数学の問題を解く過程を構造化してほしい(長文)

前回の日記の続きです。

7年生の数学は、比例式の学習でした。
ワークシートの前時の復習の問題を解くことから始まりました。子どもたちは途中で困るとノートや教科書を開いています。手がつかないままじっとしているよりもずっとよいことです。一方、すぐに解き終った子どもが手持ち無沙汰にしています。できた子どもへの指示が必要でしょう。
隣同士で答の確認を行うよう指示をしますが、子どもがすぐに動きません。この授業に限らず、子ども同士かかわりあわないことが気になります。授業者がかかわり合うように声をかけると動き出すのですが、隣を無視して後ろとかかわり合ったりします。子ども同士の人間関係がどうにも気になります。子どもたちがかかわれないままムダに時間が過ぎていきました。こういう場合は活動を止めて、早く次に進むべきでしょう。

答を挙手指名で確認します。最初に指名した子どもが勢いよく答えますが、まわりの子どもが違っていると指摘します。このこと自体はよいのですが、先ほどの隣同士での確認場面の意味はなかったということです。
挙手は結構あるのですが、はなから答える気のない子どもも目立ちます。指名した子どもの答が正解だと、「いいですか?」「いいです」とすぐに次にいきます。子どもたちがきちんとかかわって、解き方を理解しているのならよいのですが、そうでなければ答だけを共有してもあまり意味はありません。何が大切なのか、何を復習すべきなのかをしっかりと意識することが大切です。また、「いいですか?」と友だちにチェックされるということは、自信のない子どもにとってはちょっときついように思います。問題が少し難しくなると挙手が少なくなる理由の一つかもしれません。

子どもたちが困っていた問題については、正解を確認した後、途中の式も確認をします。これはよいことですが、「式を書いてある人?」と問いかけても挙手する子どもは一人だけです。自信がないので手を挙げないのかもしれませんが、途中の式は必ず書くように指導しておく必要があります。
挙手した子どもを指名して、みんなに向かって説明をさせます。子どもたちに聞くようにと声をかけますが、顔が上がらない子どもが目立ちます。こんな問題はわかっているからと、聞かない子どももいるようです。子どもの説明が途中でちょっとあやふやになりました。授業者はそこで止めて、最初から説明をし直します。こうなると、先ほどの子どもの発言を聞くことの意味はなくなります。「○○さんの言いたいことわかる?」と、聞いている子どもと発表者をつなぐといったことをしてほしいと思います。聞くことの価値をどうつくるかが課題です。

比例式を解く時のポイントを内項どうし、外項どうしをかけることだと押さえます。悪くはないのですが、比例の単元で比例式を扱う本質を押さえてほしいと思います。比例するということは比の値が一定、等しいということです。そこを忘れていつも内項、外項の関係で考えると落とし穴にはまってしまいます。連比になるとわけが分からなくなってしまうのです。比の値(比例係数)を意識することが必要です。

比例式の項が多項式のときに、項と項の積は()を付けないとおかしくなりますが、ここでつまずいている子どもも目立ちます。式の扱いの基本が定着していません。これはこの単元で学習している比例式とは直接関係ありません。授業者はこのことを押さえますが、この問題を解く過程で軽く説明する程度では定着しません。子どもたちの基本的なつまずきについては、別にきちんと対応することが必要です。

x:(14−x)=2:5の比例式を解く途中の式を書かせると、いきなり5x=28−2xになっていました。一番大切なのは、x×5=(14−x)×2という比を数の関係に直す式ですが、これを省略するという悪い癖がついています。何が本質で、何が大切なのかをきちんと子どもたち理解させることが必要です。
友だちの説明を子どもたちはしっかりと聞きません。答が合っているので聞く必要がないという空気を漂わせています。答が合っていることではなく、きちんと説明できることが大切であるという価値観を持たせる必要があります。数学的なものの見方・考え方を意識して授業を進めてほしいと思います。

復習が終わって新しい課題に入ります。「牛乳とバターの分量費比を10:3にしてホワイトソースをつくります。牛乳を150g使用した時のバターの量をxgとして比例式をつくりバターの分量を求めなさい」という問題です。現実の問題に数学を適用させようというのでしょうが、比例することや解き方まで指定されているので、現実問題とは乖離しています。数学の問題のための問題になっています。授業者は問題文を読んだ後、いきなり、この文章から自分で比例式をつくるように指示しますが、子どもたちはしばらく手が動きません。問題を把握できていないのです。比例式をつくれとは書いてありますが、少なくともなぜ比例式になるのかといったことを子どもたちとやりとりする必要があったと思います。
子どもたちにとって現実的なものにするのなら、「牛乳200ccとバター60g使ってホワイトソースをつくるとおいしくつくれました。また同じようにつくろうとしたら牛乳が150ccしかありません。量は減っても構わないので、同じ味にするにはバターを何gにすればよいでしょうか?」といった問題にしたいところです。現実に当てはめる時に一番大切なのは、現実が数学的にどのように記述されるかです。ホワイトソースを同じ味にするには、材料の割合を一緒にするということです。まずここを押さえることが必要です。割合が一緒だということは、比が一定、比例式で表わせるというのは、子どもたちにとってそれほど自明ではありません。この部分をしっかり考えさせることから始めるのです。そこをすべてこちらから与えても、現実問題を考える意味はないのです。

自然に相談している子どもがいるのですが、まったくまわりとかかわらずに手詰まりになっている子どもも目にします。授業者は困っている子どもに対して個別に対応していますが、ここはまわりで相談している輪の中にその子どもを引き込むように働きかけたいところです。
つくった比例式を発表させますが、子どもたちの手はほとんど挙がりません。実際にはもっと多くの子どもが式を書けているのですが、積極的に答えようとしません。というか、この場面は自分が参加する場面ではないと、下を向いたり手遊びしたりしている子どもが目立つのです。授業者は柔らかい表情で、「書けている人はもっといたよ」と、やさしく子どもたちに参加を促しますが、挙手は増えません。結局挙手した子どもの一人を指名しました。挙手に頼らず指名し、指名した子どもの発言をしっかり受容することを積み重ねて、安心して発言できる雰囲気をつくるようにすることが必要だと思います。

発表された比例式に対して、なんでこうなったのかを問いかけますが、これはとても答えにいくい質問です。牛乳とバターの比が与えられているのですから、そのまま何対何だからとしか答えようがありません。比例式の定義や式をつくる時のポイントが明確になっていないので、子どもたちは説明する言葉を持っていません。「比例するというのは、比の値が一定であるということ」「比の値は何を基準にするかが大切」「基準となるものを分母に持って来る」「比例式にするのであれば、その順番が同じ」といった言葉を与えておくことが必要でしょう。
質問に反応したのか、ちょっと手を動かした子どもを授業者は指名しまた。式をつくることはできているので、他の子どもたちは聞く姿勢を見せません。子どもたちにとってはこの説明に価値はないのです。指名された子どもは、「牛乳と……」と口を開きましたが、そのまま凍ってしまいました。しばらく待ってから、授業者が「さっきのでよかったよ」と声をかけると、子どもは「牛乳とバターが150:xだから……」と言葉を続けました。それを受けて授業者が、「ここに書いてあるね。牛乳とバターの比が……」と問題文で確認しますが、何を押さえたいのかよくわかりませんでした。

続いて「姉と妹が50枚ずつ折り紙を持っていて、姉が自分の折り紙の何枚かを妹に渡したら姉と妹の持っている折り紙の枚数の比が11:14になった。何枚渡したか」という問題に取り組みます。子どもたちの動きが相変わらず遅いことが気になります。この問題を解くための見通しを持てていない子どもが多いようです。しばらく個人で取り組ませた後、グループにして相談するように指示しますが、子どもたちはなかなかグループになりません。人数の関係で隣同士が別のグループになるのですが、移動しようとしない隣の子どもの机を、無理やり移動させる子どもがいました。机を移動された子どもは、それ以上机をぴったりとはくっつけず、なかなかかかわりません。授業者はその様子に気づいて机をくっつけさせますが、それでも状況はあまり変わりませんでした。また、机を動かしてよそのグループに遠征する子どももいます。だれとでも話し合うことができないようです。

子どもたちのワークシートに式しか書かれていないことが気になりました。式もポイントとなるものが書かれていません。説明を書くことや考えを式で伝えるといった発想がないようです。また、授業者の板書にも言葉による説明が書かれていません。数学において、表現力を育てることと論理的な思考力を育てることは表裏一体です。説明を書くことを意識してほしいと思います。

しばらくすると、子どもたちのテンションが上がってきます。「先生できた」と大きな声を出す子どももいます。できたことがうれしいのはよいのですが、Try & Errorで見つけて、それで満足しています。答を出すことが目的化しているのが残念です。
作業中に一人の子どもを指名して、黒板に答を書かせますが、他の子どもたちはその内容を見ようとはしません。グループでかかわり合うでもなく、自分で解くことに集中しているわけでもなく、だらだらと時間が過ぎていました。

グループの隊形から元の形にもどして、先ほど指名した子どもに説明をさせます。困っている子どもも多かったのか、顔を上げる子どもは増えていますが、それでもきちんと体を前に向けて集中して聞いている子どもはわずかです。
説明は、一つひとつの式の計算を言うだけで、一番大切な比例式をどのようにしてつくったかはほとんど触れられません。一度説明をさせた後でよいので、ポイントなるところを「それってどういうこと」と焦点化しながら、もう一度詳しく説明をさせることが必要でしょう。
説明が終わると拍手をしますが、特に評価したり価値付けしたりはしません。すぐに授業者が説明を始めます。この時一人の子どもが黒板を指しながら隣に何か説明していました。何を話しているのか聞いて、その言葉を活かしたいところです。

授業者は問題を解くことをきちんと構造化していません。子どもの板書に従って説明をするだけで、書き足すこともしませんでした。説明は、xは何か確認するところから出発しますが、「何がわかればいい?」「何をxと置くとよいのか?」と、問題を解く視点から始めることが大切です。次に、条件から比例式をつくるところまでで、いったん立ち止まる必要があります。ここがこの単元で新たに学習したこととこの文章題の接点です。そして、関係を比例式で表わせれば、それを方程式に直すことが次のステップです。ここまでがこの単元での学習のポイントです。このことをしっかりと押さえれば、そこからは、一元一次方程式を解くだけです。最後に、解の吟味をします。これらのステップをきちんと立ち止まりながら確認し、どこでつまずいたのかを意識させることが大切です。
比例式に頼らず答を求めていた子どもがいたので、その答が正しいのかをどう確認するのかを問いかけます。解の吟味につながる場面なのですが、先ほどの比例式のxに値を代入して確かめました。そうではなく、問題文に沿って、「姉の折り紙の枚数はいくつになった?」「妹の枚数は?」「比は?」と確認することが大切です。

問題を解くこと、答を出すことが目的化して、論理的に思考すること、根拠を意識することが弱くなっていました。問題を解く過程をきちんと構造化し、それぞれを価値付けしていくことを意識してほしいと思います。

この授業でも、ペアやグループにした時の子どもたちの関係が気になりました。どのようにしていくとこの関係が変わっていくのか悩ましいところです。

この続きは次回の日記で。

子ども同士がかかわれるようにする必要を感じる(長文)

小中一貫校の中学校(7年生から9年生)で2日間授業アドバイスを行ってきました。今回で2回目です。うれしかったことは前回の訪問で私がお伝えしたことをどなたも意識して下さっていたことでした。素直であるということが、授業力アップの一番の要素だと思います。
今回共通して感じたことが、子どもたちの人間関係が固定化しているということです。小規模で小学校からずっと一緒の学級で暮らしています。誰とならかかわれる、かかわれないがはっきりしているのです。そのため、グループをつくっても、自分のグループとは話をせずに隣のグループの子と話すといった光景を目にします。
ふだんの生活の中での人間関係が授業の中にも持ち込まれているのです。授業では、今そこにいる仲間とかかわり合えるようにすることが大切です。小規模の学校だからこそ人間関係をつくることが求められるのです。

8年生の社会科の授業は、雨温図が中部地方のどの都市のものかを考えることが課題でした。
ウォーミングアップに、県庁所在地を歌で覚える動画を見せます。キャラクターを使ったもので、子どもたちは楽しそうに見ていました。2分足らずのものなので、手ごろな導入だと思います。

3つの都市の雨温図をディスプレイで見せて、それぞれ上越、浜松、松本のどこかと、この日の課題を提示します。授業者は、まずそれぞれの都市が何県かわからないと考えようがないと、調べるように指示します。何県かを調べるのは悪くないのですが、同じ県でも気候が異なるところはあります。本質は位置、地形です。「どんなところにあるのか?」と、あえて曖昧に聞くのもよいかもしれません。山、海のそば、日本海側といった地理的な言葉が出てくれば、それを活かすことができるからです。
作業中に、「地図帳を見ている人」「教科書の中部地方のページを見ている人」と子どものよい行動を紹介します。特に、手がつかない子どもや行き詰まっている子どもがいる時には有効な方法です。地図帳を忘れた子どもが、隣の子どもに自分から見せてもらっていました。よい関係の二人です。
見つけた人は隣の人と確認するように指示しますが、意外と子どもたちが動きませんでした。それほど難しい課題ではないので、ちょっと気になりました。

一問一答でどの県にあるかを確認していきますが、あまり意味があるとは思えません。あくまでも県名にこだわるのであれば、どうやって見つけたかを確認する方がよいよう思います。また、せっかく電子黒板があるのですから、どこにあるのかを地図上で示させてもよいでしょう。何県と答えたからといって、位置を理解しているとは限らないからです。

ワークシートを配り、それぞれの雨温図の特徴を書くように指示しますが、これまでにいくつもの雨温図を見ていて、特徴を考えるための基準を持っているのならよいのですが、そうでなければ、まず、3つの雨温図を比較することから始めるべきだと思います。
子どもたちは手を動かして書き込んでいるのですが、発表となると挙手をしてくれません。1人の子どもが手を挙げましたが、まだ手を動かしている子どもがいるので、少し時間を取りました。「この後自分が判断する時に、友だちの意見を聞いておくときっと得になる」と、聞くことの価値を伝えてから、「教えてくれる人?」と声をかけます。しかし、また1人しか手が挙がりません。「うそ?1人?」と声をだすと、それに反応して手が挙がり始めました。「2人」「3人」と声を出していくと4人になりましたが、そこまでです。最後に手を挙げた子どもを指名しました。子どもたちの積極性を引き出そうとしているのがよくわかりますが、こういった場合、まず、まわりと聞き合って、自分の意見に友だちの考えを付け足すといった場面をつくるとよいと思います。その後で、挙手に頼らず指名して聞くのです。自分の意見を言えないようであれば、友だちの考えでなるほどと思ったものをたずねるといったやり方もあります。発言しやすい状況をつくることで、発表することの抵抗感を和らげることが必要だと思います。

発表された特徴が、雨温図のどこ部分のことか他の子どもに言わせます。なかなか、よいつなぎ方です。指名された子どもがディスプレイの該当部分を指で指します。しかし、多くの子どもが顔を上げません。これは、この学校の他の授業でも目にする光景です。この状態に対して何らかの働きかけをしないと、子どもたちこれでよいと思ってしまいます。ヒドゥンカリキュラムです。小学校部も含めて学校全体でこのことを意識する必要があります。
指を指した後、授業者が「ここの平均気温が……と○○さんは言ってくれたんだね」と説明しますが、この場合は、最初に発言した子どもに、「○○さん、ここのこと?」と確認すべきだったでしょう。
次に指名した子どもは、「3つ目の雨温図で冬の降水量が多い」と発表します。しかし、この場面でも、他の子どもは発表者の方を見ようとはしません。授業者はなるほど受容し、他に3番目について書いた人がいないかとつなぎますが、先ほどから手を挙げている子どもしか挙手しません。こちらからどんどん指名する方がよいかもしれません。
2つ目の雨温図について意見を求めると、少し挙手が増えました。指名した子どもが、降水量が少ないことを言って着席した後、授業者は、前に出て雨温図で説明するように求めました。面白いのが、この子どもが前に立つと、先ほどよりもずっと多くの子どもが注目します。友だちが前で「話をする」と注目するのでしょうか。それともこの子どもが他の子どもと人間関係がよいからなのでしょうか。ちょっと気になるところです。

次に指名した子どもは「気温が0度になる時がある」と答えます。授業者は手でディスプレイの方を指さしている子どもを見つけ、指名します。よく子どもたちを見ています。前で確認をさせて、先ほど発表した子どもにそこでよいかと確認します。ていねいにつないでいますが、子どもたちがワークシートに書いたことをもっとたくさん共有したいところです。手元にタブレットがあるので子どもたちのワークシートを写真にとって表示するといった方法も視野に入れるとよいでしょう。

授業者は子どもたちから出た考えを板書しません。その代わりに「メモを取っていた人はえらい人です」とよい行動を広げていこうとしています。
雨温図の特徴を踏まえて3つの雨温図がどの都市のものかをグループで考えるように指示します。子どもたちが考えるためには、統計的にこういった場所の雨温図はこうなるという情報を与えるとか、雨が降るメカニズムや気温の決定要素を教えて、地形と季節風の関係を元に考えるのかといったことが必要になります。そのために授業者は、日本列島の気候をグループで色分けした地図や、中部地方の地形図と地形の断面図と季節風、降水の関係の図を資料として与えます。
子どもたちはグループの隊形になったのですが、個別に考えています。なかなか相談し始めません。5分ほどして少し子どもたちの間に動きが出てきました。しかし、グループ全体でのかかわりに広がっていきません。自分のグループではなく、他のグループの友だちに説明をしている子どももいます。
授業者は「考えがまとまらない人もいますね」と資料集の○○ページを参考にするといいとヒントを出します。それよりも、「困っている人、グループの人に聞いてごらん」と子ども同士のかかわりをうながしたり、いったん活動を止めて「何が参考になった?」と全体で情報を共有したりする場面をつくるべきだと思います。また、配った資料を根拠にすれば話し合えたと思うのですが、資料の中身をよく理解できていないようです。せっかくの資料も活かしきれていません。資料を理解する場面をつくる必要があったと思います。
結局最後まで子どもたちはほとんど話し合うことができませんでした。グループで学習しているのに、個別の作業になっているのが残念でした。

