「切りのよい数だと、差を求めるのが簡単だ」「本当の平均に近い数だと、差の合計が少なくなって、割り算が楽だ」といった言葉が出てくればそれで十分です。真ん中あたりの数を仮平均にするとそのまま平均となるような例があるのはそのためです。

授業者は、子どもを受容する力が上がっています。子どもとの人間関係もよいと思います。発言を迷っている子どもを様子から判断して指名することもできます。次の課題は、教科書で扱っている題材が数学的にどのような力をつけるためのものなのかをもっと考えることです。そうすることで、どのような活動に時間を割くべきかが見えてくると思います。また、それによって、子どもの発言をどのようにつなげばよいかもはっきりすると思います。今まで以上に、教材研究に力を割いてほしいと思います。

この続きは次回の日記で。

用語の定義や見方・考え方を意識してほしい

前回の日記の続きです。

7年生(中学校1年生)の社会は気候の学習でした。
最初に、前時に学習した気候帯について、どんな気候帯があったかを問いかけます。半分くらいの子どもがノートを開きます。「まずは名前だけを言ってくれればいい」と挙手に頼らず指名します。指名された子どもはノートを開こうとしていましたが、指名されるとノートを閉じました。答は記憶で答えなければいけないと無意識に思っているのかもしれません。「サバナ気候」という答に対して、「あったねー」と受容した後に、「気候帯なんだよね」と気候帯と板書して、「帯とつくもの何かない?」と返します。
続いて「○○さん覚えている」と指名します。指名された子どもはノートを見ながら答えましたが、授業者は無意識のうちに知識を覚えることを求めていました。
この場面では、子どもたちは「気候(区分)」と「気候帯」の違い、関係がよくわかっていませんでした。ならば、まず子どもたちに問いかけるのは、「気候帯とは何か?」です。用語の定義や、なぜそういう考えが必要なのかを子どもたちが理解することが無ければ、社会科は知識を覚えるだけの教科になってしまいます。
前時の学習場面がわからないので何とも言えませんが、「帯」となっている意味もきちんと押さえたいところです。地球儀を見ながら、同じ緯度であれば日照時間や太陽高度は変わらないことに気づかせることで、気候と太陽に密接な関係があることが理解できます。
また、中学校ではケッペンの気候区分を基に気候帯を学習しています。ケッペンの気候帯の特徴は、平均気温と年間降水量を基に植生を意識してつくられていることです。植物(樹林)が育つかどうかで、非常に寒い地域、非常に乾燥している地域は植物が育たないので、最初に区別します。植物を意識することは、人が生活するために大きな要素となるからです。ここに社会科の本質の一つが表れます。社会科における見方・考え方を学ぶ大切な場面なのです。

この日の目標は「世界の気候についてもう一度考える」です。気候について考えるとはどういうことなのでしょうか。授業者そのことを意識していなければなりませんが、授業からはよく伝わりませんでした。
この日のワークシートを配って、グループをつくります。グループをつくってから教室の隅に置いてある電子黒板でいくつかの地域の雨温図を見せますが、見にくい子どもたちはどうしても手元のワークシートの方を見てしまいます。グループの隊形にして説明をする意味はありませんから、説明をしてからグループにするとよいでしょう。

この図を何と言うかを問いかけ、何が書かれているのかを確認します。ここで注意をしなければいけないのが、この雨温図には通常のものとは違い平均気温と年間降水量が書かれていることです。気候帯を大きく決定するのはこの2つだからです。しかし、授業者は「雨温図の見分け方はやったね」と言うだけで、このことに触れませんでした。ここに示した雨温図と気候帯を結びつけ、その理由も考えるという課題を提示し、「みんなの知識を結集して」と言って作業に入りました。
ここで、気候帯の数と雨温図の数が同じということが気になります。これだと試験問題の正解探しになってしまいます。また知識を結集すると言いますが、使うべきは各気候帯の定義です。これがわかっていないのに、雨温図を見て考えるのはおかしなことです。因果がごちゃごちゃになっています。

