鍛えられている学生に感心する
愛される学校づくり研究会で、授業アドバイスツールを使った授業検討について研究を行っています。夏休みには、岐阜聖徳学園大学の玉置ゼミの学生さんたちに先生役、生徒役として協力していただき、とても学びの多い研究会となりました。
ゼミの学生の中からじゃんけんで選ばれた4年生が授業者となり、道徳の授業に挑みます。玉置先生から教材研究と授業の流れを教授された後、仲間のゼミ生2人と一緒に授業の進め方やポイントを考えます。これらがすべて、当日の午前中のことです。午後からすぐに、本番です。現役の教師でもちょっとしり込みするシチュエーションです。日ごろから鍛えられていることがよくわかります。子ども役も誰がどのような子どもを演じるのかを考えて準備に抜かりはありません。 題材は、ネットトラブルを扱った教材です。ヨーロッパのサッカーファンの子どもが、自分のひいきの選手をネットでバカにされてそれに言い返し、中傷合戦になってしまいます。「挑発に乗って中傷し合わないで」と書き込みされて落ち込みますが、最後に、「言葉の向こう側にある顔を思い浮かべてみて」というコメントに、自分が相手のことを考えてコミュニケーションを取れていなかったことに気づくというお話です。 授業者は緊張で胃が痛くなったと言っていましたが、どうして、堂々と授業を進めます。範読をしながら、ちょっと集中できない子ども役に気づいて声をかけます。読むことにいっぱいいっぱいで子どもを見ることできない先生も多い中、立派です。ただ、集中できない子どもを集中させようとちょっとかかわりすぎているように思いました。 テキストを持たせていないので子ども役の顔が上がっていなければいけませんが、視線がバラバラなのが気になります。ところどころ内容について問いかけますが、単発で終わってしまいます。子ども役の発言を全体で確認したりする場面がほしいところです。 ていねいに範読しますが、間が一定です。「ここはちょっと立ち止まって考えさせたい」「状況を理解するのに時間が必要だ」というところでは、間を取るようにするとよいと思います。 問いかけに対しても間をもう少し意識するとよいでしょう。子ども役の手が挙がるとすぐに指名してしまいます。考えを持てるための時間を意識するとよいでしょう。「挙手を止めてまわりと相談させる」「挙手に頼らず意図的に指名する」といったことも選択肢に入れるとよいと思います。 範読が終わるまで、どうしても子ども役が活動する時間が少ないため、一部が集中力を失くしていました。子ども役がしっかりと子どもの気持ちになっていると思います。子ども役のレベルも高いのです。 主人公が明るい声で、「すごいこと発見しちゃった」と言った場面で、何を発見したのかと問いかけます。子ども役に考えさせた後、グループでどんな意見があったか「広げてみて」と指示をします。「広げる」というのは教師の側の言葉です。思わず出てしまったのでしょう。「お互いの考えを聞き合って、よくわからなかった質問したり、なるほどと思ったらそのことを相手に伝えたりしてね。あとで、どんな意見が出たか、どう思ったかを聞くからね」というように、具体的に活動を指示した方がよいと思います。 全体で考えを発表させます。発言者をしっかりと見て意見を聞くことができます。しかし、どうしても発言者だけを見ていて、まわりの子ども役の反応を見ることができません。他の子ども役の反応を見てつなぐことができるとよかったと思います。 子ども役はしっかりと発表を聞いているのですが、しだいに、発言者以外集中がなくなってきます。自然な子どもの反応を見せてくれます。ここでも子ども役のレベルの高さがわかります。 また、授業者はどのような意見も、まず「なるほど」と受容することができます。しかし、受容だけで価値付けがありません。道徳ですから「よい意見」といった価値付けではなく、「友だちの意見を聞いて、考えを変えた」「自分ならどうするかを考えた」「相手の気持ちを考えてみた」といった、行動や視点を価値付けするとよいと思います。 子ども役はなかなか主人公の気持ちと共感できないようです。「おれは無理」という言葉が出てくるのですが、これは自分のこととして考えている証拠です。この発言を活かして、「無理な人?」と全体に広げて、自分の気持ちに引き寄せて考えさせてもよかったかもしれません。 授業者はなかなか思った言葉を引き出せないので、どんどん説明が増えていきます。「すごいこと」という言葉にこだわっていたのですが、「明るい声」になったことに焦点化してもよかったかもしれません。主人公が怒っていた、暗くなっていた場面で、その理由をしっかり押さえておくことで、明るい声になった気持ちに共感することができたのではないかと思いました。 最後は、授業者の言葉でまとめましたが、子ども役から出てきた言葉を使ってまとめることができればと思います。 こうして授業の様子を書いてみると、授業者が学生であることを忘れているのに気づきます。厳しいことを書きましたが、プロの教師に対する視点です。子どもを受容することができるだけでも立派ですが、意見のある子どもを立たせて順番に発表させるといった授業技術も使うことができます。鍛えられていることがよくわかります。研究会の先生方からも、6年目と比べても遜色ないといったほめ言葉が聞こえてきます。 また、子ども役の学生も非常にレベルが高いと感じました。落ち着きがない、こだわりが強いといったちょっと気になる子どもを演じた学生は、まるでそれが素のようです。それ以外の学生も、状況に応じて自然な反応をしています。本当の子どもであれば、きっとこうなるという姿を演じているのです。並の若手教師では、これだけ子ども役になり切れません。玉置ゼミでは毎週のように学生同士で模擬授業を行っているようですが、その成果が十分に現れていました。 また、授業アドバイスツールを使ったアドバイス役の学生もなかなかでした。子どもとのかかわりについて焦点化して話をします。授業で何が大切かというポイントがわかっているのです。これもゼミで鍛えられているのでしょう。また、初めて授業アドバイスツールを触ったのに、見事に使いこなしていました。使い方が直感的にわかったようです。開発にかかわっている者としては、とてもうれしいことでした。 授業者、子ども役、アドバイス役、すべての学生が高レベルでした。4年生全員が来年は現場に立つようです。これからが楽しみな教師が誕生します。 集団で学ぶことの意味をインターンシップで感じる
夏休みに企業のインターンシップで授業と学び研究所のフェローとして講師を務めました。採用活動がまだ本格化していない、参加する学生さんにも余裕がある時期での開催です。東京と大阪でそれぞれ行いました。
この時期は、まだ志望業種、企業を絞って参加しているというより、広くいろいろな企業を知ろうとしている方が多いように感じます。インターンシップを実施する側としては、いつものように、企業のことを知ってもらう、参加した学生に「学ぶ」とはどういうことかを具体的に理解してもらうことと同時に、社会人として働くとはどういうことか、何が大切なのかといったことも伝えたいと思ってプログラムを進めました。社会人としての基本的な姿勢を知って欲しいからです。 授業と学び研究所の出番は、神戸和敏先生の先生の仕事を考えるプログラムからです。公立私立、どのような地域で学んだかによって、参加者の考える先生の仕事が微妙に異なるのが面白いところです。このプログラムを通じて、先生方がどのような仕事を大切にしているのか、何に時間を使いたいと思っているのかという視点に気づいてくれたと思います。この会社がただ先生を楽にさせようとしているのではなく、学校教育の本質的なところに目を向けているからこそ、現在の成功があることを知っていただけたと思います。 後半の学校コンサルティング体験では、いつものように小中学校の校長から学校の課題を聞きだすというヒアリングのロールプレイを行ってもらいました。先ほどの神戸先生と授業と学び研究所の玉置崇先生に校長役を、後藤真一氏にファシリテータになってもらいます。 このプログラムでは、時期やその時の参加者によって、その様子はかなり異なってきます。一人2回のロールプレイを行うのですが、1回目のロールプレイから何を得るかが学びに大きな影響を与えます。よい気づきにつながるようなロールプレイを見ることができると、2回目の出来が大きく違ってくるのです。特にコミュニケーションのスキルは、それまで培ってきたものの差が大きく出てくるのですが、これまで意識していなかったことに気づけると大きく進歩することがあります。参加者が大きく進歩するのは、特定の個人やグループではなく、全体のことが多いように思います。互いに見合い、話し合うことで学びが広がるのです。集団で学ぶことの意味を感じさせられます。今回もそのような場面を見ることができました。 今回のインターンシップから、参加された方が他者と交わることで学べるということを知っていただければうれしく思います 子どもたちが積極的に学ぶようにする授業をどうつくる
中学校の現職教育で、子どもたちが積極的に学ぶようにする授業をどうつくるかについてお話ししました。
子どもの姿が「課題の答を求めている」「過程よりも結果を欲しがる」「授業者のまとめを写す」から、「わかりたい、できるようになりたい」「『教えて』と友だちに聞ける」という、「考えようとする」「わかろうとする」ものになることがその基本です。 その上で、子どもが興味を持って主体的に学ぼうとするような課題を提示することが大切になります。先生が「今日はこの問題を解いてもらいます」と天下りで提示すのではなく、子ども自身が疑問を持つ、解決したいと思うような課題にすることが求められます。例えば、酸性やアルカリ性といった水溶液の性質や消化について考えるのであれば、「胃で溶ける薬と腸で溶ける薬はどこが違う?」といった身近なことから疑問を持たせるといったことも大切です。子どもから、「あれっ」「えっ」「どういうこと」といった言葉を引き出すことを意識してほしいと思います。 子どもが興味関心を持っても、どこから手を付けてよいかわからなければすぐに意欲を失くしてしまいます。何をすればよいのか、どうすれば解決できそうかといった見通しを持たせることが大切になります。 課題に取り組むのに、個人で考えさせるのか、ペアやグループを活用するのかも大切な要素です。まずは一人という考えもありますが、一人にこだわると、苦しくなると集中力が切れてしまいます。その後でグループにしても、意欲を失くしてしまっていることがあります。例え個人で考える場面でも、「苦しくなったら、まわりと相談してもいい」と、友だちと相談することを許すことも必要です。「教えて」と言える子どもに育てることが大切なのです。その一方で、「教えて」と言われないのにこちらから勝手に教えようとはしないようにすることもきちんと押さえておきたいところです。 グループでは考えを一つにまとめないということが原則になります。一つにまとめようとすると、どうしても強い子どもの意見が通ってしまいます。まとめるのではなく、友だちの考えを聞くことで、自分の考えを深めることをねらいとします。自分の考えを主張することよりも、他者の考えを聞いて自分に取り入れることを大切にするのです。「話し合い」ではなく、「聞き合い」という言葉を使うようにするとよいと思います。 先生は子どもたち全員が答を出せるまでできるだけ待とうとする傾向があります。自分の答が持てないとその後の全体追求に参加できないと思うからです。その結果、時間ばかりが過ぎていき、全体で考えを深める時間が取れず、正解の子どもが発表して終わることになってしまいます。答を発表させようとするから上手くいかないのです。子どもたちの思考が止まっていると感じたら、ヒントなどを出さずに早めに一度活動を止めます。答ではなく、どこで困っているのかを共有し、何をすればよさそうかを考え、足場となるものをつくるのです。新たな見通しが持てれば、子どもたちは早く解きたいと意欲的なります。そこで、もう一度取り組ませれば、再び活発に動き出すのです。 全体追求の場では、「どんなことをやった?」「一番いいと思った意見は何?」と、結論ではなくその過程を共有することが大切になります。また、同じ結論になっても、根拠が異なる、やり方が異なることもよくあります。その課程の違いを明確にして考えさせることが大切です。反対に、同じことを根拠にしても結論が異なることもあります。そういったことを焦点化し疑問が生まれてくることで、子どもたちの考えが深まっていくのです。正解が出せなくても、参加できる、活躍できるような場にすることが大切です。 最後のまとめは、子どもたちに自身ですることが大切です。先生がまとめるのなら、それを写せばよいと思う子どもが出てきます。考えようとしなくなるのです。中には「先生のまとめを板書してくれないと困る」と文句を言う子どももいたりします。そうではなく、自分でまとめることで、学びが確かなものとなっていくのです。どうしても、板書しなければ困るというのであれば、子どもに言わせた言葉をそのまま書けばよいのです。足りないことは、他の子どもに言わせて書き足していけば、それで十分なまとめになります。板書する時間がもったいなければ、あとで子どもたちの書いたものを印刷して配ってもよいでしょう。 積極的に学ぶ子どもをつくるためには、子ども自身が活躍できたと思うことが大切です。それには、例え答を出せなくても、その過程にかかわることで参加できた、活躍できたと思えるような場面をつくることが重要になります。自分で納得できた、理解できたと思うことが大切なのです。 そういう場面をつくることを意識して授業を組み立てていただきたいと思います。 子どもの積極性を引き出すには、多くの要素が必要になります。毎日の授業の中でいろいろと工夫をして見てほしいと思います。 答を引き出そうとするのではなく、考えをどう深めるかを意識する
前回の日記の続きです。
もう一つの模擬授業は、5年生の「大造じいさんとガン」の大造じいさんの気持ちの変化を読み取る場面です。 色を表わす言葉に注意をして、情景描写の文を抜き出させます。授業者はとてもよい表情で、子ども役の答を復唱しながら「いい表現だよね」と体全体を使って受容します。安心して発表できる雰囲気です。子ども役の答に対して、あらかじめ用意したその文の短冊を黒板に貼ります。時間の短縮になるのですが、どうしても答探しになってしまいます。また、授業者が「あと1個あるよ」と子どもたちに問い返す場面がありましたが、これも答探しにつながります。この後続いて「他に見つけたという人いない?」と問いかけますが、あと1個と言われて答が出た後で手を挙げる子どもはなかなかいないものです。ここでは子ども役が手を挙げてくれました。「自分は他にも見つけたけれど、隣の人と話したら違っていたことと、色が入っているといいよと先生が言っていたけど入っていなかったので違うと思った」という発言です。こういった発言を子どもがするかどうかは別にして、「色が入っていないから」という理由が気になります。授業者のヒントで正誤を判断しているのです。ここで色にこだわるのは、筆者が色にこだわった表現をしているからですが、授業者からヒントとして出すのは疑問です。「情景描写を抜き出したら、色が入っているので、筆者が色を使った表現を意識している」「この文章の特徴として色がよく出てくるので、色を使った表現を抜き出してみると情景描写になっている」といったアプローチの中で色をクローズアップすべきだと思います。 上手に子どもたちとやりとりしているのですが、授業者の求める答を子どもから引き出そうとしています。子どもが文章を読みながら、作者の表現技法やそこに込めたものを見つけていく、見つけるための視点を身に付けるといったことを意識できるとよいと思います。 先ほどの情景描写の部分以外の本文を抜き出した文のカードを提示します。それぞれ、「使って」⇒「食べて」、「ハヤブサだ」⇒「スズメだ」というように、一部分を間違えてあります。この間違い探しをするのが次の活動です。どの部分をどう直せばよいのかを考えるのですが、クイズに近いものです。子どもたちの興味を引くことはできますが、本文の内容を知っていればわかるものがほとんどで、根拠を持って論理的に考えるようなものではありません。「にらみつけました」⇒「見つめました」といった、表現の違いにこだわって説明しやすいものもありますが、間違い探しをするよりはストレートに2つの表現を比較すればよいようにも思います。この間違い探しは本文の内容確認で、情景描写の表現の理解にどうつながるのかよくわかりませんでした。 本文のカードの間に、先ほどの4つの情景描写の文を正しくはさむのが次の課題です。面白いものなのですが、子どもたちは本文を既に読んで知っています。論理的に考えると言ってもその必要性がないため、ちょっと無理があります。こういった課題は、見たことのない文章でやると効果的だと思います。結局、根拠を聞くことはなく進んで行きました。そうであれば、時間をかけてやる意味はあまりないように思います。また、表現にこだわるのであれば、どこにはさむのが正解と考えるよりは、いろいろな場所にはさんでみてどう違ってくるのか考えた方が面白いのではないでしょうか。 続いて、この情景描写が何を表わしているのかを考えます。「何を表わしているのか?」というのは、情景描写だけにその情景を答えたくなります。情景描写が登場人物の気持ちを表しているということにはすぐに結びつきません。そこで授業者は「おじいさんの気持ちなのか?それとも、何かの様子なのか?」と言葉を足します。子どもが表現から見つけていくというよりは、授業者の誘導する問いに答えているだけになってしまいます。もしそうなら、ストレートに、「情景描写は、単に何かの様子を表わすだけでなく登場人物の気持ちも表現している」と教えた方が考えやすいと思います。読み取り方を教えるのです。もし、子ども自身に気づかせたいのであれば、さきほどこだわった色を使って考えても面白いかもしれません。表現に使われている色を変えてみるとどのような違いがあるかを考えるのです。そして、なぜ作者がその色を選んだのかを考えることで、何を表現したかったのかに気づかせます。情景描写が登場人物の気持ちを表現していることを子どもたちの言葉から整理して、読み方の視点としてまとめるのです。 情景描写から大造じいさんの気持ちの変化を心情曲線で表わしました。最後に「はじめ残雪のことを……と思っていた大造じいさんが……によって、……になる話」という形で大造じいさんの気持ちの変化をペアで一文に表わし、発表して終わりました。 授業者は、子ども役の言葉をよく受容し、できるだけ発言を引き出そうとしていました。とてもよい姿勢ですが、どうしても自分の求める答を引き出そうとしているように見えました。答を出しやすくなるようなヒントや誘導の言葉が目につきます。そうではなく、子どもの言葉をつないで考えを深めていくことが大切です。答探しではなく、子ども自身の考えがでやすい発問や問い返しを工夫することが必要です。授業者は安心して話せる柔らかい素敵な雰囲気を持った方です。力のある方なので、子どもからずれた答が出てもいい、いやそういう答の方が面白いと視点を変えて組み立てれば、子どもの言葉を活かして考えを深めるような授業になると思います。 検討会では、子ども役の先生方が、子どもの視点から授業者のよいところをたくさん見つけてくれました。また、子ども役になることで、子どもたちの気持ちにも気づけたようです。先生方にとって、とても学びの多い研修であったように思いました。この市では、こういった研修の機会が近年増えています。研修を通じて学び合うことのおもしろさを感じることで、学校全体の授業改善が進んでいくと思います。 皆さんも気づかれていましたが、私からも子どもを受容する姿勢の大切さを少し話させていただきました。とても、充実した研修だったと思います。 活動の評価を意識したい
