日記を再開します

長らくお休みをいただいていましたが、本日より日記を再開します。

日記更新をしばらく休みます

パソコンが故障したため、しばらくの間、更新をお休みさせていただきます。
楽しみにしていただいている方には申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いします。
復旧次第再開させていただきます。

子どもたちの考えが間違った答に収束しそうになったら

子どもの言葉を活かすことや子ども同士の学び合いを重視すると、これが正解だと教師から答を示すことは避けることが多いと思います。子どもたちが納得した答が正解であることが理想です。ところが、実際には正解とはできない答に収束してしまうことがあります。このような時皆さんはどのようにしているのでしょうか?

自分たちで納得した答を、「それは違っている。正解はこうだ」と教師が説明をしてしまうと、子どもたちの意欲は低下してしまいます。先生が正解を言うのなら、それを待っていればいいと思う子どもも出てきます。結果として子どもの発言意欲が低下してしまうのです。また、たとえ子どもたちで正解にたどり着いても、その後教師が「正解」といって補足や解説をしたりまとめたりすれば、先生はこういうことを求めていたのだと子どもたちは考え、教師の求める答探しをするようになります。最後は先生が整理してまとめてくれるからそれを聞けばよいと考える子どもは、参加意欲、発言意欲が低下します。いずれにしても、子どもたちがしっかりと考えたことに対して教師が説明するのは注意が必要です。
そこで、子どもたちの考えをなんとか正確に導こうと「ヒント」を出すことがよくあります。しかし、「ヒント」という言葉も危険です。教師が「ヒント」という言葉を使った瞬間に、「ああ、自分たちの考えは間違っているんだ。正解は他にあるのだな」と思ってしまうからです。では、どのようにすればよいのでしょか?
一つには、子どもに欠けている視点や、間違えているところを質問の形式で指摘する手法があります。「○○でも、大丈夫?」「○○の場合はどうなる?」「○○については、どう?」と突っ込むのです。ここで注意してほしいのは、子どもたちが間違えたりおかしな方向へ議論が行ったりしているときだけこういった質問をすると、子どもたちは、これは「ヒント」だとすぐに気づくようになります。日ごろから、たとえ正解でも、「本当、○○でも大丈夫」「絶対に言える」といったゆさぶりをかけることをしておくことが必要です。子どもたちが、この考えでいいのかどうかを常に振り返るような癖をつけることが大切になります。
もう一つは、「以前教えた学級では、こんな意見が出てきたけれど、どう思う?」「○組ではこんな考えが出たそうだよ」というように、この学級以外の子どもの意見を使って、考えを深めさせる手法です。もちろん、実際にそのような意見がなかったとしても、そういうことにして子どもたちに与えるのです。子どもたちの意見がすぐに正解に収束しそうなときにも、このような方法で違った考えを示すことで視点を広げることもできます。この方法も先ほどと同じく、正解に収束しそうであってもなくても、日ごろから子どもたちを揺さぶる方法として使うことが大切です。
しかし、このような手法を知っていても、子どもたちの状況に応じて、切り返しの質問や考えを広げたり深めたりする意見の例を持っていなくは使うことができません。教材研究の段階で、子どもたちが正解でない答に行き着きそうになった時にする質問を準備したり、子どもたちからどのような意見が出てくれば正解につながるのかを考えたりしておく必要があります。

子どもの言葉を活かすことや学び合いで課題解決をしようと思うと、正解の説明だけを考えていても上手く授業を進めることはできません。教師の説明が少なくなる分だけ、より深い教材研究が必要になるのです。

全国学力学習状況調査の質問紙と正答率の関係について考える

先週末は、「授業と学び研究所」のミーティングでした。授業深掘りセミナーの撮影についての打ち合わせや、フェローからの全国学力学習状況調査の質問紙と正答率の関係についての考察の発表などがありました。

子どもが話し合いや発表などを通じて主体的に学ぶ「アクティブ・ラーニング」をよく行った小中学校ほど、平均正答率が高い傾向があるといった新聞報道もありましたが、フェローの一人が元データからそういったことが言えるのか、他の質問項目との比較はどうだろうかといった視点でデータをまとめて発表してくれました。
質問に対する「よく行った」の回答の多い順に質問項目を並べ、「よく行った」学校の正答率の平均との差を比べてみると、「よく行った」を選んだ学校が少ない項目ほど、平均との差が大きい傾向があります。「行っていない」についても同様です。グラフにして見るととてもよくわかります。
ある項目を行っていることと正答率の相関の度合いが同じでも、回答者が「よく行った」「行っていない」と判断する境界が違うと回答数に影響を与えます。極端に少ないものはその境界がかなり高い、低いところに置かれているのかもしれません。正答率の度数分布が正規分布だとすれば、両端の部分で比較することになるので差も大きくなります。「アクティブ・ラーニング」にかかわりそうな「学級やグループでの話合いなどの活動で、自分の考えを深めたり、広げたりすることができていると思ますか」といった項目は、そういった極端に少ない(「その通りだと思う」小学校で8.0%、中学校で9.2%)ものの一つです。
こういった傾向から外れている項目や、同じくらいの回答数なのに正答率の平均の差が異なるものを注目することの方がより影響力をもつ因子を見つけることができるかもしれません。

とても面白い考察で、その資料はとても興味深く、いろいろなことを考えさせるものでした。結論から言えば、新聞記事が正しいかどうかははっきりとしません。資料というのは見せ方やとらえ方で違って見えると言っていいかもしれません。うっかりすると、結論をミスリードさせられる危険性もあるのです。
「授業と学び研究所」のミーティングは、私にとって、こういったことを学ぶ貴重な機会となっています。

自分の授業をより高めたい数学教師に読んでほしい本

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静岡の武藤寿彰先生の「ペア、スタンドアップ方式、4人班でつくる! 中学校数学科 学び合い授業スタートブック」の紹介です。

武藤先生は「学び合い」を目的として授業をしてきた方ではありません。一部の子どもが活躍するのではなく子どもたち全員が参加し、わかるできるようになる授業を目指してきた方です。その過程の中で、いろいろな授業に挑戦されてきました。ごく普通の公立学校の教師として、積み重ねた実践がまとめられたものです。ここで紹介されている授業の形態は、「ペア」や「4人班」であったり、「音声計算トレーニング」であったりと一般的に行われているものやどなたかが提唱しているものだったりします。知っている、やっているという方もたくさんいらっしゃるでしょう。しかし、注目すべきは、単なるやり方の紹介ではなく、武藤先生がそれを自分の理想とする授業を実現するための方法として、どの場面でどの形態を使うのか、どのようなことを意識してきたのかといったことが記されていることです。何を目指してどう活用したかのポイントが書かれているので、読者自身が目指す授業の実現に活かしやすいのです。例えば「音声計算トレーニング」であれば、どの問題をどのような順番でやらせるとよいのかといった、武藤先生のオリジナルの考えや工夫がそこにはあります。

また、スタンドアップ方式は武藤先生のオリジナルな部分が多い方法です。子どもが自分で相手を探して説明に行ったり、教えに行ったりする方法です。4人班では人間関係が上手くいかない学級では、これに似た方法を使うことがよくあります。授業以外の生活場面での人間関係を使う方法でもあります。そのため、私はこういったやり方に否定的な立場をとっています。特定の子ども同士ばかり関係ができたり、誰ともかかわれない子どもが出てきたりする危険性があるからです。しかし、武藤先生のスタンドアップ方式では、「全員がゴールできるように、クラス全員が持てる力を出す」「やり方や答を教えるのではなく、ヒントを与えて相手に理解させ、納得させることを心がける」「1人でできそうなら、そばに立っているだけでもよい。間違えていたり、つまずいて止まっていたりしたら、積極的にかかわる」・・・というように、決してそのようなことが起こらないようなルールが決められています。このルールこそが、武藤先生の授業観、子どもたちへの思いを現していると思います。このルールを知ることだけでもこの本を読む価値があると思います。

授業事例もたくさん載っています。読者の教師としてのこれまでの経験によってそこから得られるものは異なってくると思います。多くの経験を積んだ教師ほど、より多くのことを学べると思います。自分の授業を振り返り、より高いところへ到達したいと思う方にとっては、とても役立つ事例だと思います。