子どもたちは、一番熱いから熱帯というように、提示された雨温図の相対で答探しをします。逆に言えば、雨温図が一つしかなければ答を出せない可能性があります。同じ熱帯でも、熱帯雨林やサバナ、熱帯モンスーンなどの雨温図もいくつか混ぜることで、同じ気候帯に属していても雨温図の特徴が違うことに気づかせたいところです。そこから、そこに住む人々の暮らしが異なるはずだと考えさせ、より細かい気候区に分ける必然性につなげたいところでした。

子どもたちに結果を発表させ、その理由を問います。授業者は指名した子どもの発言がみんなに聞こえたかどうかを確認して、聞こえなければもう一度言わせます。みんなに伝えることが目的だと言って身体の向きを変えさせたりもします。全員に伝えることを意識させています。とてもよい姿勢です。ただ、話す側だけでなく、聞く側にも「しっかり聞こう」と意識させたいところです。互いに伝えたい、理解したいという意識を持たせることが大切です。また、1グループに発表させて終わりではなく、何人も指名します。一人の発表に対して、その意見をどう思うかとつなげることもします。意見をつけ加えようと挙手した子どもには、「いいよ」とほめることもできます。全員参加で、子ども同士をかかわらせることを意識できています。

気候の特徴を言わせて、それを理由にしますが、特徴と定義は違います。ここの因果関係は明確にしたいところです。熱帯である理由に、夏に降水量が多くて、冬に降水量が少ないという意見が出ました。授業者はこれをレベルが高いと評価しましたが、降水量の月ごとの特徴は気候帯とは直接関係ありません。子どもたちは、気候帯と細かい気候区分が混乱しています。授業者は実は乾季と雨季があることからこれはサバナ気候だと説明しますが、かえって混乱する可能性があります。これ以外にも、夏に乾燥するからといった気候帯と直接に関係のない理由が出てきます。温帯の雨温図の時に、温帯の中にいくつか気候があると、気候帯と細かい気候区の関係に初めて触れました。もっと早くに押さえておくべきだったと思います。
また、寒帯の理由を「平均気温が一番低いから」という発表がありました。もし雨温図の中に寒帯が入ってなければ、この考え方では間違えます。しかし、授業者は、何人かに納得したかと確認して、反対がないのでそれでよしとしてしました。これでは、試験問題の解き方を教えていることになってしまいます。

次の課題は地図上の都市と雨温図を結びつけるものです。この課題を先ほどよりは「実践的」と評しましたが、意味がよくわかりません。何となく試験問題を意識していたのでしょうか。こういった言葉が気になります。
気候帯は、多くは地図の緯度で決まりますが、内陸かどうかや高度にも影響されます。そういった地形がわからない状態で考えさせても、結局、資料等を見て答を探すことになってしまいます。社会科としてどのような見方・考え方を育てたいのかがよくわかりませんでした。

授業者は、子どもの発言を受容し、全員参加で子ども同士をつなげることも意識できています。しかし、なぜ気温や降水量に着目して気候が分けられるのか、それが人々の生活とどのようにかかわるのかといった社会科の見方・考え方が意識できていません。この後、気候ごとの人々の生活を学習しますが、そこで初めて触れるのでしょうか。この単元を通じてどのような見方・考え方を身につけさせたいかを意識する必要があります。
また、どうしても試験に出るような問題とその答の出し方を意識しているように感じます。何を根拠にすればよいのか、根拠となる定義や特徴とその違いといったことを意識して授業を組み立ててほしいと思います。

中学生のレベルを超えていると思いますが、グループでやるなら、正しいケッペンの気候帯の定義を基に、雨温図がどこの気候帯になるのかを考えさせても面白いと思います。条件文が入った定義ですから、国語の読み取りの力も必要です。また、式に雨温図の数値を当てはめる必要もあるので、数学の力も必要です。教科横断的で子どもたちのいろいろな力が必要なので、グループで活動する必然性も出てきます。ジャストアイデアですが、こんな授業も面白いかもしれません。

