子どもが答えやすい発問、見通しを持つための足場が大切(長文)

昨日の日記の続きです。

4年生の算数は、少人数での小数の足し算の学習でした。
挨拶の前に筆算の問題練習をやっています。黒板で3人の子どもが答を書いていますが、それ以外にもう一人、正誤を判定する子どもがいました。書き終った答に○をつけていきます。3人目の子どもが書き終ると、「ちょっと違います」と何人もの手が挙がります。判定役に指名された子どもは、最初は修正しようとしましたが、結局消して書き直してしまいました。間違えた子どもはどのような気持ちになるでしょうか。「ちょっと違います」という言葉も、自分とは「違います」という意味で使うように指導しているのでしょうが、言われた方は、「あなたの答は違っていますよ」とダメ出しされているように感じるかもしれません。できればこのような進め方は避けたいところです。子どもの仕切りでは難しいでしょうが、「どこが○○さんと違うの?」と違ったところの指摘だけをさせて、「○○さん、どう?」と本人に修正させるとよいでしょう。「言ってもらえて気づけたね。いいね」とほめ、指摘した子どもには「△△さんの、言葉で気づいてもらえたね。ありがとう」と声をかけるといったこともすると子ども同士の関係がよくなると思います。

問題文を黒板に貼ります。途中で寄り道をした時の道のりを求める問題です。授業者は問題文を全体で読ませた後、一つひとつの道のりを確認します。距離を書いてある地図が見にくかったのか、挙手は半分くらいです。まだ読み取ろうとしている子どももいるようですが、授業者はすぐに指名します。指名された子どもが答えるとすぐに「いいです」のハンドサインです。答を聞いて「ああそうか」と思うような問題ではありません。ハンドサインを出す前に、答えようと挙手してほしいところです。
子どもたちが挙手したい、発表したいと思うために必要なことは何でしょうか。間違えると否定される可能性があると挙手しません。間違えても恥ずかしい思いをしないという保証が必要です。そして、もう一つ大切なのは発表すると人から認められることです。先ほどの発表者は友だちのハンドサインを見ずに授業者の方を見ていました。表情は変わりません。友だちの「いいです」はその子どもにとって認められた感につながらなかったのです。逆の立場で言えば、自分がハンドサインを出す時に、一緒の答でうれしいといった共感やなるほどと認めるという気持ちはなく、惰性で行っているということです。子どもが授業者を見ているということは、自分の発言をどのように評価してくれるのか気になっているのです。しかし、授業者は全員が「いいです」とハンドサインを出しているので、それでよしとして、先に進みます。子どもの気持ちとずれているのです。

授業者は問題を印刷した紙を配ってノートに貼らせます。全員がきちんと貼り終わるまで、子どもたちを見て待っています。子どもたちは授業者が見守っているので、落ち着いて遅い子どもを待てていました。全員が貼り終えるのを確認して、式を書くように指示を出します。子どもたちが育っていれば、すぐに顔を上げて聞きますが、残念ながらそこまでは育っていません。子どもたちの視線が授業者に集中しないままでした。まず、全体に対して「待っててくれてありがとう」、最後の子どもに「待っててもらってよかったね」と子どもたちの行動を評価して、その上で、「じゃあ、集中して聞いてね」と気持ちを切り替えさせて進めるとよかったでしょう。

式を書けた子どもが挙手をします。授業者は子どものノートを見て軽くうなずいて、すぐに次の子どもへと教室の中を行ったり来たりしています。挙手した子どものところに行くのはとても効率が悪いやり方です。また、授業者がうなずく時の表情がかたいのが気になります。時々「はい」という言葉も入りますが、基本は無言です。子どもたちの表情は変わりません。子どもたちは認められた感をあまり感じていません。というか、チェックに通ったと感じているのではないでしょうか。挙手した子どものノートしか見ないので、全員をチェックできていませんでした。この机間指導では、早くできる一部の子どもしか認められません(実際にはチェックされただけ)。続いて挙手で確認すれば、常にできる子どもが主導をする授業になってしまいます。こういった構造に気づいてほしいと思います。
机間指導で子どもノートを見るのなら、まず全員を見ることを意識してほしいと思います。特に全員にできてほしいと思う場面では、「○付け法」がお勧めです。教室の端から順番にノートを見ながら、一人ひとりに「いいね」「ばっちりだね」といった認める声かけと一緒に○をつけていくのです。違っていれば、あっているところまで、線を引いて「ここまであってるよ」と小さく○をつけてあげます。子どもを部分肯定しながら、困っている子どもには簡単なヒントをあげることや、まわりの子どもと相談するように促すことをして、後からもう一度回るのです。全員を○にすることが目標です。

一言ずつ子どもと確認しながらこの日のめあてを板書します。「1/100の位までの小数の」「足し算を」と続き、「どうしましょう?」と子どもたちに考えさせようと問いかけます。しかし、この問いかけに反応して考えている子どもはごくわずかです。ほとんどの子どもは、板書に書かれたことを写すことに専念していました。反応する子どもとのやり取りだけで進んでしまいます。
授業者はめあてを書き終ると子どもたちが写すのを見守っていましたが、途中で「どうやってやるといいのか、書きながら考えてみて」と言葉を発します。写している途中で指示してもちゃんと伝わりません。また、写しながら考えるというのは、子どもたちにとってそれほど簡単なことではありません。めあてを写す前に、「早く書いてね。書き終った人は、どうやってやるといいのか考えて」と指示をしておくとよかったでしょう。