この本を読むと、「学び合い」はこうでなければいけないというルールややり方ではなく、子どもたちの実態に合わせて工夫することが大切だと気づけます。それと同時に、子どもたちを信じ、子どもたち全員が互いにかかわり合い高め合う力を身につけることを願って授業を続けている武藤先生の熱い思いに触れ、明日から頑張るエネルギーをもらえることと思います。
手っ取り早く「学び合い」のノウハウを手に入れたい方ではなく、理想とする数学の授業に到達するために「学び合い」をどう取り入れようか考えている方にとって、そのためのヒントや指針が手に入る本だと思います。

スタッフの思いの強さを感じた研修会

先週末は、授業力アップの研修会にオブザーバーとして参加させていただきました。今年で13年目になりました。中心となるスタッフの方はほとんど変わっていません。通常であればマンネリになるところなのですが、毎年手を加えてよりよいものにしようとしています。
今年はいつもと違って、最初に「子どもを動かすスキル」という講座が加えられていました。授業の形を取りながら、その中に子どもを動かすためによく使われるスキルが埋め込まれていました。最初に受講者が体を動かしたり、声を出したりすることで会場をあたためることを意識していたようです。これが功を奏したのでしょう、この後の講演での反応や講座での表情は例年に比べてとてもよかったように思います。こういった細かな工夫が積み重なって今があることがよくわかります。

このスキルの講座で残念だったのが、ねらいが微妙にずれる場面があったことです。何をねらっているのかが受講者にわかりづらいために今何を感じ取ればいいのかが不明確になってしまったのです。野口芳宏先生の○か×かを全員に決めさせるスキルを使う最初の場面は、ティッシュペーパーの箱の模様を使って、向かう合う面に同じ模様があることを気づかせる一連の活動の後でした。この活動を使って授業ができそうかどうかを○か×かで聞きました。受講者の立場で言えば、これを活かした授業を考えるのかと思ってしまいます。続いて、この活動を導入に使った授業の例を2つ示します。そこでも、子どもを動かすスキルを使って授業を行なうのですが、先ほどの問いかけの影響が残り、どうしても視点が授業の流れや中身に目がいきます。スキルを伝えることが目的だからでしょう、通常の授業であれば省略しない、答をどのようにして見つけたかを共有することや正解であることを実際に確かめるといった場面はありませんでした。人によってはそのことが引っかかったかもしれません。また、会場の雰囲気を柔らかくするために、ゆるキャラを使って子ども役の興味を引くこともします。ご当地ゆるキャラやコンテストの投票の話をしますが、どこまでが授業のシミュレーションなのか、スキルを実感する場面なのかはっきりしませんでした。
最後に、子どもを動かすスキルを「全員参加させるため」として。「野口式○×法」「指でさして答える」「全員起立して順番に答える」とまとめました。具体的な例もよいのですが、「誰でもできること」をまずさせるという基本となる発想を伝えるべきだと思います。「わかった人?」「困っている人?」といったことを聞けば、該当しない人は手を挙げません。そこで、まず全員立たせたり挙手させたりしてから、座らせたり、手をおろさせたりすれば、全員を動かすことができるわけです。この発想があれば、全員参加のスキルはいろいろと考えられるはずです。
具体例と合わせて「子どもの反応をよく見る」「切り返しの発問、意図的指名」を提示しますが、これは授業の場面のどこでどうであったかは解説されません。この言葉だけでは、少経験者は実際にやれるようにはなりません。もちろん、ここまでをねらっているわけではないのでよいと言えばよいのですが、中途半端な気がしました。
そして、子どもを動かすためには、スキルだけではなく、「?」や「!」をつくることが重要で、「身近なものや具体物」「手作りの掲示物」が有効であることを伝えます。確かにそうなのですが、これもやはり例でしかありません。「?」や「!」をつくるために工夫をしなさいということを伝えたいのでしょうが、小手先のような気がします。
30分という短い時間なので、何をメインにするかはっきりさせて、そこを第一に講座を構成するとよかったと思います。雰囲気づくりが第一であれば成功なのでしょうが、タイトルが「子どもを動かすスキル」となっているので、受講者としては消化不良だったのではないでしょうか。

愛知教育大学名誉教授の志水廣先生の講演は、いつものように子どもたちの気持ちに寄り添った授業観で具体的なお話しでした。会場の反応がよかったせいか、いつも以上にのりのよい講演でした。受講者にとって学びの多いものだったと思います。

実習では、受講者の笑顔を多かったことが印象的でした。先生役をやる時は、たいていは緊張してなかなか笑顔が出ないものですが、この日の受講生はとてもよい表情で先生役に挑戦します。大ホールで小グループに分かれて行っているので、互いによい影響を与え合っているようですが、裏を返せば雰囲気が悪いと全体が落ち込んでいきます。そうなっていないのは、スタッフの力によるところが大きいと思います。スタッフの笑顔が素晴らしいのです。先生役と子ども役の双方をしっかりとポジティブに評価しています。先生役と子ども役は互いに影響し合います。このことをしっかりと理解しています。最初の講座から始まり、最後までスタッフが雰囲気づくりを大切にしていることはとても素晴らしいと思いました。こうした講座を企画すると、どうしてもプログラムやその内容にばかりに意識がいきますが、雰囲気づくりも大切にできることは、長年の積み重ねの結果だと思います。

これだけ長く続いている研修会ですが、スタッフもそれだけ歳を取って来ています。中心メンバーの一人に、後継者の問題を含めてこれからのことをたずねました。「無理やり後継者をつくってもうまくはいかない。自分たちは思いがあってここまで続けてこられた。そういった思いがなければこのような研修会は続けることはできない。次の世代が、自分たちの思いで新しいものをつくればよい」。この答を聞いて感心しました。自分たちでつくったものを何とか継続させたいと思うのが常です。形ではなく、その思いを大切にしているからこそ、次世代が自身の思いで新たなものをつくってほしいと願っているのです。逆に、この研修会のスタッフの思いの強さもよくわかります。
毎年、私自身多くのことを学ばせていただいている研修会です。少しでも長く続くことを心から願っています。

授業深掘りセミナーの講師陣からエネルギーをいただく

授業深掘りセミナーのミーティングを行いました。レギュラー講師陣と授業と学び研究所のフェロー・スタッフが一堂に会しての、セミナーの持ち方や今後についての打ち合わせです。授業深掘りセミナーは多くの方々に期待していただけ、今年度第1回は既に定員に達しています。来年度についてもすでに3回の開催が決定しました(詳しくはこちらで)。

こうして講師陣が一堂に会することで改めてわかることは、どなたも授業に関しては強い思いと実力のある方ばかりだということです。私自身どのような模擬授業を見ることができるのかとても楽しみです。そして、その授業を講師の先生方がどのような見方をして深掘りをしていくのか?想像するだけでドキドキします。参加者にとって学びの多いすばらしいセミナーになること間違いなしです。

この日は懇親会も開かれました。楽しくお話ししながら、講師の方の、授業だけでなく後進を育てること対する強い思いも感じることができました。一人の教師としては、自分が直接かかわることのできる子どもにしか影響を与えることができません。管理職となっても、影響を与えることができるのはその学校の子どもたちだけです。しかし、若い教師を何人も育てることで、その何倍もの子どもたちによい教育を与え、成長を助けることができます。その思いが、授業深掘りセミナーの原動力になっています。このセミナーにかかわる方たちのエネルギーに触れて、私も改めて先生方の成長の助けになりたいと強く思いました。

第2回以降はまだ空きがありますので、興味のある方はぜひ参加をご検討ください。

第2回「教育と笑いの会」の受付開始

第2回「教育と笑いの会」申込受付が始まりました。

日 時:平成27年12月19日(土)13時00分〜16時40分
場 所:名古屋ルーセントタワー16階
参加費:3,000円
定 員:200名

今回は、番組を増やし、寄席のように次から次へと出演者が出てきます。メイン番組は、故・有田和正先生の授業ビデオを見ながらのユーモア分析です。前回同様、とても楽しい会になると思います。すぐに定員に達する見込みですので、興味のある方はお早目にお申し込みをお願いします。

