第3回授業深掘りセミナー(その3)

第3回授業深掘りセミナー(その2)」の続きです。

後藤真一氏の「教育情報知っ得!コーナー」は、「今さら聞けない学習指導要領改訂」と題して、先生方にとって身近な教科書と学習指導要領、中教審との関係についてのお話しでした。

最初に、第1回の「教育情報知っ得!コーナー」で取り上げた「アクティブ・ラーニング」が、「課題の発見・解決に向けた主体的・協同的学び」として、次期学習指導要領の「どのように学ぶか」という「教育の方法・質」に関してのキーワードになっていることを確認した上で、簡単なクイズを出しました。

Q1.現在使われている教科書のもとになった学習指導要領は西暦何年に改訂されたもの?
Q2.アクティブ・ラーニング等に対応した新教科書が小学校で使われるのは西暦何年?
Q3.すべての新教科書が学校で使われるようになるのは、学習指導要領が改訂されてから何年後?

さて、皆さんの反応はどうでしょうか?私の目には意外と戸惑っているように映りました。
中教審の答申、学習指導要領の改訂、教科書の改訂(編集、検定・採択)、学習指導要領の実施といったことの関係と流れが今一つ整理できていないようです。

学習指導要領改訂のもとになるのは中教審の答申ですが、審議から答申が出るまでに2年ほどかかり、それを受けて教科書が1年かけて編集され、検定を受けて修正に1年、さらに採択までに1年かかります。こうして新しい学習要領が小学校で実施され、その1年後に中学校が、さらに1年後に高等学校となりますが、高等学校は年次移行なので都合完全実施に5年かかります。そうこうしている内に次の学習指導要領に向けての中教審の審議が始まってしまうのです。
2020年度に小学校で新指導要領が実施されることを考えて逆算すると、中教審の答申が今年中に出てくれないと、教科書の編集が大変なことになります。中教審も大詰めに入りましたが、文部科学省の中教審のサイトでは配布資料や議事録が公開され、現時点でも多くの情報を得ることができます。公式見解がまとまる前の「生の意見」が読める貴重なサイトとなっています。こういった情報を元に、決まっていない今だからこそ「わたしが教科書をつくるなら?」「わたしのアクティブ・ラーニング?」といったことを考えてほしいとまとめました。

学校現場にいると、日々の仕事に追われ、結論が上から下りてきて初めて「どうしよう?」と考えることが多くなります。学習指導要領がどのように決まって実施されていくのかについて先生方が疎かったのも、こういった現場の実態を象徴しているのだと思います。
「決まる前だからこそ、自分なりの視点で考えてみては?」という後藤氏の提案は、先生方に新鮮なものととらえていただけたようでした。

第3回授業深掘りセミナー(その2)

第3回授業深掘りセミナー(その1)」の続きです。

野木森先生の模擬授業は小学校6年生の「ものの燃え方」の実験です。まさに理科の王道を行く授業でした。
前時に行なった(ことになっている)実験の結果を確認します。一斗缶の中で薪を燃やした時に、穴をあけたり、うちわであおいだりしたらよく燃えたことを発表させます。ここで「穴をあける」「うちわであおぐ」という2つの行為が燃焼を助けることを押さえておくことが、この日の実験での子ども役の活動を支えます。

この日の課題を示すのに、まず実験を見せます。通常は前で実験をしてみせるのですが、これが意外と時間を取られます。子どもがポイントを見落としていても、何度もやり直すのは大変です。そこで、野木森先生は動画で実験を見せます。あらかじめこの日子どもたちが使うのと同じ道具を使って実験をし、それを撮影してコンパクトな動画にしておくのです。こうすることで、短時間でとてもわかりやすく提示することができます。何度も見せることもできますし、動画を止めてポイントを説明することも簡単にできます。今はスマホでも簡単にハイクオリティな動画を撮影できますので、とてもお勧めの方法です。
透明な燃焼実験箱に上下左右4つの穴があけられています。それぞれ栓でふさげるようになっていますが、そのうちの1つだけをあけてローソクを燃やすと、やがて消えていきます。消えていくのを見ると、子どもはどうしても消えないようにしたくなります。やりたいこと、試したいことが出てきて、ワクワクします。そこで、この日の課題「ローソクが燃え続けるのはどんな時か説明しよう」を提示します。最初に、穴を1個の場合を確かめてといった細かい手順は指示しません。「自由に実験してください」と子どもたちに任せます。子どもたちはやりたいことがあるので、盛り上がらないわけはありません。とはいえ、火を使う実験ですから、注意すべきポイントや指示はあります。それをコンパクトにまとめてスクリーンに表示し、実験中にいつでも見られるように表示したままにします。これも、さすがの使い方です。

ペアで実験開始です。試してみたいことがあったのでしょう、すぐに実験を始めます。これは大人でも変わらないようです。穴を2つあけた時に、燃え続ける時と消えてしまう時があります。その組み合わせを確かめているペアもあります。どのくらい経つと消えるのかと時間を測っているペアもありました。子ども役が大人なので、上手くいっても次の課題を考えていろいろ活動しますが、子どもたちであればどうなのでしょうか?この点については、野木森先生は机間指導を使って子どもに次の課題を考えさせます。うちわや線香が用意されていて、「使いたいものない?」「他にやってみたいことはない?」「どんなことがわかった?」「どうしてそうなるのかな?」と声をかけます。前時の実験を確認したことがここで活きてきます。こうして、うちわで風を送って上手く燃やそうとするペア、線香で煙の動きを確認するペアと活動が多様化していきます。そこで、野木森先生は、途中でペアを交換して互いの発見や考えを交流させます。子ども役は、ある程度の結論得たのでしょう、いろいろと試しますが、テンションが上がっていきます。こういうところは子どもたちと同じです。野木森先生は子ども役の間を回りながら、思考を深めるための言葉がけを行っていて、全体を見る余裕が少しなかったようです。

実験を終わって、子ども役に「見つけたこと?」を問いかけます。少し曖昧な問いかけです。消えずに燃焼させる方法を答えればいいのか、空気が流れなければいけないといった考えたことを答えればいいのかよくわかりません。逆に、少し曖昧だからこそ、子どもから多様な言葉を拾うことができます。何を答えればいいのか少し曖昧な問いかけは、子どもの言葉をつなぐ力のある先生が使えば考えを広げたり、深めたりする一つの方法です。しかし、そういった意図なく使うと、発言が拡散して焦点化が難しくなることがあります。野木森先生は「思ったこと?」といった問いかけもしました。これも同様です。「上だけ、下だけあけた時に空気が流れない」という意見に対して、「どうしてわかった?」と返します。「線香の煙を吸わせたりして、……」と答えが返ってきます。ここで、「なるほど」と受け止めて終わったのですが、もう少しこの空気が流れるということについてつないでいきたかったところでした。
この後、空気が流れて燃え続ける動画を見せて確認し、この実験から言えることは「新しい風を入れた時に……」とまとめました。ちょっと気になったのが「新しい」という言葉でした。酸素を意識した言葉なのですが、「空気が流れる」ということが、「新しい空気」につながるには、ちょっとギャップがあるように思いました。「空気が流れた時と流れなかった時では、ローソクのまわりの空気は違うの?」といった問いかけをして、「新しい空気」という言葉につなげるといったことも必要だったように思います。

子どもが思考しながら活動する、とても素晴らしい授業提案でしたが、私には少し不満がありました。このことが、深掘りトークセッションで話題になります。
私は、挑戦的に「これはまだ理科の授業になっていない」と発言しました。子どもたちは試行錯誤しながら、ローソクが燃え続けるための条件を見つけたり、何が起こっているのか空気の流れを確認したりしています。しかし、それらの活動の結果を論理的に再構成して整理する場面がありませんでした。例えば、「必ず上下の穴が空いてなければいけない」という結果と、「下の穴しか空いてなくてもうちわであおげばうまくいく」という結果から、何が言えるかと考察させたり、逆に実験の途中で「下の穴しか空いてない時は絶対に消えるの?」と問いかけて、新たな課題を提示したりといったことが必要だったのではないかと思います。理科は事実を論理的に解釈したり説明したりすることが大切です。その時間がなかったので、理科の授業としては不十分だったと思うのです。
それに対して、野木森先生は反論します。「子どもたち、それぞれが実験の中で疑問を持ったり、次の課題を見つけたりして新たな実験に取り組んでいる。これこそまさに理科の活動である。実際に子どもたちでやった授業でもそうなった」という主張です。なるほど、確かに個の場面ではそういったことがたくさん起こっていたのだと思います。そこには、机間指導での野木森先生の言葉がけや支援が有効に働いていたと思います。しかし、それを学級全体で整理し共有する場面がなかったのです。子どもたちが頭の中で、なんとなく考えていることをきちんと論理的に整理をし、他の場面でも活用できるようなメタな思考に昇華させることが必要なのではないでしょうか。これは子どもの実態によって変わってくることなので、小学校6年生では難しいことなのかもしれません。先生の個別支援ではなく、とりあえず燃やし続けることができた時点でいったん実験を止めて、結果を共有しながら「どうして、この場合はダメで、こちらの場合はいいのかな?どんな実験をしてみるとわかりそう?」といった問いかけを全体でしてもよいかもしれません。子どもたちに考えを言わせ、どれがよいといった結論は出さずにまた実験をさせ、「どうしてそのような実験をしたのか?」「その結果何がわかったのか?」をまとめさせて、最後に共有するのです。
簡単に結論づけることではできませんが、理科の授業をどのように考えてつくっていくかについて、深掘りできたように思います。ちなみに、この実験器具は野木森先生の研究授業を見てあるメーカーが商品化したものだそうです。それだけその授業が素晴らしかったことがわかります。

「教育情報知っ得!コーナー」については、「第3回授業深掘りセミナー(その3)」で。

第3回授業深掘りセミナー(その1)

2月に行われた第3回授業深掘りセミナーは、一宮市立尾西第一中学校教頭(当時)の伊藤彰敏先生の中学校国語、岩倉市立岩倉中学校長の野木森広先生の小学校理科の2つの模擬授業とそれぞれについての深掘りトークセッション、そして授業と学び研究所のフェローの後藤真一氏による「教育情報知っ得!コーナー」でした。

伊藤先生の国語の模擬授業は、写真を見せるところから始まります。ボルネオの川の流れにそって、一つずつ小さな小屋があります。これが何かを問います。テンポよく子ども役に答を聞いていき、その答に「上手に外す」「本当に外す」「ああー」といった言葉を返します。一気に雰囲気がほぐれます。正解は水上「トイレ」でした。「お上品に言うとかわや」と言って、川屋と板書します。ほかの漢字で書いてくださいと子ども役に指示します。「厠」という漢字は大人でも難しいものです。子ども役の皆さんも悩んでいます。伊藤先生は机間指導しながら○をつけていきます。実は子ども役の机には国語辞典が1冊ずつ置いてありましたが、ほとんどの方が引こうとはしません。「なぜ手元に国語辞典があるのでしょうか?」という伊藤先生の言葉にハッとします。「問題は、何も見ずに自分で解かなければいけない」という思い込みがあります。そういった思い込みを崩すための活動になっています。「辞典を引いてもいい」「いや、むしろ積極的に引け」と伝えているのです。

トイレの呼び方を子ども役に思いつく限り発表させます。「トイレ」「便所」「お手洗い」「厠」「化粧室」「はばかり」などが出てきます。板書はしませんが、「雪隠」という言葉もあることを示して、まだまだたくさんあることをさりげなく伝えます。
これらの言葉を「臭い」順に並べるのが次の課題です。「感覚でいいんだからねー」と、ここは気軽に答えられるように言葉を足します。これが国語とどのようにつながっていくのか、子ども役はちょっと不思議に思いながらも、おもしろいので意欲的に取り組みます。
子ども役に発表させますが、「便所」から始まって、最後「化粧室」まで大きな差がなく、まとまります。こういったイメージは結構共通なのですね。さあ、ここからが国語の授業です。伊藤先生は「感覚で感じたことを、根拠を持って言うことが国語」と、なぜこのような順番になったのかを考えさせます。
「漢字の持つイメージ」「古い言葉(ほど臭く感じる)」と意見が続きます。「べ、じょといった音があると臭い」という意見も出てきます。濁音の持つイメージを言っています。「今の言葉を聞いてわかった?もう一度言ってくれる」と子ども役に問いかけ、うなずいた方を指名します。反応を見て意図的に指名しています。その説明を聞いて、「納得という人?」と全体に問いかけます。子どもの発言をつなぎ、全体で共有していくという基本は外しません。
「なぜ、こんなにいっぱいあるの」と問いかけ、「うなずいてくれた○○さん」とやはり反応を見て指名します。「時代がかわる」という発言に「いい考え」と評価します。「わかった?OK?」と子ども役に確認して、「時代と共に言葉に臭いがついてくる」とまとめました。「わかった?」と軽い確認です。時代と共に言葉が変遷することを強く押さえません。この授業のねらいはここにはないということです。

