社会科で「因果」の視点での整理を大切にする

社会科の授業では、共通、特徴という視点での整理が大切になります。「工業地帯に共通の特徴」「四大文明に共通の特徴」といったことを見つける活動はよくあります。ここで、もう一つ意識してほしいのは、「因果」という視点です。その特徴が、原因となったものか、結果なのかどうかです。

例えば、工場地帯は「港湾が発達している」「平地である」「人口が多い」ことがほとんどです。流通に便利なところ、土地がある、労働人口を確保できる、消費者が多いといった条件を満たしているから、工場がたくさんできたといえます。これは原因です。しかし、関連する工場が近くにあった方が便利ですから、工場地帯には工場ができやすくなります。結果として工場が増えていきます。土地についても、そこに工場が集まった、集めようとした結果、海を埋め立てて確保しているということも言えます。人口が多いのもそこに工場があるから増えたという結果であるとも言えます。これはポジティブなフィードバックの例ですが、一般的には原因と結果は常に絡み合っています。こういう視点を意識してほしいのです。ポジティブフィードバックでは永遠に拡大することはありません。どこかに限界が来ます。そこで、頭打ちになったり、ネガティブフィードバックがかかって衰退したりします。このことも大切な視点です。これは時系列で見るという視点です。地理であれば年次変化を意識することにつながります。

歴史は、本質的にこの視点が大切になります。例えば、四大文明に共通しているのは、「大河のそばにある」「乾燥地帯」「(狩猟ではなく)農耕」「文字」「王がいる」といったことですが、因果関係に注目すると、「大河」がその一番の因になります。水があることと大河が運んでくる肥沃な土が、農業を発達させます。その結果、生活が安定し人が増えてきます。乾燥地帯であるので、灌漑の必要性もあります。そのためには大規模な共同作業が必要になり、それを指揮する人間が必要になってきます。豊かになれば、外敵が現れてきます。結果として王が生まれてくることになります。記録の必然性もありますから、文字も生まれてきたのです。「王がいる」「文字」は原因ではなく結果です。こういう視点で整理させたいのです。「四大文明の共通の特徴は」といって並列で記憶させることではないのです。

社会科では、「共通」「特徴」といった視点での整理だけでなく、「社会(地理分野)で大切にしたい問いかけ」や「社会(歴史分野)で大切にしたい問いかけ」でも述べましたが、「因果」という視点での整理を意識してほしいと思います。

指示に従うことを目的にさせない

指示を徹底することは授業規律の基本です。例えば、作業が終わったら鉛筆を置いてよい姿勢をとるように指示する場面がよくあります。この時、全員が指示に従っていないのに先生が話し出してしまうことは、授業規律を乱してしまいます。このことをよくわかっている先生は、子どもたちが全員よい姿勢をとって先生に向かって顔を上げるまできちんと待つことができます。ところが、全員指示に従ったのを確認して先生が説明を始めると、とたんに先ほどのよい姿勢が崩れてしまう場面に出会います。この傾向は、指示が明確で細かい方に多いようです。これはどういうことなのでしょうか?
どうやら、指示に従うことが子どもたちの目的となっていることが原因のようです。子どもにとってはよい姿勢を取れば先生の指示に従ったことになるので、それでよいのです。先生が細かく指示をするので、指示されたことだけをやればよいと思うようになっているのです。先ほどの場面であれば、「今から大切な話をするので、集中して聞いてね」と次の指示をすれば、それに従うので表面的には解決するのですが、それではいつまでたっても指示待ちの子どものままです。

先生が特に指示を出さなくても子どもたちがよい姿勢をとり、話を集中して聞く学級もあります。そういった学級の特徴は、まず先生が子どもたちをよくほめていることです。最初は指示に従ったことをほめていますが、そのうちに指示を出す前に行動できる子どもが出てきます。そういった子どもを積極的にほめているのです。「○○さんよい姿勢で待っていてくれているね。言われなくてもやれているのはすごいね」というように、自分で判断してよい行動をとっていることを価値づけしてほめるのです。こうして指示に従うことから、次はどうすべきかを予測して行動することを意識させるのです。話を集中して聞かせたければ、「今から大切な話をするよ」と次の場面の説明だけをして、「○○さん、しっかり先生の方を見てくれているね。うれしいね。聞く気充分だね」とほめることで、言われなくてもできる子どもを増やすのです。最初は具体的な指示をたくさんする必要がありますが、次第に指示を減らしていくのです。学級が育ってくると、先生の指示は少なくなります。子どもたちがよい行動をとった時に、いちいちほめなくても子どもと視線を合わせて笑顔になるだけで十分子どもたちは認められた、見守ってもらえていると感じます。このような状態を目指すとよいでしょう。

子どもとの人間関係がよく、指示がきちんと通るようになると、どうしても指示することで子どもたちの行動をコントロールしようとしてしまいます。子どもたちは指示に従えばいいと考える、指示待ちになってしまいます。指示が通るからこそ、指示を減らすことを意識してほしいと思います。

自然に背筋が伸びる本

野口芳宏先生の著書「授業で鍛える」が復刻されました。今から30年近く前に出版された書籍にもかかわらず、少しも色あせていないどころか、ますます輝いて見えました。
「鍛える」という言葉には子どもに無理やりやらせるというイメージがあるため、拒否反応をする方がいるかもしれません。しかし、野口先生の「鍛える」は子どもの自己有用感を大切にし、向上意欲を持たせることがベースになっています。子どもにおもねはしませんが、子どもたちに寄り添うことは決して忘れません。どの子どもも授業に積極的に参加し、活躍でき、その結果向上的変容を遂げ自己の進歩を実感できる、厳しいが愛情にあふれた授業を目指すものです。下手な「協同学習」や「学び合い」より、今言われているアクティブラーニングをより高いレベルで実現していると思います。そして、子どもたちを「鍛える」授業をつくるためには、教師が自らを「鍛える」ことが大切なのだと気づかされます。単なる授業技術のノウハウではなく、授業のあるべき姿、教師のあるべき姿を明確に示しておられます。

毎年、野口先生とお話をする機会をいただいていますが、初めてお会いした時に「教師が授業の主役」だと主張されました。私は「子どもが主役」の授業を目指してほしいと常々思っています。考え方が違うのかとも思いました。しかし、野口先生のお話を聞けば、一方的に教師が教え込む授業ではなく、子どもたちに考えさせ、活動させ、活躍させることを目指していることがわかります。子どもたちに全員参加を求め、活躍させ鍛えるのが教師の仕事だというそのお考えに納得したのを覚えています。この本を読んで、今学校現場で私が話していることの多くが、野口先生との出会いに影響されていることを再認識させられました。野口先生の実践やお話から私が鍛えられたことがよくわかります。

時代の変化や流行に揺るがない先生の主張に、読んでいるうちに自然に背筋が伸びてきます。若い先生方が生まれる前に書かれた本です。だからこそ、若い先生にはこの機会にぜひ読んでほしいと思います。授業のあり方を通じて教師とはどうあるべき存在かを学ぶことができると思います。

小学校で道徳の授業づくりの研修

先週、小学校で道徳の授業づくりの研修を行いました。授業の組み立て方や発問のポイント、資料の扱い方についてグループで考えていただきました。

「誠実」をテーマにした読み物資料をもとに、3つのグループで資料における「誠実」の意味を考え、発問と予想される児童の反応を考えました。事前に研修で使う読み物資料を配ってあったのですが、皆さんよく考えてこられているようでした。
「誠実」はあまりぶれない価値のように思っていましたが、先生方のとらえ方が多様であったことにちょっと驚きました。中にはこの資料は、相手との約束を守るために自分のチャンスをあきらめるような自己犠牲をするので嫌だという方もいます。自分の気持ちに誠実であることも大切だという考えです。ここでの「誠実」の使われ方はある種のレトリックですが、子どもからも似たような考えが出てくるはずです。どれが正解と言うわけではありませんが、先生自身がぶれないものを持っていることは大切だと思います。そういう意味でも、先生方が「誠実」という道徳的な価値について意見を交換したことはとてもよい経験だったと思います。
先生方から出てきた発問は、主人公の気持ちになって考える、主人公の気持ちを想像する、自分だったらどうするといったものが多かったです。この資料で授業をされた経験のある方が、実際に子どもから出てきた反応を教えてくださいました。約束を破っても、チャンスをつかんだ後、相手にそれに見合うようなお返しをするというものです。このような答は、私も何度か目にしています。きれいな言葉で言えば「Win Win」の関係です。確かに理想ですが、この場合一度約束を破るということがその前にあります。決して相手は「Win」ではありません。どうも、自分は損をしたくないということが前提にあって、その上で落としどころを探すという考え方が増えているように思います(昔からあったのかもしれませんが・・・)。こういった考えにどう対応するかというのは難しい問題です。そうではない意見に触れることで、考え直すきっかけとなってくれればと思います。
道徳では主人公の気持ちを中心に考えることが多いのですが、子どもたちを揺さぶるために「当事者」の気持ちを考えさせることも時にはよいと思います。もし約束を破られたらその「相手」はどんな気持ちになるだろうか、その後どのような行動をとるだろうといったことを想像させるのです。

私からは、どうすれば子どもが深く考えるかという視点でお話をさせていただきました。
道徳の授業で基本となるのが、学級の雰囲気です。モラル的にはどうかという意見も安心して本音で話すことのできる学級であることが大切です。どんな意見もバカにされずに聞いてもらえる、おかしなことを言っても互いに笑い飛ばせるような学級であることが理想です。
読み物資料を使う時には、読み取りに時間をかけると子どもたちの考える時間が少なくなってしまいます。国語の授業ではありませんから、先生が解説をしてもいいのです。できるだけ早く登場人物に入り込めるようにすることが求められます。特に、ポイントとなる事件や出来事では登場人物の気持ちを強調したり、問いかけたりして子どもが寄り添えるようにすることが大切です。
発問では子ども自身の問題としてとらえさせることが大切になります。「どうすべき」といった問いかけは客観的な判断を求めることなり、突き放した意見や教科書的な答になりやすくなります。子どもたちの反応よっては、主人公だけでなく、他の当事者や第三者の気持ちに寄り添った考えを聞いたり、その後どうなるかを想像させたりといったことも必要になります。
子どもに深く考えさせるためには、揺さぶることも大切です。「○○の気持ちを考えよう」ではなく、「○○の気持ちわかる?」「そんなことできる?する?」と子どもに迫ったり、「もし、△△がなかったら、それでも変わらない?」と条件が変わっても揺るがないかと問いかけたりすることで、子どもの気持ちが揺さぶられます。そこで、もう一度子どもに考える時間を与えることで、考えが深まります。その時間をつくるためにも、資料の読み取りの時間をできるだけ早くすることが大切になります。

夏休みに入って少し余裕のある時期でしたので、先生方も落ち着いて話し合うことができていたように思います。互いに授業について考えを聞き合うということはとても大切なことです。こういった機会を持つことが大切だと思います。
私も先生方の素直な意見を聞かせていただくことで、とても勉強になりました。よい機会をありがとうございました。

道徳の授業撮影

教師力アップセミナーで野口芳宏先生に指導していただく授業の撮影を行いました。小学校6年生の道徳の授業です。授業者は学期末の忙しい時期に積極的に授業を公開してくれました。その影には校長の若手を育てたいという思いがあります。校長も自ら参加して、若手を中心とした勉強会を定期的に開いています。そこで、今回の授業の指導案も検討したそうです。強制参加ではないのですが、若手を中心に先生方がたくさん参観していたのは、学校の中に授業を大切にしようという空気ができている証拠でしょう。校長の働きかけの大切さ感じます。

授業は「寛容」をテーマにしたものでした。資料はレ・ミゼラブルの銀の燭台のエピソードです。
授業者は資料を配って範読します。子どもたちの視線はどうしても下に向きます。授業者は歩きながら読みますが、子どもたちの様子を見てはいません。途中で神父とはどういう人か子どもに聞きます。これは単なる知識です。道徳では資料の内容を早く子どもたちに理解させることが大切です。その点であまり意味のある活動とは思えません。授業者が説明すればいいのです。この後、子どもたちの集中力が落ちました。姿勢も悪くなっていきます。物語の前半部分を読み終わった後、資料を机の中にしまわせました。資料を配った理由がよくわかりません。
ここでジャン=バルジャンの生い立ちや資料の内容について子どもに確認をします。答えられない子どもは、手元に資料がないので参加できません。挙手した子どもだけで進んでいきます。あまり意味のある時間だとは思えません。また、挙手しない子どもが発言に対して「いいです」と言うのも気になります。子どもは背筋を伸ばしているのですが、形だけのように見えます。視線が動かないのです。
ジャン=バルジャンを泊めようとした時の神父の気持ちを子どもたちにたずねます。「神父だから罪人でも大丈夫だと思った」という発言に「いい意見だね」と返しました。「いい」という価値判断はこの場面ではあまり相応しくないように思います。もし「いい意見」というのなら、どの子どもの意見も同じように受け止める必要があります。しかし、他の場面では「いい意見」とは言いませんでした。恣意的ではいけないのです。
ジャン=バルジャンが銀の皿を盗もうとした気持ちを10秒で考えさせます。挙手は4人だけです。その子どもを指名して進みます。ここでジャン=バルジャンの気持ちを考えることが大切であれば、もっと時間を与える必要があったと思います。一部の子どもの意見で進みます。
ここで続きを範読します。神父が捕まったジャン=バルジャンをかばったことについて「神父は許すべきだったか?」と発問します。「べき」という言葉を使うと客観的に正しい答を要求することになります。建前の答が出やすくなります。子どもたち全員に「許す」「許さない」「わからない」のどれかを選ばせ、黒板に自分の名前を貼らせました。子どもたちの考えは「許さない」「わからない」に集中します。これは予想外だったようです。事前にやった他の学級では「許す」に偏ったようです。銀の皿を盗むことはたいしたことではないと思ったからのようです。そこで今回は、内容の確認の場面で、校長がわざわざ手袋をはめてそれらしい皿を捧げ持って見せることで、高価なものであることを印象付ける演出をしたのです。そのことが影響したようです。子どもたちは、教師のちょっとした働きかけで大きく動くことがよくわかりました。
全員に自分の考えを述べさせます。授業者は子どもの発言をすぐに板書をします。似た意見であれば、子どもの名前をそこに貼ります。子どもの考えを認め、見える化するよい方法だと思います。しかし、授業者は子どもを見ません。ずっと板書をしている時もあります。子どもたちも、発言者ではなく黒板を見ています。指名した子どもが返事をしない時に黒板を見ながら「返事!」と注意する場面もありました。残念ながら子どもが返事をしても何もコメントしません。学級の人間関係が心配になります。
子どもたちからは、「罪を犯したから罰を受けるべきだ」「また、同じことを繰り返す」といった意見が続きます。神父の思いやジャン=バルジャンの気持ちに寄り添うような意見はありません。また、わからないといった子どもの意見には、「自分はどうこう言える立場でない」というものもありました。他人事です。
ここに多くの時間を割きましたが、子ども同士がかかわり合うことはありません。友だちの考えを聞いて深まることはないようでした。
ジャン=バルジャンの気持ちに寄り添わせようと、投獄されたのが家族のためにわずかなパンを盗んだだけという話をします。後から付け加えても意味がありません。いまさら言われても困ってしまいます。子どもの反応が予定と違ったので、対応できなくなってしまったのだと思いますが、ここは単純に「なるほど、ジャン=バルジャンを許すべきでないという意見が多かったけれど、じゃあどうして神父は許したんだろう」と神父の気持ちに寄り添って考えさせれば子どもたちを揺さぶることができたと思います。「もし、神父が許さなかったらこの後、ジャン=バルジャンはどんな人生を送ったと思う?」と子どもたちの考えを実行したら何が起こるのかを考えさせても、神父の寛容さの持つ意味に気づけたかもしれません。
神父が燭台まで与えてジャン=バルジャンを諭す残りの部分を範読して、10年後のジャン=バルジャンになった気持ちになって手紙を書かせました。
どうでもいいことですが、神父がジャン=バルジャンを兄弟と呼ぶところで「兄弟のように思っている」という説明をしました。カトリックではすべての人は神の子どもですから互いが兄弟姉妹ということになります。神父ですのでそういう呼びかけをしたのです。ちょっと気になりました。
子どもたちの鉛筆がスラスラ動くことが気になります。あまり深く考えていないのでしょう。子どもの手紙は神父への感謝の言葉が綴られていますが、表面的なものでした。
最後に授業者が自分の経験を話しますが、自分が友だちを許した話でした。適当な話がないのかもしれませんが、許された側の気持ちで話をした方がよかったと思います。「寛容」の価値は許された者の立場で初めて理解できると思います。授業を通じて焦点を当てるべきところがずれていたように思います。

この授業は全員の意見を言わせた場面以外は、数人の挙手で進んでいきました。全員参加の感覚がありません。授業者は何を話すか、どう進めるかにばかり意識がいっています。子どもたち一人ひとりの様子を見て授業をつくっていくという感覚もありません。子どもたちを受容すること、子ども同士をつなぐこともよくわかっていないように思いました。
では、この授業者がダメなのかというとそんなことはありません。事前に大変な準備をしてまで、やらなくてもいい舞台に上がるということは、とても向上心があるということです。ただ、授業に関する大切な感覚のいくつかが育っていないのです。6年目の方です。ここからが踏ん張りどころです。自分に欠けているものを意識して、その部分を埋めることに力を注いでほしいと思います。教師力アップセミナーでは野口先生が、温かいご指導をしてくださるでしょう。そういったことも励みにして、精進してほしいと思います。数年後には大きく変化していることを期待しています。

