子どもが活躍することを意識してほしい

先週、私立の中学高等学校で授業アドバイスを行ってきました。
この日は、新しく来られた方の授業を中心に学校全体の様子を見せていただきました。

高校1年生の現代社会は株式会社の学習の場面でした。
授業者は表情よく話をしていますが、どうしてもしゃべりすぎるようです。子どもたちはワークシートの答を写すことにエネルギーを使っていますが、資料を調べる場面などでは積極的に活動しますし、自然にかかわり合う姿も見られます。こういった活動を活かし、子どもたちの発言場面をもっと増やすとよいでしょう。授業者にどのような授業をしたいかをたずねたところ、自分が生徒の時に受けた授業のように、先生が一方的に説明して終わるようなものではなく、子どもたち自身が活躍するようなものにしたいということでした。とても、よい授業観だと思います。ただ、実際の授業とその思いがずれているのが残念です。子どもたちが自分で考えて活動するような課題を考えることが必要になります。
例えば株式会社の学習であれば、「売れそうな商品やサービスのアイデアを考えたけれどつくるのにたくさんのお金がいる。あなたならどうする?」といった問いかけから、会社形態や資金調達について考えさせてもよいでしょう。最近よく耳にするようになったネットファンディングなどを題材にして、株式の仕組などを調べさせるというのも面白いと思います。
授業に対する方向性は間違っていないので、子どもたちが活躍するためにいろいろな工夫をしてほしいと思います。この学校では、子どもが活躍する授業を色々な方が実践されています。こういった授業を参観して参考にするようにアドバイスしました。

高校2年生の英語は子どもたちが自分で文章を考え英語で発表をする授業でした。
子どもたちが発表文をつくっている時に、集中していないことが気になりました。課題が自分のものになっていないように見えます。どうやって文をつくればよいのかといったことがよくわかっていないように見えます。また、この課題の目標や評価基準がはっきりと子どもたちに伝わっていないために、つくった文をどうやってブラッシュアップすればよいのかがわからず、書き終わったあと手の動かない子どもが多いようです。
途中で授業者が”Picture Card”を見せて説明をしますが、授業者が一方的にしゃべっているだけで子どもたちの顔が上がりません。この課題に対する意欲が教室から感じられませんでした。
指名された子どもが起立しても子どもたちはほとんど反応しません。前に出て発表をするのですが、発表者は手元の原稿を読み、一方聞いている子どもたちはほとんど顔が上がりませんし、メモを取る姿も見られません。決して子どもたちの関係が悪いわけではないと思います。発表者側、聞く側双方の目標が明確になっていないのです。発表後拍手は起こりますが、発表に対する評価や価値付けの場面は全くありません。2人目の発表の時には拍手もほとんど起きませんでした。
また、発表の時の授業者の視線も気になりました。視線が定まらないのです。発表者を評価しようと見ているわけでもなく、子どもたちの聞いている様子を見るでもなく、ゆらゆらしているのです。
こういったことから、授業者と子どもたちのコミュニケーションがうまく取れていないように感じます。課題は何か、具体的にどうなればよいのかといったことをきちんと子どもたち伝える必要があります。何をやればよいのかわからなければ子どもたちの意欲も高まらないのです。本人としては伝えているつもりでも、一方的にしゃべるだけでは伝わりません。課題の目的、目標を明確にし、子どもたち伝えるには何が必要かをきちんと意識してほしいと思います。

高校2年生の数学は相加平均と相乗平均の関係の授業でした。
2数の相加平均≧相乗平均の証明を授業者がしています。授業者を見ずに板書を写している者、話を聞かずに下を向いたりよそ見をしたりしている者と、子どもたちの姿勢が定まらないのが気になります。子どもたちはただ授業者の示す結果を受け入れるだけで、どのような視点で考えるのか、この不等式がどのような意味を持っているのかといったことを考える場面がありません。この証明を通じてどのような数学的な見方・考え方を子どもたちに身につけさせるのかを明確にして授業に臨む必要があります。
不等式の証明という視点では、今までどのようなやり方で証明をしたのか、どんな数や式の性質を使ったのかを子どもたちに問いかけ、考えさせることが必要です。「差が≧0を証明する」「( )2≧0」といったことをまず子どもたちから出させる必要があります。√の扱いも2乗すると消えること、両辺が正ならば2乗しても大小関係の同値性が保たれることを使うのか、a≧0ならばa=(√a)2を使うのかといった選択肢があります。教科書がどのやり方で証明しているのかは別にして、こういった視点で子どもたちに見通しを持たせ、自分がこれだと思う方法で証明に挑戦して共有するといったことが必要です。
また、2数が正である条件が証明の中できちんと押さえられていないことも問題です。授業者はa=(√a)2、√(ab)=√a√bを使って証明しましたが、2数が正であるからこのことが成り立つことには触れられていません。これでは数学的には不完全ですし、条件の持つ意味がわかりません。また証明を始めるにあたって、2数が負であればどうか、異符号であればどうかといったことも問いかけ、2数が正の場合に意味のある議論であることにも気づかせたいところです。
相加平均≧相乗平均の意味を考えるということでは、周囲の長さの和が一定の長方形において面積が最大になるのは正方形であることを表わしていることに気づかせ、そこから証明を考えさせるといったこともできます。正方形の一辺の長さをaとした時に周囲の長さが一定の長方形の2辺はa+b、a−bと表わせることを使うのです。平均の持つ意味を見つけることもできます。また、「面積ではなく体積で考えるとどんなことが言えそう?」と問いかけることで一般化できそうなことにも気づけると思います。
教材一つからでも多様な数学的な見方・考え方を学ぶことができます。すべてをやれというのではありません。授業者が何を学ばせたいのかを意識して授業を組み立ててほしいのです。
こういったことを授業者には伝えました。今後授業にどのような変化が起きるのか楽しみです。