前向きに授業改善を続けている先生です。見方・考え方を意識することで、授業は大きく進化すると思います。今後が楽しみです。

この続きは次回の日記で。

子どもたちが根拠を持って考えるために何が必要かを考える

前回の日記の続きです。

7年生(中学校1年生)の国語の授業は、バラバラにした説明文を正しい順番に並べ替えるものでした。
前時に並べ替えを終わって提出させています。それを配ってもう一度見直すところから授業は始まりました、配る前に説明文を読む時のポイントを確認します。
挙手をさせずに最前列の子どもを指名します。その子どもの発言を受けて、「始め」「中」「終わり」と板書をします。子どもたちは落ち着いてよい雰囲気なのですが、指名された子どもは授業者に向かってしゃべり、発言者の方を向かない子どもや、集中していない子どもも目につきます。「始め、中、終わり」は小学校の言葉なので、中学校の言葉で何と言うのかを問いかけます。数人の挙手ですぐに一人を指名しました。発言者はノートを見ながら答えていましたが、ノートを見れば答がわかるのに他の子どもがノートを見ようとしていないことが気になりました。手が挙がらない子どもたちにノートを確認させたいところです。
授業者と子どもの関係はよいのですが、子ども同士のかかわりがまだ弱く、発問に対する参加意識も低いように思います。時間のこともありますが、復習場面では、同じ答でもよいので、テンポよく何人も指名して参加させたり、まわりと確認をしたりといった活動を入れたいところです。

確認したポイントを基に、前回やった並べ替えをもう一度見直すように指示します。子どもたちは自分のワークシートを眺めていますが、ポイントと並べ替える作業との関連が具体的にどういうことかがよくわかっていません。中には、教科書を読んで正解がわかっている子どももいます。子どもたちは理由の欄を埋めようとしますが、何を書けばよいのか困っているようにも見えました。5分ほど時間を与えましたが、時間を持て余しているようでした。
例題を使って、ポイントを基に考える場面があると子どもたちの様子は変わったのではないでしょうか。例えば、違いが文頭の「したがって」と「なぜなら」だけの原因と結果を表わす2組の文を用意して、「接続語に着目する」というポイントを使って順番を考えるといったものです。2つの文の関係と接続語の果たす役割から、根拠を持って順番を決めることができることを実際に経験させるのです。また、説明文のポイントと合わせて、段落の役割、内容にどんなものがあるかを「具体例」「根拠」「原因」「結果」・・・と子どもたちから出させておくと、自分が並べ替えた文章の構成を見直し、根拠を持って説明できるようになると思います。

続いてグループ活動をするのですが、グループで順番を決定することがゴールになっています。グループで話し合うにしても、子どもたちはその根拠を明確にできていません。答を知っている子どももいますから、これが正解だと言われると反論もできません。授業者は根拠にこだわらせようとしていましたが、子どもたちはどのようにして決定するかの明確なプロセスを持っていませんでした。落ち着いて話し合ってはいましたが、説明文の構造や最初に出したポイントを根拠にして結論を出している場面はほとんど見られませんでした。「○○の順番じゃないかなあ」と言う子どもが、「違う」と一言で否定され、しかたなく自分の答を書き直している場面もありました。
「筆者の考える順番以外でもよい」「筋の通る並べ方は一通り?」と問いかけ、これが正解だと決めるのではなく、これもよいのではと言う視点で比較させても面白かったかもしれません。「友だちの説明を聞いて、最終的な自分の並べ方を決定する」と、個人の結論を出すためにグループ活動を使ってもよかったかもしれません。全体の場で、自分の考えを変えた子どもにその理由を聞くことで根拠についてみんなで考えやすくなります。また、この段落とこの段落は絶対にペアになるというものをまず考えさせ、全体で共有しておくことで、文章全体の構造を考やすくするという方法もありそうです。

文につけた記号を使って、各グループの答を板書させます。全体で確認するにも記号だけなので内容の確認ができません。どうしても子どもの顔は上がりません。各文を大きく書いた短冊を用意して、話題になっている段落だけでも貼って、黒板を見ながら話を聞けるようにしたいところでした。

