第4回授業深掘りセミナー(その1)
6月に行われた第4回授業深掘りセミナーでパネラーとコーディネーターを務めさせていただきました。
今回は、岩手県奥州市立水沢小学校副校長の佐藤正寿先生の小学校社会科と、岐阜聖徳学園大学教授玉置崇先生の小学校算数の模擬授業を元にした深掘りトークセッションと、授業と学び研究所フェローの後藤真一氏の学習指導要領改訂についての「教育情報知っ得!コーナー」でした。 佐藤先生の模擬授業は、小学校5年生の「森林を守る人々」でした。子ども役は参加者の方です。 いつものように笑顔いっぱいで授業を進めていきます。最初にゆるキャラを見せて、どこのご当地キャラクターか問いかけます。子ども役をリラックスさせて、反応しやすくするような導入です。最後に奈良のゆるキャラを紹介します。たくさんあることにちょっとびっくりです。さすがに奈良、かわいいシカのキャラクターが多いことを印象付けます。実は、これが授業の伏線であり、子ども役をミスリードする仕掛けになっていました。 これまでの森についての学習を復習します。模擬授業とはいえ、きちんと単元構成の中に位置づけた授業をされます。見せるための特別な授業ではなく、あくまで日常の授業にこだわるところが、佐藤先生らしいと思います。森林の働きや、動物がそこで暮らしていることを押さえて、シカの捕獲数が増えている資料を提示します。資料のタイトルの「捕獲」を空欄にして何の数字か問いかけます。これは根拠を持って考えることができない問いかけです。ほっておくと子どもは勝手にしゃべり始め、集中が崩れます。佐藤先生はそのような隙を与えずに、すぐに答を示し、たくさんのシカが捕獲されていることを強調します。ムダな時間を使わずにコンパクトに興味を引きます。 続いて、「どのようなことが起きているか、どんなことを思ったか」を話し合わせます。この問いの組み合わせは面白いと思います。「どのようなことが起きているか」はシカの捕獲数が増えていることを根拠に考え(予想)させる発問です。一方、「どんなことを思ったか」は、気持ちを問うものです。根拠を必要としないものなので、答えやすい発問です。しかし、「どうしてそう思ったの?」とその理由を問えば必ず資料と何らかの関係のある言葉が出くるはずです。この発問を付け加えることで、資料をなかなか読み取れない子どもも参加しやすくなりますし、理由に焦点化して考えを深めていくこともできます。何気ない発問に見えますが、奥深さを感じました。全員を参加させることを意識しているからの発問のように思いました。 子ども役から、「シカの住める場所が減った」という意見が出てきます。「それについてどう思う」と気持ちを問い、「シカがかわいそう」という言葉を引き出します。佐藤先生は、いつもは複数の子どもから多様な意見を引き出し、最後にその整理として板書をするのですが、この日はすぐに板書をします。そして、「起こっていることと考えていることどちらも言っている」と発言を評価しました。授業者が気持ちを問い返して言わせたことを「考えていること」とわざわざ評価しています。この場面では、多様な意見を引き出すのではなく、子ども役の気持ちをシカに寄り添わせるものにすることをねらっているように思いました。 シカの捕獲数が2008年から急激増えていることから、「2008年に何が起こっているのかと思った」という意見が出てきます。「疑問を持った」と価値付けします。「シカに申しわけない」という意見も出てきます。「シカは悪い?」と問い返すことで、原因に意識を向けさせます。森林を伐採した影響という考えに対して、「人が森林を壊している?」と問い返します。見事なミスリードです。シカは被害者で、人が加害者というステロタイプな考えに子ども役はなっていきます。 ここで、野生鳥獣による森林被害面積の資料と、シカが木を食べている写真やシカに芽を食べられて成長しない木の写真も合わせて提示します。子ども役はシカが人間の森林被害の被害者ではなく森林に対する加害者であることで大きく揺さぶられます。「資料から、森林被害にかかわってどのようなことが起きているか、どのようなことを思ったか」子ども役に話し合わせます。