理科の実験でのポイントを考える

前回の日記の続きです。

この日は理科の要請訪問があり、若手が研究授業を行いました。1年生の赤ワインの蒸留の実験でした。
まず、復習です。「沸点」とは何かを確認します。挙手は1/3ほどですが、授業者はすぐに指名をします。指名した子どもは「沸騰する温度」と答えます。授業者は目の前にいる子どもにも確認して、次に進みます。テンポよく進めようとしているのがわかります。しかし、挙手が少ないことが気になります。まわりと確認させてから、挙手に頼らす指名して進めるとよいでしょう。また、沸点と同時に、沸騰とは何かをきちんと押さえておきたいところです。気化(蒸発)と沸騰の違いも混乱しやすいので、しっかりと確認しておく必要があります。
確認を続けますが、なかなか挙手は増えません。子どもたちはわかっているのでしょうが、積極的に参加させたいところです。指名された子どもは笑顔で席に着きます。他の子どもにも笑顔が見られます。授業者と子どもたち、子ども同士の関係は悪くないことがわかります。
一つひとつ挙手指名で確認していきますが、どうしてもテンポが悪くなります。挙手に頼らずどんどん指名すればよいと思います。

この日の実験の説明に入ります。赤ワインを見せて、成分が水とエタノールであることを伝えます。よく反応する子どもから「消毒を飲んでいるの?」という声が上がります。授業者はこういったつぶやきにも反応します。悪いことではありませんが、あまり反応しすぎると授業のテンポが悪くなったり、調子に乗ってテンションを上げてきたりする可能性があります。このあたりを見極めて対応することが必要です。
どうにかすれば、赤ワインから水とエタノールを取り出せることを伝えて、今日のめあてを何にするか、子どもたちに考えさせます。すぐに何人かの子どもが、「沸騰しよう」「水とエタノールを取り出そう」と反応します。授業者はそれを受けてすぐに、「赤ワインを加熱すると水とエタノールを取り出せるのかを調べよう」と提示します。めあてを考えさせることで子どもたちを主体的にさせようとしているのでしょうが、これでは天下りで授業者が示すのと変わりません。また、いきなり「加熱」という言葉が出てきますが、それがなぜなのかもはっきりしません。子どもが疑問や興味を持つ場面や、課題を共有するための時間が必要です。
「水とエタノールを別々に取り出せそう?」と子どもに問いかけ、どうすればできるのか、それでうまくいくのかと全体で考えさせたりすることで、初めて子どもにとっての課題となっていきます。そういうやり取りを全体ですることが大切です。

実験の手順を書いたワークシートを配って、実験器具を見せながら手順の説明を始めます。すぐに実験の手順をこちらから示すのではなく、今までの知識をもとに、どのようにすれば水とエタノールを取り出せるのかを考えることが必要です。それが正しいかどうかを確かめるのが実験です。子どもたちの意見が分かれれば、どうすればどちらが正しいか確認できるのか、もし自分の考えが正しければ実験結果はどのようになるのかといったことを考えるのが大切です。こうすることで、実験結果がどうなるか、興味を持って取り組むはずです。指示されてその通りに実験しても子どもたちは主体的になりませんし、科学的なものの見方・考え方も身に付きません。

授業者は実験器具を見せはしますが、説明は口頭です。これでは具体的にどうすればよいのかよくわかりません。この日の実験は赤ワインを沸騰させるのでやけどの危険性もあります。手順はできるだけ具体的に示したいところです。時間を短縮したければ、ビデオを撮っておいて見せるという方法もあります。
口頭での説明が続くので、一部の子どもたちは集中力を失くしています。火を止める時に逆流に注意をすることを、ガラス管と試験管を見せて説明しますが、後ろの方の子どもたちには小さくてよく見えないので、ますます集中力を失くしていきました。
実験の準備を始めさせてから、大切なことを言い忘れたことに気づいて、追加の説明を始めます。実験器具を持ったまま立っている子どももいます。大切な指示なので、いったん全員席に着かせてから、話をするべきだったでしょう。

