第1回授業深掘りセミナー(その1)

第1回授業深掘りセミナーが行われました。

1つ目の模擬授業は授業と学び研究所のフェローで岐阜聖徳大学教授の玉置崇先生の道徳の授業でした。
玉置先生は自ら新しい授業に挑戦すると宣言して模擬授業を開始しました。題材は「手品師」です。売れない手品師が、さびしい子どもとの手品を見せるという約束を優先して、大舞台に立つという夢をかなえるチャンスを断るという話です。この題材を使った授業の展開は「手品師は子どもとの約束を優先したが、あなたならどうする?」と自分の判断を考えさせたり、「友人からの大舞台の誘いを受けた時の手品師は、どんなことを考えただろう?」「子どもとの約束を守って手品をしている時の手品師は、どんな気持ちだろう?」と手品師の気持ちに寄り添って考えさせたりするものがほとんどです。大舞台へのチャンスが来たところで話を止めて、「あなたらどうする?」と問いかける展開もよく目にします。
それに対して玉置先生は、最後まで資料を読んだあと、自分がそうするかどうかは別にして、手品師がとりえる行動にはどんなものがあるか、「ありったけ」書き出すように指示しました。「ありったけ」といった言葉を使うところが玉置流です。「たくさん」ではなく「ありったけ」ということで、子どもによい意味でプレッシャーをかけ、集中力を上げるのです。
一人一つずつ発表させます。「自分なら」とか、「どうあるべきか」といった条件がないので、子ども役からは無茶な意見を含め多様な意見が出ます。とはいえ、教室で見る子どもたちの意見と同じく、何とか自分の夢を実現させることを優先して、その上で約束を破ることになる子どもに対してどうフォローするかを考えるものがほとんどです。玉置先生はそれらを一つひとつ板書していきます。17ほどの意見が出てきました。この展開はいわゆる「とりえる行動の選択」の授業のように見えます。この後、よくある「あなたならどれを選ぶ?」と問いかける展開だと話が発散していくのではないかと思いました。それでは面白くありません。ところが玉置先生は、その後、この中から「自分なら絶対にしない」というものを(複数)選ぶように指示しました。これには意表を突かれました。「自分ならどうする?」では、他者の意見に、「それもあるかな」「自分はしないな」と第三者的に見てしまうところが、「絶対にしない」という条件を突きつけることで、否応なしに自分の立場をはっきりせざるを得なくしたのです。
子ども役に絶対取らない行動を選ばせた後、挙手で確認していきます。意見が分かれる行動がいくつかあります。玉置先生は「申し訳ないが自分に選ばせて」と「代わりの人に行ってもらう」という行動を取り上げて、「絶対にしない」理由を聞いていきました。「代わりはあり得ない」ときっぱりとした言葉が出てきます。「縁があって自分がやることを約束したのだから」といった意見を受けて、考えが変わったかどうか確認します。変わった子どもを評価し、子どもの考えを受容しながら他の意見も引き出します。意見に対して、「納得できる?」と全体に問いかけ、「代わりはあり得るのか、ありえないのか?」と焦点化していきます。こういうどの教科にも共通する授業技術もとても参考になります。
「約束は守れないことはある」「子どもはたださびしかっただけなんだから、その手品師でなくてもいい」といった意見も出てきます。玉置先生は、それぞれがよく考えていることを評価しどの考えも認めていくので、子ども役に迷いが出てきます。そのことが、結果として深く考えることにつながりました。意見がある程度出たところで、隣同士で意見交換させます。明確に意見が違っていたペアの一方を指名して、どんなことを話したかを聞きました。指名もその意図がはっきりしています。ここで時間となり、子ども役がいろいろな視点で話してくれたことを評価して授業は終わりました。

続いては、このセミナーの売りの一つの「深掘りトークセッション」(参加者の斎藤早苗さん命名)です。この授業についての進行役は私が務めました。新鮮な気持ちで考えようと指導案を見ていませんので、どのように進めていくかの方向性は事前に決めていません。いつものように、授業を見てのぶっつけ本番です(自分的は、このライブ感が楽しいのですが……)。
最初に、玉置先生にどこが挑戦だったのかを話していただきます。改訂学習指導要領の道徳の解説で、「・・・答えが一つではない道徳的な課題を一人一人の児童が自分自身の問題と捉え、 向き合う『考える道徳』、『議論する道徳』へと転換を図るものである」とあるのを受けて、「考える道徳」、「議論する道徳」への挑戦ということです。子ども役が、「考え」「議論」したという点では満足のいくものだったが、時間もなかったので最後どのようにまとめていけばよかったのかを皆さんと考えたいということでした。パネラーは、伊藤彰敏先生(一宮市立尾西第一中学校教頭)、神戸和敏先生(授業と学び研究所フェロー)、野木森広先生(岩倉市立岩倉中学校校長)、和田裕枝(豊田市立小清水小学校校長)です(五十音順)。いずれも授業の達人として定評がある方ばかりです。何を振っても答えてくださるという方々なので、安心して進めることができます。
まずは、授業を見ての感想から聞いていきます。野木森先生は、このとりえる行動に対して「絶対やらない」ものに焦点を当てるという方法は、子どもが議論するにはよい方法だと評価しました。その上で、議論はしていたのだが、最後に何らかのまとめの場面をつくって道徳としてのねらいを押さえたいという意見です。この題材は「誠実」をテーマに授業をすることが多いのですが、確かにこの授業ではそこの部分がはっきりしないように思えます。続いての和田先生からは否定的な意見は出ませんでしたので、その次の伊藤先生はあえて飛ばして、神戸先生にお願いしました。神戸先生からは子どもが安心して自分の意見を話せるために使っていた玉置先生の授業技術に触れていただけました。若い先生とってはとても大切なことです。ここで伊藤先生に戻ります。伊藤先生は道徳の授業としてはこれではダメではないかと反対意見を出されました。肯定的な意見が続くと議論が深まらないので、反対意見がほしいという気持ちを伝えるために、最後に回したのですが、ちゃんと意図を汲んでくださいました。議論して互いの考えを知ったからといって道徳的に何が変わったのかはっきりしない。これでは道徳ではないという考えを示されました。玉置先生からは、子どもたちが先生の言ってほしいと思っていることを予想して、決められたゴールに向かっていくような道徳の授業が多い中で、こういった子どもたちが考え議論する授業は意味があるという主張を展開します。白熱した展開になります。玉置ゼミの学生も参加していましたが、日ごろと違う先生の姿にはびっくりしたかもしれません。別に事前に打ち合わせしていたわけではありませんが、皆さん役者なので盛り上げようとバトルを演出していたのです。
とはいえ、このままで終わるわけにはいきません。そろそろ着地点を探すことが必要です。模擬授業で玉置先生は意見が違うペアの一人を指名しましたが、そのもう一人の方に話し合った感想を聞くことにしました。考える、議論することを通じてどのような変容が起こったのかを知ることで、道徳としてどう進めていけばよいのかのヒントが出てくると思ったのです。出てきたのは、意見が違うことを否定的にとらえるのではなく「いろいろな考え方がある」という多様性を認める考えと、「行動が違っても、その底には同じ気持ちがある」という共感でした。期待以上の素晴らしい言葉が出てきました。まず前者に関連して、神戸先生に、「多様な考えを子どもたちから引き出すために、具体的にどのようなことを意識すればよいのか?」と質問しました。その前に和田先生に一言、「次、あてますからね」と声をかけておくのを忘れません。神戸先生から、日ごろから子どもたちが安心して発言できるために、教師が子どもの言葉を受容し、ペアやグループ活動を活かして子ども同士が互いの発言を認め合えるようにすることの大切さを説明していただきました。
さあ、ここで和田先生の出番です。ずばり、「この後、この授業をどう進めますか?」と聞きました。和田先生はその質問をしっかりと予想されていました。「やっぱり」と、「行動は違っても、手品を見せる約束した子どものことを思いやっていることが共通にあるので、そういった部分を子どもたちから引き出し、共有することで道徳としてのねらいにつなげることができる」と誰しもが納得する進め方を示していただけました。
「とりえる行動」を子どもたちからできるだけたくさん引き出し、それに対して「絶対しない」ことは何かと焦点化することで、子どもたちに当事者意識を持たせて議論を焦点化する。「考え」「議論」させることを通じて、多様な考え方の底に「共通」する、「誰もが大切にしていること」を引き出すことで道徳としての「ねらい」をクローズアップする。このような新しい道徳の授業の進め方を模擬授業とトークセッションを通じて提案することができたと思います。阿吽の呼吸で、私の意図を読んで対応してくださる先生方のおかげで、何とか私の役割は果たせたようです。