「アクティブ・ラーニング」や「全国学力学習状況調査」について考える

先週末に授業と学び研究所のミーティングが行われました。

最初は、前回に引き続き「アクティブ・ラーニング」についての発表とそれをもとにした話し合いでした。文部科学省の資料に止まらず、元になった会議の議事録も丹念に調べて、資料の背景まで探った発表から大いに学ぶことができました。「アクティブ・ラーニング」の背景やその先にあるものが少し見えてきた気がします。知識基盤社会、グローバル化といった言葉と合わせて考えていくと、小中高大を貫く学びの軸を作り直し、公教育の質を転換しようとしているように思えます。学校教育の目指すもの自体が大きく変わっていくのかもしれません。
一方、2冊の本で著者が「アクティブ・ラーニング」どのように定義しているかを比較する資料も他のメンバーから出されました。人によってとらえ方がかなり違っているように思われます。「アクティブ・ラーニング」が具体的にどのようなものかについてはこれからしばらく異論がたくさん出てくることと思います。文部科学省はもとより、いろいろなところからどのようなことが具体的に発信されていくのか注目する必要があると思います。

先日発表された速報をもとに全国学力学習状況調査の都道府県の状況の変化についても発表されました。マスコミは都道府県の順位ばかりをクローズアップするので、下位の県が急上昇したというような記事になりがちですが、平均正答率に対してどれだけ差があるかという資料を見ると違った姿が浮かび上がってきます。それは、何年もかけて少しずつ成績が上がってきているということです。最初は差が大きかったので、成績が上がっても順位は変わりませんが、時間をかけて追いついてくると少しの点数のアップで順位はそれこそ一気に上がるのです。具体的な方法の是非は置いておいて、こういった県が地道に対応をしているということです。最下位の県と平均正答率の差は3%ほどです。平均点が60点の試験で、ある学級の平均点が58.2点だとして、この差を大きなものと皆さんは感じるでしょうか。それよりも成績の分布の仕方や問題ごとの考察の方が大切です。都道府県別の順位ではなく、そういうところにもっと目を向けてほしいと思います。
また、順位が上位の県も今度はそれを維持しなければいけないという、別のプレッシャーがかかります。子どもたちが、春休みや4月に全国学力テストの過去問題に取り組むという姿は、どうにも本末転倒しているように思うのは私だけでしょうか。
ともあれ、学力や成績を順位で見るということは本質を見落とすことになります。成績の振るわない子どもが努力して試験の点数を上げても、相対評価である順位は変わらないこともあります。教師はそういった子どもの努力や成果をきちんと見て評価することが必要です。全国学力学習状況調査もそういった視点が大切だと思います。
こういったこととは別に、外国籍の子どもの多い県では似たような傾向があることにも気づきました。きちんと整理・考察ができているわけではありませんが、小学校の成績(特に国語)が悪いのですが、中学校ではかなり高い成績を取るのです。こういったことについて調査研究している例がないか探してみたいと思いました。

この日も多くの学びがありました。こういった授業と学び研究所で日ごろ話し合われていることは、「授業深掘りセミナー」の「教育情報知っ得コーナー」でもお伝えしていく予定です。

本番が楽しみになる模擬授業

市主催の授業力向上研修会で講師を務めました。11月の研修で行う研究授業の指導案を改善するために、事前に参加者が子ども役になって模擬授業を行なうものです。小学校5年生の算数の平行四辺形の面積の場面でした。

授業者の学校の先生方も5年生を中心に何人も参加していただけました。指導案は学年の先生も一緒になって作成しているようです。チームワークのよさが素晴らしい学校です。
模擬授業が始まる前に、子ども役に対して、既習事項の細かい確認や子ども役として心がけてほしいことを特に指示しなかったために、最初の復習の場面で困ったことが起きました。前時の内容に関してどう答えていいかわからないので、子ども役が問いかけに反応できなかったり、指名されても答えることができなかったりしたのです。私のミスです。授業者は、三角形の面積の公式や、底辺や高さという言葉の定義を再度説明しなければなりません。しかし、だからこそ授業者の実力がよくわかります。挙手が少なければすぐに指名せずにまわりと相談させたり、教科書等を確認させたりします。けっして、一部のわかっている子どもだけで進めたり、教師が一方的に説明をしたりしません。この進め方を見れば、この授業者の学級の子どもたちは間違いなくしっかり反応をするだろうと想像がつきます。授業者が、この子ども役の想定外の反応に対しても、落ち着いて子ども同士をつなごうとしていたのは、日ごろから全員参加を大切にしている証拠です。1時間の模擬授業の間にそのような場面をたくさん見ることができました。とにかく子どもたちをよく見ています。挨拶の時に目を合わせない子ども役がいましたが、そのことに気づいて、もう一度やり直します。黒板で子どもに説明させている時も、発表者だけでなく発表を聞いている子どもたちの様子も見える位置に素早く移動し、双方の様子をしっかりと観察して、次の対応を考えています。授業規律もとても上手に作っているのがわかります。板書を写させる時に「先生と同じ速さで書いて」と一言添えたり、作業を止めさせる時に「姿勢で見せて」と指示をしたりします。子どもたちに求めることをわかりやすくし、行動を評価しやすいように工夫をしています。作業中に大切なことを質問されれば、「いい質問だね」と評価して、全員の作業をいったん中止して答えます。子ども役の反応を、必ずポジティブに評価していたのも見事でした。
このまま行くと、前時の内容のやり直しで終わってしまいそうでした。いったん授業を止め、本当の子どもたちであればきちんと理解しているはずであることを説明し、復習が終わった場面からやり直してもらいました。

授業者はこれまで学習した、正方形、長方形、三角形の面積の公式を復習してから、この日のめあて「平行四辺形の面積の求め方を友だちに説明しよう」を提示します。「考えること」と「説明すること」の2つのことから成り立っています。この2つを同時に扱うのは難しいようにも思いますが、この学級(学年?学校?)では考える場面では必ず説明することまで求めているのでしょう。そうであれば、子どもたちにとって面積の求め方を考えることが課題で、それは友だちに説明できて初めて達成できたという認識をしているはずです。このあたり、11月に実際の子どもたちを見るのがとても楽しみです。
授業の流れとしては、平行四辺形が唐突に出てきたよう感じました。また、面積の求め方を考える必然性もあまりはっきりしません。復習の場面でいろいろな三角形の図を用意して、どこの長さがわかれば面積がわかるか(底辺と高さ)を確認して、「どんな」三角形でも面積が求められることを押さえます。四角形については、どんな種類があったかの復習をして、それぞれの面積がすぐに求められるかを確認します。子どもたちから平行四辺形が出てくれば、「平行四辺形の面積はすぐに求められないね。じゃあ今日は平行四辺形の面積を考えてみよう」とめあてを提示する。こういった進め方を考えてもよいと思います。

方眼紙に平行四辺形が書かれた紙を何枚か配ります。この紙を使って考えるのですが、「切ったり貼ったりして」という言葉を教師が配る時に言っています。この考え方は子どもたちから出させたいところです。算数や数学の課題解決では、過去に学んだ結果(公式・定理等)を利用することと、やり方や考え方を利用するという大きく2つのアプローチがあります。子どもたちに自力解決の見通しを持たせるためには、復習の場面でこういったことを押さえておく必要があります。公式は、平行四辺形の面積を三角形や長方形の面積に帰着させてから使いますが、その前に分割したりくっつけたりといった三角形の面積の公式を求める時と同様の活動が必要です。三角形の面積の公式をどうやって求めたかと、すべての三角形の面積と正方形・長方形の面積は簡単に求められることを自力解決の前に押させておく必要があったでしょう。

一つのやり方でできた子ども役は、ボーとしてしまいます。できた子どもを遊ばせないための指示が必要です。時間が来てもまだできていない子ども役がかなりいました、そこでもう少し時間を与えたのですが、ここは要注意です。見通しが立っていて時間が足りないのか、見通しそのものが持てていないのかの判断が必要です。後者であれば、時間を与えれば解決するわけではありません。こういった場面では考えの糸口や解決の途中の状況を共有することが有効です。最初にはさみを入れたところや線を引いたところを発表し合うだけで、困っていた子どもが動き出すきっかけになります。早目に考え方を共有して子どもの足場をそろえる場面をつくり、もう一度自力で取り組む時間を確保するようにするとよいでしょう。

発表に関して、伝わるように話すことを意識させます。問題は、伝わるように話すためには具体的にどのようにすればよいかを、明確にしていなかったことです。子どもたち全員で共有できているのならよいのですが、これはなかなか難しいと思います。具体的にどうすればいいのかを全体で確認するようにするとよいでしょう。
指名された子ども役が自分の考えたやり方を説明しますが、分割したところから始まります。一番大切なのはなぜそこで分割したかということです。そこがわからないと、結果の説明をされて納得しても、できなかった子どもはできるようになりません。できなかった子どもができるようになる場面をどうつくるかが大切です。まず、発表者から、「同じ形をつくろうと思った」「長方形を探した」といった言葉を引き出し、「それってどういうこと」と切り返しながら考え方を共有します。面積の求め方を知っている図形を見つければいいことに気づかせ、そこから既存知識を活かす発想につなげるといった展開を考えてほしいところでした。結論を説明させて納得させることが活動の中心となっていました。

