子どもたちに疑問を持たせることを考える

昨日の日記の続きです。

社会科の授業研究は、現職教育主任の3年生の太平洋戦争の授業でした。今年度第1回目の授業研究でしたが、現職教育主任が率先して授業者となりました。授業研究を今年もしっかりやりましょうと、学校全体へメッセージを送っています。

授業は太平洋先生を始めたことは、人々の生活にどのような影響を与えたのかを考えることが課題です。
「物不足と配給」「学徒動員」「戦争と食べ物」「金属回収」に関する4つの資料を準備してグループに配ります。グループ内でそれぞれ担当を決めて、資料と教科書、資料集からわかることをノートにまとめます。
子どもたちはこういった作業になれているようです。すぐに手が動きだします。しかし、別の見方をすればあまり頭を使っていないとも言えます。資料から「なぜだろう?」「どうして?」といった疑問がわいたり、「ここから何がわかるのか?」と考えたりしていれば、すぐに手は動かないはずです。子どもたちは、資料や教科書からとりあえず必要と思うところを抜き出しているのです。
まとめが終わると、グループ内で交流します。子どもたちは友だちのまとめを聞いて一生懸命写しています。話し手を見ている子どもはほとんどいません。ただの作業分担になっています。まずは、話を聞くことが大切です。話し手は、聞き手に伝えること整理して話すことを意識し、聞き手はうなずきながら話しの内容を理解しようとすることが求められます。聞き手が書き留めたいのなら。その後に自分の言葉でまとめるべきでしょう。机の真ん中に自分が使った資料を置いて、そのどこに書いてあるかを示しながら話すといったルールを導入すると言いたやり方もあります。どのように伝え合うかも大切な要素です。また、話を聞き終わった後、深め合う場面がありません。子どもたちの活動は止まっています。例えば、「4つの資料からキーワードを一つつくってください」といった課題を与えてもよいでしょう。「人」「物」「不足」「欠乏」といった言葉が出てくれば、そこから戦争がどういう状況をつくっていたのかがわかると思います。

「撃ちてし止まむ」の資料を追加で与えて、人々が苦しい生活に耐えていた理由を考えさせます。子どもたちは、今度はよく話し合っていました。全体での発表で「みんな同じような思いで生活していた」「人と違ったらいけない」といった意見が出てきました。「人と違ったらいけない」という意見に対して、うなずくなど子どもたちから反応が出てきます。しかし、授業者は子どもにつなぐことをせずに、自分で子どもの言葉を受けて説明をします。ちょっとしゃべりすぎのように思います。
続いて、「権力をふるう特高と憲兵」の資料を配布し、当時の政府によって厳しい統制にあっていたことを説明しました。
資料を小出しにしながら与えますが、子どもたちが資料を欲しがっていたわけではありません。「本当はどうだろうか?」と疑問を持つところまではいっていないのです。子どもたちは授業者の質問に答えているだけでした。例えば、当時の生活の資料を見たあと、「あなたたちならこんな生活どう?」と問いかけて、子どもたちから「嫌だ」「耐えられない」「仕方がないから我慢する」といった意見を引き出し、じゃあ「当時の人はどうだっただろうか?」と返すといったやり方があります。疑問を持たせてから資料を見せて、「どう、嫌だとか耐えられないと言った人は、我慢する?」と問いかけ、「それでも、嫌だ」という声を引き出してから、次の資料を見せるといったやり方です。

最後は時間の関係あったでしょうが、先生がまとめました。子どもたち自身でまとめさせたいところでした。この授業では一般の人々に焦点を当てましたが、最後の「権力をふるう特高と憲兵」を活かして、「じゃあ、政府はどうするの?」という問いかけを先にしてから資料を見せ、「人々」「政府」という2つの視点でまとめさせても面白かったかもしれません。

社会科の先生方との授業検討では、「社会科としてやりたいことがたくさんあるが、1時間の授業の中でなかなか消化しきれない」という授業者の悩みが語られました。確かにその通りだと思います。資料の活用一つとっても、「どんな資料が必要かを考えて探す」「資料を読み取る」「読み取ったことをもとに考える」といった場面があります。すべてをていねいにやっていると、時間がいくらあっても足りません。この授業でどこを大切にするかを考え、全体、グループ、個人をうまく使い分けながら、軽重をつけることが必要になります。資料を探すことはこちらで準備したものを渡せば時間はかかりません。教科書や資料集から探すのであればもう少し時間がかかります。図書館やインターネットを活用するのであればそれだけで授業のかなりの時間を使うことになるでしょう。読み取りでも、個人でまず読み取ってからグループにするのと、最初からグループ行うのでは時間も違ってきます。全体で教師が問いかけながら焦点化して進めれば、かなり短時間で終わります。子どもたちにしっかり考える時間を取らせたいのであれば、確実な読み取りもできるので、授業者が説明して時間を浮かせるという選択肢もあります。どのような力をつけたいのかを、まず単元を通じて考える必要があります。その上で、この1時間ではどのような力をつけることを中心にするのかを考えるのです。社会科の先生方は、大切なことは先生が教えなければいけないと思っていることが多いように思います。しかし、子どもが課題を解決するために出会った内容は、あえて先生が解説しなくてもしっかりと理解し残っているものです。子どもたちを信じて、先生が説明することを減らすことも必要なのです。

次回は、比較的時間を置かずに訪問します。短期間ですが、どのような変化を子どもたちが見せてくれるのか楽しみです。よい姿を見られることを期待します。

うれしい知らせ

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本日、明治図書出版編集部から、拙著「授業アドバイザーが教える『授業改善』30の秘訣」の増刷決定の知らせが届きました。発刊から1年余り、多くの方に読んでいただけたおかげです。こんなうれしいことはありません。

この本を書くきっかけをつくっていただいた編集者と明治図書出版、私に多くのことに気づかせてくれた子どもたち、そしてもちろん授業を見せていただいたすべての先生方に感謝です。ありがとうございました。

先生の対応で子どもの姿は変わる

昨日の日記の続きです。

3年目の理科の先生の授業は実験の指示の場面でした。
初任時は初めての担任で、2年目は3年生の担任ということで、プレッシャーがかかる状態での2年間でした。正式採用の前年はこの学校で講師として勤務していたのですが、後半は表情にも余裕がでて、柔らかい雰囲気で授業を進めることができていました。今回、その頃の笑顔を見ることができました。子どもたちも安心して授業に参加できているように見えます。
復習の場面で、子どもたちの手が挙がりますが全員ではありません。授業者は「全員に手を挙げてほしい」と子どもたちに伝えます。このように、「全員参加してほしい」という思いを子どもたちに伝えることはとても大切だと思います。表情の悪い子や顔が上がらない子どももいるのですが、授業者がまわりと相談させるとすぐに全員が動きました。子どもたちに活動する機会を与えると見せる姿は変わります。よいタイミングでした。残念だったのが、子どもの活動を評価する場面がなかったことです。確認できていたので、すぐに先に進んでしまったのです。固有名詞で、「○○さん、しっかり話を聞いていたね」「どんなこと話したか聞かせて」と子どもたちを評価する場面がほしいところでした。
授業者が板書で送り仮名を間違えました。子どもからそのことを指摘された時に、「ありがとうございます」とていねいに言葉を返しました。このような言葉が素直に出てくるところにこの先生のよさがあります。こういった姿を見ることで、子どもたちは先生を信頼していくのだと思います。
実験の手順をステップごとにていねいに説明しましたが、これが何のための実験かが明確でありません。理想は子どもたちが疑問を持ち、その疑問を解決するためにどのような実験が必要かを考えることですが、せめて、「……を知るためにはどんな実験をすればいいと思う?」「……といった実験を今からするんだけれど、それで何がわかると思う?」と、実験の概略や概略から何がわかりそうか考えさせたいところです。その上で、具体的な実験の手順を明確にして、指示するのです。
子どもたちが安心して参加できる授業になってきています。次は子どもたちが考えるようになる工夫を意識してほしいと思います。

今年異動して来られた社会科のベテランの授業は、1年生の資料を使う場面でした。
さすがに授業規律はしっかりしています。指示に素早く従う子どもたちに「はやいよ」とほめ言葉をかけます。こういったことが自然にできているのはさすがですが、いつも同じようにほめていると単なる口癖のように感じる子どももいます。子どもたちをよく見ている方なので、「○○さん、はやいよ」「△△さんも」というように、固有名詞でほめるとよいでしょう。
資料の説明をする場面がありました。子どもは手元の資料を見ています。こういう場合、子どもに求める姿はどのようなものでしょうか?「資料を見ながら聞く」「顔を上げて授業者の説明を聞いてから資料を見る」「資料を見てから、顔を上げて授業者の説明を聞く」といくつかのパターンがあると思います。どれが正解というわけではありませんが、顔を上げて話を聞くことを意識させるのであれば、後ろ2つの方法を意識するとよいでしょう。もちろんICT環境が整っているならば、説明する時はスクリーンに大きく資料を映してみせることで、顔を上げさせるという方法もあります。
授業者は、子どもたちの姿を変えていく力のある方だと思いますが、異動したばかりの学校で、しかも1年生ですので、勝手が違うと思います。学年全体で話し合いながら、各場面で子どもたちにどのような姿を望むかを意識してほしいと思います。

6年目の数学の先生の授業は1年生の試験返しでした。
答案を返却する時に、ワーとかキャーとか声を出さないようにすることを、理由も含めて子どもたちにしっかりと伝えました。子どもたちは、ちゃんと落ち着いて答案を受け取っていました。子どもたちにどうあってほしいかをきちんと伝えることができています。返事をしない子どもに、「返事がほしい」と声をかけます。些細なことに思えるかもしれませんが、「返事は!」「返事をしなさい!」とは、伝わるニュアンスは違います。命令ではなく、自分の思いを伝えているからです。こういう姿勢なので、子どもたちとの関係は良好です。
テンションの上がりやすい子どもがいます。子どもたちがちょっとざわつきます。「静かにしてよ」と他の子どもが注意をして静かになります。この学級で、似たようなことが他の先生の授業でもありました。「ざわつく子ども」←「注意をする子ども」という図式が気になります。今回の授業者も、そのことについて何も対応しませんでした。この図式にならないように早目に授業者が対応することと、学級担任が子どもたちの人間関係に注意をすることが必要だと思います。
授業者は、子どもの反応をしっかりと受け止めるのですが、授業とあまり関係ないことでも子どもと近い目線で反応します。そのため、一部の子どもとの距離が近くなりすぎることが少し気になります。こうなると、他の子どもがそこに入っていけなくなり、先生と子どもの関係は良好でも子ども同士の関係が微妙になります。子どもとの適切な距離があります。このことを意識するようにお願いしました。