グループでの活動をやめて、机を元の隊形に戻します。
一つ目の雨温図がどこのものかを問いかけますが、やはり挙手は4人ほどです。指名した子どもが浜松と答えたので、同じ答の人を挙手させます。ほぼ全員が手を挙げます。最初に挙手で答えさせる意味はあまりないようでした。この時手を挙げていない子どもが数人います。授業者はちゃんと気づいてその子どもを指名します。答えるのに口ごもっていると、まわりの子どもが「浜松って書いてあるじゃない」と覗き込んで答えます。結局手を挙げなかった子どもたちも浜松と書いてあったようです。よくあることなのかもしれませんが、挙手して意思を表明しようとしない子どもがいることは気になります。この授業者のように、全員参加を求めることが大切だと思います。

次の雨温図については、どれを選んだかを最初から挙手で確認します。上越を選んだ人を聞いた時に、まわりを見ながら手を挙げたり下ろしたりする子どもが目につきます。自信がなく、間違えることに対する抵抗が大きいことがわかります。授業者は、「いいよ」と受容する姿勢を見せて、挙手をうながします。全員参加をとても意識していることがわかります。受容することから一歩進めて、意見が分かれた時に「いいなあ、意見が分かれるということはどちらが正しいかを真剣に考えることができるよ。違う意見、間違いがあると学びが深くなるね。とってもいいことだね」と価値付けするとよいと思います。
結局、だれも手を挙げませんでしたが、「ここにいます」と隣が上越と書いていると告げる子どもがいます。大勢は上越ではなさそうなので手を挙げなかった子どもは、ただ黙って下を向いています。授業者は、この発言をあえて無視しました。よい対応だと思いますが、こういったところでも、人間関係が難しいと感じさせられました。
最後の一つは必然的に上越になるのですが、一応手を挙げさせます。ほとんどの子どもの手が挙がりますが、ここで挙手させるのであれば、よくわからない、困った子どもに手を上げさせることをしてもよいでしょう。正解から始めるのではなく、困っているところから始めるのです。今回、答がわからなかった子どもがいたかどうかはわかりませんが、困っている子どもを起点にすることで、全員参加させやすくなることもあります。

なぜそうなったのかの理由を問いかけますが、挙手はやはり少ない状態です。ちょっと待ってから指名します。指名した子どもの発言に対して「わかった?」と全体に問いかけますが、挙手する子どもは先ほど理由を聞かれて挙手した子どもと同じです。なかなか子ども同士がつながりません。授業者はいったん発言者を席に着かせます。「わかったという人で○○さんの説明を受けて、みんなにわかるように説明してくれる人?」と再度声をかけると、今度は別の子どもが挙手をしてくれました。指名した子どもはしっかりと発言してくれるのですが、他の子どもの顔は上がりません。授業者は二人の発言を整理するのですが、やはり子どもたちは下を向いたままです。まず、顔を上げて発言者の方に向くことをしっかりと求める必要があります。
授業者は発言をしっかりと受容していますが、うまく他の子どもにつながりません。特定の子どもの発言で進んで行きます。子どもたちの間で「この教科で発言するのはだれだれ」と役割が決まってしまっているのかもしれません。
「梅雨がはっきりしていて気温が高い」「雲が山にぶつかって消える」といった、雨温図が浜松のものであるという、子どもたちから出た理由を整理し焦点化して、まわりと相談するように指示しました。すぐにまわりとかかわれる子どもと自分一人で考える子どもとに分かれてしまいます。後ろの子どもが前に座っている子どもの背中を軽くたたいて参加を求めることがあったのですが、無視されました。授業者は子ども同士をかかわらせることを意識して進めているのですが、苦しい場面が続きます。子どもたちの様子をしっかりと観察していましたが、特に個別に働きかけはしません。難しい局面ですが、まわりとかかわらない子どもに声をかけるといったことが必要だったかもしれません(うまくかかわってくれるという保証はないのですが……)。

相談を止めて挙手させますが、また3人ほどです。授業者は子どもたちの様子をよく観察していたので、相談していた様子から、「○○さんよく聞いていたけれど、どんな話が出た?」と話の内容を問いかけるとよかったと思います。
子どもの発言を全体で確認しながらまとめていくのですが、一部の子どもしか反応せず、板書を写すことに注力している子どもがほとんどでした。

季節風の影響で夏に雨が多いことの説明を板書してくれるように求めますが、子どもたちは反応しません。手元でまとめたわけではないので、板書するのは敷居が高いのです。そこで、授業者は地形の断面の略図を書いて、この図を使って説明するようにと問いかけ直しました。こういった柔軟な対応をするのですが、それでも挙手は数人です。子どもたちが発言しやすい雰囲気をどうつくるのかが大きな課題となっています。
授業者はこの問題をいったん置いておいて、上越の雨温図に移りました。無理に発言させずに、先に進んだのはよい判断だと思います。

今度も挙手する子どもは数人です。一人を指名したところ、この日ずっと手を挙げていた子どもが、また指名されなかったと机を軽くたたいて悔しがっていました。授業者は続いて「さっきから元気よく手を挙げていた○○さん」とその子ども指名しました。できる子どもが活躍の場がないために教室の雰囲気を壊すことがよくあります。よい判断だと思います。
この子どもの発言は、正しいのですが、非常に詳しすぎてとても長くなってしまいます。よくわからないと最初から思っているのでしょうか、まわりの子どもたちはまったく反応しません。隣同士で発言と関係なく説明し合っている子どももいます。授業者は「めちゃ長い説明だったけどわかった?」と発言者の隣の子どもに問いかけます。言われた子どもは困ったように笑って答えられません。授業者もよく整理できなかったと返します。すると、発言者が図をかいて説明したいと前に出ていきます。
図をかき始めると、子どもたちの顔が上がります。今度は説明をよく聞こうとしています。発表のさせ方も子どもたちを集中させるための大きな要素だと思いました。
先ほど「わかった?」と聞かれた子どもが小さく拍手をし続けています。よく分かったのでしょう。「しっかり聞いていたね。よくわかったみたいだね」と聞いている子どもをほめ、「わかってもらえてよかったね」と発言者も評価したいところでした。

その後、授業者がまとめていきますが、また子どもたちの顔が下がります。子どもかいた図に言葉を少し足していくだけなので、写すこともほとんどしませんでした。
季節風と地形の関係をからいつ雨が降るかを、先ほどとばした2つの都市について授業者が説明していきます。根拠となる知識を後から説明しています。
課題の解決のために必要な知識をどのように整理して与えるかを考える必要があります。授業者は用意した資料で十分だと考えたのかもしれませんが、結局資料の説明を自分がしています。そうであれば、課題に取り組む前にきちんと押さえておく必要がありました。理科でも学習したはずですので、最初に確認しておけばもっとすっきりしたと思います。
地形と季節風どちらかに絞って説明しておくという方法もあります。湿気を含んだ雲が山にぶつかって上昇すると雨が降るという事実を確認しておいて、季節風の影響については子どもたちに考えさせるということです。
思考の流れをどの程度コントロールするかという判断は難しいのですが、途中で作業を止めて、考えの根拠となることを焦点化することも必要だったと思います。

授業者は子ども同士をかかわらせたり、つないだりすることを意識していますが、なかなかかかわってくれません。聞くことをほめる、困ったことを共有する、間違いを価値付けするといったことを学校全体で取り組むことが必要だと、強く感じました。

この続きは次回の日記で。

企業の管理職研修で、互いに学び合う

企業の社内研修に講師の一人として参加しました。今回は課長級の管理職を対象としたものです。地区や部門の異なる仲間でチームをつくり、企画をつくる課題に1泊2日で取り組んでいただきました。

何かを企画するというのはそれほど簡単ではありません。しかも、同じ会社の仲間と言ってもいつも一緒に仕事をしているメンバーではありません。しかし、急造チームとは思えないほど、息の合った取り組みでした。ちょっとした飲み会もあったのですが、夜から参加した部長たちに企画に関して質問したりアドバイスを受けたりと、深夜までチームで課題に取り組んでいました。研修とは思えないほどの真剣さでした。特にすごいと感じたのが、苦しい作業が続いているはずなのに、どのチームも笑顔で、時には笑い声も聞こえてくることでした。この会社の強さの一端を見せていただいたように思います。

講師と言っても私たちが参加者の皆さんにアドバイスできることがそれほどあるわけではありません。中間発表などの情報共有の場面でちょっとした価値付けをしたり、企画に役立つような情報を提供したりするくらいです。時間のない中、限られた情報をもとにそれぞれのチームが質の高い企画をつくり、発表してくれました。それに対する部長たちのするどい質問やアドバイスは、欠点の指摘ではなくブラッシュアップするという視点からのもので、さすが上司というしかありませんでした。

皆さんの振り返りには、日ごろの仕事ではかかわりの少ない社内の仲間と一緒に課題に取り組めたことがよかった、チームの仲間や参加者からたくさんのことを学んだという声がたくさんありました。誰かが何かを教えたというのではなく、私たち講師や上司も含めて、参加者全員が互いに学び合った研修になったように思います。
とても充実した時間を皆さんと過ごすことができました。感謝です。

公開授業で学校の課題を考える

研究指定を受けている中学校の公開授業を参観する機会がありました。仕事の関係で午前中の2時間だけの参観でしたが、いろいろと考えることがありました。

たくさんの授業が公開されていたので一つひとつの授業を見る時間は少なかったのですが、いくつかの課題が共通として見られました。
まず、基本的に挙手による一問一答で授業が進んで行きます。子どもから言葉を出させよとしている方もいるのですが、挙手する子どもが少なくてもすぐに指名してしまいます。

子どもから正解が出るとすぐに授業者が説明してしまいます。わからなかった子どもができるようになる場面が意識されていないように思いました。質問の答や解き方が重視されていて、根拠やそれを見つける過程を共有する場面があまり見られませんでした。
子ども同士の考えをつなぐ場面が少ないせいか、子どもたちをかかわらせようとしても、なかなかかかわろうとしていない子どもが目につきました。

子どもに対する指示が徹底されていません。きちんと全員が指示に従うまで待てない方が多いように思いました。子どもを認めたりほめたりする場面もあるのですが、その逆に注意をする場面も多く目にしました。「聞きなさい」と注意をしたくなる気持ちはわかりますが、子どもの活動場面をうまくつくって自然に参加できるような場面をつくりたいところです。

ICTを積極的に使おうという姿勢が随所に見られるのですが、使い慣れていないように感じます。せっかくスクリーンに拡大して映していても、授業者がスクリーンに向かって話しているといった場面に出会います。この市ではICTの環境もよく整備されていて、有効活用の例も共有されているのですが、利用のポイントや活かし方がきちんと理解されていないようです。活用の意味を考え、形式的でない利用から脱却してほしいと思います。

いろいろと書きましたが、一番の問題として感じたことは、学校としてどこに向かおうとしているのかが先生方の授業からわからなかったことです。方向性がまだ手探りの状態なのか、どのように具体化していったらよいのかがまだ明確でないのかはよくわかりませんが、先生方が授業で共通して大切にしたいことをしっかり意識することができていないのは大きな課題だと思います。
次に訪問する機会には、この点に変化があることを期待します。

体育でペアをどう活かすかを考える

前回の日記の続きです。

11月の授業研究は体育の若手教師の授業でした。1年生男子の長距離走の記録測定の場面で、2学級の合同です。
準備運動でグラウンドをランニングします。この時の様子で気になったのが一方の学級で列が伸びていたことです。前を走っているもう一方の学級の倍近く伸びています。この状況は学級経営面でも何かあるのではないかと気になるところです。授業者がまわりの子どもに働きかけ、遅れている子どもへ声をかけさせて、同じペースで走るようにすることが必要だと思います。
ランニングの後整列して準備運動に入りますが、子どもたちの動きが悪いことが気になります。授業者はそのことを気にしているようには見えませんでした。
体育の係の子どもたちが前に出て準備運動をリードします。大きな声を出してテンションを上げていますが、他の子どもはそれについていきません。何拍も遅れて動いている子どもが目につきます。中には、何度も靴ひもを結び直して参加しない子どももいます。どうにも全体の動きがちぐはぐに感じます。子どもたちの一体感といったものが感じられないのが残念でした。

この日の長距離走の目標について確認、説明をしますが、子どもたちの顔が上がりません。それぞれがつくったペース表をもとに走るように指示しても、ペース表を確認しません。ペース表を意識して走ろうという意欲を感じませんでした。
ペアをつくって交代で走るのですが、相手は毎時間異なるようです。いろいろな相手とかかわる機会をつくるという考えでしょうが、長距離走の間は同じペアの方がよいように思います。互いのペースがわかりますし、進歩もきちんと評価することができるからです。
ペアをつくるまでに少し時間がかかります。授業者が次の指示をするのですが、子どもたちの動きが遅く、ムダな時間が多いことが気になります。しかし、授業者はそのことあまり頓着していないようです。授業者が求めていないのですから、当然、子どもたちの状態はよい方向へ変容していきません。

ペースの確認のために全員でグラウンドを一周します。子どもたちはリアルタイムに時間を知ることができないので、ペースの確認はそれほど簡単ではありません。グランド1週の時間はそれほどかかりませんから2回に分け、ペアの相手が「いいペースだよ」「ちょっと遅れているよ」とチェックするとよいと思います。

本番の測定では、走っているペアの様子を見ている姿が気になりました。ラップの記録を取る以外、ペアの姿をきちんと追っていないのです。よい記録を出せるために何かをしようという意志を感じません。ペアの関係ができていれば指示や励ましの声が出るはずですが、ゴール前にさしかかっても、「ラストスパート!」「頑張れ!」「あと○○秒」といった声は聞こえませんでした。
ゴールした後、すぐに止まってペアの心拍数を測ります。これも単に記録を取ることです。ペアの頑張りをたたえたり、走りに関して何か話したりするわけでもありません。伴走してしばらくクールダウンをさせながら、コミュニケーションを取るような場面がほしいと思いました。自分の走りに対して仲間から認められたり、声をかけられたりすることは、個人競技ではとても大切なことだと思います。これでは、孤独に走るだけになってしまいます。
授業者は子どもたちどうあってほしかったのでしょうか。思いが伝わってきませんでした。

最後に、反省を書かせましたが、反省よりもできるようになったこと、進歩したことを大切にしてほしいと思います。その上で、次回は何を意識して取り組むのか、活動の計画を立てるのです。できなかったことばかりを振り返れば、苦手な子どもは自信がなくなります。振り返るにも、一生懸命であればあるほど自分のことはよく見えません。ペアがよかったところ、進歩を伝えることが必要だと思います。
個人競技だからこそ、友だちとのかかわりを大切にしてほしいと思います。

体育の先生方による授業検討会では、先輩教師から、自分の授業での工夫を教えていただけました。私にとっても大いに参考になるものばかりです。しかし、その中で少し気になることがありました。座学は苦手だが運動ができる子どもを、体育の授業で活躍させたいというのです。体育の係にして全体を引っ張らせるそうです。たしかに、子どもたちが学校生活のどこかに輝く場所を持つことはとても大切です。しかし、運動の得意な子どもを体育の時間に活躍させるというのは、運動ができた人の発想でしょう。運動や音楽、何か人より特に優れているものを持たない子どももいます。体育の時間だからこそ、運動が苦手な子どもが評価されることを大切にしてほしいと思います。例え係にしなくても、得意な人は必ず活躍して評価されるものです。だからこそ、そうでない子どもにどうやってスポットを当てるか考えてほしいのです。私からはこのことを体育の先生方にお願いしました。

力のある体育の先輩がたくさんいる学校ですので、多くのことを学べると思います。授業者のこれからの成長が楽しみです。

ベテランの英語の授業の進化に感心する

前回の日記の続きです。

10月は英語の授業研究に参加しました。ベテランの先生のTTによる3年生の授業です。
授業者(T1)は常に授業に工夫をされている方です。"situation"や"root sense"を大切にした授業を目指されています。

TTをうまく活用しています。最初に2人でこの日学習する文法事項を組み込んだ会話を行います。子どもたちの集中して聞いている様子から、わかろう、わかりたいという意欲を感じます。
ハローウィンが近づいてきているのでT2がミートローフを2種類つくったと写真を見せながら英語で話します。中には体を乗り出して写真を見ようとする子どももいます。ここで授業者(T1)が"How did you make it? I want to know how to make it."と質問し、T2が"Ok. I tell you how to make it."と答えます。この"how to 〜"がこの日学習する文法事項です。授業者(T1)は、この表現を確認するために、"She said, “I tell you how to make it."“と繰り返します。
会話が終わった後、聞き取れたことを自然に確認し合っています。子どもたちの様子から、考えようとしていることがよくわかります。
授業者は余計な説明をせずに、もう一度会話を繰り返します。ミートローフをつくったというくだりはどの子どもたちは理解できているのか、とてもリラックスして聞いています。しかし、この日学習する文法事項の場面になると、一気に集中が増します。わからないところを理解しようと真剣に聞いているのです。
文法事項を学習するための"situation"がコンパクトに構成されています。とてもよい導入のための会話だと思います。
2回目が終わると子ども同士相談させます。子どもたちはしっかりとかかわり合っています。どうやってつくったのかを聞いていることは、理解できたようです。問題はここからこの日の文法事項をどう理解させ、使えるようにするかです。

