返しの難しさを感じた授業
昨日の日記の続きです。
1年生の国語は物語で登場人物の気持ちを読み取って音読を工夫する授業でした。 授業規律もしっかりできていて、子どもたち対する指示も的確です。興味関心を持たせる工夫など、学ぶべきことの多い授業でした。 音読で子どもたちに「強く」「弱く」という強弱や「早く」「ゆっくり」という緩急などを意識して読ませます。できれば、「表題」や「作者」という用語やそれと関連して音読する時の間なども教えておきたいところでした。 「いつの話」「だれが何をしているのか」といったことを意識して読むように指示をします。目標を持たせることはよいことです。子どもたちは一生懸命に読んでいるのですが、音読に意識が集中しているようにも見えました。音読と読み取りと明確に分けてもよかったかもしれません。読み取りについては、それがわかる所に線を引かせると、何となくではなく根拠を持つことができると思います。 発表者には本文のどこに書いてあったかをちゃんと確認します。とてもよいことです。「最初のところに書いてあった」という子どもの答に、そこをちゃんと読ませます。これもよい指示ですが、本人に読ませずに、他の子どもに読ませたり、確認したりするといったことをしてもよいでしょう。手を挙げなかった子ども、聞いているだけの子どもを動かすことも大切だからです。 登場人物の確認で、「いいです」「同じです」という反応が返ってきますが、全員がきちんと反応しているわけではありません。何となくで先に進むことがあると、次第に子どもたちは受け身になっていきます。何人も指名して、「同じ」ではなくもう一度言い直させるとよいでしょう。 「やぶれしょうじ」の意味を確認しますが、しょうじを「やぶって」という子どもの言葉でそのまま進めます。「やぶれている」「やぶれたまま修理していない」ということ押さえる必要があります。また、作者の表現に敏感になって、そこから情景を読み取る力をつけることが大切です。「どうして敗れたままにしているの?」と子どもたちに問い返すことで、「やぶれしょうじ」という言葉から貧しい生活の様子がうかがえることに気づかせたいところでした。 登場人物のおかみさんとたぬきの様子を子どもたちに前に出てやらせます。小道具の糸車とお面に子どもたちは大喜びです。ここで「先生のつくったたぬきのお面は、目は回らないけれど」と本文のたぬきの目が糸車に合わせてクルクル回る表現を意識させます。たぬきの様子が書かれている本文の記述を抜き出して、子どもたちに気づかせてもよかったもしれません。 子どもたちの音読に合わせて、指名された子どもが演技をします。糸車の回る音だけの場面でおかみさんの回す糸車は「キーカラカラ キーカラカラ」「キークルクル キークルクル」という擬音語で表現されています。2つの音ははずみ車の部分の音と糸を巻き取る部分の違いを表わしているのでしょう。小道具の糸車はそこまで細かくつくられていませんが、音が2つに分かれていることも読み取らせたいところでした。また「キー」という音がついていることにも注目させる必要があると思います。ただ、「カラカラ カラカラ」「クルクル クルクル」だけではどう違うのか、それを意識して演技させたいところです。「キー」というきしむ音が入ることで、糸車が古くて痛んでいること、そこからも暮らしが楽でないことを読み取らせたいのです。 用意したおかみさんとたぬきの絵の吹き出しに気持ちを書き込ませます。書けた子どもは手を挙げて先生が来るのを待っています。授業者は○をつけながら声かけをします。子どもたちはとてもうれしそうですが、挙手に頼っているので授業者はあちこちへと大忙しです。手がつかない子どもにも対応しているので、挙手をしている子どもに気づかなかったり、なかなか○つけに行けなかったりしています。ここは、挙手に頼らず列にそって全員に○つけをする「○つけ法」で行うとよいでしょう。手がついていない子どもには一言アドバイスをして、その子たちだけもう一度あとから○つけに回るのです。 子どもたちに、おかみさん、たぬきの気持ちを発表させますが、どこからそう思ったかは問い返しません。子どもなりに根拠があるはずですから、そのことを本文と関連づけて確認するとよかったでしょう。「かわいいなあ」という答に対して「ここに書いてある」と反応する子どもがいます。授業者はそれを取り上げませんでしたが、ちょっともったいないと思いました。 子どもは○ももらっているので発表したくてたまりません。テンションが上がっています。隣同士で聞き合うといったことをしてもよかったでしょう。 おかみさんの気持ちを意識して音読をさせます。子どもたちが考えた登場人物の気持ちと、強弱や緩急をつけるといった読み方の関連がはっきりしません。