実践発表から教育におけるICT活用について考える

昨日の日記の続きです。

午後からのICT活用の実践発表は、使っているソフトや環境は変わっているのに、その中身は20年前とほとんど変わっていないという印象でした。
例えば、プレゼンテーションの学習は、ソフトの使い方ではなく、プレゼンテーションで何をどのように伝えるか、その視点やまとめ方が大切になるということが発表されますが、そのようなことは、プレゼンテーションを学ぶ基本中の基本です。そのことを再確認するのはよいのですが、プレゼンテーションの学習をどのように組み立てれば子どもにどんな力がつくのかをもっと現場の視点で知りたいと思いました。

驚いたのは、ある市の取り組みの発表で、校外学習で子どもがタブレットを使ってその場で写真を撮ってメモをしている姿を見せて素晴らしいと評価していることでした。タブレットを操作できていることが素晴らしいのだとすれば、それはソフトが簡単で使いやすくなったということです。その場で写真やメモを取るのは、別にタブレットを使わなくても取材であれば当然のことです。大人でもパソコンを操作するのが大変だった時代ならいざ知らず、正直何を素晴らしいと言っているのかわかりません。
プレゼンテーションで子どもが聞き手を見ている、聞き手が話し手を見ていることも、評価しますが、これも基本中の基本です。ICTを使おうが使うまいがそうできるように指導してあたりまえです。あたりまえのことができているのはよいことですが、それとICTの教育的な効果がよくわかりません。未だにこの程度のリテラシーなのかと思うと、永らくこの世界に身を置いていたものとしては悲しい限りです。
また、思考ツールとして、タブレットを使うという実践もありました。フィッシュボーン、ベン図、ピラミッド図といった枠組みを与えて、思考の整理をするというものです。こういった思考ツールは最近の流行りでそれなりに理解できるのですが、紙やホワイトボードではなくタブレットであることの意味が全く語られません。子どもたちがタブレット上のピラミッド図を使って説明している、ベン図で説明していると言われても、ICTのよさを感じることができませんでした。

遠隔地とのネットでのテレビ会議の実践はしっかりしたものだったのですが、そこで言われるポイントは、「事前の準備や相手との関係づくり」「活性化するための仕掛け」と、テレビ会議の教育での活用がはじまったころと同じです。その通りなのですが、何が進歩したのかがわかりません。ICT環境が安定し、活用できる範囲が広がったということだけなのでしょうか。

子どものノートを机間指導する代わりに、タブレットに書かれたものをネット越しに見てコメント、アドバイスを書き込む実践は目新しいように見えます。優れた授業者は素早く全員を机間指導できますが、経験の少ない教師には難しいものです。これなら座ったままで効率的にアドバイスできるように見えます。しかし、直接顔を合わせて指導せずに、しかもリアルタイムに文書や図でアドバイスをするので、高いコメント力が求められます。チラリと見せていただいたコメントは、???と思うものでした。これも昔から言われていることですが、ICTがある面をカバーしてくれるからこそ、より高い授業力が求められるのです。授業者の実力をよりはっきりと映し出します。

学校内での閉じたSNSを使った実践には、興味をひかれました。算数のまとめをSNSに書き込むことで、途中で友だちの考えを見ることができます。子どもたちのまとめが収束していくというのです。逆に社会の実践では、気づいたことを書き込むことで子どもの考えが多様に広がったと言います。ノートやワークシートに書くのと同じですが、作業中に他者の考えに触れることができるので、書き終った後に聞くのと違ってすぐに自分の作業に反映できるのです。かつて、掲示板にリアルタイムで意見を書き込む実践がありました。それと同じと言えば同じなのですが、そこで起こっていることの整理の視点は参考になりました。この実践でも、収束した後、多様に広がった後にどう授業を進めていくのかという授業力が問われるという点では同じです。

今回の実践発表を聞かせていただいて、学校のICT環境が充実し、使いやすいソフトが出てきたことはよくわかりました。しかし、それを活用して子どもにどんな力がつくのか、つけることができるのか、そのためのポイントは何かという視点では、新しい知見を得ることができませんでした。ICTの活用といっても、昔から言われるように教師の授業力がなければどうにもならないのでしょうか。ICTを活用することで、授業者にかかわらず子どもたちにある種の力が自然につくといったことは考えられないのでしょうか。ICTの活用で教師に求められる力の一部が不要になり、教師はより高度なことに専念するといった図は描けないのでしょうか。
教育におけるICT活用の将来像が混とんとしたものに感じてしまいました。

文部科学省の関係者のお話は、ICTに限らず、これからの学校教育の方向性についてのものでした。これからの人材には、人工知能には答えられない問題に解答を出させることが求められるというお話は、確かになるほどとうなずけます。しかし、そうはいってもすべての人がそうなれるわけではありません。ある意味それは国家戦略の視点になります。学校教育は社会の要請ですから、そのことを否定はしませんが、現実に目の前にいる子どもたち一人ひとりのことを考えると、どこまでのことを求めればいいのかちょっと悩んでしまいます。OECDの調査で日本の子どもたちの学ぶ意欲が低いことと合わせて、学校で子どもたちに基本的に身につけさせるべきものは何なのか、改めて考えさせられました。

盛りだくさんなイベントで、いろいろなことについて考えることができました。よい時間を過ごすことができました。

ICT教育のイベントでプログラミング教育について考える

先月末に開かれた、業界団体主催のICT教育に関するイベントに参加しました。

午前中は、今回のイベントの中心となる企業による、これからの時代に求められる人材像とそれに対応する教育の話でした。生きる力に関連してICTを利活用した教育が必要とされているということは、その通りだと思います。続いて、「ICTの発達によってこれから求められる人材は理数系となってくる。その中でも情報技術者が大量に必要とされる。だから、これからは情報教育やプログラミング教育が重視される。初中等教育からプログラミング教育を導入することも視野に入れる必要がある」ということが言われましたが、これについては少々疑問を感じました。テクノロジーを進化させる人材が必要なのはわかりますが、それはマスでの情報教育の中から生まれてくるものだとは思えないのです。大量の技術者といっても、一昔前の工場労働者と同じ位置づけになるのではないでしょうか。たしかに短期的には必要なのかもしれませんが、それがいつまで続くのかは少々疑問です。人工知能が発達して、そういう仕事が一気に無くなることも十分考えられると思います。
現代の家庭電気製品は高度な技術によってつくられていますが、それを活用するのに必要な知識は私が子どもの頃よりはるかに少なくなっているように思います。同じように、日常の仕事でコンピュータを活用するために必要な知識や技術は、この40年ではるかに少なくなっています。もちろん、これからの社会で生活する上で情報教育は欠かせないことは間違いありませんが、それほど高度で、専門的なものが必要かどうかは疑問です。特に、小中学校や高等学校でプログラミング教育をしたからといって、それが活きるのはどういう場面なのかがよくわかりません。多くの子どもにとってコンピュータが動く仕組みの一部としてプログラミングを学ぶ程度で十分だと思います。
プログラミングで論理を学べるということを言われますが、これについても疑問です。そういう面も確かにあるとは思うのですが、プログラミングで身につく論理的な思考力はごく一部のように思うのです。私自身、かつて多くのプログラミング言語に触れ、実際にコーディングもしていましたが、それほど大した論理力が必要だと感じたことはありません。それまでの学習で身についた論理的な思考力で軽々と対処できるものです。論理的な思考力は、多くの教科や分野(国語や社会科の文型と言われる分野も含めて)で培うべきものだと思います。基礎的な論理力があれば、プログラミングはほんの短期間で身につくはずです。
社会の状況や仕事に求められるものが変わっても対処できる、より基礎的で汎用的な力をつけることが、これからの初中等教育では求められるべきだと思います。専門的なことは、高等教育以降に個人の意思で選択して学習すればよいのではないでしょうか。