子どもたちがめあてを書き終わった後、「4.72+3.17は、どうやって考えたらよいか?」と問いかけます。すぐに反応して手を挙げた子どもに、「おっ、書いてみましょう」と返し、全体に対して指示をしました。最後に「やり方を書いてみましょう」と言葉を足しましたが、「どうやって考える」から「やり方」に言葉が変わってしまいました。大人であれば、このくらいの言葉の変化はたいしたことはないのですが、子どもたちであれば混乱する危険性があります。言葉の揺れに注意をすることが必要です。
鉛筆を持ったまま手が動かない子どもが何人かいます。隣同士で顔を見あって困っている子どももいます。授業者はすぐに机間指導を行い個別に指導しますが、目の前の子どもの手元しか見ていないので全体が見えていません。手のつかない子どもはほっておかれたままです。すぐに机間指導をするのは避けた方が賢明です。指示をしたら机間指導と単純に考えるのではなく、まず手がついているかどうか、全体の様子を確認して、それからどう対応するかを判断する必要があります。この場面では、いったん作業を止めて、子どもに見通しを持たせる必要があったと思います。また、ちょっと気になることがありました。授業者がノートを見ようとした瞬間に消しゴムで自分の書いたものを消している子どもがいたのです。そのあと、鉛筆を持ったまま手が動きませんでした。見られて指導されたくなかったのかもしれません。
手のつかない子どもが多かったのは、この場面で必要になる内容を事前に復習していなかったので、見通しを持てていなかったためだと思います。復習の問題を解きながらポイントを確認して、それを黒板の隅にまとめておくだけで、子どもたちの動きは大きく変わったと思います。

子どもたちに発表させようとしますが、なかなか手は挙がりません。1/3ほど手が挙がったところで指名しました。指名された子どもはノートを読み上げ、授業者はすぐに黒板の方を向いて板書を始めます。半分くらいの子どもは黒板を見ますが、残りは手元を見ていたり、聞き流したりしています。発表者を見ている子どもは一人もいません。授業者はすぐに板書するのではなく、子どもたちの様子を見ながらしっかりと聞くことから始める必要があります。他の子どもが発表を聞いてどのような反応しているかを把握しないと、次の展開を考えることができないからです。
授業者が「これわかる?」と板書を指しながら聞いても、「わかる」と反応する子どもはわずかです。何も考えずに板書を写す子どもも目立ちます。
授業者は子どもたちに付け足しを求めますが、手が挙がるのは数人です。その説明を聞いても、他の子どもたちは何を言われているかよくわかりません。何人か説明させるのですが、一気にノートを見て読むので、頭に入っていきません。授業者も説明をさせた後、聞き返すことや、どこがわかって、どこがわからないかといった確認をしません。発表しっぱなしです。結局、最後は授業者が説明を始めました。子どもたちは友だちの説明がよくわからないまま、授業者の説明を聞くのですが、集中力は失くしていました。
発言を途中で区切って、そこまでの内容を確認し、どこがよくわからないのか、問題なのかを焦点化する必要があります。ポイントとなるところを全体で確認したり、まわりと相談させたりすることが必要です。一人がしゃべる、わかったかを授業者が問う、また次を指名するといったことの繰り返しでは、新しい情報が入ってくるばかりで整理することができないのです。

子どもたちは、授業者の説明の合間の「これは何の位?」といった問いかけには答えられますが、見通しを持って考えることはできていません。よくわからないと、隣同士で顔を見合わせている子どもの姿が印象に残っています。

1/10の位の数、7と1を足す説明を7+1ではなく0.7+0.1と修正します。目の前にある数字は7と1です。かえって難しくしているように思います。「7は何が7あるのか?」といった位取り記数法の意味を問いかけて、7+1=8の8は何が8あるのかで考えた方が、スッキリするのではないと思います。子どもたちは質問された変換はできますが、なぜ、このように直すのかということがよくわからないようでした。

他の考え方を発表させます。指名された子どもは筆算で解きました。授業者は「何をやっている?」子どもたち問いかけます。当然返ってくる答えは「筆算」です。「どうやって計算している?」と返すと、「足し算」と返ってきます。子どもたちの反応は至極当然です。「足し算、どうやっているの?」と問いかけると数人が挙手しますが、ほとんどの子どもは何を聞かれているのかわかっていないことに気づいてほしいと思います。
指名された子どもは、「1/100の位を足して……」と位ごとに足すことを説明します。子どもたちの反応は今一つです。授業者は、「同じことでいいからあの筆算説明できる人?」と子どもの考えをつなごうとしました。つなごうとするのはよい姿勢ですが、ここでも「どうやっている」から「説明」に言葉が変わっていたことが問題でした。
「分けて足し算ました」という説明に、「どういう風に何を足したの?」問い返します。「1/100の位の0.02と0.07を足して……」と、先ほどの数字を小数に変換した影響が出ていました。同じ位の数を足す、足せるといった考えをもとに「1/100の位の数が2と7だから、1/100が9になる」といった言葉を引き出したいところでした。

授業者は、筆算と筆算を使わないやり方のどちらが速いかを子どもたちに問いかけますが「筆算」と反応するのは2、3人です。他の子どもはよくわからないという顔をしています。しかし、授業者はすぐに「筆算が速い」と「筆算で計算できるようにしよう」とまとめました。
この後、(足し算・引き算の)筆算のポイントである位をそろえて書くことを確認して、練習問題を一つやります。この答を確認した後、いったんまとめました。気になったのは「1/100の位の小数の……」と限定をしたことです。ここは、1/100にこだわる必要はないはずです。足し算・引き算の筆算は、桁や小数であるかどうかにかかわらず、位をそろえることさえすれば、同じです。意図的に「1/100の位」は外した方がよいように思いました。「位をそろえて……」の前にどんな言葉を入れたらよいか考えさせます。「最近まとめで使ってきた言葉、何だった?」と問いかけて、子どもから「整数と同じように」という言葉を引き出します。この言葉を意識するのはとてもよいことなのですが、数人がつぶやいたらすぐそれを受けて板書しました。「整数と何が同じなの?」と返したりしながら、位取り記数法の意味と筆算の関係をしっかりと全体で共有したいところでした。

練習問題に取り組んだ後、指名した子どもに答を書かせます。6.03+2.97の筆算で、9.00の0を消すかどうかを確認します。「0は数がないから消していい」という意見が出ます。授業者はこの言葉を復唱するだけで、次の子どもを指名しましたが、この言葉を活かしたいところでした。位を表わすためには0が必要な場合があります。その違いを考えさせるとよかったでしょう。「9.00の0を消しても数は9で変わらない」という意見がでると、授業者はこの意見をもとに説明を始めました。同じ数を表すことを確認して、0を線で消すのがよいのか消しゴムで消すのがよいのかを子どもたちに問いかけます。
これは子どもたちに考えて答を出させるようなものではないように思います。計算の過程や根拠を残すことの大切さの例として、説明すべきところです。
また、9と同じなら9.00でもよいはずです。これは位取り記数法のルールとして教えるべきだと思います。210−190といった筆算で100の位の0を書かなかったのと同じ理由です。
このあたりがきちんと子どもの腑に落ちていなかったのか、6.03の0を消した子どもがいたのが印象的でした。