3年目の若手の2年生の英語は、子ども同士で対話をしながら情報を集める活動の場面でした。
今年から、英語の授業ではデジタル教科書とプロジェクターを使うようになりました。スクリーンに教科書が映し出されていますが、一部の子どもたちは手元の教科書を見ていました。まだ慣れていないのかもしれませんが、スクリーンを見るように促したいところです。
指名されたのに答えられなくて困っている子どもがいました。まわりの子どもに助けてくれるよう授業者が頼んで、声をかけてもらえたのですがうまく答えることができません。授業者はいったん他の子どもを指名してから、もう一度先ほどの子どもを指名して答えさせました。失敗で終わらせないという配慮がしっかりとできていました。
眠くて参加できていない子どもがいました。大分待っていたのですが、注意をするという姿勢ではなく笑顔で優しく声をかけて起こしました。なかなかよい対応ですが、もう少し早く参加できるようにしたいところです。眠っている子どものまわりの子どもを指名すると、友だちの声で目を覚ますこともあります。こんなやり方も知っておくとよいでしょう。
友だちに質問をして情報を集める場面で、その結果を書きとめる表を子どもたちに書かせました。こういった作業を子どもたちは必要以上にていねいにやってしまいます。かなりムダな時間を使ってしまいました。印刷して配ればよかったところです。また、「フリーハンドでもいいよ。今はていねいに書くより早さを優先してね」と、子どもたちに優先順位を伝えるという方法もあります。
この時間では、集めた情報のメモを活かす場面がありませんでした。子どもたちもこのメモが何のためかわかっていません。また、相手への質問を手元やスクリーンを見て読んでいる子どもが目立ちます。手元やスクリーンを見てもいいので、話す時は相手を見るようにさせたいところでした。
授業者は、自分で何がいけないのかよくわかっています。試験返しの直後の余った時間なのでしょう。準備不足だったようです。

2年生の教室での体育の時間は、体力テストの結果を整理して記入する場面でした。3学級で同じことをやっていました。子どもたちはどの学級も同じように集中して作業をしていましたが、次第に異なった様子を見せていきます。その違いはとても面白いものでした。
一つの学級は、授業者が作業をしっかりと止めることなく、全体への指示を出しました。顔を上げて聞く子ども、作業を続ける子どもバラバラです。その後、子どもたちの集中が切れて、全体がざわざわしました。
今年異動してきた中堅の先生は、子どもの質問にそこに移動して答えます。かなり大きな声でした。するとその声に反応して、授業者の死角あたりで子ども同士がしゃべりだします。それまで静かだった学級が、次第にざわざわしだしました。
今年異動してきたベテランの先生は、次の指示を黙って板書します。子どもに小さめの声で、「今は、やりながらでいいから」と簡単な指示をします。本来は手を止めて顔を上げて聞かせるべきですが、ここは作業を優先させました。この時、今だけ特別であることを明確にすることで、ルールを壊しません。また、作業に集中していた子どもも、何だっけと思って顔を上げれば指示が黒板に書いてあるので困りません。授業者が何を優先しているのかよくわかる場面でした。子どもたちに個別に渡すものがあったのですが、作業を中断させることなく自身が静かに回って子どもたちの手元に置いていきました。子どもの質問には、膝を曲げて目線の高さを合わせ、静かな声で対応します。隣に質問している子どももいるのですが、とても小さな声で話し、全体の集中を乱しません。最後まで全員が静かに集中して作業していました。
同じような状況でも、先生の対応で子どもたちの姿が変わります。子どもたちが集中して作業をすることを優先した授業者の教室は、やはりそのようになるのです。

この日は社会科の授業研究がありました。その様子は明日の日記で。

子どもたちに求める姿を意識すること

先週、授業アドバイスを行ってきた中学校の様子です。

学校全体は落ち着いていましたが、1年生の様子が少し気になりました。
前回訪問時には子どもたちの出身小学校の色がそれぞれに残っているように見えたのですが、その色は混じったようです。ところが、子どもたちの様子が学級によってではなく、授業によって異なっていました。学級全体が落ち着かず集中力が落ちている授業と、授業規律がしっかりして集中している授業に分かれているのです。先生が子どもたちの授業規律を意識して授業を進めていれば、子どもたちは小学校時代からのよい姿を見せます。小学校時代にちょっとごそごそしていたであろう子どもたちも、その姿に影響されて落ち着いて授業を受けるようになっていました。一方、授業規律の意識の弱い先生の授業では、一部の子どもたちが不規則な発言などをしても先生が受容してくれることに気づき始め、どこまで許されるか探っていたようです。彼らに影響されて、その授業では学級全体がごそごそするようになってきたのだと思います。この状態が固定化することは危険です。
学年で中心となっている先生方でも、自分の授業での子どもたちの姿がよいため気づけていない可能性があります。中学校ではこのようなことが起こりやすいので、注意しなければなりません。とはいえ、基本的にはきちんとできる子どもたちです。先生方が授業規律を意識すればよい方向に変わっていくはずです。学年主任とこのことについてお話させていただきましたが、この状況をよく理解されていたので、学年団できちんと対処していただけると思います。

この日は、1、2年生を中心に授業参観をしてアドバイスをさせていただきました。
初任者の授業は1年生の国語の試験返しの場面でした。
挨拶をした後、子どもが静かになりません。授業者は静かになるのを黙って待っていました。待てるのはよいことなのですが、子どもたちは授業者が何を待っているかわかっていません。一人の子どもが「静かに!」と声を出して、全体が静かになりました。授業者はそこで何も言わずに次に進みました。これでは、下手をすると「静かに!」と注意した子どもが学級で浮いてします。子どもが静かになった時点で、全体に対して「静かにしてくれてありがとう」と声をかけ、注意してくれた子どもに「嫌な役をやらせちゃったね。声を出してくれてありがとう」と注意された側、注意した側、双方がネガティブにならないような配慮が必要です。子どもが仲間に注意をされるまで静かにならなかったのは、授業者が自分たちに求めていることが何かをわかっていなかったからです。ただ黙って待つだけではなく、静かになった子どもや授業者を見てくれた子どもに対して、「○○さん、こちらを見てくれているね。ありがとう」といった言葉をかけて、授業者が何を求めているかを他の子どもに伝える必要があったのです。
この時間の進め方を説明している時に子どもの顔が上がりません。授業者がこの時に子どもにどうあってほしいかが意識されていないので、この状態でしゃべってしまうのです。今この場面で子どものどんな姿が見たいかを意識することが大切です。
子どもたちに、試験問題のやり直しを指示しますが、具体的にどうするのかが子どもたちによく理解されていません。教科書やノートを見ずにやり直しても行き詰まります。わからないのでしばらくするとテンションが上がっていきます。また、すぐに終わって手遊びしている子もいます。子どもたちをよく見て、何が起こっているかを早く察知して、必要な指示をすることが大切です。
子どもたち少々ざわついても叱られないので、調子に乗ってしまいます。小学校で叱られてきた子どもたちなのかもしれません。叱られてきた子どもは、叱られなければやってもいいと思います。だからといって叱っていては、してはいけないことを一つずつ潰していく必要があります。一人叱っても、別の子どもをまた叱らなければなりません。いたちごっこです。叱ることなく、望ましい行動はどのようなものかを伝え、できた子どもをほめ、他の子どももまねしようと思わせるような指導が大切になるのです。

2年目の若手の1年生の国語の授業も試験返しでした。
子どもが勝手にしゃべったり、授業者に話しかけたりしています。多少は授業に関係することもありますが、たわいもないこともしゃべっています。授業者は適当に相手をするのですが、次第に子どもたちのテンションが上がっていきます。授業者自身が、明確な基準を持って子どもに相対する必要があります。授業に関係ないことであれば静かにするように促し、授業に関係することであれば、「今言ったこと、みんなに聞こえるように話してくれる。みんな聞いて」と私的ではなく公的に話すように指示します。
授業者の説明や指示が続きます。子どもが活動する場面がないのでストレスが溜まることも、子どもがしゃべったりテンションが上がったりする要因となっています。また、子どもたちが試験の結果に対して思ったほど頓着していないことも気になりました。中学校最初の定期試験です。もう少し結果への期待や不安があってもいいと思うのですが、それ程でもないのです。
授業者は、ごそごそしている子どもに対して何も働きかけません。注意はしなくてもいいのですが、「何か困っている?」といった声かけは必要です。教師が子どもたちを「見守っている」ことを伝えることが大切なのです。

今年異動して来られた英語の先生の1年生の授業は、ヒアリングの場面でした。
大切な指示をする場面で、子どもの顔が上がっていないことが気になりました。授業者の指示は通っているとは思うのですが、ここで子どもたちにどうあってほしいのかが問題です。英語は子どもの口が開いているかどうかがとても重要な教科です。確認するために、子どもの顔が上がることが求められます。そういった習慣をつけるためにも、顔が上がっているかどうかにはこだわりたいところでした。
ヒアリングの問題を連続してやっていきます。一つひとつは独立した問題です。受験対策といったことならわかるのですが、今の時期はまずきちんと聞けることが大切なので、確認しながら進むことを考えた方がよいでしょう。あとから答を聞いても、まず聞いた音は記憶に残っていないからです。
面白かったのが子どもたちに集中度の変化でした。最初しばらくは単語を聞き取ればいい問題でした。ほとんどの子どもはできたことと思います。単調なリズムなので次第に集中力がなくなり、惰性になっていきます。ところが、問題文が文章に変わった途端に子どもたちの様子が変わります。しっかり聞かないとわからないので、一気に集中が戻ったのです。ある程度ストレスがかかる問題を与えることが大切なことがわかります。
いつも述べていることですが、ヒアリングの問題は、答え合わせをしても聞く力がつくわけではありません。試験の形式にとらわれずに、まわりと聞けた単語や文を確認して、もう一度聞くといった活動が必要です。どのようにすれば聞く力がつくのかを意識して授業を組み立ててほしいと思います。

この続きは明日の日記で。

介護現場の課題から学校現場での取り組みを考える

介護職員向け冊子の制作のための研修を行ってきました。5月は「食事介助」がテーマです。

食事の介助は日常的な介護の仕事です。皆さん、さすがに基礎的な事柄はよく理解され、実行されています。高齢者は特に誤嚥の危険性が高く、それがもとで命をなくすこともあります。また、中には食事中に眠ってしまう方もいらっしゃいます。しっかりと覚醒させてから食事にすることが大切になります。施設などでは、時間を置いてから食事にするといった対応をします。ところが、訪問介護の場合は、あらかじめ介護の時間が決まっています。目が覚めるのを待っている内に時間が来てしまえば、食事をとらせることなく帰らなくてはいけません。利用者とその家族にとっても、介護者にとっても困ったことになってしまいます。こういった時にどうすればいいのかといったことが話題になりました。これが正解というものはありません。ケアマネジャーを通じてご家族と連絡を取って対応することが基本となると思いますが、その場の状況に応じた対応が求められます。過去に食事中に眠ってしまうことがあった場合など、このような事態が予測できる場合は、事前にケアマネジャーを通じて家族と対応を決めておくとよいでしょう。
学校でも、似たことが考えられます。校外学習などで、配慮が必要な子どもを引率する場合は、あらかじめ保護者と想定される事柄をしっかりと共有して、対応を決めておくことが大切です。何かある前の事前のコミュニケーションが重要なのです。

