関係ができていない学級での授業の難しさを感じる

昨日の日記の続きです。

3つ目の公開授業は、他の学校の先生による中学校2年生の図形の証明の授業でした。子どもたちにとって活動する必然性のある課題を意識したものでした。

授業者は子どもとのコミュニケーションを意識している方です。子どもの顔を上げることを強く意識して声をかけますが、なかなか思うようにはいきません。この日3つの学級に共通することです。
授業者は「正三角形をかいて」「(辺を共有した)正三角形をもう一つかいて」「線分上に適当な点をとって」「その点と頂点を結んだ線分を一辺にする正三角形をかいて」というように指示を分割し、その度ごとにフリーハンドで黒板に書き足していきます。正確な図を用意して示せばよいのに、しかもフリーハンドと思ったのですが、ちゃんと意図がありました。最後にかいた正三角形の残りの頂点がもう一つの正三角形の辺上にあるかどうかがはっきりしないようにしたかったのです。頂点が辺の右側、辺上、三角形の中と子どもたちがかいた図が分かれることで、本当はどうなのだろうと疑問を持たせたのです。
この疑問をもとに「……、点○が線上にあるのか?」と問題を提示し読み上げます。しかし、子どもたちの多くは板書を写すことを優先しています。授業者は「何が言えればいい?」と子どもに聞いていきます。人間関係ができていない子どもたちが相手なので、しゃがんで目線を子どもの高さに合わせるといったこともします。コミュニケーションに関するスキルの高さがうかがわれます。この時、すでに考え込んでいる子どもが何人もいます。もう自分の世界に入っています。よい課題と提示の仕方であったということがわかりますが、これでよいのかは悩ましいところです。こういった場面で、先生と子ども、子ども同士がかかわることが日ごろからあれば、そこに参加しようとすると思います。こんな場面からも、日ごろの学級の様子がほの見えてきます。この子どもたちであれば、まず問題に取り組ませた方がよかったのかもしれません。判断が、難しいところです。

一人の子どもが「2つの三角形が合同ならいい」とずばりと正解を言います。授業者は「どうして」問い返して、「問題の点と頂点を結ぶ線分と辺の角度が、三角形の頂角と等しいことが言える」ということを引き出しました。この進め方はあまりにももったいないと思いました。「2つの三角形が合同ならいい」という発言に対して、「○○さんの言っていることわかる?」と子どもたちに戻して考えさせたいところです。ペアやまわりと相談させることで、子どもたち自身で気づき、考えを深めることができたと思います。
さて、ここで2つの角が等しいことを証明しようとなるのですが、いつの間にか点が辺上にあることが前提になっていました。時間のこともあるので、授業者が取り組ませたいところに、すぐに持っていきたくなるのですが、「このことが言えれば線上にあることがわかるが、線上にないことを言うにはどうすればいいのかな?」といった問いかけも必要だったと思います。

指名した子どもに板書をさせ、説明させます。結論と条件が混乱して、結論を使って説明をします。聞いている子どもたちは不思議な顔をしていますが、言葉は発せられません。結局授業者が説明を始めます。慣れない学級なので難しいかもしれませんが、ここは、子どもたちに、「どうしたの?」「何か言いたそうだね?」と発言を求めれば、きっと答えてくれたと思います。
授業者が説明する間、間違えた子どもは前に立ったままでした。授業者は説明を終えた後、その子どもに板書を修正させました。なるほど、最後は本人に正しい答を書かせたかったのです。
子どもから質問が出てくると「いい質問」と評価します。「いいと思います」という発言に対して、「何がいいと思いますか?」と問い返します。個別の発言に対する受けと返しがきちんとされています。

授業者は子どもの考えを大切にしようとしています。子どもの考えを積極的に引き出すために課題の提示についても工夫をしています。慣れない学級だったこともあり、他の子どもにつなぐことがほとんどなく、授業者が説明する場面が多かったのが残念でした。子ども同士で考えを深める場面をもっと見たいと思いました。

最後は、大学の教授による講演でした。
日本の授業研究が海外で評価されていることやそのエピソードが中心のお話しでした。興味深い事実もたくさんありましたが、主張したいことは何かが今一つ私には理解できませんでした。日本の授業研究が評価されていることが、私にとっては既知のことだったからかもしれません。
最後に、ピラミッド型にガラス玉を積み上げたオブジェを題材にした課題を紹介されました。子どもが書いた式の意味を説明するといったものですが、大学生を対象としたものです。大学生にとってはよい課題だと思いました。その答や内容についても時間をかけて説明されましたが、少なくとも私にとっては考えるまでもないことだったので、ちょっと残念でした。おそらく参加された先生方も同様の感想を持たれたと思います。
主張がシャープに伝わる講演の難しさを感じました。

この日一番の収穫は、旧知の大学の先生とお会いできて、授業の感想などを聞き合えたことかもしれません。会場での授業検討会の意見は、私とはずいぶん視点が違うもので、意見を言う気になれなかったのですが、この先生や一緒に参加した先生との話はとても共感し合える、考えが深まるものでした。
他の団体の主催する研究会に参加することで、いろいろなこと考えさせていただきました。よい学びの機会だったと思います。