現実に、情報技術者が不足している。その状況に対処しなければいけないということもよくわかりますが、それに特化したような教育を初中等教育に組み込むというのは今一つ納得がいきませんでした。子どもたちの選択肢の一つとして、高等教育以降に組み込むべきだと思います。子どもたちが選択しようとした時に必要となる基礎的な力を初中等教育できちんと身につけさせることが大切だと思います。

午後の部は、実践発表でした。ここでもいろいろなことを考えさせられました。これについては、明日の日記で。

「愛される学校づくりフォーラム2016 in東京」の申込み開始

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「愛される学校づくりフォーラム2016 in東京」の申込みが開始されました。「愛される学校づくり研究会」の公開研究会として、会員が4つの視点から「愛される学校のつくり方」の提案と協議を行う午前の部と、「楽しく、手軽に授業改善」するための方法について、模擬授業をもとに考える午後の部の2本立てです。

午前の部は、
「授業の見方」を高めるには
若手教師の力量を高めるには
「チーム学校」が機能するには
授業における「真のICT 活用」とは
の4つの視点で会員の代表が発表し、それをもとに会員が協議を行います。日ごろから歯に衣着せぬ発言が飛び交う研究会です。エキサイティングな話し合いになるとことと思います。

午後の部は、2名の授業者による算数、道徳のミニ提案模擬授業を、ICTを活用して授業検討を行います。毎年提案授業を楽しみにしていただいていますが、授業検討の様子もきっと皆さんの参考になると思います。ICTの活用も見どころですが、それ以上に一つの授業からどんなことが学べるのか、私たち研究会員の授業を見る視点に注目してください。
引き続き、2つの授業研究をもとに、「楽しく、手軽に授業改善」するためのポイントについて、授業者とコーディネーターでまとめます。皆さんの授業改善にきっと役立つことと思います。

なお、昨年度、一昨年度とも申込み締め切り前に定員となりました。お早目の申込みをお勧めします。

日 時  平成28年2月6日(土) 10:00〜16:30(受付開始 9:30)
会 場  東京コンファレンスセンター・品川
(※JR品川駅港南口(東口)より徒歩2分)
参加費  1人 3,000円

なお、入場券を事前に申し込んだ方には、「EDUCOM教育フェア2016」の招待券が届きます。この招待券は、当日昼食券と引き換えができます。

詳しい案内と、申込みについては、愛される学校づくり研究会のHPフォーラムのコーナーをご覧ください。

授業改善への意欲を感じた授業研究

私立の中高等学校で授業研究に参加してきました。午前中は先生方と一緒に授業参観をさせていただきました。

今回面白く感じたのが、高校では一般のコースと比べて、受験を意識したコースの子どもたちの方が自分たちで考えて学習することに対して消極的に見えることです。受験を意識して知識中心の授業になりがちなこともありますが、先生の与える正解を欲しているのです。そのため、自分の考えがあっても自分からなかなか発言しようとはしません。授業者が示す正解と違えば、その考えを捨ててすぐに置き換えてしまうように見えます。
センター試験が廃止されるまでは現行の制度が継続しますが、その間にも試験の内容が変化するという話も聞きます。また、彼らが社会に出た時には、マニュアル的な仕事は確実に減り、自分で考え、他者とかかわりながら新しい価値を創造するような仕事の比重が高くなっていると思われます。彼らの姿勢を変えることを意識して授業をすることが求められると思います。

また、先生方と話していて、この学校の子どもたちの力を少し低く見ていると感じることがありました。彼らに考える力や協同的に学ぶ力をつけても、創造的な仕事に就けないのではないかと心配をしているのです。確かに、今の受験制度の中で高いパフォーマンスを発揮する子どもは少ないかもしれません。しかし、彼らが学ぶことを楽しいと思うことができれば、潜在的な力が発揮されていくと思います。大学受験までにその成果は出ないかもしれません。しかし、大学受験がゴールではありません。そこから先を生きる力を中学高等学校でつけることができれば、きっと自分たちで道を切り開いていくと思います。授業が変われば、彼らは間違いなく今まで以上のパフォーマンスを発揮すると思います。
実際に授業を参観していると、彼らの学ぶ意欲を感じる場面にたくさん出会えるようになってきました。そういった彼らの姿から、その可能性を感じていただけたことと思います。

授業研究は若手を授業者として同時にいくつか行われました。残念ながら4つの授業をしか見ることができませんでした。共通して感じたのは、皆さん自分なりの提案があったことです。授業を改善しようという前向きな気持ちを感じました。

高校2年生の英語の授業は、長文読解をグループで行っていました。
授業者のこれまでのスタイルとは違ったやり方に挑戦していたことをうれしく思いました。読み取りのキーワードなどを授業者が提示しましたが、こういった場面では子どもたちから言葉をもっと引き出したいところです。また、動きが止まっているグループに対して直接説明をしている場面がありましたが、課題を共有させて子ども同士のかかわり合いを引き出させることを意識してほしいと思いました。子どもたちに考える力をつけるためには、子どもたちのかかわり方やグループの活かし方を意識する必要があります。
この授業の検討会に参加したのですが、グループ間の格差ができた場合どうすればいいのかといった、こういった授業に挑戦した時にぶつかる疑問が話題になりました。自分で挑戦してみて、初めて課題として意識できます。私からは、一部のグループの動きが止まった時は、いったん活動を止めて、子どもたちが困っていることを共有することを伝えました。これをきっかけにして、一歩ずつ課題を克服していってほしいと思います。どのようなスタイルの授業をつくっていくのかとても楽しみです。

