第1回授業深掘りセミナー(その2)(長文)

昨日の日記の続きです。

2つ目の模擬授業は、和田裕枝先生の小学校5年生の算数です。かける数が小数の計算で、およそで大小関係がわかることをねらう授業でした。
最初に80×2.3はおよそいくらになるかをたずねます。「160より大きい」「240より小さい」といった答えに対して、どうしてかを問います。「80×2より大きい」「80×3より大きい」とかける数に注目させていきます。
黒板にリボン図で80×1を表わします。それを伸ばそうとして止め、その下に新たに80×3のリボン図をかき、3つに区切ります。80×1が基準となっていることがよくわかる図です。
「80×2と80×3の間」という答に対して、「どっちに近い?」と問い返します。「80×2に近い」ことの説明を、「2.3が2に近い」と手を使いながらする子ども役がいました。それに対して「いい手の動きだね」とほめ、「○○君見える」と他の子どもにも注意を促します。「○○君見なさい」と言わないところがポイントです。和田先生は決してネガティブな表現を使いません。必ずポジティブな言葉に言い換えます。また、同じことを何度も子どもたちに言わせ、同じことでも違った表現をした時にはほめます。子どもたちに広げたいこと、授業で大切にしたいことを意識して、繰り返し答えさせ、ほめています。何でもほめるのではなく、手の挙げ方がよくなった、うなずきながら聞いていたといったしつけたい授業規律に関することと、その日の授業のねらいにつながることを中心にしています。言い換えれば、繰り返し問われることをきちんと理解し身につければ、子どもたちは授業規律が身につきこの日の授業のねらいを達成できるわけです。子どもたちにとっても、わかりやすい授業の構造です。

この日の授業の主課題は、テープの代金をもとに考えるものです。1m150円のテープを5人の子どもがそれぞれ、0.5m、0.8m、1m、1.5m、2m買います。代金が150円より多くなるのは誰かを問います。つぎつぎに指名していきますが、1mを買った「かいと」さんを入れる答とそうでない答に分かれます。「かいと」さんの代金が150円になることを押さえて、「より」多くなるのだから「かいと」さんは違うという子ども役の説明を引き出し、その説明に納得したかを全体で確認します。個人に問い返して深めたことを全体に確認することで、全員がわかるできるを大切にしていることがわかります。

ここからが和田先生の本領発揮です。1.5mと2mを買った2人の代金が150円より多いことの説明を求めます。子ども役からは「1mより多い」という言葉が返っていきます。ここで、多くの先生は「そうだね」と説明を始めますが、和田先生は「何が?」と問いかけます。「長さが」という答が返ってきます。子ども役を何人も指名して、「長さ」が「1m」より多いことを何度も言わせ、「1m」を強く印象付けます。最初の80×2.3を考える時に80×1を意識させる図をかきましたが、こういう場面への伏線となっています。
ここから、長さが「かける数」であり、「かける数」が1より大きければ答はかけられる数より大きくなることを子どもの言葉をつなげながらまとめていきます。見ていてぞくぞくする場面です。代金を求める計算が何かを確認します。「かけ算」という答に対して、「言ってみてくれる」と式を言わせ板書します。長さの部分を縦にきちんとそろえて書きます。1mの時には150円であることは、「かいと」さんが150円より多いかどうかの時に押さえてあるので、150は黒板に書かれています。150だけが代金として明示されています。1mが基準となって、上下に分かれていることが視覚的に表現されています。
長さが1mよりも大きいとかけられる数150円よりも大きくなることが子ども役から出てきます。この場面でも、何が150円より大きくなるのかを確認します。かけられる数の150と答の150の違いを「代金」が150円より大きくなるとして、明確に区別させます。式の「結果」の大小に注目させる発問です。
また、子どもの発言に対して「絶対に?」と揺さぶります。算数・数学では「絶対」「いつでも」はゆさぶりのキーワードです。この言葉が、論理的な説明や証明の必要性につながるのです。指名された子どもは手を動かしながら、説明をします。すかさず「手がついとるよ。みんな見て」と注目させます。子ども役は大人ですが、和田先生のペースに完全に巻き込まれていました。次々に指名されるだれもが手を動かしながら答えていました。望ましい行動をほめることで全体に広がることがよくわかる場面でした。子ども役の説明には、「ぴったし」よりも、「下に行くほど」、「だんだん」多くなる、といった言葉が足されていきます。和田先生は、同じことでも違った表現を黒板の同じところに書いていきます。子どもの言葉を大切にし、子どもの感覚で理解することを意識しています。これも立派な言語活動です。
子どもに「かける数」が1より大きいかどうかを意識させるために、「どこを見た?」と問いかけます。「0.5」「0.8」といったかける数を見ると「代金」(=かけ算の結果)がわかることを子どもから引き出していきます。短い問いかけで、ねらった言葉、考えを引き出す技術はさすがです。

この時間で気づいたこと、わかったことを子ども役の言葉で整理していきます。「1より大きい、1より小さい、ぴったりかで……」という発言の後、指名された子ども役が「同じ」と答えます。同じでもいいからと自分の言葉で話すことを促します。「かける数が1より小さいと……」という発言に、すかさず「同じじゃない。かける数を付け加えて言えた」と評価します。子どもの言葉を自分に都合のいいように聞いて、言ってもいない言葉を足す先生には決して気づくことができません。一人ひとりの発言をどれだけ大事にしているかよくわかります。
子どもの発言の中に「変わる」という言葉が出てくれば、「いい言い方だね」と価値付けをします。「1が基準」という言葉にも「基準という言葉を言ったのは、あなたが初めて」とすぐに反応して板書します。「1だとぴったしで、……」に対しては、「何とぴったし?」「かけられる数」というように進めます。「かける1が大事」という発言に対しては、「なぜ大事か言って」と返し、「境目」といった言葉を引き出します。何ともない言葉に思えますが、数学的には「不等式」や「極値」につながっていく、とても意味のある言葉です。この時点で子どもたちはそんなことに気づきもしませんが、このようなやり取りを通じて子どもたちの数学的な見方や考え方の土壌が耕されていくのです。和田先生が数学的な価値の視点をとても多く持っていて、それにつながる言葉に敏感だからこそ、こういった言葉を引き出すことができるのです。外から見ているので私でもそのことに気づくことができますが、実際に授業をしていたならば、とっさに反応することはできないと思います。なかなかまねをすることができないところです。
また、和田先生の授業は常に「テンポがよい」と評価されますが、その秘密の一つにこの価値の視点が豊富であることがあります。そのため、何を強調するのか、どこを聞き返すのか、また軽く受け流ししたらいいのかの判断が早いのです。和田先生のテンポだけを真似しようとすると、まず失敗します。授業や教科、教材への深い知識があってのことです。

最後に「この時間でみんなが気づいたことが教科書の○○ページに書いてある。自分たちで気づけたんだよ」とこの日の活動を評価して終わりました。自分たちが頑張ってすごいことをしたんだという自己有用感を感じさせる終わり方でした。

さて、「深掘りトークセッション」の司会は玉置先生です。まずは、この模擬授業を参観していたゼミの学生を指名します。3名のゼミ生は「和田先生のほめ方」「最後のまとめ方」「指名の仕方」「テンポのよさ」などを具体的に指摘します。初任者レベルでは気づけないことまで気づいています。パネラーも真っ青です。学生にこれだけのコメントをされてしまうと、プレッシャーがかかります。こうなると座った席が問題です。一番端にいる私は発言が最後になります。私が話すことを残してくれるか心配です。予想通り、「子どもとの言葉を大切にしていることやその授業技術の解説」「常に根拠を問う姿勢は国語と同じだという深い指摘」「テンポのよさについての解説」などあらかた言われてしまいました。学生の素晴らしいコメントもありましたので、そこを「深掘り」してプロらしいところ見せようと思い、「ほめる」技術について次のようなコメントをしました。

子どもたちをほめると言っても、ほめる行動をしてくれなければほめることができません。和田先生は、今子どもにどうなってほしいかの基準が明確で何をしたらほめるのかがはっきりしています。子ども側からすれば、何をすればほめられる、認められるかがよくわかるので、そういう行動を取りやすいのです。だからたくさんほめてもらえるのです。もう一つ大切なことは、まねをしてよい行動をとった子どもも認めてほめることです。一問一答の授業では、指名されて最初に正解した子どもだけが認められます。そういう授業を受けている子どもたちは、最初にやった者しか認めてもらえないと思っています。和田先生の授業では、まねをしてもほめられます。同じ質問に何人も指名され、同じ内容でも言葉を足したり、違う表現をしたりすれば認められます。こういったことが下地としてあるから、子どもたちによい行動が広がるのです。

和田先生がこれほどの技術をどのようにして身につけたかが聞かれます。単純に言えることではないでしょうが、子どもが、何がわかっているのか、何がわかっていないのか、その理由はと常に問い続けていることがその一つのようです。実際の授業での子どもの振り返りノートのコピーが配られましたが、そこから子どもがどのくらい抽象的な概念(ものの見方・考え方)を身につけることができたかを読み取っています。「よくわかっている子どもは、具体的な数が出てこない。理解度が低い子どもほど具体的な数で説明している」という視点は、とても大切な指摘だと思います。

和田先生の授業技術についての深掘りが続きましたが、ここで玉置先生から「不満がある」という問題発言が出てきました。「子どもたちをほめて認めているが、算数・数学的な価値付けはされていないのではないか?」というのです。「え〜?!玉置先生それってどういうこと?」という指摘です。これを私に振ってきます。どうやら道徳のセッションと同じく盛り上げようという腹のようです。それを受けて、「そんなことはない。『これは算数的に価値がある』と直接には価値付けしていないが、価値のあることを繰り返し言わせたり、1について『基準』『ぴったし』といった言葉をたくさん板書に残したりしている。しっかりと価値付けしている」と反論しました。玉置先生に乗せられて、ついつい熱く話してしまいました。やられました。

和田先生から、今日の子ども役は優秀過ぎて授業の進め方を変えたことが話されました。150円より多いかどうか聞けば、必ず計算する子どもがいるはずだというのです。なのに、この日の子ども役からはそれが出てこなかったのです。黒板には150×0.5、0.8、1.5、2の計算結果は書いてありません。そのため、かける数が1より大きいかどうかに注目させることができたのですが、計算の結果から説明する子どもがでてきても計算結果は板書しないということでした。子どもの発言を何でも板書するのではなく、きちんと意図を持って選択していることに納得です。
私からは、教科書にない和田先生独自の導入部分で、「およそいくらになる」という課題を与えたことが、計算して答を出した子ども役がいなかった理由だと指摘しました。子どもたちにできるだけ計算させないようにした布石に、子ども役の先生方が誘導されてしまったのです。こういった布石があっても、実際には子どもたちは計算してしまうようです。子どもらしい発言を上手にしていた先生方です。この布石がなければきっと計算した方がいたはずだと思います。

このトークセッションを通じて、和田先生の素晴らしい模擬授業をしっかりと深掘りできたと思います。進行役と素晴らしい参加者のおかげで多くのことを学ぶことができました。

この模擬授業に子ども役で参加された方が、答えられない子どもの気持ちがわかったとSNSに書き込まれていました。子ども役には一定の作法があります。対象学年の子どもになって答えるという暗黙の了解がありますが、この方は一般の方なので、どのように子ども役として答えていいかわからなったようです。また、答え方のルールなどもわからないので、戸惑ったのでしょう。この方が授業中にうまく反応ができていなかったのが気になっていたのですが、その理由がわかりました。この方は、この経験をわからない子どもの気持ちがわかったと前向きにとらえていらっしゃいました。こういうメンタリティは素晴らしいと思います。若い先生もたくさん参加してくださるので、子ども役に授業者の教室のルールなどを事前説明することも必要だと気づかされました。ありがとうございます。

続いて、「教育情報知っ得コーナー」ですが、それについては明日の日記で。

第1回授業深掘りセミナー(その1)

第1回授業深掘りセミナーが行われました。

1つ目の模擬授業は授業と学び研究所のフェローで岐阜聖徳大学教授の玉置崇先生の道徳の授業でした。
玉置先生は自ら新しい授業に挑戦すると宣言して模擬授業を開始しました。題材は「手品師」です。売れない手品師が、さびしい子どもとの手品を見せるという約束を優先して、大舞台に立つという夢をかなえるチャンスを断るという話です。この題材を使った授業の展開は「手品師は子どもとの約束を優先したが、あなたならどうする?」と自分の判断を考えさせたり、「友人からの大舞台の誘いを受けた時の手品師は、どんなことを考えただろう?」「子どもとの約束を守って手品をしている時の手品師は、どんな気持ちだろう?」と手品師の気持ちに寄り添って考えさせたりするものがほとんどです。大舞台へのチャンスが来たところで話を止めて、「あなたらどうする?」と問いかける展開もよく目にします。
それに対して玉置先生は、最後まで資料を読んだあと、自分がそうするかどうかは別にして、手品師がとりえる行動にはどんなものがあるか、「ありったけ」書き出すように指示しました。「ありったけ」といった言葉を使うところが玉置流です。「たくさん」ではなく「ありったけ」ということで、子どもによい意味でプレッシャーをかけ、集中力を上げるのです。
一人一つずつ発表させます。「自分なら」とか、「どうあるべきか」といった条件がないので、子ども役からは無茶な意見を含め多様な意見が出ます。とはいえ、教室で見る子どもたちの意見と同じく、何とか自分の夢を実現させることを優先して、その上で約束を破ることになる子どもに対してどうフォローするかを考えるものがほとんどです。玉置先生はそれらを一つひとつ板書していきます。17ほどの意見が出てきました。この展開はいわゆる「とりえる行動の選択」の授業のように見えます。この後、よくある「あなたならどれを選ぶ?」と問いかける展開だと話が発散していくのではないかと思いました。それでは面白くありません。ところが玉置先生は、その後、この中から「自分なら絶対にしない」というものを(複数)選ぶように指示しました。これには意表を突かれました。「自分ならどうする?」では、他者の意見に、「それもあるかな」「自分はしないな」と第三者的に見てしまうところが、「絶対にしない」という条件を突きつけることで、否応なしに自分の立場をはっきりせざるを得なくしたのです。
子ども役に絶対取らない行動を選ばせた後、挙手で確認していきます。意見が分かれる行動がいくつかあります。玉置先生は「申し訳ないが自分に選ばせて」と「代わりの人に行ってもらう」という行動を取り上げて、「絶対にしない」理由を聞いていきました。「代わりはあり得ない」ときっぱりとした言葉が出てきます。「縁があって自分がやることを約束したのだから」といった意見を受けて、考えが変わったかどうか確認します。変わった子どもを評価し、子どもの考えを受容しながら他の意見も引き出します。意見に対して、「納得できる?」と全体に問いかけ、「代わりはあり得るのか、ありえないのか?」と焦点化していきます。こういうどの教科にも共通する授業技術もとても参考になります。
「約束は守れないことはある」「子どもはたださびしかっただけなんだから、その手品師でなくてもいい」といった意見も出てきます。玉置先生は、それぞれがよく考えていることを評価しどの考えも認めていくので、子ども役に迷いが出てきます。そのことが、結果として深く考えることにつながりました。意見がある程度出たところで、隣同士で意見交換させます。明確に意見が違っていたペアの一方を指名して、どんなことを話したかを聞きました。指名もその意図がはっきりしています。ここで時間となり、子ども役がいろいろな視点で話してくれたことを評価して授業は終わりました。

