佐藤正寿先生から本当に多くを学ぶ(長文)
今年度最後の教師力アップセミナーは、岩手県奥州市立常盤小学校副校長の佐藤正寿先生の「わくわく社会科授業〜全員が『わかる』『できる』授業のつくり方〜」と題した講演と模擬授業でした。
3部構成の第1部は、「社会科授業改善の視点」です。 佐藤先生は、子どもたちが社会科を嫌う理由を授業改善へのヒントととらえます。その内容もそうですが、こういった姿勢はとても大切なことだと思います。若い先生方は子どもたちが授業に不満を示すと落ち込むことが多いのですが、それを授業改善のチャンスととらえる強さが必要です。子どもが不満を言うのは先生に期待しているからです。こういった声が聞けなくなることの方がこわいのです。 佐藤先生が挙げた子どもたちの声は、「覚えることが多い」「資料が難しい(特に4年生後半から)」「楽しくない、興味がわかない」「先生の教え方が……」というものです。そこを元に社会科授業改善の7つの視点を提示されました。 視点1「資料に応じた読み取り方を」 教科書に掲載される資料数を種類別に表にしたものを示されます。それまで写真や図が中心だった資料に、4年生後半からグラフや表が登場します。さきほどの子どもたちの声と合わせると、子どもたちにとってグラフや表の読み取りが難しいことがわかります。 先生方はすぐに「資料をみて気づいたことは?」と問いかけますが、これでは何を答えていいかわかりません。まずきちんと資料の内容を読み取ることから始める必要があります。例えばグラフであれば、最初に資料の「基本項目」を確認し、「全体」の傾向、続いて細かい「部分」に注目させ、そしてそれらを「解釈」し、「思ったこと」を発表させるという流れになります。最後の「解釈・思ったこと」で子どもたちから多様な意見を引き出すことで互いに学び合い、深い読み取りが可能になります。社会科に限らずこういうスモールステップを明確にしておくことで、授業の構成が明確になります。 視点2「教材にしかけをする」 ちょっとした工夫が子どもたちに興味を持たせ、積極的な活動を引き出します。例えば資料の一部を隠すというのは簡単ですが、効果のある方法です。「なんだろう?」と子どもたちが食いついてくれれば、それだけで十分価値があります。「どうすればわかる?」と問いかければ、子どもたちを動かすことができます。例えば、コンビニの写真の一部を隠して答を教えなければ自分で調べに行く子どももいるはずです。「なんだろう?」「知りたい?」、子どもに「?」を持てせることが大切です。 視点3「『ゆさぶる』場面を入れる」 あたりまえに答が見えていたり、新しい発見がなかったりすれば子どもたちは学習に興味を持とうとしません。有田和正先生の発問に「バスのタイヤの数はいくつですか?」というのがあります。「あれっ?どうだった?」と「あいまいなことを問う」ことで、子どもたちは引き込まれていきます。常識的な視点とは違う「新たな視点を示す」。特徴に気づかせるために、「他の例と比べる」。「○○なのに○○なのはなぜ?」と「矛盾・対立していることを示す」。こういったゆさぶりが、「子どもたちが社会的な事象を追求し続けるための前提」となる、「子どもたちの中に切実な学習課題への意識が成立すること」につながります。 視点4「定番ネタをもつ」 佐藤先生は、授業の導入にクイズをよく出されます。子どもたちのウォーミングアップに、フラッシュ型教材を使ってテンポよく短い時間で進めます。こういった定番があると、子どもたちも安心して授業に参加できます。「(都道府県名に)『川』が入っている都道府県は?」「数字?」「動物?」といった地図クイズを例として出されましたが、大人でも楽しそうに取り組んでいました。こういったクイズは、だらだらやらないことがポイントになります。 視点5「『知る』『わかる』『判断する』を区別した授業設計」 これは、とても大拙な視点です。「知識」を獲得し、「概念」を形成し、それをもとに「価値判断」する。これは、社会科だけに限りません。例えば総合的な学習の時間であれば、「○○について」とただ調べて発表するのではなく、その調べたことをもとに「○○は××か?それとも△△か?」と判断するような課題にするのです。 佐藤先生は、駐車場に障害者スペースがあることを知り、それが障碍者のための工夫であることをわかり、障害者にとって優しい街づくりであることだと判断するといった流れで説明されました。前の2つが、社会的な「ものの見方」、価値判断が「考え方」です。わかりやすい例でした。これをスモールステップとして、次のように整理されました。「見えるもの」を問う⇒推測する(気づかせ発問)⇒事象を概念として束ねる(概念化発問)「何と言えるか」「条件は何か」。佐藤先生の授業の構成は、まさにこのようになっています。 視点6「主催者として価値判断する場面を」 価値判断できる課題として、「農薬を使うことに賛成か、反対か」「日本は食糧の輸入を増やすべきか、減らすべきか」「あなたが農民の立場だったら、刀狩に賛成か、反対か」といった例を出されました。ポイントとして、「立場が明確」「知識が前提」「話し合いで変更可」「評価は考えが深まったか」を挙げられます。例えば、農薬であれば農家、消費者と立場を明確にすることで、考えやすく、議論が自然に起こります。ここで、判断するためには根拠となる知識が必要です。授業をつくる時には、判断するための前提となる知識を子どもが持っているのか、持っていなければどうやって獲得させるのかを考えておくことが大切です。また、子どもが友だちの考えに触れて、考えを深める場面が必要です。日ごろから、意見を変えることは、考えた証だとポジティブにとらえるようにしておくことが必要です。導き出した答そのものではなく、考えを深めた過程を評価することも大切になります。これは社会科に限りません。すべての教科で大切にしたいことです。 「何のために」といったことを考える、概念形成時に価値を問うという方法も示されました。「昔のくらしのよさは何か」「もし、ごみを出すきまりがなかったらどんな問題がおきるか」「参勤交代は当時の社会にどのようなプラスがあったのか」というわかりやすい例で説明されます。価値判断する場面をつくることは、アクティブラーニングにも通じることです。特に大切にしたいと思う視点です。 視点7「『旬』を生かす」 佐藤先生がいつも意識されていることの一つが、この「旬」を生かすということです。社会科は内容が時代で変わります。今目の前で起こっていること話題にすることで子どもは興味を示してくれます。「消費税アップは必要?」「選挙制度」といったその時、時代にあった課題も魅力的ですが、「伝統行事」「日本人が忘れていけない日」といったことに関してちょっとした話をすることもとても意味のあることです。 佐藤先生のお話は何度もうかがっていますが、今回は今まで以上に若い先生にもわかりやすく社会科の授業をつくる上でのポイントが具体例と共にまとめられていました。 そして極めつけは、第2部の模擬授業です。 第1部でのポイントを具体的な授業の形でわかりやすく示していただけました。 テーマは「東京オリンピック」です。まさに視点7「『旬』を生かす」です。最初にクイズで興味を引き出します。スポーツ選手の写真を見せてどんな人かを聞きます。視点4「定番のネタ」です。ここで、体操の内村航平選手、レスリングの吉田沙保里選手といった有名なロンドンオリンピックの金メダリストだけでなく、パラリンピックの金メダリスト、テニスの国枝慎吾選手の写真もあったことに感心しました。国枝選手を知っている子どもは少ないでしょう。「あれ?だれ?」と思うことでオリンピックだけでなく同時に開かれるパラリンピックにも子どもの意識を向けさせることができます。視点3「『ゆさぶる』場面を入れる」です。 この後、「オリンピック楽しみですか?」と聞いて、「楽しみ」という言葉を引き出しました。この後の問につながる伏線です。 オリンピックについて知っていることを3つ以上考えさせます。ただ「考えなさい」では一つ考えて時間を持てあます子どもが出てしまいます。ちょっと高めのハードルを設定するのがポイントです。いつものように、発表をすぐに板書はしません。友だちの考えをしっかり聞くことに集中させると同時に、玉石混交の意見が出るはずですのでまずは発表だけさせるのです。板書はその後必要なものだけに絞ります。「4年に一度」「世界中の人々が参加する」「五輪のマーク」「100年以上続いている」といったまとめの後、「どんな国で開かれているのか」と問いかけ、知っている国を挙げさせます。これは単なる知識です。その後、夏季オリンピックの開催国の上に開催年が書かれた地図を資料として提示します。国名は書かれていません。視点2「教材にしかけをする」です。国名がない資料なので地域に目がいきやすくなっていますし、子どもたちに国名を考えさせることにもつながります。 「アフリカがない」という発言に対して、「やっていない方に目がいった」と価値付けをします。開催国の傾向として、「西ヨーロッパ、北アメリカ」「アジアは3か国」「アフリカはなし」といったことが挙がります。視点5「『知る』『わかる』『判断する』を区別した授業設計」の資料から知識を得る、「知る」場面です。それを受けて、開催国に必要な条件を考えさせます。推測することで「わかる」場面です。