校長室で、一緒に参観した教師力アップセミナーの関係者も交えていろいろとお話をする機会がありました。若者を育てることの大変さをあらためて感じました。授業も含め、私にとってとても学びの多い時間でした。このような機会を得られたことに感謝です。

子どもたちが考える授業の難しさを感じる(長文)

昨日の日記の続きです。

6年生の算数の授業はすべての答を見つける問題です。お菓子を35個買うのに、3個入りと、2個入りをそれぞれいくつずつ買えばいいのかを考えます。
最初に問題を提示して、自力で解かせようとします。子どもたちから答がいくつか出ることで、もれなく見つけることにつなげようという意図です。子どもたちはすぐに問題に取りかかります。意欲的です。ところが、その逆にすぐに手が動かない子どもの姿も目立ちます。この子どもたちは、やる気がないというよりは見通しが持てなかったのでしょう。問題を把握する時間もなくすぐに取りかかったので、何をすればいいのかがよくわからなかったのです。
ここで、授業者がヒントを出します。授業者がヒントを出すと、子どもたちはその考え方に従って解こうとします。いきなり解かせた意味がなくなります。もし、ヒントを出すのなら、手の動いている子どもたちに、最初に何をやったかを聞くとよいでしょう。「全部2個入りと考えた」「3個入りが○箱だったら」といった声が出てくれば、見通しを持てなかった子どもも動き出したと思います。
子どもたちに答を発表させます。2個入り1箱、3個入り11箱という答に対して、2×1=2、3×11=33、2+33=35という式で授業者が簡単に確認します。ここは、その根拠を子どもに言わせたいところです。また、答の結果の確認と、その求め方は違います。ここで求め方を押さえておくことが次の表での考えにつながります。「2個入りが1箱だと、残り33箱だから・・・」「全部3個入りだと11箱で2個余るから・・・」といった違った考え方が出てくるはずですから、それぞれの考え方を整理し価値づけすることが大切です。
子どもたちからいくつかの答が出てきますが、それも答になっていることしか押さえません。子どもたちは一つひとつの答をどうやって求めるかが明確になっていないので、モヤモヤしています。そこに、「全部の答を求めるのにどうすればいいか」という課題を出されても、今一つピンときません。子どもたちの疑問につながっていないのです。授業者は、「順番に」やるというアプローチの仕方を聞いているのですが、子どもたちは、どうやって一つひとつの答を出すかを考えています。授業者のねらいとずれてしまっているのです。ヒントとして「順番」という言葉を強調しますが、多くの子どもは授業者が何を言おうとしているのかわかっていないようでした。
挙手で指名したこどもにやり方を発表させます。子どもたちは、とても真剣に聞いています。発表者は、授業者の意図とは関係なく、「2個入りの数を固定して、残りを引き算して求める」「3個と2個を足して5個だから、5で割って求める」というように、どうやって答を求めるかの説明を始めます。授業者はずれを修正できないまま、何人かを指名します。2と3の最小公倍数が6だからと、35を6で割って、余りの5を3と2に分け、あとは6を3個入りにするか2個入りにするかを決めればいいという考えを出した子どもがいました。とても優秀です。授業者の言う全部の答を求めることにつながるものです。何度も本人が説明し、子どもたちは理解しようとしますがついていけません。授業者は、「難しかったね」と切り捨てました。せめて、「あとで○○さんの言っていることをもう一度考えようね」として、表を使うところで「うまく答が出てくるのは3個入りが2つとび」といったことに気づかせ、この6の意味を見つけさせたいところでした。
授業者は「順番」という言葉にこだわり続けますが、子どもから出てきた言葉でないので、子どもたちには伝わりません。最後は、自分で表を使うとよいことを伝えました。ここまで子どもたちに活動させたことを活かせませんでした。
最初の段階で、求め方を押さえておいて、「これで全部?他には?」と揺さぶり、「3個入りが4箱になった人?」「5箱は?」というように聞いていけば、子どもから「順番」が出てきます。じゃあ一つずつ順番にやればいいねと実際に全部の場合を見つけさせてから表を導入するか、たくさんの場合を確かめる時にどうやって整理したかを思い出させて表につなげてもよかったでしょう。
表をつくることをグループで取り組ませます。ここで、表の項目、構成要素が大切になります。残された時間を考えても、全体で見通しを持たせるべきです。授業者はグループにしてから表の構成要素の話をしますが、子どもとのやり取りもなく一方的なものなので、よく理解できていませんでした。手が止まっている状態のグループが多くなります。結局止まっている人が多いからと教科書を見て表をつくることにしました。これでは、子どもたちは自分で考えるのではなく、やり方を覚えようとするようになります。子どもたちにとって、自分で考えても最後は結果を写して覚えることになってしまい、考えることに対して達成感を味わえません。これまでの活動がムダになってしまいます。
答の求め方をもとに考えさせればよかったのです。2個入りが1箱の場合、2×1で2個、残りは35−2で33個、だから3個入りは33÷3で11箱、この求め方を2個入りが2箱の場合、というようにやって、どこが変わるかを子どもたちに気づかせると、表の要素が自然に見えてきます。「表は変化するものを整理するのに便利」ということを押さえ、「変化」に注目させれば、必然的に項目は見えます。関数につながる大切な概念を教えることもできるのです。
表の項目を教科書から抜きだします。3個入りを基準にするのか、2個入りを基準にするのかの確認もありません。教科書は0箱の場合を抜いていますが、子どもによっては疑問に思うかもしれません。表の端は11箱までと授業者がすぐに押さえます。子どもとやり取りしたいところです。表を埋めるのに、「1、2、・・・」としますが、ここは「1の次は2、2の次は3、・・・」と、授業者がこだわっていた順番を意識する必要があります。授業者は表を使えば全部の答えが出ることを押さえませんでしたが、そのための布石が「次」です。間の数はないから、全部と言えるのです。また、答が小数になるものは、最初から×をつけていますが、この吟味もちゃんとしていません。問題によっては意味のある答になります。「2個入りが0.5箱はダメ?いい?」と子どもたちに問いかけると、「ばらしてもらう」といった考えも出てきます。その考えがこの問題にふさわしいかを吟味することも大切です。
授業者は算数でついつい解き方を教えてしまうので、子どもたちから様々な考えを引き出して、まとめたいと考えていました。残念ながら、授業者の思い通りに授業は進みませんでしたが、自身の課題をしっかりと理解しているのは立派です。子どもたちとの関係や授業規律は上手くいっているので、この課題をクリアすることが当面の目標になると思います。今回の授業で言えば、表の本質はどこにあるか、この学習はどこにつながっていくのかをしっかりと教材研究する必要がありました。そして、子どもが見つける、わかる道筋のスモールステップを子どもの視点で理解する必要があります。後者は、経験を積まないとわからないところもあります。そういう意味でこの授業はとても大きな学びになったと思います。日々、子どもたちから学ぶ姿勢で授業を続ければ、きっとこの課題を克服できると思います。まだしばらくは時間がかかると思いますが、焦らずにていねいな授業を心がけてほしいと思います。

5年生の社会科の授業は農業法人を扱ったものでした。授業者は他市から本年度異動された経験7年目の方でした。
授業者だけを見ていると、なかなかテンポもよく、発言を受容したりもでき上手な授業に見えるのですが、根本的に何か足りないものがあると感じます。子どもたち一人ひとりを見るということです。子どもたちに指示をすると大体がすぐに従います。しかし、全員でなくても進んでいきます。ノートの使い方の指示の場面では、顔が上がらない子どもが目立ちました。フラッシュカードを使う場面では、カードを自分の目の前にかざしました。これでは子どもの表情は見えません。子どもに反応を求めるのですが、一部の子どもの反応を拾ってその子どもたちとだけで進んでいます。子どもたちとやりとりして進んでいるように見えるのですが、授業者にとって都合のいい子どもたちとだけです。最終的には自分が説明したいことを話して終わっていくのです。
動画を見せて、途中で止めこれが何についての説明かを問います。途中で止めるということができるのはなかなかです。しかし、「農業法人」というものを知っていいなければ答えることができません。まわりと相談させましたが意味のないものです。もし、農業法人について、子どもに考えさせたいのであれば、ここまでの情報から、みんなが知っている農家と何が違うのかを聞いたりすればよかったでしょう。
「農業法人と農家、大きいのはどっち?」と聞き、手を挙げさせます。全員がどちらかに手を挙げるべき場面ですが、手を挙げていない子どもが目につきます。授業者はそのことをあまり気にしていないようです。答の想像はつきますが、根拠となるものはありません。聞く意味があまりあるとは思えません。聞くのであれば、合理的な根拠がある必要があります。
「農業法人ならではの秘密を考えよう」というめあてを提示します。この「考えよう」は、何を考えるのでしょうか。事実は調べるしかありません。農業法人の特徴から、「ならでは」を考えるのでしょうか。特徴はそもそも何でしょう。この「秘密を考える」という課題がどういうことであるか子どもたちと共有されないままに進んでいきます。
与えた資料は、ある農業法人についてのものです。トラクターなどがたくさんあること、社員の数、委託されている土地の地図、広さと、農業法人とは関係ないある農家の機械のよさとその負担についての談話でした。ここから、「農業法人ならでは」のことを考えるためには、一般の農家のデータが手元にないと考えられません。何となく子どもに想像させるだけで、根拠をもった考えを引き出すことはできません。
子どもに考える視点として、「農作業」「農地・人」「その他」を提示します。これでは、単に農家との比較に終わってしまいます。授業の最初に、日本の米作りの問題点を整理しています。「農業従事者」「生産量」「消費量」「米離れ」「外国米の輸入」といったキーワードが板書されています。農業法人について考えるのであれば、「農業法人はこういった日本の米作りのどの問題を解決しようとしているのか?」といった課題にして、米作りの問題点の原因を整理してから進めないと考えることにはつながりません。本当に子どもたちが考えるためには、何が必要なのかを考えてほしいと思います。
机間指導をしながら、作業中の子どもに個別に指示をします。子どもの手が挙がっても気づきません。中には授業者が近づくと鉛筆を持つ子どもがいます。遠ざかればまたじっとしています。子どもたちのこういう状況に気づいているのでしょうか。
全体での発表では、一人発表するとすぐに板書します。子どもたちは、発表者に注意を払いません。子どもの意見を板書しますが、それが資料のどこを根拠にしているかを問いません。手を挙げて発表できる子どもの意見で進んでいきます。他の子どもは板書を見ているだけです。耕地面積が70haと大きいと言いますが、それを裏付けるためには日本の農家の平均の耕地面積のデータが必要です。作業しやすいという意見が出れば、実際に地図を見ながら確認する必要があります。そういったことなしに結論だけが積み重なっていきます。子どもの意見に対して授業者が根拠を明確に確認せず、子どもの発言をきっかけにして自分の考える結論を解説している授業になっています。教師が主役の授業と言ってもいいでしょう。
子どもたちに、「同じことを考えた人」とつなぐのですが、子どもは反応しません。子どもたちも、結論がわかればいいと思っているのです。それに対して授業者は参加を求めようとはしません。反応してくれる一部の子どもしか見ていないのです。最後に動画の続きを見せますが、子どもたちは集中して見ていませんでした。
授業者はそこそこ経験を積んで、授業の構成や進め方の技術を身につけています。それに対して、子どもを見る、全員参加させるといった子どもの活動に関する視点や技術が欠けています。バランスがとても悪いのです。授業者は子ども自身が考え問題を解決する授業を目指していると言っていますが、授業の方向性はそこから外れています。授業観がどこか根本的にずれているように見えるのです。このことを授業者には率直に伝えました。授業観を変えることは簡単なことではありません。だからこそ、そこを変えることができれば大きく進歩します。この先生が今後どのように変化していくか、期待も込めて見守っていきたいと思います。

今回アドバイスした4人は、それぞれに明確な課題があったように思います。すぐにクリアできるものばかりではありませんが、こういった課題が見える授業であることは、評価できると思います。昨年度と比べて課題が変化していたことは成長の証だと思います。次回の訪問を楽しみにしたいと思います。

それぞれに応じた課題が見つかる

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。今回で、市内全校の1回目の訪問が終わりました。この日は、4人の先生の授業アドバイスを行いました。

採用2年目の先生の授業は、2年生の図画工作でアートカードを使った鑑賞の授業でした。
グループで1組のアートカードを使うのですが、数が足りないため1グループの人数が5人になってしまいました。そのため、どうしてもグループが分断されたり、参加しづらい子どもがでてきたりします。全部のグループで同じカードを使う必要のない活動であれば、カードを分割した1グループの人数を4人にしたいところでした。
本時のめあてを子どもに示します。「しっかり見よう」「思ったことを話そう」「作品やグループの人と仲よくなろう」の3つです。「しっかり見る」「作品と仲よくなる」とは具体的にどういうことかよくわかりません。もちろん授業の最後に、「しっかり見る」とはどういうことか子どもの言葉で説明したりまとめたりする場面があればそれでよいのですが、今回はそのような場面はありませんでした。また、「話そう」では話して終わりです。伝える、聞く、理解するといった要素を意識させる必要があります。
授業者が黒板に2枚のアートカードを並べて、似ているところを考えさせます。それほど大きいものではないので、黒板を見て考えることはできません。手元のアートカードから同じものを探して、それを見ながらの活動になりますが、子どもたちは見つけることに時間がかかっていました。あらかじめここで使うカードを抜き出しておいて、そのカードだけ先に配っておくとよかったでしょう。残りのカードは必要になってから配ればよいのです。教室には大型のディスプレイがあります。縦長のカード2枚であれば同意に提示できます。全体で進めるのであれば、比較するカードを縦方向の物にしてディスプレイを活用するという方法もありました。一部のグループで、カードを自分の手元に持ってくる子どもがいました。その子どもから遠い子どもはカードを見ることができません。カードをグループの真ん中に置くように指示する必要があったようです。
子どもたちの考えを全体で確認します。指名した子どもの発表を笑顔で受け止めることができています。子どもからは、「古い感じ」といった言葉が出てきます。そこで終わるのではなく「それってどういうこと」と聞き返したいところです。同じように感じた子どもをつなぎながら、「古い感じ」が「色がはっきりしない」「昔のようす」といったものに起因していることを明確にしたいところです。ここで、「色」「題材」といった絵を見る視点を整理しておくとよいでしょう。「いっしょのことに気づいた人」とつなげる場面もあったのですが、挙手による一問一答が多かったのが残念です。
主活動は、グループの一人がアートカードから似ていると思うカードを一組選び、それを見て他の子どもが順番に自分が考える似たところを説明し、最後にカードを選んだ子どもが自分の考えを発表するものです。これを順番に繰り返します。めあてが提示されていましたが、この活動とめあての関係を子どもたちは意識していません。冒頭に説明したことなので頭から消えているのです。ここで、もう一度押さえておく必要がありました。
自分の発表のことを考えるのに精一杯で友だちの話を聞けない子どもが目立ちます。話す方もカードを持ってくれている人に向かってしゃべったりと、聞き手を意識できていませんでした。ただ自分の思ったことを言うだけですので、話せる子どもはテンションが上がります。似たところになかなか気づけない子どもからは、「同じ色がある」といった意見しか出てきません。全体の場で、事前に具体的な視点をたくさん与えておく必要がありました。授業者は、子どもたちにいろいろな視点で絵を鑑賞してほしいと願っていました。全体で視点を広げる活動したつもりなのですが、価値づけや整理ができていません。子どもたちが「できる」ようになるためにどのような働きかけが必要かを考える必要があります。全体の場での発表でも、こういった視点の整理がありません。「しっかり見る」というめあては、最後までどこかに行ったままでした。
子どもたちは指名されたいばかりです。挙手をして指名されないとがっかりしてしまいます。聞くことの価値を高めることを意識してほしいと思います。最後に感想を書かせますが、感想ではなく何ができるようになったか、どんなことがわかったかを書かせることが大切です。時間がないため書く時間を十分に取ることができませんでした。子どもから、「休み時間に書いてもいい?」と質問が出ました。授業者は「やる気があっていいね」とほめました。このように、子どもを受容したり、ほめたり、つないだりも時々できますが、いつもではないのです。余裕がないのでしょう。経験が少ないので当然と言えば当然です。常に意識できるようになることが課題です。それと同時に、活動の目的や目標を子どもの目線で考え、与えることも課題です。子どもに対する基本的な姿勢はよいので、よい方向に変化していくことと思います。

