授業アドバイスツールの実践レポートが楽しみな学校
元気な学校応援プロジェクトの一環で、授業アドバイスツールの貸出しを希望している小学校に、開発会社の担当者と活用方法についてのアドバイスを行ってきました。校長とICT担当の先生が対象です。
この日は授業アドバイスツールの使い方を実際の授業で体験していただきました。私は教室の前から子どもたちの様子を授業アドバイスツールで記録します。この学校ではふだんは教室の後方から先生を中心に見ているようなので、私の視点が新鮮だったようです。校長は、実際に教室の前方から子どもの様子を見ることで、子どもたちの授業に対する集中や参加度がよくわかることに気づいていただけたようです。子どもたちの反応や動きをしっかりと振り返ることや共有できるという授業アドバイスツールのよさも納得していただけました。 校長とは、授業アドバイスツールについての話だけでなく、子どもたちを見ることでどのようなことがわかるか、授業がどのように改善されていくかということについて、お話することができました。 「挙手する時の子どものテンションから、授業が一問一答になっているかどうかがわかる」「発言した後の子ども表情から、自己有用感を感じているかどうかがわかる」といったことは、あまり意識をしていなかったようで、新鮮に受け止めていただきました。非常に前向きで、エネルギーのあふれる方です。貪欲に吸収しようとする姿勢がとても素晴らしいと感じました。また、「笑い」を学校行事に取り入れるなど、ユニークな取り組みもされています。この校長の学校なら、授業アドバイスツールを有効活用するだけでなく、きっとユニークな使い方も提案していただけると思います。このツールの開発にかかわった者として、実践レポートが届くのがとても楽しみです。 学校全体に共通の課題を伝える
小学校で授業アドバイスを行ってきました。初めて訪問する学校で、今年度3回授業を見せていただく予定です。
この日は学校全体の様子を参観させていただき、その後全体に対してお話をさせていただきました。 学校全体で共通している課題がいくつかあります。 授業規律について言えば、授業者が意識して指示をしたことはある程度徹底できています。しかし、当たり前ですが、授業者が意識していないことはできていません。たとえば、作業が終わって顔を上げさせても、授業者が話し始めれば視線がどこかへ行ってしまうといったことが起こるのです。顔を上げさせることが目的ではなく、授業者を見て集中して話を聞いてもらうのが目的です。そのために、まず顔を上げさせるのです。しかし、授業者が集中して話を聞かせることを意識していないと、子どもはとりあえず顔を上げますが、話し始めた後の指示は特にないので勝手な行動をとってしまうのです。かといって、毎回一つひとつ指示をしているようでは困ります。子どもたちが自分で今どうすればよいか考えるようにすることが必要です。「次に先生は何を言う(指示する)と思う」と子どもたちに問いかけるとよいでしょう。子どもたちが次の指示を予測するようになれば、自然にこういった問いかけも必要でなくなります。何も指示しなくても行動できるようになっていくのです。 また、指示に従えていない子どもを注意して直そうとする傾向があります。顔が上がらない子どもがいれば注意をします。当然のことのように思いますが、これをしているとモグラたたきになってしまいます。なぜなら、注意をされなかった子どもには他人事で、あまり印象に残らないからです。意識していませんから、今度は自分がやってしまうのです。そうではなく、顔を上がっている子どもを固有名詞でほめることが大切です。子どもは基本ほめてもらいたいと思っています。人がほめられていることはまねして自分もほめられようとします。まねてしてよい行動をとった子どももすかさずほめることがポイントです。そうしないと、せっかく自分もまねしてほめられようとしたのに、「最初にやった人しかほめられないのか」と、次第にまねをする気持ちがなくなっていくからです。 先生方の表情も気になります。指示に従えない子ども、きちんとできていない子どもを注意しようとしていると、どうしても子どもをチェックする目で見てしまいます。授業中に表情が厳しい先生が多いのです。それと関連しているかどうかはわかりませんが、子どもの発言や反応に対してポジティブに評価や価値付けをしている場面もあまり目にしませんでした。先生方には、いつも笑顔で子どもを見守り、受容することをお願いしました。 子ども一人ひとりを見ていないと感じる場面も多くありました。 黒板やディスプレイに向かってしゃべっていたり、音読で授業者が教科書をずっと見ていたりすることが多くあったのです。先ほども例に出しましたが、授業者が話をしているのに子どもたちが集中していないような場面は、そもそも子どもたちを見ていなければ気づくこともありません。子どもたちに集中してほしいと思っていれば、自然に子どもたちの様子が気になって、見ようとするはずです。 また、子どもに発言させている時に発言者しか見ていないことにも注意が必要です。発言を聞いている時に子どもたちがどのように反応しているかを見ておくことはとても大切です。聞いていない子どもがいれば聞くようにうながすことが必要ですし、うなずいたり、よくわからないといったりした子どもの反応を見ていなと授業を修正することもできません。机間指導も、子どもの手元ばかりを見ていると学級全体の様子を把握することができません。個別指導に集中してまわりを見ることをしていないと、他の子どもが課題を終わって遊んでいても気づくことができずに、子どもたちが集中を失くしてしまうこともあります。 低学年では子どもたちがテンション高く挙手をする姿が目につきました。先生が好きで指名されたいという気持ちの表れですが、テンションが高いのは指名されるチャンスが1回しかないことが原因です。友だちの答が自分と同じだと、「言われた」と悔しがる姿も目にします。しかし、「正解」と言わなければ、何人でも指名できます。「なるほど○○さんは、……になったんだ」「じゃあ、△△さんは?」とすれば、何人にでも指名できます。チャンスは何回かあるので、落ち着いてきます。「○○さんと同じ考えの人?」と言って、「じゃあ、△△さん、あなたの言葉でもう一度説明して」と同じ考えの子どもをつなぐ方法もあります。こうすると、同じ考えであればかえって指名されるチャンスが増えますので、友だちと同じ考えであることに肯定的になります。一問一答をちょっと見直してほしいと思います。 また、ほとんどの授業が挙手だけで進んでいました。そうすると挙手できる子どもだけしか活躍できません。「わかった人?」と聞くとわかった人しか答えられません。どの子どもも参加できる、活躍できることが大切です。ペアやグループでの活動も全員参加の一つの方法です。たとえば隣同士相談させて、その様子から「○○さん、しっかりと話して(聞いて)いたね」とほめて「どんなこと話した(聞いた)?」と問いかければ答えやすくなります。「わかった人?」ではなく、「困った人?」と聞くことも時には必要です。わかったことではなく、困ったことから出発するのは問題解決の発想としても正しいことです。 先生方は子どもに考えさせたい、子どもの発言を活かしたいと考えているのですが、板書には、答や結論ばかりが書かれています。根拠や考えの過程、子どもの発言といったものがほとんど残っていないのです。板書を写せば答はわかりますが、どうやったら解き方が見つけられるかといったことはわかりません。手順はわかってもその手順を見つける力はつかないのです。 子どもに発言を求めても、最後に授業者が黒板にまとめるのであれば、子どもは無理に参加する必要はありません。友だちの話を聞いていなくても、板書を写せばそれで済むからです。まとめは子どもの言葉でつくることが大切です。授業のまとめは子ども自身に書かせるとよいでしょう。ちゃんと書けるか不安であれば、友だちと見あったりさせればよいと思います。何人かの子どものまとめを実物投影機で映すというやり方もあります。友だちのまとめを見て、よいと思ったところを書き足すようにすればそれで十分でしょう。どうしても、板書しないと不安であれば、子どもに発表させてそれをそのまま黒板に書くようにします。何人かに聞いて書き足していけば、立派なまとめが子どもたちの言葉でつくれるはずです。子どもからよい言葉が出てこない時はどうするのかという質問をされる方がいますが、もしそうだとすると授業がダメだったということです。子どもに大切なことは何かが伝わっていないからです。授業者がいくらよいまとめをしても、それを写すだけで力はつきません。子どもにまとめさせるということは、その日の授業の評価でもあるのです。 今回は、このような内容をお伝えしましたが、先生方にどのように受け止めていただけたでしょうか。次回9月の訪問で授業がどのように変わっているか楽しみです。 子どものつぶやきで進めることに頼りすぎない(長文)
前回の日記の続きです。
5年生の算数は少人数授業で、式からどのように考えたのかを読み取る場面でした。 1辺が6個の●でつくられた正方形の●の合計の数を考える問題です。授業者は、「Aさんはこの図を見てこんな式を考えました」と図を提示してから、(6−1)×4と黙って板書しました。子どもたちは、授業者の手元に集中しています。書き終って黒板の横に黙って立っていると、子どもたちが、「ちょっと違う」「おかしい」といったことをつぶやきます。授業者は優しい表情でその言葉を聞いています。「えっ、違うの?」と声をかけると、「式が違っている」「答はあっている」といった言葉が返ってきます。子どもたちが疑問を持って、この課題に引き込まれていくのがわかります。「(柔らかい口調で)話す」「(黙って)書く」「(子どもたちの反応を)待つ」といったメリハリが効いているために、子どもたちがよく集中し、しっかりと参加しています。 「Aさんの考え方をこの前やったように図を丸で囲んでわかるようにしてほしい」と指示します。子どもから「式はあっとる?」というつぶやきが出てきます。授業者は笑顔で「式は?」「答は?」と返します。こういったつぶやきを軽く受容してくれるので、子どもたちはよくつぶやくのでしょう。 「今日のめあて」と授業者が言うと、子どもたちは素早くノートを開き鉛筆を持ちます。よい授業規律ができています。「今日のめあて、どうしよう?」と子どもたちに問いかけます。授業者が一方的にめあてを与えるのではなく、先に課題を提示し興味を持たせることで、子どもの言葉でつくろうとしています。とてもよい導入だと思いました。 子どもがいろいろとつぶやいてくれます。授業者は子どものつぶやきを復唱しながらめあての形にしていきます。子どもたちは一生懸命に自分の考えを聞いてもらおうとしますが、授業者と発言する子どもだけの関係になっています。つぶやきだけでやり取りするのではなく、「ちょっと待って。今言ったことみんなにわかるように話してくれる?」と、つぶやきを全体に広げるような場面がほしいと思います。一部の子どもだけで進めるのではなく、学級全体で考えを共有しながら進めるようにしたいところです。 図を配って、個人で考えさせます。十分時間をとった後、ペアでお互いの考えを伝え合います。まずは自分の考えを説明できることが目標です。子どもたちは落ち着いて自分の考えを話しますが、ほとんどの子どもは自分のノートを見てしゃべります。子ども同士の視線が交わらないのが残念です。そのせいか、聞いている子どもがあまり反応していません。説明の図を間に置き、それを使って相手の目を見て説明するようにしたいところです。 面白いのは、ペアでの活動が終わったら、後ろで自由に交流してよいというルールです。