「どういう風に読むといい?」といった問いかけもするのですが、子どもからは気持ちの部分は出てきても具体的な読み方の説明には上手く結びつきません。ちょっと読ませてみて、子どもたちに「どんな工夫をしていた」とたずねたり、「強く読む時はどういう時?」「かわいいと思ったら、どういう風に読むといい?」と問いかけたりすることも必要だったと思います。 根拠を大切にしようとしていることはよくわかります。しかし、子どもはなかなか明確にすることができません。子どもの発言に対して、できるだけ具体的に問い返すことが必要です。子どもへの問いかけや返しの言葉を工夫するとよいでしょう。 また、この授業では登場人物の気持ちを読み取ることを主眼にしているので、情景の描写にはあまり触れませんでした。時間の関係もあるのでそう判断したのでしょう。情景描写の読み取りについてもどこかで時間が取れるとよいと思います。 力のある方なので、基本的なことは本当にしっかりとできています。だからこそちょっとした工夫で授業はより一層素晴らしいものになると思います。今後が楽しみです。 この続きは次回の日記で。 子どもたちの活動が主体の授業の難しさを感じる
遅くなりましたが、1月に訪問した小学校の話です。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。この日はベテランと中堅3人の授業アドバイスと学校全体に対してお話をさせていただきました。
6年生の国語の授業は漢字クイズをつくる場面でした。クイズの種類を「読み方山」「使い方山」「送り仮名山」と山に例えて、子どもたちが自分で問題をつくるのがこの日の課題です。 最初に前時にやったクイズについて復習します。指名された子どもは教科書やノートで確認をしようとするのですが、他の子どもは反応しません。他人事になっています。一問一答の形で授業が進むことが多いのかもしれません。 質問に対して積極的に反応する子どもが一部に偏っています。授業者がもっと積極的に指名すれば反応してくれる子どもたちに見えます。授業者がもっと多くを求めてもそれに応えてくれる子どもたちだと思います。 課題を提示後、「発展山」に挑戦してもよいことを伝えます。やる気のある子どもでしょう、「部首」「書き順」と発展問題のジャンルを話します。授業者はそれをすぐに板書しましたが、発言者と授業者だけで終わっています。板書する前に、他の子どもたちに「どんな問題か想像がつく?」と発言を共有したり、「この他にもどんな問題がつくれそう?」と広げたりしたいところでした。 グループで作業をするのですが、グループの形になる時に動きが遅いことが気になりました。課題は理解していますが、どのようにしてつくればいいのか見通しが立っていなかったからのように思いました。 ここで、「分担して、一人が1種類の問題をつくる」「一人2問つくる」「できたら班でやってみる」「掲示用の紙に問題を書き直す」といった一連の作業を説明します。口頭では追いきれません。こういった指示はグループになる前にディスプレイを使って説明するとよいでしょう。指示が終わった後もディスプレイに表示しておくことで、すぐに確認ができます。 子どもたちは、どこから手をつけてよいのかわからないために、エネルギーが低いように感じました。自信がないのでしょう、「先生これであっている?」と授業者に確認します。それに対して、授業者がていねいに対応していました。せっかくグループで活動しているので、グループの他の子どもにつなぐとよいのですが、一人ひとりが違う作業をしているのでかかわり合うことが難しくなっています。「グループで同じ種類の問題をつくる」、グループごとに全部の種類を用意したいのであれば、「ジグソーのように同じ種類で集まって問題をつくった後、元のグループに戻る」といった方法もあります。 気になったのが、この授業の流れからは、子どもたちにどのような力をつけたかったのかよくわからなかったことです。辞書や漢字練習帳をぺらぺらめくっている子どもが目立ちます。意図を持って活動できていません。「漢字に興味を持たせたかった」のか、「漢字の知識を増やしたかった」のか、「辞書の使い方を身につけさせたかった」のか、いずれにしてもそれが明確に伝わってきませんでした。 進捗状況も子どもによって大きく異なっていました。途中で、活動を止めて子どもたちに困っていることを言わせたり、何を使ってどのようなことを調べたかといったことを発表させたりする場面が必要だったでしょう。足場をそろえることで進捗のばらつきは緩和されます。また、「読み方がたくさんある漢字を探す」「同音異義語を探す」「訓読みを確認する」といったことを共有することで、授業のねらいもはっきりしてくるはずです。 