後で振り返ってみると、玉置先生が中途半端な形で授業を終えたのはこのようなトークセッションの展開を意図してのことだったと思います。見事に玉置先生の掌の上で泳がされていたようです。

この続きは、明日の日記で。

授業検討システムの改善点について検討

先週末、授業深掘りセミナーに先立って授業と学び研究所の会議が行われました。
授業深掘りセミナーの最終確認のあと、授業検討システムを使用しての感想や改善点について話し合いました。
私ともう一人のフェローが実際に使ってみて、共に、非常に可能性のあるシステムだという感想を持ちました。以前のシステムと比べてねらった場面をピンポイントで再生が可能で、その場面を見つけるのもずいぶんとやりやすくなりました。いろいろな面で使いやすくなったので、細かい点で、こうしてほしいという要望がたくさん出てきました。一つひとつは些細なことなのですが、そのちょっとしたことで使い勝手が大きく異なってきます。もともとは1時間の授業研究を意識してつくられたものを、今回、私たちが1時間にいくつもの授業を見るために利用したので、使い勝手で気になる点が出てきたのです。面白かったのが、私ともう一人のフェローの指摘がほとんど同じだったことです。利用目的が一緒だったこともありますが、きっと同じような視点で授業を見ているのだろうと思いました。

具体的にこうしてほしいという要望がありますが、それをそのまま実装してもらったからといってよいものになるわけではありません。なぜそのような要望を出すのかを開発担当者に伝えることで、逆にもっとよい提案していただけることもあります。そういったことを踏まえて、直接開発担当者と話をする機会を持つことになりました。今後こういった意見交換を繰り返すことで、よりよいものになっていくと思います。

私学で打合せ

私立の中高等学校で、打ち合わせと授業見学を行ってきました。

授業を見て感じるのは、子どもたちはわかるようになりたい、できるようになりたいと思っていることです。特に高校3年生は昨年の同時期と比べて、学習に前向きな子どもが多いように感じました。ただ一部の子どもは、やる気はあるのですが、やってもできないと自信ややる気を失くしてしまっているようです。教科によっては、最初からあきらめている子どもが目立つことが気になります。入学した時点で既に苦手意識を持っている子どももいます。この子どもたちに気持ちをリセットさせることが大切だと思います。今年度入学の高校1年生には中学校の内容を含めて基礎の徹底を図っています。このことが上手く機能してくれるとうれしいのですが。

何人かの先生から学校の現状と対策について意見をうかがいました。大学入試の改革が視野に入ってきました。子どもたちに求められる力が変化してきていますが、一部の先生を除いてそれに対応していこうという積極的な動きが見られません。全体の流れが見えてから対応しようとしても、それまでにベースとなるものを培っていないのですぐにはできません。具体的にどうすればいいのかはっきりしたものが見えなくても、目指すべき目標に向かって進んでいこうとすることが大切です。子どもたちに求められる資質・能力を意識した授業へと改善していこうという気持ちになってほしいと思います。
次回の訪問時に、希望者を対象にこういった新しい動きとそれに対応して具体的にどのように授業をつくっていくのかについてお話させていただくことにしました。子どもたちがどのように育っていくのかがわかるような授業の映像を準備したいと思います。

今年度実施の授業評価についても打ち合わせを行いました。これについては、しばらくは経年変化を見るために項目を固定することになりました。学年ごとに昨年との比較をすることでいろいろなことが見えてくるのではないかと期待しています。

授業改善へのエネルギーを感じる

昨日の日記の続きです。

3年生の若手の英語は、教科書のまとめの問題に取り組んでいる場面でした。本文の内容をもとに英文の質問に答える問題を、個人でノートにやっています。早い子どもは次の作業が指示されているので時間をムダにはしていません。子ども同士聞き合っている姿も見られ、よい場面に見えますが、どうにも気になります。本文の内容を理解していれば答えられる問題ですが、逆に言えば教科書の本文の該当箇所を見て写せばそれで解答できてしまいます。学習した英語を使えるようにするためには、本文を見ないで即答させることの方が有効だと思います。このことを授業者に伝えました。授業者もそういった疑問は持っていたようです。質問を授業者が英語で問いかけ、全体や個人で何度か答えさせてそれをノートに書く。こういった活動に変えると時間のムダも減って、密度の濃い活動になると思いました。

1年生の若手の英語は、工夫がたくさんありました。
フラッシュカードを使って英文を読ませます。復習なのでしょう、子どもたちだけで読ませます。リピートの場面では、発音をていねいに指導しています。ねらいがよくわかります。
教科書の文章の内容が描かれた1枚の絵を使って、その状況を英語で話させます。”situation”を英語に直すことを意識して授業が組み立てられています。残念だったのが、全員が反応できていないのに次に進んでしまうことです。個別に指名して確認したり、もう一度全員に言わせたりといったことが必要でしょう。また、フラッシュカードや絵を持った時に視線が正面に固定される癖があることも気になりました。全体の反応を見ながら進めることができるともっとよくなるでしょう。
各場面で子どもたちに何を求めているかが明確になってきました。同じ学年担当同士で、いろいろと工夫しながら授業づくりをしています。チームワークのよさを感じます。英語科は若手が多いのですが、こうやって互いに学び合うことがとても大切です。この半年でずいぶんよい方向に変化していると思います。これからの成長が楽しみです。

2年目の英語の先生の授業研究は、三人称単数現在の”s”の定着場面でした。絵を見せてその場面を英語で言わせます。指名した子どもが答を言った後、全員に言わせます。間違えた時も自分で正解を言わずに、他の子どもを指名して答を聞かせ自分で修正する機会を与えます。子どもたちが、友だちの発言を一語一語うなずきながら聞いていました。集中度の高さを感じます。
授業者が全員できるようになってほしいと強く願っていることがよくわかります。力のない子どもも指名します。答えられなくても他の子どもや全体で言わせることで、自分で修正できるのを待っています。授業研究などでは答えられない子どもはあえて指名しないこともよくあるのですが、授業者はそのようなことを全く考えていないようでした。子どもたちに対する誠実さを感じます。教師として一番大切な資質を持っているように思います。ただ、残念だったのが、できない子どもを何度も指名しすぎたことです。もう少し間を開けて、同じ内容の確認を別の場面で行うといったやり方もあります。できない子どもを意識過ぎて、他の子どもたちがその子どものための活動場面のように感じることも心配です。
グループでの活動場面で、ちょっと落ち着きのない子どもが間違ったことを言っているグループがありました。その子どもには困らされていることもよくありそうでしたが、子どもたちは一所懸命に声をかけ、間違いを直させようとしていました。よい学級がつくられていると感じました。
まだ、2年目の先生ですが、会うたびに何かしらの進歩を感じさせてくれます。今後の成長が本当に楽しみです。