高校1年生の物理の授業は、エネルギーの保存でした。
授業者は子どもとの関係を上手くつくることができてきていると思いました。柔らかい表情や子どもたちを受容的に見ることが意識できています。理科では実験がとても大切ですが、時間の関係や器具の問題で必要な実験をすべてやってみることはできません。しかし、今はインターネット上に利用できる動画がたくさんあります。今回はそういったものをうまく活用しようとしていました。こういった試みはとても大切です。
レールの両端を持ち上げたものの上で球を転がす実験です。球が行ったり来たりするのを見せてから、子どもたちに、レールの場所ごとで、球の運動エネルギーと位置エネルギーがどうなっているのか考えさせます。子どもたちは授業者の指示に従って作業を始めるのですが、どういう意味を持つのかはよくわかっていません。そのため、具体的に何をすればいいかわからなくなってしまいました。どうするのかと思っていると、子どもたちはまわりに確認していました。友だちに気軽に聞けるよい雰囲気です。
ここでは、子どもたちに何が課題となっているのかを意識させる必要があります。動画を途中で止めながら、「この後、球はどうなる?」と聞いたり、「球が持っているエネルギーはどこが一番多い?」と問いかけたりすることで、課題意識を持たせたいところです。また、「球がレールの上で静止した時に、力を加えるとどうなる?」といったことを聞いたりすれば、エネルギーの保存の意味がより明確になるかもしれません。
課題を子どもたちのものにするための工夫を意識してほしいと思いました。

高校1年生の現代社会の授業は、国民の権利を考える場面でした。
授業の最初に簡単な復習の小テストを行っていました。小テスト自体は悪いことではないのですが、この授業の内容に直接かかわることではありませんでした。授業の最初は子どもたちの集中が一番高い時ですから、できればこの日の課題につながることを行うようにしたいと思います。
この日はGHQが新憲法の啓蒙のためにつくったポスターを資料として考えさせます。「GHQ」「新憲法」「啓蒙」という言葉を確認しないまま授業が進んでいきました。高校生だから大丈夫かもしれませんが、ここがよくわからないままポスターを見ても理解が進みません。子どもたちとやりとりしながら、しっかりと押さえておく必要があったと思います。
ポスターから子どもたちが気づいたことを聞くのですが、最後はスクリーンにワークシートの穴埋めの答を表示して、授業者が解説しました。子どもたちはどうしても穴埋めを優先しますので、授業者の解説もしっかりとは聞いていませんでした。
まとめは、穴埋めではなく子どもたち自身の言葉で書かせたいところです。子どもからキーワードを出すためにどのような活動をするのか、子どもの考えをどう共有するのかといったことを意識してほしいと思います。

中学1年生の数学の授業は円錐の表面積を考える授業でした。
まだ幼さが残る子どもたちです。落ち着かない子どもは思ったことをすぐに口に出します。授業者はそういった子どもに少しかかわりすぎのように感じました。一部の子どもとのやり取りで授業が進んでいきますが、出てきた考えを全体で共有する場面がありませんでした。子どもが先生に向かってしゃべったことを、「今いいこと言ってくれたね。みんな○○さんの考えを聞こう」と全体に向かって言わせるようにするとよいでしょう。こうすることで、不規則な発言をきちんと授業の舞台にのせることができます。
円錐の表面積を考えるのに、側面が扇形になることを押さえる必要があります。授業者は円錐の模型も準備して、感覚的にわかりやすく説明しますが、ここは子どもたちにきちんと扇形になる理由を理解させる必要があります。もとになる円の定義と、円錐の母線の定義を確認し、直円錐の母線の長さが常に一定となること押さえて、そこを根拠に側面の展開図が扇形になることを納得させるのです。
扇形の面積を求めるには、扇形の面積、中心角、扇形の弧の長さの関係をきちんと押さえておく必要があります。前の単元で学習した「比例」の復習にもなりますし、高等学校で学ぶ弧度法の布石にもなります。解き方を教えるのではなく、考え方を身につけさせることが大切にしてほしいと思います。

検討会終了後、授業を見せていただいた先生方が個別にアドバイスを聞きに来てくれました。工夫をして授業に臨んだからこそ、話が聞きたかったのだと思います。こういう前向きな姿勢が、授業力向上に欠かせません。これからの成長が楽しみです。
授業改善や新しい授業スタイルに挑戦することに前向きな先生が増えてきたように感じます。この波が大きなうねりとなってくれることを期待します。

学校が安定してきているのを感じる

中学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は初任者の授業研究と学校全体の様子を見ることを中心にしました。

3年生は、さすがによい状態で授業に臨んでいます。授業者や授業の内容によらず集中して参加していました。細かい問題はあるかもしれませんが、よい状態で3年間を締めくくることができると思います。
2年生は、前回と比べると子どもたちの様子のブレが少なくなっているように感じました。先生方が、子どもたちにどうなってほしいのかを意識しているのかもしれません。おそらく学年の先生方が共通して子どもたち働きかけていることがあると思います。学年のチームワークのよさを感じました。
チームワークという点では、1年生も素晴らしいものがあります。テンションの上がりやすかった学級も、今ではそんな時期があったことが嘘のように、規律のある学級になっています。若手の担任を他の先生方が上手くフォローしていることがよくわかります。この学級のことだけでなく、要所要所でベテランの知恵が学年の経営によい形で反映されています。若い先生が確実に成長していくと思います。
ただ、この学校は規模が大きいので、3つの学年がそれぞれ別の学校のように見える時もあります。学年間の情報交換や、学校としてのチームワークをどうしていくのかは、これからの課題でしょう。この日は、2年生の学年主任と1年生の学年主任が一緒に私と授業を参観しました。他の学年のよさや課題を知ることができ、いろいろなことを学べたのではないかと思います。こういった機会を持つことが、学校としてのチームワークにつながっていくのではないでしょうか。