まず、先頭の段落を決めた理由を聞きます。発言者の声が小さいのですが、授業者は手を耳にあててしっかり聞こうという姿勢を伝えます。他の子どもたちに聞こえたかどうかも確認しました。全員に聞いてほしいと思っていることが子どもたちにも伝わります。
「自分の経験をもとに話題を出している」という説明でしたが、授業者はすぐにそれを板書します。ここは、「話題ってどこのこと?」と具体的に本文につなげる、「話題を出していると最初なの?」と根拠をより詳しく聞く、「なるほどと思った?」と他の子どもに納得したかどうかを確認し、納得した子どもによくわからない子どもへの説明を求める、といったことが必要だったと思います。根拠を大切にするためには、根拠とはどのようなものか、どう説明すると伝わるのかを子どもたちに経験させていくことが必要なります。

理由は同じかと他のグループに聞きますが、なかなか反応がありません。一人の子どもが挙手をして答えますが、視点は同じように話題づくりというものでした。
ここで、違う答のグループに対して、今の説明を聞いてどうかを問いかけました。ここからが子どもたちの考えを深める場面ですが、声が出ません。「やっぱり考えは変わらない?」「強い理由がありますか?」と続けますが、反応がありません。ここは考えを変えたかどうかは別にして、「こちらを選んだ理由を聞かせて?」とストレートに聞くとよかったでしょう。正解である多数派の子どもたちに、この理由を聞いて納得したか、考えは変わらないかを聞いたほうが、説得しようとしてより根拠を明快にできたかも知れません。ちょっと結論を急ぎ過ぎのように思いました。

結局、先生がこういった段落を序論と言うと結論づけました。論理が逆転しているように思います。「序論とは何か?」「なぜ最初にこういう段落が必要なのか?」といったことをきちんと整理しておいてから、この問題に取り組むべきでしょう。
「わかった」と違う答のグループに納得することを求めますが、なかなか反応しません。また正解のグループの子どもたちは、スッキリしたという反応ではありませんでした。最後は先生が説明して納得させようとするのでは、子どもたちは無意識のうちに先生の求める答探しをしてしまいます。

2番目の段落の理由を発表させます。子どもの説明はちょっと言葉足らずでした。授業者は質問しながら、「ああ、わかった」と言って「皆さんどうですか?」と聞きます。うなずいている子ども見つけて「うなずいてくれています」とつなぐのですが、そのまま授業者が説明しました。せっかく子どもがつながりかけているので、できればその子どもを指名してもう一度説明させ、子どもの言葉で全員が理解するようにしたいところです。「他に根拠がなければこれでいいですか?」と一問一答になってしまいました。

次の段落の理由で、「この」という指示語に注目した意見が出ました。同じ所に注目したグループはないかと聞きますが、このグループだけだったようです。他のグループの理由を聞き、発言を「壺と言う言葉でつながっている」とまとめて、だから答はこうだと結論づけました。先ほどのグループの意見は無視された形になってしまいました。このグループの一人が、他のグループの意見を聞いている時に、作業用のシートを指さしながら前にいる友だちに何か話していました。この子どもが何をしていたのか、何を考えているかを聞きたいところでした。
「どちらも壺という言葉でつながっている」という意見は、2つの段落が近いことの根拠にはなりますが、その順番を決定する要素ではありません。「何について書いてある?」「この2つの文の関係は?」「どちらが先?」といった問いかけで、文の関係を意識させることが必要だったと思います。最初に示した説明文のポイントを意識することなく、表面的な理由だけになってしまい、答を導き出せればよいという答探しになってしまいました。

授業者は根拠を問いかけているのですが、時間があまりなかったこともあり、どうやって考えたか、どんな議論があったかという過程を聞くことができませんでした。挙手をする子どもはごく数人です。多くの子どもたちが根拠もって考えられる、参加できるようになるために何が必要なのか、何を共有すべきなのかを明確にする必要があります。
説明文の構造、構成要素を意識させ、段落の内容を基にどれにあてはまるのか、それはどの言葉からわかるのか、キーワードは何かといったことをまず考えさせるとよいと思います。考えるための足場をつくることで、根拠を明確にすることができるはずです。

授業者は子どもの言葉を聞くことや全員を参加させること、根拠を大切にしようとしています。こういったこと意識して授業をしているのはとても素晴らしいと思います。以前と比べて確実に授業改善がされています。だからこそ、より高い壁にぶつかります。授業者はうまくいかなかったと反省されますが、失敗を気にせずに次はこうしようと前向きにとらえてほしいと思います。焦らずにこの姿勢で授業を続けていけば、きっと子どもたちは先生の求める姿を見せてくれると思います。