この市では模擬授業を通じての指導案検討をもう10年ほど行っています。私はいつも途中で止めながら、その場面について解説したり全体で検討を行ったりするのですが、この授業では。復習の場面で割って入った以外、一度も止めることをしませんでした。基本的なことがしっかりできていたということです。このようなことは初めてです。他府県で2年勤務し、愛知県で採用されてからまだ2年目です。わずかな経験でここまでしっかりできているのは、本人の努力もさることながら、学校の若手を育てる力が素晴らしいということでしょう。驚きました。

全体での検討会では、授業規律や子どもとのやり取りといった基本的なことは十分にできているので、これらについては簡単に触れる程度にして、授業の構成や課題について検討してもらうことにしました。「本時の課題が子どもたちの課題となっていたか」「できない子どもができるようになる場面はどこにあったか」を中心にグループで検討してもらいました。どのグループも具体的な場面に即して考えを発表してくれました。

この日の研修を受けて学年全体で指導案作りにまた取り組んでくれることと思います。どのような授業に変わっているのかとても楽しみです。研修を通じて授業の進化・深化を見ることができることはとてもうれしいことです。このような機会を得られることに感謝です。

GDMの研修でアクティブ・ラーニングについて考える

地区の教育研究会主催の英語の研修に参加させていただきました。愛知文教大学講師の松浦克己先生によるGDMを活用した英語の授業についてのお話しでした。GDMの内容についてはいつも教えていただいていることと大きくは変わりませんでしたが、GDMの考え方とアクティブ・ラーニングについての関連をお話しいただいたのが新鮮でした。

GDMでは教師は何も説明しません。全員が「わからない」から出発します。だから子どもたちが「わかった」という達成感は非常に大きいものになります。「自分で」わかったと思うから、意欲もわくのです。「わからない」から出発するから「気づきを保障する」ことが大切になります。GDMでは、教師がやって見せる”situation”から考える、絵を見て考えるといったいくつかの場面があり、子どもたちはそのどこかで「必ず」わかると経験的に理解しています。だから、わからなくても頑張って参加し続けるのです。
アクティブ・ラーニングで大切なことは同じです。子どもが「わからない」からこそ「わかりたい」と思い、だからこそアクティブになるのです。

“slow learner”は、説明されないとわからないのではないかと考える方も多いのですが、教師がする文法の説明は抽象度の高いものです。“slow learner”にとっては抽象度の高い説明はなかなか理解できません。また、教師の説明は原則一度だけです。単語や句は何度も練習しますが、具体的な文章は数回練習をして終わりです。自分で考えることもなく、丸暗記をするだけです。これでは定着しません。英語はスキルだから考えることに向かないという方もいますが、そんなことはありません。GDMではできるだけ”root sense”で具体的な例をもとにその”situation”を表わす文で何度も繰り返し学習します。具体で考えることから、帰納的に子ども自身で理解していきます。数多くやることで定着度も高いのです。
「子どもたちが考えながら活動することを通じて英語を理解していく」というGDMの構造は、アクティブ・ラーニングそのもののように思います。

GDMでは子どもたちが理解できるような速さで英語を話し、何度も何度も繰り返して活動させながら考えさせます。そのため、とても時間がかかるように思われる方が多いのですが、実際に授業を見ると展開は決して遅くないことに気づきます。教師の説明がないからです。一般的な授業では教師が話している時間が実はとても長いのです。だから、その教師の説明を止めるとずいぶんと時間ができるのです。これも私たちが心しておくべきことです。

今回は、GDMの話だけでなくアクティブ・ラーニングとの関連についても納得できるお話をいただき、大変勉強になりました。久しぶりに松浦先生とお会いして、とても楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

充実した研究会と楽しいBBQ

愛される学校づくり研究会が行われました。今回は2月6日(土)に東京品川で行われる「愛される学校づくりフォーラム」についての話題が主でした。

午前の部は、今年も公開研究会です。テーマごとに会員から選ばれた何人かが提案をして、それをもとに討議をするというものです。テーマの一つ「若手を育てる」の発表者を選ぶ実践発表がおこなわれました。選考基準の一つは、どの学校でも実践できることです。特殊な環境でしかできないものでは、あまり参考にならないからです。発表は「なるほど!」と納得させられるものばかりです。素晴らしい実践者が集まる会であることを改めて実感しました。
多くの実践に共通していることの一つに、管理職自らが動いていることです。「実際に授業を見て直接アドバイスをする」「ホームページを利用して間接的に職員全体に伝える」「自ら授業研究を行ってまな板の上にのる」といったことです。また、若手と中堅をつなげて職員が学び合う形を取っている方が多いことも印象的です。若手を孤立させないと同時に、日常的に授業や学級経営のことが話題になる雰囲気づくりにもつながります。
また、「子どもと向き合い、ぶつかり、現状を打開していく過程で教師が育つ」という発想で、「育成を担当する者が若手の課題を自覚させ、共に解決の方向を考え、実行させて成果を共有する」という実践の発表がありました。予防的に動くことや、教えることが多い中で、若手に子どもとぶつかり合わせるという発想が新鮮でした。鍛えるという意味ではよい方法ですが、管理職の腹が据わっていなければなかなかできないことです。こういった実践を聞けることがこの会の素晴らしいところです。
どのようなものが発表されるかは当日までのお楽しみです。是非予定を空けておいてください。

研究会の後は、夏の恒例となってきたBBQパーティです。賛助会員の会社が材料から調理まで引き受けてくださいます。おいしいお肉や野菜、流しそうめんまで至れり尽くせりです。もちろんビールはたっぷり。本格的なビアサーバーまで用意していただけました。おかげで会員の皆さんととても楽しい時間を過ごすことができました。こうした場面だけでなく、フォーラムや会があるたびに社員の方が裏方として本当に一生懸命に支えてくださっています。感謝、感謝です。充実した時間を過ごさせていただきました。

いろいろと楽しみな企画が進んでいく

先日、授業と学び研究所のミーティングがありました。この日は研究所が主催やお手伝いをしているイベントと授業アドバイスのためのICTツールの検討が中心でした。

9月から募集開始予定の「第2回教育と笑いの会」の内容は、発起人の野口芳宏先生が当初イメージされていた寄席に近いものになってきました。短いプログラムがたくさん並んでいて、最後にメインがドーンときます。ありがたいことに、そのメインのコーディネートを任されることになりました。最後ですので、昨年同様他のプログラムを楽しめる余裕が無くなりそうですが……。本番までに作業をすることも出てきました。私自身にとってもとても勉強になることなので、じっくりと腰を据えて取り組むつもりです。詳細は9月に発表できると思いますので、楽しみにしていてください。興味のある方は、12月19日(土)名古屋ルーセントタワーですので、今から予定を開けておいてください。

授業深掘りセミナーの持つ意義について、「教師の学びを科学する:データから見える若手の育成と熟達のモデル」(中原淳:監修、 脇本健弘・町支大祐:著)を引用しながら、あらためて説明がされました。3年目の教師が学生時代に学校現場経験した「子ども支援」「授業支援」「授業観察」「研究授業の見学」「教員へのインタビュー」の内、何が役に立ったかというと、最初の3つは役に立たず、「研究授業の見学」と「教員へのインタビュー」が役に立ったということです。この「研究授業の見学」で生まれるよい影響というのが、

・検討会で教師の様々な意見が聞けること。
・授業者や授業観察者の観点を知ることができること。
・授業の背景にある考え方や理論に触れられること。
・提案性のある授業で強い印象が残ること。
・教師がどのように授業を構成し、授業後に何を考えて授業を行っていたのか、そして観察者は何を考えていたのかを知ることができること。

だそうです。
まさに、「授業深掘りセミナー」でねらっていることだと思います。参加された方にとって学びの多いものになるはずです。若い先生方にぜひ参加してほしいと思います。