この日は、ベテランの英語の先生から授業導入部分を見てほしいと声をかけていただきました。今年度異動して来られた方ですが、積極的に授業を改善しようと毎回工夫をされています。今回は間接疑問文の導入を”situation”ベースで、子どもたちに考えさせようというものでした。T2と英語だけで、”What time is it?” “I don’t know what time it is.”といったやり取りをします。子どもたちはとても集中して聞いています。続いて、”situation”を与えて子どもたちに言わせます。なかなか言葉は出てきませんが、根気よく繰り返しながら言えるようにしていきます。子どもたちは、絞り出すようにして言葉にします。一生懸命考えていることがよくわかります。ただ、”situation”が大きく変わり、扱う文の”contrast”が大きすぎるのが気になります。疑問詞が次々に変わり、動詞の部分も変わります。子どもたちにとって違いが大きすぎて、共通のルールを見つけにくくなってしまうのです。
“situation”の工夫としては、まず”What time is it?”をしっかりと復習してから始めるとよいでしょう。”What time is it?”に対して、時計を見て”It is ○○.”と答える。もう一度、”What time is it?”と聞かれて、今度は時計を振って”Oh, my watch is broken.” “My watch doesn’t work.”と時計が壊れたことを示して、”I don’t know what time it is.”とすれば、わかりやすいと思います。手に何を持っているかといった”what”を使ったもので練習をして、それから他の疑問詞に移るとよいでしょう。
全体で言わせるだけでなく、個人を指名して言わせることもします。これは適度な緊張感を与えるよい方法です。子どもたちは自分もまだよくわからないので、友だちの言葉を聞き洩らすまいと集中しています。とてもよい状態です。授業者は時にはT2との対話を再現して見せたりしながら、指名した子どもが答えられるまでねばります。しかし、どうしても答えられないと苦しくなってしまいます。全体を見ていると、途中でわかったという顔をする子どももいますので、こういった子どもを上手く活かすことを考えるといいでしょう。わかった子どもを指名し、続いて全体で言わせて確認する。その上で先ほどの子どもに再挑戦させるといったことをすれば、わかるようなっていきます。
こういったことをアドバイスさせていただきましたが、いつも自分の授業を改善しようと、素直にアドバイスを受け入れてくださいます。何か工夫をするからこそ、課題が見えてきます。なかなかうまくいかないと言われますが、そうではなく進歩しているからこそ次の課題が見つかっていくのです。この1年間は、挑戦の時です。この時間があってこそ、次年度以降大きく飛躍するはずです。この先生の成長が本当に楽しみです。

初任者の国語の授業研究は、3年生の古典の授業でした。奥の細道の芭蕉の旅への思いを本文から読み取る場面です。指導案は、根拠をしっかり意識したもので、板書計画も明確になっていました。ところが、授業は指導案と大きくずれます。もちろん指導案通りに進まないのは仕方がないのですが、指導案で大切にされていることが、全く意識されていないのです。残念ながらこの授業案は借り物だったということです。
「紀行文」とは何かを子どもたちに問いかけますが、すぐに自分で答を言います。教科書を黙読させますが、本文と現代語訳をどう読み分けるのかも明確ではありません。ここで、現代人にとって旅はどういうものかを問いますが、子どもたちはどのように答えていいのかわかりません。しかし、さすがは3年生です。すぐに相談したり、友だちのワークシートを見たりしています。ここで、授業者が一部の子どもとしゃべり始めると子どもたちの集中は一気に切れました。とりあえず答を書いてすることがなくなったところへ、授業者がよそでしゃべりだしたからです。
子どもを指名すると、「お金がかかる」「楽しみ」「わくわく」と言った答えが出てきますが、結局最後は授業者がまとめます。そのまとめも、江戸時代の旅と比較するための視点が明確になっていません。できれば子どもの答に対して切り返すことで、「時間」「安全」といった視点を意識させたいところでした。
「芭蕉の旅に対する思いを知る」という課題で、ワークシートに作業をさせます。本文を根拠にして書かせるはずですが、この押さえが弱いために気持ちだけをかいている子どもが目立ちます。思いを知るためには本文のどんなことに注目するのかを事前に確認しておきたいところでした。5分もしないうちに子どもたちの手が止まります。とりあえず一つは書き終って、もうすることがないのです。しかし、授業者はその状態にお構いなしでぶらぶらと机間指導をしています。子どもたちの状況を把握して次の手を打とうという意識がないのです。
グループをつくり、小型のホワイトボードを渡して発表の準備をさせます。国語で使うのは初めてのようですが、他の教科でも使っているからか子どもたちは手慣れていました。しかし、グループで何を共有して、何を発表するのか明確に指示されていないため、単に自分が考えた芭蕉の旅への思いを言い合うだけです。次第にテンションが上がってきます。ホワイトボードには本文は書かれていません。根拠が意識されていないために、考えが深まる場面がないのです。
グループごとに発表をしていきます。「命にかかわる」という言葉に、聞いていた子どもたちが一瞬集中しました。よい場面ですが、授業者はスルーしてしまいます。本文のどこでそう思ったかを発表者に聞くことで、ねらいに迫っていけるところです。「もったいない」の一言でした。発表して拍手で終わるだけです。「早く旅したい気持ち」について、どこから思ったかを子どもたちに問いますが、一人指名して終わってしまいます。子どもが指摘した文を全体で共有して、そこからわかるのはどんな思いかを考えさせたいところです。
気になったのが、子どもたちが「古人も多く旅に死せるあり」で、「古人」を単に昔の人としか認識していなかったことです。芭蕉が李白や杜甫といった偉大な詩人のことを意識していることがわかっていません。この理由は授業検討会で明らかになります。
結局、授業者が本文と結び付けることなく、話の流れからざっくりと説明して、「強い旅への思い」とまとめて板書して終わりました。子どもたちは、それを素早く写します。芭蕉の強い旅への思いはどういうものなのかを具体的する授業のはずでしたが、まったく逆になってしまいました。
ほとんどの子どもたちはワークシートの振り返りの「読み取れた」に○をつけていました。「読み取る」ということがわかっていません。日ごろの授業で、「ああ、そういうことか」と納得する、わかる経験を積んでいないので、この程度で読み取れたと思ってしまうのでしょう。

授業検討会で、指導案ではこの授業は3/6となっていたが、前時までにどのような活動をしたのかが問われました。驚いたことに、この日が奥の細道の第1時間目だったというのです。予定通り進まなかったので、いきなり本文を黙読するだけでこの日の課題に取り組ませたというわけです。子どもたちは、よく頑張っていたということです。たとえ授業研究で予定されている内容でも、それが無理ならば変えればいいのです。しかもこれは校内の国語科を中心とするものです。国語科の先生方に、一言了解をとれば済むことです。今回の授業の指導案も、先輩がかなり助けてくれたことは想像に難くありません。この指導案で行わなければという気持ちもわかりますが、子どもたちを一番に考えることができていないことが残念でした。今回の失敗を、教師として何が一番大切かを見直すよい機会としてほしいと思います。
こういった事情がありましたが、先輩たちからは授業者を育てたいという思いを感じることができました。また、この授業をきっかけとして、自分たちも学ぼうという姿勢が見られます。学校の中に授業を改善するサイクルができつつあるように思います。
私からは、古典を学ぶ意義を子どもたちに是非伝えてほしいと伝えました。「先人たちと、古典を通じて交流し、当時のありようを理解すること」、そして、そのことを通じて「私たちの文化のルーツを知ること」を意識して、授業を組み立てほしいと思います。

