多くの先生方によって支えられた授業
前回の日記の続きです。
国語の授業研究は経験3年目の先生の1年生の国語で、説明文の単元でした。本文をバラバラにして、正しい順番並べ替えることを通じて説明文の構造を考えるものです。 今回一番うれしかったことは、まわりの先生方との授業者のかかわり方に変化が出てきたことです。自分から教えてもらおうという姿勢が出てきました。今回の指導案も先輩に助けてもらいながら完成させたそうです。本人の姿勢の変化に対して、教務主任を始め多くの先生が授業者のために時間を割いてくれました。この日までに他の学級で同じところを実践しましたが、毎時間だれかかれかが参観してアドバイスをしてくれたそうです。一人の先生のためにこれだけまわりがかかわってくれることに、この学校のチームワークのよさを感じました。 授業者は以前と比べると柔らかい表情が出てくるようになり、子どもの発言を受容することができるようになってきました。まだ自分で説明しすぎで、子どもに返して考えを深めるといったことはできませんが、子どもの発言を聞こうとする姿勢は感じられるようになりました。 授業は、毎回の反省点をもとにいろいろと変更していたようですが、この授業でつけたい子どもの力が明確になっていませんでした。根拠を持って考えることが一つのキーワードになっているのですが、根拠を子どもから意識して引き出すことができません。 序論と結論をまず明確にしてから次に進むという展開だったのですが、子どもから出てくる根拠は「始めっぽい」「まとめっぽい」といったあいまいなものです。授業者はそれを受容するだけで、「それってどういうこと?」「どこが始めっぽい?」と言った言葉を返さず、明確な根拠を示せずに次に進みました。 指導案を手伝ってくれた先輩の意図は、根拠を示しやすい序論と結論で子どもたちに根拠を示す練習をさせる事だったのですが、残念ながらそのことがよくわかっていないようでした。参考にさせてもらった指導案を自分のものとして消化することができていなかったのです。 指示語や接続語などがキーになることを伝えますが、なぜそれが大切なのかを考えることをさせません。「接続語あると次のどのような内容が来るかよくわかる」「文の関係がわかるから読みやすい」といった言葉を引き出し、文の関係が明確になり、わかりやすく意図を伝えることにつながることを意識させたいところでした。こういうメタな感覚を持てれば、文章を読み取る力がつきますし、表現力もつくはずです。 個人作業の後でグループにして意見をまとめさせたのですが、結局全体追求で明確な根拠を示すことができずに終わりました。自分の最初の考えとグループの結論が異なった人を指名して、どこで納得したかを聞くといった場面がほしいところでした。 授業については、まだまだ改善すべきことが山積みですが、それでも私はこの授業を評価したいと思います。授業者の変わろうとする意志を感じたからです。多くの先生方の力が注がれても、この拙い1時間の授業にしかならなかったと否定的にとらえることは簡単です。しかし、それでも授業を改善しようとし、まわりの先生方がそれに協力し続けてくれるのならば、きっとこの授業者は成長することができると思います。 正直、2年前にこの状態であればと思わないでもありませんが、これからの変化を見守らせていただきたいと思います。 ねらいを実現させるための場面
前回の日記の続きです。
今年異動してきたばかりの若手の先生の体育の授業研究は1年生の跳び箱でした。 感心したのが子どもたちの動きのよさです。授業者がせかさなくても子どもたちは素早く行動し、集合すると全員が授業者の方に顔を向けています。体育だけでなく、学年全体で意識して指導していることを感じます。 子どもたちが活動をしている時に授業者が大きな声で指示を出すことがありました。しかし、残念ながらそれは子どもたちには届きません。誰に対する指示かがわかりませんし、一生懸命にやっているからこそ、聞こえないのです。全員に対する大切な指示であれば、事前にしておくか、いったん活動を止めることが必要です。個別の指示であれば、大きな声ではなく、近くに行って対象となる者の注意を引きつけてから行う必要があるでしょう。 