3年生の国語の授業はありがとうの手紙を書く場面でした。
最初に、PCをフラッシュカードとして利用して、漢字の読みの練習をします。ワイヤレスマウスを使ってうまくタイミングをとり、移動しながら進めます。しかし、教室の後ろから画面を見て練習してもあまり意味はありません。子どもがきちんと言えているかどうかは、声の大きさではなく口の動きで見る必要があります。そのためには、教室の前方から子どもたちを見る必要があります。ディスプレイは一瞬見るだけでいいのです。
授業規律を意識していることがわかります。指名しても返事がなければ、「○○さん、○○さん」と返事をするまで名前を呼びます。このこと自体は悪くないのですが、返事ができれば「いい返事だね」とほめることを忘れないでほしいと思います。
顔の上がらない子どもを指名して、本時のめあてを読ませます。子どもに参加を求める方法の一つです。全員参加を意識していることがよくわかります。
指名した子どもに教科書を音読させます。他の子どもが集中していないことが気になりました。暗黙のルールがあるのかもしれませんが、そうだとすれば徹底できていません。具体的に指示をすることが必要でしょう。
ありがとうの手紙を出す相手を考えます。子どもたちはあらためて聞かれると、なかなか思い浮かびません。ありがとうを恥ずかしくて言えない人がいないかと聞くと、「いる」と反応する子どもがいます。しかし、授業者はその反応を活かしません。「誰に」「どんな」「ありがとう」を伝える手紙を書けばいいのか子どもたちは困っています。子どもたちの姿勢や表情が今一つです。個人作業に入っても、手が動かない子どもが多いので、授業者は「困っている人?」と聞きます。手がたくさん挙がります。子どもたちが先生に助けてもらうのを期待しています。子ども同士で聞きあったり、書けている子どもに全体で発表してもらったりというように、子ども同士で解決することを意識するとよいと思います。
手紙には型があることを教科書の音読を通じて説明します。ここでも、先ほどと同じく集中できていない子どもが目立ちます。音読や説明場面で子どもたちに参加を求めることが必要です。言葉での説明が続きますが、ここは授業者が書いた手紙を準備して、具体例で考えるとよかったと思います。教室には大型のディスプレイがありますから、そこに手紙を映して、どこが教科書の説明にある時候の挨拶、本文、結びになっているかを具体的に考えさせます。そして、時候の挨拶を読むとどんな気持ちになるかを問いかけることで、型の持つ意味を考えさせます。手紙の型が相手に気持ちを伝えるために大切なことを含んでいることに気づかせたいところです。
子どもたちに、時候の挨拶をワークシートから選ばせますが、選ぶだけなのであまり考えてはいません。できれば、拙くてもいいので子どもたちの言葉で書かせたいところでした。季節の出来事、今のまわりの様子などを子どもたちから出させて、文章にするのです。個人作業で難しければ、グループで行ってもよいでしょう。
作業が終わった子どもが姿勢を正して待っています。授業者は「いい姿勢で待っているね」とほめました。できれば、固有名詞で何人もほめたいところです。
本文を書くにあたって「敬体」「常体」の説明をします。新しい用語ですので、全員に読ませます。しかし、口を開いていない子どもも目に付きます。「常体」は3回読ませましたが、それでも定着しているとは思えません。テンポよく全体で読ませたり、個別に読ませたりして定着させたいところです。また、用語だけ定着しても中身が定着しなければ意味はありません。例文を出して、「敬体」か「常体」かを問う。「敬体」を「常体」に、「常体」を「敬体」に書き換える。読む相手を指定して、どちらを選ぶかを問う。こういった活動も必要でしょう。
授業者が机間指導中に、通路側に筆箱を立ててバリアを作っている子どもがいました。ところが、手が動きだすとバリアは無くなっています。課題に手がついてない時に授業者に見られたくなかったのでしょうか。面白い場面でした。
子どもたちは指示にちゃんと従っているのですが、意欲は今一つだったように思います。原因の一つに手紙を書くことの目標や評価がはっきりしていなかったことがあります。リアリティがないと言ってもいいでしょう。授業者による評価でなくてもいいのです。「やれた」と自己評価できる基準が必要なのです。このことは、活動全体だけでなく、相手を決める、時候の挨拶を選ぶ、本文を書くといった個々の細かい活動にも言えることです。活動に対して、評価場面を必ずつくることが重要なのです。
子どもとの人間関係は、上手くいっていると思います。授業規律や全員参加も意識できています。次の課題は、活動の目標と評価を意識して授業を組み立てることだと思います。次回どのように授業が変わっているか楽しみにしたいと思います。

残り2人の授業については明日の日記で。

養護教諭の素晴らしい授業(長文)

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。この日は、学校全体の様子を見せていただいた後、2人の先生の研究授業のアドバイスを行いました。

全体的には、先生と子どもとの関係は決して悪くないのですが、子どもの言葉を活かすことや子ども同士をつなぐことが課題のように思いました。先生は子どもの発言をしっかり聞こうとしているのですが、発言者と授業者の2人だけの世界に入ってしまう場面をよく目にしました。一問一答で、他の子どもたちにつなぐことをせずに授業者が説明するので、その説明を聞いて板書を写せば友だちの発言を聞いていなくても困らないのです。発表者は先生に聞いてもらおうとするので、先生に向かってしゃべります。机をコの字型にしている学級も多いのですが、この傾向は変わりません。コの字型にもかかわらず、黒板の前に教卓が置いたままの教室が多いことも気になりました。教卓があるとどうしても先生は教卓と黒板の間でしゃべることが多くなります。必然的に子どもたちは先生と視線を合わせるために体を傾けなくてはいけません。それを避けるためには、教卓を教室の端に寄せ、先生はできるだけ子どもに近いところで話をする必要があります。また、先生が左右のどちらかの端に立つことで、発言者が先生を見ていても、自然に子ども同士の視線を合わせることができます。こういったことを意識できている先生が少ないことが残念でした。子どもが友だちに自分の考えを伝えようとする、友だちの話を聞こうとする、そういう学級づくりを目指してほしいと思います。
子どもの姿がバラバラな学級もいくつか見かけました。ある子どもは先生を見ている、他の子どもは黒板を見ている、また授業に参加せずに下を向いている子どももいるといった具合です。授業者が子どもたちにどのようになってほしいかを意識していないと、こういう状態になります。目指す子どもの姿を明確にし、子どもたちをしっかりと見て、そのずれを修正しようとすることが大切です。
低学年では、子どもとの関係がよい学級が多いように感じました。子どもたちに向き合う先生の表情がよいことがその要因の一つでしょう。一年生が学年全体でドッヂボールをしていたのですが、集合の様子を見ていると授業規律がきちんとできていることがわかります。しかし、子どもたちの様子に学級差がありました。ベテランの学級と比べると、若い先生の学級の方が、授業規律は今一つなのです。若い先生にとって、ベテランの学級経営との違いを肌で感じることができるので、こういう場面はとても貴重なものです。このような機会にベテランとの違いを意識して、改善のきっかけにしてくれることを期待します。

この日の授業研究は、養護教諭の保健の授業と、特別支援学級の授業でした。
保健の授業は2年生の6歳臼歯の歯磨きについての学習でした。
最近増えたとはいえ、養護教諭が授業をする機会はそれほど多くはありません。まだ、若い先生ですが、とてもそうは思えないほど子どもたちを見ることや、子どもを受容することができていました。この日見た授業の中でも特に優れていると思いました。この授業を支えていたのが、この学級の子どもたちのよさです。ごそごそしていても、授業者がしゃべり始めるとすぐに静かになります。これ以外にも担任の学級経営のよさを随所に感じることができました。
子どもの興味を引くために、最初に、用意した絵の一部だけを見せながら何であるかを問います。動物の頭蓋骨だと気づいた後、今度はその動物か何かを問います。ライオン、馬、サルの頭蓋骨を順番に見せながら考えさせます。歯の形から「肉食」「草食」「雑食」の違いを意識させるのが目的ですから、肉食獣がライオンか虎かはあまり意味がありません。子どもたちは、それぞれが肉食、草食の物だと気づいています。しかし、どの動物かを決定できる根拠がないので、いろいろな動物の名前をどんどん言います。当然テンションは上がります。ここに時間をかけることは本質的ではありません。先にライオン、馬、サルの物であること示してから考えさせてその理由を言わせたり、歯を比較してからそれぞれが何を食べているかを聞いたりすれば、すっきりと導入ができたと思います。
歯の王様から届いたと、用意した手紙を読みます。6歳臼歯を擬人化し、歯で一番大きく強いこと、まだ大人になっていないので攻められているので、守ってほしいという内容です。授業者は手紙を丁寧に読むのですが、始めの内は手元に視線がいって子どもたちを見ることができていませんでした。途中から次第に子どもたちを見ることができるようになってきました。子どもを見ようと意識はできています。資料を読む時には、できるだけ顔を上げて読めるように練習しておくとよいでしょう。
読み終ったあとで、「手紙の内容を覚えている人いるかな?」と聞きます。これは、子どもたちからすれば、あまりフェアなことではありません。後から内容を聞くことを初めに伝えていないからです。意識していなかった子どもは、質問に答えることができません。友だちの発表を聞いて、なんとなくそんなことを言っていたと思うだけです。自分からは積極的に参加できなくなります。こういったことは避けたいところです。「今から手紙を読むけど、後から内容について質問するからよく聞いてね」というように、聞くことの目標を明確にするとよいでしょう。また、道徳の資料の範読のように、その場で内容を確認し黒板にまとめながら進めてもよいでしょう。
6歳臼歯を確認するために、鏡を配ります。子どもたちに「隣の人に見てもらっていいよ」と指示します。「○○さんが指で触っています」と子どものよい動きを固有名詞でほめることができます。この場面以外にも授業者が子どもたち一人ひとりを固有名詞でほめる場面がたくさんありました。担任でもないのに、これはすごいことです。あとでそのことを話したときに、「まだ全員の名前を覚えることができていません」と恐縮していましたが、裏を返せば全員の名前を覚えようとしているということです。養護教諭にとっては当然のことなのかもしれませんが、その姿勢に感心しました。
6歳臼歯を確認した後、子どもたちに鏡を閉じさせて注目させます。一人なかなか閉じない子どもがいましたが、その子が気づくまで待つことができました。よく子どもを見ています。できれば、最後の子ども、待っていた子どもたち、双方をほめたいところでした。
続いて、歯の王様(6歳臼歯)が攻められている理由を問い、隣の人と話し合いをさせます。ここで、擬人化した世界の言葉で問いを発したので、子どもは「王様が弱いうちに倒しておこう」といった妄想をしてしまいした。授業者はそのような発言も、なるほどと受容ができます。どんな意見も受け止めることができるのは立派ですが、ここは、攻められることが虫歯になることを押さえた上で、黒板に貼っておいた6歳臼歯の図をもとに、虫歯になりやすい理由を相談させればよかったでしょう。
歯垢染色液を使って自分の歯垢を確認します。ワークシートを配る前に活動の説明をしました。こういうところもきちんとしています。続いて、子どもたちに歯ブラシの使い方を説明しました。ここでも子どもの言葉をうまく活かして説明しましたが、活動が始まってからポイントを押さえたり、指示を追加したりしてしまいました。活動前に必要な説明と確認をし、活動に入ったあとはできるだけしゃべらないようにして、子どもたちの観察に専念するようにしてほしいと思います。
子どもたちの様子を見ていると、下の歯にばかりが意識されているようでした。ワークシートの歯垢の描き込みも、下の歯にだけの子どもが目立ちます。上の歯、下の歯ということを授業者があまり言わなかったことや、説明の図が下の歯だけなのがその理由でしょう。授業者に聞いたところ、上の歯が見にくいのであえて言わなかったということでした。できれば隣の人に助けてもらって、上の歯の様子もきちんと確認させたいところです。
歯磨き終了後、片付けの指示をします。ただ、「片づけなさい」ではなく、「鏡を閉じる」といった具体的な指示を一つひとつずつしていきます。わかりやすい指示でした。
最後に感想を書かせますが、感想はあまり意味がありません。授業を通じて学んだことを書かせることが大切です。授業者は「わかったこと」「難しかったこと」「楽しかったこと」と具体的に説明したのでよいのですが、「わかったこと」や「難しかったこと」は感想と一括りにして扱わずに、「振り返り」とするか、個々の独立した項目とした方がよいと思います。
子どもたちは、しっかりと手を動かしていました。この学級の子どもたちがよく鍛えられていることがわかります。「みんなとってもいいことを書いてくれました」とほめてから発表を求めます。こういうところもなかなかです。
「一生懸命に磨いているのに汚れていてびっくりした」という発表に対して、受容してすぐに次の子どもを指名しました。時間がないことも理由でしょうが、ここは「同じように思った人いる?」とつなぎたいところでした。
「これからは、しっかり磨きたい」という発表に対しては、授業者は拍手を求めました。この後の発表でも「しっかり磨く」ことが言われ、また拍手させました。なぜ最初の子どもには拍手させなかったのか気になります。無意識のうちに「しっかり磨く」という授業者のねらいにそった意見だけに拍手をさせたのかもしれません。子どもたちから自然に出た拍手であればよいのですが、教師の意図を子どもが感じてしまう恐れがあります。このようなことが続くと、子どもは先生の意図にそった意見を言おうとするようになるので注意が必要です。
時間が来ましたが、授業者は挙手してくれた人に対して指名できなかったことを謝りました。最後に一言、「手を挙げてく入れた人、ありがとう」と付け加えました。この言葉に授業者の姿勢がよく表れていると思いました。
課題はありますが、子どもたちに対する姿勢のよさがとても印象に残った授業でした。日ごろ保健室で子どもたちと受容的に接する姿が想像できるようでした。経験年数と比べて授業技術もなかなかのもので、どうやって身につけたのだろうと不思議でした。きっと、機会を見つけては学んでいるのだと思います。授業をする機会をたくさん持つことで、一層伸びる方だと思いました。今後が楽しみです。

特別支援学級は知的障害の学級です。不沈子を使ったおもちゃをつくる授業でした。
子どもをほめることができるのですが、時々否定的な言葉が出ることが気になりました。「○○さん、いいですか?」といった言葉は、注意のニュアンスが強くなります。「○○さん、△△しよう」というような表現の方がよいでしょう。子どもが指示に従ったり、よい行動をしたりすれば、「○○さん、ありがとう」「○○さん、いいね」と笑顔でほめてほしいと思います。
水を入れたペットボトルに、魚の形の醤油さしに色をつけて水を入れた浮沈子が入ったおもちゃをつくります。作業をきちんとステップに分けて指示していきます。
最初は醤油さしにマーカーで好みの色をつけます。机を汚さないためにどうするかをたずねます。「新聞?」と言ってくれた子どもがいます。つぶやきを受けて授業者が説明しますが、ここはきちんと「そうだね、○○さんいいことを言ってくれたね」というように評価してあげたいところでした。
醤油さしを配ってから、塗り方の説明をします。子どもたちは、手元に醤油さしがあるので気になりますが、よく我慢していました。立派です。使いたい色がバッティングした子どもたちがいましたが、年上の子どもが譲ってくれました。授業者はその子どもに「ありがとう」の言葉をかけていました。
塗れた子どもに、「いいねー」と声をかけていますが、片面だけで終わっている子どもが何人もいます。塗り絵の感覚なのでしょう、裏を塗る必要があることに気づけません。立体を塗るというのは、私たちが思う以上に想像しづらいもののようです。授業者は塗ることの指示を言葉だけで行いましたが、実際に実物でやって見せる必要があったようです。
「できたー」と声を上げた子どもに「こちら側もやろう」と返します。せっかく子どもが達成感を持ったのですから、「すごい、きれいにぬれたね。こちら側も同じようにきれいに塗ろう」というように、まずできたことをほめるようにしたいところです。どうやら授業者は、子どものよい行動をほめることはできるのですが、指示に従えたことに対してはほめることをしないようです。指示に対してできたこともほめることを意識するとよいでしょう。
浮沈子の先にはナットがついています。子どもたちに「みんなの魚と何が違う?」とたずねます。「色!」という答に対して「色以外で」と返します。ここも注意をしたいところです。授業者の求める答とは異なりますが、色もたしかに違っているところです。「そうだね。色が違うね」と認めてから、次の答を求めればいいのです。
続いて、ナットを配ってから説明をします。細かいステップごとに作業をしては全員で確認するのならよいのですが、説明を聞いてから一度に作業をするのであれば、物は後から配るのが原則です。また、実際にやって見せるのですが、どのくらいナットを回せばいいのかは指示しませんでした。結局、個別にチェックしてもっと回すように指導していました。
醤油さしに、ちょうど水面に浮くギリギリまで水を入れます。具体的にやって見せるのですが、どうやって調整するのかをあまりていねいに教えません。「だから違うって」「そうじゃないです」「○○さん、まだ!」といった否定的な言葉が続きます。この作業は思った以上に難しいようでした。この子どもたちには、沈んだら水を出す、浮きすぎたら水を入れると具体的な指示とどの状態になればいいのかをできるだけわかりやすく伝えることが必要です。全体的に子どもたちへの指示がまだ雑なような気がします。個別に指導すればいいと思っているのかもしれません。確かに人数は少ないので個別指導は可能ですが、それでもできるだけ教師に頼らずに子どもたちが作業できることを目指してほしいと思います。
完成した後、ペットボトルに絵を描いて仕上げますが、このことも含めて、活動の目的や目標がはっきりしません。ただ、指示されておもちゃをつくるだけでなく、魚がいるところがわかるようにペットボトルに絵を描くといった意図を持たせて活動させたいところです。互いの作品を見せ合ったり、発表したりしますがその評価が発表できたことだけなのが残念でした。一人ひとりのよさを認め評価できるような仕掛けを意識してほしいと思います。
授業者はこの子どもたちにとっては、学校の勉強ができることよりも社会にでて生きていける力をつけることが大切だと考えています。とても大切な視点だと思います。指示にきちんと従えることもその一つだと思います。できたことをほめることで、よい行動をうながすとともに、自己有用感や大人に対する信頼感を持たせることを意識してほしいとお願いしました。