授業者は、"I want to know what?"と問いかけ、焦点化していきます。子どもたちからは、言葉ができません。そこで、もう一度会話を見せます。
終わった後、"What dose ○○(授業者の名前)want to know?"と聞きます。焦点化してから会話を聞かせ、質問したので、今度は子どもたちから"how to make……"と声が上がってきます。普通ならここで授業者が説明をしたくなるところですが、隣同士で相談させます。とてもよい対応だと思います。
子どもたちは、よく話し合っています。会話の時にわからなくてちょっと集中力が切れていたような子どもも参加しています。わかった子どもはうれしそうに一生懸命に説明しています。授業者は子どもたちの様子を間に入って見ていましたが、声がおさまってきたので前に立ちました。T1、T2が前に立って姿勢を正して子どもたちを見ていると、自然に話をやめて授業者に集中します。一言も指示をせずにこの状態をつくりました。子どもたちがよく育っていることがわかります。

再び、"What dose ○○(授業者の名前)want to know?"と聞きます。子どもたちが口を開くタイミングがわからなくて止まっているので、"She"と誘い水を出しました。子どもたちは、"She" “wants" “to" “know"と一語ずつ言葉を出し始めます。その一言一言に授業者がうなずくと、それに合わせるように子どももうなずきます。"how to make it."と答を言い終ると授業者が拍手をします。それに合わせて子どもたちも一生懸命拍手をします。何も説明されずに、自分たちで答えることができたという満足感があります。一体感のある教室でした。
ここまで、授業開始から8分経っていません。非常に密度の濃い時間でした。

ここから、"○○(T2の名前), do you play Uno?" “Yes, I do." “She knows how to play Uno."と別の"situation"で練習です。しかし、ちょっと急ぎ過ぎのように思います。先ほどの"how to make"は1回言っただけです。全体で何度か繰り返し、定着させてから次に移りたいところでした。同様に"how to play ‘kendama'"と続きますが、子どもたちは黙って聞くだけです。続いて、"Do you write ‘bara' in kanji?" “No, I don't know."とやりとりをした後、今度は、"She"と文頭を言って、続いて"doesn't know how to write ‘bara' in kanji."を子どもたちに言わせます。聞かせて理解したことを使って、子どもたちに言わせるのはよいのですが、これまでの練習では肯定文ばかりで、いきなり否定文での練習です。ちょっと"contrast"が大きいように感じます。せっかく、少しずつ変化をさせて練習をしているのですから、都度子どもたち言わせて、練習量を増やしたいところでした。
“Do you swim fast?" “No, I don't."に対し、"She doesn't"に続いて"swim"と言いかけ、子どもたちが止まりました。"how to 〜"を使うパターンにならないことに気づいたのです。そこで授業者は、「困った時は?」と問いかけ、まわりと相談させます。子どもたちは笑顔でかかわり合います。
子どもたちがしっかり理解できたころ見計らって、もう一度"Do you play ‘kendama'?"から復習をします。"She knows how to play kendama."と言わせ、同様に"how to play Uno" “how to write ‘bara' in kanji"と練習します。先ほど困っていた"swim fast"も、今度は"She doesn't know how to swim fast."と言うことができました。

「今日やること大体わかった?」と問いかけるとほとんどの子どもたちの手が挙がります。続いて、"Earthquake happened in Tottori. Do you feel earthquake?"とその前の週にあった地震の話をします。授業者は前の席の子どもと何か話をし、"She knows how to protect yourself in earthquake."と全員に伝えます。"Do you know how to protect yourself in earthquake?"と子どもたちに問いかけると、何人かの子どもが手を頭にあてて地震から身を守る姿勢を取ります。外へ逃げるという子どももいます。子どもたちは英語を理解したという実感を持てていると思います。ここまで授業開始から15分です。子どもたち自身で考え理解する、よく工夫された展開でした。

続いて教科書に入ります。この日の内容は避難訓練の説明の文章です。鳥取の地震をうまくつなげていました。授業者は教科書を広げさせて範読します。ここまで、子どもたちはしっかりと聞いて理解していたので、教科書を見せずに理解させたいところでした。文法事項は既に理解できているので、新出の語句や不安なものだけをまず練習しておいてから、聞かせるのです。
何をしろと書いてあるのかを隣同士で相談させます。しっかりと聞き合えているペアもありますが、教科書を見て内容を理解しようとしていて、話しだせないペアもあります。時間の関係もあるでしょうが、できれば教科書なしで何度か聞かせてから、相談させたいところでした。文字面を追うことにあまりとらわれなくてもよいように思います。きちんと聞く話すができれば、読み書きは単語のつづりを覚えることでクリアできるはずです。子どもたちは集中して聞くことができるので、もっと聞く練習をさせるとよいでしょう。その上で、「わからなかったら教科書を見てもいいよ」と、本文を確認させればよかったと思います。
授業者は、緊急事態にどうしろと書いてあるのかを、地震の場合、火事の場合と教科書の英文を元に確認していきましたが、子どもたちはしっかりと答えることができました。

ワークシートを配って単語の練習を始めます。発音や意味を確認して練習しますが、ここからは従来の"pattern practice"です。これを否定しませんが、これらは本文を理解するために必要な情報です。であれば、本文に取り組む前にしっかりとやっておき、本文はそれを活用するための材料として使えばよいと思います。
子どもたちは、さきほどは、直訳にこだわらずに自分の言葉で説明していました。要約の形でそれをまとめさせればよいのですが、ワークシートには対訳があります。それを使って、日本語を英語に、英語を日本語に直す練習をペアで行います。子どもたちは相手の言葉の表す"situation"を英語や日本語で表現しているのではありません。言われた言葉をきっかけに暗唱しているだけなのです。せっかく"situation"を元に英語を理解していたのに、従来の暗唱の授業に戻ってしまいました。ペアを変えて練習をやり続けますが、だんだんテンションが上がっていきます。しっかり覚えてきたので、頭を使う必要がなくなっているのです。機械的な作業になってしまいました。
この練習の最後に、与えた時間内に全文を読めるか速読させます。速さを追求すると発音やイントネーションがおろそかになります。私には速読を英語の授業に取り入れる理由がよくわかりません。英語でコミュニケーションをとるための力と速読とは関係ないと思うからです。
また、この日学習した疑問詞+toが他の文の中に埋没してしまいす。ここは、子どもたちがこの日の学習したことを使う"situation"で、生きた言葉で会話をする練習をさせたいところです。疑問詞を使ってたずね、それをもとに疑問詞+toを使って言い換えるといった練習です。
導入部分と同じような教材研究が追加で必要になりますが、是非挑戦してほしいと思います。

最後は"listening"です。授業者は"listening"のポイントは何かを問いかけます。日ごろからこのことを意識しているのでしょう、子どもからは推測という言葉が出てきます。設問から、どういう言葉が出てくるのか推測して、聞き取りで注意をすべき言葉を考えるということです。3年生ですので受験を意識しているのはわかります。しかし、ちょっと本質とはずれているように思います。また、もし試験の形式が"listening"の後に問題文が提示されるようになった場合には全く役に立ちません。今後増えてくるであろうCBT(Computer Based Testing)なら、設問は後になると思います。
子どもたちに予測を相談させますが、しっかりとかかわり合えています。問題の文章を"listening"した後も、自然にまわりと相談しています。2回聞いた後、答にたどり着くまでにどんな単語が聞き取れたかを子どもたちに確認すると、いろいろな言葉が上がってきます。その上で、答の確認をしていきました。通常は答がわかって終わりになりますが、授業者は、何でそれでよいのか、もう一度聞いて確認させます。これはとてもよい活動です。わからなかった子どもは、答を聞いても聞き取れるようにはなりません。もう一度聞いて、自分が聞き取れなかったところ聞くことで力がついていくはずです。どの子どももとても集中して聞いていました。聞き終わった後、設問の答ではなく、話の内容を子どもたちに質問して確認します。設問の答を出すことではなく、聞き取ることを大切にしていることがよくわかります。受験対策と"listening"の力をつけること、両方を工夫していました。

この学校に赴任されてから2年目ですが、授業が本当に進化していると思います。ベテランが前向きに授業改善に取り組んでいることが、若い先生方に対してもよい影響を与えています。この学校の英語の先生方は、学年ごとに互いに相談しながら授業づくりをしています。若い方が多いですが、着実に力をつけています。ベテランの存在の大切さを改めて実感させられました。
この学校の英語が今後どのような進化をしていくのかとても楽しみです。

この続きは次回の日記で。

理科の実験でのポイントを考える

前回の日記の続きです。

この日は理科の要請訪問があり、若手が研究授業を行いました。1年生の赤ワインの蒸留の実験でした。
まず、復習です。「沸点」とは何かを確認します。挙手は1/3ほどですが、授業者はすぐに指名をします。指名した子どもは「沸騰する温度」と答えます。授業者は目の前にいる子どもにも確認して、次に進みます。テンポよく進めようとしているのがわかります。しかし、挙手が少ないことが気になります。まわりと確認させてから、挙手に頼らす指名して進めるとよいでしょう。また、沸点と同時に、沸騰とは何かをきちんと押さえておきたいところです。気化(蒸発)と沸騰の違いも混乱しやすいので、しっかりと確認しておく必要があります。
確認を続けますが、なかなか挙手は増えません。子どもたちはわかっているのでしょうが、積極的に参加させたいところです。指名された子どもは笑顔で席に着きます。他の子どもにも笑顔が見られます。授業者と子どもたち、子ども同士の関係は悪くないことがわかります。
一つひとつ挙手指名で確認していきますが、どうしてもテンポが悪くなります。挙手に頼らずどんどん指名すればよいと思います。

この日の実験の説明に入ります。赤ワインを見せて、成分が水とエタノールであることを伝えます。よく反応する子どもから「消毒を飲んでいるの?」という声が上がります。授業者はこういったつぶやきにも反応します。悪いことではありませんが、あまり反応しすぎると授業のテンポが悪くなったり、調子に乗ってテンションを上げてきたりする可能性があります。このあたりを見極めて対応することが必要です。
どうにかすれば、赤ワインから水とエタノールを取り出せることを伝えて、今日のめあてを何にするか、子どもたちに考えさせます。すぐに何人かの子どもが、「沸騰しよう」「水とエタノールを取り出そう」と反応します。授業者はそれを受けてすぐに、「赤ワインを加熱すると水とエタノールを取り出せるのかを調べよう」と提示します。めあてを考えさせることで子どもたちを主体的にさせようとしているのでしょうが、これでは天下りで授業者が示すのと変わりません。また、いきなり「加熱」という言葉が出てきますが、それがなぜなのかもはっきりしません。子どもが疑問や興味を持つ場面や、課題を共有するための時間が必要です。
「水とエタノールを別々に取り出せそう?」と子どもに問いかけ、どうすればできるのか、それでうまくいくのかと全体で考えさせたりすることで、初めて子どもにとっての課題となっていきます。そういうやり取りを全体ですることが大切です。

実験の手順を書いたワークシートを配って、実験器具を見せながら手順の説明を始めます。すぐに実験の手順をこちらから示すのではなく、今までの知識をもとに、どのようにすれば水とエタノールを取り出せるのかを考えることが必要です。それが正しいかどうかを確かめるのが実験です。子どもたちの意見が分かれれば、どうすればどちらが正しいか確認できるのか、もし自分の考えが正しければ実験結果はどのようになるのかといったことを考えるのが大切です。こうすることで、実験結果がどうなるか、興味を持って取り組むはずです。指示されてその通りに実験しても子どもたちは主体的になりませんし、科学的なものの見方・考え方も身に付きません。

授業者は実験器具を見せはしますが、説明は口頭です。これでは具体的にどうすればよいのかよくわかりません。この日の実験は赤ワインを沸騰させるのでやけどの危険性もあります。手順はできるだけ具体的に示したいところです。時間を短縮したければ、ビデオを撮っておいて見せるという方法もあります。
口頭での説明が続くので、一部の子どもたちは集中力を失くしています。火を止める時に逆流に注意をすることを、ガラス管と試験管を見せて説明しますが、後ろの方の子どもたちには小さくてよく見えないので、ますます集中力を失くしていきました。
実験の準備を始めさせてから、大切なことを言い忘れたことに気づいて、追加の説明を始めます。実験器具を持ったまま立っている子どももいます。大切な指示なので、いったん全員席に着かせてから、話をするべきだったでしょう。

子どもたちが実験器具を設定するのにもたついています。「先生」「先生」とあちこちから声が上がります。口頭での説明ではよく理解できていないのです。実験のポイントとなるところも具体的に見せていないので、フラスコとガスバーナーの炎との位置関係もよくわかっていません。炎が近すぎて、突沸した赤ワインがそのままガラス管から流れて失敗する班もあります。次第に子どもたちのテンションが上がっていきます。雑然とした状態で実験が進みます。子どもたちは、ただ、実験器具を使って作業をしているだけで結果に興味を持っているのではありません。実験していること自体を楽しんでいるのです。
失敗した班には赤ワインを再度配って、実験をやり直します。この時点で授業時間が足りなくなることが予想できます。

実験をいったん終えて、一度集中させます。予定通り蒸留した液体を3本集められた班は2/3ほどです。その中身の確認ができた班は半分ありませんでした。確認が終わっていない班、3本集められなかった班には集めることができた分の確認をさせます。結局、実験結果の考察をする時間を取ることができずに終わってしまいました。

子どもたちが何をすればよいのかがよくわからないまま、口頭での指示で実験を行ったため、手際よく進めることができませんでした。正直言って、事故が起きなくてよかったという状態でした。どのように指示をすれば子どもたちに伝わるかを、もっと意識する必要があります。
また、ただ作業するだけの実験では意味がありません。子どもたちは授業者の指示通り動き。実験の正しい結果を知るだけです。結果がどのようになるかを予測したり、仮説を持ったりして取り組むことが大切です。子どもたちに科学的な思考をさせることを意識して授業を組み立ててほしいと思いました。

この続きは次回の日記で。

「愛される学校づくりフォーラム2017 in名古屋」の申込み開始

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「愛される学校づくりフォーラム2017 in名古屋」の申込みが開始されました。「愛される学校づくり研究会」の公開研究会として、会員が4つのテーマで「カリキュラム・マネジメント」の実際を提案する午前の部と、「授業研究の成果があがっていない」「日常の授業改善が進まない」などの課題を踏まえた授業改善の方法を、模擬授業を通じて考える午後の部の2本立てです。

午前の部は、
教育課程を軸とした学校づくり
ミドルリーダーの育成
校務情報を学校経営の手助けに
地域連携
の4つのテーマで各グループが発表し、コーディネーターとの質疑応答を通じて、会場の皆さんと「カリキュラム・マネジメント」について考えていきます。

午後の部は、2名の授業者による国語、社会の模擬授業をもとに、ICTを活用して授業アドバイス、検討を行います。毎年提案授業を楽しみにしていただいていますが、今年度は若手が増えてきている学校現場の実情を考え、現役の教員養成課程の大学生に授業者になってもらい、授業改善のアドバイスを行います。もちろん達人の模擬授業をもとにした授業検討も用意されています。若手の授業に対してどのようなアドバイスが有効なのか、ベテランの授業からどのようなことが学べるのか、会場の皆さんと一緒に考えます。
引き続き、2つの模擬授業の授業アドバイス、授業検討を振り返りながら、授業改善のポイントをコーディネーターとともにまとめていきたいと思います。

日 時  平成29年2月19日(日) 10:00〜16:30(受付開始 9:30)
会 場  東建ホール・丸の内
※名古屋市営地下鉄桜通線・鶴舞線「丸の内」駅下車1番出口より徒歩1分
参加費  1人 3,000円

なお、入場券を事前に申し込んだ方には、「EDUCOM教育フェア2017」の招待券が届きます。この招待券は、近隣のお食事処で利用可能なお食事券と当日引き換えができます。

詳しい案内と、申込みについては、愛される学校づくり研究会のHPフォーラムのコーナーをご覧ください。

道徳で、子どもたち自身の問題として考えさせる難しさを感じる(長文)

前回の日記の続きです。

9月の訪問時に、ベテランの先生の道徳の授業を参観しました。道徳の研究会での研究の一環として新しい授業の組み立てに挑戦されたものです。自分が担任している学級でないので、雰囲気づくりに苦労しているように感じました。

授業は、レ・ミゼラブルの銀の燭台を扱ったものです。本文を子どもたちに配ってから範読をします。子どもたちは手元の本文を見ながら集中して聞いていました。
本文は最後に、盗みをかばってもらったジャン・バルジャンが司教から銀の燭台を渡され、「正直な人間になるためにこの銀の食器や燭台使うと約束したことを忘れないで」と言われ、ただ震えているばかりだったというところで終わっています。
授業者はジャンがどうして震えていたのかを子どもたちに淡々と問いかけます。子どもたちは一瞬動きを止めて考えましたが、すぐに本文を読み返し始めました。国語の読み取りに近い状態です。本文が手元にあるとこうなるのが一般的です。このことをどう考えるかで、本文を配るかどうかの判断が分かれると思います。子ども自身の気持ちや考えを引き出すことを優先するのであれば、本文は手元にない方がよいように思います。