トイレを表わすピクトグラム(絵文字)を提示して、言葉ではなく絵でも表わされることを示し、トイレは将来どんな言葉になるかを考えさせます。この課題は課題の要件をあまり満たしていません。「考えると言っていますが、何を根拠とするのか?」「評価の基準は何か?」「この課題を通じてどんな力をつけるのか?」が明確ではないのです。手がなかなか動かない子ども役もいます。ここで、「ヒント」と言って便器のメーカーに問い合わせた話をします。A社には、「トイレはトイレです」、B社には、「うちはもうレストルームという新しい言葉に変えています」と言われたそうです。カタログを見せて確認します(カタログを元にして考えた伊藤先生の創作?)。通常こういった「ヒント」という言葉を使うことは避けるべきだと私は考えています。「ヒント」は「正解」に対応する言葉で、教師が用意した正解への道筋に子どもを誘導するものだからです。とはいえ、この課題、正解があるようなものではありません。まさに、感覚です。「レストルーム」は「化粧室」と同じくトイレに別の機能を付加し、その機能を名前にしています。思いつかない子どもにはこういった「ヒント」を与えることで、新しい名前を考えることができます。実際にこのヒントが影響していると思われる「リフレッシュルーム」「癒し所」といった言葉が出てきます。確かに全員に自分の答を持たせるための有効な手段となっていますが、答の幅を狭めているとも言えます。この「ヒント」や「課題」の意味は、この後の展開を見ることで明らかになっていきます。

子ども役が考えた新しい言葉を発表させます。出てくる言葉は色々です。伊藤先生は板書する位置を、横文字(アルファベット)、カタカナ、漢字だけ、ひらがな(混じり)で分類し、それとなく上から順番に同じ仲間をまとめます。ここで、この課題やヒントの意味が見えてきます。考えた言葉そのものが大切ではなく、「語感」を意識して言葉を考えること、その結果「外来語」「漢語」「和語」が出てくることをねらっていたようです。答を出すことではなく、課題を考えること自体が目的だったのです。例え同じものを表わす言葉でも、一つひとつの言葉には「語感」の違いがあることを実感させたかったのです。語感を意識させるためには、例え誘導でも言葉が生まれてこなければ話になりません。だから、「ヒント」だったのです。
この授業は、次時以降で学習する予定の「外来語」「漢語」「和語」という日本語の分類を意識させ、それぞれが持つ「語感」を考えることにつながっていました。

最後に、「語感」を磨くためには読書が大切であることを伝え、椎名誠の「ロシアにおけるニタリノフの便座について」を紹介します。最初の写真にあった、カリマンタン(ボルネオ)のレストランでの水上トイレのエピソードを読み上げて終わりました。授業と本の紹介が見事につながっています。伊藤先生の中に膨大な読書の蓄積があるからこそ、授業内容と連動した本の紹介ができるのです。
単に「語感」についてだけでなく、「わからない言葉は辞書引く、そのためにいつでも辞書を引ける状況にする」「子どもたちに読書をさせたい、そのために本の紹介をする」といった、日ごろ伊藤先生が国語の授業でどのようなことを意識し、大切にしているかを伝える授業にもなっていました。いたるところに、国語の授業はこういうことを大切にしてほしいという、参加した先生方や学生への伊藤先生のメッセージが込められていたように思いました。

深掘りトークセッションは、いつものように玉置崇先生(授業と学び研究所フェロー)の司会で進みます。パネラーは和田裕枝先生(豊田市立小清水小学校校長)、神戸和敏先生(授業と学び研究所フェロー)後藤真一氏(授業と学び研究所フェロー)と私でした。
今回、皆さんの感想は、伊藤先生の授業の構成力やその進め方の素晴らしさに集中します。私は、前回の佐藤正寿先生の模擬授業への伊藤先生のコメント「電車道の授業」(「第2回授業深掘りセミナー(その1)長文」参照)をそのままお返しました。子どもの言葉を活かす授業では、子どもの反応によって授業の方向がぶれたり、そのための修正に苦労したりします。時には、全く違うところに行ってしまうこともよくあります。今回の伊藤先生の授業は、子どもが自由に考えを言ってもすべて想定内に収まるような授業です。子どもたちを手のひらの上でコントロールしていて、まずハプニングは起きないものです。構成や発問が考え抜かれています。
玉置先生は、「どうすればこういった教材をつくれるのか?」、また、「こういった教材をつくろうと思うようになったきっかけ何か?」と伊藤先生にたずねます。「日ごろから授業を意識して目にする物、触れる物を教材として活かせないかと考えている」「有田先生の子どもたちが自分で考え追究するような社会科の授業(教材)を見て衝撃を受け、自分もなんとかあのような授業をしたい(教材を開発したい)と思った」という話をされました。今回は、玉置先生の問いかけに答える形で、伊藤先生自ら授業を深掘りしていただけました。

野木森先生の模擬授業と深掘りトークセッションについては「第3回授業深掘りセミナー(その2)」で。

介護の研修で家庭への連絡を考える

2月に行った介護職員への研修で、利用者の様子を家族にどう伝えるかを考えていただきました。

具体的な事例を元に、何をどのように伝えればよいかを考えていただきます。研修に参加される方は、デイサービス、老人ホーム、訪問介護と職場は違いますが、互いに気軽に考えを聞きあえるようになってきました。連絡文をどのように考えて書いたかをしっかりと話し合っていただけました。当たり前のことですが、連絡を受ける家族の気持ちを考えることが大切です。その上で、伝えなければならないことをどう伝えるかを考えます。
例えば認知症のある利用者がトラブルを起こしたとしましょう。トラブルを報告されても、毎度のことに「じゃあ、どうすればいいの?」と叫びたくなったり、「ああまたか」と何も感じないようにしたり、「いったいいつまで続くのだろう?」と、将来に悲観的になったりするのではないでしょうか。いつもトラブルしか報告されていないと、家族の気持ちは暗くなりますし、介護サービスや介護そのものに後ろ向きな気持ちになってしまいます。大切なのは家族が介護に前向きになれることです。そのため、よくわかっている症状については、あまり深く触れことはしない方がよいでしょう。それよりも、「笑顔が見られた」「食事を美味しそうに食べた」といった、ほんの些細なことでもいいので、「よかったこと」「できたこと」を伝えるようにしたいものです。もちろん、今までなかったような症状が出た時は、病状が悪化する兆しかもしれませんので触れないわけにはいきません。介護に携わっている方ならば今後どのようになるかの見通しも持てると思います。しかし、医者ではないので見通しといったことはこちらか伝えてはいけません。状況の客観的な事実だけを伝え、必要に応じてケアマネージャに連絡するようにします。もし、家族の方から相談されても、ケアマネージャを窓口として相談するように伝えます。窓口を一本化していないとトラブルのもとになるからです。

似たようなことは学校現場でも言えます。いろいろと課題のある子どもの保護者は、子どもを少しでもよくしようと努力していますが、必ずしもうまくいくとは限りません。そこへ学校からはネガティブな連絡ばかりが届くと、精神的に追い詰められていきます。学校や担任に悪感情を持ってしまうことにもつながります。意識的に子どものよかったところ、成長したことを伝えるようにすることが大切です。「いいとこみつけ」の発想です。保護者の気持ちを楽にして、学校と一緒になって子どもを育ていこうという気持ちになっていただくことが大切なのです。
トラブルが起こった時に対応の窓口を一本化しておくことが大切なのもおなじですね。

いつものことながら介護の現場で大切なことは、学校現場でも言えることに改めて気づかされました。

英語科で学校独自のメソッドができつつある

昨日の日記の続きです。

昨日の日記で、社会科で課題の蓄積が大切だと述べましたが、蓄積という意味では、英語科がこの段階に入ってきました。
1年生の英語の授業は、前回と同じくGDMで教科書の学習内容を身につけるものです。高等学校の内容についてGDMの実践はほとんどありませんから、先生方が協力してその”situation”を毎回つくることになります。今回は事前に考えた内容をGDMの研究会で披露し、参加者の意見を元にブラッシュアップしたものでした。日々の授業でこれをしていくのですから並大抵の苦労ではありません。チームで当たっているので何とか乗り切っているのです。先生方のエネルギーの素は子どもたちの姿です。この日も子どもたちはとても集中して授業に臨んでいました。
子どもたちがペアで練習する時に、言葉をまる覚えしてしゃべろうとしていないことがよくわかる場面がありました。2人とも”situation”を表わした黒板を見ながら言葉を発しているのです。”situation”を表現しようとするので、”situation”を確認することが必要なのです。
この日学習する文法事項は”gerund”(動名詞)です。
2人の子どもを指名して一人の子どもには”A to Z”、もう一人は”Z to A”で”alphabet”を黒板に書かせます。書いている途中で、”I am writing alphabet from A to Z.” ”I am writing alphabet from Z to A.”とこの”situation”を表現させます。この時子どもが、”I am writing on …….”と言いかけました。”on the blackboard”と表現しようとしたのでしょう。授業者が求めていたものではありませんが、”situation”を自分なりに表現しようとしていることがわかります。言葉として英語が使えるようになってきています。続いて、全体で”○○san is writing alphabet from A to Z.” ”△△san is writing alphabet from Z to A.”と確認します。まず” participle”(分詞)を使って表現をしました。
Aから書いた子どもの方が早く書けます。早く書けたことを確認してから、”Writing alphabet from A to Z is easy.”と”gerund”を自然に導入します。続いて、この日使う教科書の文に使われている”difficult”を”Writing alphabet from Z to A is difficult.”という形で導入します。なかなか見事な導入です。もし、”difficult”が初出であれば、”Writing alphabet from Z to A is not easy.”を間にはさんでから、”difficult”を使って言い直せば、自然に意味がわかると思います。
続いて、男の子と女の子がかかれた絵を見せます。一人の男の子は女の子に囲まれています。もう一人の男の子は独りぼっちです。”A boy is among girls.”とこの状況を最初に練習した”among”を使って表現します。”He is happy. He will go home with many chocolates.”と続けた後、今度は、”relatives”(関係詞)を使って表現させます。” A boy who is among girls will go home with many chocolates.” “A boy who is at the desk will go home without any chocolates.”と2人を上手く対比して表現します。全体で練習しますが、うまく言えない子どもが少し目立ちます。授業者はここでペアを使って練習させました。子どもたちは、ペアを組むことですぐに話せるようになります。文法事項がわかっていないのではなく、言葉がスムーズに口から出ていなかっただけだったのです。
“The boy who is at the desk goes out the room. He doesn’t say good-bye.”という”situation”を”gerund”を使って”The boy who is at the desk goes out the room without saying good-bye.”と一文で表現します。”without any chocolates.”を上手く対比させて使うことで自然に”without 〜ing”の形を導入しました。見事でした。
ストーリーはこの後女の子が一人、先ほどの男の子の後を追いかけてチョコレート渡すというハッピーエンドでした。バレンタインデー直前らしい楽しい内容でした。子どもたちに女の子のセリフを考えさせると、”This is for you.” “I made this for you.”と色々な表現をします。自然な英語が身についてきているのを感じます。
英語の歌を聞いて気持ちを切り替えた後、教科書の本文のキーワードを抜いたワークシートを配って埋めさせます。この日学習したことを使うことでできるはずです。解答は”listening”で行います。まわりと確認しながら聞き取ったあと、全員で読みます。一部の子どもの口がしっかりと開いていないことが少し残念でしたが、どの子ども最後まで参加していました。教科書の本文については、「聞く」「読む」がムダなく凝縮されています。訳をしなくても、子どもたちはその意味がわかっているようです。本文の内容を要約することを宿題にして終わりました。子どもたちは、自分できちんとやってこられるようです。
毎回このように”situation”を考えて授業をするのは本当に大変だと思います。授業者はまだ内容をこなすので手一杯で、子どもの様子を見て臨機応変に対応する余裕がありません。それでも子どもがつまずいた時のペアの使い方などは、前回よりも上手くできていました。確実に進歩しています。
この授業を続けていくことは大変でしょうが、継続することで子どもにも先生方にも大きな力がついていくことと思います。来年度は、今年以上に多くの先生方がGDMに挑戦するようです。英語でこの学校のメソッドができつつあるのを感じます。その誕生の瞬間に立ち会えていることに大きな喜びを感じます。