小学校の研修に参加しました。2つのグループに分かれて、それぞれで国語の模擬授業を行い検討するというものです。
模擬授業の1つは、2年生の「がまくんとかえるくん」の音読劇を行うものです。 最初に登場人物の絵を切り抜いたものを使いながら、誰が出てきたかを問いかけます。話の内容を確認しながらていねいに進めますが、一人がつぶやくと、すぐに反応して授業者が説明をします。まずは全員にちゃんと思い出させることが必要です。「誰が出てきた?」「何をした?」ともう少しテンポよく子どもを指名して確認するとよいと思います。同じ答でもよいので何人も指名して、できるだけ全員を参加させるようにするのです。 かたつむりくんががまくんの手紙を届けようとするところまで確認して、ワークシートを配ります。まず名前を書いたら、裏返すように指示をします。誰が書けたかすぐわかりますし、ワークシートが気になって授業者の話を聞かないことも避けられます。よい方法だと思います。 この日のめあて「気持ちを考えて音読劇をしよう」を伝えて、板書します。子ども役に一緒に書くように指示しますが、授業者の視線はなかなか子ども役に落ちません。声を拾うことはできるのですが、子ども役一人ひとりの反応を見ることが意識されていませんでした。めあてをつぶやきながら板書をしますが、顔はホワイトボードに向いたままです。中には授業者よりも早く書けている子ども役もいます。ほめたいところでした。振り返りながら板書するよう意識するとよいでしょう。 全員でめあてを読んで、「気持ちを考えること」と「その気持ちを考えて音読劇をすること」の2つのことがあると説明します。 ここでちょっと気になることがあります。音読劇を子どもたちは経験しているのでしょうか。知らなければ説明が必要です。経験していても、どのようなものかを思い出させることが必要と思います。 全員に席を立たせて、「大きな声で読みましょう」と一斉に音読させます。授業者は子ども役と一緒に音読しながら机間指導しますが、教科書を見ている時間が長いことが気になります。子どもの様子を見ることを常に意識してほしいと思います。 授業者は、がまくんとかえるくんのセリフを取り出し、それがどちらのセリフかクイズをします。セリフを書いた紙を見せて聞いていきます。挙手をせずに子ども役に答を聞き、その理由も確認します。最初のセリフは「がまくん、……」と呼びかける文があるので、明確に理由を言えます。こういった根拠を言わせるのはよいことです。全体で確認するのですが、ハンドサインをあげない子ども役がいます。しかし、授業者は無視して進めます。ハンドサインは子どもたち全員の考えを知るためのもののはずですが、そうではなく、授業者が先に進むためのアリバイになっているようです。 答えた子どもにセリフを書いた紙を貼らせます。子どもを活動させるのはよいことです。貼り終わると「ありがとう」と声をかけます。こういったところはとてもよいと思います。 次のセリフは、授業者が貼りました。答えた子どもは自分も貼れると思ったかもしれません。時間の関係でこういうこともあると思いますが、一言子どもに、貼らせない理由を伝えておきたいところです。 続いて「また、似たものが出てきた」と言いながら提示します。最初と同じく、「がまくん」と呼びかける文があるのですが、どこが似ているかは確認しません。「かえるくん」という答に、「これも同じ理由かな?」と聞き返します。ちょっと乱暴な進め方です。 次のセリフでは、「がまくんと言っていないが、これは誰のセリフかな」と言って、教科書を見ながら指導案にメモをしている方を指名します。「ボーとしていました」という答に「聞いていなかったか。いいよ。もう一度言うからね」ともう一度セリフを読んで誰のものか聞きます。こういった対応はなかなかです。「がまくん」と答えますが、理由は言えません。しかし、「あってますか?」とその子ども役が聞くと「いいです」の声が出ます。授業者は「いいですよ。あってます」と答えてそのまま進んで行きました。ここはきちんと理由を他の子ども役に確認して、言えなかった子ども役にも確認することが必要だったと思います。 「でも、がまくん……」というセリフを、がまくんのセリフだと答える子ども役がでてきます。授業者は否定せずに他の子ども役の意見を求めます。「きみに」と言っているからかえるくんのセリフだという他の子ども役の言葉を受けて、授業者が説明しますが、間違えた子ども役は反応しません。授業者は、ここで説得することをあきらめて、これはかえるくんのセリフであることを伝えます。子どもの言葉で進めていこうとするのはとても大切ですが、こだわりすぎても先に進みません。こういう判断もあるでしょう。「○○さん」と間違えた子ども役に呼びかけて、「○○さんと言ったのはだれ?」と聞くといった対応もあったかもしれません。 クイズにかなりの時間を使っていますが、この活動と登場人物の気持ちを考えることが必ずしも結びついていません。クイズの形式にこだわらず、もう少しテンポを上げてもよかったと思います。 がまくんとかえるくんのセリフを上下に分けて整理して、気持ちが表れている文章はどこかを問いかけます。一つじゃなくてたくさんあるはずだと付け加えて、考えさせました。 子ども役が示した文をもとに登場事物の気持ちを整理して、グループごとに音読劇を行います。役名を書いた札を首からかけて、視覚化しています。自分の役を意識させるにはよい方法だと思います。キャラクターの絵を頭につけるといったやり方も視覚的にはよいかもしれません。授業者が一つのグループのそばでずっと聞いています。そのグループが終わるとまだ終わっていないグループのそばに行きます。先に終わったグループは席に座って待っていました。特定のグループだけ見ているのはちょっと気になります。全体の様子を見ることが大切だと思います。また、自分たちだけで音読劇をしても評価はできません。授業者は1回目が終わった後、「がまくんとかえるくん役は、すねている感じ、はげますように」と読み方の確認をしますが、具体的な評価はありませんでした。授業の中に子どもたちの活動の評価をどう組み込むかが課題です。時間の関係もありますが、2つのグループで互いに見合うことや、グループの中に感想を言う役をつくるといったことも考えるとよいでしょう。 がまくん、かえるくん、ナレータの役を交代して2度目を行います。2度目は1つのグループにずっと付きっきりです。終わったあと、授業者は「素敵な班を見つけました」とそのグループの音読がよかったことを全体でほめます。実際の授業ではグループはもっとたくさんあるはずです。きちんと全体を見て評価することができるのでしょうか。ほめてもらえなかったグループは、先生はちゃんと見てくれていなかったと思うかもしれません。こういったところに配慮が必要になります。「全部ちゃんと見ることができなかったけれど、○○の班は」と見られなかったことをきちんと伝えることや、全部のグループに対して一言ずつコメントするといったことが必要だと思います。 授業者は先にそのグループのよいところを具体的に言ってから、全体で発表させました。よいところを先に言うことで、意識して聞かせるという意図があったのかもしれません。どこがよいかを言わずに発表を聞かせて、後から子どもたちに言わせた方が先入観なしに聞くことができたかもしれません。また、聞く視点だけを伝えておくという方法もあるかもしれません。 子ども役は、とても集中して聞いている方とそうでない方に分かれます。どこまで演技かわかりませんが、友だちの発表なのですからしっかり聞くことをうながす必要があったと思います。発表の後、拍手が起こりますが、結局どこがよかったかを共有することはありませんでした。 最後に「こっちの班もとてもよかったんだよ」とフォローしましたが、タイミング的にはちょっと遅いと思います。また、具体的にどこがよかったかを言わないと、子どもたちはほめられたようには思えないものです。最初にほめられたグループとの差がますます開きます。 気持ちを考えて音読劇ができたかを最後に問いかけ、できたかどうか挙手をさせます。最初にめあては2つあると言っていたのですから、「気持ちを考えること」と「気持ちを考えて音読劇をする」というのは、分けて聞いてもよかったと思います。 また、「気持ちを考えて音読劇をする」というのは本人の気持ちの問題で、客観的な評価はありません。「登場人物の気持ちが聞いている人にわかる」といった評価が明確になる課題にした方がよいように思います。 授業者は、子どもを受容することをよく意識していました。子どもが活動する場面もありました。しかし、評価があまり意識されていないことが残念でした。この時間を通じて子どもたちにどのような力をつけたいのか、それはどこでわかるのか。特に子どもたち自身で達成感を持てるような目標をどうつくるかを考えて授業をつくるようにしてほしいと思います。 この続きは次回の日記で。 見方・考え方の大切さを感じた模擬授業(長文)
市の教員研修の1講座を担当しました。今年度の初任者は全員参加となっているものですが、その他にも若手の教員がたくさん参加してくれました。昨年と同じく初任者に模擬授業を行ってもらい、私が解説と講演をするというものです。今年度のテーマは「全員参加を目指す授業」でした。
模擬授業は5年生の三角形の面積の求め方の学習でした。 前時に学習したことになっている、直角三角形の面積の求め方を確認します。挙手した子どもの答を全体に確認しますが、「いいです」という反応を求めて進んでいます。たとえ同じでもよいので、何人も指名して子どもに出力させ、しっかりと確認したいところです。直角三角形の面積をどうやって求めたかを問いかける場面で、子ども役の手がなかなか挙がりませんでした。挙手した1名を指名して、すぐに授業者が解説を始めます。この日の授業の足場となる場面なので、全員にしっかりと思い出させたいところです。時間の都合もありますが、授業者の説明ではなく、子どもが図を使って説明する、隣同士で確認するといった活動を入れたいところでした。 子ども役が反応した時に、「ありがとう」の言葉がすぐに出ます。これに限らず、挙手した時など、子どもがよい行動した時にほめることができます。子どもをほめたり受容したりする姿勢ができていることはとてもよいと思います。ただ、そういった言葉をかけられるのは、どうしても積極的に参加する子ども、反応する子どもに限られてしまいます。手の挙がらない子どもたちをうまく参加させていくことが必要です。友だちの発言に対して、「なるほどと思った?」「納得した?」といった問いかけをし、挙手した子どもを指名するという方法もあります。なかなか反応しなければ、挙手に頼らず意図的に指名して、「どう思った?」といったことを聞くといった方法もあります。ここで大切なのは、子どもが反応したり、指名に対して発言してくれたりすれば、そのことを必ず評価することです。参加をうながし、参加することで認められるという経験を積ませることで、積極性を引き出すのです。 直角三角形の面積の求め方を確認しながら、「長方形の面積の半分だから?」といったことを子ども役に言わせようとします。ここで挙手に頼るのですが、復習ですのでどんどん指名すればいいのです。答えられなかったら、「後でまた聞くよ」と次の子どもをすぐに指名するのです。半ば強制的ですが、全員参加を求めることが大切です。答えられなかった子どもは、最後にもう一度指名して正解を言わせて終われば、ネガティブにはならないはずです。 ところどころで子どもたちに問いかけるのですが、基本的には授業者がずっと説明しています。一つひとつのステップを子どもたちの発言で進めるとよかったと思います。 授業者は一般の形の三角形を提示します。この三角形の面積を求めることが問題だと説明した後、「直角三角形の面積は、長方形の半分で求められたり、切って貼ると長方形になったりして求められたけれど、この三角形は求められそうか?」と子どもたち問いかけます。授業者は途中で確認せずに一気に話すので、前回の考え方のポイントが何かよくわかりません。丁寧に確認することが必要です。また、既存の知識に帰着させるという、算数の見方・考え方を意識しておくことも大切です。直角三角形の面積であれば、正方形、長方形の面積は求められることから、何とかして正方形や長方形をつくることができないかと考えるということです。 授業者は「どうやってやろうか?」と子ども役に問いかけ、まわりと相談させます。子ども役はしっかりと相談してくれましたが、全体で問いかけると挙手は1名です。授業者はすぐに指名します。ここは、どこで困っているか、どんなことを話したかを聞くことが大切です。わかっている子を指名すると、そのものずばりを答えられてしまうことがあります。そうなるとそこで子どもたちの思考は止まってしまうからです。 指名した子ども役は「分ける」と言ってくれました。授業者の意図を理解してくれています。実際の子どもではそうはいかないかもしれません。授業者は「ああ、分ける。分ける方法、いいね」と受け止め、他の方法を聞きます。なかなかよい受け方なのですが、何がよいのかはよくわかりません。「○○さんの言ったことどういうことかわかる?」と他につないでもよかったでしょう。 他の子ども役の「切って回す」という発言を「切って」「回す」と区切って復唱します。これもなかなかよい対応ですが、やはり発言者と授業者だけで完結してしまいます。子どもの考えをつなぎながら全体で共有させたいところでした。 授業者はこの問題の解き方の見通しを持たせようとしていますが、既存の知識を活かすという見方・考え方を意識していませんでした。「○○の時にやったね」と子どもから出た考えを過去に使った問題と結びつけるとよかったと思います。 やり方は一つかと子どもたちに問いかけます。「何個かありそうと思う人?」と挙手を求めるとほぼ全員の手が挙がります。子ども側からすると、何個あるという答を求めているようにも見えます。ここは、「どの考えならうまくいきそうかな?」と問いかけ、「いろいろなやり方を試してみるといいね?」というように、いろいろな考えに挑戦する姿勢を求めてもよかったかもしれません。 授業者は、その日の課題を子どもたちから出させるようにしているそうです。そこで、子ども役に「今日の課題は何?」と問いかけます。子ども役のつぶやきを拾って「いろんな方法で三角形の面積をみつけよう」を引き出します。ここで、すぐに授業者はあらかじめ用意した課題を書いた紙を黒板に貼り、全員に読ませます。子どもから出させると言っても、これでは授業者の用意した課題があるということですから、子どもの自身の課題とは言えません。子どもは一問一答で授業者の考える課題の答探しをしているだけになります。 子ども自身に課題を考えさせるのであれば、他の子どもにもこれでいいか答えさせ、子どもの言葉をそのまま板書して課題とするべきでしょう。 三角形の図がかかれた3枚のワークシートを配り、どうやったら三角形の面積を求められるか自分の考えを図に書き込むように指示します。「自分の考え」という言葉はあまり明確でないものです。子どもが育っていれば何を書けばよいのかわかりますが、「面積を求めて、どうやって求めたかの説明を書く」といった具体的な指示の方がわかりやすいと思います。 「自分で切ったり回したりしてかまいません」と授業者は口頭で説明します。切ったり回したりを頭の中でできるのはかなり高度です。それならば、ワークシートの他に三角形を用意して、ハサミで切るといったこともさせるとよいと思います。 子ども役が話した見通しはしゃべるだけで黒板には残っていません。手が止まってしまった子どもが手掛かりとするものがありません。課題の紙を貼ること以上に見通しや手掛かりを残すことが大切です。 授業者はすぐに机間指導をしますが、どうしても下を向いて歩いてしまいます。まず、手が動こいていない子ども、鉛筆を持てていない子どもがどのくらいいるかを把握することが大切です。鉛筆を持てていない子どもが多いようであれば、何をしていいのか指示が明確でなかった可能性があります。手が動かないということは、見通しが持てていないということです。手が動いていないこと自体は決して悪いことではありません。考えている時も手が動かないからです。ただ、事前に見通しを持たせたはずであれば、それがきちんと理解されていなかったということです。 子ども役の手はよく動いています。であれば、子ども役の考えを知るために机間指導をしてもよいのですが、手が止まった子ども役がいないか、全体の様子を見ながら回る必要があります。 途中で、立ち止まって子ども役に何か説明しています。個別に声をかけるのは悪いことではありませんが、まわりと相談するという選択肢も持ってほしいと思います。 続いて机ごと(2人ないし3人)に考えを聞き合います。授業者は机間指導しながら、何人かのワークシートに番号をつけています。そのグループはこの後全体で発表をすることになります。あらかじめ決めておくとそのグループは準備ができますが、他のグループは意欲が落ちてしまう可能性があります。時間の関係で全員発表させられない時は、同じ考えのグループがいるかどうかを確認しながら、言葉を足させるといった形で発表をつないでいくといいでしょう。 授業者は司会者と発表者の役を決めて話し合うように指示をします。数人のグループではそのような役割は必要ありません。自然に聞き合えるような関係を意識することで、個人追究の場でも気軽に聞くことができるようになっていきます。 あらかじめ発表を指示されたグループは、発表の準備が話し合いの目標になりますが、そうでないグループの目標ははっきりしません。発表にしても、どんな発表を目指すのかはっきりしません。グループ活動は一人ひとりが活動できる機会が増えるので、それなりに活発な動きがみられるものですが、ただ活動するだけになる危険性もあります。