子どもたちが実験器具を設定するのにもたついています。「先生」「先生」とあちこちから声が上がります。口頭での説明ではよく理解できていないのです。実験のポイントとなるところも具体的に見せていないので、フラスコとガスバーナーの炎との位置関係もよくわかっていません。炎が近すぎて、突沸した赤ワインがそのままガラス管から流れて失敗する班もあります。次第に子どもたちのテンションが上がっていきます。雑然とした状態で実験が進みます。子どもたちは、ただ、実験器具を使って作業をしているだけで結果に興味を持っているのではありません。実験していること自体を楽しんでいるのです。
失敗した班には赤ワインを再度配って、実験をやり直します。この時点で授業時間が足りなくなることが予想できます。

実験をいったん終えて、一度集中させます。予定通り蒸留した液体を3本集められた班は2/3ほどです。その中身の確認ができた班は半分ありませんでした。確認が終わっていない班、3本集められなかった班には集めることができた分の確認をさせます。結局、実験結果の考察をする時間を取ることができずに終わってしまいました。

子どもたちが何をすればよいのかがよくわからないまま、口頭での指示で実験を行ったため、手際よく進めることができませんでした。正直言って、事故が起きなくてよかったという状態でした。どのように指示をすれば子どもたちに伝わるかを、もっと意識する必要があります。
また、ただ作業するだけの実験では意味がありません。子どもたちは授業者の指示通り動き。実験の正しい結果を知るだけです。結果がどのようになるかを予測したり、仮説を持ったりして取り組むことが大切です。子どもたちに科学的な思考をさせることを意識して授業を組み立ててほしいと思いました。

この続きは次回の日記で。

「愛される学校づくりフォーラム2017 in名古屋」の申込み開始

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「愛される学校づくりフォーラム2017 in名古屋」の申込みが開始されました。「愛される学校づくり研究会」の公開研究会として、会員が4つのテーマで「カリキュラム・マネジメント」の実際を提案する午前の部と、「授業研究の成果があがっていない」「日常の授業改善が進まない」などの課題を踏まえた授業改善の方法を、模擬授業を通じて考える午後の部の2本立てです。

午前の部は、
教育課程を軸とした学校づくり
ミドルリーダーの育成
校務情報を学校経営の手助けに
地域連携
の4つのテーマで各グループが発表し、コーディネーターとの質疑応答を通じて、会場の皆さんと「カリキュラム・マネジメント」について考えていきます。

午後の部は、2名の授業者による国語、社会の模擬授業をもとに、ICTを活用して授業アドバイス、検討を行います。毎年提案授業を楽しみにしていただいていますが、今年度は若手が増えてきている学校現場の実情を考え、現役の教員養成課程の大学生に授業者になってもらい、授業改善のアドバイスを行います。もちろん達人の模擬授業をもとにした授業検討も用意されています。若手の授業に対してどのようなアドバイスが有効なのか、ベテランの授業からどのようなことが学べるのか、会場の皆さんと一緒に考えます。
引き続き、2つの模擬授業の授業アドバイス、授業検討を振り返りながら、授業改善のポイントをコーディネーターとともにまとめていきたいと思います。

日 時  平成29年2月19日(日) 10:00〜16:30(受付開始 9:30)
会 場  東建ホール・丸の内
※名古屋市営地下鉄桜通線・鶴舞線「丸の内」駅下車1番出口より徒歩1分
参加費  1人 3,000円

なお、入場券を事前に申し込んだ方には、「EDUCOM教育フェア2017」の招待券が届きます。この招待券は、近隣のお食事処で利用可能なお食事券と当日引き換えができます。

詳しい案内と、申込みについては、愛される学校づくり研究会のHPフォーラムのコーナーをご覧ください。

道徳で、子どもたち自身の問題として考えさせる難しさを感じる(長文)

前回の日記の続きです。

9月の訪問時に、ベテランの先生の道徳の授業を参観しました。道徳の研究会での研究の一環として新しい授業の組み立てに挑戦されたものです。自分が担任している学級でないので、雰囲気づくりに苦労しているように感じました。

