授業は日ごろの積み重ねが大切だと実感する

昨日の日記の続きです。

2つ目の公開授業は、この学校の先生による中学校1年生の文字式の利用の授業でした。
この日の課題は、前時にやった3つの連続する整数の性質を拡張して、偶数個の連続する数の性質を考えるものでした。

授業の開始の挨拶はきちんとするのですが、子どもたちが授業者と目を合わせないのが気になりました。授業中に子どもたちの顔が上がらない場面で授業者が顔を上げるように指示をすることもあるのですが、なかなか全員の顔は上がりません。

前時の復習で、3つの連続する整数の和は真ん中の数の3倍になることを確認した後、「どこが変えられるか?」と問いかけます。問いかけはするのですが、授業者が連続する「3つの偶数」、「5つの整数」「7つの整数」「9つの整数」を調べることにします。なぜこれを選ぶのかの根拠が全くありません。普通、「奇数は?」「6や8は?」と疑問に思うはずだと思いますが、そのような声は出てきません。子どもたちは、教師が課題を提示して自分たちはそれに答えるという、教師主導の進め方に慣れているようでした。

答がどうなるか予想させたあと、説明をペアで「整数が偶数の時」「連続する奇数の個の時」と分担して確認します。分担するという発想は個人的にはどうも好きになりません。同じような説明になってよいので、互いに同じ課題について説明し合う方が、学び合えるように思うからです。
子どもたちが説明する性質が「3つの連続する偶数の和は、6の倍数になる」「5つの連続する整数の和は、真ん中の数の5倍になる」となっていて、その視点が数学的にそろっていないことが気になります。「3つの連続する偶数の和は、真ん中の数の半分の整数の6倍になる」とするのか、「5つの連続する整数の和は、5の倍数になる」とするのが、本来のように思います。「性質とは何を言うのか?」「どういった視点で見るのか?」といったことが意識されていないことが気になります。思考の連続性が感じられないのです。
授業者は「奇数個の時は……」とまとめますが、奇数個か偶数個かでセグメントを分ける理由が明確ではありません。最初に、偶数個も考えてみて、「奇数個なら今までの考えが使えそうだ」「偶数個は真ん中の数がないから、ちょっと違う」といったことを子どもたちから出させたうえで、奇数個と偶数個を区別する必要があったと思います。
この課題で大切にすべき数学的な予想や推論がなく、天下りで教師が課題を示すのはあまりにもったいないと思います。子どもたちが自ら課題を見つける絶好の機会を逃していると思います。

連続する整数が、4個、6個、8個の時、それらの和にどんな決まりがあるか考えることを次の課題にします。ここで言う「決まり」とは何かが気になります。「性質」と「決まり」の違いが明確になっていません。何らかの式を立てることなのか、必ず偶数になるといったことを言うのか、それとも出てきた式を解釈することなのかがはっきりしていないのです。数学は他と比べても特に言葉にこだわる教科だと思うのですが、曖昧なまま授業が進んでいることが残念です。

4個、6個、8個を考えた子ども同士集まって話し合います。何を話し合うのかが今一つよくわかりません。「決まり」という言葉がはっきりしていないので、目標が定まらないのです。数を文字に置いて式を立てた子がいます。どの数を基準にするかは子どもによって違います。真ん中の数の和の2倍といったことを言う子どもいます。これらの考えをどう子ども同士が深めていくのかがこの活動のポイントですが、あまりかかわれていませんでした。友だちの説明を顔を上げて聞かずに手元のワークシートを見ている子どもも目立ちます。互いに聞きあって考えを深めるということが普段からできていないようです。
日ごろの数学的な活動の中で、「帰納的に見つけたものがあれば、それがいつも言えることなのかを説明する」「演繹的に見つけたことに対して、どのように解釈するか、また他の場合に拡張できるのかを考える」といったことを常に求める必要があります。そういった視点が子どもの中に育っていれば、こういった場面で疑問をぶつけたり、相談したりできるようになっていると思います。

4個の場合に見つけた決まりを「真ん中の数の和の2倍」と子どもが発表しました。ここから考えを広めることのできる発言です。しかし、授業者はすぐにこの答を「真ん中の“2つ”の“整数”の2倍」と修正してしまいます。「それってどういうこと?」「真ん中の数って何?」「○○さんの言っていることわかる?納得する?」といったように問い返してほしいところです。子どもの板書を先生が解説します。どうやってこのように考えたのかを子どもに聞くこともしません。結局、子ども同士がかかわり合う場面はありませんでした。一人の子どもの発表をもとに先生が結論づけてしまいます。

「みんながみんなこうじゃないと思いますが……」と奇数個の時と何が違うかを授業者がまとめます。時間が気になるとは思いますが、そのように思うのであれば、他の考えを聞きたいところです。
「奇数個の時と同じ見方ができないか考えてみましょう」と言いますが、子どもたちから出てきた疑問ではありません。常に授業者が課題を提示しているのです。
x−1+x+x+1+x+2という式を発表した子どもがいます。真ん中の数をxとおきたいのにおけないという苦悩が式からにじみ出ています。この苦悩に焦点を当てることで考えを一気に深めることができます。「何をxとおいたの?」「どうしてそうしたの?」と聞くことで、「真ん中の数がない?」という言葉が出てきます。「なぜ、真ん中にこだわったの?」と聞くことで「奇数の時に真ん中の数×個数になったから」という考え出てくるでしょう。本人が上手く言えなければ、「だれか、○○さんの気持ちがわかる人?」と聞けばきっと答えてくれます。「真ん中の数って何だろう?」と切り返すことで、「平均」といった言葉が出てくるかもしれません。平均という言葉が出てくれば、奇数個も偶数個も関係なく、統一的に記述することにつなげることができます。しかし、授業者は式の流れを追うだけでした。授業者が数学的な価値をどのようなものととらえているのか疑問に思いました。
結局授業者は、自分の求める答「最初と最後の数を足して2で割って個数をかける」を書いた子どもを紹介してまとめてしました。これでは、奇数個の場合の「真ん中の数」との関係が見えてきません。ここは、最後まで真ん中の数にこだわりたいところでした。この説明ですべての連続する数の和について言えることとその意味についてはほとんど触れられることはありませんでした。

子どもたちは友だちが説明する場面では聞こうとはするのですが、板書を写すことがどうしても優先されているようです。顔を上げている子どもは半分以下です。また、一部の子どもは自分の世界に入って、ずっとワークシートを見て考え続けています。授業者はそんな子どもたちを見ていません。子どもの説明の後、「わかりましたかー?」と問いかけて、すぐに補足の説明を始めます。
授業全体として、子どもの考えや気づきを共有し、深めていく場面がありませんでした。一見、子どもたちの考えをもとに進めているように見えますが、説明はほとんどが授業者でした。子どもたちは、いろいろと思考はしているのですが、それを取り上げて評価される場面や価値付けされる場面がありません。子どもたちも、授業者の提示する課題を「解く」ことが学習だと思っているようでした。

この授業のねらいを実現するのであれば、例えば、「3つの連続する偶数の和」については、「偶数も整数だから、前にやったことがつかえ、真ん中の数の3倍になることが言える」「偶数という条件が加わることで、何が言えるかな?」と問いかけて、既存の知識を活かして、出てくる式を解釈することを価値付けしていくといったやり方がありそうです。個数を増やすという「拡張」をすると、「3つの時に言えた、『真ん中の数×個数』は成り立つのだろうか?」と問いかけて、「奇数なら言えそうだ」「真ん中の数がないから偶数では言えない」といった言葉を引き出し、「偶数の時は真ん中の数はないの?あるの?」と揺さぶったりしてから、「じゃあ、何が言えて何が言えないのか?ちょっと考えてみてくれる?」と課題を提示して活動させるといったやり方があります。「真ん中の数はある」という子どもが出てくれば、その子どもの考えを活かせばいいですし、出てこないのであれば、「2と3の真ん中の数はある?」と数直線を使って問いかけても面白いでしょう。真ん中の数を使って、(x−1.5)+(x−0.5)+(x+0.5)+(x+1.5)といった式がきっと出てくると思います。整数にならないからダメだという意見が出てくれば、数の拡張の意味について考える機会にもなると思います。

既存の知識を拡張するという発想は面白いと思いますが、だからこそ子どもたちの考えをどう活かし、深め、共有するかを考えて授業を構想する必要があります。教師主導で、教師の求める考えを無理やり引き出す、教える授業になってしまったように思います。また、子どもたちも、互いに考えを聞き合い深めることに慣れていないと感じました。授業は日ごろの積み重ねが大切であることを改めて実感させられました。

この続きは明日の日記で。

研究会で授業の展開について考える

数学の授業づくりの研究会に参加してきました。この日は体育館で3つの授業が公開されました。一般参加者として授業を見るのは久しぶりなので、純粋に授業を見ることを楽しむことができました。

一つ目の授業は中学校1年生の関数の授業でした。小学校の算数の題材で、ヒゴを使って正方形で階段をつくっていくときの段数とまわりの長さの関係を考えるものがあります。その題材を小学校の「ともなって変わる2つの量」という考え方から、「一方が決まれば他方が決まる」という関数関係でとらえなおし、従属変数のふるまいを独立変数との関係で見ることによりその「特徴」を知ることができることを理解させるのがこの授業のねらいでした。

授業者は大学の教授です。子どもの顔が上がっていないのにしゃべる、子どもが理解できているかの確認をせずに進めていくというように、授業技術については気になるところがたくさんあります。小中学校の現場の経験のない方にはどうしても仕方がないことです。また、授業者の問題ではなく、この学校の子どもたちも授業者の顔をあまり見ない傾向があるように感じました。顔は上がっていなくても説明はちゃんと聞けています。優秀な子どもたちなのでしょう。しかし、子どもたちの表情が見えないと理解の程度がわからなかったり、気づきや戸惑いを察知できなかったりします。子どもの反応を大切にする学校であれば、子どもたちは自然に顔を上げるようになっています。このことも少し気になりました。

子どもたちに題材を提示して、「変化する数量をちょっと考えて」と発問します。小学校であれば実際に試してみせたり、自分の手で図をかかせたりといった操作活動必要になりそうですが、さすがに中学生です。すぐに考えることができます。子どもたちから「まわりの長さ」が出てきます。「段の数が変わると?」と授業者は返しますが、子どもはあまり反応しません。授業者が関数関係を意識させようとしていることがわかりますが、子どもたちにとっては唐突だったのかもしれません。子どもから出てきたものを図で確認していきますが、「面積」を「四角の数」と置き換えたり、「段の数」と「高さ」を同じとしたりします。数学では、等価なものに置き換えて考えることは大切なことですが、子どもたちに納得する時間を与えることが必要だと思います。「頂点の数」も出てきたのですが、確認をしませんでした。私は面白いと思ったのですが、その理由がよくわかりません。授業全体が、授業者の都合で進んでいるように感じました。

この中からどの数量に注目して関係を調べるのかを決めるのですが、そこまでで15分以上かかっていました。「段の数が変われば変わる量」ということを意識させたいのかとも思いましたが、特にそのような場面はありませんでした。導入としてはちょっと長すぎると思います。
何を調べるのかを挙手で諮りますが、どれがよいか数学的に根拠があるわけではありません。子どもにとっては調べる必然もなく、この授業のねらいや目標もよくわかっていないので、ただ指示に従って活動しているだけです。「関係がよくわからない」「知りたい」といったこの後の活動やねらいにつながるような条件を足しておきたいところでした。

ここで、1段、2段、・・・に続いて突然x段という言葉が出てきます。調べるということと段の数をx段とおくこと必然性がありません。また、x段とした時点で関数であることを示唆していますが、多分に誘導的です。
「正方形の数」か「ヒゴの数」を選択させて「段の数」との関係を考えさせます。授業者は「作戦」という言葉で、関係をとらえる過程や方法を意識させようとしますが、子どもたちの手の動きは止まりません。
関係という言葉がどうにも明確にならないまま授業が進んでいきます。2つの数量の関係を式にすることがねらいなのであれば、関係を考えることには直接つながりません。それでも子どもたちは、活動しています。「関係を調べる」=「関係の式をつくる」という図式でできているのでしょう。
「どんなことが明らかになったか?」を書くように指示します。途中でまとめの例を出すのですが、どうにも意図がわかりません。視点や方向性を明確にしたいのなら、最初に例を示せばよいと思います。自由に書かせてそれらを価値付けしながら考えていくのであれば、例を示す必要はありません。途中で示すのなら、子どもたちが書いたことをいくつか発表させてカテゴライズしたり価値付けしたりして、視点を増やすといったやり方もあります。どこをねらっているのかよく見えませんでした。

多くの子どもは表から規則を調べていましたが、それだけでは根拠が不足しています。授業者はそのことには積極的に触れていませんでした。「よく見ると式の形が似ている」といった言葉を発しますが、子どもたちがそのように思ったのかどうかはわかりません。主観で話を進めていきます。授業者が説明をしている間も、子どもたちは説明の式をノートに写していました。
考え方によって、式の形が違ってきましたが、最終的には同じものだという確認の場面がなかったことも気になりました。子どもたちは疑問を持たなかったのでしょうか?授業を通じて疑問を持ち、それを解決していくといった形の授業にはなっていませんでした。授業者と子どもたちのつながりが感じられないのが残念でした。

最後に授業者は「関数の考えを使うと特徴がつかめる」とまとめましたが、「関数の考え」とは何だったか、どんな「特徴がつかめた」かは、全くわかりませんでした。

この授業のねらいを達成するのであれば、式を出すことにエネルギーを使うのではなく、式などを使って関係の特徴をたくさん表現させたいところでした。
例えば「段の数」と「正方形の数」の間にどんな関係があるかを問いかける。その関係にどんな特徴があるかを言わせる。その上で関数関係にあることを押さえて、関係をより明確にするにはどうすればいいのか考えさせる。「グラフ」「表」「式」といった言葉を子どもたちから出させた上で、それぞれがどのようになるか、そこから何が言えるかを考えさせる。こんな展開もあるでしょう。
また、特徴を意識させるのに、「正方形を2倍にするには、段の数は2倍くらいいるのかな?ヒゴの数は?」といった課題もあるかもしれません。