子どもに発言させて、子どもの言葉で授業を進めようとしているのは好感が持てました。しかし、発問が練られておらず、また言葉が揺れるので何を答えればよいのか子どもがよくわからないことや、子どもが考えるための足場を意識して事前に整理をしていないので見通しを持てていなかったことが課題です。子どもの視点に立って、必要な知識の整理や言葉を選んでほしいと思いました。

この続きは明日の日記で。

基本的な授業力が高いからこそ、教材理解を大切にしてほしい(長文)

小学校で授業と授業研究のアドバイスを行ってきました。今年度2回目の訪問です。

1年生の算数の授業は問題文から引き算の式をつくる場面でした。
授業開始前に子どもたちはノートを開いて作業を一生懸命やっていました。作業を止めて筆記具を片付けるように指示して授業を開始することを告げても、まだやっている子どもがいます。授業者は「気持ちはわかるけど」と子どもの方を向いて笑顔でうなずきました。とても柔らかな表情で子どもに寄り添っています。
挨拶を終わった後、机の上のノートや筆記具を片付けるように指示します。大きな声で、一つひとつはっきりと伝えています。中には筆箱が出ていることに気づかない子どももいます。授業者はそれに気づいて「○○さん」と優しく声をかけます。また、ちょっと動きが遅れ気味の子どももいますが、その子どもには声をかけません。そのまま全員が指示に従えるまで、しっかりと子どもたちを見守っていました。一人ひとりの子どものことをよく理解しているのでしょう。声をかけるべきか、黙って見守るべきかといったことを判断して対応しているように見えました。

「昨日できるようになったことは何ですか?」と子どもたちに問いかけました。何人かの子どもがつぶやきますが、一人の子どもが挙手しました。授業者はすぐに指名しましたが、せっかく子どもから反応が出ているのですから、つぶやきを拾って全体に発表させるか、まわりと確認させるといったことをした方がよかったように思います。
指名された子どもは後ろに行って「引き算の式です、どうですか?」と答えます。ほとんどの子どもたちは後ろを向いて聞きます。後ろではなくて授業者の方を向く子どもには、手で前を向くように示します。
子どもたちは発表後、「いいです」とハンドサインを出します。授業者は「みんな一緒?式がどう、式?」と復唱して子どもたちに言葉を足させようとします。「何ができるようになったの?」と言いかけると、「発表します」と先ほどの子どもがまた、声を出します。「引き算の式ができるようになったです。どうですか?」と、「できるようになった」を足しました。子どもたちは、また「いいです」とハンドサインを出します。授業者は「言うのもできるだけれど……」と「書く」という言葉を引き出そうとしますが、また、「発表します」と同じ子どもが3度目の挑戦をします。「引き算の式を使うです。どうですか?」に対して、また子どもたちは「いいです」とハンドサインで答えます。授業者は子どもの発言をうなずきながら聞いていましたが、思わず「みんな、なんでもいいですね」と笑いながら声を出しました。「わかった、いいです。先生が言います」と「書けるようになったね」と説明をしました。授業者自身、ハンドサインの問題に気づいているようです。
こういった場合、ハンドサインに頼らずに、何人もの子どもを次々と指名するといいでしょう。「引き算の式」「なるほど。次の人?」「引き算の式ができる」「引き算の式をどうすることができるの?」……というように、子どもに言葉を足すようにうながしながら答えさせるとよいでしょう。
この間授業者は笑顔を絶やしませんでした。子どもたちが楽しそうに授業を受けている理由がわかる気がします。

この日の問題を提示します。男の子と女の子の後ろ姿をかいた紙を1枚ずつ貼っていきます。ちょっとずつ見せることで子どもたちをひきつけます。
授業者は子どもたちに問題を提示します。「子どもが7人います」「男の子が4人にいます」と続け、ここでちょっと間を置きます。子どもたちを上手に集中させます。「女の子は何人ですか?」と続けると、子どもたちからは「わかった」「3人」と声が上がります。それに対して授業者は「えっ、わかっちゃった?」と笑顔で返します。子どもたちの半分くらいが挙手をします。ここで授業者はすぐに指名をし、指名された子どもは前に出て「3人です。いいですか?」と発表します。手の挙がらなかった子どもも、すぐに「いいです」とハンドサインを出します。これをどう考えればよいでしょうか。根拠も示さず、ただ答だけを発表して、納得するというのはとても危険なことのように思います。授業者は、このことをちゃんと理解しているようです。すぐに、「本当?前に出てやってくれる人?」と、子どもを指名して前に出させます。「えっ、なんで?」「3つだよ」といった声が一部の子どもから上がります。根拠や説明が必要だとは思っていないのです。授業者は唇に指を当てて、「聞こうよ」と制しました。こういった対応もとても上手です。

何人か指名します。子どもの考えは、基本的に女の子の紙を抜き出して、3人になるというものです。絵の属性に頼っているのです。教科書の絵は後ろ姿のシルエットでその属性をわかりにくくしています。男の子、女の子の属性に頼らず、数の操作に置き換えて引き算とさせたいからです。
授業者は、問題文を板書します。「女の子は3人ということはわかった」と確認して「紙を動かさず、今まで勉強したことを使ったりしてできるようなことはない?」と続けます。
授業者はこれまで、子どもたちに問題文をそのまま写させず、一定のルールでノートに整理しながら書かせていたようです。この問題文をどうノートに書くか問いかけますが、子どもたちの反応はよくありません。授業者はノートを見るように指示しました。
数を書いて矢印を引き、「食べる」「来る」「飛んでいく」という操作につながる動詞を書かせていたようです。授業者はそれを足し算言葉、引き算言葉と呼んでいるようです。算数の問題を解くのに、こういった言葉と演算を対応させる教え方によく出会うのですが、これはとてもよくないと私は思います。これに頼れば、簡単な文章による問題は機械的に解くことができます。この機械的が危険です。問題の意味をきちんと考え理解して解くことができなくなるのです。「問題文⇔式」という対応をするのではなく、「問題文⇔操作・図」「操作・図⇔式」という、半抽象を途中に組み込むことが大切です。問題文に示されているのは、どういう状況かを理解してそれを、半抽象であるブロックによる操作や、テープ図などで表わします。それをもとにどのような式になるかを考えることで、なぜその式になるのか理解することができるのです。
具体と半抽象、抽象を自由に行き来できるようにすることが大切です。