少人数で後ろにスペースがあるので他の子どものじゃまになりません。新たな発見があれば席に戻って書き足すのです。 ペア活動が終わった後、子どもたちはまずノートに説明を書き足していました。日ごろから友だちの説明を聞いた後は、自分の考えに足すようにしているのでしょう。よい学習習慣が身に付いています。書き終った子どもは後ろに移動して他の子どもと交流をします。ここで心配なのは、自由に交流すると仲のよい子同士でグループになって、テンションが上がってしまうことです。座席をもとにグループをつくるのはそういったことを避けるためでもあります。子どもたちの様子が気になりましたが、テンションも上がらず落ち着いて聞き合っていました。この場面だけでなく、授業全体で子どもたちが落ち着いていることが印象的でした。 全体で発表させます。子どもたちに挙手させるのですが、思ったほど手が挙がらなかったのでしょう。授業者は、「全部完璧に言うのは難しいと思うから、『私はここまでわかっている』とかでもいいから」と発表しやすいように言葉を足します。 指名された子どもはその場で発表しようか、前で発表しようか迷っています。前で発表しようと動いた時に授業者は、時間がもったいないから「早くしよう」と声をかけます。決して厳しく注意をするというのではなく、明るくうながします。子どもたちとよい関係を保ちながら上手に授業の流れをコントロールしていると思いました。 発表者は、図を使わずに言葉だけで説明していきます。言葉での説明に慣れているように思います。ここで授業者は「頭に入ってこないから、どこのことか説明してくれる?」と図を使うようにうながしました。悪い対応ではないのですが、授業者でなく子どもからこの言葉を出させたいところです。「今○○さんの言ってくれたこと、どこのことかわかる?」と子どもたちに問いかけて、「わからない」といった言葉を引き出すとよかったでしょう。 発表者は「(6−1)は」と言いながら、図の1つの辺の●を一方の端からもう一方の端の1個を除いて線で囲みます。「これが4つあるので」と同じように残りの3か所を線で囲みました。この間子どもたちはとても集中して発表を聞いていました。 2/3くらいの子どもたちはハンドサインで賛成を示します。授業者はここで「付け足し?」と付け足すことがないかを子どもたちに問いかけます。「なし?」「えっ、完璧?」「付け足しなし?」と子どもたちを揺さぶります。安易な「いいです」という賛成で先に進めないのはとてもよいことです。こうすることでハンドサインの形骸化を防ごうとしているようです。 「同じ考えした人?」というと数人の手が挙がります。「付け足しできる人?」というと手が下がりかけます。「違う考えの人?」と言って、手の挙がっている子どもを指名しました。「付け足し」という言葉にこだわるとなかなか発表しづらいと思います。こういう場合は、単に同じ考えの人や賛成した人に、もう一度説明してもらえばよいのです。たとえ同じ説明をしようとしてもできるものではありません。微妙に違ってきます。そこで、異なった表現や付け足された内容を評価していけばいいのです。 次に指名された子どもは、4つの辺をそれぞれ囲んで、重なっているところ消してと説明します。子どもたちはその説明がよくわからないようです。あまり反応しません。授業者は「うーん。なるほど」といって、また「付け足し?」と問いかけます。当然この状態では子どもたちは反応しません。「意見?」と言葉を重ねますが、反応はありませんでした。 そこで授業者はそれぞれの図を指し、どちらの考えをしたか挙手させます。多くは1人目と同じでしたが、2人目と同じ子どもも何人かいます。ここで、「どちらが正しいと思う」と問いかけました。すると、最初に発表した子どもが手を挙げて、もう一人の説明で、頂点の4つを消すと辺が4個ずつになることを指摘します。発言のはっきりしないところを授業者が発表者に確認していきます。子どもたちはしっかりと聞いていますが、授業者と発表者の2人の世界になっていきました。 授業者は発表者を席に戻した後、重なっていない4個ずつの4つの辺を計算したあと、重なっているのはどうすればいいかと問いかけます。数人の手が挙がります。ちょっと待ってから、一人を指名すると「4×4で16になるので違うと思います」と授業者のねらいと少しずれた答が出てきました。ここで、授業者は、まず「4×4はわかった?」とこの発言を全体に確認します。続いて「4個が4組あるけど、どこのことかわかる」と問いかけて、子どもの発言を否定しないようにずれを修正しようとしています。なかなかだと思います。しかし、一部の子どもつぶやきだけで授業が進んで行くので、多くの子どもはこの展開についていけなくなっています。最終的に、2人目の説明の図では式が4×4+4になってAさんの式とは違うことを押さえ、「求めることはできるけど考え方が違う」とまとめました。最後に、間違えていた子どもに、友だちの説明は自分の考えと同じか、納得したかと確認しました。こうすることで、自分の考えを否定されたという気持ちは薄れると思います。これもよい対応でした。 基本的に子どもつぶやきを拾う形で進んで行くのですが、これだけでは全員参加には限界があります。他のやり方も意識するといいでしょう。この場面では、「Aさんの式は置いておいて、2人の図で式をつくるとどうなるかな?ちょっとまわりと相談してごらん」とすると、他の子どもも参加しやすかったと思います。隣同士やまわりと相談させるのです。 続いて最初の図の説明にもどり、(6−1)と4がどの部分かを問いかけました。ずいぶん回り道になりました。最初に「付け足し」にこだわったことが苦しい展開になった原因です。付け足しにこだわらず、すぐにこの発問をして、他の子どもに答えさせればすっきりと進んだと思います。一つひとつ発表や発言をきちんと全員が理解することを先にすべきなのです。 話が横道にそれていたために、反応できる子どもはわずかです。ここでもまわりと相談させるといったことが必要だったでしょう。 指名された子どもの説明が終わると「あー、なるほど」という声が上がります。このような時には、声あげた子どもに「どういうこと?何がわかった?」と聞いて説明させると、まだよくわからない子どもの理解を助けてくれます。授業者はすぐに次に進みましたが、ちょっともったいないと思いました。時間が気になっていたのかもしれません。 「6は何を表わすか」「引く1はどういうことか」を再度確認していきます。子どものつぶやきだけではなかなか焦点化できません。「そのまま計算すると重なった部分が……」と最初に考えを発表した子どもがつぶやいたので、「説明して」とまたその子を指名しました。この授業時間中、この子どもばかりが発表します。発表に対して授業者が言葉を足したり問いかけたりして、また2人だけの対話で進んで行きます。さすがに視線が下がる子どもが目立ってきましたが、それでも子どもたちは授業に参加しようとしているように見えます。発表者とだけやり取りするのではなく、他の子どもたちに問いかければ、きっと積極的にかかわってくれたと思います。 発表者が席に着いた後。授業者は子どもの言葉でまとめようとします。しかし、先ほどの子どもが大きな声で話すので、他の子どもは板書される結果を見ているだけになってしまいました。ここは、その子どもを「ちょっと(発言を)待ってくれる」と制して、他の子どもに発言させなければいけない場面でした。 続いていよいよこの日の本題です。「辺の数が7だとAさんの考え使える?」と問いかけます。本時のねらいは同じ考え方を使えば一般化できることと、そこから関数的な考えにつなげていくことです。元となる考え方はどれでもよいのです。Aさんの考えにこだわる必要はありません。できれば、先ほど出てきた別の考えも活かしたいところでした。 辺の数が7個の時、8個の時にどんな式なるかを個人で考えます。子どもたちは作業中によくつぶやきます。決して悪いことではないのですが、授業者に向けて発せられる言葉です。授業者がよく拾ってくれるのでそうなるのでしょう。個人作業の場面でも、「隣の人に聞いてごらん」「相談していいよ」と子ども同士をつなぐことも意識してほしいと思います。 全体で「式を教えてください」と挙手を求めますが、半分ほどしか手が挙がりません。まだ、ノートに書いている子どももいます。作業をきちんと終わらせて顔を上げてから、問いかけることが大切です。それでも、指名された子どもが発表すると子どもたちはそちらに顔を向けます。こういったとこところは本当によく子どもたちが育っていると思います。授業者は指名された子どもが式を言うとその場で板書を始めます。せっかく発表者を見ている子どもたちの何割かは黒板の方を見てしまいます。ここは、じっと聞いているべきでしょう。続けて他の子どもを何人か指名して答を共有し、「いいかな?じゃあ黒板に書くね。だれか言ってくれるかな?」とちょっと不安な子どもを指名するとよいでしょう。大切な式なので、何人にも言わせるのです。自信のない子ども、よくわからない子どもも聞いていれば答えられるので、意図的にそういう子どもを指名します。こういったことが全員参加につながるのです。 続いて辺の数8個の場合を聞き、最初の式と変わっているところ、変わっていないところを確認します。よい展開なのですが、ここでも一部の子どもの挙手で進んで行きます。 全体で、辺の数を増やしながら、式を言わせていきます。その時「4個ずつ増える」とつぶやいた子どもがいました。授業者は「答がね」と受けて「今式を考えているから」と「式だと何が変わる?」と返しました。うまい対応ですが、子どもの発言は関数的なとてもよい気づきなので、「すごいことに気づいたね。この考え方はこの後の単元で出てくるから覚えておいてね」とちょっとした価値付けをしてあげるとよかったと思います。 最後のまとめを子どもたちとつくります。「今日のキーワードは?」と問いかけて「1辺の数」を引き出し、「1辺の数に注目すると」と子どもに続きを考えさせます。何人かの子どもがつぶやいてくれるので、キャッチボールしながら修正していきます。よい場面なのですが、どうしても一部の子どもとのやり取りになってしまいます。他の子どもが聞くだけでなく、ここにかかわれるようにすることが課題です。 最終的には、「1辺の数に注目すると辺の数が変わっても同じ考え方でできる」とまとめました。このまとめは、指導書に書かれているものですが、私には違和感がありました。1辺の数に注目するというのはたまたまです。授業者が子どもたち問いかけていた「変化するものと変化しないものに注目する」ということをまとめに活かしたところでした。 授業者は子どものつぶやきを拾ったり、切り返したりといった対話がとても上手です。しかし、それに頼るあまり、一部の子どもとの個の関係で授業が進む傾向あります。子どものつぶやきを全体に広げたり、出てきた課題を一人ひとりに考えさせる時間をとったりできるとよいと思います。また、授業者と個との対話だけでなく、子ども同士が相談するといった場面をもっと取り入れると授業の幅がぐっと広がると思います。 子どもを受容することを含め、基本的な力はとても高い先生なので、ちょっと意識を変えるだけでぐっと伸びると思います。 次に授業を見せていただくのがとても楽しみな先生でした。 子どものつまずきに寄り添う(長文)
前回の日記の続きです。