ここは概念形成の場面なので、まわりと相談させることで、多様な考えに触れさせ考えを広げます。 「治安がいい」という発言に対しては、別の言葉で「安全」を出させます。実際の授業では、「治安」という言葉がわからない子どももいます。自然に優しい言葉に置き換えることができるのはさすが小学校の先生です。「経済力がある」「インフラ」と言った言葉は取り上げ板書しますが、「利権」や「プレゼンテーション」と言った発言は受容するだけで板書はしません。さり気なく情報を整理して、この日の課題に必要なものに絞ります。これが露骨だと、子どもたちは先生の求める答探しをし始めます。佐藤先生は、そのようなことにならないように、笑顔でしっかりと受容されています。最初に聞いた「楽しみ」につなげて、「人々(国民)の熱意」を自ら示しました。ここで、子どもから出させることにこだわって引っぱりすぎるとおかしなことになってしまいます。資料をもとに、根拠を持って考えることができるものではないからです。こういった判断もとても大切なことです。 続いて2つ目の課題です。日本が1964年の東京オリンピックのころにどのような発展をしたかを考えます。教科書にある新幹線開通や高速道路建設の写真、テレビの普及率の資料などを与えます。視点1「資料に応じた読み取り方を」の場面です。 考えるための前提となる視点を先ほどの課題で与えているので、「交通網の発達」や「経済力」についての意見が出やすくなります。交通網から「物流(物の移動)」「(個)人の移動」といった多様な視点を意識させます。「個人の移動」と「テレビの普及」を「消費力」の増加につなげます。資料の裏を読み取ることを意識しています。ここでも、視点5「『知る』『わかる』『判断する』を区別した授業設計」の「知る」から「わかる」へつなげています。そして、「この東京オリンピックは一言で言うとどういったオリンピックですか?」と「価値判断」する課題へと移ります。テレビ普及率の資料は1955年からのものですが、この1955年は「戦後」が終わって景気が急上昇する時です。1956年の経済白書では「もはや戦後は終わった」と書かれています。佐藤先生はこの1955年にさり気なく触れて、「戦後」という言葉を意識させます。判断するための前提となる知識を上手に与えていました。「戦後復興」を上手く引き出す布石です。「授業深掘りセミナー」で「電車道」と称されるわけです(第2回授業深掘りセミナー(その1)長文参照)。 ここで東京オリンピックの最終聖火ランナーがどのような人かクイズを出します。オリンピックの強化選手でもあった有力ランナーの坂井義則選手ですが、1945年8月6日に広島県三次市で生まれたことが大きな理由です(本人は被爆者でないが、父親は被爆者健康手帳の保持者)。日本人にとって大切な日を考えさせ、この人選に込められた「平和への願い」に気づかせようというのです。時間の関係で、軽く流しましたが、佐藤先生が大切にしていることが何かがよくわかる場面でした。 そして、最後の課題として「あなたがアナウンサーなら、この最終聖火ランナーが競技場を走って聖火を点火する30秒間をどうアナウンスしますか?」を提示します。音声を抜いた映像に合わせてアナウンスさせるのです。ここは省略しましたが、まさに、視点6「主催者として価値判断する場面を」でした。 「あなたなら、今度の東京オリンピックの最終聖火ランナーに誰を選びますか?」という最後の問いかけは、2020年の東京オリンピックを深く考えさせるきっかけになるものでした。視点7「『旬』を生かす」だけでなく、視点3「『ゆさぶる』場面を入れる」で語られた、「子どもたちの中に切実な学習課題への意識が成立すること」が「子どもたちが社会的な事象を追求し続けるための前提」を具現化した発問でした。 佐藤先生の社会科授業の視点を見事に具現化した模擬授業でした。 第3部は、「社会科教師として力をつける」ために心がけることをまとめてくださいました。 まずは「教科書中心の教材研究+α」です。教科書を読みこなすことが基本です。そのための方法として、「教材研究用に自分の教科書を購入」「すきま時間を見つけて、教科書を何度も読む(持ち歩く)」「資料からわかることを読み取り、教科書に書き込む」「『なぜ?』『もっと知りたい』をメモ」といったことが挙げられました。これは社会科だけでなく、他の教科にも通じることです。その上で「+α」を大切にしてほしい。具体的には「学区を調べ、写真をとる」「市役所や消防署に取材」「全国各地に電話」「歴史に関するエピソードをインターネットで調べる」といったことです。リアリティのある、地域に根差した教材研究、子どもたちに興味を持たせるための材料集めです。例として、歌川広重の「伊勢神宮」の絵に描かれている「子どものひしゃく」「おかげ犬」(最近は「おかげ犬サブレ」が人気ですが)のエピソードから当時の旅や信仰、人々の生活を考えさせる授業が示されました。 また、社会科教師としての基礎体力をつけることも大切だと話されます。教師一個人として短歌をつくったり、合唱団に入ったりといった素養を身につけることが大切ですが、社会科教師にとって、それはどのようなものでしょうか?地図地理検定に挑戦したり、「スーパーマーケットとデパートの違い」といった疑問を調べたりすることが大切だと話されます。また、社会科の教師として、未来の社会を考える姿勢も忘れてはならないという言葉は、教科に関係なく、未来を担う子どもたちを教える立場の人間が心すべきことだと思います。 社会科の枠を超えて、本当にたくさんのことを学ばせていただきました。いつものことですが、たった2時間の短い時間の中に実に多くの学ぶべきことが詰まっていました。中身の濃い学びを本当にありがとうございました。 企業内検定の企画
学校関係の企業での研修の一環として、検定制度を企画しています。学校や教育関係の基礎知識や業務上必要な知識の簡単なテキストをつくり、検定はそこから選択問題で出題するというものです。落とすための検定ではなく、学んでもらうきっかけとしての検定です。
学校関係のものは私がその企業向けに連載している学校情報のコラムからテキストをつくります。コラムそのものは長いので、それを担当の方に要約していただくのですが、書いた本人ではないのでなかなか難しいものがあります。特に難しいのは、コラムを単に要約するのではなく、その企業の社員にとってどのような情報が大切なのかの判断です。実際の現場を知っているわけではなく、また私がポイントをうまく伝えられなかったため、苦労されていると思います。 今後いろいろな方のご意見をうかがいながら、完成に近づけていきますが、こういった企画にかかわることで、改めて先生の仕事のたいへんさ、複雑さを実感します。 先生方の研修はOJTが中心となりますが、充実しているとは言い難い状況のように思います。もちろん市販の書籍等で個人的に勉強されている方もありますが、日常の仕事に追われ、なかなかその時間が取れない方が多いというのが実際でしょう。検定制度という訳ではありませんが、先生方が手軽に学べるようなアイテムや機会が必要だと思います。インターネットでは、学校教育に関する情報もたくさんありますので、定期的にそういったものを閲覧することもお勧めします。 第2回 教育と笑いの会
昨年末に開催された「第2回 教育と笑いの会」は、前回に引き続き大盛況となりました。今回私は「故・有田和正先生の授業におけるユーモアを学ぶ」というコーナーの司会という大役でした。
開始5分ほど前から玉置崇先生が会場を温めます。さすが落語会を数十年にわたって運営してきた方です。開会する時には、すっかり観客の皆さんが話を聞く雰囲気になっていました。 まずは、「野口芳宏・玉置崇の教育漫才」です。 玉置先生が事前にネタの打ち合わせを野口先生にお願いしたところ、その必要はないとの返事だったそうです。しかし、さすがに台本なしではと思い、玉置先生はどのように進めようかと前日の晩はろく眠れなかったそうです。当日は、さすがに野口先生も不安になったのか、「ちょっと打ち合わせをしておこうか」と言われたそうです。いかにも野口先生らしい、とぼけたお話しです。 玉置先生が野口先生にあこがれていた時の出会いや、昨今の教育事情のネタは教師の枠を超えて笑えるものでした。ぶっつけ本番とは思えないほどのできでした。 続いては、志水廣先生の教育漫談です。 さすがは関西出身者、「綾小路きみまろ」ならぬ「綾小路しみまろ」として、服装から髪型まで、ここまでやるかという演出。前の方に陣取った志水先生ファンならずともしっかりと笑わせていただけました。 池田修先生の「『こんな時どう言い返す』ユーモア返答術講座」は、ワークショップ形式で、こんな時どう言い返すか、参加者の方にも考えていただきました。皆さん隣の方と楽しそうに言いあっていらっしゃいます。しかし何といっても面白かったのは、池田先生が関西の先生方から聞かれた切り返しの例です。言葉ではうまく説明できませんが、いかにも笑いの本場関西と言えるものです。また、それを見事に再現する池田先生。関西出身でないとは信じられないほどです。 まじめな子どもにこんな言葉で言い返したら、怒ってしまいそうな例もありますが、先生と子どもとの人間関係によってその効果は変わってくるのだろうと思います。