授業は日ごろの積み重ねが大切だと実感する

昨日の日記の続きです。

2つ目の公開授業は、この学校の先生による中学校1年生の文字式の利用の授業でした。
この日の課題は、前時にやった3つの連続する整数の性質を拡張して、偶数個の連続する数の性質を考えるものでした。

授業の開始の挨拶はきちんとするのですが、子どもたちが授業者と目を合わせないのが気になりました。授業中に子どもたちの顔が上がらない場面で授業者が顔を上げるように指示をすることもあるのですが、なかなか全員の顔は上がりません。

前時の復習で、3つの連続する整数の和は真ん中の数の3倍になることを確認した後、「どこが変えられるか?」と問いかけます。問いかけはするのですが、授業者が連続する「3つの偶数」、「5つの整数」「7つの整数」「9つの整数」を調べることにします。なぜこれを選ぶのかの根拠が全くありません。普通、「奇数は?」「6や8は?」と疑問に思うはずだと思いますが、そのような声は出てきません。子どもたちは、教師が課題を提示して自分たちはそれに答えるという、教師主導の進め方に慣れているようでした。

答がどうなるか予想させたあと、説明をペアで「整数が偶数の時」「連続する奇数の個の時」と分担して確認します。分担するという発想は個人的にはどうも好きになりません。同じような説明になってよいので、互いに同じ課題について説明し合う方が、学び合えるように思うからです。
子どもたちが説明する性質が「3つの連続する偶数の和は、6の倍数になる」「5つの連続する整数の和は、真ん中の数の5倍になる」となっていて、その視点が数学的にそろっていないことが気になります。「3つの連続する偶数の和は、真ん中の数の半分の整数の6倍になる」とするのか、「5つの連続する整数の和は、5の倍数になる」とするのが、本来のように思います。「性質とは何を言うのか?」「どういった視点で見るのか?」といったことが意識されていないことが気になります。思考の連続性が感じられないのです。
授業者は「奇数個の時は……」とまとめますが、奇数個か偶数個かでセグメントを分ける理由が明確ではありません。最初に、偶数個も考えてみて、「奇数個なら今までの考えが使えそうだ」「偶数個は真ん中の数がないから、ちょっと違う」といったことを子どもたちから出させたうえで、奇数個と偶数個を区別する必要があったと思います。
この課題で大切にすべき数学的な予想や推論がなく、天下りで教師が課題を示すのはあまりにもったいないと思います。子どもたちが自ら課題を見つける絶好の機会を逃していると思います。

連続する整数が、4個、6個、8個の時、それらの和にどんな決まりがあるか考えることを次の課題にします。ここで言う「決まり」とは何かが気になります。「性質」と「決まり」の違いが明確になっていません。何らかの式を立てることなのか、必ず偶数になるといったことを言うのか、それとも出てきた式を解釈することなのかがはっきりしていないのです。数学は他と比べても特に言葉にこだわる教科だと思うのですが、曖昧なまま授業が進んでいることが残念です。

4個、6個、8個を考えた子ども同士集まって話し合います。何を話し合うのかが今一つよくわかりません。「決まり」という言葉がはっきりしていないので、目標が定まらないのです。数を文字に置いて式を立てた子がいます。どの数を基準にするかは子どもによって違います。真ん中の数の和の2倍といったことを言う子どもいます。これらの考えをどう子ども同士が深めていくのかがこの活動のポイントですが、あまりかかわれていませんでした。友だちの説明を顔を上げて聞かずに手元のワークシートを見ている子どもも目立ちます。互いに聞きあって考えを深めるということが普段からできていないようです。
日ごろの数学的な活動の中で、「帰納的に見つけたものがあれば、それがいつも言えることなのかを説明する」「演繹的に見つけたことに対して、どのように解釈するか、また他の場合に拡張できるのかを考える」といったことを常に求める必要があります。そういった視点が子どもの中に育っていれば、こういった場面で疑問をぶつけたり、相談したりできるようになっていると思います。

4個の場合に見つけた決まりを「真ん中の数の和の2倍」と子どもが発表しました。ここから考えを広めることのできる発言です。しかし、授業者はすぐにこの答を「真ん中の“2つ”の“整数”の2倍」と修正してしまいます。「それってどういうこと?」「真ん中の数って何?」「○○さんの言っていることわかる?納得する?」といったように問い返してほしいところです。子どもの板書を先生が解説します。どうやってこのように考えたのかを子どもに聞くこともしません。結局、子ども同士がかかわり合う場面はありませんでした。一人の子どもの発表をもとに先生が結論づけてしまいます。

