あえて多くをアドバイスする

前回の日記の続きです。

高等学校は、全体的によいスタートを切れているように思います。子どもたちの学習意欲も低くありません。昨年度のスタート時期と比べても子どもたちは落ち着いているように思いました。
3年生のある学級の様子が気になりました。落ち着いて授業に参加しているのですが、その取り組む姿勢がどうにも消費者的なのです。授業者は子どもたちに考えさせたいと質問をするのですが、子どもたちは考えようとしません。誰かが指名されても他の子ども他人事です。最後は教師が答を言って説明するからその答を聞いて覚えればよい。板書を写せばよい。その方が効率的だ、そう考えているのです。それで学校のテスト対策はできるのかもしれませんが、本当の意味での学力はつきません。子どもたちの学力観を変えることが必要です。
どの学年も、個人の作業にはよく取り組んでいました。2年生では友だちと自然に相談する姿もよく見られました。こういったよい場面に対して、授業者が一方的にしゃべっている場面では、集中力が切れる子どもが目立ちます。教師が説明していてもそちらを見ないで板書している姿も目立ちます。一方、子どもたちの視線が集まっていないのにしゃべり始める方や黒板に向かってしゃべっている方も見受けました。授業者によって子どもの見せる姿が異なることが課題です。
3年生より2年生、2年生より1年生の方が授業に集中しているように感じました。子どもたちが育っていけば、学年が上がるにつれて集中力が上がるのが自然なのですが、ちょっと残念なことです。とはいえ、まだ始まったばかりですので、これからよい方向へ変わることを期待したいと思います。
1年生は、前回紹介した英語以外の授業もよく集中していましたが、やはり説明を聞くことよりは板書を写すことを優先していました。授業者が今子どもにどうなってほしいかを意識することが大切です。
授業中はそれほどでもありませんが、チャイムが鳴って教師が教室に来るまでの時間、落ち着かない、テンションがちょっと高すぎると感じる子どもが目につきました。こういった子どもが学級の雰囲気を壊すこともあります。授業中以外での子どもの様子も教師集団が意識して見合ってほしいと思います。この時期はこういった情報交換を密にすることが大切です。

昨年度末、中学校は、子どもが落ち着かない、集中力がない状態が目立ちました。この日は表面的には落ち着いているように見えました。しかし、よく見ると授業に参加していない、集中していない子どももかなりいます。先生方が力で押さえているのではないかと感じました。子どもたちは騒ぐといった、叱られるような行動はとりませんが、どこまで許されるか様子を見ているように思えます。よい行動をとるのではなく、叱れない行動をとろうとしているのです。力で押さえると、強く出ない先生の授業が破たんしたり、陰でよくない行動をとったりするようになります。よい行動をうながし、よい行動ができればほめるということを地道に続けることを忘れないでほしいと思います。
この時期は、子どもたちを受容する言葉やほめる言葉がよく聞かれるはずなのですが、学校全体としてまだまだ少ないように感じました。意識して子どもを認める場面を増やして、子どもとの関係をつくってほしいと思います。

中学校3年の数学の授業を参観しました。因数分解の導入場面です。授業者は今まで高校の担当だったのですが、今年度より中学校の担当になった方です。TTをどのようにすればよいかアドバイスをほしいということでした。こういう具体的な視点での依頼はこちらとしても大変ありがたいことです。2学級合同での授業だったので子どもの人数も多く、確かに工夫が必要だと思いました。
前時にやった「エラトステネスのふるい」を宿題にすると言って、プリントを渡しました。子どもたちは、「わからない」という言葉を発します。子どもが「わからない」を言えることはいいのですが、ちょっとテンションが高いように感じました。授業者は、前時に説明したのだから、わかるはずだと突き放しますが、子どもたちの反応を見てもう一度やり方を説明しました。子どもたちの「わからない」を無視することはしませんでした。教師として大切なことです。
私が見る限り「エラトステネスのふるい」はいったい何のためにやるのか、なぜそのようなアルゴリズムなのかが「わかっていない」子どもが多かったようです。しかし、授業者は作業の手順を示します。子どもの「わからない」と「ずれて」しまいました。子どもの「困った」に寄り添えなかったのです。前時にやったことをもう一度復習するのは時間のムダに思えるかもしれませんが、高等学校と比べれば中学校の教育課程はまだ時間の余裕があります。子どもの納得感を大切にしてほしいと思います。
ここは授業者が説明するのではなく、「エラトステネスのふるい」が何だったかを子どもたちに問いかけ、子ども同士で確認するようにしたいところです。「わからない」を言った子どもにどこがわからないかを聞き、「同じところで困っている人いない?」と、そのことを学級全体の問題として共有する必要があります。その上で、「困っている人を助けてくれる」と、わかっている子どもと困っている子どもをつなぐのです。人数が多いのでこういったことを通常以上にていねいにしないと一部の子どもだけで授業が進んでいきます。中には互いに聞き合っている子どももいるのですが、授業者は自分でコントロールするために黙らせます。すべて自分が説明しようとするのは、授業者にとっても大変です。子どもたちを信じて、子どもに委ねることも時は必要です。
説明をする時にはしゃべらないように注意しますが、口を閉じるだけで授業者の言葉に集中しない子どもも目立ちます。「大切な説明をするから、こちらに集中してね」と望ましい行動を伝え、「○○さん、しっかり聞こうとしてくれているね」と固有名詞でほめて、よい行動を広げたいところです。

因数の説明を「割り切る数」と説明して、式の因数の説明に移りました。「数」を使って説明すると整式では混乱します。2乗の差の式を、展開公式をもとに和と差の積に因数分解して、因数と因数分解の説明をしますが、先ほどの説明の「数」と「式」が子どもにはよくつながりません。因数をよく押さえないうちに、因数分解をするという変形をしてしまいました。この例を使うのなら、変形してはいけません。最初から等式として示して、まず因数の定義を押さえることが大切です。授業者は子どもたちがわかっていないことに気づき、今度は式を割って余りがないことで、説明をしました。今度は、いきなり式の割り算です。高等学校で習うことを中学校でやってはいけないとは言いませんが、これはかなり無理があります。数学的にも、多項式環に割り算という概念を持ち込むことはちょっと疑問です。扱いは慎重であるべきです。何より、子どもたちは、かけ算の形の説明を理解しようとしているのに、「割る」という違った考えで説明されたので、ついていけなくなってしまいました。そこで混乱しているのに、すぐに共通因数で因数分解する例題に移りました。こうなると簡単に見える問題も何が何だかわからなくなってしまいます。
概念を一つひとつスモールステップで、ていねいに押さえていくことが大切です。まず数の因数分解を、割るではなくかけ算の形で示して説明しておくとよかったでしょう。整数の範囲で考えるという前提を押さえて上で、12=1×12、2×6、3×4、・・・として、整数同士のかけ算の形にしたときの、それぞれを「因数」、因数の積で表わすことを「因数分解」と定義し、合わせて素因数分解を復習しておくのです。続いて、「式もかけ算ができるね」と展開の時の公式や展開の例をいくつか書きます。単項式と多項式の積、多項式と多項式などを混ぜて、それぞれが式と式の積になっていることを子どもに言わせます。ここで、整数との対比で、式だけれども因数と定義すると説明するのです。そして、因数分解とは、式を「式と式の積の形で表わすこと」と押さえるのです。教科書も概ねこの流れで構成されています。教科書の意図を理解することも必要です。定義をしっかりしてから、じゃあどうすれば因数分解できるか考えようとして、共通因数に入るのです。
教科書では共通因数をMa+Mb=M(a+b)という式で説明します。mではなくMとなっていることに注目してほしいと思います。係数を表わすのに小文字を使うことが一般です。mだと係数と混乱してしまいます。そこで係数ではなく式であることを意識させるためにMを使っているのです。教科書では6x2+3xを例として取り上げています。3は因数ではないことを押さえさせるために、あえてこのような係数にしたのかどうかはわかりませんが、このことに留意する必要があります。しかし、授業者は、Mではなくmを使ってしまいました。意図的であったのかどうかはわかりませんが、子どもによってはこの違いに戸惑うことが考えられます。

このあと、練習問題に入りましたが、多くの子どもが間違えているというより、手がつかない状態です。人数が多いため、机間指導しても対応しきれません。この状態で個別指導しても、物理的に不可能です。因数の意味がわかっていない子ども、交換法則がきちんとわかっていないため同じ文字があっても共通因数として外に出せない子ども、つまずきもいろいろです。残念ながら授業者は子どもたちがどんなところでつまずくかよくわかっていなかったようです。経験がないのでこれは仕方のないことでもあります。だからこそ、ていねいに子どものつまずきに寄り添うことが必要です。子どもが理解するためのスモールステップを考え、つまずきを予想し、実際の子どもの状況をしっかりと把握する必要があるのです。

TTは机間指導を充実させたり、子どもの言葉を拾いあげて活かしたりする授業に有効ですが、この子どもの人数では机間指導を充実するにはいたりません。今のまま教師主導の説明をするのではあれば、TTを活かす場面は残念ながらあまりないと言わざるを得ませんでした。
授業者には、これらのことをあえてすべて伝えました。自ら授業を見てほしいと言ってきた前向きな方です。きっと真摯に受け止めてくださると信じたからです。授業者は魅力的なキャラクターの持ち主です。そのキャラクターで子どもを受容し寄り添えば素晴らしい授業ができると思います。授業観を変えることは簡単ではないかもしれませんが、高等学校から中学校という新しい場に移った今が大きなチャンスだと思います。
授業者には私の話を真剣に聞いていただけたように思いました。また授業を見てほしいとも言ってくれました。私としてもできるだけのお手伝いをしたいと思います。