2年生の算数は問題をテープ図に表わして考える場面でした。 授業者は子どもたちをほめることを意識していますが、表情が乏しいために上手く伝わっていないように見えます。教師は意図的に笑顔をつくることも必要です。これはある意味「訓練」です。いつも笑顔でいられるように、子どもたちに笑顔が伝わるよう意識することをお願いしました。 問題を黒板に貼って、子どもたちに読ませた後、たずねていることは何かを問いかけます。指名された子どもが問題文の該当箇所に波線を引きます。子どもたちは集中して見ています。授業者は指名した子ども見ながら「そうだね。はい、よしよしよし」と声をかけていました。子どもを認めるよい声かけに思えますが、授業者がこれで正解だと判断していることが他の子どもに伝わります。「どうですか?」と書き終った子どもが聞くと、全員が「いいです」と反応しますが、子ども自身で判断したかどうかはよくわかりません。 どうすればよいのかは難しいところですが、正解であってもなくて、いつも笑顔でうなずいて受容するとよいと思います。授業者が正解しか受容しないとわかってしまうと、「受容=正解」と思うようになってしまうからです。 この日のめあてを板書して写させます。子どもたちが書き終ったころを見計らって、予告なしに「はい、テープ図を使ってはじめの人数を求めよう」と声を出します。続いて、「はい」と手を叩いて子どもたちにめあてを読ませます。子どもたちは視線を上げずに声を出します。中にはまだめあてを書き続けて口を開かない子どももいます。口を開くように指導しないと、自分の作業を優先してもいいと思うようになります。よくない行動を強化することになってしまいます。ここは、作業をいったん止めて、子どもを集中させてからめあてを確認したいところでした。 問題文のわかっているものの部分に線を引かせます。挙手させるのに「自信がある人」と言葉を足します。手を挙げかけて下ろした子どもがいたことが気になります。指名した子どもが前に出て書こうとするときに「本当に大丈夫ですか?」と念を押します。授業者は意識していないと思いますが、子どもに無用のプレッシャーをかけています。 書き終わった後、「どうですか?」「わかりました。同じです」という定型のやり取りが行われます。授業者は「そうです。すばらしいです」と称賛しますが、すぐに続けて「『子どもが遊んでいます』はいりますか?」と問いかけます。「いらない」と言葉が返ってきますが、このやり取りがおかしいことに気づいてほしいと思います。「すばらしい」とほめたそばから否定されています。子どもたちは「同じです」と言いながら、「遊んでいます」は必要ないと答えます。「そうです。すばらしいです」「わかりました。同じです」といった言葉一つひとつの重みが無くなって、形だけに流れています。 「同じです」と子どもが言った後、「同じ?」と確認して、ハンドサインを出している子どもに「あなたはどこを引いた?」と聞くとよかったと思います。まったく同じかもしれませんし、「遊んでいます」を除いているかもしれません。また、子どもたちを見ていれば「同じです」と言っていない子どもに気づきますから、その子どもに聞いてみるのもよいでしょう。違う意見が出てくれば、「同じようだけどちょっと違っているんだね。どっちがいいだろう考えてみよう」と考えさせることができます。「ちょっと違う意見が出たね。どう?」と最初の子どもに確認してもよいでしょう。毎回ていねいに確認しろと言うわけではありませんが、このようにすることで形式的に「同じです」を言わなくなると思います。 「子どもが帰ったということは、増えますか?減りますか?」と問いかけます。こういう問いかけは算数ではとても危険です。「増えるから足し算」「減るから引き算」という発想になってしまうからです。そもそもテープ図を使うのは、問題文の表わす状況を半抽象であるテープ図で表わし、そこから抽象である式を考えるためです。どういう計算になるかをテープ図から考えるのです。また、「増える」「減る」という言葉を使う時には何からという起点が必要です。「はじめの人数から」といった言葉をきちんとつけることを意識しなければいけません。 授業者は減ることを確認してから、「子どもがいます」と問題文を子どもと読み上げながら、手を広げて動作化します。「13人帰った。どっちにすればいいですか?」と言いながら手の幅を狭めます。手の幅が何を表わしているかが明確でないまま動作化をします。子どもは何となく手を動かしているだけです。混乱していくことが予想されます。この後「18人になりました」と言いますが、手はそのままです。18人がどこかは、明確になりません。最後に、「はじめは何人いましたか」と続けますが、ここでも手は動きません。これでは、手の幅と問題文がどう対応しているかはよくわかりません。この動作化の意味がよくわかりませんでした。 今やったことを前でやらせようとします。手が挙がるのは数人です。指名された子どもは授業者と同じように動作化します。多くの子どもたちは、当然のように「わかりました。同じです」と反応しますが、反応しない子どもも出てきます。子どもの集中が次第に落ちていきました。 授業者はもう一度、動作化しながら、最後に「この部分は何?」と聞きます。子どもからは「18人」と言う声が聞こえます。授業者はそれを無視して「残った数」と言い換えます。「残った数」が手の幅で表わされるのも抽象化です。この部分はきちんと子どもたちに納得させることが必要でした。 「じゃあ、はじめの部分はどこになるかわかる?」と問いかけ、それを簡単な図でかいて表わしてみようと続けました。 「最初に子どもがいます」と黒板に丸い形を書き、「続きを簡単な図で表わしてください」と指示します。日ごろから簡単な図とはどういうものか子どもがわかるような活動をしているのでしょうか。少なくとも私は何を書けばよいのかわかりません。子どもたちの動きが気になります。 子どもたちが作業を始めてからも、「13人、18人はどこでしょうか?」「さっきの動きを思い出してね」と言葉を足します。何を書いていいのかわからない子どもがたくさんいるからでしょう。たとえこの言葉が子どもたちに届いても、何を書けばいいのかよくわからないように思います。 指名した子どもに図をかかせますが、はじめの人数と、残った数が混乱しています。はじめの人数の横に帰った13人を足します。わからなかった子どもはそれを写しています。「いいですか?」に子どもたちが反応しないので、授業者が「増えますか?減りますか?」と子どもたちに減ることを確認した後、修正するようにうながします。しかし、指名された子どもは言われていることがよくわかりません。起点が明確になっていないことと、13人、18人という数と、はじめの人数、残った人数という言葉が混乱しているのです。結局正しく修正できなかったので、授業者は席に戻して、別の子どもを指名しました。その子どもは「ここがおかしいと思います」と図を指で示しますが、どうしておかしいのか授業者が説明するように指示しても、言葉が出ませんでした。 授業者はもう一度全体で動作化をします。手を広げこれは何の数と問いかけます。「はじめの数」と一人がつぶやくと、「そう、最初の数」とすぐに返します。子どもたちは授業者の動きをただ真似しています。自分で理解しながら手を動かしていません。一つひとつの動きを理解する場面がないからです。 再び子どもを指名して、図を修正させます。授業者は子どもの横に立ってアドバイスをしました。正解を書かせたいからです。「いいですか?」という問いかけに、子どもたちは反応できません。授業者が強い口調で「いいですか?」と言うと、何人かの子どもが「いいです」と答えました。それを受けて授業者は説明を始めました。授業者の考えに無理やり子どもを従わせているように見えます。間違えた子どもの考えを聞きながら、子どもたちの言葉で修正していくように進めることが大切です。子どもの考えや発言に沿って授業を進めることを意識してほしいと思います。 この後、丸でかいた図をテープ図に直すように指示しますが、丸で図をかくことが、子どもたちの理解につながっていません。最初からテープ図で、きちんと理解させた方がよかったでしょう。 ここでは、図は2つのことを表わすことを意識して授業を構成する必要があります。この問題の場合、はじめの人(数)、帰った人(数)、残った人(数)の関係と、それぞれが何人かという具体的な数です。 今回はテープ図の学習なのですから、「はじめにこれだけいました」と実際にテープを用意して、「帰った人は?」とテープの一部分の色を塗ることや、はさみで切るといったことをするとよいでしょう。「残った人は、どこ?」と問いかけ、次に、色を塗ったのなら「はじめはどこ?」、切ったのなら「はじめはどうすればつくれる?」といった問いかけをすればいいでしょう。「合わせたところ」「合わせる」といった言葉が出てくれば、何算になることが図からわかることに気づいてくれると思います。 テープ図で、はじめの人(数)、いなくなった人(数)、残った人(数)の関係を明確にし、その上で、わかっている数を書きこませることで、テープ図を使って式を立てることができることに気づかせるのです。 子どもたちは、もともとの図がよく理解できていないまま、機械的に丸でかいた図をテープ図に直そうとしています。発表するように子どもたちに求めますが、ほとんど手が挙がらない状態です。 2人の子どもを指名します。1人の子どもは、帰った人の部分をはじめの数としています。授業者は「どっちが正しいでしょうか?」と子どもたちに聞きますが、すぐに自分で説明を始めます。その説明は、先ほどの図を使って行いますが、そもそもその図がよく理解できていなかったのですから、意味はあまりありません。 間違えた子どもに「どうすればいいでしょうか?」と修正する機会を与えます。授業者は言葉での答を期待していたのですが、その子どもは前に出て自分の手で修正しようとしました。授業者の問いに言葉で答えられなかったのかもしれませんし、自分の手で修正したかったのかもしれません。授業者は子どもが修正している時に、「これを見て」と先ほどの丸でかいた図を見るように指示します。子どもの答を正解にすることばかりを考えているように見えます。 授業者が「これでいいですか?」と聞くと子どもたちからは、「いいです」という言葉が返ってきます。「本当にいいですか?なんかおかしくない?」と問い返すと、「おかしい」という言葉が返ってきました。子どもを指名すると、「帰った数とか、残った数がかいていません」と答えます。これはよい指摘だと思いますが、授業者の望んでいた答ではありませんでした。「どうですか?」という発表者の言葉をさえぎって「あっ、それね」と「13人ってなんの数だっけ?」と続け、図に説明の言葉を書き足しました。授業者が指摘してほしかったのは、テープ図の13人と18人の長さが逆転していたことでした。「もう一つなんかないですか?」と問いかけると、3人ほど挙手しました。指名すると「18人の方が多いのに、13人の方がでかい」と答えます。それを聞いて「あー」「そうそう」という声が上がりました。ここは、声を上げた子どもを指名して、「どういうこと?」と、もう一度説明させたいところです。友だちの発言を聞いて理解したということを評価することにつながります。しかし、授業者はすぐに自分で説明を始めました。ちょっと言葉足らずの説明だからこそそれを活かしたいところでした。 「?はどこ」と聞かれているところに色を塗るように指示しますが、子どもたちの動きは重く、間違える子どもが目立ちます。授業者は机間指導をしますが、間違えている子どもに対して、結論を誘導しています。個別に指導することに気がいって、全体を見ていません。すぐに、子どもたちは集中を失くしました。 指名した子どもに図をかかせますが、「いいですか?」に対して「いいです」と反応できる子は半分ほどしかいません。ハンドサインを信じるなら、子どもたちはよくわかっていない状態です。しかし、授業者は「ここに色を付けた人がいるけれど、ここは違う」と結論を伝えるだけです。なぜ子どもたちが間違えたのか、間違えた子どもが自分でできるようになるためにはどんな活動が必要なのかを考えていませんでした。 この後、求める計算が足し算か引き算かを考えさせますが、よくわからない子どもが多くいます。机間指導で個別に指導しますが、一方的に説明しています。子どもの困り感に寄り添って声をかける必要があります。挙手が4人だけで、指名して進みました。子どもたちの集中はすっかり落ちています。「引き算でやった人がいるけど、テープ図をよく見てね」と間違えた子どもたちに対して説明しますが、なぜ間違えたのか、どこでつまずいているのかがわからないとできるようにはなりません。テープ図の意味がわかっていない子どもに、テープ図をよく見て考えろと言っても無理です。そもそも、子どもたちは本当にテープ図をつくれるようになっているのでしょうか。 次の練習問題ではそのことが浮き彫りになります。テープ図を正しく書けない子どもが目立つのです。最後に「テープ図を見るとわかりやすい」とまとめますが、テープ図をかけるようになっていなければ、意味のないことです。 授業者は正解を書かせることに意識がいってしまい、子どものつまずきに寄り添うことができていませんでした。子どもがどこでつまずくのか、つまずいいているのかを意識し、どうすればそのつまずきを解消できるのかを考えて授業を組み立てる必要があります。子どもができる、わかるようになる場面を授業の中にきちんと組み込んでほしいと思いました。 この続きは次回の日記で。 形式にこだわらず、子どもの実態に応じて、授業の進め方や構成を考える