授業者は、この問題文には足し算言葉、引き算言葉といった算数言葉がないと押さえます。授業者の言うこれらの言葉は操作に対応するものです。操作につながる言葉がこの問題文にはないとうことです。だからこそ、この問題文の表わす状況と操作を結びつける必要があるのです。
このような考え方の典型的な例が差です。「大きい数から小さい数を引いたものを差という」と単純に定義するのではなく、2つ数をブロックで表わし、その違いで差を定義します。差は、大きい数から、小さい数と「同じだけ」の数を取り除いた残りになります。大きい数から、小さい数と同じ数を引いたものが差なのです。回りくどいですが、このように考えるのです。
子どもたちにつけるべき力は、足し算言葉や引き算言葉といったものを覚えるのではなく、与えられた問題を半抽象的なものに対応させる力なのです。そのために、ブロック図やテープ図、線図といったもの学習していきます。次第に、離散量から連続量へと概念が拡張され、抽象度が高くなっていることはわかると思います。こういった図で考えることのできる力をどうつけるかが大切です。

授業者は、算数言葉にこだわります。「男の子は4人います。どこにも行きません」と算数言葉がないことを説明しますが、算数的には、男の子がどこかへ行ったときの残りを考える問題と同じだと考える子どももいると思います。答はわかっているのに、授業者がこだわっていることが何かよくわからないまま、説明が続くので子どもたちは集中力を失くしていきます。
「足し算、引き算、どんな計算になるかわかりますか?」問いかけますが、答がわかっているので、その答になるように演算を考える子どももいるかもしれません。大切なのは、何算かをわかることの前に、この問題の表わす状況がどのような操作と対応できるのかを考えることです。
授業者は「今までだったら、『全部で』とあったら足し算、『残りは』とあったら引き算とわかったけれど、わからないね」「今日は何算かわかるといいね」とこの日のめあてを示します。

子どもたちに数図ブロックで考えさせます。しかし、子どもたちは先ほど男の子の絵と女の子の絵で操作しています。数図ブロックもそれに引っ張られた使い方をします。ブロックを男の子と女の子で色分けし、図の順番に並べようとする子どももいます。並べただけでブロックを操作することができない子どももいます。
授業者は「ブロックの動かし方をやってくれる人いる?」と問いかけますが、だれも手が挙がりません。どこで困っているかをたずねますが、答えが返ってきません。その時手を挙げてくれる子どもがいたので、指名して前で操作をさせます。指名された子どもは、ブロックを4つと3つ、色を変えて上下に分けて置きます。「どうですか?」と問いかけますが「いいです」の声は少ししか上がりません。授業者は「同じだという人、お話ししてくれる子いるかな?」とつなごうとしますが、同じだという子どもは現れません。授業者は「似ている人?」となんとかつなごうとしますが反応しません。
「同じだという人」ではなく「○○さんのやり方説明できる人?」とすれば、反応は違ったかもしれません。自分の考えを説明するだけでなく、友だちの考えを理解しようとする姿勢を少しずつ身につけさせたいところです。また、それぞれのブッロクのかたまりを「これは何?」と聞くことで言葉を引き出すことができたかもしれません。何をつなぐか、どう問いかけるのか、もう一工夫でした。
よく発表する子どもが「同じでないけれど……」と声を出します。結局、その子どもの説明を聞くことになりました。男女を区別して図の通りに並べて、そこから男の子のブロックを抜き出して並べます。「いいです」と反応する子どもは先ほどよりも増えました。授業者は「同じだった人、手を挙げて」と子どもをつなぎます。1/3ほどが挙手します。ここで、「これは何だっけ」と男の子のブロックのかたまりを指さして問いかけ、男の子をこちらに持ってきたと確認をします。
ここで注意をしなければいけないのは、最初の7人をつくる段階で男女を分けているということは、答が先にあるということです。最初に図から答えを出しているからできたのか、男の子4人に女の子を足していって7人にしたということです。

続いて似ているけどちょっと違うやり方をしていると、別の子どもを指名します。全部同じ色を使って7個並べます。ここで授業者は「どこが違う?」と全体に問いかけます。「色」というつぶやきがでます。「色が?」と返すと、今度は「色が同じ」と返ってきます。上手につなぐのですが、反応は一部の子どもだけです。この「色が同じ」という言葉をもう少し全体で共有しておきたいところでした。
どうやって動かしたかをやらせます。動かしたブロックを「これは何だった?」とたずねて男の子だったことを確認して、そのあと、授業者が説明を始めました。
2つのやり方を比べて、「どっちがやりやすい?」と問いかけますが、子どもたちはよくわかりません。授業者は「いっぺんやってみようか?」と同じ色を使ってやらせます。自分の机の上にブロックを準備させ、一斉に問題文を読みながら操作をしていきます。「男の子が4人です」で授業者は手でブロックを横に動かす仕草をします。「こういう動きでどう?」といったん止めて、動きを確認します。ここで戸惑っている子どもがまだいます。授業者はそのことに気づいて、「女の子が3人います」と終わった後、もう1回やりました。子どもたちの状況をよく把握しています。今度はわからない子どものために、黒板のブロックで動きを見せました。