3年生の数学は変化の割合の場面でした。前回授業を見てほしいと声をかけてくれた若手の授業を中心に見せていただきました。
一言で言うと、何を押さえたいか、大切にしたいかがわからなくなっていました。その迷いが授業に出ています。余裕が無くなっています。
1次関数を使って変化の割合の復習をします。「変化の割合を表わしているのは何か?」と子どもたちに聞きます。傾きと比例定数という言葉がでてきました。比例定数は間違いなので授業者は修正しようとします。どういうことか聞き返し、”a”という言葉を引き出しますが、そのあとy=ax+bのaであると確認して、これは比例定数ではなく傾きだと説明してしまいました。間違えた子どもは、1次関数の「比例部分」という言葉が印象に残っていたので、比例定数という言葉を使ったのでしょう。であれば、「比例部分の定数のことを言ったんだね。1次関数ではこのことをなんて言ったっけ?」と本人に修正させたいところでした。
子どもの言葉を受け止めて、うまく返すこともできるようになっていたのですが、この日は自分で説明してしまっていました。
変化の割合を定義した後、y=x2で変化の割合を、表を使って考えます。増分を1にして確かめますが、割合だからxの増分で割ることを確認しなければいけません。しかし、xの増分が1だからと、何も言わずにyの増分だけに注目しました。次の例題は増分が1ではありません。今度は定義からxの増分で割らなければいけないと説明します。一部の子どもが、モヤモヤした表情を見せていました。
変化の割合が一定でないことを押さえるだけで、これが何を意味しているかは押さえません。グラフ上の点を結んでその2点間の傾きを意識させる図を描きますが、その図と変化の割合の関係を押さえることをしません。変化の割合が増えるとその線分を延長した直線よりもグラフは上になります。変化の割合が増えていくということは、どんどん上に向かって急なグラフになるということです(x>0で考えていた)。これは、前にやったy=x2のグラフの特徴を説明するものです。こういったところを押さえなければ、子どもたちは何で変化の割合を調べるのかわかりません。変化の割合からグラフの概形がわかることは、高等学校で学習する微分にもつながる大切なことです。
授業者はこの日の授業を、子どもたちが全く考えていない授業だったと、自ら振り返っていました。自分でもモヤモヤしていると素直に本音を語ってくれました。ある程度子どもたちとやりとりができるようになって、その後少し成長が止まっていました。しかし、じぶんで壁に気づいてくれました。教材研究が不足していることが一番の原因ですが、子どもの姿からそのことに気づいてくれました。自らその壁を壊そうと動き出したのです。このことはとてもうれしいことです。毎回私が教材の解説をするわけにはいきません。自分で何とかしていかなくてはなりません。しかし、頼りになるベテランもこの学校にはいます。自分で勉強し、わからないことは同僚に聞く。この姿勢を大切にするように伝えました。すぐに結果がついてくるとは言えません。遅々とした歩みになるかもしれませんが、前に進み続ければいつか必ず目的地に着くはずです。まずは、次の成長への第一歩を踏み出したことを喜びたいと思います。

2年生の数学は方程式のグラフと連立方程式の関係の場面でした。
1次方程式のグラフをかくのに、yについて解いていました。そのことの意味は少なくとも板書には押さえていませんでした。1次式だから1次関数と見ることができるということが大切です。もっと言うと1次方程式のグラフは直線であることをきちんと押さえれば、グラフのかき方はもっとシンプルにできます。また、方程式のグラフは解の集まりであることをどこにも押さえていません。「方程式のグラフの通る点=方程式の解(を座標とする)」を明確にし、連立方程式の解は「同時に成り立つ」解と合わせて、グラフの交点という関係を整理しなければいけません。
根本的なところを整理せずに、問題を解いていては色々なことが出てきてわけがわからないということになってしまいます。子どもたちが関数に苦手意識を持ってしまうのです。他の単元で学習したことを関数的な視点で整理し直すということをもっと大切にしてほしいとおもいます。

特別支援学級の授業は国語の授業でした。
6人ほどが同じ内容を学習しています。特別支援でこの人数を同時に教える場面を見ることはあまりありません。子どもたちの関係も含めて興味を持って見ました。友だちとかかわったり、フォローできたりする子どももいます。こういった子どもが活躍している場面を見ることができました。もちろんコミュニケーションを上手く取れない子どももいます。そういう子どもを中心に授業者は支援していきます。授業者は子どもに寄り添うように接していますが、その間、課題ができた子どもは手持ち無沙汰です。学力差があるので仕方がないのですが、個別に追加の課題を準備できるとよいように思いました。

この日も、授業に前向きに取り組んでいる先生方の姿をたくさん見ることができました。若い先生を中心に授業をよくしようというエネルギーを感じることができることは本当に幸せなことです。このエネルギーを授業の進歩、子どもたちの成長という結果に変えるお手伝いをすることが私の役割です。そのような機会をいただいていることをとてもうれしく思います。

保健と体育の授業で考える

中学校で授業アドバイスを行ってきました。
学校の様子は、1年生については前回と比べて大きな変化は感じませんでしたが、3年生の教室では落ちつきが少し増しているように感じました。2年生は授業者による態度の変化が小さくなっていたように感じました。少し見ただけなので何とも言えませんが、何か変化するきっかけがあったのかもしれません。次回訪問時にじっくり見て見たいと思います。

この日は保健・体育の授業をたくさん見せていただきました。体育はどの授業でも子どもたちの集団行動がしっかりできていると感じました。授業者は座っている子どもに対して目線を下げて、視線を合わせることを意識しています。こういったことが子どもたちとの関係にもよい影響を与えていると思いました。

1年生男子のハンドボールの授業は全員がシュートを打つという目標で、オフェンスチームとディフェンスチームに分かれての練習でした。目標はわかりやすかったのですが、子どもたちがその目標を達成するためにどのようなことに注意をすればいいのか、意識できていません。「前が空いていてすぐにシュートができる状態であれば、パスを求める」「ボールを持っていない者が、パスの指示をする」といった場面が見られませんでした。球技ではボールを持っていない時の動きが大切ですが、ボールを持ってから次のプレーを考えています。どこかで指導するとよいでしょう。チームごとに作戦会議の時間があるのですが、中にはすぐに終わって遊んでいるチームもありました。考える糸口がないのかもしれません。「シュートにつながるパス」「指示の声をだす」といった、子どもたちに意識してほしい行動を目標に組み込むことも必要かもしれません。
また、授業の最初にウォームアップもかねてパスの練習をしていましたが、きちんとできていない子どもがたくさんいました。最初にパスの指導をした時にはポイントを押さえていたと思いますが、定着していないようです。例え以前に指導したことでも、定着するまで毎回確認をすることが必要です。
振り返りを授業の最後に個人個人で書かせますが、団体競技なのでチームとしての振り返りが必要です。チームとしてこの時間でできるようになったこと、次回にできるようになりたい目標などを書かせることで、授業者も次の時間の構想を立てやすくなるはずです。

1年生の女子のサッカーの授業は、初めてのゲーム形式の練習でした。身体接触のあるサッカーを女子は嫌うそうです。しかし、シュートを決めた時の喜びようを見ると、達成感を持たせることで、好きになるのではないかと思いました。1時間の授業が終わった時に進歩したと実感できるようにすることが大切です。そのためには達成したかどうかがわかりやすい目標設定と、達成するために具体的にどのようなことを意識すればよいのかを明確にすることが求められます。
授業者は子どもたちを集めてポイントの説明をしていますが、言葉による説明が主になっていました。身体的な動きを言葉で説明されても、その競技に精通して技術が身についてこないと、理解することができません。一部の子どもたちの頭が下がってきます。ところが、授業者が実際に動いて見せるとすぐに顔が上がります。視覚的な要素が大切になることがよくわかります。位置取りの説明であればホワイトボードを使って見せる。体を使った動きなら、子どもを前に出させてやらせてみる。そういうことが大切になります。
インターバルにチームでうまくできたことや反省点を話しますが、なかなか言葉が出てきません。プレーに一生懸命で客観的に見ることができていないのでしょう。シュートをどれだけ打ったかの記録をとる係が各チームに2人います。シュートのチェックはしているのですが、相手チームが攻めている時はすることがないのでボーっとしたり雑談をしたりしています。ゲームでのチェックポイントを意識して観察させ、仲間にアドバイスをする役割を持たせるとよかったでしょう。チェックシートをつくっておくのも一つの方法です。
ボールを奪う練習を鬼ごっこの形式でやったりボールを使わずに動きの練習をしたりと、基礎的な練習にも工夫がみられましたが、男子のハンドボールと同じく基本的なことが定着していません。ドリブルもパスもトーキックが主体で、インサイドキックやインスッテプキックを使い分けることができません。女子にとっては難しいことなのでしょうが、こういったことを意識させないと結局ゲームを楽しむこともできなくなります。子ども同士で指摘し合えるような工夫がほしいところでした。