この日は、高校2年生と高校1年生の様子を中心に参観しました。
2年生は昨年に引き続きよい状態でしたが、新年度を迎えたという緊張感があまり感じられませんでした。先生方も子どもたちの状態がよいので新たに何か求めているというようには見えませんでした。子どもたちのポテンシャルはもっと高いはずです。次のステップを意識して、子どもたちにより成長を求めてほしいと思います。
1年生は年々意欲的な子どもたちが入学しているように感じます。学校への期待、授業への期待も大きいように見えます。オリエンテーション合宿を終えて、人間関係もよい状態になっています。子どもたちはかかわり合うことができるのですが、そういった場面つくることを意識していない先生方も目につきました。今は意欲が高いので、子どもたちは受け身でも授業に集中しますが、期待外れだと感じると意欲が落ちる危険性もあります。このよい状態を維持するためにも、子どもが活動し、活躍する場面を大切にしてほしいと思います。

この日は、中学校に今年度予定されているタブレットPCの導入について相談を受けました。担当の先生は、いきなり高いレベルを求めるのではなく、現実的に活用できることを意識されていました。オタク的な夢物語ではなく、一歩ずつ手の届く範囲から進めていこうという姿勢はとても素晴らしいと思いました。今後、色々な形でサポートをさせていただくことになりますが、どのようなものになっていくのか、私自身もとても楽しみにしています。

これからの1月が勝負

昨日は、授業アドバイスで中学校を訪問しました。
今回は学校全体のスタートの様子を見せていただいてのアドバイスです。

1年生は子どもたちの人間関係がよく、新入生独特の硬さも感じられません。とてもよいスタートが切れているように思います。まわりと自然に相談し、しばらくするとスーと自然に集中するという場面もありました。いくつかの授業では、中学1年生とはとても思えないほどの集中を見せてくれます。自己紹介の場面では全員がきちんと発表者の方を向いて真剣に聞いている姿も見られます。
その一方で、グループの代表の発表で子どもたちの視線が定まらない場面も目にします。ある授業では、子どもたちに作業をやめて顔を上げるように指示してもすぐに全員の手が止まらず、そのまま授業者が話を始める場面がありました。子どもたちの状態はバラバラのままで、続く活動にも全員がすぐに参加できませんでした。また、一列ごとに後ろを向かせ、ペアで活動をする場面では、手を振ったり、すぐに口を開いたりしています。関係がよいのですが、この後指示をされた活動を行う場面はややざわつき、グダグダした状態になりました。
もちろん、きちんと指示が通るまで待ってから次の作業を指示する、先に指示をしてからペアをつくるといったことをすれば違った状態になったと思いますが、そういった授業技術面とは違った危うさを感じました。おそらく子どもたちはどの小学校でもかかわり合うような授業をしっかりと受けて育ってきたのだと思います。子どもたちのよい状態は、小学校の延長上のものなので、中学生としての授業規律を再度身につけさせる必要があります。しかし、基本的な授業規律ができているため特段の指示をしなくても授業がそれなりに進むので、教師がそのことを意識していない可能性があります。授業者が中学生としてどのような姿になってほしいかを意識できている授業では、とてもよい姿になりますが、そうでないと小学生のままなのです。このままの状態が続くと、子どもたちは授業によって態度を変えてよいと思ってしまいます。しかし、きちんと意識できている方でも、自分の授業では子どもたちの姿がよいのでその事実になかなか気がつきません。気づいた時には手遅れになっている可能性があるのです。
学年全体でこのことを意識することが大切ですが、全員が全く同じようにそろうのは難しいものがあります。「中学生だから、指示されなくても今どのようにすべきかを判断して行動できるようになってほしい」と、自分で考えて行動することを学年全体の場や、学級で求めるとよいと思います。そして、指導の場面では、「こうしなさい」ととるべき行動を直接に指導するのではなく「今は、どう行動すべきだったか」を考えさせるようにします。もともとよい状態の子どもたちですので、今後大きな成長が期待できると思います。

2年生は、新年度の緊張が強く残っているように感じました。昨年度この学年は全体としてはよい状態だったのですが、一部の気になる子どもたちがつながり始め、年度末にかけてその対応に追われていました。今年度は異動もあって担任の一部が変わり、学級編成も工夫がされ、子どもたちの気持ちがリセットされたように思います。よい意味での緊張感があり、子どもたちが授業に前向きに取り組もうとしているのを感じます。よく集中しているのですが、時々集中が切れている子どもを目にします。特定の子どもというよりは、ポツリポツリと入れ替わりで目につきます。しかし、集中が切れた子どもも、場面が変わればまた復活します。前向きな気持ちが切れているわけではないのです。
もうすぐゴールデンウイークです。全体として子どもたちが頑張っていてよい状態であるし、集中が切れる子どもも一部だからとそのままにしておくと、休みをはさんで緊張が切れ、せっかくのよい状態が一気に崩れる可能性があります。これからの数週間は特に意識して子どもたちに接する必要があります。では、集中が切れている子どもをその場で注意すればよいのでしょうか。頑張っているけれども集中力が続かなかった子どもたちですので、注意をするのはマイナスです。ずっと集中力が切れたままの子どもはほとんどいません。子どもの集中力が戻った時に、「やる気を出してくれているね」といったほめ言葉をかけるようにするとよいでしょう。また、子どもたちが集中して聞いてくれていると、どうしても教師はしゃべりすぎてしまいます。結果として子どもたちの受け身の時間が増えて、集中力を切らす原因となります。そんな中、数学の時間でグループ活動をしている場面がありました。子どもたちはとてもよい表情で取り組んでいました。中にうまくはグループに入れていない子どもがいましたが、授業者はそれに気づいて声をかけていました。子どもたちの関係は悪くないので、このようにまわりと相談させたり、グループでの活動を取り入れたりすることで子どもたちがかかわる場面を多くつるくとよいでしょう。子どもたちの集中も続きますし、今一つ孤立気味で授業に参加できない子どもも他の子どもとつながることで、一層前向きに授業に取り組み、よりよい学校生活を送れるようになると思います。

