理科の実験で大切なことを考える

前回の日記の続きです。

理科の研究授業は2年生のだ液の働きの実験の授業でした。
子どもたちは手元のワークシート見て実験の手順の説明を聞いています。ワークシートに書いてあるより少ない量にすると数値の訂正を説明した時に、変更をワークシートに書き込む子どもは数人しかいません。ちゃんと聞いていないのかと心配になりました。ところが、脱脂綿を誤ってビーカーと書き間違えるというミスについては素早く全員が書き直します。子どもたちはちゃんと聞いているうえに、数値の訂正はこの実験ではあまり重要ではないと修正するべきかどうかも判断しています。「今回の実験ではフィルムケースを使う」と言ってフィルムケースを提示しましたが、顔が上がりません。ところが、綿棒を使っただ液の取り方を実演すると全員の視線が授業者に集中します。ここでも子どもたちは、自分で判断しています。
子どもたちの授業規律は大変よく、授業者の指示もほとんど必要ありません。次に何をすべきかよく理解しています。一部の子どもの行動が遅れた時などに一言行動をうながすだけです。その際、一言「ありがとう」は忘れません。指示に従えるようになった後、指示がなくても自分たちで考えて行動できることを子どもたちに徹底しようとしていることがよくわかります。実験の後片付けでも、指示をしなくても一つの班が動きだしたと思ったら、すぐの全部の班が素早く行動を開始しました。

説明にかなりの時間を使っていました。その間、ほとんど授業者がしゃべり続けています。それでも、子どもたちは集中していました。実験の手順は子どもたちにしっかりと理解されているように見えます。しかし、なぜこのような実験をするのかという目的は今一つ明確にはなっていません。試薬としてヨウ素液とベネジクト液を使いますが、これについて特に子どもたちとやりとりをする場面がありません。前時にベネジクト液の性質を調べる予備実験をしていますが、一部の子どもははっきりと覚えていないようで、友だちに聞いている姿が見られました。聞けているのでよいと言えばそうなのですが、このことを全体で確認しておきたいところでした。
実験では、10分ほど変化を待つ時間があります。この空白の時間を授業者はどう使うかを工夫しました。実験の結果を予想させるのです。しかし、何か根拠を持って予想させようと思うと、何を前提とするかで子どもたちの思考や実験の位置づけは変わってきます。「だ液にはデンプンを消化する力がある」ことを前提にするのか、そもそも「だ液の働きがわからない」から実験をするのか、「ご飯を噛んでいると甘くなる」ことから出発するのかといった、その前提となるものによって変わるのです。それを明確にしていないので、子どもたちは単に試薬が変化するかどうかを予想して終わっているように見えます。最初は個人で予想するように指示しましたが、その後明確に班で相談するように指示をしなかったこともあり、子どもたちのかかわりはほとんど生まれませんでした。
「だ液にデンプンを消化させる力がある」という前提であるのなら、そこから結論を予想できます。「だ液の働きがわからない」ことから出発するのであれば、どんな力がありそうかを予想して、そのための実験を考えることから始まります。そして、もし予想が正しければ結果はこうなるはずだ、そうならなければこういうことが言えるといった議論をするべきです。「ご飯を噛んでいると甘くなる」ことから始めるのであれば、「甘く感じるのはなぜか?」「水を口の中に入れていても甘くならない」「肉はどうか?」といったことを子どもとやり取りすることから始めて、実験を考える必要があります。必要な実験を考えたからといってすべての実験を行うことができませんが、その場合は重要でない実験の結果を伝えて、大切な実験に絞って行えばいいのです。
また、実験は体温に近い場合だけで行っていましたが、これは天下りです。せめて常温で実験した結果を示して、「この実験結果から、だ液にはデンプンを変化させる力がないね」といった問いかけをして温度に注目させてから、温めることを引き出したいところです。
子ども同士のかかわりがないので、10分の時間でも余っていました。全体で考えを聞いて深めることをしてもよかったと思います。

ベネジクト液を温める時に、ゴーグルを手元に置いているのに、使っている子どもがいないことが気になります。また、試験管を直立させていている子どもや試験管の口を友だちの方に向けている子どももいました。ちょっと危険です。中には、そのことを子ども同士で注意しあえている班もありましたが、実験において注意すべきことはもう少し強く念を押しておくべきだったようです。
理科の実験の授業では、直接実験していない子どもが集中していない場面によく出会いますが、この授業ではどのグループもしっかりと集中して実験の様子を観察していました。とてもよい姿です。このような素晴らしい姿を見せてくれる子どもたちが、他の授業では今一つ集中しない姿を見せることもあります。この学年の課題です。
実験後、考察を書いてこの日の授業は終わりました。

