生活科でどんな力をつけるのか考える(長文)

小学校の授業研究で助言を務めてきました。
たまたま校長が、別の市で私が講師を務めている研修の担当だったことがあり、面識のある方で驚きました。また、私が関係していた研修会に学生時代ボランティアでお手伝いをしてくれていた先生もいたりと、何かと不思議な縁を感じる学校でした。

授業は2年生の生活科で、トマトをもっとおいしく、大きく育てるためにどんな世話をしたいかを考える場面でした。授業者は笑顔が多く、よい雰囲気の教室でした。
子どもたちに教科書の準備を指示して、今までどのような世話をしてきたか確認します。まだ準備ができていない子どもがごそごそしているのに挙手した子どもを指名します。指名された子どもの話を聞くことよりも教科書の開くことや見ることを優先している子どもが目立ちます。挙手している子どもを順番に指名しながら進みます。挙手は3分の1ほどだったので、いったん子どもたちの動きを止めて、改めて問いかけ直すとよかったと思います。また、今までやってきたことですからどの子どもも答えることができるはずです。隣の子どもと確認させるといったことをすれば、もっと挙手は増えたと思います。
友だちが発言の途中で詰まった時に、まだ発言中なのに挙手をする子どもが何人もいます。発言したくて、「あー」と声を出している子どももいました。発言意欲が旺盛なのはいいですが、友だちの発言が終わるまで待てるようにすることが必要です。基本的に一問一答で、同じ答であれば最初に発言しないと発言の機会がないことが原因の一つです。「同じように考えた人と?」といった、つなぐことを意識するとよいでしょう。
挙手して指名された後、言葉が出なくなる子どもが何人もいました。挙手して指名されることが目的化して、指名されると発言したいことがとんでしまうのでしょうか。このこともちょっと気になりました。

子どもたちに、大きな野菜、おいしい野菜をつくろうとする意欲を持たせるためでしょうか、野菜を使った料理の動画を見せます。パソコンの調子が悪かったこともあり、授業者は動画を再生している間ずっとパソコンにつきっきりで、子どもたちを見ていませんでした。途中で画面から目を離している子どもがいたのに気づいていないようです。
「おいしそうでしょう。いっぱい、ナスやピーマンも使っていたし、野菜がいっぱいできたらつくれそうだね」と話しますが、子どもたちはそのことを意識していたでしょうか。動画を見せる時は、その目標を子どもたちに明確に与えないと、漫然と見てしまいます。「どんな野菜を使っていたか、後で聞くからね。しっかりと見てね」といった、視聴後にする質問をあらかじめ与えておくとよいでしょう。

「甘くて、おいしくて、大きくて、たくさんのトマトをつくりたい。どんなお世話をしてあげたいか」という、課題を子どもたちに問いかけます。教科書を見ている子ども、集中力をなくしている子どもいろいろです。挙手は数人です。まず、考える時間を与えることが必要です。また、どんな世話をしてあげたいかというのは、根拠なく答えることもできる発問です。意図的に発言しやすくしたのかもしれませんが、ちょっと違和感がありました。大きなトマトをつくるといった目的があるのですから、そのために必要なことをもとに考えることが必要です。「子どものしてあげたいことを出させ、それは何のためかと理由を整理していくのか」、「知識をもとにどうするとよいのか、自分にできることは何かを考えさせたかったのか」、ねらいがよくわかりませんでした。