「みんながみんなこうじゃないと思いますが……」と奇数個の時と何が違うかを授業者がまとめます。時間が気になるとは思いますが、そのように思うのであれば、他の考えを聞きたいところです。
「奇数個の時と同じ見方ができないか考えてみましょう」と言いますが、子どもたちから出てきた疑問ではありません。常に授業者が課題を提示しているのです。
x−1+x+x+1+x+2という式を発表した子どもがいます。真ん中の数をxとおきたいのにおけないという苦悩が式からにじみ出ています。この苦悩に焦点を当てることで考えを一気に深めることができます。「何をxとおいたの?」「どうしてそうしたの?」と聞くことで、「真ん中の数がない?」という言葉が出てきます。「なぜ、真ん中にこだわったの?」と聞くことで「奇数の時に真ん中の数×個数になったから」という考え出てくるでしょう。本人が上手く言えなければ、「だれか、○○さんの気持ちがわかる人?」と聞けばきっと答えてくれます。「真ん中の数って何だろう?」と切り返すことで、「平均」といった言葉が出てくるかもしれません。平均という言葉が出てくれば、奇数個も偶数個も関係なく、統一的に記述することにつなげることができます。しかし、授業者は式の流れを追うだけでした。授業者が数学的な価値をどのようなものととらえているのか疑問に思いました。
結局授業者は、自分の求める答「最初と最後の数を足して2で割って個数をかける」を書いた子どもを紹介してまとめてしました。これでは、奇数個の場合の「真ん中の数」との関係が見えてきません。ここは、最後まで真ん中の数にこだわりたいところでした。この説明ですべての連続する数の和について言えることとその意味についてはほとんど触れられることはありませんでした。

子どもたちは友だちが説明する場面では聞こうとはするのですが、板書を写すことがどうしても優先されているようです。顔を上げている子どもは半分以下です。また、一部の子どもは自分の世界に入って、ずっとワークシートを見て考え続けています。授業者はそんな子どもたちを見ていません。子どもの説明の後、「わかりましたかー?」と問いかけて、すぐに補足の説明を始めます。
授業全体として、子どもの考えや気づきを共有し、深めていく場面がありませんでした。一見、子どもたちの考えをもとに進めているように見えますが、説明はほとんどが授業者でした。子どもたちは、いろいろと思考はしているのですが、それを取り上げて評価される場面や価値付けされる場面がありません。子どもたちも、授業者の提示する課題を「解く」ことが学習だと思っているようでした。

この授業のねらいを実現するのであれば、例えば、「3つの連続する偶数の和」については、「偶数も整数だから、前にやったことがつかえ、真ん中の数の3倍になることが言える」「偶数という条件が加わることで、何が言えるかな?」と問いかけて、既存の知識を活かして、出てくる式を解釈することを価値付けしていくといったやり方がありそうです。個数を増やすという「拡張」をすると、「3つの時に言えた、『真ん中の数×個数』は成り立つのだろうか?」と問いかけて、「奇数なら言えそうだ」「真ん中の数がないから偶数では言えない」といった言葉を引き出し、「偶数の時は真ん中の数はないの?あるの?」と揺さぶったりしてから、「じゃあ、何が言えて何が言えないのか?ちょっと考えてみてくれる?」と課題を提示して活動させるといったやり方があります。「真ん中の数はある」という子どもが出てくれば、その子どもの考えを活かせばいいですし、出てこないのであれば、「2と3の真ん中の数はある?」と数直線を使って問いかけても面白いでしょう。真ん中の数を使って、(x−1.5)+(x−0.5)+(x+0.5)+(x+1.5)といった式がきっと出てくると思います。整数にならないからダメだという意見が出てくれば、数の拡張の意味について考える機会にもなると思います。

既存の知識を拡張するという発想は面白いと思いますが、だからこそ子どもたちの考えをどう活かし、深め、共有するかを考えて授業を構想する必要があります。教師主導で、教師の求める考えを無理やり引き出す、教える授業になってしまったように思います。また、子どもたちも、互いに考えを聞き合い深めることに慣れていないと感じました。授業は日ごろの積み重ねが大切であることを改めて実感させられました。

この続きは明日の日記で。

研究会で授業の展開について考える

数学の授業づくりの研究会に参加してきました。この日は体育館で3つの授業が公開されました。一般参加者として授業を見るのは久しぶりなので、純粋に授業を見ることを楽しむことができました。

一つ目の授業は中学校1年生の関数の授業でした。小学校の算数の題材で、ヒゴを使って正方形で階段をつくっていくときの段数とまわりの長さの関係を考えるものがあります。その題材を小学校の「ともなって変わる2つの量」という考え方から、「一方が決まれば他方が決まる」という関数関係でとらえなおし、従属変数のふるまいを独立変数との関係で見ることによりその「特徴」を知ることができることを理解させるのがこの授業のねらいでした。

授業者は大学の教授です。子どもの顔が上がっていないのにしゃべる、子どもが理解できているかの確認をせずに進めていくというように、授業技術については気になるところがたくさんあります。小中学校の現場の経験のない方にはどうしても仕方がないことです。また、授業者の問題ではなく、この学校の子どもたちも授業者の顔をあまり見ない傾向があるように感じました。顔は上がっていなくても説明はちゃんと聞けています。優秀な子どもたちなのでしょう。しかし、子どもたちの表情が見えないと理解の程度がわからなかったり、気づきや戸惑いを察知できなかったりします。子どもの反応を大切にする学校であれば、子どもたちは自然に顔を上げるようになっています。このことも少し気になりました。