教科を中心とした検討会では、全員参加させるための工夫について意見が交わされました。通常はだ液を口から直接取るのですが、日常生活では忌避される行動ですので、女子を中心に嫌がる子どもが多いようです。そこで、授業者は綿棒を使うことで、抵抗感をなくしました。その結果どの子もきちんと自分のだ液を取ることができました。ちょっとした工夫ですが、なるほどと思わせるものです。他の先生も早速取り入れるようでした。
私からは、ただ実験をするのではなく、実験から何を明らかにしようとしているかを子どもたちに意識させたり、仮説を検証するためにどのような実験をすればいいのかを考えさせたりすることを大切にしてほしいことをお願いしました。与えられた実験で答を予想するのは、知識を問う問題演習とあまり変わりはないのです。

この日は、数学の研究授業のための指導案の検討会も行われました。
1次関数の応用の最後の時間です。指導案を見ると、子どもたちの活動は意識されているのですが、この時間のねらいがどこあるのかがはっきりしません。授業者も揺れているようです。1次関数の応用でどのような力をつけなければいけないのかについて、いろいろと意見を出し合いました。授業者はまだこれだと納得できるところまでは煮詰まらなかったようですが、次回の検討会では明確になった指導案が出てくることを期待します。
この学校の数学科はほとんどが若手なので、数少ないベテランの存在がとても大きくなります。検討会でのベテランの発言は的を射たもので、課題が焦点化されます。こういった特別な授業だけでなく、日ごろの授業についてもベテランに相談する空気が広がっていくとよいと思います。

夏休みが明けてまだ日が浅い時でしたが、子どもたちのよい姿をたくさん見ることができました。2学期は行事が多い時期です。これをうまく活かして、子どもたちがより成長した姿を見せてくれることを期待しています。

夏休み明けの学校の授業を見る(長文)

中学校で授業アドバイスを行ってきました。夏休みが明けてまだ日が浅いですが、子どもたちの様子が楽しみでした。

3年生は、落ち着いて意欲的に学習に取り組んでいましたが、やはり一部の子どもが学習に対するモチベーションを失くしているようです。学年、学級の問題というよりは個別の問題だと思います。先生方は、一人ひとりていねいに対応してくれていることと思います。これから学校行事が続きますが、うまく活用することで、こういった子どもたちが学校とのつながりを持ち続けることができればと思います。

2年生も落ち着いて授業を受けているのですが、夏休み前と同じく授業者によって見せる姿が異なります。特に、教師の一方的な説明が続くような場面では集中力を失くしています。この日は道徳や学級活動の時間の様子も見たのですが、授業以上にその差が大きいように感じました。子どもたちは担任のことをよくわかっているので、どこまでが許されるかを知って上手に手を抜いています。ある意味賢い子どもたちです。彼らなりの損得を考えて行動しています。特別活動といった時間を上手く息抜きに使っているように見えるのです。一部の担任は、子どもたちが聞く態勢になっていないのに話し始めたりしています。授業ではそのような場面はあまり目にしません。子どもたちと同じく、こういった時間を軽視していたり、単なる子どもたちとの触れ合い的な時間ととらえたりしているのかもしれません。しかし、学級経営上はとても大切な時間です。こういう場面できちんと学級をコントロールできないと、何かあった時に歯止めが聞きません。これから学校行事が続きます。学年全体で足並みをそろえ、きちんと行事に取り組める体制をつくることが必要です。学年主任はこのことをよく理解しているので、適切な対応を取ってくれることと思います。

1年生は、一部の学級でテンションが上がりやすい傾向が見られたりして、夏休み明けの状態が一番心配な学年でした。ところが、私の予想に反して、1年生とは思えないくらい落ち着いた雰囲気で学習に取り組んでいました。気になっていた学級の様子を見て、思わず本当にその学級か教室のネームプレートを確認したほどでした。何か秘密があるはずだと、学年を支えているベテランの担任の先生にたずねました。すると、夏休み中に手を打っていたということでした。一つは、子どもたち全員に特別のくじ付きの暑中見舞いを送ったことです。先生方が子どもたちのことを気にかけている、見守っていることを伝えると同時に、くじを楽しみにすることで苦しい子どもが少しでも学校に足が向くようにと考えてのことです。もう一つは、学習会を開いたことです。1学期の学習でわからなかったことをそのままにしていたり、課題ができていない状況だったりしては2学期に登校する意欲がわきません。そのために、わからないことを教えてもらったり、課題に取り組んだりするための場をつくったというのです。納得です。こういった企画を立てそれを実行できる学年です。チームワークもしっかりできている証拠です。この学年団であれば、きっと子どもたちはよく育っていくことと思います。子どもたちのこれからの成長が楽しみです。