2年生の男子のダンスの授業は、とても興味深いものでした。
体育でのダンスの主流はヒップホップになっています。男子でも楽しく踊れるものです。子どもたちは横何列かで向き合って踊っているのですが、一生懸命に体を動かし、友だちと動きが上手く合った時などはとてもうれしそうにしています。
この時間は次時以降で行う創作を意識して、ダンスバトルを取り入れていました。2人が向き合って交互に相手の方に進んで自由にいろいろな動きをするというやり方でした。いろいろな動きをすることが創作につながるというわけです。子どもを1人前に出して、授業者と2人で実際にやって見せます。子どもたちは楽しそうにかつ真剣にその様子を見ています。代表の子どもが授業者の動きに対してなかなか見事に切り返すので、子どもたちはやってみたいという気持ちになったようです。上手く子どもたちに意欲を持たせることができました。
全員でダンスバトルに挑戦する前に、今までやってきた動きを上手く使うことを意識させましたが、実際にやってみると、子どもたちは、基本的な体をゆする動きを交互に繰り返すだけで、なかなか他の動きをすることができません。今までやってきた動きをするといってもとっさには出てこないものなのです。ちょっと時間はかかりますが、ダンスバトルを始める前に今までやってきた動きを実際にやって見せることが必要だったようです。
体育に限らず、それまで学習してきたことはできる前提で授業を進めることが多いのですが、授業者が思っているほど定着していないものです。次の活動に必要なことは実際にやって見せるなどの確認が必要になるのです。とはいえ、どの子も一生懸命にダンスバトルに取り組んでいました。とてもよい姿を見ることができました。

2年生の女子の保健は2学級に分かれ、若手2人がそれぞれ授業を行なっていました。環境問題で3R(Reduce Reuse Recycle)について考える授業でした。
どちらの学級も授業規律は良好です。子どもたちにごみ(廃棄物)の種類を考えさせましたが、これに時間をかけることにあまり意味はありません。考える問題というよりも知識の問題だからです。子どもたちに活動をさせたかったのであれば、調べる活動にすべきだったでしょう。授業者は2人とも手元に板書計画を持って授業をしていました。板書には3Rの説明が書かれています。しかしこの授業では環境問題に対する対策として3Rを教えることよりも、自分たちにどのようなことができるかを考えさせることの方が大切です。資料をもとに、どのような対策をとればいいのかを考えるのです。「ごみの量」「ごみ処理場の数」「不法投棄の件数」などの年度ごとの変化がわかるグラフを準備するとよかったでしょう。「人口は増えていないのにごみが増えているのはどういうことか?」といった疑問を持たせながら、原因と対策を考えるのです。3Rが直接出てくるかどうかはわかりませんが、子どもたちの考えを整理し分類しながら、それらを「リデュース」「リユース」「リサイクル」と言うことを教えればいいのです。板書計画は立てることはとてもよいことですが、板書する内容を教えるのではなく、子どもから出させることを意識してほしいと思いました。

他の授業については明日の日記で。

社会科の授業力を高めるための講演

市の社会科の研究発表会で講演を行ってきました。私の講演の前に若手の研究発表が2つありました。どちらも子どもたちを主体的に活動させたいという意欲を感じる取り組みでした。子どもたちに自主的に取り組ませるためには、課題や資料をどのようなものにするかがとても大切になります。2つの発表からいくつかのヒントをいただけました。ありがたいことです。

私の講演は、「授業力を高めるために意識したいことは何か」という題で社会科の授業で大切にしてもらいたいことについて、今後の教育課程の動きと具体的に社会科としてはどのようなことを考えればよいのかについてお話ししました。
最初に、教科を越えて今後子どもたちつけるべき「資質・能力」について、中教審関係の資料をもとに説明しました。一部の社会科の授業では知識を教えることが主体となっていますが、そうではなく主体的に課題を見つけ、協働的に課題を解決する力や学んだ知識を活用する力をつけることが求められています。アクティブ・ラーニングもそのための手段です。そのことを前提としたうえで、社会科の視点として「事実を手掛かりに考える」「史実を手掛かりに考える」「自分たちの生活から考える」「因果を考える」といったことを意識してほしいことを伝えました。
社会科を通じて身につけさせてほしい「資質・能力」に関連して、「資料を見る力」「資料を活用する力」について、「気づいたこと」といった発問では子どもたちは考えられないことや資料の活用には「見つける」「読み取る」「資料をもとに考える」という3つのステップを意識する必要があることをお伝えしました。
また、子どもたちが主体的に考えるためには、ただ「考えよう」といった課題や資料を調べてまとめるといった活動ではなく、考えなければいけないような仕掛けを組み込むことが必要です。資料を探せば答が見つかるものではなく、「もし、○○がなければ?」「○○が起こらなければ?」といった資料には絶対ないことを問うのも一つの方法です。
また、子どもに疑問を持たせるために、演繹と帰納の2つの考え方を使うとよいでしょう。例えば米作りに関する授業であれば、「米作りに適した地理的条件を考えさせ、米作りが盛んなところを予想させて、実際との違いに疑問を持たせる」という演繹的な進め方と、「米作りの盛んなところを調べて、そこから米作りに適して地理的条件を考えさせる」という帰納的な進め方があります。米が本来温かいところでの耕作に適していることと、実体の違いに子どもたち自身で気づくことで、主体的に課題を見つけてくれると思います。
地理的分野であれば「人の営みと地理的な要素の関係を考える」、歴史的分野であれば「歴史的な事件や事実をつながりとしてとらえる」、公民的分野であれば「総合的・多面的にとらえる」といった視点で考えると、課題を作りやすいと思います。

子どもたちの活動の結果で共有すべきことは、結論や結果ではなく、その「過程」や「根拠」であることを強調させていただきました。特に「課程」はメタな技能としてつけてほしい力の大切な一つです。また、教師が結論を板書でまとめると、子どもたちは結局教師の答を正解として受け止めてしまします。教師の求める答探しをし始めるのです。自分の考えで答を見つけるためにも、まとめは子ども自身で行わせる必要があります。このことも強くお願いしました。

与えられた時間を勘違いしていたため駆け足でのお話になってしまい、話が散漫になってしまいました。申し訳ないことをしました。
教科についてのお話を依頼されることはあまり多くないので、私にとってはとてもよい学びの機会となりました。このような機会をいただけたことを感謝します。

授業深掘りセミナーの準備が進む

第1回授業深掘りセミナーがいよいよ明後日(10月10日)に近づきました。先週の授業と学び研究所の打ち合わせは、当日の会場で行われ、実際に机を並べ、黒板やICT機器も準備してセッティングをいろいろと検討しました。できるだけ教室の雰囲気に近づけることで、模擬授業のリアリティも増すことと思います。これなら違和感のない授業になると思えるセッティングになりました。きっと参加された方に満足していただけるセミナーとなること思います。当日が楽しみです。