さて、施設では多くの方が同時に食事をとります。職員の数は利用者より少ないため、全員に付き添うことはできません。介助の必要な方に付き添うほかは、誤嚥を起こしやすい方を中心に見守ることになります。ここで注意が必要なのは、すべての職員が気になる方ばかり見ていると、目の届かない人ができてしまうことです。今まで誤嚥を起こしたことがない方でも、いつ起こすかわかりません。また、何かあった時にみんながその方に注目してしまうと、他の方にトラブルが起こっても気づけません。互いに阿吽の呼吸で目こぼしがないように全体を見ることが大切になります。まさにチームワークです。
これは、学校現場でも大切な視点です。学級の中に気なる子どもがいると、どうしてもその子どもにばっかり目がいってしまいます。その子どもにかかわりすぎると、他の多くの子どもたちに起こっていることを見過ごしてしまいます。全体をバランスよく見ることが大切です。一人では難しいので、担任している学級にこだわらず、学年全体で互いにどの子どもにも目を向けるよう意識することが必要です。「いいとこみつけ」という取り組みがあります。学校の先生すべてが、子どもたちのよいところを見つけては、データベースに書き込み、通知表などと一緒に保護者や子どもたちに伝えるのです。学校全体で子どもたち一人ひとりを見守るというチームワークを意識した取り組みです。こういった発想が大切になります。

いつもながら、介護現場での取り組みを考えると、学校現場ととてもよく似たことが課題として浮かび上がってきます。違った視点からの気づきを得る、とてもよい機会となっています。

企画の審査でいろいろな視点に出会う

文部科学省の「学校の総合マネジメント力の強化に関する調査研究」の企画審査に、審査員として参加してきました。

私自身は現場に近い立場なので、こういった調査研究がすぐに現場に役立つという視点を大切にします。その一方で今の時点で絶対にこういった成果があがると確約できないが、今後に役立つような知見が得られる可能性があるものも重要だと思います。このバランスがなかなか難しいというのが正直なところです。
他の審査員の方の質問やコメントは、いつもながらとても勉強になります。似たような視点でも質問の仕方によって、相手から出力されるものも変わります。また、自分とは異なる評価をされる方の視点は、多くの場合私自身に欠けているものなので、私の視点を広げてくれます。学校教育についていろいろな立場でかかわっている方が審査員となることの意味がよくわかります。
また、文部科学省の担当の方の質問も、行政の立場とはどういうものかが、そこから伝わってくるものでした。国という大きな枠組みの中で教育を変えていくということは、現場で先生方と一緒に動いている私とは全く異なる発想が必要となります。そのねらいを理解した上で、学校現場でアドバイスができるようになる必要性を感じました。

最終的に選考の判断をするのは文部科学省なのですが、限られた予算の中、ギリギリの調整をされていると思います。
応募された企画の中には、実際の試行が含まれているものもいくつかあります。もし、そのような企画が採用された場合、その様子を見学させていただけるというお話もありました。そのような機会がいただければ、日ごろ見ることのできないものなので大いに学ぶことができると思います。実現を期待しています。

審査を通じて、いろいろな立場の方の考えに触れることができるとてもよい機会でした。このような機会をいただけたことに感謝です。私のコメントが少しでも選考のお役に立てたのであれば、これほどうれしいことはありません。

学生の個性やよい姿をたくさん見る

先日、授業と学び研究所のフェローで企業の採用選考試験のお手伝いをさせていただきました。
グループワーキングを行ってもらうものなのですが、応募者をふるいにかけるという発想のものではなく、一人ひとりのよさをしっかりと見ようというものです。
詳しい内容は書けませんが、一人ひとりに本当に素晴らしい個性やよさがあり、またそれが発揮される場面も多岐にわたっていました。グループワーキングと限定された状況でも、場面ごとで違った姿を見ることができます。社会という舞台に立てば、より多くの場面があります。そのような場面で彼らはどのような活躍をするのだろうと想像することは、とても楽しいことでした。

学校現場でもこういったことは意識しなければいけないことです。先日も、ある先生が臨時で他の教科の授業をしたところ、子どもの見せる姿がまるで違っていたということを話されていました。教師は今見せている子どもの姿がすべてではないことを常に意識しておくことが大切です。授業、休み時間、部活動、家庭、交友など、その場面で見せる姿は異なります。授業でも教科やその日の気分や体調によっても違った姿を見せることがあります。少しでも子どもたちのよいところを見ようとし、自分では見ることのできないよいところを知ろうとする姿勢が大切になります。かつて先生方と「いいとこみつけ」という子どものよいところを学校全体で共有し、保護者や子どもたちに伝えるシステムの開発のお手伝いをしていたころの気持ちを思い出しました。

先ほどのグループワーキングには、もう一つの目的があります。それは応募者と企業のミスマッチを無くすことです。
パンフレットや紹介ビデオを見ても、学生には実際の仕事がどのようなものか、なかなか想像はつかないと思います。採用されて働き始めてから、「私のやりたいことはこんなことじゃなかった」「自分にはこの仕事は向いてなかった」と気づいて退職することになってしまえば、本人とっても企業にとっても不幸なことです。そのようなことを少しでも減らすためのグループワークとなっています。

応募者に序列をつけるようなものではなく、よいところを見つけ、この企業のことをより知ってもらうという姿勢はとても共感できました。応募者のよいところをたくさん見ることができ、とても楽しい時間を過ごすことができました。

今の授業にとって何が大切かを考える

私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は2人の英語の非常勤の先生の授業を中心に参観しました。

一人目の先生は高校2年生の”listening(dictation?)”の場面が中心の少人数授業でした。
全員で声を出す場面で口が開かない子どもが目につきます。また、友だちが発表する時に聞けていない子どもが気になります。決して人間関係が悪い子どもたちではありません。一問一答形式で友だちの答から次につながらないので、聞く必要がないのです。
ゴールデンウイークや母の日の話を子どもたちにしますが、英語やこの日の授業に関係のない話です。時にはこういった話も大切ですが、できるだけ短く済ませたいところです。
授業中に授業者が手元を見ている時間が長いことが気になりました。子どもを見ることがあまり意識できていません。また、子どもの活躍の場面が少ないことも気になりました。

”listening(dictation?)”は、手元に穴埋めの文章が配られて、その穴を埋める形で行われます。
CDプレイヤーは、電源の関係もあるのでしょう、教室の入り口付近に置かれます。学級を分割しているので、子どもたちは反対側に集中しています。音源と子どもたちの位置が離れているのが気になります。それほど音質のよいものではないので、聞き取りにくいと思います。子どもたちの位置を変えるか、延長コードを準備すべきでしょう。また、授業者は子どものそばにいるので、操作の度に一々反対側に移動します。こういったムダな時間が多いことが気になります。活動の終了後ワークシートを回収しますが、その回収したものをしばらく眺めています。できを確かめているのかもしれませんが、気になるのであれば”listening(dictation?)”の間に机間指導で確認すればいいことです。また、見た結果が授業の次の展開に影響していないので、それならば授業後にゆっくりと見ればいいのです。感覚ですが、ムダと思える時間の総計は10分では聞かないと思います。こうしたムダな時間は子どもたちの集中力や意欲も削ぎます。注意することが大切です。

さて、穴埋め型の”listening(dictation?)”は、いくつかの要素の複合型です。子どもたちの作業は、「文を見ながら、どこを話しているかを聞く」「空欄のところでは、どんな単語かを聞き取る」「その単語の”spell”を書く」といった流れです。さて、力のある子どもは、書かれている文章から、話の流れや”situation”を読み取り、言葉も予想できます。しかし、話の内容を耳で理解するのではなく、書かれた文章で理解するので、本来の”listening”の力はつきません。また、力のない子どもは、内容ではなく、今どこを話しているか音を追いかけて、空欄の単語を聞き取ることに専念します。話の流れはよく理解できません。いずれにしても、”listening”としてはちょっと気になる進め方です。
“listening(dictation?)”を行って、空欄の単語だけを答え合わせします。英文の確認はされません。こうすることで、単にできる、できないをチェックするためだけの試験と化してしまいます。子どもたちがこの活動を通じて力をつけたり、できなかった子どもができるようになったりする場面がありません。この授業の構成を考えた先生も一緒に見ていましたが、子ども同士が聞き取れたことを確認し合ったりして、聞き取れるようになるための場面をつくることをお願いしたそうなのですが、上手く伝わっていません。この授業者は進度が極端に遅いので(ムダな時間が多いので当然ですが)、そういった時間も取れないのかもしれません。

授業の構成は、できれば絵などを使って、大体の”situation”を伝えておき、まず話の内容を聞き取ることに専念させ、子ども同士で内容を確認しながら再度聞き取らせることから始めるとよいと思います。全体で内容を確認した上で”dictation”を行うのです。穴埋めの形式のワークシートを利用するのであれば、このタイミングがよいと思います。
この授業の構成を考えた先生には、このことをお伝えしました。素直で、前向きな方なのでよい工夫をしてくださると思います。どのように変わるのか楽しみです。

授業者とお話しましたが、なかなかどのようにしたらよいのか、イメージがわからないようです。また、子どもを見るということはどういうことか、何を見るのかもピンとこないようでした。時間があれば一緒に授業を見ましょうかと誘ったところ、空いている時間に授業を見に来てくれました。「子どもが集中している?していない?」「子どもが次の場面でどうなるか?」といったことを問いかけながら、子どもたちを見ることはどういうことかを考えてもらいました。いろいろな話をしましたが、本人は「まず、子どもを見ることから意識してやってみたい」と言ってくれました。自分に欠けているのは、自分がまずやらなければいけないのは「子どもをみることだ」と思ってくれたのではないでしょうか。今後どのような変化をしてくれるのか楽しみです。

