子どもたちに疑問を持たせることを考える

昨日の日記の続きです。

社会科の授業研究は、現職教育主任の3年生の太平洋戦争の授業でした。今年度第1回目の授業研究でしたが、現職教育主任が率先して授業者となりました。授業研究を今年もしっかりやりましょうと、学校全体へメッセージを送っています。

授業は太平洋先生を始めたことは、人々の生活にどのような影響を与えたのかを考えることが課題です。
「物不足と配給」「学徒動員」「戦争と食べ物」「金属回収」に関する4つの資料を準備してグループに配ります。グループ内でそれぞれ担当を決めて、資料と教科書、資料集からわかることをノートにまとめます。
子どもたちはこういった作業になれているようです。すぐに手が動きだします。しかし、別の見方をすればあまり頭を使っていないとも言えます。資料から「なぜだろう?」「どうして?」といった疑問がわいたり、「ここから何がわかるのか?」と考えたりしていれば、すぐに手は動かないはずです。子どもたちは、資料や教科書からとりあえず必要と思うところを抜き出しているのです。
まとめが終わると、グループ内で交流します。子どもたちは友だちのまとめを聞いて一生懸命写しています。話し手を見ている子どもはほとんどいません。ただの作業分担になっています。まずは、話を聞くことが大切です。話し手は、聞き手に伝えること整理して話すことを意識し、聞き手はうなずきながら話しの内容を理解しようとすることが求められます。聞き手が書き留めたいのなら。その後に自分の言葉でまとめるべきでしょう。机の真ん中に自分が使った資料を置いて、そのどこに書いてあるかを示しながら話すといったルールを導入すると言いたやり方もあります。どのように伝え合うかも大切な要素です。また、話を聞き終わった後、深め合う場面がありません。子どもたちの活動は止まっています。例えば、「4つの資料からキーワードを一つつくってください」といった課題を与えてもよいでしょう。「人」「物」「不足」「欠乏」といった言葉が出てくれば、そこから戦争がどういう状況をつくっていたのかがわかると思います。

「撃ちてし止まむ」の資料を追加で与えて、人々が苦しい生活に耐えていた理由を考えさせます。子どもたちは、今度はよく話し合っていました。全体での発表で「みんな同じような思いで生活していた」「人と違ったらいけない」といった意見が出てきました。「人と違ったらいけない」という意見に対して、うなずくなど子どもたちから反応が出てきます。しかし、授業者は子どもにつなぐことをせずに、自分で子どもの言葉を受けて説明をします。ちょっとしゃべりすぎのように思います。
続いて、「権力をふるう特高と憲兵」の資料を配布し、当時の政府によって厳しい統制にあっていたことを説明しました。
資料を小出しにしながら与えますが、子どもたちが資料を欲しがっていたわけではありません。「本当はどうだろうか?」と疑問を持つところまではいっていないのです。子どもたちは授業者の質問に答えているだけでした。例えば、当時の生活の資料を見たあと、「あなたたちならこんな生活どう?」と問いかけて、子どもたちから「嫌だ」「耐えられない」「仕方がないから我慢する」といった意見を引き出し、じゃあ「当時の人はどうだっただろうか?」と返すといったやり方があります。疑問を持たせてから資料を見せて、「どう、嫌だとか耐えられないと言った人は、我慢する?」と問いかけ、「それでも、嫌だ」という声を引き出してから、次の資料を見せるといったやり方です。

最後は時間の関係あったでしょうが、先生がまとめました。子どもたち自身でまとめさせたいところでした。この授業では一般の人々に焦点を当てましたが、最後の「権力をふるう特高と憲兵」を活かして、「じゃあ、政府はどうするの?」という問いかけを先にしてから資料を見せ、「人々」「政府」という2つの視点でまとめさせても面白かったかもしれません。