子どもたちに題材を提示して、「変化する数量をちょっと考えて」と発問します。小学校であれば実際に試してみせたり、自分の手で図をかかせたりといった操作活動必要になりそうですが、さすがに中学生です。すぐに考えることができます。子どもたちから「まわりの長さ」が出てきます。「段の数が変わると?」と授業者は返しますが、子どもはあまり反応しません。授業者が関数関係を意識させようとしていることがわかりますが、子どもたちにとっては唐突だったのかもしれません。子どもから出てきたものを図で確認していきますが、「面積」を「四角の数」と置き換えたり、「段の数」と「高さ」を同じとしたりします。数学では、等価なものに置き換えて考えることは大切なことですが、子どもたちに納得する時間を与えることが必要だと思います。「頂点の数」も出てきたのですが、確認をしませんでした。私は面白いと思ったのですが、その理由がよくわかりません。授業全体が、授業者の都合で進んでいるように感じました。

この中からどの数量に注目して関係を調べるのかを決めるのですが、そこまでで15分以上かかっていました。「段の数が変われば変わる量」ということを意識させたいのかとも思いましたが、特にそのような場面はありませんでした。導入としてはちょっと長すぎると思います。
何を調べるのかを挙手で諮りますが、どれがよいか数学的に根拠があるわけではありません。子どもにとっては調べる必然もなく、この授業のねらいや目標もよくわかっていないので、ただ指示に従って活動しているだけです。「関係がよくわからない」「知りたい」といったこの後の活動やねらいにつながるような条件を足しておきたいところでした。

ここで、1段、2段、・・・に続いて突然x段という言葉が出てきます。調べるということと段の数をx段とおくこと必然性がありません。また、x段とした時点で関数であることを示唆していますが、多分に誘導的です。
「正方形の数」か「ヒゴの数」を選択させて「段の数」との関係を考えさせます。授業者は「作戦」という言葉で、関係をとらえる過程や方法を意識させようとしますが、子どもたちの手の動きは止まりません。
関係という言葉がどうにも明確にならないまま授業が進んでいきます。2つの数量の関係を式にすることがねらいなのであれば、関係を考えることには直接つながりません。それでも子どもたちは、活動しています。「関係を調べる」=「関係の式をつくる」という図式でできているのでしょう。
「どんなことが明らかになったか?」を書くように指示します。途中でまとめの例を出すのですが、どうにも意図がわかりません。視点や方向性を明確にしたいのなら、最初に例を示せばよいと思います。自由に書かせてそれらを価値付けしながら考えていくのであれば、例を示す必要はありません。途中で示すのなら、子どもたちが書いたことをいくつか発表させてカテゴライズしたり価値付けしたりして、視点を増やすといったやり方もあります。どこをねらっているのかよく見えませんでした。

多くの子どもは表から規則を調べていましたが、それだけでは根拠が不足しています。授業者はそのことには積極的に触れていませんでした。「よく見ると式の形が似ている」といった言葉を発しますが、子どもたちがそのように思ったのかどうかはわかりません。主観で話を進めていきます。授業者が説明をしている間も、子どもたちは説明の式をノートに写していました。
考え方によって、式の形が違ってきましたが、最終的には同じものだという確認の場面がなかったことも気になりました。子どもたちは疑問を持たなかったのでしょうか?授業を通じて疑問を持ち、それを解決していくといった形の授業にはなっていませんでした。授業者と子どもたちのつながりが感じられないのが残念でした。

最後に授業者は「関数の考えを使うと特徴がつかめる」とまとめましたが、「関数の考え」とは何だったか、どんな「特徴がつかめた」かは、全くわかりませんでした。

この授業のねらいを達成するのであれば、式を出すことにエネルギーを使うのではなく、式などを使って関係の特徴をたくさん表現させたいところでした。
例えば「段の数」と「正方形の数」の間にどんな関係があるかを問いかける。その関係にどんな特徴があるかを言わせる。その上で関数関係にあることを押さえて、関係をより明確にするにはどうすればいいのか考えさせる。「グラフ」「表」「式」といった言葉を子どもたちから出させた上で、それぞれがどのようになるか、そこから何が言えるかを考えさせる。こんな展開もあるでしょう。
また、特徴を意識させるのに、「正方形を2倍にするには、段の数は2倍くらいいるのかな?ヒゴの数は?」といった課題もあるかもしれません。

「特徴をつかむ」というキーワードを意識した授業展開についていろいろと考えることができました。よい学びのきっかけをいただけた授業でした。

この続きは明日の日記で。

学校への信頼が増す学校評議員会

昨年度末に開かれた中学校の学校評議員会での話です。

学校評議員会では一般に公開していない資料も見ることができます。この学校では、どちらかと言えば伝えたくない、知らせたくない資料や実態も評議委員会で示されます。ここでは詳しくは書くことができませんが、そういったことに対して厳しい質問やご意見が寄せられることもあります。学校側はそれを真摯に受け止め、また学校の考えを丁寧に説明します。どのような要因でこのような状態になっているのかといったことだけでなく、解決のためにどのような手立てをとっているか、取ろうとしているかといった具体的な対策を伝えてくれます。
評議員の中には現役のPTAの方もいらっしゃいます。学校のネガティブな情報を聞くとどうしても不安になってしまいます。しかし、きちんと考えを伝え話し合うことで、学校の取り組みを理解し、バックアップしようという前向きな気持ちに変化していくのがわかります。
学校が包み隠さず話し、苦悩を伝え、その上で前向きに対応している姿を見せれば、必ずまわりは応援してくれます。そのことを実感させてくれました。
ネガティブな情報の提示は、一つ間違えると学校に対する批判が集中する危険があります。そのことを恐れずに提示したということは、私たち評議員を信頼してくれているということでもあります。評議員の皆さんもそのことを感じていたと思います。