もう一人の方はベテランの方で、なかなか大変な学校で昨年まで長期にわたって務めておられた方です。高校2年生の授業でした。
一言で言うと子どもを受容できていない授業でした。授業者は素敵な笑顔ができる方なのですが、隙を見せたくないという意識が強いのか、子どもたちに難しい顔で接することが多いのです。教室全体を見ることが少なく、死角が多いように感じました。気になる子どもを見て、授業を乱さないかチェックするということを無意識にしているのかもしれません。
教科書を何回か読むという指示をした時に、なかなか子どもたちが動きません。しかし、この時間は何人かの先生方が見に来ているので、先生に協力しなければと考える気のいい子どもも目につきます。ある子どもが頑張って指定された回数読み終りました。終わったあと、ちょっとリラックスしている時、机間指導をしていた授業者がちゃんとやるようにと指導をしました。その子どもは、ちゃんと読んだことを伝えたのですが、それならばもっと読みなさいと指導して終わりました。残念な場面でした。一言「そうだったの、早かったね。勘違いしてごめんなさいね。じゃあ、もっと読んで、もっとうまくなろうよ」と子どもの頑張りをほめ、喜び、次への意欲を持たせたいところでした。
また、一定時間に何回読めるかという活動をした後に、前回よりも増えたかどうかを確認しました。その時、前回より増えなかった子どもは準備して来なかったからだと否定的な発言をしました。それに対して、「ちゃんとやってきたけど、できなかった」と訴える子どもがいました。授業者はその子どもを無視します。子どもはそれにめけずに何度も訴えます。授業者がやっと聞いてくれたので、そのことを主張するのですが、その頑張りを認めずに次頑張るように言って終わりました。「そうなの。頑張ったのに結果が出なくて悔しいね。必ず力になっていくから、次もしっかりやろう。絶対に増えるよ」と努力を認めて励ましてあげたいところでした。
授業者は自分の間違いを認めることに臆病なように感じました。うっかり認めると、自分の権威が揺らいだり、子どもたちに付け込まれたりすると思っているのかもしれません。この学校の子どもたちは、そういう子どもではありませんし、基本となる人間関係ができていれば素直に間違いを認める先生を子どもたちは逆に尊敬するものです。このことを理解してほしいと思いました。
授業は一問一答で進みます。反応しない子どもが多いことが気になります。授業者は協力してくれる一部の子どもとのやり取りだけで進めていきます。子どもたちが授業者と離れていっているようです。

授業者は、教える経験をいろいろしていて教授法には自信があるようなことをおっしゃっていました。しかし、今必要なのは子どもを受容し、子どもとの関係をつくることです。そのことを強くお願いしました。この学校では子どもとの人間関係を大事にされる方が多いので、是非時間をつくって他の先生の授業を見ていただくこともお願いしました。

この日は、今年の研修の進め方について担当の先生方と相談させていただきました。先生方からの提案は、「早い時期に教科単位で非常勤の先生も含めて一緒に授業を見あう機会を計画してもらい、互いのよいところを学びながら教科で共通の授業法をつくり上げていく」というものでした。とてもよいやり方だと思います。どの教科でも先生方がそれぞれで工夫をされています。それを学び合いながら共通のものにしていくというのはとても大切なことです。また、非常勤の先生はどうしても他の先生方と行動を共にすることが少なくなるので、こういった機会を意図的につくることが重要になります。
学校にどのような変化が起こるか、とても楽しみです。

金大竜先生から本当にたくさんのことを学ぶ

今年度第1回の教師力アップセミナーは大阪市の小学校教諭の金大竜先生の、「やっぱり子どもが好き」から始める学級づくり〜魁・殿と凸凹のある子ども達〜と題した講演でした。

全体を通じて感じたことは、金先生の子どもたちに対する視線の優しさと、授業や子どもに対する視点(観)の豊さでした。
教師として子どもたちと接して悩むのは、自分の思った通りに子どもが動かないからです。しかし、例えば「やめて」の一言で話し合いが終わるのは授業規律がよいと言えますが、なかなか終わらないのは話し合いに熱が入っているとも言えます。よい悪いではなく授業観が違うのです。上手いかないということは、今の自分が持っている授業観と異なるものに出会えたということです。自分の授業観を豊かにしてくれると前向きにとらえればいいのです。

個が成長できるような環境づくり、集団づくり(つながりづくり)が重要ですが、そのためには自分の観を広げることが大切になります。観を持っていないと、目の前にそのことが起きていても見えません。見えないことは指導できないからです。例えば、数字の13は見方によってはアルファベットのBとも見えます。しかし、これはアルファベットを知らなければ認識できません。立ち位置の違いで同じものでも見え方が変わるのです。
しかし、見えることには弊害もあります。そこに目が向けばできないことが気になります。疑問を持たずに善意で指導してしまいますが、必ずしもそれがよいこととは限らないからです。

金先生は、つながりを大切にされています。教師と子どもの関係という視点では、子どもの親の前でもできる指導を意識されています。子どもと子どものつながりでは、「全員とは親友になれない」、しかし「温かい関係にはなれる」と、子ども同士の信頼関係をつくることを大切にされています。
忘れ物を無くすのは無理です。大切なのは忘れた時の対応を教えることです。人間関係ができてくれば自然に忘れ物も減ってきます。具体的な指導例で伝えてくださいます。
「先生が好きです」と日記に書いてくる子がいます。そこには、「先生にポジティブに見てもらいたい」という気持ちが現れているという金先生の視点は、常に子どもに寄り添っています。「水をやり、日にあてて植物を育てるように、成長のための環境を整えるのが教師の役目で、いつ花が咲くのかは植物に聞かない」という、成長を温かく見守る姿勢はとても素晴らしいものです。

金先生は具体的な授業技術をたくさん持たれている方です。しかし、そういった技術ではなく、子どもたちのどのような姿勢で接するといいかを伝えられます。かつて、勉強会でこれなら絶対上手くいくだろうという授業技術を伝えても、仲間が自分の学校でやってみるとうまくいかず落ち込むということが何度もあったそうです。子どもたちやその取り巻く環境が異なるからそれは仕方がないことです。講演の冒頭で「他人の実践は上手くいかないと思って持って帰る」とおっしゃった意味がよくわかります。

具体的な例も交え、子どもたちにできるという自信を持たせ、他者とかかわる力をつけていくことの大切さを伝えられます。そのために、受け側・聞き手を育てるということを大切にされています。全く同感です。

最後に、教師には子どもたちとつながるためなら何でもする覚悟と創造が必要だというメッセージを送られました。「自分のやりたいことをやらせようとする宗教家ではなく、子どもたちのやりたいことをやっているのか、なぜやらないのかを考え続ける哲学者となってほしい」という金先生の言葉は、私の中に深く残りました。

今回の金先生の講演は、どうすればいいという”How to”を伝えるのではなく、どうあればいいのかとその場で参加者に考えてもらうものでした。私自身の講演では、問いかけはしても、自分なりの答や具体的な例を伝えてしまっています。自分の講演スタイルを変えたいという気持ちになりました。とてもよい刺激をいただきました。
それだけでなく、金先生から、子どもを見るということの意味と大切さを始め、本当にたくさんのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。

どのような変化が起きるか楽しみな学校

授業アドバイスをさせていただいて8年目になる中学校で、ゴールデンウイーク直前の様子を見て、全体にお話をさせていただきました。

今年は例年と比べて先生方の異動が少なく、また転入者は経験の豊富な方が多く、人事面の余裕を感じました。この日は学校全体の様子を転入者や教務主任と一緒に観察させていただきました。
基本的にどの学年もよい状態です。よいスタートを切れていると思います。
3年生は、ごく一部ですが、授業に参加するのが苦しい状態の子どもがいることが気になりました。3年生になって進学を意識し、学習面でのプレッシャーのため精神的に不安定になる子どももいます。そういった子どもに対して、担任を中心に学年全体で見守るようにしてほしいと思います。また、以前からあった、授業者によって集中度が異なる傾向はまだ残っているように感じました。これまでも学年主任を中心にチームワークで乗り切ってきた学年です。きっと例年通り、いやそれ以上に素晴らしい3年生に育ってくれると思います。

2年生は、中だるみをする学年というのが相場なのですが、この学年は昨年からのよい状態がしっかりと継続していました。安定感を感じます。若手をベテランがしっかりとフォローしているので、学年全体で指導のタイミングとポイントを外していないようです。このまま順調に進むことを期待します。

1年生の担任団は昨年異動された方が学年主任で、異動者を何人か含む新鮮なチームです。どのような学年になっていくのか楽しみです。
教室を見て感じた印象は、いくつかの学校が混在しているというものでした。決して悪い状態ではないのですが、子どもたちの授業規律が出身小学校のものを色濃く残しているように見えるのです。異動してきた先生方も、以前いた学校での授業規律とこの学校のものとに違いがあるため、明確な形で子どもたちに伝えきれていないのかもしれません。学年として、どのような子どもの姿を目指すか明確にして、共通の授業規律を確立することを意識してほしいと思います。

この日一緒に授業を参観した先生方は、どなたも子どもたちを見る力がある、とてもしっかりした方ばかりでした。頼もしい戦力が増えたのを感じます。この学校に新鮮な空気を入れてくださることと期待しています。

今年異動して来られた養護の先生ともお話しする時間が取れました。3月に退職された養護の先生の穴を埋めるのは簡単ではないと心配していたのですが、勝るとも劣らない方です。この学校の子どもたちの状況や課題をすでに的確に把握されていました。授業では見られない子どもたちの様子について、担任や学年の先生方と上手にコミュニケーションを取っていただけそうです。

全体に対しては、それぞれの学年の状況についての感想と、どのようなことを意識してほしいのかについてお話ししました。合わせて、昨年度末にお話しした、子どもたちを評価しつなぐことについても少し確認させていただきました。
今年は異動者も少ないので、学校が次の段階にレベルアップする大きなチャンスだと思います。この一年、この学校にどのような変化が起こるか楽しみです。