「特徴をつかむ」というキーワードを意識した授業展開についていろいろと考えることができました。よい学びのきっかけをいただけた授業でした。

この続きは明日の日記で。

学校への信頼が増す学校評議員会

昨年度末に開かれた中学校の学校評議員会での話です。

学校評議員会では一般に公開していない資料も見ることができます。この学校では、どちらかと言えば伝えたくない、知らせたくない資料や実態も評議委員会で示されます。ここでは詳しくは書くことができませんが、そういったことに対して厳しい質問やご意見が寄せられることもあります。学校側はそれを真摯に受け止め、また学校の考えを丁寧に説明します。どのような要因でこのような状態になっているのかといったことだけでなく、解決のためにどのような手立てをとっているか、取ろうとしているかといった具体的な対策を伝えてくれます。
評議員の中には現役のPTAの方もいらっしゃいます。学校のネガティブな情報を聞くとどうしても不安になってしまいます。しかし、きちんと考えを伝え話し合うことで、学校の取り組みを理解し、バックアップしようという前向きな気持ちに変化していくのがわかります。
学校が包み隠さず話し、苦悩を伝え、その上で前向きに対応している姿を見せれば、必ずまわりは応援してくれます。そのことを実感させてくれました。
ネガティブな情報の提示は、一つ間違えると学校に対する批判が集中する危険があります。そのことを恐れずに提示したということは、私たち評議員を信頼してくれているということでもあります。評議員の皆さんもそのことを感じていたと思います。

同じようなトラブルが起ってもすぐに解決に向かう学校と混乱する学校があります。学校が地域から信頼されているかどうかがその違いを決める大きな要因だと思います。
今回の学校評議員会で提示された情報やそれに関連した質問や意見に対する対応は、間違いなく学校評議員の学校への信頼を増すことにつながったと思います。
学校が地域や保護者の信頼を得るには、まず学校が地域や保護者を信頼してネガティブな情報もきちんと伝えることが大切だと思います。このことを実感させられた会でした

研修の意味を考える

現在、介護関連企業の職員向け冊子を制作しています。介護に関する基礎知識とその企業の介護スタイルが書かれたものです。基礎知識については、専門スタッフに教えていただきながら私が執筆しています。私の専門外のことなのでそれなりに勉強が必要なのですが、これがなかなか面白いのです。いくつになっても新しいことを知ることはワクワクする体験なのですね。
とはいえ、素人の書いた物ですからプロの目でチェックしてもらうことが必要です。そこで3月からの研修は、毎回私の書いたものを皆さんに読んでいただき、意見や感想を聞く場にしました。その上で、その内容に関連して皆さんが日ごろ意識していることや実践していることを互いに話し合っていただき、それをもとに介護スタイルをまとめるのです。

3月、4月は「高齢者の特性」がテーマでした。
「廃用症候群」「脱水症」「低栄養」「認知機能の低下」「高齢者のよくかかる病気」などについて、私の記述をもとに日ごろ意識していることを聞き合って発表してもらいました。
皆さんが日ごろの実務で意識していることは、私のような門外漢にはなかなか気づけないことばかりです。私にとって参考になるだけでなく、参加している皆さんにとっても有益な情報です。仲間の意識していることを聞いて刺激を受けたり、参考にしたりすることはとても大切なことです。日ごろは忙しくて余裕がないためこのような時間をとることができません。研修にはこのような時間を確保する意味があります。

このことは学校現場にも通じることです。先生方は忙しいので、日ごろ授業や学級経営について聞き合う機会がなかなかありません。授業研究などの現職教育はその数少ない機会の一つです。そのことを考えると一部の方が発言するのではなく、できるだけ多くの方が考えを語り、それを聞き合うことが大切になります。私が授業研究のコーディネートを依頼されると、グループで聞き合う場面を入れるようにしているのはこのことが理由です。もう一つ意識しているのは、授業や学級経営について聞き合うのは楽しいことだと思っていただくことです。先生方も子どもたちと同じで、わからないことを聞くのには勇気がいるものです。気軽に聞きあえる関係を職場につくることが大切です。そういう雰囲気づくりも研修のねらいの一つなのです。

私がこの介護関連企業の研修を引き受けたころは、参加された皆さんの口は重く、グループになってもなかなか気軽に話すことができませんでした。しかし、今では部門が異なっていて日ごろ接触の少ない方同士でも、よい表情で互いの考えを聞きあえるようになっています。こういった機会を持つことが意味のあることだとよくわかります。職場のコミュニケーションが大切ということが言われますが、そのためには互いの関係をつくる機会を意図的につくることが必要です。このことは職場だけでなく教室でも同じことです。子ども同士がよい形でかかわり合える場が必要なのです。

自分のホームグラウンドでないところで仕事をすることで、こういったことを改めて意識することができます。よい機会をいただいていることに感謝です。

アクティブ・ラーニングについての研修(長文)

昨年度末に私立の中学校高等学校で、教科指導部主催の研修会を行いました。事前に教科指導部からは、「アクティブ・ラーニングを総合的学習の時間や学級活動で実践する時のポイント」「授業でのアクティブ・ラーニングの基本(特にやってはいけないこと)」について研修して欲しいというリクエストをいただきました。先生方の中から具体的なリクエストが出てくるということは、授業改善に前向きな方が増えてきていることだと思います。このことをとてもうれしく思います。

先生方が日ごろ学級活動で行っていることを話し合うという形でアクティブ・ラーニングを体験していただこうとも思ったのですが、この2年の間、まとまった形で授業の基本についてお話ししたことがなかったので、講演の形を取らせていただくことにしました。先生方の反応によって話す内容を変えられるように、スライドはかなり多めに用意しておきました。
最初に中教審のワーキンググループ関連の話から、アクティブ・ラーニングの定義が揺れていることやアクティブ・ラーニングの学校における位置づけについて簡単にお話をさせていただきました。時間がないので、中教審の今後の見通しや大学入試がどのように変わるのかといったことについてはお話ししませんでしたが、先生方はこういった情報を欲しているように感じました。文部科学省のサイトにいろいろな資料もアップされているので、こういった情報を丹念に調べることでかなりのことが読み取れるのですが、先生方は忙しいのでなかなかその時間が取れないようです。機会があれば、こういったことについてもお伝えしたいと思います。

学級経営(活動)も授業もその基本は同じです。「安心して暮らせる学級づくり」「全員参加を目指す」ことが重要です。「学級や授業の規律が保たれている」「間違えたり失敗したりしても笑われない、バカにされない」といったことが保障されていなければ、子どもたちその学級や授業に参加したいとは思わないでしょう。学級の活動や授業に参加できなければ、学級に居場所がなくなります。
ただ、授業と学級活動では大きな違いがあります。それは授業では個人の考えを持てればよいのに対して、学級活動では全体での合意が必要になるということです。また、授業では教師がコントロールすることが必要ですが、学級活動では子どもたち主体で進めることが大切になります。しかし、子どもたち主体と言っても、リーダー役の子どもに任せきりの放任ではいけません。子どもたちを見守り、リーダーを支えることが求められます。加えて、学級の大きな方針や行事での方向性そのものは先生がしっかりと示すことが大切です。ここがはっきりしないと具体的な活動を決定するためのよりどころがないため、空中分解してしまいます。
行事などの学級活動を進めるにあたって、「目的や目標を明確にし、それを達成するためにどうすればいいのかを考え、根拠を持って学級の意思決定をしていく」というプロセスを明確にしておかないと、単なる多数決では子どもたちの好き嫌いで決まってしまいます。全員が納得するための方法論を明確にしたうえで行事等に臨むことが大切です。このプロセスを子どもたち任せるというのは、特に司会を務めることになるリーダーにとってはとても重たいことです。会の前後にリーダーと話をする時間を取ることが大切です。どのように進めようとしているのかを聞かせてもらい、悩んでいるようであれば、指示をするのではなく一緒に考える。終わったあとも、リーダーとしてはその結果をどう思っているのか、この先の見通しはどうなのかを聞く必要があります。時には、リーダーの愚痴を聞いてやってガス抜きをしてあげることも必要です。もちろんリーダー以外にも、学級活動についていろいろな不満やストレスを抱えている子どもがいます。そういった子どもの話を聞くことも大切な仕事です。時にはリーダーと他の子どもを裏でつなぐような動きも必要です。先生は裏方・サポーターとして支えるのです。最悪なのは、任せると言っておきながら子どもたちの活動や決定に対して、異議を唱えることです。子どもたちは、「先生は任せるといっているだけで、自分の思っている通りに動かそうとしている。自分が楽をしたいから私たち任せたふりをしているだけだ」と思ってしまいます。
また、学級活動を通じて子どもたちに達成感を与えることはとても重要な課題です。「○○大会で優勝する」といったことを目標として活動するのは悪いことでないのですが、これだと常に達成できるのは1学級だけになってしまいます。「勝てなかったけど、みんな頑張った」という言葉が子どもたち全員から出てくればいいのですが、なかなかそうはいきません。担任が「みんな頑張ったね」といった言葉で子どもたちを評価しても「フォローしているんだな」と感じる子どもが多いものです。大切なのは結果だけでなくその課程を大切にして評価することです。結果が出た後からでは、本人たちもよく覚えていないこともあり、実感できません。都度評価する必要があります。その際、できるだけ、「○○さんが……」「○○のパートが……」というように具体的にどの子どもたちのことを言っているのかわかるような形で評価することが大切です。「みんな」という言葉は、自我が発達してくると自分のことのように思わないのです。

私は先生方に、学級経営も授業もまず笑顔が大切だとお伝えしています。子どもたちは先生の表情に敏感です。指名されて発言している時に先生が難しい顔をしていれば、不安になります。こういったことが続けば発言意欲が落ちてしまいます。先生がいつも笑顔で自分たちを受容している、認めてくれていると子どもたちが感じるからこそ、たとえ厳しい生活指導でも子どもたちは従ってくれるのです。
「安心して暮らせる学級づくり」の基本となる学級規律・授業規律を確立するための考え方は「よい行動をほめて増やしていく」ことです。「子どもたちに何を求めているかを明確にして、できるまで待つ」「ほんの少しでもできたことを認めてほめる」「一人でもできれば、他の子どもに広げるチャンスである」「絶対的な評価をするのではなく、進歩をほめる」といった視点を大切にしてほしいと思います。

授業において子どもたちを積極的に活動させるには「受けと返し」が大切になります。まずは、笑顔で子どもを受容することが大切ですが、カウンセリングの手法も役に立ちます。発言をそのまま復唱することで、相手は自分が認められたと思うのです。このとき、余分な言葉を足したり、授業者の言葉に言い換えたりしてはいけません。そうすると、「ああ、先生はこう言ってほしかったんだ」と思ってしまいます。認められたとは思ってくれません。発言は自分の考えではなく、先生の求める正解を言おうとするようになってしまいます。
子どもたちの考えを深めていくためには「返し」が大切になります。先生方は理由や根拠を問い返すのに、つい「なぜ」という言葉を使ってしまうのですが、明確になっている子ども以外にはとても答えにくいものです。きちんとした答ではなく、曖昧でもいいので発言を重ねつなげていくことで考えが深まり明確になっていくものです。そのためには、「なぜ」と”Why”で聞くのではなく、「それってどういうこと」「どうやったの」「どこにある」「どっち」と”What”、”How”、”Where”、”Which”で聞くようにするとよいでしょう。
また、子どもの発言をつなぐことも大切です。次のようなことを、意識するとよいでしょう。

・「どう思う?」「納得した?」「もう一度言ってくれる?」「なるほどと思った人?」「どこがいいと思った?」というように、子どもの発言の価値を共有する。
・「同じようになった人いる?」というように、同じ結果や結論になった子どもをつなぎ、その理由を問うことで、いろいろな考え方を共有する。
・「同じところに注目した人いる?」というように、同じ根拠や過程で考えた子どもつなぎ、その結果や結論を問うことで、多様な結論を共有する。
・「どう変わったのか教えて?」と学習の前後での自分たちの考えを比較することで、進歩を実感させる。

アクティブ・ラーニングを意識するとペアやグループでの活動を取り入れることが多いと思います。ペア活動では、一方が話して一方が聞くといった、攻め手と受け手に分かれることがよくあります。この時、特に受け手側の役割をはっきりしておかなければ、まさに受け身になってしまいます。相手のよいところを評価したり、アドバイスをしたりするといった役割を持たせることが大切です。自分が活動して満足するにではなく、相手の役に立つったという役立ち感を持たせるような活動を意識することが大切です。
ペア活動で注意しなければいけないのは、ペアは絶対逃れられない関係だということです。人間関係が上手くいっていないと、かかわり合わない危険性があります。特に思春期の子どもにはその傾向が強いように思います。隣同士のペアではなく、「まわりと相談してごらん」といった形にすると、ペアとなる相手が固定されないので上手くかかわる可能性が増えます。この時、誰とも話さない子どもがいないかを観察しておくことが大切です。そのような子どもに対して、友だちとかかわるように声をかけてほしいと思います。
グループ活動では、話し合う時の形も大切になります。男女混合の市松模様で机をしっかりとつけさせるようにします。結論を一つにまとめるような課題にすると、力関係の強い子どもの意見がどうしても通りやすくなります。友だちの考えを聞いて、自分の考えを持ったり深めたりすることが大切なので注意が必要です。よくあるのが、わかった子どもが一方的に教えて、わからない子どもがその勢いに押されて、嫌になっている図です。あくまでもわからない子どもが主であることを意識しなければいけません。「教え合い」ではなく「聞き合い」なのです。「わからないから教えて」と言われたら、責任を持って教えるというルールにすることが必要です。できる子どもは、往々にして自分が説明してもわからないと「わからないのは相手が悪いんだ」と途中で説明を投げ出してしまいます。その点にも注意が必要なのです。
先生は、常に全体の様子を把握する必要があります。参加できない子どもや活動が止まっているグループがあれば、必要な支援を行います。わからないことを質問する子どもに対して、その場で先生が答えたり、解説したりしてはいけません。わからなければ先生が助けてくれるのであれば、グループで活動する必要はありません。「友だちに聞いてごらん」と聞くことを促します。「教えて」と言えれば、まわりの子どもに「助けてあげてね」声をかけ、関係ができたことを確認して、全体が見える位置に戻ります。先生がグループの中に入りすぎて全体が見えなくなることは避けなければいけません。
いくつかのグループの動きが止まっていれば、早めに活動を止めます。全体の場で、どこで困っているかを聞いて共有し、活動できているグループに、「どんなことをした?」「どんなことを話した?」「どこを見た?」と結論ではなく、その課程や手段を聞いて共有します。見通しが立てば、子どもたちは活動したくなりますから、そうなればまたグループに戻せばいいのです。
発表の場面では、子どもたちの考えを整理しながら焦点化することが大切です。異なった意見を明確にしたあと、必要があれば再度そのことを考えさせるのです。グループの発表後にもう一度考えるための時間をとることで考えが深まります。