ユーモアは相手との関係に大きく影響されるものであることを改めて意識させられるワークシップでした。 ここからは、落語が2席続きます。協賛してくださっているEDUCOMのスッタフの皆さんが準備してくれた見事な高座で、本格的な落語を楽しみます。 1席目は、「校長もできる落語家月の輪熊八」こと小林幹政先生の「黄金の大黒」。 いやあ、びっくりしました。どこから見てもプロの落語家。声といい間といい、ほれぼれします。この後、プロの桂雀太師匠はやりにくいのではないかと思うほどです。すっかり先生の落語のファンになりました。 2席目は、昨年もお願いした桂雀太師匠の、「代書屋」です。 さすが、プロ。エネルギッシュでそれでいて細やかな、「これが雀太です。個性とはこういうものです」と主張しているような一席でした。一気に師匠の世界に引き込まれました。次の自分の出番も忘れて、噺を楽しんでしまいました。 最後は、「故・有田和正先生の授業におけるユーモアを学ぶ」と題した、野口先生、志水先生、桂雀太師匠、玉置先生に、有田先生から多くを学び、これからの社会科教育をけん引する一人である佐藤正寿先生を加えて、ユーモアとその効用に関して語り合うコーナーです。 最初に、「愛される学校づくりフォーラム2013 in東京」での有田先生の模擬授業を20分ほどに編集したビデオを皆さんに見ていただきました。有田先生の絶妙のユーモアと素晴らしい授業内容に皆さんが引き込まれているのがよくわかります。 ビデオを見終わってから、いよいよ本番です。登壇者にお話を聞く前に、この日有田先生の体調はとても悪く、フォーラム終了後すぐに入院することになったにも関わらず、模擬授業では終始笑顔を絶やされなかったことを紹介させていただきました。ビデオの音声に注意すると、有田先生が舞台を移動する時に苦しい息遣いをしているのが聞こえてきます。胸に迫るものがありました。 話の口火は、佐藤先生にお願いしました。「1時間の授業の中に笑いがない教師は警察に逮捕させろ」という名言がある有田先生から、教材研究や授業技術だけでなく、ユーモアの大切さも学ばれました。佐藤先生の授業は常に笑顔を絶やしません。有田先生のユーモア精神は、次の世代の多くの先生に引き継がれているように思います。 志水先生からは、筑波大学附属小学校時代の同僚としてのエピソードを披露していただきました。授業だけでなく学年主任として保護者に対してお話しする時もそのユーモアで場の雰囲気を和ませていたそうです。 玉置先生に助けていただきながら、「緊張と弛緩」という視点が明確になっていきました。質問の答や課題を考え緊張している時、笑いで場が弛む、ほっとして教室の雰囲気が和む、これがユーモアの効用であり、意識すべきことです。 笑いのプロである雀太師匠からは、有田先生の笑いを「いやらしい」という言葉で評されました。その真意は、自分の笑いやその間をよくわかっていて、確実に笑いを起こすことができるので、ちょっと「いやらしい」ということでした。また、笑わせようとしてはダメだという言葉に、プロとしての笑わせることの難しさと奥深さを感じました。 笑いは子どもとの関係性が大切になるということに関連して、野口先生からは、「笑いは残酷なものである」という話がされました。「失敗するからおかしい。失敗して笑われる者はつらい」、だから笑いは残酷なのです。みんなが笑えるということは、笑われる立場の者も含めて笑える関係になっていなければなりません。笑いのある教室をつくるということはそういう人間関係をつくることと同じなのです。「失敗しても笑われない学級づくり」の一歩先にある「失敗を笑い飛ばせる学級づくり」です。 拙い司会でしたが、すばらしい登壇者のおかげで、有田先生を偲びながらユーモアについていろいろと考え学ぶことができました。 裏方を引き受けてくださったEDUCOMのスタッフのみなさんの協力のおかげで、プログラムは滞りなく修了しました。参加された方々の満足そうな表情に一安心でした。 「来年も開催しましょう」という野口先生の一言で、第3回の開催も決定しました。詳細が決まり次第、この日記でお伝えしたいと思います。 「愛される学校づくりフォーラム2016 in東京」で、「授業アドバイスツール」をモニター希望者に無料貸出し
「愛される学校づくりフォーラム2016 in東京」の午後の部「楽しく、手軽に授業改善しよう」では、愛される学校づくり研究会で企画した「授業アドバイスツール」が紹介されます。
このツールは、タブレットや携帯端末を使って授業を動画で記録しながら、画面をタッチすることで、静止画と共にそのポイントを記録するものです。従来のビデオで授業を記録する方法では、見たい場面、共有したい場面を再生するのに手間がかかり、せっかく動画を撮ってもなかなか活用されません。このツールを使うことで、授業後、授業者や参観者と共に、その場面を簡単に共有し振り返ることができます。ハイビジョンで記録されますので、子どもたちの様子も細かい部分まで確認することができ、子どもの事実を元に授業を振り返ることができます。 今回、この「授業アドバイスツール」が「愛される学校づくりフォーラム2016 in東京」に参加された方を対象に、開発元の(株)EDUCOMよりハードと共に無償でモニター希望者(学校)に貸し出されることになりました。モニターの条件等の詳細は、当日フォーラム会場で発表されます。興味のある方はぜひ、「愛される学校づくりフォーラム2016 in東京」にご参加ください(申込みはこちら)。 もちろん「授業アドバイスツール」以外にも見どころはたくさんありますので、モニターを希望されない方も是非ご参加ください。決して損はさせません。 学校におけるICT活用のあるべき姿について研究会で考える
昨年のことで恐縮ですが、愛される学校づくり研究会で、会員の岐阜聖徳大学の芳賀高洋先生の「考え続けるICTの『迷い』と『希望』」という講演を元に、会員で話し合いを持ちました。
芳賀先生は、インターネットの黎明期から今日までの学校におけるICT活用について眺めた上で、社会的なインフラとなっているICTが学校では未だに教具としてとらえられ、その枠の中での活用しか議論されていないことへの苛立ちを露わにされます。既に社会は、ICTやネット環境があることが前提となって動いています。簡単な例で言えば、学校で行われている原稿用紙に鉛筆での文章作成は、現実社会では一部の作家だけでのものでしょう。私自身、原稿用紙を前にして作文しろと言われても、数行書くにも四苦八苦しそうです。ワープロを使わずに文章を書くことはもう考えられない状態です。また、学校では子どもたちはごく一部の時間でしかインターネットを活用しませんが、家庭ではスマホでネット検索は当たり前の状態です。 芳賀先生の主張される、ICTは道具でありそれがいつでも使えることを前提とした教育を考えるべきだという考えは、その通りだと思います。しかし、他の会員との話し合いではなかなか議論がかみ合いません。現実に学習指導要領の枠の中で子どもたちに一定の学力を保障することが命題として与えられている先生方にとって、じゃあどうすればいいのかという具体的な対応が見えてこないのです。学力をつけることが目標である授業の中で、教具として有効な部分はどんどん使えばいい。このことはだれしもすっきりと腑に落ちます。しかし、道具として自由に使わせることを考えた時に、今ある授業の構造とは全く異なる学習形態が求められます。子どもたちにつける学力は何かということから違ってきてしまうように思います。 OECDの調査でも日本の子どもたちの学力は非常に高いものがあります。それを維持しつつ新しいパラダイムに移行する道筋は、まだだれも明らかにしてくれていません。ここに大きな断絶があると思います。この溝を埋めていくことが、大切でないかと思います。 「教具論」と「道具論」が対立してそれぞれの立場に固執するのではなく、互いがつながっていくための道筋を模索していくことが必要だと思います。 研究会では今後もこの問題は継続して検討していく予定です。また、2月6日(土)に開催される「愛される学校づくりフォーラム2016 in東京」の午前の部「愛される学校づくり“公開”研究会」の「テーマ4:授業における『真のICT活用』とは」でもこの問題が議論される予定です。まだ申込みは間に合いますので、興味のある方はぜひご検討ください。 短期間で大きく成長された先生
2学期末に中学校で体育の授業のアドバイスを行ってきました。授業者は2か月前に授業アドバイスをした方です(子どもたちにどうあってほしいかを意識することの大切さを感じた授業参照)。どのように変化しているのかが楽しみでした。