この続きは次回の日記で。

子どもたちが考える道筋を授業に組み込むことが課題

前回の日記の続きです。

8年生(中学2年生)の理科の授業は、発熱反応の学習でした。
これまでの復習で、化学反応について問いかけます。子どもたちからは酸化、還元といった言葉が出てきます。授業者はそれを拾って説明しますが、一部の子どもの反応だけで授業が進んでしまいます。つぶやいた子どもに全体に向かってしゃべらしたり、その用語の説明を他の子どもに求めたりといったことが必要です。用語ばかりで、酸化とはどのような化学反応なのかといったことがきちんと押さえられていないことも気になりました。
燃焼を熱や光を出す酸化という説明をしますが、子どもたちは熱については感覚的にしかわかっていません。熱と温度の関係をある程度理解していないと、この日の実験の意味はわかりません。

授業者は温かいものと冷たいものを混ぜた時の温度変化を例にして、熱が移動したという説明をします。以前と比べて子どもたちはよく授業者に集中しています。子どもたちが集中するまで話を始めないといった基本的なことができていることが大きいと思います。
温度が上がるということを熱の移動で説明しますが、もう少し温度との関係を押さえておきたいところでした。中学校の範囲では熱については詳しく学習しないので、難しいのですが、物体の熱の量が増えると温度が上がる、減ると下がるといったことだけでも明確にしておくことが必要だと思います。
今回の実験は、直接熱量を測るのではなく、物質の温度を媒介にして、熱量の変化を見ます。このことも意識させたいところでした。理科の実験では、直接測定できないものをそれと関係のある別のもので測定することが一般的です。重さを測ってその値から質量を得ることなどが典型です。無重力状態では重さゼロですが、質量は元のままです。天秤では質量の違いはわかりませんが、同じ力で動かせば、速度の違いで質量の違いがわかります。こういった視点を育てることが重要です。

この日の実験のためのワークシートを配りますが、中身は白紙です。自分で必要なことを書かせるという発想はよいと思います。そこに何を書いたかを後から聞いて、視点を全体で共有するとよいと思います。

使い捨てカイロを見せて、どうしてあったかくなるのかを子どもたちに問いかけます。子どもたちは、よく反応してくれます。その言葉を拾うだけでなく、ちょっとまわりと相談させる、子どもに説明させて納得するか問いかけるといった、子どもをつなぎ、広げる活動も必要に応じて組み込みたいところです。

授業者はこの日の実験の手順を説明しますが、子どもから「何が目的なの?」と言う声が出てきます。とてもよいつぶやきです。授業者がこの言葉を拾うことができなかったのが残念でした。
「使い捨てカイロが温かくなるのはどうして?」「どこから熱が来るの?」と問いかけ、どうやって調べればよいか考えさせることが必要です。温度を調べるというのであれば、どこの温度を測ればよいのかを考えさせます。熱がどこかから来るのであれば、そこの温度は下がるはずだということを事前に押さえておけば、何か所かを測るべきだと思うはずです。
疑問や仮説を持たせずに指示に従って実験をさせるので、「何が目的なの?」という言葉が出てきたのです。

使い捨てカイロと同じ原理で、鉄と炭を混ぜ、食塩水を垂らして、その温度を測ります。なぜ食塩水かについては、海では鉄がよく錆びるといった子どもたちの経験と結びつけてやりたいところでした。
単純で地味な実験ですから子どもたちの集中が続くか心配でした。しかし、熱中しているということはないにせよ、思ったよりも落ち着いた状態で温度計の目盛りを読んでいました。グループでの人間関係も悪くありませんでした。だからこそ、子どもたちに疑問や仮説を持たせておけば、もっと集中して実験に取り組んだと思います。