3年生は、例年のこの時期と比べてちょっと違った状態でした。非常に落ち着いているのですが、頑張らなきゃ、やるぞといった熱のような物をあまり感じないのです。ここで昨年度のことを思い出しました。この学校では毎年合唱祭が盛り上がるのですが、昨年の秋に訪問した時の練習風景は例年と比べて子どもたちの意欲が高まっていませんでした。そこで、先生方が子どもたちを引っぱることで、結果的には大成功に終わったそうです。しかし、合唱祭が終わった後に訪問した時の子どもたちは、抜け殻のようになっていました。もちろん先生方はそのことに気づいて、自分たちが引っぱるのではなく子どもたちの内部からエネルギーを引き出すことを意識されたようです。その流れで見れば、この状態はよい方向に思えます。ただ、3年生が始まってリフレッシュしたというよりも2年生の延長という感はぬぐえません。子どもたちが新しい学級で様子を見ているという感じも受けます。また、担任が変に引っぱることで合唱祭の時のようになってはいけないと、遠慮をしているのかもしれません。
この後、修学旅行や3年生が中心となって学校全体を引っ張るようなイベントもあります。そこで、子どもたちからエネルギーを引き出せるとよいと思います。子どもたちから出てくるものをコントロールしようとするよりも、少々外れたように見えることでもできるだけ活かしてやるようにしてほしいと思います。自分たちが考えた、自分たちがやった、やれるという自信を持たせるのです。子どもたちは自分で思っているよりも力があります。先生方も子どもたちの力を信じて任せることが必要でしょう。

この日は現職教育について全体での話があり、そこで私の目に写った学年の様子をお話させていただきました。短い時間しか観察していませんので的を外しているかもしれませんが、参考にしていただけたらと思います。

この日は特定の授業を参観しなかったのですが、何人かの先生が相談に来てくれました。とてもうれしいことです。
今年特別支援学級の担当になった先生は、特別支援と通常学級の授業の切り替えがうまくできないと話してくれました。この時以前と比べて表情が変化していることに気づきました。ずいぶん柔らかくなっているのです。特別支援学級での経験がこの変化につながっているのだと思いました。特別支援学級で、子どもをしっかりと受容し、一つひとつの指示をていねいにして、確認もしっかりと行うことの大切さに気づいたようです。
私からは、特別支援と通常学級の違いを意識しなくてよいとアドバイスさせてもらいました。特別支援で意識していることは程度の差こそあれ通常の学級でも意識すべきことです。今経験していることをそのまま生かしていけばよいのです。自信をもって子どもたちに接してほしいとお伝えしました。この先生が大きく進歩する予感がします。

学校全体としてはよいスタートを切れていると思います。ただ、ここで気を抜くとどうなるかわかりません。ここからの1月が勝負だと思います。次回5月末の訪問がとても楽しみです。

昨年度の仕事の日記の扱いについて

新年度の学校への訪問も本格化してきました。時系列がおかしくなりますが、新年度の日記の更新を優先し、その合間に昨年度のものを掲載させていただくことにします。

よろしくご理解ください。

実験の意味を子どもたちに考えさせる

前回の日記の続きです。

3年生の理科の授業は仕事と力学的エネルギーの関係の実験の授業でした。
子どもたちのよい行動をほめることできますが、緊張していたのか表情がちょっと硬いことが気になりました。指示に対して全員ができるまで待てるのもよいと思います。全員参加を意識しています。
仕事の定義の確認をしますが、一部の子どもの発言を受けて進んで行きます。復習場面では、時間短縮をしたいこともあり、一人指名発表のあとすぐに確認して終わることが多いように思います。しかし、既に学習したことだからこそ多くの子どもが参加できるはずです。挙手ではなく意図的に指名したり、まわりと確認させたりすることで、より多くの子どもが活躍できるようにしたいところです、
中学校の範囲では仕方がないことなのですが、運動エネルギーと位置エネルギーの説明が、どうしても感覚的になってしまいます。同じ位置にある同じ物体でもその時の速度が異なればその物体の持つエネルギーは異なります。同じ速度、同じ位置にあっても質量が異なればやはりエネルギーは異なります。一つの例ですが、エネルギーという言葉をこういった状態の違いを表わす共通の尺度としてとらえ、実験を通じてそれがどのようなものかを考えていくといった進め方もあると思います。理科ではその概念がなぜ必要になったのか、現象をどのようにとらえるのかといった科学的な見方・考え方を意識してほしいと思います。

この日の実験は、鉄球を斜面で転がして木片にあててセンサーで鉄球の速さを測り、木片がどれだけ動いたかを調べるというものです。鉄球の速度や木片の動いた距離が何を意味するのか、なぜ測定するのかはよくわかりません。鉄球や木片は重さが異なる物が用意されていて、授業者は「一番考えやすいもの」を選ぶようにと説明しますが、子どもたちはまだ何も考えていません。授業者が実験器具の使い方、手順をすべてていねいに説明します。結果の記録の仕方も表を与えて指示します。実験の説明に多くの時間を割きましたが、何を知りたいのか、どんな予測がたつのか、どんな実験をすればそのことが分かるのか、どのようにまとめたらよいのかといった、実験の持つ意味、結果をどう処理して考えるかといったことに時間を使いたいところです。
子どもたちは指示された通りに実験を進めますが、考えることなく作業をしているだけで結果がどうなるか予想をしたりしているわけではありません。授業者が実験中に「やりながら耳を傾けて」と注意事項を追加で説明しますが、実験に集中している子どもたちの耳には届きません。大切な説明であればいったん実験を止めてからするべきだったでしょう。この説明の後、子どもたちのテンションが上がっていきます。授業者が子どもの作業に割り込み、集中を乱したことが原因かもしれません。実験が終わるころにはかなり高いテンションになっていました。