授業は、レ・ミゼラブルの銀の燭台を扱ったものです。本文を子どもたちに配ってから範読をします。子どもたちは手元の本文を見ながら集中して聞いていました。
本文は最後に、盗みをかばってもらったジャン・バルジャンが司教から銀の燭台を渡され、「正直な人間になるためにこの銀の食器や燭台使うと約束したことを忘れないで」と言われ、ただ震えているばかりだったというところで終わっています。
授業者はジャンがどうして震えていたのかを子どもたちに淡々と問いかけます。子どもたちは一瞬動きを止めて考えましたが、すぐに本文を読み返し始めました。国語の読み取りに近い状態です。本文が手元にあるとこうなるのが一般的です。このことをどう考えるかで、本文を配るかどうかの判断が分かれると思います。子ども自身の気持ちや考えを引き出すことを優先するのであれば、本文は手元にない方がよいように思います。

子どもたちは個人で静かに考えています。しばらく時間を与えた後、子どもたちに挙手を求めますが、なかなか手が挙がりません。声をかけた子どもが答えられなくても、特に答を求めて迫ることはせずに、「まだ、考えているの」と受容します。子どもたちが答えやすい雰囲気をつくろうとしているのがよくわかります。一人の子どもが挙手してくれたので、考えを聞きます。盗んだことがばれているのに、許してくれたことと答えます。表面的な答です。挙手が続かないので、授業者はダジャレを言って雰囲気を和らげようとします。反応してくれた子どもを指名すると、司教が憲兵に嘘をついてまでして、許してくれたことが怖くて震えているという意見です。授業者は子どもとやりとりしながら考えを整理して板書しますが、その考えをもとに掘り下げようとはせずに、次の子どもを指名していきます。許されることで、自分は何て悪いことをしたんだろうと思って震えていたという意見が出ます。この3つの意見が出たところで、自分の意見がどれに近いかをたずねます。挙手させる前に授業者は、それぞれの意見を感情込めて「何で……なんだろう」とちょっとテンションを上げて確認します。こういった迫り方はこの授業者の持ち味ですが、この場面までは見ることができませんでした。
手を挙げさせた後、1回も手を挙げていない子どもを確認すると、数人が手を挙げました。授業者はその子どもたちに考えを聞きます。子どもたちの言葉を引き出すよい方法だと思います。指名された子どもは、銀の食器を見せてわざとジャンに盗ませたという考えです。ジャンが悪い人なので、改めさせるためにそうしたというのです。授業者が、そこまで考えて司教が行動したことにジャンが気づいて震えたと整理をすると、子どもたちから「あー」という声が聞こえてきます。なかなか面白い読み取りですが、ちょっと方向がずれていきます。話の内容はきちんと共通で押さえておかないとこのようになってしまう可能性があります。
授業者は「司教の考えの深さ」と板書して次に進もうとしますが、違う考えがあるかもしれませんので「他の人、いい?」と念を押します。すると、一人の子どもが意見を言いたそうにしているのに気づいて、「聞かせて」と発表させます。ていねいに子どもたちを見て対応しています。銀の食器や燭台を得る代わりにする約束がむちゃくちゃ大きいという意見です。授業者は「あー」と大きく反応して受容します。「それだ、という人」と問いかけると、手を挙げかけて引っ込めた子どもがいます。その子どもに声をかけて、「言った方がいい?あなたに任せるよ」と子どもの気持ちに寄り添おうとします。すると、「言った方がいい」と立ち上がってしゃべり始めました。「ジャンは今までしてきたことをいつものようにしたが、司教のしたことで自分はなんてことをしてきたんだろうと、自分が憎い、悔しい気持ち」という意見です。この話をよく分かっていないためにジャンを盗みの常習者のように思ってしまっています。範読しながらジャンがなぜ盗みを働いたのか、何を盗んだのかをきちんと押さえておく必要があったようです。授業者はこの意見もしっかりと受容しました。
もう意見を言いたい人がいないことを確認して、「ここまで、みんなはしっかりと考えてくれた」と評価し、次に進みます。先ほどの子どもからでた大きな約束とは何かを確認しますが、子どもたちは今一つ反応しません。授業者が声を出すようにうながすと、子どもが本文を見ながらつぶやきます。どうしても客観的な文章の読み取り中心になってしまい、子どもたち自身の問題になっていないように感じました。