2つの授業研究と学校全体に共通している課題について、全員に対してお話しさせていただきました。校長は、毎回私の話をもとに学校として取り組みたいことを選択してまとめ、それを印刷して先生方に配られます。私の話の中から学校経営にとって必要と考えることを絞っていただけることはとてもありがたいことです。私のアドバイスの実効性が増すと思います。次回の訪問時に、どのような変化が起きているかとても楽しみです。

終日、理科の先生方と授業を見る

私立の中高等学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は、理科の先生方と理科の授業を中心に参観しました。教科でまとまって授業を見合うという機会はなかなか持つことができません。まず、そのことをとてもうれしく思いました。日ごろの授業における課題を互いに共有することはきっとよい学びにつながっていくと思います。
理科の授業に限らず、子どもたちがよく集中している場面に出会えました。期末試験も終わったあとで、昨年の同時期は子どもたちのゆるみが目立ったのですが、今年はそのような姿を見ることはあまりありませんでした。子どもたちの姿勢が学習に前向きになっているように思います。
学校全体としても、一方的に先生がしゃべり続ける授業が減ってきているように思います。また、1年生では中学校の基礎の学び直しを各教科で工夫して行っています。こういったことが子どもたちのよい姿を引き出しているように思います。

高校3年生の物理の授業では、子どもたちがよい表情で授業者の話を聞いています。担任の授業だったこともありますが、子どもたちとよい関係ができていると思いました。授業者の問いかけに子どもたちが反応します。ただ、どうしても板書を写すことが優先されてしまいます。ICTを使って子どものノートを提示することや、子ども同士で答の確認をする場面を取り入れるとよいと思います。

高校3年生の生物の授業では、子どもたちの意欲が少し低いように感じました。板書を写す以外の場面で集中力が落ちるのです。絵や動画を使う場面では子どもたちの反応が変わります。こういったものの利用も積極的に行うとよいでしょう。

高校3年生の別の生物の授業では、グループを使っていました。グループにする時の子どもたちの動きが今一つよくないことが気になります。グループでの課題や作業がはっきりしないままにグループをつくると活動に対する期待感が高まらないからです。まず次の活動の指示をしっかりとしてからグループにして、すぐに活動に入れるようにするとよいでしょう。
調べて発表することがゴールになっています。知識を活かす場面が必要です。調べたことを使って何かを解決するような課題にするとよいでしょう。中枢神経系の機能についての学習でしたが、神経系の病気の麻痺症状を与えて、どこの機能が不全なのかを考えるといった課題などでも面白かったかもしれません。
発表の目標、聞く側の目標がはっきりしないことも課題です。子ども自身が「やれた!」と自己評価できるような評価の基準を与えることで、意欲がもっと増すと思います。

高校2年生の化学の時間は、授業者の一連の説明が止まることなく続いていたのが気になりました。決して話が下手なのではないのですが、子どもが理解するための時間、間がないのです。一連の説明をスモールステップに分けて、ポイントごとに子どもたちに確認する必要があります。
もちろん、そういう場面はあるのですが、一人の子どもとのやり取りで終わってしまいます。また、こちらから指名しても子どもは反応してくれないこともあります。子どもの反応をどうやって引き出すか、子ども同士をどうつなぐかが課題です。一つの質問に対して、授業者が正解かどうかの判断をせずに何人にも指名する。同じ考えの人がいないかとつなぐ。子どもの反応が薄い時にはまわりと相談させる。そういった活動を組み込むことで、ぐっと子どもの活性度は上がると思います。説明は上手な方なので、こういったことを意識することで、そのよさが活きてくると思います。

高校1年生の物理の授業では、最初、子どもたちの反応が弱いことが気になりました。子どもにもっと問いかけて、反応を引き出すことを意識するとよいでしょう。問いかけて反応が薄くても、誰かを指名したり、まわりと相談させたりすることで子どもたちの中から動きができます。その様子をポジティブに評価することで、次第に反応してくれるようになります。
実際に、子ども同士で相談する場面では、子どもたちはしっかりとかかわれていました。日ごろから相談することには慣れているようです。その後は、挙手の数がぐっと増えます。よい場面でした。意図的にこういう場面を増やすとよいでしょう。この後、子どもたちの集中はぐっと上がりました。
子どもたちが課題に取り組んでいる時には、「いいじゃん」といった声かけもできます。常に笑顔で子どもたちに接することも意識できています。ほめると同時に、具体的にどこがよいとかも合わせて声をかけるとよいでしょう。また、全員に声かけをできるようにもっと速く回ることを意識してほしいと思います。
できた子どもが手持ちぶさたになっています。次の指示をあらかじめだしておくことも大切です。最後は授業者が説明して答を確認しますが、せっかく子どもたちがしっかりと取り組めているので子ども同士で確認させれば十分だと思います。
答だけを確認していますが、考え方や過程を説明することも必要でしょう。もちろん、全員の答が正解であることを机間指導で確認できているのならその必要はありませんが、もしそうであれば正解の確認は簡単に済ませてもよかったでしょう。できない子どもができるようになる場面をどうつくるかを常に意識してほしいと思います。
力の合成、分解の場面でしたが、なぜそのようなことを考えるのか、またどうしてこのような法則が成り立つのか、それを理解、確認できるような場面が必要だと思います。実験をする時間がなければ、動画などを使ってもよいと思います。理科は、現実(実験)との関係をしっかり押さえたい教科です。

高校1年生の「科学と人間生活」の授業は、子どもたちとの人間関係のよさが感じられるものでした。
授業者は柔らかい表情で子どもたちと接しています。子どもがよくつぶやいてくれます。子どもとの一対一のやり取りは、とても上手くなりました。子どもの言葉をしっかりと受容できます。子どもの発言やつぶやきを他の子どもにつなぐことが次の課題です。取り敢えず「同じことを考えた人いる?」とつないだり、まわりと相談する時間をつくったりするとよいでしょう。
以前はひたすら板書をしながらしゃべることが多かったのですが、落ち着いて板書と話すことがきちんと分かれています。板書の中身も色分けを意識してわかりやすいものになっていました。
栄養についての授業でしたが、子どもが持っているのど飴を借りてその成分を見ながら授業を進めたりと子どもを巻き込む工夫もできていました。しかし、受け身の時間が続くと子どもたちの集中力が切れてしまいます。例えば表を見る時など、ちょっとその場所を指させたり、隣と確認させたりするだけでも違ってきます。
一対一、一対多の関係をつくることができるようになったので、子ども同士をつないだり、子ども同士で行う活動時間を確保したりが次の課題でしょう。確実に進歩しています。上手くできるようになったことを自信にして、つぎの課題に向かってほしいと思います。

中学3年生の授業は、鶏のレバーからDNAを抽出する実験でした。
この実験のゴールがDNAを取り出すことで、4回に分けて行うことを最初に説明します。過程が多い実験なので、子どもたちの動きがバラバラにならないようにしています。子どもたちに見通しを持たせているのも、集中力を失くさせないために大切なことです。
どちらかというと授業規律に苦労をしていた方でしたが、子どもたちに指示が徹底できるまで、笑顔で待てるようになっています。子どもたちの様子がずいぶん落ち着いています。
最初のステップは、レバーをすりつぶすことです。これ自体は1人か2人でできてしまいます。グループの他の子どもはすることがないのでごそごそしてしまいます。また、どこまでやればいいのかのゴールがはっきりしないことも問題でした。時間か、すりつぶす回数を目標に、順番に交代させるとよかったでしょう。交代のタイミングをこちらでコントロールしてもよかったかもしれません。
子どもから、実験の内容について質問が出ました。授業者は他の子どもにどうだったとつなぎます。基本的なことがきちんとできるようになっています。説明や実験の途中で一人ひとりをしっかりと見ることもできていました。
子どもたちにろ紙ではなくガーゼでろ過する理由を質問します。よいことなのですが、子どもたちが判断するための情報がありません。この実験ではDNAがつながって大きな糸状になります。そのことを知らなければ、ガーゼを使う理由は説明できません。最初に情報を与えておくか、ろ紙でなくガーゼを使うと何が異なるのかを聞くとよかったでしょう。
よそ見をして、話を聞く姿勢ができていない子どもがいました。そばにいた子どもが前を向くようにうながします。授業者は笑顔で「ありがとう」という言葉をかけました。この他にも自然に「ありがとう」という言葉が出ていました。子どもたちとよい関係をつくることにつながっていると思います。子どもたちが集中して説明を聞くようになったので、一つひとつの動きが早くなっていました。
最後のDNAの観察については、子どもたちは何を書けばいいのかよくわかっていなかったようです。観察の視点を与えないと苦しいのです。途中で一度発表させて視点を共有してからもう一度観察させるか、あらかじめ視点を与えておく必要があったでしょう。観察中に「先生これでいい?」と質問する子どもがいました。直接相手をしたのですが、「他の人のと比べてごらん」と子ども同士をつなぐような対応をしたいところでした。
全体の発表では、子どもたちは「ゼリー状」「えぐい」と思い思いの表現をします。ここは、理科的な表現かどうかで価値づけしたいところです。「ゼリー状」という表現は客観的によくわかると価値付けしたり、「えぐい」を理科的に表現するとどうなるか問いかけたりするとよかったでしょう。「糸みたいにビョーとなった」という発言に対して、他の子どもに確認をしました。大切なことを共有しようとしているのは立派です。
同じ実験を他の学級でやった時には、分割せずに指示したため上手くいかなったそうです。それをキチンと修正できているのは立派でした。素直な先生です。指摘されたことがすぐにできるようになるわけではありませんが、意識してコツコツと授業を積み重ねてきたことがわかります。今後、確実に力をつけてくれることと思います。

今回理科の先生方ほぼ全員と一緒に授業を見合うことができました。皆さん、互いの授業を批判するのではなく、よいところを吸収しよう、課題を自分たちのものとして共有しようという姿勢だったことをとてもうれしく思いました。このような姿勢であれば、それぞれの個性を活かしながらも理科全体としての共通の取り組みが可能になると思います。先生方の授業力の向上が期待できます。個人の授業改善がチームとしての改善に進化しつつあることを感じました。とても充実した1日でした。先生方、ありがとうございました。

授業観を問い直してほしいと感じた授業

中学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。この日は、経験年数は少ないのですが、年齢的には中堅層に属する方の授業アドバイスでした。

2年生の社会科で、脱原発かどうかを考えさせる授業でした。
授業者は緊張していたのか、しゃべりが早く一方的です。授業も基本的に子どもたちとの一問一答で進んでいきます。子どもたちの視線が集まっていないのにしゃべり始めるので、集中しません。この日の授業は子どもたちに、「すべて廃止」「減らすべき」「現状維持」「増やすべき」の4つの立場に分かれてグループで考えさせようというものでした。
前時までに、個々の立場は決まっているので、同じ意見の者を一つのグループにしています。グループになってからこの日の課題「それぞれの立場で説得力のあるキャッチコピーを考える」を「トイレなきマンション」といった有名なものを示しながら説明します。ここに結構な時間を使います。子どもたちはグループになった瞬間は意欲が高まったのですが、また下がっていきます。授業者は説得力のあるキャッチコピーとはどういうものか、またどうすればつくれるのかと言った手段は何も伝えません。ただ、自分がその立場になった理由を付箋紙に書いて模造紙に貼り、それを整理するという作業の指示だけです。キャッチコピーとの関係はわかりません。根拠を持って議論することのできない課題を与えて、しかもグループで一つにまとめるとなると、テンションが上がるか、何も出てこずにムダ話が始まるかのどちらかです。
子どもたちの中には前時までに自分の考えの根拠となる資料を持っている者もいますが、それだけをもとに話を進めても意味はありません。資料を互いに共有して考えることが必要ですが、同じ考えのグループ内で共有するだけでした。
活動の途中にとにかく授業者がよくしゃべります。子どもたちはほとんど聞いてはいません。ムダ話が増えテンションばかりが上がります。グループの話し合いに授業者が参加して、自分の考えを言っています。グループにする意味がありません。
途中で「後10分」と時間を区切ります。子どもたちはいきなり時間を切られて、当惑します。全く進んでないグループ、ほぼ終わっているグループ、どちらもテンションがおかしくなります。進んでないグループの中には、誰かが決めてくれればいいという態度の者がかなりいます。中にはプリントを裏返して、明後日の方を向いている子どももいます。子ども同士がかかわれません。ほぼ終わっているグループは、何もすることがないので雑談が増えます。目標や手段が明確でない活動は、このような状態になってしまうのです。
発表時間になっても、まだつくれないグループがいくつかあります。しかたがないので、作業を続けさせながら、できたグループの発表です。これでは、全体で発表する意味がありません。何を目的とした活動かが完全に忘れ去れています。互いの考えを聞くことではなく、発表そのものが目的のようです。それとも、授業者に評価してもらうことが目的なのでしょうか。
遅れているグループで、「やっと完成した」という声が上がりました。その言葉を発したのが積極的に参加せず、雑談しながら傍観していた子どもでした。人間関係を悪くするグループ活動の典型でした。
結局、目標も評価する基準も、キャッチコピーの根拠となる事実も何もはっきりしません。子どもたちが何を考えたか、よくわからない授業でした。

授業者に、「子どもたちは考えたと思いますか?」と質問しました。グループ活動で何かを考えたはずだと答えが返ってきます。何かとは、何なのでしょうか?キャッチコピーをつくったのですから、確かに何かを考えたのかもしれません。それは、社会科として意味のあることだったのでしょうか。子どもたちの何を高めたのでしょうか。授業における、向上的な変容を求めているのか、いささか疑問に感じました。
授業者は以前からしゃべりすぎを指摘されていたので、それで今回はグループ活動にしたようです。授業の考え方が根本的にずれてしまっています。
厳しいようですが、子どもたちにどのような力をつけたいのか、子どもたちのどのような姿を見たいのかという「授業観」を自身に問い直してほしいと思います。細かい授業技術は、意識して訓練すればある程度はすぐに身につきます。しかし、根本的な授業に対する姿勢や考え方は、傍から言って変わるものでありません。この方にとって今は、このことに対して真摯に向き合うべき時なのだと思います。

福山憲市先生から学ぶ

本年度第3回教師力アップセミナーは、山口県の福山憲市先生の「20代からの教師修業 出会いと挑戦」と題した講演でした。福山先生は「ふくの会」という勉強会を30年以上続けられていることでも有名ですが、130名の学年で算数の平均点が90点以上といった授業力や学級経営に定評のある方です。

お会いしてまず感じたのが、笑顔でした。この日ずっと笑顔が消えることがありませんでした。これは意識し続けなければできないことです。この一点だけでも、すばらしい先生であることは間違いないと確信できます。

「出会い」を大切にされています。言葉でそのことを説明するのではなく、実際の活動を通じて上手に伝えられます。会場の参加者同士で挨拶をさせますが、握手をしたかどうかを確認します。握手をして触れ合うことの大切さを伝えて、今度は移動してより多くの人と握手をするように指示します。その後、握手した人の名前を憶えているかをたずねます。憶えていない人が普通ですが、それでは出会いを大切にしていないとお話しされます。この一連の活動から、福山先生の姿勢や授業スタイルが見えてきます。伝えたいことをスモールステップに分割し、実際に活動をすることを通じて気づかせるというスタイルは授業でもとても有効だと感じました。また、福山先生は、指示が具体的でとても明確です。わかりやすくゴールも設定します。何より、よくほめます。授業力に定評のある方は、こういう基本的なことを絶対に外しません。

自身が先輩から学んだことをその時の話を交えて伝えていただきます。自信の至らなさをもとに伝えるところに、若い先生に成長してほしいという思いを感じます。よき先輩との出会いと、よき先輩になろうとすることの大切さを改めて感じました。

子どものちょっとした疑問も大切にされています。そういうものだと私たちがあたりまえのこととして疑問を感じないことも、子どもたちの目には不思議に映ります。子どもたちの「童心」と「同心」になり、いい質問をしてくれてありがとうの言葉をかけ、知らないから調べて学ぶことで「動心」し、子どもたちに「憧心」を持ってもらう。「童心→同心→動心→憧心」こんなお話に、子どもたちの側に寄り添う福山先生の姿勢を感じます。

障害児学級での経験で、子どもたちのやる気を引き出すための基本的な考えを教えてくださいます。その時間の一連の活動を事前に伝え見通しを持たせる。一つひとつの活動時間を短く区切り、名残惜しい気持ちにさせる。そして、何より子どもをほめることです。どんな些細なことでもいいので、ほめることは子どものやる気につながります。この考えには私も大きく共感します。

福山先生の講演は参加者にたくさん質問をされます。参加された方がいっぱい考えて頭がつかれたと言っていたのが印象的でした。よい授業を聞いた時の子どもの感想と同じです。福山先生の授業の本質を表わした感想なのかもしれません。子どもたちの平均点が高かったとことの秘密はそんなところにもあるのかもしれません。