社会科の先生方との授業検討では、「社会科としてやりたいことがたくさんあるが、1時間の授業の中でなかなか消化しきれない」という授業者の悩みが語られました。確かにその通りだと思います。資料の活用一つとっても、「どんな資料が必要かを考えて探す」「資料を読み取る」「読み取ったことをもとに考える」といった場面があります。すべてをていねいにやっていると、時間がいくらあっても足りません。この授業でどこを大切にするかを考え、全体、グループ、個人をうまく使い分けながら、軽重をつけることが必要になります。資料を探すことはこちらで準備したものを渡せば時間はかかりません。教科書や資料集から探すのであればもう少し時間がかかります。図書館やインターネットを活用するのであればそれだけで授業のかなりの時間を使うことになるでしょう。読み取りでも、個人でまず読み取ってからグループにするのと、最初からグループ行うのでは時間も違ってきます。全体で教師が問いかけながら焦点化して進めれば、かなり短時間で終わります。子どもたちにしっかり考える時間を取らせたいのであれば、確実な読み取りもできるので、授業者が説明して時間を浮かせるという選択肢もあります。どのような力をつけたいのかを、まず単元を通じて考える必要があります。その上で、この1時間ではどのような力をつけることを中心にするのかを考えるのです。社会科の先生方は、大切なことは先生が教えなければいけないと思っていることが多いように思います。しかし、子どもが課題を解決するために出会った内容は、あえて先生が解説しなくてもしっかりと理解し残っているものです。子どもたちを信じて、先生が説明することを減らすことも必要なのです。

次回は、比較的時間を置かずに訪問します。短期間ですが、どのような変化を子どもたちが見せてくれるのか楽しみです。よい姿を見られることを期待します。

うれしい知らせ

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本日、明治図書出版編集部から、拙著「授業アドバイザーが教える『授業改善』30の秘訣」の増刷決定の知らせが届きました。発刊から1年余り、多くの方に読んでいただけたおかげです。こんなうれしいことはありません。

この本を書くきっかけをつくっていただいた編集者と明治図書出版、私に多くのことに気づかせてくれた子どもたち、そしてもちろん授業を見せていただいたすべての先生方に感謝です。ありがとうございました。

先生の対応で子どもの姿は変わる

昨日の日記の続きです。

3年目の理科の先生の授業は実験の指示の場面でした。
初任時は初めての担任で、2年目は3年生の担任ということで、プレッシャーがかかる状態での2年間でした。正式採用の前年はこの学校で講師として勤務していたのですが、後半は表情にも余裕がでて、柔らかい雰囲気で授業を進めることができていました。今回、その頃の笑顔を見ることができました。子どもたちも安心して授業に参加できているように見えます。
復習の場面で、子どもたちの手が挙がりますが全員ではありません。授業者は「全員に手を挙げてほしい」と子どもたちに伝えます。このように、「全員参加してほしい」という思いを子どもたちに伝えることはとても大切だと思います。表情の悪い子や顔が上がらない子どももいるのですが、授業者がまわりと相談させるとすぐに全員が動きました。子どもたちに活動する機会を与えると見せる姿は変わります。よいタイミングでした。残念だったのが、子どもの活動を評価する場面がなかったことです。確認できていたので、すぐに先に進んでしまったのです。固有名詞で、「○○さん、しっかり話を聞いていたね」「どんなこと話したか聞かせて」と子どもたちを評価する場面がほしいところでした。
授業者が板書で送り仮名を間違えました。子どもからそのことを指摘された時に、「ありがとうございます」とていねいに言葉を返しました。このような言葉が素直に出てくるところにこの先生のよさがあります。こういった姿を見ることで、子どもたちは先生を信頼していくのだと思います。
実験の手順をステップごとにていねいに説明しましたが、これが何のための実験かが明確でありません。理想は子どもたちが疑問を持ち、その疑問を解決するためにどのような実験が必要かを考えることですが、せめて、「……を知るためにはどんな実験をすればいいと思う?」「……といった実験を今からするんだけれど、それで何がわかると思う?」と、実験の概略や概略から何がわかりそうか考えさせたいところです。その上で、具体的な実験の手順を明確にして、指示するのです。
子どもたちが安心して参加できる授業になってきています。次は子どもたちが考えるようになる工夫を意識してほしいと思います。

