子どもに迫ることの難しさを感じた道徳の授業

前回の日記の続きです。

中学校の道徳の模擬授業は、実話をもとに書かれた曽野綾子の小説「塩狩峠」の一部を使ったものです。塩狩峠を登っていた汽車の最後尾の車両の連結が外れ、坂を逆走する列車の暴走を止めるため、その日友人の妹と結納を交わす予定だった主人公が線路に身を投げたというとても重い話です。

授業者は子ども役に今までピンチになった経験を話させます。ちょっと笑えるエピソードもあり、場が和みます。最後に授業者がトイレで用を足した後、紙がなかった話をして、笑いを誘います。明るい雰囲気になったところで、情景を思い浮かべながら聞くようにと指示をし、資料は配らずに授業者が範読を始めました。
授業者は範読中にあまり顔が上がりません。子ども役の様子をあまり見ていませんでした。体を乗り出して聞いている方、ちょっと下を向いている方、背もたれに体を預けて腕を組んでいる方、いろいろです。ここで何か声をかけるべきかどうかは一概に言えませんが、子どもを常によく見ておけば、ちょっとした変化にも気づけるので、指名や授業の展開を考える上で役立ちます。また、授業者をしっかり見ている子どもに視線を合わせてうなずくといったことをしておくと、その後で発言を引き出しやすくなります。
途中で、情景を表わす絵を貼って理解を助けます。読み物資料を使う時は、早く内容を理解させ、子どもたちが考える時間を確保することが大切です。絵を使うというのもよい方法の一つです。
逆走を始めた列車がカーブに差し掛かったところで話をいったん止めて内容の確認を行います。主人公は誰かと子ども役に問いかけます。半分も手が挙がりません。答えるまでもないのかもしれません。しかし、こういった場面できちんと参加させないと、肝心なところで発言をしてくれない可能性があります。まわりと確認させる、挙手に頼らず何人も指名するといったことをするとよいでしょう。「たしか、信夫?」という答に、授業者は「ああ、いいですね。よく聞いていましたね」とほめます。ちょっと自信のなさそうな答え方だったことからすると、ここまでの内容からはまだ主人公がだれかよくわからなかったようです。範読の途中で信夫という主人公の名前が出た時に、この人が主人公だと授業者が宣言してもよいと思います。主人公がだれかがわかった方が、話を理解しやすくなるからです。

授業者は、「この後信夫はどうするでしょうか?」と問いかけます。この状況に対してどのような選択肢があるのかよくわかりません。根拠を持って考えることのできない発問です。この後のショッキングな展開をより印象付けるためだと思いますが、ここで時間をあまりかけても意味はありません。授業者は30秒考える時間を与えましたが、適切だと思います。
子ども役はじっと考えています。時間が来ると授業者は全員立たせます。指名していって、全く同じ意見だったら座るというやり方です。道徳ではよく使われますが、とりあえずどんな考えがあるかを知る時によい方法です。
「ブレーキのハンドルを必死に回し続ける」「他の人を呼んで、力を合わせてブレーキをかける」「みんなで、列車の中を移動して、バランスをうまくとってカーブを回りきる」「跳び下りて逃げる」「神頼みをする」といろいろな意見が出ます。授業者は「跳び下りて逃げる」という意見に対しても、素直に受容しました。実際の授業ではこういった子どもが、この後どのような変容をするのかに注目したいところです。

続いて主人公が線路に身を投げて列車を止めたこところまで範読しました。
「主人公が線路に跳び下りた時の気持ち」を考えてワークシートに書かせます。ここはまだ主人公の気持ちを考えているところなので、あまり時間を取りたくないところです。授業者は2分ほどして、全体で考えを聞きます。上手な時間配分だと思いました。
先ほど、跳び下りて逃げるといった子ども役が、「自分だったら身を挺して止めようとは思わないので、きっと婚約者との結婚話に裏があって、嫌だったけど結婚しなければいけない事情があった」とちょっと斜めな意見を言います。もし実際にこのような子どもがいたら、とても面白いと思います。「自分だったら」と自分に引き付けてくれています。授業者はこの意見も「なるほど」と受容しますが、自分の気持ちを言ってくれたことを評価して、ここを軸に話を進めても面白かったかもしれません。続いて回っていて気になった意見があったと、一人の子ども役を指名します。「家族や婚約者のことが頭に浮かんで、『ごめん』と思いながら跳び込んだ」という意見です。多くの人を助けたいという意見が多い中、プライベートな家族や婚約者のことに思いを到らせています。「他者を助ける」「自分の身近な人を悲しませる」という2つの思いをもう少し焦点化したかったところですが、授業者は「『ごめん』と言って跳び込める?」と発言者に聞き返しました。「勇気がなくてできない」という答えが返ってきます。授業者も自分もできないと話し、先に進みました。

残された人の様子が語られる中で、主人公が常に遺言を胸ポケットに入れていたという話がでてきます。授業者は主人公のちょっと違う面が出てきたと言ってから、常日ごろ持ち歩いているものは何かを問いかけます。先ほどから変わった意見を言っている子ども役の手が挙がりません。そこで、授業者はその子ども役に声をかけて、発言を求めます。隣の席の子ども役が「遺言」とつぶやいて助けました。授業者はそうですねと、笑顔で受容しました。
授業者は、主人公は何が起こってもいいように胸ポケットに遺言を入れていたと思うと自分の考えを伝えた上で、先ほどは婚約者のことを話してから、跳び込んだ時の気持ちを考えてもらいましたが、今度は「いつも胸ポットに遺言を入れていた」「主人公にふさわしい死に方だったと友人が言ったこと」を考えながら、もう一度主人公の気持ちを考えるように指示しました。
2段階で考えさせることは、子どもたちの考えを深めるための方法の一つです。しかし、その前の段階で焦点化されていることがないと、かえって発散してしまいます。授業者が遺言を持ち歩いていた主人公の気持ちを説明しましたが、このことをもっと自分たちで考えておかないと、考えが深まらないのではないかと思います。
2分ほどして、意見交流をするように指示します。この時に納得する考えがあれば自分の言葉に直して書き加えてもよいと伝え、4人グループにしました。
全体で、どんな意見が出たかを発表させます。発表してくれる人がいたらうれしいとIメッセージで問いかけます。
「主人公が日ごろから、他者のために自分の命使おうと心がけていた」「いつでも死ぬ覚悟はできていた」「婚約者にすまいなと思っていた」「やはり婚約者との結婚が嫌だった」といった意見が発表されます。
授業者は「自分もここまでは無理だけれど、確固たる信念を持って生きてほしい」と自分の思いを伝えて、「今後どのようにして生きていきたいのか?」を書かせます。ちょっと気になったのは、「信念」という言葉が唐突に出てきたことです。子どもたちから出てこない言葉を使う時には、注意が必要です。授業者の答がそこにあると思ってしまうからです。子どもたちが言ってくれたことは主人公の「信念」だと言えることを全体で共有することが必要かもしれません。
最後に、授業者が自分の信念、これだけは守っていこうと思っていることを話しして、「スラスラかけた人、なかなか書けなかった人いろいろいるかもしれませんが、今はそれでいい。これからの人生でそういうものが見つかるといい」と締めくくりました。

授業者は子どもたちに自分の信念について考えさせたかったようです。そうであれば、あなたならどうなのか、自分はそこまで強いものがあるのかといったところを問いかけ、考えさせる時間を取るべきだったと思います。物語の主人公の生き方を客観的にとらえるだけで、自分に引き寄せる場面が足りなかったと思います。
授業者は自分の思いを話しましたが、決して押し付けにならないように意識していたようです。最後に、信念を書けなくてもそれでいいと言ったことで、救われる子どもも多かったと思います。
常に柔らかい表情で子どもたち受容する姿に、落ち着いた学級づくりができているのではないかと思いました。個々の子どもをしっかりと受容できるので、次は子ども同士をつなぐことを意識するとよいと思いました。

最後に、道徳の授業をどのようにしてつくっていくのかについてお話をさせていただきました。
子どもが本音を言える学級づくりが基本となることや、子どもが先生の求めるような答を言って満足していてはいけないこと最初に伝えました。
授業の組み立ては、子どもが考える、変容するような活動に時間を使うことを意識することが大切です。そのためには、読み物資料であれば、読み取りに時間を取られないようにしなければいけません。また、話し合えば考えが深まり変容するわけではありません。子どもの考えを焦点化したり、時には対立させたり、また揺さぶるような切り返しが大切になります。
そのためには、客観的な判断や考えを聞くのではなく、あなたならどうする、自分ならどう思うといった、自身に引き付けるような発問や問いかけが求められます。
こういったことを意識して、子どもの心を耕すことをお願いしました。

模擬授業をしてくれた2人の先生に共通していたのは、子どもを受容しようとする姿勢です。子どもと接する基本ができていたことをとてもうれしく思いました。
このような機会がまたあることを楽しみにしています。

子どもが教師の求める答探しをする道徳(長文)

市の少経験者研修で講師を務めました。午前中は小学校と中学校のチームに分かれ、道徳の授業の指導案を検討し、午後は互いが子ども役になって代表者が模擬授業をするというものです。

小学校の模擬授業は、「星への手紙」という教材を使ったものでした。筋ジストロフィーにかかった子どもが、生きる気力を失くし食事もとらなかったが、母親の涙にこれ以上悲しませたくないと思って一口スープを飲み、その時母親が今まで見たこともないほどの喜びようを見せたことで、こんな自分でも頑張って生きることで人の役に立つことができると思う話です。

授業者は、なかなか上手にアイスブレークをします。自分はグーを出すと宣言して子ども役とじゃんけんをしてパーを出させます。そして、その手をそのまま精一杯上に挙げさせます。この姿勢が挙手の姿勢であることを伝え、一人一回はこの姿勢を取ってほしいと伝えました。

最初に授業者は「みなさん、生まれてきてよかったことはありますか?」と質問をします。あるという人が全員です。確認して、タイトルを示し、「今の質問が何の質問だったのかなと頭に入れておくといいかな」といって次に進みました。今ひとつねらいがよくわかりません。他者を喜ばせるということを意識するのであれば、どんな時に生まれてきてよかったと思ったかをちょっと聞いてみたいところでした。
子ども役に3分間時間を与えて資料を黙読させます。実際の授業では子どもの読む速度に差があるので、早く読み終わった子どもがごそごそする危険があります。また、この後、内容の確認を子どもに発言させてすると、読み取りの力に差があるため、思いのほか時間がかかってしまうので注意が必要です。
授業者は机間指導をしますが、この場合何を見るのでしょうか。授業者の視線が定まりません。ここは、全体を見ながら内容が理解できなくて困っている子どもがいないか、早く読み終って手持ちぶさたの子どもがいないかといったことを見て、都度必要な対応をするべき場面だと思います。
全員が読み終ったのを確認し、早く読めた人は素晴らしいとほめて次に進みます。ここが早く読めたことを評価すべき場面であるかはちょっと疑問です。道徳の性格上、じっくりと前に戻ったりしながら読むことの方が大切に思います。ちょっと気になるところです。
ここで、資料の注釈をもとに筋ジストロフィーの説明を簡単にします。このことが必要だと思うのなら、最初に説明をしてから読ませた方がよいでしょう。ムダにつまずかせる必要はありません。話の内容を少しでも早く理解させることが大切です。

話の内容を資料にそって確認していきます。資料の文の「食べなくなった」のはどんな気持ちでしょうかと問いかけます。手元に資料があるので、子ども役のほとんどは顔が上がりません。少し間をおいて、「こうじゃないかなと思う人?」と挙手を求めます。手が挙がるのは一人です。授業者はすかさず指名します。子ども役が本当に考えているのであれば、もう少し時間を取る必要があります。少ない挙手で進めることは注意が必要です。
「自分なんかいなくなればいい」という答に、授業者は「いいですね」と返します。この言葉は、子どもの考えを客観的に評価していることになるので、実際の子どもであればこれが正解なのかと思ってしまいます。そうではなく、子どもたちをその時の主人公の気持ちに寄り添わせることが必要です。「なるほどね」と受容はしても、よい悪いの評価はしない方がよいでしょう。他の意見を聞きますが、「死んでしまいたい」という発言に、「同じように思った人?」とつなぎます。ここで突然、「同じように思った人」とつなぐと、これが先生の答かと思ってしまうかもしれません。なかなか難しいところです。こういう手法を使うのであれば、常に同じように思った人とつないでいる必要があると思います。
授業者は多くの子ども役の手が挙がったことを確認して、自分の言葉でまとめます。子ども役から一度も出てこなかった「絶望」といった言葉が足されていきます。こういったことも、授業者の求める答があると感じてしまう要因です。子どもたちが主人公の気持ちに入っていくのではなく、距離を取って客観的に考えてしまう可能性が増えます。

お母さんのつくったスープを飲む時の気持ちを問いかけます。子ども役の手がなかなか挙がりません。本当に答えにくかったのか、子ども役になりきっていたためなのかわかりませんが、ちょっと重い雰囲気になっています。授業者は目が合った子ども役に「言えそうですね」と声をかけました。こういった指名の仕方はなかなかのものです。「幸せな気持ち」という答に、「ああ、幸せな気持ち」と受容し、ちょっと間をおいて「確かにそうですね」と続けました。授業者からするとズレた答だったと思いますが、受容したのは立派だと思います。ただ、表情がかたいので、子どもだったら「外した」と思ったかもしれません。こういう時はいつも以上に笑顔と明るい声が必要なのです。
「お母さんが苦しんでいるのは見たくない」という発言に対して、他に似たような言葉でもいいのでと発言をつなごうとしますが。傍から見ていると、どうしてもこの方向に誘導したいという意図を感じてしまいます。子どもたちはこういうことには敏感です。まわりと聞き合うといったことをして、もう少し子どもたちを自由にしゃべらせたいところでした。
続いて「頑なだった、依怙地だった気持ちがほどけるような気持ち」という意見が出てきます。ちょっと子どもらしくない意見ですが、「さすがですね」と評価します。この意見はかなり客観的で、他人事として冷静に見ています。「本当?ずっと死にたいと思っていたのに、そんな簡単に気持ちがほどける?」と揺さぶるといったやり方もあったかもしれません。

主人公の気持ちが、「死にたいと思った時」と「スープを飲んだ時」とで変化したかどうかを問いかけます。全員が変化した方に挙手した後、授業者は場面ごとの板書を使って、ここでは悪かった、ここでよくなったと主人公の気持ちを「よい」「悪い」で評価します。この言葉はあまり適切ではありません。せめて、「落ち込んでいた」「暗い」「上昇した」「明るい」といった柔らかい表現にしたいところです。人は苦しい時、暗くなる時もあります。それを「悪い」と決めつけるのはそういった状態になった時に子どもたちを追い詰めることにつながります。日ごろからそういうことを意識して言葉を使うことが必要だと思います。

看護師さんも駆けつけて、お母さんと同じように涙を流して喜んだ時に主人公はどんなことを感じたかを問います。こういった質問の答えは本文に書かれています。その答を確認するのであれば、単なる国語の読み取りです。ここで子どもたち自身の気持ちに迫りたいのか、それとも確認だけなのかで進め方が変わるでしょう。前者であれば客観的な答に対して、「本当にそんなこと思える?」といった揺さぶりをすることが必要ですし、後者であれば時間をかけずに授業者が本文で確認してしまえばいいのです。
授業者は「頑張って生きよう」という答を受けてすぐに、最初の気持ちと比較して変化したことを指摘します。他の子どもたちとつなぐことをせずに、すぐに自分の言いたことにもっていきました。続いてでた、「いろいろな人に心配をかけたことを後悔している」という意見には何もコメントがありません。子ども役がなかなか積極的に参加でできない原因がこんなところにあるように思います。
「自分が人を喜ばせることができる」という本文の記述に即したことが出てこないので、授業者はその部分を読んで、大事だと思ったところに線を引くように指示します。大事という言葉を使うことで、国語的な読解の授業になっています。また、授業者の求める答探しになってしまいました。
「他の人の役に立つ」という言葉が子ども役から出てくるとすぐに板書をします。別の子ども役が本文に即した発言をしたので、そこを見てみましょうと本文を確認します。完全に国語の授業になってきました。

授業者は主人公の気持ちの変化を、板書を使って確認します。続いて、この主人公が書いた詩を見せます。その詩には空欄があり、そこに言葉を入れることが課題です。すべて同じ言葉が入ると伝えて、となりと相談させます。これも答探しです。子どもたちが冷静に取り組むようなものではなく、自分に引き寄せさせることが必要です。
授業者は子ども役に対して「答が出たと思うけれど」と問いかけます。「答」という言葉を使います。せめて、「考えがまとまったと思うけれども」といった表現をしたいところです。
すぐに全員の手が挙がります。「プレゼントしよう」という答を復唱して板書します。続いて「他に違う意見が出たよという人?」と聞くと挙手が2人です。この状態ですぐに指名しましたが、ここは全員の手が挙がっていたのになぜ減ってしまったのか疑問に思うべきところです。「他の人は、同じ意見だったの?」と確認することが必要だったと思います。
「分けてあげよう」「伝えよう」「与えよう」と発言が続いた後、授業者は「このような答、みんな同じような意見ですね」とまとめます。授業者が同じようだと判断しています。この場面に限らず、子どもたちの意見をすべて授業者が判断しています。そうではなく、子どもたち自身が友だちの意見を聞いて考えを深めていき、自分で価値を判断していく過程が必要です。

「主人公がどう思ってこの詩をつくったのか」と問いかけます。一度先ほど子ども役が考えた空欄に入る言葉を確認して、今度は「みなさんなら」という言葉を足しました。「プレゼントしよう」と答えた子ども役を指名して「なんでプレゼントしようと思いました?」と問いかけます。子どもたちに迫るために「主観的」な答を求めていたのか、「客観的」な答の説明を求めたいたのかちょっと曖昧でした。前者であればこの状況ではかなり難しいと思います。ここまで客観的に答を見つけようとしていたからです。子どもに迫るにも、その前提となる状況をつくれていないのです。子ども役は「喜びをだれかにあげたいという思いがこの人にはあるんだろうなと思いました」と答えます。やはり「この人には」と客観的な答になっていました。先ほど空欄に入る言葉を発表した子ども役を次々に指名します。長い説明を一気に話した方がいます。長い説明を一気に話されるとついていけない子どもがたくさんいます。もう一度発表させ、途中で止めて全体に確認しながら聞き直すことが必要です。
授業者は扱いに困ったのか、「なかなか説得力がありますね」と受けました。他の子ども役が「なるほど」と納得したのならともかく、説得という言葉はおよそこういった場面にふさわしくない言葉です。どれが正しいか判断したり、誰かの意見に集約したりするものではないからです。子ども役の発言は客観的な説明が続きます。授業者は「みんなが言ってくれたことは正解です」とまとめます。どうしても、答探しになってしまいます。道徳に限らず、子どもの考えを「正解」かどうかで評価する授業は、教師の求める答を子どもが探る授業になってしまいます。このことを意識して、「正解」と授業者が判断することをできるだけしないように意識してほしいと思いました。
結局、授業者がこの子は「人に喜び分けてあげることで生きようと思っている」とまとめて、板書をしました。

「これはこの子の場合です。皆さんは生まれてきて、家族に喜んでもらったことありますか?」と問いかけます。「生まれてきて」という言葉を使いますが、小学生にはあまりに大きすぎる問いかけです。「みなさんが喜んでもらったら生きる意味があるんではないか」と続けますが、価値の押し付けになっています。というか、そもそも「生きる意味があるかどうか」などと子どもが考えているとは思えませんし、そう考えるように迫ってもいません。
子ども役からは「テストで100点を取った」「お手伝いをしたとこ」「けがが治った時」「誕生日」といった意見が出ます。子どもが「喜ばせる」ことを意識しすぎると、親が喜ぶことが自分の存在価値になり、それができないと自己否定につながることがあります。この授業のねらいとはずれるかもしれませんが、親を喜ばせることではなく、子どもが生きているだけで親はうれしいことを伝えたいところです。

最後に「生まれてきたよかったか?」と最初の質問に戻ります。最初に手を挙げた以上にしっかりと手を挙げるように伝えます。価値の強要です。辛い思いをしている子どもがこの中にいたらどうなるでしょうか。無理やり周りに合わせることになります。ちょっと手を挙げるのが遅い子ども役がいたので、それではダメと否定して、もう一度全体で手を挙げさせます。授業者が子どもに同調圧力をかけています。
最期まで、授業者の価値観を押し付ける授業になっていました。

この授業者は、復唱や、受容の言葉をかけることができます。少経験者としては、なかなか立派だと思います。しかし、子どもの考えをすべて自分で評価して、自分の価値観に誘導しようとしています。子どもの考えをつなぐという発想がありません。子ども自身が考え、子ども自らで判断していく力を育てることが大切です。子どもが授業者の求める正解探しをしない授業を目指してほしいと思います。

この続きは次回の日記で。

栄養教諭の模擬授業から学ぶ

栄養教諭、栄養士の方を対象にした研修を行ってきました。模擬授業と解説、講演でした。
模擬授業は、2人の栄養教諭の方に、実際に行った授業を再現する形で行っていただきました。時間の関係で、ポイントとなるところだけを模擬授業で行いました。