以前からお会いしたかった福山先生にお会いでき、とても多くのことを学ぶことができました。このような出会いに感謝です。

新しい英語の授業スタイルが学校に生まれてくる予感

中学校で授業アドバイスを行ってきました。期末試験も終わったあとで、子どもたちの状態がちょっと気になる時期でした。

3年生は、前回は教室を注意して見ることで学習に対して意欲を失くしかけている子どもに気づいたのですが、今回はより目立つようになってきたように感じます。それなりに努力したことが期末試験の結果に現れなかったことが原因かもしれません。3年生は、夏休みの部活動の大会の終了後受験勉強が本格化しますが、夏休み中は担任が直接かかわることが難しくなります。夏休み前に、子どもたち一人ひとりとしっかり向き合い、状況を把握しておくことが必要です。夏休み中でも、必要な子どもにはタイミングを見計らって接触することも考えておく必要があるでしょう。
2年生は前回と比べて大きな変化は感じませんでした。子どもたちはとてもよい姿を見せてくれる時とそうでない時の差があります。しかし、このことを意識して子どもたちを集中させようとしている先生方が増えているように感じます。学年として共通の意識が持てているように感じます。
1年生は前回と比べて落ち着いてきています。授業規律が緩みかけた時期もあったようでしたが、よい方向に向かっていると思います。ベテランの先生方と若手が上手く噛みあっているのでしょう。これからも学年のチーム力を意識して、課題を乗り越えていってほしいと思います。

この日見た授業で気になることがいくつかありました。
初任者が試験の返却後に「テスト心得十訓」として国語のテスト対策の話をしていました。時間配分に気をつけるといった、要は点の取り方です。3年生の受験直前であればこういったことを話すことも理解できるのですが、今はまだその時期ではありません。3年生だけでなく、1年生にも同じ話をしていたことは何をかいわんやです。小手先のことではなく、基本となる国語の力をつけることを大切にしてほしいと思います。授業者の説明を冷めた目で無視していた子どもの姿が印象的でした。
本人と話をしたところ、中高一貫校の出身で中学校から大学受験対策的な授業を受けていたようです。一問一答の問題の解き方を教える授業です。そのため、子どもがじっくりと文章と向き合い、読み取り、考える授業のイメージが全くないようです。一緒に授業を見ることや、構成を考えることなどが必要だと思います。ある程度イメージができたところで、力のある方の授業を参観できるように手配しようと思います。

3年生の数学は分母の有理化を扱っていました。有理化のやり方を説明するのですが、なぜそのようなことが必要なのかが明確にされていませんでした。分母の有理化で、a+√bの形の数は四則演算で閉じる(根体となる)ことの説明までは必要ないでしょうが、標準的な形で表わすことができる(より簡単な形にできる)ことは押さえておきたいところでした。新しいことを学習する時はできるだけその必然性を伝えるようにしてほしいと思います。

英語科は”situation”を意識した授業が増えています。
3年生の現在完了の授業では、同じ天気が続く状況を使って継続を表わす表現を理解させようとしていました。こういった工夫が学年、授業者を問わず見ることができます。まだまだ試行錯誤が続いていますが、英語科全体に授業改善へのエネルギーを感じることができます。この日の英語の授業研究でもそのことを強く感じました。

英語の授業研究は3年生の現在完了の単元の導入の場面でした。
授業者は今年初めてこの学年の子どもたちを受け持ちました。しかし、この日の授業ではそんなことを微塵も感じさせませんでした。子どもたちはよい表情で安心して授業に取り組んでいます。テンポがよく、子どもたちの活動量の多い授業です。子どもたちだけで活動している時も授業者は笑顔でしっかりと子どもたちの取り組む様子を見ています。子どもたちとよい関係がつくれている理由の一つがこういった授業者の姿勢にあると思います。
最初に、この単元のテキストをいきなりCDで聞かせます。ペアで聞き取れたことを確認しますが、ほとんど聞き取れないようです。しかし、それでいいと言ってすぐに次の活動に移ります。子どもたちも気にした様子はなく、すぐに気持ちを切り替えます。なぜこのような活動が最初にあるのかちょっと疑問に思いました。その疑問は最後に解けました。
基本文とその日本語の意味が書いてあるプリントをもとに授業は進みます。一語ずつ全体で読む、ペアで読む。句ごと、1文ごとと何度も形を変えて練習します。ペアで一方が先生役になって出題したり、日本語に対して英語を言ったりと基本文を徹底的に練習します。最後には全部を暗唱できるようにします。子どもたちは集中し、スムーズに活動します。
仕上げとして、最初に聞いた本文のCDをもう一度聞きます。子どもたちは最初と違って今度はかなり聞き取れます。なるほど、最初に利かせた意味がわかりました。本文そのものではありませんが、理解するために必要な基本文を徹底的に練習することで、最初は全くわからなかった英文が聞き取れるようになるのです。子どもたちは、いつもこの形で授業が進むので、最初は聞き取れなくても最後はかなり聞き取れるようになることがわかっています。最後に、この日の自分の成長を実感できることを知っているので意欲が続くのです。ワンパターンであるが故の強みです。授業者が何年もかけて工夫してきたものがこの授業には濃縮されていました。理にかなった構成です。
子どもに基本文を定着させるために、個人、ペア、時にはグループと形を変え、スモールステップで飽きさせずに練習を続けます。人とかかわり合うことで自然に評価もされます。もちろん全体での練習でも、授業者は子どもを適宜評価しています。最初はうまくできなくても、頑張って続けていけば最後は必ず達成感を得られるようになっているのです。同じことを、手を変え、品を変えやり続けるというのは、技能系の教科では、基本的な授業法の一つです。このやり方を自分のものとして消化していました。
多くの英語の授業では、教科書の本文に出てくる文を使って新しい文法や例文を学びますが、そうではなく、事前に学習したことを使って本文でその成果を試すという発想です。このやり方だと、自力で理解したという気持ちになるので達成感が高いのです。
ただ、授業全体が決まった文を読むことと、覚えてくりかえし話すことを中心に構成されています。言葉の理解が日本語の訳に頼っています。ここに、日本語ではなく”situation”から英語を理解し、”situation”を英語で表現しようとする活動を上手く付け加えることでより使える英語を習得させることができるようになると思います。授業者自身もそのことを課題として理解しています。これからどのような授業に変わっていくのか楽しみです。

英語科による授業検討会は、単にこの授業がどうだったかを話し合うのではなく、どのようにして子どもたちがこのように活動できるようになったのかを聞いたり、自分の授業で困っていることや悩んでいることを相談したりと、参加者がこの授業と検討会を通じて自分の授業を改善しようとする意欲を感じるものでした。英語科の先生は自分のやり方にこだわる方が多いのですが、この学校の先生方は積極的に他者から学ぼうします。もちろん自分自身でも工夫をします。それを共有しようとしていることはとても素晴らしいと思いました。今後、この学校に新しい英語の授業スタイルが生まれてくることを予感させる授業研究でした。
でした。

道徳の授業で子どもの心に迫る難しさを感じる

前回の日記の続きです。

研究授業は2年生の道徳でした。主人公が年上の子どもに勇気を出して注意をする話をもとに、よいことを進んで行おうとする心情を養う授業です。
授業者は少し緊張気味でしたが、よい表情で子どもたちと接しています。授業者はあえて資料を印刷したり、範読したりしません。自分の言葉で話します。状況がわかりやすいように絵や、言葉を印刷したものを黒板に貼りながら進めていきます。資料の内容把握の時間を省略するためには面白い工夫だと思います。
主人公の気持ちを問う場面で、指名した子どもの発言をすぐに板書して「他には?」と聞きます。気になったのは、発言によっては板書しないものがあったことです。その場で板書したりしなかったりがあると、板書されなかった子どもは自分の発言が教師の求めたものではなかったと感じます。その場で板書するのなら、すべて書くようにするべきです。意図的に選択したいのであれば、一通り発言させた後、「全部は書けないけれど」として、「こんな意見が出てきていたね」とすると、子どもの感じ方は変わると思います。
一問一答になっていて子どもの考えをつながないので、挙手しない子どもは参加できません。「似た考えの人いるかな?」と手が挙がらない子どもも参加できるような工夫が必要です。
資料を読まずに状況が客観的に話されるので、子どもたちが主人公に思い入れできていないように感じました。時には、「主人公はみんなが言ってくれたように、○○、△△、・・・といった気持ちだったんだね。それなのに××したんだ」というように、子どもに迫るような話し方も必要になります。
授業者は、主人公が○○した理由といったことよく問います。これは一つ間違えると読み取りになってしまいます。客観的な答を求めることになるような聞き方や活動はひかえた方がよいでしょう。自分に引き付けて考えさせることが大切です。
ペア活動の前に、ペアで意見を聞くことは「勉強」と言います。こういう言い方も、答を求めることにつながってしまいます。「勉強」という言葉は道徳ではあまり使いたくはありません。また、ペアでの聞き合いの時に机が離れたままでした。机をしっかりとつけさせてから始めるとよかったでしょう。
主人公が年上の子どもに「危ないから遊んではダメ」と言えた理由を「心が成長している」と答えた子どもがいました。「心が成長した」というのは抽象的な表現です。まずは、本人にどういうことか説明を求めたいところですが、そのまま次に進めていきます。「強い」とい言葉に子どもたちは反応しますが、授業者は発言者だけを見ているのでその反応を拾うことができません。「心が成長」がポイントだと子どもたち伝えます。これでは、ここに気をつければ答が見つかると言っているようなものです。子どもたちは授業者の求める答探しを始めてしまいます。子どもたちはどういうことを求められているのかがわかったので、揺れることがなくなったようです。「主人公は心が強いから」といった、他人事の答がでてきます。また、子どもたちから友だちの意見に対して「賛成」という言葉が出てきます。これも客観的に判断している場合に出やすい言葉です。注意したいところです。
この読み物では、主人公が勇気を出して注意をしたことに対して、年上の子どもたちが言うことを聞いてくれました。そこで、主人公が笑顔になったのですが、その理由を聞きます。授業者の意図は、素直に人の意見を聞くことの大切さに気づかせたいのですが、主人公に焦点を当ててはなかなか出てきません。「いいことをした」といった答が続きます。ここは、言うことを聞いてくれたという結果を伝える前に、注意された時の年上の子どもたちの気持ちを聞くとよかったでしょう。「生意気だ」といったネガティブな気持ちや「そうだな」という素直な気持ちが子どもたちから出されることが大切です。
授業者は子どもから期待した意見が出ると、「とってもいいことを言ってくれた」と評価します。道徳では、授業者ではなくできるだけ子どもに評価させたいところです。そうでないと、授業者の求める道徳観を表面的になぞった意見ばかりが出てしまいます。結局、最後は授業者が「主人公の勇気と・・・」とまとめてしまいました。
子どもたちに迫るのであれば、「あなたなら、年上の子どもに注意するか?」と問いかけ、この結論を聞いた後、「もし、同じような場面に出会ったら、今度はどうするか?」と聞くと面白いでしょう。子どもの考えが変化したらその理由を問うのです。その上で、「もし、年上の子どもが言うことを聞いてくれなかったらどう?」と揺さぶるのです。子どもが揺れれば、「聞いてもらえなかったら、めげるよね」と認めて、素直に人の意見を聞き入れることが相手の心に影響することにつなげていくとよいでしょう。1時限という短い時間でここまでできるかはわかりませんが、子どもたちの気持ちにどう迫るかを意識したいところです。

道徳の授業で、子どもたちの心に迫り、耕すことの難しさを考えさせてくれる授業でした。基本的に授業者と子どもたちとの関係がよく、いろいろと工夫をしてくれていたので、道徳の授業の発問や進め方に焦点を当てて考えることができました。私を含め、参観された方にとって学びの多い授業だったと思います。よい学びをさせていただいたことに感謝です。

それぞれの課題が見える

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。

2年生担任の初任者の授業は国語でした。
授業規律がまだしっかとできていません。緊張して余裕がなかったのか、頭が左右に動かず子どもたちの顔をしっかり見ることができていませんでした。授業は一問一答で進んでいきます。挙手が数人でも指名して、すぐに板書します。板書しながら黒板に向いてしゃべっている場面も目にします。
まずは、子どもたち一人ひとりを見ることから始めてほしいと思います。今、この場面で子どもたちにどういう状態になってほしいかを意識し、実際の姿との差を埋めることを考えるのです。子どもたちの様子が見えるようになれば、指示が通っているかどうかもわかります。指示が徹底できるまで待つことで、授業規律もできてきます。授業者は自分の授業をよくしたいという意欲があります。一つずつできることを増やしてほしいと思います。

5年生担任の初任者の授業は道徳で、男女の協力を考えるものでした。
「男女が助け合い協力するにはどんな気持ちが大切だろう」というめあてが書かれています。子どもたちがこれを見てしまうと、授業者が求めている答を想像してしまいます。自分の素直な考えは出しにくくなります。
範読をしますが、そのあと場面の確認を子どもに質問します。読み取り自体が目的ではないので、できるだけ時間をかけずに子どもたちに資料の中身を理解させる工夫が必要です。子どもに対して笑顔を見せることができるのですが、まだまだ少ないように思います。常に笑顔を意識できるとよいでしょう。
隣同士話し合うように指示しますが、あまり上手くかかわれません。理由はいくつか考えられます。子ども同士の関係があまりよくない可能性もありますが、「話し合う」という言葉には、客観的な答を合意するというニュアンスがあるため、子どもがつくろった答を言おうとするので言葉が出にくくなっている可能性もあります。思ったことを「聞き合う」という表現で指示するとよかったかもしれません。
子どもの発言に対してつなぐことをしません。何人かの発言で、「みんな」とまとめてしまいます。子どもが友だちの考えを共有することなく、進んでしまいます。子どもたち自身の気持ちに迫っていないので、どうしても他人事になってしまい友だちの話を聞いていない子どもが目立ちます。また、「本当にそう思ったのかな?」というように、どうしても自分のねらっている答に誘導しようとしています。このことも、子どもが集中して参加しない要因だと思います。子どもたちは、授業者に注意をされない範囲で手を抜いているように感じました。
男の子が気持ちと裏腹にきつい言葉を女の子に言ってしまい、関係が悪くなりますが、それでも、運動会で女の子が男の子を評価する言葉をかけてくれて、男の子の気持ちが変わっていくという資料でした。授業者は主人公の男の子の気持ちにそって進めていきましたが、ここは、関係が悪くなったのによい言葉をかけた女の子の気持ちに焦点を当てると、授業者のねらいに近づけたのではないかと思います。
最後にまとめの話をするのですが、子どもたちの視線が授業者に向いていなかったのが残念でした。子どもとの関係がまだきちんとできていないように思います。子どもを受容し認め、ほめることをもっと意識してほしいと思います。

6年生の授業は形声文字の学習の場面でした。
授業者は、指示が上手です。ワークシートを配る前に何をするかを確認することや、子どもたち一人ひとりをよく見て指示したことが徹底できているか確認することができています。子どもを受容することもできています。子どもたちは落ち着いて授業に参加していました。
発言中に混乱してうまく言えなかった子どもがいました。それに対して、「お助けしてあげて」「代わりに説明して」と他の子どもに発言を求めました。こういった言葉ですと、助けられる子どもはダメだったと否定的な気持ちになります。「○○さんの言いたかったことわかる人いる?」と混乱した子どもの発言を活かすことを考えるとよいでしょう。代わりに説明してくれたら、「○○さん、あなたの言いたいことはそれでよかった?」と本人に確認して、「○○さんの言いたいことよくわかったね」「わかってもらえてよかったね」と声をかけるのです。
漢字の読みには音と訓があったことを復習しますが、その定義はきちんと確認しませんでした。漢字は中国で作られたもの(国字は例外)で、その成り立ちを考える時に音が中国語であることが重要な視点になります。このことが、形声文字の成り立ちを理解することにつながります。きちんと押さえたかったところです。
ワークシートの問題は同音の漢字を穴に入れて正しい文をつくるものです。漢字辞典を使って作業します。授業者は作業中に音訓索引の使い方を説明しますが、漢字事典を使う前に確認するべきだったでしょう。せっかく漢字事典を使うのなら、一つひとつの漢字の持つ意味や、漢字辞典の記号の意味なども確認したいところです。これらの漢字すべてに「形声」という記号がついていることに気づいてくれたかもしれません。

6年生のもう一つの授業は、社会科でした。信長が勢力を伸ばした理由を考える場面でした。
授業者は子どもと目がよく合っています。板書中も笑顔を絶やしません。板書をしても子どもたちはすぐには写しません。指示がなければ話を聞くことを優先しているようです。授業規律がしっかりとしています。子どもたちの挙手が多いことも印象的でした。安心感のある学級がつくれています。
どの資料を根拠にしているかを意識させて考えさせています。社会科では大切なことです。5人のグループだったのですが、どうしても一部の子どもだけで話してしまいます。4人グループを使うようにしてほしいと思います。
子どもからいろいろと意見が出ますが、それをすぐに板書します。時間があまりなかったのかもしれませんが、同じ意見をつないでから、板書するようにしたいところです。まとめも授業者がするのではなく子どもにさせ、必要であれば子どもの言葉をそのまま板書するとよいでしょう。子どもから言葉が出てくる学級ですので、できるだけ子どもの言葉で授業を進めることを意識するととてもよくなると思います。