私がこの学校にかかわらせていただいて7年ほど経ちました。その頃からいらっしゃる先生も、ほんの数人になってしまいました。初めておじゃました時に、「この学校に新しい伝統をつくりたい」と校長からその思いを聞かせていただいたことを思いだします。この間、いろいろな変化がありました。今まで築いてきたものが崩れていくことを心配した時期もありました。毎年入学してくる子どもたちは色々ですが、この学校で3年間を過ごすと、笑顔で授業を受けてくれる子どもに育ってくれます。この学校に新しい伝統ができてきたように思います。来年のことはわかりませんが、この学校での私の役割も終わりに近づいているのかもしれません。

そのありようを見直す時期が来たように思ったフェスティバル

先日、学校評議員をさせていただいている中学校で行われた「地域ふれあい学びフェスティバル」を見学してきました。このフェスティバルを見学するのも12年目です。訪れるたびに、いろいろな変化を感じます。

今年一番感じたのは、子どもたちの表情や雰囲気の変化です。子どもたちは「与えられた」自分の役割を果たしています。しかし、それは傍から見ていると作業をただこなしているように見えるのです。以前に感じた、「自分たちの仕事だ」「お客様をもてなそう」といったエネルギーを感じないのです。表情も乏しいように思います。積極的にこのフェスティバルにかかわっているように見えないのです。子ども時代に強制的に校区のゴミ拾いをやらされた時のことをふと思い出しました。
一緒に活動している地域の方も、子どもたちのサポートに回るというよりも、子どもたちの代わりに前面に出なければいけなくなっているように感じました。地域の方と子どもとのコミュニケーションも弱くなっているように見えました。

どうも子どもたちの当事者意識が弱くなっているように思います。子どもたちの希望者と地域との共催から、学校行事として全員参加に変わってかなりの時間が経ちました。地域が一歩引いた形になったのですが、学校の先生の中にも当事者意識が感じられない方が目に付きます。子どもたちと同じように自分に割り当てられた仕事をこなしているだけに見えるのです。先生方がこのフェスティバルの教育的な意義や目的を意識していないように感じます。地域の方も、自分たちの立ち位置が見えなくなっているように思います。
フェスティバルは無事に運営され、来客者も楽しんでいただけていますが、その主体がどこにあるのかよくわからなくなってきているように思うのです。ただ、お店や展示があって人が集まっている。その核となるのは何なのか、このフェスティバルを通じてかかわる人がどうありたいのか、どうなってほしいのかが伝わってこないのです。

時が経ち、子どもたちも先生方も変化しています。このフェスティバルの存在そのものを根本的に見直すべき時が来たのではないかと思います。学校と地域が、子どもたちを育てるという視点で、フェスティバルは「どうあるべきか?」「どうしたいのか?」をゼロベースで話し合うべき時が来たように思います。
以前のような、時にはぶつかりながらも子どもたちと地域が一つのものをつくっていくエネルギーを感じたいと思うのは、年寄りの感傷なのでしょうか?

教師力アップセミナーで小笠原先生のファンになる

本年度第6回の教師力アップセミナーは中部大学准教授の小笠原豊先生の「子どもが夢中になる理科の授業」と題した講演でした。

スタートから小笠原ワールド全開です。現役小学校校長時代のエピソードに、思わず跳びあがってしまいました。小学校の修学旅行で神主に化けて子どもたちを出迎えたり、また別の年は舞子さんに扮して子どもたちを驚かせたりと、その時の子どもたちの驚きの表情が目に浮かびます。子どもたちと撮った記念写真をフレームに入れて、修学旅行から帰った時に全員に配ったそうです。子どもたちは、家族にその写真を見せながら、修学旅行の思い出を一生懸命に話したことでしょう。単なるパフォーマンスではなく、子どもたちに一生残る思い出をつくってあげたいという、小笠原先生の強い思いを感じます。
実は小笠原先生とは、先生が中学校の校長時代に一度お会いしています。その時は、まさかこんなパフォーマンスをする方だとは知りませんでしたが、ちょっと型破りで、とても懐の深い方だと印象に残っていました。今回の再会で、一気に先生のファンになってしまいました。

小笠原流「子どもが夢中になる授業」を実演しながら解説されます。その一番のポイントは、子どもに「あっ」「えっ」「わっ」と声を出させ、「何で?」「どうして?」と疑問や問題意識を持たせて、「やりたい!」と達成欲求を持たせることです。そのために、同じものを見せるにしても演出や仕掛けが大切です。特に小笠原先生は、「演出」(先生の言うところの「小芝居」)が素晴らしいので、大人でも引き込まれてしまいます。しかし、いくらパフォーマンスが素晴らしくても、理科として大切なところに子どもたちの興味を引き付ける仕掛けがなければ話になりません。単なるおもしろ実験をしただけでは、子どもたちにこれからの社会を生き抜くための資質・能力が身につくわけでもありません。その点、小笠原先生は、子どもたちが身につけるべき力を意識した単元構成をしっかりされています。

理科の探求学習の「ある科学的な知識を獲得するための探求(概念獲得型)」「ある科学的な概念を獲得するための探求(概念活用型)」という2つの分類を元に、小学校と中学校での探求学習の視点を整理されます。小学校では獲得する概念が少なく、活用するほどの知識・技能が乏しいので「概念獲得型」が、中学校では学習塾などで既習の子どももいることや、知識・技能が増えて深い追究が可能になっていることから、学びの有用性が時間できるような「概念活用型」が適しているということです。こういう視点を持つことで、理科の授業の構成がしやすくなると思いました。
この視点からすれば、小学校では単元の導入で子どもたちに強い問題意識や達成意欲を持たせる「仕掛け」が、中学校では、子どもたちにとって「リアリティのある課題」が大切になります。小笠原先生が実演・紹介された事例は、どれもその点でなるほどと納得させられるものでした。
具体的な例は先生の著書「mini 探求学習 RECIPES」を参考にしていただけたらと思います。