一人目の方は、ベテランの方でした。担任とのTTで食べ残しとごみの関係について子どもたち考えてもらう、小学校4年生を対象にした授業です。
社会科のゴミの授業が終わったあと、それを受けて学級活動の時間に行われたものです。
最初に栄養教諭の仕事を紹介し、給食センターで給食がつくられる様子を、クイズなどを交えて説明します。ここではスライドだけを見せていただきましたが、とてもわかりやすく子どもたちの興味をひくものになっていました。最後は片付けについての話です。子どもたちは給食を食べちゃったら終わりだけれど、給食センターではまだ仕事があるということを伝えます。たくさん残ってくると調理員さんは大変だという最後のスライドを示したままにして、授業を進めます。ここからが模擬授業です。
ワークシートを使って担任が栄養士や調理員がどのような思いで給食をつくっているかを考えさせます。少し時間を与えてから子ども役に考えを聞きました。
指名は担任で進めます。最初は調理員の気持ち、一通り出た後で栄養士の気持ちを発表させます。「おいしく食べてもらいたい」「いっぱい食べてもらいたい」といった発言一つひとつを、栄養教諭は「なるほど」「確かにね」としっかりと受容します。「たくさん手を挙げてくれてうれしいな」といったIメッセージも上手に使います。「似た考えだけどちょっとだけ違うという人いるのかな」とつなぐこともしています。一般の教員でもなかなかできないことです。
担任が、一つひとつの発言を板書してから次の指名をするのでちょっとテンポが悪くなります。栄養教諭はその間板書を見ていますが、できるだけ子どもたちの方を見るようにすることが大切です。栄養教諭が指名も含めて進めるようにして、担任は板書に徹するという方法でもよかったかもしれません。また、ここは板書せずに「同じように考えた人?」と子ども同士をつないでたくさん発言させることで共有するといったやり方もあると思います。
「みんな私の気持ちをすごくよくわかってくれてうれしい」と言った後、「でも少し困ったことがあります」と続けます。困っていることは何だと思うかを子ども役に問いかけます。板書してある「いっぱい食べて大きくなってほしいな」「たくさん食べてもらえるメニューを考えている」といった子ども役の発言を読み上げて、考えやすいようにしています。スクリーンには先ほどの「残ってくるとたいへん」のスライドも残っています。もう一度困っているのは何だろうと問いかけてから挙手させます。指名された子ども役は「給食が残ってくることだと思います」と答えます。栄養教諭はそれをそのまま復唱します。板書が終わるのを待って、付け足しやほかの意見がないかをたずねますが手は挙がりません。ここは挙手に頼らず何人かに発言を求めてもよかったでしょう。
続いて、「給食の食べ残しについて考えよう」という課題を提示します。この課題は子どもたちにとっては何を答えていいかちょっとわかりにくいものです。「考えよう」という発問は、子どもたちとって何をすればいいのかわかりにくいものなのです。そこで、「残った給食はどうなるか?」と問いかけます。「みんなこれまで学習したこととつながりがあるかもしれないよ」と社会科の学習につなげようと言葉を足します。このことは大切なのですが、答を誘導しているようにも思います。最後に子どもたちから言わせたいところでした。
「ごみになると思います」という発言に対して、すぐに「そうだよね。ごみになってしまいます」と反応します。ちょっと反応が速すぎるように思いました。期待する答が出たのですが、大切な答であればあるほど、子どもたち全員にきちんと考えさせたいところです。「○○さん、どう思う?」「△△さんは?」というように何人も指名して、「みんなに大きくなってももらいたいと思ってつくっている」のに、「たくさん食べてもらえるようにメニューを考えている」のに、「ごみになる」ことを確実に押さえたいところでした。
模擬授業はここで終わりです。実際の授業はこの後、昨年の食べ残しがどのくらいあったかのグラフを見せたり、給食の残りを片付けている様子の写真を見せたりして、昨年の給食の残りが250袋分あったことを伝えます。最後に「きれいに食べられて空っぽの食缶」「たくさん残っている食缶」を見て、調理員さんはそれぞれ何を思ったかを考えてもらい、食べ残しを減らすためにはどうすればよいのか、自分ができることを考えるというものでした。

私からは、この授業での発問をもとに、子どもが根拠を持って考える発問と思いつきで答えられる発問の違い、授業者の子どもを受容する姿勢の素晴らしさを解説しました。
栄養教諭や栄養士の方は食育の授業にあたって、視覚に訴える資料をていねいにつくられることが多いようです。そのことはとてもよいことです。しかし、動画などはそれをもとに次に何を考えるのかを予め提示しておかないと、漫然と見ていて内容が頭の中にあまり残らないことがあることに注意が必要なことを伝えました。
TTについては、それぞれの役割を明確に分担するとよいことをお伝えしました。子どもたちの意見を引き出すのが難しいと感じるのであれば、そこのところは思い切って担任にまかせるというのも一つの手なのです。
最後に子どもたちの行動を変容させるのに何が必要かを考えるようにお願いしました。この教材であれば子どもたちが食べ残しを減らさなければいけないと言うだけでなく、そのための行動を起こすようにするにはどんな要素が必要かということです。食材をつくるためにどれだけのお金と人の力が必要なのかといったことを示すことも一つの方法でしょう。そういったことを考えてほしいと思いました。

もう一つの授業は新規採用から3年目の栄養教諭の方で、先日初めて行った授業を再現してくれました。ほとんど経験のない中でのことで、随分緊張したことと思います。
授業は中学校の2年生を対象とした、自分の朝食のステップアップをしようというものでした。朝食の働きを確認した後、4人の中学生の食事を示します。「寝坊した子ども」「ゆっくり食べた子ども」「自分で用意した子ども」「食欲がなかった子ども」です。自分の食事がどれに近いかを選ばせて、朝食のステップアップを目指すというのがこの日の課題です。ステップアップと言っても具体的にはどういうことかわかりません。学力アップ、運動能力アップといったことを引き出そうとするのですが、どうしても授業者が主導でしゃべりすぎてしまいます。
例として挙げた4人の食事を6つの基礎食品群で分類させたあと、足りないものに気づかせます。基礎食品群の資料など考えるために必要な材料を示したりと、よく準備をしています。しかし、基本的に一問一答で進み、どうしても授業者が解説をしてしまいます。
グループごとに、4人の中から1人の子どもを指定して、それぞれの朝食がバランスよくなるようにするのが課題でした。
それぞれシチュエーションが違うので、そのことを意識することが大切ですが、食事のバランスをよくすることに意識が行っていました。本当は自分の食事をどうステップアップするのかを考えることをしたいのでしょうが、一人ひとり置かれている環境は様々なので、それをグループや全体で扱うのは問題があると考えて、このような形をとったのだと思います。よく考えています。だからこそ、その環境で意識すべきことは何かをまず明確にするとよかったと思います。「寝坊しやすい人はどのような工夫をすればバランスのよい食事ができるのだろうか?」「朝食欲のない時は?」といったことをまず子どもたちに考えさせてから、課題に取り組むのです。食事だけでなく、自分たちの生活を見直す機会にもなったと思います。
子どもが考えるためには根拠が必要です。課題を解決するためには見通しが必要です。こういった要素を意識して授業に組み込むことが大切です。根拠となる知識や事実を明確にして与えておけば、授業者が解説しなくても子どもたちの言葉をつないでいくことで、自分たちで気づくことができるのです。
とは言っても、経験の浅い方にそれを求めるのは酷です。TTであれば、担任に助けてもらいながら少しずつできるようにしていけばよいと思います。このような場に出て挑戦してくれたことをうれしく思います。今後経験を積んでいけば、大きく進歩していくことと期待します。

講演は、「食に関する授業の進め方のポイント」についてお話させていただきました。
授業の解説でも伝えましたが、子どもたちの食に関する行動をよい方向に変化させることが大切です。しかし、子ども心の変容を促すことはそれほど簡単なことではありません。実行できない阻害要因が何かを意識して、それを取り除くにはどうするかを考えることが必要です。
栄養教諭の授業は年に何度もあるわけではありません。1回の授業でどうしても多くのことを盛り込みたくなってしまいます。活動の内容をできるだけ絞り込むことが大切です。そのためには、課題がとても重要です。子どもたちが興味を持って活動するような課題でなければなりません。そのためには、子どもたちにとって取り組む必然性が求められます。「興味・関心」が持てるもの、あれっと「疑問」を持たせるもの、絵空事でない「リアリティ」のあるものであってほしいと思います。そして、その課題に取り組むことが目指す子どもたちの姿につながることが大切です。
また、作業と思考の区別も必要です。今行うとしている活動がどちらなのかをよく考えておくことが必要です。授業の時間配分は考えることを多くしたいものです。そして、考えるためには足場となる知識が必要です。この足場がない状態で考えろと言っても、子どもたちは困ってしまいます。事前に必要となる知識を整理して、効率的に与えることが大切です。
実際に授業をするにあたっては、担任とのコラボレーションが欠かせません。TTであれば、事前にある程度時間を取って打ち合わせをすることが必要です。まず一番に伝えたいのは、子どもたちにどうなってほしいかという「思い」です。そして、担任と目標とする「子どもの姿」をしっかり共有することが大切です。自分が中心とならなければいけないと気負ってしまいがちですが、できないことは担任に助けてもらえばよいと割り切ることも必要です。一人で頑張ろうとせずに、栄養教諭にしかできないことは何か考えてそこに集中することが大切です。
単独で授業をするのであれば、子どもの状況、学級の特性など、知りたい情報を事前に担任から聞いておくことが必要です。座席表などのコピーをもらっておいて指名の時に名前で呼べるようにしておくだけでも、ずいぶんと授業の進行が楽になります。
このようなことをお話させていただきました。

日ごろ見ることがない栄養教諭の授業を見る機会をいただけて、大変多くのことを学ぶことができました。このような機会を得られたことに感謝です。

道徳の模擬授業で考える(長文)

小学校の夏休みの現職教育で、道徳の授業研究のアドバイスを行いました。

この日の模擬授業の授業者は講師の先生でした。採用試験の2次試験がまだ終わっていないこの時期に、講師の方が研究授業を引き受けるというその意欲に感心しました。

この日の読み物資料は、お祭りに行った主人公が友だちと輪投げをやり、もう1回やろうと誘われて、サッカーボールを買おうと大切に貯めていたお金に手を付けるかどうか悩むというものです。
授業者は、資料を配り範読をします。落ち着いて読みますが顔が資料から上がりません。子ども役も下を向いてじっと資料を見たままです。少し間を取りながら、子どもたちの様子を見るようにするとよいでしょう。
資料を読み終ると、子どもたちに内容の確認をします。「おかあさんにお小遣い、いくらもらった?」と聞いて、一部の子どもたちから「1,500円」と声が上がるとすぐに板書をします。ここはテンポよく進めたいところですが、すぐに反応できない子どもは置いて行かれてしまいます。子どもたちをよく見て、参加できているかを確認することが必要です。
道徳は国語と違って読み取りをすることが目的ではありません。できるだけ早く内容を把握させて、その日の課題に取り組む時間を確保することが大切ですが、だからといって、内容把握を一部の子どもだけで進めていくのも違います。多くの先生が、資料を配らずに範読し、ポイントとなるところで立ち止まり、子どもたちに確認をし、必要なことを板書して残しておくというやり方をしています。子どもたちを集中させ、内容を素早く理解させたいからなのです。

授業者は、この後も「サッカーボールの値段はいくらだった?」と一問一答を繰り返しながら内容を確認していきます。お母さんから小遣いをもらって、貯めていたお金と合わせてサッカーボールを買える金額になった時の主人公の気持ちを問いかけます。淡々と進めるので、子ども役は客観的に意見を言います。ここは、本文の「ずーっと前からほしかった」「一年経ってやっとたまった」という言葉を強調して、お金を「大切にさいふにしまった」気持ちを考えさせるとよかったでしょう。「君たちならどう?主人公の気持ちわかる」と自分に引き寄せさせることをしてもよいでしょう。
授業者は子どもの発言を板書しようとしますが、指導案とホワイトボードを交互に見ているために、挙手している子ども役に気が付きません。この場面に限らず、子どもたちが参加できているか、どのような状態かを見ることを意識する必要がありました。
場面ごとにこのようなやり取りをしながら進みますが、短い資料にもかかわらず内容の確認が終わった時には授業開始から16分経っていました。

友だちにもう1回輪投げをやろうと誘われた時の主人公の気持ちを考えさせます。ここまで、内容確認で出た意見は受容して板書していましたが、子ども同士の考えをつないだり、揺さぶったりする場面がありません。子ども役からは積極的に考えようとする意欲が感じられませんでした。受け身の時間が続いているので、集中力を失くしてちょっと伏せる子ども役もいます。なかなかの名演技ですが、授業者にはそのことに気づく余裕はありません。
3人の子ども役の手が挙がると、すぐに授業者は指名します。「どうしよう、お祭りの分を使っちゃったのに」という発言の後に、「やりたいけどサッカーボールが買えなくなるから困ったな。でも友だちの誘いは断われないし困った」という意見が出ました。これは主人公の葛藤の要因をきちんと整理した意見です。この考えを全体で共有することが次につながっていきます。授業者はこの発言を「困ったな」の一言でまとめて、板書で整理しました。いつも授業者がすぐ板書してしまうと子どもは友だちの意見を聞かなくなり、考えることをしなくなります。授業者は「違う意見の人はありますか?」とたずねますが、だれも反応しません。「今、○○さんは困ったと言っていたけれど、何に困っていた?」と他の子どもに問い返し、2つの要因があることを子どもたち自身で整理させる必要がありました。

子ども役の先生方は集中力を失くした様子を見せますが、授業者は淡々と進めていきます。指導案を気にして確認する時間が多いため変な間ができ、テンポが悪くなっています。
「もし自分が主人公ならどうしますか?」というこの日の主発問をしますが、ここまでにすでに授業時間の半分近くを使ってしまいました。
ワークシートを配って名前を書かせます。「名前を書いたらこちらを見てください」と指示を出します。この授業で初めて子どもたちに授業者に注目することを求めました。続いて主人公だったらどうするかとワークシートを配る前と同じ説明を繰り返し、「前のこととかも考えて」と言葉を足しますます。「前のこと」とはどういうことかよくわかりません。それに続いて、自分の考えを書いたらグループの人と話し合うようにと指示をします。同じ説明はムダですし、さっき聞いたと集中力が落ちてしまいます。ワークシートにも書いてあるのであまり意味はありません。また、話し合うと言っても何を話し合えばいいのか、またその目的や目標もわかりません。不明確な指示です。まず5分あげるので、あなたが主人公だったらどうするか書いてくださいと指示をして作業を始めようとします。指示が個人とグループを行ったり来たりしています。個人でやること、そのあとグループでやることを明確にしてから、ワークシートを配り作業をさせるべきだったでしょう。

子ども役から「前のこと」とは何のことかと質問されます。よい指摘です。授業者はもう一度黒板を使って話の流れを確認します。最後に「前の時」にはというのは、今友達にもう一度誘われて困っているけれど、それより前の氷を食べた時や最初に輪投げをやった時などにどうすればよかったのかも考えてほしいということだと説明します。単純に、「ここまでにもいろいろどうしようかと思う時があったはずですが、その時も含めてあなたならどうするかを考えてください」と発問すればよかったと思います。質問した子ども役は「どうすればよかったということですか」とつぶやいて作業に入りました。
すぐに子ども役から、「どちらにしようか迷っている時はどうするの?」と質問があります。授業者は「両方とも書いてください」と言って作業が始まりました。「悩んでいるんだ。考えているね」と悩んでいることを価値付けしたいところでした。

作業中に「理由も書くんですか」と問いかけられます。授業者は「理由も書ける人は書いてください」と質問した子ども役に返しますが、全体にはきちんと伝わっていません。最初に指示すべきことでしたが、ここはいったん子どもの作業を止めて改めて指示する必要があったでしょう。頭を抱えてなかなか手が動かない子ども役がいます。授業者は全体を見ていないので、気づきません。机間指導しながら個別の手元を見ていて、なかなか顔を上げて見ることができませんでした。

どんな意見が出たか班でまとめて、小型のホワイトボードに書くように指示します。子ども役から「一つにまとめなくていいの?」と質問がでました。授業者は一つにまとめなくていいと答えましたが、班で「まとめて」という言葉はいろいろな意味に取れます。出た意見をいくつかに集約するという意味にも取れますし、ただ単にバラバラの意見を1枚にまとめて書くという意味にも取れます。出た考えを全部ホワイトボードに書くように指示すればよかったでしょう。しかし、そうするとグループでの話し合いの意味がよくわかりません。ただホワイトボードに書くための活動になってしまいます。
友だちの意見を聞いて、理由を聞くことも大切です。自分の意見とは違ってもなるほどと思った意見あれば、そのことも全体で知りたいところです。自分の意見を変えてもいいし、変えなくてももちろん問題ありません。その時考えたことを全体で共有するといったやり方もあったと思います。

面白い意見があったのか、テンションが上がるグループもあります。淡々と自分の考えを発表して進むグループもあります。授業者は個々のグループに張り付いて話を聞いていますが、やはり全体を見ることはできませんでした。

時間が来て黒板にホワイトボードを貼ります。貼り終わると1班から発表しますが、ちょっと疑問です。たくさんの意見が出た時に整理するためにホワイトボードは使います。この場合、まず書かれたものを見て多い意見、似た意見を、班にこだわらずに聞いていくとよかったでしょう。順番に発表すると何度も似た意見を聞くことになります。途中で嫌になる子どもも出てきます。時間を効率的に使うためにも、まずは全体の考えを把握することが必要です。
「ボールを買いたいから輪投げはしない」「お祭りで使えるお金は使ったと友だち伝えて断る」「今回もらったお金は臨時収入だから、また貯めればいい。輪投げをする」「輪投げは家へ帰ってから親とまた来てする」といった意見が出ます。冷静な意見が続きます。主人公の葛藤となった要素がきちんと子どもの中に落ちていないのです。
「やっとのことで買えるサッカーボール」「もう少しのところで取れなかった。今度やればとれるかもしれない」「断れば、つき合いの悪い奴だと思われてしまう」といった要素をきちんと整理して子どもに迫っておく必要がありました。

「とれるまでやる。取って売れば元は取れる」「あと1回だけやる。1回300円だからすぐに貯まる」といった意見も出ます。こういった意見に対して授業者は、確認はしますが、同じ考えの人、違う意見の人をつなぐことをしません。班での発表にこだわって、全部の班を発表させることを優先したのです。そのため、せっかく友だちの意見で子どもたちの中に起こった波紋が全体で考える時には消えてしまいます。順番に発表するというのは時と場合によるのです。
1回だけやると言っても、止まらなくなるかもしれないという意見もありました。こういった意見をつないでいくのが大切です。

授業者はもし輪投げをやるとしたらどこまでやるのかを問いかけます。1回の人、取れるまでの人と分かれます。授業者は財布の中にまだサッカーボールを買うための4,000円があることを確認して、再度とれるまでやるのかを問いかけました。4,000円使ってもソフトが取れれば、売ってサッカーボールを買えるという意見が出ます。授業者は「取れんかもしれんよ」と揺さぶりますが、コツがわかったから取れると思うという答が返ってきます。それに対して、サッカーボールを買うためにゲームソフト売るんだったら、今ある4,000円で確実に買った方がいいという意見が出ます。授業者は本当に欲しいものは何だったのと問いかけ、「サッカーボール」という答を子どもたちに言わせます。この時点でこの質問をするのは、意見を誘導しているように思います。

主人公は、本当はそんなに輪投げをしたくなかった。それなのに、友だちに言われたから困っている。断っても誘うようなら悪い友だちだという意見が出ます。自分だったらという視点ではなく、第三者の視点です。授業者はお金をどれくらいの期間かけて貯めたかを確認しますが、ここで確認しているようでは遅すぎます。最初の読み取りの段階でもっと押さえておくべきでしょう。ここで主人公の気持ちを押さえるということも、先ほどと同じく子どもたちの意見を誘導しているように思えます。

この主人公は何となくまわりに流されているから、もっと考えて行動するべきだという意見が出てきます。上から目線の人物評になっています。道徳のねらう子どもたちの心を揺さぶることからずれていっていますが、「今日はみんな、たくさん意見を考えてくれた」と返して、まとめに入ってしまいます。ここは、「主人公はそうかもしれないが、あなたならちゃんと考えて判断できそう?」と迫りたいところでした。
最後に、「今日はたくさんお金を持っていたけれど、限度を考えてお金を使うことを節度と言います」とまとめました。これでは、言葉の勉強になってしまいます。道徳として何をねらい、子どもたちにどんなことを考えてもらいたかったのかがよくわかりませんでした。

子どもたちに、「輪投げをしなかったら後悔する?」「輪投げをして、取れなかったら後悔する?」と、「後悔」をキーワードにしても面白かったかもしれません。どれが正しいということではないと思います。自分が後悔しないような判断をしていくことが大切です。どんな時に自分がやらなければよかったと後悔するのか。そうしないためには何をすればよいのかといったことに焦点化していくのです。

この後、先生方が子ども役を通じて感じたことや授業についてグループで話し合いました。子ども役をすることで、普段とは違った気づきがあったようでした。
私からは、この授業で子どもが自分に引き寄せることができていなかったのは、主人公の気持ちや葛藤の原因となったことを最初にきちんと押さえていなかったことや、子どもたちがただ意見を発表するだけで友だちの意見に揺さぶられたり、意見聞いて考えたことを焦点化したりする場面がなかったことに原因があることをお話ししました。
また、道徳の新しい指導要領をもとに、「議論する道徳」について少し事例を紹介させていただきました。

先生方が熱心に子ども役をやったからこそ、互いに学べることがたくさんあったように思いました。模擬授業のよさを改めて実感しました。私もよい学びの機会を得ることができました。ありがとうございます。

表現力を育てる授業を支えるものについて講演をする

夏休みに行った小学校の現職教育で講演です。

この学校では子どもたちの表現力を育てることを目標にしています。一学期に授業を見せていただいて、子どもたちの表現力を育てるための基本となるものも意識することが必要だと感じました。そこで、「表現力を育てる授業を支えるもの」という演題でお話をさせていただきました。

子どもたちの表現力の基本となるのは、「語彙力」だと思います。しかし、ただ辞書を調べて言葉を覚えるだけでは、表現力には結びつきません。生きた言葉に触れる必要があります。その言葉が使われるべき状況をつくり、時には前後関係から言葉の意味を類推するといった場面も必要になります。また、各教科で使われる「用語」と日常的な「言葉」を往き来できることも大切です。「大きい」という表現をきちんと「面積が大きい」「数が大きい」といった算数の用語で言い換えるといったことも必要になるのです。