子どもたちは個人で静かに考えています。しばらく時間を与えた後、子どもたちに挙手を求めますが、なかなか手が挙がりません。声をかけた子どもが答えられなくても、特に答を求めて迫ることはせずに、「まだ、考えているの」と受容します。子どもたちが答えやすい雰囲気をつくろうとしているのがよくわかります。一人の子どもが挙手してくれたので、考えを聞きます。盗んだことがばれているのに、許してくれたことと答えます。表面的な答です。挙手が続かないので、授業者はダジャレを言って雰囲気を和らげようとします。反応してくれた子どもを指名すると、司教が憲兵に嘘をついてまでして、許してくれたことが怖くて震えているという意見です。授業者は子どもとやりとりしながら考えを整理して板書しますが、その考えをもとに掘り下げようとはせずに、次の子どもを指名していきます。許されることで、自分は何て悪いことをしたんだろうと思って震えていたという意見が出ます。この3つの意見が出たところで、自分の意見がどれに近いかをたずねます。挙手させる前に授業者は、それぞれの意見を感情込めて「何で……なんだろう」とちょっとテンションを上げて確認します。こういった迫り方はこの授業者の持ち味ですが、この場面までは見ることができませんでした。
手を挙げさせた後、1回も手を挙げていない子どもを確認すると、数人が手を挙げました。授業者はその子どもたちに考えを聞きます。子どもたちの言葉を引き出すよい方法だと思います。指名された子どもは、銀の食器を見せてわざとジャンに盗ませたという考えです。ジャンが悪い人なので、改めさせるためにそうしたというのです。授業者が、そこまで考えて司教が行動したことにジャンが気づいて震えたと整理をすると、子どもたちから「あー」という声が聞こえてきます。なかなか面白い読み取りですが、ちょっと方向がずれていきます。話の内容はきちんと共通で押さえておかないとこのようになってしまう可能性があります。
授業者は「司教の考えの深さ」と板書して次に進もうとしますが、違う考えがあるかもしれませんので「他の人、いい?」と念を押します。すると、一人の子どもが意見を言いたそうにしているのに気づいて、「聞かせて」と発表させます。ていねいに子どもたちを見て対応しています。銀の食器や燭台を得る代わりにする約束がむちゃくちゃ大きいという意見です。授業者は「あー」と大きく反応して受容します。「それだ、という人」と問いかけると、手を挙げかけて引っ込めた子どもがいます。その子どもに声をかけて、「言った方がいい?あなたに任せるよ」と子どもの気持ちに寄り添おうとします。すると、「言った方がいい」と立ち上がってしゃべり始めました。「ジャンは今までしてきたことをいつものようにしたが、司教のしたことで自分はなんてことをしてきたんだろうと、自分が憎い、悔しい気持ち」という意見です。この話をよく分かっていないためにジャンを盗みの常習者のように思ってしまっています。範読しながらジャンがなぜ盗みを働いたのか、何を盗んだのかをきちんと押さえておく必要があったようです。授業者はこの意見もしっかりと受容しました。
もう意見を言いたい人がいないことを確認して、「ここまで、みんなはしっかりと考えてくれた」と評価し、次に進みます。先ほどの子どもからでた大きな約束とは何かを確認しますが、子どもたちは今一つ反応しません。授業者が声を出すようにうながすと、子どもが本文を見ながらつぶやきます。どうしても客観的な文章の読み取り中心になってしまい、子どもたち自身の問題になっていないように感じました。

ここで「ジャンはこれからの人生どうやって生きる?」と問いかけます。「みんなも自分が壁にぶつかることがあるけど、その時、隣に友だちがいない、相談できないことがあるでしょう」と相談なしで、自分がジャンだったらどうするか考えるように指示します。
まず自分で考えることは否定しませんが、ちょっとこだわりすぎだと思います。苦しい時に相談できる子どもになることも大切なことです。あえて、相談できない状況を強調する必要はないと思います。また、自分がジャンだったらと主人公に引き寄せさせようとしますが、ジャンのこれまでの背景をきちんと押さえていないのでちょっと無理があります。また、ジャンの気持ちになるにも、今の子どもたちにこんな過酷な状況はなかなか実感を持って想像できません。自分ならとどうすると言っても、かなり難しいことと思います。
紙に書くのではなく、頭の中で考えさせます。ねらってのことなのかはよくわかりませんが、言葉として出力していないので揺らぎやすい状態です。友だちの意見を聞いている内に自分の考えが変わるかもしれませんが、意見が変わったことを意識することもしづらいと思います。
自分の考えがまとまった子どもを立たせます。見える化ですが、まだの子どもにはプレッシャーがかかります。意図的なのでしょう。立っている子どもにつられたように、次々に座っていた子どもが立ち上がります。1分ほどで、ほぼ全員が立ち上がります。授業者は立ち上がっていない子どものところに行って、まだ迷っているのなら、座っていていいと声をかけます。きちんと全員を見ているのは立派です。その間、すぐに起立した子どもはすることがありません。しゃべったりはしませんが、ごそごそと身体を動かす子どもが目立ちました。

「誰から教えてくれる?」と聞くと、1/4ほどの手が挙がります。授業者は「うれしいわー、この人たち」と声を出します。子どもたちが前向きになるような言葉を上手に使います。
最初に指名した子どもは、「食器や燭台を売って、そのお金でまっとうに暮らして姉と子どもも養う」という意見です。発表の間、子どもたちの体がゆらゆら揺れます。友だちの考えがどうなのか気にならないように見えます。授業者がその意見をまとめて板書している間もなかなか集中しませんでした。この後、同じ意見の人を座らせますが、たとえ同じでももう少し聞いてみたい気がします。
次に、「正直になると約束したから、売らないで自首をする」という意見が出てきます。「自首した後どうするの?」と、同じ意見の人たちに聞ききます。一人目は、その後働くという答です。子どもたちの答にどうにもリアリティがありません。「自首したら、また刑務所に入れられるけど自首をする?」と揺さぶりたいところです。「それでもあなたは自首をする?」と自分のこととして考えさせるのです。次の子どもも同じ答ですが、授業者は姉と子どもはどうすると問い返します。その子どもは「自分だけ」と答えました。授業者は「姉と子どももという人もいるけど、自分だけという人もいる」と焦点化しますが、次へ進むことを優先します。まだ立っている子どもを指名しました。
次の子どもは、「ジャンは19年間の監獄生活で人とどうやって接したらいいかわからなくなっているので、この先うまくいかなくて死んじゃう」という意見です。授業者が「自分ならどうする」と何度も言っていたのですが、他人事です。子どもたちが他の意見を真剣に聞かないのはどうもここに理由がありそうです。
続いて、「ジャンは元々いいやつだから司教に言われたことで目覚め、銀の食器や燭台を返してそこからちゃんと仕事して、誰よりも頑張って、姉と子どもと一緒に幸せに暮らす」という考えがでてきます。これも他人事です。
この後も他人事の意見が続きます。授業者は、子どもの言葉を受容して板書をしますが、それ以上は切り返すことはしませんでした。

最初の自分の意見から変わっていいからと、これまで出た意見の中から自分がとる行動を選択させます。挙手で確認した後、「これ、どうして?」と聞いてみたい意見があるかをたずねます。「あるでしょう?」と目の前にいる子どもに迫りますが、質問は出てきません。そこで、まずそれぞれの答を選んだ理由をたずねることにします。「売らないで一生懸命に働く」を選んだ子ども3人を立たせて、聞きます。「司教の恩を忘れない」という言葉が出てきます。授業者は「恩」という言葉が付け加わっていることを強調します。上手く言えない子どもに続いて、もう一人は、「罪を犯したから他の人と同じだけ働いても償いができない。だから、他の人以上に働く」と言います。よいことを言っているのですが、これもちょっと離れて見ているように思えます。授業者はこの意見に対して聞きたいことはないかとたずねますが、やはり反応はありません。
「銀の食器を売って働く」を選んだ子どもは、「現状が厳しいから、売ってお金をつくらないと生きていくことが苦しい」と言います。本音に近いところが出てきています。同じ行動を選んだ子どもたちは、この意見に同意して全員着席しました。ここは、この本音の部分を何人にも聞いて焦点化して、売らないと言っている子どもに、「こういっているけど、どう?それでもやっぱり売らない?」とつないでいきたいところでした。

最後に、よく考えてくれたけれど、今日のテーマはいったい何だったんだろうかと問いかけ、ジャンのその後を話します。ここでジャンのその後を話しても、お話ですから説得力はありません。子どもたちからもあまり反応が出てきませんでした。
そして、この日のテーマと感想を、なるほどと思った友だちの考えを入れ込んで書くように指示しました。「テーマが何かわからない」という声が上がったので、とばして感想を書くようにと伝えます。授業者としては、人はやり直し、立ち直ることができることをテーマにしていたのですが、そもそも「やり直せない」と思っていないので、このことはあまり意識されなかったのです。

今回の授業は、私の知っている授業者の授業イメージとは異なりました。実は、今回の指導案の流れは、研究会を指導している先生のスタイルを踏襲していたのです。このスタイルでは、授業者は積極的に子どもの意見に対して切り返したり、揺さぶったりしないようです。子どもたちが友だちの意見を聞きながら変容することを大切にしています。授業者としては、切り返したり焦点化したり、揺さぶったりしたかったと思いますが、それをぐっとこらえているように見えました。
今回、子どもたちが自分の問題としてとらえにくかった大きな要因は、この話が子どもたちにとってリアリティがないことだと思います。まず、ジャンが銀の食器を盗もうとする場面で、「親切に食事と宿を提供してくれた人のものを盗むってありえなくない?」と揺さぶったりすることが必要でしょう。子どもたちから、「刑務所に19年も入っていたら仕事もない」「この先、暮らしていけない」「盗むしかない」といった言葉を引き出すのです。その上で、司教から「正直な人間になるため……」と言われた後、「あなたなら」どうするかを問いかけるとよかったと思います。子どもから出た意見に対して、先ほどの「仕事がない」「盗むしかない」という考えと対比させて「本当にできるの?」と揺さぶったりすることで考えが深まり、大切なことは自分の意志であるといったことに気づいてくれるのではないでしょうか。

異なったスタイルの授業に挑戦することは素晴らしいと思います。その上で、自分のスタイルとどう融合させていくかが大切だと思います。与えられたスタイルにとらわれず、授業者の思いをそこに組み込んでいけばよいとアドバイスさせていただきました。

この続きは、次回の日記で。

子どもたちの気がかりな変化

2学期に3回訪問した中学校では、1、2年生の子どもたちに気になる変化を感じました。

1回目は、体育大会が終わった後の訪問でした。
しっかりとやり切ったのでしょう。学校全体はよい雰囲気でした。夏休み前はちょっと心配していた1年生ですが、一部の学級を除いて授業規律もよいように思いました。ただ、授業者によって子どもたちの態度が異なるということは依然としてあるようでした。学年で統一して取り組もうとしているのでしょうが、中々意識が統一できないようです。
2年生は、特に大きな変化を感じることもなく、落ち着いて授業に取り組めているようでした。

ところが、合唱大会の少し前に訪問した時に、変化が起きていました。
1年生で、以前は一部の時間や学級でしか見られなかった、授業に集中していない子どもの姿が、どの授業でも目につくようになっているのです。このこと自体はよくあることなのですが、問題は授業者がそれをスルーしていることです。気づいていないのか、見ようとしていないのかはよくわかりません。しかし、放置しておくということは、子どもからすればその行為は許されたことになります。ヒドゥン・カリキュラムです。今の段階であれば、4月当初のように、望ましい行動を確認し、できた子どもを認め、できていない子どもができるまできちんと待ち、そのことをほめることすれば、よい方向へ変わっていくはずです。
2年生は、一見すると大きな変化が無いように見えます。授業規律が乱れているということおありません。しかし、わかりたい、できるようになりたいという前向きなエネルギーが感じられなくっています。このことは、合唱大会の練習風景にも表れていました。
この学校の合唱大会は準備期間も長く、毎年子どもたちの。素晴らしいものにしたい、勝ちたいという意欲、エネルギーを感じさせられるものですが、どうも今年はそのエネルギーが低いように思えるのです。2、3年生は昨年と比べて明らかに子どもたちから感じる意欲が低下しています。
先生方とお話をしてみると、ベテランの方はこのことに気づいておられます。当然それなりの対応をされるでしょうから、それほど心配はしませんでした。

さて、2学期末の試験前に訪問したところ、合唱大会は例年通り素晴らしいものだったと報告を受けました。きっと先生方が、ちゃんと対応されたのでしょう。授業でも子どもたちが落ち着いて参加する姿が期待されます。ところが、教室を回ってみると、子どもたちの様子は私の想像とは大きく違っていました。
1年生は、今までぽつりぽつりと点で見えていた気になる子どもたちが、明らかに増えているのです。どの学級にも学習に対して意欲を失くしている子どもの姿が見られます。それに対して先生方が働きかけをしていません。放っておかれているように見えます。なにも、口うるさく注意しろと言うのではありません。その子どもたちが授業に参加できる場面を意図的につくるのです。ペア活動やグループ活動でかかわり合うように、ちょっと声をかける。困っているところ聞いてやる。そういったことを積み重ねるのです。
そして気になるのが、そういった子どもたちがつながりだしているということです。授業者の目を盗んで、つながろうとしているのです。あまりよい表現ではありませんが、ブラックホールのようにまわりを巻き込みだしているのです。
一方2年生ですが、1年生のようなことはないのですが、どうにも子どもたちが緩いのです。一緒に授業を見ていた先生が、フワフワしているという言葉を使われましたが、まさに言い得て妙です。授業の開始時、どの学級も異様にテンションが上がります。授業が始まっても、どこか集中していません。この学校で子どもたちのこんな姿を見たことは、ここ何年も記憶にありません。行事の余韻が残っているにしても、時間が経ちすぎています。この変化はとても気になります。

行事を通じて、子どもたちの交友関係に変化があった時など、新しい人間関係が授業に持ち込まれて、落ち着かなくなることがあります。これは、文化祭でのグループ作業や、修学旅行や校外学習などの小集団での活動が中心となる行事の後で見られることがあるのですが、合唱大会の後ではあまり見たことがありません。いずれの学年の問題も、管理職や主任層、ベテランは認識しています。しかし、その危機感や指摘がどうも若い先生と共有できていないことが問題のようです。端的に言うと、若い先生がこの状況を悪い兆候だと実感持ってとらえていないのです。
1年生で言えば、気になる子どもはいても席を立ったり授業を妨害したりするわけではありません。授業は通常通りに大過なく進んで行きます。2年生で言えば、テンションが高いのは、子どもたちが参加していることの現れともとらえることができます。楽しくやっているし、個人作業の課題を与えればちゃんと鉛筆を持って取り組むので、問題ないと考えているのかもしれません。
経験のある方は、こういったことが、今後急激に学校が落ち着かなくなる兆候ととらえることができるのですが、そういった経験がない若い先生はその実感がありません。特にこの学校しか知らない方は、そういった状況を見たことがないのです。

生徒指導主事や教務主任とも話をさせていただきましたが、担任の先生方を中心に学校全体で取り組んでいかなければいけない問題です。経験の少ない方が多いので、単なる警告だけでなく、どう対応していけばよいのか具体的に伝えなければいけません。
今後主任層を中心に対応をしてくださると思いますが、次回訪問まで少し期間が空くのでちょっと気がかりです。

この3回の訪問で、いくつかの授業研究もありましたが、それについては次回以降の日記で。

行事での子どもの姿から、学校経営の難しさを感じる

学校評議員をしている中学校の2つの行事を通じて感じたことです。

体育大会でのことです。
以前と比べて生徒数が減ってきていますが、人数が減ったからといって、子どもたちのエネルギーそのものは変わっていないようにこれまでは感じていました。しかし、今年度は少し違った印象を持ちました。
一言で言うと「躾けられている」です。子どもたちの強い意志を感じなかったと言い換えてもよいかもしれません。合わせて気になったのは学年によって子どもたちの様子がかなり違って見えたことです。特に、他学年の競技を観戦している時の姿に違いを感じました。
3年生は、そろって声援しているというより、それぞれの意志で声を出しているように見えます。自然に仲間を応援しているように感じました。2年生は、子どもたちの視線や姿勢がそろっていました。とてもよい姿に見えるのですが、そうしなければいけないからやっているようにも見えます。頑張れと声援したいと思っているのかどうか、よくわからないのです。これに対して、1年生は何となく他学年を応援しているような印象でした。学年によって子どもたちの成長の違いや個性があるのは常なのですが、それ以上に先生方の指導に対する姿勢や考え方の違いがあるように思えました。
どれが正しいというのではありません。小さな学校でもこのような違いがあることが気になるのです。学校としてどのような子どもの姿を目指すのかが揺れているのではないのかという心配です。