3年生の担任であるのに、この時期に研究授業をやろうという意気込みに感心しました。授業力向上を真摯に望んでいることがよくわかります。 この日は創作ダンスの授業で、前回と同じく3年生の2つの授業を見せていただきました。 どちらも前回と同じ子どもたちなのかと思うくらい様子が変化していました。視線がしっかりと授業者に向いて、表情もとても明るく感じられます。集合してまわりと話していた子どもも、授業者が口を開くとすぐに口を閉じて集中します。自然で柔らかい雰囲気なのですが、行動もとても速くなっています。準備運動のランニングも列が短くなっています。体育において大切な授業規律が格段によくなっていました。 この状況をつくっているのは、明らかに授業者です。顔が上がるまで、笑顔で子どもたちを待てます。顔が上がれば視線を合わせて笑顔でうなずいています。ランニング中も子どもたちから視線を外しません。柔軟運動をしている時の動きもなかなかでした。補助をする時もできるだけ全体を見られる位置を意識し、顔がよく動いています。支援が必要な子どもに素早く気づけています。常に学級全体がどのような状態であるかをしっかりと把握できていました。子どもたちをよく見ること以外にもいろいろと意識していたはずです。何秒で集合したとホワイトボードにメモしたりして目標を持たせることもしていたそうです。すでに素早い行動が定着したのでそういったことも必要なくなったようです。2ヶ月の間にそこまでになっていたのです。 前回、この学校の子どもは緩いという評価をしましたが、私の見誤りでした。授業者が求めれば、規律のあるしまった行動をとれる子どもたちです。 授業の課題は「とぶ」をテーマに2分ほどのダンスをグループで創作することです。最初に「とぶ」から湧くイメージをワークシートに書かせます。「とぶ」と漢字にしないことでイメージを広げようとしたのでしょう。何人かの子どもたちに発表させてから、手順を説明します。テーマとイメージを線でつなげ、今度はそこから連想されるものをつないで樹形図をつくっていくのです。このイメージを広げる作業を全体でやって見せます。子どもたちの発言をしっかりと受容し、言葉が出てこない子どもに対しても笑顔で待つことができています。子どもたちもとても集中しています。 迷うところではありますが、最初のイメージを書かせる前に「とぶ」という言葉をもう少し耕しておいてもよかったかもしれません。例えば「『とぶ』には、どんなとぶがある?」と問いかけることで、「飛」「跳」と漢字を出させ、「飛翔」「飛躍」「跳躍」といった言葉につなげておくのです。こうすることで、具体的なダンスにつなげやすいイメージが出やすくなるように思います。 イメージの樹形図を元に、「はじめ→なか→おわり」のストーリーをつくることを指示します。クライマックスを工夫するようにと伝えますが、具体的にどのようにすればよいのかを考えるための方法がはっきりしません。「明るい⇔暗い」「高い⇔低い」「動⇔静」「強い⇔弱い」「速い⇔遅い」「平面⇔空間」「直線⇔曲線」「集まる⇔散る」といった変化のキーワードを意識させたいところです。時間があれば、途中でどのようなことを考えているかを発表させてキーワードを共有させるという方法もありますが、今回のように発表までを1時間で終わるのであれば、活動の前にどのような変化があるのかを子どもたちに考えさせる時間をとるとよかったでしょう。 「やることをわかった人?」と確認をして手を挙げさせます。ただ確認するのではなく外化させているのも指示を徹底するために必要なことです。子どもたちは、グループに分かれた後、素早く活動を開始します。口頭の指示だけでなく実際に全体でやって見たことで何をすればいいのかよく理解できていたようです。 振り付けを考えている時に一部の子どもがグループから離れていました。授業者はそのことに気づいて素早くその子どもたちに声をかけました。声をかけられた子どもたちは、すぐに輪の中に入っていきました。よく子どもたちの状況を見ていました。 子どもたちはよくかかわりながら活動していましたが、残り時間がそろそろ気になってきます。全体に対して残り時間を伝えることで、せっかく集中して活動している子どもたちの動きをとめたくなったのでしょう。直接グループのところへ行き、タイミングを見計らって残り時間を伝えます。なかなかの対応だと思います。 発表の順番をじゃんけんで決めますが、意外と時間がとられます。こちらで指示したり、あらかじめ一定の規則を決めておいたりする方がよいかもしれません。 発表にあたってタイトルとどのようなストーリーなのかを伝えさせます。時間がないので難しいのですが、そのストーリーがどのような課程で決まったのかを共有することができると今後の創作の参考になったと思います。 授業者は、発表者と見ている子どもたちの両方を見られる位置に立っています。しかし、実際には両方を同時にはなかなか見られません。どちらを見ればよいのか困っているようでした。口頭での発表であれば、聞いている子どもを見ていても話の内容を聞くことができますが、動きを見る発表ではそうはいきません。基本的に発表者を見ることが中心になります。見ている子どもたちの様子はチラチラと素早く集中しているかを確認することでよいと思います。気になる子どもがいるのであれば、その子どもを意識的に見るようにします。 子どもたちは、「空飛ぶ絨毯」「コンサート」「カエルに返る」……とユニークで面白いストーリーをつくっていました。中には体操服を脱いで印象を変えたり、光のあるところで演技をしたりと演出に工夫をするグループもあります。しかし、ストーリーをつくることや演出にばかり意識が行ってしまい、創作ダンスの表現としては中途半端なものになっていたように思います。ストーリーとダンスの動きをつなげるための手立てがはっきりしていなかったことがその要因として挙げられます。先ほど述べたような変化のキーワードを意識させておくことが必要だったように思います。 授業者はワークシートに「体全体(表情・指先)で伝えよう!」と書いておいたのですが、あまり意識されているように見えません。授業者がこの活動を通じてどんな力をつけたいのかが明確になっていないために、子どもたちも意識できていないのです。「構成力」なのか「表現力」なのかどちらだったのでしょうか。「構成力」であるならば、「はじめ」「なか」「おわり」それぞれがどのような「ストーリー」なのか、「クライマックス」はどこかを明確にさせる必要があります。「表現力」であれば、それをどのような動きで表現するのかです。もちろん両方でもよいのですが、それをキチンと意識させ、評価することを授業に組み込む必要がありました。「はじめ」「なか」「おわり」「クライマックス」に分けてストーリーをつくり、それぞれに「速い」「回転」「上下」といったダンスの動きにつながる「キーワード」を決めさせといったことをするとよかったかもしれません。こうすることで、単なる感想ではなく、「構成」や「表現」がどうだったのか、具体的に評価することもできたと思います。 子どもたちはとても集中して互いの発表を見ていました。真剣に自分たちが取り組んだからこそ他のグループの演技も気になるのでしょう。 一方の学級でおもしろい出来事がありました。一人だけ顔が上がらない子どもがいたのです。後で聞いたところ、なかなか教室に入れない子どもだそうです。しかし、グループの活動の時は、積極的でないにしろ友だちとかかわりながら参加していました。とはいえ、発表の場面ではやはり他のグループの発表を見ていません。ところが、自分たちの発表が終わった後、顔が上がり他のグループの発表を笑顔で見ていたのです。きっとグループの一員として発表できたことがうれしかったのでしょう。とてもよいものを見ることができました。 また、授業終了後授業者が何も言わないのに使った黒板をきれいに消している子どもがいました。さすが3年生といったところです。 体育の教師にとって特に大切な授業規律や指示の徹底はかなりできていました。前回と比べて大きく進化しています。短い期間にこれだけの変化があったということは、素直に自分の授業を見なおして改善したということです。また、基礎となる力がしっかりとあったということでもあります。私のアドバイスという、ちょっとしたきっかけで大きく進歩するということは、逆に言えばそのような機会がこれまでなかったということです。 次の課題は、「できる」ようになるためにどのような「活動」が必要なのかを明確にすることです。「できる」ようになるための「手立て」を授業者がはっきりとわかっていなければいけません。当然、何をできるようにするのかという「ゴール」がシャープになっている必要もあります。これが教材研究です。授業規律や指示の徹底と違ってそう簡単なことではありません。体育の教師としての力量が問われるところです。しかし、意識して毎日の授業に臨み、子どもたちの事実から学んでいけば必ず力はついていきます。素直で、前向きな方なので、きっと着実に進化していかれることと思います。 授業者からは、教室での保健の授業をどうすればよいのか困っているということを相談されました。どうしても知識を一方的に教え、板書を写させることになってしまうようです。知識と考えさせたいことをきちんと分けて授業を構成する必要があります。機会があれば、またアドバイスさせていただきたいと思います。 若い先生の成長を間近で見ることができ、とてもうれしく思いました。この仕事をやっていてよかったと思えた時間でした。ありがとうございました。 日記の更新について
都合のより、しばらくの間日記の更新を不定期とさせていただきます。
2月には、通常の更新間隔に戻る予定です。楽しみにしてくださっている方には申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 相手との関係を意識したコミュニケーション
昨年末に行なった介護関連の研修の話です。今回は、当初の予定を変更して、相手との関係を意識したコミュニケーションについて考えていただきました。