この日、授業研究ではありませんでしたが、高校2年生の習熟度別の下位クラスの英語の発表を見ることができました。名古屋の観光プランを考えてグループで発表するものです。とにかく、子どもたちがメモを読むのではなく、前を向いて一生懸命に話していたことが印象的でした。発表者も聞いている子どもたちもとてもよい表情です。苦手な英語にこのような表情で一生懸命取り組んでいる姿を見られるのはとても素晴らしいことです。このような授業が増えていくことで、子どもたちが学ぶことに前向きになってくれることと期待します。

時間の関係もあり、この日行われた公開授業の検討会の参加者は少数でしたが、授業改善に対して前向きな先生方は確実に増えていると思います。教科の特性などもあり、全く同一歩調という訳にはいかないと思いますが、大きなベクトルを揃えて進めていけたらと思います。

教科でつけたい力と教科を越えてつけさせたい力について考えされた授業

昨日の日記の続きです。

高校1年生の社会科の授業は、アジアにおけるグローバル化を考える授業でした。
授業者は積極的に子どもたちが学び合う授業に挑戦しています。この日は、ジグソーを取り入れた授業でした。
時間割の変更の連絡が上手くいかなかったために、教科書等を持っていない子どもがいるというハンディがある状態でした。最初に、最低限の知識を押さえるワークシートの穴埋めをさせます。知識の問題なのであまり考える時間を与えても意味がありません。授業者がヒントとして語群を与えますが、答探しになってしまいます。子どもたちに相談させますが知識の確認をするだけになってしまうので、あまり意味のあることではありません。もし既習の内容であれば、テーマを与えて語群の言葉を使って説明させるといったことをすると面白かったかもしれません。未習であれば、最初から調べさせればよかったでしょう。
この後、「朝鮮半島の動向」といったテーマごとにグループに分かれ、ワークシートの内容を元により詳しく調べます。ワークシートの内容がきっかけになっているので、子どもたちは漠然とではなく焦点化して調べることができます。また、iPadもグループに与えます。紙の資料は古いので、最新の情報も集めてほしいというわけです。ここで子どもたちの目標を、元のグループに戻って「調べたことを要領よくまとめて報告すること」としました。子どもたちにつけたい資質・能力として「伝える力」を意識して、そのことを子どもたちに説明していました。このことを目標として明確にしていたのはとても素晴らしいと思いました。残念なのは、世界史としてここで調べたことが何につながるかが意識されていなかったことです。元のグループでの発表は、とにかく話せばいいのでテンションが上がり気味です。発表者以外は調べていないので、一生懸命聞いていますが、ワークシートに書きこむのが目的になっているので、その内容について深く考えている様子はありませんでした。自分たちの調べたことをもとに課題を見つけるような活動したいところでした。具体的には、「これからのアジアの最大の課題は何か?」「アジアにおける最大のリスク要因は何か?」といったことを互いに調べたことをもとに、相談するといったものです。こういったゴールを意識して調べることで発表の内容も変わってきますし、グループ活動での思考が深まっていくと思います。
子どもたちは、授業規律もよく、一生懸命に課題に取り組んでいましたが、世界史としてどのような力がついたのかが今一つはっきりしなかったことが残念でした。

授業終了後に他の社会科の先生から質問を受けました。「考えさせる授業をしたいが知識がなければ考えることができない。知識を与えて、それをもとに考えさせるべきだと思うがどうだろうか?」というものです。必ずと言っていいほど先生方がぶつかる壁です。特に歴史では入試等で知識を問う問題が多いため、必要なことすべてを授業で説明しておかなければならないというプレッシャーが先生方にかかります。ここで先生方に意識してほしいのは、知識を説明しただけでは決して定着はしないということです。知識を定着させるために、どのような活動が必要か考えることが必要です。基本は、自分自身で調べることです。ただ指定された項目を調べて整理するよりも、課題を解決するためにどのような知識が必要かを考えて調べた方が間違いなく知識は身につくはずです。知識がなければ考えられないのはその通りですが、考える過程で知識を求める、調べるという方法もあるのです。
2つのことを意識するとよいと思います。まず、当たり前のことですが、基礎的な知識がなければ調べることすらできません。ネットなどを使って知識が簡単に手に入ると言っても、基礎的な知識がなければどこから調べていいかもわかりませんし、書かれている内容を理解することもできません。これをきちんと身につけさせることが必要です。もう1つは、どのような課題を設定するかです。子どもたちがその課題を解決しようとすると自然に知識を必要とするような課題を準備するのです。よく例に出しますが、「平安時代に農民たちが土地を捨てて逃げ出したのはどうしてか?どこへ行ったのか?」といったものです。土地を捨てる理由を考える過程で租庸調といった税制や、口分田の仕組を知る必要が出てきます。口分田を捨てて逃げてどこへ行くのかを考えることで、荘園制度の発達に関するいろいろなことに気づけるはずです。こういった課題を与えることで知識の獲得と考えることがつながっていきます。とはいえ、このような課題を毎回考えることはそれほど簡単ではありません。先生方が協力してこういった課題を蓄積していくことが求められます。

この続きは明日の日記で。

子どもたちのよさと次のへの課題が見えた数学の授業

2月に私立の中学校高等学校の授業研究に参加しました。この日は、公開授業の形で4人の方が授業研究をしてくださいました。特にうれしかったのが、数学の先生が2人も挑戦して下さったことです。

高校2年生の数学は、復習の問題を子どもたちが前で説明する形の授業でした。
授業者は子どもたち自身が解説し納得することを目指したようです。子どもの板書を教師が一方的に評価し解説するスタイルを変えようとしていることがわかります。子どもが一生懸命に自分の考えを説明しています。授業者は柔らかい言葉と表情で、必要に応じて発表者に質問したり、補足説明をしたりします。受容的なよい雰囲気です。しかし、残念なのは子どもたちの多くが友だちの説明よりも、板書を写すことに意識が行っているように見えることです。聞く側の子どもをいかに主体的に参加させるかが次の課題です。発表者と子どもたちをつなぐことを意識するとよいと思います。具体的には、「この部分の説明、納得できた?」と子どもたちに問いかけたり、時には「○○さんの説明してくれたこともう1回言ってくれる?」と聞いている子どもに発言をうながしたりするとよいでしょう。また、補足すべきことも「この式が出てきたのはどういうことか、○○さんの代わりに誰か説明してくれるかな?」というように、子どもたち自身にさせることが大切です。
数学の授業では子どもたちに板書させることが多いのですが、多くの子どもたちは自分ノートを見ながら黒板に写します。これは非常にムダな作業です。ノートを見ずに板書をしながら説明させるという方法もありますが、これはかなり高度になります。こういう場面ではICT機器の活用がとても有効です。ノートを実物投影機やカメラを使ってスクリーンに映せば大きく時間が短縮できます。こういったことにも挑戦してほしいと思います。今後どのように授業が変化していくかとても楽しみになる授業でした。

もう一つの2年生の数学は、積分の練習問題のワークシートを子どもたち自身で解かせる場面でした。
「どんな方法を使ってもいい」と相談することを推奨しています。子どもたちの表情はとてもよく、多くの子どもが楽しそうに問題に取り組んでいます。子どもたちは与えられた複数枚のワークシートに最後までしっかりと取り組んでいました。
ただ、相談者を子どもに自由に選ばせると、どうしても仲のよい子ども同士に偏りがちになります。そのためにテンションが上がりやすくなっています。また、手っ取り早く「これでいい?」と授業者に聞く子どももいました。参観している数学の先生に教えてもらう子どももいます。教師に教えてもらうのは間違いのない安全な方法ですが、無批判で受け入れることになります。子どもが自分で考える力をそいでしまうのです。それに対して子ども同士であれば、頭から信じることなく納得しようと考えます。できるだけ教師が個別に教えないようにすることが大切です。
友だちや先生とかかわりながら問題に取り組んでいる子どもたちがいる反面、自分一人で取り組む子どももいます。中にはなかなか手がつかずに困っている子どももいました。友だちに自分から相談できない子どももいるのです。こういった子どもに対しては、「まわりと相談してごらん」と他の子どもにつなぐことが必要です。
子どもたちは、ワークシートを1枚完成するごとに授業者に提出します。授業者はそれをチェックして不備があれば指摘して返します。よくあるやり方なのですが、常に先生がチェックするのでは、自分で修正する力がつきません。例えば、「グループで互いに吟味して完璧な解答をつくる」という課題にするといったやり方もあります。その時は、あまり簡単な問題ではなく、みんなで頭をひねるようなジャンプの課題である必要があります。
今回は面積を求める問題で、解答は「与えられた関数のグラフをかく」「求めたい面積がグラフのどの部分かを知る」「面積を求める式を立てる」「式を計算する」といったステップに分かれます。最初の「グラフをかく」部分ができなければ先に進みませんが、このグラフでつまずいている子どもが多いことが気になりました。中には、グラフをかかずに式を立てている子どももいます。1年生で学習した2次関数のグラフの基本が定着していないように見えます。もしそうであれば、子どもたちがこの部分を自分たちで復習するための手立てを考えておく必要があります。友だちに聞くというのも一つの方法ですが、1年生の教科書を用意しておくといったことも必要です。また、子どもたちの状況に応じて、グラフだけについて確認する場面をつくることも必要かもしれません。こういった形態の学習では、子どもが自力で解決するために必要なものが何かを考えておくことが大切になります。
また、先ほどの授業にも共通するのですが、子どもたちの解答に言葉の説明が少ないことが気になります。式の羅列です。どうも子どもたちが「数学は最終的な答がでればよい」と思っている節があります。数学で大切なのは、過程を論理的に説明することです。「なぜこの式になるのか?」「なぜこのような変形ができるのか?」といった疑問に対する最低限の説明が必要です。根拠を意識させることを大切にしてほしいと思います。
子どもたちが最後まで意欲的に取り組んでいたことが印象的でした。子どもたちのよさと次への課題が見えた、学びの多い授業でした。

この続きは明日の日記で。

第3回「教育と笑いの会」受付開始

第3回「教育と笑いの会」申込受付が始まりました。

日 時:平成28年6月5日(日)13時00分〜16時30分
場 所:東京 新宿三井ビル12階 ベネッセコーポレーション内
参加費:3,000円
定 員:200名

※懇親会を17:00より新宿三井ビル内の別会場で実施予定です。
懇親会への参加希望の場合、参加費は6,000円円(教育と笑いの会+懇親会)となります。

今回は初の東京開催となります。
関東ならではの演目もありますので、ご期待ください。

主催者側、参加者側双方にとって学びの多いインターンシップ

2月に企業のインターンシップで授業と学び研究所のフェローとして講師を務めました。昨今は採用活動が本格化する前にインターンシップの形で、企業での仕事がどのようなものかを紹介・体験することが増えています。東京、大阪2回ずつ開催されましたが、参加した学生たちもとても真剣でした。

社長による会社の業務の紹介では、この企業の目指す姿が語られます。教員の世界は、だれもがよく知っているものであり、インターンシップに代わる場として教育実習もありますのでこういったことは必要ないのかもしれませんが、一般企業にとっては大切なことです。
ここで話されることは、その会社によい人材が欲しいので宣伝色が強いように思われますが、決してそうではありません。採用活動にかかわらせていただいて強く感じるのが、会社のことをよく知って選んでほしいという姿勢です。いくら優秀な人材でも、思っていたのと違う、私に合わないとすぐに辞めることになっては、企業にとっても学生にとっても不幸です。そんなミスマッチがないように、できるだけどのような会社なのか、どのような業務なのか、どんな夢が描けるのかを伝えるのです。
ユニークなのが採用担当役員による、就活についてのお話しです。就活そのものと言うよりも、これから社会人として生きていくための視点と言ってもいいものです。学ぶことを楽しむ姿勢が大切であり、一生学び続ける人が求められていること、就活を通じて新しい自分を発見してほしいといった内容です。こういった学ぶことの本質を参加した学生に伝えようというところが、学校をフィールドにしている会社らしいところです。