同じようなことを、先日行われた「地域ふれあい学びフェスティバル」でも強く感じました。学校と地域が一緒になって行う、とても素晴らしい企画です。今年は、出し物や出店の数を減らし、1企画に一人、担当の先生をつけることもできたようです。その結果でしょうか、一つひとつの企画は昨年と比べてもよく練られているように思いました。しかし、子どもたちの様子からは、昨年と比べてもエネルギーを感じられませんでした。やらされている感が強いのです。例えば、お客を呼ぶために宣伝を担当する子どもがいますが、ただ歩きながら時々声を出すだけです。それも、目の前にいる人に来てもらおうと目を合わせるのではなく、誰もいない空間に向かって声を出しているのです。かつては、そこまで強引に引っぱろうとしなくてもいいのにと思うような子どもの姿をたくさん目にしました。
現場担当の子どもたちも、しっかりとは働いているのですが、やらなければいけないことだからやっているという、やらされている感が強いのです。
企画によっては、積極的に取り組み楽しめている子どもの姿が見られます。しかし、来場して下さった地域の方に喜んでもらいたい、喜んでもらえたから楽しいと感じている子どもは少ないように思いました。この行事の目指すところが子どもたちに共有されていないことが気になります。
このことは、先生方や地域の協力者にも言えるように思いました。指示を出して子どもを動かしている先生もいれば、じっと見守っている方、自分も役割を持ってそれを果たすことに専念している方いろいろです。地域の協力者も、子どもたちを前面に出して後ろで支えることに徹している方もいれば、先頭に立って子どもたち以上に動いている方もいらっしゃいます。このフェスティバルを通じて子どもたちにどう育ってほしいのかが見えなくなってきました。長い年月(10年以上の歴史があります)のうちに、このフェスティバルが子どもたちや地域、先生方のどのような思いを受け継いでここまで来ているのかが、忘れられているように思いました。
ともあれ、今は学校の行事として行っている(以前は地域と子どもたちの有志で行っていた)のですから、少なくとも、先生方の方向性は一致してほしいと思います。

2つの行事から、学校としてこの方向へ向かっていこうという一体感を感じられなかったことがとても残念でした。いろいろな事情もあると思いますが、学校経営の難しさを改めて感じました。

介護職員の研修で、主体性やチームワークについて考える

介護職員向けの研修を毎月行っています。9月からは、「移動介助」「介護職ができる医療行為」「感染予防」と行ってきました。

参加される方はどなたも前向きで、利用者に対する姿勢も、相手に寄り添うとても素晴らしいものだと思います。しかし、少し気になることがあります。全体的に、主体的に動くことやチームワークの感覚が少し弱いように感じるのです。自分に与えられた仕事は誠実にきちんとこなすのですが、仕事が手一杯になった時に「助けて」と言えない雰囲気があるように思います。逆に言えば、手が足りていないと思っても自分から助けに行こうとしない、これは自分の仕事だと思わなければやろうとしない。そのような空気を感じるのです。
これは、決して参加されている皆さんの仕事に関する意識が低いということではないと思います。与えられた仕事をこなすことが働くことだという感覚が子どものころから染みついているからではないでしょうか。これは、私たちの教育の結果なのかもしれません。

このことは、今、学校で「主体的・対話的で深い学び」ということが言われていることと無関係ではないように思えます。「宿題だからやる」「当番だからやる」のではなく、「宿題を一生懸命やる」「当番を一生懸命やる」という子どもは育ててきたのかもしれませんが、そこから一歩進んで、「自分がやるべきことだから」、さらに「やりたいことだから」と思って行動するような子どもを育ててはこられなかったということではないでしょうか。

自分は指示する立場ではないので、指示をされなければやらない。これをやると仕事が増えて自分の仕事がやりきれなくなる。そう思うと、与えられた仕事だけをきちんとこなす方向に人は動いてしまいます。これをやるべきだと思うからやる。その分手が回らなくなったことを、少し助けてと頼む。助けてもらった分、他の場面で助ける。こういった助け合いの輪ができれば、もっと楽に仕事が進むと思います。当たり前のように「助けて」「手伝おう」が言える雰囲気をつくることが大切です。

学校でも似たようなことを感じることがあります。担任は自分の学級に責任を持って一生懸命頑張りますが、何かあっても自分の責任だからと一人で解決しようとして、どうしようもなくなってから助けを求めることをよく目にします。困ったことがあれば、助けてもらう。その代わり、他の学級のことであっても、自分にできることがあれば積極的に手伝う。学校内にこういう雰囲気をつくらなければ、先生方にとって、そこはとても苦しい職場になってしまいます。

介護や学校の現場に限らず、どの職場でもこのことはとても大切なことだと思います。とはいえ、「チームワークをよく仕事をして下さい」と言ったところで状況は変わりません。職場の雰囲気を変えるのはとても難しいことです。一人ひとりがほんの少しでもよいので、頼る、頼られることへの抵抗感をなくすことがその一歩のように思います。
今後、このことに気づいてもらうような研修も考えていきたいと思います。

子どもから言葉を引き出すために必要なことを意識する

前回の日記の続きです。

6年生のもう一つの授業は、国語の説明文「鳥獣戯画を読む」でした。
ちょっと緊張していたのでしょうか、授業者の表情がかたくなっていました。余裕がなかったのか、子どもたちがしっかりと聞く態勢になっていないのに、授業を進める場面が目立ちます。
電子黒板を活用して授業を進めますが、使用しない時にもディスプレイに教科書が映っているのが気になりました。子どもたちがどこに集中すればよいのかを明確にするためにも、必要のない時には消す習慣をつけるとよいと思います。

「なぜ筆者は絵巻物を提示したのか」という問いかけをします。曖昧な問いかけです。絵巻物を提示することで、「文章全体の構成上どのような効果を狙ったのか」「何を伝えたかったのか」……、何を答えればよいのかよくわかりません。「なぜ」というのは難しい問いかけです。具体的に何?(what)、どのような?(How)などで聞くとよいでしょう。いろいろな意見を出させたいのであれば、「絵巻物を提示したのはどういうこと?」と何を答えてもよいような聞き方をしたいところです。
授業者は、「考えながら音読しよう」とさせるのですが、音読しながら考えるのはそれほど簡単なことではありません。音読のペースが速いことも気になります。考えるのであれば、ちょっとゆっくり目に読む必要があります。子ども自信が気づき、考えるために何が必要かを意識して、活動を考えることが大切です。

筆者は鳥獣戯画を2つに分けて見せていますが、2つに分けた時にどう見えるのかを相談させます。これも曖昧な発問です。「自分たちにどう見えるのか?」「筆者がどう見えると考えているのか?」を明確にしたいところです。
子どもに相談させた後、挙手で進めますが、すぐに手は挙がりません。子どもの反応を待ちたいのですが、手を挙げた子どもをすぐに指名します。
「アニメと同じ原理で動いている」という答が出てきます。それに対して、「どこからわかった?」「どこに書いてある?」と全体で共有する場面が必要ですが、すぐに板書します。子どもたちが写し終らない内に、次の質問をしてしまいました。子どもがじっくり考える時間を与えずに、挙手した子どもを指名してすぐ次に進みます。
子どもから答えを引き出すのに、「漢字二字の言葉を見つける」とヒントを言います。答を「考える」のではなく、漢字二字の言葉を本文から「探す」子どもが出てきます。「先生が注目してほしい言葉がある」と、天下りで指示を出すこともあります。こういう言葉は子どもたちの答探しや誘導につながってしまうことに注意が必要です。

後半は、教科書を閉じて黒板に貼った絵を元に考えさせます。子どもたち自身で筆者と同じようなことに気づかせたいのでしょうか。それとも、筆者と異なる視点を引き出したいのでしょうか。絵は筆者の伝えたいことを理解するための材料や補助です。国語の授業としてはあくまで本文を正しく理解することが中心です。「筆者は○○を根拠としてこうだと言っている」、このことをきちんと理解した上で、絵を見て本当にそうだと思うのか、どう感じるのかを考えさせるとよいでしょう。
最後は、授業者が自分の言葉で説明してまとめてしまいました。子どもたちにとっては、それが答えです。答探しの授業になってしまいます。先に進むこと、結論を与えることをちょっと優先しすぎでした。

授業者が気づいてほしいキーワードに子どもが気づくためにどのような活動すればよいのでしょうか。読み取りの力をつけるためには、どのような課題に取り組めばよいのでしょうか。子どもたちの目線に立って、授業の構成を考えてほしいと思います。
授業者は、随所で子どもを受容する言葉、認める言葉をかけることができています。とてもよいと思います。国語としてその発言にどのような価値があるかという、価値付けができるようになることが次の課題だと思います。それには、どのような発言を子どもたちから引き出したいかという、授業者自身の課題意識が大切になります。子どもの発言をもとに教材研究することを目指してほしいと思います。

子どもたち自身で考え、結論を出した授業(長文)

前回の日記の続きです。

6年生の一つ目の国語の授業は、熟語の構成を考えるものでした。
授業者は、毎時間の漢字練習の前に、漢字の成り立ちを教えているようです。象形文字で構成した漢字を表示して、構成している象形文字の説明をします。「認」について、「忍」の字を会意文字として説明し、その意味を元にその意味を説明しますが、「忍」の意味と「認」の意味とは直接関係ありません。「認」は形声文字で、「忍」の音を借りてきただけです。しかし、授業者はあたかも関係あるように説明してしまいました。形声文字を理解していなかったようです。こういった知識をきちんと理解して、子どもたちに誤ったことを教えてしまわないようにしてほしいと思います。

漢字練習帳の内容を読ませたり、書き順の練習をしたりしますが、集中していない子どもが目につきます。ルーティン化して、流れ作業のようになっているのかもしれません。活動の評価を意識しないと、ただやるだけになってしまいます。一つひとつの活動の目標と評価をはっきりとさせるとよいでしょう。

漢字の練習が終わったあと、子どもたちが顔を上げるのを待つのですが、しっかりと集中しません。手は止まっていますが、授業者を見ていない子どもが目立ちます。背伸びをしている子どもがいるのですが、授業者は「めあてを書きます」と、次に進みました。子どもたちにどのような姿になってほしいかを意識する必要があります。
めあてを読むように指示をして、板書をします。子どもたちは一字ずつ読むのですが、集中していない子どもがいることが気になります。授業者は板書に専念しているので、その様子はわかりません。書き終ると、一斉に読ませます。この時は、子どもたちはよく集中していました。授業者が見ていると違うようです。
子どもたちは、読み終ると、指示をされなくてもすぐにノートにめあてを写します。こういったルールがきちんと浸透しているのはよいことです。ただ、すぐに動けない子ども、書くのが遅い子どももいます。書けた子どもは姿勢を正してじっと待っています。全体のスピードを上げることや、早い子どもに次の指示を与えることも意識してほしいと思います。

黒板に熟語を貼りながら、読める人は読むように指示をします。これは知識ですから、知らない子どもは何ともできません。貼り終わった後、読んでみようと全員で読みますが、読めない子どもはわからないままです。きちんと読みを確認する場面がありませんでした。わからない子どもがわかる場面をつくることを意識してほしいと思います。
6つの熟語を2つのグループに分けるのが課題です。どういう基準で分けるのかを4人のグループで話し合います。
授業者が課題の説明している途中に「わかった」と声を出す子どももいました。グループになると、勢いよく話す子どもが目立ちます。わかったので、しゃべりたいのでしょう。同時に何人もの子どもが口を開きます。その一方で、最初から授業に集中できていない子どもは、ここでも参加できません。授業者は前から子どもたちの様子を見ていましたが、この子どもに対して友だちとかかわるようにうながしたいところでした。
授業者は、子どもたちのテンションが上がりきらない前に話し合いを止めました。よい判断です。理由は後でいいから、まずグループに分けてほしいと問いかけますが、「理由を言いたい」という子どもがいました。よい反応ですが、授業者は特に対応しませんでした。「○○さん、意欲的だね」と評価したいところでした。

指名した子どもが熟語を2つのグループに分けます。同じかどうかを確認すると、ほぼ全員の手が挙がります。授業者は、「そうなの。みんな同じなの?」と返しますが、手を挙げていない子どももいます。ここは、手を挙げていない子どもに、「○○さんは違うの?」と声をかける必要があったと思います。同じだと答えることがわかっているかもしれませんが、反応することを求めることが大切なのです。こういったことが、全員参加の第一歩なのです。

理由をたずねると、挙手する子どもが減ってしまうことが気になります。先ほどグループで確認をしているのに発言しない理由を考える必要があります。ここは、挙手に頼らずに指名してもよい場面だと思います。上手く説明できない子どもがいてもよいのです。その時こそ授業者の出番です。2つに分けられた熟語を取り出して、「これとこれはどこが違うと思ったの?」というように、具体的な言葉を引き出すような問いかけを考えておく必要があります。
指名した子どもは、一方は「真反対」だけど、片方は「そうじゃない」と説明します。授業者は、「なるほど」と受容して、そのまま黒板に書きます。「そうじゃない」に反応する子どもがいます。そこを突っ込みたいのでしょう。
「同じように、真反対とそうじゃないのグループに分けた人?」と聞くと、子どもからは「違う」という声が上がってきます。指名された子どもは、「増減とかそういうのは逆の意味で、行進とか身体は同じようだけどちょっと違う」と答えました。授業者は「逆」と「同じような」と板書します。「ちょっと違う」が落ちたことが残念でした。「堂々」「益々」といった言葉もあるので、「全く同じじゃないんだね」というように確認したかったところです。授業者は似た意見かどうかを全体で確認します。「大体同じ」と手を挙げる子どもがいますので、同じと一緒にしてしまわずにその子どもにも聞きたいところです。ちょっとした違いを取り上げることも大切だからです。
続いて指名した子どもは、「反対言葉」と「似た意味の言葉」と説明します。授業者はみんなが言ってくれたように、反対の言葉を組み合わせてできた熟語と、もう一方はそうじゃないんだけれど、同じような、似たような言葉を組み合わせてできた熟語とまとめました。ここまで、上手に子どもの発言をつないでいたのですが、最後に授業者がまとめてしまったのが残念でした。子どもたち自身で最後にまとめさせたかったところです。
気になるのが、反対「言葉」と言葉を使ったことです。ここは、同じ意味を持つ「漢字」とまとめていくことが必要です。漢字にはそれぞれ意味があることをきちんと押さえることが必要です、そのためには、訓読みをさせることも必要でしょう。音は中国語本来の読み、訓はその意味を表わす日本語に対応させた読みであることをきちんと教えることが必要です。

授業者は結論を説明しながら板書します。気になったのが、子どもが言った「逆」を「対」という言葉に直したことです。できれば子どもの言葉を活かしたいところです。用語として教えるのなら、これを「○○という」と明確に定義する必要があります。また、対は反対でなくても組になっていれば使う言葉です。用語としてあいまいです。「反対」「反意」を使うべきだと思います。
子どもがまとめを写している間、授業者は黙って子どもたちを見ていました。子どもたちの集中を妨げず、見守ろうとしているのはよい姿勢だと思います。

最後の課題は、「忠誠」「仁愛」「玉石」「公私」の4つの熟語を先ほどの2つのグループに分けるというものです。今度は子どもたちが知らなさそうな言葉が混じっています。その漢字や熟語の意味を知らなければ手が出ません。そこで、グループに一冊、辞書を用意します。解決のための手段を与えるのはとてもよいことです。授業者は「一つひとつの言葉の意味を調べると……」と使い方を説明しますが、先ほどの問題で確かめることをしておけば、すぐに活動に入ることができたと思います。ここでも「漢字」ではなく「言葉」を使っていたのが残念でした。また、課題を提示した後、聞いたことのない熟語や意味の分からない漢字があるかを確認して、「どうしよう?困ったね」と投げかけて、辞書の必要性に気づかせてもよかったかもしれません。

すぐに話し出すグループもありますが、先ほどのまとめをまだ書いている子どもがいて動き出さないグループもあります。机を移動させずに体の向きを変えて話し合っているため、4人がきちんと向き合わずに、全員がかかわり合えていないグループもあります。机をきちんとくっつけることも大切だと思います。
先ほどと違ってよくわからない言葉もあるので、子どもたちのテンションは上がりません。一生懸命考えています。これまで集中していなかった子どもが、自分の前に辞書を置いて取り組んでいます。それに対して他の子どもがページをめくったりしてかかわり合っています。うれしそうに取り組んでいたことが印象的でした。
予定の時間が来ましたが、子どもたちは結論が出ないのか、まだまだ熱心に取り組んでいます。授業者は時間を延長しました。子どもたちがかかわり合って問題に取り組めているので、よい判断だと思いました。
5分ほどして、子どもたちの集中が切れてきました。ぼつぼつ活動の止めどきです。何分でやるようにと指示すると、その時間はやり続けなければいけないと考えがちですが、状況に応じてその前でも止める判断も必要です。

作業を終えて、全体で確認します。ここで指名された子どもは、「最初のは、……」と熟語を読まずにグループ分けだけを行います。授業者は「読んで」と指示します。よい対応ですが、ここまで熟語の読みを確認していないので、グループ分けの結果を聞く前に、全体で確かめたいところでした。
「玉石」がどちらのグループなのか意見が分かれます。子どもから「意見交換したい」という声が上がります。子ども自身の疑問になっています。よい展開です。子どもが積極的に自分の考えを発言したくなっています。
「どちらも丸いもの」「玉は値打ちがあって、石は値打ちがない」「玉は凹凸がなくて、石の方は凹凸があって……」と次々に意見が出てきます。その間、一生懸命辞書を引いている子どもも目立ちます。授業者は、「ほうほう」「ああ」「なるほど」と受容しながら上手に子どもの言葉を引き出します。辞書を引いて、「○○さんは、玉は値打ちがあって、石は値打ちがないと言ったけれど、宝石は石だけれど値打ちがあるから、似た意味の漢字の組み合わせ」という意見も出ます。白熱してきます。
「(辞書の)玉のところを見てみて」という説明をする子どもがいます。「何ページ?」と声が上がります。ページを伝えると、子どもたちが辞書をめくります。説明を続けようとする子どもを授業者は制して、そのページを開くまで待たせます。「美しい石、宝石と書いてあって……」と続けますが、他の子どもたちは辞書を囲んで真剣に見合っていました。「石は美しくない」と言うと、「宝石は石だよ」「宝の石とかいてあるよ」とすかさず反論が出てきます。双方譲りません。
授業者は辞書を持って何か言いたそうにしている子どもを指名します。「……つまらないものと書いてある」と発言しますが、子どもたちはちょっと興奮気味で、よく聞き取れません。授業者はすかさず「みんな聞いた。今の○○さんの言ったこと」注意を引きます。聞いていた子どもから「本当だ。辞書の玉石のところに書いてある」という声も上がります。授業者が何ページに書いてあるかを共有すると、全員が辞書をのぞき込んで確認します。どうやら決着がついたようです。全員が反対の意味の漢字でつくられた熟語だということを納得して終わりました。