間が空いてしまいましたが、前回の日記の続きです。
5年生の算数の、式の表し方とその意味を考える場面でした。 授業者は黒板に貼ったこの日の問題を子どもたちに写させた後、読み上げます。かなりの子どもたちの顔が上がりません。顔が上がらない子どもはノートを見ているようですが、中には目線がノートにない子どももいます。今一つ集中が感じられませんでした。 4列の十字に並んだいちごの数を数える問題で、いちごを線で区切り、4×5の式になった考え方を説明するものです。子どもたちは落ち着いているように見えるのですが、授業者が問題の説明をしている時も、顔が上がらず集中しません。授業者は説明が終わるとすぐに挙手を求めます。5、6人の手が挙がるとすぐに指名します。友だちの発言の時も顔が上がらない子どもが多数いますが、発表者が「いいですか?」と聞くとハンドサインを出します。しかし、はっきりと意思表示をしているというのではなく、肘を曲げてよく見えない状態にしています。図を指し示さずに一気に説明するので、子どもたちがすぐに理解するのは難しいと思います。授業者もそのことに気づいていたので、「4個のかたまりを図で示して」と前に出て、図に書き込ませます。子どもたちはよく見ていましたが、ここでも反応はあまりありません。ハンドサインも出しません。授業者が続いて説明をしますが、板書するとすぐに写す子どもが目につきます。言葉での説明の後、授業者が板書を写すことを指示しますが、子どもたちが本当に理解しているかどうかの確認の場面ありません。子どもたちが授業者の提示する答やまとめの板書を写すことが学習になっています。 この日の学習課題は、他の考え方でいちごの数を求めて、どうやって考えたかを説明することです。図がかかれた小さなワークシートを配ります。この時、子どもたちは「どうぞ」「ありがとう」と声を掛け合います。「ありがとう」を言うことはよいことですが、子どもたちの表情が乏しいことが気になります。仕方がないことなのかもしれませんが、形式になっているようです。 授業者が机間指導をしながら、子どもの書いた内容をチェックし、それで問題がなければ次のワークシート渡します。先生のチェックを受けないと次がもらえないので、手が止まっている子どももいます。ちょっと待ち時間がもったいないように思います。 「これと同じだね。ほかのやり方でやってみて」といった声をかけることもあります。こういった時に、たとえ同じでもまず考えたことを認めてあげるとよいでしょう。「なるほど」と認めた上で、次の指示をするとよいと思います。 授業者から次のワークシートもらっても子どもたちがうれしそうにしないことが気になります。認められている感がないのです。ほめる言葉をかけて、自己有用感を持たせるようにするとよいでしょう、 作業を終わらせて次の指示をしますが、ここでも子どもたちの顔が上がりません。ペアで説明を発表するのですが、子どもたちはペア活動に対して期待感をあまり持っていないように見えました。発表するという活動だけが指示されて、目標や評価が明確でありません。子どもたちの動きは遅く、互いに目が合わないペアが多いことも気になります。特に聞く側は何のために聞くのかよくわからないので、意欲がもてないのです。ペア活動終了後に、「発表してくれる人?」と聞きますが、数人しか手が挙がりません。ペア活動で認められたという気持ちになっていれば自信を持ってもっと挙手したのではないかと思います。 指名された子どもに、まず考え方の図をかかせます。子どもたちはよく見ています。続いて言葉で説明するのですが、うまく言えません。授業者は子どものノートを見ながら黒板に先ほどの例の表現に合わせて書いていきます。この時点でもう指名された子どもの考えではなくなります。授業者が代わりに説明して、「これと同じ人?」と挙手をさせ、次の考えに移りました。子ども同士が考えを共有する場面がありません。指名した子どもが上手く説明できないと思ったら、「図から○○さんの考えがわかった人、○○さんの考えを説明してくれるかな?」と他の子どもに説明させて、本人にそれでよいのか確認するとよいでしょう。他の子どもに、この考え方が理解できたかどうか確認し、説明させることも必要だと思います。 次に指名された子どもが考え方を図にかいた後、自分の席で説明を始めます。一番後ろの席なので、かなりの子どもが振り向いて話を聞こうとしていました。よい態度です。ところが、授業者は発表を聞きながら黒板にまとめ始めました。声に出して確認して板書するので、子どもたちは全員前を向いてしまいます。まずは、最後まで発表を聞かせたいところでした。結果を板書することよりも、友だちの発言を聞いて理解しようとさせることを大事にしてほしいと思います。 次の子どもも最後列でしたが、説明を始めても最初から数人しかその子どもを見ていません。授業者が板書する態勢をしっかりとっているからです。説明の途中で授業者がその内容をよく理解できないのか、子どもの言葉を復唱します。すると発表者はすぐにノートを持って前に行き、先生に直接説明を始めます。授業者と発表者の2人きりのやり取りが続きます。他の子どもたちは、その結果書かれる板書をぼーっと見ているだけでした。書き終わった後、「わかった?わかる?」と声をかけても反応がありません。「同じ人?」と問いかけ、だれも手が挙がらないとそれで終わってしまいました。同じ考えの人がいないからこそ、きちんと考えを共有することが必要です。授業者のまとめた板書を見て理解するだけなら、最初から授業者が説明すればよいのです。子どもたちが、他者の考えを理解する、友だちの発言をもとに考えるといった場面がありません。 時間がないと言って、まわりの四角から四隅を引く発想を授業者が紹介し、そのやり方をした子どもに説明させます。ちょっと気づきにくいものなので、考え方の図が示された時点で、「おー」「あっ」と言った言葉が出るのが普通なのですが、子どもたちは反応しません。説明を聞いていても、理解しているかどうか表情からはよくわかりません。ハンドサインもあまり挙がりませんでした。それでも、授業者はすぐに、「この他にも2個1組という考えがあったよ」と紹介します。落ち着いて子どもたちが理解する時間がありませんでした。一つひとつの考えを子どもたちとやりとりしながら、丁寧に共有したいところでした。 「いろいろな式が出てきました」と黒板に書かれた説明の式の部分を囲みます。この式が何を表わしているのか確認します。「いちごの数」という言葉が子どもから出てきます。それを受けて、授業者は式と図を一つずつ対応づけ、「今考えた図を表わす式」になっているとまとめ板書します。一方的に説明をされるだけで、子どもたちが自分の言葉で確認する場面はありません。子どもたちは板書されるとそれを写します。続いて「式からいろいろな考えが読み取れる」とまとめていきますが、ここまでそのようなことは考えていません。「考え⇒式」と「式⇒考え」は決して同じことではありません。実際に経験しなければ、スッキリと納得できることでもありませんし、言葉で言われても式から考えを読み取れるようになるわけでもありません。 「考え方の図だけを見て、式をつくる」「式を見て、どんな図をかいたか考える」といった活動をする必要があります。 練習問題は、種類の異なるお菓子の値段と個数が与えられていて、式が何の代金を表わしているのかを考える問題です。子どもたちは、ここまで式の意味を考えることをしていません。この問題に戸惑って、なかなか手が挙がりません。挙手して指名された子どもは、100×6を600円のバームクーヘンの代金と答えました。授業者は「確かに600円はバームクーヘンの値段になっている」と受容します。これはよい姿勢なのですが、そこから「100円のものは?」「かける6だから」と説明を始めます。時間がないのかもしれませんが、ここはじっくりと「100×6」の意味を子どもたちに考えさせなければいけない場面です。その上で、「100で表わせるものは何か」「6あるものは何か」を問わなければいけません。 続いて子どもたちに「100+600」をたずねますが、多くの子どもたちはまだ、板書を写していました。授業者がすぐに手を挙げた数人の中から指名すると、その答を聞いて子どもたちは「いいです」と声を出します。どうみても、子どもたちはちゃんとわかっているようには思えませんでした。 挙手した子どもが答を発表し、先生が説明をし、板書を写すというサイクルが授業の基本となっているようです。その中に子どもたちが考えを理解し、共有するという場面がありません。また、「考え方の図から式をつくる」「式から考え方を理解する」といったことを子どもたちができるようになるために、どのような活動が必要なのかを考えて授業が構成されていませんでした。 形だけに頼るのではなく、子どもの実態に応じて授業の進め方や構成を考えること意識してほしいと思います。 この続きは、次回の日記で。 形から一歩先に進む(長文)
昨年までおじゃましていた小学校と同じ中学校区の小学校で授業アドバイスを行ってきました。小中連携で授業規律を共通にしている学校です。この日は若手を中心に授業を見せていただきました。