最後に質問の時間を設けたのですが、挙手はありませんでした。そこで司会の主任が質問をしてくれました。「授業中でこのような反応してくれない場面があるのですが、どうすればいいのでしょうか?」という質問に、思わず「うまい!」と声に出しそうになりました。そこで、講演中に真剣な表情で首を傾けたりしていた方に声をかけました。「難しい表情をしていましたが、どういうことですか?」とたずねると、いろいろと考えていたということです。その内容を詳しく聞くと、「教科ごとの特性もあるので、それぞれが実際に取り組む時はどのようなやり方が効果的なのか疑問に思った。どのように考えたり、どんな本を読んで勉強したりすればいいのか?」という素晴らしい質問でした。よく勉強されている方だと思います。「正解と言うものはなく、先生が子どもたちのどのような姿を求めるかによって答は違ってきます。本も手に取って見て、自分に合いそうだなと思うものを読むことから始めるとよい」とお答えしました。問いかければちゃんと質問は引き出せます。大切なのは、だれに声をかけるかです。授業では、そのために子どもたちをよく見ておくことが必要です。「ちょっと首をかしげた」「あまり集中していなかったのに、ある場面で急に顔が上がってこちらを見るようになった」といった反応をしっかり見ていれば、声をかけるべき相手は見つかるのです。このことを司会者の質問への答としました。

研修終了後、何人かの先生と個別にお話させていただきました。とてもうれしいことです。これからも、たくさんの方に相談いただけることを楽しみにしています。また、「スライドをすべて見せてもらっていなかったので、他の部分も見て勉強したい」とスライドのデータをほしいと言ってくださる先生もいらっしゃいました。こういった前向きな姿勢はとてもうれしいものです。皆さんで共有できるようにしたいと思います。

研修開始前に、今年度の担当の主任と次年度の担当予定の方とで、引継ぎを兼ねて簡単に打ち合わせをしました。今年度の担当の先生は担任に復帰することを望んでおられましたが、それがかなったようです(ただし、学年主任のおまけつきですが……)。今年度、先生方との間を上手につないで、私のいたらないところを本当によくフォローしていただきました。自らも積極的に新しい授業スタイルに取り組んでいただき、いろいろな面からこの学校の授業改善を後押していていただけた方です。本当に感謝しています。次年度の主任の方も授業をとても大切にする、授業改善に前向きな方です。先生方に対しても積極的なかかわりが期待できます。学校全体でも授業改善に前向きな先生も増えてきています。これからのどのように学校が変化していくかとても楽しみです。

子どもたちが活躍する授業について考えていただく

昨年度末に、私立の中学校高等学校の授業評価報告会で、子どもたちの厳しい現状について報告しました。

子どもたちと先生方の関係は良好で、先生方の授業に対する姿勢や基本的な指導について肯定的です。しかし、それにもかかわらず子どもたちの授業への意欲や積極性が低いことが大きな課題です。授業評価から見えてくるのは、「授業で活躍できる」場面が少ないことや話を聞いているだけの「受け身から脱却」できていないことでした。特に高等学校では授業進度のことが気になるために、先生が一方的に説明して板書を写させて終わる授業が多いようです。子どもたちが積極的になるためには自己有用感が大切になります。「結果を出す」「ほめられる」といった場面があることで、自己有用感を味わうことができますが、受け身の授業ではその場面をつくることが難しくなります。子どもたちが活躍する場面をつくることが必要です。子どもが活躍する授業といえば、最近何かと話題になるのが「アクティブ・ラーニング」です。アクティブ・ラーニングの視点を意識してどうすればいいのかについてお話ししました。

まず手をつけてほしいのが、「受け身の時間を減らす」ことです。子どもたちが「先生の話も聞かずに板書を写している」「先生の解説を黙って聞いている」「問題の答を知るだけ」という状態をなくし、「進むことを優先するのではなく、全員の子どもがわかる・できるを保障する」授業に変えることです。そのことを意識して、先生方にグループで「どんなことをすればいい?」「できそうなことは何?」「どこで困りそう?」「何がわからない?」といったことを聞きあっていただきました。私が思った以上に先生方から意見が出ています。みなさん、以前は子どもを活躍させるような工夫をいろいろしていたように見えます。いつの間にかそういった工夫をしなくなったようです。先生方から「教科書を終わらせないと」という声を何度か聞きましたが、そういったことが原因なのかもしれません。
ここで、他の学校での子どもたちの様子を動画で紹介しました。子どもたちが課題に対して、自分たちで相談しながら取り組んでいる姿や、一人で黙々と集中している姿です。この子どもたちは、以前はこの学校の生徒たちとあまり大きな違いはありませんでした。先生方が変わることによって、その姿を大きく変えたのです。どうやって、このような姿になったのかを考えていただきました。
結論から言えば、先生方が子どもたちの姿を変えたい、変わってほしいと思うかどうかの問題です。この学校でのきっかけは、授業中に「寝る子どもをなくしたかった」ことです。子どもたちが変わるにつれて、先生の言葉が「子どもがダメだ」から「自分たちの授業の問題だった」と変わっていきます。「子どもはすごい」「準備は大変だけれど子どもの姿がエネルギーをくれる」といった言葉が聞かれるようになりました。子どもの笑顔が増え、授業に集中しています。子どもたちは、「頑張ればわかると信じて」授業を受けているので集中が切れないのです。子どもたちの原動力は「わかりたい」「できるようになりたい」であって、「楽しい」「おもしろい」はその先にあるのです。
最後にどのようなことをやってきたのか簡単に整理して終わりました。

・笑顔で子どもを受容する
・子どもに問いかける
・隣同士で相談
・グループで相談
・問題を解くのにわからなければ聞いてもいい
・先生が答を言わない
・他のグループにも協力する
・自分たちの考えや活動をみんなの前で発表
・友だちや先生が認めてくれる

報告会の後で、管理職の方と今後についてお話をしました。私からは大きく2つのことを提案させていただきました。一つは、先生方はいろいろな工夫をする力はあるがそれをやろうという意欲が低いので、トップダウンで授業改善の方向性を示すこと。もう一つは、先生方が互いに授業を見あってよいところを学び合うことです。
ボトムアップで進めることができればいいのですが、現在の状況を見るとその時間的な余裕はないように思います。先生方の持つポテンシャルは決して低くないので、それをいかにして引き出すかが課題です。管理職の決断を待つことになります。

第3回授業深掘りセミナー(その3)

第3回授業深掘りセミナー(その2)」の続きです。

後藤真一氏の「教育情報知っ得!コーナー」は、「今さら聞けない学習指導要領改訂」と題して、先生方にとって身近な教科書と学習指導要領、中教審との関係についてのお話しでした。

最初に、第1回の「教育情報知っ得!コーナー」で取り上げた「アクティブ・ラーニング」が、「課題の発見・解決に向けた主体的・協同的学び」として、次期学習指導要領の「どのように学ぶか」という「教育の方法・質」に関してのキーワードになっていることを確認した上で、簡単なクイズを出しました。

Q1.現在使われている教科書のもとになった学習指導要領は西暦何年に改訂されたもの?
Q2.アクティブ・ラーニング等に対応した新教科書が小学校で使われるのは西暦何年?
Q3.すべての新教科書が学校で使われるようになるのは、学習指導要領が改訂されてから何年後?

さて、皆さんの反応はどうでしょうか?私の目には意外と戸惑っているように映りました。
中教審の答申、学習指導要領の改訂、教科書の改訂(編集、検定・採択)、学習指導要領の実施といったことの関係と流れが今一つ整理できていないようです。

学習指導要領改訂のもとになるのは中教審の答申ですが、審議から答申が出るまでに2年ほどかかり、それを受けて教科書が1年かけて編集され、検定を受けて修正に1年、さらに採択までに1年かかります。こうして新しい学習要領が小学校で実施され、その1年後に中学校が、さらに1年後に高等学校となりますが、高等学校は年次移行なので都合完全実施に5年かかります。そうこうしている内に次の学習指導要領に向けての中教審の審議が始まってしまうのです。
2020年度に小学校で新指導要領が実施されることを考えて逆算すると、中教審の答申が今年中に出てくれないと、教科書の編集が大変なことになります。中教審も大詰めに入りましたが、文部科学省の中教審のサイトでは配布資料や議事録が公開され、現時点でも多くの情報を得ることができます。公式見解がまとまる前の「生の意見」が読める貴重なサイトとなっています。こういった情報を元に、決まっていない今だからこそ「わたしが教科書をつくるなら?」「わたしのアクティブ・ラーニング?」といったことを考えてほしいとまとめました。

学校現場にいると、日々の仕事に追われ、結論が上から下りてきて初めて「どうしよう?」と考えることが多くなります。学習指導要領がどのように決まって実施されていくのかについて先生方が疎かったのも、こういった現場の実態を象徴しているのだと思います。
「決まる前だからこそ、自分なりの視点で考えてみては?」という後藤氏の提案は、先生方に新鮮なものととらえていただけたようでした。

第3回授業深掘りセミナー(その2)

第3回授業深掘りセミナー(その1)」の続きです。

野木森先生の模擬授業は小学校6年生の「ものの燃え方」の実験です。まさに理科の王道を行く授業でした。
前時に行なった(ことになっている)実験の結果を確認します。一斗缶の中で薪を燃やした時に、穴をあけたり、うちわであおいだりしたらよく燃えたことを発表させます。ここで「穴をあける」「うちわであおぐ」という2つの行為が燃焼を助けることを押さえておくことが、この日の実験での子ども役の活動を支えます。

この日の課題を示すのに、まず実験を見せます。通常は前で実験をしてみせるのですが、これが意外と時間を取られます。子どもがポイントを見落としていても、何度もやり直すのは大変です。そこで、野木森先生は動画で実験を見せます。あらかじめこの日子どもたちが使うのと同じ道具を使って実験をし、それを撮影してコンパクトな動画にしておくのです。こうすることで、短時間でとてもわかりやすく提示することができます。何度も見せることもできますし、動画を止めてポイントを説明することも簡単にできます。今はスマホでも簡単にハイクオリティな動画を撮影できますので、とてもお勧めの方法です。
透明な燃焼実験箱に上下左右4つの穴があけられています。それぞれ栓でふさげるようになっていますが、そのうちの1つだけをあけてローソクを燃やすと、やがて消えていきます。消えていくのを見ると、子どもはどうしても消えないようにしたくなります。やりたいこと、試したいことが出てきて、ワクワクします。そこで、この日の課題「ローソクが燃え続けるのはどんな時か説明しよう」を提示します。最初に、穴を1個の場合を確かめてといった細かい手順は指示しません。「自由に実験してください」と子どもたちに任せます。子どもたちはやりたいことがあるので、盛り上がらないわけはありません。とはいえ、火を使う実験ですから、注意すべきポイントや指示はあります。それをコンパクトにまとめてスクリーンに表示し、実験中にいつでも見られるように表示したままにします。これも、さすがの使い方です。

ペアで実験開始です。試してみたいことがあったのでしょう、すぐに実験を始めます。これは大人でも変わらないようです。穴を2つあけた時に、燃え続ける時と消えてしまう時があります。その組み合わせを確かめているペアもあります。どのくらい経つと消えるのかと時間を測っているペアもありました。子ども役が大人なので、上手くいっても次の課題を考えていろいろ活動しますが、子どもたちであればどうなのでしょうか?この点については、野木森先生は机間指導を使って子どもに次の課題を考えさせます。うちわや線香が用意されていて、「使いたいものない?」「他にやってみたいことはない?」「どんなことがわかった?」「どうしてそうなるのかな?」と声をかけます。前時の実験を確認したことがここで活きてきます。こうして、うちわで風を送って上手く燃やそうとするペア、線香で煙の動きを確認するペアと活動が多様化していきます。そこで、野木森先生は、途中でペアを交換して互いの発見や考えを交流させます。子ども役は、ある程度の結論得たのでしょう、いろいろと試しますが、テンションが上がっていきます。こういうところは子どもたちと同じです。野木森先生は子ども役の間を回りながら、思考を深めるための言葉がけを行っていて、全体を見る余裕が少しなかったようです。