ここで「ジャンはこれからの人生どうやって生きる?」と問いかけます。「みんなも自分が壁にぶつかることがあるけど、その時、隣に友だちがいない、相談できないことがあるでしょう」と相談なしで、自分がジャンだったらどうするか考えるように指示します。
まず自分で考えることは否定しませんが、ちょっとこだわりすぎだと思います。苦しい時に相談できる子どもになることも大切なことです。あえて、相談できない状況を強調する必要はないと思います。また、自分がジャンだったらと主人公に引き寄せさせようとしますが、ジャンのこれまでの背景をきちんと押さえていないのでちょっと無理があります。また、ジャンの気持ちになるにも、今の子どもたちにこんな過酷な状況はなかなか実感を持って想像できません。自分ならとどうすると言っても、かなり難しいことと思います。
紙に書くのではなく、頭の中で考えさせます。ねらってのことなのかはよくわかりませんが、言葉として出力していないので揺らぎやすい状態です。友だちの意見を聞いている内に自分の考えが変わるかもしれませんが、意見が変わったことを意識することもしづらいと思います。
自分の考えがまとまった子どもを立たせます。見える化ですが、まだの子どもにはプレッシャーがかかります。意図的なのでしょう。立っている子どもにつられたように、次々に座っていた子どもが立ち上がります。1分ほどで、ほぼ全員が立ち上がります。授業者は立ち上がっていない子どものところに行って、まだ迷っているのなら、座っていていいと声をかけます。きちんと全員を見ているのは立派です。その間、すぐに起立した子どもはすることがありません。しゃべったりはしませんが、ごそごそと身体を動かす子どもが目立ちました。

「誰から教えてくれる?」と聞くと、1/4ほどの手が挙がります。授業者は「うれしいわー、この人たち」と声を出します。子どもたちが前向きになるような言葉を上手に使います。
最初に指名した子どもは、「食器や燭台を売って、そのお金でまっとうに暮らして姉と子どもも養う」という意見です。発表の間、子どもたちの体がゆらゆら揺れます。友だちの考えがどうなのか気にならないように見えます。授業者がその意見をまとめて板書している間もなかなか集中しませんでした。この後、同じ意見の人を座らせますが、たとえ同じでももう少し聞いてみたい気がします。
次に、「正直になると約束したから、売らないで自首をする」という意見が出てきます。「自首した後どうするの?」と、同じ意見の人たちに聞ききます。一人目は、その後働くという答です。子どもたちの答にどうにもリアリティがありません。「自首したら、また刑務所に入れられるけど自首をする?」と揺さぶりたいところです。「それでもあなたは自首をする?」と自分のこととして考えさせるのです。次の子どもも同じ答ですが、授業者は姉と子どもはどうすると問い返します。その子どもは「自分だけ」と答えました。授業者は「姉と子どももという人もいるけど、自分だけという人もいる」と焦点化しますが、次へ進むことを優先します。まだ立っている子どもを指名しました。
次の子どもは、「ジャンは19年間の監獄生活で人とどうやって接したらいいかわからなくなっているので、この先うまくいかなくて死んじゃう」という意見です。授業者が「自分ならどうする」と何度も言っていたのですが、他人事です。子どもたちが他の意見を真剣に聞かないのはどうもここに理由がありそうです。
続いて、「ジャンは元々いいやつだから司教に言われたことで目覚め、銀の食器や燭台を返してそこからちゃんと仕事して、誰よりも頑張って、姉と子どもと一緒に幸せに暮らす」という考えがでてきます。これも他人事です。
この後も他人事の意見が続きます。授業者は、子どもの言葉を受容して板書をしますが、それ以上は切り返すことはしませんでした。