続いては、このセミナーの売りの一つの「深掘りトークセッション」(参加者の斎藤早苗さん命名)です。この授業についての進行役は私が務めました。新鮮な気持ちで考えようと指導案を見ていませんので、どのように進めていくかの方向性は事前に決めていません。いつものように、授業を見てのぶっつけ本番です(自分的は、このライブ感が楽しいのですが……)。
最初に、玉置先生にどこが挑戦だったのかを話していただきます。改訂学習指導要領の道徳の解説で、「・・・答えが一つではない道徳的な課題を一人一人の児童が自分自身の問題と捉え、 向き合う『考える道徳』、『議論する道徳』へと転換を図るものである」とあるのを受けて、「考える道徳」、「議論する道徳」への挑戦ということです。子ども役が、「考え」「議論」したという点では満足のいくものだったが、時間もなかったので最後どのようにまとめていけばよかったのかを皆さんと考えたいということでした。パネラーは、伊藤彰敏先生(一宮市立尾西第一中学校教頭)、神戸和敏先生(授業と学び研究所フェロー)、野木森広先生(岩倉市立岩倉中学校校長)、和田裕枝(豊田市立小清水小学校校長)です(五十音順)。いずれも授業の達人として定評がある方ばかりです。何を振っても答えてくださるという方々なので、安心して進めることができます。
まずは、授業を見ての感想から聞いていきます。野木森先生は、このとりえる行動に対して「絶対やらない」ものに焦点を当てるという方法は、子どもが議論するにはよい方法だと評価しました。その上で、議論はしていたのだが、最後に何らかのまとめの場面をつくって道徳としてのねらいを押さえたいという意見です。この題材は「誠実」をテーマに授業をすることが多いのですが、確かにこの授業ではそこの部分がはっきりしないように思えます。続いての和田先生からは否定的な意見は出ませんでしたので、その次の伊藤先生はあえて飛ばして、神戸先生にお願いしました。神戸先生からは子どもが安心して自分の意見を話せるために使っていた玉置先生の授業技術に触れていただけました。若い先生とってはとても大切なことです。ここで伊藤先生に戻ります。伊藤先生は道徳の授業としてはこれではダメではないかと反対意見を出されました。肯定的な意見が続くと議論が深まらないので、反対意見がほしいという気持ちを伝えるために、最後に回したのですが、ちゃんと意図を汲んでくださいました。議論して互いの考えを知ったからといって道徳的に何が変わったのかはっきりしない。これでは道徳ではないという考えを示されました。玉置先生からは、子どもたちが先生の言ってほしいと思っていることを予想して、決められたゴールに向かっていくような道徳の授業が多い中で、こういった子どもたちが考え議論する授業は意味があるという主張を展開します。白熱した展開になります。玉置ゼミの学生も参加していましたが、日ごろと違う先生の姿にはびっくりしたかもしれません。別に事前に打ち合わせしていたわけではありませんが、皆さん役者なので盛り上げようとバトルを演出していたのです。
とはいえ、このままで終わるわけにはいきません。そろそろ着地点を探すことが必要です。模擬授業で玉置先生は意見が違うペアの一人を指名しましたが、そのもう一人の方に話し合った感想を聞くことにしました。考える、議論することを通じてどのような変容が起こったのかを知ることで、道徳としてどう進めていけばよいのかのヒントが出てくると思ったのです。出てきたのは、意見が違うことを否定的にとらえるのではなく「いろいろな考え方がある」という多様性を認める考えと、「行動が違っても、その底には同じ気持ちがある」という共感でした。期待以上の素晴らしい言葉が出てきました。まず前者に関連して、神戸先生に、「多様な考えを子どもたちから引き出すために、具体的にどのようなことを意識すればよいのか?」と質問しました。その前に和田先生に一言、「次、あてますからね」と声をかけておくのを忘れません。神戸先生から、日ごろから子どもたちが安心して発言できるために、教師が子どもの言葉を受容し、ペアやグループ活動を活かして子ども同士が互いの発言を認め合えるようにすることの大切さを説明していただきました。
さあ、ここで和田先生の出番です。ずばり、「この後、この授業をどう進めますか?」と聞きました。和田先生はその質問をしっかりと予想されていました。「やっぱり」と、「行動は違っても、手品を見せる約束した子どものことを思いやっていることが共通にあるので、そういった部分を子どもたちから引き出し、共有することで道徳としてのねらいにつなげることができる」と誰しもが納得する進め方を示していただけました。
「とりえる行動」を子どもたちからできるだけたくさん引き出し、それに対して「絶対しない」ことは何かと焦点化することで、子どもたちに当事者意識を持たせて議論を焦点化する。「考え」「議論」させることを通じて、多様な考え方の底に「共通」する、「誰もが大切にしていること」を引き出すことで道徳としての「ねらい」をクローズアップする。このような新しい道徳の授業の進め方を模擬授業とトークセッションを通じて提案することができたと思います。阿吽の呼吸で、私の意図を読んで対応してくださる先生方のおかげで、何とか私の役割は果たせたようです。

後で振り返ってみると、玉置先生が中途半端な形で授業を終えたのはこのようなトークセッションの展開を意図してのことだったと思います。見事に玉置先生の掌の上で泳がされていたようです。

この続きは、明日の日記で。

授業検討システムの改善点について検討

先週末、授業深掘りセミナーに先立って授業と学び研究所の会議が行われました。
授業深掘りセミナーの最終確認のあと、授業検討システムを使用しての感想や改善点について話し合いました。
私ともう一人のフェローが実際に使ってみて、共に、非常に可能性のあるシステムだという感想を持ちました。以前のシステムと比べてねらった場面をピンポイントで再生が可能で、その場面を見つけるのもずいぶんとやりやすくなりました。いろいろな面で使いやすくなったので、細かい点で、こうしてほしいという要望がたくさん出てきました。一つひとつは些細なことなのですが、そのちょっとしたことで使い勝手が大きく異なってきます。もともとは1時間の授業研究を意識してつくられたものを、今回、私たちが1時間にいくつもの授業を見るために利用したので、使い勝手で気になる点が出てきたのです。面白かったのが、私ともう一人のフェローの指摘がほとんど同じだったことです。利用目的が一緒だったこともありますが、きっと同じような視点で授業を見ているのだろうと思いました。

具体的にこうしてほしいという要望がありますが、それをそのまま実装してもらったからといってよいものになるわけではありません。なぜそのような要望を出すのかを開発担当者に伝えることで、逆にもっとよい提案していただけることもあります。そういったことを踏まえて、直接開発担当者と話をする機会を持つことになりました。今後こういった意見交換を繰り返すことで、よりよいものになっていくと思います。

私学で打合せ

私立の中高等学校で、打ち合わせと授業見学を行ってきました。

授業を見て感じるのは、子どもたちはわかるようになりたい、できるようになりたいと思っていることです。特に高校3年生は昨年の同時期と比べて、学習に前向きな子どもが多いように感じました。ただ一部の子どもは、やる気はあるのですが、やってもできないと自信ややる気を失くしてしまっているようです。教科によっては、最初からあきらめている子どもが目立つことが気になります。入学した時点で既に苦手意識を持っている子どももいます。この子どもたちに気持ちをリセットさせることが大切だと思います。今年度入学の高校1年生には中学校の内容を含めて基礎の徹底を図っています。このことが上手く機能してくれるとうれしいのですが。

何人かの先生から学校の現状と対策について意見をうかがいました。大学入試の改革が視野に入ってきました。子どもたちに求められる力が変化してきていますが、一部の先生を除いてそれに対応していこうという積極的な動きが見られません。全体の流れが見えてから対応しようとしても、それまでにベースとなるものを培っていないのですぐにはできません。具体的にどうすればいいのかはっきりしたものが見えなくても、目指すべき目標に向かって進んでいこうとすることが大切です。子どもたちに求められる資質・能力を意識した授業へと改善していこうという気持ちになってほしいと思います。
次回の訪問時に、希望者を対象にこういった新しい動きとそれに対応して具体的にどのように授業をつくっていくのかについてお話させていただくことにしました。子どもたちがどのように育っていくのかがわかるような授業の映像を準備したいと思います。

今年度実施の授業評価についても打ち合わせを行いました。これについては、しばらくは経年変化を見るために項目を固定することになりました。学年ごとに昨年との比較をすることでいろいろなことが見えてくるのではないかと期待しています。

授業改善へのエネルギーを感じる

昨日の日記の続きです。

3年生の若手の英語は、教科書のまとめの問題に取り組んでいる場面でした。本文の内容をもとに英文の質問に答える問題を、個人でノートにやっています。早い子どもは次の作業が指示されているので時間をムダにはしていません。子ども同士聞き合っている姿も見られ、よい場面に見えますが、どうにも気になります。本文の内容を理解していれば答えられる問題ですが、逆に言えば教科書の本文の該当箇所を見て写せばそれで解答できてしまいます。学習した英語を使えるようにするためには、本文を見ないで即答させることの方が有効だと思います。このことを授業者に伝えました。授業者もそういった疑問は持っていたようです。質問を授業者が英語で問いかけ、全体や個人で何度か答えさせてそれをノートに書く。こういった活動に変えると時間のムダも減って、密度の濃い活動になると思いました。

1年生の若手の英語は、工夫がたくさんありました。
フラッシュカードを使って英文を読ませます。復習なのでしょう、子どもたちだけで読ませます。リピートの場面では、発音をていねいに指導しています。ねらいがよくわかります。
教科書の文章の内容が描かれた1枚の絵を使って、その状況を英語で話させます。”situation”を英語に直すことを意識して授業が組み立てられています。残念だったのが、全員が反応できていないのに次に進んでしまうことです。個別に指名して確認したり、もう一度全員に言わせたりといったことが必要でしょう。また、フラッシュカードや絵を持った時に視線が正面に固定される癖があることも気になりました。全体の反応を見ながら進めることができるともっとよくなるでしょう。
各場面で子どもたちに何を求めているかが明確になってきました。同じ学年担当同士で、いろいろと工夫しながら授業づくりをしています。チームワークのよさを感じます。英語科は若手が多いのですが、こうやって互いに学び合うことがとても大切です。この半年でずいぶんよい方向に変化していると思います。これからの成長が楽しみです。

2年目の英語の先生の授業研究は、三人称単数現在の”s”の定着場面でした。絵を見せてその場面を英語で言わせます。指名した子どもが答を言った後、全員に言わせます。間違えた時も自分で正解を言わずに、他の子どもを指名して答を聞かせ自分で修正する機会を与えます。子どもたちが、友だちの発言を一語一語うなずきながら聞いていました。集中度の高さを感じます。
授業者が全員できるようになってほしいと強く願っていることがよくわかります。力のない子どもも指名します。答えられなくても他の子どもや全体で言わせることで、自分で修正できるのを待っています。授業研究などでは答えられない子どもはあえて指名しないこともよくあるのですが、授業者はそのようなことを全く考えていないようでした。子どもたちに対する誠実さを感じます。教師として一番大切な資質を持っているように思います。ただ、残念だったのが、できない子どもを何度も指名しすぎたことです。もう少し間を開けて、同じ内容の確認を別の場面で行うといったやり方もあります。できない子どもを意識過ぎて、他の子どもたちがその子どものための活動場面のように感じることも心配です。
グループでの活動場面で、ちょっと落ち着きのない子どもが間違ったことを言っているグループがありました。その子どもには困らされていることもよくありそうでしたが、子どもたちは一所懸命に声をかけ、間違いを直させようとしていました。よい学級がつくられていると感じました。
まだ、2年目の先生ですが、会うたびに何かしらの進歩を感じさせてくれます。今後の成長が本当に楽しみです。

3年生の数学は変化の割合の場面でした。前回授業を見てほしいと声をかけてくれた若手の授業を中心に見せていただきました。
一言で言うと、何を押さえたいか、大切にしたいかがわからなくなっていました。その迷いが授業に出ています。余裕が無くなっています。
1次関数を使って変化の割合の復習をします。「変化の割合を表わしているのは何か?」と子どもたちに聞きます。傾きと比例定数という言葉がでてきました。比例定数は間違いなので授業者は修正しようとします。どういうことか聞き返し、”a”という言葉を引き出しますが、そのあとy=ax+bのaであると確認して、これは比例定数ではなく傾きだと説明してしまいました。間違えた子どもは、1次関数の「比例部分」という言葉が印象に残っていたので、比例定数という言葉を使ったのでしょう。であれば、「比例部分の定数のことを言ったんだね。1次関数ではこのことをなんて言ったっけ?」と本人に修正させたいところでした。
子どもの言葉を受け止めて、うまく返すこともできるようになっていたのですが、この日は自分で説明してしまっていました。
変化の割合を定義した後、y=x2で変化の割合を、表を使って考えます。増分を1にして確かめますが、割合だからxの増分で割ることを確認しなければいけません。しかし、xの増分が1だからと、何も言わずにyの増分だけに注目しました。次の例題は増分が1ではありません。今度は定義からxの増分で割らなければいけないと説明します。一部の子どもが、モヤモヤした表情を見せていました。
変化の割合が一定でないことを押さえるだけで、これが何を意味しているかは押さえません。グラフ上の点を結んでその2点間の傾きを意識させる図を描きますが、その図と変化の割合の関係を押さえることをしません。変化の割合が増えるとその線分を延長した直線よりもグラフは上になります。変化の割合が増えていくということは、どんどん上に向かって急なグラフになるということです(x>0で考えていた)。これは、前にやったy=x2のグラフの特徴を説明するものです。こういったところを押さえなければ、子どもたちは何で変化の割合を調べるのかわかりません。変化の割合からグラフの概形がわかることは、高等学校で学習する微分にもつながる大切なことです。
授業者はこの日の授業を、子どもたちが全く考えていない授業だったと、自ら振り返っていました。自分でもモヤモヤしていると素直に本音を語ってくれました。ある程度子どもたちとやりとりができるようになって、その後少し成長が止まっていました。しかし、じぶんで壁に気づいてくれました。教材研究が不足していることが一番の原因ですが、子どもの姿からそのことに気づいてくれました。自らその壁を壊そうと動き出したのです。このことはとてもうれしいことです。毎回私が教材の解説をするわけにはいきません。自分で何とかしていかなくてはなりません。しかし、頼りになるベテランもこの学校にはいます。自分で勉強し、わからないことは同僚に聞く。この姿勢を大切にするように伝えました。すぐに結果がついてくるとは言えません。遅々とした歩みになるかもしれませんが、前に進み続ければいつか必ず目的地に着くはずです。まずは、次の成長への第一歩を踏み出したことを喜びたいと思います。