今年度は、今回のような個別の授業アドバイスの機会をより多く持ちたいと思っています。一人でも多くの方に、授業を見てほしいという声をかけていただけるよう働きかけたいと思います。

子どもの姿が多忙感を充実感に変える

私立の中高等学校で授業参観とアドバイスを行ってきました。高校1年生のオリエンテーション合宿が終わった直後で、今年度初めての訪問です。子どもたちがどのような姿か楽しみです。

今年度から英語は科として高校1年生でGDMに取り組んでいます。昨年秋にGDMに出会ってわずか半年です。この行動力には感心します。まだまだ手探り状態だと思いますが、そのスタートをまず見せていただきました。新1年生であることを差し引いても子どもの状態はとても素晴らしいものでした。私と校長が教室に入ってもだれも見向きもしません。素晴らしい集中力を発揮していました。わかりたい、そのためにはしっかり聞かなければという子どもの気持ちが伝わってきます。英語が苦手だったという子どもも、もう一度学びなおそうという気持ちになっています。よいスタートを切っていますが、学級によって子どもの表情に差があります。子どもの質の問題と言うよりも、授業者の受容の仕方、ほめ方の違いに原因があるように思います。GDMでは、子どもはオウムや九官鳥のよう授業者の言葉をそのまま繰り返すことはしません。必ずその”situation”に応じて文をつくる必要があります。そのため、子どもたちは、すぐに自信を持って大きな声で答えられるわけではありません。「そそう、それでいいよ」というメッセージを、子どもによくわかるように大きな動作で示す必要があります。また、一部分でも言えたら、「大丈夫、そこまであっているよ」ということを伝えることも大切です。こういったことを何度も繰り返して、「できた」「大丈夫」という達成感を子どもに持たせるのです。子どもたちにちゃんとできているよということをどれだけわかりやすく伝えることができたのかの差が子どもたちの表情の差につながっていたように思います。

子どもから言葉が出てこない時の対応も、もう少し工夫する必要があります。例えば、全体での練習の時には言葉が出なくても待つのです。何人もいますから、少し待てばだれかが声を出してくれるはずです。そこで大きくうなずいて自信を与えて最後まで言わせるのです。「OK」のサインを送り、もう一度やらせれば今度はより大きな声になります。他の子ども、その子どものまねをして言えるようになるはずです。全員が言えるようになるまでこうしてくりかえすのです。個人やペアを指名した時はちょっと違います。わからなかったり混乱したりしていると待ってあげても苦しいだけです。少し待って苦しい状況と判断したなら、別の動きをします。ちょっと待たせて、他の子どもを指名して同じ”situation”でやらせ、その後で、もう一度最初からやり直させる。または、これまでやった基本の練習をもう一度最初からやって、この課題に再挑戦させます。他に指名した子どもも上手くできなければ、それまでの学習が定着していないのですから、全体でもう一度練習すればいいのです。

また、わかりやすいジェスチャーも課題です。例えば地図を”This is a map.”と教える時に、ただ地図を指してはいけません。子どもたちには、地図を指しているのか、それとも地図の中のある国を指しているのかわからないからです。地図を示すのなら、手で地図のまわりをなぞってから言う必要があります。ある国を示すのなら、指先で国境をなぞればいいのです。子どもたちに言葉以外のストレスは与えないようにすることが大切です。”situation”を示す時の動作も注意が必要です。”I have a ball in my hand.”の”situation”を示すことを考えてみましょう。GDMでは日本語を経由せずダイレクトに英語にします。いくつかの物の中から”ball”を選んで手で握るのですが、これを一連の動きですぐに手の中にボールがある状態にして英語にさせようとすると、子どもの思考が追いつきません。一つひとつの動作をちょっと止めて、子どもの思考が追いつくのを待つ必要があります。まず、選ぼうとしている様子を見せてから、”ball”を取り上げます。何か物を選ぼうとしているなとわかっているので物に意識がいき、すぐに「あっ、”ball”だ」と言葉になるのです。その”ball”をいったん広げた手のひら上にのせて”on” “hand”と考えさせます。この状態からゆっくり手を握れば、今度は”in“となります。動作を止めながら行うことで、一つずつ英語で考える余裕ができます。そこで、教師は”I have a ball in my hand.”と言うのです。
先生方のスキルが決して低いのではありません。きちんとやっているからこそ、足りないところが見えてくるのです。まだ本格的に始めて数回で、こういったことを指摘できるのは、基本的なことがきちんとできている証拠です。

リスニングをグループの隊形で行う場面がありました。授業者は、机をピッタリつけるように指示しています。離れている子どものところに行ってきちんとつけさせます。グループ活動のポイントがよくわかっていると感心しました。リスニングは聞き取れない子どもにとって、正解を教えられてもわかった感はありません。そこで、聞き取れたことをグループで確認させます。中には”rule”?、”role”?、”law”?で意見が分かれているグループもあります。子どもたちは額を寄せて話しています。じゃあ、もう一度聞いてみようとCDのスイッチを入れた途端、声はぴたりと止んで一斉に集中しました。かなりの子どもが聞き取れたようです。候補を意識することでしっかりと聞けるのです。子どもたちに正解を言わせると、空欄の部分の単語ではなく、文全体を読み上げます。GDMでは常に文で話します。そのよい影響が出たのだろうと授業者は話していました。

授業者の一人は、GDMで授業をするとむちゃくちゃ疲れると言っていました。教師がしゃべる量は他の授業と比べてむしろ少ないぐらいです。子どもたちだけで活動したり、作業したりする時間も結構あります。なのに、疲れるのです。その理由は、子どもを見て、「口を開けているように見えるが、ちゃんと声を出していないな。個別に指名しようか?」「あれ、子どもがよくわかっていないようだ。構成の順番を間違えたかな?もう一つ別の活動を入れよう」「手が動いていない子はいるかな?どこでつまずいているのか確認しよう」と、常に子どもの状況に応じて対応を考え続ける必要があるからです。自分の言いたいことをしゃべり続ける授業の方がはるかに楽なのです。また、GDMのために準備するプリントやアイテムもたくさんあります。週末は100均でいろいろなグッズを買ったりしているようです。個人ではとてもやりきることはできないでしょう。GDMがなかなか普及しない理由の一つがそこにあります。しかし、この学校では英語科がチームとして取り組んでいます。互いに準備の分担もできます。わからないところや困ったことを共有して、一緒に考えることができます。GDMに限らず、チームでの取り組みが先生方の授業力を上げる鍵になっていると思います。
GDMに取り組んだために、英語科の先生は今まで以上に忙しくなっています。しかし、表情は楽しそうです。それは、子どもたちが一生懸命に英語の授業に取り組んでくれているからです。チームで取り組むことで負担感が減り、子どもたちの姿が多忙感を充実感に変えてくれるのです。
今後、こういったチームでの取り組みがこの学校に広がることを願っています。一人でも多くの先生に充実感を感じてもらえるように、お手伝いをしていきたいと思っています。

学校の様子や、この日見た数学の授業については次回の日記で。

この時期に意識してほしいことを伝える授業

前回の日記の続きです。

研究授業は、2年生の数学です。授業者は、この学校の目指す子どもの姿とその姿を引き出すための手法を新しく来た先生方を中心に伝えたいと考えていました。そこで、選んだのは17段目の秘密(参照:玉置崇先生の実践記録)という教材です。初めて教える学年なので、まだ関係もできていません。数学の授業でどのようなことが大切かを子どもたちに伝えるところから始める必要があります。そのために適した教材だと考えたようです。
この教材は、子どもたちからいろいろな気づきが出てくる教材です。授業では何を言ってもいい、どんな発言でも認められるという安心感を子どもたちに持たせることを第一に考えて授業をつくっていました。
授業が始まってすぐに子どもたちの表情が柔らかいことに気がつきます。まだ、数回しか授業をしていないはずですが、子どもたちとの関係ができつつあることを感じます。その理由の一つに、授業者が常に笑顔を崩さないことが挙げられます。簡単なようですが、どんな場面でも笑顔を維持することは、日ごろから相当意識していないとできないことです。
始まりの挨拶の後、すぐに子どもたちの姿勢をほめます。とにかく、子どもたちのよいところを見つけてはほめることを意識していました。特に、授業で大切にしていることに関しては、ちょっとしたことでもほめるようにしています。