子どもたちの活動は、この授業時間内では終わりませんでした。発表用に大きく書き直すことも時間がかかってしまった要因です。授業者は教室に貼ってみんなで見合うことをねらっていたので仕方がありませんが、全体で発表するだけなら実物投影機などを使うことで時間を大きく減らすことができます。こういった活動ではICT機器を活用することも視野に入れたいところです。 子どもたちの活動が主体の授業は、子どもたち任せておけばよいから楽だと思う方もいますが、教師主導の授業よりもはるかに難しいところがあります。課題の与え方一つで動きが変わってきます。また、子どもたちは授業者の予想通りに動くわけではありません。グループや個人によってその動きも異なってきます。子どもたちの様子を観察して、状況に応じた対応が求められます。高い授業力が求められるのです。 この授業を通じて改めてそのことを考えさせられました。この授業から、私も授業者も多くのことを学べたと思います。 この続きは明日の日記で。 学校の次の課題が見えてくる
昨日の日記の続きです。
授業研究は3年生の国語の授業です。「科学読み物を紹介しよう」という単元の第2時で、教科書の本文「ありの行列」の最初の時間でした。 この単元の最終目標である紹介文を書くことを確認してから授業は始まりました。ゴールを意識することはよいのですが、それとこの時間の関係がはっきりしません。内容がわかっていないと紹介できないので、「読み取り方」を学ぶことを明確にしておきたかったところです。 「どんな組立になっているか」を考えて読むことがめあてです。「つながりに気をつけて」という表現もします。「組立」「つながり」がどういうことなのかを確認しておきたいところでした。過去に学習したのであれば、その時の文章を提示して思い出させるといったことが必要だと思います。 授業者の範読を聞いて、初めて知ったことを後から発表してもらうと伝えます。目標を明確にすることはよいことです。この時鉛筆を手に持っている子どもと持っていない子どもがいることが気になりました。「初めて知ったところに線を引く」という課題にして、鉛筆を持つことまで指示した方がよかったかもしれません。 本文に「じょうはつ(蒸発)」という言葉がありました。子どもたちが「蒸発」という言葉を知っているのかちょっと心配でした。確認をしておきたいところです。 子どもから「お尻から液が出る」「餌が多いほど匂いが強くなる」といったことが出ます。この時、友だちの発言を聞いていない子どもが少し目につきます。ここはあまり時間をかけたくないところでしょうが、どこに書いてあったか確認することも必要でしょう。 文章を形式段落に分けさせます。上手く分けることができない子どももいます。形式段落の定義が全員に定着していないようでした。確認が必要だったようです。 段落数の確認で自信のない子どもはまわりの様子を見て手を引っ込めてしまいます。よくあることなのですが、間違えても恥ずかしくない雰囲気ができるとよいでしょう。 授業者がこういった文章には「問い」があると説明します。問いの文はどれかを探させます。「それなのに、なぜ、ありの行列ができるのでしょうか。」という文の「それなのに」を問いに含むかどうかで意見が分かれます。これは「問いの文」をどのように定義するかで違ってきます。「それなのに」の「それ」が、「ありは、ものがよく見えません。」を指していることを押さえて、「それなのに」を含めるのなら指しているものも一緒にしないとよくわからないことを確認するとよかったでしょう。両方を合わせて問いの文とする、1文にするのなら「それなのに」を外した方がよいといったところで納得させるとよかったでしょう。 ここは問いの文を厳密に定義することではなく、文章の構成を考えることがねらいのはずですから、あまりこだわりすぎない方がよかったと思います。 結局、問いの文は「それなのに」を除外することにしましたが、根拠は子どもたちには明確になっていませんでした。 構造を意識するのであれば、「疑問を持つ⇒調べる⇒答がわかる」という過程を意識して、この文章がこのような構造になっているのか考えさせるという方法もあります。 最初に問いがあることから、答はどこかにあるはずだと問いかけて、その部分とそれ以外に分かれていることに気づかせる方法もあります。 いずれにしても、その上で3つに分かれることを「はじめ」「中」「終わり」の用語とともに確認したいところでした。しかし、授業者はこれも天下りで「はじめ」「中」「終わり」の3つに分かれると教えました。何かに疑問を持って調べたり考えたりしたことを伝えようとすると、こういう構造になることに気づかせたいところでした。 3つに分かれることを説明した後で、答の文を確認させました。