表現力をつけるということは、子どもたちが出力することが大切になります。しゃべりなさい、書きなさいではなかなか出力することができません。まずは、子どもたちが安心して話せる環境をつくることが必要です。「安心・安全」な学級が基本です。
そのためには、まず先生が子どもの言葉をしっかりと聞いて受容することが大切です。子どもの発言をポジティブに評価し、何よりも発言してくれたことをうれしく思っていることを伝えることから始める必要があります。また、子どもが安心して話せるためには、正解を求めないことが大切です。正解を求められれば、自信がなければ発言できません。「間違い」と指摘されることは傷つくのです。子どもの考えを聞き、それがずれたものでも「なるほど」と受容し、間違いであれば子ども自身で気づいて修正できる場面をつくることが大切になります。
授業規律も「安心・安全」な学級の基本となるものです。学級のルールを明確にし、全員ができるまで待ち、できたことを認めてほめることで、子どもたちによい行動を広げていくようにしてほしいと思います。

子どもが発言するためには、授業に積極的に参加させることが大切です。子どもが「あれっ」「えっ」「どうして」と疑問を持つような課題を準備すると同時に、子どもが答えやすい、意見を言いやすい問いかけを用意することが重要です。
机間指導で都合のいい意見を見つけて発表させたり、挙手で指名したりでは、全員が参加することはなかなかできません。挙手を否定はしませんが、だれもが間違えることを気にせずに、安心して意見を言える状態であることが前提です。
子どもの様子を見て、「うなずいたね」「しっかり書いていたね」とポジティブに評価して、意見を言いやすくしましょう。子どもの反応、外化を見落とさない姿勢が大切です。
また、子どもたちが自分の考えを持てれば、意見言いたくなります。とはいえ、一度に発表できる子どもは一人です。できるだけ発言の機会を与えるためには、ペアやグループを活用することも必要になります。

また、子どもが表現する必然性のある課題であることや、表現する場面があることが重要になります。「根拠を問う」「説得する」「友だちの代わりに説明する」といったことを求めることを意識してほしいと思います。
最初から自分の言葉で立派に表現できるわけではありません。何事も模倣から始まります。子どもを指名したときに、「同じです」と答えることがよくありますが、「同じでいいから、あなたの口から聞かせて」と自分の言葉で発言させることが大切です。まったく同じ考えや表現はありません。違った表現や、言葉を足すことがあるはずです。その違いを評価することが必要です。また、友だちの考えを説明するといった活動も意味があります。他者の発言を理解し説明することで、考えが深まりますし、最初の発言者は、自分の考えを別の口から違った表現で聞くことで、新たな表現に出会うことができます。

発言に対して価値付けすることも重要になります。これは表現力に止まらず、子どもたちに育てたい力をつけるためにはとても大切なことです。表現力を育てるのであれば、発表の仕方や表現を「わかりやすい説明だったね」「 ○○という言い方がよかったね」と評価したり、「○○に注目したんだ」と着眼点のよさを取り上げたり、「比べてみたんだ」「○○を使ったんだ」といったメタな視点で価値付けしたりすることが必要です。
こういった価値付けは、子どもではできないので、最初は先生がすることになります。しかし、子どもたちが育ってくれば、「先生は今の発表をすごいと思ったんだけど、どこかわかる?」と想像させたり、「○○さんの考えをなるほど思った人?」「どこでそう思ったか教えて?」と子どもたちだけで評価し合う場面をつくったりすることができるようになります。

どの力でも同じですが、表現力をつけることを考えると特に全員参加が重要になります。積極的に参加して表現する場面がないと力はつかないからです。発表できる子どもを挙手で指名していては、一部の子どもしか参加することはできません。なかなか発言できない子どもを中心にして授業を組み立てることが必要です。
例えば、全員に発表させたいので、自分の考えを書き終るまで待っていても、時間切れになってしまう子どもが出てきます。そうなるとその子どもは発表する機会がなくなってしまいます。そういった子どもにも、発表や発言の機会をつくることが大切になります。なかなか作業が進まない子どもがいれば、早めにいったん作業をやめ、どこで困っているかを聞いて全体で共有、確認します。困っていることに対して、具体的にどうやったかという方法や手段をできている子どもたちから聞いたり、どうすればよいのかを全体で考えたりします。困っている子どもたちが見通しを持てたようであれば、再び作業をさせるのです。また、発表できない子どもでも、友だちの考えで「なるほど」と納得したことを発言させるようにすれば、表現力はついてきます。友だちの発言を言い直すことも立派な表現活動なのです。

この日うれしかったのが、通常よりも長い、3時間近くにも及んだ、私からの一方通行の話を、皆さんが最期まで集中して聞いてくださったことです。先生方の反応のよさに、ついついしゃべりすぎたのにもかかわらず、ありがたいことでした。
次回訪問時に授業者がどのような工夫をしてくれるのか、今からとても楽しみです。

企業と採用応募者のご縁を結ぶ

7月の終わりに、授業と学び研究所のフェローで企業の採用選考試験のお手伝いをさせていただきました。前回と同様の内容です。

今回も、前回以上に個性豊かな方がたくさん参加されました。選考を経てここまで残っている方たちなので、基本的な能力は高いと感じました。だからこそ、一人ひとりのよいところ、尖ったところを見たいと思います。

ここで行われるグループワークの課題はマニュアルや正解があるものではありません。自分たちで考え、試してみて、改善していくという地道な方法しかないものです。実際の仕事と同じような課程だからこそ、課題解決においてチーム内でどのような活躍してくれるのかが想像できます。積極的に自分の意見を話す方、逆に上手く相手の考えを引き出す方、じっくりと話を聞きながら自分の中で整理して活かす方といろいろですが、このタイプだからよい、悪いということではありません。チームでの仕事には多様性が大切です。一人ひとりの個性を見つけ、それをどのように活かせるかを考えながら皆さんの様子を見ています。

また、この課題は、この企業における仕事の一部を切り出してつくっています。応募者の方にこの企業に入ったらどのような仕事をすることになるのかを事前に体験していただけることを意識しています。応募者と企業、双方の視点で就職におけるミスマッチを防ぐのです。

今回も私たちフェローは、応募者のよいところをたくさん見つけ報告することができました。応募者と企業のよいご縁を結ぶお手伝いができたならば、こんなうれしいことはありません。

介護の研修で、仕事に対する世代間の視点の違いを感じる

介護職員の研修を行いました。7月は4年後の事業所とそこで働く自分の姿を考えてもらうものでした。

事業所の将来については施設の数が今より増え、新しい仲間が増えているという意見が大勢でした。そのことをよいことと思う反面、心配なことが増えるという方もいらっしゃいます。新し職員が増えることで、この会社のよさが薄まるのではないかというのです。確かにその通りです。今の自分たちの仕事の進め方や、心構えを新しい仲間に伝えることがどんどん大切になっていくことがわかります。

参加した若い層は、こういった状況を前向きにとらえてくれているように感じます。4年後には、自分が率先して新しい仲間に範を示すことや、新しい施設に移ってこの事業所のやり方を伝える立場になっていると考えています。介護について技術面だけでなく、コミュニケーションなど幅広く研鑽を積んでいこうという意欲を感じました。

一方、管理的な立場の中堅層の一部の反応は若い層とはちょっと違い、規模が大きくなることに対してあまり前向きにとらえていないように感じました。現在の状態で仕事を回していくことでも大変なので、規模が大きくなることで負担が増えることが心配なのです。現状で事業所を維持できているので、無理に大きくしなくてもよいという発想なのでしょう。介護の事業所の環境は今後それほどよい状況がつづくとは予想されません。規模をある程度大きくすることで職員の流動性を事業所間で高め、効率化を図る必要があります。管理的な立場の方であれば、自分の仕事のやり方を変えて質を高めることで環境の変化に対応することをぜひ考えてほしいと思いました。

また、子育ても終わり生活に余裕ができてきたベテランの方は、仕事と自分の人生のバランスを考えていたことが印象的でした。自分のできることはしっかりとやるが、あまり無理はせずに自分の趣味や生活も大切にしていきたいということです。この気持ちもよくわかります。

4年後の在り方を考えた時に、世代間で考えが異なっていることは仕方がありませんが、経営的な視点がどの世代でもあまり意識されていないことが気になりました。介護職の方に経営者的な視点を求めること自体が無理な要求なのかもしれませんが、こういった面も意識していただけることを考えなければいけないと思いました。

学校でも経営的な視点を持つことが課題となっています。カリキュラムマネジメントもその一つだと思います。管理職やミドルリーダーだけでなく、どの教員にとっても大切な視点ですが、育てるのはなかなか難しいことだと思います。

今後、各施設の事業計画の作成等を通じて、経営的な視点でも仕事をとらえていただけるようにしたいと思います。

先生方の取り組みの成果が形になり始める(長文)

夏休み前最後の訪問は、私立の中高等学校でした。

子どもたちがだれやすい時期のため、夏休みの課題を授業中にやらせている先生も目立ちました。以前はそうしないと授業が成り立たなかったのかもしれませんが、今はその必要がなさそうです。通常通りに進めている授業でも、子どもたちは普段と変わりなくよく集中していました。

先生方の授業に対する姿勢が変化したことが先か、子どもたちがよい状態になったことが先かはわかりませんが、授業改善と子どもたちの変化が相互によい影響を与えていると思います。子どもたちが落ち着かないと、どうしても力で押さえる授業が多くなり、その結果子どもたちに強い態度をとらない先生の授業にしわ寄せがくることもあります。そういう先生方のよい個性が活かせなくなるのですが、学校全体が子どもたちに受容的になってきたことで、先生方の個性に合わせた工夫が活かされやすくなってきたのです。先生方の工夫が子どもたちのよい姿となって返ってくるので、授業改善に対するエネルギーも高くなっていると感じました。授業を見てほしいという方や、私と一緒に子どもたちの様子を見たいという方の存在に、元気をいただいています。

高校1年の英語表現の授業では、授業者が子どもたちをほめることを意識していました。
全体での発音練習の場面では、「いいよ」「いいよ」と何度も声をかけることで子どもたちの声を大きくしようとしています。ちょっとしたことですが、こういった声かけがあると子どもたちの参加意欲が高まります。”bird”や”cord”の”r”の発音はなかなか難しいのですが、子どもたちがしっかりと発音できていたのには感心しました。
続いてワークシートの英文を読む練習をしますが、この後のグループでの活動では友だちに教える役割があるので、しっかりと練習するように伝えます。こういった役割を与えること、それを事前に伝えることで子どもたちの練習に対する意欲を高めます。個人で読む練習の時間をかなり取ってから、CDを聞きながら全員で読みます。続いて、CDなしで、子どもたちだけで読ませます。読む練習でこの自分たちだけで読むステップを省略する先生もいますが、このことには注意が必要だと思います。読むのではなく、聞いた音をそのまま繰り返している子どももいるからです。授業者は読む力をつけるためのステップを意識できていました。子どもたちはよく集中して参加していました。
ペアで読む練習をします。聞き手はしっかりと聞いて、相手がつまったりしたら助けるように指示します。聞き手の役割をしっかりと与えています。どちらが先に読み手になるかの指示も最初にします。この指示を省略すると、じゃんけんをしたりして意味なくテンションが上がったり、ムダな時間が増えてしまいます。こういったペア活動の基本がしっかりしていることには感心します。
子どもたちは素早く机を寄せて活動を始めますが、机が少し離れていることが気になりました。しかし、その理由はすぐにわかりました。子どもたちは椅子を回して正面で向き合うのですが、机をピッタリくっつけると距離が近くなりすぎるのです。向き合うための程よい距離を自然に調節しているのでした。体の大きい高校生だからなのですね。それでも離れすぎているペアには授業者がそばに行って近づくように手で指示をします。よく全体を見ていると思いました。子どもたちが身体を寄せ合って、大きな声で読んでいることが印象的でした。
この日は4人グループの練習にバディを取り入れていました。対話をするペアに対して、それぞれを助けるバディが1人ずつつくのです。この日初めてバディを使うので授業者は図を使って説明します。口頭だけで説明するよりもずっとわかりやすくなります。
テキストの登場人物の名前をグループの仲間の名前に置き換えて練習をしますが、それに伴い”she”と”he”が入れ替わったりします。ただ暗唱したり読んだりするよりも考えることが必要です。ちょっとしたことですが、よい工夫だと思います。
1グループで試しにやってみます。実際に見せることで何をすればよいのかよくわかります。子どもたちにわかりやすい指示がいたるところで意識されていました。
子どもたちが4人グループになってから、交代や時間についての説明をしました。早いグループは授業者が説明をする前に活動に取りかかっていました。子どもたちの意欲がしっかり高まっていただけに、ここで説明することは意欲をそぐことになります。グループにする前に説明しておきたかったところでした。
意欲的にやれているグループが多いのですが、一部のグループがうまく動けていません。与えられた時間内で何度もやるように指示はされているのですが、とりあえずやった後、動きが止まっているようでした。この活動の目標が設定されていないことが、子どもたちの意欲の継続しない原因の一つのように思います。
全体でいくつかのグループに発表させます。ちょっと子どもたちが騒がしくなったので、静かにするように注意をします。発表の説明の前に、それまでの活動を完全に止めておくことが必要だったと思います。また、騒がしくなった原因の一つに、聞く側の役割がはっきりしなかったことがあります。ただ聞きなさいでは、集中できないのです。よかったところを発表させるといった活動を組み込むとよかったでしょう。
この日初めての活動もあったため、子どもたちがうまく動けなかったところもありましたが、総じて子どもたちはよく頑張っていたように思います。授業者が基本をしっかり押さえていたこともあり、子どもたちのポテンシャルをかなり引き出せているように思いました。子どもたちが今後どのように伸びていくのか楽しみに思える授業でした。

この日は、何人かの先生とお話しする機会がありました。
物理の授業で、同じようなグループワークをしても、子どもの参加の仕方に学級差があることの相談を受けました。学級運営や子どもたちの集団としての個性も影響しますので、簡単に判断できることではありませんが、わからないところを友だちに聞けるようにすることが大切でしょう。子どもたちの様子を見て、思考が止まっている、どうしていいかわからなくなっているようであれば、まわりと相談するように働きかけることが必要です。また、友だちに聞いたということをポジティブに評価して、価値付けすることも大切です。

先生方が授業に工夫をすれば、必ず何かしらの疑問や課題が生まれてきます。それを一つひとつ解決していくことが授業をよくすることにつながります。まず、動き出すことが大切なのです。上手くいかなければ、また次の対応を考えればいいのです。
先生方一人ひとりの工夫が学校全体に広がって、この学校のメソッドとして定着していくことを願っています。

この学校独自のメソッドが生まれて定着しつつあるのが、英語科のGDMです。担当している先生から、具体的な成果が出てきていることを聞かせていただきました。
私がこの学校を訪問するようになった当時は、アクティブ・ラーニングに取り組み始めたばかりでした。子どもたちを何とか授業に参加させたい、寝てしまう子どもを一人でも減らしたい、そういう思いからグループワークを取り入れ始めていました。「何がポイントで、どこに注意をすればいいのか」「教師はどのようにかかわればいいのか」といったことも手探りの状態でした。訪問するたびに、「ここがうまくいかない」「次にどうすればいいのか」といった相談を受けました。一つひとつアドバイスをしながら、教室の様子の変化を見続けてきましたが、確実に子どもたちの姿は変わってきました。そこで、先生方にGDMという手法を紹介しました。先生方の目指す授業の参考になると思ったからです。参考として紹介することはしても、全面的に取り入れてもらうように働きかけるつもりはありませんでした。この方法を学校に取り入れるにあたっての先生方の負担が半端ないからです。実際の授業を見る機会を2回つくったところ、先生方がぜひ自分たちもやってみたい、挑戦したいと言ってくれました。大変なことはわかっていても、先生方はGDM導入に向かって動き始めたのです。自費で研究会に参加し、定期的な勉強会にも顔をだして、翌年度からの導入の準備を始めました。一人では到底続かなかったと思います。英語科の中にチームが生まれ、協力し合ったからこそ挑戦できたことだと思います。幸いにも、GDMの実践の第一人者が現役引退をきっかけに、全面的に協力してくれたことも大きな後押しになりました。先生方の熱意が伝わったのです。
昨年度の新1年生から全面導入が始まりました。毎時間の準備に多くの時間を割いています。子どもたちの反応に手ごたえを感じていましたが、思うようにはなかなかいきません。どうブラッシュアップしていくか、手探りの状態が続きます。「こんな大変な思いをしてまでやる意味があるのだろうか」といった疑問が何度も湧き上がったことだと思います。入門的な部分は既存の中学校での実践をもとにつくることができましたが、高校の内容については参考になるものがありません。オリジナルでの教材開発です。毎日の授業に間に合わせるだけでも大変なことだと思います。こうして実践を積んでも、本当に子どもたちの力がついているのかという不安はぬぐえません。評価もどのようにするのか試行錯誤を続け、試験の形を大きく変えました。絵を与えてその状況を英語で説明する、”situation”を自分の言葉で表現するといったものです。全く書けずに試験として成立しないのではないかという懸念がありましたが、子どもたちがその不安を解消してくれました。正面からしっかりと取り組んでくれたのです。点数もそこそこ取れていたようです。英語検定の2級では、今回から記述問題が取り入れられたそうですが、2年生で2級に合格した子どもたちは、記述はほぼ満点だったようです。これまでの取り組みの成果が目に見える形になってきました。先生方の不安が少しずつ自信へと変わってきました。それは、子どもたちの自信へとつながっていきます。
入学者募集のために、英語の授業での子どもたちの様子や成果を紹介する手書きのチラシも作成しました。子どもたちがどんな力をつけたのかがよくわかります。この学校のメソッドとして世間に誇れるものができつつあるのです。
GDMと直接関係のない英語の授業でも、この影響は出ているように思います。ある英語の授業では、授業者が説明している場面では子どもたちの反応は薄く、板書を写すことに意識が向いていましたが、授業者がGDMを意識して、英語の表わす”situation”を演じてみせると、一気に集中は上がりました。互いの工夫がよい形で影響し合っています。
英語科だけではありません。他の教科も日々工夫をしてこの学校のメソッドと言えるものができつつあります。各教科で英語と同様の紹介チラシをつくるという企画も上がっているようです。是非実現してほしいと思います。

広報の担当の先生とも話をしましたが、受け身で仕事をしている様子はかけらもありません。今自分たちの学校で起こっていることを多くの人に知らせたい。自分たちの学校のよさを、胸を張って伝えたい。そういう思いが行動に溢れています。自らの人脈を使って学校の今を伝えるラジオ番組も実現させました。公立学校では異動がついて回りますが、私立校ではそれはありません。自分たちの学校という意識が醸成されます。それがよい形で表れていました。

校内の研修のやり方も昨年と同様という発想がなくなりました。学校の現状に合わせて最適なものを考えようとしています。今年度は、先生方の授業公開を3日間行うことになりました。教科ごとに何人かの先生がテーマを決めて授業公開をし、教科を越えて互いに見合うのです。時間割変更をしないで多くの先生が授業を見られるように3日間とったのです。個々の先生の工夫を見あって学び合うよい機会になると思います。

先生方の授業改善の取り組みが広がり、それが成果として目に見えるものになってきています。この学校のこれからがとても楽しみです。

聞くことの価値付けを意識してほしい

昨日の日記の続きです。

授業研究は2年生の国語で、物語の好きなところとその理由を紹介するものでした。
机の上に何もない状態で授業を始めます。最初に、今学習している物語の題名、作者、翻訳者を全体で答えさせます。授業者は板書の準備をしながら答えさせるので、子どもたちの様子をしっかりと見ていません。子どもたちはとても大きな声を出しますが、声で状況を判断するのはちょっと危険です。大きな声を出す子どもの陰で、口を開かない子どももいるからです。発言を求める時は、子どもたちと目を合わせることを意識してほしいと思います。

授業者が「めあてを書きます」と言って板書の準備をすると、子どもたちは教科書とノートを机から出します。特に指示をしなくても動くのはよいのですが、すぐに準備をする子どもとまわりの様子に気づいてから動き始める子ども、その反応の速さはかなり違います。中には机の上に何もないままの子どももいます。素早くできている子どもをほめて、学級全体の動きを速める必要があります。

この日のめあて、「物語の大好きなところとそのわけを友だちに紹介しよう」を全体で読み上げ、続いて、物語の挿絵を黒板に貼って、どのような場面かを問いかけます。すぐに手が挙がるのですが、手の挙がらない子どもも目立ちます。特に机の上に何も出ていない子どもたちの手が上がっていないことが気になります。そういった子どもたちも、「いいです」のハンドサインは上げます。ハンドサインを使わずに、手の挙がらない子どもをもう一度指名して、答えさせたいところでした。
次の挿絵では、指名した子どもの発表に対して「いいです」とハンドサインが上がりますが、授業者は「だれと?」と返します。先ほどの子どもが答えると「いいです」とまた同じことの繰り返しです。次の挿絵では、指名した子どもの発言は少しずれていましたが、やはり「いいです」のハンドサインです。授業者が問い返すと、発言した子どもは戸惑っています。他の子どもが挙手をして答えると、先ほど発言した子どもも含めて「いいです」のハンドサインです。授業者は、「そうだね」と説明をして次に進みますが、これらの場面に違和感を持ってほしいと思います。「言葉が足りない、足そう」、「ちょっと違う、修正しよう」と子どもたちが考えず、無批判でハンドサインを出しつづけているのです。ハンドサインが形式化することで、子どもは友だちの発言に対して思考停止してしまっています。
また、挿絵を正しく読み取ることと読解は直接関係ありません。授業者は挿絵で物語の流れと場面を確認しようとしたのでしょうが、そうであれば記憶に頼るのではなく、教科書を開いて確認させることが必要です。挿絵の説明が正しいかどうかを授業者が判断するのではなく、子どもたち自身で根拠を持って判断させたいところです。