2年生の数学は方程式のグラフと連立方程式の関係の場面でした。
1次方程式のグラフをかくのに、yについて解いていました。そのことの意味は少なくとも板書には押さえていませんでした。1次式だから1次関数と見ることができるということが大切です。もっと言うと1次方程式のグラフは直線であることをきちんと押さえれば、グラフのかき方はもっとシンプルにできます。また、方程式のグラフは解の集まりであることをどこにも押さえていません。「方程式のグラフの通る点=方程式の解(を座標とする)」を明確にし、連立方程式の解は「同時に成り立つ」解と合わせて、グラフの交点という関係を整理しなければいけません。
根本的なところを整理せずに、問題を解いていては色々なことが出てきてわけがわからないということになってしまいます。子どもたちが関数に苦手意識を持ってしまうのです。他の単元で学習したことを関数的な視点で整理し直すということをもっと大切にしてほしいとおもいます。

特別支援学級の授業は国語の授業でした。
6人ほどが同じ内容を学習しています。特別支援でこの人数を同時に教える場面を見ることはあまりありません。子どもたちの関係も含めて興味を持って見ました。友だちとかかわったり、フォローできたりする子どももいます。こういった子どもが活躍している場面を見ることができました。もちろんコミュニケーションを上手く取れない子どももいます。そういう子どもを中心に授業者は支援していきます。授業者は子どもに寄り添うように接していますが、その間、課題ができた子どもは手持ち無沙汰です。学力差があるので仕方がないのですが、個別に追加の課題を準備できるとよいように思いました。

この日も、授業に前向きに取り組んでいる先生方の姿をたくさん見ることができました。若い先生を中心に授業をよくしようというエネルギーを感じることができることは本当に幸せなことです。このエネルギーを授業の進歩、子どもたちの成長という結果に変えるお手伝いをすることが私の役割です。そのような機会をいただいていることをとてもうれしく思います。

保健と体育の授業で考える

中学校で授業アドバイスを行ってきました。
学校の様子は、1年生については前回と比べて大きな変化は感じませんでしたが、3年生の教室では落ちつきが少し増しているように感じました。2年生は授業者による態度の変化が小さくなっていたように感じました。少し見ただけなので何とも言えませんが、何か変化するきっかけがあったのかもしれません。次回訪問時にじっくり見て見たいと思います。

この日は保健・体育の授業をたくさん見せていただきました。体育はどの授業でも子どもたちの集団行動がしっかりできていると感じました。授業者は座っている子どもに対して目線を下げて、視線を合わせることを意識しています。こういったことが子どもたちとの関係にもよい影響を与えていると思いました。

1年生男子のハンドボールの授業は全員がシュートを打つという目標で、オフェンスチームとディフェンスチームに分かれての練習でした。目標はわかりやすかったのですが、子どもたちがその目標を達成するためにどのようなことに注意をすればいいのか、意識できていません。「前が空いていてすぐにシュートができる状態であれば、パスを求める」「ボールを持っていない者が、パスの指示をする」といった場面が見られませんでした。球技ではボールを持っていない時の動きが大切ですが、ボールを持ってから次のプレーを考えています。どこかで指導するとよいでしょう。チームごとに作戦会議の時間があるのですが、中にはすぐに終わって遊んでいるチームもありました。考える糸口がないのかもしれません。「シュートにつながるパス」「指示の声をだす」といった、子どもたちに意識してほしい行動を目標に組み込むことも必要かもしれません。
また、授業の最初にウォームアップもかねてパスの練習をしていましたが、きちんとできていない子どもがたくさんいました。最初にパスの指導をした時にはポイントを押さえていたと思いますが、定着していないようです。例え以前に指導したことでも、定着するまで毎回確認をすることが必要です。
振り返りを授業の最後に個人個人で書かせますが、団体競技なのでチームとしての振り返りが必要です。チームとしてこの時間でできるようになったこと、次回にできるようになりたい目標などを書かせることで、授業者も次の時間の構想を立てやすくなるはずです。

1年生の女子のサッカーの授業は、初めてのゲーム形式の練習でした。身体接触のあるサッカーを女子は嫌うそうです。しかし、シュートを決めた時の喜びようを見ると、達成感を持たせることで、好きになるのではないかと思いました。1時間の授業が終わった時に進歩したと実感できるようにすることが大切です。そのためには達成したかどうかがわかりやすい目標設定と、達成するために具体的にどのようなことを意識すればよいのかを明確にすることが求められます。
授業者は子どもたちを集めてポイントの説明をしていますが、言葉による説明が主になっていました。身体的な動きを言葉で説明されても、その競技に精通して技術が身についてこないと、理解することができません。一部の子どもたちの頭が下がってきます。ところが、授業者が実際に動いて見せるとすぐに顔が上がります。視覚的な要素が大切になることがよくわかります。位置取りの説明であればホワイトボードを使って見せる。体を使った動きなら、子どもを前に出させてやらせてみる。そういうことが大切になります。
インターバルにチームでうまくできたことや反省点を話しますが、なかなか言葉が出てきません。プレーに一生懸命で客観的に見ることができていないのでしょう。シュートをどれだけ打ったかの記録をとる係が各チームに2人います。シュートのチェックはしているのですが、相手チームが攻めている時はすることがないのでボーっとしたり雑談をしたりしています。ゲームでのチェックポイントを意識して観察させ、仲間にアドバイスをする役割を持たせるとよかったでしょう。チェックシートをつくっておくのも一つの方法です。
ボールを奪う練習を鬼ごっこの形式でやったりボールを使わずに動きの練習をしたりと、基礎的な練習にも工夫がみられましたが、男子のハンドボールと同じく基本的なことが定着していません。ドリブルもパスもトーキックが主体で、インサイドキックやインスッテプキックを使い分けることができません。女子にとっては難しいことなのでしょうが、こういったことを意識させないと結局ゲームを楽しむこともできなくなります。子ども同士で指摘し合えるような工夫がほしいところでした。

2年生の男子のダンスの授業は、とても興味深いものでした。
体育でのダンスの主流はヒップホップになっています。男子でも楽しく踊れるものです。子どもたちは横何列かで向き合って踊っているのですが、一生懸命に体を動かし、友だちと動きが上手く合った時などはとてもうれしそうにしています。
この時間は次時以降で行う創作を意識して、ダンスバトルを取り入れていました。2人が向き合って交互に相手の方に進んで自由にいろいろな動きをするというやり方でした。いろいろな動きをすることが創作につながるというわけです。子どもを1人前に出して、授業者と2人で実際にやって見せます。子どもたちは楽しそうにかつ真剣にその様子を見ています。代表の子どもが授業者の動きに対してなかなか見事に切り返すので、子どもたちはやってみたいという気持ちになったようです。上手く子どもたちに意欲を持たせることができました。
全員でダンスバトルに挑戦する前に、今までやってきた動きを上手く使うことを意識させましたが、実際にやってみると、子どもたちは、基本的な体をゆする動きを交互に繰り返すだけで、なかなか他の動きをすることができません。今までやってきた動きをするといってもとっさには出てこないものなのです。ちょっと時間はかかりますが、ダンスバトルを始める前に今までやってきた動きを実際にやって見せることが必要だったようです。
体育に限らず、それまで学習してきたことはできる前提で授業を進めることが多いのですが、授業者が思っているほど定着していないものです。次の活動に必要なことは実際にやって見せるなどの確認が必要になるのです。とはいえ、どの子も一生懸命にダンスバトルに取り組んでいました。とてもよい姿を見ることができました。

2年生の女子の保健は2学級に分かれ、若手2人がそれぞれ授業を行なっていました。環境問題で3R(Reduce Reuse Recycle)について考える授業でした。
どちらの学級も授業規律は良好です。子どもたちにごみ(廃棄物)の種類を考えさせましたが、これに時間をかけることにあまり意味はありません。考える問題というよりも知識の問題だからです。子どもたちに活動をさせたかったのであれば、調べる活動にすべきだったでしょう。授業者は2人とも手元に板書計画を持って授業をしていました。板書には3Rの説明が書かれています。しかしこの授業では環境問題に対する対策として3Rを教えることよりも、自分たちにどのようなことができるかを考えさせることの方が大切です。資料をもとに、どのような対策をとればいいのかを考えるのです。「ごみの量」「ごみ処理場の数」「不法投棄の件数」などの年度ごとの変化がわかるグラフを準備するとよかったでしょう。「人口は増えていないのにごみが増えているのはどういうことか?」といった疑問を持たせながら、原因と対策を考えるのです。3Rが直接出てくるかどうかはわかりませんが、子どもたちの考えを整理し分類しながら、それらを「リデュース」「リユース」「リサイクル」と言うことを教えればいいのです。板書計画は立てることはとてもよいことですが、板書する内容を教えるのではなく、子どもから出させることを意識してほしいと思いました。

他の授業については明日の日記で。

社会科の授業力を高めるための講演

市の社会科の研究発表会で講演を行ってきました。私の講演の前に若手の研究発表が2つありました。どちらも子どもたちを主体的に活動させたいという意欲を感じる取り組みでした。子どもたちに自主的に取り組ませるためには、課題や資料をどのようなものにするかがとても大切になります。2つの発表からいくつかのヒントをいただけました。ありがたいことです。

私の講演は、「授業力を高めるために意識したいことは何か」という題で社会科の授業で大切にしてもらいたいことについて、今後の教育課程の動きと具体的に社会科としてはどのようなことを考えればよいのかについてお話ししました。
最初に、教科を越えて今後子どもたちつけるべき「資質・能力」について、中教審関係の資料をもとに説明しました。一部の社会科の授業では知識を教えることが主体となっていますが、そうではなく主体的に課題を見つけ、協働的に課題を解決する力や学んだ知識を活用する力をつけることが求められています。アクティブ・ラーニングもそのための手段です。そのことを前提としたうえで、社会科の視点として「事実を手掛かりに考える」「史実を手掛かりに考える」「自分たちの生活から考える」「因果を考える」といったことを意識してほしいことを伝えました。
社会科を通じて身につけさせてほしい「資質・能力」に関連して、「資料を見る力」「資料を活用する力」について、「気づいたこと」といった発問では子どもたちは考えられないことや資料の活用には「見つける」「読み取る」「資料をもとに考える」という3つのステップを意識する必要があることをお伝えしました。
また、子どもたちが主体的に考えるためには、ただ「考えよう」といった課題や資料を調べてまとめるといった活動ではなく、考えなければいけないような仕掛けを組み込むことが必要です。資料を探せば答が見つかるものではなく、「もし、○○がなければ?」「○○が起こらなければ?」といった資料には絶対ないことを問うのも一つの方法です。
また、子どもに疑問を持たせるために、演繹と帰納の2つの考え方を使うとよいでしょう。例えば米作りに関する授業であれば、「米作りに適した地理的条件を考えさせ、米作りが盛んなところを予想させて、実際との違いに疑問を持たせる」という演繹的な進め方と、「米作りの盛んなところを調べて、そこから米作りに適して地理的条件を考えさせる」という帰納的な進め方があります。米が本来温かいところでの耕作に適していることと、実体の違いに子どもたち自身で気づくことで、主体的に課題を見つけてくれると思います。
地理的分野であれば「人の営みと地理的な要素の関係を考える」、歴史的分野であれば「歴史的な事件や事実をつながりとしてとらえる」、公民的分野であれば「総合的・多面的にとらえる」といった視点で考えると、課題を作りやすいと思います。

子どもたちの活動の結果で共有すべきことは、結論や結果ではなく、その「過程」や「根拠」であることを強調させていただきました。特に「課程」はメタな技能としてつけてほしい力の大切な一つです。また、教師が結論を板書でまとめると、子どもたちは結局教師の答を正解として受け止めてしまします。教師の求める答探しをし始めるのです。自分の考えで答を見つけるためにも、まとめは子ども自身で行わせる必要があります。このことも強くお願いしました。

与えられた時間を勘違いしていたため駆け足でのお話になってしまい、話が散漫になってしまいました。申し訳ないことをしました。
教科についてのお話を依頼されることはあまり多くないので、私にとってはとてもよい学びの機会となりました。このような機会をいただけたことを感謝します。

授業深掘りセミナーの準備が進む

第1回授業深掘りセミナーがいよいよ明後日(10月10日)に近づきました。先週の授業と学び研究所の打ち合わせは、当日の会場で行われ、実際に机を並べ、黒板やICT機器も準備してセッティングをいろいろと検討しました。できるだけ教室の雰囲気に近づけることで、模擬授業のリアリティも増すことと思います。これなら違和感のない授業になると思えるセッティングになりました。きっと参加された方に満足していただけるセミナーとなること思います。当日が楽しみです。

この日、かねてから開発中の授業検討システムの新しいバージョンが3セット届いていました。それぞれのフェローが授業を見る時に自由に使えるようにという配慮です。早速試してみましたが、私たちの要望がかなり盛り込まれた素晴らしいものになっていました。とはいえ、実際に使って見ないと正しい評価はできません。授業を1時間じっくり見る時といくつかの教室を次々に回わりながら見る時、複数で検討する時と個別にアドバイスする時というようにいろいろな場面が考えられます。状況によって求められるものは違うはずです。それぞれの場面で「どのような使い方をするといいのか?」「どのような機能が求められるのか?」、こういったことを今後研究していきたいと思います。これから学校で授業アドバイスする時は、できるだけこのシステムを使ってみたいと考えています。皆さんのご協力をお願いしたいと思います。
なお、このシステムは来年の2月に予定されている、「愛される学校づくりフォーラム2016 in東京」でも紹介できればと考えています。興味のある方は、是非このフォーラムに参加してください。正式な発表は12月の予定です。

アクティブ・ラーニングの研修とうれしい報告

私立の中高等学校でアクティブ・ラーニングの進め方についての研修を行ってきました。希望者を対象にアクティブ・ラーニングを進めるにあたっての基本的なことを3回に分けてお伝えする第1回です。先生方はなかなか時間が取れないので、授業時間中と授業後に同じ内容で2回行いました。参加いただいた先生方は、現在アクティブ・ラーニングを実際に取り入れている、取り入れようとしている方たちでした。こういった先生方が核になって、この学校の授業改善が進んでいくことと思います。1回目は、アクティブ・ラーニングを進めるにあたって、どのようなことに気をつけるとよいのかを授業技術や授業の進め方を中心にお話しました。