この日の活動についていくつかの確認を子どもに問いかけて行います。指名した子どもが答えるとすぐに授業者が説明します。ポイントとなることは全員に徹底しておきたいので、何人も指名したり、隣同士やまわりと確認したりすることが大切です。 大切な役割としてグループで補助者をだすことを指示します。補助のやり方については実際に子どもを指名して一緒にやって見せますが、ポイントが子どもたちに理解されたかはよくわかりません。時間がもったいないかもしれませんが、グループの代表一人ずつにやらせて確認するといったことも必要でしょう。また、この授業では跳んだ人にアドバイスすることが大切な課題でした。アドバイスの視点は授業者が複数与えます。視点を教えることは悪いことではありませんが、子どもたちがそれでアドバイスできるようになるかは別です。具体的に誰かが跳ぶのを見せて、どこをアドバイスすればよいかを考えるといった場面をつくってもよいかもしれません。 授業者はアドバイスをする人はローテーションするように指示しました。その後子どもたちはグループに分かれますが、すぐに活動に入れません。どのようにローテーションすればよいかよくわからないからです。一つのグループが跳び始めると、次第に他のグループも活動を始めましたが、ローテーションのやり方はバラバラでした。ローテーションというだけでなく、具体的なやり方を指示する必要があったようです。跳び終えた子どもがすぐにアドバイスを受け、続いて次の子どもにアドバイスする役になるというパターンのグループが多かったのですが、これは効率が悪いやり方です。アドバイスが終わらなければ次の子どもが跳べないからです。グループを2つに分けたりバディを組ませたりする方がよいかもしれません。 最初の内はアドバイスの声かけがみられましたが、「よかった」「いいよ」といったものばかりで、具体的なものはほとんどありません。よかったにしても、どこがよかったかを言わなければ意味はありません。その内だれも声をかけなくなりました。うまく跳べなかった子どもに対して何をアドバイスすればよいのかよくわからないのです。また、全員が跳べるグループでは補助の子どももいなくなってしまい、ひたすら跳び続けているだけになってしまいました。 授業者は跳べない子どもたちを集めて個別対応していますが、全体の様子が見えていません。補助がいなくなっていることに気づいて体育館の端から全体に注意をするのですが、授業者のすぐ横のグループは最後まで補助がいないままでした。 跳べない子どもに「もうちょっとでできる」と励ましの声をかけていましたが、これはあまり意味のあることではありません。「もうちょっと」とは具体的に何をすればよいのかわからないからです。何ができているのか、何がもうちょっとなのかを伝えることを意識するとよいでしょう。 授業の最後に、役に立ったアドバイスがあったかとたずねましたが、誰の手も挙がりません。当然だと思います。そこで授業者は、「アドバイスをした人?」と問いかけ、どんなアドバイスをしたかをたずねました。何人かの手が挙がり、指名して発表させますが、あまりよい対応とは思いません。アドバイスする側に視点が当たると、どうしてもできる子ども目線になってしまうからです。しかも、実際に役に立ったと言ってもらえていないのですから、独りよがりの可能性もあります。 授業者が、子どもたちにただ跳ぶだけでなく、他者とかかわりながらうまくなってほしいと思っていたのはよくわかりますが、そのための手立てをきちんと組み立てられていなかったのです。視点を複数与えただけで、「アドバイスしなさい」ではできないのです。 複数の視点を同時に見ることは大人でも難しいことです。視点を絞らせることが大切です。どの視点を意識して跳ぶかを決めて、そのことをアドバイスする人に伝えてから跳ぶだけでも様子はだいぶ違ったと思います。自分が意識する視点を決める参考にするために、最初に一人ずつ跳んで、どこがよかった、どこがもう一歩だったかをグループ全員で話す時間を取ってもよいでしょう。 ねらいを実現するために、どのような場面が必要かを考えることが大切です。 授業後、参加していた体育の先生方がすぐに集まり、跳び箱の前で話合っていました。体育教師のチームワークのよさを感じました。この集団の中にいれば互いに大きく成長していくことと思います。 次に授業を見る機会が楽しみです。 この続きは次回の日記で。 中学校で、各学年の様子から考える