黒板に「   の秘密」と書きます。子どもたちがざわめきます。上手に子どもたちを引きつけました。「実はこの中に(秘密が)ある」と模造紙を巻いたものを見せます。紙の端を黒板に貼って少しだけ見えるようにします。「定規?」と子どもがつぶやきます。そのつぶやきをとらえて「何で?」と問い返します。数字が出てきたことを子どもが指摘しました。ちょっとしたつぶやきを2人の世界ではなく、できるだけ全体の場に載せようとしています。
紙を広げていくと横に広がる表になっていて、一番上の行には数字が順番に書かれています。「えっ」という言葉が返ってきました。すかさず「いい反応してくれたね」とほめます。反応すること、外化することを価値づけています。表の終わりの数がいくつかを予想させます。子どもたちは切りのいい数字を答えますが、最後まで広げると17で終わっていました。子どもたちから「中途半端」という声が上がります。予想をさせたからこそ、子どもたちから言葉を引き出すことができます。予想をすることで、授業に参加し自分の課題となっていくのです。
今日の授業は「17段目の秘密を一緒に考えていく」と課題を説明して、子どもたちに1桁の数字を選ばせます。「4」、「5」という数字が出てきます。授業者としては2段目に「5」を入れたいのですが、子どもからうまい具合に5が出てきたので、4と5をそれぞれ1段目と2段目に書き込みました。この教材では、3段目は1段目と2段目の和の1位の数、4段目は2段目と3段目の和でというルールです。ルールですからさっさと伝えればいいのですが、「4と5ときたら?」と3段目に何がくるか予想をさせます。この授業では予想させることを何度もさせます。この授業のねらいが、数学的な思考そのものよりも授業における態度や姿勢を子どもたち伝えることに重きを置いているからです。予想は根拠にあまりこだわることなく言えることが多いので、子どもたちから言葉を引き出しやすいのです。子どもたちに、数学の授業では気軽に思ったこと、気づいたことを発言すればいいことを伝えたいのです。
「6」に続いて、「7」という声が出ました。「1段目の1と1段目の数4を足して2段目の数5だから、3段目は2と5を足して7」というのが理由です。子どもたちから「おお」「すごい」という声が上がります。単なる予想でもそれなりの根拠のある意見が出てきます。授業者は、今の説明を聞いてどう思ったかを問いかけます。「すごい」という答に対して、その理由をたずねます。「予想もしないことだった」と答えてくれました。ここでは、足すという数学的な視点や、表を縦に見たという視点と1年生での関数の視点をつないだりして評価したいところでした。もちろんこの縦に足すという考えを取り上げていくことはできませんが、授業者はすごいので「残しとこう」と黒板の端に書いておきました。こうすることで、発言を採用しなくても評価されたと思ってくれます。

授業者は3段目に9を書いて、何で9が出てきたか問いかけます。これも、この教材の本質からいうとあまり意味のある問いではありません。挙手は半分ほどですが指名せずに、隣の人と相談させます。簡単な問いで子ども同士に話し合うことをさせたかったのです。再び問いかけると、今度はほとんどの子どもが挙手します。子どもたちが参加する雰囲気をつくっていきます。「4+5で9です」という発言に対して子どもたちが反応します。「うなずいてくれた、ありがとう」と評価しました。子どもたちのよい行動を見逃さない姿勢はさすがでした。
「次の数は?」という問いに「14」と答えます。その時、「1桁じゃないといけないんじゃないの?」とつぶやきが聞こえてきました。授業者は、すかさず全体に対してもう一度言わせました。子どもたちに、発言者の方を向くように指導します。何だろう、聞きたいと思うような場面ですから、聞く態度を養成するのに効果的です。発言者は最初に1桁と言ったことを根拠にして、もう一度説明してくれました。

この後、子どもを指名しながら丁寧に進めていきます。友だちの答に対してうなずいてくれた子どもに対して、「うなずいてくれて、ありがとうね」と声をかけます。1時間の授業として考えると、ここはテンポアップしたいところです。この時点でおそらく時間が足りなくなることはわかっていたと思います。それでも、丁寧に進めたということは、数学の授業は全員参加ができるのだという思いを持たせたかったのだと思います。

17段目は5になることを確認して、2回目に入ります。どんな数を入れるかを再び子どもたちにたずねます。「7」「8」という声が上がります。理由に対して「なるほど」ときちんと受容します。2つ目に入れる数を問いかけたところ、ある子どもが「2」と答えました。その理由は、先ほど4と5でやってみた時、表に一度も2が出てこなかったからでした。子どもたちから「おー」という声が上がります。これには私もちょっと驚きました。授業者は、「先生も考えんかった」と大いにほめます。なんとかこの2を活かしたいところです。2段目に5を入れると3段目が2になるので、「○○くんのために、2段目に5を入れよう」としました。うまく子どもの発言を活かして予定通り2段目に5を入れることができました。実は、「2」と発言した子どもは、どちらかというと学力の低い子どもで、日ごろあまり活躍できていないようでした。検討会では、担任からこの日の帰りの学級の時間でこの発言を友だちから認められて、とてもうれしそうに帰っていったという報告がありました。教師のちょっとした対応で子どもが自己有用感を持つことができることがわかります。

2回目も17段目は5になることを確認して、再度2段目に5を入れて試してみます。「2番目に5がくると最後は5」という予想が子どもたちから出てきます。子どもたちは、秘密がわかってきたと感じたのでしょう。笑顔が増えてきます。
「今度は2段目に違う数を入れてみよう」と「8」と「1」を指定して、プリントを配ります。「ありがとうございますとか、会釈をしながら受け取ってくれて立派だね」と子どもたちの受け渡しをほめています。子どもたちは、素早くペンを持ち計算を始めます。課題に集中していることがわかります。「えー」「何でー」「うそじゃない?」と言った言葉が上がります。授業者は机間指導をせずに、教室全体を笑顔で見ています。「うれしい言葉がたくさん聞こえてきた」と黒板に子どもたちの言葉を書いていきます。ここで、隣同士で「7」になっていることを確認させます。疑問を持った時や困った時に友だちと相談することを伝えようとしています。

自分で自由に数を入れて計算して、気づいたことを書かせます。授業者はまだグループでの活動についてきちんと指導していなかったので、この日はグループ活動を取り入れなかったと話していました。しかし、この時間に隣同士で相談したことやこれまで他の授業でもグループ活動をしてきたからでしょう、子どもたちは自然にまわりと確認したり、相談したりしています。最初はなかなか授業に参加できなかった子どもがいましたが、友だちとかかわりながら一生懸命に考えています。この1時間の中で、子どもたちがよい変化をしていることがよくわかります。
「ああ、いい声が聞こえてきた」と「よくわからん」と板書をしました。わかることではなく、わからない、疑問を持つことを意識して価値づけしています。「言ってくれてうれしい言葉を書いたんだけど、なんでこんなことを言ったのか教えてくれる?」と問いかけます。
周期性がある場合に気づいた子どももいました。子どもたちは積極的に発言します。自分で考えたので、発言したいという気持ちになっているのです。
「2段目と17段目は大事な数になっていそうだと」整理して、2段目が1の時17段目が7、5の時5、9の時3と表にして、再度考えさせます。時間がないため簡単に説明して進めたので、2段目と17段目の関係に注目することの意味がよくわからずに戸惑っている子どもが目立ちました。ここは、グループにして聞きあわせたいところでした。
時間が来たので、1人だけ発表させました。「2段目が奇数だと17段目は奇数、2段目が偶数だと17段目は偶数」という意見です。ここで授業は終わってしまいましたが、他にも気づいたことがある人の確認だけしました。他の考えに気づいたことだけでも評価して終わったことはよかったと思います。授業後、黒板を前にして先生に気づいたことを話していました。

数学の授業としては課題もあるのですが、今の時期に何をしなければいけないのか、どんな子どもを育てたいのかを先生方に伝えることに徹した授業でした。このような授業は付け焼刃ではできるものではありません。研究指定を受けていた2年前に、最初の授業研究を行ったのも当時研究主任だったこの先生でした。ぎこちないながらも、これから目指す授業の姿を伝えようとしていたことを思い出します。あれから2年間、授業の改善をし続けていたことがよくわかります。
検討会では、若手を中心にたくさんの意見が出ました。授業者の意図をよく理解していることがわかる意見ばかりです。若手が育ってきています。とはいえ、学校全体として完璧なスタートが切れているわけではありません。1学期中にもう一度訪問することをお願いされました。学校の課題を校長はよく理解しているようです。次回の訪問までにどのように修正されているかが楽しみです。

新学年スタートの課題を考える

昨日は、中学校の現職教育に参加してきました。学校の年度初めの状態を見せていただき、数学の授業研究でお話をしてきました。

3年生は、勉強に対する意欲を感じました。もちろん中には授業に参加できない子どもの姿もあります。しかし、グループでの活動では何とか参加しようという意志を感じます。残念ながら、それでもなかなかうまくかかわれない子どももいました。こういった子どもが参加できるように子ども同士をつなぐことが課題です。
また、子どもが授業者を見て態度を変えているように感じることも気になりました。子どもの活動が多く、互いにかかわり合う授業では、笑顔で積極的に参加しています。ところが、教師が一方的に説明をしたり、一問一答だったりする授業では、参加はしても解答や板書を写しておけばいいという態度をとっていて、集中しているようには見えません。この先生の授業は、これで十分と言わんばかりです。互いに授業を見合って、自分の授業の課題に気づいてもらうことが必要です。また、よい姿勢で参加している子どもたちに対して、「他の授業でもこのようなよい姿勢で参加できるといいね」と、どの授業でもよい姿勢で参加することをうながしたりすることが大切です。

2年生は、もともとエネルギーのある学年ですが、思ったよりも落ち着いているように感じました。程よい緊張感もあり、よいスタートが切れているようでした。子どもたちに、自分たちのエネルギーをどこに向ければよいかを伝えることが大切です。目指すべき授業規律を明確にし、よい行動をしっかりほめていくことで子どもたちが育っていくと思います。
ざわついているわけではないのですが、子どもの集中が切れている場面にいくつか出会いました。これは2年生に限ったことではないのですが、授業者が子どもを見ていない、目線を合わせていない授業で目立ちます。4月は子どもたちも緊張する時期です。授業開始から2週間が経ち、疲れが出てきているのでしょう。ちょっと油断をすると緊張が切れてしまうのです。このことは、特に1年生で強く感じました。