最初の発問と同じ「どのようなことが起きているか、どんなことを思ったか」を聞きます。「どんなことを思ったか」と再び聞くことで、先ほどと同じくシカに対する気持ちが出てきやすくなります。あくまでもシカで攻めます。 しかし、ここでこの授業のタイトルが効いていきます。「森林を守る人々」と授業の最初に提示し、それがそのまま残っています。シカから人への視点の切り替えがしやすいように仕組まれています。 2007年にシカの森林被害を減らすために法律が変わって雌シカも捕獲されるようになったことや、シカを採っているハンターも行政から依頼を受けているということを押さえ、シカを捕獲することが森林を守るための行為だと気づかせます。 ここで最後の課題です。「森林を守るためにシカを捕獲することは仕方のないことか?」と問いかけます。ハンターの「シカも森もどちらも守りたいが……」という言葉を紹介し、現実の課題を解決することは、単純な善悪で答の出ることではないことに気づかせます。 授業時間が30分と短いため、子ども役の考えを聞いて深める時間をとることができなかったのが残念でした。 授業中に挙手させる場面では、挙手していない子ども役もよく見て、どう参加させるか、かかわらせるかを意識して進めています。佐藤先生の授業はテンポがよいのが特徴ですが、今回はテンポが少し悪くなっても、子どもからの言葉をじっくりと引出し、子どもの言葉を重ねて考えを深めさせようとしているように感じました。佐藤先生の幅の広さを感じます。 深掘りトークセッションは、岩倉市立岩倉中学校校長の野木森広先生、一宮市立萩原小学校教頭伊藤彰敏先生、授業と学び研究所のフェローの神戸和敏先生と私をパネラーにして、玉置先生のコーディネートで行われました。 佐藤先生から、社会科の授業の組み立ての一つの形として、社会の課題について、「知る」「わかる」「考える」という流れが示されました。特に「考える」は現代の問題を扱うことでリアリティのあるものになります。授業深掘りセミナーでの前回の模擬授業でも、18歳選挙権の問題という現代的な問題を扱われましたが、こういった現代的な問題を材料にして授業をつくることはそれほど簡単なことではありません。佐藤先生は、トピック的な授業ではなく、普段の授業の一環として扱うことを意識して、その単元の目標や押さえるべき内容を外すことなく、入れ込んでいます。単元を通じた授業構成の中にきちんと位置付けられているのは、いつも感心させられます。 今回は、シカによる森林被害の問題について、いろいろな立場で意見を出させて、考えを深めさせようとしていました。子どもを揺さぶるために、ゆるキャラでかわいいシカのイメージを持たせ、シカの捕獲が増えていることを被害者の視点で見るようにみごとにミスリードさせます。私は、これもある意味、計算されつくした、ゴールへ一直線の電車道(以前の授業深掘りセミナーで伊藤彰敏先生が佐藤先生の授業をこう評して以来、定番の言葉になりました)の授業だと思います。もちろん、子どもの考えが一つに集約するのではなく、子どもの考えが揺れて広がるということをゴールとして考えてのことですが。 子どもの意見が広がりすぎて収集がつかなくなったり、同じ意見ばかりで広がりや深まりがなかったりする授業をよく目にしますが、佐藤先生はつねに自分の手のひらの上で子どもたちをコントロールしているように思います。佐藤先生にはこう評されることは心外かもしれませんが、計算されつくした見事な「電車道の授業」だと思いました。 この続きは「第4回授業深掘りセミナー(その2)」で。 子どもたちが育っているからこそ、課題が明確になる(長文)
中学校で授業参観と授業研究のアドバイスを行ってきました。今年の秋に研究発表を行う学校です。