この日、かねてから開発中の授業検討システムの新しいバージョンが3セット届いていました。それぞれのフェローが授業を見る時に自由に使えるようにという配慮です。早速試してみましたが、私たちの要望がかなり盛り込まれた素晴らしいものになっていました。とはいえ、実際に使って見ないと正しい評価はできません。授業を1時間じっくり見る時といくつかの教室を次々に回わりながら見る時、複数で検討する時と個別にアドバイスする時というようにいろいろな場面が考えられます。状況によって求められるものは違うはずです。それぞれの場面で「どのような使い方をするといいのか?」「どのような機能が求められるのか?」、こういったことを今後研究していきたいと思います。これから学校で授業アドバイスする時は、できるだけこのシステムを使ってみたいと考えています。皆さんのご協力をお願いしたいと思います。
なお、このシステムは来年の2月に予定されている、「愛される学校づくりフォーラム2016 in東京」でも紹介できればと考えています。興味のある方は、是非このフォーラムに参加してください。正式な発表は12月の予定です。

アクティブ・ラーニングの研修とうれしい報告

私立の中高等学校でアクティブ・ラーニングの進め方についての研修を行ってきました。希望者を対象にアクティブ・ラーニングを進めるにあたっての基本的なことを3回に分けてお伝えする第1回です。先生方はなかなか時間が取れないので、授業時間中と授業後に同じ内容で2回行いました。参加いただいた先生方は、現在アクティブ・ラーニングを実際に取り入れている、取り入れようとしている方たちでした。こういった先生方が核になって、この学校の授業改善が進んでいくことと思います。1回目は、アクティブ・ラーニングを進めるにあたって、どのようなことに気をつけるとよいのかを授業技術や授業の進め方を中心にお話しました。

最初に、アクティブ・ラーニングは、これからの時代を生きる子どもたちに求められる資質・能力を身につけるための手段であることをお話ししました。知識だけでなく、「どのように社会・世界と関わりよりよく人生を送るか」「知っていること・できることをどう使うか」ということを考えた時に、従来の授業のやり方だけではそのような力をつけることが難しいので、アクティブ・ラーニングの手法を取り入れる必要があるということです。
そういう意味では、授業のデザインがとても大切になります。何を課題としてどのように進めるかです。特に課題が大切になりますが、アクティブ・ラーニングを進めるためにはその大前提として、教室が安心して暮らせる、何を言っても大丈夫な雰囲気になっていることが必要です。この学校ではその前提が満たされてきたので、アクティブ・ラーニングを進めていこうという空気になったのだと思います。
課題や発問、活動は、子どもたちにとって考える必然性のあるものでなければいけません。天下りで今日の課題はこれだと提示されても、積極的に取り組むことはできません。子どもたちが主体的に取り組めるような工夫が必要です。また、従来の教師の求める答を探すような課題や活動ではなく、考える過程や結論に至る根拠を共有することを大切にしたものでなければなりません。この学校でも、ペア活動やグループ活動が盛んになってきましたが、このことを意識して活動させることが必要です。
このようなことを、具体的な場面を例にしながら説明させていただきました。実際に取り組んでいる方は、自分の授業場面で具体例をイメージできるので、私の言っていることをよく理解していただけたようです。この種の研修は、実際に取り組みだしてからの方が効果的だということがわかります。
次回は、これからの時代を生きる子どもたちに求められる資質・能力はどのようなものかをもう少し具体的にして、アクティブ・ラーニングを通じて何を目指していけばいいのかをお伝えしたいと思います。

空き時間に、英語科の先生から最近の授業での子どもたちの様子を聞かせていただきました。高校3年生のその授業では、子どもたちが興味を持てるような軽い小説を配って、内容を英語で要約するという課題を与えています。先生が教室に入った時には、すでにグループの隊形になって課題に取り組んでいるそうです。疑問な点があっても、先生には質問せずに自分たちで聞き合っています。中にはグループではなく個人で取り組みたい子どももいるそうですが、そういう子どもも必要であれば手の空いた友だちに相談しているようです。授業者の予定よりも早く進んで、ワークシートの準備が追いつかないほどだそうです。子どもたちの興味を引く課題と、子どもたちだけでわかるように工夫したワークシートのおかげで、自分でわかったという達成感を持たせることに成功しています。ですから、子どもたちは自主的にどんどん取り組んでいるのです。この1年余りいろいろと工夫を重ねてきた結果、この学校の子どもたちのよいところを引き出すことに成功したようです。前向きに取り組んできたことが実を結びつつあります。「授業中に子どもたちから必要とされていない」とその先生は笑っていましたが、ある意味理想的な姿だと思います。授業中は何もしていないように見えても、その陰では教材の吟味や課題の設定、印刷などの準備に多くの時間を費やしています。黒子に徹しているのです。こういった取り組みの成果を今後どのように広げていくのかが、とても大切で楽しみな課題です。

先生方のおかげで、とてもよい学びをさせていただいていることに感謝です。

授業研究から大いに学ぶ

昨日の日記の続きです。

家庭科の授業研究は、お弁当の献立をグループで考える1年生の授業でした。
「○○が喜ぶ弁当」がテーマです。教科係が担任に聞いてきた情報を発表します。好きなもの、嫌いなもの、ご飯系かパン系か、アレルギーの有無などです。係2人は一方が説明し、もう一方が用意した紙を貼って発表します。紙を用意するのは自発的だったそうです。今の子どもたちはこういったことに慣れていると思いました。ただ、口頭で発表した子どもは、顔があまり上がらず、メモを見てしゃべっています。せっかくですから、こういったところも指導しておくとよかったでしょう。
○○が担任の先生だと確認してから授業を進めます。担任は、唐揚げが好きで、ご飯系のお弁当が好みです。ゴーヤやトマト、きのこ類が苦手でアレルギーはない。この情報をもとに担任が喜ぶ弁当の献立を考えるのですが、授業者がもう1つ条件を付け加えました。1〜6群の食品をすべて入れることです。この条件を授業者から出しましたが、「お弁当で大切なことは何?好きなものだけ入れればいい?」と問いかけて、子どもたちから引き出してもよかったでしょう。または条件に入れずに、献立をつくる課程で気づかせてもよかったでしょう。
食品群を出したところで、復習をします。子どもたちに食品群に関することを質問しますが反応がありません。数人が挙手しますが、ほとんどの子どもは動きません。教科書やノート、資料集を見る子どもがいてもよさそうですが、そういう子どももいません。子どもたちはこの場面は参加しなくても困らないということを知っています。挙手した子どもを指名するのではなく、子どもたちに参加、活動を促すことが必要です。
主食・主菜・副菜の割合が3:1:2を確認しますが、この比率が何を表わしているかが私にはよくわかりません。弁当で占める面積でしょうか、重量でしょうか?特に野菜は、その加工の仕方で、かさは大きく変わります。子どもたちは何の疑問も持たずに納得していましたが、気になるところです。献立てを考えていく途中で、生野菜にするのか煮たものにするのかといった論点につながるところです。
続いて、グループ活動について発表用紙のまとめ方の説明をします。ここでも簡単な質問をしますが、子どもたちは反応しません。授業開始から10分ほど経ちました。最初はとても集中していましたが、さすがに少し落ちてきます。授業者は早く進めたいので子どもとのやり取りに時間をかけなかったのでしょうが、もっと子どもたちを動かすことを意識するとよいでしょう。手元の食品成分表を見て探させるなどの作業を入れるだけで子どもの集中力は維持できると思います。
今回の献立の目標は担任の先生が「喜ぶ」です。こういった目標があるのはよいことですが、まだ抽象度が高いことが気になります。意見が分かれた時に、何でも主張できてしまいます。決定プロセスがはっきりしていません。子どもたちは思いつきを話して、テンションが上がってしまう恐れがあります。また、献立と合わせておすすめポイント発表することになっていますが、おすすめポイントは先生が喜ぶに直接つながりません。このことも気になります。実際に子どもたちは、よく相談していましたが、予想通り思いついた献立を言い合っているグループが目立ちます。献立決定のプロセスを明確にして相談しているグループはありません。最終の出力ははっきりしていますが、そのための方法論が不明確なのです。このことをあらかじめ与えておく方法と、子どもたちから出させる方法があります。
前者であれば、作業に入る前に「どんな弁当だったら担任の先生は喜ぶと思う?」と問いかけて、子どもから意見を出させます。「唐揚げが好きだからガッツリした弁当」「唐揚げはカロリーが高いから、苦手そうな野菜を上手く組み合わせたバランスのよいもの」「ダイエットにいいもの」「先生の好きなキャラクターのキャラ弁」……と言ったことを出させ、まずどんな弁当だったら喜ぶかを考えさせてから献立作成に入るのです。「先生が喜ぶ弁当はどんなものかを考える」「具体的な献立をつくる」と作業を明確に2段階に分けてもよいでしょう。
後者であれば、作業の途中で一旦止めて、どんなことを相談しているかを聞き合います。そこで、進め方や決定の方法などを確認して共有するのです。
また、食品群がきちんとチェックされていないグループが目立ちます。表をつくってバランスを確認しているグループは見当たりません。その割には、おすすめポイントでは「バランスのよい」をうたうグループが多いのです。事前にチェックの方法を考えさせるか、チェックのための表を道具として与えておいてもよかったかもしれません。
授業者が、説明の時にキャラ弁のことを話したことと、担任の先生がキャラクター好きなこともあって、先生が喜ぶキャラ弁に走っているグループが多くありました。中には、弁当の完成図を描くことに夢中になっている子どももいます。家庭科のねらいとはちょっとずれてしまいました。
全体での発表はグループの内2人が前に出て、一人が説明して、一人が完成図を見せるというものです。特に授業者が決める時間を設けなくても、すぐに発表者を決めてスムーズに進みました。こういったことは鍛えられていると感じます。子どもたちの発表を聞いている姿は悪いものではないのですが、傍観者です。「喜ぶ」が明確になっていないので、自分たちと比較したり参考にしたりできないからです。おすすめポイントも判で押したように「好きな物中心」「バランスのよい」「先生の好きなキャラクター」の言葉が並びます。目標である「喜ぶ」を深くとらえているグループはありませんでした。
面白かったのが、唐揚げの材料を書き出す時に、家庭によってつくり方や材料がかなり違うことです。ここを上手く取り上げても面白い授業になったと思います。唐揚げから、家庭の味を考えさせ、世に言う「おふくろの味」「ソウルフード」といった食育につなげてもよかったでしょう。いろいろな唐揚げをつくって喜んでもらうといったアイデアにつながったかもしれません。
グループで一つのものをつくるような活動では、決定のための根拠やプロセスを明確にすることの必要性に改めて気づかせてくれる授業でした。