子どもたち自身で疑問を持ち、自分たちで考え、議論し決着を付けました。辞書を与えたことが、子どもたちが根拠を持って考えることにつながっていました。とてもよい授業だったと思います。授業者が子どもたちの発言をしっかり受容し、余計な言葉を足さなかったことがこのよい状況をつくり出したと思います。このような状況をつくりだすことができるので、あとは子どもたちが何を考えればいいのか、そのための課題をどうするのか、何を焦点化すべきなのかといった、教材研究とその場での判断が勝負になってきます。
教材研究の面では、まだ課題も見られます。よい学級の状況を活かすためにも、教材研究を大切にしてほしいと思います。今後が楽しみな先生でした。

この続きは次回の日記で。

授業者の進歩が見えると、課題もよく見える

前回の日記の続きです。

5年生のもう一つの学級の授業は国語の同じ読みを持つ漢字の意味の違いを考えるものでした。
授業者が子どもを認めたりほめたりすることを以前より意識していることを感じました。子どもたちとの関係もよくなっているように思います。
授業の始めに、机上に必要な授業道具を出すことを徹底していました。その上で、今日は使わないのでしまうように指示します。子どもたちからは「意地悪」といったブーイングが出ますが、決して険悪な雰囲気ではありません。子どもたちが授業者に対してネガティブな感情を持っているわけでないと思います。ただ、授業者が、子どもたちのそういう言葉に対してそうではないと否定するような言葉を返すことが気になりました。子どもたちが軽く言っているのに先生の方が真剣になっているように見えてしまいます。笑顔で「そう?」と受け流せばいいのです。

ワークシートを配って番号と名前を書かせます。書き終って待っている子どものよい姿勢を固有名詞でほめます。こういった場面でほめるべきことを意識できています。できれば、続いてよい姿勢を取った子どもをもう2、3人ほめるとよかったでしょう。こうすることでよい行動を増やすことができます。
ワークシートのタイトルは「カンジー博士からの挑戦状」です。子どもたちから、「ネーミングがダサイ」「本当にいるの?」「どこに住んでいるの?」といった声が上がります。授業者がそれに反応するので、子どもたちの反応がエスカレートしていきます。最後に、「本当です、日本のどこかに住んでいます」とちょっと強い言葉で断言しました。こういう時は、笑顔で「どうかなあ」と軽く受け流して、「さあ、今日の課題は……」と次に進めばいいのです。これ以外でも子どものつぶやきに過剰に反応するように感じる場面がありました。授業に直接関係のないつぶやきは無視するか、笑顔で受け流せばよいのです。

子どもたちに例題を見ているようにと指示をして、その間に板書をしますが、先ほどのやり取りのあときちんと一度集中させていないので、ざわつきがおさまりません。板書を終えてから、前を向くように指示をしますが、なかなか全員の顔が上がりませんでした。その状態で指示をするので、集中できない子どもが何人もいます。
スクリーンに例題を写し、全体で解きます。せっかくスクリーンに映すのですが、手元のワークシートに同じ問題があるので、それを見ていて顔が上がらない子どもがかなりいます。ここまでワークシートが必要な場面は特にないので、まず例題を全体で解いてからワークシートを配ればよかったと思います。
例題には○、△、□の穴が空いた文が書かれています。これを全体で読むのですが、授業者はそこに何が入るかわかる人は入れて読むように指示をします。子どもたちは想像で読むのですが、根拠はありません。多くの子どもが適切なものを入れて読むことができるところとそうでないところがあります。中にはみんなが入れることができているところでも、よくわからない子どももいるようで、「えっ」という声が聞こえます。授業者は根拠を示さずに、多くの子どもが入れることができた読みを正解として書き入れるように指示します。これでは、よくわからない子どもは、できるようにはなりません。
授業者が主導して正解を導きますが、どうやればそれに気づけるかはよくわかりません。

この問題を解くには、まず○、△、□には、それぞれの記号ごとに同じ読みの漢字が入るというルールを押さえておくことが大切です。漢字は違うが同じ読みであるということが解答するための手掛かりだからです。その上で、2つのステップを意識することが必要です。まず記号にどのような読みの漢字を入れると意味が通じるかを考えることです。子どもたちに、いくつかの候補を上げさせて、その読みを他の文の同じ記号に当てはめた時に、意味の通じる言葉になるかを考えさせるのです。わざとおかしなものを入れて、「こんな言葉あるかな?」「ひょっとしてみんなが知らないだけで、あるかもしれないよ」と揺さぶるとよいでしょう。「絶対ない」という子どもに対して、どうすればそれが言えるかを聞くことで、辞書で確認することの必要性に気づかせることができます。当てはまる読みが一つとは限らないことを意識させることで、とりあえず一つ見つけたからいいやとならないようにすることもできます。
うまくいきそうな読みが見つかれば、次に正しい漢字を書くことです。ここでも、わからなければどうするかを問うことで、漢字の意味を考えることや辞書の必要性に気づかせることができます。
解決するためのステップや手段を、例題を通して気づかせて、見通しを持たせることが大切なのです。

子どもたちに問題を解かせますが、「お隣さんに聞くのはなし」と注意をします。例題で見通しを持てていない子どもは、手詰まりになった時に動けなくなります。言葉を知らなければ、考えてもできるわけではありません。授業者は集中力を失くしている子どもに頑張るように声をかけますが、頑張ればできるというものではありません。「困っている人、まわりと相談してもいいよ」と声をかけてあげればよいのです。ちょっとしたきっかけをもらえれば、自分で見つけることもできるはずです。知識を問うテストではないのですから、わからなければ相談することを許してもよいでしょう。日ごろから、答ではなく、過程を共有する活動をしておけば、ただ友だちに答を聞いて写すのではなく、「どうして?」「なぜ?」と根拠を聞くようになるはずです。こういったことを意識するとよいでしょう。
時間が経つにつれ、子どもたちは自然にまわりと相談し始めます。そのことを授業者は止めません。そうであれば、最初から許してもよかったと思います。
子どもたちの声が次第に大きくなっています。授業者が相談してもよいと指示しているのであれば、問題に関連したことから外れてしゃべることはあまりありませんが、指示を無視してもそれを止められていないので、勝手に雑談をしてもよいと思う可能性があります。こういった点にも気をつけるとよいでしょう。

挙手で指名した子どもに、用意した小形のホワイトボードに答を書かせます。「一発勝負だよ。後で書き直すことはできません」とプレッシャーをかけますが、その意味がよくわかりません。「間違えてもいい」「気がつけば直せばいい」という安心感を大切にする方がよいと思います。
指名された子どもがホワイトボードに書いている間、他の子どもはすることがありません。待っている間にすることの指示が必要だと思います。時間がもったいないので、ワークシートの不要な部分を紙で隠して、実物投影機を使えばよいように思いました(子どもの書く字は薄いので上手く映らないのかもしれませんが……)。

正解かどうかを授業者が判断します。子どもたちが迷っていたものも、授業者が、「これが大正解」と説明しますが、根拠ははっきりしません。漢字の持つ意味をきちんと確認して、子どもに納得させることが必要です。ただこれが正解だと熟語を覚えさせるのではなく、漢字の意味とつなげて身につけさせなければ、この活動の意味はありません。それぞれの漢字と言葉の意味を確認して、それでよいことを全員が納得するようにしたいところです。
「放課後」を「放火後」でもよいのではないかという子どもがいます。一般的にはそういう状況はないでしょうが、ありえないことではありません。その意味をわかってその状況を説明できるのなら、それも認めてよいと思います。子どもは一生懸命、「放火した後に……」と説明をつぶやいています。しかし、授業者はそれを無視して先に進んでしまいました。こういった子どものつぶやきこそしっかりと受け止めたいところです。
「3問とも正解の人」と挙手をさせて、「いいですね」とほめて、拍手をさせますが、今一つ盛り上がりません。続けて2問正解についても同様に対応して終わります。できた子どもだけが評価されます。正解することに価値をあまり求めないようにしたいところです。

続いてまた個人で問題を解いて、全体で確認しますが、問題を解く過程や漢字と読みの関係について考える場面がありませんでした。答がわからない子どもは、答を聞いて覚えるしかありません。漢字は覚える要素は強いのですが、漢字の意味を知ることで、知らない言葉でもその意味することを類推することもできます。明治以降、それまで日本語にない外国の言葉を、漢字を使うことで新たな日本語として付け加えてきたという歴史もあります。漢字の持ついろいろな特性に気づかせることを意識して、授業を組み立ててほしいと思いました。

授業者は子どもたちのよい授業規律をほめることができるようになりました。子どもとの関係もよくなっているように感じます。授業者の持つよさが、だんだん子どもたち伝わってきているように思います。ほめるという点では、次は、子どもたちの発言を価値付けすることを意識することが課題だと思います。発言を価値付けするためには、教科で大切にするべき見方・考え方を意識することが必要です。この点を意識することで教材研究も深くなると思います。前向きに取り組むことで、きっと大きく進歩することと思います。

この続きは、次回の日記で。

道徳授業を答探しにしない

小学校で授業アドバイスを行いました。今回は、5、6年生の授業でした。
前回の訪問時に私がお話したことを、皆さんが意識しているのを感じられたことをうれしく思いました。

5年生の一つ目の学級は道徳の授業でした。
この日の教材は副読本の「給食の時間」でした。何ページかを伝えて開くように指示をすると、子どもたちは一生懸命に副読本をめくります。素早くページを開く子どももいますが、何ページかを聞き洩らしたのか、なかなか見つけられない子どももいます。授業者は大体の子どもが開いたのを確認して、範読を始めました。しかし、まだ副読本をぱらぱらめくっている子どもも目に付きます。隣の子どもがページを見つけられないのを気にしている子どもが何人かいたのですが、範読が始まっているためか、教えることはしませんでした。「わからない人は、隣の子に聞いて」と子ども同士が助け合うことをうながし、全員の準備ができるまで待つとよかったでしょう。
また、副読本を手に持って読んでいる子どもと、机の上に置いている子どもとに分かれていることが気になります。昨年度までの担任の指導が違ったのでしょうか。授業者は歩きながら、一文ごとに顔を上げて子どもを見ていますが、特にそのことを気にしている様子はありませんでした。
副読本を忘れて隣を覗き込んでいる子どもがいますが、隣の子どもは本を自分の前に立てて見せようとはしていません。子ども同士の関係がちょっと気になる光景です。授業者がそのことに気づいて「見せてもらって」と指示をすると、副読本を間に置きました。
面白いのは、最初はかなりの数の子どもが教科書を立てていたのですが、時間が経つにつれだんだん倒れていったことです。何となく聞いていても、手元の副読本を見ればわかるので、集中力を失くしていくのです。副読本を持たせずに範読するか、途中で子どもに問いかけるといったことが必要だったようです。

範読が終わると、「いつものように」と言って、印象に残ったところ、心に強く残ったところを発表させます。すぐに5、6名の子どもの手が挙がりますが、多くの子どもはまだ副読本のページをめくっていました。授業者がすぐに指名するとページをめくっていた子どもの動きが止まります。
授業者は子どもが発言している途中でも板書を始めます。ちょっと進めることを焦っています。まず子どもたちがじっくりと考えたり、友だちの話を理解したりすることが大切です。
子どもたちがだれも発言者を見ないことも気になります。授業者の方を向くでもなく、視線の定まらない子どもが目立ちます。授業者は発言が終わった後も板書に専念しているので、子どもたちの様子が見えません。すぐに発表したくて手を挙げ続けている子どももいます。板書中も子どもたちの様子を見ようとすることが大切です。板書を終ってから、「なるほど、性格を言ってくれたね」と発言を評価しますが、あまりに時間が経ちすぎていました。

子どもが発言するたびに、授業者が一言、整理してまとめることが続きます。そうではなく、似たような意見の子どもを何人もつないでいき、色々な視点を共有させることが必要です。
授業者は自分がねらっている発言が出てくると、「その理由は?」と発言者に聞いて深めようとします。しかし、他の子どもは他人事なので反応しません。子どもたちが聞きたいと思う必要があります。「○○さんがそう思う理由わかる?」といったつなぎ方もするとよいでしょう。
表情豊かに、子どもの発言を受容することができるのですが、立ち止まって子どもに考えさせる場面がありません。それでも、子どもたちの手がだんだん挙がってきますが、自分の思ったことを話すばかりで、なかなか焦点化されていきませんでした。15分ほどこの状態が続きました。次第に子どもたちの集中力が落ちてきます。他の子どもの発言中に机に伏せる姿も目につきました。

授業者はここでいったん止めて、主人公の性格について子どもから出た「完璧な人」を別の言葉で置き換えるように問いかけます。子どもの顔が上がります。「違う言葉があると思うんだけど、わかる人いるかな?」と聞くのですが、「わかる人」という表現には注意が必要です。授業者の求める答があることになるからです。子どもたちの考えを深めるのであれば、広く受けることのできる聞き方を意識することが必要です。「完璧な人という意見があったけれど、みんなはどう思う?」といった聞き方もあると思います。同じという意見やちょっと違うという意見をもとに、焦点化するのです。
子どもたちは授業者の求めるところとはちょっとずれた発言をします。「○○な人」という答ではなく、このような人だと詳しく説明します。授業者は「そうそう」と受容して「そういう人のことを、なんか言えることない?」と返します。何とか求める答を引き出そうとしていますが、ちょっと強引です。子どもは、「言えること」を長々と発表します。そこで、いったん話を止めて、「自分は主人公と同じタイプだという人?」と問いかけます。主人公を「完璧な人」「みんなに信頼されていないからそこまで完璧ではない」といった人物評がでている中で手を挙げる子どもはなかなかいないでしょう。そのことに気づいたのか、授業者はちょっと間を置き、他の登場人物も含めて、どのタイプかを考えるように指示しました。子どもたちのほとんどは、ちょっと失敗をした男のたちに手を挙げますが、手を挙げない子どももいます。手を挙げていない子どもを確認して、自分はどんなタイプなのかを聞きます。授業者が選択肢に挙げなかった登場人物と同じだと答えてくれました。全員参加を意識したよい対応だと思います。

主人公のタイプがほとんどいない中で、主人公に望むことは何かを聞きます。子どもたちとってリアリティがない話です。「怒りっぽい性格を直した方がいい」といった、第三者的な視点になってしまいます。これでは、自分に引き寄せて考えることはできません。他者に対する無責任な批判になり、子ども自身の変容にはつながりません。
ここで先ほどの主人公の性格をどう表現するかに戻ります。授業者は「何々の強い人という言い方ができると思う」と、その何々を考えるように指示します。どうしても、自分の求める答を子どもから出せたいようです。
すぐに挙手した子どもを指名します。「言い方の強い人」「意志の強い人」と続きます。授業者はその答をちゃんと受容しますが、次に「責任感の強い人」という答が出ると、すぐに板書して、説明をし始めます。「これが授業者の求める答だったのか」と子どもたちは思うでしょう。こういうことが続くと、子どもたちは授業者の求める答探しをするようになってしまいます。
授業者は「責任感」という言葉をキーワードにしたいのですが、言葉そのものよりも、その意味することを押さえることが大切です。主人公がそのように思った、そのように行動したのはなぜかを問いかけることで、それが「責任感」であることに気づかせるのです。「責任感」という言葉がでなくても、そのような気持ちからの発言、行動であることが焦点化できれば、授業者が「それを責任感というんだよ」と定義してもよいのです。大切なのは、その中身だと思います。
授業者は「先生は責任感が強いと思いますが、どういう責任感が強いと思います?」とたずねます。これはもう授業者の気持ちを理解する授業です。子ども自身の気持ちとはずれていってしまいます。
子どもたちが何人か発言した後、「主人公は仕事を頑張ってやっていたけれど、ちょっと言い方がきつかったり、こわかったりして友だちが縮こまっちゃった」と主人公の言動を授業者がまとめました。子どもたちはここまでたくさん発言しましたが、授業者の言葉でまとめてしまいました。

続いて、主人公ともう一人の登場人物の性格の違いを問いかけます。客観的な人物評価をしているだけで、子どもたちにとっては他人事です。
主人公を「怒りの人」というように、相対的に悪く言う言葉が出てきます。授業者は、「主人公は悪役ではないからね」とフォローしますが、人物を比較する発問をすればどうしても無責任に他方の欠点を強調する意見が出やすくなります。単純なよい、悪いの二極構造になっていきました。ちょっと注意が必要です。
この話では、主人公は悪いことをした子どもがそのことを忘れたように遊びに行ったことを怒りました。最後に、そのことに対して「悪いことをしたからといって、給食が終わった後、遊びに行っていけないことはない」という意見が出ました。授業者は自分の望む意見がでたので、「そうそう」と強い同意を示し、「そのことを何と言うのか教えてほしい」と返します。手を大きく広げて、「手の動きからわかってほしいな」と「広い心」を引き出そうとします。子どもが深く考えて出てきたのではなく、たまたま出てきた意見をもとに授業者の求める結論に誘導しているのです。