メインのプログラムは、授業と学び研究所のフェローが講師となって進めますが、大切にしているのは、参加した学生に「学ぶ」とはどういうことかを具体的に理解してもらうことです。そのため、知識を一方的に教えたり、マニュアル的な方法論を伝えたりといった一方的な講義はありません。
最初は先生の仕事についての神戸和敏先生のプログラムです。
参加者は子どもの側からしか先生を見ていません。先生の仕事を知っているようで実はそのほんの一部しか知りません。先生はどんな仕事をしているのかを参加者に考えさせながら、先生方の仕事が多岐にわたり多忙であることと、子どもの教育に直接かかわることに時間を使うことが大切であることに気づかせます。この会社の成功が、ICTを使って先生を楽にさせるのではなく、その先にある子どもたちの教育のために何ができるかを考えている結果だということが、最初の社長による会社紹介と合わせてわかっていただけたと思います。

後半のプログラムはコンサルティングの体験ということで、小中学校の校長から学校の課題を聞きだすというヒアリングのロールプレイです。神戸先生ともう一人玉置崇先生に校長役になってもらい、私が進行役で行いました。
最初にコンサルティングとは何をすればよいのか、何が大切なのかを考えてもらいます。相手の課題を知ることが大切だと気づいてもらったうえで、課題を提示しました。グループでどのような質問をすればよいか、どのように進めていけばよいかを相談してもらい、1回目のロールプレイに挑戦です。課題を聞きだそうとして、用意した質問をすることに意識がいってしまいます。中には「学校の課題は何ですか?」と直接聞く学生もいますが、人間関係もできていないのにそのような質問に答えてもらえるわけもありません。どの学生も会話がつながらず、1回目はほとんど何も聞き出すことができませんでした。ヒアリングではまず相手の言葉をていねいに聞くことが大切です。そこから学校の課題につながることを見つけ出し、焦点化して詳しく話をしていただくことが必要です。校長役は、学校の課題やこれからやりたいと思っていることを実にうまく会話の中に織り込んでいますが、そのことになかなか気づけていません。一人ひとりのロールプレイを振り返りながら、具体的な場面で何が起こっていたのかを考えてもらいます。自分たちだけでそのことに気づいてもらいたいのですが、時間の関係で私が少し誘導して、解説しました。
もう一度グループでどうすればいいのかを考えてもらい、2回目のロールプレイです。優秀な学生たちなのでしょう、驚くほどの進歩を見せてくれます。先ほどの互いのロールプレイから多くを学んだようです。相手の話を聞くことの大切さを意識していることが、聞く姿勢に現れています。校長にまた相手をしてもよい思わせるヒアリングになっていました。

最初、参加した学生たちは、どうすればよいのかを教えてくれるものだと思っていたようですが、このインターンシップを通じて「現実の社会では正解はなく、自分たちでよりよい答を導き出さなければならない」「他者と相談することで、よりよい答に近づける」ことに気づいてくれたようです。また、「コミュニケーションの基本は聞くこと」と頭でわかっていても実際にはとても難しいことです。相手の言葉を受けて、その場で次に何を言うべきか考えるといった経験はとても新鮮だったようです。手前味噌ですが、学生たちにはとてもよい学びなったことと思います。このインターンシップを通じての学生たちの変容から、私たちも多くのことを学べました。主催者側、参加者側双方にとって学びの多いインターンシップでした。

先生方の工夫から学ぶ

前回の日記の続きです。

3年生の英語の授業は”listening”の場面でした。
入試を意識しているのでしょう。試験の形式で進んでいました。子どもたちは一生懸命に聞いているのですが、全く手がつかない子どもの姿が見えます。聞き取りの後、相談する時間をつくります。手がつかなかった子どもも参加するのですが、他の子どもが聞き取った内容を聞いても聞き取りの力がつくわけではありません。しかし、聞き取ったこと聞き合うことで内容の理解は進み、問題に正解することには近づきます。この活動に意味はあるのですが、”listening”の力をつけることには直接つながりません。なかなか難しいところです。
また、指名した子どもの答を聞いてもそれが正しいかどうかの確認もできません。一問一答になりがちで、一部の子どもだけで進んでいくことになってしまいます。頭出しが難しいといった問題があるのですが、何人かに答を聞いた後でもう一度聞き直して、聞き取れなかった子どもに確認するといったことをしたいところでした。

3年生のもう1つの英語の授業も”listening”の場面でした。
授業者はベテランですが、毎回新しい試みを見せてくれる方です。今回は”listening”の進め方についていろいろな工夫がありました。
T2が書いたという英語の作文を読むことを伝えます。何について書かれているのか簡単に伝え、聞かせた後にする質問を事前に伝えておきます。”situation”をはっきりさせることで、聞き取りはずいぶん違ってきます。また、通常は聞き取った後に初めて質問がわかるので、長文の聞き取りの場合、ある程度聞き取れたことでも質問された時に「あれっ?」となってしまうこともあります。しかし、今回のように事前に質問がわかっていると、話の流れを追うところと集中して聞くべきところを意識できます。なかなか面白い工夫だと思います。
気になったのが、作文はその時に書かれたことなので時制は現在になります。しかし、この作文がいつ書かれたことかを明確にしておかないと、質問や答の時制がはっきりしません。日本語と違って英語は時制を明確に区別するので、その意識を持たせるためにはっきりさせたいところでした。
子どもたちは集中して授業に参加していました。互いに聞き取れたことを確認した後に再度聞き直す機会があるからでしょうか、しっかりとかかわり合えていました。
子どもたちは内容を聞き取れていても、答の英文をきちんと作れるとは限りません。単語レベルの答になることもよくあります。”listening”で内容がわかることと、きちんと英語で答えられることは違うのです。質問で使われる英文の受け答えについて、”listening”の前に復習しておくといったことも必要になります。子どもたちが一連の学習活動でできるようになるために必要なことは何か、それをどのような形で押さえておくかが大切になるのです。

1年生の英語は少経験者ですが、色々新しいことに挑戦しています。
今回は単語や句と対応した絵が描かれた小さな”picture card”を活用していました。与えられた英文をオウム返しで言ったり、単語を置き換えて英文を話したりするのではなく、”picture card”で与えられた”situation”を英語で表現させようという試みです。ペアの一方が英語の語順に従ってカードを並べます。他方がそれを英語に直して表現します。カードの絵を見て理解した”situation”を英語に直すことで、”situation”と英語の表現がつながっていきます。子どもたちは集中して取り組んでいました。しかし、ペアによっては”picture card”を正しく並べられなかったり、時間がかかったりしています。ここをどうするかが課題です。困った時に参考となるように、いくつかの文例を黒板に貼っておくといったやり方もあります。子どもたちが黒板をよく見るようであれば、まだ定着していないことがわかるというよさもあります。
ペアでなく4人グループで進めるという方法もあります。ペアに対してそれぞれにバディをつけて、困った時に助けてもらうのです。
取り組みの方向性はとてもよいので、もう一工夫することで素晴らしいものになると思います。今後がますます楽しみです。

初任者の3年生の国語の授業は助動詞の学習でした。
例文のどれが助動詞かを問いかけ、続いて、「そうだ」にどんな意味があるか書くように指示します。「どんな意味」という言葉では、何を答えていいのかよくわかりません。一問一答に慣れている子どもは、教科書に書かれている用法を答えてほしいのだと、授業者の意図を読みますが、それではあまり意味はありません。
「助動詞が付加されることで……」と助動詞を説明しますが、これで理解することは難しいと思います。助動詞をつけた文と、つけていない文を比較することが大切です。比較することで、助動詞の持つ機能や、個々の助動詞がそれぞれどのような意味や働きをするのかがわかってくると思います。
「れる・られる」には4つの意味があるとまとめます。意味の覚え方を教えますが、あまり意味のある活動とは思えません。確かに試験の時に素早く答を出すためには覚えておくとよいのかもしれませんが、子ども自身が日本語の意味から答を導き出せることで十分だと思います。「自発」「尊敬」「可能」「受け身」という言葉の意味が正しく理解できていれば、分類することはさほど難しいとは思いません。
子どもたちにどのような力をつけたいのかが、少しずれているように思います。おそらく自身がそういう授業を受けてきたのだと思いますが、そこから早く脱却してほしいと思います。
また、寝ている子どもを指名したことも気になりました。指名された子どもは当然答えることができませんので恥ずかしい思いをします。さらし者にしていることに気づいてほしいと思います。まわりの子どもに声かけてもらうような動きをしたいところでした。

1年生の国語の授業は、本文を音読する場面でした。
子どもたちに1文ずつ音読させますが、なぜこの場面でこのやり方をするのでしょうか。子どもたちは何を目標にして音読するのでしょうか。こういった活動のねらいがはっきりとしていないことが気になります。漢字を読めなかった子どもに対して、他の子どもに助けるように「大きな声で言ったげて」とうながします。助けてもらう子どもにすると、「大きな声」で言われるのはちょっと恥ずかしいものです。「まわりの人、助けてあげて」と近くの子どもとのかかわりを活かした方がよかったかもしれません。
子どもたちは「女中」が読めません。「女中」という言葉そのものを知らないようです。読み方だけであれば、音読みは「想像」できますが、意味までは想像できません。また、「繕う」も読めませんでした。これは訓読みなので、「想像」では読むのは難しいでしょう。「修繕」という言葉を知っていれば意味はわかるかもしれません。少なくともどうすれば読み方を調べることができるのか、意味を知ることができるのかを確認をしたいところです。結局どちらも授業者が教えて終わりました。その場で調べさせるか、チェックだけにしておいて後で時間をとるのか、それとも、事前に調べさせてから音読させるのか、いずれにしても、子ども自身で調べさせたいところでした。
読んでみた感想を聞きますが、何のためなのかがよくわかりません。感想を書かせておいて、「この単元の学習が終わった時にもう一度書いてもらうね。授業で読み取りをすることで、どう感想が変わるか楽しみだね」というようにして、目的意識を持たせたいところでした。
国語では音読をするのはごく普通の活動です。だからこそ、この単元のこの場面で音読するのは何をねらっているのかを明確に意識してほしいと思いました。

今年度の現職教育のまとめの時間に話をさせていただきました。
この学校は、入学した子どもたちが3年間で必ず見事に成長していきます。3年生になると「どんな先生の授業でも前向きに集中して取り組む」姿を見せてくれます。あたりまえのことのように思えるかもしれませんが、「どんな先生でも」というのはそう簡単なことではありません。先生だけでなく、上級生が下級生によい影響を与えていることも大きな要因です。このことが伝統となりつつあるのを感じます。
子どもの発言をしっかり聞ける先生が増えており、先生と子どもの関係も良好です。しかし、子どもが先生の話を聞いてくれるので、先生のしゃべる量が増えてきたように思います。また、子どもを受容することはできるのですが、子どもの発言や行動をポジティブに評価したり、価値付けしたりする場面が少ないように思います。
一方の子ども同士の関係は、基本的にはよいのですが、うまくかかわれずに輪に入れない子どもの存在が気になります。友だちの話は笑顔で聞けるのですが、自分の考えを話すことには苦手意識がある子どもも多いようです。先ほどの先生の子どもへの評価の問題とも重なりますが、学習場面で自分が友だちから評価されている、認められているという実感が低いように感じます。
こういったことから、次年度の課題として、子どもを評価することを大切にしてほしいとお願いしました。先生が価値付けすることを意識するだけでなく、友だちが評価する場面もつくってほしいと思います。子どもは間違えて恥をかきたくないので、正解を求めてばかりではどうしても発言に消極的になります。一問一答的なことを問いかけるのではなく、互いに聞き合うことで深まる、解決するような課題を設定することが大切になります。何に困っているかを問いかけて、わからないことに価値があることを伝えることが必要です。まずは、先生がどのようなことに価値があるかを教えることから始め、その上で、子ども同士が認め合う場面をつくっていくようにしてほしいと思います。正解したことを評価するのではなく、進歩したことを評価する姿勢を忘れないこともお願いしました。