この日は、若手を中心に授業参観とアドバイスを行いました。
3年生の体育は雨のため、急きょ体育館での授業になりました。
私が見たのは体育大会でのムカデ競争の練習をしている場面でした。授業者は、1チームを前に出してやらせ、他のチームはそれを見ています。授業者の視線はずっとやっているチームに注がれます。時々アドバイスをしますが、そのチームに対して言っているので、見ている子どもたちには伝わりません。続いて、チームごとに練習することを指示するのですが、全体に対しては一言、脚を結ぶ紐についてのアドバイスをしただけでした。見ていた子どもたちにとって、友だちの様子を見ていることの意味は何だったのかよくわかりませんでした。せめて、友だちの様子を見て気づいたことを発表させたり、チームごとにどのようなことに注意をしてやろうかといった相談をさせたりしてからに練習に入りたかったところです。
子どもたちは一生懸命に練習していますが、練習中に相談している姿は見られません。ムカデ競争だからその程度でいいのかもしれませんが、体育として見れば自分たちで練習しながら修正することを意識させることが必要です。日ごろから、目標を意識して練習に取り組み、自分たちで修正するように指導しておきたいものです。
練習終了後、全員を集めて終わろうとしましたが、一緒に指導していた先輩教師が子どもたちに上手くやるコツをたずねました。大切なことをよくわかっています。子どもからは、「声」、「きずな」、「愛情」といった答えが返ってきます。そのどれも否定することなく受け止めて、抽象的なものは具体的にどうすればいいのかよくわからないと返して、「声」に焦点化して具体的にたずねます。「大きな声」「リズムよく」といった答を引き出して、ポイントをまとめてから終わりました。流石でした。上手だったチームに前でやらせて、どこを工夫したか言わせたり、見ている子どもたちに気づいたことを言わせたりするといったやり方もあります。また、時間がないのでこの日は難しかったと思いますが、こういった場面の後にそれを活かしてもう一度練習する時間をつくることも大切です。この日は雨のため急な変更で構成を考えている余裕もなかったと思いますが、こういったことを意識して授業を組み立ててほしいと思いました。

3年生の理科の時間は問題の答を確認する場面でした。
子どもたちは教師の問いかけに反応しますが、声を出すのは1/3くらいです。他の子どもたちは、特に反応を見せません。決して参加してないわけではないのですが、教師がまとめてくれるのを待っているのです。
昨年度、授業者は表情に余裕がなかったのですが、今年は笑顔がよく出るようになっています。子どもたちの表情もよく、よい関係をつくることができています。ただ、反応してくれる子どもとだけで授業を進めていくと、他の子どもの参加意欲は低下していく心配があります。反応した子どもを指名して説明させ、それに対して同じように考えるのか、納得したのか、それとも違う考えなのかを、反応しなかった子どもに問いかけることも必要です。全員に参加を求める姿勢を大切にしてほしいと思います。

3年生の国語は、問の答を子どもたちに発表させる場面でした。
一部の子どもが挙手して、その子どもたちの中から指名して進んでいきます。授業者はその答をすぐに板書します。子どもたちは友だちの発表を聞いていません。先生の説明も同様です。ひたすら板書を写しています。
象徴的な場面がありました。ある子どもを指名して意見を言わせた後、授業者が「付け足しがある人?」とつなげました。次に指名された子どもが発表している時に、先ほどの子どもはひたすら板書を写していました。発表することが目的となっていて、それがどのように評価されているか、どう深まっていくのかに興味がないのです。これは、子どもの問題ではありません。この授業者の授業では、子どもの意見を教師や子どもが評価したり、それをもとに深めていったりする場面がないのです。子どもにつけ足しを求めているのは、自分が求める答を出させたいからだけなのです。
授業者は、文章の一文一文に対して問を準備して、一問一答形式で進めています。根拠となる文を共有して、互いの読みを聞き合うことで深めたり、筆者の表現に込めた思いを読みとったりすることが大切です。そのためには授業を、一問一答の細かい読みではなく、単元を貫く課題を設定し、その課題を解決する過程で必然的に出てくる疑問を解決するために一文一文を読み込んでいくという構造にする必要があります。この文章を読み取るためには、どのような課題を設定すればいいのかをしっかりと考えて授業を構成してほしいと思います。