ICTを活用した授業検討ツールを改良して、授業アドバイスに活用しやすいものを作っていただいています。手軽に持ち運べ、アドバイザーと授業者で授業を簡単に共有し、より深い振り返りを可能にするものです。秋には試用可能になりそうなので、今からとても楽しみです。

この他にも、「アクティブ・ラーニング」について、中教審の論点整理(案)をもとに整理したレポートが発表されました。これについては、次回もっと時間をかけて検討することになりました。次回どのような話になるのか楽しみです。

初任者の模擬授業をもとに講座を行う(長文)

市の教員研修の1講座を担当しました。この市の初任者は全員参加です。その他に指導的立場の方や希望者が参加してくださいました。毎年、中堅やベテランの方による模擬授業と講演の形態をとっていて、昨年度だけ私が授業者を務めました。今年度は模擬授業の授業者をどのようにしようかと悩んでいたところ、講座の担当の先生から初任者の代表に模擬授業をやっていただくという案が出されました。参加される初任者の方たちにとってはとても有意義だと思いますが、代表となる方にとって、皆さんの前で模擬授業をするというのは簡単なことではありません。授業の準備を含めてとてもたいへんでプレッシャーのかかることです。気軽に「そうしましょう」とは言えません。ところが、担当の先生の学校の初任者がやってもよいと言ってくれたというのです。正直驚きましたが、「自分の勉強にもなるし、よい機会だ」と前向きにとらえてくれたというのです。割と早い時期に指導案をいただいていたのですが、当日お会いしてお話を聞くと、その後もいろいろな先生に指導をいただき、何度も何度も作り直したようです。それぞれの考え方がありますので、それらを取り入れようとして、相当混乱したのではないかと思いました。同じ拠点校指導員についている初任者を中心として、事前に模擬授業をやって検討もしたようです。本当に頭が下がります。話をしていて、素直さと前向きさを強く感じました。こういう先生は必ず成長します。この先生であれば改善点はしっかりと示した方がよいと思い、講座に臨みました。

模擬授業は、小学校4年生の社会科でごみの集め方についてでした。前時には、ごみの分別を学習していることになっています。そこで、その復習から始まります。授業者は、最初は少し緊張していましたが、とてもよい表情で話し始めます。いろいろ準備したものを、可燃のごみとして捨てていいかどうかを一つずつ子ども役に問いかけます。子ども役の意見が分かれた時には、その理由を聞きます。古着を捨てるかどうかについて、意見をつなげていきますが、同じような考えでも子ども役は違うことを言ったり、付け加えたりしてくれます。なかなか優秀な子ども役です。授業者は、ここでそういったところを取り上げて評価することができませんでした。子どもの発言を受容はできるのですが、価値付けができないのです。また、どのような発言をつなぐべきなのかの判断も私から見ると曖昧です。この授業でのねらいにつながることかどうかを常に意識しておくことが大切です。この授業では、ごみの分別の細かい知識は必要ありません。であれば、ここで時間をかけて取り扱う必要はありません。「前の時間に何を学習した?」「ごみの分け方」「分別」・・・「そうだね、ごみを種類ごとに分けることを、分別というんだったね。ごみを○○、△△とにちゃんと分別して捨てるのが市のルールだね」と言ったやり取りで十分でしょう。
続いて、「ごみは家の前に捨てれば無くなる?」と質問し、ごみ捨て場に捨てることを確認して、自分たちの地区にごみ捨て場がいくつかあるかを考えさせます。これは単なるクイズです。考えても時間のムダです。ていねいに子ども役に聞いていきますが、時間のムダです。やるなら3択で全員に挙手をさせれば十分です。聞いていくにしても、早いテンポでドンドン聞くべきでしょう。続いて市の地図と地区割りを見せて、市ではいくつあるかを考えさせます。今度はまわりと相談させます。ここで子ども役の先生方のテンションが一気に上がります。今まで受け身の時間が長かったのと、根拠を持って考える必要がない課題だからです。授業者は机間指導しますが、ここは考えさせる場面ではないので、前方から様子を見ていれば十分です。というよりも相談させる意味がありません。こういう課題で相談させると、相談の意味が違ってきてしまいます。子ども役が活動したので、個別に答を聞くのですが、当然これもムダな場面です。せめて地区ごとの世帯数を情報として与えれば別なのですが。続いて、「ごみは誰が持っていくの?」と質問をします。子ども役は「トラックに乗っているおじさんたち」と答えます。なかなか見事な子ども役です。「誰」という言葉に反応したのです。授業者は「ごみ収集車」を引き出したいのですが、ずれてしまいます。発問を考える難しさがわかると思います。ごみの学習全体を考えるのに、授業者は流れに沿って一つずつ進めています。子どもはゴールがどこかわかりません。ミステリーツアー化しています。ここは、もっと広く「ごみ捨て場に捨てられたごみはどうなるの?」と聞くと今後の授業の流れを見せることができると思います。次々に指名していけば、「燃やされる」「捨てられる」「埋められる」「運ばれる」といった言葉が出てくると思いますが、「燃やされる」であれば、「ごみ捨て場で火をつけるの?」(この先の活動場面でのちょっとした布石にもなる)とか、「捨てられる」「埋められる」であれば「どこへ?」「どうやって?」というように切り返すことで、ごみ処理場や埋め立てといったごみの一連の学習内容につながっていきます。「運ばれる」といった言葉に対しては、「どうやって?」「何を使って?」と問い返すことで、ごみ収集車が出てくるはずです。
ごみ収集車が市に何台あるかを、また相談させます。ここは子どもに「ごみ捨て場の数、4,700」とのギャップに驚かせることが課題への意欲につながりますから、「4,700」を提示した時に、その数の多さを強調しておいてもよかったかもしれません。とはいえ、これも根拠となる情報がありませんから相談するのではなく、すぐに「いくつだと思ったか、まわりの子に聞いてみて」といった確認をするだけで十分でしょう。
ここまででかなりに時間を使ってしまいましたが、長くても10分に収めたいところです。理想は5分程度だと思います。まずは先ほど述べたように、ごみは分別することの復習をして、ごみ捨て場に捨てることを確認します。続いて、三択のクイズで地区のごみ捨て場の数を確認し、市の地図を見せて市のごみ捨て場の数を「いくつ以上」と聞きながら挙手させて確認します。ここで、「ごみ捨て場のごみはどうなるの?」と問いかけてごみ収集車に気づかせ、いくつあるかを聞くのです。ここまでの問いは、子ども同士がかかわり合う必然性のあるものではありませんから、こういった進め方で十分だと思います。
いよいよ本日の課題の提示なのですが、ここはあっさりと「ごみをどのようにして集めているか調べよう」といったものになっています。せっかくここまでごみ捨て場の数に対してごみ収集車の数が想像以上に少ないことを示したのですから、ここから子ども自身の課題にしたいところです。「たった14(?)台で4,700か所のごみ集められる?無理じゃない?」「みんなどう思う?」と揺さぶっておいてから、「じゃあ、今日は」と課題を提示したいところです。
この地区のごみ捨て場の様子と言って、一枚の写真を見せます。雑然とごみが積んであり、中にはビニール袋ではなく紙袋のものもあります。この写真を見て気づいたことを個人で考えて発表させます。「気づいたこと」というのは一見何でも言える子どもたちが答えやすい発言に思えますが、決してそうではありません。何を言っていいのかわからないのです。教師の求める答を言わなければと思えば、それを考える糸口がありませんから困ってしまうのです。「何がある」といった具体的な質問から深めていくとよいでしょう。子ども役から、このごみ捨て場が市のルールを守ってないことを出させてから、実はこれは別の県のものであることを説明します。ここで、きちんとごみ袋に入れられてネットがかけられたごみ捨て場の様子の写真をみせて、これがこの地区のごみ捨て場の写真であることを説明します。この写真を見て「見つかった」ことを3つ書くように指示します。先ほどは「気づいた」ことで、今度は「見つかった」ことです。この違いが気になります。後で確認したところ、本人は「気づいたこと」と言ったと主張します。子ども役のほとんどが「気づいたこと」だと思っていましたが、中には違っていたことに気づいた方もあります。多くの子どもは上手に同じことだと解釈して対応しますが、それができない子どもは「どう違うのか」悩みます。結果としてそこから先についていけなくなることもあるのです。
子ども役に発表させます。「ごみが真ん中に集められている」といった事実に対して、授業者は他の子ども役に復唱させたりします。これは、考えたことではないのであまり意味はありません。それよりも、「同じことに気づいた人?」と同じ気づきをつなげるだけでいいでしょう。「看板がある」という意見は、そのまま子ども役に同意を求めて終わります。字はよく見えないけど、何枚もあります。「どこ?」と具体的に指させたり、わざと変なところの看板を指して、「ここね」とやったりしてもいいでしょう。この看板に書かれたごみの収集日の情報がこの日のねらいにつながるのですから、もっとていねいにやりたいところです。この写真から読み取ることは、この日の授業では大切な場面です。こういう場面で子ども同士がかかわり合うことが大切です。2枚の写真を見て「同じところ」「違うところ」をできるだけたくさん見つけることを課題にして、友だちの気づいたことを聞き合って、なるほどと思ったら書き足すというような進め方をすれば、時間を掛けなくても次々聞いていけば、必要なものはすぐに出てくると思います。出てきたことを一旦書き出してから、「真ん中に集めているのはどういうことだろうか?」「ネットは?」「消火器があるのは?(ごみをどこで燃やすかという問いかけでの切り返しが効いてきます)」「看板は?」と問い返せば、子どもたちからもっと課題が出てくるでしょう。
授業は、看板に書かれているもの拡大して見せて、ごみの収集日から、回数や曜日をずらしているという工夫に気づかせるという流れですが、このあたりで予定した時間が来てしまいました。
授業者が、ごみ捨て場の写真からいろいろなことに気づかせたかったのか、収集日の工夫に焦点化したかったのか、迷いを感じました。このあたりは、明確にしないと授業がぶれていきます。また、「調べよう」と言いながら、子どもは何も調べません。それなのにこういう言葉を使うと、「調べる」ことはどういうことかわからなくなってきます。課題に対して、自分で資料を探す。せめて、与えられた資料から必要な情報を抜き出すといったことをさせたいところでした。