「大好きなところとそのわけを書きましょう」と机の上を筆箱だけにしてワークシートを配ります。どうしても本文を参照させずに考えさせたいようです。名前を書き終わった後、子どもたちの顔が上がるのを待ちます。きちんと全員の顔が上がるのを待って、実物投影機を使ってワークシートの使い方の指示をします。指示棒を使っているので、子どもたちの方をよく見ることができていました。
ワークシートには、「わたしの大すきなところは、……ところです。」「どうしてかというと、……からです。」と話型が示され、気持ちを表す言葉「やさしい、しんせつ、きれい、……」がたくさん例として挙げられています。授業者は空欄に何を書くのかを説明します。こうすることで、穴を埋めで文をつくることはできますが、なぜそのような形がよいのか、根拠はどのように示すとよいのかといった工夫を意識することはありません。
この活動の目標も示されませんでした。ただ与えられた形式に従って自分の感想を書くだけでは、本文の読み取りも、相手に伝えるための工夫も必要ありません。また、めあての「友だちに紹介しよう」だけでは、具体的にどのようなことをするのか見通しが持てません。隣同士で聞き合うという次の活動の見通しを与えることで、友だちに「なるほど」と思ってもらえるために、どのようなことを工夫するのかといったことを意識させることができます。
過去に経験した伝え合う活動で、どのようなことを工夫したか思い出させ、そのことを根拠にして、ワークシートの形式を説明するとよかったと思います。

早くできたら、最後に主人公に言いたいことを書くように指示をしました。活動する前にこういう指示をしておくのはとてもよいことです。指示の仕方や子どもの活動をコントロールすることが意識されていました。

ワークシートの空欄に何を書くのかの説明はしたのですが、それが形として残っていません。ワークシートにポイントや具体例を書き込んで、わからなくなった子どもがディスプレイを見て確認できるようにしておくとよかったかもしれません。
子どもたちは鉛筆を持つのですが、すぐには手が動きません。大好きなところを書けても、その理由を書けない子どもが目立ちます。本文を見ることがないので、手がかりがないのでしょう。授業者は机間指導しながら個別に指導していますが、子どもたちの集中力が落ちていきます。書いては消している子ども、書き終ったのか、それとも行き詰まっているのかごそごそしている子どもが目立ってきます。全体に何が起こっているのかを把握することが大切です。
10分が経って、「まだ時間がほしい人?」と確認します。3/4ほどの子どもが手を挙げますが、そのうちかなりの数は手が動いていない子どもです。まわりに流されて手を挙げたのか、行き詰まっていたのかわかりませんが、ここで時間を与えてもあまり状況は改善されないように思います。もっと早い段階で、手が止まっている子どもがどこで困っているのかを全体で共有し、どうすればばよいのかを確認すべきだったと思います。

「いきなり発表は難しいので、お隣さんと対話をします」とペアで聞き合わせます。聞いたら、「こんなところがよかったよ」と感想を言うように指示しますが、何がよいのか「よかったところ」の視点がはっきりしません。この文をつくる時に、目標や評価の基準が与えられているわけでもありませんので、この状況で、感想を言うことはそれほど簡単なことではないように思います。
子どもたちに向かい合うように指示しますが、動きが鈍いことからも、この活動に対する意欲が低いことがわかります。聞く側の子どもが自分のワークシートを持って見ていることが気になります。自分が話すことに意識が行って、友だちの話を聞こうとしていないのです。中には、ちゃんと聞かずに手遊びをしている子どももいます。感想をちゃんと言えているペアはあまり見当たりませんでした。交代すると、聞く側の子どもはもう自分が話し終わったので、ワークシートは手に持っていません。しかし、先ほど以上に手遊びをしている子どもが目立ちました。
全体での発表やハンドサインも含めて、聞くことに対する価値づけがなされていないことが、この状態の原因でしょう。いろいろな場面で友だちの話を聞き、理解することを求め、価値付けしていくことが大切です。

「隣に話せて自信が持てたと思うので、全体で話をしてもらいます」と伝え、手元にあるハートマークを好きな場面の挿絵のところに貼ってから、前で発表させます。
1/3ほどが挙手し、授業者が指名した子どもが発表します。せっかくペアで聞き合ったのですから、ペアの子どもにどこがよかったからと推薦してもらうといったことをしたいところです。聞くこと、聞いてもらうことに価値を与えるのです。
発表者は、発表の後、質問や感想はありませんかとたずねますが、子どもたちは「うーん」とうなるだけで、発言はありません。感想といっても、どのようなことを言えばいいのか視点が育っていないのです。授業者が「上手なところ教えて?」と聞きます。しばらくすると「話し方が上手」といったつぶやきと共に、数人挙手します。発表者が指名した子どもは、「意味がよくわかった」と答えます。授業者が「何の意味?」と問い返して子どもが答えると、それで終わりました。同じように思った子どもをつないだり、どのような表現があったからよかったという価値付けしたりすることはありませんでした。よいところを言ってくれた子どもを評価することや、発表者が評価されたことを価値付けすることが必要です。子どもの中に評価の視点が育っていませんから、授業者自身がほめることで、視点を与えることも必要です。
続いて挙手する子どもは一人に減ってしまいました。問い返されるだけで評価されなかったことが原因かもしれません。指名されて意見を言っても、声が小さいこともあり、他の子どもたちは聞いていません。そのまま何のコメントもなく最初の発表は終わりました。
この後も挙手で進んで行きますが、発表する子どもは自信のある子ども、得意な子どもが多いように見えます。どうやってそうでない子どもを参加させるかを考えることが必要です。
子どもたちに質問や感想を求めても、なかなか意見が出ません。声をほめる意見が出てからは、「声が大きい」「声がきれい」といったことばかりになりました。

最後にまだ発表していな子ども全員にハートマークを貼らせます。授業者は、「同じ場面で書いた人の発表を聞いて、自分と同じだったり、違ったりということがあったと思うけれど、感想を聞かせて?」と問いかけます。しかし、その感想を聞いても、その子どもの考えを聞いたわけではないし、前での発表もしっかりと覚えていな可能性が高いので、理解することは難しいと思います。
発表があった後、すぐに同じ場面を取り上げた子どもに感想を聞くとよかったと思います。より多くの子どもに参加をうながせますし、比較することで、授業者がねらう、同じ場面でも感じ方がいろいろであることに気づいて、考えを深めることができたと思います。

授業検討では、学年ごとのグループで話し合って、発表してもらいました。それぞれが異なった視点で意見が出てきたことが印象的でした。それでも、多くのグループから共通して出てきたのが、この活動の目標は何だったかということでした。このことが明確になっていないため、評価もはっきりせずに、活動中心の授業になっていたのだと思います。

この日も若手を中心とした懇談会が開かれました。
一人ひとりの授業について簡単にコメントをしましたが、誰もが他人事と考えずに、我が事としてしっかりと聞いてくれました。互いの授業から学び合うことのよさをわかっていただければ、仲間が多いだけに大きく進歩することが期待できると思います。
次回の訪問が楽しみです。

考えさせたいことに時間を使う

前回の日記の続きです。

1年生の国語の授業は、5W1Hを意識して文をつくる場面でした。
子どもたちは発言意欲が旺盛です。「楽しかったことを思い出してみて」と言うと、口々にしゃべり始めます。授業者はしばらく子どもたちの様子を見ていましたが、落ち着いてきたのを見て、「先生は……」と自分のことを例に話し始めます。子どもたちは思い思いの姿勢で話を聞いています。背筋が伸びた姿勢ではないのですが、聞こうという意志を感じます。これはこれで、なかなかよいと思いました。話し終わると子どもたちが一斉に拍手をします。この学級では発言に対して拍手をすることがルールになっているようです。
続いて順番に全員発言させます。ほとんどの子どもたちは発言者の方を向くことができています。こういった授業規律もしっかりしています。授業者は一部の集中できない子どものそばに立って進行します。なかなかよい対応だと思います。授業者は簡単にコメントをして次に進むのですが、発言が終わるたびに拍手が起きるため、子どもたちにはよく聞こえていなかったように思えます。形式的な拍手がちょっとじゃまに感じました。最後の方になると、授業者のコメントもなくなり、子どもたちの集中力が落ちてきました。「時間がないので、今回は拍手をしなくてよい」と拍手は省略して、その代り、簡単な評価だけは一言ずつ全員にするとよかったでしょう。また、全員に発言させると単調で、だれやすくなるので、意図的にテンポアップを図るようにするとよいでしょう。
最後の方で、うまく話せない子どもがいました。授業者はとばして次に進みますが、その子どものそばにずっと座っていました。最後にもう一度、声をかけると発言してくれました。なかなか粘り強い対応でした。
授業者は「みんな楽しかったことを発表してくれたけど、先生、もっと詳しく知りたいな」と語りかけます。「知りたいな」という言葉で、子どもたちの意欲を高めます。「いつ」「どこで」と間を空けながら問いかけると、子どもたちから「何をした」と言葉が返ってきます。授業者が板書をしようと黒板に向くと、「いつ」「どこで」「だれと」といった声が上がってきます。なかなかよい反応なのですが、つぶやいているのは一部のテンションが上がっている子どもです。中には身を乗り出して声を出す子どももいます。ここはいったん、しゃべるのをやめさせて、全体の場で共有することが必要だと思いました。
「いつ」「どこで」「だれと」「何をして」「どう思った」と板書して、「もう一つ、今回は絵を描いてもらいます」と次の作業の説明をします。それを聞いて、一部の子どものテンションがまた上がります。テンションの上がりやすい子どもがこの学級には多いようです。
「教科書にお手本が載っています」と教科書を開かせます。子どもたちはすぐに行動しますが、その間多くの子どもが何かしらしゃべっています。しかし、授業者が「心の中で読んで」と指示をすると、落ち着いて指示に従います。子どもたちのコントロールができていることに感心しました。つぶやくことで上手くエネルギーを発散できているのかもしれません。ただ、学級全体が落ち着かない状態になる危険性があるので注意が必要です。「いいこと言ってくれたね」とつぶやいた子どもを指名し、全体に対してきちんと発言し直させることで、話を聞く雰囲気をつくるとよいでしょう。また、発言する子どもではなく、聞いている子ども評価するようにすると落ち着いてくると思いました。

6年生は町の紹介をするパンフレットについての国語の授業でした。
子どもたちはグループの形になって、町を紹介するいろいろなパンフレットを見て特徴や工夫を考えていました。個別にノートにまとめていますが、パンフレットを交換する以外あまりかかわっていません。目標が、子ども同士がかかわり合う必然性のあるものになっていない可能性があります。自分たちがパンフレットつくる時の参考にするのでしょうが、パンフレットがだれに対して、どのようなねらいなのかを意識しないと、ただ気づいたことをまとめるだけになってしまいます。
グループの状態から元の座席に戻して、全体で発表します。構成について気づいたことから指名して発表させます。挙手は数人です。構成について書いた子どもがそれだけ少ないのでしょうか。ちょっと気になります。こういう場面では、まず、何ついて書いたのかの情報を先につかむようにするとよいでしょう。「○○について書いた人?」「多いね」「△△は?」「意外と少ないね」というように、項目ごとにどのくらいの子どもが考えを書いたかを把握しておくと、指名することや子ども同士をつなぐことがしやすくなります。
子どもの発表を板書してから、実物投影機でそのパンフレットを映して授業者が説明します。時間の関係もあるのでしょうが、子どもに説明させたいところです。子どもたちは説明を聞く前にすぐに板書を写します。友だちの考えを理解することよりも写すことを優先しているように見えました。
折り方についての発言がありました。他の折り方がなかったかとつなぎます。「3つ折り」「4つ折り」に続いて、「なんかこういうの」という発言が出てきます。細長く折ってあるのです。授業者は、「こういうのだった人?」と発言者にパンフレットを全体に対して見せるように指示します。先ほどまではあまり反応しなかった子どもたちが、一気に体の向きを変えます。いろいろな折り方があることを共有して、「折り方だけでもこれだけいろいろある」とまとめて続きに進みます。
表現の工夫について、「わかりやすいように写真が載っている」という意見がでます。授業者は「写真が載っているパンフレットを見た人?」とつなぎます。ほとんどの子どもの手が挙がります。「文字だけのパンフレットしか見ませんでしたという人?」と続けて聞きますが、もちろん誰も手を挙げません。「どのパンフレットにも写真が使ってある」とまとめ、「何で写真が使ってあるんでしょう?」と問い返します。これまでは工夫について理由は聞きませんでしたが、ここで初めて聞きました。しかし、発表者は「わかりやすいように」と理由を言っています。無視されたように思うかもしれません。
子どもたちは、先ほどの作業中には理由を考えていません。すぐに手が挙がる子どもは半分もいません。多くの先生は、作業に時間を使い、考える場面ではすぐに答を求める傾向があります。この時間の比率を変えることが必要です。
最初に指名された子どもの発言は、「言葉ではわかりにくいものを説明しやすくする」と先ほどの子どもの理由と同じような内容です。すぐに「いいです」とハンドサインが上がります。「他には?」と他の意見を求めると、一人の子どもの手が挙がります。「文で表わせないものを……」という意見に対して、ハンドサインはほとんど上がりません。理解するのに時間がかかっているのでしょう。授業者は「どちらもあるね」と板書しますが、ここは子どもたちが理解する時間を取りたいところでした。授業者が「どちらもある」と結論を板書するのではなく、子どもたち同士で納得させるようにしたいものです。
写真を載せる理由はそれほど難しくはないでしょうが、先ほどのパンフレットの折り方などは、その理由をしっかりと考えさせたいところでした。折り方は利用される場面を意識して決められています。歩きながでも見やすくするのか、全体を把握しやすくするのかといったことを考えることは、パンフレットを実際につくる時にとても大切な視点を与えてくれます。こういったことをグループで考えさせることが必要でした。また、子どもたちのパンフレットはグループによっても違います。それぞれのパンフレットのねらいと工夫を関連づけてグループごとに発表させて、共通な点と異なる点について比較してみても面白かったでしょう。
あらかじめ自分たちのつくるパンフレットのねらいが明確であれば「どの特徴や工夫が参考になるのか」ということをグループごとに話し合わせてもよかったかもしれません。
子どもたちに何を考えさせるのかを明確にし、そこに時間を使うように授業を組み立てほしいと思います。

この続きは明日の日記で。

算数の授業で子どもが考える場面について考える

前回の日記の続きです。

5年生の算数の少人数の授業は作図する場面でした。
実物投影機を使いながら授業者が線分を引く、コンパスを使って円を描くといった作業を一つひとつ指示していきます。作業を止めずに作図の様子を見せるのですが、子どもたちは作業を続けていて顔が上がりません。授業者も自分の手元を見ているので子どもたちの様子に気が付かないのです。立っていては描きづらいので、最後は椅子に座って書きながらしゃべります。「大事なのは……」と話しますが、子どもたちの顔は上がらないままでした。
子どもは指示に従って図を描いていますが、なぜこの順番に作業をするのかといったことを考えていません。作図の順番には意味があります。どういう順番で描くのか見通しを持つことが必要です。指示に従って描くだけでは何も考えることはありません。
活動場面でのポイントを押さえ、子どもたちに何を考えさせたいのかを明確にして授業を組み立てることが必要です。

4年生の算数の授業は少人数での、小数の大小を考える場面でした。
個人作業で問題を解いた後、子どもたちが姿勢を正します。「姿勢で教えてくれてますね。ありがとう」と子どもたちをほめますが、黒板に向かって歩きながらで、体は子どもたち向いていません。当然視線は子どもたちに落ちません。残念ながらこれでは子どもたちに「ありがとう」の気持ちは伝わりませんので、当然子どもたちの表情は動きません。こういう形で「ありがとう」を使うと、「ありがとう」が形式的なものになってしまうことに注意をしてほしいと思います。「固有名詞」で、その「子どもと目を合わせ」て、具体的に「何がよいのか」を伝えて、「笑顔」でほめることが大切です。
3.64と3.619のどちらが大きかったかを問いかけます。半分くらいの子どもの手が挙がります。授業者は「手を挙げてくれた人、ありがとう」「みんなで……」と体を使って不等号を示すように指示します。「ありがとう」はよいのですが、次の言葉との間に間がありません。「ありがとう」の言葉が流れてしまいました。残念でした。
子どもたちは体を使って不等号の向きを示しますが、ちょっと遅れる子どももいます。授業者は、全員が同じ方向になったのを見て「大正解」と言います。正解かどうかを判断するのは授業者です。子どもたち自身で根拠を持って正解と言い切りたいところでした。続いて、「何でかというと」と、授業者が説明を始めてしまいました。本当に全員が正解だったのかもよくわかりません。子どもたち自身で説明できることを求めたいところです。
授業者は「まず一番上の位、この3と3、一緒ですか?」と問いかけます。何が一緒なのでしょうか。3という数が一緒なのか、それぞれの数の一番上の位が一緒なのか、はっきりしません。見て当たり前なのかもしれませんが、それぞれの一番上の位が同じ位であることを確認したいところです。こういった細かいところにも、神経を使ってほしいと思いました。
続いて規則的に並んでいる小数の空欄を埋める問題です。授業者はデジタル教科書を使って「5.22」「5.23」と問題を示しながら子どもたち問いかけます。子どもたちはよく集中して見ています。数を読み上げて、すぐに、ここに何が入るかを聞きます。難しいと授業者は言っているのですが、その割には考える時間を与えません。すぐに挙手した5、6人の中から指名をします。その子どもが正解を言うと、賛成とハンドサインが上がりますが、全員ではありません。正解した子どもに理由を説明させます。「0.01ずつ増えている」という説明に、賛成のハンドサインが上がりますが、先ほどより減っています。先ほど賛成といった子どもたちは、本当に納得してハンドサインを出していたのか、ちょっと疑問です。手の挙がらない子どもが気になります。授業者はすぐに別の子どもを指名すると、「5.22、5.23、5.24ときたら、この次に何が入る」と問いかけます。指名された子どものまわりは、体の向きを変えてその子どもを見ます。残りは、授業者とディスプレイを見ていました。問題の答を自分で考えている子どもは、ディスプレイを見ようとするでしょうし、友だちの答が気になる子どもは、体の向きをかえて発表者を見ると思います。面白い光景ですが、授業者はどうあってほしかったのでしょうか。授業者は、「0.01ずつ増えていると○○さんが言ってくれた」と説明を付け加えます。その説明を聞いて正解すると、賛成とまたハンドサインが上がります。「みんな手が挙がってますね。すばらしい」と評価しますが、手の挙がっていない子どももいました。このことに気づいてほしいと思います。
子どもたちが正解を知ることではなく、自分で納得するための場面を用意することが必要です。自分自身で納得するためには、考えたり振り返ったりする時間が必要なのですが、ハンドサインでそれらをすべて省略してしまっていました。

3年生の算数の授業は、1の位が0の時、10で割るとどうなるかの説明の場面でした。
授業者は解答を板書しながら、時々説明をしますが、子どもたちの顔は上がりません。子どもたちは板書を写すことで手一杯です。授業者もそのことが気にならないようです。聞いてもらいたい内容なのでしょうか。こういうことが続くと、子どもたちは授業者の話しは聞かなくていいと思うようになってきます。このことを注意してほしいと思います。板書を優先してもよいと思うのであれば、子どもが写している間はしゃべるのを我慢すべきです。
次の問題の指示をしている時も子どもたちの顔は上がりません。というか、指示の途中で問題を解き始めている子どもがたくさんいます。指示が終わった時には問題を解き終っている子どももいます。「できました」と声を上げますが、授業者は個人指導をしていて、次の指示がありません。子どもたちはそのままじっとしています。とてももったいないと思いました。できた子どもへの指示はきちんとしておく必要があります。
「380÷10はゼロをいくつとればいいですか?」と問いかけて、挙手させます。子どもたちは、0をいくつとるかの問題を解いていると思うかもしれません。定着の場面なので、結論を使って問題を解くこともいいのですが、まずは「380÷10はいくつですか?」と問いかけて、それからどのように計算したかを聞き、その理由を確認するということをていねいにやりたいところでした。
授業者は子どもをほめることを意識しています。「手の挙げ方、きれいですね。○○さん」と指名します。しかし、誰のことかわからない内に指名され、気づいた時はもう立ち上がっています。これでは、せっかく子どもたちによい行動を広げたくても、その行動を共有することができません。「ああ、○○さんの手の挙げ方きれいだね」と間を取り、子どもたちがその子どもを見るのを確認してから、指名したいところでした。ほめ方にもちょっとした技術があるのです。
授業者は「380の0をいくつとったのですか?」と子どもたち問いかけます。「0を1つとった」という答に「0を1つとって38になった」と手順だけを確認して次の問題に進みます。380からとれる0は1つだけです。他の答はあり得ません。そんなことより、なぜ0を「1つ」とれるのかの説明をしっかりと子どもにさせる必要があります。
教科感の問題ですが、算数は手順を覚えて問題を解ければよい教科ではないことを意識してほしいと思います。