同じようなトラブルが起ってもすぐに解決に向かう学校と混乱する学校があります。学校が地域から信頼されているかどうかがその違いを決める大きな要因だと思います。
今回の学校評議員会で提示された情報やそれに関連した質問や意見に対する対応は、間違いなく学校評議員の学校への信頼を増すことにつながったと思います。
学校が地域や保護者の信頼を得るには、まず学校が地域や保護者を信頼してネガティブな情報もきちんと伝えることが大切だと思います。このことを実感させられた会でした

研修の意味を考える

現在、介護関連企業の職員向け冊子を制作しています。介護に関する基礎知識とその企業の介護スタイルが書かれたものです。基礎知識については、専門スタッフに教えていただきながら私が執筆しています。私の専門外のことなのでそれなりに勉強が必要なのですが、これがなかなか面白いのです。いくつになっても新しいことを知ることはワクワクする体験なのですね。
とはいえ、素人の書いた物ですからプロの目でチェックしてもらうことが必要です。そこで3月からの研修は、毎回私の書いたものを皆さんに読んでいただき、意見や感想を聞く場にしました。その上で、その内容に関連して皆さんが日ごろ意識していることや実践していることを互いに話し合っていただき、それをもとに介護スタイルをまとめるのです。

3月、4月は「高齢者の特性」がテーマでした。
「廃用症候群」「脱水症」「低栄養」「認知機能の低下」「高齢者のよくかかる病気」などについて、私の記述をもとに日ごろ意識していることを聞き合って発表してもらいました。
皆さんが日ごろの実務で意識していることは、私のような門外漢にはなかなか気づけないことばかりです。私にとって参考になるだけでなく、参加している皆さんにとっても有益な情報です。仲間の意識していることを聞いて刺激を受けたり、参考にしたりすることはとても大切なことです。日ごろは忙しくて余裕がないためこのような時間をとることができません。研修にはこのような時間を確保する意味があります。

このことは学校現場にも通じることです。先生方は忙しいので、日ごろ授業や学級経営について聞き合う機会がなかなかありません。授業研究などの現職教育はその数少ない機会の一つです。そのことを考えると一部の方が発言するのではなく、できるだけ多くの方が考えを語り、それを聞き合うことが大切になります。私が授業研究のコーディネートを依頼されると、グループで聞き合う場面を入れるようにしているのはこのことが理由です。もう一つ意識しているのは、授業や学級経営について聞き合うのは楽しいことだと思っていただくことです。先生方も子どもたちと同じで、わからないことを聞くのには勇気がいるものです。気軽に聞きあえる関係を職場につくることが大切です。そういう雰囲気づくりも研修のねらいの一つなのです。

私がこの介護関連企業の研修を引き受けたころは、参加された皆さんの口は重く、グループになってもなかなか気軽に話すことができませんでした。しかし、今では部門が異なっていて日ごろ接触の少ない方同士でも、よい表情で互いの考えを聞きあえるようになっています。こういった機会を持つことが意味のあることだとよくわかります。職場のコミュニケーションが大切ということが言われますが、そのためには互いの関係をつくる機会を意図的につくることが必要です。このことは職場だけでなく教室でも同じことです。子ども同士がよい形でかかわり合える場が必要なのです。

自分のホームグラウンドでないところで仕事をすることで、こういったことを改めて意識することができます。よい機会をいただいていることに感謝です。

アクティブ・ラーニングについての研修(長文)

昨年度末に私立の中学校高等学校で、教科指導部主催の研修会を行いました。事前に教科指導部からは、「アクティブ・ラーニングを総合的学習の時間や学級活動で実践する時のポイント」「授業でのアクティブ・ラーニングの基本(特にやってはいけないこと)」について研修して欲しいというリクエストをいただきました。先生方の中から具体的なリクエストが出てくるということは、授業改善に前向きな方が増えてきていることだと思います。このことをとてもうれしく思います。

先生方が日ごろ学級活動で行っていることを話し合うという形でアクティブ・ラーニングを体験していただこうとも思ったのですが、この2年の間、まとまった形で授業の基本についてお話ししたことがなかったので、講演の形を取らせていただくことにしました。先生方の反応によって話す内容を変えられるように、スライドはかなり多めに用意しておきました。
最初に中教審のワーキンググループ関連の話から、アクティブ・ラーニングの定義が揺れていることやアクティブ・ラーニングの学校における位置づけについて簡単にお話をさせていただきました。時間がないので、中教審の今後の見通しや大学入試がどのように変わるのかといったことについてはお話ししませんでしたが、先生方はこういった情報を欲しているように感じました。文部科学省のサイトにいろいろな資料もアップされているので、こういった情報を丹念に調べることでかなりのことが読み取れるのですが、先生方は忙しいのでなかなかその時間が取れないようです。機会があれば、こういったことについてもお伝えしたいと思います。