昨今言われている「深い学びの実現」にどのようにつながるかが問われます。「互いに聞き合って、自分と違うやり方で納得できるものがあれば、自分のワークシートに書き足して、できるだけたくさんのやり方を見つけて説明できるようなる」といった目標が必要でしょう。 授業者はここでも机間指導を行いますが、全体を見て参加できていない子どもがいないかに注意を払う必要があります。子どもたちの中に入ると全体が見えなくなることを意識してほしいと思います。 あらかじめワークシートに振られた番号順にその内容を発表しますが、ここには授業者の意図が表れます。しかし、それは授業者の都合です。子どもによっては他の方法を発表したいと思うかもしれません。子どもなりに考えを評価することも大切です。教師の意図が強く出すぎないようにすることも意識してほしいと思います。 よくあることですが、発表の時に授業者は発表者の方ばかりを向いています。発表をしっかりと見守ることも大切ですが、それを聞いている子どもたちの様子を見ることも同様に大切です。「だれが、しっかりと反応できているか」「どこを子どもたちが理解できていないか」といったことを見ておかないと、次の展開が見えてこないからです。 最初のグループは「直角三角形があるかどうか探すと……」と説明を始めます。ここでは、「直角三角形を探す」がキーワードです。しかし、授業者はそのまま説明が終わると、同じように考えた人とたずね、ほぼ全員が手を挙げたのを確認して自分で説明を始めます。ここで切ったら正方形と長方形になったと説明しますが、これは結果の説明です。なぜここで切るのかという発表者の発言を捨ててしまいました。子どもに発表させていますが、その結果だけを利用して自分のしたい説明をしているのです。こういったことが続くと子どもたちは「結局。最後は先生が説明するからいいや」と、発表したり、友だちの発表を聞いたりする意欲を失くしてしまいます。子どもの考えを全体で共有することが大切です。 ここは、「直角三角形を探すと言ってくれたけれど、それってどういうこと?」と問いかけることが大切です。「直角三角形の面積なら求めることができる」といった既存の知識を利用しようとしていることを価値付けしなければいけません。 説明の途中で、4×4の式が何を表わしているか問いかけます。数人が手を挙げると、すぐに指名します。「四角形」と答えますが、授業者はすぐに「この正方形の面積」と「正方形」と言い換え、「面積」という言葉を足して説明します。「四角形」では、何を求めているかわかりませんし、面積は求められません。「四角形の何?」「四角形なら面積はわかるの?」と返すことが必要です。物わかりのよい先生になってはいけないのです。 次は残りの長方形の面積の部分です。4×2の式に対して、指名した子どもは「長方形」と答えます、今度は「長方形の?」と聞き返し、「面積」という言葉を引き出しました。ここでは切り返すことはできましたが、きちんと意識してできているのではなくたまたまのようです。 この問題で大切なのは、基礎の知識や考え方を使って三角形の面積の求め方を考えることです。計算の部分は復習です。なのに、その部分ばかりが繰り返されます。答の式に意識が行っているのです。そうではなく、見方・考え方を大切にしてほしいと思います。 ほぼ全員がこの考え方でできていたのに、子ども役の発表の何倍もの時間を使って授業者が説明を繰り返しました。ポイント押さえて時間を使う必要があります。 次のグループは、「前回学習したことをもとに……」と三角形を半分に切りました。これも、すばらしい言葉です。子どもからいつもこういう言葉が出るかどうかはわかりませんが、出てくれば価値付けすることが大切です。子ども役の先生方からこの言葉が出たということは、既存の知識を使うという考え方を意識しているということです。これはとてもよいことです。 このやり方もほぼすべてのグループで出てきたようです。 授業者はこのやり方は、前のやり方と「似ている」「同じ」と説明します。そうではありません。前のグループは前回学習したことの結果を使おうとしています。このグループは半分に切るという考え方を使っています。アプローチが違うのです。授業者は結果しか見ていません。数学的な見方・考え方を意識できていないのが残念です。結局授業者は答の出し方の説明に終始します。また、先ほどのやり方は、2つの直角三角形になっているので、底辺を分割した長さがわからないと計算ができませんが、一般的にはその長さはわかりません。それに対して、この三角形を囲む大きな長方形をつくってその半分の面積になるという考え方は、底辺と高さだけから求められます。大きな違いがあります。このことをどう子どもに気づかせるかが大切です。 授業者は説明の中で三角形の面積が、「高さ」が半分の長方形の面積なると説明します。無意識で使っていますが、子どもたちは長方形では「縦」と「横」という言葉で考えています。「高さ」で何となくわかるからいいように思うのですが、ここで一般用語の「高さ」を使うと算数の用語の三角形の「高さ」と混乱していきます。一般用語の「高さ」と混乱して、三角形の「高さ」を見つけられない子どもがよくいます。こういったちょっとした言葉も意識して使うことが必要です。 3つ目のグループは、三角形の頂点から直線を引いて2つに分けると説明を始めます。どのような直線かははっきりしていません。子どもたちの意識から消えやすいので、ここですぐに「どんな直線?」と確認したほうがよいと思います。説明を一つ一つ確認しながら、もう一度説明させることができるのなら、その時に指摘するという方法もありますが、結局授業者はこのことを指摘せずに終わってしまいました。 このグループは、2つの直角三角形に分けて、それぞれが正方形、長方形の半分の面積なので、元の三角形の面積は正方形と長方形を合わせた長方形の面積の半分になるという説明です。このやり方が出てきたグループは少ないようです。 このやり方は最初のグループと同じ説明の図になっています。ここを比較しながら考えると面白いのですが、授業者はこのやり方でもできますねと、似ていることは指摘するのですが、どちらも半分になるからと簡単に説明を終わり、計算式の説明に移りました。この考え方をした子どもたちはほとんどいなかったのですから、こここそ、きちんと子どもたちと考えを共有しながら説明をしたいところでした。 最後に3つの求め方で共通点がないかを問いかけます。これも何を答えていいのかわかりにくい質問です。子ども役からも反応が出ません。ここで授業者はまわりと相談をさせました。これはよい判断です。ちょっと間をおいて子ども役から言葉が出始めます。「なんか見つけたよ、という人?」と問いかけますが、すぐに挙手するのは1人です。しばらく待っても、パラパラとしか手が挙がりません。何を求められているのかよくわからないのです。「÷2」が出てくるという答に「いいことに気づいた」と返します。「何の÷2」と改めて問い直しますが、その前に、「どこにある?」と全体で「÷2」を共有する必要があります。それをしないで先に進むと他の子どもたちはついていけなくなってしまいます。挙手した子ども役を指名すると「四角形」と答えます。ここで、どこにあるかきちんと確認しながら、長方形、正方形という言葉に修正していくことが必要です。既存の知識「長方形、正方形の面積」や直角三角形の面積の求め方で出てきた「組み合わせて既存の形、長方形をつくる」といった考え方と結びつけることが必要なのです。 授業者は、順番に四角形を指しながらこの半分になると説明して、最後はこの大きな長方形の半分になるとまとめます。しかし、大きな長方形の半分は最初の考え方では出てきていません。無理やりなのです。 子どもたちの考えで進めているように見えますが、結局は一問一答で教師が自分の考え方を説明しています。授業者は初任者とは思えないぐらい、しっかりと子どもの発言を受容しようとしています。まわりと相談するといったこともさせるのですが、まだ考えをつなぐことはできていません。そもそも、何を子どもたちに考えさせるのか、どこを深め、どんな力をつけるのかが明確ではないのです。わかった子どもの考えを授業者が説明するだけで、全員が考えることには、まだつながっていないのです。 私からは、この授業を受けて、全員参加の授業をつくるためのポイントを整理してお伝えしました。初任者が多いので、まずは、子どもが安心して暮らせる学級づくりが大切で、その基本となるのは、授業規律と子どもが受容されることであることから説明しました。 受容の基本は聞くことです。「教師が子どもの言葉を聞く」「子どもが友だちの言葉を聞く」ことを大切にしなければなりません。子どもの発言を受け止めることから始まり、その発言を切り返し、つなげていくことが重要ですが、それほど簡単なことではありません。このことを意識して毎日授業をしていくことで、初めてできるようになるものだと思います。 全員参加の授業のポイントとして、次のようなことを示しました。 ・「困ったこと」から出発する ・「わかった人」と聞かない ・全員できるまで待つのではなく、できていない子どもを参加させるのであれば、途中で止めてもいい ・わからなくても、「今の意見をどう思った」というように、聞いていれば参加できるようにすることを意識する ・できる子どもの活躍の場面は、答を言うことではなく、友だちを助ける仕事にする 参加した皆さんの参考になればと思います。 介護研修で、技術やノウハウを意識的に供することの大切さを考える
介護職員の研修を行ってきました。8月は「排泄介助」がテーマでした。
排泄は人間にとって最もプライベートな行為の一つです。そのような行為を介助するということは、とても細かな気づかいが必要となります。また、排泄介助は身体の機能の低下とも密接に関係するため、排泄のメカニズムと機能障害の関係などの知識も必要になります。こういった心構えや知識をテキストで共有した上で、日ごろの介護の現場でどのようなことを意識しているかについて聞きあっていただきました。 いつも感じることですが、様々な方の介護を通じて、皆さんは本当に多くの経験をされています。当然、一人ひとりに応じた対応策やノウハウも身に着けていらっしゃいます。それを互いに聞き合うことは、多くの学びにつながります。 例えば、認知症の方の中には、排泄のためにズボンを下ろしてもすぐに引っぱりあげてしまう方もいるそうですが、そういった方への対応方法に、思わず「へー」と感心してしまうこともありました。介護のテキストにはまず載っていないノウハウをたくさん聞くことができました。互いの工夫を聞き合うことの大切さ、有効性を実感しました。 学校現場でも同様のことがあります。例えば自閉症スペクトラムの子どもたちは、同じ名称で一括りにできない、多様な行動をとります。個別性がとても強いのです。当然一人ひとりに応じた対応が必要となります。そのノウハウは、そのまま他の子どもに通用するわけではありませんが、対応を考える上で役に立つ情報です。こういった個の子どもたちだけでなく、学級の集団としての特性も多様で、その対応もいろいろです。先生方は長年教壇に立つことによって経験を積みノウハウを貯めていきますが、それを共有することはあまりありません。とてももったいないことです。 「次期学習指導要領に向けたこれまでの審議のまとめ」でも「授業改善の取組を活性化していくことが必要」とされています。先生方が子どもたちや学級への対応について互いの経験を話し合い共有する機会を持つことも、その活性化の一つだと思います。 介護も教育も個人に技術やノウハウが貯まりやすい職種です。意識的に共有する場面をつくることが大切だと、改めて気づかされました。 教務・校務主任への研修
市内の教務・校務主任対象の研修を行ってきました。
グループに分かれていただき、授業研究や改善について、それぞれの学校が取り組んでいることや課題について聞きあっていただきました。 同じ市内と言っても学校ごとの課題は異なっています。しかし、それらに対処する取組は、課題が違っていても互いに参考になるはずです。こういったこと共有する機会を持つことは、とてもよい学びなったと思います。 私からは、よい方向に変わっていく学校に共通してみられる取り組みについてお話させていただきました。「授業中に笑顔を意識する」「子どもの発言をまず受容する」といった単純なことでいいので、学校全体で一つのことを徹底して行うことと、特に若手に対しては、アドバイスをした後できるだけ早く授業を見て、変化しているところの価値付けを行うことがポイントです。子どもたちがよい方向に変わっていれば「子どもたちがよくなったね」とそのことをほめます。たとえそうでなくても、授業者がアドバイスをされたことを意識して授業を行っていれば、「授業を変えようとしているね」とそのことをほめて、変えようとする意識を強化すればよいのです。若い先生方は子どもと似ているところがあります。何か努力をしても、すぐに結果が出ないとこれはダメだとすぐにあきらめてしまうのです。ちょっと行動を変えたからといって、すぐに結果が出るわけではありません。継続することが大切なのですが、気持ちを持続させるためには、やろうとしている意欲を認めてあげる必要があるのです。このことは、特にミドルリーダーである教務・校務主任にとって大切な仕事だと思います。 また、今学校現場ではアクティブ・ラーニングが流行していますが、子どもたちをグループにして協働的な活動をさせるだけの表面的なものが多いように思われます。「次期学習指導要領に向けたこれまでの審議のまとめ(素案)」をもとに、「主体的・対話的で深い学び」について簡単な説明をし、「深い学び」を実現することが大切であることをお伝えしました。 どの学校も積極的に授業改善、学校改善に取り組んでおられることを感じました。それらの取り組みを後押しする研修になったとすれば幸いです。 アクティブ・ラーニングについてお話しをする
私立の中学校高等学校で、アクティブ・ラーニングについての講演を行いました。今年度から、各教科で積極的に取り組もうとしている学校です。1学期に見せていただいた授業をもとに、特にグループを活用した授業のポイントを紹介しました。
「次期学習指導要領に向けたこれまでの審議のまとめ(素案)」をもとに、「主体的・対話的で深い学び」というキーワードについて説明しました。特に高等学校での学習の過程の改善を意識していることを強調させていただきました。 審議のまとめでは、教師が教えることを否定しているのではなく、どのようにかかわるかが大切であると言っています。アクティブ・ラーニングの視点について、「深まりを欠くと表面的な活動に陥ってしまうといった失敗事例も報告されている」と、暗に、現在巷間で言われたり、行われていたりするアクティブ・ラーニングが表面的なもので、目指すべき「深い学び」につながっていないと批判しています。このことを意識して、幅広い視点で子どもの学習過程をとらえ直し、授業改善を進めてほしいことを伝えました。 実際のこの学校の子どもたちの授業での様子をビデオで観てもらいながら、ポイントの解説を行いました。子どもたちがグループでの学習に取り組んでいる姿は非常に積極的なもので、彼らのポテンシャルが先生方が思う以上に高いものだと確信してもらえたと思います。子どもたちの可能性を信じてほしいと思います。 最近私が知った意思決定のプロセスにOODAというものがあります。Observe(観察)、Orient(情状況判断)、 Decide(意思決定)、Act(行動)のサイクルを繰り返すというものです。これを意識することで、授業改善のプロセスが明確になると思っています。 授業に当てはめると、「子どもたちの現状を知る」⇒「子どもたちにどんな力をつけるのかを判断する」⇒「そのために必要な活動と目標を考える」⇒「子どもたちが活動し、自身で評価する」といった流れになるのでしょうか。まず子どもたちの状況をしっかり見ることから始め、今子どもたちにつけたい力を意識して授業を組み立てるということです。 子どもたちが主体的に取り組むためには、子ども自身が疑問を持ち、解決したいと思うことが大切です。それほど簡単なことではありませんが、このことを意識することが大切です。 この学校は、まずグループを活用することから始めていただいています。教師がかかわりすぎず、子ども同士をつなぐことを考えて授業に臨んでほしいと思います。。 実際の授業のビデオを観ると、子どもたちは自分たちが一生懸命取り組んだ時は友だちの発表を真剣に聞こうとしています。一方で、発表に続いて先生がコメントをすると集中力が落ちてしまう場面も同じ授業で観ていただきました。子どもたちの様子からいろいろなことがわかることに気づいていただけたと思います。 グループ活動の後の発表に時間がとられるという悩みをよく耳にしますが、全部のグループを順番に発表させることにこだわる必要はあまりありません。一つのグループの発表の後に、「同じようなことを考えたグループ」とつなぎ、それらのいくつかに簡単に発表させ、その上で、他の考えがあるグループに発表させるとよいでしょう。同じような考えを整理して聞くことができるので、時間の節約になりますし、また、焦点化もしやすくなります。 先生の仕事は、子どもたちの発表や考えを交通整理することと、その内容を教科の見方・考え方の視点や、メタな視点で価値付けすることにあります。一方、先生が子どもたちの発表をまとめると、「結局はそれが正解か。じゃあ写せばいい」と考える子どもが出てきます。そうではなく、「友だちの発言を聞いて自分の考えに付加する」「それまで出てきた考えを子ども自身にまとめさせる」ようにするとよいでしょう。どうしても板書をしないとまとめられない子どもがいるというのなら、子どもに発表をさせてそれをそのまま板書すればいいと思います。不完全であっても、「足してくれる人?」と他の子どもの考えも付け加えていけば、立派なまとめができます。子どもは先生のまとめは無批判で写しますが、友だちの考えはいったん自分で吟味をします。こういった過程が大切になるのです。 先生方には、非常に熱心に話を聞いていただけました。この学校で実際にアクティブ・ラーニングに取り組む先生が増えてきています。その中で、少しずつ授業改善に取り組もうという雰囲気ができてきていると思います。次回の訪問でどのような授業に出会えるのか、とても楽しみです。 子どもに迫ることの難しさを感じた道徳の授業
前回の日記の続きです。