この続きは、次回の日記で。

子どもの動きをコントロールする

小学校で授業アドバイスを行いました。この日は今年度2度目の訪問です。若手を中心に授業を見せていただいた後、授業研究に参加しました。

3年生の国語の授業は、登場人物(動物)の気持ちを想像してなんと言ったかを想像する場面でした。
教科書、ノートの準備を指示します。授業者は子どもたちの様子をよく見ています。「はい、いいですね」と声をかけますが、これだけでした。「だれの」「何が」いいのかを明確にして、複数の子どもをほめるようにするとよい行動が広がります。
子どもの準備が終わると授業者は話し始めますが、子どもの視線は定まりません。授業者が話し始めれば自然にそちらを見るようには、まだ育っていないようです。話し始める前に一言こちらを見るようにうながすとよいでしょう。
前時の復習で、登場人物(動物)の確認を行います。子どもたちは「はい」「はい」と元気よく挙手をします。指名されたいという意欲を感じます。登場人物は複数なので、一人指名されても、まだチャンスはあります。すぐに挙手できるように身構えています。友だちの発言が終わると、授業者が話しているのに大きな声で「はい」と挙手します。これはあまりよいことではありません。きちんと話を聞くことを優先させるようにすることが大切です。日ごろから子どもの発言を「どう?」「なるほどと思った?」「もう一度○○さんの考えを説明してくれるかな?」とつなぐようにすると、子どもたちは友だちの考えや授業者の言葉を大切にするようになると思います。
全部出た後、ノートで確認をさせます。「ノートにも書いてあるんだけれど、動物が出てくるときに何か前触れがあった」と問いかけます。ここでも「はい」「はい」と勢いよく手が挙がりますが、それほど多くはありません。このことに注意する必要があります。ノートに書いてあることですから全員言えるはずです。それにもかかわらず手が挙がらない子どもが多いのは、すぐに見つけられなかったからでしょうか、それとも発言したくなかったからでしょうか。前者であれば、もう少し探す時間を与えたいところです。後者であれば、隣同士で確認するといったことをするとよいでしょう。
授業者は場面ごとに確認の説明を簡単にしていきますが、その間手元のノートを見て子どもたちをあまり見ません。授業者を見ている子どももいれば、ノートで確認している子どももいます。授業者はどちらを望んでいたのでしょうか。せっかくノートを開いているのですから、子ども自身に確認させるという方法もあったと思います。
「とらのすけがなんて言いたいのか、ぼくにはよくわかった」という場面で、「とらのすけがなんて言いたかった」を考えることが、ここでの課題です。
子どもたちは、鉛筆を持ったまま手が動きません。考えている証拠です。問題は子どもたちが手がかりをどこに求めるかです。しばらくすると鉛筆を持つ手が動く子どもと集中力が切れて手遊びする子どもに分かれてきました。
授業者は、机間指導をしながら、「他のページを見ていいですかという質問がありましたが、いいですよ」と小さな声で伝えます。子どもたちの集中を乱したくないのかもしれませんが、これが大切な情報であればいったん作業を止めて全体にきちんと伝えることが必要です。全体に伝える必要がないのであれば、質問した本人だけに答えればよいのです。
教科書の本文を探している子どももいれば、何も見ずに書いている子どももいます。全く手のつかない子どもがいます。手のついていない子どもの一人に授業者が個人指導をして移動すると、その子どもの手がまた止まるという場面がありました。声かけが有効ではなかったようです。事前に、子どもたちの手が動かない時にどのような働きかけが必要なのかを考えておくことが必要です。想像であっても妄想ではないので合理的な根拠が必要です。その根拠をどこに求めるのか、子どもたちに見通しを持たせておくことが必要な場面でした。
授業者は、予定の時間になっても書けていない子どもが多いので1分間延長しましたが、あまり意味はありません。子どもたちが困っているとわかった時点で一度作業を止め、全体で困っていることを確認することが必要でした。どうすればよいのか、どこに注目するのかといったことを共有して、見通しを持たせてから再度取り組ませるとよかったでしょう。

5年生の体育の授業は水泳でした。水泳ですので、TTの形で授業が行われています。
子どもたちが隣り合う2辺のプールサイドに分かれて準備運動を行います。体育の係が別の辺のプールサイドでT1の先生と一緒に見本を示します。他の授業者は子どもたちの中に埋もれています。見本を見せている授業者も含めて、子どもたちの様子をしっかり見ていません。中には準備運動を適当にやっている子どももいます。水泳では特に準備運動をしっかりしていないと、大変な事故につながります。授業では先生方が見ているからよいかもしれませんが、個人で泳ぎに行く時などを考えると、きちんと準備運動をする習慣をつけさせたいところです。このことを意識して指導してほしいと思います。
準備運動を終わって子どもたちがシャワーを浴びるために移動します。T1の先生は離れています。T2の先生が先頭の様子を見る必要がありますが、子どもたちの中に埋もれたまま一緒に移動します。シャワーを浴びることはわかっているのですから、事前に移動している必要があります。TTでの指導のポイントがわかっていないのが残念です。
子どもたちはプールのふちに腰かけて体に水をかけて準備をします。T1は反対側から指示を出します。距離があるので、笛を使って注意を喚起し、指示の徹底を図っています。距離がある時など、笛を使うのはよい方法です。しかし離れているために、子どもたちの細かい様子を見ることはできません。この位置取りで活動を開始する必要があったのか考えてみる必要あります。この後の活動はプールのふちに沿って歩くことでした。スタート時に授業者がプールの中にいてもじゃまにはなりません。であれば、T2にはプールのふちで様子を見てもらい、自分はプールの中に入って子どもたちがよく見える位置で指示をするという選択肢もあったと思います。
プールのふちに沿って歩く子どもたちの様子がバラバラなのが気になりました。プールのふちの段差の上を歩いている子どもがいます。足を滑らせれば、危険です。友だちと水をかけ合ってふざけている子どももいます。勝手に泳いでいる子ども、友だちの背中に乗って遊んでいる子ども、ピョンピョン跳ねながら歩いている子ども、本当にいろいろです。この場面は何のための活動だったのかが気になります。水に慣れるためなのであまりうるさく言う必要はないと思ったのでしょうか。楽しく取り組ませるために好きにさせたかったのでしょうか。例えそうであっても、押さえるべきポイントはきちんと押さえておかないと、水泳だけに事故の心配があります。子どもを見ることと動きをコントロールすることを忘れずにいてほしいと思います。

この続きは、次回の日記で。

「学校の総合マネジメント力強化に関する調査研究事業」の報告会に参加

文部科学省の「学校の総合マネジメント力強化に関する調査研究事業」で審査員を何年か務めさせていただいています。先日、昨年度の調査研究事業の報告会が開かれ、それに参加することができました。審査させていただいた調査研究事業がどのようなものになったのかとても興味がありました。報告を聞いて学ぶことや考えることがいろいろとあり、このような機会をいただけたことに感謝します。
報告の簡単な紹介と感想は以下の通りです。

・「学校事務職員の研修プログラムモデル及びテキスト開発」
これはチーム学校に向けて学校事務職員に求められる力を高めるための研修プログラムを開発するというものです。基本的にケーススタディをもとにつくられたシチュエーションでどのようにすればよいのかをグループワークやロールプレイを通じて考えるというものです。感心したのが、とてもリアルなシチュエーションが設定されていることでした。おそらく全国の事務職員から具体的な事例をたくさん集め、それをもとにつくったのでしょう。とてもよくできていると思いました。逆に、よくできているからこそ、研修参加者から出てきた意見や考えを焦点化したり価値付けしたりするという、ファシリテーターの役割が重要なってきます。テキストが充実しているので、ファシリテーターに、より高度な力が求められてくるということです。誰が研修でその役割を行うかにもよるのですが、ファシリテーターの育成をどうするのかが次の課題だと思います。具体的にこのテキストを使って実践しながら必要なノウハウを貯めていってほしいと思いました。

・「スクールアナリスト、学校改善パートナー等の在り方等の調査研究」
学校の状況を把握・分析するための要因と手立てを調査研究して学校に指導助言できる「スクールアナリスト」「学校改善パートナー」といった者の在り方を考えるというものです。学校評価改善のために、どのような仕組み、人材が必要か、その人材育成をどうするのかについての調査研究でした。
スクールアナリストや学校改善パートナーといった人材がいるだけではうまく機能せず、学校の当事者意識が大切であるという報告は、まったくその通りです。しかし、ある意味当たり前のことでもあります。
現場がどのような人材をスクールアナリストや学校改善パートナーにと考えているかについても調査されていました。教育員会の指導主事や地域と学校を知る退職校長といった答を聞いても今一つピンときません。経験や役職も重要な要素ですが、他にもこういった仕事をするためのスキルが必要なると思います。こういう人材が本当に求められているのならば、そのようなスキルを明確にして、養成する方法も今後考えていく必要があるだろうと思いました。

・「総合マネジメント力強化に向けたコミュニティ・スクールの在り方に関する調査研究」
コミュニティ・スクールに関するさまざまな視点での調査は、資料として価値のあるものだと思います。コミュニティ・スクールの実態がこの資料から見えてきます。外野からすると校長が学校運営協議会とのやり取りに苦労するといった姿が浮かぶのですが、意外とそうではないということがデータから見てとることができます。
この調査の結果からはコミュニティ・スクールのよさやメリットを感じることができます。この調査研究の目的とはずれますが、コミュニティ・スクールを拡充することを考えると、そのよさをアピールするだけでは、もう一歩足を踏み出せないように思います。そこに至るまでに乗り越えなければいけない要素としてどんなものがあり、どのように解決していくのかといったことも明らかにして、導入を検討をしている教育委員会や学校に伝えることが必要だと思いました。

・「問題行動分析・コモンズ型学校評価支援ツールを活用した組織的な学校支援の研究と開発」
この研究では、アンケートをもとに問題行動を分析して、個別の子どもの問題の把握と組織的な指導改善に活かせる興味深いツールが紹介されました。子どもの「自己肯定感」と「他者受容感」を2つの軸として、時系列的に子どもの変化を扱うものです。Q−Uなどと比べて、より個にスポットを当てたものです。まだプロトタイプのシステムなので、実際に活用するにはシステムの改善を待つ必要がありそうですが、今後実用的なものに発展していけば現場にとって役立つものになるのではと思いました。
コモンズ型学校評価支援ツールは、単純化して説明すると、ワークシートを埋めながら学校の課題を明らかにし解決に向かってアクションプランを作成していくものです。
このツールを活かすためには、出てきた課題の解決のプロセスを明確にすることが必要です。「課題解決のプロセスを地域と学校で考えましょう」といっても、効果的な方策が浮かばずにそこでストップしたり、やってみたが効果のない取り組みだったりということが起こってきます。これはある意味仕方のないことかもしれません。しかし、ここに切り込まなければ、せっかくのツールも実効性のないものになってしまいます。学校が抱える課題はある程度定型化できるように思います。私の妄想かもしれませんが、解決のための方策や実例のデータベースといったものを構築し、システム化してこのツールに組み込むことができると面白いと思いました。

・「学校ファンドに関する調査研究」
耳慣れないかもしれませんが、「投資ファンド」「クラウドファンディング」などと同じく資金を集め、学校を支援する活動に活かすものとして、「学校ファンド」というものがあります。
この調査研究では国内の先進事例の調査を中心に、海外の事例も集めるというものでした。
国内の先進事例を見た時に感じたのは、各学校・地域で行われている資源回収やバザーなどとの本質的な違いがよくわからないことでした。ファンドは寄付よりもその目的や見返り(効果)を明確にしたものです。学校へのファンドですから、「学校への支援に使う」でよいようにも思えます。しかし、より明確に「部活動の○○に使う」「就学支援のために、○○を行う」といった形で資金を集めてこそ、ファンドと言えるのではないでしょうか。
この調査研究では学校ファンドといってもごく少数の事例しかなく、また今後どう発展していくのか、行くべきものかに対する考察らしいものは見られませんでした。残念ながら、「学校ファンド」という言葉を使った事例があるという紹介にしか見えません。今後、今まで各学校・地域で行ってきた学校援助の資金集めに「学校ファンド」という言葉が使われるようになるのかもしれませんが、新たな要素が付け加わるような可能性は感じることができませんでした。

問題解決能力の向上について講演

夏休みに、中学校の校内研修で、問題解決能力の向上についての講演を行いました。こういった講演は、原則として子どもたちの授業の様子を見せていただくという条件で引き受けることにしています。子どもたちの実態によって、話す内容も変わるからです。今回も無理を言って夏休み前に訪問して授業の様子見せていただきました。

授業を見せていただいて、全体的に子どもたちが問題解決の過程よりは、答を得ることを重視しているように見えました。板書を写すことが優先されています。また、先生や発言者を見て話を聞くといった、授業規律も甘いようです。先生も、挙手する子ども、反応する子どもとだけのやり取りで授業を進める傾向があります。全員参加で、考える過程を共有するという発想はあまりないように感じました。
問題解決よりもその前提となることを押さえることが大切なように思いましたが、打ち合わせの結果、今回の講演では問題解決型の授業に関することを中心に話をすることになりました。

研修当日は、「問題解決能力が向上する授業を考える」というタイトルで、問題解決型の授業の流れと、具体的なイメージをお伝えしました。
最初に、問題解決の授業を行うためには、日ごろの授業がどうあるのかが大切であることをお話ししました。子どもたちが「問題の答を求めている」「過程よりも結果を欲しがる」「授業者のまとめを写して終わる」という状態では、問題を解決しようとする以前の状態です。子どもたちが、積極的に「わかりたい、できるようになりたい」という気持ちになることが求められます。また、一人で問題解決しようとするのではなく、他者とかかわり合おうとすることが必要です。わからなければ、「教えて」と友だちに聞けるような子どもにすることが大切です。

このことを意識してもらった上で、では、授業の流れをどうするとよいのか、簡単にまとめてみました。
「疑問を持つ」⇒「問題を見つける」⇒「問題を理解する」⇒「見通しを持つ」⇒「問題に取り組む」⇒「困っていることを共有する」⇒「問題を解決する」⇒「問題解決の過程を共有する」⇒「解決方法を価値付けする」
必ずしもこの順番であったり、これらの要素すべてが必要だったりというわけではありませんが、こういったことを意識するとよいと思います。

・疑問を持つ
天下りの問題では、取り組む意欲がわきません。解決したいという気持ちになってもらうことが大切です。子どもたちにとってリアリティのある問題であれば、意欲も高まります。「えー?」「あれっ?」「どういうこと?」といった声が子どもたちから上がり、最後に「あっ!」「わかった!」「そういうことか!」と納得するような授業が理想です。

・問題を見つける
どこが問題なのか、何を解決すればいいのかを見つける力を身につけさせることが求められます。「何が問題なのだろうか?」「何がわかればいいのだろうか?」といった問いかけを子どもが自らに発することが大切です。そのためには、この問題のゴールはどこなのかを明確にし、意識させておくことが重要になります。

・問題を理解する
問題を理解するには、具体例で考えたり、試しにやってみたりすることが大切です。

・見通しを持つ
子どもたちが、「何がわかればよいのだろうか?」「何をすればよさそうか?」といった見通しを持つことが大切です。「さあ、考えよう」では考えることはできません。授業者は、あらかじめこの問題を解決するために必要な知識は何かを押さえておく必要があります。知識は教えるか、調べるしかありません。どのような形で子どもたちに与えるのかを考えておく必要があります。また、「どんなことを知っているか(過去の結果)」「どんな方法を知っているか(過去の経験)」といった、「過去の経験を活かす」ことを意識することも大切です。これらを、問題解決に取り組むまでに整理しておくのか、子どもたちが問題解決の過程でこれらを活用した時に価値付けするのかといったことを考えて授業を組み立てる必要があります。

・問題に取り組む
「個人で考えるのか」「ペアか」「グループか」「途中で形を変えるのか」といった取り組む形態を考えることが必要です。最初から決めて変えないのではなく、子どもたちの様子を見て柔軟に対応したいものです。
注意してほしいのは、個人で考えることにこだわりすぎると、途中で行き詰まって苦しくなると集中力が切れてしまうことです。苦しくなったら友だちと相談できる子どもにすることが大切です。日ごろから、「まわりと相談してもいい」として、わからなければ、「教えて」と言える子どもにしたいものです。また、できる子どもには、「教えて」と言われないのに教えないということを伝えておくことも忘れてはいけません。困っている子どもにイニシアティブを持たせることが大切です。
グループで、結論を一つにまとめるような活動を目にすることがありますが、結論はできるだけ個人で決めさせるようにしてほしいと思います。一つに決めると、力の強い子どもの意見が通ってしまいやすくなります。そのため、多様な意見が消されてしまうこともあります。グループは、あくまでも個人の考えを深めるための手段と考えた方がよいでしょう。説得するために互いに話し合うのではなく、納得するために聞き合う姿勢が大切です。

・困っていることの共有、問題を解決する
一度活動を始めると、結論が出るまで続けることが多いように思います。途中で授業者がヒントを言うこともありますが、基本的に活動が始まると、発表まで止まらないのです。途中で力が尽きて動きが止まる子どもたち、グループが出てきます。そもそも、同じペースで問題解決が進むはずはありません。活動が止まっている子どもやグループに時間を与えても、きっかけがなければなかなか次のステップに進めません。順調に進んでいる子どもたちもいるので、個別に何とか対応しようとしますが、多くの子どもたちやグループが止まってしまってはとても対応できません。
活動が終わった後、答を発表させようとするので、答が出ていないと参加させることができません。それで答が出るまで待たなくてはいけなくなるのです。こういう時は発想を変えて、活動を途中で止めて発表させればいいのです。活動が止まっている子どもたちに、「どこで困っているの?」と答ではなく困っていることを問いかけ、共有します。それに対して、順調に進んでいる子どもたちに、「どんなことをやった?」「どこに注目した?」「何を調べた?」と結論ではなく手段や過程を発表させて共有するのです。こうして、子どもたちの考えるための足場をそろえます。この後、個人やグループに戻して考えさせれば、再び動き出して問題解決に近づいていくのです。

・問題解決の過程を共有する
全体では、答を発表して確認することではなく、どうやって解決したかの過程を共有することが大切です。ここで意識したいのは、全員が参加することです。わかった子ども、できた子どもが答を説明してわからない子どもを説得するのではなく、わからない子どもが納得することを中心にするのです。
わからない子どもも、友だちの根拠や過程を共有すれば、「ここを見て考えたんだ。どんなこと考えたかわかる?」と問いかけることで、考えることができ、参加することができます。「なるほどと思った?」「納得した?」「どこで?」「あなたの言葉で説明して」問いかけることで、わからなくても友だちの発言を聞いていれば、授業に参加することができます。
不完全な説明を全体で共有しながらよりよいものにしていく姿勢も大切です。できる子どもには自分の考えを説明することよりも、友だちの考えを理解して、不完全な部分を補うことを求めるとよいでしょう。

・解決方法を価値付けする
答を出すことが、問題解決型の授業の目的ではありません。問題解決に必要な資質・能力をつけることが目的です。他の問題でも活かせるメタな力、似たような問題を解決できる再現性を意識することが大切です。そのためには、問題解決で使った考え方や視点を価値付けすることが必要です。子どもたち自身でそれをできることが理想ですが、最初からは無理です。ます、先生がしっかりと、価値付けすることが大切です。子どもたちに力がついてくれば、自分たちで互いの解決方法を価値付けすることができるようになります。また、社会科の資料の見方など、基本的なものは先生が教えることも時には必要です。
まとめることは、学びを定着させることにつながります。しかし、先生がまとめて板書すれば、子どもたちはそれを写して満足してしまいます。結局先生の答を待つようになってしまいます。中には、自分の書いたものを消して、先生のものと置き換えてしまう子どもも出てきます。子どもたちの自己有用感が薄くなってしまいます。もし板書するなら子どもの言葉の筆記者であるべきです。子どもは友だちの考えをそのまま写すことはあまりしません。その内容を自分で判断しようとします。「友だちの考えでなるほどと思ったことがあったら、自分のものに付け加えてね」と自分の考えに付加することを指示するとよいでしょう。自分の考えと友だちの考えを、色を変えて区別させることで友だちから何を得たかが明確になります。どうしても、まとめが必要ならば、子どもたちの書いたまとめを印刷して配ることで十分です。

この後、先生方は一学期の実践をいくつかのグループで検討し合いました。面白い課題の授業もあり、活発に意見が交換されました。その後、私からは各教科の具体的な授業例を時間がある限り紹介させていただきました。
今回の講演にあたり、問題解決型の授業についていろいろと振り返ることができました。私自身にとってもよい学びとなりました。また、3学期に行われる授業研究のアドバイスも依頼していただきました。よい機会をいただけることに感謝です。

問いかけや説明の言葉にこだわってほしい(長文)

前回の日記の続きです。

5年生の算数は合同な図形同士の対応を考える授業でした。
前時の復習で教科書を閉じさせます。教科書を机の左上に置くように指示しますが、指示に従えない子ども、動きの遅い子どもがいます。しかし、授業者はすぐに質問をします。子どもたちは、当然に質問に意識が行くので机の上の状態はバラバラです。
前時に何を学習したかを全体で言わせて、「合同とは何ですか、覚えている人は手を挙げてください」と続けます。これでは、子どもたちは「覚える」ことが学習のように感じてしまいます。算数・数学の定義は文言を覚えることではなく、その概念を理解することが大切です。単純に「合同って、どういうことだった?」と聞けばよいのです。そうすることで、自分の頭で学習したことを再構成します。こういうことを何度も経験することで概念が定着するのです。
この問いかけでは、覚えていない子どもは参加できません。教科書やノートを開いて思い出す場面が必要です。そうでなければ、覚えていない子どもは結論だけを与えられるので、考える力は育ちません。

指名された子どもが、「2つの図形がぴったりと重なることです」と答えると、お約束の「いいです」のハンドサインです。「授業者は完璧に覚えていますね」と「覚えていること」をほめます。授業者の学習観が気になります。「ぴったりと2つの図形が重なり合うことを合同と言います」とすぐに説明します。ここは「ぴったりと重なるってどういうこと」とこの定義を子どもたちの言葉で咀嚼させることが必要です。また、「完璧です」と言っていますが、合同は、正しくは「2つの図形がぴったり重なる時、この2つの図形は合同であるという」と図形同士の関係を表わす言葉です。このことを授業者は意識できていないようです。この場合、合同な図形を指さして「この図形とこの図形は?」と問いかけ、「合同」と答えさせるといった活動を通じて、合同が2つの図形の関係を表すことを押さえることが大切になります。

授業者が「じゃあ今日は合同について……」としゃべりながら用意した三角形の紙を取り出して黒板に貼ろうとすると、子どもがごそごそしだします。ノートを開いて書く準備を始めたのです。授業者はこのことが気にならないようです。子どもの視線が下を向いているのですが、しゃべり続けます。
「ぴったり重なるために必要なポイントが3つある」と授業者は説明を始めます。「えっ」という声が子どもから上がりますが、授業者は取り上げません。
「場所だけヒント出すね」と頂点を指して、「わかる人?」と問いかけます。続いて辺を確認します。「最後こういう部分のことどうなる」と角の内側を弧の形になぞり、子どもを指名します。指名された子どもは「角度です」と答え、子どもたちは「いいです」とハンドサインを出します。さあ、授業者はどう修正するのかと楽しみにしたのですが、「はい、いいです。角度と言います」と答えました。授業者は「角」と「角度」の違いをわかっていないのでしょうか。それとも、区別しなくてもよいと思っているのでしょうか。子どもたちがだれも否定しなかったところをみると、最初から間違えて教えているのかもしれません。算数・数学は国語と同じように言葉を大切にしなければならない教科です。言葉をていねいに使ってほしいと思います。また、角を示す時に辺をなぞってからその間を示す必要があります。そうでなければ三角形の内部は全部角です。この辺とこの辺でつくられている角であることを意識させる必要があるからです。