2年生の数学は、1次関数の定義の場面でした。
久しぶりに関数という言葉が出てきます。ここで授業者は1年生で習ったことだからと確認や復習をしません。多くの子どもたちは何となくでしか覚えていません。この場面は定義をするところですから、きちんと押さえておきたいところです。
教科書は、xとyの関係が1次式で表わせることで定義しています。ここで、式の次数についても確認をすることが必要です。教科書では、1次関数は定数a、bを使ってy=ax+bで表わせることをおさえます。axを比例部分、bを定数としますが、この定数という言葉が先ほどの定数とは微妙に違う意味で使われています。1次式の「定数(部分)」とした方が、混乱が少ないかもしれません。axを比例部分としていることは、グラフをかく時の伏線ですから強調しておくことが必要です。が、授業者はさらっとしか触れませんでした。また、中学校では、a≠0を明示しませんが、教科書はaxを比例部分とすることでそのことを意識させることも考えていると思います。教科書をよく読みこみ、単元全体を通した教材研究が必要となります。
授業者は、1次関数かどうかをy=ax+bと表わせているかどうかだけで判断させます。しかし、この時間は初めて定義をしたところですから、都度これが1次式であることを押さえる必要があります。あくまでも定義は関係が1次式で表わせることであって、y=ax+bで表わせることではないからです。一次関数であることと、y=ax+bで表されることが必要十分な関係であることを押さえておけばいいのですが、その際a≠0が条件として必要になるので、教科書はあえて触れていないのです。こういったことを理解して授業を組み立てることが大切になります。
また、子どもたちは定義における包含関係が意識できていません。比例は1次関数でないように思うのです。これは、小学校では正方形も長方形であることをあえて押さえていないことにも原因があります。1次関数の定義の場面で、比例であれば関係が1次式で表されることを確認し、比例は1次関数の「特別な場合」であることをきちんと押さえておくことが必要です。

1年生の英語で、読みの練習をしている場面を見ました。
子どもたちの視線がバラバラなのが気になります。授業者に続いて読むのですが、教科書を見ている子ども、授業者を見ながら同じように発音しようとしている子ども、何も見ずに暗唱しようとしている子どもといろいろです。この状態は読みの練習にはなっていません。全員にきちんと教科書を見ながら読ませることが大切です。読めるようにするためには、授業者が毎回見本を示すことは不要です。子どもたちだけで読ませて、詰まったり声が小さかったりした時だけ、教師が見本を見せればいいのです。
授業者はこの前に、新しく学習する表現を”situation”をもとに練習させていたそうです。子どもたちはとてもよく集中していたようです。基本表現を理解したので、読みの練習に入ったのです。読みの練習が終わった後、この表現を”situation”を変えて練習させたそうですが、子どもの集中力は戻らなかったそうです。間に読みの練習が入ったので、最初に学習した表現が定着していなかったのでしょう。定着させるためにも、続けて練習をしておくべきだったように思います。教師は授業のクライマックスを映画のように最後にもっていこうとする傾向がありますが、その必要はありません。子どもの集中力が高い時に、大切なことをきちんと理解させ定着させるようしてほしいと思います。

もう一人の1年生の英語の授業も、活動の目的がよくわからない場面がありました。
ペアでパートを分けて練習するのですが、教科書を見て交互に自分のパートを読み上げるだけです。読みの練習であれば、互いに相手の読みをきちんと聞いて評価しなければペアの意味がありません。一人で練習した方が、活動量が増えるだけましです。会話の練習であれば、互いに見合って相手の言葉に対してどう言葉を返すかを意識した練習が必要です。教科書を読んでいては意味がありません。中学校の英語の授業は、その意味を考えず惰性で行っている活動が目につきます。一つひとつの活動のねらいを意識して、そのためには何が大切かを考えて行ってほしいと思います。

この日は理科の授業研究も行われましたが、それについては次回の日記で。

日記を再開します

長らくお休みをいただいていましたが、本日より日記を再開します。

日記更新をしばらく休みます

パソコンが故障したため、しばらくの間、更新をお休みさせていただきます。
楽しみにしていただいている方には申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いします。
復旧次第再開させていただきます。

子どもたちの考えが間違った答に収束しそうになったら

子どもの言葉を活かすことや子ども同士の学び合いを重視すると、これが正解だと教師から答を示すことは避けることが多いと思います。子どもたちが納得した答が正解であることが理想です。ところが、実際には正解とはできない答に収束してしまうことがあります。このような時皆さんはどのようにしているのでしょうか?