中学校の道徳の模擬授業は、実話をもとに書かれた曽野綾子の小説「塩狩峠」の一部を使ったものです。塩狩峠を登っていた汽車の最後尾の車両の連結が外れ、坂を逆走する列車の暴走を止めるため、その日友人の妹と結納を交わす予定だった主人公が線路に身を投げたというとても重い話です。 授業者は子ども役に今までピンチになった経験を話させます。ちょっと笑えるエピソードもあり、場が和みます。最後に授業者がトイレで用を足した後、紙がなかった話をして、笑いを誘います。明るい雰囲気になったところで、情景を思い浮かべながら聞くようにと指示をし、資料は配らずに授業者が範読を始めました。 授業者は範読中にあまり顔が上がりません。子ども役の様子をあまり見ていませんでした。体を乗り出して聞いている方、ちょっと下を向いている方、背もたれに体を預けて腕を組んでいる方、いろいろです。ここで何か声をかけるべきかどうかは一概に言えませんが、子どもを常によく見ておけば、ちょっとした変化にも気づけるので、指名や授業の展開を考える上で役立ちます。また、授業者をしっかり見ている子どもに視線を合わせてうなずくといったことをしておくと、その後で発言を引き出しやすくなります。 途中で、情景を表わす絵を貼って理解を助けます。読み物資料を使う時は、早く内容を理解させ、子どもたちが考える時間を確保することが大切です。絵を使うというのもよい方法の一つです。 逆走を始めた列車がカーブに差し掛かったところで話をいったん止めて内容の確認を行います。主人公は誰かと子ども役に問いかけます。半分も手が挙がりません。答えるまでもないのかもしれません。しかし、こういった場面できちんと参加させないと、肝心なところで発言をしてくれない可能性があります。まわりと確認させる、挙手に頼らず何人も指名するといったことをするとよいでしょう。「たしか、信夫?」という答に、授業者は「ああ、いいですね。よく聞いていましたね」とほめます。ちょっと自信のなさそうな答え方だったことからすると、ここまでの内容からはまだ主人公がだれかよくわからなかったようです。範読の途中で信夫という主人公の名前が出た時に、この人が主人公だと授業者が宣言してもよいと思います。主人公がだれかがわかった方が、話を理解しやすくなるからです。 授業者は、「この後信夫はどうするでしょうか?」と問いかけます。この状況に対してどのような選択肢があるのかよくわかりません。根拠を持って考えることのできない発問です。この後のショッキングな展開をより印象付けるためだと思いますが、ここで時間をあまりかけても意味はありません。授業者は30秒考える時間を与えましたが、適切だと思います。 子ども役はじっと考えています。時間が来ると授業者は全員立たせます。指名していって、全く同じ意見だったら座るというやり方です。道徳ではよく使われますが、とりあえずどんな考えがあるかを知る時によい方法です。 「ブレーキのハンドルを必死に回し続ける」「他の人を呼んで、力を合わせてブレーキをかける」「みんなで、列車の中を移動して、バランスをうまくとってカーブを回りきる」「跳び下りて逃げる」「神頼みをする」といろいろな意見が出ます。授業者は「跳び下りて逃げる」という意見に対しても、素直に受容しました。実際の授業ではこういった子どもが、この後どのような変容をするのかに注目したいところです。 続いて主人公が線路に身を投げて列車を止めたこところまで範読しました。 「主人公が線路に跳び下りた時の気持ち」を考えてワークシートに書かせます。ここはまだ主人公の気持ちを考えているところなので、あまり時間を取りたくないところです。授業者は2分ほどして、全体で考えを聞きます。上手な時間配分だと思いました。 先ほど、跳び下りて逃げるといった子ども役が、「自分だったら身を挺して止めようとは思わないので、きっと婚約者との結婚話に裏があって、嫌だったけど結婚しなければいけない事情があった」とちょっと斜めな意見を言います。もし実際にこのような子どもがいたら、とても面白いと思います。「自分だったら」と自分に引き付けてくれています。授業者はこの意見も「なるほど」と受容しますが、自分の気持ちを言ってくれたことを評価して、ここを軸に話を進めても面白かったかもしれません。続いて回っていて気になった意見があったと、一人の子ども役を指名します。「家族や婚約者のことが頭に浮かんで、『ごめん』と思いながら跳び込んだ」という意見です。多くの人を助けたいという意見が多い中、プライベートな家族や婚約者のことに思いを到らせています。「他者を助ける」「自分の身近な人を悲しませる」という2つの思いをもう少し焦点化したかったところですが、授業者は「『ごめん』と言って跳び込める?」と発言者に聞き返しました。「勇気がなくてできない」という答えが返ってきます。授業者も自分もできないと話し、先に進みました。 残された人の様子が語られる中で、主人公が常に遺言を胸ポケットに入れていたという話がでてきます。授業者は主人公のちょっと違う面が出てきたと言ってから、常日ごろ持ち歩いているものは何かを問いかけます。先ほどから変わった意見を言っている子ども役の手が挙がりません。そこで、授業者はその子ども役に声をかけて、発言を求めます。隣の席の子ども役が「遺言」とつぶやいて助けました。授業者はそうですねと、笑顔で受容しました。 授業者は、主人公は何が起こってもいいように胸ポケットに遺言を入れていたと思うと自分の考えを伝えた上で、先ほどは婚約者のことを話してから、跳び込んだ時の気持ちを考えてもらいましたが、今度は「いつも胸ポットに遺言を入れていた」「主人公にふさわしい死に方だったと友人が言ったこと」を考えながら、もう一度主人公の気持ちを考えるように指示しました。 2段階で考えさせることは、子どもたちの考えを深めるための方法の一つです。しかし、その前の段階で焦点化されていることがないと、かえって発散してしまいます。授業者が遺言を持ち歩いていた主人公の気持ちを説明しましたが、このことをもっと自分たちで考えておかないと、考えが深まらないのではないかと思います。 2分ほどして、意見交流をするように指示します。この時に納得する考えがあれば自分の言葉に直して書き加えてもよいと伝え、4人グループにしました。 全体で、どんな意見が出たかを発表させます。発表してくれる人がいたらうれしいとIメッセージで問いかけます。 「主人公が日ごろから、他者のために自分の命使おうと心がけていた」「いつでも死ぬ覚悟はできていた」「婚約者にすまいなと思っていた」「やはり婚約者との結婚が嫌だった」といった意見が発表されます。 授業者は「自分もここまでは無理だけれど、確固たる信念を持って生きてほしい」と自分の思いを伝えて、「今後どのようにして生きていきたいのか?」を書かせます。ちょっと気になったのは、「信念」という言葉が唐突に出てきたことです。子どもたちから出てこない言葉を使う時には、注意が必要です。授業者の答がそこにあると思ってしまうからです。子どもたちが言ってくれたことは主人公の「信念」だと言えることを全体で共有することが必要かもしれません。 最後に、授業者が自分の信念、これだけは守っていこうと思っていることを話しして、「スラスラかけた人、なかなか書けなかった人いろいろいるかもしれませんが、今はそれでいい。これからの人生でそういうものが見つかるといい」と締めくくりました。 授業者は子どもたちに自分の信念について考えさせたかったようです。そうであれば、あなたならどうなのか、自分はそこまで強いものがあるのかといったところを問いかけ、考えさせる時間を取るべきだったと思います。物語の主人公の生き方を客観的にとらえるだけで、自分に引き寄せる場面が足りなかったと思います。 授業者は自分の思いを話しましたが、決して押し付けにならないように意識していたようです。最後に、信念を書けなくてもそれでいいと言ったことで、救われる子どもも多かったと思います。 常に柔らかい表情で子どもたち受容する姿に、落ち着いた学級づくりができているのではないかと思いました。個々の子どもをしっかりと受容できるので、次は子ども同士をつなぐことを意識するとよいと思いました。 最後に、道徳の授業をどのようにしてつくっていくのかについてお話をさせていただきました。 子どもが本音を言える学級づくりが基本となることや、子どもが先生の求めるような答を言って満足していてはいけないこと最初に伝えました。 授業の組み立ては、子どもが考える、変容するような活動に時間を使うことを意識することが大切です。そのためには、読み物資料であれば、読み取りに時間を取られないようにしなければいけません。また、話し合えば考えが深まり変容するわけではありません。子どもの考えを焦点化したり、時には対立させたり、また揺さぶるような切り返しが大切になります。 そのためには、客観的な判断や考えを聞くのではなく、あなたならどうする、自分ならどう思うといった、自身に引き付けるような発問や問いかけが求められます。 こういったことを意識して、子どもの心を耕すことをお願いしました。 模擬授業をしてくれた2人の先生に共通していたのは、子どもを受容しようとする姿勢です。子どもと接する基本ができていたことをとてもうれしく思いました。 このような機会がまたあることを楽しみにしています。 子どもが教師の求める答探しをする道徳(長文)
市の少経験者研修で講師を務めました。午前中は小学校と中学校のチームに分かれ、道徳の授業の指導案を検討し、午後は互いが子ども役になって代表者が模擬授業をするというものです。
小学校の模擬授業は、「星への手紙」という教材を使ったものでした。筋ジストロフィーにかかった子どもが、生きる気力を失くし食事もとらなかったが、母親の涙にこれ以上悲しませたくないと思って一口スープを飲み、その時母親が今まで見たこともないほどの喜びようを見せたことで、こんな自分でも頑張って生きることで人の役に立つことができると思う話です。 授業者は、なかなか上手にアイスブレークをします。自分はグーを出すと宣言して子ども役とじゃんけんをしてパーを出させます。そして、その手をそのまま精一杯上に挙げさせます。この姿勢が挙手の姿勢であることを伝え、一人一回はこの姿勢を取ってほしいと伝えました。 最初に授業者は「みなさん、生まれてきてよかったことはありますか?」と質問をします。あるという人が全員です。確認して、タイトルを示し、「今の質問が何の質問だったのかなと頭に入れておくといいかな」といって次に進みました。今ひとつねらいがよくわかりません。他者を喜ばせるということを意識するのであれば、どんな時に生まれてきてよかったと思ったかをちょっと聞いてみたいところでした。 子ども役に3分間時間を与えて資料を黙読させます。実際の授業では子どもの読む速度に差があるので、早く読み終わった子どもがごそごそする危険があります。また、この後、内容の確認を子どもに発言させてすると、読み取りの力に差があるため、思いのほか時間がかかってしまうので注意が必要です。 授業者は机間指導をしますが、この場合何を見るのでしょうか。授業者の視線が定まりません。ここは、全体を見ながら内容が理解できなくて困っている子どもがいないか、早く読み終って手持ちぶさたの子どもがいないかといったことを見て、都度必要な対応をするべき場面だと思います。 全員が読み終ったのを確認し、早く読めた人は素晴らしいとほめて次に進みます。ここが早く読めたことを評価すべき場面であるかはちょっと疑問です。道徳の性格上、じっくりと前に戻ったりしながら読むことの方が大切に思います。ちょっと気になるところです。 ここで、資料の注釈をもとに筋ジストロフィーの説明を簡単にします。このことが必要だと思うのなら、最初に説明をしてから読ませた方がよいでしょう。ムダにつまずかせる必要はありません。話の内容を少しでも早く理解させることが大切です。 話の内容を資料にそって確認していきます。資料の文の「食べなくなった」のはどんな気持ちでしょうかと問いかけます。手元に資料があるので、子ども役のほとんどは顔が上がりません。少し間をおいて、「こうじゃないかなと思う人?」と挙手を求めます。手が挙がるのは一人です。授業者はすかさず指名します。子ども役が本当に考えているのであれば、もう少し時間を取る必要があります。少ない挙手で進めることは注意が必要です。 「自分なんかいなくなればいい」という答に、授業者は「いいですね」と返します。この言葉は、子どもの考えを客観的に評価していることになるので、実際の子どもであればこれが正解なのかと思ってしまいます。そうではなく、子どもたちをその時の主人公の気持ちに寄り添わせることが必要です。「なるほどね」と受容はしても、よい悪いの評価はしない方がよいでしょう。他の意見を聞きますが、「死んでしまいたい」という発言に、「同じように思った人?」とつなぎます。ここで突然、「同じように思った人」とつなぐと、これが先生の答かと思ってしまうかもしれません。なかなか難しいところです。こういう手法を使うのであれば、常に同じように思った人とつないでいる必要があると思います。 授業者は多くの子ども役の手が挙がったことを確認して、自分の言葉でまとめます。子ども役から一度も出てこなかった「絶望」といった言葉が足されていきます。こういったことも、授業者の求める答があると感じてしまう要因です。子どもたちが主人公の気持ちに入っていくのではなく、距離を取って客観的に考えてしまう可能性が増えます。 お母さんのつくったスープを飲む時の気持ちを問いかけます。子ども役の手がなかなか挙がりません。本当に答えにくかったのか、子ども役になりきっていたためなのかわかりませんが、ちょっと重い雰囲気になっています。授業者は目が合った子ども役に「言えそうですね」と声をかけました。こういった指名の仕方はなかなかのものです。「幸せな気持ち」という答に、「ああ、幸せな気持ち」と受容し、ちょっと間をおいて「確かにそうですね」と続けました。授業者からするとズレた答だったと思いますが、受容したのは立派だと思います。ただ、表情がかたいので、子どもだったら「外した」と思ったかもしれません。こういう時はいつも以上に笑顔と明るい声が必要なのです。 「お母さんが苦しんでいるのは見たくない」という発言に対して、他に似たような言葉でもいいのでと発言をつなごうとしますが。傍から見ていると、どうしてもこの方向に誘導したいという意図を感じてしまいます。子どもたちはこういうことには敏感です。まわりと聞き合うといったことをして、もう少し子どもたちを自由にしゃべらせたいところでした。 続いて「頑なだった、依怙地だった気持ちがほどけるような気持ち」という意見が出てきます。ちょっと子どもらしくない意見ですが、「さすがですね」と評価します。この意見はかなり客観的で、他人事として冷静に見ています。「本当?ずっと死にたいと思っていたのに、そんな簡単に気持ちがほどける?」と揺さぶるといったやり方もあったかもしれません。 主人公の気持ちが、「死にたいと思った時」と「スープを飲んだ時」とで変化したかどうかを問いかけます。全員が変化した方に挙手した後、授業者は場面ごとの板書を使って、ここでは悪かった、ここでよくなったと主人公の気持ちを「よい」「悪い」で評価します。この言葉はあまり適切ではありません。せめて、「落ち込んでいた」「暗い」「上昇した」「明るい」といった柔らかい表現にしたいところです。人は苦しい時、暗くなる時もあります。それを「悪い」と決めつけるのはそういった状態になった時に子どもたちを追い詰めることにつながります。日ごろからそういうことを意識して言葉を使うことが必要だと思います。 看護師さんも駆けつけて、お母さんと同じように涙を流して喜んだ時に主人公はどんなことを感じたかを問います。こういった質問の答えは本文に書かれています。その答を確認するのであれば、単なる国語の読み取りです。ここで子どもたち自身の気持ちに迫りたいのか、それとも確認だけなのかで進め方が変わるでしょう。前者であれば客観的な答に対して、「本当にそんなこと思える?」といった揺さぶりをすることが必要ですし、後者であれば時間をかけずに授業者が本文で確認してしまえばいいのです。 授業者は「頑張って生きよう」という答を受けてすぐに、最初の気持ちと比較して変化したことを指摘します。他の子どもたちとつなぐことをせずに、すぐに自分の言いたことにもっていきました。続いてでた、「いろいろな人に心配をかけたことを後悔している」という意見には何もコメントがありません。子ども役がなかなか積極的に参加でできない原因がこんなところにあるように思います。 「自分が人を喜ばせることができる」という本文の記述に即したことが出てこないので、授業者はその部分を読んで、大事だと思ったところに線を引くように指示します。大事という言葉を使うことで、国語的な読解の授業になっています。また、授業者の求める答探しになってしまいました。 「他の人の役に立つ」という言葉が子ども役から出てくるとすぐに板書をします。別の子ども役が本文に即した発言をしたので、そこを見てみましょうと本文を確認します。完全に国語の授業になってきました。 授業者は主人公の気持ちの変化を、板書を使って確認します。続いて、この主人公が書いた詩を見せます。その詩には空欄があり、そこに言葉を入れることが課題です。すべて同じ言葉が入ると伝えて、となりと相談させます。これも答探しです。子どもたちが冷静に取り組むようなものではなく、自分に引き寄せさせることが必要です。 授業者は子ども役に対して「答が出たと思うけれど」と問いかけます。「答」という言葉を使います。せめて、「考えがまとまったと思うけれども」といった表現をしたいところです。 すぐに全員の手が挙がります。「プレゼントしよう」という答を復唱して板書します。続いて「他に違う意見が出たよという人?」と聞くと挙手が2人です。この状態ですぐに指名しましたが、ここは全員の手が挙がっていたのになぜ減ってしまったのか疑問に思うべきところです。「他の人は、同じ意見だったの?」と確認することが必要だったと思います。 「分けてあげよう」「伝えよう」「与えよう」と発言が続いた後、授業者は「このような答、みんな同じような意見ですね」とまとめます。授業者が同じようだと判断しています。この場面に限らず、子どもたちの意見をすべて授業者が判断しています。そうではなく、子どもたち自身が友だちの意見を聞いて考えを深めていき、自分で価値を判断していく過程が必要です。 「主人公がどう思ってこの詩をつくったのか」と問いかけます。一度先ほど子ども役が考えた空欄に入る言葉を確認して、今度は「みなさんなら」という言葉を足しました。「プレゼントしよう」と答えた子ども役を指名して「なんでプレゼントしようと思いました?」と問いかけます。子どもたちに迫るために「主観的」な答を求めていたのか、「客観的」な答の説明を求めたいたのかちょっと曖昧でした。前者であればこの状況ではかなり難しいと思います。ここまで客観的に答を見つけようとしていたからです。子どもに迫るにも、その前提となる状況をつくれていないのです。子ども役は「喜びをだれかにあげたいという思いがこの人にはあるんだろうなと思いました」と答えます。