学級経営(活動)も授業もその基本は同じです。「安心して暮らせる学級づくり」「全員参加を目指す」ことが重要です。「学級や授業の規律が保たれている」「間違えたり失敗したりしても笑われない、バカにされない」といったことが保障されていなければ、子どもたちその学級や授業に参加したいとは思わないでしょう。学級の活動や授業に参加できなければ、学級に居場所がなくなります。
ただ、授業と学級活動では大きな違いがあります。それは授業では個人の考えを持てればよいのに対して、学級活動では全体での合意が必要になるということです。また、授業では教師がコントロールすることが必要ですが、学級活動では子どもたち主体で進めることが大切になります。しかし、子どもたち主体と言っても、リーダー役の子どもに任せきりの放任ではいけません。子どもたちを見守り、リーダーを支えることが求められます。加えて、学級の大きな方針や行事での方向性そのものは先生がしっかりと示すことが大切です。ここがはっきりしないと具体的な活動を決定するためのよりどころがないため、空中分解してしまいます。
行事などの学級活動を進めるにあたって、「目的や目標を明確にし、それを達成するためにどうすればいいのかを考え、根拠を持って学級の意思決定をしていく」というプロセスを明確にしておかないと、単なる多数決では子どもたちの好き嫌いで決まってしまいます。全員が納得するための方法論を明確にしたうえで行事等に臨むことが大切です。このプロセスを子どもたち任せるというのは、特に司会を務めることになるリーダーにとってはとても重たいことです。会の前後にリーダーと話をする時間を取ることが大切です。どのように進めようとしているのかを聞かせてもらい、悩んでいるようであれば、指示をするのではなく一緒に考える。終わったあとも、リーダーとしてはその結果をどう思っているのか、この先の見通しはどうなのかを聞く必要があります。時には、リーダーの愚痴を聞いてやってガス抜きをしてあげることも必要です。もちろんリーダー以外にも、学級活動についていろいろな不満やストレスを抱えている子どもがいます。そういった子どもの話を聞くことも大切な仕事です。時にはリーダーと他の子どもを裏でつなぐような動きも必要です。先生は裏方・サポーターとして支えるのです。最悪なのは、任せると言っておきながら子どもたちの活動や決定に対して、異議を唱えることです。子どもたちは、「先生は任せるといっているだけで、自分の思っている通りに動かそうとしている。自分が楽をしたいから私たち任せたふりをしているだけだ」と思ってしまいます。
また、学級活動を通じて子どもたちに達成感を与えることはとても重要な課題です。「○○大会で優勝する」といったことを目標として活動するのは悪いことでないのですが、これだと常に達成できるのは1学級だけになってしまいます。「勝てなかったけど、みんな頑張った」という言葉が子どもたち全員から出てくればいいのですが、なかなかそうはいきません。担任が「みんな頑張ったね」といった言葉で子どもたちを評価しても「フォローしているんだな」と感じる子どもが多いものです。大切なのは結果だけでなくその課程を大切にして評価することです。結果が出た後からでは、本人たちもよく覚えていないこともあり、実感できません。都度評価する必要があります。その際、できるだけ、「○○さんが……」「○○のパートが……」というように具体的にどの子どもたちのことを言っているのかわかるような形で評価することが大切です。「みんな」という言葉は、自我が発達してくると自分のことのように思わないのです。

私は先生方に、学級経営も授業もまず笑顔が大切だとお伝えしています。子どもたちは先生の表情に敏感です。指名されて発言している時に先生が難しい顔をしていれば、不安になります。こういったことが続けば発言意欲が落ちてしまいます。先生がいつも笑顔で自分たちを受容している、認めてくれていると子どもたちが感じるからこそ、たとえ厳しい生活指導でも子どもたちは従ってくれるのです。
「安心して暮らせる学級づくり」の基本となる学級規律・授業規律を確立するための考え方は「よい行動をほめて増やしていく」ことです。「子どもたちに何を求めているかを明確にして、できるまで待つ」「ほんの少しでもできたことを認めてほめる」「一人でもできれば、他の子どもに広げるチャンスである」「絶対的な評価をするのではなく、進歩をほめる」といった視点を大切にしてほしいと思います。

授業において子どもたちを積極的に活動させるには「受けと返し」が大切になります。まずは、笑顔で子どもを受容することが大切ですが、カウンセリングの手法も役に立ちます。発言をそのまま復唱することで、相手は自分が認められたと思うのです。このとき、余分な言葉を足したり、授業者の言葉に言い換えたりしてはいけません。そうすると、「ああ、先生はこう言ってほしかったんだ」と思ってしまいます。認められたとは思ってくれません。発言は自分の考えではなく、先生の求める正解を言おうとするようになってしまいます。
子どもたちの考えを深めていくためには「返し」が大切になります。先生方は理由や根拠を問い返すのに、つい「なぜ」という言葉を使ってしまうのですが、明確になっている子ども以外にはとても答えにくいものです。きちんとした答ではなく、曖昧でもいいので発言を重ねつなげていくことで考えが深まり明確になっていくものです。そのためには、「なぜ」と”Why”で聞くのではなく、「それってどういうこと」「どうやったの」「どこにある」「どっち」と”What”、”How”、”Where”、”Which”で聞くようにするとよいでしょう。
また、子どもの発言をつなぐことも大切です。次のようなことを、意識するとよいでしょう。