自分たちで納得した答を、「それは違っている。正解はこうだ」と教師が説明をしてしまうと、子どもたちの意欲は低下してしまいます。先生が正解を言うのなら、それを待っていればいいと思う子どもも出てきます。結果として子どもの発言意欲が低下してしまうのです。また、たとえ子どもたちで正解にたどり着いても、その後教師が「正解」といって補足や解説をしたりまとめたりすれば、先生はこういうことを求めていたのだと子どもたちは考え、教師の求める答探しをするようになります。最後は先生が整理してまとめてくれるからそれを聞けばよいと考える子どもは、参加意欲、発言意欲が低下します。いずれにしても、子どもたちがしっかりと考えたことに対して教師が説明するのは注意が必要です。
そこで、子どもたちの考えをなんとか正確に導こうと「ヒント」を出すことがよくあります。しかし、「ヒント」という言葉も危険です。教師が「ヒント」という言葉を使った瞬間に、「ああ、自分たちの考えは間違っているんだ。正解は他にあるのだな」と思ってしまうからです。では、どのようにすればよいのでしょか?
一つには、子どもに欠けている視点や、間違えているところを質問の形式で指摘する手法があります。「○○でも、大丈夫?」「○○の場合はどうなる?」「○○については、どう?」と突っ込むのです。ここで注意してほしいのは、子どもたちが間違えたりおかしな方向へ議論が行ったりしているときだけこういった質問をすると、子どもたちは、これは「ヒント」だとすぐに気づくようになります。日ごろから、たとえ正解でも、「本当、○○でも大丈夫」「絶対に言える」といったゆさぶりをかけることをしておくことが必要です。子どもたちが、この考えでいいのかどうかを常に振り返るような癖をつけることが大切になります。
もう一つは、「以前教えた学級では、こんな意見が出てきたけれど、どう思う?」「○組ではこんな考えが出たそうだよ」というように、この学級以外の子どもの意見を使って、考えを深めさせる手法です。もちろん、実際にそのような意見がなかったとしても、そういうことにして子どもたちに与えるのです。子どもたちの意見がすぐに正解に収束しそうなときにも、このような方法で違った考えを示すことで視点を広げることもできます。この方法も先ほどと同じく、正解に収束しそうであってもなくても、日ごろから子どもたちを揺さぶる方法として使うことが大切です。
しかし、このような手法を知っていても、子どもたちの状況に応じて、切り返しの質問や考えを広げたり深めたりする意見の例を持っていなくは使うことができません。教材研究の段階で、子どもたちが正解でない答に行き着きそうになった時にする質問を準備したり、子どもたちからどのような意見が出てくれば正解につながるのかを考えたりしておく必要があります。

子どもの言葉を活かすことや学び合いで課題解決をしようと思うと、正解の説明だけを考えていても上手く授業を進めることはできません。教師の説明が少なくなる分だけ、より深い教材研究が必要になるのです。

全国学力学習状況調査の質問紙と正答率の関係について考える

先週末は、「授業と学び研究所」のミーティングでした。授業深掘りセミナーの撮影についての打ち合わせや、フェローからの全国学力学習状況調査の質問紙と正答率の関係についての考察の発表などがありました。

子どもが話し合いや発表などを通じて主体的に学ぶ「アクティブ・ラーニング」をよく行った小中学校ほど、平均正答率が高い傾向があるといった新聞報道もありましたが、フェローの一人が元データからそういったことが言えるのか、他の質問項目との比較はどうだろうかといった視点でデータをまとめて発表してくれました。
質問に対する「よく行った」の回答の多い順に質問項目を並べ、「よく行った」学校の正答率の平均との差を比べてみると、「よく行った」を選んだ学校が少ない項目ほど、平均との差が大きい傾向があります。「行っていない」についても同様です。グラフにして見るととてもよくわかります。
ある項目を行っていることと正答率の相関の度合いが同じでも、回答者が「よく行った」「行っていない」と判断する境界が違うと回答数に影響を与えます。極端に少ないものはその境界がかなり高い、低いところに置かれているのかもしれません。正答率の度数分布が正規分布だとすれば、両端の部分で比較することになるので差も大きくなります。「アクティブ・ラーニング」にかかわりそうな「学級やグループでの話合いなどの活動で、自分の考えを深めたり、広げたりすることができていると思ますか」といった項目は、そういった極端に少ない(「その通りだと思う」小学校で8.0%、中学校で9.2%)ものの一つです。
こういった傾向から外れている項目や、同じくらいの回答数なのに正答率の平均の差が異なるものを注目することの方がより影響力をもつ因子を見つけることができるかもしれません。

とても面白い考察で、その資料はとても興味深く、いろいろなことを考えさせるものでした。結論から言えば、新聞記事が正しいかどうかははっきりとしません。資料というのは見せ方やとらえ方で違って見えると言っていいかもしれません。うっかりすると、結論をミスリードさせられる危険性もあるのです。
「授業と学び研究所」のミーティングは、私にとって、こういったことを学ぶ貴重な機会となっています。