授業者は「ありがとう」という言葉をよく使います。このことが明るい雰囲気の学級につながっていると思います。子どもを一生懸命受容しようとしていますが、授業者の視線はどうしても発言者ばかりに向いています。発言を聞いている子どもの反応もよく見る必要があります。その反応を次の展開につなげるのです。また、自分のねらう言葉を引き出そうと誘導して、そこにつながらない答は受容だけしてスルーすることが多いことも気になります。確かにこれはよく使われる授業技術なのですが、道徳では「意外な答」「思いもしなかった考え」を「どういうこと?」と聞きたいと思うことが大切です。一人ひとりの子どもの考えや気持ちをしっかりと聞き、全体で共有することが必要なのです。自分に引き寄せ、自分のこととして考えることが、子どもたちの変容につながります。答探しの道徳にならないようにしてほしいと思います。

この続きは次回の日記で。

技能系教科の公開授業から学ぶ

前回の日記の続きです。

技能系の教科の授業はそれぞれの特性を生かした工夫を感じられるものでした。

中学1年生の家庭科の授業は、ポーチの製作実習の場面でした。
男の子も楽しそうに裁縫をしています。子どもたちは、わからないことがあるとすぐに先生にたずねますが、先生の体は一つです。すぐに対応することはできません。しかし、そんな時も子どもたちはまわりの友だちに聞くことができています。授業者は、子どもから聞かれても「できている人がいるから、聞けばいいじゃん」と子ども同士をつなごうとしたりもしています。よい姿勢です。明るい雰囲気に、実技教科のよさを感じることができました。授業者は忙しく教室の中を動き回りながらも、笑顔を崩しません。こんなところにも雰囲気のよい理由があると思います。
裁縫のことに関して聞き合っている言葉の合間から、雑談も聞こえてきます。しかし、手は動いています。昔の主婦が繕い物をしながら雑談をしていた様子が思い出されました。授業者は上手に子どもたちの活動のバランスをコントロールしているように感じました。

高校3年生の家庭科は、調理実習でした。
黄身返し(ゆで卵の黄身と白身が反転したもの)をつくります。こういった題材は子どもたちを惹きつけるよいものだと思います。子どもたちはそれなりに意欲があるのですが、つくり方の指示が文章中心なので、わかりにくいようです。相談してもよくわからないので、困っています。授業者は子どもたちの作業中、個別に、全体にと指示をし続けることになっていました。手が止まる場面が多いために子どもたちはどうしても集中を失くします。雑談が増えざわつきますが、それに対応して授業者は、指示を通そうとテンションを上げていきます。すると子どもたちもテンションが上がって、悪循環になってしまいます。こういう時は、逆にテンションを下げてしゃべるとよいでしょう。
黄身返しでは、通常の料理ではありえない過程があります。想像がつきにくいので、実際に子どもたちが使う道具を使って動画をつくり、ICTを活用してポイント見せるとよいと思います。また、指示をして後は任せるのではなく、チェックポイントをつくって調理の流れをコントロールすることで、よりスムーズに進むと思います。
子どもたちの状況に応じて進行をコントロールする方法をいくつか持つことを意識するとよいと思います。

高校1年生の男子の体育の授業はバスケットボールの授業でした。
子どもたちにまかせて準備運動をしていますが、ちょっとだらだらしている子がいます。そこで授業者が一声かけると子どもたちの様子は変化します。子どもを見て必要な対応の取れる方です。
スクエアパスの練習を行います。前回もやっていたのでしょう。あまり指示をせずに進めます。スクエアパスは動き方がわかりにくく、学校の授業では上手くやれないことが多いものです。ここでは、通常行われるものではなく、単純化したものでした。それでも、子どもたちはポイントがよくわかっていないように感じました。授業者は活動させながら、うまくできていないことをワンポイントで指示します。指示するごとに子どもたちの動きは確実によくなります。事前に指示をしても、徹底することは難しいので、まず経験させてから修正するという方法を取っているようです。なるほどと思いました。体育館という比較的狭い場所で、指示が届きやすく、集合させるのにも時間がかからないという環境を活かした手法です。
授業者は、このあと少しずつ条件を付け加え、やり方を変えることで通常のスクエアパスをできるようにしたようです。スモールステップを意識した授業構成でした。子どもたち自身も、ステップがはっきりしているので達成感を味わいやすかったのではないでしょうか。よい学びをさせていただきました。

高校3年生の体育の授業はテニスでしたが、雨のためコートが使えませんでした。
使える場所が狭く、柱などの障害物があり、全体を見通すこともできず、環境的に苦しいものがありました。授業者は笛を使ったりして子どもの動きをコントロールしますが、動けない子どもも目立ちます。ラケットを使う場面になれば子どもの意欲が上がるかとも思いましたが、思ったほどではありませんでした。環境が大きく影響したようです。ちょっと残念でした。別の機会に授業を見せていただく機会を持ちたいと思います。

高校1年生の美術の授業は、彫刻の鑑賞の授業でした。
まず、日本の彫刻の作品4点を示し、個人で制作年代順に並べ、その後グループになって答を一つに統一するように指示します。通常、考えを一つにさせるのは難しいのですが、思ったほど意見は分かれなかったようです。どのグループもすんなりと決まったようです。
作品がいつの時代かを確認してから、次の課題に移ります。それぞれの作品に対して、「材料」「モチーフ(テーマ)」「感想」「好感度(好きか嫌いか)」を書きます。グループごとに作品の大きな写真を配ると、子どもたちの集中度が上がりました。手元に物があるということは、こういった活動では大切な要素だということがわかります。あまり友だちとかかわらずに自分の考えをまとめることに集中する子どももいれば、友だちとしゃべりながら自分の考えをまとめる子どももいます。いろいろです。高校生ぐらいになると、個でやることにこだわる子どもが増えてくるように思います。こういった子どもを無理やり参加させる必要はありませんが、まわりの子どもが「聞かせて」と言ってかかわるような場面をつくれるとよいと思いました。
ただ感想を言わせるのではなく、作品を見る視点を与えることで、個々の意見の違いや感性の違いが明確になります。ちょっとしたことですが、よい工夫だと思います。

高校3年生の情報処理の授業は、情報処理検定の受験直前ということで、実践問題の演習を行っていました。
子どもたちは端末に向かって個別に問題を解いています。授業者は机間指導をしながら個別に対応をしていますが、対応しきれません。まわりの友だちに教えてもらっている子どももいますが、手が止まっている子どもが目につきます。確かに本番の試験ではだれにも頼ることはできませんが、授業者が個別に教えるのであれば、相談することも積極的に許してよいのではないかと思います。
また、子どもたちが困っていることは共通のことも多いと思います。途中で活動を止め、困っていることを共有して、できた子どもにどこがポイントかを説明させることをしてもよかったと思います。
授業者がポイントを解説する場面があったのですが、端末に向かって作業を続けている子どももいます。ディスプレイから視線を外させて授業者に集中させることが必要でしょう。こういったことが何度かあると、子どもは授業者の話より問題を解くことを優先してよいと判断するようになります。ヒドゥンカリキュラムです。こういったことにも気をつけてほしいと思います。

全体での検討会は、公開授業の教科ごとに分かれて、授業から学んだことを話し合いました。その教科以外の人が意見を言うことで、教科を越えた共通の視点が浮かび上がってきます。「全員参加」「子どもの姿」「意欲」「声かけ」「見せ方」「指示」「安心て間違えることができる雰囲気」「子ども同士の教え合い」「子ども同士の聞き合い」といったキーワードが各グループから出てきました。
先生方が、互いの授業から学べていることがよくわかりました。
授業研究の進め方も進化しています。授業改善の大切な要素です。私からは、先生方の努力や工夫が子どもたちのよい姿につながっていることを、お伝えして終わりました。

英語の公開授業から学ぶ(長文)

前回の日記の続きです。

英語科は授業改善を積極的に進めている方が多い教科です。GDMに取り組む方もずいぶん増え、そうでない方も独自の工夫をされている方がたくさんいます。今回公開にはなっていないのですが、個別に授業を見てほしいというリクエストもありました。うれしいことです。

今回の公開はGDMが中心でした。高校1年生のGDMは今年度から挑戦される方がほとんどです。いろいろと苦労されていると思いますが、定期的に学び合う機会を持って確実に自分たちのメソッドとして確立されつつあります。3学級を4つに分けての同時進行の授業を参観しました。
一つ目の教室では、授業者が笑顔で子どもたちをほめています。絵本を見せながら、”What do you see in this book?”と一人ずつ順番に子どもに問いかけます。子どもたちは、一生懸命答えようとします。指名されていない子どもも、自分のこととして考えています。
続いて、”What do you see on the table?”と質問を変えます。”I see ○○ on the table.”と、授業者が教卓の上にあるもの使って例を示します。子どもたちは一生懸命に答えようと聞いています。一人の子どもが、”I see an eraser.”と答えてくれました。授業者は”Very good!”とほめ、「聞きました?」と言って、”He sees an eraser.”と言い変えました。三人称単数現在の”s”の練習です。続いてすぐにペアで練習するように指示しました。それまで、全体では口を開くことができず、あまり参加できなかった子どもたちも一気に動き出します。子どもたちは意欲があっても、なかなか言葉にすることができなかったようです。よいタイミングでペアに切りかえたと思います。

別の教室では、子どもたちの動きはまた異なっていました。
よく理解できない子どもが個別の練習場面では動けません。また、ペアワークの時に下を向いて参加できない子どもがいました。自信がないのかもしれません。相手の子どもが上手くかかわれるといいのですが、なかなかそうはいかないこともあります。しかし、全体でのやり取りでは、そういった子どももちゃんと口を開けたりします。子どもがわかる、自信を持てるようになるためには、全体練習、ペア練習、個別の練習といったものをうまく組み合わせることが必要です。どの活動でわかるようになるのかは、子どもによっても違います。状況に応じて、活動を切りかえることが求められます。また、多くの子どもが理解できていない時には、その一つ前の活動に戻ってやり直すことも必要です。
授業者はシナリオ通りに授業をすすめることができるようになっています。次は子どもたちの状況に応じてシナリオをちょっと入れ替えるといったことにも挑戦してほしいと思います。

また、別の教室では、子どもたちの声がとてもよく出ていました。授業者は笑顔で子どもたちをとても上手にひきつけています。子どもの反応に対して常に受容的で、しっかりとほめることができています。個別の指名でも、全体に対しての問いかけでも、子どもたちが一生懸命に答えようとしているのが印象的でした。
困っている子どもも、友だちに助けられて参加できています。また、ペアでの練習もほとんどの子どもがしっかりとかかわれています。しかし、中には声をかけられても反応しない子どももいます。相方がちょっと困っていました。こういった場合は、授業者が声をかけて参加を促す必要があります。それで反応しない子どもが変化するかどうかはわかりませんが、声をかけた子どもに先生がこの状況をわかっていることを伝えることにはなります。授業者が常に見守っていることを知らせることが大切です。

最後の一つは、昨年度からGDMを経験している方が授業者です。
GDMの授業スタイルに慣れてきているのがわかります。落ち着いて子どもたちの様子を見ながら進めています。子どもたちにわかってもらいたい、わからせようという思いが強い方です。時として、そのためにテンションが上がり気味になることがあります。子どもたちの声を引き出そうと先導して声を出し続けてしまいます。最初だけは授業者の声で引っぱっても、すぐに声を落として子どもたち自身で言葉を出させるようにしたいものです。
なかなか声が出ない子どもも一生懸命わかろうとしています。何度も繰り返しているうちに、声を出せるようになっていました。この授業に限らず、どの授業でも子どもたちがわかろうとする意欲を感じる場面がたくさんありました。子どもたちにGDMが定着しつつあるようです。

高校2年生では、GDMと通常の教科書やテキストを組み合わせた新しいカリキュラムづくりに、日々挑戦しています。そのことを知っている先生も多いのでしょう、多くの方が参観していました。
1年生からの学習成果が感じられる場面が多い授業でした。全体での練習では、”situation”をしっかりと英語で表現しています。ちょっと不安な子どもも、ペアでの練習でしっかりとかかわりながら理解しているのがわかります。この日のテキストで必要な文法事項をまずGDMの手法で何度も練習をします。テキスト主体の従来の授業では、本文の例をもとに文法事項を学習しますが、文法事項を理解するには例文が少ないため授業者が解説したり、全く別の例文で練習をやり直したりします。そうではなく、最初からその文法事項を理解するのに最適な例でしっかり練習することで、定着を図ることをしています。テキストはその学習事項の活用という位置づけです。テキストを理解するために文法を学習するのではなく、学習したことを使ってテキストが理解できたという達成感を持たせるのです。
基本的に授業者は説明をしないので、子どもたちが英語を「話す」時間が圧倒的に多いことが目を引きます。言われたことの”repeat”ではなく、自分で”situation”を表現しているので子どもたちは英語を話している実感があります。そのことが子どもたちの意欲につながっていると思います。
“listening”や”reading”にICT機器を積極的に活用することで、子どもたちの顔がしっかり上がっています。ICTがムダのない密度の濃い授業につながっています。テキストを読むために必要な単語や語句の練習を、PCを使ったフラッシュカードで行います。こういった知識は知らなければ何ともできないので教えるのです。ただ、英単語と日本語の意味を1対1で対応させていることが気になりました。”root sense”をどう意識するか、もう一工夫が必要です。
この日のテキストはスティービーワンダーと人種差別に関する話です。スライド上で画像と音声を組み合わせたテキストをスクリーンに映すことで、上手く子どもたちの集中を引き出しています。全体とペアで”reading”を繰り返しますが、子どもたちは真剣に取り組んでいます。わかりたい、できるようになりたいという意欲が感じられます。
テキストの内容に関する問題が映し出されます。全体で答えさせますが、よくわからないために声が出ない子どもも目立ちます。しかし、ペアで答を確認し合った後に全体でもう一度確認をすると、かなりの子どもが答えることができていました。
子どもが困っている時には、関連する本文をすぐにスクリーンに映し出します。口頭でヒントを出すよりわかりやすく、ワイヤレスマウスを使ってスライドを戻すだけなので時間もかかりません。訳を写したり覚えたりするのではなく、英文の内容を理解することを大切にしている授業でした。
授業者が話す量が少ないので、丁寧にやっているようでテンポは速く、子どもたちの活動量はとても多くなっています。
子どもたちが英語をしっかり話せていることが、参観者の先生方には驚きだったようです。先生方の工夫で、子どもたちの持っているポテンシャルを引き出すことができることに気づかれたのではないでしょうか。よい刺激になったことと思います。
まだまだ完成形ではないでしょうが、確実に自分たちのカリキュラム、メソッドができつつあるのを感じました。

公開授業ではありませんが、2つの授業を見せていただきました。
一つは高校1年生の授業で、英作文に個別に取り組んでいる場面でした。苦戦をしている子どもが目立ちます。友だちと相談している子どももいますが、全体としては子ども同士があまりかかわれていません。授業者が個別に指導しますが、困っている子どもすべてには対応できません。子どもたちの集中力が切れてきました。隣同士で相談している子どもの間に授業者が割って入って教えます。一方の子どもは、今度は反対側の子どもと相談を始めました。先生が子どものかかわりをじゃまする形になってしまいました。授業者の指導は、何を参考にしたらよいかの提示程度にし、子ども同士のかかわりを大切にしてほしいと思います。子ども同士が相談しやすいように、個別の作業でもグループの隊形で行うのも一つの方法です。
下書きが書けたら、提出用の紙に書き直すように指示をします。子どもの作業を止めずにしゃべるので、子どもたちは聞いていません。「聞いて」と言った後、提出したものを添削して返すので、それを再度書き直すようにと指示をし直しましたが、徹底できたかよくわかりませんでした。鉛筆をいったん置かせて集中させ直してから、明確な指示をすべきでしょう。また、授業者が添削するのは悪いことではないのですが、子ども自身の手で修正させたいところです。子ども同士で見せ合って、指摘し合えるとよいでしょう。
課題に取り組ませて、個別に教師が正解を教えても子どもの力はつきません。英文が書けるようになるためには、どのような活動が必要なのかを考えて授業をつくることが必要です。このことに気づいてほしいと思います。