全体的に気になったのは、授業規律が形に終わっているということです。指示をしてその形ができた後、すぐに緩むのです。子どもたちは、指示された瞬間にその形が取れればよいと思っているようです。 ハンドサインが多用されています。意見や考えなら「賛成」というハンドサインを出すのは納得できますが、「何をつくりたいか?」といった判断にふさわしくないものに対しても子どもは「どうですか?」と友だちに判断を求めます。形だけにならないためにも、授業者が使う場面を意識して指導する必要があります。 挙手した子どもが発表した後、「賛成」のハンドサインが挙がれば、それで先に進むことが多いことも気になりました。答がわからなかった子どもは答を知っただけで、理解してできるようになったわけではありません。答を知ること、覚えることが学習になってしまいます。わかる過程、理解する過程を省略するための言い訳の道具にハンドサインがなっているように思いました。 子どもが順番に発表する場面でのことです。発表が終わると子どもたちは拍手をします。マナーとしてはよいことなのですが、延々と続いている内に音がどんどん小さくなっていきます。手を動かさない子どもも目立ってきます。聞く側に意味のない活動、発表に対する評価のない活動では、形式的な拍手で終わってしまうのです。発表の目標を明確にし、よいところを共有することが必要です。 全体的に子どもたちのテンションが上がりやすい傾向がありました。先生が子どもたちに「同じです」「いいです」といった決まった形の反応を求めていることがその原因の一つだと思います。反応を求めるのは悪いことではないのですが、根拠を求めることをしないと、言いっぱなしになってしまいます。このことに注意が必要です。 また、形をつくるために、指示に従えていない子どもを注意する場面も目につきます。指示に従えている子どもが、できていない子どものために我慢することが多くなっています。できている子どもを笑顔で認めてほめることを優先してほしいと思います。 3年生の授業は3桁の筆算の少人数での学習でした。 最初に前時の復習で、筆算の問題を前で子どもが計算して説明しました。最後に「どうですか?」と聞くと、大きな声で「わかりました。同じです」と返ってきます。ほとんどの子どもがハンドサインを出していますが、全員ではありません。この間授業者は後ろの方からずっと発表者だけを見て、子どもと一緒になってハンドサインを出していました。手の挙がっていない子ども、反応していない子どもをよく見て、本当にわかっているのかいないのかを確認することの方が大切です。全員を見るということを意識してほしいと思います。 課題を書いたボードを黒板に貼りながら話をします。当然子どもたちの方を見ることはほとんどありません。 ここで、先ほどの問題の答が違っているという言葉が聞こえてきます。1の位の計算が違っているというのです。それを受けて、何人かの子どもが違っていると声を上げます。そこで、子ども指名して説明させます。また、「わかりました。同じです」という子どもたちの声で終わりました。最初の「わかりました。同じです」はなんだったのでしょうか。いかに子どもたちが形式的に言葉を発しているのかよくわかります。授業者も子どもたちの形式的な「わかりました。同じです」を信じて、自分で確かめていません。授業規律を形から入ることは否定しませんが、形式で終わってしまっては意味がありません。ここに大きな問題があるのです。 授業者はこの日の課題となる筆算の問題を貼って黒板に向かってしゃべります。子どもたちの方を振り返って「前回の問題と違うところがあります」と問いかけます。1/3くらいの子どもが大きな声で「はい、はい」と反応します。すぐに授業者は指名をしますが、他の子どもは考える間もありません。素早く反応できる子どもだけが活躍する授業になってしまっています。指名された子どもが「10の位に0があることです」と前に出て発表し、またまた、「わかりました。同じです」で終わります。子どものつぶやきを拾って、「何で0があると困るの?」と問いかけると、また、すぐに「はい、はい」と一部の子どもの手が勢いよく挙がります。前に出て発表し、「どうですか?」「わかりました。同じです」で終わる、基本一問一答型の授業です。活躍の機会は最初に指名されるしかありません。スピードとアピールが求められるために、テンションが上がってしまいます。 挙手と指名に頼らずに、ちょっとまわりと相談させるといったことをするだけで、子どもたちの様子がずいぶん変わるのではないかと思います。 10の位が0の時に何が困るかは、実際にやってみないとわからない子どもがたくさんいます。やってみて、初めて困ったこと、この日の課題が共有できるのです。 ここで、「隣から借りられない」という説明に対して、いつもの「わかりました。同じです」に続いて、「他にもあります」と何人かの手が挙がりました。面白そうな場面になりましたが、授業者は子どもたちに手を挙げさせたまま、子どもの説明をまとめて、「ここまでにしとこうか」と次に進めました。これでは、子どもたちは授業者の求める答だけが必要とされていると感じてしまいます。子どもたちがどんなことを考えたのか聞きたい場面でした。 この日のめあてを黒板に書いて、子どもたちに写させます。書き終わった後、1分与えますが、まだ書けていない子どもが目立ちます。書けていないので、授業者はそのまま待ち、書けたら鉛筆を置くように指示します。子どもたちは、書けていなくても時間をもらえるので、早く書けるようにはなりません。早く書くことを意識させることが大切です。早く書くように促し、早く書けた子どもを評価することが必要です。指示は鉛筆を置くことだけなので、鉛筆を置いた子どもがごそごそしています。指示されたことしかやらない子どもになっています。「鉛筆を置いて、どうやって計算すればいいのか考えてください」といった指示が必要だったのかもしれません。指示されなくても、次の行動を考えられる子どもに育てることを意識してほしいと思います。 結局、まだ書いている子どもがいましたが、授業者がこの日の課題を書き始めてから5分、1分与えてから3分半経って時点で次に進みました。早く書けた子どもはよく我慢していたと思います。 めあてを全員で読んだ後、自分でどうやったらいいか考えるように指示します。子どもたちは戸惑っています。そのことに気づいて授業者は、隣と相談するように指示します。一部のペアは動き始めましたが、ほとんどのペアは動けません。課題が自分のものにはなっていないからです。先ほど述べたように、まず自分で計算させてみれば、何が問題かがよくわかり、どうしよう、どうすればいいのか考えます。いきなり抽象的に考えることは3年生ではまだ難しいと思います。「計算できそうかな?やってみて」といった発問の方がよかったかもしれません。 授業者は隣同士相談するように指示した後、次の活動のための板書を始めます。授業者は準備が終わると子どもたちの方を向いて、「どうやったらいいのかみんなの意見を出し合って、計算棒で考えたい」と話します。結局ここまで、子どもたちの様子は見ないままでした。子どもの状況を把握することをもっともっと大切にしてほしいと思います。 ここで、いきなり計算棒が出てきました。説明に計算棒を使うのであれば、子どもたちに考える道具として最初から与えてあげる必要があります。授業者の都合で授業が進んでいます。 ここまで「どうやったらいいのか考える」と言いながら、ここからの展開は計算棒を使って1の位から順番に計算します。授業者は「1の位、計算できる人」と問いかけ、挙手した子どもを指名します。この活動は、「考える」というよりも、「計算する」「やってみる」という言葉が近いように思います。 指名された子どもは、10の位から借りられないから100の位から借りてと一気に説明します。続いて10の位の計算をしようとしますが、授業者はそこで止めました。この日の学習で一番のポイントは、10の位から借りられないから、100の位から借りるというところです。まずここを押さえるのかと思いきや、「次、10の位の計算をやってくれる人」とそのまま次に進みます。複数の子どもを指名するために、計算を位で分けたのでしょうか。よくわからない場面でした。 次に指名された子どもは、9からすぐに引きます。そこで、授業者は「どうして9になったのか?」と全体に問いかけますが、1の位の計算の時に押さえておくべきことだと思います。ここで挙手する子どもは半分くらいしかいません。先ほどの1の位の計算をした時に10の位から1を借りたところをきちんと理解していなかったということです。子どもたちがわかっていないのに「わかりました」といったのか、1の位の計算だけしか注目していなかったので繰り下がった時に10の位がどうなったのか考えていなかったのかわかりませんが、最初の押さえの甘さが問題だと思います。 ここでも挙手した子どもを指名して進んで行きます。わからない子どもは常に置いて行かれることになります。指名された子どもはその場で説明を始めます。子どもたちは、最初は発表者を見ていましたが、授業者が説明に合わせて黒板で指をさしたのでそちらに注目してしまいました。指をさす必要があると感じたら、発表者を前に呼ぶことが必要でした。子どもたちは、また「わかりました」とハンドサインを出しましたが、今度はそれで先に進まずに、授業者が説明を始めました。大切なことは授業者が説明するのではあれば、子どもたちは友だちの説明を聞く必要はありません。それこそ形式的に「わかりました」と言えばいいのです。 授業者は自分の説明を「納得?」と子どもたちに確認します。一部の子どもたちがうなずいたのを確認して次に進みます。子ども同士をつなぐことがありません。一人が説明した後、手が挙がっていなかった子どもに「納得した?」と確認した後、説明させるといったことも必要だと思います。 100の位の計算を指名してさせた後、今度は、計算棒ではなく普通の筆算をさせます。計算の手順を「はじめに」「つぎに」「そして」「だから」と話型で説明することも指示します。こういう形で教えることにはちょっと疑問があります。手順が3段階であることをあらかじめ指示していることになるからです。言葉の使い方として、わかりやすくするために一つ一つの手順を明確にする。結論であることをわかりやすいように「だから」の後に書く。このことが基本となります。これをまず押さえておき、「さいしょに」「つぎに」「そして」は、必要に応じて使うように教えるべきです。本質を押さえた上で形を教える必要があると思います。形式ばかりではダメなのです。 個人で作業させたのち、「言葉、話してくれる人?」と問いかけます。この日本語も気になります。「言葉で説明してくれる人?」といった表現にするべきでしょう。半分以上の子どもの手が挙がります。続いて「アシスタントやってくれる人?」と聞くと、子どもたちは異常にテンションを上げて「はい、はい」と手を挙げます。これはどういうことでしょうか。今回指名されるチャンスはこれしかないと思ったからでしょうか。それとも、アシスタントであれば間違える心配がないので安心してやれると思ったからでしょうか。いずれにしても、気になるレベルのテンションの上がり方でした。授業者は「あんまり手を挙げない子、頑張って手を挙げてごらん」と言葉を足します。この言葉の中に「手を挙げることがよいこと」という価値観が感じられます。ふだん自信を持って手を挙げられない子どもにとっては、ちょっとつらい言葉のような気もします。 もう一人が指名されると、子どもたちの集中は一気に崩れます。もう活躍のチャンスがないからです。子どもたちが一生懸命手を挙げても、活躍できる子どもはほんの少しです。挙手に頼らず、たくさんの子どもが活躍できる場面をつくってほしいと思います。 指名された子どもの説明は、「はじめに……て、……て、……て」と「て」でつないでいき、「つぎに」「そして」「だから」と続けました。話型に変な形で縛られているように思います。 説明が終わった後、授業者は「まだ他に言える人?」と問いかけます。「他に」という言葉は何を意味しているのか気になりました。子どもたちは他の「考え方」ととったのか、手を挙げる子どもは数人です。手を挙げない子どもが一様に下を向いていることも気になりました。 次に指名された子どもも、「はじめに1の位は……」と、先ほどの子どもと同様に「て」を使って一文で説明します。「つぎに10の位は……」、「そして100の位は……」と説明していきます。位ごとに分けることで上手く説明していますが、これなら「はじめに」「つぎに」「そして」というつなぎの言葉はなくても十分に伝わります。1の位の説明にこそ、つなぎ言葉がほしいと思いました。 