4年生は理科の電気自動車の実験でした。電気自動車を走らせるので、机や椅子のない集会室での授業でした。
子どもたちは床に座った状態で、しっかりと顔を上げよい表情で授業者の顔を見ています。授業規律がしっかりしていて雰囲気のよい学級です。
回路図の記号の復習では最初一人だけ手が挙がりませんでしたが、スイッチの時には全員の手が挙がりました。指名された子どもが答えると、「賛成です」と声が上がります。これだけ手が挙がるのですから一人だけ指名するのはもったいない気がします。全員を動かしたいところです。挙手に頼らず、何人もテンポよく指名したり、まわりと確認をさせたりしてもよかったと思います。また、なかなか指名されなくてがっかりする子どもがいましたが、授業者は声をかけてちゃんとその子どものことを見ていることを伝えています。子どもたち一人ひとりを大切にしていることがよくわかります。
電池の直列、並列のつなぎ方を確認した時、「2個つなぐ」と言葉足らずの発言がありました。授業者はそれを受けて答を書いたのですが、ここはわざと間違えたつなぎ方をして、子どもに言葉を足させたいところでした。
電池1個の電気自動車では坂を登れないことを実演してみせて、坂を登れるようにするためにはどのような回路にする必要があるかを考えさせます。ここでは、この課題のスモールステップを意識してほしいと思いました。直列、並列のどちらのつなぎ方をしなければいけないかを考える。その上でそれを回路図にする。2つのステップがあります。まず直列であることを確認してから回路図を書かせたいところでした。ここで、ホワイトボードに書かれていた直列、並列のつなぎ方の回路図が消されていました。できれば、わからない子どものヒントとして残しておきたいところでした。
回路図の確認をしたのち、実際に電気自動車を組み立てます。子どもたちが戸惑っていたのは、回路以前の車軸とモーターをどうつなぐかでした。ここを子どもたちに思考錯誤させるのも面白いのですが、ここで時間を取られると作業の進み方の差が大きくなります。最初にここまでの説明をして作業を区切るか、途中でいったん作業を止めて全体で確認をするとよかったと思います。早くできた子どもは、走らせたくてしょうがありません。最初は確認のためにちょっと動かしただけでしたが、次第に勝手に走らせる子どもが増えてきます。教室を分割して、できた子どもをそこに移動させる。グループで作業をさせ全員ができれば、坂に挑戦する。こういったやり方もあると思います。ただ、グループにした時は早くやりたいために、頼まれないのに教えてしまう子どもが出てくる可能性があります。このことには注意が必要です。
支援が必要な子どももいるのですが、そばにいた子どもが助けていました。グループにはしていませんでしたが、他にも子ども同士で聞き合っている場面を目にします。子どもたちの関係がよいことがよくわかります。
自動車のデザインは、前後が今一つはっきりしないものです。そのため、後ろ向きに走っていても子どもは気づきません。電池の向きを意識させないためにそのようなデザインになっているのかもしれませんが、車の前後を確認しておいて、「前に進む」という条件をつけて、電池の極性とモーターの回転の関係を意識させてもよかったかもしれません。
授業の後半は、電気自動車をつくることにほとんどの時間がとられてしまいました。回路図は同じでも、実際のつなぎ方はいろいろあります。電池を入れないで、互いの配線を見てこれで上手くいくかを確認させる。電池はどう入れるといいかを指摘し合う。こういった活動があってもよかったかもしれません。
子ども同士がかかわることができるよい学級がつくれているので、かかわることで考えが深まるような授業に挑戦してほしいと思います。

先生方一人ひとりの経験に応じた課題が見えてきたと思います。それぞれの課題を意識して、授業を工夫してほしいと思います。
指定研究授業については、次回の日記で。

授業深堀りセミナー募集開始

授業と学び研究所主催の「授業深掘りセミナー」が本年度3回開催されます。
毎回講師陣の「模擬授業」とその解説を通じて、「教材研究」や「授業技術」を深く学ぼうというセミナーです。
各回30名と少数ですので、興味のある方はこちらからお早目に申し込みください。

子どもをつなぐことが課題の授業(長文)

昨日の日記の続きです。

3年生の授業は「わたしたちの市のようす」でした。この市は、北側、中部、南側で様子が違いますが、この日は南側の様子を考える場面でした。
これまでに学習したことを確認します。全体への問いかけに対して子どもが反応してくれます。しかし、それはあくまでも一部ですので、素早く何人かの子どもを指名して確認したいところです。また、指名した子どもとだけやり取りする傾向があります。他の子どもたちにつなぐことも必要です。
ワークシートを配り名前を書くように指示します。書けた子どもが「書けました」と声を出します。このような単純作業では、声を出させることでまわりへプレッシャーをかけて素早い行動をうながすことは悪いことではありません。しかし、問題を解く時などは、わからない子どもが苦しくなるので注意が必要です。授業者は「早いね」「いいね」と声をかけますが、できれば「○○さん、早いね」と固有名詞でほめたいところです。
一人なかなか授業に参加できない子どもがいました。次に同じような場面でその子が一番に「書けました」とうれしそうに声を上げました。先ほど早く書けた子どもがほめられたのを見て自分もほめられたいと思ったのでしょう。この子どもを授業に引き込むチャンスだったのですが、授業者は無視してしまいました。せめて目を合わせて笑顔を見せるだけでも違ったと思います。残念な場面でした。
子どもたちに土地利用図を見て気づいたことをワークシートに書かせます。作業中にこれまでに気づいたことを思い出して考えさせようと話しかけます。作業中に話しても子どもの耳には届きません。最初の復習の場面で、気づいたことではなく、何に注目して気づいたのか、その視点を全員で共有しておくことが必要でした。授業者は子どもたちから求める答えが出てくることに意識が行っています。そうではなく、気づける力をどのようにしてつけるかにエネルギーを使う必要があります。
子どもたちに気づいたことをたずねますが、挙手が少ないのが気になります。書けているのに、手を挙げない理由はなんでしょう。気づいたことであれば正解かどうかは本来関係ありません。しかし、授業者が期待する答を言わなければいけないという思いがあるのかもしれません。発表しても評価されないから積極的に発表する意味がないのかもしれません。必要なことは先生が板書するので、参加しなくても困らないのかもしれません。子どもが発表しやすい、発表してよかったと思える状況をつくる必要があります。「どんなことを書いたか聞かせてくれる」と言いやすい問いかけをする。発表に対して「なるほど、○○と考えたんだね。同じように考えた人いるかな?」と発言を受容し、他の子どもとつなぎ、認められる場面をつくる。すぐに板書はせずに、必要であれば、あとで聞いていた子どもたちに言わせてそのまま書く。このようなことを意識して行うとよいでしょう。
一人の子どもが「他と比べて・・・」と比較する視点で発表をしました。社会科の資料を見るとてもよい視点ですが、授業者はスルーしてしまいました。ここはきちんと価値づけをして全員に共有したいところでした。
発表をさせても、根拠となることを資料で確認する場面がありません。結論だけが次々発表されます。結局一部の子どもの発言だけで授業が進みます。
南部に大きな工場が多いことをグループで考えさせます。物流といったことを子どもたちはまだ学習していません。そのことに気づくための材料が不足しています。地図を見ながらすぐそばに高速道路があることや大きな船が泊まっていること、海岸線が直線であることなどを先に押さえておきたいところでした。
子どもたちが手詰まりになっていたところで、校外学習で見学した埠頭のことをヒントとして出し、その時の写真を配りました。ヒントが出たので、子どもたちはそのことだけに注目します。その時見た飛行機の話をしたりと、地理的な条件が意識から消えてしまいました。
子どもたちの発表からは、製造・加工するための材料がいることや、土地の価格の問題が出てきますが、この知識は最初の土地利用図から直接わかることではありません。知識ですので、ていねいに全体で共有する必要があります。しかし、ここでも一部の子どもとのやり取りだけで進んでいきました。最後は、授業者が解説してまとめます。この時間の結論は授業者が用意したまとめの文で、それを穴埋めして終わりました。結局それを覚えればいいのかと子どもは思ってしまいます。結論を教えることよりも、根拠や考え方をきちんと身につけることの方が大切なのです。子どもたちの活動が社会科の力とどう結びついたのかがよくわからないままに終わりました。
授業者は子どもと1対1で受容することができます。子ども同士をつなぎ、全員参加させることが課題です。挙手に頼らない進め方、子ども同士が根拠を持って考え、聞き合う必然性のある課題を考えることが課題です。レベルアップを意識して授業に臨んでほしいと思います。

2年生は国語の授業で、主人公が仲間に教えたことを考える場面でした。
音読を列ごとに役に分けて行います。活動の指示は明確なのですが、目標や評価がはっきりしません。授業者が、列ごとに読み方のよかったところを評価したことはとてもよかったのですが、事前に評価の視点を与えておくともっとよかったでしょう。
主人公のしたこと、言ったことに線を引かせます。子どもの作業速度には差があります。早くできた子どもが手遊びを始めます。次の指示をしておくことが大切です。授業者は机間指導をしているのですが、下を向いたまま移動しています。目の前の子どもしか見ないので、すぐ横で手を挙げている子どもに気づけません。全体を見ることができない机間指導にならないように注意が必要です。机間指導をするなら、移動の時に顔を上げて全体の様子を確認し、できるだけ素早く全員のノートを見ることが大切です。それができる自信がなければ、教室の斜め前方から全体を見ることで支援の必要な子どもを見つけ、その子どもへの対応が終わればまた元の場所に戻って全体を見るようにするといいでしょう。
子どもに発表をさせます。子どもの発言に対して、「つけたし」という声が上がりました。他の賛成の声に紛れたのかもしれませんが、拾うことができませんでした。その子どもの考えを聞きたかったところです。ハンドサインもそうですが、全員の状況を確認して活かすことができないのであれば発言の後に子どもに声を出させるべきではありません。やるからにはきちんと聞き取る、見取ることを意識してほしいと思います。
子どもが友だちの言葉を聞いていないのも気になりました。授業者が板書でまとめてくれることがわかったからかもしれません。同じ所に気づいて線が引けているか、指で確認させるといったことが必要です。結局この場面は数人に発表させて終わりでした。子どもたちが活躍する場面をもう少しつくりたいところでした。
続いてバラバラだった仲間がまとまった理由を問います。主人公が教えて練習したという意見に対して自然な拍手が起こりました。よい場面です。拍手した理由をたずねてそのことを評価したいところです。この場面では、子どもたちが集中して聞いていました。そのことを評価する言葉をかけるとよいでしょう。
よい発言に対して「○○さんがいったことどういうこと?」とつなぎましたが、指名した子どもは答えられません。そこで、もう一度言ってもらいました。今度はしっかり聞いていました。こういったよい対応ができます。しかし、どうしても発表者に視線がいって他の子どもたちの聞いている様子を見ることができません。挙手を中心に進めているので、特に気になります。ペアで答を聞き合うといった活動も取り入れるとよいでしょう。
子どもから「何回も練習して、もっと頑張ろうと言った」という意見が出てきました。本文にはそのような記述がありません。このままでは妄想です。本文のどの表現からそのよう考えたかを子どもに聞くことが必要です。想像することは悪いことではないのですが、その根拠となった記述を問うことが大切です。
次の質問に対して、授業者のねらっている答えが出てきません。「これまでのことを思い出して」「これ以外ないかなー」と何とか引き出そうとします。「前の場面でどうだった?」と問いかけても子どもたちは何を授業者が求めているのだろうという表情です。教師の求める答を考えようとし始めているのです。その中で教科書の前の場面を読んでいる子どもがいました。「○○さん、教科書をもう一度読んでいるね」と評価して、子どもたちを本文に戻すとよかったでしょう。子どもたちが行き詰った時は、本文をもう一度読ませることが大切です。この場面では、誘導するような言葉を使わずに、単純に本文をもう一度読むように指示すればよかったのです。
「本文の○ページの○行目の・・・」と根拠となる部分を明確に示して説明する発言が出ました。授業者はそのことを価値づけしませんでした。これ以外にも子どもたちからよい発言が出ています。よいものを子どもたちに広げることを常に意識して、それらを価値づけしていってほしいと思います。
次第に意見が出始めるのですが、ついていけない子どもが出始めています。一生懸命に参加していても、一部の子どもの意見だけで進むとついていけなくなるのです。せっかく集中していたのですが、緩みだしました。一部でも子どもが動けているのですから、ここはまわりと相談させたりすれば、どの子どもも集中を切らさず参加できたと思います。
ここで、最後の課題です。主人公は仲間にどんなことを教えてくれたのかを考えさせます。
授業者は「みんなの想像でもいい」と言いますが、本文の読み取りですから、ただ「想像」では困ります。しかし、かなりの子どもたちは本文を見ながら書いています。普段の授業では、本文を根拠にして書くように指導されているのでしょう。だからあえて「想像でもいい」といったのかもしれません。ここは「想像」という言葉を使わずに、「主人公が○○をしたから、仲間は○○がわかった」「主人公が○○をしたことから、仲間は○○を教わった」といった形で書くように指示してもよかったかもしれません。
「もっと深いことを教えてくれたんじゃないかなあ」と個別に指導していました。国語の読み取りというよりも、道徳に近くなります。根拠としている本文がよければ、「いいところに気づいているね。それって別の言葉で言うとどういうことかな?」ともう少し考えさせる。根拠がずれていれば、「なるほど、いいね。もっと見つけてくれるかな?」と別の根拠となる本文を探させる。こういった対応も視野に入れるとよいでしょう。
書き終った子への指示がないので、手持ち無沙汰な子どもがいます。また、ただ答を書くだけでは、なんとなく書いて終わってしまいます。この後、ペアで「話し合い」ましたが、子どもたちは目指すものがよくわからないので、互いに自分の書いた文を「読み合って」終わっていました。「なんで?」と理由を聞くことを指示しましたが、ここまで、「想像でもいい」とは言っていますが、「理由」を意識させることはしていません。ここで理由を聞かれても子どもは困ってしまいます。最初に「相手になるほどと納得してもらえる理由を書こう」といった目標を与えておきたいところでした。
全体での発表では、子どもの発言から自分に都合のいいところだけを抜き出していました。時間もなかったのでしょうが、「同じようなことを考えた人?」とつなぎ、考えの同じところを共有することで、自然に授業者のねらうところに収束していったのではないかと思います。とはいえ、子どもの言葉をつなぎながら焦点化するのは難しいことは間違いありません。
この課題であれば、主人公が言ったこと、したことを確認しておいて、仲間たちがその前と後で何が変わったかを本文の記述をもとに対比させるとよかったでしょう。こうすることで、主人公が教えたことを本文の記述をもとに明確にできるはずです。登場人物の事件の前後の変化を対比させることが読み取りの大切な方法です。こういったメタな知識を身につけさせることで、読み取りの力がつくのです。
授業者は明るい表情で子どもたちと接することができます。学級の雰囲気もよかったです。この授業者も、子ども同士をどうつないで考えを深めていくかが次の課題です。個々の子どもとの関係をつくる以上に難しいことですが、挑戦してほしいと思います。

いつも感じることですが、基本的なことができるようになればなるほど、新しくより難しい課題が見えてきます。授業力向上への道のりは長いものです。しかし、毎日の授業に真摯に取り組めば、必ずそれに見合った向上が見られます。焦らず、一歩一歩前へ進んでほしいと思います。

教材研究の大切さを考えさせられた授業(長文)

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。この日は若手を中心に4人の授業アドバイスを行ってきました。