自分の授業をより高めたい数学教師に読んでほしい本

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静岡の武藤寿彰先生の「ペア、スタンドアップ方式、4人班でつくる! 中学校数学科 学び合い授業スタートブック」の紹介です。

武藤先生は「学び合い」を目的として授業をしてきた方ではありません。一部の子どもが活躍するのではなく子どもたち全員が参加し、わかるできるようになる授業を目指してきた方です。その過程の中で、いろいろな授業に挑戦されてきました。ごく普通の公立学校の教師として、積み重ねた実践がまとめられたものです。ここで紹介されている授業の形態は、「ペア」や「4人班」であったり、「音声計算トレーニング」であったりと一般的に行われているものやどなたかが提唱しているものだったりします。知っている、やっているという方もたくさんいらっしゃるでしょう。しかし、注目すべきは、単なるやり方の紹介ではなく、武藤先生がそれを自分の理想とする授業を実現するための方法として、どの場面でどの形態を使うのか、どのようなことを意識してきたのかといったことが記されていることです。何を目指してどう活用したかのポイントが書かれているので、読者自身が目指す授業の実現に活かしやすいのです。例えば「音声計算トレーニング」であれば、どの問題をどのような順番でやらせるとよいのかといった、武藤先生のオリジナルの考えや工夫がそこにはあります。

また、スタンドアップ方式は武藤先生のオリジナルな部分が多い方法です。子どもが自分で相手を探して説明に行ったり、教えに行ったりする方法です。4人班では人間関係が上手くいかない学級では、これに似た方法を使うことがよくあります。授業以外の生活場面での人間関係を使う方法でもあります。そのため、私はこういったやり方に否定的な立場をとっています。特定の子ども同士ばかり関係ができたり、誰ともかかわれない子どもが出てきたりする危険性があるからです。しかし、武藤先生のスタンドアップ方式では、「全員がゴールできるように、クラス全員が持てる力を出す」「やり方や答を教えるのではなく、ヒントを与えて相手に理解させ、納得させることを心がける」「1人でできそうなら、そばに立っているだけでもよい。間違えていたり、つまずいて止まっていたりしたら、積極的にかかわる」・・・というように、決してそのようなことが起こらないようなルールが決められています。このルールこそが、武藤先生の授業観、子どもたちへの思いを現していると思います。このルールを知ることだけでもこの本を読む価値があると思います。

授業事例もたくさん載っています。読者の教師としてのこれまでの経験によってそこから得られるものは異なってくると思います。多くの経験を積んだ教師ほど、より多くのことを学べると思います。自分の授業を振り返り、より高いところへ到達したいと思う方にとっては、とても役立つ事例だと思います。

この本を読むと、「学び合い」はこうでなければいけないというルールややり方ではなく、子どもたちの実態に合わせて工夫することが大切だと気づけます。それと同時に、子どもたちを信じ、子どもたち全員が互いにかかわり合い高め合う力を身につけることを願って授業を続けている武藤先生の熱い思いに触れ、明日から頑張るエネルギーをもらえることと思います。
手っ取り早く「学び合い」のノウハウを手に入れたい方ではなく、理想とする数学の授業に到達するために「学び合い」をどう取り入れようか考えている方にとって、そのためのヒントや指針が手に入る本だと思います。

スタッフの思いの強さを感じた研修会

先週末は、授業力アップの研修会にオブザーバーとして参加させていただきました。今年で13年目になりました。中心となるスタッフの方はほとんど変わっていません。通常であればマンネリになるところなのですが、毎年手を加えてよりよいものにしようとしています。
今年はいつもと違って、最初に「子どもを動かすスキル」という講座が加えられていました。授業の形を取りながら、その中に子どもを動かすためによく使われるスキルが埋め込まれていました。最初に受講者が体を動かしたり、声を出したりすることで会場をあたためることを意識していたようです。これが功を奏したのでしょう、この後の講演での反応や講座での表情は例年に比べてとてもよかったように思います。こういった細かな工夫が積み重なって今があることがよくわかります。