実験を終わって、子ども役に「見つけたこと?」を問いかけます。少し曖昧な問いかけです。消えずに燃焼させる方法を答えればいいのか、空気が流れなければいけないといった考えたことを答えればいいのかよくわかりません。逆に、少し曖昧だからこそ、子どもから多様な言葉を拾うことができます。何を答えればいいのか少し曖昧な問いかけは、子どもの言葉をつなぐ力のある先生が使えば考えを広げたり、深めたりする一つの方法です。しかし、そういった意図なく使うと、発言が拡散して焦点化が難しくなることがあります。野木森先生は「思ったこと?」といった問いかけもしました。これも同様です。「上だけ、下だけあけた時に空気が流れない」という意見に対して、「どうしてわかった?」と返します。「線香の煙を吸わせたりして、……」と答えが返ってきます。ここで、「なるほど」と受け止めて終わったのですが、もう少しこの空気が流れるということについてつないでいきたかったところでした。
この後、空気が流れて燃え続ける動画を見せて確認し、この実験から言えることは「新しい風を入れた時に……」とまとめました。ちょっと気になったのが「新しい」という言葉でした。酸素を意識した言葉なのですが、「空気が流れる」ということが、「新しい空気」につながるには、ちょっとギャップがあるように思いました。「空気が流れた時と流れなかった時では、ローソクのまわりの空気は違うの?」といった問いかけをして、「新しい空気」という言葉につなげるといったことも必要だったように思います。

子どもが思考しながら活動する、とても素晴らしい授業提案でしたが、私には少し不満がありました。このことが、深掘りトークセッションで話題になります。
私は、挑戦的に「これはまだ理科の授業になっていない」と発言しました。子どもたちは試行錯誤しながら、ローソクが燃え続けるための条件を見つけたり、何が起こっているのか空気の流れを確認したりしています。しかし、それらの活動の結果を論理的に再構成して整理する場面がありませんでした。例えば、「必ず上下の穴が空いてなければいけない」という結果と、「下の穴しか空いてなくてもうちわであおげばうまくいく」という結果から、何が言えるかと考察させたり、逆に実験の途中で「下の穴しか空いてない時は絶対に消えるの?」と問いかけて、新たな課題を提示したりといったことが必要だったのではないかと思います。理科は事実を論理的に解釈したり説明したりすることが大切です。その時間がなかったので、理科の授業としては不十分だったと思うのです。
それに対して、野木森先生は反論します。「子どもたち、それぞれが実験の中で疑問を持ったり、次の課題を見つけたりして新たな実験に取り組んでいる。これこそまさに理科の活動である。実際に子どもたちでやった授業でもそうなった」という主張です。なるほど、確かに個の場面ではそういったことがたくさん起こっていたのだと思います。そこには、机間指導での野木森先生の言葉がけや支援が有効に働いていたと思います。しかし、それを学級全体で整理し共有する場面がなかったのです。子どもたちが頭の中で、なんとなく考えていることをきちんと論理的に整理をし、他の場面でも活用できるようなメタな思考に昇華させることが必要なのではないでしょうか。これは子どもの実態によって変わってくることなので、小学校6年生では難しいことなのかもしれません。先生の個別支援ではなく、とりあえず燃やし続けることができた時点でいったん実験を止めて、結果を共有しながら「どうして、この場合はダメで、こちらの場合はいいのかな?どんな実験をしてみるとわかりそう?」といった問いかけを全体でしてもよいかもしれません。子どもたちに考えを言わせ、どれがよいといった結論は出さずにまた実験をさせ、「どうしてそのような実験をしたのか?」「その結果何がわかったのか?」をまとめさせて、最後に共有するのです。
簡単に結論づけることではできませんが、理科の授業をどのように考えてつくっていくかについて、深掘りできたように思います。ちなみに、この実験器具は野木森先生の研究授業を見てあるメーカーが商品化したものだそうです。それだけその授業が素晴らしかったことがわかります。

「教育情報知っ得!コーナー」については、「第3回授業深掘りセミナー(その3)」で。

第3回授業深掘りセミナー(その1)

2月に行われた第3回授業深掘りセミナーは、一宮市立尾西第一中学校教頭(当時)の伊藤彰敏先生の中学校国語、岩倉市立岩倉中学校長の野木森広先生の小学校理科の2つの模擬授業とそれぞれについての深掘りトークセッション、そして授業と学び研究所のフェローの後藤真一氏による「教育情報知っ得!コーナー」でした。

伊藤先生の国語の模擬授業は、写真を見せるところから始まります。ボルネオの川の流れにそって、一つずつ小さな小屋があります。これが何かを問います。テンポよく子ども役に答を聞いていき、その答に「上手に外す」「本当に外す」「ああー」といった言葉を返します。一気に雰囲気がほぐれます。正解は水上「トイレ」でした。「お上品に言うとかわや」と言って、川屋と板書します。ほかの漢字で書いてくださいと子ども役に指示します。「厠」という漢字は大人でも難しいものです。子ども役の皆さんも悩んでいます。伊藤先生は机間指導しながら○をつけていきます。実は子ども役の机には国語辞典が1冊ずつ置いてありましたが、ほとんどの方が引こうとはしません。「なぜ手元に国語辞典があるのでしょうか?」という伊藤先生の言葉にハッとします。「問題は、何も見ずに自分で解かなければいけない」という思い込みがあります。そういった思い込みを崩すための活動になっています。「辞典を引いてもいい」「いや、むしろ積極的に引け」と伝えているのです。

トイレの呼び方を子ども役に思いつく限り発表させます。「トイレ」「便所」「お手洗い」「厠」「化粧室」「はばかり」などが出てきます。板書はしませんが、「雪隠」という言葉もあることを示して、まだまだたくさんあることをさりげなく伝えます。
これらの言葉を「臭い」順に並べるのが次の課題です。「感覚でいいんだからねー」と、ここは気軽に答えられるように言葉を足します。これが国語とどのようにつながっていくのか、子ども役はちょっと不思議に思いながらも、おもしろいので意欲的に取り組みます。
子ども役に発表させますが、「便所」から始まって、最後「化粧室」まで大きな差がなく、まとまります。こういったイメージは結構共通なのですね。さあ、ここからが国語の授業です。伊藤先生は「感覚で感じたことを、根拠を持って言うことが国語」と、なぜこのような順番になったのかを考えさせます。
「漢字の持つイメージ」「古い言葉(ほど臭く感じる)」と意見が続きます。「べ、じょといった音があると臭い」という意見も出てきます。濁音の持つイメージを言っています。「今の言葉を聞いてわかった?もう一度言ってくれる」と子ども役に問いかけ、うなずいた方を指名します。反応を見て意図的に指名しています。その説明を聞いて、「納得という人?」と全体に問いかけます。子どもの発言をつなぎ、全体で共有していくという基本は外しません。
「なぜ、こんなにいっぱいあるの」と問いかけ、「うなずいてくれた○○さん」とやはり反応を見て指名します。「時代がかわる」という発言に「いい考え」と評価します。「わかった?OK?」と子ども役に確認して、「時代と共に言葉に臭いがついてくる」とまとめました。「わかった?」と軽い確認です。時代と共に言葉が変遷することを強く押さえません。この授業のねらいはここにはないということです。

トイレを表わすピクトグラム(絵文字)を提示して、言葉ではなく絵でも表わされることを示し、トイレは将来どんな言葉になるかを考えさせます。この課題は課題の要件をあまり満たしていません。「考えると言っていますが、何を根拠とするのか?」「評価の基準は何か?」「この課題を通じてどんな力をつけるのか?」が明確ではないのです。手がなかなか動かない子ども役もいます。ここで、「ヒント」と言って便器のメーカーに問い合わせた話をします。A社には、「トイレはトイレです」、B社には、「うちはもうレストルームという新しい言葉に変えています」と言われたそうです。カタログを見せて確認します(カタログを元にして考えた伊藤先生の創作?)。通常こういった「ヒント」という言葉を使うことは避けるべきだと私は考えています。「ヒント」は「正解」に対応する言葉で、教師が用意した正解への道筋に子どもを誘導するものだからです。とはいえ、この課題、正解があるようなものではありません。まさに、感覚です。「レストルーム」は「化粧室」と同じくトイレに別の機能を付加し、その機能を名前にしています。思いつかない子どもにはこういった「ヒント」を与えることで、新しい名前を考えることができます。実際にこのヒントが影響していると思われる「リフレッシュルーム」「癒し所」といった言葉が出てきます。確かに全員に自分の答を持たせるための有効な手段となっていますが、答の幅を狭めているとも言えます。この「ヒント」や「課題」の意味は、この後の展開を見ることで明らかになっていきます。

子ども役が考えた新しい言葉を発表させます。出てくる言葉は色々です。伊藤先生は板書する位置を、横文字(アルファベット)、カタカナ、漢字だけ、ひらがな(混じり)で分類し、それとなく上から順番に同じ仲間をまとめます。ここで、この課題やヒントの意味が見えてきます。考えた言葉そのものが大切ではなく、「語感」を意識して言葉を考えること、その結果「外来語」「漢語」「和語」が出てくることをねらっていたようです。答を出すことではなく、課題を考えること自体が目的だったのです。例え同じものを表わす言葉でも、一つひとつの言葉には「語感」の違いがあることを実感させたかったのです。語感を意識させるためには、例え誘導でも言葉が生まれてこなければ話になりません。だから、「ヒント」だったのです。
この授業は、次時以降で学習する予定の「外来語」「漢語」「和語」という日本語の分類を意識させ、それぞれが持つ「語感」を考えることにつながっていました。

最後に、「語感」を磨くためには読書が大切であることを伝え、椎名誠の「ロシアにおけるニタリノフの便座について」を紹介します。最初の写真にあった、カリマンタン(ボルネオ)のレストランでの水上トイレのエピソードを読み上げて終わりました。授業と本の紹介が見事につながっています。伊藤先生の中に膨大な読書の蓄積があるからこそ、授業内容と連動した本の紹介ができるのです。
単に「語感」についてだけでなく、「わからない言葉は辞書引く、そのためにいつでも辞書を引ける状況にする」「子どもたちに読書をさせたい、そのために本の紹介をする」といった、日ごろ伊藤先生が国語の授業でどのようなことを意識し、大切にしているかを伝える授業にもなっていました。いたるところに、国語の授業はこういうことを大切にしてほしいという、参加した先生方や学生への伊藤先生のメッセージが込められていたように思いました。

深掘りトークセッションは、いつものように玉置崇先生(授業と学び研究所フェロー)の司会で進みます。パネラーは和田裕枝先生(豊田市立小清水小学校校長)、神戸和敏先生(授業と学び研究所フェロー)後藤真一氏(授業と学び研究所フェロー)と私でした。
今回、皆さんの感想は、伊藤先生の授業の構成力やその進め方の素晴らしさに集中します。私は、前回の佐藤正寿先生の模擬授業への伊藤先生のコメント「電車道の授業」(「第2回授業深掘りセミナー(その1)長文」参照)をそのままお返しました。子どもの言葉を活かす授業では、子どもの反応によって授業の方向がぶれたり、そのための修正に苦労したりします。時には、全く違うところに行ってしまうこともよくあります。今回の伊藤先生の授業は、子どもが自由に考えを言ってもすべて想定内に収まるような授業です。子どもたちを手のひらの上でコントロールしていて、まずハプニングは起きないものです。構成や発問が考え抜かれています。
玉置先生は、「どうすればこういった教材をつくれるのか?」、また、「こういった教材をつくろうと思うようになったきっかけ何か?」と伊藤先生にたずねます。「日ごろから授業を意識して目にする物、触れる物を教材として活かせないかと考えている」「有田先生の子どもたちが自分で考え追究するような社会科の授業(教材)を見て衝撃を受け、自分もなんとかあのような授業をしたい(教材を開発したい)と思った」という話をされました。今回は、玉置先生の問いかけに答える形で、伊藤先生自ら授業を深掘りしていただけました。

野木森先生の模擬授業と深掘りトークセッションについては「第3回授業深掘りセミナー(その2)」で。

介護の研修で家庭への連絡を考える

2月に行った介護職員への研修で、利用者の様子を家族にどう伝えるかを考えていただきました。

具体的な事例を元に、何をどのように伝えればよいかを考えていただきます。研修に参加される方は、デイサービス、老人ホーム、訪問介護と職場は違いますが、互いに気軽に考えを聞きあえるようになってきました。連絡文をどのように考えて書いたかをしっかりと話し合っていただけました。当たり前のことですが、連絡を受ける家族の気持ちを考えることが大切です。その上で、伝えなければならないことをどう伝えるかを考えます。
例えば認知症のある利用者がトラブルを起こしたとしましょう。トラブルを報告されても、毎度のことに「じゃあ、どうすればいいの?」と叫びたくなったり、「ああまたか」と何も感じないようにしたり、「いったいいつまで続くのだろう?」と、将来に悲観的になったりするのではないでしょうか。いつもトラブルしか報告されていないと、家族の気持ちは暗くなりますし、介護サービスや介護そのものに後ろ向きな気持ちになってしまいます。大切なのは家族が介護に前向きになれることです。そのため、よくわかっている症状については、あまり深く触れことはしない方がよいでしょう。それよりも、「笑顔が見られた」「食事を美味しそうに食べた」といった、ほんの些細なことでもいいので、「よかったこと」「できたこと」を伝えるようにしたいものです。もちろん、今までなかったような症状が出た時は、病状が悪化する兆しかもしれませんので触れないわけにはいきません。介護に携わっている方ならば今後どのようになるかの見通しも持てると思います。しかし、医者ではないので見通しといったことはこちらか伝えてはいけません。状況の客観的な事実だけを伝え、必要に応じてケアマネージャに連絡するようにします。もし、家族の方から相談されても、ケアマネージャを窓口として相談するように伝えます。窓口を一本化していないとトラブルのもとになるからです。

似たようなことは学校現場でも言えます。いろいろと課題のある子どもの保護者は、子どもを少しでもよくしようと努力していますが、必ずしもうまくいくとは限りません。そこへ学校からはネガティブな連絡ばかりが届くと、精神的に追い詰められていきます。学校や担任に悪感情を持ってしまうことにもつながります。意識的に子どものよかったところ、成長したことを伝えるようにすることが大切です。「いいとこみつけ」の発想です。保護者の気持ちを楽にして、学校と一緒になって子どもを育ていこうという気持ちになっていただくことが大切なのです。
トラブルが起こった時に対応の窓口を一本化しておくことが大切なのもおなじですね。