最初に、アクティブ・ラーニングは、これからの時代を生きる子どもたちに求められる資質・能力を身につけるための手段であることをお話ししました。知識だけでなく、「どのように社会・世界と関わりよりよく人生を送るか」「知っていること・できることをどう使うか」ということを考えた時に、従来の授業のやり方だけではそのような力をつけることが難しいので、アクティブ・ラーニングの手法を取り入れる必要があるということです。
そういう意味では、授業のデザインがとても大切になります。何を課題としてどのように進めるかです。特に課題が大切になりますが、アクティブ・ラーニングを進めるためにはその大前提として、教室が安心して暮らせる、何を言っても大丈夫な雰囲気になっていることが必要です。この学校ではその前提が満たされてきたので、アクティブ・ラーニングを進めていこうという空気になったのだと思います。
課題や発問、活動は、子どもたちにとって考える必然性のあるものでなければいけません。天下りで今日の課題はこれだと提示されても、積極的に取り組むことはできません。子どもたちが主体的に取り組めるような工夫が必要です。また、従来の教師の求める答を探すような課題や活動ではなく、考える過程や結論に至る根拠を共有することを大切にしたものでなければなりません。この学校でも、ペア活動やグループ活動が盛んになってきましたが、このことを意識して活動させることが必要です。
このようなことを、具体的な場面を例にしながら説明させていただきました。実際に取り組んでいる方は、自分の授業場面で具体例をイメージできるので、私の言っていることをよく理解していただけたようです。この種の研修は、実際に取り組みだしてからの方が効果的だということがわかります。
次回は、これからの時代を生きる子どもたちに求められる資質・能力はどのようなものかをもう少し具体的にして、アクティブ・ラーニングを通じて何を目指していけばいいのかをお伝えしたいと思います。

空き時間に、英語科の先生から最近の授業での子どもたちの様子を聞かせていただきました。高校3年生のその授業では、子どもたちが興味を持てるような軽い小説を配って、内容を英語で要約するという課題を与えています。先生が教室に入った時には、すでにグループの隊形になって課題に取り組んでいるそうです。疑問な点があっても、先生には質問せずに自分たちで聞き合っています。中にはグループではなく個人で取り組みたい子どももいるそうですが、そういう子どもも必要であれば手の空いた友だちに相談しているようです。授業者の予定よりも早く進んで、ワークシートの準備が追いつかないほどだそうです。子どもたちの興味を引く課題と、子どもたちだけでわかるように工夫したワークシートのおかげで、自分でわかったという達成感を持たせることに成功しています。ですから、子どもたちは自主的にどんどん取り組んでいるのです。この1年余りいろいろと工夫を重ねてきた結果、この学校の子どもたちのよいところを引き出すことに成功したようです。前向きに取り組んできたことが実を結びつつあります。「授業中に子どもたちから必要とされていない」とその先生は笑っていましたが、ある意味理想的な姿だと思います。授業中は何もしていないように見えても、その陰では教材の吟味や課題の設定、印刷などの準備に多くの時間を費やしています。黒子に徹しているのです。こういった取り組みの成果を今後どのように広げていくのかが、とても大切で楽しみな課題です。

先生方のおかげで、とてもよい学びをさせていただいていることに感謝です。

授業研究から大いに学ぶ

昨日の日記の続きです。

家庭科の授業研究は、お弁当の献立をグループで考える1年生の授業でした。
「○○が喜ぶ弁当」がテーマです。教科係が担任に聞いてきた情報を発表します。好きなもの、嫌いなもの、ご飯系かパン系か、アレルギーの有無などです。係2人は一方が説明し、もう一方が用意した紙を貼って発表します。紙を用意するのは自発的だったそうです。今の子どもたちはこういったことに慣れていると思いました。ただ、口頭で発表した子どもは、顔があまり上がらず、メモを見てしゃべっています。せっかくですから、こういったところも指導しておくとよかったでしょう。
○○が担任の先生だと確認してから授業を進めます。担任は、唐揚げが好きで、ご飯系のお弁当が好みです。ゴーヤやトマト、きのこ類が苦手でアレルギーはない。この情報をもとに担任が喜ぶ弁当の献立を考えるのですが、授業者がもう1つ条件を付け加えました。1〜6群の食品をすべて入れることです。この条件を授業者から出しましたが、「お弁当で大切なことは何?好きなものだけ入れればいい?」と問いかけて、子どもたちから引き出してもよかったでしょう。または条件に入れずに、献立をつくる課程で気づかせてもよかったでしょう。
食品群を出したところで、復習をします。子どもたちに食品群に関することを質問しますが反応がありません。数人が挙手しますが、ほとんどの子どもは動きません。教科書やノート、資料集を見る子どもがいてもよさそうですが、そういう子どももいません。子どもたちはこの場面は参加しなくても困らないということを知っています。挙手した子どもを指名するのではなく、子どもたちに参加、活動を促すことが必要です。
主食・主菜・副菜の割合が3:1:2を確認しますが、この比率が何を表わしているかが私にはよくわかりません。弁当で占める面積でしょうか、重量でしょうか?特に野菜は、その加工の仕方で、かさは大きく変わります。子どもたちは何の疑問も持たずに納得していましたが、気になるところです。献立てを考えていく途中で、生野菜にするのか煮たものにするのかといった論点につながるところです。
続いて、グループ活動について発表用紙のまとめ方の説明をします。ここでも簡単な質問をしますが、子どもたちは反応しません。授業開始から10分ほど経ちました。最初はとても集中していましたが、さすがに少し落ちてきます。授業者は早く進めたいので子どもとのやり取りに時間をかけなかったのでしょうが、もっと子どもたちを動かすことを意識するとよいでしょう。手元の食品成分表を見て探させるなどの作業を入れるだけで子どもの集中力は維持できると思います。
今回の献立の目標は担任の先生が「喜ぶ」です。こういった目標があるのはよいことですが、まだ抽象度が高いことが気になります。意見が分かれた時に、何でも主張できてしまいます。決定プロセスがはっきりしていません。子どもたちは思いつきを話して、テンションが上がってしまう恐れがあります。また、献立と合わせておすすめポイント発表することになっていますが、おすすめポイントは先生が喜ぶに直接つながりません。このことも気になります。実際に子どもたちは、よく相談していましたが、予想通り思いついた献立を言い合っているグループが目立ちます。献立決定のプロセスを明確にして相談しているグループはありません。最終の出力ははっきりしていますが、そのための方法論が不明確なのです。このことをあらかじめ与えておく方法と、子どもたちから出させる方法があります。
前者であれば、作業に入る前に「どんな弁当だったら担任の先生は喜ぶと思う?」と問いかけて、子どもから意見を出させます。「唐揚げが好きだからガッツリした弁当」「唐揚げはカロリーが高いから、苦手そうな野菜を上手く組み合わせたバランスのよいもの」「ダイエットにいいもの」「先生の好きなキャラクターのキャラ弁」……と言ったことを出させ、まずどんな弁当だったら喜ぶかを考えさせてから献立作成に入るのです。「先生が喜ぶ弁当はどんなものかを考える」「具体的な献立をつくる」と作業を明確に2段階に分けてもよいでしょう。
後者であれば、作業の途中で一旦止めて、どんなことを相談しているかを聞き合います。そこで、進め方や決定の方法などを確認して共有するのです。
また、食品群がきちんとチェックされていないグループが目立ちます。表をつくってバランスを確認しているグループは見当たりません。その割には、おすすめポイントでは「バランスのよい」をうたうグループが多いのです。事前にチェックの方法を考えさせるか、チェックのための表を道具として与えておいてもよかったかもしれません。
授業者が、説明の時にキャラ弁のことを話したことと、担任の先生がキャラクター好きなこともあって、先生が喜ぶキャラ弁に走っているグループが多くありました。中には、弁当の完成図を描くことに夢中になっている子どももいます。家庭科のねらいとはちょっとずれてしまいました。
全体での発表はグループの内2人が前に出て、一人が説明して、一人が完成図を見せるというものです。特に授業者が決める時間を設けなくても、すぐに発表者を決めてスムーズに進みました。こういったことは鍛えられていると感じます。子どもたちの発表を聞いている姿は悪いものではないのですが、傍観者です。「喜ぶ」が明確になっていないので、自分たちと比較したり参考にしたりできないからです。おすすめポイントも判で押したように「好きな物中心」「バランスのよい」「先生の好きなキャラクター」の言葉が並びます。目標である「喜ぶ」を深くとらえているグループはありませんでした。
面白かったのが、唐揚げの材料を書き出す時に、家庭によってつくり方や材料がかなり違うことです。ここを上手く取り上げても面白い授業になったと思います。唐揚げから、家庭の味を考えさせ、世に言う「おふくろの味」「ソウルフード」といった食育につなげてもよかったでしょう。いろいろな唐揚げをつくって喜んでもらうといったアイデアにつながったかもしれません。
グループで一つのものをつくるような活動では、決定のための根拠やプロセスを明確にすることの必要性に改めて気づかせてくれる授業でした。

理科の授業研究は、3年生のイオンの学習?の単元の導入場面でした。他の授業との関係で、最初と最後しか見ることができなかったのが残念です。
最初に、溶質、溶媒といった水溶液に関する知識の復習を行います。全体で答えさせようとしますが、なかなか全員が反応しません。教科書やノートを確認させて、全員が参加できるようにしたいところでした。
知識として、精製水には電気が流れなかったことを確認します。電気を通すものがあるかを子どもたちに問いかけると、食塩水という声が上がります。この日の授業のねらいは実験を通じて「水溶液には水を通すものと通さないものがある」ことを知る、まとめは「水に溶けると電気を通すものを電解質、そうでないものを非電解質という」です。もう実験をしなくてもねらいは達成できています。その上でアルコール水や砂糖水、食塩水、塩酸、水酸化ナトリウム水溶液、水道水などで電気が通るかどうか確認する実験をしても、子どもたちに課題意識はありません。通すものもあれば通さないものもあることは知っているからです。
実験の様子を見ることはできませんでしたが、まとめの場面は見ることができました。
まとめには、「電解質を水に溶かすと電気を通す」と書いてありました。ちょっとびっくりです。中学校では「水に溶かすと電気を通す物質を電解質」と定義しています。あたりまえのことが書いてあるというか、定義と性質がぐるぐる回っています(循環論法?)。続いて、砂糖と食塩に電気が流れないことを演示して授業は終わりました。
この授業であれば、電気が流れるもの、流れないものがあることは知っていることを前提にして、用意したものに電気が流れるかどうか予想させます。すぐに考えさせると根拠のない想像になってしまいますから、それぞれについて知っていることをできるだけたくさんあげさせます。砂糖水は「甘い」「焦がすと炭になる」、食塩水は「中性」「しょっぱい」、アルコール水は「酔う」「揮発性」、塩酸は「酸性」「金属を溶かす」、水酸化ナトリウム水溶液は「アルカリ性」「皮膚を溶かす」、水道水は「弱アルカリ性」「殺菌してある」といったことを言わせます。その上で、予想させるのです。この情報から根拠に基づく正しい答を導き出すことはできませんが、電気を通すかどうかにつながる何かを見つけようとさせるのです。結果から酸性、アルカリ性は電気を通す。中性はわからないといったことを考えてくれるだけでも大成功です。イオンと酸性、アルカリ性との関係への布石になるのです。
砂糖と食塩に直接電気を通す実験では、子どもたちに「砂糖も食塩も電気を通さないね。砂糖と食塩を混ぜたらどうかな?」と問いかけたいところです。実験をして通さないことを確認した後で、「通さない同士を混ぜたんだから当然だね」とまとめて、「砂糖も精製水も電気を通さないね。これを混ぜても当然電気を通さないね」と砂糖水の結果を思い出させて、「食塩も精製水も電気を通さないね、これを混ぜても当然電気を通さない……??」と食塩水が電気を通すことに疑問をもたせるのです。「おかしいじゃない!!どういうこと?」と問いかけて、子どももから「水に溶かすと食塩が変化する」といった言葉をひきだすのです。「えー、でも食塩水を蒸発させたらちゃんと食塩の結晶ができたよね。変化してないじゃない」というように揺さぶって、「次の時間から、このことについて考えよう」として子どもたちに課題を意識させて終わるのです。
子どもたちに、主体的に課題を持たせることが大切であると言われていますが、それほど簡単なことではありません。しかし、同じ実験をしても、ちょっとしたことを質問して焦点化することで子どもたちが疑問を持ってくれたりします。理科は実験という武器があります。そこからいかに課題を見つけさせるかといった工夫をしてほしいと思います。
私の場合、ただ教科書を眺めていてもなかなかよい課題をつくることができません。授業を見せていただき、子どもの様子や子どもの立場に立って見ることで浮かんでくることがたくさんあります。こういう機会をいただけることがとても勉強になります。先生方も他の先生の授業を見る機会をぜひたくさん持っていただきたいと思います。

授業改善への意欲を感じる授業にたくさん出会う(長文)

中学校で授業アドバイスを行ってきました。

体育大会が終わった後でしたが、学校全体としては落ち着いているように感じます。3年生は、卒業生のプロデザイナーとコラボしたTシャツを着ての大会だったこともあり、充実感を得ていたようでした。学年全体にエネルギーを感じました。1年生もよい姿を見せてくれていました。2年生は、授業によって見せる姿が異なる傾向があまり変わっていないようでした。今年の2年生に限らず、一般的に2年生のこの時期は難しい時です。チームワークで乗り切ってほしいと思います。