このスキルの講座で残念だったのが、ねらいが微妙にずれる場面があったことです。何をねらっているのかが受講者にわかりづらいために今何を感じ取ればいいのかが不明確になってしまったのです。野口芳宏先生の○か×かを全員に決めさせるスキルを使う最初の場面は、ティッシュペーパーの箱の模様を使って、向かう合う面に同じ模様があることを気づかせる一連の活動の後でした。この活動を使って授業ができそうかどうかを○か×かで聞きました。受講者の立場で言えば、これを活かした授業を考えるのかと思ってしまいます。続いて、この活動を導入に使った授業の例を2つ示します。そこでも、子どもを動かすスキルを使って授業を行なうのですが、先ほどの問いかけの影響が残り、どうしても視点が授業の流れや中身に目がいきます。スキルを伝えることが目的だからでしょう、通常の授業であれば省略しない、答をどのようにして見つけたかを共有することや正解であることを実際に確かめるといった場面はありませんでした。人によってはそのことが引っかかったかもしれません。また、会場の雰囲気を柔らかくするために、ゆるキャラを使って子ども役の興味を引くこともします。ご当地ゆるキャラやコンテストの投票の話をしますが、どこまでが授業のシミュレーションなのか、スキルを実感する場面なのかはっきりしませんでした。
最後に、子どもを動かすスキルを「全員参加させるため」として。「野口式○×法」「指でさして答える」「全員起立して順番に答える」とまとめました。具体的な例もよいのですが、「誰でもできること」をまずさせるという基本となる発想を伝えるべきだと思います。「わかった人?」「困っている人?」といったことを聞けば、該当しない人は手を挙げません。そこで、まず全員立たせたり挙手させたりしてから、座らせたり、手をおろさせたりすれば、全員を動かすことができるわけです。この発想があれば、全員参加のスキルはいろいろと考えられるはずです。
具体例と合わせて「子どもの反応をよく見る」「切り返しの発問、意図的指名」を提示しますが、これは授業の場面のどこでどうであったかは解説されません。この言葉だけでは、少経験者は実際にやれるようにはなりません。もちろん、ここまでをねらっているわけではないのでよいと言えばよいのですが、中途半端な気がしました。
そして、子どもを動かすためには、スキルだけではなく、「?」や「!」をつくることが重要で、「身近なものや具体物」「手作りの掲示物」が有効であることを伝えます。確かにそうなのですが、これもやはり例でしかありません。「?」や「!」をつくるために工夫をしなさいということを伝えたいのでしょうが、小手先のような気がします。
30分という短い時間なので、何をメインにするかはっきりさせて、そこを第一に講座を構成するとよかったと思います。雰囲気づくりが第一であれば成功なのでしょうが、タイトルが「子どもを動かすスキル」となっているので、受講者としては消化不良だったのではないでしょうか。

愛知教育大学名誉教授の志水廣先生の講演は、いつものように子どもたちの気持ちに寄り添った授業観で具体的なお話しでした。会場の反応がよかったせいか、いつも以上にのりのよい講演でした。受講者にとって学びの多いものだったと思います。

実習では、受講者の笑顔を多かったことが印象的でした。先生役をやる時は、たいていは緊張してなかなか笑顔が出ないものですが、この日の受講生はとてもよい表情で先生役に挑戦します。大ホールで小グループに分かれて行っているので、互いによい影響を与え合っているようですが、裏を返せば雰囲気が悪いと全体が落ち込んでいきます。そうなっていないのは、スタッフの力によるところが大きいと思います。スタッフの笑顔が素晴らしいのです。先生役と子ども役の双方をしっかりとポジティブに評価しています。先生役と子ども役は互いに影響し合います。このことをしっかりと理解しています。最初の講座から始まり、最後までスタッフが雰囲気づくりを大切にしていることはとても素晴らしいと思いました。こうした講座を企画すると、どうしてもプログラムやその内容にばかりに意識がいきますが、雰囲気づくりも大切にできることは、長年の積み重ねの結果だと思います。

これだけ長く続いている研修会ですが、スタッフもそれだけ歳を取って来ています。中心メンバーの一人に、後継者の問題を含めてこれからのことをたずねました。「無理やり後継者をつくってもうまくはいかない。自分たちは思いがあってここまで続けてこられた。そういった思いがなければこのような研修会は続けることはできない。次の世代が、自分たちの思いで新しいものをつくればよい」。この答を聞いて感心しました。自分たちでつくったものを何とか継続させたいと思うのが常です。形ではなく、その思いを大切にしているからこそ、次世代が自身の思いで新たなものをつくってほしいと願っているのです。逆に、この研修会のスタッフの思いの強さもよくわかります。
毎年、私自身多くのことを学ばせていただいている研修会です。少しでも長く続くことを心から願っています。

授業深掘りセミナーの講師陣からエネルギーをいただく

授業深掘りセミナーのミーティングを行いました。レギュラー講師陣と授業と学び研究所のフェロー・スタッフが一堂に会しての、セミナーの持ち方や今後についての打ち合わせです。授業深掘りセミナーは多くの方々に期待していただけ、今年度第1回は既に定員に達しています。来年度についてもすでに3回の開催が決定しました(詳しくはこちらで)。