実験終了後、得られたデータをどう整理するのかはとても大切な活動です。しかし、そもそも何のために実験をしているのが明確でないままでは、考えることはできません。結局グラフにすることも、その書き方の説明も授業者が行います。グラフを元にして考察をしますが、注目する視点を子どもたちが考える場面はありません。活動主体の授業になってしまいました。

実験は手順をしっか理解させないと失敗してしまいます。そのため、どうしても事前の説明が長くなる傾向があります。時間がかかる実験も多いので、やることで精一杯ということも珍しくありません。しかし、実験そのものが目的化しては本末転倒です。手順の説明は動画やICT機器を活用するなどして、短い時間でわかりやすく伝える工夫をし、何を知りたいのか、そのためにはどんな実験をすればよいのかといったことに多くの時間を割いてほしいと思います。授業者は子どもたちの関係はよいので、このことを意識することで、授業は大きく進歩すると思います。

スモールステップと子どもをつなぐことを意識する

前回の日記の続きです。

2年生の数学は少人数による平行線を題材にした図形領域の学習の場面でした。
教科書、ノートを閉じさせて平行線の性質の復習をします。2つの直線が平行な時に何が等しくなるかを問いかけます。指名された子どもは「同位角と錯角」と答えますが、言葉だけで確認することはあまり意味がありません。同位角と錯角というのは平行線に対しての用語ではなく、3つの直線がつくる角の関係を表わす用語です。図で角を示して、その角の同位角はどれか、錯角はどれかということをきちんと確認することが必要です。図と用語と性質を合わせて理解することが大切です。平行線の性質ならば、図で角を示して、「これと大きさの等しい角はどこ?」「それは何角?」と次に次に答えさせるといったやり方をするとよいでよいでしょう。
また、教科書、ノートを閉じさせると、思い出せない子どもは答が示されるのを待っているだけになります。結果として数学は覚えることが大切だと思う子どもが増えてしまいます。そうではなく、自分の手や頭を使って考えることが大切だと気づかせてほしいと思います。忘れないことを大切にするよりも、忘れても教科書やノートで確認すればいいと、自分の手を動かす方が復習としても効果が高いと思います。

1組の平行線に1本の直線が交わってできる同傍内角の和の性質を説明するのが最初の課題です。「これを知っておくとこの後の問題がサクサク解ける」と子どもたちに意欲づけをします。問題を解くことが目的化していることが気になりました。数学的な見方・考え方につながるようなことで子どもたちの主体的な活動を引き出したいところです。結果を覚えることも大切ですが、わかっていることを根拠にして説明(証明)する。そうすると、その性質を使えるようになる。道具が増えると便利になる、できることが増える。こういうことをもとに子どもたちの主体性を引き出せるとよいと思います。

同傍内角の和が180°になると与えて、どうしてそうなるのかを言葉で書くように指示します。天下りで課題を与えるのではなく、どのように線を引いても180°になることを確認し、「いつでも言える?」「絶対?」と揺さぶり、「いつでも180°になることを説明して」とすることで、課題の必然性が生まれます。また、数学においては、式や図も立派な言葉です。「根拠を明確に示す」「記号を使って、図をうまく使う」「式を使ってわかりやすくする」「書かれたものだけで言葉による追加の説明が必要ないように書く」といった課題の与え方の方が、活動の方向性がはっきりすると思います。

ノーヒントと言って個人で考えさせますが、180°になることの理由がわかることと、言葉で説明を書くこととの間にはギャップがあります。理由の見通しを持つ場面、理由がわかる場面、言葉で説明できる場面を意識して構成するとよいでしょう。まわりと相談させて見通しを持たせるといったことが必要に思います。
机間指導しながら個別に授業者が説明をしますが、そうするのであれば、まず全体で平行線の性質から言えることを確認し、「180°ってどんな角?」といった発問をして見通しを持たせることが必要でしょう。言葉で書くことがこの時間のねらいであれば、グループなどを活用して、180°になることの説明を共有する場面が必要だと思います。言葉での説明はそれからの課題でしょう。

机間指導で個別に説明をすることにかなりの時間を使ったあとで作業を止めます。最初に示した言葉で説明を書くことではなく、どんな考え方をしたかを黒板の図を使って説明させました。考えを共有するのであれば、もっと早い時期に共有すべきでしょう。指名された子どもの説明に錯角が等しいことの理由が抜けていいたので、「なんで?」と問いかけて「平行だから」と本人に修正させました。こういったかかわりは大切です。「○○さんは錯角が等しいといったけど、理由わかる?」と、発言者だけでなく他の子どもに問いかけることも視野に入れるとよいでしょう。
子どもたちはとても集中して発表を聞いています。発表が終わると自然に拍手が起こりました。授業者は補足がないかを子どもたちに問いかけますが、反応はありません。結局授業者が発表者の考えをもう一度説明しました。そうではなく発表者の考えを他の子どもにもう一度説明させるとよかったと思います。せっかく子どもたちが一生懸命聞いていたのですから、もったいないと思いました。

子どもたちに考えを発表させて進めようとするのですが、どうしても授業者が説明をしたり、ヒント与えたり、どういうことかを発言者に問いかけたりします。大切なことはすべて授業者がしゃべってしまいます。子どもたちの発言量が絶対的に少ないのです。そうではなく、その役割を子どもたちにまかせるとよいでしょう。

言葉で説明する、書けるようになることがねらいなのであれば、そこに至るスモールステップを意識するとよかったと思います。「見通しを持つ」「説明ができる」「説明を言葉でわかりやすく書く」といった一つひとつのステップを全体で共有する場面をつくることで、もっと多くの子どもが自分の考えを持てたはずです。
また、一部の子どもの考えや発言を受けて、授業者が説明することが多いのですが、子どもたちは集中して授業に参加することができているので、発表者と同じような考えの子どもがいないか問いかけたり、発表者の考えを他の子どもに説明させたり、説明不足の部分を他の子どもに補わせたりといった、子どもをつなぐことを意識すると授業はと大きく進歩すると思います。