ここまで、すべて一問一答とハンドサインです。子どもたちから疑問や課題が出てくるのではなく、すべて授業者からの天下りです。これはもう教科観、授業観の問題のようです。

「合同な図形で頂点、辺、角度を調べていきたいと思います」と言ってから、めあてを黙って板書します。余計なことをしゃべらないのはよいのですが、その間かなりの時間黒板に顔を向けたままです。子どもたちは素早く鉛筆を持って写し始めました。子どもたちとめあてをつくるのでなければ、リアルタイムにめあてを書く意味はあまりありません。あらかじめ準備したものを貼って、子どもたちが写す様子を見ているようにするとよいと思います。
続いて、図形を印刷した紙を配ってノートに貼らせます。子どもたちは「はい、どうぞ」「ありがとうございます」と後ろに紙を送ります。よい光景でした。
めあてを書き始めてから、めあてを全体で確認するまで4分30秒かかっていました。もう少し早くするような工夫がほしいと思います。

「合同な図形で重なり合う頂点、辺、角を見つけよう」というのがこの日のめあてです。ここでは、角度は角に正しく修正されています。子どもたちはこのことに疑問を持たないのでしょうか。こだわりすぎと思われるかもしれませんが、とても気になります。
このめあてと、先ほどの「合同な図形で頂点、辺、角度を調べていきたい」という言葉がうまくつながりません。「ぴったり重ねることができない時、どうすればいい?」「どこを調べる?」といったことから、めあてにつなげたいところです。

黒板に貼った2つの合同な三角形(向きもいっしょ)で、「頂点Aと重なる部分はどこでしょう?」と質問します。子どもたちの挙手は半分くらいです。指名された子どもは、間違えてしまいました。次に指名された子どもは正解でした。「いいです」とハンドサインが上がりますが、反応の遅い子どもが目につきます。おそらく腑に落ちていないのでしょう。そもそも発問が雑です。頂点Aは点ですからどこの頂点にも重なります。「対応する」という概念を育てる場面ですから、丁寧に伝えなければいけません。「この2つの三角形は合同なんだけど、合同に見える?どう?」「合同だったら……?どうなる」「ぴったり重なる」「本当?どことどこがぴったり重なるか見える?」といったやり取りをしてから、問いかけるとよかったと思います。
一問一答で進んで行きますが、子どもたちのハンドサインはあまり上がりません。にもかかわらず授業者は、すぐに正解と言って説明をします。子どもたちが、考えたり納得したりする場面がありません。大人にはすぐにわかるように見えても、子どもにとってはそうではありません。透明なシートを使って重ねて見せたりしたいところでした。

対応する辺の示し方について、「辺ABと言った時に、EDではまた変わってくるので、同じ流れでABときたらDEというように書くようにしてください」と説明しますが、あまりにも雑です。明確にルールとして根拠を示しながら伝えることが大切です。
「ぴったり重ねた時に頂点Aと重なるのは?」と問いかけて、重なるものが同じ順番になるように書くようにすることを押さえたいところです。
言葉の説明だけで進んで行くことが多いのですが、できるだけ具体的な図と対応しながら子どもたちに考えさせることが大切です。

教科書についている図形を切り取るように指示します。「ノートの図も使って、どこが重なるのかチェックをして、重なり合う頂点、辺、角、3つを探してください」と、前の座席の子どものノートを手に取って見せながら、これからの作業の指示をします。しかし、多くの子どもはまだ教科書の図形を切り取ることをしているために顔が上がりません。作業をきちんと止めて、子どもたちと目を合わせて話すことを意識してほしいと思います。

子どもたちは思った以上に手がつきません。「実際に図形を重ねて対応を理解する」、続いて「重ねなくても対応するものが見えるようにする」というスモールステップが必要なのですが、授業者は先ほどの練習で「実際に図形を重ねる」ステップをとばしてしまいました。そのため、切り抜いた図形をどう使うのかもわかっていない子どももたくさんいます。この状態で作業を続けることは意味がありません。いったん作業を止めて、もう一度重ねるところからやってみることが必要でしょう。

「頂点Bとどこが一緒になる?」と問いかけます。「一緒になる」と言葉が変わっています。こういう言葉の揺れは子どもたちの混乱のもとです。算数・数学の概念をきちんと意識して言葉を選んでほしいと思います。子どもたちは半分ほどしか手が挙がりません。指名された子どもの発表に対して「いいです」とハンドサインが出ますが、手のついていなかった子どもはハンドサインも上げません。授業者はそれでも、答を復唱するだけです。頂点、辺、角とわかった子どもだけで授業が進んで行きます。できた子どもに「見事に正解です」と称賛の言葉をかけますが、それが正解であることを授業者が判断するだけで、根拠はここまで何も示させません。
最後になって、「みんな、どういう風に合同ってわかったの?」と問いかけます。合同な図形であることは授業者が再三言っています。因果が逆転しています。素直に考える子どもは、わけがわからなくなってしまいます。これにすばやく反応する子どもは、授業者の意図を読もうとする子ども、読める子どもです。これでは、わからない子どもがわかるようになりません。
指名した子どもは、「重ねると同じところにあります」と説明しますが、目で見ただけでは確かめられません。これでは説明にならないのです。「本当にそう?」「どうやったら確かめられる?」といった問い返しが必要です。合同な三角形をつくってそれを重ねるといったアイデアが必要です。こういった問いかけが、重ねなくても合同かどうかわかる方法、つまり合同条件へとつながるのです。
授業者は、ずらすと重なると説明しますが、実際にずらして重ねることをしたわけではありません。四角の紙に書かれていて、本当にぴったりと重なるかどうか確かめることはできないのです。結局のところ、感覚でしかないのです。

今度は互いに反転した三角形を考えます。「授業者はそのままずらしたら合同じゃない」と、また、おかしなことを言います。合同なものは合同です。「そのままずらしても、ぴったり重ならないね。これ本当に合同?」といった言葉で揺さぶらなくてはいけません。
途中で授業者は「重なり合っているものを対応するという」と唐突に説明します。これでは言葉足らずです。「合同な図形で、ぴったり重なりあう頂点や辺、角を互いに対応するという」と説明して、「対応」という言葉を使う練習をする必要があります。先ほどの結果を使って、「この2つの合同な三角形で点Aに対応するのは?」「辺ABと対応するのは?」「角Aと対応するのは?」と問いかけたり、「点Aと点Dは?」「対応している」と何人にも言わせたりして、定着を図る場面が必要でしょう。
授業者は対応の説明を終ると、すぐに個別に作業をさせます。最初から手のつかない子どもがいますが、全体を見ずにすぐに机間指導をするので見落としました。その子どもは大分時間が経ってから板書を写しています。授業者はその横を通るのですが、手が動いているからでしょうか、困っているのを見落としました。
全体で確認をしますが、指名した子どもが前で対応するものを示しながら答を発表するだけです。授業者は発表者ばかりを見ているので、一生懸命黒板を見ているのに理解できず、ハンドサインもだせない子どもに気づけません。わかっている子どもたちが答を確認し合っているだけになってしまいました。
次の図形を配りますが、わからない子どもは完全に集中を失くしていました。

作業している途中で、ペアで自分の考えを説明するように指示します。子どもたちの作業を止めずに指示したこともあって、子どもたちがなかなか互いにかかわれません。自分の作業を継続している子どもが目立ちました。
全体で確認をする時に、今まで手の挙がらなかった子どもの手が挙がりました。見ている私もうれしくなります。しかし、授業者はその子どもを指名しませんでした。どういう基準で指名しているのか不思議です。
最期まで、対応するものを見つけるだけだったのですが、「合同な図形は対応する辺の長さや、角の大きさが等しい」とまとめました。これでは、子どもたちは授業者の示す結論を覚えるしかありません。子どもたちが思考する場面や、わからない子どもがわかるようになる場面がまったくありませんでした。

子どもたちにこの授業で何を考えさせなければいけないのかが意識されていませんでした。また、教材理解というか、言葉の意味や定義もあやふやです。教科書をしっかりと読み込んで、「用語として何を押さえるのか」「どういう流れで子どもたちが考え、理解し、納得するのか」「定着させるためにはどのような活動が必要なのか」といったことをしっかりと考えておく必要がありました。授業で大切なのはどのようなことなのかをもう一度整理してほしいと思います。

この日は、前回と今回の2日間授業を見せていただいたことをもとに、全体に対してお話しする時間をいただきました。

授業規律をよい形で徹底するには、できたことを笑顔でほめる、喜ぶことが大切です。できない子どもを注意して減らすのではなく、できる子どもをほめて増やす発想で接してほしいと思います。
一問一答形式でハンドサインによって授業を進めることにも注意してほしいと思います。子どもたちがまわりの空気を読んで「いいです」を言っているのに、そのまま進めてしまえば、ハンドサインは先生が授業を進めるためのアリバイづくりの道具となってしまいます。子どもたちの中には、ハンドサインでは指名されないと思って、無責任に「いいです」と言っている者もいます。「いいです」だけで進まずに、ハンドサインを出している子どもにもう一度説明するように求めるといったことが必要です。
また、ハンドサインを全員が出していないのにそのまま進めていることにも注意が必要です。子どもが反応できていないのであれば反応を促したり、よくわかっていないのであれば、どこがわからないのかをきちんと聞いて、つまずきを解消する場面をつくったりすることを意識してほしいと思います。

子どもの発言に対して子どもたちのハンドサインだけが評価となっている授業が多いのですが、先生が子どもの発言をしっかりと受容して、ポジティブな評価をすることが必要です。残念ながら子どもたちはハンドサインの「いいです」を自分に対する肯定的な評価だと感じていません。また、「いいです」のハンドサインが上がらなければ否定されたと感じます。どんな発言をしても認められる、バカにされないという安心感を持たせることが大切です。
また、挙手した子どもへの指名で授業が進んで行くと、一部のわかった子ども、できる子どもだけでしか参加しないことになります。そうではなく、常に全員参加を目指ししてほしいと思います。そのためには、安心感を持たせるだけでなく、挙手しない子どもを参加させる工夫が必要になります。まわりと相談させてから挙手させれば子どもは自信をもって手を挙げます。「わかった人?」と問いかけるのではなく、「困っている人?」と問いかけることで、手が挙がらない子どもを参加させることができます。こういったことを試してほしいと思います。

特に算数では、答だけが共有される授業が目立ちました。どうしてそうなるのかという根拠を子どもたちが共有することが大切です。わからない子どもは答だけを聞いても、写すしかありません。なぜそうなるのか納得する場面が必要なのです。「こうなる」と説得するのではなく、「こうなるのか」と子どもたちが納得する授業を目指してほしいと思います。

このようなことをお伝えしました。あと1回訪問する予定です。先生方にどのような変化がみられるか、とても楽しみです。

外国活動の課題について考えさせられた授業

昨日の日記の続きです。

6年生の外国語活動は、”can”を使った表現の授業でした。
担任とALTで教室全体に楽しい雰囲気をつくろうとしています。オーバーアクション気味にして、子どもたちのテンションを上げようとしていました。
しかし、曜日や日、天候などを全体に問いかける場面では、口がしっかりと開かない子どもが目につきます。曜日や日は何を言えばいいのかすぐにわかるのでまだ言葉が出やすかったのですが、天候は英語に直す前に状況を判断することが必要になるので、言葉にできる子どもが少なくなってしまいます。ひょっとすると、「曇りだから、曇りは英語で……」と日本語を英語に直しているのかもしれません。この授業では子どもたちは日本語を使わない約束になっていますが、英語の意味を日本語に直して教えているので、窓の外の様子を見て”cloudy”という言葉が直接出てこないのかもしれません。

ペアで交互に”How are you?”と挨拶をしますが、子どもたちの表情は楽しそうではありません。相手の言葉を聞こうという姿勢もあまり感じません。ルーティンワークになってしまっているようです。会話は相手の言葉を聞こう、聞きたいと思うことが大切です。相手の言葉を聞かなければ成り立たないような活動にすることが大切です。
続いて、”When is your birthday?”と前後のペアでやり取りします。今度はテンションが異常に上がります。この表現の練習はまだそれほどやっていないのかもしれません。先ほどの挨拶との違いがとても面白く感じられました。

授業者は、「今日は、どんなことができるか友だちにインタビューをする」と板書します。インタビューの内容をもとにビンゴをする活動です。英語活動ではビンゴを行うことをよく目にします。確かに子どもを活動させるためには有効な方法の一つですが、ゲームとしての目標・評価はあっても、語学的な目標・評価はありません。外国語「活動」なので文句もつけられないのですが、子どもたちの精神年齢よりかなり知的に低い活動です。この授業者の問題ではなく、この学校(市)のカリキュラムの問題ですが、思考をともなわない活動主義には疑問を感じざるを得ません。教科化に伴いどのように変化していくのか、その変化に先生方がどう対応していくのか見守っていく必要を感じました。

ALTが“picture card”を提示しながら、このゲームで使う”swim”、”play the piano”といった動詞(句)を全体で”repeat”させます。笑顔いっぱいで、体全体で楽しい活動になるように表現します。子どもたちの声が出ないものは何度も繰り返すなど、きちんと子どもたちの状況に対応しています。力のある方だと思います。黒板に貼った“picture card”を指さしながら、担任が”repeat”させます。続いて、リズミカルに“picture card”を選んで子どもたちだけで言わせます。よい展開だと思います。子どもたちはしっかりと口を開けることができていました。ただ気になったのは、picture card”に動詞(句)が英語で書かれていたことです。外国語活動では読むことはやっていないので、問題はないかもしれませんが、絵の”situation”を言葉に直すのではなく、文字を読んでしまう可能性があります。文字に慣れさせたいという意図なのかもしれませんが、そのねらいがよくわかりませんでした。

ペアで向き合ってゲームを行います。先ほどの“picture card”と同じ内容のカードを裏返しておいて、動詞(句)を一つ発音します。カードをめくって同じであれば、自分のものになるというゲームです。違っていれば交代です。間違えれば次の人はそのカードをとれますからサクサク進んで行きます。なかなか考えられていると思います。子どもたちは、どの言葉を言おうかと黒板のカードを見ています。真剣にやっているのですが、どうしてもカードを当てることに意識が行ってしまい、発音が雑になってしまいます。ゲームの形をとると必ず起こってしまうことです。ペアが競う相手になっていますが、協力する関係になるとよいと思います。また、単語や句を覚えることが中心の活動ですが、文をつくる活動を大切にできるとよいでしょう。主語となる人のカードと動作を表わすカードを用意して、ペアが言った文をカードでつくるといったことも面白いと思います。その逆にカードから文を言うのもあるでしょう。英語で表現した、伝わったという実感が少しでもてるようにしたいものです。

活動が終わると何枚とったかをたずねます。ゲームですので、勝ち負けといったことは大切になりますが、あまりテンションを上げないようにすることが大切です。授業者は単純に何枚かを聞いて手を挙げさせるだけなので、子どもたちのテンションは上がりません。最後に全体で”Good job.”と拍手をして終わりました。なかなかよい対応だと思います。

「できるは英語で何と言うか」「できないは英語で何というか」と日本語で確認をします。「できる」=”can”という一対一対応になっていますが、できればそのような形はとりたくありません。たとえば、この先”Can I 〜 ?“が出てくると、今度は「許可」になると説明され、それを覚えることになります。”root sense”と”situation”から理解していくようにしたいところです。
「聞く時は?」と問いかけますが、子どもたちからはあまり声が上がりません。「”Can you 〜 ?”だったね」と授業者が説明をします。子どもたちからは「英語を身につけて使えるようになりたい」というエネルギーが感じられません。この日の活動に必要な情報を得ればよいと思っているように見えました。英語「活動」の問題点がここにあるように思います。
担任が指さした”picture card”をもとにALTが”Can you 〜 ?”と疑問文にし、子どもたちが”repeat”します。主語になるカード、できることを意味するカードも合わせて使いたいところです。”repeat”だけでこの活動は終わりましたが、先ほどと同じように子どもたちだけで発音する場面をつくりたいところでした。
ちょっと難しいかもしれませんが、”Can you swim?”と子どもを指名して、”Yes, I can.”に対して、”Oh,○○san can swim.”と全体で返すといった活動を入れるとよいと思います。

次の活動はカードを持って、互いに質問し合うゲームです。”Can you 〜 ?”と質問して、そのカードを持っていれば”Yes, I can.”と言って相手に渡し、なければ”No, I can’t.”と言って終わります。起立して隣同士で1ターン行い、終われば席に着きます。次に、一方の列の子どもが席を前に移動し、先頭の子どもは最後尾に移ってゲームをすることを繰り返します。
先攻後攻を決めるじゃんけんでテンションが上がります。ゲームは先攻後攻で有利不利があることもあり、じゃんけんをすることが多いのですが、基本的にじゃんけんはテンションが上がります。席を立つときに椅子を引く音も結構大きく、ざわつきやすくなりました。
3ターン終了後、「聞き取れなかったら、”Pardon?”とか”I’m sorry.”を使ってください」と確認します。おそらくこういった聞き合う活動は5年生からやってきているので、定着しているはずだと思いますが、子どもたちからは、これまでこの言葉は聞こえてきませんでした。決まった言葉しか出てこないので、一部が聞き取れれば想像がつきます。聞き返す必要性をあまり感じていなかったのかもしれません。
再開後、集中力が落ちて動きも遅くなり、騒がしくなってきました。子どもたちにとって、この活動はあまり魅力がなかったのでしょうか。全員が終わるの待ってから移動をするのでムダな時間も多く、英語の活動量が時間に対して少ない、効率の悪い活動になっていました。
また、動詞句には、スポーツと楽器の演奏が混ざっています。以前に説明し、注意はしたのかもしれませんが、”Can you play the soccer?”と間違えている子どももいます。しかし、”soccer”がわかればゲームには支障ありませんから、相手の子どもは訂正しません。こういったところも課題です。

最後にビンゴゲームを行います。子どもたちはビンゴのマスに”Can you 〜 ?”で質問するカードのシールを貼っていきます。こういった作業は子どもにとって楽しいものなのですが、英語の活動には直接つながりません。これにかなりの時間を使っていました。また、このビンゴカード自体が質問を考えるためのヒントになります。活動をさせるためにはよい仕組みなのですが、会話にはなりにくくなります。
相手の答が、”Yes, I can.”であれば、カードにサインをしてもらいます。”Sign please.”と相手にサインを求め、”Sure.”とサインをします。会話として成立することが意識されています。この他にも、”Really?”、”Wow.”、”That’s great.”、”I see.”といった会話になるような言葉を紹介して使うことをうながします。
しかし、ビンゴはそろえることが目的なので、どうしても”yes”か”no”かだけに意識が行ってしまいます。答がわかれば、早く次の相手を見つけようとして、会話にはならないのです。相手の英語を理解し、自分の英語が伝わることを意識できるような目標が必要になります。
会話からできるだけ相手の情報を得て、それを別の人に伝え、相手が理解したら相互の得点になるといった活動も考えるとよいと思います

この日の活動は、動詞(句)さえ聞き取る、伝えることができれば成立するものばかりです。英語を聞き取ることや相手に伝えるストレスがありません。子どもたちが深く考える場面はなく、英語で話して伝わった、聞き取れたという達成感もあまりありません。英語でゲームを楽しくやっただけでした。
担任も、ALTもとても熱心で、また子どもをよく見て授業を進めていました。外国語「活動」としては、目的を達成しているのかもしれません。しかし、これから中学校に進学し、外国語を習得していく子どもたちのことを考えると、この活動を通じて何を身につけさせるのかを意識することも必要だと思います。このカリキュラムの中でどんな工夫ができるのか考えてほしいと思いました。

この続きは次回の日記で。

子どもが答えやすい発問、見通しを持つための足場が大切(長文)

昨日の日記の続きです。

4年生の算数は、少人数での小数の足し算の学習でした。
挨拶の前に筆算の問題練習をやっています。黒板で3人の子どもが答を書いていますが、それ以外にもう一人、正誤を判定する子どもがいました。書き終った答に○をつけていきます。3人目の子どもが書き終ると、「ちょっと違います」と何人もの手が挙がります。判定役に指名された子どもは、最初は修正しようとしましたが、結局消して書き直してしまいました。間違えた子どもはどのような気持ちになるでしょうか。「ちょっと違います」という言葉も、自分とは「違います」という意味で使うように指導しているのでしょうが、言われた方は、「あなたの答は違っていますよ」とダメ出しされているように感じるかもしれません。できればこのような進め方は避けたいところです。子どもの仕切りでは難しいでしょうが、「どこが○○さんと違うの?」と違ったところの指摘だけをさせて、「○○さん、どう?」と本人に修正させるとよいでしょう。「言ってもらえて気づけたね。いいね」とほめ、指摘した子どもには「△△さんの、言葉で気づいてもらえたね。ありがとう」と声をかけるといったこともすると子ども同士の関係がよくなると思います。

問題文を黒板に貼ります。途中で寄り道をした時の道のりを求める問題です。授業者は問題文を全体で読ませた後、一つひとつの道のりを確認します。距離を書いてある地図が見にくかったのか、挙手は半分くらいです。まだ読み取ろうとしている子どももいるようですが、授業者はすぐに指名します。指名された子どもが答えるとすぐに「いいです」のハンドサインです。答を聞いて「ああそうか」と思うような問題ではありません。ハンドサインを出す前に、答えようと挙手してほしいところです。
子どもたちが挙手したい、発表したいと思うために必要なことは何でしょうか。間違えると否定される可能性があると挙手しません。間違えても恥ずかしい思いをしないという保証が必要です。そして、もう一つ大切なのは発表すると人から認められることです。先ほどの発表者は友だちのハンドサインを見ずに授業者の方を見ていました。表情は変わりません。友だちの「いいです」はその子どもにとって認められた感につながらなかったのです。逆の立場で言えば、自分がハンドサインを出す時に、一緒の答でうれしいといった共感やなるほどと認めるという気持ちはなく、惰性で行っているということです。子どもが授業者を見ているということは、自分の発言をどのように評価してくれるのか気になっているのです。しかし、授業者は全員が「いいです」とハンドサインを出しているので、それでよしとして、先に進みます。子どもの気持ちとずれているのです。