今年異動して来られた社会科のベテランの授業は、1年生の資料を使う場面でした。
さすがに授業規律はしっかりしています。指示に素早く従う子どもたちに「はやいよ」とほめ言葉をかけます。こういったことが自然にできているのはさすがですが、いつも同じようにほめていると単なる口癖のように感じる子どももいます。子どもたちをよく見ている方なので、「○○さん、はやいよ」「△△さんも」というように、固有名詞でほめるとよいでしょう。
資料の説明をする場面がありました。子どもは手元の資料を見ています。こういう場合、子どもに求める姿はどのようなものでしょうか?「資料を見ながら聞く」「顔を上げて授業者の説明を聞いてから資料を見る」「資料を見てから、顔を上げて授業者の説明を聞く」といくつかのパターンがあると思います。どれが正解というわけではありませんが、顔を上げて話を聞くことを意識させるのであれば、後ろ2つの方法を意識するとよいでしょう。もちろんICT環境が整っているならば、説明する時はスクリーンに大きく資料を映してみせることで、顔を上げさせるという方法もあります。
授業者は、子どもたちの姿を変えていく力のある方だと思いますが、異動したばかりの学校で、しかも1年生ですので、勝手が違うと思います。学年全体で話し合いながら、各場面で子どもたちにどのような姿を望むかを意識してほしいと思います。

6年目の数学の先生の授業は1年生の試験返しでした。
答案を返却する時に、ワーとかキャーとか声を出さないようにすることを、理由も含めて子どもたちにしっかりと伝えました。子どもたちは、ちゃんと落ち着いて答案を受け取っていました。子どもたちにどうあってほしいかをきちんと伝えることができています。返事をしない子どもに、「返事がほしい」と声をかけます。些細なことに思えるかもしれませんが、「返事は!」「返事をしなさい!」とは、伝わるニュアンスは違います。命令ではなく、自分の思いを伝えているからです。こういう姿勢なので、子どもたちとの関係は良好です。
テンションの上がりやすい子どもがいます。子どもたちがちょっとざわつきます。「静かにしてよ」と他の子どもが注意をして静かになります。この学級で、似たようなことが他の先生の授業でもありました。「ざわつく子ども」←「注意をする子ども」という図式が気になります。今回の授業者も、そのことについて何も対応しませんでした。この図式にならないように早目に授業者が対応することと、学級担任が子どもたちの人間関係に注意をすることが必要だと思います。
授業者は、子どもの反応をしっかりと受け止めるのですが、授業とあまり関係ないことでも子どもと近い目線で反応します。そのため、一部の子どもとの距離が近くなりすぎることが少し気になります。こうなると、他の子どもがそこに入っていけなくなり、先生と子どもの関係は良好でも子ども同士の関係が微妙になります。子どもとの適切な距離があります。このことを意識するようにお願いしました。

3年目の若手の2年生の英語は、子ども同士で対話をしながら情報を集める活動の場面でした。
今年から、英語の授業ではデジタル教科書とプロジェクターを使うようになりました。スクリーンに教科書が映し出されていますが、一部の子どもたちは手元の教科書を見ていました。まだ慣れていないのかもしれませんが、スクリーンを見るように促したいところです。
指名されたのに答えられなくて困っている子どもがいました。まわりの子どもに助けてくれるよう授業者が頼んで、声をかけてもらえたのですがうまく答えることができません。授業者はいったん他の子どもを指名してから、もう一度先ほどの子どもを指名して答えさせました。失敗で終わらせないという配慮がしっかりとできていました。
眠くて参加できていない子どもがいました。大分待っていたのですが、注意をするという姿勢ではなく笑顔で優しく声をかけて起こしました。なかなかよい対応ですが、もう少し早く参加できるようにしたいところです。眠っている子どものまわりの子どもを指名すると、友だちの声で目を覚ますこともあります。こんなやり方も知っておくとよいでしょう。
友だちに質問をして情報を集める場面で、その結果を書きとめる表を子どもたちに書かせました。こういった作業を子どもたちは必要以上にていねいにやってしまいます。かなりムダな時間を使ってしまいました。印刷して配ればよかったところです。また、「フリーハンドでもいいよ。今はていねいに書くより早さを優先してね」と、子どもたちに優先順位を伝えるという方法もあります。
この時間では、集めた情報のメモを活かす場面がありませんでした。子どもたちもこのメモが何のためかわかっていません。また、相手への質問を手元やスクリーンを見て読んでいる子どもが目立ちます。手元やスクリーンを見てもいいので、話す時は相手を見るようにさせたいところでした。
授業者は、自分で何がいけないのかよくわかっています。試験返しの直後の余った時間なのでしょう。準備不足だったようです。