この続きは次回の日記で。

見方・考え方を学ぶ場面をつくる

昨日の日記の続きです。

2年生の理科は動物の分類の授業でした。
まず、ワークシートを配ります。子どもたちはワークシートや教科書を開いて見ていますが、授業者がしゃべり始めてもその様子は変わりません。先にワークシートを配ると、子どもたちはどうしてもそちらに気を取られてしまいます。顔を上げさせ、子どもたちを集中させてから話すことが大切です。
授業者はこれまでに学習したことをしばらくしゃべった後、この日は動物の分類、仲間分けをすることを知らせます。この時間にとって復習が大切であれば、授業者がしゃべって確認するのではなく、まわりと相談して確認させるとよいでしょう。子ども自身で確認することが大切ですし、受け身の時間はできるだけ少なくしたいものです。また、この日の課題が唐突に提示されたことも気になります。子どもたち自身の課題になるような工夫がほしいところでした。
教科書を開かせ、「読んでくれる人」と声をかけますが、挙手はそれほど多くありません。相変わらず下を向いたままの子どもが目立ちます。授業者は手を挙げてくれて「ありがとう」と言ってから、指名をしました。この場面に限らず、「ありがとう」という言葉がよく出てきます。「ありがとう」を言えるのはとてもよいと思いますが、その割には子どもたちから授業に取り組む意欲があまり感じられないのが気になりました。

授業者は「飛ぶ」「泳ぐ」「大きい」「小さい」といった分け方もあるが、理科としてやるためには「体のつくり」で見ていかなくてはいけないと結論づけます。続いて、モルモットで医療の実験をすることを話し、トカゲではいけないのかと問いかけますが、子どもたちが考えたり話したりする時間を取らずに、すぐにトカゲよりモルモットの方が人間に近いと解説を始めます。常に授業者が結論を示します。疑問に思ったり、考えたりする場面がないまま、結論が与えられると、子どもたちはどうしても受け身になってしまいます。子ども自身の課題とするためにはどのような活動が必要なのかを考えてほしいと思います。科学史的な視点で時代と共に分類が変わったものを示してそれはなぜだろうと問いかけたり、飛ばない鳥は鳥なのか、私たちが鳥を鳥として認識しているのは何なのかといったことを考えさせたりといったことをしてもよかったと思います。

授業者は、今日は5つの分け方を元に分類すると説明して、教科書の続きを読ませます。この日のタイトルを板書した後、まず背骨がある動物とない動物に分類することを板書して説明を始めます。多くの子どもたちは板書をすぐにノートに写すのですが、その一方で肘をついたり、ぼんやりしたりして写そうとしない子どもも目につきます。
一通り板書が終わると、授業者は「まだ書けていない人?」と問いかけますが、それに対して子どもたちは反応しません。中にはまだ書けてない子どももいます。しかし、授業者は特に追加で確認することなく話し始めます。
「背骨のある動物を何と言うか?」「背骨のない動物を何と言うか?」と一問一答でワークシートの穴埋めの確認をします。確認するたびに板書しますが、その間子どもたちに背を向けたままで、子どもたちの様子を見ることがありません。黒板を向いたままの時間がかなりあります。
ワークシートにそって答の確認をしますが、ほとんどが知識の問題です。子どもたちはワークシートの穴を埋める作業をしているだけで何も考えることはありません。これでは、最初から穴を埋めたものを与えても同じです。
結局、用語の穴埋め、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類の分類を「呼吸器官」「子の生まれ方」「からだの表面」などの与えられた視点でどう違うかを調べて書き込むといった作業がほとんどで、子どもたちが考える場面はありませんでした。穴埋めの答を発表し、それを授業者が板書して一方的に解説することに終始しました。

生物分野は知識を教える場面も多いのですが、それでも理科としての見方・考え方をきちんと子どもたちが学ぶ場面をつくる必要があります。知識は教科書や資料集で調べれば手に入ります。なぜ体のつくりで分類をすべきなのか、まず背骨のあるなしで分けるのはなぜなのかといった疑問を子どもたちに持たせ、その理由を考えるといった活動を行い、その科学的な価値を子どもたちが実感する場面をつくるといったことが必要になります。
また、子どもたちに問いかけても、反応をきちんと求めていません。双方向のコミュニケーションになっていないことが、子どもたちが積極的に授業に参加していない要因の一つです。
こういった点を意識して授業を見直せば、大きく進歩すると思います。

この続きは次回の日記で。

どのような見方・考え方を身につけさせるのか

昨年度の中学校での若手への授業アドバイスです。

3年生の数学は相似条件の学習でした。
前時の復習で、相似とは何かを確認します。子どもたちはノートを開いて見ていますが、友だちが指名されても顔が上がりません。指名された子どもが答えると授業者が内容を確認してすぐに、相似な図形の性質は何かとつなげます。しかし、子どもたちの顔は上がらないままです。大切なことであれば一人指名して終わりではなく、何人も指名して確認することが必要です。
授業者が相似な図形の性質を書いた紙を貼ると子どもたちはすぐに写そうとします。復習ですので写さなくてよいと授業者が指示をすると、初めて子どもたちの顔が上がりました。
授業者は対応する線分の長さの比、対応する角の大きさがそれぞれ等しいという性質を読み上げた後、相似な図形の性質を使うためには合同をちゃんと覚えていることが大切であると伝えます。ここで気になったのが、その間子どもたちの視線が定まらないことです。まだ板書を見ている子ども、下を向いてしまっている子どもとバラバラです。今一つ集中が感じられません。
続いて三角形の合同条件の復習をします。指名された子どもが答えて、それを授業者が確認しますが、子どもたちは指名されなければ関係ないという雰囲気で、授業者が黒板に書いたことを見ているだけです。子どもたちの授業に対するエネルギーが感じられません。復習なのですから、多くの子どもは答えられるはずです。まわりと確認するといった活動を入れるだけで随分雰囲気が変わると思います。
授業者はこの合同条件を覚えていれば、相似条件は簡単だと説明します。しかし、ここで言っている簡単とは、相似条件を覚えることです。数学的に相似条件をきちんと説明することはそれほど簡単ではありません。どのように考えればいいのか、そこを大切にしたいところです。