ベテランの3年生の英語の授業は、いろいろと考えさせられるものでした。
“Would you like to 〜?”のパターンプラクティスのことです。「この本を読みませんか?」と日本語で”〜”の部分を入れ替える練習をさせますが、これでは「本を読む」の和文英訳の練習になってしまいます。“Would you like to 〜?”の意味や使い方の練習にはなりません。英語では新しく学習した表現の練習と言いながら、その表現とは違う部分を英訳する練習をすることが多いように思います。この例であれば、友だちに”Do you come with me?”と言ったあと、同じことを先生に向かって“Would you like to come with me?”言い直させる、その逆をやる。”Where do you go?”と聞かれて、”I go to the cinema. Do you go with me?”と返すか、“Would you like to 〜?”で返すかを相手で使い分ける。”What are you reading?”に対して、“I am reading a detective novel. Would you like to read it?”と言うような練習をすることが、この新しい表現を身につけるために必要だと思います。誘いに対して、”Yes”、”No”で答えて、それに応じて一言付け加えると言った対話練習も面白いと思います。
“go shopping”に対して、以前に学習した”go 〜ing”の表現を問いかけます。覚えていなければ出てきません。授業者は2年生で学習した、”go fishing”や”go swimming”を期待していたようですが、何もなしでそれが出てくることは難しいと思います。釣りや泳ぐジェスチャーをすればすぐに子どもたちから出てきたと思います。
家に来るという表現で、“come my house”と”come home”という2つの表現が子どもから出てきました。授業者は、教科書についている辞書を引かせて、その説明や品詞を使って、”come to my house”が正しいことを解説しました。”come on my house”といった使い方もありますが、子どもによっては”house”を使う時は”to my house”と覚えてしまうかもしれません。他の学級ではこの解説で子どもたちは納得したそうですが、この学級では子どもたちが戸惑っていました。品詞を使った説明では、なかなか感覚的には理解できないと思います。”I am in my house.”と ”I am home.”と言った表現を思い出させてそこから類推させ、子どもたちの言語感覚を鍛えたいところです。
授業者はとても熱心で、いつも積極的に授業を改善しようとしています。その姿勢には頭が下がります。永年やってきたこれまでのやり方を変えることは簡単ではありません。今はまだうまくいかないことも多いと思いますが、この経験が必ず次に生きてくると思います。これからの変化がとても楽しみな方です。

3年生の若手の英語の授業は、活動量の多い授業です。
子どもたちはたくさん英語をしゃべりますが、基本的には個人、ペア、速読、暗唱等やり方が変わるだけで同じ文章です。何度もいろいろなやり方で繰り返し練習するので、練習する文章については多くの子どもが定着すると思います。ところが、授業者が力を入れている新しい文法事項を子どもたちに理解させようとする活動については、繰り返し練習ほど子どもたちのエネルギーは上がりません。繰り返し練習で文を覚えればいいと思っているようです。繰り返し練習の時間を減らして、授業者が大切にしたいと思っている考える場面を増やすことが必要です。このことについては授業者も課題と思っているようです。今後の工夫が楽しみです。
また、Listeningのやり方も工夫が感じられるものでした。CDを聞いて答を考えるのではなく、問題文を聞き取ってノートにメモさせています。これはなかなか難しいと思うのですが、子どもたちは鍛えられてきたのでしょう、かなり書き取ることができています。しかし、どうみても英語としておかしい文がメモされている子どもも目立ちます。面白いのが、CDでは聞き取れなかった子どもも、授業者が話すと聞き取れることです。スピードの問題もありますが、CDの音声が聞き取りにくいこともその原因の一つのようです。なかなか難しい問題です。できるだけ子どもに聞き取らせたいので、CDを何回も聞かせますが、時間がかなり取られます。せっかくメモさせているので、子ども同士メモを見あってもいいと思います。キーとなる単語を意識するだけで、ずっと聞き取りやすくなるからです。こんなこともアドバイスさせていただきました。

3年生の学年主任の社会科の授業は、市長になって工場の跡地の利用を考える場面でした。子どもたちも授業者もとてもよい表情です。授業者は説明場面でも、資料を指で指させたりして子どもたちをうまく活動させています。公共施設という言葉がわからないという子どもの言葉を拾って、「一人の質問はみんなの質問」といって作業を止め、全体で確認します。ここでは、自分で説明せずに子ども同士で説明させていました。
4つの案のどれを選ぶかによってグループを分け、その理由を発表します。子どもたちは友だちの発表をとてもよく聞いていました。授業者も自分の考えや答のようなことは言わずに、ここでもつなぎ役に徹していました。とても面白い授業でしたが、せっかく市長の立場で説明するのですから、聞いている子どもたちは議員の立場で質問等をさせれば、市長と議会の関係も理解できるのではとも思いました。私にとってもよい学びをすることができました。

3年生の数学の授業はy=x2のグラフの特徴の場面でした。
子どもたちにグラフの特徴を考えさせますが、特徴は他と比較してより明確になります。今まで学習してきた、比例、反比例、1次関数のグラフの特徴を復習しておいてそれとの比較で考えさせると整理しやすかったと思います。
また、原点を通る、y軸に対称といった特徴がいつも言えるのか、その根拠はといったことを問う場面がありませんでした。感覚的になっています。この場面は表に頼ってグラフをかきます。そこで表を書く時に根拠となるものを意識させるとよいでしょう。「表のどこから埋める?」「計算が楽なところは?」といったことを聞きながら、xが0ならyが必ず0となることを押さえます。同じ原点を通る比例のグラフと比較してもいいでしょう。定数がないことが共通なことに気づいてくれるとうれしいですね。x=1の欄を埋めて、「次はどこを埋める?」と問いかけx=-1の時yが同じ値になることに気づかせます。Xの値の正と負を行ったり来たりさせることで、y軸と対称になることの根拠に気づかせるのです。y=2 x2の表は、y= x2の表のyの値を2倍すればいい、y= -x2の表はy= x2のyの値の符号を変えればいい。そこに気づけば、増加の特徴や対称性が見えてくると思います。こういった布石を打ちながら授業をすることで、一般的なグラフの変化率や対称性についての感覚を養うのです。このことは、高校での関数の学習に大いに役に立ちます。こういったことを意識してほしいと思います。

2年生の数学は条件から1次関数を決定する問題に取り組んでいました。「2点の座標がわかる時の1次関数の式をもとめよう」というめあてが書いてあります。この言葉の使い方を見て、ポイントを外していると思いました。中学高校を問わず、数学で大切なことの一つに、「グラフがある点を通ることと、グラフを表す式にその点の座標の値を代入すれば成り立つことは同値」ということがあります。「座標がわかる」ではなく「点を通る」という表現をするべきでしょう。このめあての書き方からは、問題の解き方を教えるというにおいがします。授業者は、2点を通る直線のグラフを図にかき、傾きを求められるという説明をし、次に(1,2)を通るからと値を代入した式を書きます。まさに解き方を教えています。子どもたちは、なぜ急に代入するのかといったことがわからないので、モヤモヤするのです。
問題を解く前に、関数、グラフ、1次関数の性質や特徴をきちんと押させえておく必要があります。「点を通る⇔座標を関数の式に代入して成り立つ」をまず基本として押さえ、「1次関数⇔グラフが直線(軸と平行でない)⇔関数を表わす式y=ax+b(a≠0)」「直線の傾き、切片(グラフとしての定義)⇔1次関数y=ax+bのa:傾き、b:切片」といったことを確認します。その上で、1次関数の式は「y=ax+bのaとbがわかれば決まる⇔グラフの傾きと切片がわかれば決まる」ことを何度も子どもたちに確かめます。関数の式y=ax+bに対して、この式を見てどんなことを考えるかを聞いておくのもいいでしょう。関数に関すること以外に、方程式、代入法と言った言葉が出てくれば、大切に扱っておきます。
点を通るから、代入するとaとbに関する方程式になりますが、子どもはそこに気づけません。ここで先ほどの押さえがきいていきます。「知りたいのは何だっけ?」といった発問から、「未知数」という用語を思い出させます。ここまで来れば、「知りたいものが2つ。方程式がいくつあれば解けそう?」と連立方程式で押さえておいたことを活かせば、解けそうだと気づきます。
「グラフ(図)で考えたらどうだろう」「1次関数だからグラフは直線。通る点が2つ決まれば、直線は決まるね。グラフが書ければ、傾きと切片はわかる?」「傾きって何だっけ?グラフで傾きを求めてみよう」というようなやり取りで、グラフを使った求め方も見えてきます。
もちろんここで述べたものは説明のための例ですから、そのまま真似をすれば誘導的になってしまいます。「グラフと式、どちらで考える?」「グラフについては何がわかる?」「式から言えそうなことはある?」といったことを子どもに問いかけて出させるなど、子ども主体で活動できるような工夫をしてほしいと思います。要は、ポイントを教師が意識していれば、どんな進め方をしても、子どもからどんな言葉が出てきても対応ができるはずです。この本質的なポイントが何かを理解しておくことが大切です。
このようなことを授業者と話しました。授業者自身もモヤモヤしていたようで、話をすることですっきりしてくれたようでした。教科の本質を意識して教材研究を進めてほしいと思います。

2年生の英語で、2人の先生の授業を見せていただきました。
子どもたちは、自分たちが主導権を握れる場面になると、すかさずテンションを上げます。学級によっては一部の子どもが教室の雰囲気を支配しています。ここは、授業者がきちんと学級をコントロールすることが求められます。指示の徹底を意識し、一部の子どもの反応だけで進めるのではなく、全員が参加することを常に意識してほしいと思います。
この先生方に限らず英語の授業で気になるのが、授業者の読みを聞いて、テキストを見ながら子どもたちが読むという活動です。読みの練習と考えると、読めなくても授業者の読みを聞いてオウム返しに発音すれば何とかなります。Listeningという意味では、きちんと聞き取れなくてもテキストを見ることで何となく読めてしまいます。要はどちらにしても中途半端なのです。耳から英語の力をつけるのであれば、テキストを使わずにきちんと聞けるようにする必要があります。教師の言葉をただオウム返しにするのではなく、それに応じて言葉を返すといった活動が大切になります。読む練習であれば、教師は手本を一度見せればそれで十分です。その文章を聞き、話して理解させておけば、単語等の読みの練習をしておけば十分に読めるはずです。活動のねらいをもっとシャープにする必要があります。昔からやっているというだけで、何も考えずにそれを再生産していては進歩がありません。

1年生の若手の英語の授業は工夫を感じさせるものでした。
授業者は、絵で”situation”を見せて、指名した子どもに続いて全員に言わせます。子どもたちは授業者が正解を示さないので、とても真剣です。指名されてうまく言えない子どもがいれば、全体で言わせてからもう一度言わせます。子どもたちがとても集中する面白い場面でした。残念なのは、何度か練習した後、その文を板書したことです。板書した後、明らかに子どもたちの緊張、集中は落ちてしまいました。正解がわかったからです。板書をするのなら、活動の最後にすべきだったでしょう。
この子どもたちの集中力の変化に授業者は気づいていました。とても子どもをよく見ています。自分自身で板書をしたことがよくなかったと反省していました。子どもを見ているということは、自分で授業を修正できるということです。この先生は数年後にはとても力をつけていると思います。これからが楽しみです。

初任者の1年生の国語の授業は主人公の行動の理由を考える場面でした。
以前と比べて、単に一問一答ではなく、根拠を意識したものに変わってきています。成長が見られます。しかし、その根拠となるものを授業者自らが子どもたちに与えて、子どもたちからは結論を出させようとしています。そこをいかに子どもたちに気づかせる、子どもたちから出させるかが大切です。そのために、どのような発問をし、どのような活動をさせるのかを考えなければならないのです。
子どもから、とてもよい発言がありました。弟のミルクを飲んだ主人公の行動に対して「自分が生きるためだからしょうがない」というのです。しかし、授業者は拾うことができませんでした。「そうだよね、しょうがないよね」と受けて、「主人公はどう思っていた?」と返せば、読みが深くなっていったところでした。
まだまだ、課題はたくさんありますが、授業を改善しようという意欲が感じられます。少しずつ、前に進みだしたように思います。これからどのような変化を見せてくれるか楽しみです。

家庭科と理科の授業研究もありました。それについては、明日の日記で。

反転授業、アクティブ・ラーニングについて考え、学ぶ

先週開かれた授業と学び研究所の会議はとても学びの多いものでした。

前半は、先日見学した反転授業についての意見交換でした。実際の授業を見るとその授業の内容を評価することに終始しがちですが、ここでの議論はそこから一歩進んで反転授業の可能性についての話題が中心になりました。

・そもそも反転授業は有効なのか?
・予習をしてこない子どもたちが、本当に動画を見てくるようになるのか?
・そのための条件は?
・子ども学習する時間が単純に増える以上の効果があるのか?
・動画を見てわかってしまった子どもは、実際の授業で積極的に参加するのだろうか?
・見せていただいた授業は、構造を変えることでより有効なものになるのか?
・見てわかる動画ではなく、疑問がたくさん出てくるようなものであれば面白いのでは?
……

このようなことについて、いろいろな意見が出てきました。答と言えるものはまだありませんが、可能性はありそうな気がします。ただ議論をするだけでなく、授業と学び研究所として何な具体的な提案ができればよいと考えています。

後半はアクティブ・ラーニングについての議論でした。
雑誌の記事をもとに、提示された資料を見ながら話し合いました。アクティブ・ラーニングと合わせて語られる言葉に、「教科の本質」「資質・能力」といったものがあります。「教科の本質」を押さえて子どもたちの「資質・能力」を育てるための方法として、アクティブ・ラーニングが位置づけられています。次の学習指導要領に向けての会議の資料からは、「知識の体系」だった学習指導要領を、知識を習得することによって育まれる「資質・能力の体系」に転換するという方向性も見えます。教科を超えて育むべき「資質・能力」があり、それを各教科で具体化していくという流れのようです。
すぐに関連する資料を提示してくれるフェローもいて、いろいろな視点からアクティブ・ラーニングについての考えを深めることができ、今までモヤモヤしていたことがずいぶんすっきりとしたような気がします。

これらの情報は、授業深掘りセミナーの「教育情報知っ得!コーナー」でお伝えしていく予定です。

人数は減っても、エネルギーは変わらない体育大会

学校評議員をしている中学校の体育大会を観戦してきました。この学校も10年ほど前と比べるとずいぶん子どもたちの数が減ってきました。各学年3学級で、目の前の子どもたちの観客席がずいぶんこぢんまりとしていました。以前は視野に入りきらないほど広がっていたことを思うと隔世の感があります。
子どもたちの数が少なくても、運動場にあふれる熱気は以前とは変わりません。いや密度は増していると言ってもいいでしょう。その理由の一つは子どもたちの観戦の態度にあります。自分たちの仲間が出場していなくても、一生懸命声援や拍手をしています。自分には関係ないとまわりとむだ話をしている子どもがいません。どの学年もとても素晴らしい姿でした。
子どもたちの数が減ったこともあるでしょうが、プログラムを順調に消化し、かなり早く午前の部が終わりました。しかし、午後一番には保護者の方も楽しみにしているクラスマス(ゲーム)がありますので、休憩時間を長くとって開始は予定通りということでした。あたりまえのことかもしれませんが、大切な視点です。午後の部までは見ることができませんでしたが、子どもたちはきっとすばらしい姿を見せてくれたことでしょう。