相互指名でもう一人を指名しますが、子どもたちはもう集中力はありません。授業者は相互指名させている時から、発表と関係なく板書をし続けています。子どもの発表を聞けているのでしょうか。子どもたちの様子が気にならないのでしょうか。授業者が板書する時間がほしいために相互指名させたように見えました。相互指名でもう一人発表しますが、子どもたちの集中はどんどん下がります。発表を評価したり、聞いたことをもとに問いかけられたりすることがないからです。 結局子どもたちにはただ発表させるだけで、評価することもなく、授業者がまとめの説明を始めました。授業者は説明した子どもにこういう意味だねと確認しながら話しますが、大切なのは授業者がどう理解したかでなく、その説明を他の子どもがどのように理解したかです。 授業者は「必ず9を書くようにしてください」と説明します。これも形です。結論を与えるのではなく、100の位から繰り下げて、そこから10の位を繰り下げると10の位はいくつになるかを確認して、「それぞれの位がいくつになるのか書くことを忘れない」ことをポイントとして押さえるべきでしょう。形で覚えて、訓練で定着するというパターンになっています。より本質的なことを意識させて、そのことを訓練で定着させることを考えてほしいと思います。 最後に「引かれる数の10の位が0の時、……」と授業者がまとめますが、3桁の場合にしか通用しないまとめです。「引けなければ上の位から借りる。そこから借りられなければ、もう一つ上の位から借りる」「それぞれの位の数がどうなるか書くのを忘れない」ことが本質的なポイントでしょう。こういったことを子どもに言わせて、子どもの言葉でまとめるようにできればよかったと思います。 問題を1題解かせます。「授業者はできたらぶつぶつ言ってね」と指示します。外化は大切なことですが、できてからぶつぶつ言うのはよくわかりません。ぶつぶつ言いながら解くのであれば、自分がやっている操作を意識することに役立ちます。自分の考えを整理するのであれば、相手を意識してしゃべることが必要です。ねらいがはっきりしなければ、まわりの子どもにとって雑音になるだけのような気がしました。 できる子どもにとっては簡単だったのでしょう。すぐに終わって遊んでいます。できた子どもへの指示が必要でした。 挙手で指名した子どもに、前で説明させます。指名された子ども、言葉で説明しながら10の位を9と書きました。授業者は10と書いてからそれを消して9と書くように説明していたので、「わかりました。同じです」ではなく、違うとハンドサインを出す子どもが何人かいます。「答はいっしょ?」と確認して、「書き方が違う」という言葉を引き出して、授業者が解説し、「必ず9を書くことが大切」とまとめました。せっかくのハンドサインなのですから、子どもに活躍させたいところでした。 練習問題を解かせます。授業者は○つけをするのですが、システマティックに動きません。横に行ったり、縦に動いたりしているために、スルーされる子どもがいます。黙って○をつけますが、子どもの表情が変わらないことが気になります。○と一緒にほめる言葉をかけてほしいと思います。志水廣先生の提唱する「○つけ法」などを参考にするとよいでしょう。 相互指名で、答だけ確認していきます。ここでも授業者はその間、教科書を確認したり板書をしたりで、子どもたちを見ることはしていませんでした。 ○つけで全員完璧であることが確認できているのならよいのですが、つまずいている子どもがどうやってできるようになるのかわかりません。できない子どもは常に結果を与えられるだけで、できるようになる場面がないことが気になりました。 形が先行して、子どもたちに何ができるようになってほしいのか、そのために何が大切なのかが明確になっていないように思います。形は何のためか、形の次に来るのは何かを意識して授業を組み立ててほしいと思いました。 この続きは次回の日記で。 第4回授業深掘りセミナー(その2)
第4回授業深掘りセミナー(その1)の続きです。
玉置先生の模擬授業は、小学校高学年対象の算数の発展的な学習でした。 玉置先生は冒頭に、「みんなで知恵を出して」という言葉を使いました。何気ない言葉に思えますが、授業に対する基本的な考え方、姿勢を伝えるものです。 課題の提示の仕方にも工夫があります。「今日はこの問題を解きます」と天下りで提示してもやらされている感が強くなります。いかに興味を持たせるかが勝負です。 「1/□+2/□+3/□+……」と板書していきます。途中で手を止め、何だろうと思わせます。どこまで続けるのかを子ども役に考えさせることで、自分たちの課題にさせます。大人が相手なので、「1/□+2/□+3/□+・・・+100/□」と長くして、□の値を考えてもらうことを伝えますが、当然、疑問が起こります。「どんなことを思った」という問いかけをもとに、「答がない」「=がないからこれでは答えられない」といった言葉をつないでいきます。子ども役が隣と相談している姿も見られました。自然に相談したくなったのでしょう。 最初からすべての情報を与えないというのは玉置先生がよく使う手です。こうすることで疑問や興味を持たせるだけでなく、問題の理解にもつながります。 100の続きで「=101」と最終的な問題を提示します。2段階で提示をすることで、「101」が印象付けられます。規則性を意識させる布石になります。 「わからん」「嫌な問題」「数が大きくて大変」といった子ども役が思ったことを受けて、効率よく考えることを視点として確認し、相談させます。 答そのものよりも、どうやって考えたかを大切にして授業は進んで行きます。「分数がいや」という言葉に続いて、「両辺に□を掛けて考える」という意見が子ども役から出てきます。小学生からはまず出てきません。これは方程式を学んだ子どもの考えです。(1+2+3+・・・+100)/□と左辺を変形して、□を掛けるという説明です。ここで、他の子ども役が「□かけていいの」と言ってくれます。ここからどのように展開するのか、本来まずあり得ない展開なので、興味が出てきます。「□を掛けていない」「分子だけ計算」ということを引き出して、5050/□=101に持っていきました。 続いて、効率的ということを焦点化していきます。「時間がかかる」「順番に足すとパニックになった」といった言葉から、効率的に計算することの価値を押さえていきます。 この課題では、結局1から100までの整数を効率的に足すことがポイントでした。この計算のやり方について、もう少していねいに確認するかと思ったのですが、わりと簡単に次に移ります。 今、100個でやったことを、2個でやるのです。具体的には1/□+2/□=3です。ここでポイントとなるのが「=3」です。最初の課題で「=101」を後から示したことが活きてきます。 これは左辺を計算すれば3/□となり、すぐに□は1とわかります。先ほどの課題ではポイントが効率的に計算することだったのですが、今度は異なります。□の値が分数の個数の半分になるという規則性を見つけることがねらいです。その説明に先ほどの効率的な計算方法が活きてきます。 2つの例だけでは規則性に結びつきにくいので「もうちょっと行こうか」と言って足す分数を増やした問題を提示しました。 1から100までを効率的に計算する方法をもとに、規則性とその説明ができる子ども役がいましたが、玉置先生はあえて具体例を重ねて帰納的に確認をしていきます。説明よりも規則性を全員で確認することを優先したようです。 玉置先生は子ども役が話し合って、いろいろなことを見つけたことを評価して模擬授業を終わりました。 玉置先生は今回の模擬授業では、子どもの発言をどう引き出すか、どう活かすかということと、最初の課題をもとに、新たな課題に気づいていくという課題の広がり・発展にスポットを当てて授業をされたように思いました。 深掘りトークセッションのコーディネートは私がやらせていただきました。授業者、パネラーがどんどん発言してくださるので、私が意識してコントロールすることはほとんどありませんでした。玉置先生もその前の佐藤先生と同じく、子どもが発言しやすい「課題を見てどんなことを思ったか」という気持ちをもとに授業を展開しています。単に気持ちを聞くだけでは算数の学習にはなりませんが、どこでそう思ったのかという根拠を確認することで、課題やその解き方の本質に迫っていくことができます。その進め方の素晴らしさをパネラーが評価していきます。佐藤先生の社会科の模擬授業と共通するところです。 また、ただ問題を解くだけでなく、そこにある規則性や発展性に気づかせるという授業の構成も評価されました。 また、佐藤先生からは、子どもたちを惹きつけることができるトピック的なネタの授業ではなく、教科書の単元の中に位置づけられたものを見たいというリクエストがありました。1時間の授業で完結したものにしようとすると、今回のようなトピック的なものになりやすいのですが、次回以降の宿題ということになりました。 後藤さんの「教育情報知っ得」は学習指導要領の移行措置と先行実施についての話でした。 前回の学習指導要領改訂を例として、告示後の移行措置について具体的に説明していただきました。今年度末には学習指導要領の告示が予定されていますので、平成30年度から移行措置が行われると予想されます。告示からの1年間で次期学習指導要領を理解しておくことが求められます。先生方にこのことを意識していただければありがたいと思いました。 この日の佐藤先生の深掘りトークセッションで、有田先生の公の場での最後の授業が話題になりました。そこで、セミナー終了後に第2回教育と笑いの会で使用したビデオを急遽上映することになりました。誰一人帰ることなくそのまま残っていただけたことに、有田先生の偉大さを改めて感じさせられました。 次回、第5回授業深掘りセミナーは10月15日(土)です。模擬授業は神戸和敏先生(算数又は数学)と伊藤彰敏先生(国語)の予定です。興味のある方は、こちらから申し込んでください。 第4回授業深掘りセミナー(その1)
6月に行われた第4回授業深掘りセミナーでパネラーとコーディネーターを務めさせていただきました。