もう一つは高校2年生の授業で、問題演習の場面でした。
ペアで互いに正対するように机をくっつけて問題に取り組んでいます。授業者は自力でできなければペアと相談するように指示しました。
机間指導をしますが、子どもの手元をしっかりと見ているわけではありません。かえって子どもの集中を乱します。全体が見える位置から子どもたちの様子を見るようにするとよいでしょう。困っている子どもがいれば、そこに行って必要な支援をすればよいのです。子どもたちは集中して取り組んでいますが、相談する様子はあまり見られません。時間が経って体が倒れている子どももいるのですが、相談しようとはしませんでした。問題が解けてすることがないのかもしれません。
授業者は歩きながら、問題を解くには根拠が大切だとしゃべります。文章を読んで答える問題だから、できた人は文章の何行目に書いてあることから答えが出たかをメモするように指示しました。子どもたちの動きを止めずに説明するので、子どもの顔は上がりません。指示がきちんと通っているのか不安です。
子ども同士のかかわりが見られないまま時間が過ぎていきます。残り時間を1分30秒と切って、この時間は積極的に相談するように指示をしました。自分で解くことに集中していた子どもたちがここで体を起こして、ちょっと緩みました。子どもの声が聞こえ始めますが、全員が相談しているわけではありません。友だちに聞く必然性がないのかもしれません。
全体で答を確認していきます。授業者が簡単に問題の説明をしてから、子どもを指名し、答を聞いた後、どこに書いてあるかを確認します。4行目という答に対して「そうだな、4行目だな」と返して、その英文を読ませます。確認が終わると次の問題に進みます。指名した子どもとのやり取りはありますが、一問一答には変わりありません。
次の問題では、「”must”の意味がいろいろあったけど」と問いかけます。指名した子どもと、「しなければいけない」「その他には?」「”must not”で?」「していけない」「あと、もう一個、ポイント問題」「違いない」とやりとりをして、「ということは、○○さん、どういうことでしょう?」と問題の答を問いかけます。これでは、まるでパズルです。”must”の意味を覚えて、どれが当てはまるかを選ぶのです。”must”の”root sense”は「どうしても」「なければならない」という必然を動詞に付加するものです。日本語で「違いない」と訳しますが、”must”の別の意味ではないのです。”must”によってあらわされる必然という状況を自然な日本語に直しただけです。日本語と対応付けて理解するのではなく、原文の表わす”situation”を理解するようにしたいところです。
子どもが記号で答え、授業者が正解であることを判断して、その理由を説明し始めます。根拠を大切にするのはよいのですが、一方的に授業者が説明しているのが残念です。子どもが正解したのですから、子どもに根拠を聞きたいところです。
「普通、”for”の意味は何かな?」「何とかのため」「普通みんな、何とかのためというんだよな。実は今回はちょっと異なってくるんだな、知ってる?」と畳みかけていきます。子どもが考えたり調べたりする間がありません。知識を蓄えて素早く引き出せる訓練をしているようにも見えます。
英語をきちんと理解することができれば問題は解けるようになります。問題を解くことを目的とするのではなく、問題を解くことを通じて英語を理解できるようになることとして授業見直してほしいと思います。とても熱心な先生です。授業を改善する意欲も旺盛です。視点をちょっと変えることで大きく進歩するはずです。今後の変化を楽しみにしたいと思います。

この続きは次回の日記で。

理科の公開授業から学ぶ(長文)

前回の日記の続きです。

理科の先生方は、日ごろから科目に応じていろいろな工夫をされています。今回公開された授業はアクティブ・ラーイングを意識したものでした。

高校1年生の物理(基礎)は、力のつり合いの問題の解説の場面でした。
授業者はポイントを確認し、指名した子どもとやりとりしながら解答を進めていきます。最初に指名した子どもは、基本がよく理解できていないのか、力の向きや作用点が混乱しています。授業者は、「○○?」と子どもの発言を復唱しながら修正させています。上手い対応です。ちょっとおかしな答にはまわりの子どもが声をかけて修正してくれます。よい雰囲気なのですなのですが、それ以外の子どもは他人事です。他の子どもにも、「ちょっと○○さん困っているね。どこに着目するといいかな?助けてくれる?」とつないでみるとよいでしょう。
授業者はポイントを整理するのですが、言葉だけでのやり取りになっています。もちろん演習前にきちんと押さえているはずですが、問題を解く前や解説する時に「物体が静止⇔物体にかかる力(合力)が0」と板書したりして、困った時に戻れるようにしておくとよいでしょう。
注意をしなければいけないのが作用点です。物理のベクトルは数学のように始点がずれていても平行で大きさが同じであれば等しいというわけにはいきません。大きさが同じで向きが反対でも、作用点が同一直線上になければ、釣り合わず、回転モーメントが生じます。ただ、回転についてはまだ扱っていませんので、このあたりを上手に押さえておかないと混乱します。力がかかっているところが点の場合はよいのですが、机の上に平たい物が置かれている場合、抗力の作用点がどこかを考えるのは、実は難しいのです。正解を書ける子どもでも、なぜそうなるかをきちんと説明するのは難しいと思います。また重力のように遠隔力の場合は接触面がありません。そのために重心という概念が必要になってくるわけです。接触力と遠隔力を意識しないと作用点は混乱するのです。場合に分けて、きちんと理解させる必要があります。混乱している子どもがいるようであれば、一度全体できちんと確認をするとよいでしょう。
また、子どもの中で力と力の大きさが混乱している場面がありました。授業者も正しくは力の大きさというべきところを、単に力と言っていることがありました。わかる人にはそれで通じるのですが、子どもによっては混乱の原因になってしまいます。意識することが必要でしょう。
授業者は子どもを指名して対話的に進めようとしています。子どもが期待とずれた答をしても認めて受け止めることができ、その考えを活かそうとしています。とてもよいと思います。しかし、どうしても指名した子どもと2人だけの世界になりがちです。他の子どもたちをどう参加させるかを意識するとよいでしょう。
一問一答の連続で進むのですが、答を聞くことが主となっています。問題を前にしてまずに何を考えるの、どこから手を付けるのかといった見通しを全体で共有するとよいでしょう。「この問題は何を求められているの?」「何がわかる必要があるの?」といった問いかけから始めるのです。
板書も問題の答だけしか残っていません。どうやって考えたのかといった問題を解く過程は、「授業者と指名された子どものやり取り」と「授業者の説明」なので、メモを取れる子どもならよいのですが、そうでなければ消えていってしまいます。問題を解くための見通しと合わせて、どこかに残すようにするとよいでしょう。
授業者は子どもとの対話を意識しています。ちょっとずれた子どもの発言も受容して、キャッチボールをしながら正解に導こうとしています。とてもよい姿勢だと思います。次は、そこから出発してどのようにして全員参加にするのかを工夫してほしいと思います。

2年生の化学(基礎)は、molを使った計算問題の演習場面でした。
子どもたちがグループの形で問題に取り組んでいます。とてもよい表情です。学級の雰囲気のよさを感じました。授業者は机間指導の途中で子どもたちに呼び止められると、その質問に答えます。授業者が個別に教えていても、まわりの子どもは一緒に聞こうとはしません。せっかくのグループですので、「他にも困っている人いない」「わからなかったら聞いてごらん」と、自分で教えずに他の子どもにつなぐようにするとよいでしょう。
グループでの問題演習は前時から始めたので、まだ2回目だそうです。しかし、子どもたちは他の授業でグループの形に慣れているので、抵抗なく進みます。多くの先生がグループ学習を取り入れているので壁は低くなっているのです。この先生も、これからグループ活動のポイントを自然に身につけられると思います。
この授業でとても面白い出来事がありました。ある子どもが、一緒に授業を参観していた校長に「先生、何の(教科の)先生?」と声をかけてきました。「この問題教えて」と聞くのです。校長は「自分でできるよ。やってごらん」と優しく返します。ここで教えないのはさすがです。校長が用事でその場を離れると、今度は私に聞いてきます。もちろん自分でやるようにうながしました。その子どもは、その後も問題に取り組んでいましたが。答え合わせが終わった後、ワークシートひらひらさせて「できたよー!」「○○(コース名)もやればできるんだから」とうれしそうに声をかけてきました。「ほら、自分でできたじゃない。すごいね」と声をかけると、、向き合っている子どもを指して「いっしょにやった」とちょっと照れたように答えてくれました。そして、「先生は私たちをチェックしているの?」と聞きます。そうではなく、授業をしている先生にアドバイスをするためだと伝えると、授業者の評価をするのだと勘違いしたのか、「○○先生は、とってもいい先生だよ」と授業者のよさを私にアピールし出します。私が「わかっているよ」と言っても止まりません。「とても面倒見がよく、私たちのことを真剣に考えてくれる……」と、話し続けてくれました。とても幸せな気分で教室を後にしました。実はこの子どもは、化学の成績は一番下の方だそうです。その子どもからこのような姿が見られたことをとてもうれしく思いました。
この学校では、中学生のころの成績が真ん中あたりの子どもたちが入学してきます。中学校時代はあまり先生方にかかわってもらえなかった層です。だから、先生が子どもたちとかかわることで、意欲的になるのです。子どもたちのよい姿を見ることができるようになったのは、この学校の先生方が子どもたちとしっかりかかわっているからだと思います。このことをこれからも大切にし続けてほしいと思います。

高校3年生の化学の授業は、ベンゼンの学習でした。
教科書が大事だということで、時間を取って子どもたちに教科書を黙読させます。子どもたちは集中して読んでいます。
読み終わった後、授業者が「大事なのはベンゼンの形……」と、この時間のポイントを説明しますが、今一つ子どもたちが集中していません。授業者が椅子を手にして、「脚が4つあるけど、これが3つになるとどうなるの?」と問いかけると、子どもたちが一気に集中します。物を使うよさがよくわかる場面でした。椅子の脚が3本になると座れないことから、形が大事だと確認します。私たちの世界が3次元であることから、立体構造が大切なことを説明しまが、すぐにスルホン化の話になりました。化学の授業ですので、分子の構造が変わると化学的な性質が変わることも押さえてほしいところでした。
ここで、授業者はどうして水素とスルホン基が入れ替わるのか、模型を使って確かめようとつなげましたが、立体構造を考えることと、水素とスルホン基が置換することの関係がよくわかりませんでした。
ここまで、5分ほど授業者が一方的に話します。柔らかい口調でとても聞きやすいのですが、子どもたちとやりとりする場面がほしいところです。続いて、ベンゼンに関連して豊洲市場の汚染問題について話をします。子どもたちに有機化学の学習が現実世界と結びついていることを教えようとするのはとてもよいことですが、ここまでで子どもたちの集中力が切れています。残念ながら子どもたちの顔は上がってきませんでした。
グループに分かれて、ベンゼンの分子模型を組み立てます。準備ができてから、授業者が追加で説明を始めますが、物を前にするとどうしても触りたくなります。この状態で話をしておあずけ状態にすると、せっかくのやる気をそいでしまう可能性があります。説明はグループにする前に終わっておきたいところです。
ベンゼン環の二重結合と単結合が局所化していないことを説明します。高速で二重結合が切り替わっていると説明しますが、どうしてそうなのか、どうやってわかったのかは説明されません。二重結合の2つの結合が等価でなく、一方のπ結合が弱いことを学習していないため、π結合が特定の結合に寄与していないことを説明できないのかもしれませんが、どういうことか疑問に思う子どももいると思います。そもそも、模型をつくると言っても、あくまでもモデルです。炭素間の間隔が一定であることから、何が言えるのかといったことを子どもたちに考えさせなければ、構造は見えません。同じ距離でも平面上に六角形をつくることも、上下に交互にねじれた形にもできます。構造を決定するに至る情報を与えなければ、考えることはできません。
授業者は二重結合の方が強いことを子どもたちと確認して、距離が短いので短い方の棒でつなぐように指示します。こういった説明のために手元に模型を持たせたかったのかもしれませんが、ICT機器を活用すれば手元に模型が無くても説明できたと思います。
この考え方であれば、炭素間の距離は高速で切り替わっていることになりますが、子どもたちは疑問に思わないのでしょうか。また、炭素の混成軌道による結合角度をきちんと確認しておかなければ、どのような形になるのかはわかりませんし、分子模型の結合部分の角度がどうしてそうなっているのかも理解できません。組み立てて考えるといっても、単にパズルを解いているだけになってしまうのです。
子どもたちは、何を手掛かりに、どうやって進めればいいのかよくわかっていません。そのため、なかなか動き始めません。答から組み立てようというのでしょうか、教科書をめくる子どももいます。子どもたちは、何となく模型を組み立てますが、感動は感じられません。そこから何がわかるかよくわからないのです。
全体で、ベンゼンが正六角形になっていることを確認します。いびつになるはずだと指摘があれば面白かったのですが、正六角形に見えるので子どもたちは疑問に思いません。結局、答を受け入れるだけです。ベンゼン環が平面になることも、模型から説明しますが本末転倒です。せめて、混成軌道なら結合角度はこうなるはずだということを押さえてあれば、そこを根拠に納得できるのですが、論理の流れがおかしくなっています。
物を使うことで、子どもたちに意欲を持たせようとしたことはとてもよいことだと思います。ただ、課題の意味が子どもたちによくわからないため、子どもたちの活動が低調なまま終わり、深く考えることにつながらなかったことが残念でした。子どもたちが疑問を持つことや、考えるための手掛かりをきちんと与えることが必要です。化学的に何が根拠でこの結論が出てきたのかを意識して授業を組み立てる必要があります。そうでなければ、化学はただ覚えるだけの教科になってしまいます。そのことに気づいていただければ、今後授業が大きく進歩すると思います。

どの授業も今後への課題がよく見えるものでした。自分の課題を意識して授業に取り組み、改善することを続けていってほしいと思います。理科は分野によって様々な工夫が求められます。互いに見合うことで学べることの多い教科だと思います。理科がチームとして授業改善に取り組んでいただけること期待したいと思います。

この続きは次回の日記で。

数学の公開授業から学ぶ

前回の日記の続きです。

数学の先生方は、問題演習をグループでやることが増えてきているように思います。ただ、数学的なものの見方・考え方を子どもたちに身につけさせるという視点がまだ弱く、(試験に出る)問題の解き方を覚えさせることが主なように感じています。また、今回は授業を公開されたが少ないことが残念でした。

中学1年生の数学の授業は関数の導入場面でした。
授業者は以前と比べると笑顔つくることができるようになっています。子どもをほめる場面も増えてきているように思います。教室の空気がよくなっているように感じました。
座標表面上に与えられた座標を持つ点を取る練習です。点を結ぶと絵が浮かび上がるようになっています。子どもたちは、一生懸命に作業をしています。こういった訓練も大切なので、よい工夫だと思います。「先生、できた」と声を上げる子どもに対して、「あー、正解」と笑顔で返します。子どもとのコミュニケーションとしてはよいのですが、正解かどうかを常に先生が判断すると、子どもたちは先生に正解を求めるようになります。中には、席の離れた友だちに見せている子どもいます。こういった雰囲気を活かし、子ども同士で確認し合う場面をつくるとよいでしょう。
もう一つの学級では、定義域が有限区間となっているグラフをかく場面でした。授業者は「グラフはこの先続いているから」と定義域以外は点線でかくように指導していました。この説明は?です。というより、グラフは定義域以外には存在しません。関数は対応と定義域、値域とで定義されるものです。数学的にはこの点線部分はグラフの一部ではないのです。比例であれば、グラフが直線の一部分になっていることをわかりやすくするために、点線で延長しているのです。
授業者の表情が説明の場面になると固くなることが気になります。子どもたちを説得しようとしているのからでしょうか、一方的にしゃべっています。
子どもたちにグラフがかかれているプリントを配り、「グラフの正体は何なのか、考えてください」と指示します。グラフの正体とは何を意味するのかよくわかりません。グラフを表わす式を求めることを言っているようなのですが、関数はグラフで定義することも可能です。というか、グラフそのものが関数を表わしていると言ってもよいのです。対応を表わす式を関数だと思ってしまい、式と関数が混乱している子どもにもよく出会います。対応(写像)であることを意識し、その表現方法にグラフや式(定義域、地域を含む)があると理解してほしいと思います。
机間指導しながら子どもに声をかけますが、全員ではありません。中途半端なことをせずに全員○を付けることを意識するとよいと思います。
時間が無くなったので答を確認せずに、「正解だった人は計算で求めることができるので、どういう計算をしたら答が出るか考えてほしいと思います」とまとめます。授業者がこういう発言をすると、結局先生の求める答探しになってしまいます。
課題に取り組む前に、「できるだけ、いろいろなやり方を考えてみよう」と指示することで、子どもたちからいろいろな考え方が出るようにし、それを全体で出し合い、共有することが大切です。答ではなく、考え方が大切であることを伝えることが重要です。
また、グラフだけから対応の関係を表わす式をつくることはできません。定義域が実数であればグラフのすべてを書くことはできないからです。「比例である」「直線である」といった条件(仮定)がなければ、決定することはできないのです。このことを意識できていない先生に多く出会います。関数とは何か、グラフとは何かをきちんと理解して授業を組み立てる必要があるのです。
数学的に何が大切か、また活動を通してどのような見方・考え方を身につけさせるのかを意識してほしいと思います。

高校1年生の数学の授業は三角比の演習の時間でした。
子どもたちは個人で問題に取り組んでいますが。自分たちで相談をしています。わかりたいという意欲を感じます。子どもたちは相談することに慣れているようです。最初からグループの形で活動をしてもよかったのではないでしょうか。
時間の都合で答え合わせの場面を見ることができませんでしたが、授業者が説明をしないでも、子どもたちの発言だけで進めることができるように思います。子どもたちが相談できるようになってくれば、授業者が余計な説明をするよりも、子どもたちを信じて、子ども同士で解決させることを意識するとよいと思います。
子どもたちのよい姿を見ることができました。

今回はたまたまかもしれませんが、数学の先生方全体から、授業改善に対するエネルギーをあまり感じることができなかったことが残念です。数学の授業をどのように変えていけばよいのかという方向性が見えていないからかもしれません。今度の学習指導要領の改訂では、学び方が大きく問われます。また、これからの時代に生き抜く子どもたちに、数学の教師としてどのような資質・能力を育てるのか、そのためにどのような数学的な見方・考え方を身につけさせるのかも問われます。数学の教師としてどう対応していくのか、教科全体で考えてもらいたいと思います。

この続きは次回の日記で。
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