講演終了後も小笠原先生からたくさんの興味深いお話を聞かせていただきました。セミナーの運営にかかわっているものの特権です。その中に、こんなお話がありました。
あるところで講演の際、先ほどの「mini 探求学習 RECIPES」を販売したそうです。興味を持たれた先生が手に取ってパラパラめくっていたのですが、「これでは使えない。トークは書いていないんですか?」と聞かれたそうです。この本には、単なるネタではなく、学習のねらいやポイント、展開例もついています。授業をするために必要な情報は詰まっています。トークの部分は、それぞれ先生の個性で考えるべきものです。小笠原先生と同じトークをしても、キャラクターが違いますから上手くいくとは限りません。そこすら自分で考えられないのかと思うと、ちょっと驚いてしまいました。
かつて、若手も交えた勉強会で理科の実験の授業ビデオを見た時のことを思いだしました。小笠原先生と同じく、「しゃべり」が上手く、「小芝居」で子どもを引き付ける方の授業です。どこで心が動いたかを聞いたところ、ベテランは子どもの発言に対する受けや返し、つなぎの部分に集中したのですが、若手はその「しゃべり」や「小芝居」のところにひかれました。授業の本質よりも、話し方や演出といったパフォーマンスに目が行くようです。
授業で大切なことを伝える難しさを改めて感じさせられる話でした。

小笠原先生からとても多くのことを学ばせていただきました。素晴らしい先生と出会えたことに感謝です。

学級会も、大切なポイントは普通の授業と同じ

昨日の日記の続きです。

学級会の授業研究は、若手の2年生担任の学級で行われました。
子どもたちはとてもよい表情で、いい雰囲気の学級です。担任と子どもたちの人間関係がよいことがわかります。
「最高のクラスに向かって」という学級の掲げるテーマを確認して、この日の目標を「一人1回は意見を言う」と設定しました。この目標は悪いことではありませんが、この学級会自体の目標が明確ではありません。学級会を開きたかったのは担任なのでしょうか、それとも子どもたちだったのでしょうか。担任に確認したところ、「最近子どもたちが少し緩んできていると感じたので、子どもたちにもう一度自分たちの行動を考えてほしいと思った」とのことでした。担任の口から説教するのではなく、子どもたち自身で考えてほしいと思い、学級会の形を取ったのでしょう。であれば、子どもたちにもっと学級をよくしたいという気持ちを持たせる場面が必要になります。

最初に、学級のよくなったところを子どもたちに発表させます。よくないことを言わせるのではなく、よいことを言わせるという発想はなかなかです。「悪いところを直しましょう」ではなく、よいところを確認して、「もっとよくするためにどうするとよいかを考えましょう」という展開です。
子どもたちを指名して答えさせます。「3分前着席。三役以外が声かけしている」「どんな行事でも全力で取り組める」「明るい」「切り替えができる」と子どもたちから出てきますが、一つひとつを学級全体に確認しません。すぐに「他にあります?」と進めますが、ここは全員で自分たちのよいところを共有したいところでした。
続いて、「学級のよいところを元に、素敵なキャッチフレーズをつくろう」という課題を提示します。4人グループで相談して一つに決めて発表させます。これはちょっと唐突です。何のためにキャッチフレーズをつくるのかが明確でないのです。担任としては、なかなか発言できない子どもに機会を与えたかったようですが、目標が明確でないため、思いつきで発言します。子どもたちのテンションは上がっていきました。楽しそうにグループで考えたキャッチフレーズを発表していましたので、雰囲気づくりには役に立ったようには思います。

ここで、「今回は、いいところをさらによくするための学級会をします」と子どもにバトンタッチをして学級会が始まりました。「さらによくする」必然性が見えてきません。学級のテーマである「最高のクラス」というキーワードを元に、必然性を持たせる必要があったと思います。4月当初に「最高のクラス」とはどのようなものか具体的にしているはずですから、その確認をして、「いいところをたくさん言ってくれたけれど、最高のクラスになったかな?」と子どもたちに問いかけて、もう一息であることを気づかせてから、学級会に移るとよかったと思います。

司会の子どもたちが、今よりも最高のクラスに近づけるように挨拶、掃除、仲間の3つのテーマについて話し合っていくことを伝えます。最初に最高の挨拶をするために普段から心がけていることをワークシートに書いて発表をします。担任は机間指導をしながらよい意見に○つけや朱書きをして発表しやすいように支援します。ここで気になるのは、子どもたちが考えて発表するのが「今やっていること」ということです。これは一つ間違えるとやっていない子どもに「同じようにやりなさい」と強制することにつながります。そうなると、学級が息苦しくなる子どもが出てくる可能性があります。
子どもたちは自分の心がけていることを理由も含めて発表します。「教室移動の時にすれ違った先生に挨拶をする。理由はそうするとまわりの人も挨拶するから」「相手よりも先に挨拶をする。相手の挨拶をしたい心を揺さぶるから」……といった、他者への影響を意識している発言がいくつか出てきます。中に、「友だちと挨拶の声の大きさを競うのがいいと思います」という発言がありました。これはもう、自分のやっていることではなく、学級のみんなへの提案です。一人ひとりが個人としてやっていることを聞きあって、自分もやろうと思ってもらう場面なのか、学級全体として何かをやろうとしているのかがはっきりしません。また、とても素晴らしいことをいう子どもがいると、ささやかなことだと言いづらくなってしまいます。特定の子どもに発言が偏りだしました。ところが、仲間に対しての発表ではちょっと様子が違っていました。先ほどまでと違った子どもたちが挙手します。担任が積極的に声をかけ朱書きをしたこともあるのでしょうが、仲間に関することは挨拶や掃除と違って、自分が意識していることを言いやすかったように思います。「ありがとうを言うようにしている」「相手に悪いことをしたらすぐにあやまる」「たくさんしゃべる」といった、飾らない言葉がたくさん出てきました。

担任は、子どもたちの発表の様子を教室の隅から見守っています。発表者に向かって笑顔でうなずいて、子どもの発表を後押します。こういったところに、この学級の子どもたちと担任の関係のよい理由があるように思いました。

最後に子どもたちから出てきた、日ごろ心がけていることの中から、学級として心がけることを一つずつ多数決で決めます。「相手よりも先に挨拶する」「責任を持って掃除をする」「自分から積極的に仲間と話す」に決まりました。
最後は多数決で決定しましたが、それでよかったのか疑問が残ります。自分が心がけていることを紹介したのであって、必ずしもそれをみんなにやってほしいと思って発表したわけではありません。一つひとつの活動が微妙にずれているように思います。明日からの子どもたちの行動を変えさせたいのであれば、学級で取り組むことを決めることよりも、友だちの発表を聞いて自分にやれそうなことを一つでもいいから実際に実行することの方が、意味があるようにも思います。多数決ではなく、自分が明日からやれそうなことを宣言するといった終わり方もあったと思います。

こうして学級会を見せていただいて思うのは、例え子どもが司会するのであっても、大切なポイントは普通の授業と変わらないということです。授業者が学級会を通じて子どもにどうなってほしいのか意識して、子どもたちのゴールを設定し、活動を組み立てる必要があります。活動のゴールや目標を明確にし、見通しを持たせることができれば、例え子どもが司会をするのであっても、話し合いが成立すると思います。この研究授業を通じて、大切なことを学ぶことができました。