若手を中心とした先生方と一緒に、3時間学校全体の授業を参観しました。子どもたちの様子は、ここ何年かで一番落ち着いていました。先生方と子どもたちの関係がよいことが、子どもたちの姿からうかがえます。若手の頑張りが目を引きます。今年の3月に初めての3年生を送り出した先生の授業では、1年生の子どもたちがとても集中して課題に取り組んでいました。授業者はただ、教室の前に立っているだけです。しかし、よく見るとずっと子どもの様子を笑顔で見ています。顔を上げる子どもがいると、目を合せてうなずき返しているようです。子どもたちをしっかりと見守っているからこそ、子どもたちがこの姿になったのだと思います。 子どもたちと先生の関係がよいからこそ、次は子どもたちの学力を高めるために授業をどうつくっていくかが大切になります。 子どもたちが落ち着いて話を聞いてくれるようになると、先生方のしゃべる量が増える傾向があります。この日は、そういった授業が目立ちました。グループ活動などで、授業者が一部の子どもと話をして、子ども同士の関係を断つような場面も見られます。子ども同士はよくしゃべるのですが、テンションが上がりすぎることもよくあります。根拠を持って思考するような課題になっていないようです。また、知識や問題の解き方を覚えることが中心となっている授業も多くありました。 一つ山を越えてほっとしているというようにも見えました。今回の授業研究はそういったこの学校の状況を象徴しているように思いました。 授業研究の授業者は若手の先生です。数年前の授業研究では素晴らしい成長を見せてくれた方です。今回は3年生の力学的エネルギーの保存を考える授業でした。 子どもたちは授業者の話を集中して聞いています。授業規律はよく守られていて、表情もとてもにこやかです。3年間で子どもたちが育っているのがよくわかります。 課題も工夫しています。遊園地のジェットコースターを題材にして、どこの高さから乗りたいか想像するように伝えます。楽しそうにまわりの友だちと話している子どももいます。授業者は挙手に頼らず何人かを指名します。子どもの答をしっかりと受容して、その理由を聞きました。低い地点から乗るという子どもは、Gが嫌いだから、怖いからと答えます。高い地点から乗るという子どもはスリル満点で、スピードも出て迫力があるからと答えました。子どもたちは、笑顔で友だちの意見を聞いていますが、授業者が子どもの答を板書で確認しているため、顔が授業者の方を向いていたのが残念でした。授業者はみんなの意見を高さと速さが関係しているとまとめて、この日の授業の課題を提示しました。速さを言った子どもは1人だけです。他の子どもはGという表現を使っていました。加速度のことですが、これは高さではなく、ジェットコースターの傾きで決まります。速さもどこの速さなのか、最高速度なのかも明確ではありません。子どもたちの言葉を理科の言葉に置き換えることをしませんでしたが、「スリルは、速さなの、それとも加速度なの、両方?」といった質問をして、最初の問いかけの答を整理しておくことが必要でしょう。 「高さと速さの関係からエネルギーについて考えていきたい」と課題を提示しました。エネルギーという言葉はここまで出ていません。子どもたちにとっては唐突で、考える必然性があまりないものです。 高さと速さの関係を調べる実験をしたいと、特別に作ったジェットコースターの模型を見せます。レールの上を金属の玉が転がるようになっていて、最後は水平な直線になっています。これを使って、スタート地点の高さを変えた時の最終の速さを調べる実験です。ここでは「エネルギー」という言葉は出てきません。この実験をやることからエネルギーにどうつながるかは、子どもたちは意識していません。であれば、課題の提示の段階で「エネルギー」という言葉は出す必要はなかったでしょう。 どのスタート地点から転がすと、下に到達した時の速度が速いかを予想させ、全員で言わせます。子どもたちはテンションを上げずに、しかしきちんと声を出します。子どもたちの答は、もちろん「高い方が速い」です。授業者は「本当?」と揺さぶりますが、この問であれば、まず揺らぎません。ここで予想をさせるのであれば、既習事項をもとにきちんと根拠を言わせることが大切です。感覚と大きなずれがないので、科学的な思考はしていません。 実験器具の関係でしょう、2つの班が合同で実験を始めます。スピードセンサーがあるので、実験そのものは簡単です。誰かが球を転がし、センサーの値を読み取るだけなので、ほとんどの子どもは見ているだけになります。直接実験しない子どもが遊びがちになりそうですが、どの子どももしっかりと実験の様子を見ています。とてもよい子どもたちです。 