子どもたちは、したいことというより、今までしてきた世話のことを発表しているようです。授業者も、「水やりと書いていた人、他にもいたよね」と声をかけ、子どもたちは「賛成」とハンドサインを出します。したいことなのですから、「賛成」という言葉は違和感がありました。また、水やりは欠かすわけにはいきませんので、全員手が挙がるべきですが、挙がらない子どもがいたことが気になります。その子どもたちに、「水やりやらない?」と声をかけて参加を促したいところでした。
「水やり賛成の人、他にも言ってもらおうかな」とつなぎます。続いて水をたっぷりやるといった意見が出てきますが、それを受けて授業者はすぐに板書をします。「同じ意見の人いる?」「違う意見の人いる?」と、聞いている子どもたちを常に参加させることを意識する必要あります。友だちの意見を聞いていない子どもたちが目立ちます。授業者が板書してもそちらを見る子どもも少ないようです。板書中にすでに挙手をしている子どももいます。子どもたちの姿がバラバラになっていきました。
「水はたっぷりあげた方がいいんだ?」と揺さぶると、水はあまりあげない方がいいという意見がでてきます。授業者はどちらの意見も受容します。なかなか面白い展開です。この意見に続いて、「水をやりすぎると根っこが腐る」という意見が出てきました。授業者が、「何で知っているの?」と問い返すと、「お母さんに聞いた」と返ってきます。「根っこが出てきちゃう」「実が割れちゃ」と子どもの意見が続きます。授業者は「水をあげた方がいい(と思う)人いないの?」と揺さぶったりするのですが、立ち止まって焦点化する時間がないため、多くの子どもはこの展開についていけません。集中力がなくなってきました。
どこからか知識を得た子どもがそれを披露しているだけです。他の子どもがその意見に対して反論や同意をすることはできません。そのための根拠となるものが何もないからです。授業者は子どもの意見をしっかりと受容するのですが、発言者以外はかかわれない状況が15分以上続きました。

水やりをどうするといいのかは、知識です。挙手で発表させていくだけでは意味がありません。知識を与えたければ、教えればいいのです。そうではなく、今後の理科や社会科につなげるのであれば、どうすれば知識を得られるかを考えさせることも意味があります。「両親やまわりの大人に聞く」「本で調べる」「条件を変えて育てる実験をして観察する」といったことを考えさせたり、整理したりするのです。
「お母さんに聞いたんだ」と強調して、「誰かに聞いた人いる?」とつなぎ、「わからないことは聞くという方法があるね」とまとめたり、「どうすれば確かめられる?」と聞いたりするとよいでしょう。「本で調べる」「試してみる」といった言葉がでてくれば、それを整理することで、知識の得方がわかってきます。

水やりに続いて肥料の話になりましたが、肥料をあげる間隔、時期などを詳しく説明する子どもがいます。これはよい機会です。授業者は「どこに書いてあったの?」と確認して、本を持ってくると、「ここに書いてあったね」と全体に示します。ここは、本で調べることをきちんと価値付けして、「本で調べるといろんなことがわかるね。他にも本を見た人いる?」「どんな本を見た?見たらいいの?」と学級全体で共有したい場面でした。

水やり、肥料以外にも何をしたいかを発表させますが、子どもたちの集中力は戻りませんでした。
意見が出尽くしたところで、ここからTTでの授業に変わります。「野菜づくりの名人の先生に聞きましょう」ともう一人の先生がゲストで登場します。ゲストの先生は、子どもたちがいっぱい考えてくれてうれしいと最初に伝えます。Iメッセージを上手く使っていました。
水のやり方について実験をします。乾いた土を入れた水槽に水を撒いて、どのようになるのかを実物投影機を使って観察します。「やって見よう」と言うのですが、「どれくらいの水をやればいいのか、試してみよう」と目的を明確にした方がよかったと思います。
担任が水をやり、ゲストの先生が解説するのですが、担任は水やりで、ゲストの先生はディスプレイを見ているので2人とも子どもを見ていません。子どもの反応を見ることは、誰を指名するかといった次の展開を考えるために重要なことだという認識を持ってほしいと思います。
ペットボトルの半分くらい水をやったところで、ゲストの先生が「さっき半分くらいって言ってくれた子がいたね」と説明します。「半分やる」がまだ子どもたちに課題として共有されていません。実験を始める前に、「半分と言った人もいたね」「たっぷりと言う人もいたね」と確認して、このことを意識させておくとよかったでしょう。

横から見て、半分では水が下まで浸みていないことを目で確認した後、土を掘って見せます。白い土が見えると子どもたちから「あっ」という言葉が湧き上がってきます。わざと上からだけしか見せずに、「しっかり水が浸みたね」とミスリーディングしてから見せると、もっと効果的だったでしょう。
子どもたちが反応するよい場面でしたが、それだけに、子どもたちに課題を意識させたり予想させたりすることをしておくと、実験の意味がもっとよくわかったでしょう。ちょっともったいないと思いました。