今回は、岩手県奥州市立水沢小学校副校長の佐藤正寿先生の小学校社会科と、岐阜聖徳学園大学教授玉置崇先生の小学校算数の模擬授業を元にした深掘りトークセッションと、授業と学び研究所フェローの後藤真一氏の学習指導要領改訂についての「教育情報知っ得!コーナー」でした。 佐藤先生の模擬授業は、小学校5年生の「森林を守る人々」でした。子ども役は参加者の方です。 いつものように笑顔いっぱいで授業を進めていきます。最初にゆるキャラを見せて、どこのご当地キャラクターか問いかけます。子ども役をリラックスさせて、反応しやすくするような導入です。最後に奈良のゆるキャラを紹介します。たくさんあることにちょっとびっくりです。さすがに奈良、かわいいシカのキャラクターが多いことを印象付けます。実は、これが授業の伏線であり、子ども役をミスリードする仕掛けになっていました。 これまでの森についての学習を復習します。模擬授業とはいえ、きちんと単元構成の中に位置づけた授業をされます。見せるための特別な授業ではなく、あくまで日常の授業にこだわるところが、佐藤先生らしいと思います。森林の働きや、動物がそこで暮らしていることを押さえて、シカの捕獲数が増えている資料を提示します。資料のタイトルの「捕獲」を空欄にして何の数字か問いかけます。これは根拠を持って考えることができない問いかけです。ほっておくと子どもは勝手にしゃべり始め、集中が崩れます。佐藤先生はそのような隙を与えずに、すぐに答を示し、たくさんのシカが捕獲されていることを強調します。ムダな時間を使わずにコンパクトに興味を引きます。 続いて、「どのようなことが起きているか、どんなことを思ったか」を話し合わせます。この問いの組み合わせは面白いと思います。「どのようなことが起きているか」はシカの捕獲数が増えていることを根拠に考え(予想)させる発問です。一方、「どんなことを思ったか」は、気持ちを問うものです。根拠を必要としないものなので、答えやすい発問です。しかし、「どうしてそう思ったの?」とその理由を問えば必ず資料と何らかの関係のある言葉が出くるはずです。この発問を付け加えることで、資料をなかなか読み取れない子どもも参加しやすくなりますし、理由に焦点化して考えを深めていくこともできます。何気ない発問に見えますが、奥深さを感じました。全員を参加させることを意識しているからの発問のように思いました。 子ども役から、「シカの住める場所が減った」という意見が出てきます。「それについてどう思う」と気持ちを問い、「シカがかわいそう」という言葉を引き出します。佐藤先生は、いつもは複数の子どもから多様な意見を引き出し、最後にその整理として板書をするのですが、この日はすぐに板書をします。そして、「起こっていることと考えていることどちらも言っている」と発言を評価しました。授業者が気持ちを問い返して言わせたことを「考えていること」とわざわざ評価しています。この場面では、多様な意見を引き出すのではなく、子ども役の気持ちをシカに寄り添わせるものにすることをねらっているように思いました。 シカの捕獲数が2008年から急激増えていることから、「2008年に何が起こっているのかと思った」という意見が出てきます。「疑問を持った」と価値付けします。「シカに申しわけない」という意見も出てきます。「シカは悪い?」と問い返すことで、原因に意識を向けさせます。森林を伐採した影響という考えに対して、「人が森林を壊している?」と問い返します。見事なミスリードです。シカは被害者で、人が加害者というステロタイプな考えに子ども役はなっていきます。 ここで、野生鳥獣による森林被害面積の資料と、シカが木を食べている写真やシカに芽を食べられて成長しない木の写真も合わせて提示します。子ども役はシカが人間の森林被害の被害者ではなく森林に対する加害者であることで大きく揺さぶられます。「資料から、森林被害にかかわってどのようなことが起きているか、どのようなことを思ったか」子ども役に話し合わせます。最初の発問と同じ「どのようなことが起きているか、どんなことを思ったか」を聞きます。「どんなことを思ったか」と再び聞くことで、先ほどと同じくシカに対する気持ちが出てきやすくなります。あくまでもシカで攻めます。 しかし、ここでこの授業のタイトルが効いていきます。「森林を守る人々」と授業の最初に提示し、それがそのまま残っています。シカから人への視点の切り替えがしやすいように仕組まれています。 2007年にシカの森林被害を減らすために法律が変わって雌シカも捕獲されるようになったことや、シカを採っているハンターも行政から依頼を受けているということを押さえ、シカを捕獲することが森林を守るための行為だと気づかせます。 ここで最後の課題です。「森林を守るためにシカを捕獲することは仕方のないことか?」と問いかけます。ハンターの「シカも森もどちらも守りたいが……」という言葉を紹介し、現実の課題を解決することは、単純な善悪で答の出ることではないことに気づかせます。 授業時間が30分と短いため、子ども役の考えを聞いて深める時間をとることができなかったのが残念でした。 授業中に挙手させる場面では、挙手していない子ども役もよく見て、どう参加させるか、かかわらせるかを意識して進めています。佐藤先生の授業はテンポがよいのが特徴ですが、今回はテンポが少し悪くなっても、子どもからの言葉をじっくりと引出し、子どもの言葉を重ねて考えを深めさせようとしているように感じました。佐藤先生の幅の広さを感じます。 深掘りトークセッションは、岩倉市立岩倉中学校校長の野木森広先生、一宮市立萩原小学校教頭伊藤彰敏先生、授業と学び研究所のフェローの神戸和敏先生と私をパネラーにして、玉置先生のコーディネートで行われました。 佐藤先生から、社会科の授業の組み立ての一つの形として、社会の課題について、「知る」「わかる」「考える」という流れが示されました。特に「考える」は現代の問題を扱うことでリアリティのあるものになります。授業深掘りセミナーでの前回の模擬授業でも、18歳選挙権の問題という現代的な問題を扱われましたが、こういった現代的な問題を材料にして授業をつくることはそれほど簡単なことではありません。佐藤先生は、トピック的な授業ではなく、普段の授業の一環として扱うことを意識して、その単元の目標や押さえるべき内容を外すことなく、入れ込んでいます。単元を通じた授業構成の中にきちんと位置付けられているのは、いつも感心させられます。 今回は、シカによる森林被害の問題について、いろいろな立場で意見を出させて、考えを深めさせようとしていました。子どもを揺さぶるために、ゆるキャラでかわいいシカのイメージを持たせ、シカの捕獲が増えていることを被害者の視点で見るようにみごとにミスリードさせます。私は、これもある意味、計算されつくした、ゴールへ一直線の電車道(以前の授業深掘りセミナーで伊藤彰敏先生が佐藤先生の授業をこう評して以来、定番の言葉になりました)の授業だと思います。もちろん、子どもの考えが一つに集約するのではなく、子どもの考えが揺れて広がるということをゴールとして考えてのことですが。 子どもの意見が広がりすぎて収集がつかなくなったり、同じ意見ばかりで広がりや深まりがなかったりする授業をよく目にしますが、佐藤先生はつねに自分の手のひらの上で子どもたちをコントロールしているように思います。佐藤先生にはこう評されることは心外かもしれませんが、計算されつくした見事な「電車道の授業」だと思いました。 この続きは「第4回授業深掘りセミナー(その2)」で。 子どもたちが育っているからこそ、課題が明確になる(長文)
中学校で授業参観と授業研究のアドバイスを行ってきました。今年の秋に研究発表を行う学校です。
若手を中心とした先生方と一緒に、3時間学校全体の授業を参観しました。子どもたちの様子は、ここ何年かで一番落ち着いていました。先生方と子どもたちの関係がよいことが、子どもたちの姿からうかがえます。若手の頑張りが目を引きます。今年の3月に初めての3年生を送り出した先生の授業では、1年生の子どもたちがとても集中して課題に取り組んでいました。授業者はただ、教室の前に立っているだけです。しかし、よく見るとずっと子どもの様子を笑顔で見ています。顔を上げる子どもがいると、目を合せてうなずき返しているようです。子どもたちをしっかりと見守っているからこそ、子どもたちがこの姿になったのだと思います。 子どもたちと先生の関係がよいからこそ、次は子どもたちの学力を高めるために授業をどうつくっていくかが大切になります。 子どもたちが落ち着いて話を聞いてくれるようになると、先生方のしゃべる量が増える傾向があります。この日は、そういった授業が目立ちました。グループ活動などで、授業者が一部の子どもと話をして、子ども同士の関係を断つような場面も見られます。子ども同士はよくしゃべるのですが、テンションが上がりすぎることもよくあります。根拠を持って思考するような課題になっていないようです。また、知識や問題の解き方を覚えることが中心となっている授業も多くありました。 一つ山を越えてほっとしているというようにも見えました。今回の授業研究はそういったこの学校の状況を象徴しているように思いました。 授業研究の授業者は若手の先生です。数年前の授業研究では素晴らしい成長を見せてくれた方です。今回は3年生の力学的エネルギーの保存を考える授業でした。 子どもたちは授業者の話を集中して聞いています。授業規律はよく守られていて、表情もとてもにこやかです。3年間で子どもたちが育っているのがよくわかります。 課題も工夫しています。遊園地のジェットコースターを題材にして、どこの高さから乗りたいか想像するように伝えます。楽しそうにまわりの友だちと話している子どももいます。授業者は挙手に頼らず何人かを指名します。子どもの答をしっかりと受容して、その理由を聞きました。低い地点から乗るという子どもは、Gが嫌いだから、怖いからと答えます。高い地点から乗るという子どもはスリル満点で、スピードも出て迫力があるからと答えました。子どもたちは、笑顔で友だちの意見を聞いていますが、授業者が子どもの答を板書で確認しているため、顔が授業者の方を向いていたのが残念でした。授業者はみんなの意見を高さと速さが関係しているとまとめて、この日の授業の課題を提示しました。速さを言った子どもは1人だけです。他の子どもはGという表現を使っていました。加速度のことですが、これは高さではなく、ジェットコースターの傾きで決まります。速さもどこの速さなのか、最高速度なのかも明確ではありません。子どもたちの言葉を理科の言葉に置き換えることをしませんでしたが、「スリルは、速さなの、それとも加速度なの、両方?」といった質問をして、最初の問いかけの答を整理しておくことが必要でしょう。 「高さと速さの関係からエネルギーについて考えていきたい」と課題を提示しました。エネルギーという言葉はここまで出ていません。子どもたちにとっては唐突で、考える必然性があまりないものです。 高さと速さの関係を調べる実験をしたいと、特別に作ったジェットコースターの模型を見せます。レールの上を金属の玉が転がるようになっていて、最後は水平な直線になっています。これを使って、スタート地点の高さを変えた時の最終の速さを調べる実験です。ここでは「エネルギー」という言葉は出てきません。この実験をやることからエネルギーにどうつながるかは、子どもたちは意識していません。であれば、課題の提示の段階で「エネルギー」という言葉は出す必要はなかったでしょう。 どのスタート地点から転がすと、下に到達した時の速度が速いかを予想させ、全員で言わせます。子どもたちはテンションを上げずに、しかしきちんと声を出します。子どもたちの答は、もちろん「高い方が速い」です。授業者は「本当?」と揺さぶりますが、この問であれば、まず揺らぎません。ここで予想をさせるのであれば、既習事項をもとにきちんと根拠を言わせることが大切です。感覚と大きなずれがないので、科学的な思考はしていません。 実験器具の関係でしょう、2つの班が合同で実験を始めます。スピードセンサーがあるので、実験そのものは簡単です。誰かが球を転がし、センサーの値を読み取るだけなので、ほとんどの子どもは見ているだけになります。直接実験しない子どもが遊びがちになりそうですが、どの子どももしっかりと実験の様子を見ています。とてもよい子どもたちです。 実験の結果を黒板に書かせて、どんなことがわかるか問いかけますが、挙手は数人です。子どもたちにとってあたりまえの結果で、何を答えていいのかわからなかったようです。授業者が1人を指名した後、相互指名で進んで行きます。高さが高いほど速度が大きいという意見が続き、他の意見はないかという発言の後、だれも手が挙がらないので、そこで終わりました。今一つ相互指名の意味がわかりませんでした。子どもたちで焦点化できるのならよいのですが、それはなかなか難しいと思います。授業者が意図的に質問を返したりして焦点化することが必要だったように思いますが、エネルギーという言葉も出てきていないので現実には困難だったかもしれません。 この一連の実験で。子どもたちが何か科学的な思考をした場面はほとんどありません。実験の後、班で考えるような場面もありませんでした。