授業者は問題を印刷した紙を配ってノートに貼らせます。全員がきちんと貼り終わるまで、子どもたちを見て待っています。子どもたちは授業者が見守っているので、落ち着いて遅い子どもを待てていました。全員が貼り終えるのを確認して、式を書くように指示を出します。子どもたちが育っていれば、すぐに顔を上げて聞きますが、残念ながらそこまでは育っていません。子どもたちの視線が授業者に集中しないままでした。まず、全体に対して「待っててくれてありがとう」、最後の子どもに「待っててもらってよかったね」と子どもたちの行動を評価して、その上で、「じゃあ、集中して聞いてね」と気持ちを切り替えさせて進めるとよかったでしょう。

式を書けた子どもが挙手をします。授業者は子どものノートを見て軽くうなずいて、すぐに次の子どもへと教室の中を行ったり来たりしています。挙手した子どものところに行くのはとても効率が悪いやり方です。また、授業者がうなずく時の表情がかたいのが気になります。時々「はい」という言葉も入りますが、基本は無言です。子どもたちの表情は変わりません。子どもたちは認められた感をあまり感じていません。というか、チェックに通ったと感じているのではないでしょうか。挙手した子どものノートしか見ないので、全員をチェックできていませんでした。この机間指導では、早くできる一部の子どもしか認められません(実際にはチェックされただけ)。続いて挙手で確認すれば、常にできる子どもが主導をする授業になってしまいます。こういった構造に気づいてほしいと思います。
机間指導で子どもノートを見るのなら、まず全員を見ることを意識してほしいと思います。特に全員にできてほしいと思う場面では、「○付け法」がお勧めです。教室の端から順番にノートを見ながら、一人ひとりに「いいね」「ばっちりだね」といった認める声かけと一緒に○をつけていくのです。違っていれば、あっているところまで、線を引いて「ここまであってるよ」と小さく○をつけてあげます。子どもを部分肯定しながら、困っている子どもには簡単なヒントをあげることや、まわりの子どもと相談するように促すことをして、後からもう一度回るのです。全員を○にすることが目標です。

一言ずつ子どもと確認しながらこの日のめあてを板書します。「1/100の位までの小数の」「足し算を」と続き、「どうしましょう?」と子どもたちに考えさせようと問いかけます。しかし、この問いかけに反応して考えている子どもはごくわずかです。ほとんどの子どもは、板書に書かれたことを写すことに専念していました。反応する子どもとのやり取りだけで進んでしまいます。
授業者はめあてを書き終ると子どもたちが写すのを見守っていましたが、途中で「どうやってやるといいのか、書きながら考えてみて」と言葉を発します。写している途中で指示してもちゃんと伝わりません。また、写しながら考えるというのは、子どもたちにとってそれほど簡単なことではありません。めあてを写す前に、「早く書いてね。書き終った人は、どうやってやるといいのか考えて」と指示をしておくとよかったでしょう。

子どもたちがめあてを書き終わった後、「4.72+3.17は、どうやって考えたらよいか?」と問いかけます。すぐに反応して手を挙げた子どもに、「おっ、書いてみましょう」と返し、全体に対して指示をしました。最後に「やり方を書いてみましょう」と言葉を足しましたが、「どうやって考える」から「やり方」に言葉が変わってしまいました。大人であれば、このくらいの言葉の変化はたいしたことはないのですが、子どもたちであれば混乱する危険性があります。言葉の揺れに注意をすることが必要です。
鉛筆を持ったまま手が動かない子どもが何人かいます。隣同士で顔を見あって困っている子どももいます。授業者はすぐに机間指導を行い個別に指導しますが、目の前の子どもの手元しか見ていないので全体が見えていません。手のつかない子どもはほっておかれたままです。すぐに机間指導をするのは避けた方が賢明です。指示をしたら机間指導と単純に考えるのではなく、まず手がついているかどうか、全体の様子を確認して、それからどう対応するかを判断する必要があります。この場面では、いったん作業を止めて、子どもに見通しを持たせる必要があったと思います。また、ちょっと気になることがありました。授業者がノートを見ようとした瞬間に消しゴムで自分の書いたものを消している子どもがいたのです。そのあと、鉛筆を持ったまま手が動きませんでした。見られて指導されたくなかったのかもしれません。
手のつかない子どもが多かったのは、この場面で必要になる内容を事前に復習していなかったので、見通しを持てていなかったためだと思います。復習の問題を解きながらポイントを確認して、それを黒板の隅にまとめておくだけで、子どもたちの動きは大きく変わったと思います。

子どもたちに発表させようとしますが、なかなか手は挙がりません。1/3ほど手が挙がったところで指名しました。指名された子どもはノートを読み上げ、授業者はすぐに黒板の方を向いて板書を始めます。半分くらいの子どもは黒板を見ますが、残りは手元を見ていたり、聞き流したりしています。発表者を見ている子どもは一人もいません。授業者はすぐに板書するのではなく、子どもたちの様子を見ながらしっかりと聞くことから始める必要があります。他の子どもが発表を聞いてどのような反応しているかを把握しないと、次の展開を考えることができないからです。
授業者が「これわかる?」と板書を指しながら聞いても、「わかる」と反応する子どもはわずかです。何も考えずに板書を写す子どもも目立ちます。
授業者は子どもたちに付け足しを求めますが、手が挙がるのは数人です。その説明を聞いても、他の子どもたちは何を言われているかよくわかりません。何人か説明させるのですが、一気にノートを見て読むので、頭に入っていきません。授業者も説明をさせた後、聞き返すことや、どこがわかって、どこがわからないかといった確認をしません。発表しっぱなしです。結局、最後は授業者が説明を始めました。子どもたちは友だちの説明がよくわからないまま、授業者の説明を聞くのですが、集中力は失くしていました。
発言を途中で区切って、そこまでの内容を確認し、どこがよくわからないのか、問題なのかを焦点化する必要があります。ポイントとなるところを全体で確認したり、まわりと相談させたりすることが必要です。一人がしゃべる、わかったかを授業者が問う、また次を指名するといったことの繰り返しでは、新しい情報が入ってくるばかりで整理することができないのです。

子どもたちは、授業者の説明の合間の「これは何の位?」といった問いかけには答えられますが、見通しを持って考えることはできていません。よくわからないと、隣同士で顔を見合わせている子どもの姿が印象に残っています。

1/10の位の数、7と1を足す説明を7+1ではなく0.7+0.1と修正します。目の前にある数字は7と1です。かえって難しくしているように思います。「7は何が7あるのか?」といった位取り記数法の意味を問いかけて、7+1=8の8は何が8あるのかで考えた方が、スッキリするのではないと思います。子どもたちは質問された変換はできますが、なぜ、このように直すのかということがよくわからないようでした。

他の考え方を発表させます。指名された子どもは筆算で解きました。授業者は「何をやっている?」子どもたち問いかけます。当然返ってくる答えは「筆算」です。「どうやって計算している?」と返すと、「足し算」と返ってきます。子どもたちの反応は至極当然です。「足し算、どうやっているの?」と問いかけると数人が挙手しますが、ほとんどの子どもは何を聞かれているのかわかっていないことに気づいてほしいと思います。
指名された子どもは、「1/100の位を足して……」と位ごとに足すことを説明します。子どもたちの反応は今一つです。授業者は、「同じことでいいからあの筆算説明できる人?」と子どもの考えをつなごうとしました。つなごうとするのはよい姿勢ですが、ここでも「どうやっている」から「説明」に言葉が変わっていたことが問題でした。
「分けて足し算ました」という説明に、「どういう風に何を足したの?」問い返します。「1/100の位の0.02と0.07を足して……」と、先ほどの数字を小数に変換した影響が出ていました。同じ位の数を足す、足せるといった考えをもとに「1/100の位の数が2と7だから、1/100が9になる」といった言葉を引き出したいところでした。

授業者は、筆算と筆算を使わないやり方のどちらが速いかを子どもたちに問いかけますが「筆算」と反応するのは2、3人です。他の子どもはよくわからないという顔をしています。しかし、授業者はすぐに「筆算が速い」と「筆算で計算できるようにしよう」とまとめました。
この後、(足し算・引き算の)筆算のポイントである位をそろえて書くことを確認して、練習問題を一つやります。この答を確認した後、いったんまとめました。気になったのは「1/100の位の小数の……」と限定をしたことです。ここは、1/100にこだわる必要はないはずです。足し算・引き算の筆算は、桁や小数であるかどうかにかかわらず、位をそろえることさえすれば、同じです。意図的に「1/100の位」は外した方がよいように思いました。「位をそろえて……」の前にどんな言葉を入れたらよいか考えさせます。「最近まとめで使ってきた言葉、何だった?」と問いかけて、子どもから「整数と同じように」という言葉を引き出します。この言葉を意識するのはとてもよいことなのですが、数人がつぶやいたらすぐそれを受けて板書しました。「整数と何が同じなの?」と返したりしながら、位取り記数法の意味と筆算の関係をしっかりと全体で共有したいところでした。

練習問題に取り組んだ後、指名した子どもに答を書かせます。6.03+2.97の筆算で、9.00の0を消すかどうかを確認します。「0は数がないから消していい」という意見が出ます。授業者はこの言葉を復唱するだけで、次の子どもを指名しましたが、この言葉を活かしたいところでした。位を表わすためには0が必要な場合があります。その違いを考えさせるとよかったでしょう。「9.00の0を消しても数は9で変わらない」という意見がでると、授業者はこの意見をもとに説明を始めました。同じ数を表すことを確認して、0を線で消すのがよいのか消しゴムで消すのがよいのかを子どもたちに問いかけます。
これは子どもたちに考えて答を出させるようなものではないように思います。計算の過程や根拠を残すことの大切さの例として、説明すべきところです。
また、9と同じなら9.00でもよいはずです。これは位取り記数法のルールとして教えるべきだと思います。210−190といった筆算で100の位の0を書かなかったのと同じ理由です。
このあたりがきちんと子どもの腑に落ちていなかったのか、6.03の0を消した子どもがいたのが印象的でした。

子どもに発言させて、子どもの言葉で授業を進めようとしているのは好感が持てました。しかし、発問が練られておらず、また言葉が揺れるので何を答えればよいのか子どもがよくわからないことや、子どもが考えるための足場を意識して事前に整理をしていないので見通しを持てていなかったことが課題です。子どもの視点に立って、必要な知識の整理や言葉を選んでほしいと思いました。

この続きは明日の日記で。

基本的な授業力が高いからこそ、教材理解を大切にしてほしい(長文)

小学校で授業と授業研究のアドバイスを行ってきました。今年度2回目の訪問です。

1年生の算数の授業は問題文から引き算の式をつくる場面でした。
授業開始前に子どもたちはノートを開いて作業を一生懸命やっていました。作業を止めて筆記具を片付けるように指示して授業を開始することを告げても、まだやっている子どもがいます。授業者は「気持ちはわかるけど」と子どもの方を向いて笑顔でうなずきました。とても柔らかな表情で子どもに寄り添っています。
挨拶を終わった後、机の上のノートや筆記具を片付けるように指示します。大きな声で、一つひとつはっきりと伝えています。中には筆箱が出ていることに気づかない子どももいます。授業者はそれに気づいて「○○さん」と優しく声をかけます。また、ちょっと動きが遅れ気味の子どももいますが、その子どもには声をかけません。そのまま全員が指示に従えるまで、しっかりと子どもたちを見守っていました。一人ひとりの子どものことをよく理解しているのでしょう。声をかけるべきか、黙って見守るべきかといったことを判断して対応しているように見えました。

「昨日できるようになったことは何ですか?」と子どもたちに問いかけました。何人かの子どもがつぶやきますが、一人の子どもが挙手しました。授業者はすぐに指名しましたが、せっかく子どもから反応が出ているのですから、つぶやきを拾って全体に発表させるか、まわりと確認させるといったことをした方がよかったように思います。
指名された子どもは後ろに行って「引き算の式です、どうですか?」と答えます。ほとんどの子どもたちは後ろを向いて聞きます。後ろではなくて授業者の方を向く子どもには、手で前を向くように示します。
子どもたちは発表後、「いいです」とハンドサインを出します。授業者は「みんな一緒?式がどう、式?」と復唱して子どもたちに言葉を足させようとします。「何ができるようになったの?」と言いかけると、「発表します」と先ほどの子どもがまた、声を出します。「引き算の式ができるようになったです。どうですか?」と、「できるようになった」を足しました。子どもたちは、また「いいです」とハンドサインを出します。授業者は「言うのもできるだけれど……」と「書く」という言葉を引き出そうとしますが、また、「発表します」と同じ子どもが3度目の挑戦をします。「引き算の式を使うです。どうですか?」に対して、また子どもたちは「いいです」とハンドサインで答えます。授業者は子どもの発言をうなずきながら聞いていましたが、思わず「みんな、なんでもいいですね」と笑いながら声を出しました。「わかった、いいです。先生が言います」と「書けるようになったね」と説明をしました。授業者自身、ハンドサインの問題に気づいているようです。
こういった場合、ハンドサインに頼らずに、何人もの子どもを次々と指名するといいでしょう。「引き算の式」「なるほど。次の人?」「引き算の式ができる」「引き算の式をどうすることができるの?」……というように、子どもに言葉を足すようにうながしながら答えさせるとよいでしょう。
この間授業者は笑顔を絶やしませんでした。子どもたちが楽しそうに授業を受けている理由がわかる気がします。

この日の問題を提示します。男の子と女の子の後ろ姿をかいた紙を1枚ずつ貼っていきます。ちょっとずつ見せることで子どもたちをひきつけます。
授業者は子どもたちに問題を提示します。「子どもが7人います」「男の子が4人にいます」と続け、ここでちょっと間を置きます。子どもたちを上手に集中させます。「女の子は何人ですか?」と続けると、子どもたちからは「わかった」「3人」と声が上がります。それに対して授業者は「えっ、わかっちゃった?」と笑顔で返します。子どもたちの半分くらいが挙手をします。ここで授業者はすぐに指名をし、指名された子どもは前に出て「3人です。いいですか?」と発表します。手の挙がらなかった子どもも、すぐに「いいです」とハンドサインを出します。これをどう考えればよいでしょうか。根拠も示さず、ただ答だけを発表して、納得するというのはとても危険なことのように思います。授業者は、このことをちゃんと理解しているようです。すぐに、「本当?前に出てやってくれる人?」と、子どもを指名して前に出させます。「えっ、なんで?」「3つだよ」といった声が一部の子どもから上がります。根拠や説明が必要だとは思っていないのです。授業者は唇に指を当てて、「聞こうよ」と制しました。こういった対応もとても上手です。

何人か指名します。子どもの考えは、基本的に女の子の紙を抜き出して、3人になるというものです。絵の属性に頼っているのです。教科書の絵は後ろ姿のシルエットでその属性をわかりにくくしています。男の子、女の子の属性に頼らず、数の操作に置き換えて引き算とさせたいからです。
授業者は、問題文を板書します。「女の子は3人ということはわかった」と確認して「紙を動かさず、今まで勉強したことを使ったりしてできるようなことはない?」と続けます。
授業者はこれまで、子どもたちに問題文をそのまま写させず、一定のルールでノートに整理しながら書かせていたようです。この問題文をどうノートに書くか問いかけますが、子どもたちの反応はよくありません。授業者はノートを見るように指示しました。
数を書いて矢印を引き、「食べる」「来る」「飛んでいく」という操作につながる動詞を書かせていたようです。授業者はそれを足し算言葉、引き算言葉と呼んでいるようです。算数の問題を解くのに、こういった言葉と演算を対応させる教え方によく出会うのですが、これはとてもよくないと私は思います。これに頼れば、簡単な文章による問題は機械的に解くことができます。この機械的が危険です。問題の意味をきちんと考え理解して解くことができなくなるのです。「問題文⇔式」という対応をするのではなく、「問題文⇔操作・図」「操作・図⇔式」という、半抽象を途中に組み込むことが大切です。問題文に示されているのは、どういう状況かを理解してそれを、半抽象であるブロックによる操作や、テープ図などで表わします。それをもとにどのような式になるかを考えることで、なぜその式になるのか理解することができるのです。
具体と半抽象、抽象を自由に行き来できるようにすることが大切です。

授業者は、この問題文には足し算言葉、引き算言葉といった算数言葉がないと押さえます。授業者の言うこれらの言葉は操作に対応するものです。操作につながる言葉がこの問題文にはないとうことです。だからこそ、この問題文の表わす状況と操作を結びつける必要があるのです。
このような考え方の典型的な例が差です。「大きい数から小さい数を引いたものを差という」と単純に定義するのではなく、2つ数をブロックで表わし、その違いで差を定義します。差は、大きい数から、小さい数と「同じだけ」の数を取り除いた残りになります。大きい数から、小さい数と同じ数を引いたものが差なのです。回りくどいですが、このように考えるのです。
子どもたちにつけるべき力は、足し算言葉や引き算言葉といったものを覚えるのではなく、与えられた問題を半抽象的なものに対応させる力なのです。そのために、ブロック図やテープ図、線図といったもの学習していきます。次第に、離散量から連続量へと概念が拡張され、抽象度が高くなっていることはわかると思います。こういった図で考えることのできる力をどうつけるかが大切です。

授業者は、算数言葉にこだわります。「男の子は4人います。どこにも行きません」と算数言葉がないことを説明しますが、算数的には、男の子がどこかへ行ったときの残りを考える問題と同じだと考える子どももいると思います。答はわかっているのに、授業者がこだわっていることが何かよくわからないまま、説明が続くので子どもたちは集中力を失くしていきます。
「足し算、引き算、どんな計算になるかわかりますか?」問いかけますが、答がわかっているので、その答になるように演算を考える子どももいるかもしれません。大切なのは、何算かをわかることの前に、この問題の表わす状況がどのような操作と対応できるのかを考えることです。
授業者は「今までだったら、『全部で』とあったら足し算、『残りは』とあったら引き算とわかったけれど、わからないね」「今日は何算かわかるといいね」とこの日のめあてを示します。

子どもたちに数図ブロックで考えさせます。しかし、子どもたちは先ほど男の子の絵と女の子の絵で操作しています。数図ブロックもそれに引っ張られた使い方をします。ブロックを男の子と女の子で色分けし、図の順番に並べようとする子どももいます。並べただけでブロックを操作することができない子どももいます。
授業者は「ブロックの動かし方をやってくれる人いる?」と問いかけますが、だれも手が挙がりません。どこで困っているかをたずねますが、答えが返ってきません。その時手を挙げてくれる子どもがいたので、指名して前で操作をさせます。指名された子どもは、ブロックを4つと3つ、色を変えて上下に分けて置きます。「どうですか?」と問いかけますが「いいです」の声は少ししか上がりません。授業者は「同じだという人、お話ししてくれる子いるかな?」とつなごうとしますが、同じだという子どもは現れません。授業者は「似ている人?」となんとかつなごうとしますが反応しません。
「同じだという人」ではなく「○○さんのやり方説明できる人?」とすれば、反応は違ったかもしれません。自分の考えを説明するだけでなく、友だちの考えを理解しようとする姿勢を少しずつ身につけさせたいところです。また、それぞれのブッロクのかたまりを「これは何?」と聞くことで言葉を引き出すことができたかもしれません。何をつなぐか、どう問いかけるのか、もう一工夫でした。
よく発表する子どもが「同じでないけれど……」と声を出します。結局、その子どもの説明を聞くことになりました。男女を区別して図の通りに並べて、そこから男の子のブロックを抜き出して並べます。「いいです」と反応する子どもは先ほどよりも増えました。授業者は「同じだった人、手を挙げて」と子どもをつなぎます。1/3ほどが挙手します。ここで、「これは何だっけ」と男の子のブロックのかたまりを指さして問いかけ、男の子をこちらに持ってきたと確認をします。
ここで注意をしなければいけないのは、最初の7人をつくる段階で男女を分けているということは、答が先にあるということです。最初に図から答えを出しているからできたのか、男の子4人に女の子を足していって7人にしたということです。

続いて似ているけどちょっと違うやり方をしていると、別の子どもを指名します。全部同じ色を使って7個並べます。ここで授業者は「どこが違う?」と全体に問いかけます。「色」というつぶやきがでます。「色が?」と返すと、今度は「色が同じ」と返ってきます。上手につなぐのですが、反応は一部の子どもだけです。この「色が同じ」という言葉をもう少し全体で共有しておきたいところでした。
どうやって動かしたかをやらせます。動かしたブロックを「これは何だった?」とたずねて男の子だったことを確認して、そのあと、授業者が説明を始めました。
2つのやり方を比べて、「どっちがやりやすい?」と問いかけますが、子どもたちはよくわかりません。授業者は「いっぺんやってみようか?」と同じ色を使ってやらせます。自分の机の上にブロックを準備させ、一斉に問題文を読みながら操作をしていきます。「男の子が4人です」で授業者は手でブロックを横に動かす仕草をします。「こういう動きでどう?」といったん止めて、動きを確認します。ここで戸惑っている子どもがまだいます。授業者はそのことに気づいて、「女の子が3人います」と終わった後、もう1回やりました。子どもたちの状況をよく把握しています。今度はわからない子どものために、黒板のブロックで動きを見せました。

「この動きは何かと同じだったね」と授業者が次に進もうとすると、「違いがわかりました」と男の子のブロックを抜き出した子どもが声を出します。授業者が指名して、「一気に動かした」と自分との違いを発表しました。授業者は一気に動かしても、バラバラに動かしても同じことを説明します。授業全体が一部の子どもの発表と授業者の説明で進んでいます。
ここでもう一度先ほど聞きかけた「このブロックの動かし方は何といっしょだった?」に戻ります。しかし、子どもたちはなかなか反応しません。もう集中力が切れてしまいました。授業者は辛抱強く待って「カエルが帰る」という言葉を引き出します。「アイスクリームを食べる」から、「アイスクリームが8個ありました。3個食べると……」と問題文を思い出させ、その時の操作を確認します。引き算の時に使った言葉であることを確認して「じゃあ式をつくろう」と続けました。操作から引き算の言葉につなげます。操作ができているのに、わざわざ引き算の言葉に戻してしまっています。