先週は中学校で授業アドバイスを行ってきました。
前回訪問時、1年生は授業者によって態度を変えたり、どこまで許されるのか探ったりしている感がありましたが、今回はそういったことが感じられませんでした。どの学級も落ち着いた状態で授業に向かっていました。学年全体でどのように子どもたちに対応するのかの意思統一ができているのだと思います。ただ、どの学級にも、わからない、手がつかない状況の子どもが目につきます。やる気がないのではなく鉛筆を手にして解こうとしているのですが、そこから先に進めないのです。この状態が続くと最後にはやる気もなくなってしまいます。かといって、授業者が個別に指導するにも限界がありますし、何より先生が個別に対応するとまわりの子どもたちがその子どもは先生が対応するから自分たちはかかわらなくてよいと思ってしまいます。子ども同士の関係が切れてしまいます。まわりの子どもに助けを求めるように声をかけたり、ペアやグループでの活動で教えてもらえる機会をつくったりすることを意識してほしいと思います。また、授業時間以外でも、困っている子どもたちが学習する機会をつくることも必要でしょう。「前回の試験でよくわからないところがあった子どもは勉強会をするよ」と、授業後に学習する場を設けたりするのです。互いに聞きあうことを中心にしますが、可能であればできる子どもも先生役を期待して参加させるとよいでしょう。先生は基本的に教えないことにして、教科に関係なくだれかがその場にいるようにすることで負担も分担できます。自分の専門教科外であれば、子どもと一緒に考えることをしてもよいと思いますが、答を教えるのではなく、教科書や資料を一緒に見たりして、あくまでもサポートに徹することが大切です。自ら友だち聞くことも含めて、子どもが主体的に学習に取り組むことができるようにしてほしいのです。 学習面で苦しんでいる子ども以上に気になったのが、できる子どもの一部の態度です。わかっているからと、説明を聞き流したり、挙手をしなかったりという子どもが結構いるのです。塾等で学習している子どもなのかもしれませんが、こういった子どもをきちんと授業に参加させないと、次第に授業規律も緩んできます。本来、行事などでもリーダーシップを期待したい子どもなのですが、一歩下がった冷ややかな態度を取る可能性もあります。こういった子どもには。自分が正解することではなく、他者の役に立つことで有用感を与えることが必要です。友だちの考えを代わりに説明してみんなに納得させるといった役割を与えるとよいでしょう。「○○さんのおかげでよくわかったね」とほめることで自己有用感を持たせたいところです。 2年生は、4月に気持ちがリセットされてやる気が出ていた状況から、少し変化が見られました。集中力を失くしたり、受け身になったりといった子どもたちの姿が見られます。頑張ってきたけれど達成感が得られていないため、エネルギーが低下しているように思います。だからダメだというわけではありません。子どもたちが頑張ろうという気持ちを失くしてしまった状態ではなく、4月からの緊張が切れた状態なのでしょう。これから盛り返すのか、下降していくのかの分岐点にさしかかっています。子どもたちは自分で自分を認められないので、先生方がほめてやることが必要な状況だと思います。結果が出ていないとほめられないと思うかもしれませんが、スモールステップで評価することで、子どもたちのエネルギーを引き出すことができると思います。子どもたちをうまく認めながら進めている授業では、子どもたちのやる気をみることができます。もうすぐ校外学習がありますが、これはチャンスだと思います。先生方から見ると満足できない状態になるかもしれませんが、できているところ、やれているところを認めてほめることを意識してほしいと思います。 