1年生は、かなりストレスを貯めているように見受けられました。この時期ですので当然と言えば当然なのですが、緊張と弛緩の仕方に問題を感じたのです。教師の視線を感じないとゆるみがはっきり出ますが、1年生は、体が傾いたり顔が変な方向を向いたりと特に身体面にはっきりとでてくるのです。これは、精神的だけでなく、肉体的にも強く緊張している証拠です。
この日は生徒集会がありました。1年生はその移動の様子を見るととても緊張していたのですが、体育館に入って座ると頭や体を動かし落ち着きません。一方、2、3年生は移動ではそれほど緊張していませんが、体育館に入るとすぐに落ち着き、顔がしっかりと上がっていました。
移動は担任が引率し、担任以外の教師も子どもたちの様子を見ています。子どもたちは教師の視線を感じています。1年生はその視線に過敏に反応したのです。ところが、体育館では1年生は中央の前列で、後列の2、3年生とも離れています。教師が立っている壁からもかなり距離があります。教師の視線を感じないので緊張が弛んだのです。こういったことから察するに、子どもたちのストレスの原因はどうやら教師側にありそうです。教師が子どもたちにこうしなさいとプレッシャーをかけているように思えます。できていないこと、よくない行動を注意していると言ってもいいでしょう。今年度は先生方の異動が多くこの学校のやり方を知らない人が多くいます。この学校で目指す子どもの姿が共有されていません。また、1年生の学年団は異動者や少経験者が目立ちます。子どもたちを見守り、できていることをほめたり、行動を受容したりする余裕がないのかもしれません。早く中学生らしい行動をとるようにとプレッシャーをかけるのではなく、「こんなことができるようになった、少し中学生らしくなったね」と認めてあげることで、安心感のある学級をつくることを意識してほしいと思います。1年生の学年団には、私から中一ギャップが起こる要因を少し説明した上で、学年として子どもたちにどのような行動をうながし、何ができればほめてやるのかを共有するようにお願いしました。

授業の様子を見ていて、気になる場面がいくつかありました。
多くの学級で共通していたのが、子どもたちの活動の目標や評価基準が明確でなかったことです。活動はしているのですが、自己評価ができません。ただ活動しているだけになっていました。特に技能系の教科で、そのことを強く感じました。

1年生の体育の授業でのことです。子どもたちがグランドに広がっている状態で、拡声器を使って後片付けの指示を行いました。距離があるために指示が通っているのか確認がしにくいことが気になります。それ以上に気になったのが、器具庫に片づけに行くのに一番遠いグループの動きが遅いことでした。今は基本的な行動の規律をきちんと教える時期です。その一つに集合などでは遠くのグループほど素早い行動を取ることがあります。残念ながら意識されていません。こういったことを徹底する必要があるのですが、授業者は片付けに気を取られ、子どもたち全体の動きをきちんと見ていませんでした。今後の集団行動に影響が出そうです。

別の授業では、子どものつぶやきに個別に対応している場面に出会いました。その間、他の子どもたちは、これ幸いと板書を写したりよそ事をしたりしていました。つぶやきを拾うことは大切ですが、教師と2人だけの世界に入ってしまってはいけません。よいつぶやきであれば、全体に対して発表させ共有することが必要です。

今年度異動して来た教務主任と一緒に授業を見たのですが、子どもたちの様子をとてもよく気づいていました。担当教科は美術で、子どもたちの活動の様子を見守ることが教師の役割の多くを占めると話されていました。なるほど、納得です。技能系の教科の先生に、子どもを見る力のある方が多い理由がよくわかります。

生徒集会の最後に時間が少し余ったので、校長が講話をされました。年度当初に子どもたちに示した行動目標の確認と、その一つである挨拶に関連して分離礼について説明されました。まず相手と目を合わせて挨拶を声に出してから礼をすることをきちんとできるようになってほしいこと。これを今から身につけておけば、社会に出ても困らないことなどを具体的に伝えられました。
こういったことは意識すればすぐにできることです。逆に言えば、意識しないでもできるようになるためには、意識してやり続けなければいけません。やろうとすれば誰でもできることだけに、子どもたちをほめるきっかけとしやすいものです。校長は、このことを意識していたようです。先生方に子どもをほめることをお願いされていますが、なかなかできない方もいらっしゃいます。だからこそ、はめるネタを意図的に与えたのです。学校の現在の課題がここにあると気づかれているのです。

この日の授業研究の提案授業は、まさに4月のこの時期を意識したメッセージがあふれるものでした。授業者が現時点でのこの学校の課題をはっきりと認識していることがわかるものです。この授業研究については、次回の日記で。

授業と学び研究所ミーティング

昨日は、授業と学び研究所のミーティングでした。テレビ会議で3か所をつないで行いました。

タブレット1人1台環境でのICT活用について意見を交換しました。教具としてのICT活用なのか、文具としてのICT活用なのかについての議論がありますが、私たちとしてはそのことにあまりこだわる気持ちはありません。子どもたちが、登校してから下校するまで、また家庭で、教具であるか文具であるかを問わず、教育的に有効な活用という視点で1人1台環境を考えていきたいと思います。
今後いろいろな場面での活用アイデアを出し合い、その中からアイデアレベルではなく、具体的なものとして世に問えるものをつくりだしていくことになりました。とりあえずは、アイデアを出すところから始めます。次回のミーティングまでに各自アイデアを発信することが宿題になりました。宿題を出される子どもの気持ちを味わっています。
また、研究所のメンバー全員で、1人1台環境でのICT活用の様子を見学しようということになりました。同じものを見て、共通の土台で話し合うことで議論が深まると考えるからです。フェローの一人が段取りを取ってくれることになりました。実現すれば、皆さんにその様子を報告したいと思います。

授業と学び研究所としての外部への発信についても話題になりました。研究内容とは別に、授業と学びに関することを定期的に発信することも、活動の柱としていこうということになりました。そこで、フェローがそれぞれコラム?を発信することになりました。準備ができ次第、授業と学び研究所のホームページを公開する予定です。私の担当分については、この日記との差別化を図りたいと考えています。どのようなものになるか、もうしばらくお待ちください。

これから、授業と学び研究所の活動は本格化していきます。スピードのある展開ができそうな予感がしています。どのようなものが出力されるか、楽しみにしていてください。

介護研修でフォローについて考える

先週末は、介護関連の研修で講師を務めました。今回は介護におけるリスクをどう回避するかを具体的に考える研修です。

介護の現場で起こる事故やトラブルは、個人の技術や意識の問題に見えることがたくさんあります。しかし、これをチームや組織としてどう回避するかが大切になります。今回の研修では具体的な事故やトラブルの場面を想定して、なぜそのようなことが起こったのか、何がいけないのか、どうすれば回避できたのかについて参加者に考えていただきました。
情報の共有といったコミュニケーションが大切なことは、すぐに気づいてくれます。情報を共有するための実効性のあるルールをつくることが必要です。しかし、ルールをつくっても必ずしも全員がそのルールを守れるわけではありません。うっかりしてしまうこともあります。一人ひとりが、ルールを守り情報の共有を意識することはもちろんですが、互いがフォローし合うことが大切になります。介護の現場では突発的なことがどうしても起こります。その時に自分の担当しか考えていない、見ていないではとても組織として対応できません。気づかない人に「気づきなさい」と注意をしてもできるようにはなりません。気づいた人がフォローするだけでなく、気づかなかった人に仕事をする上で意識すべきことに気づいてもらうことも必要になります。ここで注意してほしいことは、「フォローしてくれるから大丈夫」とならないようにすることです。「フォローしてもらって助かった。次からは○○に気をつけよう」と思ってもらわなければなりません。そのためには、事の重要性やなぜそのようなミスが起こったのかを当人に気づいてもらうことが大切です。フォローするだけでなく、そのようなかかわりも持つことが求められます。これもコミュニケーションです。とてもレベルの高い要求ですが、この参加者ならきっとできるようなってくれると思います。仲間の力が上がることがチーム力を高め、結果として自分も助かることをよく知っているからです。

このフォローという発想は、学年経営や学校経営にもつながることです。自分の学級だけ、自分たちの学年だけよければ、という発想では学年や学校全体の力は上がっていきません。隣の学級や学年が崩れれば自分たちにも必ず悪い影響が出てきます。逆に上級生がしっかりしていれば、必ず下級生にもよい影響が出てきます。互いがフォローし合う雰囲気を学校全体につくる必要があります。このことについて改めて考えるきっかけとなった研修でした。

日記の更新をお休みします

楽しみにしていただいている方には申し訳ありませんが、都合により今日と明日の2日、日記の更新をお休みさせていただきます。

「授業と学び研究所」始動

昨日は、授業と学び研究所の最初の会議でした。一部のフェローはテレビ会議による出席でしたが、関係者全員が一堂に集まり、今後どのような研究をしていくかについて話し合いを行いました。

いくつかのテーマが話題になりました。
教師が携帯端末を持ち、校務支援システムが職員室から解放された時に、どのような世界が広がるのかということが大きな話題になりました。単に教室で出席簿をつけるといったありきたりの発想ではなく、教師の授業力や学級経営力、管理職の学校経営力の向上につながる多くのアイデアが出てきました。チーム学校の実現を後押しするようなものです。わずかな時間でこれだけいろいろなアイデアが浮かんでくることに驚きました。参加者の質の高さもさることながら、顔を突き合わせて思いついたことを気軽に話せることが大きな要因でしょう。授業における「学び合い」の本質をここに見たように思います。