授業者は教科書を広げさせて課題を自分で読み上げます。与えられた三角形と相似比が1:2の三角形の作図をするのですが、子どもたちが課題をしっかりと理解する間もなく黒板に図をかき始めます。相似条件と作図の関係もよくわからないままです。合同条件は同じ形の三角形を作図するための条件と言い換えてもよいのですが、こういった作図と条件の関係をきちんと押さえていません。
黒板と同じようにノートに三角形ABCを書くように指示します。どのような三角形でも成り立つことが重要なはずなのに、わざわざ黒板と同じようにと指示する意味が分かりません。
授業者はポイントは三角形の相似比が1:2と説明します。しかし、本当にそうでしょうか。相似な図形という意味では、三角形の3つの辺の長さの比が一定であれば必ず相似になります。また、2つの角の大きさがそれぞれ等しければこれも必ず相似になります。ここで相似比が相似であることのポイントというのは今一つよくわかりませんでした。
授業者がこの説明をしている時も子どもたちの顔は上がりません。まだ図形を書いている子どもがほとんどです。ポイントというなら全員の顔を上げることを意識したいところです。授業者は1個だけ条件を足したいとしゃべりながら、図をかきます。すると子どもたちは一斉に写し始めます。ノートに写すことが最優先で、常に受け身です。まず考えようという姿勢を求めることが大切です。

授業者は図をかくのに「コンパス、分度器、三角定規どれを使ってもらっても構いません」と言いますが、数学の作図の定義では分度器は使えません。相似比を使って長さを決定するのであれば三角定規で長さを測ることが必要になりますが、これも作図の定義では利用できません。もちろん相似を学んでいる途中なので、与えられた比になるような線分をかくのは簡単ではないのですが、作図を意識するのであれば、「同じ角度をつくる」のに「分度器を使ってよい」、「与えられた比になるような線分をかく」のに「三角定規をつかってよい」というように、やりたい作業とそのための道具を明確に分けるとよいでしょう。そうすれば、「同じ角度をつくる」のは「コンパスと定規でできる」と置き換えることで、この後、数学的に正しい作図を学習する時に自然に移行することができるはずです。

できた人は他の方法も考えるように指示をして個人作業に入ります。子どもたちは見通しが持てていないのでなかなか手が動きません。10分以上個人作業を続けた後、机間指導中に目をつけていた子どもを指名して、板書させます。子どもたちは、板書の様子をよく見ています。しかし、書き終ったあとすぐに授業者が解説を始めます。せっかく書いている過程を子どもたちがしっかり見ているのですから、何をしていたのかを本人や見ていた子どもたちに問いかけたいところですし、どのようにしてこのやり方に気づいたのかといったことも聞きたいところでした。また、授業者が解説するのであれば、実物投影機などを使うことでムダな時間を省くことも視野に入れるとよいでしょう。
授業者がどのようにしてかいているのかを説明した後、これが合同条件のどこに似ているのかと問いかけます。それよりもまず数学的な根拠を問うことが大切なのですが、授業者の考え方ですぐに結論に誘導しようとしています。
指名した子どもの作図が、合同条件の「一辺の長さと両端の角の大きさが等しい」と似ていることを指摘して、相似条件を授業者が示します。しかし、この条件で相似な三角形がかける根拠ははっきりしません。相似の性質から対応する角の大きさが等しければ相似になると説明しますが、相似の性質と定義がこっちゃになっています。最初に説明した相似の性質が必要条件なのか十分条件なのかも曖昧です。そのため、三角形の3つの相似条件を授業者が説明するのですが、数学的に根拠がおかしな説明になってしまいました。結局授業者が結論を与えるだけで、子どもたちが活動を元に考える場面がありませんでした。数学としてどのような力をつけたかったのかはっきりしない授業になってしまいました。

中高等学校の範囲では相似を数学的にきちんと定義することはできないので、相似の扱いは難しいのですが、だからこそ子どもたちが論理的に考える場面をつくることが大切です。
拡大縮小を使って定義するのなら(拡大縮小の定義が実はされていない、できないのが問題ですが)、根拠を拡大縮小に求めることを意識したいところです。

この教材でどのような数学的な見方・考え方を子どもたちに身につけさせたいのか、そしてそのためにどのような活動するのかを意識することが大切です。子どもが考え、そしてその考えを深めていくことを大切にする授業を目指してほしいと思います。

この続きは明日の日記で。

どのような力をつけるのかを意識した教材研究

昨年度のことです、私立の中高等学校で新人研修の内容の相談と学校全体の授業参観を行いました。

教科指導部主任は中教審答申などもよく読み込んでいます。11月の新人研修では「主体的」「対話的」「深い学び」の3つをキーワードにして授業公開を行ってもらおうという提案です。
具体的に次のようなものです。

「主体的」
・生徒が興味・関心を持って課題に向き合っているか
・どのような時にそれがたかまるか
「対話的」
・「教師×生徒」「教材×生徒」「生徒×生徒」の間に対話が見られるか
「深い学び」
・深い学びにつながるための設問、課題であったか
・生徒に何をどのように発言させる必要があるか

この視点を元に、教科会では、

1.授業のゴールの明確化
2.生徒はなにができればよいのか
3.生徒のどのような姿を見たいのか
4.そのために何を課題として与えるのか

について話し合ってもらいます。
授業公開の2週間前には、授業を見せていただき事前にアドバイスをすることになりました。新人の研修ではありますが、新人の授業を通じて多くの先生に新しい取り組みや工夫について考えていただく機会になることを願いました。