答の文を「このように、においをたどって、……」の「このように」を含めて線を引く子どもが何人もいました。「それなのに」を除外する根拠が明確でなかったので、混乱しているようでした。「それなのに」がダメだったから「このようにも」だめという意見が出ました。本質的な説明になっていませんが、授業者はそれでよしとしました。ここがこれほど子どもたちの争点になるとは思っていなかったのでしょう。恣意的に進んでしまいました。 結局、子どもたちとっては、文の構造を考えるのではなく、問いの文、答の文を見つけることが中心の活動になってしまいました。 「文の組立とはどういうことか?」「つながりとはどういうことか?」「『はじめ』『中』『おわり』の構成と『問い』と『答』の関係はどうなっているのか?」といったことをどのようにして考えさせ、教えるのかを整理しておく必要がありました。 一読した時に子どもから出た「不思議」という感想の言葉を活かして、「筆者も『不思議だ』と思ったんだね」とそこから「問い」「実験・観察」「答え」というこの文章の構造につなげても面白かったかもしれません。 授業検討会はグループに分かれて行われました。 学級の授業規律のよさや子どもたちが授業にしっかりと参加しているといったよい点がたくさん語られます。この学級だけでなく、学校全体としても授業規律や参加度はよくなっていると感じます。うれしいことです。 先生方の論議も「問いの文」をどう扱うべきだったか、文の構造とどう結びつけるかが中心となっていました。授業の深い部分について先生同士で話し合うことができていることをうれしく思いました。複数の学級がある学年では、授業のアドバイスを一緒に聞きに来てくれます。その一方で、1学級しかない学年もあります。相談相手に困ることもあるかもしれませんが、こういった機会を通じて気軽に話せる関係ができていくことを願っています。 授業規律や先生と子どもたちとの関係ができている学校です。次の課題は一つひとつの授業でどのような力をつけるのかを意識した教材研究です。授業技術を活かすにも、教材研究がその基本です。しかし、これはそれほど簡単ではありません。小学校のように受け持つ教科が多いと、教科書の内容をしっかり理解するための時間を確保するのも大変です。毎日の教材研究を一人で行うのは大きな負担です。互いに気軽に相談できることがとても大切になります。学校のチーム力が求められます。来年度、先生方がどのようにこの課題に取り組んでいくのか楽しみです。私も先生方の取り組みがより前に進めるようお手伝いしたいと思います。 子どもの実態を把握することが大切
昨日の日記の続きです。
4年生の算数の授業は、子どもたちがとてもよい表情で授業を受けていました。 子どもの発表に拍手が起こります。しかし、全員が拍手をしているわけではありません。拍手が形式的になっているように思いました。もし発表が間違っていたら、子どもたちはどう反応するのでしょうか?おそらく拍手は起こらないでしょう。発表した子どもは落ち込むかもしれません。形式的な拍手ではなく、意味のある拍手にすることを意識するとよいでしょう。具体的には、拍手した子どもにその理由を問うのです。形式的な拍手はしなくなります。本当に納得した時、すごいと思った時にされるものであれば、拍手が起きないのが普通になります。その代り、授業者が受容したり、他の子どもたちに同意を求めたりして認め合えるようにすればいいのです。 確認の場面で全員の手が挙がらなかった時に、すぐに指名せずに隣と確認させました。全員参加が意識できている証拠です。 この日は、真分数と仮分数という用語と分数の大きさの関係についての学習でした。用語は知識ですから教える必要があります。これを子どもたちに聞くと塾や通信教育で学習している子どもしか答えられません。また、はっきりしない説明でかえって混乱することもあります。授業者が子どもたちに未習の知識を問いかける場面がありましたが、授業者が説明すべきだったと思います。 真分数、仮分数の定義は、分子が分母より小さい、分子が分母と同じか等しいとなります。分子と分母が等しい時はどちらか?「以上」「未満」といった言葉の定義の再確認などが必要になります。また、分子<分母なら1より小さいということを結論として整理しますが、その理由をあまりきちんと押さえませんでした。「絶対に1より小さい?」「分数が1より小さかったら分子は分母より小さい?本当?」と子どもたちを揺さぶり、自分の言葉できちんと説明できるようにさせたいところでした。結論だけでなく、その根拠をきちんと意識し言語化させることも大切にしてほしいと思います。 練習で、数直線上を示してその値が真分数か仮分数かを問う場面がありました。