子ども一人一台のタブレットの活用は、授業や学習という視点でとらえた時に、他のICT機器や従来の学習と比べて有意差を見出すことがなかなかできません。授業という狭い枠にとらわれず、子どもたちの日常的な生活場面にその活用を広げた時に、新たな世界が広がるように思えます。今世間で盛んに開発されているタブレット上の教育アプリとは異なった視点のものを考えようという声が上がってきました。

この他にも、知識ではなく考え方・学び方を身に着けるような学習ツール、授業評価のシステムなど、面白いテーマがたくさん話題になりました。もちろん、一度にこれだけのものを扱うことはできませんが、今後テーマを絞りながら世に問えるようなものを生み出していきたいと思います。
授業と学び研究所として、こういった取り組みに関して皆様にお伝えするような場も作りたいと考えています。WEBでの発信と合わせて、今後検討を進めていきます。

教育の世界に新しい波を起こすことができる期待と可能性を感じる時間でした。当分ワクワクする日が続きそうです。

課題で意識したい要素

総合的な学習や社会科の調べ学習などで、子どもたちに考えることや達成感を与えることを意識した時に、課題に求められる要素について少し考えてみたいと思います。

1つはリアリティです。あまりに抽象的であったり、子どもたちに身近でないものを課題にしたりすると、ただ何となく調べて終わってしまいます。子どもたちがある程度知っているもの、興味を持っているものを対象にすることが必要です。わかりやすい例で言えば、地下鉄が走っていない地域で地下鉄をテーマにした学習をしてもピンときませんね。もし、地下鉄をテーマにするのならば、地下鉄に興味を持たせた後で、「私たちの町に地下鉄がない理由を考える」「地下鉄をつくるための条件を考える」といったものにする必要があります。
また、課題がただ学級のみんなの前で発表して終わりであれば、子どもたちにとっては発表することが目的になってしまいます。活動にリアリティはありません。自分たちが実際に調べて考えたことを外部の大人に聞いてもらう、提案するといったことが必要です。大人に講評してもらうだけでも、子どもたちにとってリアリティが増し、達成感を味わえます。そのためにも、子どもたちが考えたり判断したりすることが課題に含まれている必要があります。自分たちはどう考えたか、○○は△△であるかどうか、○○するためにどうするかといったことを問うのです。

もう1つは、課題の中に友だちとのかかわりが必要になる要素を加えておくことです。グループの発表であれば必然的にかかわるのでよいと思えますが、一つ間違えば、一部の子どもが仕切ってしまい、他の子どもはあまり考えることなくその子どもの指示に従っているといったことになってします。あらかじめいくつかの役割を明確にして個人に責任を持たせたりすることが必要です。その上で、グループとしての統一を求めるのです。個人で責任を持った上で、グループ内でかかわり合う必然性をつくるのです。
課題が個人での作業であっても、発表やまとめをグループ単位で行うといったやり方もあります。発表グループで発表の順番を決め、個々の発表時間や、同じ内容があればどちらかにまとめるといった調整をする。個々の作業の結果をグループで一つの紙にまとめるといったことをさせることで、より深く考えることになります。

また、発表に具体的な条件、目標をつけておくことも有効です。時間制限をつけるといったわかりやすい条件や、聞き手にどうなってほしいといったことを決めておくのです。これを活かすためには、中間発表を組み込むことが必要です。時間がなければ、いくつかのグループを組みにして聞き合ってもよいでしょう。中間発表で失敗すれば、一生懸命修正しようとします。友だちのよいところをまねしようとします。具体的にどうすればいいかわからなかった子どもには、友だちの発表がヒントになります。1回勝負では、失敗を挽回する機会がありませんし、友だちから学んだことを活かすこともできません。
中間発表を考え直す機会とするために、評価基準となる条件や目標を明確にしておくのです。

こういった要素は、総合的な学習や社会科の調べ学習だけでなく、他の教科でも有効なものです。課題を考える時に、このような要素を意識することで、子どもたちにより深く考えさせ、達成感を持たせることができるようになると思います。

噂話で考える

ある学校での噂話です。校長が新任の先生を校長室で怒鳴りつけたというのです。
新任が情報科の教師だったので、学校ホームページを担当するように校長が命じたところ、「できない」と答えたそうです。それに対して「命じられたことはやれ」と怒鳴って、その先生をホームページ担当にしたということです。
この話を聞いてどんなことを考えますか?

新任は、先生になったばかりで学校ホームページで何を発信してよいかもわからないのでできないと言ったのかもしれません。一方、校長は、単に書いた記事をアップするという技術的な作業を担当させたかっただけなのかもしれません。そうだとすれば、単にコミュニケーションの問題のようです。
そもそも、校長が学校ホームページの意味やその活用のことをわかっていないから新任に担当しろという無茶振りをしたのかもしれません。校長の学校ホームページの理解度の問題と考えることもできます。
いやいや、状況はどうであれ、新任に怒鳴るという威圧的な行為は校長として絶対やってはいけないことだ。校長のパワハラだと思うかもしれません。

私もこのようなことを考えたのですが、実際のところは軽々しく結論づけることはできません。噂話はあくまでも噂話の域を出ません。それよりも気になったのは、このことが噂話になって、他の先生が知っているということです。ことの真偽がわからないまま、「校長が新任の先生を怒鳴った」ということだけが校内に流布しているのが一番の問題なのです。噂話なのだからほっとけばいいという考えもありますが、先生方の校長に対する不信は残り続けるでしょう。これを拭い去るのは簡単ではないと思います。

個別の先生に対する指導は、オープンな場所で行われることはまずありません。当事者にしかわかりません。きちんとコミュニケーションがとれていないと思わぬ誤解が生じたり、それが歪んだ形で広がったりする危険性があります。この校長は、きちんと新任の先生に納得させることができていなかったので、このようなことになってしまったのでしょう。
私も、毎年多くの先生方に個別にアドバイスをします。きちんとコミュニケーションをとらないと思わぬ誤解を生んだり、信頼を失くしたりしてしまいます。このことの大切さを改めて気づかされた話しでした。

新人の成長に感心する

先週末は企業の新人研修の最後の担当日でした。

研修開始前に会場に入って目にした新人の姿に驚きました。てっきり必死に発表の準備をしていると思っていたのですが、柔らかい雰囲気で研修の始まるのを待っています。余裕すら感じます。研修の開始後30分を最後の調整時間としましたが、まわりと確認したり、リハーサルを行ったりして本番を待っています。あとで聞いたところ、前日、全体で伝えたいことのすり合わせを行った後、遅くまで残ってプレゼンテーションを仕上げたようです。みんなで一緒だったので、意外と楽しくやれたようでした。きちんと前日に準備ができていたので、余裕を持って研修に臨めたのです。こういったことも社会人として大切なことです。

プレゼンテーションは、伝えたいことが非常によくわかるものになっていました。前日に指摘されたことをかなり高いレベルでクリアしています。中には中間発表と同じスライドが1枚もないという者もいました。研修を受ける前の新人に伝えるものですから、これから受講する内容そのものについて話してもあまり意味はありません。研修を受けるにあたって、意識してほしいこと、学んでほしいことを自分たちの経験から伝えます。12人の発表を貫くものがはっきりとしています。「だれ、何のために?」「どうやって?」「本当に必要?」といったキーワードが共通して出てきます。ムダなものが削られて、とてもすっきりしたものになっていました。前日にみんなで話し合ったことが活かされていました。ほとんど全員が5分で発表を終わりました。中には1分以上時間が余った者もいます。余ったからといって内容がないわけではありません。伝えたいことがシャープになっていたのでよく伝わるプレゼンテーションでした。
この日もとてもよい姿勢で仲間の発表を聞いています。一言一言にしっかりとうなずき、発表者の問いかけに一生懸命反応します。聴衆として仲間の発表から学ぶことの大切さを、発表者としては仲間に支えられていることを実感していると思います。参観者からも温かいコメントをいただけ、達成感を持つことができたと思います。

この1週間、2名の講師と私で担当した、「学校・教育とICT」「コミュニケーション」に関する研修はこの日の午前で終了しました。最後に新人たちにこの研修の感想を発表してもらいました。うれしかったのは、何も言わなくても私の方ではなく仲間の方を向いて話し、だれもが体を乗り出して聞いてくれたことです。相手に寄り添うことや仲間と助け合い支え合うことといった、個々の内容ではなく研修を通じて学んでほしかったことが語られます。この1週間で、本当によく学んでくれました。短い期間によく成長し、いいチームになってくれたと思います。この先苦しいことがあっても、相談し、助け合えるよい同期となりました。私も彼らに出会って、とても多くのことを学ぶことができました。素晴らしい出会いに感謝です。

新人がチームとして動けるようになってくる

私たちが担当する企業の新人研修の4日目のようすです。

この日は、午前中は、社内でリーダーが発信しているコラムの大賞を決めるという課題です。審査の基準や決め方もグループで考えます。このことは告知してあったので、事前にそれなりの準備はしていたと思いますが、それに加えて社内にビデオを通じて発表することも課題に加えました。