いつものことながら介護の現場で大切なことは、学校現場でも言えることに改めて気づかされました。

英語科で学校独自のメソッドができつつある

昨日の日記の続きです。

昨日の日記で、社会科で課題の蓄積が大切だと述べましたが、蓄積という意味では、英語科がこの段階に入ってきました。
1年生の英語の授業は、前回と同じくGDMで教科書の学習内容を身につけるものです。高等学校の内容についてGDMの実践はほとんどありませんから、先生方が協力してその”situation”を毎回つくることになります。今回は事前に考えた内容をGDMの研究会で披露し、参加者の意見を元にブラッシュアップしたものでした。日々の授業でこれをしていくのですから並大抵の苦労ではありません。チームで当たっているので何とか乗り切っているのです。先生方のエネルギーの素は子どもたちの姿です。この日も子どもたちはとても集中して授業に臨んでいました。
子どもたちがペアで練習する時に、言葉をまる覚えしてしゃべろうとしていないことがよくわかる場面がありました。2人とも”situation”を表わした黒板を見ながら言葉を発しているのです。”situation”を表現しようとするので、”situation”を確認することが必要なのです。
この日学習する文法事項は”gerund”(動名詞)です。
2人の子どもを指名して一人の子どもには”A to Z”、もう一人は”Z to A”で”alphabet”を黒板に書かせます。書いている途中で、”I am writing alphabet from A to Z.” ”I am writing alphabet from Z to A.”とこの”situation”を表現させます。この時子どもが、”I am writing on …….”と言いかけました。”on the blackboard”と表現しようとしたのでしょう。授業者が求めていたものではありませんが、”situation”を自分なりに表現しようとしていることがわかります。言葉として英語が使えるようになってきています。続いて、全体で”○○san is writing alphabet from A to Z.” ”△△san is writing alphabet from Z to A.”と確認します。まず” participle”(分詞)を使って表現をしました。
Aから書いた子どもの方が早く書けます。早く書けたことを確認してから、”Writing alphabet from A to Z is easy.”と”gerund”を自然に導入します。続いて、この日使う教科書の文に使われている”difficult”を”Writing alphabet from Z to A is difficult.”という形で導入します。なかなか見事な導入です。もし、”difficult”が初出であれば、”Writing alphabet from Z to A is not easy.”を間にはさんでから、”difficult”を使って言い直せば、自然に意味がわかると思います。
続いて、男の子と女の子がかかれた絵を見せます。一人の男の子は女の子に囲まれています。もう一人の男の子は独りぼっちです。”A boy is among girls.”とこの状況を最初に練習した”among”を使って表現します。”He is happy. He will go home with many chocolates.”と続けた後、今度は、”relatives”(関係詞)を使って表現させます。” A boy who is among girls will go home with many chocolates.” “A boy who is at the desk will go home without any chocolates.”と2人を上手く対比して表現します。全体で練習しますが、うまく言えない子どもが少し目立ちます。授業者はここでペアを使って練習させました。子どもたちは、ペアを組むことですぐに話せるようになります。文法事項がわかっていないのではなく、言葉がスムーズに口から出ていなかっただけだったのです。
“The boy who is at the desk goes out the room. He doesn’t say good-bye.”という”situation”を”gerund”を使って”The boy who is at the desk goes out the room without saying good-bye.”と一文で表現します。”without any chocolates.”を上手く対比させて使うことで自然に”without 〜ing”の形を導入しました。見事でした。
ストーリーはこの後女の子が一人、先ほどの男の子の後を追いかけてチョコレート渡すというハッピーエンドでした。バレンタインデー直前らしい楽しい内容でした。子どもたちに女の子のセリフを考えさせると、”This is for you.” “I made this for you.”と色々な表現をします。自然な英語が身についてきているのを感じます。
英語の歌を聞いて気持ちを切り替えた後、教科書の本文のキーワードを抜いたワークシートを配って埋めさせます。この日学習したことを使うことでできるはずです。解答は”listening”で行います。まわりと確認しながら聞き取ったあと、全員で読みます。一部の子どもの口がしっかりと開いていないことが少し残念でしたが、どの子ども最後まで参加していました。教科書の本文については、「聞く」「読む」がムダなく凝縮されています。訳をしなくても、子どもたちはその意味がわかっているようです。本文の内容を要約することを宿題にして終わりました。子どもたちは、自分できちんとやってこられるようです。
毎回このように”situation”を考えて授業をするのは本当に大変だと思います。授業者はまだ内容をこなすので手一杯で、子どもの様子を見て臨機応変に対応する余裕がありません。それでも子どもがつまずいた時のペアの使い方などは、前回よりも上手くできていました。確実に進歩しています。
この授業を続けていくことは大変でしょうが、継続することで子どもにも先生方にも大きな力がついていくことと思います。来年度は、今年以上に多くの先生方がGDMに挑戦するようです。英語でこの学校のメソッドができつつあるのを感じます。その誕生の瞬間に立ち会えていることに大きな喜びを感じます。

この日、授業研究ではありませんでしたが、高校2年生の習熟度別の下位クラスの英語の発表を見ることができました。名古屋の観光プランを考えてグループで発表するものです。とにかく、子どもたちがメモを読むのではなく、前を向いて一生懸命に話していたことが印象的でした。発表者も聞いている子どもたちもとてもよい表情です。苦手な英語にこのような表情で一生懸命取り組んでいる姿を見られるのはとても素晴らしいことです。このような授業が増えていくことで、子どもたちが学ぶことに前向きになってくれることと期待します。

時間の関係もあり、この日行われた公開授業の検討会の参加者は少数でしたが、授業改善に対して前向きな先生方は確実に増えていると思います。教科の特性などもあり、全く同一歩調という訳にはいかないと思いますが、大きなベクトルを揃えて進めていけたらと思います。

教科でつけたい力と教科を越えてつけさせたい力について考えされた授業

昨日の日記の続きです。

高校1年生の社会科の授業は、アジアにおけるグローバル化を考える授業でした。
授業者は積極的に子どもたちが学び合う授業に挑戦しています。この日は、ジグソーを取り入れた授業でした。
時間割の変更の連絡が上手くいかなかったために、教科書等を持っていない子どもがいるというハンディがある状態でした。最初に、最低限の知識を押さえるワークシートの穴埋めをさせます。知識の問題なのであまり考える時間を与えても意味がありません。授業者がヒントとして語群を与えますが、答探しになってしまいます。子どもたちに相談させますが知識の確認をするだけになってしまうので、あまり意味のあることではありません。もし既習の内容であれば、テーマを与えて語群の言葉を使って説明させるといったことをすると面白かったかもしれません。未習であれば、最初から調べさせればよかったでしょう。
この後、「朝鮮半島の動向」といったテーマごとにグループに分かれ、ワークシートの内容を元により詳しく調べます。ワークシートの内容がきっかけになっているので、子どもたちは漠然とではなく焦点化して調べることができます。また、iPadもグループに与えます。紙の資料は古いので、最新の情報も集めてほしいというわけです。ここで子どもたちの目標を、元のグループに戻って「調べたことを要領よくまとめて報告すること」としました。子どもたちにつけたい資質・能力として「伝える力」を意識して、そのことを子どもたちに説明していました。このことを目標として明確にしていたのはとても素晴らしいと思いました。残念なのは、世界史としてここで調べたことが何につながるかが意識されていなかったことです。元のグループでの発表は、とにかく話せばいいのでテンションが上がり気味です。発表者以外は調べていないので、一生懸命聞いていますが、ワークシートに書きこむのが目的になっているので、その内容について深く考えている様子はありませんでした。自分たちの調べたことをもとに課題を見つけるような活動したいところでした。具体的には、「これからのアジアの最大の課題は何か?」「アジアにおける最大のリスク要因は何か?」といったことを互いに調べたことをもとに、相談するといったものです。こういったゴールを意識して調べることで発表の内容も変わってきますし、グループ活動での思考が深まっていくと思います。
子どもたちは、授業規律もよく、一生懸命に課題に取り組んでいましたが、世界史としてどのような力がついたのかが今一つはっきりしなかったことが残念でした。

授業終了後に他の社会科の先生から質問を受けました。「考えさせる授業をしたいが知識がなければ考えることができない。知識を与えて、それをもとに考えさせるべきだと思うがどうだろうか?」というものです。必ずと言っていいほど先生方がぶつかる壁です。特に歴史では入試等で知識を問う問題が多いため、必要なことすべてを授業で説明しておかなければならないというプレッシャーが先生方にかかります。ここで先生方に意識してほしいのは、知識を説明しただけでは決して定着はしないということです。知識を定着させるために、どのような活動が必要か考えることが必要です。基本は、自分自身で調べることです。ただ指定された項目を調べて整理するよりも、課題を解決するためにどのような知識が必要かを考えて調べた方が間違いなく知識は身につくはずです。知識がなければ考えられないのはその通りですが、考える過程で知識を求める、調べるという方法もあるのです。
2つのことを意識するとよいと思います。まず、当たり前のことですが、基礎的な知識がなければ調べることすらできません。ネットなどを使って知識が簡単に手に入ると言っても、基礎的な知識がなければどこから調べていいかもわかりませんし、書かれている内容を理解することもできません。これをきちんと身につけさせることが必要です。もう1つは、どのような課題を設定するかです。子どもたちがその課題を解決しようとすると自然に知識を必要とするような課題を準備するのです。よく例に出しますが、「平安時代に農民たちが土地を捨てて逃げ出したのはどうしてか?どこへ行ったのか?」といったものです。土地を捨てる理由を考える過程で租庸調といった税制や、口分田の仕組を知る必要が出てきます。口分田を捨てて逃げてどこへ行くのかを考えることで、荘園制度の発達に関するいろいろなことに気づけるはずです。こういった課題を与えることで知識の獲得と考えることがつながっていきます。とはいえ、このような課題を毎回考えることはそれほど簡単ではありません。先生方が協力してこういった課題を蓄積していくことが求められます。

この続きは明日の日記で。

子どもたちのよさと次のへの課題が見えた数学の授業

2月に私立の中学校高等学校の授業研究に参加しました。この日は、公開授業の形で4人の方が授業研究をしてくださいました。特にうれしかったのが、数学の先生が2人も挑戦して下さったことです。

高校2年生の数学は、復習の問題を子どもたちが前で説明する形の授業でした。
授業者は子どもたち自身が解説し納得することを目指したようです。子どもの板書を教師が一方的に評価し解説するスタイルを変えようとしていることがわかります。子どもが一生懸命に自分の考えを説明しています。授業者は柔らかい言葉と表情で、必要に応じて発表者に質問したり、補足説明をしたりします。受容的なよい雰囲気です。しかし、残念なのは子どもたちの多くが友だちの説明よりも、板書を写すことに意識が行っているように見えることです。聞く側の子どもをいかに主体的に参加させるかが次の課題です。発表者と子どもたちをつなぐことを意識するとよいと思います。具体的には、「この部分の説明、納得できた?」と子どもたちに問いかけたり、時には「○○さんの説明してくれたこともう1回言ってくれる?」と聞いている子どもに発言をうながしたりするとよいでしょう。また、補足すべきことも「この式が出てきたのはどういうことか、○○さんの代わりに誰か説明してくれるかな?」というように、子どもたち自身にさせることが大切です。
数学の授業では子どもたちに板書させることが多いのですが、多くの子どもたちは自分ノートを見ながら黒板に写します。これは非常にムダな作業です。ノートを見ずに板書をしながら説明させるという方法もありますが、これはかなり高度になります。こういう場面ではICT機器の活用がとても有効です。ノートを実物投影機やカメラを使ってスクリーンに映せば大きく時間が短縮できます。こういったことにも挑戦してほしいと思います。今後どのように授業が変化していくかとても楽しみになる授業でした。

もう一つの2年生の数学は、積分の練習問題のワークシートを子どもたち自身で解かせる場面でした。
「どんな方法を使ってもいい」と相談することを推奨しています。子どもたちの表情はとてもよく、多くの子どもが楽しそうに問題に取り組んでいます。子どもたちは与えられた複数枚のワークシートに最後までしっかりと取り組んでいました。
ただ、相談者を子どもに自由に選ばせると、どうしても仲のよい子ども同士に偏りがちになります。そのためにテンションが上がりやすくなっています。また、手っ取り早く「これでいい?」と授業者に聞く子どももいました。参観している数学の先生に教えてもらう子どももいます。教師に教えてもらうのは間違いのない安全な方法ですが、無批判で受け入れることになります。子どもが自分で考える力をそいでしまうのです。それに対して子ども同士であれば、頭から信じることなく納得しようと考えます。できるだけ教師が個別に教えないようにすることが大切です。
友だちや先生とかかわりながら問題に取り組んでいる子どもたちがいる反面、自分一人で取り組む子どももいます。中にはなかなか手がつかずに困っている子どももいました。友だちに自分から相談できない子どももいるのです。こういった子どもに対しては、「まわりと相談してごらん」と他の子どもにつなぐことが必要です。
子どもたちは、ワークシートを1枚完成するごとに授業者に提出します。授業者はそれをチェックして不備があれば指摘して返します。よくあるやり方なのですが、常に先生がチェックするのでは、自分で修正する力がつきません。例えば、「グループで互いに吟味して完璧な解答をつくる」という課題にするといったやり方もあります。その時は、あまり簡単な問題ではなく、みんなで頭をひねるようなジャンプの課題である必要があります。
今回は面積を求める問題で、解答は「与えられた関数のグラフをかく」「求めたい面積がグラフのどの部分かを知る」「面積を求める式を立てる」「式を計算する」といったステップに分かれます。最初の「グラフをかく」部分ができなければ先に進みませんが、このグラフでつまずいている子どもが多いことが気になりました。中には、グラフをかかずに式を立てている子どももいます。1年生で学習した2次関数のグラフの基本が定着していないように見えます。もしそうであれば、子どもたちがこの部分を自分たちで復習するための手立てを考えておく必要があります。友だちに聞くというのも一つの方法ですが、1年生の教科書を用意しておくといったことも必要です。また、子どもたちの状況に応じて、グラフだけについて確認する場面をつくることも必要かもしれません。こういった形態の学習では、子どもが自力で解決するために必要なものが何かを考えておくことが大切になります。
また、先ほどの授業にも共通するのですが、子どもたちの解答に言葉の説明が少ないことが気になります。式の羅列です。どうも子どもたちが「数学は最終的な答がでればよい」と思っている節があります。数学で大切なのは、過程を論理的に説明することです。「なぜこの式になるのか?」「なぜこのような変形ができるのか?」といった疑問に対する最低限の説明が必要です。根拠を意識させることを大切にしてほしいと思います。
子どもたちが最後まで意欲的に取り組んでいたことが印象的でした。子どもたちのよさと次への課題が見えた、学びの多い授業でした。