「この動きは何かと同じだったね」と授業者が次に進もうとすると、「違いがわかりました」と男の子のブロックを抜き出した子どもが声を出します。授業者が指名して、「一気に動かした」と自分との違いを発表しました。授業者は一気に動かしても、バラバラに動かしても同じことを説明します。授業全体が一部の子どもの発表と授業者の説明で進んでいます。
ここでもう一度先ほど聞きかけた「このブロックの動かし方は何といっしょだった?」に戻ります。しかし、子どもたちはなかなか反応しません。もう集中力が切れてしまいました。授業者は辛抱強く待って「カエルが帰る」という言葉を引き出します。「アイスクリームを食べる」から、「アイスクリームが8個ありました。3個食べると……」と問題文を思い出させ、その時の操作を確認します。引き算の時に使った言葉であることを確認して「じゃあ式をつくろう」と続けました。操作から引き算の言葉につなげます。操作ができているのに、わざわざ引き算の言葉に戻してしまっています。

ノートを出させて、はじめにやった矢印を使って問題文を整理する作業を順番に進めます。しかし、子どもたちはもう集中力がなくなって自分で考えようとはしません。授業者の板書を写すだけになってしまいました。最後に全体で考え方の図の確認をしますが、子どもたちがほとんど反応できなくなってしまいました。

授業者は子どもとの関係もよく、基本的な子どもとのやり取りや進め方もしっかりしています。だからこそ、算数の教材理解が問題になりました。操作を演算に結びつけるのではなく、授業者が言うところの算数言葉に結びつけています。この時点で具体⇔半抽象⇔抽象の関係が具体⇔抽象⇔半抽象となっておかしくなっていることに気づいてほしいと思います。
この教材であれば、並べ方、男女の属性を排除することを意識して、どう数図ブロックで表現させるかがポイントです。最初に男の子、女の子のバラバラの絵を使ったことで、問題文にない属性まで入り込んでしまったことがまずかったように思います。
「子どもが7人います」で数図ブロックを7個並べることをしてから、男の子と女の子を区別する活動をするとよかったのではないでしょうか。「男の子と女の子に分けて」として、子どもにどうやって分けたかを問いかけて、「どっちが男の子?」「わかっているのはどちら?」とすることで、自然に引き算の操作につなげることができたと思います。
力のある方なので、今後の進化がとても楽しみです。

この続きは明日の日記で。

先生方が授業アドバイスツールをどのように使いこなすか楽しみな学校

元気な学校応援プロジェクトの一環で、授業アドバイスツールを使った授業アドバイスを行う予定の小学校と、学校の研修主題に沿って授業アドバイスツールをどう活用するかについて相談させていただきました。

この学校では子どもの自尊感情を大切にしようとしています。課題を明確にして見通しを持たせる。「聞く、話す、書く」のスキルの習得や、「伝え合う、学び合う」を大切にする。板書は子ども思考の足跡が残るものにする。ユニバーサルデザインを意識して、誰もが「わかる」「できる」授業にする。これらのことを通じて子どもたちに自己有用感、自己肯定感、自己存在感を持たせ、自分への自信、健全な自尊感情へとつなげていこうとうのが研究の構想です。授業に求められることが、細かいことまできちんと盛り込まれています。
もちろん構想だけでは絵に描いた餅なので、どう実現するかが大切です。校長を中心に、研究の核となる先生方も交えて、いろいろと意見を交換させていただきました。
子どもの自尊感情は、子ども自身が「自分はやれた」「友だちに認められた」という実感を持つことが大切です。そのためには子どもたちで評価できる目標を明確にすることが大切です。こういったこともきちんと構想図には入っていますが、要素が大変多いので、具体的に授業をどうつくっていくのかについては、先生方も悩むことが多いと思います。

実際に先生方が授業をつくる時にどう指導していこうかというプランにこだわりすぎると、子どもの実態と乖離してしまう心配があります。子どもが今どういう状態であるのかをきちんと観察し把握することで、今この場面でどういった要素が必要なのか、何が求められているのかが見えてくると思います。授業アドバイスツールで子どもたちの変容をとらえることで、この研究が大いに進むのではないかと思いました。

校長は授業アドバイスツールが複数台の端末で連携できることをご存知で、授業研究を複数の端末を使って行おうと考えられていました。確かにこの学校が目指す研究にはその使い方がよさそうなのですが、基本的に貸し出しは1台だけです。使う日だけ複数台を貸し出すことは可能ですが、他にも利用の予定があるので調整はそれほど簡単ではありません。
そのことをお話しようと思ったところ、この学校のサポート担当者は学校の希望に沿うように、すでに日程の調整をして機器を押さえていました。授業アドバイスツールのことをよく理解して機能を伝えているだけでなく、学校と連絡を密にとって必要な手配も済ませていたのです。こういうサポーターがいれば、痒い所に手が届くと思いました。

私が授業アドバイスをする日程も無事調整ができました。当日の授業がどのようなものかだけでなく、それまでの授業研究を通じて先生方が授業アドバイスツールをどのように使いこなすかを見せていただくのが今からとても楽しみです。

基本がしっかりしているので、考えることが多かった授業(長文)

市の授業力向上研修で講師を務めました。年3回の第1回目です。今回は参加者の代表に授業をしてもらい、その授業を参加者全員で検討するというものです。

この日は小学校1年生の「おおきなかぶ」で、かぶが抜ける場面を子どもたちに動作化させて、おじいさんの気持ちを考えさせる授業でした。
参観者が多いせいでしょうか、授業開始前から子どもたちがやや興奮気味です。チャイムが鳴って授業者が気持ちを切りかえましょうと声をかけて号令がかかると、よい姿勢でしっかりと挨拶はできました。授業規律がきちんとできています。
最初に今学習しているのはどんな話かをたずねます。子どもたちは元気よく手を挙げます。ただ、手を挙げない子どもが2、3人いるのが気になります。指名した子どもが発言した後、すこし間をおいて、今の意見に対して「どうですか?」と問いかけると全員が賛成のハンドサインを出しました。
話の内容を一つひとつ質問しながら確認します。一問一答とハンドサインの確認で進んで行きます。発言の後、間をおいてから「どうですか?」と聞くことで、ハンドサインを出すタイミングを授業者が上手くコントロールしています。こうすることで、子どもたちのテンションは落ち着いて、しっかりハンドサインを出します。しかし、手遊びして聞いていないように見える子どもや、質問に対して全く手が挙がらない子どもも、ハンドサインで賛成を表明することが、ちょっと気になります。一問一答のハンドサインだけに頼らず、何人も指名することや、隣同士で確認をするといった他の進め方も選択肢に入れてほしいと思います。
また、ここでは子どもの記憶だけに頼ってやりとりしています。忘れてしまった子どもが参加できないことが気になります。忘れた子どもには教科書を見る機会を与えてもよいと思います。
ハンドサインで確認し、授業者がその場面の解説を少しして、また次の質問をするということが繰り返されていきます。だんだん子どもたちのハンドサインが全員でなくなっていきます。1年生なので単調な活動が続くと、集中力がなくなってしまうのです。