やはり「この人には」と客観的な答になっていました。先ほど空欄に入る言葉を発表した子ども役を次々に指名します。長い説明を一気に話した方がいます。長い説明を一気に話されるとついていけない子どもがたくさんいます。もう一度発表させ、途中で止めて全体に確認しながら聞き直すことが必要です。 授業者は扱いに困ったのか、「なかなか説得力がありますね」と受けました。他の子ども役が「なるほど」と納得したのならともかく、説得という言葉はおよそこういった場面にふさわしくない言葉です。どれが正しいか判断したり、誰かの意見に集約したりするものではないからです。子ども役の発言は客観的な説明が続きます。授業者は「みんなが言ってくれたことは正解です」とまとめます。どうしても、答探しになってしまいます。道徳に限らず、子どもの考えを「正解」かどうかで評価する授業は、教師の求める答を子どもが探る授業になってしまいます。このことを意識して、「正解」と授業者が判断することをできるだけしないように意識してほしいと思いました。 結局、授業者がこの子は「人に喜び分けてあげることで生きようと思っている」とまとめて、板書をしました。 「これはこの子の場合です。皆さんは生まれてきて、家族に喜んでもらったことありますか?」と問いかけます。「生まれてきて」という言葉を使いますが、小学生にはあまりに大きすぎる問いかけです。「みなさんが喜んでもらったら生きる意味があるんではないか」と続けますが、価値の押し付けになっています。というか、そもそも「生きる意味があるかどうか」などと子どもが考えているとは思えませんし、そう考えるように迫ってもいません。 子ども役からは「テストで100点を取った」「お手伝いをしたとこ」「けがが治った時」「誕生日」といった意見が出ます。子どもが「喜ばせる」ことを意識しすぎると、親が喜ぶことが自分の存在価値になり、それができないと自己否定につながることがあります。この授業のねらいとはずれるかもしれませんが、親を喜ばせることではなく、子どもが生きているだけで親はうれしいことを伝えたいところです。 最後に「生まれてきたよかったか?」と最初の質問に戻ります。最初に手を挙げた以上にしっかりと手を挙げるように伝えます。価値の強要です。辛い思いをしている子どもがこの中にいたらどうなるでしょうか。無理やり周りに合わせることになります。ちょっと手を挙げるのが遅い子ども役がいたので、それではダメと否定して、もう一度全体で手を挙げさせます。授業者が子どもに同調圧力をかけています。 最期まで、授業者の価値観を押し付ける授業になっていました。 この授業者は、復唱や、受容の言葉をかけることができます。少経験者としては、なかなか立派だと思います。しかし、子どもの考えをすべて自分で評価して、自分の価値観に誘導しようとしています。子どもの考えをつなぐという発想がありません。子ども自身が考え、子ども自らで判断していく力を育てることが大切です。子どもが授業者の求める正解探しをしない授業を目指してほしいと思います。 この続きは次回の日記で。 栄養教諭の模擬授業から学ぶ
栄養教諭、栄養士の方を対象にした研修を行ってきました。模擬授業と解説、講演でした。
模擬授業は、2人の栄養教諭の方に、実際に行った授業を再現する形で行っていただきました。時間の関係で、ポイントとなるところだけを模擬授業で行いました。 一人目の方は、ベテランの方でした。担任とのTTで食べ残しとごみの関係について子どもたち考えてもらう、小学校4年生を対象にした授業です。 社会科のゴミの授業が終わったあと、それを受けて学級活動の時間に行われたものです。 最初に栄養教諭の仕事を紹介し、給食センターで給食がつくられる様子を、クイズなどを交えて説明します。ここではスライドだけを見せていただきましたが、とてもわかりやすく子どもたちの興味をひくものになっていました。最後は片付けについての話です。子どもたちは給食を食べちゃったら終わりだけれど、給食センターではまだ仕事があるということを伝えます。たくさん残ってくると調理員さんは大変だという最後のスライドを示したままにして、授業を進めます。ここからが模擬授業です。 ワークシートを使って担任が栄養士や調理員がどのような思いで給食をつくっているかを考えさせます。少し時間を与えてから子ども役に考えを聞きました。 指名は担任で進めます。最初は調理員の気持ち、一通り出た後で栄養士の気持ちを発表させます。「おいしく食べてもらいたい」「いっぱい食べてもらいたい」といった発言一つひとつを、栄養教諭は「なるほど」「確かにね」としっかりと受容します。「たくさん手を挙げてくれてうれしいな」といったIメッセージも上手に使います。「似た考えだけどちょっとだけ違うという人いるのかな」とつなぐこともしています。一般の教員でもなかなかできないことです。 担任が、一つひとつの発言を板書してから次の指名をするのでちょっとテンポが悪くなります。栄養教諭はその間板書を見ていますが、できるだけ子どもたちの方を見るようにすることが大切です。栄養教諭が指名も含めて進めるようにして、担任は板書に徹するという方法でもよかったかもしれません。また、ここは板書せずに「同じように考えた人?」と子ども同士をつないでたくさん発言させることで共有するといったやり方もあると思います。 「みんな私の気持ちをすごくよくわかってくれてうれしい」と言った後、「でも少し困ったことがあります」と続けます。困っていることは何だと思うかを子ども役に問いかけます。板書してある「いっぱい食べて大きくなってほしいな」「たくさん食べてもらえるメニューを考えている」といった子ども役の発言を読み上げて、考えやすいようにしています。スクリーンには先ほどの「残ってくるとたいへん」のスライドも残っています。もう一度困っているのは何だろうと問いかけてから挙手させます。指名された子ども役は「給食が残ってくることだと思います」と答えます。栄養教諭はそれをそのまま復唱します。板書が終わるのを待って、付け足しやほかの意見がないかをたずねますが手は挙がりません。ここは挙手に頼らず何人かに発言を求めてもよかったでしょう。 続いて、「給食の食べ残しについて考えよう」という課題を提示します。この課題は子どもたちにとっては何を答えていいかちょっとわかりにくいものです。「考えよう」という発問は、子どもたちとって何をすればいいのかわかりにくいものなのです。そこで、「残った給食はどうなるか?」と問いかけます。「みんなこれまで学習したこととつながりがあるかもしれないよ」と社会科の学習につなげようと言葉を足します。このことは大切なのですが、答を誘導しているようにも思います。最後に子どもたちから言わせたいところでした。 「ごみになると思います」という発言に対して、すぐに「そうだよね。ごみになってしまいます」と反応します。ちょっと反応が速すぎるように思いました。期待する答が出たのですが、大切な答であればあるほど、子どもたち全員にきちんと考えさせたいところです。「○○さん、どう思う?」「△△さんは?」というように何人も指名して、「みんなに大きくなってももらいたいと思ってつくっている」のに、「たくさん食べてもらえるようにメニューを考えている」のに、「ごみになる」ことを確実に押さえたいところでした。 模擬授業はここで終わりです。実際の授業はこの後、昨年の食べ残しがどのくらいあったかのグラフを見せたり、給食の残りを片付けている様子の写真を見せたりして、昨年の給食の残りが250袋分あったことを伝えます。最後に「きれいに食べられて空っぽの食缶」「たくさん残っている食缶」を見て、調理員さんはそれぞれ何を思ったかを考えてもらい、食べ残しを減らすためにはどうすればよいのか、自分ができることを考えるというものでした。 私からは、この授業での発問をもとに、子どもが根拠を持って考える発問と思いつきで答えられる発問の違い、授業者の子どもを受容する姿勢の素晴らしさを解説しました。 栄養教諭や栄養士の方は食育の授業にあたって、視覚に訴える資料をていねいにつくられることが多いようです。そのことはとてもよいことです。しかし、動画などはそれをもとに次に何を考えるのかを予め提示しておかないと、漫然と見ていて内容が頭の中にあまり残らないことがあることに注意が必要なことを伝えました。 TTについては、それぞれの役割を明確に分担するとよいことをお伝えしました。子どもたちの意見を引き出すのが難しいと感じるのであれば、そこのところは思い切って担任にまかせるというのも一つの手なのです。 最後に子どもたちの行動を変容させるのに何が必要かを考えるようにお願いしました。この教材であれば子どもたちが食べ残しを減らさなければいけないと言うだけでなく、そのための行動を起こすようにするにはどんな要素が必要かということです。食材をつくるためにどれだけのお金と人の力が必要なのかといったことを示すことも一つの方法でしょう。そういったことを考えてほしいと思いました。 もう一つの授業は新規採用から3年目の栄養教諭の方で、先日初めて行った授業を再現してくれました。ほとんど経験のない中でのことで、随分緊張したことと思います。 授業は中学校の2年生を対象とした、自分の朝食のステップアップをしようというものでした。朝食の働きを確認した後、4人の中学生の食事を示します。「寝坊した子ども」「ゆっくり食べた子ども」「自分で用意した子ども」「食欲がなかった子ども」です。自分の食事がどれに近いかを選ばせて、朝食のステップアップを目指すというのがこの日の課題です。ステップアップと言っても具体的にはどういうことかわかりません。学力アップ、運動能力アップといったことを引き出そうとするのですが、どうしても授業者が主導でしゃべりすぎてしまいます。 例として挙げた4人の食事を6つの基礎食品群で分類させたあと、足りないものに気づかせます。基礎食品群の資料など考えるために必要な材料を示したりと、よく準備をしています。しかし、基本的に一問一答で進み、どうしても授業者が解説をしてしまいます。 グループごとに、4人の中から1人の子どもを指定して、それぞれの朝食がバランスよくなるようにするのが課題でした。 それぞれシチュエーションが違うので、そのことを意識することが大切ですが、食事のバランスをよくすることに意識が行っていました。本当は自分の食事をどうステップアップするのかを考えることをしたいのでしょうが、一人ひとり置かれている環境は様々なので、それをグループや全体で扱うのは問題があると考えて、このような形をとったのだと思います。よく考えています。だからこそ、その環境で意識すべきことは何かをまず明確にするとよかったと思います。「寝坊しやすい人はどのような工夫をすればバランスのよい食事ができるのだろうか?」「朝食欲のない時は?」といったことをまず子どもたちに考えさせてから、課題に取り組むのです。食事だけでなく、自分たちの生活を見直す機会にもなったと思います。 子どもが考えるためには根拠が必要です。課題を解決するためには見通しが必要です。こういった要素を意識して授業に組み込むことが大切です。根拠となる知識や事実を明確にして与えておけば、授業者が解説しなくても子どもたちの言葉をつないでいくことで、自分たちで気づくことができるのです。 とは言っても、経験の浅い方にそれを求めるのは酷です。TTであれば、担任に助けてもらいながら少しずつできるようにしていけばよいと思います。このような場に出て挑戦してくれたことをうれしく思います。今後経験を積んでいけば、大きく進歩していくことと期待します。 講演は、「食に関する授業の進め方のポイント」についてお話させていただきました。 授業の解説でも伝えましたが、子どもたちの食に関する行動をよい方向に変化させることが大切です。しかし、子ども心の変容を促すことはそれほど簡単なことではありません。実行できない阻害要因が何かを意識して、それを取り除くにはどうするかを考えることが必要です。 栄養教諭の授業は年に何度もあるわけではありません。1回の授業でどうしても多くのことを盛り込みたくなってしまいます。活動の内容をできるだけ絞り込むことが大切です。そのためには、課題がとても重要です。子どもたちが興味を持って活動するような課題でなければなりません。そのためには、子どもたちにとって取り組む必然性が求められます。「興味・関心」が持てるもの、あれっと「疑問」を持たせるもの、絵空事でない「リアリティ」のあるものであってほしいと思います。そして、その課題に取り組むことが目指す子どもたちの姿につながることが大切です。 また、作業と思考の区別も必要です。今行うとしている活動がどちらなのかをよく考えておくことが必要です。授業の時間配分は考えることを多くしたいものです。そして、考えるためには足場となる知識が必要です。この足場がない状態で考えろと言っても、子どもたちは困ってしまいます。事前に必要となる知識を整理して、効率的に与えることが大切です。 実際に授業をするにあたっては、担任とのコラボレーションが欠かせません。TTであれば、事前にある程度時間を取って打ち合わせをすることが必要です。まず一番に伝えたいのは、子どもたちにどうなってほしいかという「思い」です。そして、担任と目標とする「子どもの姿」をしっかり共有することが大切です。自分が中心とならなければいけないと気負ってしまいがちですが、できないことは担任に助けてもらえばよいと割り切ることも必要です。一人で頑張ろうとせずに、栄養教諭にしかできないことは何か考えてそこに集中することが大切です。 単独で授業をするのであれば、子どもの状況、学級の特性など、知りたい情報を事前に担任から聞いておくことが必要です。座席表などのコピーをもらっておいて指名の時に名前で呼べるようにしておくだけでも、ずいぶんと授業の進行が楽になります。 このようなことをお話させていただきました。 日ごろ見ることがない栄養教諭の授業を見る機会をいただけて、大変多くのことを学ぶことができました。このような機会を得られたことに感謝です。 道徳の模擬授業で考える(長文)
小学校の夏休みの現職教育で、道徳の授業研究のアドバイスを行いました。
この日の模擬授業の授業者は講師の先生でした。採用試験の2次試験がまだ終わっていないこの時期に、講師の方が研究授業を引き受けるというその意欲に感心しました。 この日の読み物資料は、お祭りに行った主人公が友だちと輪投げをやり、もう1回やろうと誘われて、サッカーボールを買おうと大切に貯めていたお金に手を付けるかどうか悩むというものです。 授業者は、資料を配り範読をします。落ち着いて読みますが顔が資料から上がりません。子ども役も下を向いてじっと資料を見たままです。少し間を取りながら、子どもたちの様子を見るようにするとよいでしょう。 資料を読み終ると、子どもたちに内容の確認をします。「おかあさんにお小遣い、いくらもらった?」と聞いて、一部の子どもたちから「1,500円」と声が上がるとすぐに板書をします。ここはテンポよく進めたいところですが、すぐに反応できない子どもは置いて行かれてしまいます。子どもたちをよく見て、参加できているかを確認することが必要です。 道徳は国語と違って読み取りをすることが目的ではありません。できるだけ早く内容を把握させて、その日の課題に取り組む時間を確保することが大切ですが、だからといって、内容把握を一部の子どもだけで進めていくのも違います。多くの先生が、資料を配らずに範読し、ポイントとなるところで立ち止まり、子どもたちに確認をし、必要なことを板書して残しておくというやり方をしています。子どもたちを集中させ、内容を素早く理解させたいからなのです。 授業者は、この後も「サッカーボールの値段はいくらだった?」と一問一答を繰り返しながら内容を確認していきます。お母さんから小遣いをもらって、貯めていたお金と合わせてサッカーボールを買える金額になった時の主人公の気持ちを問いかけます。淡々と進めるので、子ども役は客観的に意見を言います。ここは、本文の「ずーっと前からほしかった」「一年経ってやっとたまった」という言葉を強調して、お金を「大切にさいふにしまった」気持ちを考えさせるとよかったでしょう。「君たちならどう?主人公の気持ちわかる」と自分に引き寄せさせることをしてもよいでしょう。 授業者は子どもの発言を板書しようとしますが、指導案とホワイトボードを交互に見ているために、挙手している子ども役に気が付きません。この場面に限らず、子どもたちが参加できているか、どのような状態かを見ることを意識する必要がありました。 場面ごとにこのようなやり取りをしながら進みますが、短い資料にもかかわらず内容の確認が終わった時には授業開始から16分経っていました。 友だちにもう1回輪投げをやろうと誘われた時の主人公の気持ちを考えさせます。ここまで、内容確認で出た意見は受容して板書していましたが、子ども同士の考えをつないだり、揺さぶったりする場面がありません。子ども役からは積極的に考えようとする意欲が感じられませんでした。受け身の時間が続いているので、集中力を失くしてちょっと伏せる子ども役もいます。なかなかの名演技ですが、授業者にはそのことに気づく余裕はありません。 3人の子ども役の手が挙がると、すぐに授業者は指名します。「どうしよう、お祭りの分を使っちゃったのに」という発言の後に、「やりたいけどサッカーボールが買えなくなるから困ったな。でも友だちの誘いは断われないし困った」という意見が出ました。これは主人公の葛藤の要因をきちんと整理した意見です。この考えを全体で共有することが次につながっていきます。授業者はこの発言を「困ったな」の一言でまとめて、板書で整理しました。いつも授業者がすぐ板書してしまうと子どもは友だちの意見を聞かなくなり、考えることをしなくなります。授業者は「違う意見の人はありますか?」とたずねますが、だれも反応しません。「今、○○さんは困ったと言っていたけれど、何に困っていた?」と他の子どもに問い返し、2つの要因があることを子どもたち自身で整理させる必要がありました。 子ども役の先生方は集中力を失くした様子を見せますが、授業者は淡々と進めていきます。指導案を気にして確認する時間が多いため変な間ができ、テンポが悪くなっています。 「もし自分が主人公ならどうしますか?」というこの日の主発問をしますが、ここまでにすでに授業時間の半分近くを使ってしまいました。 ワークシートを配って名前を書かせます。「名前を書いたらこちらを見てください」と指示を出します。この授業で初めて子どもたちに授業者に注目することを求めました。続いて主人公だったらどうするかとワークシートを配る前と同じ説明を繰り返し、「前のこととかも考えて」と言葉を足しますます。「前のこと」とはどういうことかよくわかりません。それに続いて、自分の考えを書いたらグループの人と話し合うようにと指示をします。