授業検討会では、担任の支援やテーマ、授業の進め方についてしっかりとグループで話がされました。先生方が子どもたちの様子をよく見ていると思いました。
私からはこの授業についてのコメントの他に、昨日の日記にも書いたように、子どもたちが落ち着いて授業に参加できるようになったからこそ、次の段階に向かって授業を工夫してほしいことを伝えました。

この日は、懇親会にも招待していただきました。多くの先生方から授業についての質問や相談、そして子どもたちの様子についての報告をいただきました。先生方が自分の授業をよくしたいと強く思っていることが伝わってきます。先生方の前向きなエネルギーに触れて、たくさんの元気をいただきました。このような機会をいただきうれしく思います。ありがとうございました。

子どもとの人間関係ができたからこそ、次のステップを目指してほしい

中学校の現職教育で講師を務めました。今回の授業研究は特別活動の「学級会」でした。学級会での授業研究は私も初めての経験でとても楽しみでした。
授業研究に先立ち全体の様子を参観させていただきました。手の空いている先生方も同行してくれます。気軽に互いの授業を見あうことができるのはとてもよいことです。子どもたちの様子を中心に、今教室がどのような状態なのか説明させていただきました。

全体として子どもたちは落ち着いています。基本的に先生方との人間関係も良好です。一方的な授業をしても、子どもたちはちゃんと指示に従い作業をします。ただ活動しているだけで、どんな力がついているのかよくわからない授業も目にします。しかし、子どもたちの状態がよいため、授業が成立していると思っているようです。もちろん、子どもたちが考え、活動するような場面をつくっている授業もあります。そのような授業では子どもたちはとてもよい姿を見せてくれますが、人事異動等の影響もあり、残念ながら絶対的に少なくなっていることが現状です。学校全体で、子どもたちが主体的に取り組む授業を目指してほしいと思います。
具体的には、「課題を先生が一方的に提示するのではなく、子どもたちが疑問を持つような場面をつくる」「わからない子どもがわかるようになる活動場面をつくる」「全員参加を心がける」「授業で大切なことを子どもたちに言わせるようにする」といったことを意識して、授業を組み立てることです。特に1時間の授業で、子どもたちがわかるようになるためには、どのような問いかけをして、どのような活動をすればいいのかを工夫してほしいと思います。
例えば、音楽でソナタ形式の説明の場面がありました。授業者は同じ「形」が出てくると説明しましたが、「形」という言葉ではそれがどのようなことを意味するのかよくわかりません。「形」をわからせるために、楽譜をいくつかのブロックに分けて、似た形を探させるといった活動をすることが必要です。Aとその一部が異なるA’を重ねて見せたりすると音符がつくる形が似ていることに気づくと思います。それを演奏することで、視覚的な理解が聴覚での理解へと進んでいくはずです。一つの例ですが、こういったことを考えてほしいのです。
また、黒板には答や結論、まとめだけが書かれていることが多く、思考の過程や根拠が残されていません。答だけを発表させて、課程や根拠を問わない、共有しない授業も目にします。わからない子どもはただ答を受け入れるしかありません。
例えば英語のQ&Aでは、聞き取れなかった子どもは、友だちの正解を聞いても「そうなの」と思うだけで、できるようにはなりません。できるようになるためには「質問の英語を聞き取ること」「その意味がわかること」「質問の答えを考えること」といくつかの課程があります。それを意識して授業を組み立てる必要があります。いきなり答を聞くのではなく、「どんな言葉が聞き取れた?」「どんな文があった?」と問いかけ、その上で再度聞かせることで今まで聞き取れなかった言葉が聞き取れるようになります。こういった活動を授業の中に組み込むのです。

学年ごとの子どもたちの変化は面白いものがありました。特に驚いたのが3年生です。この学年は入学した時からその様子が気になった子どもたちでした。小学校で学級崩壊を起こしたことがあったそうです。そのためか、子どもたち全体に教師に対する不信感のようなものがあるように感じたのです。生徒指導上で苦労も多かったようですが、一部の子どもにかかわりすぎないようにし、普通の子どもたちとの関係をつくることを一番にお願いしました。学級崩壊を起こした時には、先生方は一部の子どもに手を取られて、多くの子どもたちは先生にかかわってもらうことがなかったと思われるからです。
昨年から、子どもたちと先生の関係がよくなってきました。その様子を見ていて、離れていた子どもが学級に戻ってくるようになりました。そして、この日見た3年生の様子は、どの学級も小学校のように笑顔があふれていました。先生も子どもも授業が楽しくてしょうがない。そんな風に見えました。この時期になると入試のプレッシャーで苦しい表情の子どもも目に付くのですが、こんな能天気で大丈夫かと思うくらいでした。厳しい表情で教壇に立っていた先生の姿を思い出すと、まるで別世界です。先生方と子どもたちでとてもよい学年をつくりあげることができたようです。この素晴らしい経験を学校全体に広げていってほしいと思います。この日あった懇親会の席である先生がこんなことを話してくれました。学校から離れかけていた生徒が、今年は行事があるたびに「今日は3年間で一番楽しかった!」とうれしそうにするというのです。とてもうれしい話でした。

2年生は、相対的に問題が少ない学年ですが、授業で子どもたちが受け身になる場面が目立ちました。先生方が子どもたちを信じて、もっと高いことを求めてほしいと思います。求めればそれに応えることができるはずです。学年全体で目指すところを共有して授業に臨んでほしいと思います。

1年生は、以前訪問した時に、先生と子どもの関係ができる前に子ども同士の関係ができつつあるように感じました。そこで、子どもとの関係をつくることを意識してほしいとアドバイスをしました。先生と子どもの関係はよくなっているのですが、授業中に子どもが先生に対してなれあっているように感じる場面が目立ちました。先生方は子どもの言葉をよく拾います。しかし、授業に関係のない言葉にも一々反応して、相手をしてしまっているのです。こうなると、子どもは調子に乗って不規則発言が目立つようになります。結果として、学級全体のテンションが上がり、授業規律が損なわれたり、集中力を失くしたりしてしまいます。子どもとの人間関係は悪くないので、収拾がつかないといった状況ではないのですが、活気があるというのとは違います。また、一部の女生徒などは、このテンションについていけてないことにも注意が必要です。子どもの言葉を拾い、受容するのは大切ですが、授業と関係のないことは取り上げないようにすることが必要です。けじめをつけることを意識してほしいと思いました。

この学校は、何年かかけて子どもたちと先生の人間関係をつくることができました。だからこそ、そこで止まるのではなくその先に進むことが必要です。授業を工夫すればそれにみあうだけの結果が伴う状況ができました。子どもとの人間関係がよく、授業で困らないことで満足せずに次のステップに挑戦してほしいと思います。