「かぶが抜けた時のおじいさんの気持ちを考える」とめあてを板書して、子どもたちに読ませますが、視線があらぬ方向に向く子どもが目につきます。子どもたちの集中力がなくなっていたので、めあてを読む前に子どもたちの姿勢を正して気持ちを切りかえさせることが必要だったと思います。

教科書を開いて全員で音読します。ここではきちんと全員が教科書を持って音読の姿勢になるまで待ちました。子どもたちはしっかりと口を開けて読み始めます。しかし、途中で集中が落ちる子どもが出てきます。気がついた時点で、「ちょっと待って」といったん止めて、その子どもへの注意ではなく、「全員で声をしっかり出そう」と全体に対して働きかけることが必要です。その子どもがしっかりと参加できたら、すかさず何らかの形でほめて行動を強化するとよいでしょう。
読み終ると、授業者が説明を始めますが、手に持っていた教科書をどうするか指示がありません。教科書をバタンと倒す音がバラバラに聞こえてきます。最後まで教科書を持ったままの子どももいました。中には手に持った教科書を動かして遊ぶ子どももいます。読み終った時に教科書を置くように指示すべきだったと思います。
ここで次に誰を呼んできたかをたずね、一問一答になります。また、これまでのパターンに戻りました。子どもの集中力が落ちます。

「かぶがなかなか抜けなかった」という文の「なかなか」に線を引くように指示します。おじいさんの気持ちを考えるためのキーワードの一つです。ただ線を引くのでなく、その理由を子どもたちに理解させたいところでした。「なかなか」があるとないとではどう違うかといったことを一言確認するだけでも違ったと思います。
線を引かせた後、黒板におじいさんたちの絵を貼ります。どんな顔をしているのかと問いかけてから、おじいさんの気持ちを答えさせます。1/4ほどの子どもの挙手で指名します。「いつまでたっても抜けないなあ」という答に対して「どうですか?」とハンドサインを求めます。しかし、1/4ほどの手が挙がりません。子どもが発言を理解する時間や、場面が必要です。「いつまでたっても」という言葉は先ほどの「なかなか」につながる言葉です。また、抜けない「なあ」というところに、おじいさんの気持ちが表れています。子どもの言葉を「いつまでたっても」や「なあ」を強調しながら復唱して、「それってどんな気持ち?」と他の子どもにつなげるといったことをしたいところです。授業者は発言が終わるとすぐに黒板に向かって復唱しながら板書をします。そのことを知っているのか、子どもたちは発表者の方を向かないことが気になりました。また、授業者が子どもに背を向けている間も、子どもたちは手を挙げ続けています。できるだけ子どもたちの様子を見ようとしてほしいと思います。
指名した子どもが返事をしない時に、授業者はやさしく何度も呼びかけます。よい対応だと思います。この場面に限らず、子どもたちにかける言葉が柔らかく、それが学級の落ち着いた雰囲気につながっています。残念なのは、子どもが返事をすると、「はい」と無機的に答えるだけで終わってしまったことです。これでは、子どもは失敗して注意されたように感じてしまいます。ここは笑顔でうなずくといったことをして、「気づいてえらいね」という認める気持ちを伝えてあげたいところでした。

子どもたちの発言をもう一度読み上げて、「おじいさんはどんな顔をしているのかな?うれしい顔をしているのかな?」と絵を指さします。絵は理解を助ける大切な要素ですが、ここは、さきほどの子どもたちの発言をもとに、どんな気持ちかを考えさせたいところです。子どもたちから「悲しそう」「困っている」とつぶやきが出てきます。授業者は復唱しますが、「困っている」という発言に対しては「困っているねえ」とやや強く肯定しました。その時、「つらそう」という別のつぶやきが出てきました。授業者は「つらそう」もきちんと復唱しました。子どもを受容しようとする気持ちを感じます。ただ、その後、「つらそうで困っている」と続けました。授業者が結論づけるのではなく、子どもたちでこの状況は「困っている」のだとしっかりと理解させたいところでした。「なかなか」を意識したい場面でしたが、うまく活かせていないように思いました。

次の場面に移ります。子どもたちはかなり集中力が落ちています。「読む用意!」と音読の姿勢取るように指示しても、すぐに動けませんでした。今回は音読した後、教科書を置くように指示しました。子どもたちは指示に従うのですが、教科書を触ったり、手遊びをしたりする子どもが目立ちます。指示したことしかしないので、続いてよい姿勢をつくることも指示する必要がありました。
はじめのうちは、「教科書を置く」「姿勢を正す」「授業者を見る」「話を聞く」といった一連の動きを一つずつ指示する必要があります。それができるようになれば、一つの指示の後に、「次に先生はどんなことを言うと思う?」と先を読んで行動することを意識させていきます。最終的には「今から話をするよ」だけでこの一連の動きができるようにするのが目標です。

授業者は「猫に続いて鼠を呼んできたけれど、猫と鼠は仲良し?」と問いかけます。子どもからは「違う」「仲が悪い」といった声が返ってきます。それを受けて授業者は「なんと言って呼んできたんだろう?」と問いかけます。猫と鼠のやり取りを想像させることのねらいは、文章の行間を想像させるためなのでしょうか。私には今一つはっきりしませんでした。
指名された子どもたちは、「いっしょに手伝って」といった発言をしますが、先ほど出てきた「仲が悪い」こととつながりません。最後に指名した子どもは、鼠は逃げるけど追いかけて連れてきたと説明しました。この子どもだけが仲が悪いということを意識していました。授業者はどの子どもの意見も「なるほど」と受容しますが、「そうか、仲が悪いから、逃げちゃうんだ。それを追いかけて連れてきたんだね」というような評価がほしいところでした。「仲が悪い」ことを押さえたのですから、そのこと根拠にして考えることをもっと意識させることが必要だったと思います。