実験の結果を黒板に書かせて、どんなことがわかるか問いかけますが、挙手は数人です。子どもたちにとってあたりまえの結果で、何を答えていいのかわからなかったようです。授業者が1人を指名した後、相互指名で進んで行きます。高さが高いほど速度が大きいという意見が続き、他の意見はないかという発言の後、だれも手が挙がらないので、そこで終わりました。今一つ相互指名の意味がわかりませんでした。子どもたちで焦点化できるのならよいのですが、それはなかなか難しいと思います。授業者が意図的に質問を返したりして焦点化することが必要だったように思いますが、エネルギーという言葉も出てきていないので現実には困難だったかもしれません。 この一連の実験で。子どもたちが何か科学的な思考をした場面はほとんどありません。実験の後、班で考えるような場面もありませんでした。全体で友だちの意見を聞いても心が動くことはありません。 ここで授業者は子どもたちにこの実験の結果をまとめるように指示します。その時、高さ、速さ、エネルギーという言葉を使うようにと条件をつけます。ここまで、子どもたちはエネルギーを全く意識していません。そもそもエネルギーについての復習や確認もしていません。子どもたちはどうまとめるのでしょうか。興味が湧きます。 まず個人で考え、その後、司会者、記録者を決めて実験の班でまとめます。子どもたちは個人で考える時は誰とも相談しません、その反動もあるのか班での相談では、すぐに話し声が聞こえます。人数が多いため、同時に複数個所で話が始まっている班もあります。授業者は席を立って集まるようにと指示をしますが、なかなか動かない子どももいました。ここは実験の班にこだわる必要はないので、基本の少人数の班で相談させてもよかったと思います。 小型のホワイトボードにまとめを書いて、発表させます。わからないことや質問があったらその場で聞くようにと指示します。発表ごとに大きな拍手がわきます。マナーとしてはとてもよいのですが、授業としてはどうでしょうか。どこがよかったのか具体的評価がほしいところです。「位置エネルギーが大きいと速さが速くなり運動エネルギーが大きくなる」という意見がほとんどです。同じような考えばかりだからか、質問は全くありません。拍手がその機会を奪っているのかもしれません。 「高さが高くなるほど位置エネルギーが大きくなりその分運動エネルギーが大きくなるし、速さも速くなる」という意見もありました。よく似ていますが微妙に因果関係が違っています。順番に発表することにこだわらず、「運動エネルギーが大きいから速いの?」といったことを聞いて、焦点化したいところです。 子どもたちは高さと位置エネルギー、速さと運動エネルギーの関係や高い位置から転がると速い、位置エネルギーが大きいと運動エネルギーが大きいということは理解していますが、エネルギーの変化は意識していません。スタート時点では位置エネルギーだけ、一番下では、運動エネルギーだけで、他方がどうなっているかは考えていません。ここをどうやって意識させるかがポイントです。 授業者はしっかり発表できていたこと、位置エネルギー、運動エネルギー両方の言葉が出てきていたことをほめました。こういう評価は大切なのですが、子どもたちの考えを深めるための、焦点化がありませんでした。授業者はその代わりに自分がまとめたものを用意したと言って、「鉄球はスタート位置が( )と( )なる。それは斜面を下ることで( )が( )に変わるからである」とところどころ空欄にしたまとめを提示します。これは子どもたちの発言とまったく関係のない天下りのものです。「変わる」という言葉は唐突です。この言葉は保存則から導き出されるべき表現です。結果として、変わっていると言えるのです。 スタート地点が高いと速さが大きくなることは、実験するまでもなくわかっています。問題は、それをエネルギーの変化にどう結びつけるかです。授業者が天下りで結論を出すのであれば、実験せずに、位置エネルギーと運動エネルギーがどうなっているのかを考えさせて、この課題を与えてもあまり変わらないように思います。 しばらく時間を与えてから、全体で答を言わせます。