こうして講師陣が一堂に会することで改めてわかることは、どなたも授業に関しては強い思いと実力のある方ばかりだということです。私自身どのような模擬授業を見ることができるのかとても楽しみです。そして、その授業を講師の先生方がどのような見方をして深掘りをしていくのか?想像するだけでドキドキします。参加者にとって学びの多いすばらしいセミナーになること間違いなしです。

この日は懇親会も開かれました。楽しくお話ししながら、講師の方の、授業だけでなく後進を育てること対する強い思いも感じることができました。一人の教師としては、自分が直接かかわることのできる子どもにしか影響を与えることができません。管理職となっても、影響を与えることができるのはその学校の子どもたちだけです。しかし、若い教師を何人も育てることで、その何倍もの子どもたちによい教育を与え、成長を助けることができます。その思いが、授業深掘りセミナーの原動力になっています。このセミナーにかかわる方たちのエネルギーに触れて、私も改めて先生方の成長の助けになりたいと強く思いました。

第2回以降はまだ空きがありますので、興味のある方はぜひ参加をご検討ください。

第2回「教育と笑いの会」の受付開始

第2回「教育と笑いの会」申込受付が始まりました。

日 時:平成27年12月19日(土)13時00分〜16時40分
場 所:名古屋ルーセントタワー16階
参加費:3,000円
定 員:200名

今回は、番組を増やし、寄席のように次から次へと出演者が出てきます。メイン番組は、故・有田和正先生の授業ビデオを見ながらのユーモア分析です。前回同様、とても楽しい会になると思います。すぐに定員に達する見込みですので、興味のある方はお早目にお申し込みをお願いします。

「アクティブ・ラーニング」や「全国学力学習状況調査」について考える

先週末に授業と学び研究所のミーティングが行われました。

最初は、前回に引き続き「アクティブ・ラーニング」についての発表とそれをもとにした話し合いでした。文部科学省の資料に止まらず、元になった会議の議事録も丹念に調べて、資料の背景まで探った発表から大いに学ぶことができました。「アクティブ・ラーニング」の背景やその先にあるものが少し見えてきた気がします。知識基盤社会、グローバル化といった言葉と合わせて考えていくと、小中高大を貫く学びの軸を作り直し、公教育の質を転換しようとしているように思えます。学校教育の目指すもの自体が大きく変わっていくのかもしれません。
一方、2冊の本で著者が「アクティブ・ラーニング」どのように定義しているかを比較する資料も他のメンバーから出されました。人によってとらえ方がかなり違っているように思われます。「アクティブ・ラーニング」が具体的にどのようなものかについてはこれからしばらく異論がたくさん出てくることと思います。文部科学省はもとより、いろいろなところからどのようなことが具体的に発信されていくのか注目する必要があると思います。

先日発表された速報をもとに全国学力学習状況調査の都道府県の状況の変化についても発表されました。マスコミは都道府県の順位ばかりをクローズアップするので、下位の県が急上昇したというような記事になりがちですが、平均正答率に対してどれだけ差があるかという資料を見ると違った姿が浮かび上がってきます。それは、何年もかけて少しずつ成績が上がってきているということです。最初は差が大きかったので、成績が上がっても順位は変わりませんが、時間をかけて追いついてくると少しの点数のアップで順位はそれこそ一気に上がるのです。具体的な方法の是非は置いておいて、こういった県が地道に対応をしているということです。最下位の県と平均正答率の差は3%ほどです。平均点が60点の試験で、ある学級の平均点が58.2点だとして、この差を大きなものと皆さんは感じるでしょうか。それよりも成績の分布の仕方や問題ごとの考察の方が大切です。都道府県別の順位ではなく、そういうところにもっと目を向けてほしいと思います。
また、順位が上位の県も今度はそれを維持しなければいけないという、別のプレッシャーがかかります。子どもたちが、春休みや4月に全国学力テストの過去問題に取り組むという姿は、どうにも本末転倒しているように思うのは私だけでしょうか。
ともあれ、学力や成績を順位で見るということは本質を見落とすことになります。成績の振るわない子どもが努力して試験の点数を上げても、相対評価である順位は変わらないこともあります。教師はそういった子どもの努力や成果をきちんと見て評価することが必要です。全国学力学習状況調査もそういった視点が大切だと思います。
こういったこととは別に、外国籍の子どもの多い県では似たような傾向があることにも気づきました。きちんと整理・考察ができているわけではありませんが、小学校の成績(特に国語)が悪いのですが、中学校ではかなり高い成績を取るのです。こういったことについて調査研究している例がないか探してみたいと思いました。

この日も多くの学びがありました。こういった授業と学び研究所で日ごろ話し合われていることは、「授業深掘りセミナー」の「教育情報知っ得コーナー」でもお伝えしていく予定です。
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