きっかけとなったのが、中学生の新聞の投書でした。バスで高齢者に席を譲ろうとしたら「ふざけるな」と怒鳴られてしまったという内容で、「モンスター老人」の話題としてその後に大きな反響があったものです。こちらの言ったことや思いを相手に上手く伝えることの難しさについて考えてもらいたいと思い、話題がホットなうちに取り上げさせていただきました。 この話に関連して私が親しい同僚として尊敬していた先輩との話をさせていただきました。彼は当時流行っていた芸人と下の名前が同じだったので、親しみを込めてその芸人が呼ばれていたように「○○ちゃん」とちゃん付けで呼んでいました。決してバカにしているつもりも、下に見ているつもりもなかったのですが、ある日「私は君の先輩だよ。ちゃん付けは失礼じゃないのか」と厳しい表情で諫められました。彼には私が尊敬している気持ちは通じているものだと思っていたので、大きな衝撃を受けました。私は親しい「同僚」と思っていたのですが、彼は親しい「後輩」と思っていたのです。 また、知り合いの学校出入りの図書教材を扱う会社の社長の話もお話しました。当時学校に行くと先生方から、「おい、○○」と呼び捨てにされていたそうです。笑顔で「はい」と答えていたが、悔しくて悔しくてしょうがなかったそうです。自分がサービスを受ける側であれば、相手が例え年上であってもぞんざいな口調なってしまうことがあります。言われた方は相手より立場は下なので我慢していますが、自分の方が年上なのにと腹の中では悔しく思っているのかもしれません。 このように互いに相手の関係をどのように思っているかを意識しないと表面上は問題ないように見えても、その裏で軋轢が起こっていることもあるのです。それが別の場面で噴出することもあります。このことを理解してコミュニケーションを取ることが必要になります。 このような例も踏まえた上で、参加者の皆さんには、プライベートを含めて自分とかかわる人たちを具体的に書きだしていただきました。自分は相手をどのように見ているか、上か下か、それとも対等かを書き足してもらい、その上でその相手は自分をどう見ているかを想像してもらいました。この後、グループで感じたことを聞きあっていただきました。普段何気なく接している方との関係をこうやって見直してみると、相手が必ずしも自分が思っているのと同じような関係だと見ているわけではないと気づかれたようです。 参加者は、素直に自分の感じたことを話していただけます。こうして研修を含め自分の思っていることを気軽に話し合える関係は素晴らしいのですが、だからこそ、他の方々との関係も同じように思って接してしまうと思わぬトラブルになることもあります。コミュニケーションのあり方を見直すきっかけになっていただけたのではないかと思います。 会を継続する難しさを感じる
昨年の話で恐縮ですが、学校評議員をしている中学校のおやじの会の忘年会に参加させていただきました。この日も楽しい時間を過ごさせていただきましたが、いろいろと考えさせられることがありました。
このおやじの会は、メンバーが現役だった10年ほど前から続いていますが、なかなか新しい方が入ってこられません。現役の保護者が上手く参加できない内に、OBと現役のつながりが弱くなったのかもしれません。また、現在のメンバーが学校と地域のパイプ役を担うなど積極的に学校にかかわり続けているので、敷居が高くなっているのかもしれません。 メンバーは現役世代の方に子どもたちや学校ともっとかかわってほしいと願っていますが、自分たちの存在がかえってそのじゃまとなっているのではないかとも悩んだようです。そこで現役の方中心のおやじの会をつくってもらおうと、おやじの会の名前を返上することに決めたそうです。自分たちの活動は変えずに名称だけを変えるようですが、こういった活動の継承の難しさを感じずにはいられませんでした。 おやじの会が設立されてとてもよい活動をしていたのに、その中心となるメンバーが現役を離れると、一気に停滞したという話もよく聞きます。また、活動が活発なためにとてもそこまではやれないと、参加をためらう方もいるようです。自分にできる範囲で気軽にかかわれるような会であるはずですし、またそれ以上のことを強制するようなことはまずないと思いますが、なかなかそうはいかないというのが現実なのでしょう。こういった会が継続的に活動し続けることの難しさを感じます。 こうすればうまくいくといったことは言えませんが、少なくとも「この会はこうあるべき」という「べき論」の活動ではなく、参加して楽しい、見ていて楽しそうだなと思えるものであることが大切だと思います。私は「役立ち感」が楽しさにつながるのではないかと思うのですが、楽しいと感じることが多様になっているのかもしれません。 とはいえ、この会の皆さんはこの事態を後ろ向きにとらえているわけではありません。今後、子どもたちや学校に積極的にかかわる保護者が増えることを楽しみにしておられます。この日もたくさんの元気をいただくことができました。ありがとうございました。 先生方の思いを感じる
私立の中高等学校で授業アドバイスを行ってきました。今回も先生方と一緒に授業参観をさせていただきました。
この日は、公共交通機関でおじゃましたのでこの学校の生徒さんたちの登校の様子を見ることができました。てっきりスマホを見ながら歩いている生徒が多いと思っていたのですが、まったくと言っていいほどそのような姿を見ることはありませんでした。交通ルールもしっかりと守れていて、とても感心しました。先生方が通学の様子をチェックしているわけでもないのに、このような姿であることは、子どもたちが自制できるということです。この子どもたちであれば、授業でもっと高いことを求めても十分に答えてくれると思いました。先生方が彼らの可能性をもっともっと信じてあげることを願います。 校内を回って感じるのが、先生方の授業の幅が広がってきていることです。子どもたち自身による活動が中心の授業もあれば、授業者が黒板に向かってしゃべり続けている授業もあります。講義型の授業でも、子どもたちを上手く引き付けて集中させている授業もあります。もちろん同じ子どもたちでも、その姿は授業によって変わってきます。この日は冬休みまであと1週間ほどの時期だったので、気の緩みもでるころだと思っていましたが、その要素よりも授業のありようの差の方が子どもたちの姿に大きく影響しているように感じました。 子どもたちは柔軟かつ功利的です。ノートを取っておくだけでよいと思えば、それ以外のことにはエネルギーを割きません。やりたいと意欲的になれば、自分たちで考え続けることもできます。子どもたちは、自分たちでかかわりながら学習することをいくつかの授業で経験し、そういった授業のよさやかかわり方を学んできています。そのため、授業者がそのような授業を目指せば、子どもたちはすぐに対応できるようになっています。子どもたちの授業を受けるための基盤はかなりできているのです。授業においても多様性は大切ですが、大きな方向性は学校の中で共有できるとよいと思います。今の子どもたちの状態であれば、よい方向に一気に変わっていくと思います。 また、グループ活動といった子どもたちがかかわり合う授業では、次の課題に先生方気づき始めているように思います。子どもたちはグループで相談するように指示すれば、きちんとかかわれます。しかし、その課題が曖昧なものであったり、結論を出すための客観的な指標がなかったりすれば、でてくる結論は発散してしまいます。そういうことに気づいている先生が増えてきています。ただ、子どもたちが話し合うことに満足するのではなく、その結果、問題解決ができたのか、ねらいを達成することができたのかということを求めるようになってきているのです。今後、確実に授業力が上がっていくことが期待できると思います。 この日一緒に回った先生方には、子どもたちをしっかりと見ていただくことができたと思います。特に子どもたちとまっすぐに向き合う熱心な先生からは多くの質問もいただき、私にとってもとても充実した時間となりました。この先生は、過去の経験からでしょうか、子どもたちはあまり能力が高くないので、教えてやらなければ、きちんと指導なければ力がつかないと思っているようでした。しかし、子どもたちが非常に集中して課題に取り組む姿を見て、素直に子どもたちのポテンシャルを感じ取ってくれたように思います。ただ、子どもたちに考えさせる時間を多くとろうとすると、どうしても進度が遅れるのではと心配になるようです。高等学校は特に学習内容が多いために進度が気になるのはよくわかります。大切なことは、すべての問題や内容を網羅することではなく、何を重点的にやればよいか選択することです。ポイントとなることをきちんと学習すれば、後は子どもたち自身で学習することができるはずです。その選択をして子どもたちの課題とすることが、これからの教師に求められる力だと思います。子どもたちをとても大切にしている先生です。目指すべきところは理解していただけたと思います。きっと子どもたちを信じて授業を工夫してくださると思います。今後がとても楽しみです。 国際バカロレア(IB)に関する研修を受けた方が、その目指すものにとても関心を持たれたようでした。今すぐこの学校をIB認定校にするという選択肢はないかもしれませんが、そのカリキュラムの一部でも取り入れることができないかと話されました。