6年生は算数の円の面積を方眼を使って求める場面でした。
前時は円の面積が半径を1辺とする正方形の面積の2倍より大きく4倍よりも小さいことを半径が10cmの円で学習しています。この復習から始めました。指名した子どもの発言を子どもたちはよく聞いています。発言が終わると、「いいと思います」とすぐに反応します。声がよく出ているのでよいように思えますが、よく見ると全員が声を出しているわけではありません。声を出していない子どもが気になります。同じ考えの子どもを何人も指名したり、ペアで確認したりと確認の仕方はいろいろあります。状況に応じて使い分けるようにするとよいでしょう。
授業者は発言をよく聞いています。発言者をよく見て受容しているのですが、他の子どもの聞いている様子を見ることができていません。子どもの反応をよく見て、次の対応を考えることが大切です。
本時のめあて「方眼を使って円のおよその面積を調べよう」を提示します。めあての「方眼を使って」にこだわり、方眼を使うとどんな便利なことがあるかを問いかけます。子どもからは長さがすぐにわかるということしか出てきません。前時の復習で半径を1辺とする正方形で面積を考えています。見ようによっては大きな方眼になっています。教科書は半径10cmの同じ大きさの円で考えているのですから、前時の図と方眼の図を同じ大きさで並べて見せると、方眼の数を数えることで面積がわかることに気づけると思います。
方眼を効率的に数えるにはどうすればいいかを問いかけます。授業者としては1/4で調べればいいことを期待していたのですが、子どもからは円の外側を数えるという意見が出てきます。これはまっとうな意見なのですが、授業者は評価をしません。円の半径を10cmにして、1cmの方眼に描いているのですから、中心から縦6cm、横8cmと縦8cm、横6cmのところを円周が通ります。直交する半径を2辺とし、どちらかを頂点とする長方形をつくると効率的に数えることができます。効率的というとこういったことがイメージされます。授業者の求める答を引き出そうと思うと、「円の中を全部数えなければいけない?」といった問いかけの方がよかったかもしれません。それでも、外側を数えるという意見は出てくると思います。それも活かせばいいのです。好きな方法で数えさせて結果が同じになることを確認すればいいのです。ただ、ワークシートが内部を数えるように作っていたので、困ったのかもしれません。ワークシートは考え方を固定するのでよくない面もあるのです。
結局1/4の図で数を数えることを指示して、「困ったことがあったら質問?」と問いかけますが、子どもからは反応がありません。そのまま作業に入りました。当然ですが、すぐに線がかかっている方眼をどう数えるのかで困ります。手が挙がりだします。そこで授業者は作業を止めて、手を挙げた子どもに困っていることを聞きます。同じように考えた人とつなぎ、課題を共有します。ここをていねいに進めているのはよいことです。しかし、この方眼をどう扱うとよいかと問いかけても答は出てきません。子どもは正確に面積を求めようとします。この部分の面積がわからないからどうしていいのかわからないのです。そこで、一旦円の一部がかかっている方眼を色塗りする作業をさせます。単なる作業にせず、意味を与えたいところでした。「まず、この一部分だけの方眼を区別するために、塗ってみよう」とし、「塗れたら、どう数えたらいいか図を見ながら考えてね」とするとよかったと思います。
ここで問題となるのは、ここまでにめあての「およそ」を一度も押さえていないことです。正確な値を求めることではなく、およその値を求めることを強調するのです。前時では半径を1辺とする正方形の面積の2倍から4倍とまでわかっています。「これだとよくわからないね、もう少し詳しい大きさがわからないだろうか?」として、「およそでいいから、もっと詳しい大きさを調べよう」とめあてを提示するのです。算数的には、「およそ」ともっと「詳しく」がこの時間のポイントになります。「およそ」で線がかかった方眼を半分の大きさとして考えてみる。「詳しく」で方眼をより細かくすれば正確な値に近づきそう。このことが、次の時間の円の面積の公式につながっていき、将来の微積分の学習への布石となるのです。「およそ」を強調して、この方眼をどうしようと問いかければ違った反応が返ったはずです。
指名した子どもが前の図に色を塗ります。同じかを問いかけると、ほんの一部分が欠けているだけの方眼を塗っていない子どもがいることがわかります。この扱いをどうするのかの判断には根拠が必要です。欠けているものを塗るという指示ですから、それからすると間違いです。しかし、塗らなかった子どもには理由があるはずです。それを聞いてあげてほしかったのです。そうすると、「少ししか欠けていないから」といった答が返ってくるはずです。そこで結論を出さずにその方眼を「?」として、方眼をどう数えるかを考えたあとで、その結論をもとにもう一度納得できる扱いを考えるとよかったでしょう。
どのように数えるとよいかを考えます。1つの方眼の面積に含まれないところと、他の方眼で、含まれているところが先ほどと同じくらいのものを合わせて約1cm2とするという意見が出ました。子どもたちはすぐに「いいです」といいます。ここは、「どう、それで上手くやれそう?」と問い返したいところです。実際には上手く組み合わせられない可能性があることに気づかせるのです。授業者は0.5 cm2より大きいか小さいで分けるといった考えから、1つを0.5cm2と考えるということを提示し、先ほどの2つをくっつけるやり方とどちらが簡単か問いかけます。全員が1つを0.5cm2方だと言ってはいないのですが、声が上がったのでそのまま進めました。全員に納得させてから進めたかったところです。
子どもたちの意見をもとに、「少し欠けているものもあれば、ほんの少ししかないものもある。合わせると一つ分になるものが結構あるね」とし、「およその大きさが知りたいから、できるだけ簡単なほうがいいね。どう考えればよさそう?」と「およそ」を強調して、子どもから「2つで1つ」という考えを引き出したいところです。ここで、「先ほどのほんの少し欠けているものも、上手く組み合わせることができそうだね」としておけば、ほんの少し欠けているものも仲間にした方がいいことに納得させることができると思います。
続いて、方眼を数えておよその面積を求めさせます。ここで授業者は面積の単位をつけて計算させます。この後、結論を円の半径を使ってまとめます。子どもたちに相似の概念がはっきりとできていないので、1辺が半径の正方形の面積の何倍としても論理に飛躍があります。ここは、最後まで方眼いくつ分で考えるべきなのです。最後に、方眼1つが1cm2であることを使って面積になおすのです。半径が違う円の面積はどう考えればいいのかを子どもたちに問いかけた時に、同じように分割すれば方眼の数は同じだという考えが出てきます。方眼の長さが円の半径の1/10であることから、半径と面積の関係を導くことができます。
前時の図と今回の図を比べてより詳しくなったことを確認し、もっと詳しく調べるにはどうすればいいのかを考えさせて、次時へつなげて終わりたいところでした。
子どもたちは、授業者との関係もよく、互いによくかかわり合えます。このことを活かしてどう発言をつなげていくかを意識すると授業はよくなると思います。
この日の算数の内容は、単純な作業に見えますが、実はとても大切な概念との出会いです。授業者がそこまで理解できないのは仕方がないのですが、教科書が半径10cmにこだわっている理由や1辺を半径とする正方形の面積を基準にしている意味は考えてほしいと思います。算数は答の出し方を教えるのは簡単ですが、概念や見方・考え方を身につけさせるのはとても難しい教科です。忙しい中、時間をつくるのは大変だとは思いますが、教科書をよく読み込んで、教材研究をていねいにしてほしいと思います。

5年生の社会科は主食である米がどこで作られているのか調べる場面でした。
飼育委員の子どもがなかなか帰ってきません。授業者は待っている間、前時の復習をしています。しばらくして飼育委員が戻ってきました。「飼育委員、お疲れさま」とねぎらいます。どうやら飼っていたうさぎが亡くなったようです。飼育委員の一人はちょっと落ち込んでいるようでしたが、授業者は下手に声をかけずにそっと見守っていました。よい対応だと思います。
この後すぐに授業の本題に移りました。挨拶もせずに待っていたのですから、「ここは全員がそろったから始めよう」と挨拶をしてみんなが待ってくれていたことを飼育委員に伝えたいところです。授業時間の途中で挨拶をすると他の学級の迷惑になると考えたのかもしれませんが、座ったまま姿勢を正して、礼だけでもするとよかったでしょう。
子どもたちが家から持ってきた米袋使って、そこに書かれている産地に注目させます。産地という用語を説明してきちんと言わせます。用語をきちんと教えることは大切なことです。ただ、産地を「お米が作られている場所」としてしまったのが残念でした。お米や農作物に限らず、物品が産出される場所です。農産物以外にも鉱物や工業製品などにも使われることを押さえておきたいところでした。
グループで白地図にそれぞれの米袋の産地をシールで貼ります。その結果を黒板に貼った白地図にグループの代表が貼っていきます。東北、北海道、新潟と愛知県、三重県に集中します。この地図を見て気づいたことをグループの代表に発表させます。授業者は子どもの発言をすぐに板書します。できれば、「同じことに気づいたグループ?」とつないだ後に板書するとよいでしょう。グループの発表は常にその日の代表がします。他の子どもが活躍する場面がありません。代表以外の子どもにもつなぐようにして、できるだけ全員が参加できるようにしてほしいと思います。
子どもたちからは北の方で米がとれるということがでてきます。「この地方の人が北の方で作られた米を食べているから、北の方で米がたくさん取れている」とは結論づけることはできません。愛知が多いこととの関連も考える必要があります。ここでは、「たくさん取れる」はまだ疑問でしかなのです。
「九州地方は取れない」という意見に対して、すぐに「授業者が本当に取れないのかな?」と返します。教師がすぐに返すのではなく、子どもたちに「どう?九州ではお米がとれないのかな?」と問い返すとよいでしょう。あくまでも疑問として残して、後で根拠を持って考えさせるのです。「岐阜や長野は山脈が多いので作っていない」という意見が出ます。間違ってはいますが地理的な根拠を持って意見を言っているので、そのことを評価したいところです。「土地の様子から作ってないのか考えてくれたんだね。こういう理由を言えることはとてもいいね。お米はどんなところでつくれるのかなあ?」と疑問の種も一緒にまいておくとよいでしょう。授業者は「米どころじゃないけど作っている」といった言葉を出します。根拠となる資料を提示せずに子どもに教えることは社会科としては慎むべきです。疑問として列挙するにとどめておくべきでしょう。
授業者は本当に多いか調べようと言って、結果を隠した米の生産量のベスト5の表を提示し、クイズとして子どもたちに問いかけます。調べようとは言っていますが、これでは与えられたものを見ているだけで根拠を持って考えているわけでも調べているわけでもありません。あまり意味のある時間ではありません。米の生産量と作付面積の地図を提示して、ベスト5を白地図に書き込み、グループで共通性を考えさせます。子どもたちは何かを調べたわけではありません。また、自分たちの食べている米の産地から考えた疑問を、資料をもとに解決しているわけではありません。疑問と言えば、「どこで作られているのか?」と「どういうところで作られているのか?」も微妙に違います。何を考えさせるのかがはっきりしないのです。長野県が米の生産高でベスト5に入っていることも触れられませんし、ベスト5をだけを意識するので、九州で米が作られていることの確認もされません。一つひとつの活動が分断されています。
最後に、教科書の「世界で米作りが盛んなところは赤道近くである」ことが書かれた資料を読ませて、どんな条件のところで米作りが盛んかを考えさせます。赤道の近くだから「暖か」という言葉が出ます。この言葉を「暑い」にまで変えたいところです。雨が多いといったことも出てきます。米作りと気候の関係に注目させて、先ほどの日本の米作りと比較したいところでしたが、子どもが疑問を持っているようには見えませんでした。一つひとつの活動を、子どもたちは指示に従って行っているだけで、つなげて考えていないのです。
どういうところで米が作られるのかを考えるのであれば、米袋を使ったところで、何が書いてあるかをたずね、その中に「品種」があることを確認するとよかったでしょう。ベスト5にこだわるのであれば、生産量の資料は昔の物と比較することも必要でしょう。その変化から品種改良が進んだ結果、寒い北の地方で米作りが盛んになったことがわかります。もちろん南の地方でも米をつくることができるのに、なぜそれほどつくられていないのかも疑問に持ってほしいことです。米作りに雨が必要というのであれば、雨温図を比較することも大切です。日本海側では米を作っている時に雨があまり降りませんが、水は大丈夫なのかと考えさせることもできます。地元のお米を食べていることから、流通の問題と地産地消を考えさせることもできます。子どもたちに疑問を持たせて考えさせることはたくさんあります。すべてを授業で扱うことはできませんが、子どもたちの疑問からでた、「知りたい」「考えたい」という意欲を大切にして授業をすすめるようにし、そのための発問や資料を工夫してほしいと思います。
授業者は笑顔で、子どもたち一人ひとりをよく見ています。子どもたちも積極的に「授業に参加しよう」「友だちとかかわろう」としています。だからこそ、教材研究がより大切になります。その上で、教師が用意した決められたレールの上を走らせるのではなく、子どもたちの疑問から出発し、子どもたち一緒に考えることを大切にしてほしいと思います。

この続きは明日の日記で。

子ども同士のかかわりに課題が見つかる(長文)

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。
コの字型の隊形をとっているのですが、教卓が黒板の前に置かれている教室が目立ちました。コの字型は子ども同士が互いを見あうことがしやすいのが特徴です。反面、黒板の前に立つ教師を見る時は、体の向きを変えなければいけない子どもが多くなります。教師はできるだけ、子どもたちに近い位置で話す必要がありますが、教卓があるとじゃまになります。横にずらしておくとよいでしょう。
この日見た授業は、すべて算数でした。

1年生は話から式をつくる場面でした。
授業者は笑顔しっかりつくることができていました。子どもをほめることを意識していますが、一人ほめて終わってしまいます。できるだけ複数をほめるようにしてほしいと思います。
全体に対して質問して、子どもたちが全体で答える形で進んでいきます。一問一答形式で進むために子どもの活動量はどうしても少なくなります。個別に指名することも必要です。じっくり考える場面もないまま時間が過ぎるので子どもたちがだれてきます。1年生であれば、全体での学習場面は5分を目安にするとよいと思います。
指名して子どもが発表すると、「どうですか?」「いいです」で進んでいきます。一問一答の授業と本質的には変わりません。正解を判断するのが教師か、不特定の第三者かの違いです。声で進めれば、小数の反対意見はかき消されます。発表に対して、「同じ考えの人を確認し、発表させる」「違った意見がないかを確認する」といったことが必要です。全員が参加し、納得することを大切にして、ていねいに進めてほしいと思います。
鳩が飛んできて全部で何羽になるかという問題には、足し算の定義で使われた言葉はでてきません。イラストを使って、後から来た鳩を隠して何羽いる、次に後から飛んできたのは何羽と確認して、求めているのはどの数かを明確にします。イラストから、どのような操作であるかを考えて、足し算になることに気づかせます。言葉だけで考えると、どうしても「こういう言葉があるから」といった問題を解くための小手先の方法を教えてしまいがちです。そうではなく、文章に書かれたことから場面を想起させ(ここでイラストが有効になります)、求められているのがどのような操作活動の結果であるかを考えさせるのです。一旦半具象を経由することで、初めてどのような演算になるのかが明確になるのです。抽象と具象の間に半具象(図や数図ブロックなどの操作活動)を入れることで2つがつながっていきます。算数ではこのことを大切にしてほしいと思います。

2年生の授業は10を単位として数の大きさを考える場面でした。
「先生を見てね」と優しく注意を促すことができます。子どもをほめて育てようとしています。足をあげて座っている子どもに「おろそう」と優しく指示します。その子どもはしばらくしてから足をおろしましたが、その時は死角に入っていて授業者は気づきませんでした。できればその瞬間をほめたいところでした。あとで気づいた時に、笑顔でうなずいてもよかったと思います。
子どもがよい行動をとった時には即時評価をすることを意識してほしいと思います。目線を合わせて固有名詞でほめ、続いて同じ行動をとった子どもも必ずほめるようにすることでよい行動が広がっていきます。また、先生を見るように言ってもまだ手元を見ている子どもがいます。子どもをよく見て、全員が指示に従っているかを確認することが大切です。
どうやって考えたか、絵や文をかいて説明するように指示しますが、子どもたちは動けません。具体的にどのようなことをすればよいのか、全体で一度やってみることが必要です。
また、10を24個集めた数がいくつになるかの説明を考えるといっても、子どもたちには具体的なゴールがよくわかりません。隣同士で聞き合っても、評価がよくわからないので子どもたちはただ書いた物を読むだけです。相手に「納得してもらえる」ように、「読まないで、顔を見て話す」といった、目標と具体的な方法を明確にして活動させるようにするとよいでしょう。

3年生の授業は、大きな数の読み方の場面でした。
授業者は明るい表情で、上手に話せる方ですが、子どもたちが落ち着いていないのが気になります。話についてくる子どもはよいのですが、全員ではありません。子どもたちの様子を見ながら、全員が参加することを意識してほしいと思います。
授業が挙手で進むため、一部の子ども、参加する子どもだけとのやり取りで終わってしまいます。子どもたちは指名されることで達成感を味わっているようです。発表そのものに対する友だちの評価がないからです。
子どもの視線は発表者に向かいません。手元だったり、先生だったりします。友だちの発言を聞いてそのことについて問われることがないので、聞く必要がないのです。コの字の隊形で授業していることを活かしたいところです。
数の読み方を間違えた子どもに対して、「違います」という声が上がります。同じ「考え」、違う「考え」という意味での「違います」ならよいのですが、どうもそうではないようです。このように、即時に子どもが声を出すのはちょっと危険です。教師がコントロールする必要があります。こういう場面では、「なるほど」と授業者が受け止めて、「違う答の人いる?」と聞き直すとよいでしょう。違う考えが出ることを評価して、説明を求めます。説明を聞いて間違えた子どもに納得したかどうか確認して、その上で友だちの考えを聞いて修正したことをほめるのです。もちろん説明した人にも、納得してもらえる説明ができたことをほめるのを忘れてはいけません。
子どもは大きな数の読み方を4桁で区切って考えることをまだ知りません。読み方のルールをきちんと知らないので混乱するのは仕方がないのです。ここで、授業者はうまい方法があることを教えます。子どもからよい答が出ると「いいことを言った」とほめてすぐに説明を始めます。授業で使ったカードにも仕掛けがあることを説明します。これでは、子どもたちは先生が求める答探しをするようになってしまいます。また、この読み方のポイントを早く子どもたちに気づかせて、授業時間の後半は練習に当てたいのですが、最後になってしまいました。授業者中心の発想で授業を組み立てると、クライマックスを最後にもっていこうとする傾向が強くなります。子どもの集中力がある前半に大切な場面を持ってくるという発想も大切です。授業者はいつでも自分で説明できますから、そのことを封印して、子どもたちの言葉をつなぎながら、子どもたち自身で気づき、納得する授業をすることを意識していただきたいと思います。意識できればきっとうまくいくと思います。

4年生は、平行、垂直を使って長方形を描く場面でした。
授業者は、子どもたちが自分に注目できるまで待つことができます。TTでの授業でしたが、注意をする代わりに、T2に目配せでフォローをお願いしていました。上手な対応です。
用語の読み方をきちんと全員で言わせることもしています。基本をしっかり押さえようとしています。
長方形の描き方を考える場面で、子どもたちが困っています。子どもに見通しがないからです。必要となる、長方形の定義や性質と垂直・平行を事前に押さえておく必要がありました。授業者はヒントを子どもたちに言います。困っていると授業者がヒントを言うという形が定着すれば、子どもは苦しくなると考えるのを止め、先生がヒントをくれるのを待つようになります。ですから、先生がヒントを言うのはできるだけ避けたいのです。こういう場面では、子どもの「困った」を共有することが大切です。いったん全体を止めて、子どもの困っていることを聞き、全員で共有するのです。そこで、その「困った」ことの解決の見通しを子ども同士で持たせるのです。この場合であれば、どんな性質を使ったか、どんな道具を使うかといったことを子どもに言わせるのです。
先生が教えるのではなく、子どもたちが気づくための活動を意識して組み込むことで授業はぐっとよくなると思います。