3年生は修学旅行が終わってどのような変化がみられるか楽しみしていたのですが、4月とあまり変わらない状況でした。修学旅行でエネルギーが高まるでもなく、落ち着かない状況でもなく、淡々と授業を受けているという感じです。部活動の最後の大会が近づき、それが終わると受験勉強が本格化しますが、傍からはそこに向かって行こうとしている状態には見えません。落ち着いて授業を受けているのですが、下手に頑張れと声をかけても逆に「そんなに言わないで」と引いてしまいそうに見えます。様子を見ているというか、モラトリアムというのか、なかなか難しい状況です。担任が毎日少しずつ、受験という目先のことではなく、もっと将来について考えるように働きかけることが有効なように思います。「君たちが社会で働く時はAIの時代って言うけど、どんな時代だろうね?食事の時にお父さんやお母さんはどう思うか聞いてみたら?」というように、少しずつまわりから刺激を与え続けることが必要でしょう。 どの学年主任も、子どもたちをよく見て、その状況を理解しています。あとはどのように働きかければよいのか学年全体で意見を出し合い、最後は意思統一して取り組めるかどうかです。チームワークが決めてとなります。夏休み前までが勝負だと思います。 体育と国語の授業研究がありましたが、それについては次回の日記で。 子どもの視点で授業を工夫する
前回の日記の続きです。
講師の先生の2年生の理科の授業は、硫化鉄の実験で混合物と化合物の違いを考えるものでした。 節目節目で子どもたちを静かにさせて、授業者に注目させます。子どもたちを集中させようという姿勢はとてもよいと思いますが、いざ話し出すと子どもたちの視線は下がります。子どもたちは指示されたことに従うだけで、その行動の意味は考えていないのです。集中して話を聞いてほしいことを子どもたちに伝え、聞いている子どもを「○○さんしっかり聞いてくれているね。ありがとう」と誰のことかわかるようにしてIメッセージでほめることで、よい行動を広げていくことが必要です。 鉄と硫黄の混合物を熱することで硫化鉄をつくり、鉄と異なる物質になっていることを確かめる実験を行うのですが、実験を行う必然性がわかりません。ちょっとしたやり取りでよいので、子どもたちに疑問を持たせてほしいと思います。 子どもたちを前に集めて、実験器具を見せながら説明をします。子どもたちはよく集中していたのですが、受け身の時間が長いため、最後は集中が切れる子どもが出てきました。 硫黄と鉄をよく混ぜると口頭で説明しますが、どうなればよいのかわかりません。実験が始まると、「このくらい?」と子どもたちが先生にたずねることになります。混ぜる前と後の違いを見せるか、写真に撮っておいて黒板に貼るとよいでしょう。予備実験をする際にその様子をビデオに撮っておいて、それを見せるという方法もあります。途中で画僧を止めながら、ポイントを説明すればずいぶん時間が節約できると思います。 いくつもの指示を一方的に聞くだけでは頭にきちんと残りません。ワークシートには実験の概略しか書いてありませんので、子どもたちが途中で確認できるようなものが必要です。あらかじめ手順を整理して板書しておくとよいでしょう。 ガスバーナーが机の上にないので保管場所に取りに行くことになりますが、特に指示していないのでそのことに気づかず、ボーとしているグループもあります。 全体的に子どもたちの動きが遅いのが気になりました。仲よく実験をしますが、実験の結果に興味を持っているわけではないようです。友だちがやっている様子を何となく眺めている子どもも目につきます。何のための実験かがわからず、どうなるのだろうと疑問に思っていないようです。 時間の関係もあって難しいかもしれませんが、次のような展開を考えてもよいでしょう。 子どもたちは硫黄をよく知りませんが、鉄のことはよく知っています。そこで、まず鉄の性質をたくさん出させておきます。次に硫黄という物質があると紹介してこの2つの物質をよく混ぜます。違う色の物質になったことを確認して鉄は別のものに変わったかを問いかけます。変わらないという答が大半でしょうが、どうやって確かめるかを確認します。