私自身もIBについては勉強しようと思っていますので、認定校でなくてもそのよさを活かすことを先生方と一緒に考えたいと思います。よい刺激をいただけました。 発達障害の子どもたちの対応についても担当者とお話させていただきました。この方の働きかけもあり、発達障害についての理解は深まっているようですが、具体的にどう対応すればよいのか先生方に戸惑いがあるようです。マニュアルのようなものがあれば動きやすいと考える方もいらっしゃると思いますが、個人差があるので一律に対応することは難しいと思います。発達障害の基本を共通で理解した上で、実際の子どもの様子をもとに情報交換、相談して対応を探っていくことが基本です。手間がかかるように思えますが、チームで対応を考えて経験していくことで、個人の対応力も上がってくるはずです。このことを先生方に理解していただくことが大切でしょう。こういった方面でもアドバイスをさせていただくことを考えたいと思います。 今年度は、先生方と個別に話をする機会が増え、この学校の先生方の子どもたちに対する前向きな思いにたくさん接することができました。こういった思いを具体的な子どもたちの姿で表現し共有することで学校がよい方向に大きく変わると感じています。来年度に向けて、この点を考えていきたいと思います。 子どもの考えを共有し、つなげ、深めることが課題
昨日の日記の続きです。
3年生の図画工作の授業はアートカードを使った鑑賞の授業でした。授業者は中堅の先生で、話術が上手く、子どもを引き付ける魅力のある方です。 最初にサンプルのカードを見せてイメージを表現させます。子どもの発言を「あーあ、なるほど」としっかりと受け止めます。子どもの言葉を受けてイメージを膨らませるような話をするのですが、ちょっとしゃべりすぎのようにも思いました。子どもの発言意欲が高いので、とりあえずどんどん指名して発言させてもよかったのではないでしょうか。 ユニバーサルデザインを意識されているのでしょう。黒板の左にはこの授業の流れがわかりやすく示されています。 この日の中心となる活動はグループに配られたアートカードを「明るい」「暗い」「軽い」「重い」のキーワードで分類するものです。活動の説明をしながら、反応した子どもには「うなずいてくれたね」、伏せっている子どもには「見ててくれる」と声をかけます。子どもたちをとてもよく見ています。 説明の中で、話を聞く時に相手を見てうなずいたり、「なるほど」といった受容の言葉をかけたりといったソーシャルスキルについても、きちんと指導しています。ワークシートの説明も配る前にするなど、基本がしっかりとしています。5人グループで一人だけ机が離れている子どもがいると、「お誕生日席にしてあげて」と声をかけ、「OKです。ありがとう」と指示が徹底できているかの確認と「ありがとう」と子どもを認めることもできています。よい雰囲気の学級である理由がよくわかります。 4つの分類の視点は、「明るい」「暗い」と「軽い」「重い」では軸が異なります。おなじ絵に対して「明るい」と「暗い」では大きく意見が分かれることはないでしょうが、「明るい」と「軽い」で分かれる可能性はあります。意図的に分かれやすいようにしたのかもしれません。そう感じた理由を具体的に言うように指示していることと合わせて、子どもたちの視点が広がることが期待できそうです。ただ、ワークシートには分類の結論しか書くところがありません。理由を何らかの形で残すとよかったと思います。「色」「形」といった選んだ理由の視点を書き留めるというのも一つの方法だと思います。 子どもたちは一通り分類が終わるとテンションが上がってきます。分類が終わった後の指示もしておくとよかったでしょう。 全体で、グループごとにカードの分類を発表させます。横にカードの番号、縦に分類を書いた表を黒板に貼って、授業者が該当するところにシールを貼っていきます。カードの番号ではどのような絵だったかはすぐにわからないので、発表を聞いてもあまり意味はありません。子どもたちの集中力が落ちてきます。ここに時間をかけたのはちょっともったいないと思います。 実物投影機でいくつかカードを映して、授業者が同じ絵でも意見が分かれることを話しますが、ここは意見の分かれるカードを焦点化して話し合わせたいところでした。実物投影機を使って具体的にこの絵のどこでそう思ったかを全体で共有して、考えが変わったかどうかを聞き合うと面白かったと思います。 続いて、自分が気に入ったものを「今日の1枚」として選んで、紹介文を書くという作業の指示をします。この時子どもたちの視線が先生に集中していなかったことが気になりました。ディスプレイに絵が映されたままだったことも影響しているようです。 紹介文を聞き合ったあと、全体で何人かに発表してもらいます。絵をディスプレイに映して発表するのですが、子どもたちの視線は最初ディスプレイに向きますが、説明が始まると発表者に向いたままです。発表者を見ることはとてもよいのですが、説明と絵を関連づけては見ていないということです。指示棒を使うなどして、絵のどの部分について言っているのかを示しながら発表させるとよかったでしょう。発表が終わるとすぐに拍手で終わりますが、形式的な拍手ではなく、具体的にどこがよかったのかを価値付けする場面がほしいところでした。 子どもたちはよく活動していましたが、共有し、深めることが不十分だったように思います。どこに注目して分類したのかを整理し、同じ視点で分類した子どもをつないで、同じように感じたのか、それとも違うように感じたのかを発表させたり、自分が気づかなかった視点でもう一度見直させ、感じ方が変わったかを発表させたりしたいところでした。 この日は4つの授業を見ましたが、どの先生も子どもとの関係がきちんとできていて、よい学級経営ができていることに感心しました。少経験者も含めて学級間でぶれが少ないということは、学校全体がよい雰囲気で授業ができていることの証だと思います。 共通の課題として感じたのは、子どもの考えを共有し、つなげ、深めることがまだあまりできていないことです。授業者が子どもの発言をすべて受けて説明するのではなく、子どもたちの言葉をつないでいくような授業に変えていくことが必要です。学校全体でこの課題を共有できれば、きっと大きく進歩すると思います。この学校のこれからが楽しみです。 本質を見極めることが大切
昨日の日記の続きです。
4年生の算数の授業は少し年配の初任者によるもので、小数倍を考える場面でした。一生懸命さが伝わる授業です。 導入で両親と子どもが餃子を食べる場面を想定します。ていねいに紙でつくった餃子を使って問題を示します。1皿6個で、3皿分を家族で分け、お父さんはお母さんの「いくつ分?」、子どもは……と問いかけます。整数でいくつ分を考えることで導入としようとしたのでしょうか?それとも、いくつ分の計算が割り算になることを確認したかったのでしょうか? 続いて、4色の長さの異なるテープを示し「気づいたことは何ですか?」と問いかけます。あまりに関連がなさ過ぎます。そもそも離散量の餃子でいくつ分かを考えた後に、連続量のテープで何倍かを考えるのは子どもたちを混乱させるだけです。この授業は「何倍」を考えることが課題で、「いくつ分」では上手くつながりません。導入の意図がよくわかりません。凝った餃子をつくったエネルギーは買いますが、この導入はムダとしか思えませんでした。 また、基本的に「気づいたこと」という問いかけは避けるべきです。よほど子どもたちが育ってなければ、何を答えてよいのかよくわからないからです。子どもたちに相互指名をさせますが、形式的に行っているだけで、なぜそうする必要があるのかよくわかりません。相互指名のねらいをこの場面からは感じることができませんでした。 授業者は「○○が一番長い」といった子どもたちの発言を受容しますが、ねらった言葉はうまく出てきません。結局授業者が「テープの長さを比べましょう」と言葉を足しますが、「比べる」という言葉をきちんと押さえません。差を考えても、一番長いものを見つけても「比べる」ことになります。子どもたちは、なかなか授業者の期待する言葉を発してはくれません。ここはきちんと「何の何倍か」を提示する必要がありました。 授業者は自分に都合のよい言葉が出てくるとそれを受けてすぐに説明します。よくわからず反応できない子どもに対して、「○○さんはわからないかなあ」「どこらへんがわからないかなあ」と否定的な言葉「わからない」を重ねます。子どもの表情が悪くなります。「困ったこと」といった否定的なニュアンスが少ない言葉を使うようにする必要があります。 結局授業者の期待することを上手く察することのできる一部の子どもとだけで進んでいきます。発言をきちんと共有することもしないので、他の子どもはついていけず、発言者の方を見ようともしません。授業者も発言者ばかり見て、他の子どもたちの様子を見ることはできていませんでした。 赤(20cm)は白(10cm)の何倍かを考えさせ、ワークシートの穴を埋めさせます。答が2倍になる理由が、20÷10だからと説明されます。形式的に教えています。答を出すための手順が理由に置き換わっています。これでは、算数は答の出し方を覚える教科になってしまいます。何倍はかけ算です。