理科の授業研究は、3年生のイオンの学習?の単元の導入場面でした。他の授業との関係で、最初と最後しか見ることができなかったのが残念です。
最初に、溶質、溶媒といった水溶液に関する知識の復習を行います。全体で答えさせようとしますが、なかなか全員が反応しません。教科書やノートを確認させて、全員が参加できるようにしたいところでした。
知識として、精製水には電気が流れなかったことを確認します。電気を通すものがあるかを子どもたちに問いかけると、食塩水という声が上がります。この日の授業のねらいは実験を通じて「水溶液には水を通すものと通さないものがある」ことを知る、まとめは「水に溶けると電気を通すものを電解質、そうでないものを非電解質という」です。もう実験をしなくてもねらいは達成できています。その上でアルコール水や砂糖水、食塩水、塩酸、水酸化ナトリウム水溶液、水道水などで電気が通るかどうか確認する実験をしても、子どもたちに課題意識はありません。通すものもあれば通さないものもあることは知っているからです。
実験の様子を見ることはできませんでしたが、まとめの場面は見ることができました。
まとめには、「電解質を水に溶かすと電気を通す」と書いてありました。ちょっとびっくりです。中学校では「水に溶かすと電気を通す物質を電解質」と定義しています。あたりまえのことが書いてあるというか、定義と性質がぐるぐる回っています(循環論法?)。続いて、砂糖と食塩に電気が流れないことを演示して授業は終わりました。
この授業であれば、電気が流れるもの、流れないものがあることは知っていることを前提にして、用意したものに電気が流れるかどうか予想させます。すぐに考えさせると根拠のない想像になってしまいますから、それぞれについて知っていることをできるだけたくさんあげさせます。砂糖水は「甘い」「焦がすと炭になる」、食塩水は「中性」「しょっぱい」、アルコール水は「酔う」「揮発性」、塩酸は「酸性」「金属を溶かす」、水酸化ナトリウム水溶液は「アルカリ性」「皮膚を溶かす」、水道水は「弱アルカリ性」「殺菌してある」といったことを言わせます。その上で、予想させるのです。この情報から根拠に基づく正しい答を導き出すことはできませんが、電気を通すかどうかにつながる何かを見つけようとさせるのです。結果から酸性、アルカリ性は電気を通す。中性はわからないといったことを考えてくれるだけでも大成功です。イオンと酸性、アルカリ性との関係への布石になるのです。
砂糖と食塩に直接電気を通す実験では、子どもたちに「砂糖も食塩も電気を通さないね。砂糖と食塩を混ぜたらどうかな?」と問いかけたいところです。実験をして通さないことを確認した後で、「通さない同士を混ぜたんだから当然だね」とまとめて、「砂糖も精製水も電気を通さないね。これを混ぜても当然電気を通さないね」と砂糖水の結果を思い出させて、「食塩も精製水も電気を通さないね、これを混ぜても当然電気を通さない……??」と食塩水が電気を通すことに疑問をもたせるのです。「おかしいじゃない!!どういうこと?」と問いかけて、子どももから「水に溶かすと食塩が変化する」といった言葉をひきだすのです。「えー、でも食塩水を蒸発させたらちゃんと食塩の結晶ができたよね。変化してないじゃない」というように揺さぶって、「次の時間から、このことについて考えよう」として子どもたちに課題を意識させて終わるのです。
子どもたちに、主体的に課題を持たせることが大切であると言われていますが、それほど簡単なことではありません。しかし、同じ実験をしても、ちょっとしたことを質問して焦点化することで子どもたちが疑問を持ってくれたりします。理科は実験という武器があります。そこからいかに課題を見つけさせるかといった工夫をしてほしいと思います。
私の場合、ただ教科書を眺めていてもなかなかよい課題をつくることができません。授業を見せていただき、子どもの様子や子どもの立場に立って見ることで浮かんでくることがたくさんあります。こういう機会をいただけることがとても勉強になります。先生方も他の先生の授業を見る機会をぜひたくさん持っていただきたいと思います。

授業改善への意欲を感じる授業にたくさん出会う(長文)

中学校で授業アドバイスを行ってきました。

体育大会が終わった後でしたが、学校全体としては落ち着いているように感じます。3年生は、卒業生のプロデザイナーとコラボしたTシャツを着ての大会だったこともあり、充実感を得ていたようでした。学年全体にエネルギーを感じました。1年生もよい姿を見せてくれていました。2年生は、授業によって見せる姿が異なる傾向があまり変わっていないようでした。今年の2年生に限らず、一般的に2年生のこの時期は難しい時です。チームワークで乗り切ってほしいと思います。