授業者は、書籍で学んだことを実践しようと意識しています。子どもの言葉を復唱し、共有化し、つなげていくことを大切にしようとしていることがよくわかります。しかし、授業の中で何を復唱し、共有していくのかの判断ができていません。教材研究の段階で、何を目指して授業をしているのかがシャープになっていないのです。また、子どもの発言の価値付けができていません。子どもの発言のどこがよいのかを具体的に指摘する必要があります。それは、社会科で大切にしなければいけない考え方をきちんと整理できていないからです。恣意的に授業技術を使っているだけで、その授業技術が何のためかは意識できていないのです。初任者だから当然のことです。こういう経験を積みながら一つひとつ自分のものにしていくことが大切です。今後どのように変化していくかとても楽しみな先生でした。

全体に対する講演は、この授業も少し踏まえ、子どもの言葉を活かす授業づくりについてお話ししました。と言っても、まずは安心安全な学級づくりからです。このことを押さえた上で、子どもをつなぐことについて説明しましたが、時間が足りなくてかなり荒いものになってしまいました。申し訳ありません。書籍等を参考にしながら、もう一度スライドを見ながら振り返っていただきたいと思います。

初任者の模擬授業をもとに講座をつくるということを始めて体験しました。例え初任者でも、前向きに取り組んでいただけた授業からは得ることが多いように思います。私もとてもよい学びをさせてもらったと感じました。ありがとうございました。

市の学力充実プランを基に講演をする

教務・校務主任対象の学力向上研修会で講演をしてきました。「市の学力充実プランと学力向上」と題して、学力充実プランに基づいて学校で具体的に何をすればよいのかについてお話ししました。

学力充実プランの構築と実践というパンフレットが先生方の手でつくられていますが、とてもよくできていると思いました。「授業研究」「学習環境」「人的環境」の3つの視点で構成されています。「授業研究」では教師集団の質の向上(⇒わかる・できる授業)、「学習環境」では落ち着いて学習に取り組む環境づくり(⇒見通す力・振り返る力・集中力の高まり)、「人的環境」では自己肯定感の高まり(⇒安心して学ぶことができる関係性の構築)を目指しています。とても大切なことばかりです。これを学校で実現するためには、個別ではなく総合的にとらえる必要があります。
学習規律をいかにつくるかは授業の成立に大きな影響があります。もちろん子ども同士の関係性も同様です。学級を作っていく段階できちんとできていることが授業研究での前提になっていきます。逆にこういったものをつくり上げていくことは授業の中でこそ行えるともいえます。であれば、授業研究の中に意識的にその視点を取り入れる必要があります。鶏と卵の関係です。学校としてどのように構築していくのかの戦略が必要です。「学習環境」や「人的環境」を全体的に取り組むことから始めるのか、「授業研究」を4月、5月といった早い時期から行い、その中で「学習環境」や「人的環境」の視点を取り入れるのか、それとも並行して行うのかといったことを選択する必要があります。これは、学校が落ち着いている状態なのか、若手が多いのかといったことにも影響されます。

具体的には、それぞれの視点に関して次のようなことをお伝えしました。
「授業研究」
授業を見る視点として、子どもの事実がどうであったか、安心して間違えることのできる学級であるかどうかということが大切です。検討会では先生方が全員参加できること、ポジティブな発言を増やし授業者がやってよかったと思えるようなものにすることで「授業研究」は楽しいものだと感じてほしいと思います。「授業研究」を通じて、先生方が授業について気軽に話し合う雰囲気ができることが理想です。また、出てきた課題を授業者個人のものとしてだけでなく、学校全体のものとして継続的に取り組むことも大切です。こうして考えると、授業研究を企画し検討会を取り仕切る立場の先生の役割はとても大きいと思います。
「学習環境」
学習規律などのルールがしっかりとしていることは、安心な学級づくりの基本となります。この市ではルールを明確にすることに各学校がきちんと取り組んでおられるようです。であれば、問題はどのようにして徹底するかです。形だけの徹底では、意味はありません。子どもたちが聞いているふりをしているのか、本当に聞いているのかといったことをきちんと問う必要があります。こういったことを「授業研究」でも話題にする必要があるでしょう。「チェックする目」でできないことを注意して減らすのではなく、「見守る目」でできることをほめて増やす発想をお願いしました。
「学習環境」に関連して、朝学習や家庭学習についても少し話をしました。学習量も大切ですが、単に量だけを視点にするのではなく、どのような力がついたかをきちんと評価することが大切です。一人ひとりの進歩を見える形にすることで、自己肯定(有用)感が高まります。また、できない子どもができるようになる手段を与えることが必要です。子どもたち一人ひとりに先生が個別に対応するには限界があります。子ども同士の学び合いを上手く組み込むことが一つの解決策になります。子ども同士がかかわり合うことは人間関係をつくることにもつながります。逆に子ども同士の関係ができていなければ、実現が難しいことにもなります。これも鶏と卵の関係ですね。
「人的環境」
子どもが自己肯定(有用)感を持つためには、他者に認められる場面をつくる必要があります。日ごろの生活場面だけでなく、授業でも意識することが大切です。まずは、教師が子ども一人ひとりを認めることから始め、子どもが友だちに認められる場面をつくることを意識してほしいと思います。「笑顔」と「ありがとう」があふれる学級が理想です。「授業研究」でも話題にしてほしい視点の一つです。
この市では、子ども同士の関係をつくる方法として、「構成的グループ・エンカウンター」に取り組んでいる学校が多いようです。それにプラスして、「ソーシャルスキル・トレーニング」を紹介しました。たまにやってもあまり効果はありませんが、短い時間でいいので定期的に行うと効果のあるものです。
「人的環境」と直接つながらないかもしれませんが、教師同士の人間関係も大切です。互いにカバーし合う雰囲気をつくることが大切ですが、そのためにはミドルリーダーの動きがとても重要になります。意識することを強くお願いしました。

今回、市の学力充実プランをベースに話をするという、あまり経験のないことに挑戦させていただきました。新しい視点で考えるきっかけをいただき、私自身とても勉強になりました。参加された先生方も、私の一方的な話にもかかわらずよく反応していただけ、とても気持ちよく講演を終えることができました。このような機会をいただけたことと、参加された先生方に感謝です。