2年生の教室での体育の時間は、体力テストの結果を整理して記入する場面でした。3学級で同じことをやっていました。子どもたちはどの学級も同じように集中して作業をしていましたが、次第に異なった様子を見せていきます。その違いはとても面白いものでした。
一つの学級は、授業者が作業をしっかりと止めることなく、全体への指示を出しました。顔を上げて聞く子ども、作業を続ける子どもバラバラです。その後、子どもたちの集中が切れて、全体がざわざわしました。
今年異動してきた中堅の先生は、子どもの質問にそこに移動して答えます。かなり大きな声でした。するとその声に反応して、授業者の死角あたりで子ども同士がしゃべりだします。それまで静かだった学級が、次第にざわざわしだしました。
今年異動してきたベテランの先生は、次の指示を黙って板書します。子どもに小さめの声で、「今は、やりながらでいいから」と簡単な指示をします。本来は手を止めて顔を上げて聞かせるべきですが、ここは作業を優先させました。この時、今だけ特別であることを明確にすることで、ルールを壊しません。また、作業に集中していた子どもも、何だっけと思って顔を上げれば指示が黒板に書いてあるので困りません。授業者が何を優先しているのかよくわかる場面でした。子どもたちに個別に渡すものがあったのですが、作業を中断させることなく自身が静かに回って子どもたちの手元に置いていきました。子どもの質問には、膝を曲げて目線の高さを合わせ、静かな声で対応します。隣に質問している子どももいるのですが、とても小さな声で話し、全体の集中を乱しません。最後まで全員が静かに集中して作業していました。
同じような状況でも、先生の対応で子どもたちの姿が変わります。子どもたちが集中して作業をすることを優先した授業者の教室は、やはりそのようになるのです。

この日は社会科の授業研究がありました。その様子は明日の日記で。

子どもたちに求める姿を意識すること

先週、授業アドバイスを行ってきた中学校の様子です。

学校全体は落ち着いていましたが、1年生の様子が少し気になりました。
前回訪問時には子どもたちの出身小学校の色がそれぞれに残っているように見えたのですが、その色は混じったようです。ところが、子どもたちの様子が学級によってではなく、授業によって異なっていました。学級全体が落ち着かず集中力が落ちている授業と、授業規律がしっかりして集中している授業に分かれているのです。先生が子どもたちの授業規律を意識して授業を進めていれば、子どもたちは小学校時代からのよい姿を見せます。小学校時代にちょっとごそごそしていたであろう子どもたちも、その姿に影響されて落ち着いて授業を受けるようになっていました。一方、授業規律の意識の弱い先生の授業では、一部の子どもたちが不規則な発言などをしても先生が受容してくれることに気づき始め、どこまで許されるか探っていたようです。彼らに影響されて、その授業では学級全体がごそごそするようになってきたのだと思います。この状態が固定化することは危険です。
学年で中心となっている先生方でも、自分の授業での子どもたちの姿がよいため気づけていない可能性があります。中学校ではこのようなことが起こりやすいので、注意しなければなりません。とはいえ、基本的にはきちんとできる子どもたちです。先生方が授業規律を意識すればよい方向に変わっていくはずです。学年主任とこのことについてお話させていただきましたが、この状況をよく理解されていたので、学年団できちんと対処していただけると思います。