多くの子どもが正解していましたが、それは子どもたちが穴埋めの答を想像しただけで、根拠を持って理解したわけではありません。天下りで教えられているのと何ら変わりはないのです。「書けなかった人は埋めといて」と指示しますが、答を知っただけです。書けなかった子どもを含めて誰も科学的に考えていないのです。少なくとも実験から自分たちで導き出し、納得した結果ではありません。 ここからは、授業者の一方的な説明です。位置エネルギーと運動エネルギーの変化を説明します。結果として授業者がすべて説明する講義型の授業となっているのです。位置エネルギー、運動エネルギーの変化をグラフ(図?)で表わして、「運動エネルギーと位置エネルギーにはどんな関係がありますか」と問いかけます。運動エネルギーと位置エネルギーの和が一定であることに気づかせようとしていますが、そもそも位置エネルギーが減ったのと同じだけ運動エネルギーが増えるということはわかっていません。わかっているのは、スタート時点では運動エネルギーが0というだけです。グラフでごまかしているのです。もちろん、中学校や高等学校では微積分を使えませんから、きちんとした説明はできません。しかし、それが言えそうだという根拠は必要です。 グラフはエネルギーの変化を直線で表わしています。中学校では位置エネルギーは高さに比例するということは押さえられているので、横軸は高さということです。そうするとそもそも同じ高さなら運動エネルギーが同じであることが言えなければ、一般化できません。こういったところを雑にして、結論をグラフにしているのです。 子どもからは「位置エネルギーが減っていくと運動エネルギーが増えていく」といった言葉が出てきます。相互指名をしているうちに和が一定という意見が出てきますが、授業者がそうなるように書いたグラフで気づいてとしても、科学的には意味はありません。このグラフから考えさせるということは、論理的に本末転倒なのです。また、このことを知っている子どもが答えているだけかもしれません。 子どもたちは、友だちの方を向いてしっかりと発表を聞いています。だからこそ、この場面が理科としてはあまり意味がない(知識を覚えるためと考えれば、答を繰り返し聞くことも意味があるかもしれませんが)ことが残念です。 最後に指名された子どもは、「そのグラフからあまりわからないので、そこの解説を先生よろしくお願いします」と授業者に説明を求めます。それを受けて授業者が説明を始めます。よい場面に思えますが、友だちの説明ではなく先生に求めているというのは、正解を求めている感覚に近いように思います。時間があれば、「だれか、○○さんが納得できるような説明をして?」と子どもに返すべきだったと思います。 授業者はグラフを重ねて見せます。そうなるように書いてあるのだから上手く重なりますが、そのことは全く根拠がないのです。 授業者は位置エネルギーと運動エネルギーの和が一定であると説明して、力学的エネルギーの保存という言葉を示しました。 このことを確かめるために、高さは同じで傾き方が急なコースを用意して速さがどうなるかを答えさせます。子どもたちは力学的エネルギーの保存を言葉では理解していますが、それがどういうことかまだよくわかっていないようです。なかなか手が挙がりません。ここで手を挙げた子どもを指名して説明させますが、これがこの日初めて子どもたちが論理的に考えられる課題です。「力学的エネルギーの保存が成り立っているならば、どうなるはず」と「力学的エネルギーの保存」を明確な根拠として予想させるとよいでしょう。そうすることで初めて科学的な活動になります。子どもたちが相談して、論理的に予想させるべきところだったと思います。 挙手して相互指名で答えた子どもはすべて同じ速さになるときちんと説明できています。それに対して授業者は、「これだけ急な角度だよ。同じになる?」と揺さぶりますが、ここでの揺さぶりは、あまり意味はありません。「力学的エネルギーの保存」が正しいとすれば、結論は揺るがないからです。揺さぶるなら、力学的エネルギーの保存が成り立っているかどうかで揺さぶらなければいけません。 授業者の意図を察したのか意見を変えてくれる子どもが出てきます。「速い」か「同じ」か、挙手で確認します。