今年度もこの学校で授業アドバイスをさせていただくことになりました。ずいぶん長期になりましたが、先生方の前向きな姿勢や授業に対する工夫を見せていただくおかげで、いつも新鮮な気持ちで授業を見ることができます。今年度も多くのことを学ばせていただけると楽しみにしています。

先生が互いに学び合っていることがわかる社会科の授業

昨年度最後の中学校への訪問のことです。先生方への授業アドバイスと、現職教育のまとめの時間に次年度へ向けての課題と方策についてお話をさせていただきました。

この日は社会科の授業をたくさん見せていただきました。

3年生の1つ目の社会科の授業は文化についての復習の場面でした。
資料のプリントを配って課題の説明をします。子どもたちは資料をもらってテンションが上がります。「あっ、これは何々だ」と自分の知っているものを見つけてうれしくなったのかもしれません。子どもの学習意欲の表れとも言えるのですが、ちょっと説明に集中するまで時間がかかりました。拡大コピーも準備してあったので、プリントを配る前にこれを使って説明した方がよかったかもしれません。
プリントには各時代の文化に関する資料がたくさん印刷されています。それがどのようなことを示しているのかを調べるのが課題です。文化の変遷を考えさせようというねらいでしょう。
子どもたちは、それが「○○時代の○○の絵」「○○文化を代表する建物」というように何の資料かを確認していきます。しかし、それ以上深く考えようとせずに、次の資料に向かいます。ちょっともったいないように思いました。
子どもたちに答を発表させますが、友だちの発表を聞いていない子どももいます。授業者はそれに気づいて、「聞いてあげなきゃ」と声をかけます。友だちの発言を聞くことを意識出ているのはとてもよいことです。ただ、「あげなきゃ」という言い方は「してあげる」というニュアンスを感じます。「聞こうよ」でよかったと思います。
発表した答がそれでよいかどうかを授業者が判断しますが、その資料に関連したことについてはそれ以上問いかけません。このことを含めて一連の流れが一問一答形式のクイズに近くなっています。
課題を、資料に示されているような文化が起こってきた背景を考えるようにしても面白かったと思います。「人物」「政治」「経済」といった視点や、「天皇」「貴族」「武士」「僧侶」「商人」「大衆」といった誰が文化の担い手(パトロン)なのかという視点で整理させると、文化の側面から歴史全体の流れを感じることができたと思います。
授業者は前向きに授業改善に努めている方です。この1年で授業観もずいぶん変わりました。この学校に赴任してきてカルチャーショックを受けたようですが、大きく成長されたと思います。今年度の授業がどのようなものになるのか、とても楽しみです。

3年生の2つ目の社会科の授業は、テロについて考える授業です。こういった、今そこにある問題について考えることができるのが社会科の魅力です。
過去の戦争の写真を見せて、これが何戦争かを確認します。9.11の写真を見せ、これがテロであることを押さえます。子どもたちはとても興味を持って見ています。
この日の課題は、「新しい戦争の特徴は何か?」ですが、戦争とテロという言葉の違いが子どもにきちんと理解されていません。そもそも「テロ」を単純に「戦争」といっていいのかも疑問ですし、「新しい」というからには、過去と比較することも大切です。この課題に取り組む前に、過去の戦争はどういうものだったのかをまとめておくことも必要だったと思います。子どもにとって課題が今一つ明確でなかったために、グループでの話し合いは方向性のない雑談のようになっていました。
「戦争は何を解決する手段だったのか?」「戦争に勝つことで得られるものは何だったのか?」という視点で子どもたち話し合わせた後、戦争をテロに置き換えて考えさせるといった展開もあったと思います。
題材や流れを工夫しようとしています。何を考えさせたいかもかなりはっきりしていると思います。同じことをさせようとしても、課題の伝え方、与え方で子どもたちの動きは大きく変わってきます。そこのところを意識するとよいと思います。

3年の3つ目の授業も、同じくテロについて考える問題でした。
池上彰の文章を読ませて、テロについて考えさせます。この文章では、テロが増加した原因について、イラク戦争によってフセインの支配が終了したことを挙げています。フセインがいろいろな宗教勢力や部族を力で押さえていたから、それまでテロも起こらなかったという話です。子どもたちに全くない視点を与えることで、考えの幅を広げるというのは、新鮮でした。子どもたちなりに、テロが起きる理由を考えさせるきっかけとして有効だと思いました。戦闘場面とテロの場面を比較することで、戦争は戦場という非日常の場所で起こるが、テロは私たちの日常生活の場で起こることに注目させます。難しい定義ではなく、子どもたちとって直感的に理解できることで、明確に違いを意識させるのは見事だと思います。
子どもたちから、テロにおける対立を「どっちもどっち」だという意見が出てきます。授業者は双方の立場や主張をそれぞれ納得できるかを問いかけます。ここをどのように扱うべきか、授業を見せていただきながら考えてしまいました。子どもたちは何が対立の原因となっているかをしっかり理解できているのか疑問だったからです。授業を途中からしか見ていませんので、何とも言えないのですが、子どもたちの様子からはどうもわかっているようには見えないのです。このことについて時間をとるという発想もあるのですが、所詮わずかな時間で理解することは不可能です。授業者はここに時間をとるのではなく「テロをどうやってなくす?」という課題に時間をとることを選びました。
この課題には当然正解などありません。子どもたちからすごい答がでてくることを期待しているわけではありません。「この問題を自分たちの問題としてこれからも考え続けてほしいし、考えなければならない。そのきっかけになればよい」と考えているのだと思います。「友だちの多様な考えに触れて、より深く考えようとする」「テロに関連するニュースを目にしたら、興味を持ってくれる」、そんな子どもたちの姿を願っているのだと思います。
授業者の子どもの成長への思いが感じられる授業でした。

2年生の社会は、明治後期から大正時代の日本の社会の変化をとらえる授業でした。
資本主義が浸透し、軽工業から重工業に経済がシフトしていきます。農村の変化などいくつかのテーマに分かれて子どもたちが調べ学習をしていました。そこでまとめたことを自分のグループに戻り、聞き合うジグソー型の学習でした。
子どもたちのテンションが高いことが気になります。作業はしているのですが、あまり考えているようには見えません。友だちのまとめを聞いていますが、事実が話されるだけで、なぜそうなったかという原因や理由については触れられていません。そのことを考えることに時間を使いたかったところです。
「軽工業から重工業へ移った」とまとめても、その理由はわかりません。発展を支えたのが重工業と説明しても、それは結果です。資本主義が広がって、農村に小作人ができると言われても、なぜそうなるのか子どもたちは理解できたでしょうか?
資本主義を考える上で、産業革命によって社会がどのように変化したかを押さえておくとよかったと思います。大量に物を作ることができるようになりましたが、そのためには工場や設備のためにより多くの資本が必要となります。また、そこで働く労働者も必要です。大量に作られたものを消費してもらわないと物が余って不況になってしまいます。こういったことがわかっていないと、社会の変化をみる視点が定まりません。
「子どもたちに何を考えさせたいのか」「どのような課題であれば子どもたちは考えるのか」「考えるために必要な知識や資料は何か」「知識や資料は与えるのか、調べさせるのか」といったことを考えておく必要があります。
子どもたちは安心して授業に参加できるようになっていますので、こういったことを意識するとグンと授業がよくなると思います。

1年生の社会の授業はあまり時間をかけてみることができませんでした。
勘合貿易についての場面でしたが、授業者が説明しすぎているように思いました。若手ですが、教材研究をしっかりして工夫した授業をしています。まとめとして説明していることを子どもたち言わせることができるとよいと思います。これからどのように進歩していくか楽しみな先生の一人です。

教科書を説明して用語を覚えさせるような古いタイプの授業は一つもありません。この学校の社会の先生方が互いに学び合って授業の質を向上させているのがよくわかった一日でした。

この続きは次回の日記で。

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午後の部)(その2)

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午後の部)(その1)」の続きです。

2つ目の模擬授業は、豊田市立小清水小学校長の和田裕枝先生の道徳です。最初に子ども役全員と握手をします。その後で「これでみなさんと友だちになった気がします」と伝えます。この時子ども役のみなさんはうなずきましたが、一人だけ反応しません。和田先生はすかさずその子ども役に声をかけます。さすがです。子どもたちをよく見ているだけでなく、一人もこぼさずに対応するという姿勢を伝えます。この「友だち」という言葉は、この日の授業の内容につながるキーワードです。思わず、「上手い!」と声に出してしまいました。

資料を範読しますが、子ども役には資料を渡しません。顔を上げさせて、聞くことに集中させたいからです。題名を読む代わりに、「困った子の話を今から読みます。主人公の気持ちになって聞いて」とどんな話か子ども役に見通しを持たせておきます。和田先生は手元の原稿に目を落としながら読みますが、すぐに顔を上げて子ども役を見ます。子どもから目を離しません。常に子どもを見ようとする姿勢はぶれません。資料の中にフリーマーケットという言葉が出てきます。子ども役に知っているか確認しました。知らない言葉があるとそこで引っかかって先へ進めなくなる子どもがいます。ちょっと難しい言葉があれば出てきたその場で確認することは、道徳の読み物資料では大切になります。

話の内容は、みんなでフリーマーケットに行くことになったが、仲間外れになっている子どもを誘うかどうかで主人公が悩むものです。資料を読みながらポイントとなるところで止めます。「もやもやしたままだった」という気持ちを子ども役に想像させます。「何かと何かが戦っている気がした」という言葉がでてきます。ここで、主語の私が誰か混乱した子ども役がいました。いったん止めて確認し、「よく言ってくれました」とほめます。「わからない」と口に出すことはなかなかできないものです。ここでほめることで、子どもたちは安心して口にすることができるようになります。続いてその時の主人公の表情をかいた絵を「こんな顔をしています」と貼ります。面白い絵の使い方です。言葉ではうまく理解できなかった子どもでも絵から気持ちを想像できることもあります。うまい方法です。「さそいたくない」という発言を「いい言葉だね」と認めます。どんな発言もしっかりと受容してくれるので、発言しやすくなります。特に道徳では、子どもが自分の考えや思いを飾らずに発言してくれることが大切になります。和田先生は、子どもの発言を受容するだけでなく、価値付けもしっかりと行います。「原稿ないのに、よく聞いていたね。メモしてたもんね」とメモをしながら聞いていた子ども役の発言を受けて評価します。
「戦うとはどういうこと?」と焦点化していきます。「ぶつかりあうこと」「迷っている」「困っていること」とテンポよく次々に発言させ、考えを広げていきます。その上で全員に書かせます。「えらいな、もう鉛筆持っている」と素早く行動した子どもをほめて、よい行動を学級全体に広げようとします。「大体2分で書いてくれるといいなあ」と時間を指示します。「いいなあ」という文末の表現がなかなかです。「書きなさい」という命令ではなく、「実行すると『いい』と評価されるよ」というポジティブなメッセージを送っています。ちょっとした言葉づかいにも和田先生の授業観が見えてきます。
机間指導しながら、「理由を書こうと思っているんだね」と大きめの声でほめています。単に「こういうこと」だけでなく、「○○だから」という理由も書けるとよいことを、オープンカンニングで他の子ども役に知らせます。

鉛筆を置いて、全体での話し合いに入ります。動きの遅い子ども役に、「もう書き終ったんだね。鉛筆を置いたからね」と声を掛けます。ちゃんと見ているよというメッセージを伝えるとともに、次の行動を促します。
子ども役の手が一斉に挙がりますが全員ではありません。3人ほど手が挙がっていないのですが、これだけ手が挙がっているとつい指名したくなります。しかし、和田先生は指名を少し待ちます。ほぼ「全員」と思うのか、「あと3人」と思うのかで授業は大きく変わってきます。和田先生は全員参加を願っているので、あと3人の参加を待ちます。すぐに2人が追加で手を挙げます。そして、最後の1人の手が挙がったのを見届けて、挙手指名ではなく「全員に聞くよ」と順番に聞き始めました。子どもの状況によって進め方を変えます。

子どもの発言を受けて、「してあげたい」か「した方がいい」かと、自分の気持ちなのか道徳的な判断なのかを焦点化していきます。端的な言葉で焦点化するうまい返しです。「本当の気持ちは誘ってあげたいけど……」と返ってきます。ここでまとめようとせずに、次の子ども役を指名します。「男の子なので女の子の気持ちは難しい」という答えが返ってきます。子ども役はなかなかの役者です。和田先生は「別の言葉で……」と前の発言とつなぐことで言葉を出させようとしますが、「えー、出てこない」と反応します。ここで、「見つかったら教えてください」と次に移りました。一人の子どもにかかわりすぎても授業がだれてしまいます。あとでこの子どもを活かす場面をつくることにして、先に進んだのです。こういった瞬時の判断が見事です。