ここで、ゲストの先生が手作りのトマトの根っこのモデルを見せて、水がどこまで浸みなければいけないかの説明をします。根っこがどのようになっているのか子どもたちは観察したのでしょうか。もし、そうであればどんな風になっていたかを子どもたちに確認したいところでした。そうでなければ、実際に見せるか、写真で確認することが必要だったと思います。授業者が一方的にモデルを与えると子どもたちは自分の目で確かめようとしなくなります。理科につながっていくことなので、事実を確認することを大切にしてほしいと思います。

「水が途中までしかないと、全部の根っこは水をもらった?」問いかけますが、ちょっと誘導しているように感じます。「これでいい?」と確認して理由を聞けば、子どもたちで説明できると思います。時間の関係もあったでしょうが、ちょっともったいない気がしました。「下の方、もらえない」というつぶやきを拾って、結局先生が、水が皿に出てくるまでやればいいと結論をまとめました。「下まで水が浸みたかどうかどうすればわかるんだろう?」と問いかけるとよかったでしょう。鉢の底に穴が空いていることに上手く気づいてくれれば、子どもたちから答は出たと思います。

この日、水をあげたかどうか子どもたちに問いかけます。どちらもいます。「その理由を言える人?」と問いかけますが、子どもたちは、先ほどの水をたっぷりやるか、やりすぎないかの話に引きずられて、「水をあげるとトマトがまずくなると教わった」といった意見がでてきます。「今日あげなかったのは?」と返すのですが、なかなか答が出ません。水やりするかしないかを意識してやっていなかったのでしょう。もっとダイレクトに、「朝トマトを見てどういう状態だったら水をやる?やらない?」と聞き直した方がよかったかもしれません。
なかなかねらった答が出ないのですが、先生方は否定せずにうなずいたりしてしっかりと受容していたのはよかったと思います。
結局、ゲストの先生が「これは、乾いているかどうかだ」と結論づけました。苦しい展開でした。その日の朝の状態を写真に撮って見せる、いくつかの例を写真で見せるかして、水をやる、やらないを子どもたち判断させるとよかったと思います。

担任が実際のトマトの苗に水をやって見せます。上の方から水をかけると、子どもたちからダメという声が上がってきます。身を乗り出して見ている子どももいます。子どもたちの集中力が戻ってきたのですが、テンションが上がっていきます。「こんな風にあげている人?」と聞くと結構います。他のやり方をしている子ども指名して実演させます。根元から水をやりました。「どっちがいいの?」と問いかけますが、「時間がないので先生が正解を言います」と土がえぐれるので、根元から水をやるのが正解と解説します。子どもたちのトマトの中には土がえぐれて根っこが見えているのもあると補足します。時間の関係もあるでしょうが、実験をして見るか、土の様子の写真を見せて、どちらの水のやり方だろうと問いかけたりできるとよかったと思います。

土がえぐれていたらどうするかを問いかけ、土をかぶせるという発言に「先生も大賛成」と答えます。結局、授業者が正解かどうかを判断しています。これでよいかどうか子どもたちに問いかけたいところでした。
ここから肥料のことや育て方のポイントをゲストの先生が説明をし続けます。せっかくICT機器があるのですから、だらだら話すのではなく、要点を整理してディスプレイに映して見せればよかったでしょう。
ゲストの先生が話し終った時に拍手がパラパラだったのが印象的でした。子どもたちは受け身の時間が長かったため、もう集中を維持することができなかったのです。

担任が最後に、「いっぱい教えてもらったね。やってみたいことあった?」とまとめて終わりました。子どもたちが受け身で、考える時間が少なかったのが残念でした。
子どもたちに伝えるのに、実験をしたのはとてもよかったのですが、しゃべりすぎていました。子どもたちの苗の様子などの事実をディスプレイに映しだせば、子どもたちが考えるきっかけをつくれたと思いました。

検討会では、子どもたちを全員参加させること、活動させることを中心にお話をさせていただきました。
次回は夏休みに話をさせていただくのですが、事前に質問をいただくことになっています。どのような質問が出るか楽しみです。

第3回 教育と笑いの会

6月の始めに第3回教育と笑いの会が開かれました。
今回は東京での初開催です。教育と笑いの会と授業と学び研究所の主催ですが、ベネッセコーポレーションに後援をいただき、会場の提供や準備で大変お世話になりました。また、いつものように協賛会社のEDUCOMの社員の方が裏方として大活躍をして下さいました。多くの方に支えられていることに感謝です。
野口芳宏先生の教育漫談、瀧澤真先生と鈴木美幸先生の漫才、玉置崇先生の教育落語、桂雀太師匠の落語、そして横山験也先生司会によるそれまでの登壇者に山中伸之先生を加えての大喜利でした。