・「どう思う?」「納得した?」「もう一度言ってくれる?」「なるほどと思った人?」「どこがいいと思った?」というように、子どもの発言の価値を共有する。
・「同じようになった人いる?」というように、同じ結果や結論になった子どもをつなぎ、その理由を問うことで、いろいろな考え方を共有する。
・「同じところに注目した人いる?」というように、同じ根拠や過程で考えた子どもつなぎ、その結果や結論を問うことで、多様な結論を共有する。
・「どう変わったのか教えて?」と学習の前後での自分たちの考えを比較することで、進歩を実感させる。

アクティブ・ラーニングを意識するとペアやグループでの活動を取り入れることが多いと思います。ペア活動では、一方が話して一方が聞くといった、攻め手と受け手に分かれることがよくあります。この時、特に受け手側の役割をはっきりしておかなければ、まさに受け身になってしまいます。相手のよいところを評価したり、アドバイスをしたりするといった役割を持たせることが大切です。自分が活動して満足するにではなく、相手の役に立つったという役立ち感を持たせるような活動を意識することが大切です。
ペア活動で注意しなければいけないのは、ペアは絶対逃れられない関係だということです。人間関係が上手くいっていないと、かかわり合わない危険性があります。特に思春期の子どもにはその傾向が強いように思います。隣同士のペアではなく、「まわりと相談してごらん」といった形にすると、ペアとなる相手が固定されないので上手くかかわる可能性が増えます。この時、誰とも話さない子どもがいないかを観察しておくことが大切です。そのような子どもに対して、友だちとかかわるように声をかけてほしいと思います。
グループ活動では、話し合う時の形も大切になります。男女混合の市松模様で机をしっかりとつけさせるようにします。結論を一つにまとめるような課題にすると、力関係の強い子どもの意見がどうしても通りやすくなります。友だちの考えを聞いて、自分の考えを持ったり深めたりすることが大切なので注意が必要です。よくあるのが、わかった子どもが一方的に教えて、わからない子どもがその勢いに押されて、嫌になっている図です。あくまでもわからない子どもが主であることを意識しなければいけません。「教え合い」ではなく「聞き合い」なのです。「わからないから教えて」と言われたら、責任を持って教えるというルールにすることが必要です。できる子どもは、往々にして自分が説明してもわからないと「わからないのは相手が悪いんだ」と途中で説明を投げ出してしまいます。その点にも注意が必要なのです。
先生は、常に全体の様子を把握する必要があります。参加できない子どもや活動が止まっているグループがあれば、必要な支援を行います。わからないことを質問する子どもに対して、その場で先生が答えたり、解説したりしてはいけません。わからなければ先生が助けてくれるのであれば、グループで活動する必要はありません。「友だちに聞いてごらん」と聞くことを促します。「教えて」と言えれば、まわりの子どもに「助けてあげてね」声をかけ、関係ができたことを確認して、全体が見える位置に戻ります。先生がグループの中に入りすぎて全体が見えなくなることは避けなければいけません。
いくつかのグループの動きが止まっていれば、早めに活動を止めます。全体の場で、どこで困っているかを聞いて共有し、活動できているグループに、「どんなことをした?」「どんなことを話した?」「どこを見た?」と結論ではなく、その課程や手段を聞いて共有します。見通しが立てば、子どもたちは活動したくなりますから、そうなればまたグループに戻せばいいのです。
発表の場面では、子どもたちの考えを整理しながら焦点化することが大切です。異なった意見を明確にしたあと、必要があれば再度そのことを考えさせるのです。グループの発表後にもう一度考えるための時間をとることで考えが深まります。

最後に質問の時間を設けたのですが、挙手はありませんでした。そこで司会の主任が質問をしてくれました。「授業中でこのような反応してくれない場面があるのですが、どうすればいいのでしょうか?」という質問に、思わず「うまい!」と声に出しそうになりました。そこで、講演中に真剣な表情で首を傾けたりしていた方に声をかけました。「難しい表情をしていましたが、どういうことですか?」とたずねると、いろいろと考えていたということです。その内容を詳しく聞くと、「教科ごとの特性もあるので、それぞれが実際に取り組む時はどのようなやり方が効果的なのか疑問に思った。どのように考えたり、どんな本を読んで勉強したりすればいいのか?」という素晴らしい質問でした。よく勉強されている方だと思います。「正解と言うものはなく、先生が子どもたちのどのような姿を求めるかによって答は違ってきます。本も手に取って見て、自分に合いそうだなと思うものを読むことから始めるとよい」とお答えしました。問いかければちゃんと質問は引き出せます。大切なのは、だれに声をかけるかです。授業では、そのために子どもたちをよく見ておくことが必要です。「ちょっと首をかしげた」「あまり集中していなかったのに、ある場面で急に顔が上がってこちらを見るようになった」といった反応をしっかり見ていれば、声をかけるべき相手は見つかるのです。このことを司会者の質問への答としました。