非常によい雰囲気で検討が進んでいきます。どの新人もしっかりと自分の考えを話しています。グループの中でそれぞれの役割が出てきているようです。それぞれのグループがチームになってきたのがわかります。途中で進捗状況を発表する場面をつくりました。互いに、真剣に他のグループの考えを聞いています。まず候補を出してそのよいと思う理由を共有して審査基準を考えたグループ、予断を廃して審査基準を考えてから審査に移ったグループといった具合に、進め方はまちまちです。このように課題の解決にいたるアプローチがいろいろあることを実感してくれていると思います。
各グループ5分間の大賞発表は、ぶっつけ本番にしてはそれなりに進め方やパフォーマンスを工夫していました。さすがに最近の若者は違うという印象です。審査基準とその過程が明確なもので、私が予想した以上にしっかりしたものでした。これなら、受賞を逃したリーダーも納得してくれると思います。「新人が読みたい、読ませたい」という、自分たちの立場で考えられる大前提を設定したので、やりやすかったようです。課題につけるちょっとした条件がその後の動きに大きく影響するのは授業と全く一緒です。
審査に時間を取られて発表の準備ができなかったことを反省する声もありました。どんないい仕事をしても期限に間に合わなければ意味がありません。限られた時間をどのように使うかも、仕事をする上で大切な要素です。このことに気づいてくれたようです。

午後からは、翌日のプレゼンテーションの準備です。1昨日に決めた分担に沿って2人、2人、8人のグループで作業をしています。発表は個人ですが互いに相談しあう姿が見られます。この日は作業だけで終わるのではなく、中間発表をする時間を取りました。この中間発表でどれだけのことを互いに学んでくれるかが研修の勝負所です。自分の発表の準備に追われて集中できない新人がどのくらいいるだろうかと見ていましたが、仲間の発表を自分のこととして真剣に見ていました。彼らの素晴らしいところは、聞くことをとても大切にできることです。この姿だけでも、この研修の目的が達成されていると思えます。
面白かったのは、ほとんどの新人が問いかけたり、反応を求めたりとインタラクティブな発表をしたことです。この一連の研修が、常に講師が問いかける形で進んでいたことが影響しているようです。ひょっとして仲間の発表を聞いて急遽取り入れた者もいたかもしれません。いずれにしても、新人とは思えない進め方でした。これもうれしい驚きでした。
中間発表ですので途中でも持ち時間の5分が来たらそこで終わりとしました。時間内でどう伝えるかを意識させたいからです。ほぼ全員が時間オーバーでした。
全員の発表終了後、もう一人の講師の方に講評をお願いしました。実にシャープに共通の課題を指摘してくださいます。「時間内で話せない理由は何だろう?」と伝えたい内容を絞ることの大切さに気づかせます。12人で個別に話すが、一連の発表として伝えたいものがあるはずだ。こういったことを伝えます。
この後どういう動きをするかが楽しみです。司会を買って出る者、書記が必要だからと一番端にいるにもかかわらず、前に出てくる者、手で書くよりPCで打ち込んでスクリーンに映した方が効率的だと指摘する者、見事にチームとして動きます。すぐに全体で自分たちが伝えたいことを整理し始めました。一人ひとりがその受け持ちで何を伝えたいのかを発表し、全体とのかかわりを整理します。それこそ侃々諤々、全員がしっかりと参加しています。予定時間を過ぎても納得するまで進めていました。これなら放っておいても自分たちでブラッシュアップできそうです。この後、個人でどう仕上げていくのか楽しみです。これは新人だけで聞き合うのはもったいないと思い、社内の知り合いに発表を聞きに来ていただけるようにお願いしました。きっと素晴らしい発表会になると思いました。

コミュニケーションスキルの研修

企業の新人研修のようすです。

午前中は講師による模擬授業をもとにした、コミュニケーション研修です。模擬授業は1個のトイレットペーパーから、算数の課題をつくる所から始まります。トイレットペーパーを見て、何でもいいから問題をつくってと言われてもなかなか出てきません。今まで課題を与えられてそれを解くという授業ばかりを受けてきたのでしょう。計ってみればわかる、実験してみればわかる、そのようなものは出てきますが、なかなか算数的な課題につながるものは出てきません。参加者からでてきたものを板書して、そこから算数的な課題につながるもの以外をキャッチボールしながら消していきます。ていねいにやり取りをしながら、課題をつくっていきました。
最後は小学生がつくった「トイレットペーパーは無くなるまでに何回転するか」という課題にたどり着き、その解決に取り組みました。いろいろなアイデアが出てきますが、これといったものが出てきません。しかし、仲間の発言を聞いて触発され、だんだん考えが広がり、深まっていきます。仲間の考えを理解した途端、今度は一生懸命にみんなに説明しだす者もいます。最後は誰もが自分で課題の答を計算して求めることができました(計算間違いはありましたが)。もちろんこの課題を解くことがこの研修の目的ではありません。この授業を通じてコミュニケーションについてどのようなことを学ぶことができたかを問いました。
新人は、講師がでてきた言葉を言い換えないことに気づいていました。講師はその言葉を他者につないで発言させています。自分の考えを他の人に言ってもらうと、客観的に見直すことや違う視点が加わることで考えが広がったり深まったりすると、講師の行動の意味を理解しています。先生でもなかなか気づくことができないことに気づいてくれました。
この授業では何を言ってもいいという安心感があると言ってくれた者もいました。同じ講師の研修よりもその度合いが高いというのです。なかなか鋭いことを言います。講師はその理由を、研修は持っていきたいゴールがあるのでどうしても誘導しているからなのかもしれないと分析していました。授業は特にゴールを設定しておらず、どんな課題が出てきてもいいので、ひたすら受け止めることができたので、受容してもらえるという安心感があったのでしょう。なかなか優秀な新人たちです。
笑顔やうなずくといったコミュニケーションスキルについて少し解説して終了しました。

午後は、実際の対人コミュニケーションのロールプレイです。
最初に顧客のもとに出かける前にどんなことをするか考えてもらいました。情報収集に関することがいろいろ出てきますが、社内で先輩に聞くということが出てきませんでした。研修では自分たちで考えることを大切にしてきたので、その影響かもしれません。
続いてグループで顧客と営業、観察者に分かれ、時間を切って交代しながらロールプレイを行います。1回ごとに気づいたことをメモする時間を1分間とるのですが、黙ってメモしているグループはありません。昨年までの研修ではメモをするという指示に従って、黙々とメモをする姿を見ることが多かったのですが、どのグループも盛んに話し合っていました。今年の新人たちはとても人間関係がよいことがわかります。コミュニケーションが苦手と見える新人も、なかなか上手に演じていました。何を話すか、どう答えればいいのか互いにしっかりと学び合っています。どのグループもなかなかのレベルになっていたので、予定を変えて他流試合形式でロールプレイをしてもらいました。各チームから順番に一人ずつ、顧客と営業役を出して全体での前で行います。私はいつものように、演じている者よりも見ている方を注視していました。傍観者然としている者はいません。自分ならどう対応するだろうかと考えていることがよくわかります。感想を聞いても、自分に活かそうとする視点を感じます。互いに学び合おうとする姿勢が身についています。
最後は、新人の代表者が営業役となって、顧客役の講師を相手にロールプレイに挑戦します。誰がやるかを決めるのに普通は時間がかかります。しかし、目が合った人に声をかけると、すぐに立ち上がってやってくれます。顧客役の講師は、実に見事にシチュエーションをつくります。入れ替わり3人とロールプレイを行いましたが、それぞれがどんな顧客なのか会話の最初の一言で想像がつくようにしています。とはいえ、新人ですので彼らはそのことに気づきません。質問の意味を表層でとらえて、一方的に説明します。顧客の知りたいことからどんどん離れていってしまいます。相手の立場を想像して、相手が求めている情報を提供することの難しさを感じてくれたと思います。

頭の中では聞き上手になる、相手に寄り添おうと思っていても実際にはそれほど簡単でないことに気づいてくれたと思います。これからの実践的な研修で、よい経験を積んでほしいと思います。

互いに信頼してる新人たち驚く

一昨日は、入学式に参列した後、企業の新人研修に参加しました。
ちょうどグループで発表をしているところでした。どの新人もいきいきとしています。実に楽しそうにやり取りをしていました。感心したのは聞く態度です。真剣に発表を聞いています。そして何より、発表者に対して素朴に疑問をぶつけます。この質問と応答がなかなか見事でした。中には、なかなか厳しい質問が投げかけられますが、雰囲気は崩れません。お互いに信頼ができあがっているのがわかります。学校で言えば、安心して暮らせる学級です。わずか2日でここまでになったのは、新人の優秀さもありますが、やはり講師の力量でしょう。この日の研修の様子を見られなかったのが残念です。

この日の最後は、今週末に行う発表の準備です。課題はこの日までの研修を全員で分担して来年度の新人に伝えるというものです。通常は細かく条件を提示して指示をするのですが、今回の参加者はレベルが高いので、自分たちで考えさせようということになりました。
最初に私が課題を説明し、どのように進めるのかを問いかけました。「司会者がいる」「司会者なしで話し合えばいい」と意見が分かれます。司会者は負担が大変といった声も上がります。どうやら、小中学校時代に司会者をして、嫌な思いをした経験があるようです。このメンバーなら司会者の負担はそんなにないから大丈夫という意見も出ます。反対に、このメンバーだから司会は無くてもいいんじゃないという考えも出てきます。いずれにしても、互いが信頼し合っていることがここでもよくわかります。最初の15分ぐらい司会をおいて、あとは流れに任せるといった折衷案が出て、それで全員が納得しました。ここで私は退場です。
司会を決めるところからは、もう彼らに任せました。