今年度の研修の方向性を考える

昨日の日記の続きです。

英語の新人は、充分な経験のある方です。この日は高校1年生の授業を参観しました。
よい表情で子どもたちに接することができる方です。この学校で進めているアクティブ・ラーニングに対しても前向きにとらえています。
子どもたちの反応や答に対して「いいですねー」「そうですねー」と受容することができます。ところが、授業者が質問に対して反応を待っていても、子どもたちはじっとして動きません。授業者が答を言ってくれるのを待っているのです。おそらく、中学校で誰かが答えてくれるのを待っていた子どもたちなのでしょう。仕方なく授業者が説明を始めてしまうので、それで過ぎていってしまうのです。まわりと相談させたりして、まず子どもたちを動かすことを考える必要があります。
「3人称単数現在だから”s”がつきます」といったことを言葉で言って終わりますが、「3人称単数現在は動詞に”s”がつく」という知識を覚えても、実際「3人称」「単数」「現在」「動詞」ということがわかっていなければ使うことができません。“Do you like dogs?” “Yes.” “Oh, you like dogs.” “○○san likes dogs.”というように、一つの動詞を使って”contrast”をつけながら主語を変えて子どもたちと対話する、逆に主語を固定して動詞を変えて対話するといった、言葉として使う場面で確認することが大切です。
授業者は”natural speed”で子どもたちに英語を話しかけますが、それではなかなか聞き取れません。少々遅くてもいいので、子どもたちが理解できることを優先して一言一言、丁寧に話すことを心がけてほしいと思います。
この先生に限らず、英語ではCDや授業者の発声に続いて”repeat”することが多いのですが、文を読む練習なのか、耳で聞いて発音を覚えるのかといったねらいを明確に意識して進めることが大切です。読む練習であれば、師範の音読を途中で止めて読ませなければ、読めるようになっているかわかりません。聞くことを優先するのであれば、テキストはいらないでしょう。同時にすることによって、聞き取れなくても文字から想像する、読めなくても聞くことによって発音できるということになります。それでは、どちらも中途半端になってしまいます。同時にできるのは、ほぼできるようになっている、レベルの高い子どもたちだけです。
子ども同士で、決められたパターンの英文を使って会話する場面では、子どもは言えたことに満足します。言いっぱなしでいいのでテンションが上がります。これはコミュニケーションではありません。自分の言葉が相手に伝わることが大切です。あらかじめ決められた言葉をしゃべるのではなく、相手の言葉を聞かなければ、次の言葉が出てこないような形のやり取りにする必要があります。 簡単な例ですが、”What do you like?” “I like ○○.”に続いて、“Oh, I like ○○, too.” “I don’t like ○○.”を選ばせるといったものです。ここで、必ず”○○”を言うことをルールにすることで、相手の言葉をしっかりと聞き取る必然性が生まれますし、言ってもらうことで伝わったという実感が得られるのです。
“something”を日本語で説明します。言葉ではなくその言葉が使われる”situation”で理解させることが必要です。”something” “anything” “nothing”を”contrast”つけてきちんと理解させる場面がどこかでほしいところです(もちろんこの授業時間内では無理なのですが……)。
現在進行形も日本語で「be動詞+ing」と形を説明します。英語の時制は日本語とはかなり異なったものですから、形式的に説明しても理解できません。これもきちんと”situation”で理解させることが必要です。
結局、授業者の説明時間が多く、子どもたちが英語をしゃべる時間があまりありません。それも、ほとんどが与えられたものを読む、手本に従って繰り返す、覚えた文をそのまましゃべるといったものです。自分が伝えたい”situation”を英語にすることがないのです。どんな拙い文でも、伝えたいことを自分で言葉にすると、子どもたちは英語を「しゃべった」と充実感を持つのです。このことを意識してほしいと思いました。
授業者は、真剣に子どもたちを”active”にしたいと思っていました。素晴らしいことです。この学校の英語では、そういった授業をたくさん見ることができます。他の先生の授業を見ることで、どのようにしていけばよいかわかってくると思います。そのような機会を持っていただくことをお願いしました。

この日は1時間ほど、高等学校全体の様子を観察しました。3年生は落ち着いて学習に取り組んでいます。2年生もよい状態だったのですが、昨年度末と比べるとちょっと集中力が落ちているようにも思いました。一時的なものである可能性も高いので、今後の変化に注目していきたいと思います。1年生は、この時期にしては集中していない子どもの姿が目立ちました。たまたま、講師の方の授業が多かったのですが、これが授業者によるものなのか、今年の1年生の特徴なのかは注意して見る必要があると思います。
昨年からの課題として、この学校で進めている授業改善への動きに講師の方がついていけていないということがあります。今年度は昨年度以上に講師の方が増えているようなので、対応策を考える必要があります。

この2年間で先生方の授業改善への意識は高まってきました。それぞれの授業でいろいろな工夫がみられるようになりました。しかし、まだ一部の教科を除いて、チームや教科としての動きにはなっていません。今後はこういった工夫を共有して、この学校のメソッドとして明確なものにしていくことが必要だと考えます。研修担当の分掌の主任や先生方と相談して、この点を意識して今年度の研修を考えていただくことになりました。

最近は訪問するたびに、何人かの先生が相談に来てくださいます。この日も、アクティブ・ラーニングについて自分の考える方向性でよいのかと相談してくださった方や、実際の場面での具体的な課題についての対応について質問してくださった方がいました。こうした相談に乗ることは私にとってもよい学びになります。充実した1日を過ごさせていただきました。

私立の中学校高等学校で新人の授業を見る

私立の中学校高等学校で授業アドバイスと今年度の進め方の打ち合わせを行ってきました。
今年度は学級数も増え、それに伴い講師を含めた新人が増えています。今回はその内3人の授業を中心に見ました。

国語の新人は、新卒で教壇に立ってまだ1月です。これまで全く縁のなかった地域に4月からの赴任です。
高校2年生の現代文の授業でした。一言で言うと「余裕がない」です。自分がしゃべることで精一杯で子どもを見ることができません。授業者がしゃべっている時間が長いため、参加できずに倒れている子どももいます。授業者はそういう子どもとどうかかわっていいのかわからないようです。横を通り過ぎても声をかけることができません。倒れていても目は開けています。本当は先生にかかわってほしかったのでしょう。しばらくすれば起きて授業に参加します。決してやる気のない子どもたちではありません。子ども同士になるとしっかりと動くことができます。明確な課題を与えて子どもたちの活動中心にすれば授業の様子は大きく変わると思います。
一問一答で進みますが、一つひとつの発問のつながりがよくわかりません。自分が大切だと思うことは「覚えておいてください」と言うのですが、子どもたちからするとその理由がよくわかりません。
時々よい表情で子どもたちを見るのですが、それが続きません。一生懸命にしゃべるのですが、子どもたちに言葉が届いていないという印象でした。
最後に「しとる」という方言の話をしたのですが、子どもたちはよく聞いていました。余談ですので、授業者にも余裕があったのでしょう。
授業者は、4種類の授業を受け持っているそうです。授業準備に追われていっぱいいっぱいだと言っていました。高等学校は選択やコースの関係で科目が増えるので致し方ないのですが、なかなか厳しそうです。余裕を持って授業に臨めと言うのが無理なのかもしれません。私から、大きく2点を意識してお話ししました。一つは、とにかく常に笑顔で子どもたちの様子をよく見ることです。子どもたちがどのような時によい反応するかを意識することで、しだいに授業のポイントが見えてくると思います。もう一つは、まわりの先生に聞くことです。一人で考えてもなかなか先は見えてきません、先輩に聞いたり授業を見せてもらったりすることで、どのように授業を組み立てればいいかがわかると思います。
毎日かなりのプレッシャーを感じて授業に向かっているようです。まわりの先生に支えてもらえるように、私からも働きかける必要がありそうです。

数学の新人も、教師経験のない方でした。2年生の授業でしたが、確認テストの場面でした。
この確認テストの位置づけがわかりませんでした。問題はけっこうな数があります。子どもたちは真剣に取り組んでいますが、同じ問題を何度も何度も消してはやり直している子どももいます。子どもたちがつまずいている問題はある程度共通のようです。授業者は時々机間指導をしていますが、何をみているのかはよくわかりません。時間になって回収をして、次に進みます。子どもたちのつまずきを見つけて、再度学習させるのであれば、一定時間経った後に教科書やノートを見てもよいようにすればいいでしょう。まわりと相談させるのもよい方法です。せっかく子どもがわからないことを一生懸命考えていても、それで終わってしまえばあまり意味はありません。中には力尽きて倒れる子どもが出てきます。時間延長をしたのですが、倒れている子どもが復活してできるようにはなりません。時間のムダです。評価のためのテストをこの段階でする意味はあまりありません。子どもたちがわかる、できるようにすることを優先すべきです。回収した答案を採点してできるようになるのでしょうか?できるようになるためにどんな活動が必要か考えて授業を構成することが必要です。
ある問題を「宿題にした気がする」と言って、そのまま進めます。複素数の実部と虚部を答える問題です。授業者は一問一答で答を確認していきますが、何の意味があるのでしょうか?実部と虚部を言うだけであれば小学生でもできます。「2」の実部と虚部を考えるのに虚部は「ない」という言葉が出てきます。この言葉をもとに、「ない」と「0」の関係をきちんと押さえることが必要です。iにかかっている係数がないので0という、おかしな説明をします。形式的に係数と見ることができますが、そうではありません。授業者自身複素数の数学的な意味がわかっていません。虚部が0の複素数の部分集合は実数と同型になります。複素数が実数の自然な拡張になっていることに気づかせるという意味もある問題です。
多項式を等号で結び、このとき係数が等しいことで説明をしますが、これも数学的におかしいものです。まず2つの式が式として等しいのか(恒等式)、値が等しいのか(方程式)を明確にしていません。恒等式が等しいのと複素数が等しいのとは本質的に異なります。授業者は、虚数は「ない」と言いますが、そうなのでしょうか?2の平方根は「ある」と言います。どのように表現されるかの問題で、それぞれ、実数から、有理数から「拡張された数」なのです。複素数は複素平面で表現することで、現実のものとして目に見えてくるのです。
問の答を教えることが数学の授業のように思っています。なぜそうなるかを考える場面もありません。問題ごとに解く手順を教えるだけです。意味がわからなくても疑問持たずに、手順を覚えて何とか問題を解く子どもしか授業についていくことができません。この先生の授業観を変えることが必要だと思います。
教科書の問の数字やその順番にも意味があります。教科書はなぜこのように記述しているのだろう、このことを学ぶ意味は何だろうかといったことを考えることが始めてほしいと思います。

この続きは明日の日記で。

中学校で4月に意識してほしいことをお話しする

4月末に中学校で授業参観と講話を行いました。初めて訪問する学校で、全部で6回訪問の予定です。今回は、4月のこの時期に必要な授業規律を中心にお話させていただきました。私は、学校から講話をお願いされた時、原則として授業を見せていただいた上でお話することにしています。今回も細かい内容は、講話に先立って参観した学校の様子を元に決めました。

学校は全体的に落ち着いています。子どもたちと先生方の関係もよいように思いました。
授業中にたくさんの笑顔がある先生、子どもたちときちんとアイコンタクトをとって授業を進めている先生、子どももたちを活躍させようとする先生、と素敵な先生がたくさんいらっしゃいますが、学校全体としてそういったよいところが共有されていないようで残念でした。
授業規律という面では、子どもの顔が全員上がっていないのに話し始める、前の指示を全員完了していないのに次の指示をするといったように、徹底するという視点が弱いように感じました。また、一問一答が多く、子どもたちの発言をつないだり価値付けしたりする場面も少ないように思いました。

そこで私からは、どんな姿が見たいのかできるだけに具体的にすることをお願いしました。どのような場面でどうあってほしいのかを意識して、具体的に子どもたちに伝えることです。そして、それができるまできちんと指導を続けることです。指導といってもできないことを注意することではありません。ほんの少しでもできたことを認めてほめる姿勢が大切です。一人でもできれば、そのことを認め、ほめることで他の子どもを真似しようと思います。まねをした子どももすかさずほめれば自然によい行動が広がっていきます、授業規律は特にこの発想が大切です。

また、安心安全な学級をつくっていただくことも強くお願いしました。間違えた発言や失敗してもバカにされない、笑われない学級です。まず、先生が子どもの発言をよく聞き、笑顔で頷き、どんな答や考えでも「なるほど」と受容することです。間違えても大丈夫だということを子どもたちに実感させるのです。その上で、今の意見をどう思ったか、納得したかといったことを他の子どもに問いかけ、仲間に認められる、価値付けしてもらう場面をつくるのです。
大前提として、子どもが自分の考えを外化する場面がなければこういった対応はできません。一問一答ではなく、授業者の発言量を減らし子どもの発言の機会を増やすことが必要です。また、「わかった人?」と聞けばわかった子どもしか発言できません。「困っていることない?」と困っている子どもに寄り添うことで、「困っていることを聞けばいい」「わからないことをみんなと考えることで授業に参加できる」と気づかせることができます。全員が参加できる授業を目指してほしいと思います。
間違っても笑われない学級を目指すと言いましたが、理想は間違いを笑い飛ばせる学級です。そんな学級、授業を目指していただきたいと伝えました。