同じ説明はムダですし、さっき聞いたと集中力が落ちてしまいます。ワークシートにも書いてあるのであまり意味はありません。また、話し合うと言っても何を話し合えばいいのか、またその目的や目標もわかりません。不明確な指示です。まず5分あげるので、あなたが主人公だったらどうするか書いてくださいと指示をして作業を始めようとします。指示が個人とグループを行ったり来たりしています。個人でやること、そのあとグループでやることを明確にしてから、ワークシートを配り作業をさせるべきだったでしょう。 子ども役から「前のこと」とは何のことかと質問されます。よい指摘です。授業者はもう一度黒板を使って話の流れを確認します。最後に「前の時」にはというのは、今友達にもう一度誘われて困っているけれど、それより前の氷を食べた時や最初に輪投げをやった時などにどうすればよかったのかも考えてほしいということだと説明します。単純に、「ここまでにもいろいろどうしようかと思う時があったはずですが、その時も含めてあなたならどうするかを考えてください」と発問すればよかったと思います。質問した子ども役は「どうすればよかったということですか」とつぶやいて作業に入りました。 すぐに子ども役から、「どちらにしようか迷っている時はどうするの?」と質問があります。授業者は「両方とも書いてください」と言って作業が始まりました。「悩んでいるんだ。考えているね」と悩んでいることを価値付けしたいところでした。 作業中に「理由も書くんですか」と問いかけられます。授業者は「理由も書ける人は書いてください」と質問した子ども役に返しますが、全体にはきちんと伝わっていません。最初に指示すべきことでしたが、ここはいったん子どもの作業を止めて改めて指示する必要があったでしょう。頭を抱えてなかなか手が動かない子ども役がいます。授業者は全体を見ていないので、気づきません。机間指導しながら個別の手元を見ていて、なかなか顔を上げて見ることができませんでした。 どんな意見が出たか班でまとめて、小型のホワイトボードに書くように指示します。子ども役から「一つにまとめなくていいの?」と質問がでました。授業者は一つにまとめなくていいと答えましたが、班で「まとめて」という言葉はいろいろな意味に取れます。出た意見をいくつかに集約するという意味にも取れますし、ただ単にバラバラの意見を1枚にまとめて書くという意味にも取れます。出た考えを全部ホワイトボードに書くように指示すればよかったでしょう。しかし、そうするとグループでの話し合いの意味がよくわかりません。ただホワイトボードに書くための活動になってしまいます。 友だちの意見を聞いて、理由を聞くことも大切です。自分の意見とは違ってもなるほどと思った意見あれば、そのことも全体で知りたいところです。自分の意見を変えてもいいし、変えなくてももちろん問題ありません。その時考えたことを全体で共有するといったやり方もあったと思います。 面白い意見があったのか、テンションが上がるグループもあります。淡々と自分の考えを発表して進むグループもあります。授業者は個々のグループに張り付いて話を聞いていますが、やはり全体を見ることはできませんでした。 時間が来て黒板にホワイトボードを貼ります。貼り終わると1班から発表しますが、ちょっと疑問です。たくさんの意見が出た時に整理するためにホワイトボードは使います。この場合、まず書かれたものを見て多い意見、似た意見を、班にこだわらずに聞いていくとよかったでしょう。順番に発表すると何度も似た意見を聞くことになります。途中で嫌になる子どもも出てきます。時間を効率的に使うためにも、まずは全体の考えを把握することが必要です。 「ボールを買いたいから輪投げはしない」「お祭りで使えるお金は使ったと友だち伝えて断る」「今回もらったお金は臨時収入だから、また貯めればいい。輪投げをする」「輪投げは家へ帰ってから親とまた来てする」といった意見が出ます。冷静な意見が続きます。主人公の葛藤となった要素がきちんと子どもの中に落ちていないのです。 「やっとのことで買えるサッカーボール」「もう少しのところで取れなかった。今度やればとれるかもしれない」「断れば、つき合いの悪い奴だと思われてしまう」といった要素をきちんと整理して子どもに迫っておく必要がありました。 「とれるまでやる。取って売れば元は取れる」「あと1回だけやる。1回300円だからすぐに貯まる」といった意見も出ます。こういった意見に対して授業者は、確認はしますが、同じ考えの人、違う意見の人をつなぐことをしません。班での発表にこだわって、全部の班を発表させることを優先したのです。そのため、せっかく友だちの意見で子どもたちの中に起こった波紋が全体で考える時には消えてしまいます。順番に発表するというのは時と場合によるのです。 1回だけやると言っても、止まらなくなるかもしれないという意見もありました。こういった意見をつないでいくのが大切です。 授業者はもし輪投げをやるとしたらどこまでやるのかを問いかけます。1回の人、取れるまでの人と分かれます。授業者は財布の中にまだサッカーボールを買うための4,000円があることを確認して、再度とれるまでやるのかを問いかけました。4,000円使ってもソフトが取れれば、売ってサッカーボールを買えるという意見が出ます。授業者は「取れんかもしれんよ」と揺さぶりますが、コツがわかったから取れると思うという答が返ってきます。それに対して、サッカーボールを買うためにゲームソフト売るんだったら、今ある4,000円で確実に買った方がいいという意見が出ます。授業者は本当に欲しいものは何だったのと問いかけ、「サッカーボール」という答を子どもたちに言わせます。この時点でこの質問をするのは、意見を誘導しているように思います。 主人公は、本当はそんなに輪投げをしたくなかった。それなのに、友だちに言われたから困っている。断っても誘うようなら悪い友だちだという意見が出ます。自分だったらという視点ではなく、第三者の視点です。授業者はお金をどれくらいの期間かけて貯めたかを確認しますが、ここで確認しているようでは遅すぎます。最初の読み取りの段階でもっと押さえておくべきでしょう。ここで主人公の気持ちを押さえるということも、先ほどと同じく子どもたちの意見を誘導しているように思えます。 この主人公は何となくまわりに流されているから、もっと考えて行動するべきだという意見が出てきます。上から目線の人物評になっています。道徳のねらう子どもたちの心を揺さぶることからずれていっていますが、「今日はみんな、たくさん意見を考えてくれた」と返して、まとめに入ってしまいます。ここは、「主人公はそうかもしれないが、あなたならちゃんと考えて判断できそう?」と迫りたいところでした。 最後に、「今日はたくさんお金を持っていたけれど、限度を考えてお金を使うことを節度と言います」とまとめました。これでは、言葉の勉強になってしまいます。道徳として何をねらい、子どもたちにどんなことを考えてもらいたかったのかがよくわかりませんでした。 子どもたちに、「輪投げをしなかったら後悔する?」「輪投げをして、取れなかったら後悔する?」と、「後悔」をキーワードにしても面白かったかもしれません。どれが正しいということではないと思います。自分が後悔しないような判断をしていくことが大切です。どんな時に自分がやらなければよかったと後悔するのか。そうしないためには何をすればよいのかといったことに焦点化していくのです。 この後、先生方が子ども役を通じて感じたことや授業についてグループで話し合いました。子ども役をすることで、普段とは違った気づきがあったようでした。 私からは、この授業で子どもが自分に引き寄せることができていなかったのは、主人公の気持ちや葛藤の原因となったことを最初にきちんと押さえていなかったことや、子どもたちがただ意見を発表するだけで友だちの意見に揺さぶられたり、意見聞いて考えたことを焦点化したりする場面がなかったことに原因があることをお話ししました。 また、道徳の新しい指導要領をもとに、「議論する道徳」について少し事例を紹介させていただきました。 先生方が熱心に子ども役をやったからこそ、互いに学べることがたくさんあったように思いました。模擬授業のよさを改めて実感しました。私もよい学びの機会を得ることができました。ありがとうございます。 表現力を育てる授業を支えるものについて講演をする
夏休みに行った小学校の現職教育で講演です。
この学校では子どもたちの表現力を育てることを目標にしています。一学期に授業を見せていただいて、子どもたちの表現力を育てるための基本となるものも意識することが必要だと感じました。そこで、「表現力を育てる授業を支えるもの」という演題でお話をさせていただきました。 子どもたちの表現力の基本となるのは、「語彙力」だと思います。しかし、ただ辞書を調べて言葉を覚えるだけでは、表現力には結びつきません。生きた言葉に触れる必要があります。その言葉が使われるべき状況をつくり、時には前後関係から言葉の意味を類推するといった場面も必要になります。また、各教科で使われる「用語」と日常的な「言葉」を往き来できることも大切です。「大きい」という表現をきちんと「面積が大きい」「数が大きい」といった算数の用語で言い換えるといったことも必要になるのです。 表現力をつけるということは、子どもたちが出力することが大切になります。しゃべりなさい、書きなさいではなかなか出力することができません。まずは、子どもたちが安心して話せる環境をつくることが必要です。「安心・安全」な学級が基本です。 そのためには、まず先生が子どもの言葉をしっかりと聞いて受容することが大切です。子どもの発言をポジティブに評価し、何よりも発言してくれたことをうれしく思っていることを伝えることから始める必要があります。また、子どもが安心して話せるためには、正解を求めないことが大切です。正解を求められれば、自信がなければ発言できません。「間違い」と指摘されることは傷つくのです。子どもの考えを聞き、それがずれたものでも「なるほど」と受容し、間違いであれば子ども自身で気づいて修正できる場面をつくることが大切になります。 授業規律も「安心・安全」な学級の基本となるものです。学級のルールを明確にし、全員ができるまで待ち、できたことを認めてほめることで、子どもたちによい行動を広げていくようにしてほしいと思います。 子どもが発言するためには、授業に積極的に参加させることが大切です。子どもが「あれっ」「えっ」「どうして」と疑問を持つような課題を準備すると同時に、子どもが答えやすい、意見を言いやすい問いかけを用意することが重要です。 机間指導で都合のいい意見を見つけて発表させたり、挙手で指名したりでは、全員が参加することはなかなかできません。挙手を否定はしませんが、だれもが間違えることを気にせずに、安心して意見を言える状態であることが前提です。 子どもの様子を見て、「うなずいたね」「しっかり書いていたね」とポジティブに評価して、意見を言いやすくしましょう。子どもの反応、外化を見落とさない姿勢が大切です。 また、子どもたちが自分の考えを持てれば、意見言いたくなります。とはいえ、一度に発表できる子どもは一人です。できるだけ発言の機会を与えるためには、ペアやグループを活用することも必要になります。 また、子どもが表現する必然性のある課題であることや、表現する場面があることが重要になります。「根拠を問う」「説得する」「友だちの代わりに説明する」といったことを求めることを意識してほしいと思います。 最初から自分の言葉で立派に表現できるわけではありません。何事も模倣から始まります。子どもを指名したときに、「同じです」と答えることがよくありますが、「同じでいいから、あなたの口から聞かせて」と自分の言葉で発言させることが大切です。まったく同じ考えや表現はありません。違った表現や、言葉を足すことがあるはずです。その違いを評価することが必要です。また、友だちの考えを説明するといった活動も意味があります。他者の発言を理解し説明することで、考えが深まりますし、最初の発言者は、自分の考えを別の口から違った表現で聞くことで、新たな表現に出会うことができます。 発言に対して価値付けすることも重要になります。これは表現力に止まらず、子どもたちに育てたい力をつけるためにはとても大切なことです。表現力を育てるのであれば、発表の仕方や表現を「わかりやすい説明だったね」「 ○○という言い方がよかったね」と評価したり、「○○に注目したんだ」と着眼点のよさを取り上げたり、「比べてみたんだ」「○○を使ったんだ」といったメタな視点で価値付けしたりすることが必要です。 こういった価値付けは、子どもではできないので、最初は先生がすることになります。しかし、子どもたちが育ってくれば、「先生は今の発表をすごいと思ったんだけど、どこかわかる?」と想像させたり、「○○さんの考えをなるほど思った人?」「どこでそう思ったか教えて?」と子どもたちだけで評価し合う場面をつくったりすることができるようになります。 どの力でも同じですが、表現力をつけることを考えると特に全員参加が重要になります。積極的に参加して表現する場面がないと力はつかないからです。発表できる子どもを挙手で指名していては、一部の子どもしか参加することはできません。なかなか発言できない子どもを中心にして授業を組み立てることが必要です。 例えば、全員に発表させたいので、自分の考えを書き終るまで待っていても、時間切れになってしまう子どもが出てきます。そうなるとその子どもは発表する機会がなくなってしまいます。そういった子どもにも、発表や発言の機会をつくることが大切になります。なかなか作業が進まない子どもがいれば、早めにいったん作業をやめ、どこで困っているかを聞いて全体で共有、確認します。困っていることに対して、具体的にどうやったかという方法や手段をできている子どもたちから聞いたり、どうすればよいのかを全体で考えたりします。困っている子どもたちが見通しを持てたようであれば、再び作業をさせるのです。また、発表できない子どもでも、友だちの考えで「なるほど」と納得したことを発言させるようにすれば、表現力はついてきます。友だちの発言を言い直すことも立派な表現活動なのです。 この日うれしかったのが、通常よりも長い、3時間近くにも及んだ、私からの一方通行の話を、皆さんが最期まで集中して聞いてくださったことです。先生方の反応のよさに、ついついしゃべりすぎたのにもかかわらず、ありがたいことでした。 次回訪問時に授業者がどのような工夫をしてくれるのか、今からとても楽しみです。 企業と採用応募者のご縁を結ぶ
7月の終わりに、授業と学び研究所のフェローで企業の採用選考試験のお手伝いをさせていただきました。前回と同様の内容です。
今回も、前回以上に個性豊かな方がたくさん参加されました。選考を経てここまで残っている方たちなので、基本的な能力は高いと感じました。だからこそ、一人ひとりのよいところ、尖ったところを見たいと思います。 ここで行われるグループワークの課題はマニュアルや正解があるものではありません。自分たちで考え、試してみて、改善していくという地道な方法しかないものです。実際の仕事と同じような課程だからこそ、課題解決においてチーム内でどのような活躍してくれるのかが想像できます。積極的に自分の意見を話す方、逆に上手く相手の考えを引き出す方、じっくりと話を聞きながら自分の中で整理して活かす方といろいろですが、このタイプだからよい、悪いということではありません。チームでの仕事には多様性が大切です。一人ひとりの個性を見つけ、それをどのように活かせるかを考えながら皆さんの様子を見ています。 また、この課題は、この企業における仕事の一部を切り出してつくっています。応募者の方にこの企業に入ったらどのような仕事をすることになるのかを事前に体験していただけることを意識しています。応募者と企業、双方の視点で就職におけるミスマッチを防ぐのです。 今回も私たちフェローは、応募者のよいところをたくさん見つけ報告することができました。応募者と企業のよいご縁を結ぶお手伝いができたならば、こんなうれしいことはありません。 介護の研修で、仕事に対する世代間の視点の違いを感じる
介護職員の研修を行いました。7月は4年後の事業所とそこで働く自分の姿を考えてもらうものでした。
事業所の将来については施設の数が今より増え、新しい仲間が増えているという意見が大勢でした。そのことをよいことと思う反面、心配なことが増えるという方もいらっしゃいます。新し職員が増えることで、この会社のよさが薄まるのではないかというのです。確かにその通りです。今の自分たちの仕事の進め方や、心構えを新しい仲間に伝えることがどんどん大切になっていくことがわかります。 参加した若い層は、こういった状況を前向きにとらえてくれているように感じます。4年後には、自分が率先して新しい仲間に範を示すことや、新しい施設に移ってこの事業所のやり方を伝える立場になっていると考えています。介護について技術面だけでなく、コミュニケーションなど幅広く研鑽を積んでいこうという意欲を感じました。 一方、管理的な立場の中堅層の一部の反応は若い層とはちょっと違い、規模が大きくなることに対してあまり前向きにとらえていないように感じました。現在の状態で仕事を回していくことでも大変なので、規模が大きくなることで負担が増えることが心配なのです。現状で事業所を維持できているので、無理に大きくしなくてもよいという発想なのでしょう。介護の事業所の環境は今後それほどよい状況がつづくとは予想されません。規模をある程度大きくすることで職員の流動性を事業所間で高め、効率化を図る必要があります。管理的な立場の方であれば、自分の仕事のやり方を変えて質を高めることで環境の変化に対応することをぜひ考えてほしいと思いました。 また、子育ても終わり生活に余裕ができてきたベテランの方は、仕事と自分の人生のバランスを考えていたことが印象的でした。自分のできることはしっかりとやるが、あまり無理はせずに自分の趣味や生活も大切にしていきたいということです。この気持ちもよくわかります。 4年後の在り方を考えた時に、世代間で考えが異なっていることは仕方がありませんが、経営的な視点がどの世代でもあまり意識されていないことが気になりました。介護職の方に経営者的な視点を求めること自体が無理な要求なのかもしれませんが、こういった面も意識していただけることを考えなければいけないと思いました。 学校でも経営的な視点を持つことが課題となっています。カリキュラムマネジメントもその一つだと思います。管理職やミドルリーダーだけでなく、どの教員にとっても大切な視点ですが、育てるのはなかなか難しいことだと思います。 今後、各施設の事業計画の作成等を通じて、経営的な視点でも仕事をとらえていただけるようにしたいと思います。 先生方の取り組みの成果が形になり始める(長文)