インターンシップで学生の変化に立ち会える

一昨日に続いて(とても楽しめたインターンシップ参照)、昨日も場所を変えて企業のインターンシップの講師を務めました。

前回と比べると、ちょっとおとなしめの学生たちです。午前のプログラムでも話はしっかり聞いているのですが、やや積極性に欠けるようにも見えました。

午後の、ICT活用による学校コンサルティングの体験では、コンサルティングについて問いかけたところ、「相手の気づいてない課題を見つける」という言葉が出てきました。なかなか優秀な学生たちです。学校の課題を見つけるのに誰にヒアリングすればいいのかという問いに対しても、「教育委員会」「管理職」「教員」というようにトップから思考するグループと、子どもと教員という対比で考えるグループとなかなかよい発想を見せてくれます。
ヒアリングの方法、内容を検討させたところ、どのチームも、まず学校の方針を聞くことで目指すところが見えるので、そことのギャップを聞きながら質問を重ねていくと課題が見つかるという発想でした。これは理に適っているように見えますが、実際にはどうでしょうか。
各グループ最初に一人ずつ校長ヒアリングに挑戦しました。「子どもたちが元気に過ごす」といった抽象的な方針に対して、「実際はどうですか?」と聞くと、「大体上手くいっている」という答が返ってきます。「今、具体的にどのようなことに力を入れていますか?」「何をやっていますか?」といった、具体化するための質問をすることができないので、いつまでたっても掘り下げることができません。また、メモをしながら話すので、相手と目を合わすことができません。課題を見つけることに意識が行って、コミュニケーションの基本を忘れてしまっているのです。しかし、この後もう一度作戦を立てる場面で、最初にやった学生が自分の経験を一生懸命伝えていています。その情報をもとにもう一度額を寄せ合って考えています。この後挑戦した学生は、メモを取らずに相手を見てしっかり受け答えをしました。当然、校長役との関係はよいものとなります。「アクティブ・ラーニング」というキーワードを引き出すことができました。しかし、「アクティブ・ラーニング」がどういうものか、学校においてどういう位置づけのものなのかがわからないので、そこを焦点化することはできませんでした。学生だから仕方がありませんが、教育現場に対する知識が必要なことがわかったと思います。学生たちは、一つひとつの実演からしっかり学ぼうとしています。自分の前にやった学生へのコメントを取り入れながら工夫をします。素直で前向きです。互いの挑戦が積み上がっていくのがわかります。

今回の学生も、互いにかかわり合うことでみるみる変化していきます。チームとして情報を共有し、学び合うことの価値に気づいてくれたのではないかと思います。彼らがこの企業と縁ができるかはわかりませんが、少なくともここで学んだことはこれからの社会生活できっと役立つものだと思います。こういう成長の場面に立ち会えたことをうれしく思いました。

とても楽しめたインターンシップ

昨日は企業のインタ−ンシップの講師を授業と学び研究所のフェローと一緒に行ってきました。インターンシップは、今では就活の一環として企業説明会のような位置付けになっていることも多いように聞いていますが、この企業では実際の仕事に近い形で、ICT活用による学校へのコンサルティングを体験してもらうプログラムになっています。

コンサルティングを経験するといっても、何の知識もない学生です。午前中のプログラムは、学校でどのようなことが行われているのか、学校にかかわる人と仕事の内容はどのようなものかを考えることで、コンサルティングのヒントにしてもらおうというものです。講師は元校長のフェローです。
知識として一方的に教えてもなかなか活かせるものではありません。ペアやグループを使って自分の経験をもとに考える場面がたくさん用意されていました。
参加者は、最初は固かったのが互いにかかわる場面が増えるたびに表情がよくなっていきます。本来はもっとやり取りして自分たちで答を見つけさせたいところでしたが、時間の都合もあり、ポイントポイントで講師が必要な情報を与えたり整理したりしながら、午後のコンサルティングの演習で必要な知識をまとめていきます。さすがの進め方でした。
昨年は何となくインターンシップに参加してみようかという学生もいたのですが、今回はそのように感じさせる者はいません。意識の高さが感じられました。昼食をとりながらの若手社員との懇談もとても積極的だったそうです。

午後は、実際にICT活用による学校コンサルティングの体験ですが、実は午前中にはICTの話は全くしていません。ICTの知識ではなく学校に関する知識の方が大切だからです。
コンサルティングはどういうもので、何をすればいいというようなことは担当の私の方からは話しません。社会に出て仕事となれば、何が正解かわからないことばかりです。たまたま上手くいったからといって、それが次に上手くいくかはわかりません。正解はいくつもあります。自分たちで体験しながら、答を見つけていくといくことの大切さをわかってほしいことを伝えました。
コンサルティングは何をすればいいのかということを問いかけました。「提案する」から始まり、何人かに聞いていくと「相手が気づいていない課題を見つけて解決する」という答が返ってきました。この言葉が出てくれば十分です。今回はインターネットなど使わずに、相手と話をして課題を見つけることに挑戦させます。では、誰に聞いたらよいのかをまわりと相談させました。「会社の上司」「校長」「普通の先生」と見事に分かれます。これにも感心しました。どれが正解ではありません。すべて必要なことです。複数で考えることのよさがわかります。今回は元校長がいるのですから、「校長」にヒアリングすることを課題とします。ヒアリングの目的を確認したところ「信頼関係をつくる」という言葉が出てきました。これもなかなか立派な答です。私から説明することはほとんどありません。
グループでどのようにヒアリングをすればいいのかを考えさせました。どのグループもとてもよい姿勢で話し合っています。どのような話をしたかを、どちらかというとあまり発言していなかった学生に発表してもらいます。とてもしっかりと発表してくれます。あまり話をしていなくてもしっかりと参加していたことがよくわかります。面白いのが、学校の規模や先生の数といった情報を聞きながら、次第に課題に近づいて行こうとするグループとあらかじめ出欠の統計をICT化することで不登校やいじめの早期発見につなげるということを意識してそこに話を持っていこうとするグループに分かれたことです。こういった違いがでてくると、互いの視野が広がっていきます。
制限時間5分で、「学校の課題を見つける」「信頼関係をつくる」ことを課題として実演します。まず、各グループから一人ずつやってもらいました。キャッチボールしながらヒアリングを5分間続けることはそれほど簡単ではありませんが、なかなか見事にやってくれます。最初に学校のよいところをほめて、校長との関係をつくろうとするグループもあります。なかなか頑張ってくれるのですが、校長役が発言の中にさりげなく入れた課題のヒントにはなかなか気づけません。また、気づいてもその場でどう返せばいいのかはわかりません。見ている学生たちもその難しさ気づいたようです。そこで、もう一度作戦を立てる時間を与えました。
今回、校長役は学生が相手なので課題につながる事柄を話の中にわかりやすく入れていますが、毎回学校の設定を見事に変えていきます。先生方の時間がない、コミュニケーションがとれない、学校広報の問題などいろいろなバリエーションを自然な形で提示します。学生たちはとても真剣に取り組みますが、中には特に課題がなく上手くいっている学校もあります。こうなると、困ってしまいます。何とか課題を見つけようとしますが、迷走してしまいます。課題という言葉に引っ張られて、学校のよいところを活かす、さらに伸ばすという発想ができなかったようです。こういうことに気づかせるという、見事な校長役でした。なかなかこのようにできるものではありません。私もよい勉強をさせていただきました。自分の出番が終わった学生も、最後まで気を抜かずに真剣に他の学生のヒアリングの様子を見ていたのが印象的でした。
また、取り出し指導や、いじめ防止、生徒指導などに関する学校の基本的な知識がないため、うまく話が続かなかったり、課題に迫れなかったりした場面がたくさんありました。
学生の振り返りでも、学校に対する知識がとても重要なことに気づいてくれました。話しながら考えるということを今まで経験したことがないということも、共通して挙がってきました。LINEなどの普及に伴い、人と向き合って真剣に話をする機会が減っているのかもしれません。
校長役のフェローとレベルの高い学生のおかげで、楽しみながらとてもよい学びをすることができました。参加した学生にとって、何か一つでもこれからの就活や仕事に役立つことがあればこれほどうれしいことはありません。

「アクティブ・ラーニング」とはどのようなものか?