この日は、1、2年生を中心に授業参観をしてアドバイスをさせていただきました。
初任者の授業は1年生の国語の試験返しの場面でした。
挨拶をした後、子どもが静かになりません。授業者は静かになるのを黙って待っていました。待てるのはよいことなのですが、子どもたちは授業者が何を待っているかわかっていません。一人の子どもが「静かに!」と声を出して、全体が静かになりました。授業者はそこで何も言わずに次に進みました。これでは、下手をすると「静かに!」と注意した子どもが学級で浮いてします。子どもが静かになった時点で、全体に対して「静かにしてくれてありがとう」と声をかけ、注意してくれた子どもに「嫌な役をやらせちゃったね。声を出してくれてありがとう」と注意された側、注意した側、双方がネガティブにならないような配慮が必要です。子どもが仲間に注意をされるまで静かにならなかったのは、授業者が自分たちに求めていることが何かをわかっていなかったからです。ただ黙って待つだけではなく、静かになった子どもや授業者を見てくれた子どもに対して、「○○さん、こちらを見てくれているね。ありがとう」といった言葉をかけて、授業者が何を求めているかを他の子どもに伝える必要があったのです。
この時間の進め方を説明している時に子どもの顔が上がりません。授業者がこの時に子どもにどうあってほしいかが意識されていないので、この状態でしゃべってしまうのです。今この場面で子どものどんな姿が見たいかを意識することが大切です。
子どもたちに、試験問題のやり直しを指示しますが、具体的にどうするのかが子どもたちによく理解されていません。教科書やノートを見ずにやり直しても行き詰まります。わからないのでしばらくするとテンションが上がっていきます。また、すぐに終わって手遊びしている子もいます。子どもたちをよく見て、何が起こっているかを早く察知して、必要な指示をすることが大切です。
子どもたち少々ざわついても叱られないので、調子に乗ってしまいます。小学校で叱られてきた子どもたちなのかもしれません。叱られてきた子どもは、叱られなければやってもいいと思います。だからといって叱っていては、してはいけないことを一つずつ潰していく必要があります。一人叱っても、別の子どもをまた叱らなければなりません。いたちごっこです。叱ることなく、望ましい行動はどのようなものかを伝え、できた子どもをほめ、他の子どももまねしようと思わせるような指導が大切になるのです。

2年目の若手の1年生の国語の授業も試験返しでした。
子どもが勝手にしゃべったり、授業者に話しかけたりしています。多少は授業に関係することもありますが、たわいもないこともしゃべっています。授業者は適当に相手をするのですが、次第に子どもたちのテンションが上がっていきます。授業者自身が、明確な基準を持って子どもに相対する必要があります。授業に関係ないことであれば静かにするように促し、授業に関係することであれば、「今言ったこと、みんなに聞こえるように話してくれる。みんな聞いて」と私的ではなく公的に話すように指示します。
授業者の説明や指示が続きます。子どもが活動する場面がないのでストレスが溜まることも、子どもがしゃべったりテンションが上がったりする要因となっています。また、子どもたちが試験の結果に対して思ったほど頓着していないことも気になりました。中学校最初の定期試験です。もう少し結果への期待や不安があってもいいと思うのですが、それ程でもないのです。
授業者は、ごそごそしている子どもに対して何も働きかけません。注意はしなくてもいいのですが、「何か困っている?」といった声かけは必要です。教師が子どもたちを「見守っている」ことを伝えることが大切なのです。

今年異動して来られた英語の先生の1年生の授業は、ヒアリングの場面でした。
大切な指示をする場面で、子どもの顔が上がっていないことが気になりました。授業者の指示は通っているとは思うのですが、ここで子どもたちにどうあってほしいのかが問題です。英語は子どもの口が開いているかどうかがとても重要な教科です。確認するために、子どもの顔が上がることが求められます。そういった習慣をつけるためにも、顔が上がっているかどうかにはこだわりたいところでした。
ヒアリングの問題を連続してやっていきます。一つひとつは独立した問題です。受験対策といったことならわかるのですが、今の時期はまずきちんと聞けることが大切なので、確認しながら進むことを考えた方がよいでしょう。あとから答を聞いても、まず聞いた音は記憶に残っていないからです。
面白かったのが子どもたちに集中度の変化でした。最初しばらくは単語を聞き取ればいい問題でした。ほとんどの子どもはできたことと思います。単調なリズムなので次第に集中力がなくなり、惰性になっていきます。ところが、問題文が文章に変わった途端に子どもたちの様子が変わります。しっかり聞かないとわからないので、一気に集中が戻ったのです。ある程度ストレスがかかる問題を与えることが大切なことがわかります。
いつも述べていることですが、ヒアリングの問題は、答え合わせをしても聞く力がつくわけではありません。試験の形式にとらわれずに、まわりと聞けた単語や文を確認して、もう一度聞くといった活動が必要です。どのようにすれば聞く力がつくのかを意識して授業を組み立ててほしいと思います。

この続きは明日の日記で。
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