「どうして『けど』がつくんですか?」と「けど」にこだわることで、より深く気持ちを考えさせます。十分深めたところで、この資料の題名を提示します。「思い切って」と板書の手を止めて、「どんな題名?」と問いかけます。なるほど、この展開だから題名を読まなかったのかと納得しました。「やってみる」と声が返ってきます。ここから「言ってみる」という言葉につなぎ、子ども役の手を止めさせて一緒に読ませます。「思い切って言ったらどうなるの?」と迫ることで、子ども役が課題に入っていきます。仲間はずれにされている子どもが主人公に話しかけてきた絵を指さして考えさせます。主人公がまだ思い切って言っていない場面で一旦止めることで、子ども役がさらにぐっと入り込んでいきます。
「○○ちゃん(仲間外れを主導している子ども)に聞いてみる」と考えることからちょっと逃げている発表をする子ども役に対しては、「○○ちゃんにどう聞くか考えてね?」と正面から向き合わざる得ない質問を返します。こういったとっさの切り返しはなかなかまねができません。次々に指名していくと、「○○ちゃんに聞いてみて」「○○ちゃん、一緒に行っていいよね」「一緒に行こうよ」とだんだん自分の気持ちが強く出る言葉に変わっていきます。「〜けど?」「〜けど?」と聞き返すことで、「こわいけど」と言う言葉を引き出します。「せっかくだからみんなで……」という言葉が出てくると、「せっかくだから」という言葉をクローズアップして評価します。

「何を○○ちゃんに考えてほしい」ともう1回考えさせます。ここでも、「〜けど」という言葉が出てきます。和田先生が意図的に使った言葉です。状況に流されてしまいやすい時に、踏みとどまり思い切って行動してほしい。そのためのキーワードが「〜けど」になっていたのです。長々とした言葉で説明するのではなく、端的な言葉でねらいに近づける、達成する授業構成は見事でした。
最後に、仲間外れにされていた子どもの頭の中はどうなったかを絵で見せることで、思い切って行動した結果が素敵なものであったことを示して終わりました。

授業検討は岩倉市立岩倉中学校長の野木森広先生のコーディネートで進みます。このセクションでは、参観者が「よい」「疑問」と思ったところで携帯端末のそれぞれのボタンを押すとそれが記録され、どの場面で押されたかをグラフ化して見せてくれる「授業検討ツール」を使って行いました。昨年度のフォーラムで発表したものです。参観者の反応をグラフから読み取り、議論する場面を焦点化するツールです。場面を指定すると瞬時にその場面が映し出されます。
慣れていない方がこの端末を持って授業を見ると、途中から授業に見入ってボタンが押されなくなる傾向があります。ところが今回は、非常に多くの場面でたくさんボタンが押されていました。参観者が研究会の会員なので慣れていることもありますが、和田先生の授業にそれだけ見るべき場面が多かったということだと思います。どこを話題にするのか、あまりにグラフの山が多いので野木森先生もちょっと困った様子でした。グラフを見ながら話し合う場面を選びますが、おそらく野木森先生が授業の流れの中で話し合うとよいと思った場面を意図的に選んでいるのだと思いました。再生された場面を確認して意見を聞き合います。あらためて授業を映像で振り返ったあとで意見を聞くので、会場の参加者も納得度が高かったと思います。こういったツールで場面を共有して話を聞き合うよさを感じていただけたと思います。
検討会は、皆さんの意見と合わせて野木森先生が和田先生の意図を確認する場面がたくさんありました。おかげで、和田先生の一つひとつの行動の意図がよくわかりました。とても学びの多い検討会でした。

最後に午後の部のまとめを、コーディネーターと授業者に、津市の初任者指導員をしている元校長の中林則孝先生、大府市立南中学校の近藤肖匡先生そして私を加え、野木森先生の司会で行いました。若手が増える中、学校での授業検討はどうあるべきかと、「授業アドバイスツール」や「授業検討ツール」などを活用することで、どう授業検討が活性化できるかについて話しました。これらのツールについては、今後も研究会でブラッシュアップし、具体的な授業検討法と共に、普及させていきたいと考えています。

来年度の愛される学校づくりフォーラムは2月に研究会の地元である愛知県で行う予定です。詳細が決まりましたら、また案内させていただきたいと思います。

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午後の部)(その1)

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その4)」の続きです。

午後の部は2つの模擬授業と授業検討です。最初に会長の小牧市立岩崎中学校長(当時)の石川学先生からの趣旨説明が行われました。愛される学校づくり研究会でこの数年間、授業検討法の研究に取り組んできました。若い先生も増え、校内での授業研究の重要性が高まっていますが、なかなか活性化しないということが現実です。それを何とかするために授業検討のやり方を工夫しようというわけです。その成果として、研究会で考えられた授業検討法とそれを活かすために企業会員と共同で試作されたICTを活用したツールの紹介がされました。

1つ目は、授業と学び研究所フェローの神戸和敏先生による小学校算数の発展的な学習の模擬授業です。このセクションでは、ベテランの先生が若手に授業アドバイスをする形での授業検討を想定しています。アドバイザー役に新城市立作手小学校長(当時)の小西祥二先生、若手役に岐阜聖徳大学教育学部の玉置ゼミの学生をお願いしました。
模擬授業は、トイレットペーパーを見せて何を考えるか、子ども役に疑問を問いかけるところから始まります。何を答えてもいいし、何を答えていいかわからない問いです。神戸先生は子ども役からでてくる、どんな発言もしっかりと受容します。どんな答も受容されること、何を答えても安心であることを伝える場面になっています。子ども役からでてきた厚みという言葉が何を意味しているか、「厚みとは何だと思いますか?」と他の子ども役に問いかけます。「何回使えるか」という答に、「1回しか使わない」とぼけて見せます。より詳しく伝えようとさせるための返しです。他の子ども役が、「何回分のトイレになる」と足してくれます。「そういうことか?」と聞き返し、「今の(説明)なら大丈夫?」と全体に確認します。神戸先生は自分が説明するのではなく、子ども役の言葉を重ね、それでよいかの判断も子ども役にさせます。子ども役の「厚み」という言葉から、「何回(使える)」⇒「何巻」として、これを課題として考えることにしました。子ども役から出てきた言葉から課題が導き出されます。子どもが自ら課題を見つけだすということはそれほど簡単ではありません。こういった子どもとのキャッチボールは、子どもに疑問を持たせて課題につなげる方法の一つです。

トイレットペーパーの外径、内径、全体の厚さ、長さ、シングルといった情報を与えて考えさせます。子ども役は、大人なので知識がじゃまをするのかもしれません。だんだん半径が大きくなるからと、手詰まりです。どこで困っているかを共有して、相談させます。
子ども役から、「トイレットペーパーの外径と内径の平均で考える」というアイデアがでてきます。それを受けてすぐに説明したりはしません。子ども役の反応を見ます。今の説明を聞いて納得したかを他の子ども役に確認すると、「本当に平均で計算していいのか不安」という声が返ってきました。「どこに疑問を感じていましたか?」と他の子どもにも確認し、「平均でなぜいいの?」と問いかけます。それに対して、「2巻だとわかりやすくなる」という意見が出てきます。ここで、「どういう風にわかりやすいのかな」と返します。こういった切り返しで考えが明確になり、全体で共有しやすくなります。「実際に確かめたらいい」と確認の方法が返ってきます。このように、すべて子ども役の言葉やアイデアで授業は進んでいきました。こうして、1巻の長さを、内径と外径の平均を半径とする円周の長さと考えて、トイレットペーパーの全体の長さをその長さで割ることで何巻か出せそうだということになりました。
最後に、日常ちょっとしたことに疑問を持つことの大切さやそこに算数が活かされることを話され、「あれっと思える人生」になるといいと締めくくられました。実はこの授業は、神戸先生が現役の校長時代に6年生への最後の授業として行われたものだったのです。

この授業の検討は、「授業アドバイスツール」を使って行われました。このツールは授業をタブレットや携帯端末で録画し、アドバイザーが気になったシーンで画面をタッチするとその時の静止画と時間情報が記録され、後からそのシーンを簡単に呼び出して動画を再生することができるというものです。
小西先生は実際のアドバイスを意識して、まず神戸先生の授業から学んだことを若手役の学生に問いかけます。とにかく驚いたのが、学生のコメントがとても的確だったことです。

・情報の一部を隠すことで何だろうと興味を持たせていた。
・大切なことを子どもに言わせる。「同じ」といってもその同じをもう一度言わせる。
・子どもの発言内容の補足を、発言者ではなく、あえて他の子どもに問いかけて子ども同士をつなぐ。
・挙手ではなく、表情を見て意図的に指名している。
・全体での意見交換で行き詰ったところで、まわりと意見交換するように戻した。

といったことが続きと出てきます。まさに、「びっくりぽん!」です。私のまわりの先生方も、自分の学校の若手教員でもここまでは気づけないだろうと感心しきりでした。指導教官の玉置先生はさぞ鼻が高くなったことでしょう。
小西先生もアドバイスがしづらかったでしょうが、そこは見事につないでいきます。学生が指摘した場面だけでなく、小西先生がチェックした場面を再生して見せて、そこで何が起こっているかを一緒に検討していきます。「授業アドバイスツール」のよさが伝わる場面ですが、どうにも学生のコメントのインパクトの方が強かったように感じてしまいました。
今回、開発企業がこの授業アドバイスツールを希望者に貸し出すという案内をしたところ、想像以上にたくさんの方に興味を持っていただけました。たとえメモしていたとしても、授業後その授業場面を的確に説明することは難しいものです。その場面を瞬時に呼び出して授業者と共有することができる「授業アドバイスツール」には、やはりそれだけの魅力があったということです。開発にかかわらせていただいた私たちにとってもうれしいことです。

この続きは、「愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午後の部)(その2)」で。

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その4)

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その3)」の続きです。

第4のテーマは「授業における『真のICT活用』とは」です。国際大学(CLOCOM)の豊福晋平先生が提案者です。
日本における学習者のICT活用は、国際的に見ても低い水準にあります。モデル先進校での1人1台のタブレット環境での活用が報じられても、学校現場では明るいこととしてとらえられていません。「先生方、しんどくありません?」と豊福先生は問いかけられます。いわゆる「授業ICTの不都合な真実」として、次のようなことを挙げられます。

・教師の負荷の大きさ
・指導力を高めないと使えない
・教育効果が上がるのか

その上で、「先生方はやるべきことはやっているのでしょうか?」と迫ります。今行われている学習者が受け身の短時間、単純操作のICT活用では本当に効果があるのか疑問です。一斉指導型のICT活用は非効率ではないでしょうか。
今私たちの日常では、旧来のメディアがデジタルで統合されることで扱うことのできる情報量が格段に増え、情報がデジタル中心になっていくというデジタルシフトが進んでいます。しかし、一斉指導の授業を行なっていても、子どもたちのデジタルシフトは起こりません。次のような活用することで、デジタルシフトを子どもたちの学びに活かすことができるはずです。

・学習者中心
・自己調整と協働
・ピンポイントから学習者の日常へ

子どもたちが授業者の指示に従って教具的に使うのではなく、自分たちの道具として使いたい場面で自由に使うというように、「教具から文具へ」とICTを変える必要があるのです。
さらに、この先、学校が子どもたちの多様な学びの一つとなってもよいのではないかと締めくくられました。

この「教具から文具へ」という話題は、研究会でも何度も議論されていますが、なかなか結論の出ることではありません。
ここからの進め方が、コーディネータの玉置先生らしいところです。登壇者と豊福先生の考えの隔たりを見える化します。豊福先生を舞台の上手に立たせ、考えの隔たり登壇者に立つ位置で表わしてもらいます。舞台の下手には小中学校の先生が固まります。豊福先生のそばには、一般企業に勤める方や大学の先生が集まります。中には、豊福先生のさらに右側に立って、より過激な考えであることを示される方もいます。
先生方は、「いきなりそこに行くことは現実的にできない」と主張します。「1人1台のタブレットやBYOD(Bring Your Own Device)といった環境はまだまだこれからである」「現場は学習指導要領に基づいて授業をする。子どもたちに教えるべきことが決められている中で、豊福先生のおっしゃるような授業を組みこむことは難しい」「たとえ『教具』であっても、子どもたちに学力をつけるのに有効な手段であるならば積極的に活用すべきだ」といった考えです。一方、「子どもたちはすでにICTを自在に使うことができるようになっている。その力を前提にした学び方、問題を解決する力を身につけなければ、これからの時代を生きていくことはできない。学校がその力をつける場であるべきだ」といった意見も出てきます。