子どもたちに「実験してみたい?」と問いかけます。ここでなぜ「実験」という言葉を使ったのかよくわかりません。授業者が用意した大きなかぶが抜けるか実験すると言って、配役を決めます。これでは活動の目標がかぶが抜けるかどうかです。子どもたちが考える要素はありません。落ち着いている子どもたちですが、当然テンションは上がっていきました。
国語としてこの活動で子どもたちに何を考えさせるのかを意識する必要があったと思います。「なかなか」抜けない。「うんとこしょ、どっこいしょ」という掛け声の表わす様子。「とうとうとう」抜けた。これらを動作で表現させようとすることが読み取りにつながります。
1年生では、読み取ったことを言葉で表現することは難しいので、動作化を取り入れます。動作化を読み取りとどうつなげるかがポイントなのです。

指名された子どもたちは、頭に登場人(動)物のお面をつけて前に並びます。授業者は全体で順番を確認しながら前に出た子どもたちを並ばせます。「引っぱる時の言葉、何だったかな?」と問いかけると、中には立ち上がって声を出しながら動作する子どももいます。子どもたちのテンションが上がるのですが、言い終るとすぐに学級全体が落ち着きました。授業者と子どもたちの関係がよく、授業規律がよくコントロールされていると思います。
前で子どもたちが実演をしてかぶが抜けた場面で、見ている子どもたちが笑顔になっていました。しっかりと参加できている証拠です。よい場面でした。残念ながら授業者は動作している子どもたちに意識が行っていたので、その様子を見ていませんでした。「いい表情で見ていたね」と子どもたちを評価したいところです。

かぶが抜けたところで、「とうとうかぶは抜けました」と授業者は「とうとう」を強調して声を出しました。この動作化で「とうとう」という言葉を意識させようとしたようです。しかし、子どもたちはそのことにあまり気づいていないようでした。それよりも、次に自分がやりたいばかりで、前でやった子どもたちが席に着くと「○○をやりたい」という声が上がります。中には声を出しながら指名されたくて机をたたく子どももいました。
授業者が黙ってうなずきながら、「さあ、みなさん」と声をかけると、すぐに興奮は収まります。授業者の話を聞こうとする姿勢になっていきます。上がったテンションを大きな声を出すことなく上手に下げることができるのは見事です。気になる子どもも何人かいますが、かかわりすぎないように、うまく無視していました。

「かぶはどうなったでしょうか?」と子どもたちに問いかけますが、この問いかけの意味がよくわかりませんでした。子どもたちが演じた「実験」の結果をたずねたのでしょうか。かぶが抜けたことは、本文から明らかです。本文が根拠であることを意識した展開にしたいところです。

再び、教科書を開いて、「とうとう」に線を引かせますが、先ほどの「なかなか」と同様に、子どもたちがなぜ線を引くかその意味を考えることはありません。「なかなか」抜けなかったから、「とうとう」抜けたと表現されていることに気づかせたいところです。

黒板にかぶが抜けた時の絵を貼り、今日のめあて「かぶが抜けた時のおじいさんの気持ちを考えよう」を確認しました。おじいさんの絵と吹き出しが3つ書かれているワークシートを配ります。1つ目の吹き出しには★が書かれ、2つ目は普通の吹き出しで、3つ目は点線で書かれています。授業者は、最初に★の吹き出し、書けた人は2つ目の吹き出しを、まだ書ける人は点線をつないで、その吹き出しに書くように指示します。それでもまだ書ける人は余白に吹き出しをつくって書くように指示しました。すぐにできる子どもを遊ばせない工夫があります。残念なことは、子どもたちがワークシートを見ているために顔が上がらないことです。拡大コピーか実物投影機を利用するとよかったところでした。
せっかくの指示だったのですが、1つ書けて満足している子どもが目立ちます。授業者は机間指導しながら、「2つ書けている人もいるね」「3つ書けている子もいるよ」「たくさん書けている人がいるね」と声を出しますが、子どもたちの集中力は落ちていきました。難しいところですが、指示の時に「いくつ書けるかな?」と数を目標にするという方法もあったかもしれません。

「鉛筆を置いて黒板を見てください」とゆっくり声を出して、子どもたちに集中を求めます。「もう一度言います。鉛筆を置いてください」と再度指示をして話し始めました。しかし、顔が上がらない子どもが目立ちます。中には鉛筆をまだ持っている子どももいます。ここは、「○○さんいい姿勢」「△△さん早い」といった言葉をかけながら、全員の顔が上がるまで待ちたいところでした。
自分の書いたものを一つ選んで、隣の人に発表するように指示をします。隣の人は「あっ、そうだな」と思ったらうなずくようにと聞く側に対しても指示をします。これはとても大切なことです。声の大きさも確認します。場面ごとにどのような声の大きさで話すかが決まっているようです。すぐに子どもから「1」と返ってきます。1年生からこういうことを意識させておくことはとても大切です。ペアで活動する前に、きちんと体の向きを変えて向かい合わせます。細かいところまで意識されていました。子どもたちが落ち着いている理由がよくわかります。
子どもが向きを変えている途中で、どちらが先に話すか順番を指示しました。そのため、「先生どっちから?」と活動が始まってから聞く子どもがいました。全員の準備ができてから順番を指示するか、最後に確認をするとよかったでしょう。
うなずくことは指示されましたが、なかなか首が動きません。また、発表や聞くことの目的・目標が明確でないので、やりっぱなしですぐに終わってしまいます。集中が落ちてきました。「なるほど」と思ったら、それを参考にして自分のワークシートに書き足すといったことが必要だったと思います。