実験の結果、温度が上がったことを確認して、「温度が上がったということはどういうことでしょうか?」と問いかけます。熱と温度の関係を明確にしていないので、子どもたちは何を答えてよいのかわかりません。「熱?」というつぶやきが出たのでそれを拾って「熱が?」と返して、「熱が移動してくる」という言葉を引き出しましたが、どうしても一部の子どもとのやり取りで進んでしまいます。ここはまわりと相談させるとよい場面です。
「では、どこから?」と言って考えさせます。
子どもたちが考えている間に、ここまでのことを黒板に書き始めます。子どもたちは行き詰まっているので、考えることをやめて板書を写し始めました。ここは板書を我慢すべきだったでしょう。
板書を写し終ると再び考え始めましたが、考える糸口がありません。子どもをミスリードするために、わざと熱の移動にこだわっていたのですが、そこから抜け出せずにいました。
「炭」「塩」「空気」「酸素」といろいろ出てきます。これは実験する前に問いかけても、出てきたはずです。であれば、どうやれば測れるだろうかと考えて、何とかこれらの温度を測らせたいところでした。
授業者は「これはおかしいというものをないか?」と問いかけますが、子どもたちは考えようとしていても手がかりが見つかりません。「空気から熱が移動したのなら空気の温度は?」と続けますが、調べていないので反応できません。グループで相談させれば、声が出たかもしれませんが、全体で進めたので言葉が出てきませんでした。
結局授業者が「化学変化で熱が発生した」と説明をしました。

子どもたちは真剣に授業に参加しています。子どもたちが考えるための糸口を準備してあれば、自分たちなりの結論を出せたはずです。
熱の移動でミスリードしようとしたのが、結果的には失敗でした。「温度が上がるということは熱が加わった」「温度が下がると熱が奪われた」「一方の温度が上がって他方が下がれば熱が移動した」と整理しておいて、「使い捨てカイロの熱はどこから来るのか?」という問いで、何か所かの温度を測らせて考えさせたいところでした。
実験の前後を比較して「温度が上がっている」「熱を奪われたものはない」「変化したものは鉄と酸素で、これらが結びついて酸化鉄になった」という事実を整理して、そこから「熱はどこから来たと考えられそう?」と問いかけたいところでした。

授業者は落ち着いた話し方で、子どもたちの言葉をよく聞き、大切にしようとしています。子どもたちも真剣に授業に取り組んでいます。だからこそ、子どもたちが考える道筋をうまく授業の中に組み込む必要があります。子ども同士をつなぐことと合わせて、次の課題が見えてきました。簡単なことではありませんが、意識して授業を考えることで、きっとできるようになると思います。

この続きは次回の日記で。

どのような活動をすれば子どもたちの力がつくのかが次の課題

前回の日記の続きです。

7年生(中学1年生)の音楽はリコーダーの練習でした。
最初に忘れ物の確認をしました。だれも忘れ物をしていなかったことを一言、「素晴らしい」とほめました。これ以外にもいろいろな場面で子どもたちを認めたり、ほめたりしていました。子どもたちの自己有用感が高いからでしょうか、よく集中して授業に参加していました。

挨拶の後、教科書のタンギングについての記述に注目させますが、今一つ集中できていないように見えました。しかし、授業者が「こんな風に吹いている人いませんでしたか?」とリコーダーを吹き始めると、一斉に顔が上がり一瞬で集中しました。子どもたちの参加意欲を感じます。全体での練習も全員の姿勢がよくそろっています。しかし、男子だけ、女子だけといった指示をすると、指示されなかった方の集中が落ちて、姿勢が崩れます。どちらか一方が集中できていない時には、別々にやらせることが効果的なこともありますが、この場面では特に必要な状態には思えませんでした。せっかく別々にやらせるのであれば、やらない方にも役割を持たせるとよいでしょう。例えば、自分の隣の子どもがうまくきているか確認して、できていれば「いいよ」と伝えるといったことです。

教科書のリズム譜を見て、メトロノームに合わせて手拍子を打ちます。指示がよくわからなかった子どもが隣の子どもに聞いています。男女市松に並んでいますが、自然に隣同士で声をかけ合える関係になっていました。
ちょっとテンポが速く難しいところで、ついていけない子どもが目につきます。授業者は「たーん、たん」としっかりと声を出し、子どもたちをほめながらできていないところを何度もやり直します。手が動かなかった子どもも次第に動くようになっていきます。子どもたちの状況をよく見て活動をさせていました。