白の何倍だから「白×○(倍)が赤になる」ことが本筋です。この日は小数倍を考える授業なのですから、ここを導入で押さえておくことが必要でした。 子どもたちに「わかりましたか?」と問いかけますが反応がありません。混乱が始まっています。こうするとよいと「比べる数÷元になる数」と書いた紙を貼りますが、理由はわからないまま解き方を教えることになります。自分なりの理由を考えていた子どももいましたが、結局はワークシートには先生の答を書きこむことになります。先生の求める答を探しなっていきます。 ここまでにかなりの時間を使っていましたが、単なる復習です。ムダな時間を使いすぎています。 続いて、青(16cm)は白(10cm)の何倍かを問います。元になる数を確認しますが、子どもたちは混乱しています。「少ない方だから白」「小さいほうが元になる数」「割り切れないから青にしました」とずれた答が続きます。「倍にならないから」という言葉も出てきます。整数倍にならないのはおかしいと考えたのですが、まさにこの部分を修正して小数倍を考えるのがこの授業のねらいです。16÷10という式が出たとしても、その答は1余り6でもよいわけで、小数で答える必然性がわかりません。授業者にとっては16÷10は1.6に決まっているのかもしれませんが、子どもにとっては決してそうではないのです。導入の餃子で「いくつ分」を考えたことも、小数の答ではおかしいように感じている子どもが多くなった原因となっています。結局、白×○(倍)という何倍の意味をきちんと押さえていないことがこのような状態をつくってしまいました。 授業者は子どもの言葉で進めることをあきらめて自分で説明を始めました。ここで、元になる数の説明に「いくつ分」を使ってしまいました。結局元になる数は「白になる」という結論だけを強調することになりました。 ここでグループにして何倍になるかを求めさせます。この場面でグループにする意味がよくわかりません。「比べる数÷元になる数」と元になる数が白であることを与えているのですから、16÷10の式はほぼ問題なくつくれます(本当にその意味がわかっているかどうかは別にして)。子どもたちは相談する必然性があまりないのです。とはいえ、16÷10の答はそれこそばらばらです。概数で答える子どもが続出です。小数倍なのか整数倍にするのかを焦点化してから、グループで相談させることでこの授業のねらいに近づけたのではないかと思います。 授業者はグループの中に入って個別に説明を始めます。それではグループにする意味がありません。解き方だけを教えても意味がないことがよくわかる授業でした。 特に割り算は同じ式になっても、何を解決するのかで答のありようは変わります。果物を同じ数の分ける問題では割り算の式ができますが、必要な皿の枚数と何人に分けられるかでは余りの処理は異なります。図書館の本の貸し出し数の平均を考える時は、本であるにもかかわらず割り算の答は○.○冊と小数で考えます。平均の意味をしっかりと考えなければその理由はわかりません。今回の単元であれば、小数倍を考えやすいように教科書はテープの長さという連続量を題材にしたのです。 授業者の意欲は伝わる授業でしたが、導入で餃子を使う、何倍の意味を押さえなかったなど教材について本質を外していることが問題でした。また、指名の仕方やグループの活用などが形式的だったことも気になります。授業技術の本質を見極めて活用してほしいと思います。子どもを安易に引き付けようとすることより、教材研究にエネルギーを使う。個々の授業技術はどのような意味があるのかをきちんと理解する。ここから始めてほしいと思います。意欲のある方なので、方向性さえ間違わなければ確実に進歩すると思います。 この続きは明日の日記で。 子どもが安心して意見を言えるからこそ、教師の対応が大切
昨日の日記の続きです。
5年生の理科は再結晶の実験でした。 前時までにミョウバン、食塩を水に溶かす実験をしています。物質や温度によって溶け方が違うことを穴埋めで復習しました。ほぼ全員の手が挙がりますが、挙手しない数名の子どもが気になります。今回の授業では教科書やノートは使わないようなので、確認する手段がありません。ほとんどの子どもの手が挙がっているからこそ、手の挙がらない子どもを参加させることを考える必要があります。まわりの子どもとちょっと確認・相談する時間を与えるだけで子どもの動きは違ってくると思います。 前時で使った溶解度曲線のグラフを黒板に映して、ミョウバンは冷すと取り出せるかと問いかけます。「取り出せる」という言葉がいきなり出てくることに違和感を覚えます。なぜ「取り出せる」かどうかが課題となるのかが子どもたちにはよくわかりません。「温めると溶けたけれど冷えたらどうなる?」と素朴に疑問をぶつけるような問いかけもあります。 ワークシートを配り、ミョウバンと食塩について「取り出せる」「取り出せない」を考えさせます。ここで問題になるのは、前提を明確にしていないことです。飽和水溶液(または、冷したら過飽和になるもの)を使わなければ、再結晶はしません。どのくらい溶かしたものかを伝えずに考えさせているのです。これで授業を進めると子どもたちは、温度で溶解度が大きく変わるものは無条件に冷やすと再結晶すると覚えてしまう可能性があります。小学校では特に定性面を重視するので、その危険性が高まります。ミョウバンが溶け残っている水溶液を温めて完全に溶かすのを見せてから、問いかけると言ったことが必要です。また、このことを逆手に取る方法もあります。ミョウバンの濃度が異なるものを用意してグループによって実験結果が異なるようにし、「どういうこと?」と考えさせるのです。 授業者はよい姿勢の子どもをほめたりして、子どものよい行動を増やす形で授業規律をつくっています。グループで意見を聞き合うように指示をすると、素早く動くことができます。 「疑問があれば質問する」「同じ考えには下線を引く」「いいなと思ったらメモをする」といったルールが明確になっています。意見を聞く視点が意識できるのでよいと思います。しかし、子どもたちが自分のワークシートに書いたことを読んでいるのが気になります。聞いている子どもたちの顔も上がりません。「ワークシートを見ずに話す」「話し手の顔を見て聞く」「聞き終ってから質問をする」「最後にメモを取る」といった流れを指示してもよいかもしれません。また、班長がいることもちょっと気になります。少人数のグループなので、自然にかかわり合いながら進めることができるのではないかと思います。 全体で考えを聞きます。ここは、グループで相談して意見が変わった子どもの考えを聞いてみたいところですが、授業者は特にそういった条件なしに指名します。子どもたちの考えは思った以上に分かれます。 「溶けてもなくなっていないから取り出せる」という意見が出ます。また、「塩は海水に溶けていて、取り出せる」と海水から食塩がつくられているという知識から答を出している子どももいます。こういった意見が出てくる背景には、ワークシートが「取り出せる」かどうかだけを答える形になっていることが挙げられます。前提となる「冷して」がきちんと押さえられていないので、「なくなっていないのだから取り出せるはずだ」という考えにつながったのです。「なくなっていないから、取り出せそうだね。冷せば取り出せそう?」と「冷やす」を強調して、再度考える時間を取ってもよかったかもしれません。「逆のことをすると取り出せる」という言葉も出てきます。可逆性を考えるとてもよい発言ですが、授業者はその言葉を取り上げることはしませんでした。「それってどういうこと?」「逆のことってどういうこと?」と聞き返すとよかったと思います。 「食塩は水に溶けやすいから」といった言葉も出てきます。溶解度曲線のグラフの高温のところを指さして「ミョウバンはもっと溶けやすいよ」と揺さぶるといったことをすると、子どもから言葉が足されるでしょう。 グラフを使って説明する子どもがいました。飽和水溶液という前提がはっきりしない中、グラフの溶解度の差で説明します。溶解度は溶ける量の最大ですが、このことが押さえられないまま説明が進みます。これでは中学校で再度溶解度について学習する時に混乱する恐れがあります。授業者はこの子どもの説明だけは、時間をかけて全員に理解させようとしています。この説明が正解だと暗に教えることになっていました。 理科は、どんな説得力のある説明でも実験結果がそれを裏付けなければ意味がありません。子どもたちの考えを一通り聞いてから、「いろいろな意見や説明があったね。実験するとどうなるかな?」とまず実験を行い、その結果を元にもう一度理由を検討した方がよかったと思います。 いよいよ実験ですが、実験の方法を授業者は言葉で説明します。理解できずに間違えてしまった子どもが何人かいました。実験方法は具体的に見せることも大切です。 子どもたちの実験に対する意欲はあまり高くはありませんでした。先ほどの説明で結果が想像ついたからでしょうか。驚きや感嘆の声が上がりませんでした。時間がないため、結果の考察は次時に持ち越されました。 子どもたちからは、多様な意見が発表されました。これは、どんな意見でもバカにされない安心な学級づくりができている証拠です。だからこそ、その意見をどうつなぎ、深めていくのかが問われますが、子どもたちの意見のうち都合のよいものを取り上げて、最終的には授業者が説明してしまいました。一人ひとりの考えの共通点や相違点を明確にして焦点化し、相違点を意識して実験に取り組ませることが大切です。その結果を受けて子どもたち自身で納得するような授業であってほしいと思います。 理科の授業では、「根拠をきちんと説明し全体で共有すること」「その考え(モデル)が正しいかどうかはどのような実験をすればいいのかを考えること」「その考え(モデル)を使って他の事象を説明したり、別の実験の結果を予想したりすること」が大切です。こういった授業の構造をきちんと意識できていなかったことも残念でした。また、「この課題を通じて理科としてどのような力をつけたいのか」、そして「それをより一般的な力にどうつなげていくのか」、このことを事前にしっかりと考えておくことも必要です。このことが子どもの考えを評価・価値付けすることにつながっていきます。 これらのことは一朝一夕でできることではありません。焦らずに、こういったことを意識することを少しずつ心がけていただきたいと思います。 この続きは明日の日記で。 多様な意見を活かす難しさを感じた授業