どちらの主張も説得力があり正しいように見えるのに、これだけ立ち位置に隔たりがあるのはなぜでしょう。観客の皆さんはどのように感じられたのでしょうか。私は、先生方は豊福先生の考えることを決して否定していないと思います。豊福先生の示すような授業をできればしたいと思っているはずです。しかし、今の時点ではとても難しいのです。橋のない川の向こうからこちら側においでと言われているようなものです。泳いで渡るには流れが急すぎます。向こう側に行くには橋が必要です。しかし、橋を架けろと言われても、先生方にはその技術も時間もありません。泳ぎに自身のある方が力任せに泳いで渡ろうとしても、普通の方はついてはいけません。みんなが渡れるように誰かが橋を架ける必要があるのです。
「教具から文具へ」の移行の道筋が示されていないのが、この隔たりの原因だと思います。目指すべき姿を実現するための環境整備やそのための予算、指導要領の改訂といった行政側の施策も必要になります。教育行政を動かせる立場にない者での議論の限界なのかもしれません。この議論は、「『教具から文具へ』を実現させるためには、行政が何をすべきか」「それを実行させるために私たちはどのような働きかけをすべきか」といったところへ行き着くのかもしれません。この討論会を聞きながらこんなことを考えました。

午前中は4つのテーマをもとに議論する公開討論会でしたが、冒頭に玉置先生が話されたように、モヤモヤしたものが残るもスッキリしないものだったかもしれません。これをきっかけに、そのモヤモヤについて皆さんにも考え続けていただけたらと思います。私も、折に触れこの公開討論会を思い出しては、このモヤモヤと向き合うことになると思います。

午後の部は、「楽しく、手軽に授業改善しよう」というテーマで、2つの模擬授業と「授業アドバイスツール」「授業検討ツール」を活用した検討会です。これについては、「愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午後の部)(その1)」で。

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その3)

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その2)」の続きです。

3番目の公開討論会は「『チーム学校』が機能するには」がテーマです。一宮市立今伊勢中学校事務長の風岡治氏が提案者です。立場によって「チーム学校」という言葉のイメージは異なっています。共通の「チーム学校」像をきちんと持つことが必要です。風岡さんからは、中央教育委審議会総会(第104回)「チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について」答申案(平成27年12月21日)の「チームとしての学校」像のイメージ図(答申案の14ページ)をもとに、「チーム学校」とは何かについての説明がされ、その上で、課題が提示されました。

そもそも外部スタッフや地域の方を巻き込むといっても、先生方がチームになっていなければ話になりません。このあたりまえのことが学校にとっては課題として突き付けられます。多様な価値観や経験を持った大人と接したり議論したりするという厚みのある経験が先生方には不足しています。現在検討中の新学習指導要領では子どもたちにこれからの時代を生き抜く資質・能力が求められます。一方、先生方は複雑・多様化した課題の解決を迫られるようになってきました。子どもたちと向き合う時間の確保が必要ですが、日本では”Non-Teaching Stuff”が諸外国と比べて圧倒的に少ないことも課題です。このような課題を解決するために、「チーム学校」を機能させる「マネジメントモデル」の構築が必要になります。
専門スタッフが助けるといった発想ではなく、先生方と協働するチーム作りが求められます。共通の目標を持って互いにかかわりながら動くことが大切です。愛知県では四役(校長、教頭、教務主任、校務主任)という言葉がよく使われていますが、そこに事務(長)が入っていないこともおかしなことです。同じ学校を支えるチームとして事務職員も当然その中に入るべきなのです。中央教育審議会の答申では学校内(専門スタッフも含む)を中心とした「チーム学校」が言われていますが、文部科学省は地域も含めた「チーム学校」を意識しているようです。いずれにしても共通の目標に向かって学校にかかわる人たちが「パートナーシップ」をキーワードに、平等な立場で協働することが大切になります。

このような提案を受けて討論が始まります。登壇した会員の中には保護者もいます。先生とは違った立場からの意見は、なかなか厳しいものです。会社はチームになっていなければつぶれてしまう。チームになっていなければ話にならないのです。学校は外部をもっと頼ったらいい。先生方の負担を軽減させたいと思っている方はたくさんいるのです。この意見には、厳しいけれど、学校を応援しようという温かい気持ちが感じられます。こういった地域の方の力をうまく取り込むことができれば学校にとってとても大きな助けになるはずです。
「チーム学校」は決して新しいことではないという意見もありました。これまでも、教頭が地域とのパイプ役として、地域の力を学校に取り込んできています。そういった実践はたくさんあるはずです。しかし、私にはこういった例は、「担当の先生と地域」「学校という大きな塊と外部」の協力といった関係に見えます。「チーム学校」が目指すのは、学校を構成している職員や専門スタッフ、そして地域などの外部の方々、その一人ひとりがチームの一員として同じ目標に向かって協働することだと思います。互いの顔が見える関係であってほしいのです。以前地域の協力者の方が、学校で先生とすれ違っても形式的な挨拶しかされないことを嘆いておられたのを思い出します。子どもたちを育てる仲間として認知されていなかったのです。

フォーラムに参加された方には、「チーム学校」が機能するために大切なことは何かを考えるよいきっかけになったと思います。今回のフォーラムには若い先生や学生もたくさん参加いただいています。「チーム学校」は管理職が考えることで自分とはあまり関係がない、そう思っていたかもしれません。しかし、今回の討論会を通じて、決してそうではなく、学校を支えるチームの一員として考えるべきことはたくさんあることに気づいてくれたと思います。もちろん私にとっても学びの多いものでした。

最後の公開討論会は、「愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その4)」で。

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その2)

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その1)」の続きです。

公開研究会の2番目のテーマは「若手教師の力量を高めるには」でせす。愛知県教育員会義務教育課の山田貞二先生が校長時代の経験を元に提案しました。

大量の新人が学校現場に入ってくることはピンチと言われるが、「ピンチをチャンス」に変える発想が大切です。とはいえ、新人を教える側の教師が絶対的に不足しています。若手を直接教える機会をつくることも難しくなっています。時間がなければ通常の業務の中で学びあわせるしかありません。教える人がいなければつくってしまえばいい。山田先生は若手に道徳推進教師、特別活動主任などの役割を与え、YML(Young Middle Leader)と命名しました。教えて育てるというのではなく一緒に学ぶという姿勢で、管理職や教務主任、校務主任はスーパーバイザーとして後方支援に徹します。現職教育の企画・運営を経験させたり、研修に連れていったりと小刻みに学校目標の凡事徹底を伝えていきました。若手のオフサイトミーティング(つまり懇親会)も企画します(時には婚活パーティーも!)。若手が集まるとその中から自然にリーダーとなる人が出てきます。そのような機会をつくること、そしてリーダーとして伸ばしていく仕掛けが大切なのです。初任者の研修でYMLが一緒に授業をつくったりと、後輩を育てようという意識が芽生えてきました。
この「若手は若手の中で育つ」という考えですが、教頭や教務主任、校務主任に言っても必ずしも上手く伝わるわけでありません。現実には校長のトップダウンも必要だったということです。若い人に任せることには不安もあります。「好きなことをやっていいよ」ではなく、目指す目標を明確にしておくことが必要になります。

こういった提案を受けて、会員からいろいろな取り組みや悩みが語られました。
若手を育てることは、どの学校にとって大きな課題です。大変だという声ばかりが聞こえてくる学校もあります。教育委員会の研修体制への不満を口にする方もいらっしゃいます。しかし、この状況を嘆いいても先には進みません。登壇した会員はそれぞれの学校事情に合わせて色々な工夫をされています。ある学校の取り組みがそのまま自校に使えるわけではありません。だからこそ、自分の学校でできない理由を考えるのか、取り入れられることを探すのかといった姿勢の違いが明暗を分けるのです。このフォーラムにわざわざ参加されるような方たちは、後者に違いありません。参考になることがたくさんあったのではないかと思います。

最後に玉置先生に、「使命感だけでやれることとは思えない」と水を向けられ、「楽しいから。自分が新しいことを知り、人が成長するところを見られるから」と即答した山田先生の笑顔が印象的でした。

この続きは「愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その3)」で。

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その1)

2月に開催された「愛される学校づくりフォーラム2016 in東京」の午前の部は、昨年と同じく日ごろの愛される学校づくり研究会の公開研究会の形で行われました。
岐阜聖徳学園大学教授の玉置崇先生のコーディネートで進んでいきます。玉置先生は、最初に「この協議を聞いて会場の皆さんは、スッキリしない、ストレスが溜まると思います」と会場に伝えます。一つの結論にたどり着くことをしないからです。協議を聞きながら、それぞれが、一緒に考え、悩んでほしいということです。
今回のテーマは4つです。
1つ目は「『授業の見方』を高めるには」ということで、私が提案を行いました。

授業を見る時どうしても授業者を中心に見ることが多いのですが、本当にそれでよいのでしょうか?授業で一番大切なのは子どもがどのような力をつけたかです。全く同じ説明をしても、子どもの反応は学級によっても、もちろん一人ひとりも異なります。その子どもたちのありようを見なければ、その授業で何が起こっているのかを知ることはできません。全員参加の授業を目指すのであれば、まず子どもたちが全員参加できているかどうかを知らなければその先に進みません。また、自分が授業者となることを考えれば、子どもたちの姿から情報を得る力が必要です。そのためにも「子どもたちを見る」ことをしてほしいのです。

子どもの姿から学ぶためには、その姿をつくる要因を考えることが大切です。子どもたちのよい姿勢を見て、集中しているからなのか、緊張して固くなっているだけなのかがわからなければ、判断を誤ってしまいます。このことを意識していないと、子どもたちからの隠れたメッセージを読み取ることができないのです。
その子どもたちの姿をつくった要因が、授業者が意図したものなのかどうかが次の視点です。授業者は子どもたちどうあってほしかったのか、そのためにどんな働きかけをしたのか、してきたのかを考えるのです。秋に授業を見ると、授業者が「作業を止めて」というだけで子どもたちがすぐに手を止め、授業者に集中するといった場面に出会います。子どもたちが素晴らしいと言いますが、その姿をつくったのは間違いなく4月からそれまでの授業者の働きかけです。意図したことが達成されてしまうと、それまでの働きかけは必要なくなり、外からは見えなくなります。それがどのようなものなのかを想像することも必要です。
授業者の働きかけの意図の背景にあるものを読み取ることも大切です。例えば、授業者が笑顔で子どもたちを見ながら、よい姿勢になった子どもを名前でほめている場面があります。子どもたちが素早くよい姿勢になった姿を見て、「こうすればいいのだ」と思ってまねをしても上手くいくとは限りません。この授業者は、子どもたちが指示しなくても動けることを意図して、「よい姿勢になって」といった指示をしていません。また普段から子どもたちとの関係を大切にして、思ったように動かないからといって叱らないようにしています。この場面だけをまねしても、他の場面で指示をして、できないと叱っているようでは子どもたちは育ちません。
一方、意図せずに起こっていることであれば、その原因を考えることが必要です。原因を知ることで修正することができます。よい結果が得られているのであれば、そのことを意図的に活用すれば再現が可能になります。

授業を見あうことで多様な視点に出会え、新たな視点で自分の授業を振り返ることで進化します。同じ視点で授業を見あうことで、授業が深化し、学校の授業基盤がそろっていきます。授業を見あうことを大切にしてほしいと思います。