講義形式の座席に12人座っています。司会がまだ決まっていない状態から、どのように進めていくのかと思って見ていました。驚いたことに、すぐにホワイトボードを取り囲むように全員が前に集まってきます。車座になると、司会者もすぐに決まります。今回のメンバーの中で、コミュニケーションが一番苦手に見える男子です。コミュニケーションが苦手に見えますが、非常に論理的で、整理する能力も高い者です。このメンバーはちゃんと彼のよさを見抜いているのです。指名された彼も、一瞬ためらったようにも見えましたが、すぐに引き受けました。このメンバーならやれると思ったのでしょう。書記も必要だという声が上がり、すぐに決まります。なかなかのものです。
特に司会に頼らなくても、意見が自然に出てきます。話がちょっと拡散してきたなと思うと、司会者が論点を整理します。とてもよい形で話し合いが進んでいきます。結果、テーマ別に2、2、8のグループに分かれることになりました。積極的に話すタイプは8人のグループに、どちらかと言うと、じっくりと考えて動くタイプはペアのところに入っています。ちゃんと考えられています。
残された時間をそれぞれがテーマにそって何を話すか考えますが、実に楽しそうに見えます。かなり大変な活動なのですが、何かレクリエーションをやっているようにも見えます。時間がくると、再び前に集まって進捗状況の確認と困っていることの相談を始めました。手慣れています。この課題は、個人での活動の要素が多いのですが、それをチームとして取り組んでいます。ゴールまでは、まだまだ一山も二山もありますが、きっとチームとして乗り切っていくと思います。これからが楽しみな新人たちです。

入学式で子どもたちの目線が気になる

昨日は学校評議員をしている中学校の入学式に来賓として参加しました。毎年参加させていただいているので、子どもたちの変化がとても楽しみです。

ここ数年、新入生の集中力が気になります。今年は昨年と比べるとそれほどでもないように思いますが、話を聞いているのかいないのかよくわからない子どもが目立ちます。新入生の集中力がないことはこの学校だけのことではないようです。市内の他の学校でもよく聞くそうです。
一方の在校生ですが、昨年あれほど気になった新2年生ですがずいぶんと成長しているように感じました。学年の先生方はまだまだと思っているかもしれませんが、立派だと思います。2年後の卒業式にどんな姿を見せてくれるか楽しみです。

今年特に気になったのは、話を聞いているように見える子どもたちでも目線が上がっていないことです。話し手をきちんと見ていません。うなずくなどの反応も薄いのです。これは新2、3年生にも言えることです。体を動かしたりしている子どもは少ないのですが、どうにも目線が上がらないのです。校長の話が新入生向けだと思っているからかもしれません。
救いは、生徒代表による歓迎の言葉の時に、目線が上がる子が増えたことです。仲間や先輩の話はやはり興味があるということでしょう。

入学式はワクワクするような楽しいイベントではありません。ほとんどの子どもが受け身の立場の儀式です。この市のどの学校も、日ごろから子どもたちが主体となる授業を進めようとしているので興味を持てないのかもしれません。しかし、こういった儀式に厳粛な気持ちで参加し、新ためて今後に対する決意を固めたり、過去を振り返り自身の成長を確かめたりすることはとても大切です。
式に臨む前に先生方は学級でどのような話をしたのでしょうか? また、終了後、式を振り返るような活動をされたのでしょうか? 子どもたちからどのような言葉引き出されたのでしょうか?
そんなことがちょっと気になった入学式でした。

企業の新人研修で大いに学ぶ

今週は5日間、企業の新人研修に講師として参加します。昨日は、私以外の2人の講師による研修がありました。私は1日見学していたのですが、とても参考になるものでした。

最初の研修は「教師の仕事とICT」についてです。まるで学級開きを見ているようでした。この1週間で参加者にどうなってほしいのか、どのような力をつけたいのかが明確にわかるものだったのです。
彼らはこの日、研修に先立って会社の朝礼に参加しました。その時わからない言葉があったのではないかと問いかけます。一人ひとりに聞いていきますが、中には大体わかったという者もいます。そこで、他の人がわからなかった言葉の説明を求めます。かなり正確なことをいう者もいますが、的外れな説明もあります。講師はどの発言も否定しません。全員に一言ずつ発言させます。何を言っても笑顔で受け止めます。仲間の発言にあまり反応を示さない者もいます。講師はそういった者に対しては、意図的に発言を求めたり、つないだりし、反応や発言を受容することで安心して参加できることを伝えます。
全員に発言させた後、かなり正確な説明もあれば、的外れなものもあったことを伝えますが、どれが間違っていたとか、正しいのはこうであるといった修正は一切しません。結果的に発言の否定につながるからです。自分で調べればすぐにわかると、知識そのものではなく、「わからない」と素直に言えることが大切だと伝え、疑問を持つことで学んでいけることを強調しました。研修を貫く考え方を伝えようとしています。

教師の人数は何で決まるかを全体で聞きます。法律で決まっているという言葉を引き出し、根拠となるものを提示します。教師の人数は法律で決まっていますが、その算定基準は子どもの数であることを押さえます。「子ども」の数で決まることが、教育の基本が「子ども」のためにあることを表わしています。そのことに気づかせるための伏線です。

次の課題は、校長、教諭といった教師の種類をできるだけたくさん書きだすことです。これを隣同士で確認させます。とにかく書きだしたものを比べるのですからテンションはすぐに上がります。続いての課題は先ほどの教師がどのような仕事をしているか想像して書かせるものです。講師は新人たちの手元のメモをデジカメで撮影しています。今度も隣同士で確認させますが、テンションは先ほどよりは下がります。自信がない、想像がつかないものがあるからです。よくわからないからこそ、しっかりと聞き合います。
ここで発表ですが、「わからなかったこと」を聞きます。発表の基本を押さえています。もちろんわからないことを講師が解説するのではありません。新人の中で書けたという人に発表させ、考えをつないでいきます。正しい答を求めているわけではありません。正解は手元のパソコンを使ってWEBで調べればすぐにわかることです。答を探すのではなく、想像し、互いに聞き合うことで考えが広がることを伝えたかったのです。
ここで、先ほどのデジカメで撮った写真を見せます。箇条書き、表形式というようにいろいろな表現があります。相手に伝えることを意識することも必要であると伝えます。今回のもう一つのテーマであるICTをさりげなく使っているところがさすがです。

いよいよICTが話題となります。こういった教師の仕事のどこにICTが活かせるかを隣同士で相談させます。新人は先ほどからのペアでの活動で関係ができているので、すぐに動き始めます。思いついたことを発表させますが、思いつき以上の物はなかなか出てきません。ここで、「どうして必要?」と問いかけます。こうして切り返すことで、考えるための視点を明確にします。最初から与えるのではなく、視点の必要性に気づかせていこうというのです。発表したことを別の者に説明をさせます。当人も気づかなかった視点がでてきます。人がつながることが「答が広がる」ことだと気づかせています。
多忙感は、役立ち感で充実感に変わるといった視点を整理した上で、校長、教諭、養護教諭といった対象とする教師をペアに割り当てて、それぞれの仕事でICTをどこに活かせるかを考えさせます。メモを見ないで互いの考えを共有させます。自分で真剣に考えたので、伝えたい意欲が高まっています。会場の熱気が高くなるのを感じました。
私の目の前で、相手の話を聞きながらしばらく考え込んでいた新人がいました。途中から、しっかりと話し始めたのですが、ちょっと気になりました。講師は全体での発表で、最初にその新人を指名して、考え込んでいた理由を聞きました。一人ひとりを実によく見ています。
その新人は、ICTによる時間の確保が子どもたちのためになるという視点で考えたが、隣の人が役立ち感の視点で考えていたので悩んでいたのです。しかし、考え直すことで、自分の中で矛盾しない、納得できる考えにたどり着いたのです。このことを話している途中で、隣の人の意見に関する説明で言葉につまりました。しかし、すぐに当人が補足して助けてくれました。とてもよい関係です。課題を工夫して、ペア活動を上手く取り入れることで、この研修時間内にみるみる人間関係ができていくのがわかりました。
講師は悩んだことを評価しました。メモを見ずに話すことで、相手とのコミュニケーションが活性化します。相手とのかかわりが、考えを変化させ深めてくれるのです。学び合うための方法を上手に伝えていきます。新人がこれから成長していくために必要なことを、この日のテーマについて考えることで、見事に気づかせていきます。
ムダな言葉やパフォーマンスのない、基礎基本の固まりのような、授業の教科書と言える研修でした。

午後からは、もう一方の講師の「学校経営とICT」、「授業とICT」の研修でした。最初に、「学習したことの定着は、受信した量ではなく発信した量で決まる」ということを、有名な実験を紹介して説明します。その上で、「教育の情報化の手引き」といった国の方針をWEBで調べさせ、それをまとめることを通じて、国の考える方向性を理解させます。出力型の研修です。手引きに書かれたイラストの意図を探るといったこともさせ、事実や資料をもとに考えるための視点を意識させます。資料を読み取り、再構成し、それを根拠に自分なりの考えを足していくという、相手を納得させる提案をつくるためのプロセスを経験させます。

2人の講師に共通するのは、課題に取り組ませることを通じて、社会人としてよりメタな知識や力をつけさせようとしていることです。また、意図的に次の研修への布石となることも仕込んでいます。このようなハイレベルの研修を見せていただく機会はなかなかあるものではありません。得をしたと思う反面、私の担当する研修のハードルがとてつもなく高くなっていることに気づき、愕然とします。
一方研修に参加している新人たちの実力も侮れません。ICTをさりげなく活用した授業ビデオを見せられ、コメントを求められたのですが、若手教師では気づけないようなこともたくさん出てきます。私は彼らの後にコメントを求められたのですが、付け足すことがほとんどないと言っていい状態でした。彼らが優秀なこともあるのですが、やはり2人の講師が、研修を通じて授業のポイントとなる視点に気づかせていたことが大きく影響しているのだと思います。