ペア活動に続いて、授業者は「お隣さんに発表したことを先生に聞かせてほしいな」と子どもたちに発言を求めました。これでは、発表者と授業者だけの関係になってしまいます。「みんなに聞かせて」とするべきでしょう。
指名した子どもは「うれしい気持ち」と答えます。発問が気持ちを聞いているのでそれでよいのですが、吹き出しにした意図とずれているように感じました。「楽しい」という発言に対して、「どうですか?」とハンドサインを求めます。おじいさんの気持ちの根拠が明確でないままに賛成かを問いかけてもあまり意味はありません。感覚で進んでいます。
中には「やっと、たべれる」とセリフにする子どももいます。吹き出しにしているのですからある意味自然です。「おじいさんはなんと言うだろう?」と、まずセリフを考えさせるとよかったと思います。子どもたちから多様な言葉を引き出しやすくなるはずです。その上で、「それは、どんな気持ち?」と聞くことで、子どもの言葉でまとめていくことができます。また、どこでそう考えたのかと、本文の言葉と結びつけることもできます。「なかなか」抜けないと、「とうとう」抜けたを対比することで、気持ちを考えさせたいところでした。
授業者はみんなでいろいろな気持ちを「見つける」ことができましたとまとめましたが、結局根拠となることは何も共有することがありませんでした。

一つ気になったことが、子どもの「たべれる」という発言を、「たべれる」とそのまま板書したことです。今はこれも間違いとは言えないのかもしれませんが、国語の授業なので「たべられる」と修正したいところでした。

最後に、おじいさんになりきって音読することが課題です。ここで注意しなければいけないことは、自分はどの気持ちで読むのかを明確にしておくことです。先ほどでてきた気持ちからでもよいので、まずそれを決めてから読まなければいけません。しかし、音読するところは、かけ声とかぶが抜けたというところです。なかなかおじいさんの気持ちを表現することは難しいのです。かけ声は全員で声を出しています。おじいさんの気持ちに直接結びつきません。地の文の「とうとうかぶはぬけました」で表現することになるのですが、ちょっと難しいような気がします。
個人で練習した後、ペアで聞き合います。授業者は「誰が上手かな?」と言いますが、基準は何でしょう。相手が「どんな気持ちで読んだか」を聞き取る、「声を大きくした」「ゆっくり読んだ」といった読み方の工夫を見つけるといった具体的な指示が必要だと思います。
これまでの音読でどんなことを意識してきたか、子どもたちが知っている読み方の工夫にどんなものがあるかといったことを事前に整理しておくことが必要だったと思います。

ペア活動のあと、「お隣さんが上手だった人?」とたずねます。一部を除いて手が挙がります。なかなかよい問いかけなのですが、子どもたちの表情がよくないことが気になります。お隣に手を挙げて認めてもらえればうれしいはずなのですが、あまり表情が変わらないのです。具体的にどこがよいのかを明確にして共有することが必要なのかもしれません。
音読をさせるのに、「先生に聞かせてもらおうかな?」とここでも授業者を意識させます。指名した子どもの音読に対して授業者は「ありがとう」と言って拍手をします。それに合わせて拍手する子どもは半分ほどです。次の子どもには「はい、上手」と、「うんとこしょ、どっこいしょのところが、すごい力が入っていた」と評価しました。この言葉が効いたのか、次の子どもも同じところに力を入れて読みます。授業者は、またそのことを評価しました。最後の子どもも、とても上手に読んだと評価しますが、その視点はやはりかけ声に力が入っていたところでした。音読する部分の問題でもありますが、他の視点や工夫を評価したいところでした。
まだ1年生ですから授業者が評価することが必要ですが、子どもたちに評価させることも意識してほしいと思います。子ども自身で工夫を見つけることで、意識して使えるようになると思います。

最後にみんなで音読します。子どもたちがなかなか落ち着かないのですが、注意はせずに、「もう一度言うよ」と落ち着いて指示を繰り返すことで、指示を徹底しました。これもなかなか見事な対応でした。
これまでの個別の評価の視点がかけ声の力強さだけだったので、子どもたちはそこに力を入れて読むだけでした。おじいさんの気持ちになることはどこかに行ってしまいました。

研修会参加者による授業検討は、例年通りレベルの高いものでした。
授業規律のよさや、子どもとの関係、雰囲気など授業者のよいところがたくさん出てきました。
私からは、「子どもの発言を評価する」「活動の目標を明確にする」「音読は学年に応じて緩急、大小、間などの読み方の技術を意識して行う」といったことをお話ししました。
授業者に基本的な力があるので、レベルの高い学びができたと思います。参加した先生方にとっても、私にとってもよい学びになった研修でした。

第4回教育と笑いの会申し込み開始(金額が間違っていましたので訂正します)

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第4回教育と笑いの会の申込みが開始されました。

昨年は、申込みしようと思ったら、すでに満席だったという声をたくさん聞いています。
参加を予定の方は、お早目に申し込みください(申し込みはこちらから)。

日程や内容は以下の通りです。
今回は私もピンで登壇させていただきます。本人としては今からドキドキですが、皆さんに楽しんでいただけるようなお話になるよう、精一杯務めさせていただきます。

日時:12月10日(土)13時00分〜16時40分

場所:東建ホール・丸の内
   地下鉄桜通線・鶴舞線「丸の内」駅下車1番出口より徒歩1分

参加費:3,000

第1部
野口芳宏の(しっかり)笑える教育の話
野口芳宏(植草学園大学名誉教授)

志水廣の(微妙に)笑える教育の話
志水廣(愛知教育大学名誉教授)

大西貞憲の笑えない(笑っていられない)教育の話
大西貞憲(教育コンサルタント)

池田修の(笑える)教育ワークショップ
池田修(京都橘大学教授)

第2部
愛狂亭三楽と愛狂亭ふくら(師匠と弟子)の落語
愛狂亭三楽(玉置崇・岐阜聖徳学園大学教育学部教授)
愛狂亭ふくら(愛狂亭三楽門下)

プロの落語を楽しむ(その1) 桂 雀太(滑稽噺)
桂雀太(上方落語家・桂雀三郎門下)

プロの落語を楽しむ(その2) 林家花丸(人情噺)
林家花丸(上方落語家・4代目林家染丸門下)

第3部
シンポジウム「教師修行と落語家修行の接点」
■登壇者
野口芳宏、志水 廣、池田 修、大西貞憲、林家花丸、桂 雀太
■進行役
玉置 崇
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