この続きは明日の日記で。

第3回「教育と笑いの会」受付開始

第3回「教育と笑いの会」申込受付が始まりました。

日 時:平成28年6月5日(日)13時00分〜16時30分
場 所:東京 新宿三井ビル12階 ベネッセコーポレーション内
参加費:3,000円
定 員:200名

※懇親会を17:00より新宿三井ビル内の別会場で実施予定です。
懇親会への参加希望の場合、参加費は6,000円円(教育と笑いの会+懇親会)となります。

今回は初の東京開催となります。
関東ならではの演目もありますので、ご期待ください。

主催者側、参加者側双方にとって学びの多いインターンシップ

2月に企業のインターンシップで授業と学び研究所のフェローとして講師を務めました。昨今は採用活動が本格化する前にインターンシップの形で、企業での仕事がどのようなものかを紹介・体験することが増えています。東京、大阪2回ずつ開催されましたが、参加した学生たちもとても真剣でした。

社長による会社の業務の紹介では、この企業の目指す姿が語られます。教員の世界は、だれもがよく知っているものであり、インターンシップに代わる場として教育実習もありますのでこういったことは必要ないのかもしれませんが、一般企業にとっては大切なことです。
ここで話されることは、その会社によい人材が欲しいので宣伝色が強いように思われますが、決してそうではありません。採用活動にかかわらせていただいて強く感じるのが、会社のことをよく知って選んでほしいという姿勢です。いくら優秀な人材でも、思っていたのと違う、私に合わないとすぐに辞めることになっては、企業にとっても学生にとっても不幸です。そんなミスマッチがないように、できるだけどのような会社なのか、どのような業務なのか、どんな夢が描けるのかを伝えるのです。
ユニークなのが採用担当役員による、就活についてのお話しです。就活そのものと言うよりも、これから社会人として生きていくための視点と言ってもいいものです。学ぶことを楽しむ姿勢が大切であり、一生学び続ける人が求められていること、就活を通じて新しい自分を発見してほしいといった内容です。こういった学ぶことの本質を参加した学生に伝えようというところが、学校をフィールドにしている会社らしいところです。

メインのプログラムは、授業と学び研究所のフェローが講師となって進めますが、大切にしているのは、参加した学生に「学ぶ」とはどういうことかを具体的に理解してもらうことです。そのため、知識を一方的に教えたり、マニュアル的な方法論を伝えたりといった一方的な講義はありません。
最初は先生の仕事についての神戸和敏先生のプログラムです。
参加者は子どもの側からしか先生を見ていません。先生の仕事を知っているようで実はそのほんの一部しか知りません。先生はどんな仕事をしているのかを参加者に考えさせながら、先生方の仕事が多岐にわたり多忙であることと、子どもの教育に直接かかわることに時間を使うことが大切であることに気づかせます。この会社の成功が、ICTを使って先生を楽にさせるのではなく、その先にある子どもたちの教育のために何ができるかを考えている結果だということが、最初の社長による会社紹介と合わせてわかっていただけたと思います。

後半のプログラムはコンサルティングの体験ということで、小中学校の校長から学校の課題を聞きだすというヒアリングのロールプレイです。神戸先生ともう一人玉置崇先生に校長役になってもらい、私が進行役で行いました。
最初にコンサルティングとは何をすればよいのか、何が大切なのかを考えてもらいます。相手の課題を知ることが大切だと気づいてもらったうえで、課題を提示しました。グループでどのような質問をすればよいか、どのように進めていけばよいかを相談してもらい、1回目のロールプレイに挑戦です。課題を聞きだそうとして、用意した質問をすることに意識がいってしまいます。中には「学校の課題は何ですか?」と直接聞く学生もいますが、人間関係もできていないのにそのような質問に答えてもらえるわけもありません。どの学生も会話がつながらず、1回目はほとんど何も聞き出すことができませんでした。ヒアリングではまず相手の言葉をていねいに聞くことが大切です。そこから学校の課題につながることを見つけ出し、焦点化して詳しく話をしていただくことが必要です。校長役は、学校の課題やこれからやりたいと思っていることを実にうまく会話の中に織り込んでいますが、そのことになかなか気づけていません。一人ひとりのロールプレイを振り返りながら、具体的な場面で何が起こっていたのかを考えてもらいます。自分たちだけでそのことに気づいてもらいたいのですが、時間の関係で私が少し誘導して、解説しました。
もう一度グループでどうすればいいのかを考えてもらい、2回目のロールプレイです。優秀な学生たちなのでしょう、驚くほどの進歩を見せてくれます。先ほどの互いのロールプレイから多くを学んだようです。相手の話を聞くことの大切さを意識していることが、聞く姿勢に現れています。校長にまた相手をしてもよい思わせるヒアリングになっていました。

最初、参加した学生たちは、どうすればよいのかを教えてくれるものだと思っていたようですが、このインターンシップを通じて「現実の社会では正解はなく、自分たちでよりよい答を導き出さなければならない」「他者と相談することで、よりよい答に近づける」ことに気づいてくれたようです。また、「コミュニケーションの基本は聞くこと」と頭でわかっていても実際にはとても難しいことです。相手の言葉を受けて、その場で次に何を言うべきか考えるといった経験はとても新鮮だったようです。手前味噌ですが、学生たちにはとてもよい学びなったことと思います。このインターンシップを通じての学生たちの変容から、私たちも多くのことを学べました。主催者側、参加者側双方にとって学びの多いインターンシップでした。

先生方の工夫から学ぶ

前回の日記の続きです。

3年生の英語の授業は”listening”の場面でした。
入試を意識しているのでしょう。試験の形式で進んでいました。子どもたちは一生懸命に聞いているのですが、全く手がつかない子どもの姿が見えます。聞き取りの後、相談する時間をつくります。手がつかなかった子どもも参加するのですが、他の子どもが聞き取った内容を聞いても聞き取りの力がつくわけではありません。しかし、聞き取ったこと聞き合うことで内容の理解は進み、問題に正解することには近づきます。この活動に意味はあるのですが、”listening”の力をつけることには直接つながりません。なかなか難しいところです。
また、指名した子どもの答を聞いてもそれが正しいかどうかの確認もできません。一問一答になりがちで、一部の子どもだけで進んでいくことになってしまいます。頭出しが難しいといった問題があるのですが、何人かに答を聞いた後でもう一度聞き直して、聞き取れなかった子どもに確認するといったことをしたいところでした。

3年生のもう1つの英語の授業も”listening”の場面でした。
授業者はベテランですが、毎回新しい試みを見せてくれる方です。今回は”listening”の進め方についていろいろな工夫がありました。
T2が書いたという英語の作文を読むことを伝えます。何について書かれているのか簡単に伝え、聞かせた後にする質問を事前に伝えておきます。”situation”をはっきりさせることで、聞き取りはずいぶん違ってきます。また、通常は聞き取った後に初めて質問がわかるので、長文の聞き取りの場合、ある程度聞き取れたことでも質問された時に「あれっ?」となってしまうこともあります。しかし、今回のように事前に質問がわかっていると、話の流れを追うところと集中して聞くべきところを意識できます。なかなか面白い工夫だと思います。
気になったのが、作文はその時に書かれたことなので時制は現在になります。しかし、この作文がいつ書かれたことかを明確にしておかないと、質問や答の時制がはっきりしません。日本語と違って英語は時制を明確に区別するので、その意識を持たせるためにはっきりさせたいところでした。
子どもたちは集中して授業に参加していました。互いに聞き取れたことを確認した後に再度聞き直す機会があるからでしょうか、しっかりとかかわり合えていました。
子どもたちは内容を聞き取れていても、答の英文をきちんと作れるとは限りません。単語レベルの答になることもよくあります。”listening”で内容がわかることと、きちんと英語で答えられることは違うのです。質問で使われる英文の受け答えについて、”listening”の前に復習しておくといったことも必要になります。子どもたちが一連の学習活動でできるようになるために必要なことは何か、それをどのような形で押さえておくかが大切になるのです。

1年生の英語は少経験者ですが、色々新しいことに挑戦しています。
今回は単語や句と対応した絵が描かれた小さな”picture card”を活用していました。与えられた英文をオウム返しで言ったり、単語を置き換えて英文を話したりするのではなく、”picture card”で与えられた”situation”を英語で表現させようという試みです。ペアの一方が英語の語順に従ってカードを並べます。他方がそれを英語に直して表現します。カードの絵を見て理解した”situation”を英語に直すことで、”situation”と英語の表現がつながっていきます。子どもたちは集中して取り組んでいました。しかし、ペアによっては”picture card”を正しく並べられなかったり、時間がかかったりしています。ここをどうするかが課題です。困った時に参考となるように、いくつかの文例を黒板に貼っておくといったやり方もあります。子どもたちが黒板をよく見るようであれば、まだ定着していないことがわかるというよさもあります。
ペアでなく4人グループで進めるという方法もあります。ペアに対してそれぞれにバディをつけて、困った時に助けてもらうのです。
取り組みの方向性はとてもよいので、もう一工夫することで素晴らしいものになると思います。今後がますます楽しみです。

初任者の3年生の国語の授業は助動詞の学習でした。
例文のどれが助動詞かを問いかけ、続いて、「そうだ」にどんな意味があるか書くように指示します。「どんな意味」という言葉では、何を答えていいのかよくわかりません。一問一答に慣れている子どもは、教科書に書かれている用法を答えてほしいのだと、授業者の意図を読みますが、それではあまり意味はありません。
「助動詞が付加されることで……」と助動詞を説明しますが、これで理解することは難しいと思います。助動詞をつけた文と、つけていない文を比較することが大切です。比較することで、助動詞の持つ機能や、個々の助動詞がそれぞれどのような意味や働きをするのかがわかってくると思います。
「れる・られる」には4つの意味があるとまとめます。意味の覚え方を教えますが、あまり意味のある活動とは思えません。確かに試験の時に素早く答を出すためには覚えておくとよいのかもしれませんが、子ども自身が日本語の意味から答を導き出せることで十分だと思います。「自発」「尊敬」「可能」「受け身」という言葉の意味が正しく理解できていれば、分類することはさほど難しいとは思いません。
子どもたちにどのような力をつけたいのかが、少しずれているように思います。おそらく自身がそういう授業を受けてきたのだと思いますが、そこから早く脱却してほしいと思います。
また、寝ている子どもを指名したことも気になりました。指名された子どもは当然答えることができませんので恥ずかしい思いをします。さらし者にしていることに気づいてほしいと思います。まわりの子どもに声かけてもらうような動きをしたいところでした。

1年生の国語の授業は、本文を音読する場面でした。
子どもたちに1文ずつ音読させますが、なぜこの場面でこのやり方をするのでしょうか。子どもたちは何を目標にして音読するのでしょうか。こういった活動のねらいがはっきりとしていないことが気になります。漢字を読めなかった子どもに対して、他の子どもに助けるように「大きな声で言ったげて」とうながします。助けてもらう子どもにすると、「大きな声」で言われるのはちょっと恥ずかしいものです。「まわりの人、助けてあげて」と近くの子どもとのかかわりを活かした方がよかったかもしれません。
子どもたちは「女中」が読めません。「女中」という言葉そのものを知らないようです。読み方だけであれば、音読みは「想像」できますが、意味までは想像できません。また、「繕う」も読めませんでした。これは訓読みなので、「想像」では読むのは難しいでしょう。「修繕」という言葉を知っていれば意味はわかるかもしれません。少なくともどうすれば読み方を調べることができるのか、意味を知ることができるのかを確認をしたいところです。結局どちらも授業者が教えて終わりました。その場で調べさせるか、チェックだけにしておいて後で時間をとるのか、それとも、事前に調べさせてから音読させるのか、いずれにしても、子ども自身で調べさせたいところでした。
読んでみた感想を聞きますが、何のためなのかがよくわかりません。感想を書かせておいて、「この単元の学習が終わった時にもう一度書いてもらうね。授業で読み取りをすることで、どう感想が変わるか楽しみだね」というようにして、目的意識を持たせたいところでした。
国語では音読をするのはごく普通の活動です。だからこそ、この単元のこの場面で音読するのは何をねらっているのかを明確に意識してほしいと思いました。

今年度の現職教育のまとめの時間に話をさせていただきました。
この学校は、入学した子どもたちが3年間で必ず見事に成長していきます。3年生になると「どんな先生の授業でも前向きに集中して取り組む」姿を見せてくれます。あたりまえのことのように思えるかもしれませんが、「どんな先生でも」というのはそう簡単なことではありません。先生だけでなく、上級生が下級生によい影響を与えていることも大きな要因です。このことが伝統となりつつあるのを感じます。
子どもの発言をしっかり聞ける先生が増えており、先生と子どもの関係も良好です。しかし、子どもが先生の話を聞いてくれるので、先生のしゃべる量が増えてきたように思います。また、子どもを受容することはできるのですが、子どもの発言や行動をポジティブに評価したり、価値付けしたりする場面が少ないように思います。
一方の子ども同士の関係は、基本的にはよいのですが、うまくかかわれずに輪に入れない子どもの存在が気になります。友だちの話は笑顔で聞けるのですが、自分の考えを話すことには苦手意識がある子どもも多いようです。先ほどの先生の子どもへの評価の問題とも重なりますが、学習場面で自分が友だちから評価されている、認められているという実感が低いように感じます。
こういったことから、次年度の課題として、子どもを評価することを大切にしてほしいとお願いしました。先生が価値付けすることを意識するだけでなく、友だちが評価する場面もつくってほしいと思います。子どもは間違えて恥をかきたくないので、正解を求めてばかりではどうしても発言に消極的になります。一問一答的なことを問いかけるのではなく、互いに聞き合うことで深まる、解決するような課題を設定することが大切になります。何に困っているかを問いかけて、わからないことに価値があることを伝えることが必要です。まずは、先生がどのようなことに価値があるかを教えることから始め、その上で、子ども同士が認め合う場面をつくっていくようにしてほしいと思います。正解したことを評価するのではなく、進歩したことを評価する姿勢を忘れないこともお願いしました。