全体で友だちの意見を聞いても心が動くことはありません。 ここで授業者は子どもたちにこの実験の結果をまとめるように指示します。その時、高さ、速さ、エネルギーという言葉を使うようにと条件をつけます。ここまで、子どもたちはエネルギーを全く意識していません。そもそもエネルギーについての復習や確認もしていません。子どもたちはどうまとめるのでしょうか。興味が湧きます。 まず個人で考え、その後、司会者、記録者を決めて実験の班でまとめます。子どもたちは個人で考える時は誰とも相談しません、その反動もあるのか班での相談では、すぐに話し声が聞こえます。人数が多いため、同時に複数個所で話が始まっている班もあります。授業者は席を立って集まるようにと指示をしますが、なかなか動かない子どももいました。ここは実験の班にこだわる必要はないので、基本の少人数の班で相談させてもよかったと思います。 小型のホワイトボードにまとめを書いて、発表させます。わからないことや質問があったらその場で聞くようにと指示します。発表ごとに大きな拍手がわきます。マナーとしてはとてもよいのですが、授業としてはどうでしょうか。どこがよかったのか具体的評価がほしいところです。「位置エネルギーが大きいと速さが速くなり運動エネルギーが大きくなる」という意見がほとんどです。同じような考えばかりだからか、質問は全くありません。拍手がその機会を奪っているのかもしれません。 「高さが高くなるほど位置エネルギーが大きくなりその分運動エネルギーが大きくなるし、速さも速くなる」という意見もありました。よく似ていますが微妙に因果関係が違っています。順番に発表することにこだわらず、「運動エネルギーが大きいから速いの?」といったことを聞いて、焦点化したいところです。 子どもたちは高さと位置エネルギー、速さと運動エネルギーの関係や高い位置から転がると速い、位置エネルギーが大きいと運動エネルギーが大きいということは理解していますが、エネルギーの変化は意識していません。スタート時点では位置エネルギーだけ、一番下では、運動エネルギーだけで、他方がどうなっているかは考えていません。ここをどうやって意識させるかがポイントです。 授業者はしっかり発表できていたこと、位置エネルギー、運動エネルギー両方の言葉が出てきていたことをほめました。こういう評価は大切なのですが、子どもたちの考えを深めるための、焦点化がありませんでした。授業者はその代わりに自分がまとめたものを用意したと言って、「鉄球はスタート位置が( )と( )なる。それは斜面を下ることで( )が( )に変わるからである」とところどころ空欄にしたまとめを提示します。これは子どもたちの発言とまったく関係のない天下りのものです。「変わる」という言葉は唐突です。この言葉は保存則から導き出されるべき表現です。結果として、変わっていると言えるのです。 スタート地点が高いと速さが大きくなることは、実験するまでもなくわかっています。問題は、それをエネルギーの変化にどう結びつけるかです。授業者が天下りで結論を出すのであれば、実験せずに、位置エネルギーと運動エネルギーがどうなっているのかを考えさせて、この課題を与えてもあまり変わらないように思います。 しばらく時間を与えてから、全体で答を言わせます。多くの子どもが正解していましたが、それは子どもたちが穴埋めの答を想像しただけで、根拠を持って理解したわけではありません。天下りで教えられているのと何ら変わりはないのです。「書けなかった人は埋めといて」と指示しますが、答を知っただけです。書けなかった子どもを含めて誰も科学的に考えていないのです。少なくとも実験から自分たちで導き出し、納得した結果ではありません。 ここからは、授業者の一方的な説明です。位置エネルギーと運動エネルギーの変化を説明します。結果として授業者がすべて説明する講義型の授業となっているのです。位置エネルギー、運動エネルギーの変化をグラフ(図?)で表わして、「運動エネルギーと位置エネルギーにはどんな関係がありますか」と問いかけます。運動エネルギーと位置エネルギーの和が一定であることに気づかせようとしていますが、そもそも位置エネルギーが減ったのと同じだけ運動エネルギーが増えるということはわかっていません。わかっているのは、スタート時点では運動エネルギーが0というだけです。グラフでごまかしているのです。もちろん、中学校や高等学校では微積分を使えませんから、きちんとした説明はできません。しかし、それが言えそうだという根拠は必要です。 グラフはエネルギーの変化を直線で表わしています。中学校では位置エネルギーは高さに比例するということは押さえられているので、横軸は高さということです。そうするとそもそも同じ高さなら運動エネルギーが同じであることが言えなければ、一般化できません。こういったところを雑にして、結論をグラフにしているのです。 子どもからは「位置エネルギーが減っていくと運動エネルギーが増えていく」といった言葉が出てきます。相互指名をしているうちに和が一定という意見が出てきますが、授業者がそうなるように書いたグラフで気づいてとしても、科学的には意味はありません。このグラフから考えさせるということは、論理的に本末転倒なのです。また、このことを知っている子どもが答えているだけかもしれません。 子どもたちは、友だちの方を向いてしっかりと発表を聞いています。だからこそ、この場面が理科としてはあまり意味がない(知識を覚えるためと考えれば、答を繰り返し聞くことも意味があるかもしれませんが)ことが残念です。 最後に指名された子どもは、「そのグラフからあまりわからないので、そこの解説を先生よろしくお願いします」と授業者に説明を求めます。それを受けて授業者が説明を始めます。よい場面に思えますが、友だちの説明ではなく先生に求めているというのは、正解を求めている感覚に近いように思います。時間があれば、「だれか、○○さんが納得できるような説明をして?」と子どもに返すべきだったと思います。 授業者はグラフを重ねて見せます。そうなるように書いてあるのだから上手く重なりますが、そのことは全く根拠がないのです。 授業者は位置エネルギーと運動エネルギーの和が一定であると説明して、力学的エネルギーの保存という言葉を示しました。 このことを確かめるために、高さは同じで傾き方が急なコースを用意して速さがどうなるかを答えさせます。子どもたちは力学的エネルギーの保存を言葉では理解していますが、それがどういうことかまだよくわかっていないようです。なかなか手が挙がりません。ここで手を挙げた子どもを指名して説明させますが、これがこの日初めて子どもたちが論理的に考えられる課題です。「力学的エネルギーの保存が成り立っているならば、どうなるはず」と「力学的エネルギーの保存」を明確な根拠として予想させるとよいでしょう。そうすることで初めて科学的な活動になります。子どもたちが相談して、論理的に予想させるべきところだったと思います。 挙手して相互指名で答えた子どもはすべて同じ速さになるときちんと説明できています。それに対して授業者は、「これだけ急な角度だよ。同じになる?」と揺さぶりますが、ここでの揺さぶりは、あまり意味はありません。「力学的エネルギーの保存」が正しいとすれば、結論は揺るがないからです。揺さぶるなら、力学的エネルギーの保存が成り立っているかどうかで揺さぶらなければいけません。 授業者の意図を察したのか意見を変えてくれる子どもが出てきます。「速い」か「同じ」か、挙手で確認します。「速い」という子どもも5、6人いましたが、この展開ではこの予想にあまり意味はないように思います。再び実験をして確認させますが、子どもたちには驚きはあまりないようでした。当然の結果だからです。 一見子どもたちがきちんと考えて活動しているように見えますが、科学的な思考のほとんどない授業になってしまいました。 実験をもとに考えさせたいのであれば、最初の「どこから乗りたい?」という発問で、その理由を理科の言葉で説明させることから始めるとよかったように思います。子どもから出た「G」という言葉から、「重力で加速する」「高いと加速される時間が長い」「スピードが出る」といった言葉を引き出し、「どう、きっとこちらの方が怖いよね」と急なコースを見せ、「加速度はどちらが大きい?」「どちらが速い?」と子どもたちに問いかけることで、加速度はこれまでの復習で、急な方が大きいことを確認します。そこで予想をさせてから実験をさせるのです。エネルギーをどこで考えさせるのかはちょっと悩ましいところですが、実験の前に、「加速度と速さの話をしたけど、エネルギーはどうなるだろう?」と問いかけても面白いと思います。2つのコースで、スタート位置では位置エネルギーも運動エネルギーも同じ、計測地点では位置エネルギーが同じことを確認し、計測地点での運動エネルギーは速い方が大きいことを押さえておきます。 子どもたちを揺さぶるために、2つのコースを並べて、どっちの球が先にゴールするか演示しておいてもよいでしょう。この実験を見せた後では、急な方が最終速度は速いと思うはずです。エネルギーは速さで決まるからどのくらい違うか測定してみようと実験をするのです。 こうすることで、実験結果が予想と違って混乱します。その理由を考えさせるのです。速さは「力(加速度)」と「力が加わっている時間」で決まります。急であれば加速度が大きく早く加速されるけれども加速時間が短いことに気づけば、緩くても時間をかけて加速して最終的には同じ速度になったのだと理解できるはずです。コースが違っても、スタートの高さが同じだと運動エネルギーは同じになりそうだと納得してくれると思います(高さを変えて実験して見てもよい)。運動エネルギーは位置エネルギーの差で決まることに気づけば、そこから後は天下りでもよいのではないかと思います。もちろん、位置エネルギーの差が一定だったら運動エネルギーも一定であることを実験して、力学的エネルギーの保存を確認してもいいですが、時間的には難しいかもしれません。 この授業は、よくも悪くもこの学校の現状を表わしていると思います。この授業は授業者と子どもたち、子ども同士の関係がよく、柔らかな雰囲気で授業規律も素晴らしいものです。だからこそ、子どもが考え、学び、学力をつけるためにどうであるかが問われます。 授業者には申し訳ないのですが、校長とお話させていただき、通常の授業検討はせずに、この授業の課題についてお話させていただくことにしました。厳しい話をすることになりますが、この授業者なら意図は理解してくれると信じてのことです。 子どもの状況がよいからこそ、「授業で大切にする要素はなにかを考えてほしい」「子どもたちが活動しているかどうかではなく、その活動の質を意識してほしい」「わからない子ども、困っている子どもがわかる、できるようになる場面がどこかを意識してほしいこと」などを話しました。 この学校が子どもたちとの関係がよく、授業規律がしっかりとしている学校の段階で留まるのか、この先に大きく一歩を踏み出すのかの分岐的に来ているように思います。 この日は、懇親会もありました。いつものように多くの方と授業についてたくさんの話ができました。研究授業の授業者とも話をすることができました。授業者も展開に悩んでいたところもあったようで、私の話を前向きにとらえてくれました。思った以上にしっかりと受け止めてくれていたのはうれしいことです。この先きっと大きく飛躍してくれることと思います。 今回の授業をきっかけに学校がどのような変化を見せてくれるのか、研究発表会がとても楽しみです。 |
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