「速い」という子どもも5、6人いましたが、この展開ではこの予想にあまり意味はないように思います。再び実験をして確認させますが、子どもたちには驚きはあまりないようでした。当然の結果だからです。 一見子どもたちがきちんと考えて活動しているように見えますが、科学的な思考のほとんどない授業になってしまいました。 実験をもとに考えさせたいのであれば、最初の「どこから乗りたい?」という発問で、その理由を理科の言葉で説明させることから始めるとよかったように思います。子どもから出た「G」という言葉から、「重力で加速する」「高いと加速される時間が長い」「スピードが出る」といった言葉を引き出し、「どう、きっとこちらの方が怖いよね」と急なコースを見せ、「加速度はどちらが大きい?」「どちらが速い?」と子どもたちに問いかけることで、加速度はこれまでの復習で、急な方が大きいことを確認します。そこで予想をさせてから実験をさせるのです。エネルギーをどこで考えさせるのかはちょっと悩ましいところですが、実験の前に、「加速度と速さの話をしたけど、エネルギーはどうなるだろう?」と問いかけても面白いと思います。2つのコースで、スタート位置では位置エネルギーも運動エネルギーも同じ、計測地点では位置エネルギーが同じことを確認し、計測地点での運動エネルギーは速い方が大きいことを押さえておきます。 子どもたちを揺さぶるために、2つのコースを並べて、どっちの球が先にゴールするか演示しておいてもよいでしょう。この実験を見せた後では、急な方が最終速度は速いと思うはずです。エネルギーは速さで決まるからどのくらい違うか測定してみようと実験をするのです。 こうすることで、実験結果が予想と違って混乱します。その理由を考えさせるのです。速さは「力(加速度)」と「力が加わっている時間」で決まります。急であれば加速度が大きく早く加速されるけれども加速時間が短いことに気づけば、緩くても時間をかけて加速して最終的には同じ速度になったのだと理解できるはずです。コースが違っても、スタートの高さが同じだと運動エネルギーは同じになりそうだと納得してくれると思います(高さを変えて実験して見てもよい)。運動エネルギーは位置エネルギーの差で決まることに気づけば、そこから後は天下りでもよいのではないかと思います。もちろん、位置エネルギーの差が一定だったら運動エネルギーも一定であることを実験して、力学的エネルギーの保存を確認してもいいですが、時間的には難しいかもしれません。 この授業は、よくも悪くもこの学校の現状を表わしていると思います。この授業は授業者と子どもたち、子ども同士の関係がよく、柔らかな雰囲気で授業規律も素晴らしいものです。だからこそ、子どもが考え、学び、学力をつけるためにどうであるかが問われます。 授業者には申し訳ないのですが、校長とお話させていただき、通常の授業検討はせずに、この授業の課題についてお話させていただくことにしました。厳しい話をすることになりますが、この授業者なら意図は理解してくれると信じてのことです。 子どもの状況がよいからこそ、「授業で大切にする要素はなにかを考えてほしい」「子どもたちが活動しているかどうかではなく、その活動の質を意識してほしい」「わからない子ども、困っている子どもがわかる、できるようになる場面がどこかを意識してほしいこと」などを話しました。 この学校が子どもたちとの関係がよく、授業規律がしっかりとしている学校の段階で留まるのか、この先に大きく一歩を踏み出すのかの分岐的に来ているように思います。 この日は、懇親会もありました。いつものように多くの方と授業についてたくさんの話ができました。研究授業の授業者とも話をすることができました。授業者も展開に悩んでいたところもあったようで、私の話を前向きにとらえてくれました。思った以上にしっかりと受け止めてくれていたのはうれしいことです。この先きっと大きく飛躍してくれることと思います。 今回の授業をきっかけに学校がどのような変化を見せてくれるのか、研究発表会がとても楽しみです。 |
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