このような提案に対して、なるほどと言って終わらないのが愛される学校づくり研究会です。賛否様々な意見がでてきます。初任者指導を担当している会員からは、「子どもたちの首が授業者の移動に伴って動くがどうかで集中して聞いているかわかる」という私の意見を例に、経験の浅い者はそこまで子どもを見ている余裕はない。まず自分が次に何をするかで精一杯だ。だから、授業者を見て、まず教師が何をすべきかを知ることが大切だと主張されます。また、授業の達人級の会員からは、「子どもの姿をつくるのは授業者だ。だから、両方とも見られるように、教室の真ん中あたりから授業を見る」という意見が出されます。もちろん私の意見に賛同していただける方もいらっしゃいます。それぞれに、納得性のある理由があります。
子どもを見ると言っても、授業者を全く見ないわけではありません。授業者の声もききます。しかし、意図して子どもを見ようとしないとどうしても授業者の一挙手一投足に注意が集中してしまいます。授業者の技術が高ければ、その授業技術に目を奪われます。少経験者の拙い授業であれば、そのまずい点を指摘することに意識が行ってしまいがちです。そうではなく、子どもが授業をつくる上での一番の要素であることを意識してほしいのです。
授業者のレベルが上がれば上がるほど、子どもの反応によって次の授業者の行動は変わります。子どもが常にトリガーとなって授業は動いていくのです。その子どもの様子を見落としてしまうと、授業者の行動の意図が見えなくなり、その場面から学ぶことができなくなるのです。

玉置先生は、対立する意見を上手く引き出しながら議論を深めていきます。会場の方々も、それぞれの立場で議論に参加しようとされていたのではないでしょうか。結論を出すことはされませんでしたが、私としては、子どもを見ることを意識する方が少しでも増えればうれしく思います。

この続きは「愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その2)」で。

子どもの発言を活かすことを考えてほしい

昨日の日記の続きです。

初任者の2年生の国語の授業は、小説の場面ごとの要約でした。
子どもの発言を大事にしていないのが気になります。絶句で学習した「起承転結」を子どもたち問いかけますが、4人しか挙手しません。にもかかわらずすぐに指名します。この時、子どもたちは発表者を見ていません。「起承転結」という言葉が出てくると、その説明は授業者が行います。子どもたちは何も考えなくても、ただじっとしていれば授業は進んでいきます。何のために問いかけ、発表させたのかわかりません。
この小説が「起承転結」の形になっていることを授業者が説明します。せめて、この小説が「起承転結」の形になっているかどうかを問いかけて、子どもたちに構成がどうなっているのかを考えさせたいところです。また、多くの文章が「起承転結」の形になっている理由について考える場面もありません。ただ、結論だけが語られる授業になっています。

この話が、何日間のことかを問いかけます。3日間に数人が挙手し、大多数は4日間でした。これを受けてすぐに授業者は「4日間です」と結論づけます。それほど大切な要素ではないかもしれませんが、問いかけた以上せめて根拠を確認して、3日間と言った子どもに納得させてから結論づけたいところです。「1日目はどんなことがあった日?」「2日目は?」と全体で確認することで、場面構成を考える足場をつくるといったやり方もあったと思います。
場面を分ける視点を、授業者が「時間」「気持ち」と説明して板書します。これでは学校での学習は、一問一答の試験問題を解くためのマニュアルを覚えることになってしまいます。子どもの口からこういった言葉を言わせたいところです。
ワークシートを使って場面分けの作業をしますが、多くの子どもの手が動きません。わからなくて困っているというよりも、やらなくても困らないと思っているようです。
指名された友だちが答えても聞いていません。板書を写すことを優先します。ワークシートの答は最終的に必ず授業者が与えてくれるのでそれを写した方が効率的なのです。

基本的に数人の子どもの挙手に対して授業者が指名をし、すぐに説明をするという進め方ですが、近くの人と相談させる場面がありました。よいやり方です。もっと積極的にこういったやり方を取り入れてほしいと思います。が、相談できない子どもが目立ちます。自分の考えを持てていないのか、おかしなことを言って恥をかきたくないと思っているのかはよくわかりません。相談させた後、結局正解は授業者が説明します。これでは、相談する意味がありません。子どもたちが積極的に相談しない理由はここにあるのかもしれません。
場面ごとの要約をしますが、なぜ要約をするのでしょうか。その意味を子どもたちはわかっていません。常に授業者から与えられた問題の答を探すだけです。課題を通じてどんな力をつけたいのかが明確になっていません。そのため子どもたちは自分たちの活動の価値がわからないのです。
グループになって確認をしますが、動きが重たく低調です。自分の考えが書かれていない子ども、友だちの答を聞いていない子どもが目につきます。この活動で自分の答を見つけよう、よりよいものしようと思っていないようです。グループで考えることが楽しくないようにも見えます。課題である要約は、何がポイントか、どのようなものであればよいのかといったが明確でないことも問題です。そのため、よりよいものするための視点がないので、単に答を聞き合うだけで深まっていきません。

子どもたちは、ワークシートの答を欲しがっているだけで、友だちの考えを聞きたいとは思っていません。発言を聞いて考えを深める、自分たちで答を見つけるといったことに価値を感じていないのです。
手元のワークシートに答を書いている子どもはたくさんいます。それなのに挙手をして発表しようとする子どもがほとんどいないのはなぜでしょう。その理由を授業者は考える必要があります。
「なるほど」「教えてください」といった受容的な言葉は言える先生です。受容だけでなく、「○○という表現からそう考えたんだ」「○○に注目したんだね」「○○さんの意見を聞いて考えを変えたんだ。人の意見を取り入れて考えを変えることはすごいね」といった、子どもの発言や活動を価値付けする言葉をかけることが大切です。子どもたちの言葉を活かし、子どもの発言で授業をつくることを意識することで、授業はきっとよい方向に変わると思います。

この学校は子どもたちと先生の関係もよく、子どもたちは落ち着いています。次の課題は、子どもたちにどのような力をつけたいのかをしっかりと意識することです。「その力をつけるためにはどのような活動が必要か」「子どもたちがわかる・できるための場面をどこにつくるのか」といったことと合わせて、授業改善に取り組んでいただけたらと思っています。
ありがたいことに、今年度も若手中心に何回か授業アドバイスをさせていただくことになりました。どのような変化を見せていただけるのか、とても楽しみです。

つけたい力とその力をどのようにしてつけるかを意識する

前回の日記の続きです。

1年生の英語の授業者は4年目の先生でした。
英語の授業では聞くことと読むことが同時に行われる場面がよくあります。授業者の読みに続いて子どもたちが本文を見ながら繰り返すのです。読む力というのであれば、聞かずに読めるようになることが目標のはずです。これが中心では読めるようになるというよりも、暗唱に近くなります。読む力をつけるためのスッテプが見えないのです。言葉として理解できていなければ、ただ字面を追って読めるようになるだけで意味がありません。聞く話すが先にきちんとできてから、読む練習をするべきだと思いますが、いかがでしょうか?
授業者は”repeat after CD”で”powerful”に読むように指示します。「大きな声で元気よく」ということでしょうか。ともすると子どもたちは発音よりも声の大きさを優先してしまいます。機械的に大きな声で読む力がついても、初めて見る英文を読めるようにはなりません。言葉としての理解と読むことは不可分のはずです。暗唱するように読めるようになっても、生きた言葉として使う力はつかないのです。

授業者が活動中に子どもたちの様子をあまり見ていないのが気になります。質問に対して、全員がきちんと正しく答えられていない時でも、そのまま進めています。
英語のナレーションの入ったドキュメンタリータッチの映像を子どもたちに見せます。多くの子どもたちは真剣に見入っていますが、中には視線が外れている子どももいました。授業者は子どもたちと一緒にビデオを見ています。このことに気づいていたでしょうか?
ビデオを観た後、”Do you want to swim here?”と質問しますが、子どもたちは反応できません。一生懸命映像を見てもどれだけの子どもがこのナレーションを理解したのでしょうか。そして、理解できるようになるための活動はどこにあったのでしょうか。
聞き取りの場面でも、同様のことが言えます。相談させることをしますが、答を言われても聞けるようにはなりません。どんな言葉があったか、どんな内容だったかを友だちから聞いた後、もう一度聞かせる時間を取らなければ、確認することもできません。

子どもと会話形式のやり取りをする場面でのことです。誘いを断るのに、子どもが”Busy.”と単語で答えました。それに対し授業者は、”I’m busy.”と修正しました。せめて、”You are busy.”と返したいところです。せっかくの会話形式なのに、子どもが言うべき言葉を授業者が言ってしまえば一問一答の答探しになっています。”Oh, you are busy, aren’t you?”(”tag question”は習っていないでしょうが)といった言葉のやり取りをしながら修正させたり、”Is ○○san busy?”と子どもたち問いかけて気づかせたりしたいところです。もちろんストレートに、「省略しないで言って」と修正させてもよいと思います。子どもに考えさせる場面をもっと意識してつくってほしいと思います。
また、子どもの発言や活動を評価する場面が少なかったと思います。自己評価でもよいので、何ができればよいのかという目標の設定と合わせて意識する必要があります。この時目標は、「早く読む」「大きな声で読む」といった英語の本質とズレたものにならないようにしてほしいと思います。

授業者は表情もよく、子どもたちの参加意欲も高いのですが、英語のどのような力をどのようにしてつけるのかが明確になっていないため、子どもたちはただ活動しているだけのように感じました。つけたい力と手段を意識するだけで、授業はぐっとよくなると思います。

この続きは明日の日記で。

作品の制作でつけたい力を考える

昨日の日記の続きです。

2年目の家庭科の先生の授業は2年生の刺繍の実習でした。
前回の続きを始める前に、ポイント等を整理して確認します。子どもたちは先生をしっかりと見て、説明を聞いていました。数人の子どもがうなずいて反応してくれます。他の子どもたちも聞いているとは思いますが、ちゃんと理解できているか確認をしたいところです。「うなずいてくれる子どもをほめて、他の子どもも反応するようにうながす」「子どもを何人か指名して大切だと思ったことを言わせる」「隣同士で確認させる」といったことをするとよいでしょう。

制作を開始するように指示した後、子どもたちが素早く取り掛かります。この活動に意欲的なことが伝わってきます。授業者の話を真剣に聞いていた理由がわかります。
授業者はグループの机ごとに机間指導をします。子どもからの相談に対応しますが、ちょっと個別に深くかかわりすぎのように思います。個人作業ではありますが、子ども同士で聞きあっている姿も見られます。授業者が教えるよりもグループで助け合うようにうながしたいところです。
また、途中でどのようなことを意識・工夫して作業をしているのかを共有する場面を設けるとよいとでしょう。こういった場面で、先ほど相談していた子どもたちに、どのようなことを話していたのかを聞いてみたいものです。

子どもたちは机の上に作品を置いて作業をしています。ところが中に一人、膝の上で作業をしている子どもがいました。単にその方が作業しやすかったのかもしれませんが、少し気になりました。自分の作品を見られたくなかったのかもしれません。少し様子を見る必要があったと思います。「どんな調子?」と声をかけて様子を聞いたり、「素敵だね」と作品を評価したりといった対応を工夫してほしいと思います。

こういった作品の制作では、完成することが活動の目標になってしまうことがよくあります。完成後に互いの作品を評価するにしても、その観点がはっきりしないと、個人の感想で終わってしまいます。どのような作品となればよいのかを明確にしておくことが求められます。また、この観点が明確でないと、グループでのかかわりもしづらくなります。
グループ活動を作品の制作に活かすのに、工房という発想があります。グループを一つの工房として共通のテーマを持ち、自分たちの作品の質を保証するのです。「自然」といったテーマでもいいし、「明るい」「うきうきする」「華やぐ」「落ち着く」といった情緒的なものでもよいでしょう。下絵の段階でお互いの作品をこのテーマに沿って評価し合い、よりよいものにするアドバイスをし合うのです。作品の品質についても、「糸の隙間をなくす」「ステッチの間隔を均等にする」といった基準を自分たちで考え、互いにそうなるように助け合うのです。
この時、「ダメだからやり直せ」といった言葉がでてくるようでは本末転倒です。互いに見合う時間を早めにつくり、上手くいくように声をかけ合い、コツを共有することが大切です。この学校では子ども同士の関係がよさそうなので、こういった取り組みも可能だと思いました。

子どもたちが意欲的に取り組むよい授業でした。次は、この教科の活動を通じて子どもたちにどのような力をつけるのか、そのためにどのようなことを意識するのかといったことをより明確にしてほしいと思います。つけたい力として、教科を越えた生きる力が意識できるようになると素晴らしいと思います。

この続きは次回の日記で。
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