校舎の様子を見に行くと、2階へと続く階段の壁に大きな模造紙が何枚も貼ってありました。学年主任の手作りの個性のある学年の子どもたちへのメッセージです。月ごとに子どもたちの成長をほめ、そのことを喜び、次への期待を綴った、想いのあふれるものです。厳しい指導をされることもありますが、子どもたちにとても慕われている先生です。この先生が主任を務めると、やんちゃな学年も入学時に幼かった学年も必ず立派に育って卒業していきます。その秘密の一つがわかったような気がしました。この学年の子どもたちもきっと大きく成長して、卒業式にはこの先生を大泣きさせてくれることでしょう。その姿を見るまではこの学校にかかわっていたいと思わせてくれる掲示でした。

検討会で、先生方の力が子どもたちのよい姿を引き出していることを伝える

私立の中高等学校で、研究授業の全体会に参加しました。先日の公開授業研究会の検討会です。

教科別の検討会の前の全体会では、先生方に授業の様子から学んだこと、子どもたちのよい姿などをまわりの方で自由に話していただきました。うれしかったのが、先生方がとてもよい表情で話し合っていただけたことです。まだまだ話は続きそうでしたが、残念ながら時間の関係で、途中で切らざるを得ませんでした。何人かの方に話し合ったことを聞かせていただきましたが、子どもたちの姿や授業から素直に学ぼうという姿勢が感じられました。教科を越えて、子どもたちや授業について話すことのよさを感じていただけたのではないでしょうか。
私からは、「この学校の子どもたちのよさ、可能性には素晴らしいものがある。昨年度私が見た姿と比べても大きく進歩している。子どもたちのよさを認めてほしい。そして、子どもたちのそのよい姿をつくり出したのは、間違いなく先生方の力であり、そのことに自信を持ってほしい。子どもたちの力を認めて、先生方より高いものを子どもたちに求めれば、きっとそれに答えてくれるはずである」といったことをお話しました。また、今回アクティブ・ラーニングを意識した授業が多かったのですが、子どもたちが上手く活動できていない授業もありました。ただグループにすれば子どもたちが活動する、発表場面をつくればよいというものでもありません。アクティブ・ラーニングの考え方、実際に行う時のポイントについて、希望者を対象にしてお話しする時間を取らせていただくことにしました。
「そもそもなぜアクティブ・ラーニングなのか?」「アクティブ・ラーニングに挑戦したいがどこから始めればいいのかよくわからない」「実際にやってみたがどうもうまくいかない、しっくりこない。どうすればいいのか?」といった先生方の疑問に少しでも答えられるようなお話を何回かに分けてできたらと思っています。

短い期間で成長していた講師

昨日の日記の続きです。

今年初めて教壇に立った4年生の担任の講師の授業は、国語の漢字しりとりでした。授業者は1学期と比べると、雰囲気がずいぶん変わっていました。緊張気味ではありましたが、笑顔がたくさん見られます。何より子どもたちをよく見ていたのが印象的でした。前回の訪問からそれほど時間が経ったわけではありませんが、意識して授業をしていたことがよくわかります。子どもたちをよく見ているので、子どものよいところをほめることもできます。

授業の始めに、ウォーミングアップで普通のしりとりをしました。答えた子どもに次の子どもを指名させます。男の子に指名が偏りだしたのですが、授業者は「次は女の子」とタイミングよく指示を出しました。こういうことができるようになったのは、少し余裕を持って子どもたちを見られるようになったということです。以前と比べて、子どもたちへの指示も通るようになっています。後から授業者に聞いたところ、子どもたちがよい行動をとった時にほめることで授業規律がよくなったということです。授業規律をつくる時の基本ですが、それを忠実に実行した結果というわけです。

漢字しりとりのルールを伝えます。熟語の最後の漢字と同じ読みの漢字を先頭として熟語を考えます。練習で子どもを指名して次につながる熟語を答えさせます。授業者はすぐに板書しましたが、どんな漢字を使うのかを他の子どもに考えさせてもよかったでしょう。この漢字しりとりにはその読みの漢字を使った熟語に気づくことと、漢字を正しく書けることの2つのステップがあります。そのことを意識させたいところです。「事件」に対して、「ん」がついていることに反応する子どもがいしました。授業者は「続かないかな?」と返したのですが、すぐに自分で「続けることができる」と説明しました。こういったところでも、「いいことに気づいたね。んがついたから終わりだね?」とぼけて、子どもたちから続けられるということを引き出してやりたいところです。もちろん時間とのせめぎあいがあるので、常にこのように子どもに返すことは難しいのですが……。
子どもが「4文字でもいいの?」とつぶやきました。授業者は「よく気づいたね」とほめて、4文字でもよいことを全体に伝えます。ほめることを意識していることがよくわかります。できればここは、「いいことに気づいたね。みんなにあなたが気づいたことを教えて。みんな○○さんの話を聞こう」と本人から全体に対して発表させたいところです。私的な発言を公的な発言にしてあげるのです。

漢字しりとりのお助けとして、国語辞典を配ります。ここは天下りで与えるのではなく、必要性を子どもたちに感じさせてから与えたいところです。練習の時に、ちょっと子どもたちを困らせる問題を出して、言葉が思いつかない場合に何かいい方法がないかを考えさせるのです。
辞書を配ってから練習問題のワークシートの説明をします。あらかじめ用意した一連の漢字しりとりの一部に穴が空いているものです。この穴に入る漢字を用意された漢字群から選ぶのです。先に辞書を配ってしまったので辞書に気を取られて説明を聞くことに集中しない子どもが目立ちます。授業者はワークシートをかざして説明しますが、小さすぎて見えません。先に配られたワークシートから子どもの視線が離れません。拡大コピーか実物投影機を使って、ワークシートを配る前に説明したいところでした。
この練習問題は、お尻と頭に同じ音の漢字を入れるわけですから、一方の読みがわかればもう一方と同じ読みの漢字を用意された漢字群の中から探すだけです。自分で同じ読みの漢字を使った熟語を考えるのではなく、単に漢字の読みの練習問題になっています。この時間のねらいとずれています。せめて、選択する漢字をなくせば、漢字がわからない子どもは国語辞典を使わなければいけないので、練習になったと思います。また、同じ読みの漢字をたくさん漢字群に入れておいても、辞書を引く必然性があったと思います。
できた子どもは、その続きの漢字しりとりをやってよいという指示でしたので、中には手早く穴埋めを終わって一生懸命に漢字しりとりをやっている子どももいました。しかし、練習問題を終えて手持ち無沙汰にしている子どもも目立ちました。注意したいのは読みのわからない子どもがいることです。授業者は困ったらふりがなを振るとよいとヒントを言いますが、漢字を読めない子どもには無意味なアドバイスです。漢和辞典があれば読みを調べることもできるのですが、今回は漢字しりとりに有効な国語辞典しか準備していません。この点でも、この練習問題がねらいとずれているのです。
答を挙手指名によって発表しますが、子どもたちの挙手の仕方がよくなっているのを感じました。ここでも、改善の後が見えます。「回答」という熟語が答に出てきますが、「解答」しか知らない子どもたちにはよくわかりません。「回答」と「解答」の違いを辞書で調べさせることも必要だったでしょう。

続いて、グループで漢字しりとりをします。用意された紙に順番に熟語を書き込んで、後で発表します。作業の指示の後、子どもたちは素早く活動を開始しました。問題はこのグループ活動のゴールです。授業者が明確に示さないので、子どもたちのエネルギーはどれだけたくさん漢字しりとりを続けられるかに注がれます。ここで子どもたちは国語辞典を活かします。国語辞典と首っ引きで熟語探します。辞書の早引きの練習ならばよいのですが、できれば意味に注目させたいところでした。子どもたちが思考する要素が少ないので、テンションが上がっていきました。中には漢字練習帳を開いている子どもがいました。これまでの学習を活かそうとするよい姿勢です。こういう子どもは評価したいところです。国語辞典に頼らず考えさせることをもう少し意識させると必要があるでしょう。
グループの発表で、書かれたものを読んでいきますが、聞いている子どもの参加度を高めるためにも、個人を指名して読ませるといった変化があってもよかったでしょう。まだ習っていない漢字を使ったらあらかじめその意味を調べておくというルールにしたり、全体の場で意味を調べる時間を取ったりすることも必要でしょう。子どもたちは意欲的に活動しましたが、国語の学習としてどのような力がついたのかは疑問が残りました。これまで学習した漢字を使い、使ったことのない熟語は必ず意味を調べる。発表では、読みや意味を聞いている人に質問するといったルールや縛りをつけるといった工夫がほしいところでした。

最後に、子どもたちが辞書をかたづけて前に持って来たのですが、とても素早く動いていたことが印象的でした。これに限らず、授業規律がきちんとしている場面をたくさん見ることができました。伸びという意味では、今回授業を見せていただいた先生方の中でも一番だったと思います。その成長の陰には校長の働きかけもあります。若手を集めて勉強会を行っていたそうです。若手の成長にはこういったサポートが必要なのです。

若い先生はちょっとしたきっかけで大きく伸びることがあります。また、努力をしてもすぐに結果が出ないこともあります。直線的ではなく、いくつもの壁を乗り越えながら段階的に成長していくものです。この日見た若い先生方からはそのことを強く感じました。短い期間で大きく成長できた方も、壁にぶつかっている方も、今続けている工夫や努力をこれからも続けてほしいと思います。その先にしかよい結果は生まれないと思います。

ベテランのよさと若手の課題が見えてくる(長文)

小学校で授業アドバイスを行ってきました。1学年1学級の学校です。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。今回から今年度2回目の訪問です。この日は、新任の講師の授業を中心に、全学年の先生方の授業を見せていただきました。

6年生の授業は国語の「やまなし」の授業で「クラムボン」とは何かについて子どもたちが全体で話し合っている場面でした。授業者はベテランで子どもたちの発言をしっかりと受容しています。子どもたちの発言に対して、きちんと根拠を確認してつなげようとしています。友だちの発言を子どもたちが拍手で評価した時も、どうして拍手をしたのかその理由を確認し、「同じと思った」「自分の意見とは違うけれど納得した」といった違いを明らかにします。「説明がすごい」といった言葉が子どもたちから出てきます。子どもたちに問い返したときに、挙手が少なければすぐに答えさせずにグループに戻したりもできます。ベテランらしい素晴らしい授業でした。
子どもたちはよく反応できるのですが、発言の内容が次第に高度になってくると参加できる子どもが減ってきます。子どもの発言を全体で共有する時間をつくる必要があります。他の子どもに説明させたり、理解し消化したりする時間をつくるのです。時として、授業者が代わりに説明しますが、できるだけ子ども同士に任せたいところです。
もともと力のある方でしたが、授業を見せていただく度に新しい工夫、変化を見ることができます。授業力もそうですが、こういった姿勢を若い方は是非参考にしてもらいたいと思います。

5年生の授業は若手の国語の授業でした。読みからそれにふさわしい漢字を選ぶという場面です。子どもたちとの関係をうまくつくることができ、雰囲気もとてもよい学級をつくっています。指示も徹底できています。ここまでできれば学級経営的には困らないと思います。だからこそ、ここからがこの先生の勝負どころだと思います。より高いところを目指してほしいのです。
授業規律であれば、今は「顔を上げて」と指示をしていますが、指示をしなくても子どもたちが判断して顔を上げるようにするのです。言われなくても顔が上がった子どもを、「言われなくても顔を上げてくれたね。ありがとう」とほめるといったことが必要です。これは授業者が意識しないとできません。子どもたちが自分でできるようになれば、授業者のしゃべる言葉も減ってきます。子どもたちのよい行動を笑顔でうなずいて承認すればいいのです。
教科の内容について言えば、この単元、この授業で教科としてどんな力をつければよいのかをもっと考えることが必要です。この授業では、どの漢字を使えばいいのか辞書の助けを借りる場面があります。授業者は答を確認して終わりましたが、問題の答を知ることがねらいではありません。辞書を使うことについては、どんな使い方ができるのか、ここではそのどこを活かすとよいのかといったことを子どもたちが考えることが必要です。また、この課題を通じて個々の漢字の持つ意味を考えさせるといったことも大切です。こういったことを意識して、授業を組み立てることが求められるのです。これは簡単なことではありません。毎日の授業を大切にして少しずつ進歩していくものです。ここからがとても長いのです。
授業者は教師として必要な資質をたくさん持っています。だからこそここで満足せずより高いところを目指してほしいと思います。

4年生の理科の授業は、特別支援担当の若手が教科担当として行っています。天体の観測で方位磁針の使い方の場面でした。
前回訪問時、特別支援を担当することで子どもの言葉を受け止めたり待ったりすることができるようになっていると感じました。集団を相手にどのような授業になるのか楽しみでした。
ICT機器を使ったり、方位磁針の実物を用意したりと工夫をしていました。しかし、残念ながら、特別支援の時に見せてくれた子どもを受容することについては、うまくやれていませんでした。
全体的に余裕がなく、子どもたちの視線が自分に集まるまで待つことができず、つい子どもたちに命令口調で指示してしまいます。指示をしても全員が動くまでに時間がかかります。つい待ちきれず、次に移ってしまいます。時間が押していたのでしょうが、もう少し我慢したいところでした。復習だったので、子どもたちに発言させればいいのですが、自分で説明します。しかし、子どもたちは手元に実物があるので顔が上がりません。ICT機器を活用して手元を写し、子どもたちの顔を上げさせるとよかったでしょう。
一問一答になっていることも気になります。子どもの発言をつなぎません。太陽の動きの観察から、月の動きの観察のポイントを押さえるのですが、観察とはどういうことかを授業者自身がきちんと意識できていませんでした。子どもたちに何を見るのかを問いかけますが、子どもたち何を答えていいのかわかりません。「ヒントはねえ〜」といった言葉を出しますが、子どもたちは観察で大切なことを意識していないので、単に先生の求める答を探すだけです。観察で大切な視点をきちんと整理することが必要です。「対比」という視点で何を対比するかを考えさせてもよかったでしょう。太陽の動きと比べて何が同じで何が違うか。月の形では・・・といったことを子どもに出させて、どうなるのか予測させるといったことをしたいところです。小学校4年生では難しいかもしれませんが、太陽、地球、月の動きのモデルと観察の関連を考えることができると理科としては非常に意味のある授業になると思います。
授業者は自分では課題を認識できています。毎時間の授業の流れを事前にノートにまとめています。意欲は十分にあります。しかし、それですぐに授業が改善するわけではありません。焦らずに、一つずつ課題をクリアしていってほしいと思います。前向きな努力を続けていくことが、きっとよい結果につながるはずです。