最初の自分の意見から変わっていいからと、これまで出た意見の中から自分がとる行動を選択させます。挙手で確認した後、「これ、どうして?」と聞いてみたい意見があるかをたずねます。「あるでしょう?」と目の前にいる子どもに迫りますが、質問は出てきません。そこで、まずそれぞれの答を選んだ理由をたずねることにします。「売らないで一生懸命に働く」を選んだ子ども3人を立たせて、聞きます。「司教の恩を忘れない」という言葉が出てきます。授業者は「恩」という言葉が付け加わっていることを強調します。上手く言えない子どもに続いて、もう一人は、「罪を犯したから他の人と同じだけ働いても償いができない。だから、他の人以上に働く」と言います。よいことを言っているのですが、これもちょっと離れて見ているように思えます。授業者はこの意見に対して聞きたいことはないかとたずねますが、やはり反応はありません。
「銀の食器を売って働く」を選んだ子どもは、「現状が厳しいから、売ってお金をつくらないと生きていくことが苦しい」と言います。本音に近いところが出てきています。同じ行動を選んだ子どもたちは、この意見に同意して全員着席しました。ここは、この本音の部分を何人にも聞いて焦点化して、売らないと言っている子どもに、「こういっているけど、どう?それでもやっぱり売らない?」とつないでいきたいところでした。

最後に、よく考えてくれたけれど、今日のテーマはいったい何だったんだろうかと問いかけ、ジャンのその後を話します。ここでジャンのその後を話しても、お話ですから説得力はありません。子どもたちからもあまり反応が出てきませんでした。
そして、この日のテーマと感想を、なるほどと思った友だちの考えを入れ込んで書くように指示しました。「テーマが何かわからない」という声が上がったので、とばして感想を書くようにと伝えます。授業者としては、人はやり直し、立ち直ることができることをテーマにしていたのですが、そもそも「やり直せない」と思っていないので、このことはあまり意識されなかったのです。

今回の授業は、私の知っている授業者の授業イメージとは異なりました。実は、今回の指導案の流れは、研究会を指導している先生のスタイルを踏襲していたのです。このスタイルでは、授業者は積極的に子どもの意見に対して切り返したり、揺さぶったりしないようです。子どもたちが友だちの意見を聞きながら変容することを大切にしています。授業者としては、切り返したり焦点化したり、揺さぶったりしたかったと思いますが、それをぐっとこらえているように見えました。
今回、子どもたちが自分の問題としてとらえにくかった大きな要因は、この話が子どもたちにとってリアリティがないことだと思います。まず、ジャンが銀の食器を盗もうとする場面で、「親切に食事と宿を提供してくれた人のものを盗むってありえなくない?」と揺さぶったりすることが必要でしょう。子どもたちから、「刑務所に19年も入っていたら仕事もない」「この先、暮らしていけない」「盗むしかない」といった言葉を引き出すのです。その上で、司教から「正直な人間になるため……」と言われた後、「あなたなら」どうするかを問いかけるとよかったと思います。子どもから出た意見に対して、先ほどの「仕事がない」「盗むしかない」という考えと対比させて「本当にできるの?」と揺さぶったりすることで考えが深まり、大切なことは自分の意志であるといったことに気づいてくれるのではないでしょうか。

異なったスタイルの授業に挑戦することは素晴らしいと思います。その上で、自分のスタイルとどう融合させていくかが大切だと思います。与えられたスタイルにとらわれず、授業者の思いをそこに組み込んでいけばよいとアドバイスさせていただきました。

この続きは、次回の日記で。

子どもたちの気がかりな変化

2学期に3回訪問した中学校では、1、2年生の子どもたちに気になる変化を感じました。

1回目は、体育大会が終わった後の訪問でした。
しっかりとやり切ったのでしょう。学校全体はよい雰囲気でした。夏休み前はちょっと心配していた1年生ですが、一部の学級を除いて授業規律もよいように思いました。ただ、授業者によって子どもたちの態度が異なるということは依然としてあるようでした。学年で統一して取り組もうとしているのでしょうが、中々意識が統一できないようです。
2年生は、特に大きな変化を感じることもなく、落ち着いて授業に取り組めているようでした。