5年生は、式と考え方の図を結びつける場面でした。
発表の様子が気になります。聞いている子どもたちは、しっかりと発表者を見ません。発表者も黒板を見て説明します。子ども同士がかかわっていないのです。発表に対して拍手が起こりますが、発表者がうれしそうな顔をしないことも要注意です。発表したことに対して評価されたとは思っていないのです。自分が拍手する時の状態から、それが形式的なものだと知っているのです。どこがよかったかを拍手した子どもに聞くようにする必要があります。子どもたちに対して具体的な評価を求めるのです。そうすることで、発表者も友だちにわかってもらおうとするようになります。また、子どもが評価できるようになるためには、教師が日ごろから子どもの発言をポジティブに評価してなければなりません。
発表が結論を言うだけなのも気になります。結論を聞けば理解できるわけではありません。理解できたからといって自分でできるようになるとも限りません。わからなかった子ども、できなかった子どもが、わかる、できるようになる場面をつくる必要があります。「最初に何を考えた?」「どんなことをやってみた?」という過程を子どもたちに問うことが大切です。
グループ活動の時に、子どもたちが先生を呼びます。自分たちで解決しようとせずに、先生に頼っているのです。先生はできるだけ自分で答えずに子ども同士のかかわりを促すようにすることが大切です。活動が終わっているのに次の課題がなかったので、子どもが時間を持て余しています。グループ活動が息抜きになっているようにも見えます。子どもたちのテンションが高くなっているのも気をつけたいところです。終わったあとの次の活動は常に考えておく必要があります。

6年生は円の面積の公式を導き出す場面でした。
子どもたちは、円を小さな扇形に分割して平行四辺形に近い形をつくります。操作で実感させるのですが、あくまでも感覚です。最後はCGを使った動画で、分割をどんどん細かくしていく様子をみせて納得させましたが、少なくとも、ポイントとなることは子どもたちから出させてから、動画で確認したいところでした。
具体的には、「円の定義から、扇形でつくった平行四辺形もどきの高さは一定になる」「底辺の長さは円周の半分に近いが、それよりは小さい」「平行四辺形のはみ出た部分(両端の扇形の半分)を除けば長方形に近い」「はみ出た部分は、分割を細かくすると小さくなる」「底辺の長さは、分割を細かくすると円周の半分に近くなる」といったことです。
こういった言葉をたくさん出させてから、分割をどんどん細かくするとどうなりそうかを子どもたちに言わせるのです。単に長方形に近くなりそうではなく、自分たちがやった作業をもとに辺の長さまで予想させるのです。そのための時間を取る必要があるので、細かい分割までやる必要はありません。感覚的に理解できる程度に実物で操作した後は、考えさせる時間に当てるとよいでしょう。CGの動画は、子どもから出てきた予想の確認程度よいのです。これを使って説明して納得させようとすると子どもたちがやった活動の意味がなくなってしまいます。あくまでも子どもの考えをもとに公式を導き出したいところでした。

この学校では、子ども同士がかかわり合う授業を意識しています。全体的には、先生と子どもの関係は良好で、先生方が子どもを認めよう、ほめようとする意識があります。基盤ができつつあるので、次のステップに進むことができると思います。しかし、「子ども同士がかかわり合うために、課題はどのようなものであるべきなのか?」「子どもの発言をつなぐためには具体的にどうすればいいのか?」といったことが、まだ先生方の中にストンと落ちていないように思います。先生方がこのことを課題として共有し、互いに相談し、学び合っていただけたらと思います。次回の訪問時にどのような変化が見られるか楽しみです。

初任者にとって基本は難しい?

前回の日記の続きです。

3年生の担任は初任者です。国語のわからない言葉の意味調べの場面でした。
授業者は子どもの発言を「なるほどね」と受け止めることができます。一見受容ができているように見えるのですが、常に同じ対応です。発言に対する評価もありません。マニュアル的に対応しているように感じました。「○○している子はいい」とよい行動をほめることがあるのですが、固有名詞でほめていないので、子どもは自分がほめられたとは思いません。
一部の挙手をする子どもとの間だけで授業が進んでいきます。同じ子どもが何度も指名されるのが気になります。
落ち着かない子どもが一人います。隣の子どもが「静かにして!」と何度も注意をします。他にも、子どもが他の子どもを注意する場面がありました。気になります。授業者があえて注意をしないという対応もありますが、他の子どもに影響がある時には何らかの対応が必要です。少なくとも迷惑をかけられている子どもに対して、「我慢してくれてありがとう」ということは伝える必要があります。
ディスプレイに「たなばたさま」の歌詞を表示し、その後で教科書を開きます。教師にも同じ歌詞がありますが、これは意味のない行為です。今はディスプレイに注目させる時です。
教えてもらっていないからわからないはずだと言いながら、「知っている子はいないかな?」と「砂子」の意味を子どもに聞きます。今日は言葉の意味を調べることを学ぶ時間です。「教えてもらう」という言葉はあまり相応しくありません。「知らない言葉はどうすればわかるか?」を問いかけるべきでしょう。
ワークシートを配り、班長に辞書を取りに来させます。課題の説明をしますが、子どもは辞書に気を取られて集中していません。延々と説明が続きます。言葉の意味を調べること、調べ方、どのようにワークシートに書くのか、こういったことをまとめて指示をするのです。これでは、子どもは理解できません。「辞書の使い方を確認する」「辞書を引いてみる」「辞書に何が書いてあるかを確認する」「複数の意味がある時はどうするかを考える」「ワークシートに整理する」といった一連の活動を、ステップごとに確認をする必要があります。全体で一つひとつ試しにやってみることが必要でしょう。この活動の目標もはっきりしないまま活動に入りました。
案の定、子どもたちは何をどうすればいいのかわからなくて、授業者に質問します。活動中教科書がじゃまになっています。辞書の箱を下に置くように指示しますが、きちんと聞く態勢をとらせていないので、徹底しません。気がついた子どもが他の子どもの箱をかたづけています。
辞書を引いて、「あったー」と声を出す子がいます。「あったら意味を書きましょう」と指示していますが、一連の活動を理解していないので、このような状態になっていることに気づいていません。「どうやって書くの?」と次々に質問が出てきます。行き当たりばったりで、指示を繰り返しています。子どもは全体の場面では評価されないので、個別に授業者に聞いて相手をしてもらおうとしているように感じます。
子どもが友だちにすぐに文句を言います。昨年はこの子どもたちを見ていてこのようなことは気にならなかったので、今年になって子ども同士の関係が崩れ始めているようです。
全体で発表させるのですが、子どもがなかなか静かになりません。授業者の声が大きくなります。これは逆効果だと気づいていません。全員が授業者に注目していないのに進めます。
2人しか挙手をしないのに指名しました。他の子どももノートには作業の結果が書かれています。なのに、発表しないというのはどういうことでしょうか。教室の雰囲気が悪くなっていることや発表してもいいことがないと感じていることが原因のように思います。基本的にほめられることがないのです。
「砂子」は国語辞書には載っていません。そこで、授業者が写真を見せて説明しますが、載っていないことを調べさせる意味は何でしょう。結局わからなければ授業者に教えてもらうという姿勢をつくってしまいます。辞書には種類があることと、百科事典と国語辞典との違いを教えて、百科事典で「砂子」調べた結果を見せたいところでした。
七夕がもともとどんな行事だったかを子どもに問います。知っていなければわかりません。ヒントを出して考えさせます。かつては習字を上手くなるように願っていたということを説明しますが、あまり意味のあることではありません。さっさと説明すればいいのです。
子どもたちに短冊を書いてもらうと言うと、何を書くのかを明確にしていないのでテンションが上がります。授業者は「聞きなさい」と強い声で制止をします。コントロールできないと上から押さえつけようとします。これでは、子どもたちとの人間関係が崩れていきます。
この後で、短冊に書くテーマを提示します。「クラスをよくするための願い事」です。子どもは、「自分の願いがいい」と反発します。子どもにとって、その必然性がないのです。国語の授業としてこの活動の目標は何かわかりません。学級の状況がよくないのでこういう課題にしたのなら、まず子どもたち自身がそのことが課題と感じるような場面が必要です。
子どもが書き始めると、下書きをするように指示を追加します。これでは徹底しません。指示に従えてない子どものミスを指摘する子どもがいます。助けるというよりも非難という感じです。あとから、名前を書くように指示しますが、どこに書くかよくわかりません。そもそも授業者が貼った見本には名前がないのです。
授業後の挨拶は、だれも授業者を見ていないまま終わりました。このことが象徴的でした。
授業者の視線の先には、子どもの姿がありません。自分の感覚で、「これでわかるだろう」と思って授業を進めています。経験の少ないうちはそうかもしれませんが、授業中の子どもの姿を見て修正されていくものです。3ヶ月経とうとするこの時期でも、それができていないのです。子どもの視点で授業を見ることができていません。自分の言葉が子どもにどう受け取られるか、子どもはどのような過程で理解するのかといったことを考慮できていないのです。
基本的なことでも、それをきちんと実行することは初任者にとっては難しいものです。ゆっくり時間をかけて成長すればいいのです。とはいえ、当面は急いで学級の状態を落ち着かせる必要があると思います。子どもたちの中にあった、昨年までの貯金がなくなっているのです。授業規律を、子どもを認め、ほめることでつくることから始める必要があると思います。それと並行して、授業者にはどのような子どもを育てたいのか、どのような子どもの姿を見たいのかを自身に問いかけてほしいと思います。
管理職を含め、多くの先生方がこの先生にアドバイスをしています。何を言われているのか、具体的にどのようにすればいいのか、もしわからなければ自分から何度も聞きに行くことが大切です。アドバイスを素直に受け止め、前向きに取り組んでほしいと思います。

学校全体としては、先生方は子どもを受容することができています。先生と子どもの1対1の関係は良好だと思います。次の課題は、子ども同士をつなぐことと、活動の目標を子どもにわかる言葉にして自己評価の場面をつくることです。校長は個々の学級、先生方の課題をよく把握されています。昨年は先生方が課題を共有して、短い期間で大きく進歩しました。今年も次回訪問時にはよい変化を見ることができると期待しています。

できているからこそ次の課題がよく見える

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。1学年1学級の小規模校です。昨年度、先生方がとても大きく変化した学校でした。
この日は、初任者の授業を1時間見て、他の時間で全員の授業を見せていただきました。

1年生の授業は国語の物語の内容の読み取りの場面でした。
子どもは落ち着いて授業に参加しています。授業者との人間関係も悪くありません。子どもたちは指示に従いますが、授業者はそのことを評価しません。できたことを認めることを意識してほしいと思います。
指名した子どもが発表している時に、他の子どもの顔がなかなか上がらないことが気になりました。指名した子どもと授業者だけで進みます。一問一答になっているので、指名した子どもが自分と同じ答を言うと「言われた〜」と残念がる声が聞こえます。同じ答でいいので、何人も指名するようにしてほしいと思います。
タオルで遊んでいる子どもがいました。授業者は「タオルしまっておこうか」と声をかけましたが、しまうところまで確認しませんでした。子どもは動きが遅いので待ちきれなかったのだと思います。先に進んでもいいので、その子どもがしまえた時に、「しまえたね」と笑顔でうなずいてあげてほしいところでした。
もう少していねいに子どもを見る余裕ができると、子どもたちの様子が大きく変わると思います。

2年生の授業は国語の読み取りの場面でした。
子どもたちと授業者の関係がよく、子どもは指名されたいと意欲的です。子どものつぶやきもよく拾いますが、それを受けて授業者が言葉を足したり、しゃべりすぎたりしているように思います。子どもの言葉を受容して、全体に返すことができるのですが、必ず自分で対応しています。「今の意見どう思う?」「なるほどと思った人?」と直接子どもにつなぐことも必要です。子どもはうなずくといった反応ができるので、「うなずいてくれたね。反応してくれてうれしいな。それってどういうこと?」と反応したことを評価し、子どもから言葉を引き出すようにしたいところです。
個人作業に移ってすぐに、子どもが先生を呼びます。どうしていいかよくわからないのです。個別に対応するにも限界があります。その間にできた子どもがだれてしまいます。課題に取り組む前に、子どもに見通しを持たせることを意識するとよいと思いました。本文中に「・・・のように」と比喩表現が使われています。「たとえを表わす言葉に注目して」といった指示を付け加えることで根拠を持って考えることができ、手がつきやすくなると思います。

4年生は国語の同音異義語の学習でした。
同音の言葉を使った定型詩の同音の部分を抜いたものを提示して、そこに入る同じ言葉を考えさせます。指名した子から「とる」という答がでると、「いいです」と声が上がります。授業者は「大正解です」と「正解」を自分で判断します。ここは、何人かに言わせた後、「とる」をいれて、上手く通じるか全員で確認することが必要です。自分たちで正解かどうかを判断する力をつけることが大切です。
これに限らず、子どもの発言をすぐに正解と判断したり、子どもの言葉を「すごい、すごい」と評価してすぐに解説したりします。他の子どもが友だちの発言を理解し、評価するための時間や、場面が必要です。立ち止まることなく、一部の子どもとのやり取りだけで授業が進んでいくので、ついていけない子どもが増えていきます。10分ほどで子どもたちの集中がなくなってしまいました。
「今日、習っていくのは・・・」とめあてを示しますが、「習う」という言葉が引っかかります。子どもたちは、無意識のうちに授業は「教えてもらう」ものだと思ってしまいます。「正解」「わかった人」という言葉が多用されることと合わせて、気をつけたいところです。
課題ができた子どもに対して○をつけに行きます。子どもの手が挙がると、教室の中を行ったり来たりしています。効率が悪いのも問題ですが、何よりできた子どもしか評価されません。もし○をつけるのなら、全員に○をつけることが大切です。挙手に頼らず、間違えていても×はつけずにできているところまで○をつける部分肯定の発想で、端から順番に○をつけていくのです。
全体では答の確認で進みます。結果だけを聞いても、できなかった子どもができるようにはなりません。できなかった子どもができるようになる場面を授業の中で組み込むことが大切です。
授業者が教卓から物を落としたときに、子どもが「落ちた」と教えてくれました。授業者「ありがとう」とその子どもに返しました。あたりまえのことですが、子どもに「ありがとう」をきちんと言えることは大切なことです。子どもに向き合う姿勢はできていると思います。子どもたちとの関係の上に、どのような授業をつくっていくのかを考えてみてほしいと思います。

5年生は道徳の授業でした。
子どもたちが安心して意見を言える学級がつくられています。授業者は笑顔いっぱいで子どもたちの言葉を受容します。子どもたちは、友だちの考えに対してどんどんツッコミを入れることができます。道徳的にはどうかなと言う意見は、思っても全体の場で言わないのが普通です。しかし、この学級では気にせずに言うことができます。とてもよい人間関係がつくられているように思いました。失敗しても笑われない、バカにされない、恥ずかしくない学級づくりが大切です。この学級は失敗しても「笑い飛ばせる」、もう一つ上の状態に感じました。
マジシャンが、さびしい子どもとの約束を守るか、夢をつかむチャンスを取るかで悩む話です。主発問は「どちらに行くべきか?」です。「行くべき」という表現は、客観的な答を求めるものです。どうしても建前になりやすいのですが、子どもたちは「子ども」「マジシャン」の気持ちや立場になって意見を言います。よい状態で授業が進んでいます。しかし、自分や相手の都合が話題の中心です。この題材では、「約束を守る」ということの大切さ考えることがねらいなので論点がずれています。授業者は「約束」という言葉を意識させようとしましたが、なかなか修正ができませんでした。ここでは、「子どもが、温かい家庭でさびしくなかったらどう?」と条件を変えてみるとよかったと思います。揺さぶることで、「自分や相手の都合に関係なく、約束は守るものだ」という考えも出てくるのではないかと思います。

6年生は外国語活動の時間でした。授業者は、穏やかな表情で子どもたちをしっかりと受容できる方です。
街の地図で、目的地を”go” “turn” ”right” “left”を使って誘導するという課題です。”Go!”で一ブロックを進みますが、実際の道案内とは違う表現です。2ブロックを進むには2回”Go!”を言います。ゲームとして構成されているの、それでよいという考えもありますが、実際とは違う表現は問題があると思います。
指名された子どもが順番に英語で指示して、自分の家へ誘導するという設定です。場所を確認したら、友だちの顔写真をその場所に貼ります。子どもたちの活動時間の多くは、顔が印刷された紙から友だちの写真を切り抜いて貼ることです。楽しんでいる子どももいますが、ばかばかしいという顔で、ただ作業をしている子どもも目立ちます。やっている内容は、どう考えても小学校の低学年か幼稚園児レベルだからです。
これはこの市のカリキュラムの問題で、授業者の問題ではありません。英語の教科化も見据えて、この市として見直しが必要だと思います。

特別支援学級は、3人の先生が担当されていました。ベテラン2人と若手です。
若手は、子どもに寄り添うことをとても意識していました。寄り添うことを意識して子どもと接する経験を積むことは、普通学級を担任する時にも生きることです。よい経験を積んでほしいと思います。
ベテラン2人は力のある方だと感じました。とてもよい表情で、子どもと上手に接しています。人事面の都合で、どちらかと言えば力のない方が特別支援を担当することもあるようですが、この学校は力のある方を担当させています。普通学級か特別支援学級か悩んでいる保護者に、安心して特別支援学級を選んでもらいたいという校長の発想です。慧眼だと思いました。

どの先生も子どもを受容することができています。だからこそ、次の課題が明確になってきたと思います。

この続きは次回の日記で。
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