3年生は初任者の国語の授業でした。この日は、グループごとの発表場面でした。前回いくつか課題と対応について話をしました。しかし、私の伝え方が悪かったのか上手く伝わっていませんでした。例えば子どもたちとの関係をつくるのに、休息時間に子どもたちとできるだけ遊ぶようにアドバイスしました。子どもたちととてもよく遊ぶようになったそうです。しかし、子どもたちは先生を同格と見るようになってしまったそうです。授業に不規則発言やため口が増えて、授業規律が崩れかけているようです。授業と休息時間の区別をきちんとすることを伝えきれなかった私の責任です。また、子どもの自己評価が大切で、子ども自身が評価できることを意識するようにアドバイスしましたが、驚いたことにこの日のめあては、自分たちの発表について「自己評価」しようというものでした。自己評価するために、具体的な目標と評価基準を与えることを言ったつもりだったのですが、これも上手く伝わっていません。「顔を上げる」「視線をきちんと合わせる」「ゆっくり話す」「声が後ろまで届く」といったポイントを子どもたちと確認しますが、これは自分で評価することはとても難しいことです。意識して行って、それを評価してもらうことです。これを自己評価しようとすると、一番大切な自分たちの話の中身を相手に理解してもらうことがどこかへ行ってしまいます。どう伝えるべきだったのか、悩んでしまいます。
発表の後、子どもたちによかったことを聞きますが、なかなか手が挙がりません。やっと発言してくれた子どもの意見を「そういう小っちゃなことでいいから、言って」と評価してつなげようとします。本人はほめたつもりです。全く気づいていませんでしたが、「小っちゃなこと」と評価された時点で、子どもたちは発言の意欲を失くしてしまいます。ペアでよかったことを言い合うように指示しましたが、子どもたちはほとんど口を開きませんでした。
自分の行動や発言が子どもたちにどのように受け取られるかがよくわからないようです。コミュニケーションが苦手なのでしょう。考え方や方向性を伝えても、具体的に自分の行動に落とすことができません。すぐに改善できるとは思いませんが、この先生には、それこそどんな小さな場面でも一つひとつ具体的にどうすればよいのかを伝えていくことから始めることが必要だと思います。幸いにも、本人も改善しようという意欲があります。また管理職や教務主任はこのことをよく理解しています。時間はかかっても、きっとよい方向に向かっていくと思います。

2年生は体育館でのベテランの図画工作の授業でした。みんなでいろいろなものを並べて作品にするものです。笑顔で子どもたちを受容しています。学級の雰囲気もとてもよく、子どもたちの意欲を感じます。前の時間にこの時間の予告をしてあったようですが、子どもたちは、この授業のゴールがよくわかっていないようでした。そのため、最初の説明は今一つ反応がよくなかったように思います。例え前の時間にやったことでも、その続きからすぐに進むのではなく、子どもたちに発言させて確認してから進むようにする必要があると思います。どうやって作るかについて「だれかと力を合わせたい」という子どもの発言がありました。授業者はそれを受けとめますが、他の子どもに「どう思う?」とつなげることはしませんでした。力を合わせることは具体的にどのようにするのか聞いてもよかったでしょう。学年が進むにつれて共同で作品を作ることが増えますが、そのためにもこういったことを子どもたちに考えさせたいところでした。また、授業者は、一人でやりたい子どもを否定しませんでした。途中までしか見ませんでしたが、一人でやる子どもも、自分のつくったものが友だちのつくったものと合わせて評価されたりすれば、違った気持ちになるかもしれません。ベテランの懐の広さを感じました。

1年生の算数の授業は、文章から読み取ったことをもとに算数の問題を考える場面でした。日記の文章から情報を読み取ります。教科書の内容をディスプレイに映しますが、大きさの関係もあり見えにくいのでしょう。教科書を読んでもいいと指示して、全員で読みました。教科書を見ている子どもをそれほどでもありませんが、ディスプレイを選んだ子どもは途中で集中力を失くします。授業者はそこで、全員に教科書を開かせて読み直しました。そのまま続けてしまえば全体の集中力もなくなってしまうところですが、とてもよい判断でした。
日記にどんなことが書いてあったかを「どんなことでもいいよ」と子どもたちに発表させます。「朝顔のことについて書いてありました」という発言を「よい答え方」と評価しました。子どもの発言を受容し、評価する姿勢はとてもよいのですが、どこがよいのか具体的にする必要があります。「『書いてありました』ときちんと最後まで言ってくれた」と授業者が言ったり、「どこがよかった?」と子どもたちに問いかけたりするとよかったでしょう。また、「その通り」と授業者が正しいと判断をする場面が多いのですが、できれば子どもたち具体的に確認をしたいところです。子どもたちは友だちの発言に「いいです」と反応しますが、これは無責任になりやすい進め方です。大切な内容を含む発言であれば、どこに書いてあるかを問いかけたり、指で示して隣と確認したりすることが必要です。子どもの発言をよく受容していますが、他の子どもにつなげることをもう少し意識するとよいでしょう。
力のある方なので、子どもをきちんとコントロールしながら授業を進めることができます。この先生なら、自分で説明することを少なくして子ども同士で相談したり、考えたりする場面をもっと増やすことができると思います。

新任の講師の授業については、明日の日記で。

公開授業から、学校が分岐点に差しかかっていることを感じる

私立の中高等学校で授業研究がありました。今回は公開された授業を自由に参観できる形で行われました。仕事の都合で半分の授業しか見ることができませんでしたが、アクティブ・ラーニングを意識された授業が多くありました。私が見ることができなかった授業については校長からその様子を教えていただきましたが、すばらしい授業がたくさんあったようです。具体的な場面で語っていただけたことから、そのよさがよくわかりました。

先生方意欲的であったことと同時に、公開されたどの学級でも子どもたちのよさを感じることができました。高等学校では子どもたちの質の幅は公立の小中学校などと比べて狭くなっています。この学校は、小中学校でいえば平均的な層が中心です。教師の働きかけによって授業に意欲的になったり、無気力になったりする層です。子どもたちの授業中の姿は、教師をとてもよく写す鏡になります。以前と比べてもその姿がとてもよくなったということは、先生方の授業がよくなっているということです。先生方の工夫がダイレクトに子どもの姿として跳ね返ってくるのです。今年度の1年生は中学校の学び直しも含めて基礎基本を100%にすることに挑戦しています。中学校でわからなかったことをもう一度やり直せること、わかるようになれると、昨年までの子どもたち以上に意欲的になっています。先生方も子どもたちがよくなっていることに気づいていますが、それが自分たちの力によるものだと思えないようです。自分に厳しい方が多いので、なかなかそのように思えないのでしょう。子どもたちの持つよさは、先生方の工夫で引き出されます。逆に、それまで授業中の姿がよくないのは子どもたちのせいだと思っていたのが、実は自分たちにもいたらない点があったのだと気づく先生も出ています。今この学校は、先生が授業を工夫することで子どもたちのよさが引き出され、その結果先生がより高いことを子どもたちに求め、子どもたちもそれに答えて伸びていくというよい循環に入るかどうかの分岐点に来ていると思います。ここで注意をしなければいけないのは、子どもたちが工夫された授業で意欲的になると、工夫の見られない授業では今まで以上に集中力を失くすことです。おいしいものを食べるようになると、今まで気にならなかったものでもまずいと思うようになるのです。基本的に前向きになっているので、ちょっとした工夫をすれば子どもたちは意欲的に授業に取り組むようになります。例えば、グループ活動を取り入れると、他の授業で経験しているので一から始めるよりも上手くいきやすいのです。今回の授業研究がより多くの先生が授業改善に積極的になってくれるきっかけになることを願います。
この日の授業の検討会は、時間の都合で別の日に行うことになりました。そこでは、先生方気づいた授業のよさを共有していただくつもりです。

空いた時間で広報担当の先生とお話ししました。この学校が子どもたちの学ぶ意欲を引き出せるような工夫をしていることを広く知っていただくことが大切だと思います。抽象的な言葉ではなく、具体的にどのようなことに取り組み、どのような結果がでているかを客観的に伝えることが必要です。中学校時代、今一つ学習に積極的になれなかった、苦手な教科がどうしても克服できなかった、そんな子どもたちが意欲的に学習に取り組み苦手を克服できるとすればとても素晴らしいことです。この学校に入学することで、そういった子どもが一人でも多く生まれることを期待します。
先生の中には、入学者が増えると子どもたちの質が下がって授業がやりにくくなると考える方もいるかもしれません。決してそうではありません。今この学校で取り組んでいることをやり続ければ、子どもたちは意欲的に学習に取り組むはずです。この学校で自分が成長できると思えば、より上の層の子どもたちも入学を希望してくるはずです。大切なことは、どんな子どもが入学してくるかではなく、入学してきた子どもをどのように伸ばしていくかです。そのために必要なことに今先生方は取り組み始めていることを自覚してほしいと思います。
広報に関して、私の今までの経験から制作物のつくり方やポイントをお伝えしました。担当の方はとても熱心に私の話を聞いていただけました。前向きに仕事に取り組んでおられることがよくわかります。今後、こういった面でもお手伝いをしたいと思います。

反転授業の実際から考える

授業と学び研究所で、市で反転学習をとりいれている小学校の発表会に参加しました。実際に反転学習の授業を見ることは初めてだったので、とても楽しみでした。

公開されている授業を研究所のメンバーで分散して見学しました。私は4年生の理科の腕の曲げ伸ばしの仕組の授業を見せていただきました。
授業の開始前のウォーミングアップの時点では、子どもたちはとてもよく集中していました。授業者と子どもたちの関係もとても良好に見えます。この後の展開が楽しみです。
子どもたちが事前に見た学習ビデオで考えたことを電子黒板に全員分を映しだしますが、一つひとつは読みづらい状況です。授業者はその中からこの日の授業のめあてにつながるものをピックアップして拡大提示します。こういった場面での子どもたちの集中力が気になります。先生への指示に従いますが、自ら積極的に考えようとはしないのです。「筋肉が縮んだり、緩むと動く」という子どもの予習から「縮む」「緩む」を説明できる人と問いかけても挙手は一人です。この言葉が予習のビデオに出ているのであれば、それがわからないというのは問題です。実際には、ビデオでは「伸びる」という表現でした。予習ビデオに出ていないのならこれはその子どもが自分で勉強したことです。であれば、その子どもが説明すべきです。「縮む」に対しては通常「伸びる」が対応した言葉になりますが、あえて「緩む」を使っているのですから、ここはそのことを意識した展開にしたいところです。授業者の説明は「緩む」の意味をきちんと押さえているとは言えないものでした。「伸びる」のか「緩む」のかを課題にして展開しても面白いところでした。以前見たある教育用の動画では、ロボットアームがゴムの筋肉に圧縮空気を入れて腕を動かしていることで説明していました。こういった説明であれば「伸びる」ではなく「緩む」であることが理解しやすいでしょう。
いずれにしても、せっかく子どもたちが予習して考えたことがあるのですから、それをもとに全体で考えながら課題を設定したいところでした。
「どのような仕組みで腕を曲げ伸ばししているのか調べよう」がこの日のめあてでした。「調べる」がどのよう活動を意味しているのか興味の湧くところでした。子どもたちはめあてを素早く写します。こういう活動は集中して行います。子どもたちは、教師が求めることをよく知っているように感じました。
授業者はグループに1個筋肉マシーンを用意していました。真ん中で動く紙で作った腕の両側に、筋肉に見立てたビニール紐がくっついたものです。水が入ったペットボトルも用意しています。これを持って腕を曲げたり伸ばしたりして観察するためです。この他に一人1台のタブレットも使います。これらを与えて、グループでの活動が始まります。
子どもたちは、グループの隊形になる前に体を伸ばしたりごそごそしたりしています。ここまでは、受け身の時間だったようです。動きが遅いことが気になります。グループになった後、子どもたちは筋肉マシーンをパタパタさせたり、ペットボトルを持って手を動かしたりはしていますが、じっくり観察したり、友だちと意見を交換している姿は見られません。子どもたちのテンションが高いことが気になります。残り時間がわずかになって、まとめる指示が出ると、今度はビデオの音があちこちか聞こえてきます。多くの子どもがビデオを止めながらその説明や図をもとにワークシートを埋めていました。「調べる」が答そのものを探すことと理解しているのかもしれません。自分でどうなっているのか体の動きを「調べる」ことにはなっていないようでした。「調べる」という言葉の理科的な意味を活動の前にきちんと押さえておくべきだったでしょう。

全体での発表では電子黒板にワークシートを映して、子どもは自分の席で発表します。子どもの発表を聞きながら、授業者は板書をしたりします。当然のことながら、子どもの視線はバラバラになります。板書を見ている子どもと電子黒板を見る子ども、どこにも注目していない子どもが多く、発表者を見ている子どもが少ないことも残念です。子どもが友だちの話を集中して聞かないことが印象的です。授業者が子どもの発言を他につなげずにすぐにまとめるので、必要性を感じないのでしょう。
「縮むと固くなる」といった気づきに対しても、本当にそれを確かめていない子どもはたくさんいるはずです。しかし、実際にそれを確かめさせることはしません。また、この気づきの科学的な視点での価値付けをすることはしません。理科として何を大切にしなければいけないのかが意識されていないように思いました。
腕を曲げると内側のテープが膨らむという意見がありました。筋肉が膨らむこととは少し違います。下手をするとテープが弛むと思うかもしれません。筋肉マシーンの位置づけがよくわかりませんでした。筋肉マシーンでは、ビニールの紐が筋肉です。ビニール紐をどうすれば腕を動かせるかという課題で使えば、子どもたちの思考は変わったと思います。できれば紐を貼り付けるところから始めたいところです。紐の関節側の端は、関節より少し先につけなければいけません。人間の体の構造と比較することで仕組みがよくわかると思います。
全体では腕を曲げると内側の筋肉が縮むといったことに収束させます。まとめに入るにあたって「授業者は内側が縮むと外側は?」と問いかけます。「縮む」という言葉も聞こえてきますが、取り上げることはしませんでした。また、「腕を伸ばすと?」という問いかけで、外側の筋肉が「少し」縮むと返す子どももいました。素晴らしい発言だと思います。よく観察していたのです。しかし、これも取り上げませんでした。時間がないのでこの時間で扱うことはできませんが、「緩む」にこだわれば、両側の筋肉が弛んでいる状態はどのような状態かを考えるきっかけになります。腕を伸ばしている状態は、外側の筋肉は少し縮んでいて、内側の筋肉は緩んで引っ張られて伸びるというような表現が出てくるかもしれません。子どものちょっとした言葉にも注意を払いたいところでした。
最後のまとめに入る前に、「みんなの体は何で支えられているか?」と全体に問いました。「骨」という答の中に「と筋肉」と答える声が聞こえました。しかし、授業者は「骨」と確認して進めています。予習ビデでは「骨と筋肉」となっていたのにです。これも気になる所です。
最後は、内側の筋肉が縮んで外側の筋肉が弛むと曲がる。外側の筋肉が縮んで内側の筋肉が弛むと伸びるというまとめで書いて終わりました。今までの、腕が曲がっている時はどうなっているかという議論と因果がいきなり逆転しています。先ほど述べたように、筋肉マシーンをうまく活用して、この橋渡しをしたいところでした。子どもたちは最後のまとめを一生懸命に写しています。答が大切であると考えているのでしょう。子どもたちが集中する場面に、子どもたちの授業に対する姿勢が見えるような気がしました。