続いてグループで練習させます。全体での練習で、意欲が少し低そうな子どもがいました。机もすぐに移動しません。授業者は素早くその子どものところに行って机をしっかりと他の子どもの机と密着させました。よい対応だと思います。
手拍子がずれていている子どもがいたらそのことを教え合うように指示をして、練習を始めます。ただ、教科書のリズム譜を見ながらなので、友だちの手元に注意を向けにくいことが気になりました。中には授業者の手元を見て確認している子どももいます。練習する人とチェックする人をグループの中で分けるといったことが必要かもしれません。
練習が終わると、うまくできたのでしょうか、子どもたちから笑い声が聞こえます。この活動を楽しんでいることがわかります。
続いて、リコーダーで先ほどのリズムでタンギングの練習をします。吹き始めようとした時に、子どもたちに姿勢をよくするように一言指示をしました。子どもたちの状況によく対応しています。

最初意欲が低いように見えていた子どもがリコーダーを吹く場面ではよく頑張っていました。それとなくほめてあげたいところでした。吹き終ると身体ががくんと崩れます。頑張っているので気づきにくいのですが、集中が落ちたのではなく、体調が悪い可能性があります。授業の後半に授業者もそのことに気づいて声をかけました。保健室に行くように指示しますが、本人は頑張りたいようです。無理をしないようにと言ってそのまま参加させました。

一斉ではなくグループごとに練習をさせますが、授業者は個別のグループにかかわりすぎて、全体が見えなくなっているようでした。バラバラの状態でうまくグループで練習ができていないところもあるのですが、そこに対して支援ができていません。グループで練習しろといっても、実はそのやり方は決まっているわけではありません。子どもたちが経験的に知っているかもしれませんが、「どうやってやろう?」と問いかけたり、授業者が具体的に指示したりすることが必要だったように思います。

グループを3つの固まりに分けて、3段のリズム譜を1段ずつ順番に演奏させた後、今度はグループごとに違う音を出させます。ドミソの音を選ばせることで、ハーモニーをつくろうというわけです。単純なタンギングでも、ハーモニーをつくることで美しく聞こえます。合奏のよさを感じることにつながります。よい活動だと思います。
グループごとにどの音を演奏するかを選ばせました。どの音を選ぶかにあまり意味はありませんので、こういう場合は、授業者がどの音かを決めて指示した方が時間のムダもないと思います。
演奏の途中でなぜか一人の子どもが笑い出して、やり直しになる場面がありました。まわりの子どもたちも一緒に笑っていました。失敗をバカにしたり、責めたりせずに笑い飛ばせるのはとてもよいことです。よい学級だと思いました。

リコーダーの練習が終わって合唱の練習に移りました。
子どもたちがきちんと歌う姿勢になるまで、待つことができます。子どもたちはよい姿勢で歌い始めました。ただ、いきなり歌わせたので、声が出ていません。時間があまりなかったからかもしれませんが、少しだけでも発声練習をしてから歌わせるとよかったと思います。
歌い終わった後、友だちと見あって歌うことを指示します。子どもたちは楽しそうに歌っています。こういったかかわりはよいと思います。ただ、歌が上手くなるためには何をすればよいのか、具体的な方法が授業に組み込まれていませんでした。次の歌では、パートごとに歌って他のパートが聞くという場面がありましたが、何を意識して歌うのか、聞くのかということが明確ではありません。どうすればうまくなるのか、そのポイントや視点を子どもたちが意識して活動することが大切です。

丁度一年ほど前にも同じ授業者の7年生の授業を見せてもらいましたが、その時の様子とは全く別物です。授業規律や子どもたちとの人間関係は本当によくなっていました。意識してこの1年間授業に臨んでいたことがわかります。
次の課題は、どのような活動をすれば子どもたちの力がつくのかという授業設計や授業技術です。これは一朝一夕で身に付くものではありませんが、いつも意識して授業に取り組んでほしいと思います。素直な方なので、確実に成長してくれると思います。

この続きは次回の日記で。
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