夏休み前最後の訪問は、私立の中高等学校でした。
子どもたちがだれやすい時期のため、夏休みの課題を授業中にやらせている先生も目立ちました。以前はそうしないと授業が成り立たなかったのかもしれませんが、今はその必要がなさそうです。通常通りに進めている授業でも、子どもたちは普段と変わりなくよく集中していました。 先生方の授業に対する姿勢が変化したことが先か、子どもたちがよい状態になったことが先かはわかりませんが、授業改善と子どもたちの変化が相互によい影響を与えていると思います。子どもたちが落ち着かないと、どうしても力で押さえる授業が多くなり、その結果子どもたちに強い態度をとらない先生の授業にしわ寄せがくることもあります。そういう先生方のよい個性が活かせなくなるのですが、学校全体が子どもたちに受容的になってきたことで、先生方の個性に合わせた工夫が活かされやすくなってきたのです。先生方の工夫が子どもたちのよい姿となって返ってくるので、授業改善に対するエネルギーも高くなっていると感じました。授業を見てほしいという方や、私と一緒に子どもたちの様子を見たいという方の存在に、元気をいただいています。 高校1年の英語表現の授業では、授業者が子どもたちをほめることを意識していました。 全体での発音練習の場面では、「いいよ」「いいよ」と何度も声をかけることで子どもたちの声を大きくしようとしています。ちょっとしたことですが、こういった声かけがあると子どもたちの参加意欲が高まります。”bird”や”cord”の”r”の発音はなかなか難しいのですが、子どもたちがしっかりと発音できていたのには感心しました。 続いてワークシートの英文を読む練習をしますが、この後のグループでの活動では友だちに教える役割があるので、しっかりと練習するように伝えます。こういった役割を与えること、それを事前に伝えることで子どもたちの練習に対する意欲を高めます。個人で読む練習の時間をかなり取ってから、CDを聞きながら全員で読みます。続いて、CDなしで、子どもたちだけで読ませます。読む練習でこの自分たちだけで読むステップを省略する先生もいますが、このことには注意が必要だと思います。読むのではなく、聞いた音をそのまま繰り返している子どももいるからです。授業者は読む力をつけるためのステップを意識できていました。子どもたちはよく集中して参加していました。 ペアで読む練習をします。聞き手はしっかりと聞いて、相手がつまったりしたら助けるように指示します。聞き手の役割をしっかりと与えています。どちらが先に読み手になるかの指示も最初にします。この指示を省略すると、じゃんけんをしたりして意味なくテンションが上がったり、ムダな時間が増えてしまいます。こういったペア活動の基本がしっかりしていることには感心します。 子どもたちは素早く机を寄せて活動を始めますが、机が少し離れていることが気になりました。しかし、その理由はすぐにわかりました。子どもたちは椅子を回して正面で向き合うのですが、机をピッタリくっつけると距離が近くなりすぎるのです。向き合うための程よい距離を自然に調節しているのでした。体の大きい高校生だからなのですね。それでも離れすぎているペアには授業者がそばに行って近づくように手で指示をします。よく全体を見ていると思いました。子どもたちが身体を寄せ合って、大きな声で読んでいることが印象的でした。 この日は4人グループの練習にバディを取り入れていました。対話をするペアに対して、それぞれを助けるバディが1人ずつつくのです。この日初めてバディを使うので授業者は図を使って説明します。口頭だけで説明するよりもずっとわかりやすくなります。 テキストの登場人物の名前をグループの仲間の名前に置き換えて練習をしますが、それに伴い”she”と”he”が入れ替わったりします。ただ暗唱したり読んだりするよりも考えることが必要です。ちょっとしたことですが、よい工夫だと思います。 1グループで試しにやってみます。実際に見せることで何をすればよいのかよくわかります。子どもたちにわかりやすい指示がいたるところで意識されていました。 子どもたちが4人グループになってから、交代や時間についての説明をしました。早いグループは授業者が説明をする前に活動に取りかかっていました。子どもたちの意欲がしっかり高まっていただけに、ここで説明することは意欲をそぐことになります。グループにする前に説明しておきたかったところでした。 意欲的にやれているグループが多いのですが、一部のグループがうまく動けていません。与えられた時間内で何度もやるように指示はされているのですが、とりあえずやった後、動きが止まっているようでした。この活動の目標が設定されていないことが、子どもたちの意欲の継続しない原因の一つのように思います。 全体でいくつかのグループに発表させます。ちょっと子どもたちが騒がしくなったので、静かにするように注意をします。発表の説明の前に、それまでの活動を完全に止めておくことが必要だったと思います。また、騒がしくなった原因の一つに、聞く側の役割がはっきりしなかったことがあります。ただ聞きなさいでは、集中できないのです。よかったところを発表させるといった活動を組み込むとよかったでしょう。 この日初めての活動もあったため、子どもたちがうまく動けなかったところもありましたが、総じて子どもたちはよく頑張っていたように思います。授業者が基本をしっかり押さえていたこともあり、子どもたちのポテンシャルをかなり引き出せているように思いました。子どもたちが今後どのように伸びていくのか楽しみに思える授業でした。 この日は、何人かの先生とお話しする機会がありました。 物理の授業で、同じようなグループワークをしても、子どもの参加の仕方に学級差があることの相談を受けました。学級運営や子どもたちの集団としての個性も影響しますので、簡単に判断できることではありませんが、わからないところを友だちに聞けるようにすることが大切でしょう。子どもたちの様子を見て、思考が止まっている、どうしていいかわからなくなっているようであれば、まわりと相談するように働きかけることが必要です。また、友だちに聞いたということをポジティブに評価して、価値付けすることも大切です。 先生方が授業に工夫をすれば、必ず何かしらの疑問や課題が生まれてきます。それを一つひとつ解決していくことが授業をよくすることにつながります。まず、動き出すことが大切なのです。上手くいかなければ、また次の対応を考えればいいのです。 先生方一人ひとりの工夫が学校全体に広がって、この学校のメソッドとして定着していくことを願っています。 この学校独自のメソッドが生まれて定着しつつあるのが、英語科のGDMです。担当している先生から、具体的な成果が出てきていることを聞かせていただきました。 私がこの学校を訪問するようになった当時は、アクティブ・ラーニングに取り組み始めたばかりでした。子どもたちを何とか授業に参加させたい、寝てしまう子どもを一人でも減らしたい、そういう思いからグループワークを取り入れ始めていました。「何がポイントで、どこに注意をすればいいのか」「教師はどのようにかかわればいいのか」といったことも手探りの状態でした。訪問するたびに、「ここがうまくいかない」「次にどうすればいいのか」といった相談を受けました。一つひとつアドバイスをしながら、教室の様子の変化を見続けてきましたが、確実に子どもたちの姿は変わってきました。そこで、先生方にGDMという手法を紹介しました。先生方の目指す授業の参考になると思ったからです。参考として紹介することはしても、全面的に取り入れてもらうように働きかけるつもりはありませんでした。この方法を学校に取り入れるにあたっての先生方の負担が半端ないからです。実際の授業を見る機会を2回つくったところ、先生方がぜひ自分たちもやってみたい、挑戦したいと言ってくれました。大変なことはわかっていても、先生方はGDM導入に向かって動き始めたのです。自費で研究会に参加し、定期的な勉強会にも顔をだして、翌年度からの導入の準備を始めました。一人では到底続かなかったと思います。英語科の中にチームが生まれ、協力し合ったからこそ挑戦できたことだと思います。幸いにも、GDMの実践の第一人者が現役引退をきっかけに、全面的に協力してくれたことも大きな後押しになりました。先生方の熱意が伝わったのです。 昨年度の新1年生から全面導入が始まりました。毎時間の準備に多くの時間を割いています。子どもたちの反応に手ごたえを感じていましたが、思うようにはなかなかいきません。どうブラッシュアップしていくか、手探りの状態が続きます。「こんな大変な思いをしてまでやる意味があるのだろうか」といった疑問が何度も湧き上がったことだと思います。入門的な部分は既存の中学校での実践をもとにつくることができましたが、高校の内容については参考になるものがありません。オリジナルでの教材開発です。毎日の授業に間に合わせるだけでも大変なことだと思います。こうして実践を積んでも、本当に子どもたちの力がついているのかという不安はぬぐえません。評価もどのようにするのか試行錯誤を続け、試験の形を大きく変えました。絵を与えてその状況を英語で説明する、”situation”を自分の言葉で表現するといったものです。全く書けずに試験として成立しないのではないかという懸念がありましたが、子どもたちがその不安を解消してくれました。正面からしっかりと取り組んでくれたのです。点数もそこそこ取れていたようです。英語検定の2級では、今回から記述問題が取り入れられたそうですが、2年生で2級に合格した子どもたちは、記述はほぼ満点だったようです。これまでの取り組みの成果が目に見える形になってきました。先生方の不安が少しずつ自信へと変わってきました。それは、子どもたちの自信へとつながっていきます。 入学者募集のために、英語の授業での子どもたちの様子や成果を紹介する手書きのチラシも作成しました。子どもたちがどんな力をつけたのかがよくわかります。この学校のメソッドとして世間に誇れるものができつつあるのです。 GDMと直接関係のない英語の授業でも、この影響は出ているように思います。ある英語の授業では、授業者が説明している場面では子どもたちの反応は薄く、板書を写すことに意識が向いていましたが、授業者がGDMを意識して、英語の表わす”situation”を演じてみせると、一気に集中は上がりました。互いの工夫がよい形で影響し合っています。 英語科だけではありません。他の教科も日々工夫をしてこの学校のメソッドと言えるものができつつあります。各教科で英語と同様の紹介チラシをつくるという企画も上がっているようです。是非実現してほしいと思います。 広報の担当の先生とも話をしましたが、受け身で仕事をしている様子はかけらもありません。今自分たちの学校で起こっていることを多くの人に知らせたい。自分たちの学校のよさを、胸を張って伝えたい。そういう思いが行動に溢れています。自らの人脈を使って学校の今を伝えるラジオ番組も実現させました。公立学校では異動がついて回りますが、私立校ではそれはありません。自分たちの学校という意識が醸成されます。それがよい形で表れていました。 校内の研修のやり方も昨年と同様という発想がなくなりました。学校の現状に合わせて最適なものを考えようとしています。今年度は、先生方の授業公開を3日間行うことになりました。教科ごとに何人かの先生がテーマを決めて授業公開をし、教科を越えて互いに見合うのです。時間割変更をしないで多くの先生が授業を見られるように3日間とったのです。個々の先生の工夫を見あって学び合うよい機会になると思います。 先生方の授業改善の取り組みが広がり、それが成果として目に見えるものになってきています。この学校のこれからがとても楽しみです。 聞くことの価値付けを意識してほしい
昨日の日記の続きです。
授業研究は2年生の国語で、物語の好きなところとその理由を紹介するものでした。 机の上に何もない状態で授業を始めます。最初に、今学習している物語の題名、作者、翻訳者を全体で答えさせます。授業者は板書の準備をしながら答えさせるので、子どもたちの様子をしっかりと見ていません。子どもたちはとても大きな声を出しますが、声で状況を判断するのはちょっと危険です。大きな声を出す子どもの陰で、口を開かない子どももいるからです。発言を求める時は、子どもたちと目を合わせることを意識してほしいと思います。 授業者が「めあてを書きます」と言って板書の準備をすると、子どもたちは教科書とノートを机から出します。特に指示をしなくても動くのはよいのですが、すぐに準備をする子どもとまわりの様子に気づいてから動き始める子ども、その反応の速さはかなり違います。中には机の上に何もないままの子どももいます。素早くできている子どもをほめて、学級全体の動きを速める必要があります。 この日のめあて、「物語の大好きなところとそのわけを友だちに紹介しよう」を全体で読み上げ、続いて、物語の挿絵を黒板に貼って、どのような場面かを問いかけます。すぐに手が挙がるのですが、手の挙がらない子どもも目立ちます。特に机の上に何も出ていない子どもたちの手が上がっていないことが気になります。そういった子どもたちも、「いいです」のハンドサインは上げます。ハンドサインを使わずに、手の挙がらない子どもをもう一度指名して、答えさせたいところでした。 次の挿絵では、指名した子どもの発表に対して「いいです」とハンドサインが上がりますが、授業者は「だれと?」と返します。先ほどの子どもが答えると「いいです」とまた同じことの繰り返しです。次の挿絵では、指名した子どもの発言は少しずれていましたが、やはり「いいです」のハンドサインです。授業者が問い返すと、発言した子どもは戸惑っています。他の子どもが挙手をして答えると、先ほど発言した子どもも含めて「いいです」のハンドサインです。授業者は、「そうだね」と説明をして次に進みますが、これらの場面に違和感を持ってほしいと思います。「言葉が足りない、足そう」、「ちょっと違う、修正しよう」と子どもたちが考えず、無批判でハンドサインを出しつづけているのです。ハンドサインが形式化することで、子どもは友だちの発言に対して思考停止してしまっています。 また、挿絵を正しく読み取ることと読解は直接関係ありません。授業者は挿絵で物語の流れと場面を確認しようとしたのでしょうが、そうであれば記憶に頼るのではなく、教科書を開いて確認させることが必要です。挿絵の説明が正しいかどうかを授業者が判断するのではなく、子どもたち自身で根拠を持って判断させたいところです。 「大好きなところとそのわけを書きましょう」と机の上を筆箱だけにしてワークシートを配ります。どうしても本文を参照させずに考えさせたいようです。名前を書き終わった後、子どもたちの顔が上がるのを待ちます。きちんと全員の顔が上がるのを待って、実物投影機を使ってワークシートの使い方の指示をします。指示棒を使っているので、子どもたちの方をよく見ることができていました。 ワークシートには、「わたしの大すきなところは、……ところです。」「どうしてかというと、……からです。」と話型が示され、気持ちを表す言葉「やさしい、しんせつ、きれい、……」がたくさん例として挙げられています。授業者は空欄に何を書くのかを説明します。こうすることで、穴を埋めで文をつくることはできますが、なぜそのような形がよいのか、根拠はどのように示すとよいのかといった工夫を意識することはありません。 この活動の目標も示されませんでした。ただ与えられた形式に従って自分の感想を書くだけでは、本文の読み取りも、相手に伝えるための工夫も必要ありません。また、めあての「友だちに紹介しよう」だけでは、具体的にどのようなことをするのか見通しが持てません。隣同士で聞き合うという次の活動の見通しを与えることで、友だちに「なるほど」と思ってもらえるために、どのようなことを工夫するのかといったことを意識させることができます。 過去に経験した伝え合う活動で、どのようなことを工夫したか思い出させ、そのことを根拠にして、ワークシートの形式を説明するとよかったと思います。 早くできたら、最後に主人公に言いたいことを書くように指示をしました。活動する前にこういう指示をしておくのはとてもよいことです。指示の仕方や子どもの活動をコントロールすることが意識されていました。 ワークシートの空欄に何を書くのかの説明はしたのですが、それが形として残っていません。ワークシートにポイントや具体例を書き込んで、わからなくなった子どもがディスプレイを見て確認できるようにしておくとよかったかもしれません。 子どもたちは鉛筆を持つのですが、すぐには手が動きません。大好きなところを書けても、その理由を書けない子どもが目立ちます。本文を見ることがないので、手がかりがないのでしょう。授業者は机間指導しながら個別に指導していますが、子どもたちの集中力が落ちていきます。書いては消している子ども、書き終ったのか、それとも行き詰まっているのかごそごそしている子どもが目立ってきます。全体に何が起こっているのかを把握することが大切です。 10分が経って、「まだ時間がほしい人?」と確認します。3/4ほどの子どもが手を挙げますが、そのうちかなりの数は手が動いていない子どもです。まわりに流されて手を挙げたのか、行き詰まっていたのかわかりませんが、ここで時間を与えてもあまり状況は改善されないように思います。もっと早い段階で、手が止まっている子どもがどこで困っているのかを全体で共有し、どうすればばよいのかを確認すべきだったと思います。 「いきなり発表は難しいので、お隣さんと対話をします」とペアで聞き合わせます。聞いたら、「こんなところがよかったよ」と感想を言うように指示しますが、何がよいのか「よかったところ」の視点がはっきりしません。この文をつくる時に、目標や評価の基準が与えられているわけでもありませんので、この状況で、感想を言うことはそれほど簡単なことではないように思います。 子どもたちに向かい合うように指示しますが、動きが鈍いことからも、この活動に対する意欲が低いことがわかります。聞く側の子どもが自分のワークシートを持って見ていることが気になります。自分が話すことに意識が行って、友だちの話を聞こうとしていないのです。中には、ちゃんと聞かずに手遊びをしている子どももいます。感想をちゃんと言えているペアはあまり見当たりませんでした。交代すると、聞く側の子どもはもう自分が話し終わったので、ワークシートは手に持っていません。しかし、先ほど以上に手遊びをしている子どもが目立ちました。 全体での発表やハンドサインも含めて、聞くことに対する価値づけがなされていないことが、この状態の原因でしょう。いろいろな場面で友だちの話を聞き、理解することを求め、価値付けしていくことが大切です。 