この授業では、グループ活動中にビデオを見せる必要はなかったと思います。子どもたちが考えるためには、結論をまとめているビデオの解説はじゃまだったのです。反転授業は、教室では予習ビデオで学んだことを活用したり、考えを深めたりすることを目指すものです。そのためには、予習ビデオの内容に疑問を持たせることや、それを活用するための課題が重要になります。まず子どもたちに何を考えさせるのかを明確にして、トータルの展開をしっかりと考える必要があります。その上で予習ビデオはどのような内容にすればいいのか、教室ではどのような活動をすればいいのかを考えて組み立ててほしいと思います。もちろん、この市ではそのようなアプローチをとっていると思いますが、この日の授業からはまだまだ不完全だということです。この授業者の課題というよりは、市全体でどのようにしてブラッシュアップしていくかということだと思います。

授業後の全体での時間はあまりとられてはいません。この市や学校の取り組みの説明で終わりました。こういった取り組みの成果のデータは、まだ取り組んだ期間も短いのでなるほどと思うようなものは提示されませんでした。今回のような機会に、外部の方と一緒に授業検討をする機会を持つといったことも必要のように感じました。

実際の反転授業に触れて思ったのが、どんなやり方をしても教科や授業の本質をきちんと押さえる必要があるということです。理科の授業であれば、科学的なものの見方考え方は何か、理科で身につけたい力とは何か、その力を子どもたちにつけるにはどのような活動が必要なのか、そのことをきちんと押さえての授業展開であり、授業法であるということです。また、子どもたちを活動させるための基本的な授業技術も大切です。あたりまえの結論ですが、そのことを改めて考えることができた貴重な経験でした。よい学びの機会を得たことに感謝です。

横山浩之先生から多くを学ぶ

今年度第4回の教師力アップセミナーは、山形大学医学部看護学科教授の横山浩之先生による「不適切な子育てと行動異常」についての講演でした。愛着形成が上手くできなかった子どもの特徴や学校としての対処の方向性についてのお話しです。私自身、学校を訪問していて愛着障害を疑う子どもに出会う機会が増えていたので、とても興味深く聞かせていただきました。

子どもの心理発達上の課題は、年齢ごとに、
・0歳児の課題・・・愛着形成
・1歳児の課題・・・しつけの基本
・3歳児の課題・・・自我の目覚め
・5歳児の課題・・・簡単な論理の取得(一次反抗期)
・8歳児の課題・・・群れでの行動
・10歳児の課題・・心の黒板
・思春期の課題・・・精神的な自律(二次反抗期)
のようになっています。不適切な子育ての影響を受けてこのどこかでつまずくと、それ以降の課題を誤習得してしまいます。心理的な発達は、一定の順序に従い、連続であるが等速ではありません。時期によって、急に変化したり、ゆっくり変化したりします。この発達には決定的な危機があります。人への信頼関係の発達にとっては生後1年がそれにあたります。この時期に不適切な子育てによって愛着形成に失敗すると、ほとんどの課題の習得に失敗してしまうことになります。

例えば、虐待を受けている子どもの場合、幼児期には反応性愛着障害が引き起こされます。反応性愛着障害の特徴の一部としては、
・幼児は視線をそらしながら近づいたり、抱かれている間にとんでもない方向をじっと見ていたりする。
・対人関係の欠如、床にうずくまるなどの引きこもり反応がみられる。自分自身や他人の悩みに対して、攻撃的な反応を示すこともある。
・はげましても効果がない。過度の警戒(しばしば「凍りついた用心深さ」といわれる)が生じる場合もある。
・大部分の例で仲間たちとの相互交流に興味をもつが、(周囲を恐れているため)一緒に遊ぶことは少ない。
などが挙げられます。
これらは、自閉症などの発達障害の行動異常と非常に似ています。
また、学童期に入ると反抗挑戦性障害や行為障害(=非行)といった行動障害への進展、気分障害(うつ病、躁うつ病)、不安障害(神経症)などの精神障害への進展、人格障害、解離性障害など、さらに重症な精神障害への進展が見られます。
反抗挑戦性障害は、「〜しなさい」といった指示に従わなかったり、本当はそうしてほしいのに強く反対したりする行動異常ですが、これも発達障害がある子どもによく見られるものです。そのため、こういった不適切な子育てに起因する行動異常が発達障害と診断されて間違った対応を取られることもあるようです。逆に、発達障害がある子どもは、そのために不適切な子育てをされる危険性が高くなります。また、不適切な子育てによる行動異常をきたしやすい傾向もあります。発達障害のある子どもと不適切な子育てによる行動異常は区別がつかないこともあり得ます。同じような行動をとるので、チェックリストによる判別は不可能なのです。横山先生によれば、その区別は発達障害の子どもは「微細運動障害」があることでできるそうです。具体的には、鉛筆を動かす時に指が上手く動かないといったことがあります。こういったこともとても参考になります。

不適切な子育ての具体例として、「食の問題」「しつけの問題」「メディアの問題」が挙げられました。中でも、「メディアの問題」は考えさせられることが多くありました。
メディアとのつきあい方として、
・2歳までのテレビ・ビデオ視聴は害悪
・授乳中、食事中のテレビ・ビデオ視聴は禁止(食事を大切にしない家庭は崩壊まっしぐら)
・すべてのメディアへ接触する総時間を制限(ゲームは1日30分まで)
・子ども部屋には、テレビ、ビデオ、パーソナルコンピューターを置かない
ことを挙げられました。特に「自然に親しむ・土に触れる遊びを親子で楽しみましょう」というメッセージを横山先生は伝えられましたが、これから子育てをする人にとって貴重なアドバイスだと思います。
保育園で、「おかあさんといっしょ」といった教育番組を見せるところもあるようですが、ビデオ・テレビは保育園や幼稚園では不要だということです。保育士・幼稚園教諭との遊びの方が大切なのです。英語教育のソフトでさえ害悪のようです。
メディアに接する時間が多いといろいろな問題が生じます。例えば、絵空事は少なくとも小学校中学年以降そんなことはないと理解されるのですが、そのことが相応の年齢になっても理解されないといったことが起きます。「たまごっち」が流行ったころ、小学校高学年でも人は死んでも生き返ると思う子どもが大量にいたというデータもあるそうです。こういったメディアの害悪から子どもたちを遠ざけるためには、メディアに接する総時間を制限することが最も重要になります。メディアに接する時間が1日2時間を超えると行動異常が明確に増加し、1日4時間を超えると100%出現するそうです。こういったメディア中毒は小学校高学年以降では治療困難となるようです。
メディア中毒の子どもの特徴は、
・自己の利害関係にのみ忠実に行動する
・自己の利害関係にかなうときだけ、努力する
・おもてうらのある性格・理由のない自信
・言うことと行動とが矛盾する
・保護者の前でだけ立派であったりする
・次第に、怠学傾向があらわれたり、非行傾向があらわれたりする
といったことが挙げられるようです。なるほどと思い当たることがたくさんありました。

私自身が一番知りたかったのが、学校として愛着形成が上手くいかなかった子どもたちにどのように対処すればいいのかということでしたが、そのことについてもよいヒントをいただくことができました。

「行動異常はめだたない」「トラブルがあると、行動異常が出現する」といった軽度の場合は、担任による対応が可能ということです。
こういった子どもたちの行動原理は「自分の利益」ですから、よい行動はよい結果をもたらすことをきちんと教えることが大切です。ペアレントトレーニングの発想できちんと学級のルールを子どもたちに浸透させる学級経営をすることが一番の対応です。また、保護者対策も重要になります。「小学校に入るまでにできてほしいこと」を配布する(できれば、学年単位で)。「学級のルール」の詳細も伝え、「ほめる形」でチェックした結果についても確実に伝えるといったことが望まれます。
不適切な子育てがなされている子どもは、週明け・長期休み明けに行動が乱れます。この点で、ゴールデンウィーク明けは、子どもたちの生活習慣の乱れを知る一番の好期だということです。これは、先生方の経験則とも一致します。ゴールデンウィークに、家庭内でのお手伝い内容を作文の宿題にすることで家庭の様子を知る方法も紹介されました。炊飯のお手伝いをさせて、その様子を作文にする。家庭ならではの料理レシピを作文に書いてもらうなど、なるほどと納得させられます。

「指導者への反抗がみられる」「週数回程度の授業妨害がある」「トラブルを自ら作り出す」といった行動異常が中程度の場合は、担任以外の対応が必要になってきます。「指導者への反抗、授業妨害が毎日ある」「悪意のある他害行動が毎日のようにみられる」というように行動異常が高度になっている場合は、全校体制での対応が必要になります。
不適切な子育てによる行動異常は発達障害と区別がつきにくいのですが、十分に情報収集をすれば、家庭環境の問題の存在はわかってくるはずです。また、不適切な子育てによる行動異常がある子どもでは、年齢があがるにつれて悪化しているはずです。子どもの状況をきちんと申し送っていれば気づけるということです。
こういった行動異常に対してしつけようとしても上手くいきません。その一つ前の愛着形成で失敗しているので、そこから始める必要があります。ここで注意をしなければいけないのは、保護者に多くを求めてしまうことです。そもそも愛着形成に失敗しているのでしつけや心理的対応を望むと「虐待」を助長してしまうことにもなりかねません。学習指導をお願いしてもそれはずっと先の課題ですからムダです。「早寝・早起き・朝ご飯」「衣食住の確保」、可能であれば「メディアの問題」といった最低限のことをお願いするにとどめる必要があります。
では学校では何をすればいいのでしょうか。愛着形成に失敗しているのが問題なのですから、愛着形成の再獲得が求められます。母親役(愛着形成を教える)が、何をすると人に好かれるのかをしてみせ、愛情をかけられる経験をさせることが必要になります。ここで担任は母親役にはなれません。担任が母親役になると学級を統率することに影響が出てしまうからです。担任は父親役として、学級全体にルールを伝え、該当の子どもにとってよい見本をたくさん作る役割を果たすのです。したがって、担任以外で母親役をつくる必要があります。こういった対処をするためには、どうしても組織としての対応が必要になります。具体的には、母親役が複数必要となります。せっかく子どもと関係をつくれても、翌年異動してしまうと元の木阿弥です。また、母親役は子どもがどんな行動をとっても笑顔を絶やせないという精神的な負担も多いので、一人ではその負荷に耐えきれないということもあります。養護教諭、教頭、教務主任(主幹教諭)などが母親役となりますが、対象の子どもが多い場合や小規模校では、学級担任も、他の学級の子どもに対しては母親役として行動することも必要になります。体制を作り、父親役と母親役の調整、確認等を行うといったチームリーダとしての校長の果たすべき役割が大きいことがわかります。

2時間ほどの講演でしたが、愛着形成が上手くいかなかった子どもの行動異常やその発見の仕方、対応について、本当にたくさんのことを学ぶことができました。横山先生は単なる理論ではなく、どうすればよいのかを必ず具体的に示していただけます。現場に近い視点でのお話は私のような立場の者にとってはとても参考になります。本当にありがとうございました。

介護の研修で、情報に積極的に触れ理解することの大切さを改めて考える

介護関連の研修で講師を務めました。今回は介護制度の変更に伴いこれから介護の現場がどのように変わっていくのかを考えるものでした。
今まで国による一律の基準で行われていた介護保険による介護が、一部自治体ごとの新しい総合事業によるサービスに変わることになりました。介護関係の仕事に就いている方であれば、その内容について関心を持っていてよく理解しているように思うのですがそうとも言えない状況でした。何となくは知っているのですが、きちんと関連する資料を読み込んで理解することはされていません。また、今回この変更の概要を、公的な資料をもとに話したのですが、こういった資料を提示して読んでいただくだけでは、結局のところ何を目指しているのか、その結果自分たちの仕事はどのように変わるのかについてはよくわからないようです。資料の文章のポイントとなるところを中心に、私なりに具体的に解説をし、その上で自分たちの仕事の環境がどのように変わるかを考えていただきました。今回は自分たちの仕事や生活に直接かかわることだったこともあり、皆さんとても真剣に話を聞いて考えていただけました。

国の施策については、各省庁のWEBを見ればたくさんの資料や解説があるので、関係者はそれを見てよく理解しているものと思っていました。しかし、現実には直接かかわる方たちといえどもきちんと見ているわけではなく、また一読しただけでは理解しにくいものであることがわかりました。そういう視点で言えば、確かに学校教育に関しても同じような状況であると思い当たります。アクティブ・ラーニング、知識基盤型社会、グローバル人材、国際バカロレアといった言葉に代表される授業観や学力観、目指す人物像の変化、センター試験廃止や基礎学力テストの導入といった大学入試制度の改革、今いろいろな波が教育界に押し寄せています。現場の先生方とお話ししていて感じるのが、こういった言葉を知ってはいても、それがどのようなもので今どういう状況であるのかについてはほとんど知らない、知ろうとしていないということです。新聞記事で紹介された程度の知識しかないのです。しかし、文部科学省のWEB見れば、詳しい資料や議論の内容を簡単に知ることができます。もちろん一読しただけではよく理解できないこともあるでしょうが、これらの情報に接すれば、将来のことではなく、今目の前にいる子どもたちに対する授業も変化することを求められていると気づくはずです。
例えば、小学校の先生の多くは、大学入試制度の変更は高等学校の問題であって自分たちには関係ないと考えている節があります。しかし、今小学校で学んでいる子どもたちは、確実に今までとは異なった学力観に基づいた力を求められます。もちろん、現在の教育課程もそういったことを意識して作られ、教科書もそれを反映していますが、タイムラグはあります。ただ教科書に従うだけでなく、先を見通しその基盤となる力を身につけさせることを意識して授業を組み立てる必要があります。毎日の仕事や明日の授業の準備に追われていることはよくわかりますが、時々はこれからの教育がどのように変わっていくのかを考える時間を取ってほしいのです。そのために必要な情報は簡単に手に入れることができるのですから。

自分たちに直接関係あることであっても、目の前の問題でなければなかなかそこに目を向けようとはしないものです。しかし、特に教育は子どもたちが社会に出て活躍する未来を見据えたものでなくてはなりません。先生方には、将来子どもたちに求められるものがどのようなものであるかの情報を集め理解し、そのことを意識して教壇に立ってほしいと思います。
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