わずか1日で新人が大きく変化し、成長しているのを感じました。彼らがこの先どのような変化を見せてくれるのかとても楽しみです。

著者インタビュー公開

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明治図書出版株式会社のウェブマガジン「教育zine」の著者インタビューが公開されました。

『授業アドバイザーが教える「授業改善」30の秘訣』についてお答えしています。

是非ご覧ください。

授業規律を提示する前にチェックしよう

新学年のスタート時期ですので、授業規律をきちんとしようとする方は多いと思います。ある学校の学年会で提案された授業規律の中に、「居眠りをしない」「私語をしない」「隣の生徒と近づかない」といったものがありました。これを見て違和感を覚えました。一つは、否定文であることです。「してはいけない」と書かれています。こういうことをすると先生は「注意するぞ」という威圧を感じます。こうしようという前向きな表現にしてほしいと思います。とはいえ、それぞれを肯定文にすると「起きていよう」「(発言を求められた時以外は)黙っていよう」「隣の生徒と離れていよう」というようになります。私には、あえて子どもたちに推奨したい行動のようには思えません。

「居眠りをしない」は、子どもの問題ではありませ。教師の問題です。居眠りをしない授業をしているかどうかが問われているのです。子どもたちは正直です。つまらない授業だから居眠りをしてしまうのです。教師が工夫をすれば居眠りをする子どもはいなくなります。授業規律の問題と考えているようでは、いつまでたっても改善されることはないでしょう。
「私語をしない」「隣の生徒と近づかない」というのは、学習に関して子ども同士が相談する機会をつくろうとしていないということです。「いやいや、まずこういう基本的なルールを守らせなければ、相談させてもおしゃべりをしてしまう」ということを言う方もいます。しかし、順番が逆なのです。私語をするのは日ごろの「プライベートでの人間関係」が授業に持ち込まれているからなのです。子どもたちに「授業での人間関係」ができれば、私語やムダ話は起きません。「わかりたい」と思う課題に出会えば、子ども同士相談してわかろうとします。授業に関係のない話はしません。今自分のそばにいる誰とでも聞きあえる、相談し合える関係をつくることが大切なのです。ですから、授業規律として必要になるのは、「わからなければ、教えてと言おう」「聞かれたら、わかるまでつきあおう」「友だちの言葉をしっかりと受け止めよう」といったものなのです。

もうすぐ授業が始まります。皆さんは子どもたちにどのような授業規律を求めますか?授業規律を禁止事項の形で提示して、できなければ注意をするのではなく、求める姿や行動の形で具体的に提示して、できたときにほめるようにしてほしいのです。子どもたちに提示する前に、今一度チェックしてほしいと思います。

優先順位を考えて準備しよう

先生方は、入学式や始業式、学級開きに向けて忙しい時間を過ごされていると思います。週末も出校する方や家庭でいろいろと準備させる方も多いことと思います。あれもこれも、すべてやらなければいけないことばかりですが、時間は限られています。時間に追われ、学級開きに余裕のない状態で教壇に立つようでは困ってしまいます。優先順位をしっかりとつけることが大切です。

昔ある先輩教師が「明日できることは今日するな」ということをよく言っていました。なんといういい加減な人だろうと思っていたのですが、後になってその言葉の意味がわかるようになってきました。明日でもできる仕事以外の仕事は、当然ですが今日やらなければならない仕事です。優先度が高い仕事なのです。今やらなければいけない仕事にエネルギーをかけることが大切だということです。

4月は事務仕事が多い時期です。目に見える仕事なのでまずそれを片付けてしまおう。それが片付いて余裕ができてから、学級開きで話すこと、学級活動などの細かいことを考えよう。そんなことを考える方も多いかもしれません。しかし、担任と子どもたちのファースト・コンタクトに話すこと、することはこの1年を大きく左右するとても大切なことです。余った時間で考えるようなことではないと思います。それこそ、時間をかけすぎるということはないと思います。時間ができてから考えることではありません。今日やるべき大切なことです。
先日紹介した、「中学○年の学級づくり 365日の仕事術&アイデア事典」(頼りになる先輩のような本参照)は何を優先すべきかのヒントになる本です。こういった本も参考にして、この時期、本当に優先度の高いことは何かを意識して仕事に取り組んでほしいと思います。

報告会で授業評価のあり方を考える

先日、私立の中高等学校の授業評価アンケートの分析の報告会を行ってきました。昨年度まで別の会社が行ってきたものを今年から引き継ぐことになったものです。アンケートの項目自体は大きく変更していませんので、継続性はあるのですが、まずはデータからどのような傾向が見てとれるのかを考えてみました。

アンケートからわかることは、子どもたちは先生方を肯定的に評価していることです。先生方の授業への熱意や工夫については高い評価を示しています。一方、子どもたちの学習へのエネルギーは低いという傾向があります。学習への姿勢の積極性や自己への肯定的な評価が低いのです。
項目間の相関性を調べたところ、面白い傾向がいくつかありました。授業で学力がついたと回答している子どもでも、テストで納得がいく点数が取れているに対する回答がばらつきます。逆に納得がいく点数が取れていると回答している子どもは、ほとんどが授業で学力がついたと回答しています。また、板書以外にも重要と思われることをノートに書いていると何をどう勉強すればよいかわかっているとの相関関係は高い傾向にあります。学習時間とテストで納得のいく点数が取れることも相関関係は高い傾向にありました。あたりまえの結果かもしれませんが、学習のやり方をしっかり伝え、結果を出させることで子どもたちの積極性を引き出すことが大切になるということでしょう。
この他にも、自己有用感を持っていると思われる子どもたちはやる気がありますが、逆にやる気がある、やる気のある授業がなされていると回答しているからといって、必ずしも子どもたちが活躍しているわけでも、自己有用感を持っているわけでもないことがわかりました。少なくとも、子どもに自己有用感を持たせることがやる気につながることは言えそうです。やる気につながる要素は他にもあるのですが、自己有用感を持たせることは有効な方法と言えるのです。

このことを受けて、具体的にどのようなことをすれば授業が改善されるかについてお話ししました。一つは「課題を明確にすること」です。頑張れと言っても何をすればいいかわからなければ話になりません。具体的な学習法やノートのつくり方をきちんと教えることが大切です。宿題等の課題を与えるのであれば、結果の出ることをやらせる必要があります。頑張ったけれど結果が出なかったでは、すぐにやる気を失くす子どもが多いのです。努力が結果に結びつくためには、基礎がしっかりしていないといけません。そのために基礎固めを早い時期にすることも大切です。子どもたちは、達成感を持てれば自分で頑張るようになります。早くこの状態にすることを目指してほしいと思います。
自己有用感を持たせるために、子どもたちを「認める」「ほめる」ことが大切になりますが、これは意外と難しいのです。正解したらほめるでは、できた子どもしかほめられません。どの子もほめるためには、意識してほめるための場面をつくる必要があります。「わかった人?」と問いかければ、わかった人しか活躍できません。「困っている人?」と子どもたちの困った感を共有することから始めることも必要です。また、子どもが間違えた答を言っても、教師が正解を教えるのではなく、自分で修正する機会を与えることが大切です。
いつも全体で授業を進めると、活躍できる子どもは一度に一人しかいません。多くの子どもに活躍の機会を与えようと思えば、子ども同士で活動させる必要があります。ペアやグループを上手に活用することが大切です。

面白かったのは先生方の反応です。最初のアンケート結果の説明の場面では、「またいつもの話か」といった負のオーラが漂っていたのですが、具体的にどのようにすればよいかについての話になると、先生方が集中し始めるのがわかりました。おそらく、これまで課題を指摘されるばかりで、「じゃあ、どうすればいいの」という気持ちになっていたのだと思います。授業評価を実施する時に注意してほしいのは、改善の具体策がなければ先生方のやる気をかえって削ぐことになることです。具体策がすぐに見つからなくても、対策をみんなで考える場をつくるといったことが必要なのです。そういったことなしに、ただ「このスコアが悪いから改善しましょう」と言うだけでは意味がないのです。
先生方は改善の意欲がなかったのではありません。どこから手をつけていいのかわからなったのです。先生方の意欲の高まりを感じることができました。
新年度のスタートから意識した行動をするかどうかで、効果は大きく変わります。4月によいスタートを切っていただけることを期待しています。

全体での発表の後、管理職と教務主任とで打ち合わせをしました。学年や教科の課題について、もう少し詳しく説明をしました。先生からはチームとして動くことの難しさが課題として挙げられました。簡単に解決できることではありませんが、学年や教科としての課題を明確に意識していただくことから始める必要があると思います。来年度も引き続き授業評価と授業アドバイスをやらせていただけそうです。こういったことも意識しながら、あせらずに授業改善を進めていきたいと思います。

全体に対する私の報告に対して学校長から、「失礼な言い方ですが、お話が上手ですね」とほめていただけました。こういうおほめの言葉をいただくことはあまりないので、とてもうれしく思いました。それと同時に、今までの報告会があまり納得のいくものではなかったのだろうと想像しました。同じようにアンケートをとっても、その後の進め方で結果は大きく変わってきます。この学校がよい方向へ変わっていくようなPDCAのサイクルを回して行くお手伝いをしていきたいと思います。
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