「隣に話せて自信が持てたと思うので、全体で話をしてもらいます」と伝え、手元にあるハートマークを好きな場面の挿絵のところに貼ってから、前で発表させます。 1/3ほどが挙手し、授業者が指名した子どもが発表します。せっかくペアで聞き合ったのですから、ペアの子どもにどこがよかったからと推薦してもらうといったことをしたいところです。聞くこと、聞いてもらうことに価値を与えるのです。 発表者は、発表の後、質問や感想はありませんかとたずねますが、子どもたちは「うーん」とうなるだけで、発言はありません。感想といっても、どのようなことを言えばいいのか視点が育っていないのです。授業者が「上手なところ教えて?」と聞きます。しばらくすると「話し方が上手」といったつぶやきと共に、数人挙手します。発表者が指名した子どもは、「意味がよくわかった」と答えます。授業者が「何の意味?」と問い返して子どもが答えると、それで終わりました。同じように思った子どもをつないだり、どのような表現があったからよかったという価値付けしたりすることはありませんでした。よいところを言ってくれた子どもを評価することや、発表者が評価されたことを価値付けすることが必要です。子どもの中に評価の視点が育っていませんから、授業者自身がほめることで、視点を与えることも必要です。 続いて挙手する子どもは一人に減ってしまいました。問い返されるだけで評価されなかったことが原因かもしれません。指名されて意見を言っても、声が小さいこともあり、他の子どもたちは聞いていません。そのまま何のコメントもなく最初の発表は終わりました。 この後も挙手で進んで行きますが、発表する子どもは自信のある子ども、得意な子どもが多いように見えます。どうやってそうでない子どもを参加させるかを考えることが必要です。 子どもたちに質問や感想を求めても、なかなか意見が出ません。声をほめる意見が出てからは、「声が大きい」「声がきれい」といったことばかりになりました。 最後にまだ発表していな子ども全員にハートマークを貼らせます。授業者は、「同じ場面で書いた人の発表を聞いて、自分と同じだったり、違ったりということがあったと思うけれど、感想を聞かせて?」と問いかけます。しかし、その感想を聞いても、その子どもの考えを聞いたわけではないし、前での発表もしっかりと覚えていな可能性が高いので、理解することは難しいと思います。 発表があった後、すぐに同じ場面を取り上げた子どもに感想を聞くとよかったと思います。より多くの子どもに参加をうながせますし、比較することで、授業者がねらう、同じ場面でも感じ方がいろいろであることに気づいて、考えを深めることができたと思います。 授業検討では、学年ごとのグループで話し合って、発表してもらいました。それぞれが異なった視点で意見が出てきたことが印象的でした。それでも、多くのグループから共通して出てきたのが、この活動の目標は何だったかということでした。このことが明確になっていないため、評価もはっきりせずに、活動中心の授業になっていたのだと思います。 この日も若手を中心とした懇談会が開かれました。 一人ひとりの授業について簡単にコメントをしましたが、誰もが他人事と考えずに、我が事としてしっかりと聞いてくれました。互いの授業から学び合うことのよさをわかっていただければ、仲間が多いだけに大きく進歩することが期待できると思います。 次回の訪問が楽しみです。 考えさせたいことに時間を使う
前回の日記の続きです。
1年生の国語の授業は、5W1Hを意識して文をつくる場面でした。 子どもたちは発言意欲が旺盛です。「楽しかったことを思い出してみて」と言うと、口々にしゃべり始めます。授業者はしばらく子どもたちの様子を見ていましたが、落ち着いてきたのを見て、「先生は……」と自分のことを例に話し始めます。子どもたちは思い思いの姿勢で話を聞いています。背筋が伸びた姿勢ではないのですが、聞こうという意志を感じます。これはこれで、なかなかよいと思いました。話し終わると子どもたちが一斉に拍手をします。この学級では発言に対して拍手をすることがルールになっているようです。 続いて順番に全員発言させます。ほとんどの子どもたちは発言者の方を向くことができています。こういった授業規律もしっかりしています。授業者は一部の集中できない子どものそばに立って進行します。なかなかよい対応だと思います。授業者は簡単にコメントをして次に進むのですが、発言が終わるたびに拍手が起きるため、子どもたちにはよく聞こえていなかったように思えます。形式的な拍手がちょっとじゃまに感じました。最後の方になると、授業者のコメントもなくなり、子どもたちの集中力が落ちてきました。「時間がないので、今回は拍手をしなくてよい」と拍手は省略して、その代り、簡単な評価だけは一言ずつ全員にするとよかったでしょう。また、全員に発言させると単調で、だれやすくなるので、意図的にテンポアップを図るようにするとよいでしょう。 最後の方で、うまく話せない子どもがいました。授業者はとばして次に進みますが、その子どものそばにずっと座っていました。最後にもう一度、声をかけると発言してくれました。なかなか粘り強い対応でした。 授業者は「みんな楽しかったことを発表してくれたけど、先生、もっと詳しく知りたいな」と語りかけます。「知りたいな」という言葉で、子どもたちの意欲を高めます。「いつ」「どこで」と間を空けながら問いかけると、子どもたちから「何をした」と言葉が返ってきます。授業者が板書をしようと黒板に向くと、「いつ」「どこで」「だれと」といった声が上がってきます。なかなかよい反応なのですが、つぶやいているのは一部のテンションが上がっている子どもです。中には身を乗り出して声を出す子どももいます。ここはいったん、しゃべるのをやめさせて、全体の場で共有することが必要だと思いました。 「いつ」「どこで」「だれと」「何をして」「どう思った」と板書して、「もう一つ、今回は絵を描いてもらいます」と次の作業の説明をします。それを聞いて、一部の子どものテンションがまた上がります。テンションの上がりやすい子どもがこの学級には多いようです。 「教科書にお手本が載っています」と教科書を開かせます。子どもたちはすぐに行動しますが、その間多くの子どもが何かしらしゃべっています。しかし、授業者が「心の中で読んで」と指示をすると、落ち着いて指示に従います。子どもたちのコントロールができていることに感心しました。つぶやくことで上手くエネルギーを発散できているのかもしれません。ただ、学級全体が落ち着かない状態になる危険性があるので注意が必要です。「いいこと言ってくれたね」とつぶやいた子どもを指名し、全体に対してきちんと発言し直させることで、話を聞く雰囲気をつくるとよいでしょう。また、発言する子どもではなく、聞いている子ども評価するようにすると落ち着いてくると思いました。 6年生は町の紹介をするパンフレットについての国語の授業でした。 子どもたちはグループの形になって、町を紹介するいろいろなパンフレットを見て特徴や工夫を考えていました。個別にノートにまとめていますが、パンフレットを交換する以外あまりかかわっていません。目標が、子ども同士がかかわり合う必然性のあるものになっていない可能性があります。自分たちがパンフレットつくる時の参考にするのでしょうが、パンフレットがだれに対して、どのようなねらいなのかを意識しないと、ただ気づいたことをまとめるだけになってしまいます。 グループの状態から元の座席に戻して、全体で発表します。構成について気づいたことから指名して発表させます。挙手は数人です。構成について書いた子どもがそれだけ少ないのでしょうか。ちょっと気になります。こういう場面では、まず、何ついて書いたのかの情報を先につかむようにするとよいでしょう。「○○について書いた人?」「多いね」「△△は?」「意外と少ないね」というように、項目ごとにどのくらいの子どもが考えを書いたかを把握しておくと、指名することや子ども同士をつなぐことがしやすくなります。 子どもの発表を板書してから、実物投影機でそのパンフレットを映して授業者が説明します。時間の関係もあるのでしょうが、子どもに説明させたいところです。子どもたちは説明を聞く前にすぐに板書を写します。友だちの考えを理解することよりも写すことを優先しているように見えました。 折り方についての発言がありました。他の折り方がなかったかとつなぎます。「3つ折り」「4つ折り」に続いて、「なんかこういうの」という発言が出てきます。細長く折ってあるのです。授業者は、「こういうのだった人?」と発言者にパンフレットを全体に対して見せるように指示します。先ほどまではあまり反応しなかった子どもたちが、一気に体の向きを変えます。いろいろな折り方があることを共有して、「折り方だけでもこれだけいろいろある」とまとめて続きに進みます。 表現の工夫について、「わかりやすいように写真が載っている」という意見がでます。授業者は「写真が載っているパンフレットを見た人?」とつなぎます。ほとんどの子どもの手が挙がります。「文字だけのパンフレットしか見ませんでしたという人?」と続けて聞きますが、もちろん誰も手を挙げません。「どのパンフレットにも写真が使ってある」とまとめ、「何で写真が使ってあるんでしょう?」と問い返します。これまでは工夫について理由は聞きませんでしたが、ここで初めて聞きました。しかし、発表者は「わかりやすいように」と理由を言っています。無視されたように思うかもしれません。 子どもたちは、先ほどの作業中には理由を考えていません。すぐに手が挙がる子どもは半分もいません。多くの先生は、作業に時間を使い、考える場面ではすぐに答を求める傾向があります。この時間の比率を変えることが必要です。 最初に指名された子どもの発言は、「言葉ではわかりにくいものを説明しやすくする」と先ほどの子どもの理由と同じような内容です。すぐに「いいです」とハンドサインが上がります。「他には?」と他の意見を求めると、一人の子どもの手が挙がります。「文で表わせないものを……」という意見に対して、ハンドサインはほとんど上がりません。理解するのに時間がかかっているのでしょう。授業者は「どちらもあるね」と板書しますが、ここは子どもたちが理解する時間を取りたいところでした。授業者が「どちらもある」と結論を板書するのではなく、子どもたち同士で納得させるようにしたいものです。 写真を載せる理由はそれほど難しくはないでしょうが、先ほどのパンフレットの折り方などは、その理由をしっかりと考えさせたいところでした。折り方は利用される場面を意識して決められています。歩きながでも見やすくするのか、全体を把握しやすくするのかといったことを考えることは、パンフレットを実際につくる時にとても大切な視点を与えてくれます。こういったことをグループで考えさせることが必要でした。また、子どもたちのパンフレットはグループによっても違います。それぞれのパンフレットのねらいと工夫を関連づけてグループごとに発表させて、共通な点と異なる点について比較してみても面白かったでしょう。 あらかじめ自分たちのつくるパンフレットのねらいが明確であれば「どの特徴や工夫が参考になるのか」ということをグループごとに話し合わせてもよかったかもしれません。 子どもたちに何を考えさせるのかを明確にし、そこに時間を使うように授業を組み立てほしいと思います。 この続きは明日の日記で。 算数の授業で子どもが考える場面について考える
前回の日記の続きです。
5年生の算数の少人数の授業は作図する場面でした。 実物投影機を使いながら授業者が線分を引く、コンパスを使って円を描くといった作業を一つひとつ指示していきます。作業を止めずに作図の様子を見せるのですが、子どもたちは作業を続けていて顔が上がりません。授業者も自分の手元を見ているので子どもたちの様子に気が付かないのです。立っていては描きづらいので、最後は椅子に座って書きながらしゃべります。「大事なのは……」と話しますが、子どもたちの顔は上がらないままでした。 子どもは指示に従って図を描いていますが、なぜこの順番に作業をするのかといったことを考えていません。作図の順番には意味があります。どういう順番で描くのか見通しを持つことが必要です。指示に従って描くだけでは何も考えることはありません。 活動場面でのポイントを押さえ、子どもたちに何を考えさせたいのかを明確にして授業を組み立てることが必要です。 4年生の算数の授業は少人数での、小数の大小を考える場面でした。 個人作業で問題を解いた後、子どもたちが姿勢を正します。「姿勢で教えてくれてますね。ありがとう」と子どもたちをほめますが、黒板に向かって歩きながらで、体は子どもたち向いていません。当然視線は子どもたちに落ちません。残念ながらこれでは子どもたちに「ありがとう」の気持ちは伝わりませんので、当然子どもたちの表情は動きません。こういう形で「ありがとう」を使うと、「ありがとう」が形式的なものになってしまうことに注意をしてほしいと思います。「固有名詞」で、その「子どもと目を合わせ」て、具体的に「何がよいのか」を伝えて、「笑顔」でほめることが大切です。 3.64と3.619のどちらが大きかったかを問いかけます。半分くらいの子どもの手が挙がります。授業者は「手を挙げてくれた人、ありがとう」「みんなで……」と体を使って不等号を示すように指示します。「ありがとう」はよいのですが、次の言葉との間に間がありません。「ありがとう」の言葉が流れてしまいました。残念でした。 子どもたちは体を使って不等号の向きを示しますが、ちょっと遅れる子どももいます。授業者は、全員が同じ方向になったのを見て「大正解」と言います。正解かどうかを判断するのは授業者です。子どもたち自身で根拠を持って正解と言い切りたいところでした。続いて、「何でかというと」と、授業者が説明を始めてしまいました。本当に全員が正解だったのかもよくわかりません。子どもたち自身で説明できることを求めたいところです。 授業者は「まず一番上の位、この3と3、一緒ですか?」と問いかけます。何が一緒なのでしょうか。3という数が一緒なのか、それぞれの数の一番上の位が一緒なのか、はっきりしません。見て当たり前なのかもしれませんが、それぞれの一番上の位が同じ位であることを確認したいところです。こういった細かいところにも、神経を使ってほしいと思いました。 続いて規則的に並んでいる小数の空欄を埋める問題です。授業者はデジタル教科書を使って「5.22」「5.23」と問題を示しながら子どもたち問いかけます。子どもたちはよく集中して見ています。数を読み上げて、すぐに、ここに何が入るかを聞きます。難しいと授業者は言っているのですが、その割には考える時間を与えません。すぐに挙手した5、6人の中から指名をします。その子どもが正解を言うと、賛成とハンドサインが上がりますが、全員ではありません。正解した子どもに理由を説明させます。「0.01ずつ増えている」という説明に、賛成のハンドサインが上がりますが、先ほどより減っています。先ほど賛成といった子どもたちは、本当に納得してハンドサインを出していたのか、ちょっと疑問です。手の挙がらない子どもが気になります。授業者はすぐに別の子どもを指名すると、「5.22、5.23、5.24ときたら、この次に何が入る」と問いかけます。指名された子どものまわりは、体の向きを変えてその子どもを見ます。残りは、授業者とディスプレイを見ていました。問題の答を自分で考えている子どもは、ディスプレイを見ようとするでしょうし、友だちの答が気になる子どもは、体の向きをかえて発表者を見ると思います。面白い光景ですが、授業者はどうあってほしかったのでしょうか。授業者は、「0.01ずつ増えていると○○さんが言ってくれた」と説明を付け加えます。その説明を聞いて正解すると、賛成とまたハンドサインが上がります。「みんな手が挙がってますね。すばらしい」と評価しますが、手の挙がっていない子どももいました。このことに気づいてほしいと思います。 子どもたちが正解を知ることではなく、自分で納得するための場面を用意することが必要です。自分自身で納得するためには、考えたり振り返ったりする時間が必要なのですが、ハンドサインでそれらをすべて省略してしまっていました。 3年生の算数の授業は、1の位が0の時、10で割るとどうなるかの説明の場面でした。 授業者は解答を板書しながら、時々説明をしますが、子どもたちの顔は上がりません。子どもたちは板書を写すことで手一杯です。授業者もそのことが気にならないようです。聞いてもらいたい内容なのでしょうか。こういうことが続くと、子どもたちは授業者の話しは聞かなくていいと思うようになってきます。このことを注意してほしいと思います。板書を優先してもよいと思うのであれば、子どもが写している間はしゃべるのを我慢すべきです。 次の問題の指示をしている時も子どもたちの顔は上がりません。というか、指示の途中で問題を解き始めている子どもがたくさんいます。指示が終わった時には問題を解き終っている子どももいます。「できました」と声を上げますが、授業者は個人指導をしていて、次の指示がありません。子どもたちはそのままじっとしています。とてももったいないと思いました。できた子どもへの指示はきちんとしておく必要があります。 「380÷10はゼロをいくつとればいいですか?」と問いかけて、挙手させます。子どもたちは、0をいくつとるかの問題を解いていると思うかもしれません。定着の場面なので、結論を使って問題を解くこともいいのですが、まずは「380÷10はいくつですか?」と問いかけて、それからどのように計算したかを聞き、その理由を確認するということをていねいにやりたいところでした。 授業者は子どもをほめることを意識しています。「手の挙げ方、きれいですね。○○さん」と指名します。しかし、誰のことかわからない内に指名され、気づいた時はもう立ち上がっています。これでは、せっかく子どもたちによい行動を広げたくても、その行動を共有することができません。「ああ、○○さんの手の挙げ方きれいだね」と間を取り、子どもたちがその子どもを見るのを確認してから、指名したいところでした。ほめ方にもちょっとした技術があるのです。 授業者は「380の0をいくつとったのですか?」と子どもたち問いかけます。「0を1つとった」という答に「0を1つとって38になった」と手順だけを確認して次の問題に進みます。380からとれる0は1つだけです。他の答はあり得ません。そんなことより、なぜ0を「1つ」とれるのかの説明をしっかりと子どもにさせる必要があります。 教科感の問題ですが、算数は手順を覚えて問題を解ければよい教科ではないことを意識してほしいと思います。 この続きは、次回の日記で。 |
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