子どもたちに結果を言わせますが、その根拠を確認しません。小学校では定義と性質を混乱する傾向があります。ここでは「1より小さい」「1以上」といった理由を言わせるだけでなく、「どうして1より小さいと真分数になったの?」と定義に戻って確認するといったこともしたいところでした。 この授業で一番大切なことは何かをしっかりと教材研究していないと、どうしても押さえるべきことが曖昧になります。授業規律や子どもとの関係がよいだけにこのことを意識してほしいと思います。 もう一つの4年生の授業は算数の資料の扱いの授業でした。度数分布表を「正」の字を使って素早くつくる練習をする場面でした。 「正」の字を使って資料の度数を調べるやり方は知識として教えるべきことです。きちんと教えて全員が素早くできるようにすることが大切です。 子どもたちが練習問題に取り組んでいますが、時間がかかっていることが気になります。その理由はすぐにわかりました。子どもたちは、ケガをした場所の数を調べるのに運動場なら運動場だけを探して1つ見つかるごとに「正」の字を1画ずつ書いているのです。これでは、普通に運動場はいくつか数えることと変わりありません。合計を数えるのにも「正」の字を使っている子どももいます。「正」の字を使う意味がありません。授業者はこのことに全く気付いていませんでした。子どもたちの手元を見ればすぐにわかることです。答の確認の場面でも、項目ごとに「正」の字がどうなっているかを示します。これでは子どもたちの間違いを強化してしまいます。 やり方の説明場面を見ていなかったので何とも言えませんが、1つ該当のものがあると1画書き足すことだけが強調されていたのではないかと思います。実際に全体でやって見せ、今までのやり方と比較して、そのよさを子どもたちに言わせるといったことが必要でしょう。その上で、目的によってどのような表をつくればよいのかを考えさせることも大切です。表を与えて穴を埋めるのではなく、何のための表かを意識して取り組ませるのです。また、表に合計の欄があることの意味も考えさせたいところです。間違いを修正するために、合計をどう利用するのかも教えるべきことです。 子どもたちのつまずきを意識して教材研究をし、常に子どもたちの実態を把握することを忘れないでいてほしいと思います。 5年生の道徳の授業は命をいただくことを考えるものでした。 授業者は子どもたちに配る資料を工夫していました。先を読まないように場面ごとに区切って、次の場面は紙を折らないと見られないようになっています。区切りごとに主人公の行動の選択肢が書かれていました。読みながら、どの選択肢を選ぶのか想像させるのです。子どもたちを資料に引き付けるにはとても面白い工夫です。 資料は、家で食用の山羊の面倒を見ることになった主人公が次第に愛情を持つようになったが、自分の寝ているうちに山羊は食べるために殺されたという話です。子どもたちは、主人公はどうするだろうと想像しながら話に引き込まれていきます。最後の方では、選択する場面で「主人公だったら?自分だったら?どっち?」と質問する子どもも出てきました。自分に引き付けて考えていることがわかります。授業者は子どもの選択に対して言葉を足しすぎているように思いました。興味をひかせたいという気持ちはわかるのですが、雑談になっている場面も目に付きました。 「山羊を殺されてどうする?」という問いかけにグループで話し合います。自分の課題となっていたのでしょう。子どもたちが素早くグループの隊形になったことが印象的でした。 時間の関係でここまでしか見られませんでしたが、授業の流れとしては、少し細かく資料を区切りすぎ、行動の選択に時間をかけすぎたように思います。「山羊に愛情を感じるようになったこと」「山羊が食べられることへの葛藤」を押さえて、早く「山羊が殺されてどうする?」という課題に向かわせたいところでした。この後主人公のおじさんの「命をもらわなければ生きていけない」という言葉をもとに、もう一度考えさせる展開だったでしょうが、おそらく時間が足りなかったのではないかと思います。子どもたちに興味をひかせ、考えさせる構成はよかったと思いますが、どこに時間をかけるかをもう少し意識できるとよかったでしょう。一般的に道徳の授業は資料の内容把握に時間をかけすぎる傾向が強いように思います。できるだけ早く子どもたちに考えさせ、そこに時間をかけたいところです。 授業者は毎回先輩と相談しながら、工夫をした授業を見せてくれます。この挑戦する姿勢を忘れずに毎日の授業に臨んでほしいと思います。次回の訪問も楽しみです。 授業研究については明日の日記で。 |
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