今年度もこの学校で授業アドバイスをさせていただくことになりました。ずいぶん長期になりましたが、先生方の前向きな姿勢や授業に対する工夫を見せていただくおかげで、いつも新鮮な気持ちで授業を見ることができます。今年度も多くのことを学ばせていただけると楽しみにしています。

先生が互いに学び合っていることがわかる社会科の授業

昨年度最後の中学校への訪問のことです。先生方への授業アドバイスと、現職教育のまとめの時間に次年度へ向けての課題と方策についてお話をさせていただきました。

この日は社会科の授業をたくさん見せていただきました。

3年生の1つ目の社会科の授業は文化についての復習の場面でした。
資料のプリントを配って課題の説明をします。子どもたちは資料をもらってテンションが上がります。「あっ、これは何々だ」と自分の知っているものを見つけてうれしくなったのかもしれません。子どもの学習意欲の表れとも言えるのですが、ちょっと説明に集中するまで時間がかかりました。拡大コピーも準備してあったので、プリントを配る前にこれを使って説明した方がよかったかもしれません。
プリントには各時代の文化に関する資料がたくさん印刷されています。それがどのようなことを示しているのかを調べるのが課題です。文化の変遷を考えさせようというねらいでしょう。
子どもたちは、それが「○○時代の○○の絵」「○○文化を代表する建物」というように何の資料かを確認していきます。しかし、それ以上深く考えようとせずに、次の資料に向かいます。ちょっともったいないように思いました。
子どもたちに答を発表させますが、友だちの発表を聞いていない子どももいます。授業者はそれに気づいて、「聞いてあげなきゃ」と声をかけます。友だちの発言を聞くことを意識出ているのはとてもよいことです。ただ、「あげなきゃ」という言い方は「してあげる」というニュアンスを感じます。「聞こうよ」でよかったと思います。
発表した答がそれでよいかどうかを授業者が判断しますが、その資料に関連したことについてはそれ以上問いかけません。このことを含めて一連の流れが一問一答形式のクイズに近くなっています。
課題を、資料に示されているような文化が起こってきた背景を考えるようにしても面白かったと思います。「人物」「政治」「経済」といった視点や、「天皇」「貴族」「武士」「僧侶」「商人」「大衆」といった誰が文化の担い手(パトロン)なのかという視点で整理させると、文化の側面から歴史全体の流れを感じることができたと思います。
授業者は前向きに授業改善に努めている方です。この1年で授業観もずいぶん変わりました。この学校に赴任してきてカルチャーショックを受けたようですが、大きく成長されたと思います。今年度の授業がどのようなものになるのか、とても楽しみです。

3年生の2つ目の社会科の授業は、テロについて考える授業です。こういった、今そこにある問題について考えることができるのが社会科の魅力です。
過去の戦争の写真を見せて、これが何戦争かを確認します。9.11の写真を見せ、これがテロであることを押さえます。子どもたちはとても興味を持って見ています。
この日の課題は、「新しい戦争の特徴は何か?」ですが、戦争とテロという言葉の違いが子どもにきちんと理解されていません。そもそも「テロ」を単純に「戦争」といっていいのかも疑問ですし、「新しい」というからには、過去と比較することも大切です。この課題に取り組む前に、過去の戦争はどういうものだったのかをまとめておくことも必要だったと思います。子どもにとって課題が今一つ明確でなかったために、グループでの話し合いは方向性のない雑談のようになっていました。
「戦争は何を解決する手段だったのか?」「戦争に勝つことで得られるものは何だったのか?」という視点で子どもたち話し合わせた後、戦争をテロに置き換えて考えさせるといった展開もあったと思います。
題材や流れを工夫しようとしています。何を考えさせたいかもかなりはっきりしていると思います。同じことをさせようとしても、課題の伝え方、与え方で子どもたちの動きは大きく変わってきます。そこのところを意識するとよいと思います。

3年の3つ目の授業も、同じくテロについて考える問題でした。
池上彰の文章を読ませて、テロについて考えさせます。この文章では、テロが増加した原因について、イラク戦争によってフセインの支配が終了したことを挙げています。フセインがいろいろな宗教勢力や部族を力で押さえていたから、それまでテロも起こらなかったという話です。子どもたちに全くない視点を与えることで、考えの幅を広げるというのは、新鮮でした。子どもたちなりに、テロが起きる理由を考えさせるきっかけとして有効だと思いました。戦闘場面とテロの場面を比較することで、戦争は戦場という非日常の場所で起こるが、テロは私たちの日常生活の場で起こることに注目させます。難しい定義ではなく、子どもたちとって直感的に理解できることで、明確に違いを意識させるのは見事だと思います。
子どもたちから、テロにおける対立を「どっちもどっち」だという意見が出てきます。授業者は双方の立場や主張をそれぞれ納得できるかを問いかけます。ここをどのように扱うべきか、授業を見せていただきながら考えてしまいました。子どもたちは何が対立の原因となっているかをしっかり理解できているのか疑問だったからです。授業を途中からしか見ていませんので、何とも言えないのですが、子どもたちの様子からはどうもわかっているようには見えないのです。このことについて時間をとるという発想もあるのですが、所詮わずかな時間で理解することは不可能です。授業者はここに時間をとるのではなく「テロをどうやってなくす?」という課題に時間をとることを選びました。
この課題には当然正解などありません。子どもたちからすごい答がでてくることを期待しているわけではありません。「この問題を自分たちの問題としてこれからも考え続けてほしいし、考えなければならない。そのきっかけになればよい」と考えているのだと思います。「友だちの多様な考えに触れて、より深く考えようとする」「テロに関連するニュースを目にしたら、興味を持ってくれる」、そんな子どもたちの姿を願っているのだと思います。
授業者の子どもの成長への思いが感じられる授業でした。

2年生の社会は、明治後期から大正時代の日本の社会の変化をとらえる授業でした。
資本主義が浸透し、軽工業から重工業に経済がシフトしていきます。農村の変化などいくつかのテーマに分かれて子どもたちが調べ学習をしていました。そこでまとめたことを自分のグループに戻り、聞き合うジグソー型の学習でした。
子どもたちのテンションが高いことが気になります。作業はしているのですが、あまり考えているようには見えません。友だちのまとめを聞いていますが、事実が話されるだけで、なぜそうなったかという原因や理由については触れられていません。そのことを考えることに時間を使いたかったところです。
「軽工業から重工業へ移った」とまとめても、その理由はわかりません。発展を支えたのが重工業と説明しても、それは結果です。資本主義が広がって、農村に小作人ができると言われても、なぜそうなるのか子どもたちは理解できたでしょうか?
資本主義を考える上で、産業革命によって社会がどのように変化したかを押さえておくとよかったと思います。大量に物を作ることができるようになりましたが、そのためには工場や設備のためにより多くの資本が必要となります。また、そこで働く労働者も必要です。大量に作られたものを消費してもらわないと物が余って不況になってしまいます。こういったことがわかっていないと、社会の変化をみる視点が定まりません。
「子どもたちに何を考えさせたいのか」「どのような課題であれば子どもたちは考えるのか」「考えるために必要な知識や資料は何か」「知識や資料は与えるのか、調べさせるのか」といったことを考えておく必要があります。
子どもたちは安心して授業に参加できるようになっていますので、こういったことを意識するとグンと授業がよくなると思います。

1年生の社会の授業はあまり時間をかけてみることができませんでした。
勘合貿易についての場面でしたが、授業者が説明しすぎているように思いました。若手ですが、教材研究をしっかりして工夫した授業をしています。まとめとして説明していることを子どもたち言わせることができるとよいと思います。これからどのように進歩していくか楽しみな先生の一人です。

教科書を説明して用語を覚えさせるような古いタイプの授業は一つもありません。この学校の社会の先生方が互いに学び合って授業の質を向上させているのがよくわかった一日でした。

この続きは次回の日記で。

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午後の部)(その2)

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午後の部)(その1)」の続きです。

2つ目の模擬授業は、豊田市立小清水小学校長の和田裕枝先生の道徳です。最初に子ども役全員と握手をします。その後で「これでみなさんと友だちになった気がします」と伝えます。この時子ども役のみなさんはうなずきましたが、一人だけ反応しません。和田先生はすかさずその子ども役に声をかけます。さすがです。子どもたちをよく見ているだけでなく、一人もこぼさずに対応するという姿勢を伝えます。この「友だち」という言葉は、この日の授業の内容につながるキーワードです。思わず、「上手い!」と声に出してしまいました。

資料を範読しますが、子ども役には資料を渡しません。顔を上げさせて、聞くことに集中させたいからです。題名を読む代わりに、「困った子の話を今から読みます。主人公の気持ちになって聞いて」とどんな話か子ども役に見通しを持たせておきます。和田先生は手元の原稿に目を落としながら読みますが、すぐに顔を上げて子ども役を見ます。子どもから目を離しません。常に子どもを見ようとする姿勢はぶれません。資料の中にフリーマーケットという言葉が出てきます。子ども役に知っているか確認しました。知らない言葉があるとそこで引っかかって先へ進めなくなる子どもがいます。ちょっと難しい言葉があれば出てきたその場で確認することは、道徳の読み物資料では大切になります。

話の内容は、みんなでフリーマーケットに行くことになったが、仲間外れになっている子どもを誘うかどうかで主人公が悩むものです。資料を読みながらポイントとなるところで止めます。「もやもやしたままだった」という気持ちを子ども役に想像させます。「何かと何かが戦っている気がした」という言葉がでてきます。ここで、主語の私が誰か混乱した子ども役がいました。いったん止めて確認し、「よく言ってくれました」とほめます。「わからない」と口に出すことはなかなかできないものです。ここでほめることで、子どもたちは安心して口にすることができるようになります。続いてその時の主人公の表情をかいた絵を「こんな顔をしています」と貼ります。面白い絵の使い方です。言葉ではうまく理解できなかった子どもでも絵から気持ちを想像できることもあります。うまい方法です。「さそいたくない」という発言を「いい言葉だね」と認めます。どんな発言もしっかりと受容してくれるので、発言しやすくなります。特に道徳では、子どもが自分の考えや思いを飾らずに発言してくれることが大切になります。和田先生は、子どもの発言を受容するだけでなく、価値付けもしっかりと行います。「原稿ないのに、よく聞いていたね。メモしてたもんね」とメモをしながら聞いていた子ども役の発言を受けて評価します。
「戦うとはどういうこと?」と焦点化していきます。「ぶつかりあうこと」「迷っている」「困っていること」とテンポよく次々に発言させ、考えを広げていきます。その上で全員に書かせます。「えらいな、もう鉛筆持っている」と素早く行動した子どもをほめて、よい行動を学級全体に広げようとします。「大体2分で書いてくれるといいなあ」と時間を指示します。「いいなあ」という文末の表現がなかなかです。「書きなさい」という命令ではなく、「実行すると『いい』と評価されるよ」というポジティブなメッセージを送っています。ちょっとした言葉づかいにも和田先生の授業観が見えてきます。
机間指導しながら、「理由を書こうと思っているんだね」と大きめの声でほめています。単に「こういうこと」だけでなく、「○○だから」という理由も書けるとよいことを、オープンカンニングで他の子ども役に知らせます。

鉛筆を置いて、全体での話し合いに入ります。動きの遅い子ども役に、「もう書き終ったんだね。鉛筆を置いたからね」と声を掛けます。ちゃんと見ているよというメッセージを伝えるとともに、次の行動を促します。
子ども役の手が一斉に挙がりますが全員ではありません。3人ほど手が挙がっていないのですが、これだけ手が挙がっているとつい指名したくなります。しかし、和田先生は指名を少し待ちます。ほぼ「全員」と思うのか、「あと3人」と思うのかで授業は大きく変わってきます。和田先生は全員参加を願っているので、あと3人の参加を待ちます。すぐに2人が追加で手を挙げます。そして、最後の1人の手が挙がったのを見届けて、挙手指名ではなく「全員に聞くよ」と順番に聞き始めました。子どもの状況によって進め方を変えます。

子どもの発言を受けて、「してあげたい」か「した方がいい」かと、自分の気持ちなのか道徳的な判断なのかを焦点化していきます。端的な言葉で焦点化するうまい返しです。「本当の気持ちは誘ってあげたいけど……」と返ってきます。ここでまとめようとせずに、次の子ども役を指名します。「男の子なので女の子の気持ちは難しい」という答えが返ってきます。子ども役はなかなかの役者です。和田先生は「別の言葉で……」と前の発言とつなぐことで言葉を出させようとしますが、「えー、出てこない」と反応します。ここで、「見つかったら教えてください」と次に移りました。一人の子どもにかかわりすぎても授業がだれてしまいます。あとでこの子どもを活かす場面をつくることにして、先に進んだのです。こういった瞬時の判断が見事です。