次回は若手を中心に、個別にアドバイスをさせていただきます。どのようなことを意識して授業に取り組んでいただけるのかが楽しみです。
この訪問の翌日、教務主任から「困っている子どもが発言できる授業を目指したい」「自分自身の意識を変えたい」「間違いを笑い飛ばせる学級を目指したい」など前向きな声を聞いたと、うれしいメールをいただきました。この学校の子どもたちの持つポテンシャルは高いと思います。先生方の接し方で大きく変化するはずです。今後子どもたちがどのような姿を見せてくれるのかとても楽しみです。

今年度も楽しみな研究会

4月に今年度第1回の愛される学校づくり研究会が行われました。会員の自己紹介、今年一年の活動テーマの確認とそれに関する情報の整理、コラムの年間計画などでした。

今年度の活動テーマの一つは、この数年続いていた授業改善に関するものです。この研究を通じて会員の企業で開発していただいた「授業検討ツール」「授業アドバイスツール」を使って授業改善についてさらなる研究を続けようというものです。このことについて私から提案させていただきました。

最初にこれまでの研究の流れを簡単に説明しました。
授業研究を活性化するために、「3シーン授業検討法」「3+1授業検討法」を提唱し、研究会での模擬授業や会員の学校での実践を通じて研究を続けました(コラム「楽しく授業研究しよう」第2回第4回参照)。「3シーン授業検討法」を実践していく中で、「検討すべき場面の抽出に時間がかかる」「検討したい場面のビデオでの頭出しが大変」といった課題が浮かび上がってきました。そこで開発されたのが「授業検討ツール」です。授業を見ながら、参観者が「いいね」「?」と心が動いた場面で手元の端末のボタンを押すと、それがリアルタイムに集計され、検討会で多くの方の心が動いた場面を即座に再生できるというものです(コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第10回参照)。
このツールから派生したのが「授業アドバイスツール」です。これは授業を見てアドバイスする立場の人間にとっての使いやすさを追求したものです。手元の端末で授業を撮影しながら、アドバイスしたい場面で画面にメモを書くとその場面の静止画のサムネールと共に記録されます。複数を連携させることで、ホストでは教室全体を動画で撮影し、他の端末でポイントとなる場面を静止画で撮影してリンクすることもできます。個別にアドバイスする時に具体的な場面を切り出して振り返りながら一緒に考えてもらえるものです。記録した映像をデータで渡すこともできます。
今年度は、次の3つを柱として、毎回指名された会員が自分で考えた活用方法を提案することになりました。
・授業検討法の多様化
 授業改善の方法として「全体での検討会」「個人へのアドバイス」「個人での振り返り」
・ツールの活用の多様化
 研修、ワークショップなど、従来の利用場面にこだわらない活用
・活用者の多様化
 個人のノウハウに頼らない、経験年数、立場(司会、ツールの利用者)に応じた活用
ここで出てきたものを、今年度の開催予定のフォーラムで発表することを目標に活動します。

もう一つの活動テーマは「カリキュラムマネジメント」です。
「カリキュラムマネジメント」ということが広く言われるようになりましたが、その具体的なイメージははっきりしません。まず、「カリキュラムマネジメント」という言葉の整理を大学の教授である会員にお願いしました。
いろいろな学者や公的な機関で定義されていることを紹介していただきましたが、正直よくわかりません。ただ、学校においてPDCAのサイクルを回していくという点は共通しているように思いました。学校評価との違いについては、大学の研究者の会員から、学校評価は、主に学校の組織改善の面からのアプローチであり、カリキュラムマネジメントは教育課程・カリキュラム面からのアプローチであると整理していただきました。
現場に近い私たちとしては、毎回の研究会で事前に指名された会員が「カリキュラムマネジメント」の具体例を発表・提案し、最終的に愛される学校づくり研究会の考える「カリキュラムマネジメント」としてフォーラムで発表することを目標として進めていきます。

コラム担当編集者は今年度から新しい方にかわり、中でも副編集長が原稿催促係という役割を担うことになりました。例年以上に厳しい催促に、コラムの更新頻度が上がることは間違い何でしょう。

今年度新しく書記になった方が、とても詳しくわかりやすい報告を愛される学校づくり研究会のWEBにアップしてくださっています。これで安心して欠席者が増えそうです(笑)。
今年も、刺激のある学びの多い研究会になりそうです。

管理職の本気を感じる

私立の中学校高等学校の今年度の授業改善について打ち合わせを行いました。

昨年度末に、私なりの改善の方向性を、授業評価アンケートの結果から提案させていただきました。今回の訪問は、学校として授業改善をどのように先生方に意識・実行していただくかの具体的な計画を立てるのが目的です。
うれしいことに、今年度のスタートにあたり、「アクティブ・ラーニングを取り入れた授業改善に今年度は学校全体で取り組む」と、校長が明確な方針を出されていました。授業改善へ向けてリーダーシップをとることを強くお願いしようと思っていたのですが、素早く決断されていたのです。具体的な取り組みも始まっていました。教科ごとにどのように取り組んでいくのかの計画を立てることがすでに依頼されていました。副校長はこの学校で取り組もうとしている「アクティブ・ラーニング」のポイントをまとめたものを各教科に配っています。生徒が「活躍する→ほめる→やる気を増す」といったサイクルを回すという視点や、笑顔で生徒に接し根拠や課程、思考のプロセスを問いかけること、互いに授業を見あうことなどがまとめられています。素晴らしいのは、「具体的なイメージが湧かないのであれば」という条件付きで、教科書からアクティブ・ラーニングを実践しやすい例を選び出して紹介していることです。副校長自らがすべての教科の教科書に目を通して、「ここならば」という例を探したということです。
また、一部の教科から、アクティブ・ラーニングを進めると教科書がきちんと終わるか心配だという声が上がってきたそうです。過去にそのようなことがあり、保護者から責任を追及されたようです。管理職は、そのようなことがあれば自分たちが責任を取るとはっきりと答えたそうです。授業改革への強い意思が伝わったことでしょう。管理職の本気が感じられます。

管理職にこのようなやる気を見せていただくと、こちらもこれまで以上に頑張ろうという気持ちになります。スタートでつまずいてやる気がなくなることを避けるために、早い時期に先生方の取り組みを見て教科ごとにアドバイスをする時間をとることにしました。6月の上旬に2日間連続で訪問て、できるだけ多くの授業を見て先生方をバックアップさせていただきます。
今年度は「学校の授業を変える」と保護者に明言しなかったが、来年度はそうできるようにしたいと校長は話しておられました。「これからは進学実績を競うのではなく、充実した高校生活を送れることが学校の魅力だと思う。そのためにも、子どもたちが活躍する場面の多い授業に変えていくことが大切だ」という管理職の言葉に、目指す学校の姿が明確になったように思いました。

管理職の熱い思いを感じて先生方はどのように変化していくのでしょうか?次回の訪問がとても楽しみになりました。

企業の新人研修で受講者の成長を実感する

4月に、授業と学び研究所のフェローで企業の新人研修を行いました。約1週間にわたり、先生や校長の仕事、企画の立て方、学校教育の今後の方向性、コミュニケーションスキル、プレゼンテーションスキルなどを分担して担当しました。

内容もそうですが、その進め方に各フェローは工夫を凝らしていました。一方的な講義形式は一つもありません。講師が教えるのではなく、自分たちで聞き合い、教え合うことが基本です。課題を与え、グループでの話し合いや発表をもとに、講師が新人への気づきを促し、考えを深めさせます。講師が話している時間は講義形式のもと比べてはるかに短く、受講者の活動時間が長くなります。一見すると講師は楽に見えるのですが、どなたもとても疲れると話されます。講義形式の方がはるかに楽なのです。受講者の活動中に非常に集中して彼らの話を聞き、様子を観察し、グループ活動をいつ止めようか、この後の展開をどうしようかと考え続けているために疲れるのです。今後学校でもアクティブ・ラーニングが盛んになってくると思いますが、子どもの活動を中心とした授業は、講義型の授業と比べて授業者がより子どもを観察し、展開を深く考えることが必要となることがよくわかりました。
講師にとっても疲れる研修でしたが、それと同時に心地よい達成感もありました。それは受講者が目に見えて変化していったことです。研修が始まったころは、最終的に答は教えてもらえるものと思って受け身だったのが、次第に答は自分たちで見つけていくものだという姿勢に変わってきました。ただ一つの正解はないということを意識しながら互いに認め合い、考えている姿はとても素晴らしいものでした。

私が担当したのはコミュニケーションスキル、プレゼンテーションスキルでした。
コミュニケーションスキルの研修の前に、他の講師による中学校数学の授業を体験してもらっています。そこで、グループで学び合うことのよさやその意味を実感しています。また生徒が安心して発表ができる、課題に取り組めるためのコミュニケーションを授業者が意識していたことにも気づいてもらえました。この経験を活かして、これまで学んできた学校の多忙さやその解消のためのICT活用の知識をもとに、学校の課題を校長からヒアリングするというのが、コミュニケーションスキルの研修の課題です。元校長のフェローを校長役として一人ずつロールプレイに挑戦します。
1回目は自分が質問することに気を取られ過ぎて、一番大切な相手とコミュニケーションをとることがおざなりになってしまいます。しかし、仲間のロールプレイを見ることでそのことに気づいていきます。再度グループでどうすればいいのかを話し合っての2回目は、聞き出すことよりまず相手に信頼されるようなコミュニケーションを心がけていました。どの受講者も大きく進歩していましたが、その陰には一人ひとりのコミュニケーションの課題が目に見えるように、意図的な受け答えをしている校長役の素晴らしいパフォーマンスがあります。このような対応を相手に応じて臨機応変にするのは並大抵ではありません。このプログラムの流れをまねすることはできても、同じような成果のあるものにすることは簡単ではないと思います。指導案をまねても同じような授業ができないことと似ています。

プレゼンテーションスキルは、この1週間の研修で学んだことをもとに、次年度の新人に研修を受講するにあたって先輩としてメッセージを贈ることが課題です。プレゼンテーションスキルだけでなく、彼らがこの研修を通じてどんなことを学んだか、どのようなことを大切だと感じたかを知ることもねらいです。
私たちが気づいてほしいと思っていた「課題の解決は、どこかにある正解をさがすことではなく、自分たちで答を見つけていくこと」「失敗を避けようとすることより、そこから学ぶことが大切なこと」「互いに聞き合い学び合うことでより高いところにたどり着けること」といったことが彼ら自身の言葉で語られました。うれしいことです。
スキルに関しては、私たちが教えなくても、聞き手の立場で仲間のプレゼンテーションを見ることで、大切なポイントに気づいて伝え合うことができています。本番では、聞き手を意識した、個性あふれるとてもよいプレゼンテーションに進化していました。この1週間の研修で、チームで仕事をすることの意味に気づいてくれたのではないかと思います。
これから、配属された職場の先輩や仕事から多くのことを学んでいくと思います。時には壁にぶつかることもあると思いますが、この研修での経験を活かしてきっと乗り越えて大きく成長してくれると信じています。