2学期末に小学校を訪問しました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。この日は少経験者を中心に4人の授業アドバイスを行いました。
初任から2年目の2年生の担任の授業は算数の九九の授業でした。 子どもたちと授業者の関係は良好です。子どもたちはよく集中して参加していました。この日の授業は九九の表からきまりを見つけることが課題です。九九の表にはかける数、かけられる数とかかれています。授業者は表を見せて、かける数、かけられる数の確認をします。ここで、指名した子どもが間違えてしまいました。授業者は否定せずに、上手に受け止めます。授業者は本人に修正させようとしますが、なかなかうまくいきません。これは知識ですので考えて修正できるものではありません。「2に3をかけると2×3」と説明し、「だから、かけているのは?」と日本語で考えさせるという方法もあります。また、九九の表の意味の確認を兼ねて、表の段と数字を指さして「にさんがろく」と読ませるといった活動を事前にすることで整理させておくという方法もあります。いずれにしても、ここは子どもが混乱しないように知識としてきちんと押さえることが必要です。 この日の課題は「2つの表から九九のひみつを見つけよう」というものです。 九九の表と式表示の表が書かれた2枚のワークシートを子どもたちに配ってから、活動について指示をします。この時子どもたちはどうしても手元のワークシートを見てしまいますので、配る前に指示をすることを心がけてほしいと思います。気になるのが、「ひみつ」という言葉です。ワークシートには「きまり」という言葉もタイトルに使われています。「ひみつ」という言葉は意欲的にさせる言葉ではあるのですが、何を答えたらいいのかわからなくなることもあります。授業者は「何でもいいからね」と言いますが、これではよくわかりません。こういった時には、過去の経験を思い出させて視点を与えたり、全体で一つ「ひみつ」を見つけて、どんなものを見つければいいのかを具体化したりするとよいと思います。 個人でひみつを見つける活動に取り組みますが、手が止まっている子どもが目立ちます。ここは、予定した時間にとらわれずに早目に作業を止めて、他の子どもとかかわらせたり、全体でいくつか発表させたりするとよいでしょう。 授業者は活動を止めてペア活動に移る指示を出します。子どもたちに指示内容を復唱させて確認をするといったこともできます。しかし、指示が「もっとないかペアで相談しましょう」と言った後に、「自分の考えを互いに言いましょう」と順番が逆になってしまいました。授業者はすぐに気づいて修正しましたが、子どもたちは混乱してしいるようです。また、ワークシートには「友だちが見つけたひみつ」を書く欄があるのですが、このことについても指示がありませんでした。ワークシートの作業についてもよくわかっていないようでした。ちょっとしたことですが、指示の順番や確認はとても大切なことがよくわかります。 子どもたちはこういった相談に慣れているようで、よくかかわれていました。「ほんとだ」と言った声が聞こえてきます。個人作業と違って、子どもたちの手がよく動いています。 授業者は「表を指さして説明している子、わかりやすいね」とよい行動を広げようとしています。こういった評価はとても大切です。この活動では、表のどこを見たのかを明確にすることを指示しておくとよかったでしょう。表を指さすことを含めて、根拠となるものを意識させることで説明の力がつきます。 互いにかかわり合うことで、子どもたちの気づきは想像以上に多様なものになっています。とてもよいことなのですが、全体での発表ではどう整理して、焦点化し、価値付けしていくのか授業者の力が問われます。 全体追求の場面は、子どもたち全員が鉛筆を置くのをきちんと確認してから始まりました。こういった授業規律もしっかりとできていました。 子どもたちから出てくる意見は、授業者の想像を少し超えていたようです。「全部2個ずつあった」という発言がありあます。これは交換法則につながる発言です。しかし、授業者は2個ずつあるということを確認して次にいってしまいます。とっさにどう対応すればいいのかわからなかったようです。「全部?」「必ず?」「じゃあ、これと同じのは?」と表を指して問いかけていくことで、交換法則に気づくことができます。 表の右上と左下に同じ9があるのに、左上と右下は1と81で違うことをいう子どもがいます。面白い気づきです。しかし、授業者はその事実を確認して次の子どもを指名します。つないだり、深めたりすることができません。「本当だね。同じようなことに気づいた人はいない?」とつないだり、「左下の9の式は?右上は?」と返したりすると、交換法則や表の対称性につなげていくことができたはずです。 「1×1、2×2は答が一つ」という意見を発表する子どもがいますが、どういうことか上手く説明できません。子どもからは「ああー」という声も出てきますが、授業者が自分の言葉で説明してしまいました。本人はその説明に今一つ納得できていないようです。ここは、「ああー」と言った子どもに説明させて、本人に確認させていきたいところでした。この「答が一つ」というのは交換法則で同じ答のものがあるが、2乗しているものは同じだからないということを言っています。左上から右下を結ぶ線に対して九九の表は対称になっていることにつなげることもできます。 「かける数とかけられる数を反対にしてもいっしょ」ということが出てきます。「ああ、なるほど」と受けて、このことを子どもたちに確認します。こういった予定している発言に対しては、子どもたちに返すといったことができていますが、多くの子どもの発言が点のままでつながっていないのが残念です。 表のかける数のところを見て、「1つずつとばすと2の段ができる」という意見もでてきます。子どもたちの発想は実に豊かで面白いものです。「2つとばしだと?」と聞いても面白いですし、「1つとばすといくつ増える?」と聞き返してもいいでしょう。かけ算と足し算の関係に気づくことができます。これを受容だけで終わらしたのはもったいないと思いました。 最後に出てきた発見がとても面白いものでした。「9の段を縦に見ると18を反対にした81があって、27を反対にした72があって、……」というのです。その説明を聞いて子どもたちから「おー」「すげー」という声が上がります。授業はすごいということで終わったのですが、せめて「他の段でも成り立ちそう?」と返して、「9の段だけだね。9の段にはすごいひみつがあったね」と9の段に固有の性質であることを押さえておくと、学年が進んで9の倍数の性質についての問題を考える時に役立つかもしれません。また、「9の反対はないの?」と返して81の次は「90」になることに気づかせても面白かったかもしれません。 最後に「わかったこと」を書かせて終わりましたが、この授業では「こうやって表を見たんだ?」「こういうことを調べたんだ?」と視点や考えの過程を評価したり価値付けしたりする場面がありませんでした。確かに子どもたちは色々なことに気づきましたが、意見を発表し聞き合うことでもう一つ上のものに昇華することができませんでした。 子どもたちはよく育っていて、互いにかかわり合い多様な意見が出てきます。そこで終わらずに、それを価値付けして再現性のある力に変えていくことが大切です。その日の課題を通じてどのような力をつけたいのかを意識し、子どもたちの発言に対してその場で対応することが必要です。事前に子どもたちの発言を予想していても、思わぬものも出てきます。それに対応することは、ベテランでもそう簡単なことではありません。毎回の授業で、子どもたちの発言にたいしてどう対応すればよかったのかを振り返りながら経験を積むことが必要です。まだ2年目の授業者にそれを求めるのは酷ですが、逆に言えばこのことを意識しなければいけないレベルに力をつけてきているということです。これは素晴らしいと思います。これからどのように成長していくのかとても楽しみです。 この続きは、明日の日記で。 |
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