授業研究については、明日の日記で。

授業の構成を意識したかった道徳の授業

前回の日記の続きです。

授業研究は4年生の道徳で、勇気を出して行動することを考える授業でした。
授業の最初に勇気とは何かを子どもたちに問いかけます。子どもからは「強い心」「強い奴と対戦」といった言葉が上がってきます。授業者は「勇ましい気持ち」という言葉に対して、それはどういうことかと子どもに問い返してつないでいきました。「立ち向かうこと」「チャレンジする」といった言葉が出てきます。子どもの答は「何に対して」が抜けています。この日の授業で、ここに焦点を当てておくとこの後の展開やまとめの視点が定まったように思いました。授業者はこの後、「本当の勇気」についてこの時間考えることを伝えて、資料に向かいました。聞いていて「本当」という言葉は唐突に感じました。子どもたちから出てきたものは、本当の勇気ではなかったのかという疑問が起こります。「本当」という言葉は、ここでは必要なかったように思いました。

子どもには資料を与えず、授業者が資料を範読します。子どもたちは集中して聞いています。途中で止めて、場面を表わす絵を黒板に貼ります。子どもたちがよその家の柿を落とそうと石を投げているところに、主人公とその友だちが出くわした場面です。この時、この2人がどう思ったかをたずねます。子どもたちは友だちの発表をしっかり聞こうとしています。授業者は子どもの考えをていねいにつないで、いろいろな言葉を引き出します。「ばれなかったら……」という意見に対して、「人にあたるからダメ」といった言葉が子どもたちから返ってきます。道徳的にどうかと思われるような本音も屈託なく言えるのは、何を言っても安心な学級の雰囲気があるからです。ダメと意見を否定されても、自分は否定されないという安心感があるのです。このやり取りがあっても教室の雰囲気は悪くなりません。むしろ柔らかくなりました。
このことは、授業者が子どもの発言をしっかりと受け止めて信頼関係をつくっているだけでなく、子ども同士をつなぐことをして子ども同士の関係もしっかりとつくっているからだと思います。ただ、子どもの発言を大事にできるようになると、今度はどんな意見も等価に扱おうとするようになることが多いように思います。どの意見もていねいに扱うだけでなく、場面に応じてはテンポよく次々に指名していくといったことも必要です。道徳であれば、どの場面で子どもたちに考えることを迫るのかということです。授業者は先ほどの場面に時間をかけましたが、ここは「いけない」「おもしろそう」といった言葉を出させて、登場人物の気持ちに入り込ませるだけで十分です。もっと軽く扱ってもよかったでしょう。

この2人がこの後どうするかを問いかけてから、資料の範読に戻りました。予想させることで、次の展開を真剣に聞こうとします。よい問いかけだったと思います。
最初は一緒に石を投げるのを止めようとしていた主人公の友だちが、誘いにのって石を投げてしまいます。この時の主人公の気持ちを問いかけます。子どもの様子をよく見て、反応している子どもを指名することもできます。ただ、ここでも主人公の気持ちをあまりていねいに考える必要はなかったように思います。この資料では主人公は一人になっても止めて、結局仲間外れになってしまいます。いけないことはいけないというべきだという、道徳の時間の常識的な答を揺さぶるのですから、子どもたちの考えをここで深めることはそれほど意味がないのです。それよりも、仲間外れになったときの気持ちを考えさせることに時間を使いたいところです。

仲間外れになった主人公の気持ちから、どうすればよかったかを問いかけます。ここで授業が大きくずれ始めました。「いっしょにやるけれど、石を投げるふりをして投げない」といった、仲間外れにならない対策や、どう対処するかといったことを考えます。テンションが上がり始めました。無責任なアイデアコンテストの様相を呈してきました。
授業者は、方向をうまく修正できず、最後に「誰が、勇気がある?」と問いかけました。最初に提示した「本当」の勇気はどこかへ行ってしまいました。

一つひとつの場面を点で見ると、子どもとのやり取りも上手で、子どももよく考えています。しかし、全体としてはそれらがきちんとつながっていないので、子どもたちの変容を促すことができませんでした。どのようにして子どもたち迫るのか、授業の構成がはっきりしていないのです。
主人公に寄り添って考えさせるのであれば、「主人公は、後日別のグループの子どもが同じように石を投げているのを見たら止める?」といった、この後の行動を考えさせるとよかったと思います。子どもたちの意見はおそらく分かれると思います。その理由を聞き合うことで、子どもがより深く考えてくれると思います。その上で、じゃあ「君たちならどうする?」と子どもに迫ることで、この時間のねらいに近づけたのではないかと思いました。

授業検討会は、グループで行われました。どのグループも学級の雰囲気、授業者と子どもたちのやり取り、子どもをつなぐことなどの学ぶべき点を具体的に取り上げていました。「雰囲気がよい」といた言葉だけでなく具体的な子どもの姿で語ることができたり、どういう技術を使って子どもをつないでいるのかを具体的なやり取りをもとに示したりできています。先生方の授業を見る力があるということだけでなく、それを実践できていたり、このことを意識することで今後できるようになったりするということです。学校全体の授業力が高まりつつあるということだと思います。
道徳の授業については、どうすれば本来のねらいに近づけたかについて話し合われていました。よい視点だと思います。具体的な提案も聞くことができました。
私からは、道徳で子どもたちに考えさせるための問いかけの視点について少し説明させていただきました。「誰」「いつ」という軸でマトリックスをつくるということです。「主人公」「相手」「第三者」「子どもたち自身」の、「過去」「現在」「未来」の「行動」「気持ち」「それらの理由」を問いかけるのです。このマトリックスを考えると選択肢が広がり、その授業にしっくりとくる問いかけが見つかると思います。
今回の授業で私が考えた「主人公は、後日別のグループの子どもが同じように石を投げているのを見たら止める?」であれば、「主人公」の「未来」の「行動」で考えたのです。授業者の問いかけは、仲間外れになった時を起点とすれば、「主人公」の「過去」(友だちを止めた)の「気持ち」と「主人公」の「現在」(仲間外れになった)の「気持ち」を問いかけていますが、この2つを対比させなければ揺さぶられません。この2つの「気持ち」を元に授業を組み立てるのであれば、「気持ち」は「変わったのかどうか」を問いかけることが必要です。私の考えた問いかけは、「気持ちの変化」を「行動」によって明らかにさせようとして「未来」を選んだということです。
道徳の問いかけを考えるヒントとしてもらえれば幸いです。

参観した授業、授業検討の様子から、学校全体のたしかな進歩を感じさせてくれました。今後の変化が楽しみな学校でした。
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