こういった研修の講師をさせていただくことで、私たちも学び成長させていただくことができます。このような機会をいただけることを幸せに思います。

関係ができていない学級での授業の難しさを感じる

昨日の日記の続きです。

3つ目の公開授業は、他の学校の先生による中学校2年生の図形の証明の授業でした。子どもたちにとって活動する必然性のある課題を意識したものでした。

授業者は子どもとのコミュニケーションを意識している方です。子どもの顔を上げることを強く意識して声をかけますが、なかなか思うようにはいきません。この日3つの学級に共通することです。
授業者は「正三角形をかいて」「(辺を共有した)正三角形をもう一つかいて」「線分上に適当な点をとって」「その点と頂点を結んだ線分を一辺にする正三角形をかいて」というように指示を分割し、その度ごとにフリーハンドで黒板に書き足していきます。正確な図を用意して示せばよいのに、しかもフリーハンドと思ったのですが、ちゃんと意図がありました。最後にかいた正三角形の残りの頂点がもう一つの正三角形の辺上にあるかどうかがはっきりしないようにしたかったのです。頂点が辺の右側、辺上、三角形の中と子どもたちがかいた図が分かれることで、本当はどうなのだろうと疑問を持たせたのです。
この疑問をもとに「……、点○が線上にあるのか?」と問題を提示し読み上げます。しかし、子どもたちの多くは板書を写すことを優先しています。授業者は「何が言えればいい?」と子どもに聞いていきます。人間関係ができていない子どもたちが相手なので、しゃがんで目線を子どもの高さに合わせるといったこともします。コミュニケーションに関するスキルの高さがうかがわれます。この時、すでに考え込んでいる子どもが何人もいます。もう自分の世界に入っています。よい課題と提示の仕方であったということがわかりますが、これでよいのかは悩ましいところです。こういった場面で、先生と子ども、子ども同士がかかわることが日ごろからあれば、そこに参加しようとすると思います。こんな場面からも、日ごろの学級の様子がほの見えてきます。この子どもたちであれば、まず問題に取り組ませた方がよかったのかもしれません。判断が、難しいところです。

一人の子どもが「2つの三角形が合同ならいい」とずばりと正解を言います。授業者は「どうして」問い返して、「問題の点と頂点を結ぶ線分と辺の角度が、三角形の頂角と等しいことが言える」ということを引き出しました。この進め方はあまりにももったいないと思いました。「2つの三角形が合同ならいい」という発言に対して、「○○さんの言っていることわかる?」と子どもたちに戻して考えさせたいところです。ペアやまわりと相談させることで、子どもたち自身で気づき、考えを深めることができたと思います。
さて、ここで2つの角が等しいことを証明しようとなるのですが、いつの間にか点が辺上にあることが前提になっていました。時間のこともあるので、授業者が取り組ませたいところに、すぐに持っていきたくなるのですが、「このことが言えれば線上にあることがわかるが、線上にないことを言うにはどうすればいいのかな?」といった問いかけも必要だったと思います。

指名した子どもに板書をさせ、説明させます。結論と条件が混乱して、結論を使って説明をします。聞いている子どもたちは不思議な顔をしていますが、言葉は発せられません。結局授業者が説明を始めます。慣れない学級なので難しいかもしれませんが、ここは、子どもたちに、「どうしたの?」「何か言いたそうだね?」と発言を求めれば、きっと答えてくれたと思います。
授業者が説明する間、間違えた子どもは前に立ったままでした。授業者は説明を終えた後、その子どもに板書を修正させました。なるほど、最後は本人に正しい答を書かせたかったのです。
子どもから質問が出てくると「いい質問」と評価します。「いいと思います」という発言に対して、「何がいいと思いますか?」と問い返します。個別の発言に対する受けと返しがきちんとされています。

授業者は子どもの考えを大切にしようとしています。子どもの考えを積極的に引き出すために課題の提示についても工夫をしています。慣れない学級だったこともあり、他の子どもにつなぐことがほとんどなく、授業者が説明する場面が多かったのが残念でした。子ども同士で考えを深める場面をもっと見たいと思いました。

最後は、大学の教授による講演でした。
日本の授業研究が海外で評価されていることやそのエピソードが中心のお話しでした。興味深い事実もたくさんありましたが、主張したいことは何かが今一つ私には理解できませんでした。日本の授業研究が評価されていることが、私にとっては既知のことだったからかもしれません。
最後に、ピラミッド型にガラス玉を積み上げたオブジェを題材にした課題を紹介されました。子どもが書いた式の意味を説明するといったものですが、大学生を対象としたものです。大学生にとってはよい課題だと思いました。その答や内容についても時間をかけて説明されましたが、少なくとも私にとっては考えるまでもないことだったので、ちょっと残念でした。おそらく参加された先生方も同様の感想を持たれたと思います。
主張がシャープに伝わる講演の難しさを感じました。

この日一番の収穫は、旧知の大学の先生とお会いできて、授業の感想などを聞き合えたことかもしれません。会場での授業検討会の意見は、私とはずいぶん視点が違うもので、意見を言う気になれなかったのですが、この先生や一緒に参加した先生との話はとても共感し合える、考えが深まるものでした。
他の団体の主催する研究会に参加することで、いろいろなこと考えさせていただきました。よい学びの機会だったと思います。

授業は日ごろの積み重ねが大切だと実感する

昨日の日記の続きです。

2つ目の公開授業は、この学校の先生による中学校1年生の文字式の利用の授業でした。
この日の課題は、前時にやった3つの連続する整数の性質を拡張して、偶数個の連続する数の性質を考えるものでした。

授業の開始の挨拶はきちんとするのですが、子どもたちが授業者と目を合わせないのが気になりました。授業中に子どもたちの顔が上がらない場面で授業者が顔を上げるように指示をすることもあるのですが、なかなか全員の顔は上がりません。

前時の復習で、3つの連続する整数の和は真ん中の数の3倍になることを確認した後、「どこが変えられるか?」と問いかけます。問いかけはするのですが、授業者が連続する「3つの偶数」、「5つの整数」「7つの整数」「9つの整数」を調べることにします。なぜこれを選ぶのかの根拠が全くありません。普通、「奇数は?」「6や8は?」と疑問に思うはずだと思いますが、そのような声は出てきません。子どもたちは、教師が課題を提示して自分たちはそれに答えるという、教師主導の進め方に慣れているようでした。

答がどうなるか予想させたあと、説明をペアで「整数が偶数の時」「連続する奇数の個の時」と分担して確認します。分担するという発想は個人的にはどうも好きになりません。同じような説明になってよいので、互いに同じ課題について説明し合う方が、学び合えるように思うからです。
子どもたちが説明する性質が「3つの連続する偶数の和は、6の倍数になる」「5つの連続する整数の和は、真ん中の数の5倍になる」となっていて、その視点が数学的にそろっていないことが気になります。「3つの連続する偶数の和は、真ん中の数の半分の整数の6倍になる」とするのか、「5つの連続する整数の和は、5の倍数になる」とするのが、本来のように思います。「性質とは何を言うのか?」「どういった視点で見るのか?」といったことが意識されていないことが気になります。思考の連続性が感じられないのです。
授業者は「奇数個の時は……」とまとめますが、奇数個か偶数個かでセグメントを分ける理由が明確ではありません。最初に、偶数個も考えてみて、「奇数個なら今までの考えが使えそうだ」「偶数個は真ん中の数がないから、ちょっと違う」といったことを子どもたちから出させたうえで、奇数個と偶数個を区別する必要があったと思います。
この課題で大切にすべき数学的な予想や推論がなく、天下りで教師が課題を示すのはあまりにもったいないと思います。子どもたちが自ら課題を見つける絶好の機会を逃していると思います。

連続する整数が、4個、6個、8個の時、それらの和にどんな決まりがあるか考えることを次の課題にします。ここで言う「決まり」とは何かが気になります。「性質」と「決まり」の違いが明確になっていません。何らかの式を立てることなのか、必ず偶数になるといったことを言うのか、それとも出てきた式を解釈することなのかがはっきりしていないのです。数学は他と比べても特に言葉にこだわる教科だと思うのですが、曖昧なまま授業が進んでいることが残念です。

4個、6個、8個を考えた子ども同士集まって話し合います。何を話し合うのかが今一つよくわかりません。「決まり」という言葉がはっきりしていないので、目標が定まらないのです。数を文字に置いて式を立てた子がいます。どの数を基準にするかは子どもによって違います。真ん中の数の和の2倍といったことを言う子どもいます。これらの考えをどう子ども同士が深めていくのかがこの活動のポイントですが、あまりかかわれていませんでした。友だちの説明を顔を上げて聞かずに手元のワークシートを見ている子どもも目立ちます。互いに聞きあって考えを深めるということが普段からできていないようです。
日ごろの数学的な活動の中で、「帰納的に見つけたものがあれば、それがいつも言えることなのかを説明する」「演繹的に見つけたことに対して、どのように解釈するか、また他の場合に拡張できるのかを考える」といったことを常に求める必要があります。そういった視点が子どもの中に育っていれば、こういった場面で疑問をぶつけたり、相談したりできるようになっていると思います。

4個の場合に見つけた決まりを「真ん中の数の和の2倍」と子どもが発表しました。ここから考えを広めることのできる発言です。しかし、授業者はすぐにこの答を「真ん中の“2つ”の“整数”の2倍」と修正してしまいます。「それってどういうこと?」「真ん中の数って何?」「○○さんの言っていることわかる?納得する?」といったように問い返してほしいところです。子どもの板書を先生が解説します。どうやってこのように考えたのかを子どもに聞くこともしません。結局、子ども同士がかかわり合う場面はありませんでした。一人の子どもの発表をもとに先生が結論づけてしまいます。