磁石で鉄を吸い上げて見せてもよいでしょう。「混ぜても鉄は鉄のまま?どうやっても変わらない?」と問いかけます。中には予習をしていて「温めると変化する」「燃やすと変わる」といったことを言う子どももいるでしょう。それに対して、「お湯につけたら変わる?」「本当?鉄は燃えるの?」「うんと冷したらだめ?」「どのくらい温めればいいの?」と揺さぶり、子どもたちにある程度自由に実験の内容を考えたり、選ばせたりするのです。バーナーで高温にすることはその選択肢の1つにします。教科書に載っている実験以外でも変化するかもしれないと子どもたちが思ってくれれば、実験に対する興味も変わってくると思います。 授業者は常に教科書の通りに実験もやらなければいけないと思っていたようですが、こういった話をしたところ、色々と工夫をして見ようと思ってくれたようです。授業を工夫する楽しみに気づくきっかけになれば幸いです。 初任者の授業は1年生の理科の葉の構造の学習でした。実物投影機で葉の写真を見せながら授業を進めていました。 前時の観察を基に葉の特徴を発言させて写真で確認します。挙手の数はそれほど多くありません。1問1答で、発言が終わると全体で拍手をさせます。しかし、子どもたちは友だちの発言をちゃんと聞いていません。その状態で形式的に拍手させると、拍手された時も形式的なものだと知っているのでうれしいとは感じません。また、「管がある」という発言に対しては、「別の言葉で言うと?」と他の子どもを指名して、「すじ」という言葉を引き出します。子どもたちに教師の求める答探しを無意識のうちに強要することになっています。こういう時は、「○○さんの言っていることわかる?」と他の子どもに問いかけて、「わかった」「どんなもの?」と何人かをつないで、「いろいろな言い方があるけど、これのことを言っているんだよね?」と葉脈の写真で確認するとよいでしょう。表現をどうしても統一したければ、教科書ではこう書いてあるねと押さえておけば十分です。 葉脈、葉緑体、気孔、孔辺細胞といった用語を確認した後、葉の表側、裏側の違いを子どもに整理させます。裏側には気孔、孔辺細胞があることはすぐに書けるのですが、授業者の期待する葉緑体が表側に多いことは出てきません。実際に葉の表側と裏側の葉緑体がどうなっているのか観察して確認しているわけではないからです。 授業者はヒントと言って葉の表側と裏側の色の違いを伝えます。それでも、気づけない子どもが多いため、大ヒントと言って何で葉が緑色かを考えるように言いますが、ヒントという言葉には注意が必要です。教師が求める答が明確にあると伝えていることになるからです。子どもが見つけたことを全体で共有しながら吟味することが大切です。考えるための手掛かりとなるものを、まず共有するとよいでしょう。葉の横断面の写真が教科書に大きく乗っていますが、この写真は葉の表と裏の細胞の様子を同時に見ることができるので比較しやすいことを押さえておきます。これを基にして子どもに考えさせるのです。グループで取り組んでもよいと思います。 子どもから葉の表と裏側では細胞の大きさが違うという意見が出ます。授業者はなるほどと葉の表と裏の細胞の写真を見せて、確かにそう見えると受容します。しかし、すぐに「倍率がわからないと実際の大きさはわからないので何とも言えない」と否定します。先生の求める答ではないと言っているようなものです。結局一人の子どもが正解を言うと、それを先生が説明して終わるという形になりました。 スクリーンに教科書を映した後、子どもたちに教科書を開かせます。指名して読ませますが、当然どの子どもも手元の教科書を見ます。スクリーンに映す意味は何だったのでしょうか。実物投影機を積極的に使っているのですが、今一つポイントがわかっていないようでした。 子どもを受容しようとする姿勢がみられますし、ICT機器も積極的に活用しようとしています。今後子どもの視点で自分の授業を見直すことで多くのことに気づけると思います。今後の変化が楽しみです。 |
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