「アクティブ・ラーニング」という言葉が小中学校の現場でも聞かれるようになってきました。免許更新講習のテーマにもよく取り上げられているようです。ある高等学校では、昨年まで授業研究でグループ活動は入れないように(教師の動きが少ないので手抜きと見られる?)というお達しがあったのが、今年は積極的に取り入れるようにと手のひらを返したというような話も聞きます。小中学校では考えられない話ですね。「アクティブ・ラーニング」はどのようなもので、何をすればよいのか当惑している方もたくさんいると思います。

昨年の中教審への「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」の諮問の中で、
・・・
そのために必要な力を子供たちに育むためには、「何を教えるか」という知識の質や量の改善はもちろんのこと、「どのように学ぶか」という、学びの質や深まりを重視することが必要であり、課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)や、そのための指導の方法等を充実させていく必要があります。こうした学習・指導方法は、知識・技能を定着させる上でも、また、子供たちの学習意欲を高める上でも効果的であることが、これまでの実践の成果から指摘されています。
・・・
と取り上げられたことが、小中高等学校で「アクティブ・ラーニング」という言葉が話題になるようになったきっかけだと思われますが、この「アクティブ・ラーニング」という言葉は、もともと大学教育の改革の中で言われるようになったものです。平成24年度の「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて〜生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ〜」の答申の用語集では、

【アクティブ・ラーニング】
教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。

となっています。こちらの定義では、およそ学生が能動的(アクティブ)に活動すればすべて「アクティブ・ラーニング」と言えるようなものになっています。何か作業をさせるだけでも「アクティブ・ラーニング」と言えそうです。大学ではそれほど教員による一方的な講義が行われていたということなのでしょう。
小中学校では、以前から一方的に先生が教えるような授業は改めるべきだということは言われていて、上手くいっているかどうかは別にして、多くの先生が、子どもが友だちとかかわりながら互いに学び合うような、子ども主体の授業を目指しているように思います。小中学校の先生は「アクティブ・ラーニング」とは何だろう、どうすればいいのだろうと悩む必要はあまりないように思います。今まで通り、自分たちの考えるよい授業(≒アクティブ・ラーニング)を実現しようと工夫し続ければいいだけだと思います。

私には、「アクティブ・ラーニング」は、共通一次試験の導入以来、目先の大学受験だけを意識して、とにかく知識を教え、覚えようとさせていた高等学校の先生方への黒船のように思えてなりません。小中学校で取り組んでいることに対して、高等学校の先生は冷ややかな態度をとります。確かに小中学校の先生よりも専門的な知識のある方が多いかもしれませんが、授業技術という面では相対的にかなり低いということを自覚していません。高等学校の先生は小中学校よりも上位の存在であるかのように錯覚しているようにも見えます。妙な権威主義があるので、小中学校で行われつつある、「学び合い」や「協同的な学習」といった言葉でなく、大学教育で使われている「アクティブ・ラーニング」という言葉を持ち出したというのは、穿った見方でしょうか?

これから、「アクティブ・ラーニング」の具体的な姿が少しずつ明らかになっていくと思いますが、小中学校の多くの先生にとっては、「何だそんなことか」「今までやっていることと変わらない」と思うようなものだと想像しています。

「ありがとう」を考える

私が意識的に使ってほしいと思っている、「なるほど」と「ありがとう」の2つの言葉のうち、今日は「ありがとう」について少し考えてみたいと思います。

子どもの行動に対して、「えらいね」「よくできました」「ごくろうさま」といったほめ言葉がよく使われます。実はこれらの言葉は上から目線の言葉です。もちろん相手は子どもですから、教師が上から物を言うのは当然という考え方もあります。しかし、視点を変えれば教師が子どもと同じ目の高さで話をすることで、子どもは自分がとても認められた気持になるということも言えます。例えば、校長から頼まれた仕事を提出した時に「ごくろうさま」と言われるのと「ありがとう」と言われるのと比べてみるとどうでしょうか。明らかに「ありがとう」の方が認められた気持になりますし、うれしく感じると思います。子どもたちでもこのことは同じです。このことは、子どもたちの学年が上がるにつれて重要になってきます。
中学校で生徒指導の力があると言われる先生のふだんの授業を見せていただく機会があります。不思議なほど共通しているのは、笑顔と「ありがとう」の言葉が多いことです。子どもにちょっと手伝ってもらった時、指名して意見を言ってもらった時、必ず「ありがとう」の言葉忘れません。というか、意図的に子どもに対して「ありがとう」を言う機会をつくろうとしているようにも見えます。子どもたちは、ふだん自分を認めてくれている先生だからこそ、その厳しい指導にも従うのです。生徒指導の先生はこのことをよく知っているのです。

「ありがとう」は、子ども同士でも使ってほしい言葉です。子どもたちが自然に「ありがとう」を言い合える学級づくりが大切です。配布物を後ろに送る時に、受け取る人が「ありがとう」を言うように指導している先生もいます。1日の終わりに、今日友だちに親切にしてもらったことを発表して、友だちに「ありがとう」を言う場を作っている方もいます。このように子どもが「ありがとう」を言い合える場面を意識してつくることも必要ですが、一番大切なのは先生が子どもたちにたくさん「ありがとう」を言うことです。授業中や学校生活のいろいろな場面で先生が「ありがとう」をよく言う学級では、子どもからも「ありがとう」の言葉がよく聞かれます。先生の姿勢が子どもたちに影響するのです。

人が他者から認められたと最も感じる言葉の一つが「ありがとう」です。「ありがとう」の言葉を子どもたちがたくさん浴びる学級をつくってほしいと思います。

「なるほど」を考える

細かい授業技術の前に大切にしてほしいと私が思っていることが、教師が笑顔でいることと「なるほど」と「ありがとう」の2つの言葉を意識的に使うことです。今日は、2つの言葉のうち、「なるほど」について少し考えてみたいと思います。

子どもは自分の発言を「間違い」と否定されると落ち込みます。自我が発達してくると間違えたことを「恥ずかしい」と思うようになり、そのような経験を重ねていくと次第に発言に消極的になります。そのことを知っている先生方は、「間違い」と否定しないように注意をしています。それに対して、「正解」という言葉はわりと気軽に使います。しかし、「正解」と言われなければ、それは「間違い」だと暗に否定されたことになります。「間違い」同様に「正解」も使うのに注意が必要なのです。また、よく聞く言葉に「他には?」があります。教師が、発言を取り上げずにすぐに他の意見を求めるということは、その発言は教師が求めているものではなかったということになります。子どもは「外した」と感じるでしょう。子どもの発言の受け止め方は、なかなかに難しいのです。そこで受け止める言葉として「なるほど」が浮上してきます。子どもの発言が正解だろうが不正解だろうが、教師の求める答であろうがなかろうが、「なるほど」と受け止めれば受容し、認めたことになります。「なるほど、・・・と考えたんだね」と言われれば、自分の発言をちゃんと聞いてもらえた、受け止めてもらえたと感じます。安心して発言できるようになるのです。「なるほど」を自然に使っている先生にも出会いますが、対応に困るような発言ではこの言葉が出ないことがあります。そういう時こそ、まず「なるほど」と受容しておくことが大切なのですが、困った時には自然には出てこない言葉なのです。日ごろから意識して「なるほど」を使う必要があるのです。

「なるほど」は、子どもたちに発言を評価させるのにも有効な言葉です。「今の説明でいいと思った人?」と子どもたちに発言を評価させることがありますが、発言者からすると友だちに自分の考えを正しいか正しくないかをチェックされたように感じます。友だちの手が挙がらなければ否定されたような気持ちになります。これに対して「同じように考えた人?」という問いかけは、同じ考えの子ども同士をつなぎます。同じ考えの人がいることは子どもの安心感につながり、子どもの同士の関係をよくします。しかし、違う考えの人とはつながりません。その意見を聞いて納得した人もいるはずですから、そういう子どももつなげることが必要です。そこで、「納得した人?」という聞き方がでてきます。ただ、「納得」というとその意見をしっかりと理解して、賛成しているというニュアンスになります。何となくいいと思った程度では手を挙げにくくなります。それに対して、「なるほどと思った人?」という聞き方があります。「なるほど」は「納得」ほど強い賛成でなくても手を挙げやすい言葉です。正解かどうかはわからないが、そういう考えもありそうだと思えば、「なるほど」と言えるのです。子どもたちに発言を受容させやすい言葉です。子どもの発言を子どもたちにポジティブに評価させたい時には、「なるほどと思った人?」と聞くとよいのです。

このように、「なるほど」は子どもを受容し認めるのにとても有効な言葉です。子どもの発言に対しては、とりあえず「なるほど」と受け止めておけば、子どもの発言意欲をそぐことはありません。しかし、発言の評価やつなぎを考えずに多用していると「先生は『なるほど』が口癖だね」と子どもに見透かされてしまいます。「なるほど」はとても有効な受けの言葉ですが、そのあとどのように評価してつなげていくかも意識して使ってほしいと思います。
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