「みんながみんなこうじゃないと思いますが……」と奇数個の時と何が違うかを授業者がまとめます。時間が気になるとは思いますが、そのように思うのであれば、他の考えを聞きたいところです。
「奇数個の時と同じ見方ができないか考えてみましょう」と言いますが、子どもたちから出てきた疑問ではありません。常に授業者が課題を提示しているのです。
x−1+x+x+1+x+2という式を発表した子どもがいます。真ん中の数をxとおきたいのにおけないという苦悩が式からにじみ出ています。この苦悩に焦点を当てることで考えを一気に深めることができます。「何をxとおいたの?」「どうしてそうしたの?」と聞くことで、「真ん中の数がない?」という言葉が出てきます。「なぜ、真ん中にこだわったの?」と聞くことで「奇数の時に真ん中の数×個数になったから」という考え出てくるでしょう。本人が上手く言えなければ、「だれか、○○さんの気持ちがわかる人?」と聞けばきっと答えてくれます。「真ん中の数って何だろう?」と切り返すことで、「平均」といった言葉が出てくるかもしれません。平均という言葉が出てくれば、奇数個も偶数個も関係なく、統一的に記述することにつなげることができます。しかし、授業者は式の流れを追うだけでした。授業者が数学的な価値をどのようなものととらえているのか疑問に思いました。
結局授業者は、自分の求める答「最初と最後の数を足して2で割って個数をかける」を書いた子どもを紹介してまとめてしました。これでは、奇数個の場合の「真ん中の数」との関係が見えてきません。ここは、最後まで真ん中の数にこだわりたいところでした。この説明ですべての連続する数の和について言えることとその意味についてはほとんど触れられることはありませんでした。

子どもたちは友だちが説明する場面では聞こうとはするのですが、板書を写すことがどうしても優先されているようです。顔を上げている子どもは半分以下です。また、一部の子どもは自分の世界に入って、ずっとワークシートを見て考え続けています。授業者はそんな子どもたちを見ていません。子どもの説明の後、「わかりましたかー?」と問いかけて、すぐに補足の説明を始めます。
授業全体として、子どもの考えや気づきを共有し、深めていく場面がありませんでした。一見、子どもたちの考えをもとに進めているように見えますが、説明はほとんどが授業者でした。子どもたちは、いろいろと思考はしているのですが、それを取り上げて評価される場面や価値付けされる場面がありません。子どもたちも、授業者の提示する課題を「解く」ことが学習だと思っているようでした。

この授業のねらいを実現するのであれば、例えば、「3つの連続する偶数の和」については、「偶数も整数だから、前にやったことがつかえ、真ん中の数の3倍になることが言える」「偶数という条件が加わることで、何が言えるかな?」と問いかけて、既存の知識を活かして、出てくる式を解釈することを価値付けしていくといったやり方がありそうです。個数を増やすという「拡張」をすると、「3つの時に言えた、『真ん中の数×個数』は成り立つのだろうか?」と問いかけて、「奇数なら言えそうだ」「真ん中の数がないから偶数では言えない」といった言葉を引き出し、「偶数の時は真ん中の数はないの?あるの?」と揺さぶったりしてから、「じゃあ、何が言えて何が言えないのか?ちょっと考えてみてくれる?」と課題を提示して活動させるといったやり方があります。「真ん中の数はある」という子どもが出てくれば、その子どもの考えを活かせばいいですし、出てこないのであれば、「2と3の真ん中の数はある?」と数直線を使って問いかけても面白いでしょう。真ん中の数を使って、(x−1.5)+(x−0.5)+(x+0.5)+(x+1.5)といった式がきっと出てくると思います。整数にならないからダメだという意見が出てくれば、数の拡張の意味について考える機会にもなると思います。

既存の知識を拡張するという発想は面白いと思いますが、だからこそ子どもたちの考えをどう活かし、深め、共有するかを考えて授業を構想する必要があります。教師主導で、教師の求める考えを無理やり引き出す、教える授業になってしまったように思います。また、子どもたちも、互いに考えを聞き合い深めることに慣れていないと感じました。授業は日ごろの積み重ねが大切であることを改めて実感させられました。

この続きは明日の日記で。

研究会で授業の展開について考える

数学の授業づくりの研究会に参加してきました。この日は体育館で3つの授業が公開されました。一般参加者として授業を見るのは久しぶりなので、純粋に授業を見ることを楽しむことができました。

一つ目の授業は中学校1年生の関数の授業でした。小学校の算数の題材で、ヒゴを使って正方形で階段をつくっていくときの段数とまわりの長さの関係を考えるものがあります。その題材を小学校の「ともなって変わる2つの量」という考え方から、「一方が決まれば他方が決まる」という関数関係でとらえなおし、従属変数のふるまいを独立変数との関係で見ることによりその「特徴」を知ることができることを理解させるのがこの授業のねらいでした。

授業者は大学の教授です。子どもの顔が上がっていないのにしゃべる、子どもが理解できているかの確認をせずに進めていくというように、授業技術については気になるところがたくさんあります。小中学校の現場の経験のない方にはどうしても仕方がないことです。また、授業者の問題ではなく、この学校の子どもたちも授業者の顔をあまり見ない傾向があるように感じました。顔は上がっていなくても説明はちゃんと聞けています。優秀な子どもたちなのでしょう。しかし、子どもたちの表情が見えないと理解の程度がわからなかったり、気づきや戸惑いを察知できなかったりします。子どもの反応を大切にする学校であれば、子どもたちは自然に顔を上げるようになっています。このことも少し気になりました。

子どもたちに題材を提示して、「変化する数量をちょっと考えて」と発問します。小学校であれば実際に試してみせたり、自分の手で図をかかせたりといった操作活動必要になりそうですが、さすがに中学生です。すぐに考えることができます。子どもたちから「まわりの長さ」が出てきます。「段の数が変わると?」と授業者は返しますが、子どもはあまり反応しません。授業者が関数関係を意識させようとしていることがわかりますが、子どもたちにとっては唐突だったのかもしれません。子どもから出てきたものを図で確認していきますが、「面積」を「四角の数」と置き換えたり、「段の数」と「高さ」を同じとしたりします。数学では、等価なものに置き換えて考えることは大切なことですが、子どもたちに納得する時間を与えることが必要だと思います。「頂点の数」も出てきたのですが、確認をしませんでした。私は面白いと思ったのですが、その理由がよくわかりません。授業全体が、授業者の都合で進んでいるように感じました。

この中からどの数量に注目して関係を調べるのかを決めるのですが、そこまでで15分以上かかっていました。「段の数が変われば変わる量」ということを意識させたいのかとも思いましたが、特にそのような場面はありませんでした。導入としてはちょっと長すぎると思います。
何を調べるのかを挙手で諮りますが、どれがよいか数学的に根拠があるわけではありません。子どもにとっては調べる必然もなく、この授業のねらいや目標もよくわかっていないので、ただ指示に従って活動しているだけです。「関係がよくわからない」「知りたい」といったこの後の活動やねらいにつながるような条件を足しておきたいところでした。

ここで、1段、2段、・・・に続いて突然x段という言葉が出てきます。調べるということと段の数をx段とおくこと必然性がありません。また、x段とした時点で関数であることを示唆していますが、多分に誘導的です。
「正方形の数」か「ヒゴの数」を選択させて「段の数」との関係を考えさせます。授業者は「作戦」という言葉で、関係をとらえる過程や方法を意識させようとしますが、子どもたちの手の動きは止まりません。
関係という言葉がどうにも明確にならないまま授業が進んでいきます。2つの数量の関係を式にすることがねらいなのであれば、関係を考えることには直接つながりません。それでも子どもたちは、活動しています。「関係を調べる」=「関係の式をつくる」という図式でできているのでしょう。
「どんなことが明らかになったか?」を書くように指示します。途中でまとめの例を出すのですが、どうにも意図がわかりません。視点や方向性を明確にしたいのなら、最初に例を示せばよいと思います。自由に書かせてそれらを価値付けしながら考えていくのであれば、例を示す必要はありません。途中で示すのなら、子どもたちが書いたことをいくつか発表させてカテゴライズしたり価値付けしたりして、視点を増やすといったやり方もあります。どこをねらっているのかよく見えませんでした。

多くの子どもは表から規則を調べていましたが、それだけでは根拠が不足しています。授業者はそのことには積極的に触れていませんでした。「よく見ると式の形が似ている」といった言葉を発しますが、子どもたちがそのように思ったのかどうかはわかりません。主観で話を進めていきます。授業者が説明をしている間も、子どもたちは説明の式をノートに写していました。
考え方によって、式の形が違ってきましたが、最終的には同じものだという確認の場面がなかったことも気になりました。子どもたちは疑問を持たなかったのでしょうか?授業を通じて疑問を持ち、それを解決していくといった形の授業にはなっていませんでした。授業者と子どもたちのつながりが感じられないのが残念でした。

最後に授業者は「関数の考えを使うと特徴がつかめる」とまとめましたが、「関数の考え」とは何だったか、どんな「特徴がつかめた」かは、全くわかりませんでした。

この授業のねらいを達成するのであれば、式を出すことにエネルギーを使うのではなく、式などを使って関係の特徴をたくさん表現させたいところでした。
例えば「段の数」と「正方形の数」の間にどんな関係があるかを問いかける。その関係にどんな特徴があるかを言わせる。その上で関数関係にあることを押さえて、関係をより明確にするにはどうすればいいのか考えさせる。「グラフ」「表」「式」といった言葉を子どもたちから出させた上で、それぞれがどのようになるか、そこから何が言えるかを考えさせる。こんな展開もあるでしょう。
また、特徴を意識させるのに、「正方形を2倍にするには、段の数は2倍くらいいるのかな?ヒゴの数は?」といった課題もあるかもしれません。

「特徴をつかむ」というキーワードを意識した授業展開についていろいろと考えることができました。よい学びのきっかけをいただけた授業でした。

この続きは明日の日記で。

学校への信頼が増す学校評議員会

昨年度末に開かれた中学校の学校評議員会での話です。

学校評議員会では一般に公開していない資料も見ることができます。この学校では、どちらかと言えば伝えたくない、知らせたくない資料や実態も評議委員会で示されます。ここでは詳しくは書くことができませんが、そういったことに対して厳しい質問やご意見が寄せられることもあります。学校側はそれを真摯に受け止め、また学校の考えを丁寧に説明します。どのような要因でこのような状態になっているのかといったことだけでなく、解決のためにどのような手立てをとっているか、取ろうとしているかといった具体的な対策を伝えてくれます。
評議員の中には現役のPTAの方もいらっしゃいます。学校のネガティブな情報を聞くとどうしても不安になってしまいます。しかし、きちんと考えを伝え話し合うことで、学校の取り組みを理解し、バックアップしようという前向きな気持ちに変化していくのがわかります。
学校が包み隠さず話し、苦悩を伝え、その上で前向きに対応している姿を見せれば、必ずまわりは応援してくれます。そのことを実感させてくれました。
ネガティブな情報の提示は、一つ間違えると学校に対する批判が集中する危険があります。そのことを恐れずに提示したということは、私たち評議員を信頼してくれているということでもあります。評議員の皆さんもそのことを感じていたと思います。

同じようなトラブルが起ってもすぐに解決に向かう学校と混乱する学校があります。学校が地域から信頼されているかどうかがその違いを決める大きな要因だと思います。
今回の学校評議員会で提示された情報やそれに関連した質問や意見に対する対応は、間違いなく学校評議員の学校への信頼を増すことにつながったと思います。
学校が地域や保護者の信頼を得るには、まず学校が地域や保護者を信頼してネガティブな情報もきちんと伝えることが大切だと思います。このことを実感させられた会でした
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