この日は若手の高校1年生の数学の2次方程式の授業を見せていただきました。
グループの形で問題を解かせます。時間が来れば答合わせをしますが、わからなければ友だちに聞くようにと、グループの隊形にしてから活動の指示をします。ちょっとざわついている子どもがいるので、「聞いていますか?」と注意をしますが、口調がちょっと上から目線なことが気になります。「聞いてね」と声をかけることから始めた方がよいと思います。解くべき問題の指示の後はいつも通りの指示なのでしょう。話を聞かずに問題を解いている子どもが目立ちます。子どもたちにどうあってほしいかをきちんと意識して授業規律を確立してほしいと思います。

問題のレベルが彼らには低いのでしょうか、子どもたちは相談することなく黙々と問題に取り組んでいます。ある程度時間が経つと解けてしまってすることがなくなっている子どもが目立ちます。ムダ話をしたり、机にふせったりする姿が目立ちだしました。できた子どもへの指示が必要です。
せっかくグループの隊形で問題に取り組むのであれば、みんなの知恵を集めなければ解けない課題を設定することを考えるとよいでしょう。子どもたちが自然に頭を寄せ合うような課題に挑戦させてほしいと思います。

答の説明を子どもたちに発表させます。一問ずつ各グループに割り当て、全員で前に出て説明をします。説明するのは問題ごとに一人ですが、何回か回ってくるので、毎回異なる人が説明します。発表する問題が決まると子どもたちは相談を始めます。
一問ずつ発表するグループが変わるので、そのための準備や移動にムダな時間がかかります。あまりに簡単な問題は説明するほどでもありません。説明で何がポイントなのかもはっきりしないので、評価や価値付けもありません。この単元、この教材では何が大切なのか、どのような考え方を身につけさせたいのかを授業者が明確に持っている必要があります。
因数分解で1元n次方程式が解けるのは、「0 Deviser(2数とも0でないのにかけて0になるような数)」がないこと、つまり「かけて0なら必ずどちらかが0」になるからです。例えば、一元2次方程式(x-2)(x-3)=0の解がX=2,3という説明で、xに2を入れると0になるから、3を入れると0になるからは、正しくないのです。確かに2と3は解になっていますが、それは十分条件であって、必要条件についての説明にはなっていません。方程式を解くとは、その方程式を満たすすべての解を求める(必要十分条件)ことです。こういったことをきちんと押さえていないのです。

子どもたちは、一生懸命取り組んでくれますが、数学的にどのような力をつけるのかが授業者の中で明確になっていなければ、「活動あって学びなし」になってしまいます。問題演習であっても、教材研究はとても大切なのです。

介護支援員の研修で講師を務める

昨年度、市の介護支援員の研修で「コミュニケーションとクレームの対応」について講師を務めさせていただきました。
私自身介護に関しては素人なのですが、今回はファシリテータの方の助けを借りながら利用者の視点で皆さんと一緒に考えさせていただきました。

どのような仕事でもそうですが、コミュニケーションの基本は「聞くこと」、つまり相手の「伝えたいこと」「望むこと」を正しく理解しようとすることです。最初に、この視点で日ごろ参加者の皆さんが意識していることを聞き合っていただきました。さすがに日ごろから利用者とその家族と一緒にケアプランを作成されている方々ですから、いろいろなことを意識されていました。
コミュニケーションを取る上で大切なことは、常識だと思っていることが人によって異なるということです。ちょっとした行き違いやすれ違いが起こることも避けられません。言った言わなかったの議論をしても水掛け論になってしまいます。相手の伝えたいことを正しく理解できなかった自分が悪かったと考え、次にどうすればよいのかを考えることに切りかえる必要があります。

利用者の方が、「介護はいらない」と言ったとしても、その発言の裏には様々な思いがあるはずです。その思いが何なのかを知る必要あります。そこで、具体的な場面でどのような確認が必要かを聞き合っていただきました。実際にどのような例があったのかを思い出していただき、多くの意見を聞くことができたと思います。しかし、すぐに「どうしてですか?」「○○だからですか?」と聞き返せば、相手の言葉の否定や詰問になってしまいます。まず、相手の言葉を復唱して受容することが必要です。こういったことも実際に練習していただきました。
また、利用者やその家族に自分の言葉が正しく伝わるかどうかはとても大切です。どのような言葉を使えば伝わるのかを意識することが必要です。介護の専門用語を使うことで正確になるのかもしれませんが、相手の方に伝わるかどうかはまた別です。伝わる言葉を選ぶようにしてほしいと思います。そして、正しく伝わったかどうか相手の反応を見てきちんと確認することを常に心がけることが大切です。また、相手の方がなるほどとうなずいても正しく理解しているという保証はありません。相手の反応を見ながら、ていねいなキャッチボールを心がける必要があります。
相手にとって一番よいと思う提案をしても必ずしも納得してもらえるわけではありません。無理に説得しようとせず、相手の希望をまずしっかりと受け止め、尊重するようにしましょう。提案を受け入れられなくても落ち込む必要はありません。考え方は人それぞれです。それよりも、どれだけ相手の方の話を聞くことができたかを大切にしてほしいと思います。

クレームの対応については、具体例を元に考えてもらいました。最終的には、グループ毎、参加者にケアマネージャー、利用者、利用者の家族役になってロールプレイをしていただき、他のメンバーがファシリテータとなって学び合っていただきました。皆さん、自分の経験を最大限に生かし、特に利用者、利用者の家族役は迫真の演技でした。このロールプレイを通じて多くの事例に接することができたと思います。どのグループも、真剣ですが、とても楽しそうだったことが印象的でした。