ベテランの3年生の英語の授業は、いろいろと考えさせられるものでした。
“Would you like to 〜?”のパターンプラクティスのことです。「この本を読みませんか?」と日本語で”〜”の部分を入れ替える練習をさせますが、これでは「本を読む」の和文英訳の練習になってしまいます。“Would you like to 〜?”の意味や使い方の練習にはなりません。英語では新しく学習した表現の練習と言いながら、その表現とは違う部分を英訳する練習をすることが多いように思います。この例であれば、友だちに”Do you come with me?”と言ったあと、同じことを先生に向かって“Would you like to come with me?”言い直させる、その逆をやる。”Where do you go?”と聞かれて、”I go to the cinema. Do you go with me?”と返すか、“Would you like to 〜?”で返すかを相手で使い分ける。”What are you reading?”に対して、“I am reading a detective novel. Would you like to read it?”と言うような練習をすることが、この新しい表現を身につけるために必要だと思います。誘いに対して、”Yes”、”No”で答えて、それに応じて一言付け加えると言った対話練習も面白いと思います。
“go shopping”に対して、以前に学習した”go 〜ing”の表現を問いかけます。覚えていなければ出てきません。授業者は2年生で学習した、”go fishing”や”go swimming”を期待していたようですが、何もなしでそれが出てくることは難しいと思います。釣りや泳ぐジェスチャーをすればすぐに子どもたちから出てきたと思います。
家に来るという表現で、“come my house”と”come home”という2つの表現が子どもから出てきました。授業者は、教科書についている辞書を引かせて、その説明や品詞を使って、”come to my house”が正しいことを解説しました。”come on my house”といった使い方もありますが、子どもによっては”house”を使う時は”to my house”と覚えてしまうかもしれません。他の学級ではこの解説で子どもたちは納得したそうですが、この学級では子どもたちが戸惑っていました。品詞を使った説明では、なかなか感覚的には理解できないと思います。”I am in my house.”と ”I am home.”と言った表現を思い出させてそこから類推させ、子どもたちの言語感覚を鍛えたいところです。
授業者はとても熱心で、いつも積極的に授業を改善しようとしています。その姿勢には頭が下がります。永年やってきたこれまでのやり方を変えることは簡単ではありません。今はまだうまくいかないことも多いと思いますが、この経験が必ず次に生きてくると思います。これからの変化がとても楽しみな方です。

3年生の若手の英語の授業は、活動量の多い授業です。
子どもたちはたくさん英語をしゃべりますが、基本的には個人、ペア、速読、暗唱等やり方が変わるだけで同じ文章です。何度もいろいろなやり方で繰り返し練習するので、練習する文章については多くの子どもが定着すると思います。ところが、授業者が力を入れている新しい文法事項を子どもたちに理解させようとする活動については、繰り返し練習ほど子どもたちのエネルギーは上がりません。繰り返し練習で文を覚えればいいと思っているようです。繰り返し練習の時間を減らして、授業者が大切にしたいと思っている考える場面を増やすことが必要です。このことについては授業者も課題と思っているようです。今後の工夫が楽しみです。
また、Listeningのやり方も工夫が感じられるものでした。CDを聞いて答を考えるのではなく、問題文を聞き取ってノートにメモさせています。これはなかなか難しいと思うのですが、子どもたちは鍛えられてきたのでしょう、かなり書き取ることができています。しかし、どうみても英語としておかしい文がメモされている子どもも目立ちます。面白いのが、CDでは聞き取れなかった子どもも、授業者が話すと聞き取れることです。スピードの問題もありますが、CDの音声が聞き取りにくいこともその原因の一つのようです。なかなか難しい問題です。できるだけ子どもに聞き取らせたいので、CDを何回も聞かせますが、時間がかなり取られます。せっかくメモさせているので、子ども同士メモを見あってもいいと思います。キーとなる単語を意識するだけで、ずっと聞き取りやすくなるからです。こんなこともアドバイスさせていただきました。

3年生の学年主任の社会科の授業は、市長になって工場の跡地の利用を考える場面でした。子どもたちも授業者もとてもよい表情です。授業者は説明場面でも、資料を指で指させたりして子どもたちをうまく活動させています。公共施設という言葉がわからないという子どもの言葉を拾って、「一人の質問はみんなの質問」といって作業を止め、全体で確認します。ここでは、自分で説明せずに子ども同士で説明させていました。
4つの案のどれを選ぶかによってグループを分け、その理由を発表します。子どもたちは友だちの発表をとてもよく聞いていました。授業者も自分の考えや答のようなことは言わずに、ここでもつなぎ役に徹していました。とても面白い授業でしたが、せっかく市長の立場で説明するのですから、聞いている子どもたちは議員の立場で質問等をさせれば、市長と議会の関係も理解できるのではとも思いました。私にとってもよい学びをすることができました。

3年生の数学の授業はy=x2のグラフの特徴の場面でした。
子どもたちにグラフの特徴を考えさせますが、特徴は他と比較してより明確になります。今まで学習してきた、比例、反比例、1次関数のグラフの特徴を復習しておいてそれとの比較で考えさせると整理しやすかったと思います。
また、原点を通る、y軸に対称といった特徴がいつも言えるのか、その根拠はといったことを問う場面がありませんでした。感覚的になっています。この場面は表に頼ってグラフをかきます。そこで表を書く時に根拠となるものを意識させるとよいでしょう。「表のどこから埋める?」「計算が楽なところは?」といったことを聞きながら、xが0ならyが必ず0となることを押さえます。同じ原点を通る比例のグラフと比較してもいいでしょう。定数がないことが共通なことに気づいてくれるとうれしいですね。x=1の欄を埋めて、「次はどこを埋める?」と問いかけx=-1の時yが同じ値になることに気づかせます。Xの値の正と負を行ったり来たりさせることで、y軸と対称になることの根拠に気づかせるのです。y=2 x2の表は、y= x2の表のyの値を2倍すればいい、y= -x2の表はy= x2のyの値の符号を変えればいい。そこに気づけば、増加の特徴や対称性が見えてくると思います。こういった布石を打ちながら授業をすることで、一般的なグラフの変化率や対称性についての感覚を養うのです。このことは、高校での関数の学習に大いに役に立ちます。こういったことを意識してほしいと思います。

2年生の数学は条件から1次関数を決定する問題に取り組んでいました。「2点の座標がわかる時の1次関数の式をもとめよう」というめあてが書いてあります。この言葉の使い方を見て、ポイントを外していると思いました。中学高校を問わず、数学で大切なことの一つに、「グラフがある点を通ることと、グラフを表す式にその点の座標の値を代入すれば成り立つことは同値」ということがあります。「座標がわかる」ではなく「点を通る」という表現をするべきでしょう。このめあての書き方からは、問題の解き方を教えるというにおいがします。授業者は、2点を通る直線のグラフを図にかき、傾きを求められるという説明をし、次に(1,2)を通るからと値を代入した式を書きます。まさに解き方を教えています。子どもたちは、なぜ急に代入するのかといったことがわからないので、モヤモヤするのです。
問題を解く前に、関数、グラフ、1次関数の性質や特徴をきちんと押させえておく必要があります。「点を通る⇔座標を関数の式に代入して成り立つ」をまず基本として押さえ、「1次関数⇔グラフが直線(軸と平行でない)⇔関数を表わす式y=ax+b(a≠0)」「直線の傾き、切片(グラフとしての定義)⇔1次関数y=ax+bのa:傾き、b:切片」といったことを確認します。その上で、1次関数の式は「y=ax+bのaとbがわかれば決まる⇔グラフの傾きと切片がわかれば決まる」ことを何度も子どもたちに確かめます。関数の式y=ax+bに対して、この式を見てどんなことを考えるかを聞いておくのもいいでしょう。関数に関すること以外に、方程式、代入法と言った言葉が出てくれば、大切に扱っておきます。
点を通るから、代入するとaとbに関する方程式になりますが、子どもはそこに気づけません。ここで先ほどの押さえがきいていきます。「知りたいのは何だっけ?」といった発問から、「未知数」という用語を思い出させます。ここまで来れば、「知りたいものが2つ。方程式がいくつあれば解けそう?」と連立方程式で押さえておいたことを活かせば、解けそうだと気づきます。
「グラフ(図)で考えたらどうだろう」「1次関数だからグラフは直線。通る点が2つ決まれば、直線は決まるね。グラフが書ければ、傾きと切片はわかる?」「傾きって何だっけ?グラフで傾きを求めてみよう」というようなやり取りで、グラフを使った求め方も見えてきます。
もちろんここで述べたものは説明のための例ですから、そのまま真似をすれば誘導的になってしまいます。「グラフと式、どちらで考える?」「グラフについては何がわかる?」「式から言えそうなことはある?」といったことを子どもに問いかけて出させるなど、子ども主体で活動できるような工夫をしてほしいと思います。要は、ポイントを教師が意識していれば、どんな進め方をしても、子どもからどんな言葉が出てきても対応ができるはずです。この本質的なポイントが何かを理解しておくことが大切です。
このようなことを授業者と話しました。授業者自身もモヤモヤしていたようで、話をすることですっきりしてくれたようでした。教科の本質を意識して教材研究を進めてほしいと思います。