今までの2回は最後に出番があったため、純粋に客として楽しむことができませんでしたが、今回は出番がなく新鮮な気持ちで見ることができました。

野口先生の教育漫談は、教え子とその保護者とのエピソードを漫談仕立てにされました。驚いたのが、事前に野口先生がメモを取って話の整理をされていたことです。過去2回は、ほとんど準備なしでお話しされていたので、今回にかける気合のようなものを感じました。
とはいえ、いつも通りの語り口で野口先生の人柄がダイレクトに伝わるお話です。今回のエピソードは私がかつて聞かせていただいたことがあるものですが、それにもかかわらず楽しく、笑わせていただけました。
常に謙虚な野口先生の人柄を感じられる、それだからこそおかしい話に、「ああ、やはり野口先生だ。昔からちっとも変わらないんだなあ」と何度もうなずいていました。野口先生の人柄を知っているからこそ一層笑えたように思えました。

続いて瀧澤生と鈴木先生による教育漫才です。教師のあるあるを話題に、そうそうとうなずきながら楽しむことができる内容でした。お二人が野口塾の飲み会で話していることを野口先生が聞かれて、「面白いからこれを東京でやりなさい」と鶴の一声で実現したそうです。漫才などやったことのないと思われるお二人ですが、とても仲よく楽しそうで、それだけで見ている私たちも楽しくなる、そんな芸でした。

休憩をはさんで玉置先生の教育落語です。玉置先生は、落語のみの出演依頼もたくさんある方ですから、もう余技の域を越えています。新調したばかりの着物の話から始まり、安定して楽しめる一席しでした。だからこそ、この後の桂雀太師匠の噺が際立ちます。プロの噺を際立たせることができるだけの、プロと同じ舞台に上がる資格のある素晴らしいものだったということです。

教育と笑いの会で毎回口演いただいている雀太師匠は、毎回素晴らしい噺を聞かせていただけます。いつもと同じつかみで、落ちがわかっていても笑ってしまうおもしろさはさすがです。しかし、それ以上に感動したのは、私のような素人が言うのも失礼なのですか、師匠の芸がとても進化しているように思えたことです。上手く表現できないのですが、ムダというか、雑味といったものが減って、すっきりと芯の通ったものになっていたのです。雀太師匠の持ち味や芸風が変わったということではありません。むしろムダがなくなることでより際立ったように感じます。雀太師匠の持ち味で、噺の面白さが広がり深まったと言ってもよいでしょう。前回の口演からまだ半年しか経っていません。関西の新聞社主催の新人賞を取られたこともうなずけます。勢いを感じました。懇親会では、その変わるきっかけとなったのであろう出来事についても、聞かせていただくことができました。日々芸を磨いている方だからこそ、経験を活かすことができるのだと改めて気づかせてくれるお話でした。

最後は、横山先生司会による大喜利です。正直これはどうなるかと一番心配していた演目でした。お題は登壇者が事前に考えて持ち寄ったはずですが、当日の打ち合わせで玉置先生の準備していたもの以外全部没になったということで、さらに不安はつのります。
しかし、横山先生が、当意即妙で場を見事に切り回します。ところどころ、教育についての話につなげながら、教育と笑いの会にふさわしい内容にしていきます。
玉置先生と雀太師匠も司会とうまく絡み、広がりのある、しかも楽しい時間になっていきました。
今回の大喜利を野口先生がたいそう気に入られ、これから野口塾の最後の10分間は大喜利を行うことになったそうです。ちょっと覗いてみたくなります。

実は、今回の教育と笑いの会は事前準備の時間も短く、どうなるかと心配していたのですが、協力会社の皆さんや登壇者のお力で、終わってみればとても楽しいものになりました。感謝感謝です。
次回は名古屋に戻っての開催です。私も今までの司会ではなく、芸をやれとの玉置会長からのお達しを受け、今からドキドキしています。12月10日(土)の午後の予定ですが、詳細は9月ごろに授業と学び研究所のホームページでご案内できると思います。昨年は数週間で満席になりましたので、興味のある方はチェックを忘れないでください。
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