ノートを出させて、はじめにやった矢印を使って問題文を整理する作業を順番に進めます。しかし、子どもたちはもう集中力がなくなって自分で考えようとはしません。授業者の板書を写すだけになってしまいました。最後に全体で考え方の図の確認をしますが、子どもたちがほとんど反応できなくなってしまいました。

授業者は子どもとの関係もよく、基本的な子どもとのやり取りや進め方もしっかりしています。だからこそ、算数の教材理解が問題になりました。操作を演算に結びつけるのではなく、授業者が言うところの算数言葉に結びつけています。この時点で具体⇔半抽象⇔抽象の関係が具体⇔抽象⇔半抽象となっておかしくなっていることに気づいてほしいと思います。
この教材であれば、並べ方、男女の属性を排除することを意識して、どう数図ブロックで表現させるかがポイントです。最初に男の子、女の子のバラバラの絵を使ったことで、問題文にない属性まで入り込んでしまったことがまずかったように思います。
「子どもが7人います」で数図ブロックを7個並べることをしてから、男の子と女の子を区別する活動をするとよかったのではないでしょうか。「男の子と女の子に分けて」として、子どもにどうやって分けたかを問いかけて、「どっちが男の子?」「わかっているのはどちら?」とすることで、自然に引き算の操作につなげることができたと思います。
力のある方なので、今後の進化がとても楽しみです。

この続きは明日の日記で。

先生方が授業アドバイスツールをどのように使いこなすか楽しみな学校

元気な学校応援プロジェクトの一環で、授業アドバイスツールを使った授業アドバイスを行う予定の小学校と、学校の研修主題に沿って授業アドバイスツールをどう活用するかについて相談させていただきました。

この学校では子どもの自尊感情を大切にしようとしています。課題を明確にして見通しを持たせる。「聞く、話す、書く」のスキルの習得や、「伝え合う、学び合う」を大切にする。板書は子ども思考の足跡が残るものにする。ユニバーサルデザインを意識して、誰もが「わかる」「できる」授業にする。これらのことを通じて子どもたちに自己有用感、自己肯定感、自己存在感を持たせ、自分への自信、健全な自尊感情へとつなげていこうとうのが研究の構想です。授業に求められることが、細かいことまできちんと盛り込まれています。
もちろん構想だけでは絵に描いた餅なので、どう実現するかが大切です。校長を中心に、研究の核となる先生方も交えて、いろいろと意見を交換させていただきました。
子どもの自尊感情は、子ども自身が「自分はやれた」「友だちに認められた」という実感を持つことが大切です。そのためには子どもたちで評価できる目標を明確にすることが大切です。こういったこともきちんと構想図には入っていますが、要素が大変多いので、具体的に授業をどうつくっていくのかについては、先生方も悩むことが多いと思います。

実際に先生方が授業をつくる時にどう指導していこうかというプランにこだわりすぎると、子どもの実態と乖離してしまう心配があります。子どもが今どういう状態であるのかをきちんと観察し把握することで、今この場面でどういった要素が必要なのか、何が求められているのかが見えてくると思います。授業アドバイスツールで子どもたちの変容をとらえることで、この研究が大いに進むのではないかと思いました。

校長は授業アドバイスツールが複数台の端末で連携できることをご存知で、授業研究を複数の端末を使って行おうと考えられていました。確かにこの学校が目指す研究にはその使い方がよさそうなのですが、基本的に貸し出しは1台だけです。使う日だけ複数台を貸し出すことは可能ですが、他にも利用の予定があるので調整はそれほど簡単ではありません。
そのことをお話しようと思ったところ、この学校のサポート担当者は学校の希望に沿うように、すでに日程の調整をして機器を押さえていました。授業アドバイスツールのことをよく理解して機能を伝えているだけでなく、学校と連絡を密にとって必要な手配も済ませていたのです。こういうサポーターがいれば、痒い所に手が届くと思いました。

私が授業アドバイスをする日程も無事調整ができました。当日の授業がどのようなものかだけでなく、それまでの授業研究を通じて先生方が授業アドバイスツールをどのように使いこなすかを見せていただくのが今からとても楽しみです。

基本がしっかりしているので、考えることが多かった授業(長文)

市の授業力向上研修で講師を務めました。年3回の第1回目です。今回は参加者の代表に授業をしてもらい、その授業を参加者全員で検討するというものです。

この日は小学校1年生の「おおきなかぶ」で、かぶが抜ける場面を子どもたちに動作化させて、おじいさんの気持ちを考えさせる授業でした。
参観者が多いせいでしょうか、授業開始前から子どもたちがやや興奮気味です。チャイムが鳴って授業者が気持ちを切りかえましょうと声をかけて号令がかかると、よい姿勢でしっかりと挨拶はできました。授業規律がきちんとできています。
最初に今学習しているのはどんな話かをたずねます。子どもたちは元気よく手を挙げます。ただ、手を挙げない子どもが2、3人いるのが気になります。指名した子どもが発言した後、すこし間をおいて、今の意見に対して「どうですか?」と問いかけると全員が賛成のハンドサインを出しました。
話の内容を一つひとつ質問しながら確認します。一問一答とハンドサインの確認で進んで行きます。発言の後、間をおいてから「どうですか?」と聞くことで、ハンドサインを出すタイミングを授業者が上手くコントロールしています。こうすることで、子どもたちのテンションは落ち着いて、しっかりハンドサインを出します。しかし、手遊びして聞いていないように見える子どもや、質問に対して全く手が挙がらない子どもも、ハンドサインで賛成を表明することが、ちょっと気になります。一問一答のハンドサインだけに頼らず、何人も指名することや、隣同士で確認をするといった他の進め方も選択肢に入れてほしいと思います。
また、ここでは子どもの記憶だけに頼ってやりとりしています。忘れてしまった子どもが参加できないことが気になります。忘れた子どもには教科書を見る機会を与えてもよいと思います。
ハンドサインで確認し、授業者がその場面の解説を少しして、また次の質問をするということが繰り返されていきます。だんだん子どもたちのハンドサインが全員でなくなっていきます。1年生なので単調な活動が続くと、集中力がなくなってしまうのです。

「かぶが抜けた時のおじいさんの気持ちを考える」とめあてを板書して、子どもたちに読ませますが、視線があらぬ方向に向く子どもが目につきます。子どもたちの集中力がなくなっていたので、めあてを読む前に子どもたちの姿勢を正して気持ちを切りかえさせることが必要だったと思います。

教科書を開いて全員で音読します。ここではきちんと全員が教科書を持って音読の姿勢になるまで待ちました。子どもたちはしっかりと口を開けて読み始めます。しかし、途中で集中が落ちる子どもが出てきます。気がついた時点で、「ちょっと待って」といったん止めて、その子どもへの注意ではなく、「全員で声をしっかり出そう」と全体に対して働きかけることが必要です。その子どもがしっかりと参加できたら、すかさず何らかの形でほめて行動を強化するとよいでしょう。
読み終ると、授業者が説明を始めますが、手に持っていた教科書をどうするか指示がありません。教科書をバタンと倒す音がバラバラに聞こえてきます。最後まで教科書を持ったままの子どももいました。中には手に持った教科書を動かして遊ぶ子どももいます。読み終った時に教科書を置くように指示すべきだったと思います。
ここで次に誰を呼んできたかをたずね、一問一答になります。また、これまでのパターンに戻りました。子どもの集中力が落ちます。

「かぶがなかなか抜けなかった」という文の「なかなか」に線を引くように指示します。おじいさんの気持ちを考えるためのキーワードの一つです。ただ線を引くのでなく、その理由を子どもたちに理解させたいところでした。「なかなか」があるとないとではどう違うかといったことを一言確認するだけでも違ったと思います。
線を引かせた後、黒板におじいさんたちの絵を貼ります。どんな顔をしているのかと問いかけてから、おじいさんの気持ちを答えさせます。1/4ほどの子どもの挙手で指名します。「いつまでたっても抜けないなあ」という答に対して「どうですか?」とハンドサインを求めます。しかし、1/4ほどの手が挙がりません。子どもが発言を理解する時間や、場面が必要です。「いつまでたっても」という言葉は先ほどの「なかなか」につながる言葉です。また、抜けない「なあ」というところに、おじいさんの気持ちが表れています。子どもの言葉を「いつまでたっても」や「なあ」を強調しながら復唱して、「それってどんな気持ち?」と他の子どもにつなげるといったことをしたいところです。授業者は発言が終わるとすぐに黒板に向かって復唱しながら板書をします。そのことを知っているのか、子どもたちは発表者の方を向かないことが気になりました。また、授業者が子どもに背を向けている間も、子どもたちは手を挙げ続けています。できるだけ子どもたちの様子を見ようとしてほしいと思います。
指名した子どもが返事をしない時に、授業者はやさしく何度も呼びかけます。よい対応だと思います。この場面に限らず、子どもたちにかける言葉が柔らかく、それが学級の落ち着いた雰囲気につながっています。残念なのは、子どもが返事をすると、「はい」と無機的に答えるだけで終わってしまったことです。これでは、子どもは失敗して注意されたように感じてしまいます。ここは笑顔でうなずくといったことをして、「気づいてえらいね」という認める気持ちを伝えてあげたいところでした。

子どもたちの発言をもう一度読み上げて、「おじいさんはどんな顔をしているのかな?うれしい顔をしているのかな?」と絵を指さします。絵は理解を助ける大切な要素ですが、ここは、さきほどの子どもたちの発言をもとに、どんな気持ちかを考えさせたいところです。子どもたちから「悲しそう」「困っている」とつぶやきが出てきます。授業者は復唱しますが、「困っている」という発言に対しては「困っているねえ」とやや強く肯定しました。その時、「つらそう」という別のつぶやきが出てきました。授業者は「つらそう」もきちんと復唱しました。子どもを受容しようとする気持ちを感じます。ただ、その後、「つらそうで困っている」と続けました。授業者が結論づけるのではなく、子どもたちでこの状況は「困っている」のだとしっかりと理解させたいところでした。「なかなか」を意識したい場面でしたが、うまく活かせていないように思いました。

次の場面に移ります。子どもたちはかなり集中力が落ちています。「読む用意!」と音読の姿勢取るように指示しても、すぐに動けませんでした。今回は音読した後、教科書を置くように指示しました。子どもたちは指示に従うのですが、教科書を触ったり、手遊びをしたりする子どもが目立ちます。指示したことしかしないので、続いてよい姿勢をつくることも指示する必要がありました。
はじめのうちは、「教科書を置く」「姿勢を正す」「授業者を見る」「話を聞く」といった一連の動きを一つずつ指示する必要があります。それができるようになれば、一つの指示の後に、「次に先生はどんなことを言うと思う?」と先を読んで行動することを意識させていきます。最終的には「今から話をするよ」だけでこの一連の動きができるようにするのが目標です。

授業者は「猫に続いて鼠を呼んできたけれど、猫と鼠は仲良し?」と問いかけます。子どもからは「違う」「仲が悪い」といった声が返ってきます。それを受けて授業者は「なんと言って呼んできたんだろう?」と問いかけます。猫と鼠のやり取りを想像させることのねらいは、文章の行間を想像させるためなのでしょうか。私には今一つはっきりしませんでした。
指名された子どもたちは、「いっしょに手伝って」といった発言をしますが、先ほど出てきた「仲が悪い」こととつながりません。最後に指名した子どもは、鼠は逃げるけど追いかけて連れてきたと説明しました。この子どもだけが仲が悪いということを意識していました。授業者はどの子どもの意見も「なるほど」と受容しますが、「そうか、仲が悪いから、逃げちゃうんだ。それを追いかけて連れてきたんだね」というような評価がほしいところでした。「仲が悪い」ことを押さえたのですから、そのこと根拠にして考えることをもっと意識させることが必要だったと思います。

子どもたちに「実験してみたい?」と問いかけます。ここでなぜ「実験」という言葉を使ったのかよくわかりません。授業者が用意した大きなかぶが抜けるか実験すると言って、配役を決めます。これでは活動の目標がかぶが抜けるかどうかです。子どもたちが考える要素はありません。落ち着いている子どもたちですが、当然テンションは上がっていきました。
国語としてこの活動で子どもたちに何を考えさせるのかを意識する必要があったと思います。「なかなか」抜けない。「うんとこしょ、どっこいしょ」という掛け声の表わす様子。「とうとうとう」抜けた。これらを動作で表現させようとすることが読み取りにつながります。
1年生では、読み取ったことを言葉で表現することは難しいので、動作化を取り入れます。動作化を読み取りとどうつなげるかがポイントなのです。

指名された子どもたちは、頭に登場人(動)物のお面をつけて前に並びます。授業者は全体で順番を確認しながら前に出た子どもたちを並ばせます。「引っぱる時の言葉、何だったかな?」と問いかけると、中には立ち上がって声を出しながら動作する子どももいます。子どもたちのテンションが上がるのですが、言い終るとすぐに学級全体が落ち着きました。授業者と子どもたちの関係がよく、授業規律がよくコントロールされていると思います。
前で子どもたちが実演をしてかぶが抜けた場面で、見ている子どもたちが笑顔になっていました。しっかりと参加できている証拠です。よい場面でした。残念ながら授業者は動作している子どもたちに意識が行っていたので、その様子を見ていませんでした。「いい表情で見ていたね」と子どもたちを評価したいところです。

かぶが抜けたところで、「とうとうかぶは抜けました」と授業者は「とうとう」を強調して声を出しました。この動作化で「とうとう」という言葉を意識させようとしたようです。しかし、子どもたちはそのことにあまり気づいていないようでした。それよりも、次に自分がやりたいばかりで、前でやった子どもたちが席に着くと「○○をやりたい」という声が上がります。中には声を出しながら指名されたくて机をたたく子どももいました。
授業者が黙ってうなずきながら、「さあ、みなさん」と声をかけると、すぐに興奮は収まります。授業者の話を聞こうとする姿勢になっていきます。上がったテンションを大きな声を出すことなく上手に下げることができるのは見事です。気になる子どもも何人かいますが、かかわりすぎないように、うまく無視していました。

「かぶはどうなったでしょうか?」と子どもたちに問いかけますが、この問いかけの意味がよくわかりませんでした。子どもたちが演じた「実験」の結果をたずねたのでしょうか。かぶが抜けたことは、本文から明らかです。本文が根拠であることを意識した展開にしたいところです。

再び、教科書を開いて、「とうとう」に線を引かせますが、先ほどの「なかなか」と同様に、子どもたちがなぜ線を引くかその意味を考えることはありません。「なかなか」抜けなかったから、「とうとう」抜けたと表現されていることに気づかせたいところです。

黒板にかぶが抜けた時の絵を貼り、今日のめあて「かぶが抜けた時のおじいさんの気持ちを考えよう」を確認しました。おじいさんの絵と吹き出しが3つ書かれているワークシートを配ります。1つ目の吹き出しには★が書かれ、2つ目は普通の吹き出しで、3つ目は点線で書かれています。授業者は、最初に★の吹き出し、書けた人は2つ目の吹き出しを、まだ書ける人は点線をつないで、その吹き出しに書くように指示します。それでもまだ書ける人は余白に吹き出しをつくって書くように指示しました。すぐにできる子どもを遊ばせない工夫があります。残念なことは、子どもたちがワークシートを見ているために顔が上がらないことです。拡大コピーか実物投影機を利用するとよかったところでした。
せっかくの指示だったのですが、1つ書けて満足している子どもが目立ちます。授業者は机間指導しながら、「2つ書けている人もいるね」「3つ書けている子もいるよ」「たくさん書けている人がいるね」と声を出しますが、子どもたちの集中力は落ちていきました。難しいところですが、指示の時に「いくつ書けるかな?」と数を目標にするという方法もあったかもしれません。

「鉛筆を置いて黒板を見てください」とゆっくり声を出して、子どもたちに集中を求めます。「もう一度言います。鉛筆を置いてください」と再度指示をして話し始めました。しかし、顔が上がらない子どもが目立ちます。中には鉛筆をまだ持っている子どももいます。ここは、「○○さんいい姿勢」「△△さん早い」といった言葉をかけながら、全員の顔が上がるまで待ちたいところでした。
自分の書いたものを一つ選んで、隣の人に発表するように指示をします。隣の人は「あっ、そうだな」と思ったらうなずくようにと聞く側に対しても指示をします。これはとても大切なことです。声の大きさも確認します。場面ごとにどのような声の大きさで話すかが決まっているようです。すぐに子どもから「1」と返ってきます。1年生からこういうことを意識させておくことはとても大切です。ペアで活動する前に、きちんと体の向きを変えて向かい合わせます。細かいところまで意識されていました。子どもたちが落ち着いている理由がよくわかります。
子どもが向きを変えている途中で、どちらが先に話すか順番を指示しました。そのため、「先生どっちから?」と活動が始まってから聞く子どもがいました。全員の準備ができてから順番を指示するか、最後に確認をするとよかったでしょう。
うなずくことは指示されましたが、なかなか首が動きません。また、発表や聞くことの目的・目標が明確でないので、やりっぱなしですぐに終わってしまいます。集中が落ちてきました。「なるほど」と思ったら、それを参考にして自分のワークシートに書き足すといったことが必要だったと思います。

ペア活動に続いて、授業者は「お隣さんに発表したことを先生に聞かせてほしいな」と子どもたちに発言を求めました。これでは、発表者と授業者だけの関係になってしまいます。「みんなに聞かせて」とするべきでしょう。
指名した子どもは「うれしい気持ち」と答えます。発問が気持ちを聞いているのでそれでよいのですが、吹き出しにした意図とずれているように感じました。「楽しい」という発言に対して、「どうですか?」とハンドサインを求めます。おじいさんの気持ちの根拠が明確でないままに賛成かを問いかけてもあまり意味はありません。感覚で進んでいます。
中には「やっと、たべれる」とセリフにする子どももいます。吹き出しにしているのですからある意味自然です。「おじいさんはなんと言うだろう?」と、まずセリフを考えさせるとよかったと思います。子どもたちから多様な言葉を引き出しやすくなるはずです。その上で、「それは、どんな気持ち?」と聞くことで、子どもの言葉でまとめていくことができます。また、どこでそう考えたのかと、本文の言葉と結びつけることもできます。「なかなか」抜けないと、「とうとう」抜けたを対比することで、気持ちを考えさせたいところでした。
授業者はみんなでいろいろな気持ちを「見つける」ことができましたとまとめましたが、結局根拠となることは何も共有することがありませんでした。

一つ気になったことが、子どもの「たべれる」という発言を、「たべれる」とそのまま板書したことです。今はこれも間違いとは言えないのかもしれませんが、国語の授業なので「たべられる」と修正したいところでした。

最後に、おじいさんになりきって音読することが課題です。ここで注意しなければいけないことは、自分はどの気持ちで読むのかを明確にしておくことです。先ほどでてきた気持ちからでもよいので、まずそれを決めてから読まなければいけません。しかし、音読するところは、かけ声とかぶが抜けたというところです。なかなかおじいさんの気持ちを表現することは難しいのです。かけ声は全員で声を出しています。おじいさんの気持ちに直接結びつきません。地の文の「とうとうかぶはぬけました」で表現することになるのですが、ちょっと難しいような気がします。
個人で練習した後、ペアで聞き合います。授業者は「誰が上手かな?」と言いますが、基準は何でしょう。相手が「どんな気持ちで読んだか」を聞き取る、「声を大きくした」「ゆっくり読んだ」といった読み方の工夫を見つけるといった具体的な指示が必要だと思います。
これまでの音読でどんなことを意識してきたか、子どもたちが知っている読み方の工夫にどんなものがあるかといったことを事前に整理しておくことが必要だったと思います。

ペア活動のあと、「お隣さんが上手だった人?」とたずねます。一部を除いて手が挙がります。なかなかよい問いかけなのですが、子どもたちの表情がよくないことが気になります。お隣に手を挙げて認めてもらえればうれしいはずなのですが、あまり表情が変わらないのです。具体的にどこがよいのかを明確にして共有することが必要なのかもしれません。
音読をさせるのに、「先生に聞かせてもらおうかな?」とここでも授業者を意識させます。指名した子どもの音読に対して授業者は「ありがとう」と言って拍手をします。それに合わせて拍手する子どもは半分ほどです。次の子どもには「はい、上手」と、「うんとこしょ、どっこいしょのところが、すごい力が入っていた」と評価しました。この言葉が効いたのか、次の子どもも同じところに力を入れて読みます。授業者は、またそのことを評価しました。最後の子どもも、とても上手に読んだと評価しますが、その視点はやはりかけ声に力が入っていたところでした。音読する部分の問題でもありますが、他の視点や工夫を評価したいところでした。
まだ1年生ですから授業者が評価することが必要ですが、子どもたちに評価させることも意識してほしいと思います。子ども自身で工夫を見つけることで、意識して使えるようになると思います。

最後にみんなで音読します。子どもたちがなかなか落ち着かないのですが、注意はせずに、「もう一度言うよ」と落ち着いて指示を繰り返すことで、指示を徹底しました。これもなかなか見事な対応でした。
これまでの個別の評価の視点がかけ声の力強さだけだったので、子どもたちはそこに力を入れて読むだけでした。おじいさんの気持ちになることはどこかに行ってしまいました。

研修会参加者による授業検討は、例年通りレベルの高いものでした。
授業規律のよさや、子どもとの関係、雰囲気など授業者のよいところがたくさん出てきました。
私からは、「子どもの発言を評価する」「活動の目標を明確にする」「音読は学年に応じて緩急、大小、間などの読み方の技術を意識して行う」といったことをお話ししました。
授業者に基本的な力があるので、レベルの高い学びができたと思います。参加した先生方にとっても、私にとってもよい学びになった研修でした。
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