ところが、合唱大会の少し前に訪問した時に、変化が起きていました。
1年生で、以前は一部の時間や学級でしか見られなかった、授業に集中していない子どもの姿が、どの授業でも目につくようになっているのです。このこと自体はよくあることなのですが、問題は授業者がそれをスルーしていることです。気づいていないのか、見ようとしていないのかはよくわかりません。しかし、放置しておくということは、子どもからすればその行為は許されたことになります。ヒドゥン・カリキュラムです。今の段階であれば、4月当初のように、望ましい行動を確認し、できた子どもを認め、できていない子どもができるまできちんと待ち、そのことをほめることすれば、よい方向へ変わっていくはずです。
2年生は、一見すると大きな変化が無いように見えます。授業規律が乱れているということおありません。しかし、わかりたい、できるようになりたいという前向きなエネルギーが感じられなくっています。このことは、合唱大会の練習風景にも表れていました。
この学校の合唱大会は準備期間も長く、毎年子どもたちの。素晴らしいものにしたい、勝ちたいという意欲、エネルギーを感じさせられるものですが、どうも今年はそのエネルギーが低いように思えるのです。2、3年生は昨年と比べて明らかに子どもたちから感じる意欲が低下しています。
先生方とお話をしてみると、ベテランの方はこのことに気づいておられます。当然それなりの対応をされるでしょうから、それほど心配はしませんでした。

さて、2学期末の試験前に訪問したところ、合唱大会は例年通り素晴らしいものだったと報告を受けました。きっと先生方が、ちゃんと対応されたのでしょう。授業でも子どもたちが落ち着いて参加する姿が期待されます。ところが、教室を回ってみると、子どもたちの様子は私の想像とは大きく違っていました。
1年生は、今までぽつりぽつりと点で見えていた気になる子どもたちが、明らかに増えているのです。どの学級にも学習に対して意欲を失くしている子どもの姿が見られます。それに対して先生方が働きかけをしていません。放っておかれているように見えます。なにも、口うるさく注意しろと言うのではありません。その子どもたちが授業に参加できる場面を意図的につくるのです。ペア活動やグループ活動でかかわり合うように、ちょっと声をかける。困っているところ聞いてやる。そういったことを積み重ねるのです。
そして気になるのが、そういった子どもたちがつながりだしているということです。授業者の目を盗んで、つながろうとしているのです。あまりよい表現ではありませんが、ブラックホールのようにまわりを巻き込みだしているのです。
一方2年生ですが、1年生のようなことはないのですが、どうにも子どもたちが緩いのです。一緒に授業を見ていた先生が、フワフワしているという言葉を使われましたが、まさに言い得て妙です。授業の開始時、どの学級も異様にテンションが上がります。授業が始まっても、どこか集中していません。この学校で子どもたちのこんな姿を見たことは、ここ何年も記憶にありません。行事の余韻が残っているにしても、時間が経ちすぎています。この変化はとても気になります。

行事を通じて、子どもたちの交友関係に変化があった時など、新しい人間関係が授業に持ち込まれて、落ち着かなくなることがあります。これは、文化祭でのグループ作業や、修学旅行や校外学習などの小集団での活動が中心となる行事の後で見られることがあるのですが、合唱大会の後ではあまり見たことがありません。いずれの学年の問題も、管理職や主任層、ベテランは認識しています。しかし、その危機感や指摘がどうも若い先生と共有できていないことが問題のようです。端的に言うと、若い先生がこの状況を悪い兆候だと実感持ってとらえていないのです。
1年生で言えば、気になる子どもはいても席を立ったり授業を妨害したりするわけではありません。授業は通常通りに大過なく進んで行きます。2年生で言えば、テンションが高いのは、子どもたちが参加していることの現れともとらえることができます。楽しくやっているし、個人作業の課題を与えればちゃんと鉛筆を持って取り組むので、問題ないと考えているのかもしれません。
経験のある方は、こういったことが、今後急激に学校が落ち着かなくなる兆候ととらえることができるのですが、そういった経験がない若い先生はその実感がありません。特にこの学校しか知らない方は、そういった状況を見たことがないのです。

生徒指導主事や教務主任とも話をさせていただきましたが、担任の先生方を中心に学校全体で取り組んでいかなければいけない問題です。経験の少ない方が多いので、単なる警告だけでなく、どう対応していけばよいのか具体的に伝えなければいけません。
今後主任層を中心に対応をしてくださると思いますが、次回訪問まで少し期間が空くのでちょっと気がかりです。

この3回の訪問で、いくつかの授業研究もありましたが、それについては次回以降の日記で。
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