「どうして『けど』がつくんですか?」と「けど」にこだわることで、より深く気持ちを考えさせます。十分深めたところで、この資料の題名を提示します。「思い切って」と板書の手を止めて、「どんな題名?」と問いかけます。なるほど、この展開だから題名を読まなかったのかと納得しました。「やってみる」と声が返ってきます。ここから「言ってみる」という言葉につなぎ、子ども役の手を止めさせて一緒に読ませます。「思い切って言ったらどうなるの?」と迫ることで、子ども役が課題に入っていきます。仲間はずれにされている子どもが主人公に話しかけてきた絵を指さして考えさせます。主人公がまだ思い切って言っていない場面で一旦止めることで、子ども役がさらにぐっと入り込んでいきます。
「○○ちゃん(仲間外れを主導している子ども)に聞いてみる」と考えることからちょっと逃げている発表をする子ども役に対しては、「○○ちゃんにどう聞くか考えてね?」と正面から向き合わざる得ない質問を返します。こういったとっさの切り返しはなかなかまねができません。次々に指名していくと、「○○ちゃんに聞いてみて」「○○ちゃん、一緒に行っていいよね」「一緒に行こうよ」とだんだん自分の気持ちが強く出る言葉に変わっていきます。「〜けど?」「〜けど?」と聞き返すことで、「こわいけど」と言う言葉を引き出します。「せっかくだからみんなで……」という言葉が出てくると、「せっかくだから」という言葉をクローズアップして評価します。

「何を○○ちゃんに考えてほしい」ともう1回考えさせます。ここでも、「〜けど」という言葉が出てきます。和田先生が意図的に使った言葉です。状況に流されてしまいやすい時に、踏みとどまり思い切って行動してほしい。そのためのキーワードが「〜けど」になっていたのです。長々とした言葉で説明するのではなく、端的な言葉でねらいに近づける、達成する授業構成は見事でした。
最後に、仲間外れにされていた子どもの頭の中はどうなったかを絵で見せることで、思い切って行動した結果が素敵なものであったことを示して終わりました。

授業検討は岩倉市立岩倉中学校長の野木森広先生のコーディネートで進みます。このセクションでは、参観者が「よい」「疑問」と思ったところで携帯端末のそれぞれのボタンを押すとそれが記録され、どの場面で押されたかをグラフ化して見せてくれる「授業検討ツール」を使って行いました。昨年度のフォーラムで発表したものです。参観者の反応をグラフから読み取り、議論する場面を焦点化するツールです。場面を指定すると瞬時にその場面が映し出されます。
慣れていない方がこの端末を持って授業を見ると、途中から授業に見入ってボタンが押されなくなる傾向があります。ところが今回は、非常に多くの場面でたくさんボタンが押されていました。参観者が研究会の会員なので慣れていることもありますが、和田先生の授業にそれだけ見るべき場面が多かったということだと思います。どこを話題にするのか、あまりにグラフの山が多いので野木森先生もちょっと困った様子でした。グラフを見ながら話し合う場面を選びますが、おそらく野木森先生が授業の流れの中で話し合うとよいと思った場面を意図的に選んでいるのだと思いました。再生された場面を確認して意見を聞き合います。あらためて授業を映像で振り返ったあとで意見を聞くので、会場の参加者も納得度が高かったと思います。こういったツールで場面を共有して話を聞き合うよさを感じていただけたと思います。
検討会は、皆さんの意見と合わせて野木森先生が和田先生の意図を確認する場面がたくさんありました。おかげで、和田先生の一つひとつの行動の意図がよくわかりました。とても学びの多い検討会でした。

最後に午後の部のまとめを、コーディネーターと授業者に、津市の初任者指導員をしている元校長の中林則孝先生、大府市立南中学校の近藤肖匡先生そして私を加え、野木森先生の司会で行いました。若手が増える中、学校での授業検討はどうあるべきかと、「授業アドバイスツール」や「授業検討ツール」などを活用することで、どう授業検討が活性化できるかについて話しました。これらのツールについては、今後も研究会でブラッシュアップし、具体的な授業検討法と共に、普及させていきたいと考えています。

来年度の愛される学校づくりフォーラムは2月に研究会の地元である愛知県で行う予定です。詳細が決まりましたら、また案内させていただきたいと思います。

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午後の部)(その1)

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その4)」の続きです。

午後の部は2つの模擬授業と授業検討です。最初に会長の小牧市立岩崎中学校長(当時)の石川学先生からの趣旨説明が行われました。愛される学校づくり研究会でこの数年間、授業検討法の研究に取り組んできました。若い先生も増え、校内での授業研究の重要性が高まっていますが、なかなか活性化しないということが現実です。それを何とかするために授業検討のやり方を工夫しようというわけです。その成果として、研究会で考えられた授業検討法とそれを活かすために企業会員と共同で試作されたICTを活用したツールの紹介がされました。

1つ目は、授業と学び研究所フェローの神戸和敏先生による小学校算数の発展的な学習の模擬授業です。このセクションでは、ベテランの先生が若手に授業アドバイスをする形での授業検討を想定しています。アドバイザー役に新城市立作手小学校長(当時)の小西祥二先生、若手役に岐阜聖徳大学教育学部の玉置ゼミの学生をお願いしました。
模擬授業は、トイレットペーパーを見せて何を考えるか、子ども役に疑問を問いかけるところから始まります。何を答えてもいいし、何を答えていいかわからない問いです。神戸先生は子ども役からでてくる、どんな発言もしっかりと受容します。どんな答も受容されること、何を答えても安心であることを伝える場面になっています。子ども役からでてきた厚みという言葉が何を意味しているか、「厚みとは何だと思いますか?」と他の子ども役に問いかけます。「何回使えるか」という答に、「1回しか使わない」とぼけて見せます。より詳しく伝えようとさせるための返しです。他の子ども役が、「何回分のトイレになる」と足してくれます。「そういうことか?」と聞き返し、「今の(説明)なら大丈夫?」と全体に確認します。神戸先生は自分が説明するのではなく、子ども役の言葉を重ね、それでよいかの判断も子ども役にさせます。子ども役の「厚み」という言葉から、「何回(使える)」⇒「何巻」として、これを課題として考えることにしました。子ども役から出てきた言葉から課題が導き出されます。子どもが自ら課題を見つけだすということはそれほど簡単ではありません。こういった子どもとのキャッチボールは、子どもに疑問を持たせて課題につなげる方法の一つです。

トイレットペーパーの外径、内径、全体の厚さ、長さ、シングルといった情報を与えて考えさせます。子ども役は、大人なので知識がじゃまをするのかもしれません。だんだん半径が大きくなるからと、手詰まりです。どこで困っているかを共有して、相談させます。
子ども役から、「トイレットペーパーの外径と内径の平均で考える」というアイデアがでてきます。それを受けてすぐに説明したりはしません。子ども役の反応を見ます。今の説明を聞いて納得したかを他の子ども役に確認すると、「本当に平均で計算していいのか不安」という声が返ってきました。「どこに疑問を感じていましたか?」と他の子どもにも確認し、「平均でなぜいいの?」と問いかけます。それに対して、「2巻だとわかりやすくなる」という意見が出てきます。ここで、「どういう風にわかりやすいのかな」と返します。こういった切り返しで考えが明確になり、全体で共有しやすくなります。「実際に確かめたらいい」と確認の方法が返ってきます。このように、すべて子ども役の言葉やアイデアで授業は進んでいきました。こうして、1巻の長さを、内径と外径の平均を半径とする円周の長さと考えて、トイレットペーパーの全体の長さをその長さで割ることで何巻か出せそうだということになりました。
最後に、日常ちょっとしたことに疑問を持つことの大切さやそこに算数が活かされることを話され、「あれっと思える人生」になるといいと締めくくられました。実はこの授業は、神戸先生が現役の校長時代に6年生への最後の授業として行われたものだったのです。

この授業の検討は、「授業アドバイスツール」を使って行われました。このツールは授業をタブレットや携帯端末で録画し、アドバイザーが気になったシーンで画面をタッチするとその時の静止画と時間情報が記録され、後からそのシーンを簡単に呼び出して動画を再生することができるというものです。
小西先生は実際のアドバイスを意識して、まず神戸先生の授業から学んだことを若手役の学生に問いかけます。とにかく驚いたのが、学生のコメントがとても的確だったことです。

・情報の一部を隠すことで何だろうと興味を持たせていた。
・大切なことを子どもに言わせる。「同じ」といってもその同じをもう一度言わせる。
・子どもの発言内容の補足を、発言者ではなく、あえて他の子どもに問いかけて子ども同士をつなぐ。
・挙手ではなく、表情を見て意図的に指名している。
・全体での意見交換で行き詰ったところで、まわりと意見交換するように戻した。

といったことが続きと出てきます。まさに、「びっくりぽん!」です。私のまわりの先生方も、自分の学校の若手教員でもここまでは気づけないだろうと感心しきりでした。指導教官の玉置先生はさぞ鼻が高くなったことでしょう。
小西先生もアドバイスがしづらかったでしょうが、そこは見事につないでいきます。学生が指摘した場面だけでなく、小西先生がチェックした場面を再生して見せて、そこで何が起こっているかを一緒に検討していきます。「授業アドバイスツール」のよさが伝わる場面ですが、どうにも学生のコメントのインパクトの方が強かったように感じてしまいました。
今回、開発企業がこの授業アドバイスツールを希望者に貸し出すという案内をしたところ、想像以上にたくさんの方に興味を持っていただけました。たとえメモしていたとしても、授業後その授業場面を的確に説明することは難しいものです。その場面を瞬時に呼び出して授業者と共有することができる「授業アドバイスツール」には、やはりそれだけの魅力があったということです。開発にかかわらせていただいた私たちにとってもうれしいことです。

この続きは、「愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午後の部)(その2)」で。

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その4)

愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午前の部)(その3)」の続きです。

第4のテーマは「授業における『真のICT活用』とは」です。国際大学(CLOCOM)の豊福晋平先生が提案者です。
日本における学習者のICT活用は、国際的に見ても低い水準にあります。モデル先進校での1人1台のタブレット環境での活用が報じられても、学校現場では明るいこととしてとらえられていません。「先生方、しんどくありません?」と豊福先生は問いかけられます。いわゆる「授業ICTの不都合な真実」として、次のようなことを挙げられます。

・教師の負荷の大きさ
・指導力を高めないと使えない
・教育効果が上がるのか

その上で、「先生方はやるべきことはやっているのでしょうか?」と迫ります。今行われている学習者が受け身の短時間、単純操作のICT活用では本当に効果があるのか疑問です。一斉指導型のICT活用は非効率ではないでしょうか。
今私たちの日常では、旧来のメディアがデジタルで統合されることで扱うことのできる情報量が格段に増え、情報がデジタル中心になっていくというデジタルシフトが進んでいます。しかし、一斉指導の授業を行なっていても、子どもたちのデジタルシフトは起こりません。次のような活用することで、デジタルシフトを子どもたちの学びに活かすことができるはずです。

・学習者中心
・自己調整と協働
・ピンポイントから学習者の日常へ

子どもたちが授業者の指示に従って教具的に使うのではなく、自分たちの道具として使いたい場面で自由に使うというように、「教具から文具へ」とICTを変える必要があるのです。
さらに、この先、学校が子どもたちの多様な学びの一つとなってもよいのではないかと締めくくられました。

この「教具から文具へ」という話題は、研究会でも何度も議論されていますが、なかなか結論の出ることではありません。
ここからの進め方が、コーディネータの玉置先生らしいところです。登壇者と豊福先生の考えの隔たりを見える化します。豊福先生を舞台の上手に立たせ、考えの隔たり登壇者に立つ位置で表わしてもらいます。舞台の下手には小中学校の先生が固まります。豊福先生のそばには、一般企業に勤める方や大学の先生が集まります。中には、豊福先生のさらに右側に立って、より過激な考えであることを示される方もいます。
先生方は、「いきなりそこに行くことは現実的にできない」と主張します。「1人1台のタブレットやBYOD(Bring Your Own Device)といった環境はまだまだこれからである」「現場は学習指導要領に基づいて授業をする。子どもたちに教えるべきことが決められている中で、豊福先生のおっしゃるような授業を組みこむことは難しい」「たとえ『教具』であっても、子どもたちに学力をつけるのに有効な手段であるならば積極的に活用すべきだ」といった考えです。一方、「子どもたちはすでにICTを自在に使うことができるようになっている。その力を前提にした学び方、問題を解決する力を身につけなければ、これからの時代を生きていくことはできない。学校がその力をつける場であるべきだ」といった意見も出てきます。

どちらの主張も説得力があり正しいように見えるのに、これだけ立ち位置に隔たりがあるのはなぜでしょう。観客の皆さんはどのように感じられたのでしょうか。私は、先生方は豊福先生の考えることを決して否定していないと思います。豊福先生の示すような授業をできればしたいと思っているはずです。しかし、今の時点ではとても難しいのです。橋のない川の向こうからこちら側においでと言われているようなものです。泳いで渡るには流れが急すぎます。向こう側に行くには橋が必要です。しかし、橋を架けろと言われても、先生方にはその技術も時間もありません。泳ぎに自身のある方が力任せに泳いで渡ろうとしても、普通の方はついてはいけません。みんなが渡れるように誰かが橋を架ける必要があるのです。
「教具から文具へ」の移行の道筋が示されていないのが、この隔たりの原因だと思います。目指すべき姿を実現するための環境整備やそのための予算、指導要領の改訂といった行政側の施策も必要になります。教育行政を動かせる立場にない者での議論の限界なのかもしれません。この議論は、「『教具から文具へ』を実現させるためには、行政が何をすべきか」「それを実行させるために私たちはどのような働きかけをすべきか」といったところへ行き着くのかもしれません。この討論会を聞きながらこんなことを考えました。

午前中は4つのテーマをもとに議論する公開討論会でしたが、冒頭に玉置先生が話されたように、モヤモヤしたものが残るもスッキリしないものだったかもしれません。これをきっかけに、そのモヤモヤについて皆さんにも考え続けていただけたらと思います。私も、折に触れこの公開討論会を思い出しては、このモヤモヤと向き合うことになると思います。

午後の部は、「楽しく、手軽に授業改善しよう」というテーマで、2つの模擬授業と「授業アドバイスツール」「授業検討ツール」を活用した検討会です。これについては、「愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京(午後の部)(その1)」で。
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