研修終了後、何人かの先生と個別にお話させていただきました。とてもうれしいことです。これからも、たくさんの方に相談いただけることを楽しみにしています。また、「スライドをすべて見せてもらっていなかったので、他の部分も見て勉強したい」とスライドのデータをほしいと言ってくださる先生もいらっしゃいました。こういった前向きな姿勢はとてもうれしいものです。皆さんで共有できるようにしたいと思います。

研修開始前に、今年度の担当の主任と次年度の担当予定の方とで、引継ぎを兼ねて簡単に打ち合わせをしました。今年度の担当の先生は担任に復帰することを望んでおられましたが、それがかなったようです(ただし、学年主任のおまけつきですが……)。今年度、先生方との間を上手につないで、私のいたらないところを本当によくフォローしていただきました。自らも積極的に新しい授業スタイルに取り組んでいただき、いろいろな面からこの学校の授業改善を後押していていただけた方です。本当に感謝しています。次年度の主任の方も授業をとても大切にする、授業改善に前向きな方です。先生方に対しても積極的なかかわりが期待できます。学校全体でも授業改善に前向きな先生も増えてきています。これからのどのように学校が変化していくかとても楽しみです。

子どもたちが活躍する授業について考えていただく

昨年度末に、私立の中学校高等学校の授業評価報告会で、子どもたちの厳しい現状について報告しました。

子どもたちと先生方の関係は良好で、先生方の授業に対する姿勢や基本的な指導について肯定的です。しかし、それにもかかわらず子どもたちの授業への意欲や積極性が低いことが大きな課題です。授業評価から見えてくるのは、「授業で活躍できる」場面が少ないことや話を聞いているだけの「受け身から脱却」できていないことでした。特に高等学校では授業進度のことが気になるために、先生が一方的に説明して板書を写させて終わる授業が多いようです。子どもたちが積極的になるためには自己有用感が大切になります。「結果を出す」「ほめられる」といった場面があることで、自己有用感を味わうことができますが、受け身の授業ではその場面をつくることが難しくなります。子どもたちが活躍する場面をつくることが必要です。子どもが活躍する授業といえば、最近何かと話題になるのが「アクティブ・ラーニング」です。アクティブ・ラーニングの視点を意識してどうすればいいのかについてお話ししました。

まず手をつけてほしいのが、「受け身の時間を減らす」ことです。子どもたちが「先生の話も聞かずに板書を写している」「先生の解説を黙って聞いている」「問題の答を知るだけ」という状態をなくし、「進むことを優先するのではなく、全員の子どもがわかる・できるを保障する」授業に変えることです。そのことを意識して、先生方にグループで「どんなことをすればいい?」「できそうなことは何?」「どこで困りそう?」「何がわからない?」といったことを聞きあっていただきました。私が思った以上に先生方から意見が出ています。みなさん、以前は子どもを活躍させるような工夫をいろいろしていたように見えます。いつの間にかそういった工夫をしなくなったようです。先生方から「教科書を終わらせないと」という声を何度か聞きましたが、そういったことが原因なのかもしれません。
ここで、他の学校での子どもたちの様子を動画で紹介しました。子どもたちが課題に対して、自分たちで相談しながら取り組んでいる姿や、一人で黙々と集中している姿です。この子どもたちは、以前はこの学校の生徒たちとあまり大きな違いはありませんでした。先生方が変わることによって、その姿を大きく変えたのです。どうやって、このような姿になったのかを考えていただきました。
結論から言えば、先生方が子どもたちの姿を変えたい、変わってほしいと思うかどうかの問題です。この学校でのきっかけは、授業中に「寝る子どもをなくしたかった」ことです。子どもたちが変わるにつれて、先生の言葉が「子どもがダメだ」から「自分たちの授業の問題だった」と変わっていきます。「子どもはすごい」「準備は大変だけれど子どもの姿がエネルギーをくれる」といった言葉が聞かれるようになりました。子どもの笑顔が増え、授業に集中しています。子どもたちは、「頑張ればわかると信じて」授業を受けているので集中が切れないのです。子どもたちの原動力は「わかりたい」「できるようになりたい」であって、「楽しい」「おもしろい」はその先にあるのです。
最後にどのようなことをやってきたのか簡単に整理して終わりました。

・笑顔で子どもを受容する
・子どもに問いかける
・隣同士で相談
・グループで相談
・問題を解くのにわからなければ聞いてもいい
・先生が答を言わない
・他のグループにも協力する
・自分たちの考えや活動をみんなの前で発表
・友だちや先生が認めてくれる

報告会の後で、管理職の方と今後についてお話をしました。私からは大きく2つのことを提案させていただきました。一つは、先生方はいろいろな工夫をする力はあるがそれをやろうという意欲が低いので、トップダウンで授業改善の方向性を示すこと。もう一つは、先生方が互いに授業を見あってよいところを学び合うことです。
ボトムアップで進めることができればいいのですが、現在の状況を見るとその時間的な余裕はないように思います。先生方の持つポテンシャルは決して低くないので、それをいかにして引き出すかが課題です。管理職の決断を待つことになります。
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