2年生の英語で、2人の先生の授業を見せていただきました。
子どもたちは、自分たちが主導権を握れる場面になると、すかさずテンションを上げます。学級によっては一部の子どもが教室の雰囲気を支配しています。ここは、授業者がきちんと学級をコントロールすることが求められます。指示の徹底を意識し、一部の子どもの反応だけで進めるのではなく、全員が参加することを常に意識してほしいと思います。
この先生方に限らず英語の授業で気になるのが、授業者の読みを聞いて、テキストを見ながら子どもたちが読むという活動です。読みの練習と考えると、読めなくても授業者の読みを聞いてオウム返しに発音すれば何とかなります。Listeningという意味では、きちんと聞き取れなくてもテキストを見ることで何となく読めてしまいます。要はどちらにしても中途半端なのです。耳から英語の力をつけるのであれば、テキストを使わずにきちんと聞けるようにする必要があります。教師の言葉をただオウム返しにするのではなく、それに応じて言葉を返すといった活動が大切になります。読む練習であれば、教師は手本を一度見せればそれで十分です。その文章を聞き、話して理解させておけば、単語等の読みの練習をしておけば十分に読めるはずです。活動のねらいをもっとシャープにする必要があります。昔からやっているというだけで、何も考えずにそれを再生産していては進歩がありません。

1年生の若手の英語の授業は工夫を感じさせるものでした。
授業者は、絵で”situation”を見せて、指名した子どもに続いて全員に言わせます。子どもたちは授業者が正解を示さないので、とても真剣です。指名されてうまく言えない子どもがいれば、全体で言わせてからもう一度言わせます。子どもたちがとても集中する面白い場面でした。残念なのは、何度か練習した後、その文を板書したことです。板書した後、明らかに子どもたちの緊張、集中は落ちてしまいました。正解がわかったからです。板書をするのなら、活動の最後にすべきだったでしょう。
この子どもたちの集中力の変化に授業者は気づいていました。とても子どもをよく見ています。自分自身で板書をしたことがよくなかったと反省していました。子どもを見ているということは、自分で授業を修正できるということです。この先生は数年後にはとても力をつけていると思います。これからが楽しみです。

初任者の1年生の国語の授業は主人公の行動の理由を考える場面でした。
以前と比べて、単に一問一答ではなく、根拠を意識したものに変わってきています。成長が見られます。しかし、その根拠となるものを授業者自らが子どもたちに与えて、子どもたちからは結論を出させようとしています。そこをいかに子どもたちに気づかせる、子どもたちから出させるかが大切です。そのために、どのような発問をし、どのような活動をさせるのかを考えなければならないのです。
子どもから、とてもよい発言がありました。弟のミルクを飲んだ主人公の行動に対して「自分が生きるためだからしょうがない」というのです。しかし、授業者は拾うことができませんでした。「そうだよね、しょうがないよね」と受けて、「主人公はどう思っていた?」と返せば、読みが深くなっていったところでした。
まだまだ、課題はたくさんありますが、授業を改善しようという意欲が感じられます。少しずつ、前に進みだしたように思います。これからどのような変化を見せてくれるか楽しみです。

家庭科と理科の授業研究もありました。それについては、明日の日記で。

反転授業、アクティブ・ラーニングについて考え、学ぶ

先週開かれた授業と学び研究所の会議はとても学びの多いものでした。

前半は、先日見学した反転授業についての意見交換でした。実際の授業を見るとその授業の内容を評価することに終始しがちですが、ここでの議論はそこから一歩進んで反転授業の可能性についての話題が中心になりました。

・そもそも反転授業は有効なのか?
・予習をしてこない子どもたちが、本当に動画を見てくるようになるのか?
・そのための条件は?
・子ども学習する時間が単純に増える以上の効果があるのか?
・動画を見てわかってしまった子どもは、実際の授業で積極的に参加するのだろうか?
・見せていただいた授業は、構造を変えることでより有効なものになるのか?
・見てわかる動画ではなく、疑問がたくさん出てくるようなものであれば面白いのでは?
……

このようなことについて、いろいろな意見が出てきました。答と言えるものはまだありませんが、可能性はありそうな気がします。ただ議論をするだけでなく、授業と学び研究所として何な具体的な提案ができればよいと考えています。

後半はアクティブ・ラーニングについての議論でした。
雑誌の記事をもとに、提示された資料を見ながら話し合いました。アクティブ・ラーニングと合わせて語られる言葉に、「教科の本質」「資質・能力」といったものがあります。「教科の本質」を押さえて子どもたちの「資質・能力」を育てるための方法として、アクティブ・ラーニングが位置づけられています。次の学習指導要領に向けての会議の資料からは、「知識の体系」だった学習指導要領を、知識を習得することによって育まれる「資質・能力の体系」に転換するという方向性も見えます。教科を超えて育むべき「資質・能力」があり、それを各教科で具体化していくという流れのようです。
すぐに関連する資料を提示してくれるフェローもいて、いろいろな視点からアクティブ・ラーニングについての考えを深めることができ、今までモヤモヤしていたことがずいぶんすっきりとしたような気がします。

これらの情報は、授業深掘りセミナーの「教育情報知っ得!コーナー」でお伝えしていく予定です。

人数は減っても、エネルギーは変わらない体育大会

学校評議員をしている中学校の体育大会を観戦してきました。この学校も10年ほど前と比べるとずいぶん子どもたちの数が減ってきました。各学年3学級で、目の前の子どもたちの観客席がずいぶんこぢんまりとしていました。以前は視野に入りきらないほど広がっていたことを思うと隔世の感があります。
子どもたちの数が少なくても、運動場にあふれる熱気は以前とは変わりません。いや密度は増していると言ってもいいでしょう。その理由の一つは子どもたちの観戦の態度にあります。自分たちの仲間が出場していなくても、一生懸命声援や拍手をしています。自分には関係ないとまわりとむだ話をしている子どもがいません。どの学年もとても素晴らしい姿でした。
子どもたちの数が減ったこともあるでしょうが、プログラムを順調に消化し、かなり早く午前の部が終わりました。しかし、午後一番には保護者の方も楽しみにしているクラスマス(ゲーム)がありますので、休憩時間を長くとって開始は予定通りということでした。あたりまえのことかもしれませんが、大切な視点です。午後の部までは見ることができませんでしたが、子どもたちはきっとすばらしい姿を見せてくれたことでしょう。

校舎の様子を見に行くと、2階へと続く階段の壁に大きな模造紙が何枚も貼ってありました。学年主任の手作りの個性のある学年の子どもたちへのメッセージです。月ごとに子どもたちの成長をほめ、そのことを喜び、次への期待を綴った、想いのあふれるものです。厳しい指導をされることもありますが、子どもたちにとても慕われている先生です。この先生が主任を務めると、やんちゃな学年も入学時に幼かった学年も必ず立派に育って卒業していきます。その秘密の一つがわかったような気がしました。この学年の子どもたちもきっと大きく成長して、卒業式にはこの先生を大泣きさせてくれることでしょう。その姿を見るまではこの学校にかかわっていたいと思わせてくれる掲示でした。
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