どなたも、利用者と利用者の家族のことを真剣に考え誠実に接していることが伝わってくる研修でした。だからこそ、最後に私からは「頑張りすぎないでください。利用者とうまくいかなくて担当を変えられても、落ち込まないでください」とお伝えしました。「あなたが担当する利用者は他にもいるはずです。そのこと引きずって笑顔がなくなってしまえば、多くの方に影響してしまいます。人には相性があります。誰とでもうまくいくことはあり得ません。別の方に担当が変わることで、その方も相性のよい方に出会うチャンスができたのだと前向きにとらえてください」そうお願いして終わらせていただきました。

皆さんの話を聞かせていただいて、私にとってもとてもよい学びとなりました。このような機会をいただけたことに感謝します。

概念や数学的なものの見方・考え方を大切にしたい

前回の日記の続きです。

2年生の算数は、2の段のかけ算の授業でした。
子どもたちはコの字型に机を並べて、授業を受けています。授業者は子どもたちのノートを見ようと机間指導をしますが、コの字型で机がくっついているので中に入りにくくなります。また内側の列の子どもを見るのに机の前から見ることになりますから、どうしても死角が大きくなります。コの字型は子ども同士がかかわり合うことや、授業者が全体の様子を把握するのに向いていますが、机間指導をしながら個別指導をするのには向かない隊形です。隊形に応じた指導、または指導に応じた隊形を意識することが必要です。

問題演習の答え合わせを、○をつける人と式を書く人、答を書く人に分けて指名します。できるだけたくさんの子どもを活躍させたいのでしょう。○をつける人は、この問題で大切になる言葉や数字に○をつけるというものです。文章題を解くのにこういったやり方する方も多いのですが、なぜそこに○をつけるのかという根拠がはっきりしません。定型の問題を解くためにしか使えない方法です。文章に書かれた状況を理解し、その状況を抽象化していく過程が大切です。また、式を書く人と答を書く人が違うというのは子ども同士がうまくつながらない可能性があります。式を書いた人の考えを説明するといったかかわり方に変えるとよいでしょう。
式を書いた子どもがその説明をします。授業者は5個ずつがいくつ分かを問い返します。子どもたちはもうずいぶん練習をして、すぐにかけ算だとわかるのかもしれませんが、まだ定着していない子どももいるかもしれません。まず、文章が表わす状況を図などで半抽象化し、それを元にかけ算の式になることを理解させるといった活動も視野に入れるとよいでしょう。

子どもたちを起立させて、5の段の九九の練習をします。黒板に5の段の九九が提示されています。大きな声が出ているのですが、口の開かない子どもも目につきます。自信のある子どもには後ろを向かせて、繰り返します。全体で声が出ているのですが、後ろを向いている子どもが必ずしもきちんとできているわけではありません。しかし、口は見えないので誰ができていて誰ができていないのかはわかりません。全体練習は、声ではなく全員の口の開き方を見ることが大切です。後ろを向く代わりに目を閉じるように指示するという方法もあります。口の開き方、目を開くかで定着度がわかります。
授業者は、全体に対して拍手しながら「素晴らしい」とほめますが、子どもたちはあまりうれしそうにしませんでした。全体でほめられても自分がほめられたと思わなくなっているのかもしれません。

2人乗りのゴーカートを使って2の段のかけ算を学習します。まず1台に2人乗せて「何人ですか?」と問いかけます。「2×1は」と子どもたちが挙手をしている時に言葉を足します。図や数図ブロックを使えば答はすぐにわかります。何人乗っているかの答ではなく、この答を出す式が2×1の掛け算として表わせることを理解することが大切です。指名した子どもは「2×1は2です」と答えます。これは式です。細かいことかもしれませんが、授業者は「何人ですか?」と問いかけています。式に続いて、「だから2人です」まで答えさせたいところでした。
式が2×1で表わせることの確認はせずに、1台から4台までを考えるように指示します。かけ算の答がいくつになるかが学習の中心になっています。九九を覚えることがゴールなのですが、扱っている事象がかけ算になることをしっかりと押さえることが必要です。今はかけ算の学習だから迷わずにやれますが、求めるものが何算を使えばよいのかに気づくことはそれほど簡単なことではありません。かけ算とはどのようなものかを理解させることをもう少していねいにやりたいところです。

授業者はゴーカートが2台になったら数図ブロックをどう置くかと問いかけて、作業させます。大切なことは、2の固まりで扱うことや2ずつ増えることです。しかし、すぐにいくつになったか答を聞きます。これでは、かけ算の概念とブロック操作が結びつきません。
子どもたちは挙手をしますが、手を挙げない子どもも目立ちます。わからないのか、答えたくないのか、どちらなのか気になりました。授業者はコの字の奥の方に行って気になる子どもに「ゴーカート2台、2台」と声をかけますが、死角が大きくなります。コの字型はこの授業者のスタイルにはあっていないように思いました。
いくつになるかではなく、まずブロックがどのようになるかを全体で共有することが大切です。ただ並べるのではなく2つの固まりを意識して並べさせることとでかけ算の概念を理解させるのです。かけ算とブロックの関係がきちんと理解できれば、答はすぐにわかります。その上で、掛ける数が変化する時、答がどのように変化するのかをブロックをもとに気づかせるのです。

4台までの答を確認した後、「何か気づいたこと」と気づいたことを書かせます。その前に、「1台に何人?」「いつでも?」「2台になると2人がいくつ?」「3台になると?」といったやり取りをしておくとよいでしょう。
子どもから「2ずつ増える」といった考えが出てくれば、「何が増えれば?」といったことも問い返すとよいでしょう。こういった場面で関数的な視点を育てることも大切になります。

九九を覚えることはこれからの計算の基本となる大切なことです。しかし、単に覚えさせるのであれば、暗唱の時間をたくさん取ればよいのです。そうではなく、こういった九九の答を考える場面をつくるのは、その作業を通じてかけ算とはどういうものかを子どもたちに具体的に理解させることや数学的なものの見方・考え方を身につけさせるためです。このことを意識して授業を組み立ててほしいと思います。

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